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お笑い芸人のチャンス大城が、自身のTikTokで石破茂首相のモノマネ動画を投稿し、そのクオリティにファンから絶賛の声が続々と寄せられている。大城は「小石破茂です」と題した動画で、メガネをかけて外見から石破首相に寄せたうえで「ウァトゥクシ(わたくし)は…」と特徴を捉えたモノマネを披露。さらに途中から「スターバックスで散々悩んだ挙げ句、結局それを頼むのかいという麻生太郎」のネタにつなげた。現首相&元首相のモノマネリレーに、公開から1日で約2万いいねがつき、「似すぎです!」「この人天才だわ」「とことん器用なチャンスさんw」などのコメントが寄せられている。
2024年10月31日絶好のチャンス!デートで彼との距離を縮めるための方法デートは、2人の関係をより深める絶好のチャンスです。今回は、デートで彼との距離を縮めるための方法を紹介します。[nextpage title=""]彼を褒める彼の行動や特徴を認めることで、彼からの好感度はさらにアップします。例えば、彼が何かに集中している姿や気遣いを見つけたとき…。「すごくカッコいいね」といった言葉で褒めることが大切です。彼もあなたに好印象を持ち、恋愛感情が芽生える可能性も高まります。明るく振る舞うお互いにふざけ合うことは、距離を近づけるのに有効です。待ち時間にくすぐるなど、よりリラックスした雰囲気を作り出しましょう。こんなちょっとしたふざけ合いが、彼の信頼感を深め…。彼が心を開いてくれるきっかけになるかもしれません。彼の「喜ばせたい」を満たす彼があなたを喜ばせようとする気持ちに応えることもポイントです。自分から提案したり、リクエストを伝えたりしてみましょう。「次は私が誘うから、一緒に〇〇に行こう!」と提案するのもおすすめ!彼も喜んであなたとの時間を楽しむことができますよ。嬉しかったことを共有デート中に嬉しかった出来事を話してみましょう。あなたが笑顔で楽しそうに話す姿を見て…。彼も自然と笑顔になり、デートの満足度がぐんと上がります。彼はあなたのことをもっと理解したくなるかもしれません。彼との距離を縮めるコツデートで彼との距離を縮めるための方法を紹介しました。これらを取り入れて、意中の彼をGETしてみてくださいね。(愛カツ編集部)
2024年09月29日まだ、チャンスはある…?男性が「復縁」を望むときの行動ふとした瞬間に昔の恋愛を思い出してしまうこと、ありますよね。「もしかしたらまだチャンスがあるのではないか」と期待してしまうことも…。実は男性も、元カノのことを思い出して復縁を望む瞬間があるようです。今回は、男性が復縁を望むときにとるであろう行動を紹介します。[nextpage title=""]元カノの近況チェック男性が復縁を望むとき、最初にとる行動は元カノのSNSチェックです。「彼氏がいないか」「どんな風に過ごしているのか」など、元カノの近況を確認します。こうすることで、復縁に向けてのアプローチの仕方を考えることも…。また「いいね」やコメントで、自分の存在をアピールすることもあるようです。直接連絡をとるもともと連絡先を知っている場合には、直接連絡をする男性もいます。ここでの反応をみて、復縁の可能性を探るわけです。反応があれば、さらに踏み込んだアプローチで関係を深めようとするでしょう。昔のことを謝罪する昔のことを謝罪するのも復縁を狙っているサインです。ただの友達に戻りたい場合よりも…。何かしらの下心がある可能性が高いといえます。本当に復縁を望んでいるのか、真意を見極めることが大切です。新しい恋の可能性を探る仲よく話せる関係であれば「もう新しい彼氏はできた?」と直接尋ねるようです。これはただの好奇心ではなく、復縁の可能性を探っているサインかも…。彼氏がいなければ、復縁のチャンスと捉えてアタックしてくるでしょう。男性が復縁を望む意図男性に復縁を望まれたら、注意深く行動する必要があります。焦らずにじっくりと彼の意図を見極めることが重要です。(愛カツ編集部)
2024年09月11日映画『カラオケ行こ!』(公開中)の公開記念イベントが18日にカラオケまねきねこ 渋谷本店 ライブルームにて行われ、綾野剛、齋藤潤、やべきょうすけ、吉永秀平、チャンス大城、山下敦弘監督が登場した。同作は和山やま氏による同名コミックの実写化作。合唱部部長の岡聡実(齋藤潤)はヤクザの成田狂児(綾野剛)にカラオケに誘われ、歌のレッスンを頼まれる。組のカラオケ大会で最下位になった者に待ち受ける“恐怖”を回避するため、何が何でも上達しなければならないという狂児の勝負曲はX JAPANの「紅」で、聡実は嫌々ながらも歌唱指導を行うのだが、いつしか2人の間には奇妙な友情が芽生えていく。○■映画『カラオケ行こ!』チャンス大城の歌唱が話題にイベントでは、ヤクザ役を演じたキャストたちが曲を披露することに。トップバッターのやべは「衣装合わせの時に、歌ったことないので、キーどれくらいなんだろうなと思ってやってみたら、『大丈夫です! やべさんはそのままで!』って監督に速攻言われて、そのまま撮影に入ったんですよ! 緊張感ありましたね」と言いつつ、King Gnuの「白日」を披露。最後のフレーズを「傷つけてしまったり」を歌い終わると「俺が一番傷ついています」とこぼすが、綾野は「白日を選ぶ時点で勇者ですよ!」と称える。続いて吉永が「監督から電話がかかってきて、あれですよ、と言われてね。僕も衣装合わせで、『一曲どうぞ!』と言われて、歌いました」と桑名正博の「月のあかり」を披露。思わぬ熱唱に会場も盛り上がる。最後にチャンスが「僕の『Lemon』が汚いってXで流行っているらしくて。衣装合わせで、+4で歌ってくれって言われて、ギリギリで歌いましたね」とここで米津玄師の「Lemon」を披露。歌にまつわる話で盛り上がる中、「高校の時に本当にX JAPANさんが好きで支えられていて、綾野さんとか潤くんの『紅』を聞いて本当にしびれましたよ。しかもね、YOSHIKIさんがXで映画のことをRTしてくださったみたいで! 嬉しかったです」とX JAPAN愛を語った。
2024年01月18日●イジメられていた時代に感じた“お笑いの力”『さんまのお笑い向上委員会』や『水曜日のダウンタウン』などで強い存在感を示しているお笑い芸人・チャンス大城。そんな彼の半生を綴った自伝『僕の心臓は右にある』が発売された。学生時代の壮絶なイジメからNSC(吉本総合芸能学院)入学、さらに芸人になってからの数奇な出会いが綴られた本書を読むと「人生はなにがあるか分からない」と言いたくなるほどドラマチックだ。いまや街でも多くの人に声を掛けられるようになったという大城だが、自身のなかでの変化をどのように感じているのだろうか。○■間寛平、ダウンタウン、さんまのラジオが心の支えに大城の出身は兵庫県・尼崎。引っ込み思案で人と話せなかったという大城は、幼少期からイジメられていたという。そんななか、間寛平やダウンタウン、明石家さんまのラジオが心の支えになっていた。なかでもダウンタウンの松本人志が話していた「面白い奴はイジメられない」という言葉は大城少年の心に強く残っていた。「ずっと人前でしゃべれない人間だったので、自分でも暗い奴だと思っていたんです。でも小学校5年のときにF1カーのモノマネをしたら、友達が笑ってくれて。担任の先生も『お楽しみ会などでやってみて』なんて言ってくれて、一瞬人気者になったんです」。それでも中学生になると、周囲にはいわゆる不良と呼ばれる人間が多く“お笑い”を封印していたという大城。そしてまたイジメに合い、暗黒の時代がやってきたという。そんななか大きな転機が訪れたのが、中学2年生のとき。「ダウンタウンさんが司会を務める『4時ですよーだ』という番組のなかに素人が一発芸をやるようなコーナーがあったんです。そこでF1のモノマネをして優勝したんです。そこでいろいろな人に声を掛けてもらったり、不良に呼ばれて『ギャグやってくれ』って言われたりして、イジメが減ったんですよね。そこで松本さんが言っていた『面白い奴はイジメられない』というのを再認識できた気がしました」。○■死ぬまでの時間稼ぎ的な感覚で過ごしていた売れない時代そこからお笑いの力を信じ、中学生ながらNCS大阪校に8期生として入学。千原兄弟やFUJIWARAらの同期となるが中退。その後も紆余曲折しながら芸人として活動を続けるが、まったくと言っていいほど目が出なかった。「途中事務所にも入れなくて、まったく売れる気配すらなかったんです。こんな言い方するものどうかと思いますが、死ぬまでの時間稼ぎ的な感覚で過ごしていました。テレビなどメディアには出られない。でもインディーズファンっているもので、まったくお金になりませんでしたが、その人たちを笑わすことだけが生きる目的みたいな感じでした」。それでも飲みに行ったりすると、つい自分の生い立ちを面白おかしく話してしまう。どうしても誰かを笑わせたいという衝動に駆られる日々だった。「どんなに食べられなくても、やっぱり好きなんでしょうね。僕はいま47歳ですが、普通ある程度の年齢になれば、居酒屋をやったり、なにか違うことをすると思うんです。でも僕は正直、中学生のときとまったく変わっていない。悪く言えば成長していない。僕はおつむが弱いので、いまどきの人みたいにYouTubeをやったりとかもできない。もう人を笑わせたいという思いしかないんです」。●全国放送で知名度アップ! 風呂&冷暖房付きの生活に○■お酒で大失敗! そこからさらに芸人道にまい進純粋な思いを抱きながらも、なかなか目が出ない芸人人生。大きな転機となったのが2017年に出演した千原兄弟が定期的に行っているトークイベント「チハラトーク」への出演だ。「もともとNSC8期生の同期という繋がりがあったのですが、2013年にある芸人さんのきっかけで、千原せいじさんにお会いする機会がありました。そのとき僕の『オッヒョッヒョ』というギャグを覚えていてくれたんです。そこでせいじさんの居酒屋で働かせていただくようになったことから、縁が繋がって……。そこで『チハラトーク』に出させていただいたことで、その後『人志松本のすべらない話』や『とんねるずのみなさんのおかげでした』の“細かすぎて伝わらないモノマネ選手権”に出られることになりました」。どちらもしっかりと結果を残し、“チャンス大城”の名前は徐々に浸透していく。しかし『人志松本のすべらない話』で、大城はお酒による失敗をしてしまった。「打ち上げで大酒を飲んでしまい、松本さんに絡んだりして、やらかしてしましました。もう本当にすべてが終わったと思うぐらい。これまでどんなことがあっても辞めなかったお笑いを辞めようと思いました。松本さんに失礼なことをしたのはもちろんですが、『すべらない話』に僕を推薦してくれた千原兄弟の顔にも泥を塗ってしまったので。もう全員に謝りました。まあ暴力とか暴言とかではなかったので、皆さんとても寛大だったのですが、そのときお酒はやめよう、絶対お笑いを頑張ろうと誓ったんです」。○■風呂&冷暖房付きの部屋に喜び「それだけでうれしかった」お酒を断ち、住んでいた家を出て改心した。そして誰かの役に立とうという思いで「吸殻拾い」を毎日行った。「毎日欠かさず吸殻拾いを続けていくなか、ある日空に向かって『吸殻拾い続けるので、ちょっと仕事をいただけませんか?』とお願いしてみたんです。すると千原せいじさんから『さんまのお笑い向上委員会』に出てみたらと紹介していただいたんです。そこからさんまさんにも少しずつ呼んでいただけるようになって……」。2018年当時、風呂なしアパートに住んでいたという大城。現在は風呂と冷暖房がついた部屋に引っ越すことができたという。「もうそれだけでうれしかった。クーラーのある部屋に住めるようになったのは、ここ2年ぐらいなので。夏にクーラーのなか、高校野球を見ながら寝るというのが僕の憧れだったので」。街でも声を掛けられることが増えたという大城。しかし「お金持ちになりたい」や「良い車に乗りたい」など、ある意味で俗っぽい夢は一切ないという。「レギュラーがあるわけでもないですし、来月仕事がゼロになる可能性だってある。努力を怠ったらどうなるか分からない世界。まあ長くこの世界でやっているので、自分のポジションというのは分かっているつもり。限りなく素人に近い芸風なので、そんな大層な生活なんて望んでいません(笑)」。●すべてが不思議な縁で繋がっている人生○■さんま、ダウンタウン、千原兄弟を笑わせることが目標ある意味で欲がないように感じられる大城。彼の芸人としてのモチベーションはなんなのだろうか――。「僕にとって恩人である千原兄弟さん、さらに素人のときからの憧れであるダウンタウンさんや明石家さんまさん、いまこのお三方とお仕事をご一緒しているということが、自分でも信じられないことなんです。そんな方々を僕のギャグで笑わせることができたら……こんなに幸せなことはないですし、大きな目標です。まあ『水曜日のダウンタウン』は笑かしているというよりはドッキリ仕掛けられているだけですが(笑)」。『水曜日のダウンタウン』のリアクション一つをとっても、これまでの大城の経験は大いに役に立っているという。「まあ雑草魂ではないですが、僕がイジメられていた学生時代の経験が、いろいろなところで活きていると思います。もし尼崎でイジメられた青春時代ではなく、田園調布などで平々凡々に暮らしていたら、こうはなっていなかった。その意味で、昔の自分を肯定できるというのはお笑いという仕事の素晴らしさなのかなとも思うんです」。イジメにより、お笑いのラジオが拠り所になっていた幼少期。素人として出た番組でダウンタウンと出会い、さらにNSCに入学したことで、千原兄弟とも接点ができた。そのときはまったく先に繋がらなかった事象だが、俯瞰でものを観ると、すべてがいまの大城に繋がっている。「本当にそう考えると人生って不思議ですよね。中学生のときNSCに入ったときは、挫折して辞めてしまいましたが、それがなければせいじさんに後々声を掛けてもらえることもなかったと思うと、梅田花月に行ってNSCの募集を見たときから、すべてが始まっていたんだなと思います」。○■映画化するなら――理想のキャスティング像を明かす■チャンス大城本名は大城文章。1975年1月22日生まれ、兵庫県尼崎市出身。1989年、中学3年で大阪NSCに入るが退所し、定時制高校に通う。1994年、再び大阪NSCに入るも、また退所。上京後、地下芸人時代を経て、2018年3月よりデビュー時に所属していた吉本興業に復帰。座右の銘は「おまえ、その執念、忘れるなよ」。
2022年08月08日モテる女性というのは、そもそも「恋のチャンス」に恵まれていることが多いです。ただ、少しでも多くのチャンスが訪れるように、ちゃんと普段から努力をしているということでもありますよ。そこで今回は、「恋のチャンス」に恵まれる女性の特徴をご紹介します。■ 「人付き合い」を大切にする「人付き合い」を重視して大切にしている女性は、やはりそれだけ人とのつながりや出会いの数だって多くなるもの。それは「恋のチャンス」を増やしていくためにも、最も重要なことであるとも言えます。人付き合いを無駄に感じていたり、自ら行動を起こそうとしないままでいると、いつもの日常からずっとなにも変化をしないかも。いろいろな人とつながっていた方が、「あなたに合いそうな男性」を紹介してもらえたりもすることでしょう。■ 女性らしさを意識するどんなに気が合ったり親しくなった女性であっても、異性を感じることができないと、男性は恋愛対象としては見ることができません。だからこそ、いつでもつねに「女性らしさ」は保っておかないと、いくら男性との出会いがあっても、関係性を発展させることはできないでしょう。ファッションやメイク、髪型といった身だしなみに気を遣うのはもちろんですが、内面的にも最低限の恥じらいはちゃんと持つことが大事。「女」を感じる女性のことは、気になってしまうという男性も多くなるはずので、必然的に「恋のチャンス」だって増えていくものですよ。■ 「フリー」をアピールしている「彼氏がほしい」と真剣に思っているのであれば「彼氏募集中」であることを周囲に伝えておくことも大事。そうすれば、男性を紹介してくれる人も増えるでしょうし「俺が立候補しようかな」なんて考える男性だっているかも。周囲の人や友人であれば、あなたの好みなどもよくわかっていたりするでしょうから、自分にピッタリな男性とめぐり会える確率も高くはなるでしょう。ただ、あまりにも「彼氏がほしい」と言いまくると、男に飢えているような印象を持たれたりもしちゃうので、基本的にはごく身近な信用できる人たちにだけ伝えた方がいいですよ。■ 「恋愛アンテナ」を立てておく「出会い」は、いつどこで訪れるものかわからないものです。だからこそ「恋愛スイッチ」いつでも入っている状態にしておかないと、男性と出会っても恋愛につなげることはできないでしょう。また「もう恋愛は当分いいや」とか「ひとりの方が楽だな」といった考えでいると、男性からは魅力的には見えないかも。恋愛を拒絶しているかのようにも見えるので「この子はちょっと無理そうだな」と引かれてしまうことにもなりかねませんよ。■ 恋の機会を逃さないで「恋のチャンス」を増やすことができれば、自然と素敵な恋愛を手に入れられる確率だって高くなるはず。まずはそこを強く意識するように心がけるのは、彼氏を作るための第一歩であるとも言えるでしょう。つねに意識していましょう!(山田周平/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年06月12日●2人が出会ったのは「道がなかった時代」NSC(吉本総合芸能学院)の同期で、2019年にともにデビュー30周年を迎えた千原ジュニア(千原兄弟)と竹若元博(バッファロー吾郎)。2人は、2014年にスタートした“即興”をテーマに1人喋りショーとコントショーの2部構成で届けるエンタテインメントショー「THE EMPTY STAGE」の中心メンバーとしても活躍している。30年にわたってお笑いの道を追求してきた2人に、出会った当時から現在に至るまで、そして舞台に対する思いを語り合ってもらった。――お二人はNSCの同期ですが、第一印象は覚えていますか?千原ジュニア:第一印象ねえ…いつやろ? クラス別やったんな?竹若元博:うん。ジュニアは変則的な入り方をしているんでね。ジュニア:そうそう。AとBみたいに分かれていて、たぶんバッファローがAやったら、うちはBやったんですよ。みんな4月から入っていて、俺は6月くらいから途中で入って、夏くらいに人数が減ってきてAとBが一緒になるみたいなときに初めて会うたと思いますね。俺が15歳。竹若:なんとなく、Aクラスの噂とか、Bクラスの噂みたいのを、好きな奴が言っていた。「向こうにはすごい奴がいるぞ」みたいな。第一印象としては「すごい奴やな」という感じはなかったですかね。――15歳のジュニアさんが最年少だったんですか?ジュニア:いやいや。もう一人、チャンス大城っていうのがいて。一個下なんですよ。チャンスと俺だけが、飛び抜けてというか、飛び下がって下。――一緒のクラスになってからは、どんな風に仲良くなったんですか?ジュニア:俺のイメージでは、すぐに仲良くなって。その頃にせいじと住んでたところを俺が出て、「じゃあ俺、入るわ」って竹若が入って。相変わらずそこがずっと我々のたまり場みたいな。竹若:うんうん。(千原兄弟が)2人で住んでいるときも、みんなで遊びに行って。(ジュニアが)出るタイミングで、僕が入ったっていう感じです。――その頃、お互いの関係性はどんな感じだったんでしょう?ジュニア:俺が生意気やったっていうのもあるんでしょうけど、年若いから下ではなく、みんな対等に接してくれていましたね。FUJIWARAとか、なだぎ(武)とか。竹若:お笑いを目指しているメンバーなので、年齢とかではなく皆が思っているものを感じ合うという部分があるんです。年上とか年下とかではなく「おお、あいついいやん」って、そういうリスペクトをし合って、集まっていた感じですかね。――芸人として熱い話もされていたんですか?ジュニア:それはなかったですかね、あんまり。竹若:道がなかった時代なんですよ。2丁目(劇場)もギリギリ復活したような時期で、一個上の7期生とかは、全然出るオーディションもない時代で。僕ら8期が卒業するときにようやく…みたいな。「ここのルートに行ったら、売れるぞ」というのもなかったし、明確に「あそこで俺、名を上げた」みたいなこともなく。とりあえず「自分らのイベントどうやったらできるんやろ?」という感じでした。FUJIWARAとかは、卒業してからも社員のプロデューサーの公演に出たり。僕らはそこに入れなかったので、「じゃあ、どうしていったらええんやろ?」と考えてやっていました。――そういった状況に対して、焦りなどは感じていましたか?ジュニア:なんとなく、メジャーとマイナーみたいな感じで、FUJIWARAとかがメジャーチームで、我々はマイナーチームという感じでしたね。マイナーはマイナー同士でいるから、全員お金もないし、全員仕事もないし、だから焦らないですね。そこに突出して出ている奴らがいなかった。竹若:いなかったねえ。――とはいえ「いつかは売れたい」という思いはあったんですよね?ジュニア:それはもちろん、この世界にいるので。みんな思っていましたけど、みんなで夜な夜な集まって、それを語ってグラスを傾けるみたいなことは、一切なかったですね。竹若:ふっふっふ(笑)。ないですねえ。――それから時間が経つと、それぞれの道を歩み始めますよね?ジュニア:(吉本印)天然素材が始まって。バッファロー吾郎がそっちに入ったときに(マイナーの)全員が焦りだすんですよ。「いやいやお前、マイナー言うてたくせになんでメジャー行くねん!!」って。ほんで、俺らも一応、天然素材のオーディションみたいなのに呼ばれてネタやって、「不合格」って言われて。「なんでや?」って聞いたら「汚すぎる」って言われて。竹若:へへへ(笑)ジュニア:せいじが「バッファロー吾郎がいるやんけ!!」って、天然素材からバッファロー吾郎を引きずり降ろそうとした。竹若:はっはっはっは(笑)。自分が受からんかったから。ジュニア:うん(笑)。●竹若明かす天然素材時代の葛藤「何やっても…」――竹若さんは、天然素材についてどう思っていたんですか?竹若:ようわからんもんを受けに行って、ようわからずに受かっているので、なんで僕らが受かって千原(兄弟)らが落ちたのかもわかってなかったです。いざプロジェクトが始まったら、ダンスやらなんやら、さらにわけわからんことになって。でも、番組やなんや、とんとん拍子に用意されている道ではあったので、いま考えたらすごくもったいない時期というか、何かにつながればという感じでやってれば、全然違う意識になっていたかもしれないです。やりたいこともある程度はやれてたんですけど、前よりできなかった部分もあったので、僕らは僕らで、千原やらが大阪で頑張っている姿がちょっと羨ましくて。なんもないとこから上がっていってるというのが。その時も全然、仲悪くはなかったんです。会社の上の担当者だけが、バチバチやってただけで(笑)。僕らの方が迷走している部分は、若干あったんです。――具体的には、どんな面で葛藤していたんですか?竹若:何やっても「キャー!!」ってなるんですよ。「全然これ楽しないな」っていうことをやっても「キャー!!」ってなるし、「これ絶対わからんやろ」っていうのが「キャー!!」ってなったりするんで、「何がなんやわからん…」みたいな時期はありましたね。――そういった反応があっても「気持ちいい」とはならなかった?竹若:ならなかったですね。逆に気持ち悪かったですし。その原因がなかなかつかめないままという部分もすごくあったので。――その頃、お二人は交流されていたんですか?ジュニア:その頃はまだ(竹若が)せいじと一緒に住んでましたからね。俺らは大阪にいて、『吉本印天然素材』という番組も大阪は流れてなかったから、噂しか聞いてなくて。でも、たまに東京から帰ってくる竹若が、ファンからのプレゼントを両手に抱えて帰ってくる。それを俺とせいじがあさって食べられるもんを食べるっていう(笑)。ほんで、スケジュール帳を見たら、カタカナで「ケイコ(=稽古)、ケイコ、ケイコ…」って書いてて、俺ほんまにせいじと「竹若よかったなあ、彼女できた!」って。「大恋愛してるやん!! しょっちゅう会うてるやん!!」みたいな。まさか、踊ってる思えへんから。竹若:ふふふ(笑)――先ほど「会社の上の担当者だけが、バチバチやってた」と仰っていましたが…?ジュニア:二丁目劇場を担当してる社員と、天然素材を仕切ってる社員が仲悪かったんですよ(笑)。「一切絡むな」って。俺らは二丁目劇場でやってて。天然素材は、そのあと梅田花月でやってて。でも、一切交流することなく…いう感じでしたね。竹若:そうですね。ジュニア:ほな、だんだんプライベートでもあんまり会わなくなって、俺らがぼちぼち東京行きだして。すれ違いですね。――一緒に何かやるようになった時期は?ジュニア:吉本に入って1、2年は一緒にやってましたけど…。そこからはなかったですね。竹若:そうですね。二丁目をぐわーって(盛り)上げていった時期は、僕らも全然絡んでないですし。天素が終わって、そこに入り込む余地もなかったですし。でも、草野球とかは一緒にやっていたり。ジュニア:そうそう。それで、関テレで大喜利の番組が始まるってなって、俺らその時に、2丁目劇場を仕切っていたおっさんに「バッファロー吾郎入れてくれ。大喜利やるんやったら、絶対にバッファロー吾郎入れた方がええ」って言って。ほんで入ったのが、けっこう珍しいパターン。「天素の人間が(千原の番組に)出んねや…」みたいな。そこから、俺らが司会してしていたネタ番組にFUJIWARAが来るようになったり。竹若:FUJIWARAもそうやね。オーディション受けて。そんな感じですね。ジュニア:そこで一緒になったくらいで、俺らがもう東京行って。――バッファロー吾郎さんは当時、大阪で?竹若:大阪ですね。FUJIWARAとかも大阪で。今度は逆に、BASEよしもとを盛り上げていくみたいになっていった感じですかね。ジャリズムやらが東京に行きながら。(千原とは)いいタイミングでっていうのが逆になくて。でもまあ、共通の一緒にやっている後輩であったり、そういうところからのつながりもありましたし。あまり表舞台としては一緒に立ってないですけども、別にそれが気持ち悪いということでもなく、会ったら会ったで何でもできますっていう感じでしたかね。――付かず離れずという感じだったんですね。ジュニア:まあ、そうですね。●互いを称賛「吉本一の人格者」「センスの塊」――では、今のそれぞれの活動は、どういう風にとらえていますか?ジュニア:竹若は吉本一の人格者やと。昔からです。人に対する怒りとか、妬みとか、嫉みとか、そういう感情が一切ない人なので。後輩なんかも自然と集まってきたり、ついてくるのはもちろんわかりますね。ライブにもいろんな芸人が慕ってやって来るっていうのは、当然のことという感じです。竹若:ジュニアは昔から、ネタ的なことに関しては同期の中でも飛び抜けていた部分があったんですけど、子供やなっていう部分も僕らの中ではいろいろあったんです。(今は)人間味が合わさって、昔はセンスの塊みたいなものってちょっと拒絶するというか、受け付けないという人もいたと思うんですけど、今は人間味含めていろいろなことを表現できているので、すごく入ってくる。よく「丸くなった」とか言われますけど、人間(味)をまといながらできているのはかっこいいことやなって思っています。いい成長の仕方してるなと思っております(笑)。――お互いの接し方は、若手時代と同じですか?ジュニア:30年前と一緒ですね。全員一緒ですね。竹若:そうですね。まあ、大人にはなってるとは思うんですけどね。フジモンのギャーギャー言うことが昔より腹立たしくなくなってるとか(笑)、そんなんもあります。――お二人は、「THE EMPTY STAGE」のほかにも、単独ライブなど含め、舞台でのご活躍が印象的です。お二人にとって舞台とはどんな存在ですか?ジュニア:一番最初が舞台ですからね。いきなりテレビから始まっていたらやってないんでしょうけど、舞台から始まって、ずーっと舞台しか出てない時期があったから、精力的に舞台をやっているという感覚もないですね。ごくごく自然な流れでやってる感じです。――どちらかの方がやりやすいという感覚はありますか?ジュニア:テレビはテレビで面白いし、舞台は舞台で面白いしっていう感じですね。どっちが上とか、そういう感覚じゃないです。――では、舞台ならではの良さは?ジュニア:やっぱり、笑い声がダイレクトに(届く)っていうことに尽きるんじゃないですか?竹若:僕も一緒ですね。それぞれ楽しいことがある中で、舞台は舞台でいろいろ楽しいですし、勉強になることもいっぱいありますし。テレビも同じくなんですけども…。だから、どっちかに絞るのはもったいない。――テレビへの露出が増えると、舞台から遠ざかる方もいらっしゃるかと思うのですが、どちらもやりたいと自然に感じていた?ジュニア:自然な感じですね。まあ、テレビは(レギュラーが)なくなることはありますけど、舞台は自分がやると言う限りは、仕事がなくなることはないですからね。お客さんが来てもらえている間はっていうことですけど。――舞台への愛はありますか?ジュニア:ないですねえ、別に。そんなことも思わないです。でも、『チハラトーク』なんかは毎月やから。毎月500人とか600人の人が来てくださるというのには、ほんまに感謝してます。竹若:特に今は、なんでもタダで見られたり。なんやったら「お金払って見なあかんの?」くらいの認識の中、お金を払って、しかも時間作ってくださって、というところは、昔よりすごくありがたく感じる部分ではあります。●ジュニア、目標は現状維持「恵まれている」――2月3日~2月8日に東京・新宿FACEにて「THE EMPTY STAGE GRAND 2020」が開催されますが、これまでの「THE EMPTY STAGE」で印象に残っているネタはありますか?ジュニア:やっぱり、その時その時の時事ネタみたいなものが多いですね。僕の1人喋りは、お客さんに書いてもらったワードで喋るんですけど、「これで何喋ってほしいんや?」「これを書く発想、すごいな…」というのはありますね(笑)竹若:ジュニアの場合は特に「これでどうすんの?」みたいな。お客さんからの挑戦みたいな部分もあって。いいトークで返してきている実績があるので、そういうのが多いかもしれませんね。そうやって本当にピリピリした感じでできているので、ほかの出演者も舞台袖で未だに見ていますし。――ジュニアさん、プレッシャーはあるんですか?ジュニア:別にないですけどね。逆に、一般の人が「こんなん聞いたらあかんのかな? えーい、聞いたれ!」みたいな方が、喋りやすかったりしますね。闇営業とか。竹若:ふふふ(笑)――竹若はどんな面に楽しさを感じていますか?竹若:僕らはチームでやっているので、泥臭く転がりながら、お客さんと気持ちを共有しながら作っていくみたいなところなので、なにも瞬間瞬間に最高の面白いワードを入れていこうじゃなしに、思いついた流れで皆でちょこちょこ積み重ねて、じわじわ方向歪めていこうみたいな作り方なので、よりお客さんと作ってる感じを出しながらやるっていうのが、面白いところでもありますかね。本当に照明が落ちたり、真っ暗になったり、そういうときも即興劇なので、そこを活かして楽しんだり。どっかの地方公演で、借りてる会館は夜10時まで開いてるんですけど、駐車場が9時半で終わるときがあって、めっちゃ車のお客さんが動き出したんですよ。そういうときも、それを交えて即興劇にしたり、すごく楽しかった。アクシデントがアクシデントにならないっていうのが、この「THE EMPTY STAGE」だと思います。ジュニア:楽しそうですね。出るとこ出るし、引くとこ引くみたいな。「大人なコント集団」って感じですね。竹若:へへへ(笑)。――2019年がお二人にとってどんな年になったか教えてください。竹若:『トムとジェリー』もそうですけど、全然知らない環境、他の演出の方とか、役者の方とか、オペラの方とか、全然違う畑の方がすごくいらっしゃった。そういう方とのモノづくりで、“よそはよそ”みたいな考え方ではなく、より理解し合って、「こうやった方が楽しくなるんじゃないですか?」みたいなのも言ってモノづくりができたのがすごく楽しかったです。けっこう僕は借りてきた猫みたいになる部分があって(笑)。すごい人はほっといてもすごいやろし、ダメな人は言ってもダメなんやろなっていうのがあったんですけど、違いすぎるジャンルの人といろいろ仕事することによって、一歩踏み出せた。そうやっていろいろモノづくりをしたことによって、いろんな結果も見えてきたので、ちょっとした一歩が踏み出せたのがすごくよかったなあっていう年ですね。ジュニア:俺は別に新しいことも何もしてないし、ただただ現状維持って感じですね。――ジュニアさんクラスだと、現状維持が難しそうです。ジュニア:まあ、そうですねえ。もう御の字ですよね。――何か個人的なビッグニュースはありましたか?ジュニア:やっぱり吉本はいろいろありましたからねえ。2019年が始まったときに、これだけ吉本の芸人が欠けるなんて思ってなかったし…。令和になってから突然いろいろあって、それの一発目のスキャンダルが、せいじですからね。竹若:ふっふっふ(笑)。よりによって。ジュニア:全部あいつが悪いんですよ(笑)。――事務所の騒動ということで、考えさせられる部分も多かったのでは?ジュニア:いやー特に。ただ、そんな営業に行っていたことにびっくりしましたからね。そんな誘い1回もないから、逆に寂しい。「営業行ってたんや」と、疎外感すら感じるくらい(笑)――最後に2020年の目標を教えてください。ジュニア:現状維持でしょう!――では、現状をご自身ではどう思っていますか?ジュニア:「明日あの仕事か、嫌やな」っていう仕事が一切ないから、それは本当に恵まれているなと思います。――竹若さんはいかがですか?竹若:「THE EMPTY STAGE」においては、常設小屋みたいなところを目標としていて、毎日ここに行ったらEMPTYの誰かしらがしゃべっていて、誰かしらが演目していて、という場所ができたらいいよねってずっと言っているので、そこに近づけるように、一個一個の公演を。夏冬に大きな公演をやっていたり、月1でメンバーが新しい演目を考えてやったりしているので、そういうのが全部つながっていったらいいなと思います。■プロフィール千原ジュニア1974年3月30日生まれ、京都府福知山市出身。ひきこもりだった学生時代に、兄・せいじの誘いを受け「千原兄弟」を結成。15歳にしてNSC大阪8期生となり、二丁目劇場などを中心に活躍。バイク事故などで生死の境をさまようも『人志松本のすべらない話』などをきっかけに全国区の芸人となる。レギュラー番組には『にけつッ!!』『着信御礼!ケータイ大喜利』などがあり、トークライブ『チハラトーク』を毎月開催している。竹若元博1970年8月12日生まれ、京都府出身。バッファロー吾郎Aとともに1989年にバッファロー吾郎を結成。千原兄弟と同じNSC大阪校8期生。2008年に開催された第1回『キングオブコント』で優勝。なだぎ武らとともに、アメコミ好きな吉本芸人の集い「アメコミリーグ」を結成するなど、多方面で活躍中。
2020年01月08日その霊能力のために、楽屋では霊視を求める先輩芸人たちが行列をつくることもあるという、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の“霊がよく見える”ピン芸人・シークエンスはやとも(28)。『ポップな心霊論』は、彼が人生で見てきた霊たちや霊現象などを紹介していくコラム連載!【“いい人”は幽霊に憑かれやすいんです】僕、実は「軍団マニラ」っていう芸人軍団に入っています。ぱろぱろの和田さんって人がリーダーなんですけど、この人、ものすごい幽霊に憑かれやすいんです。なぜかというと、見るからに優しそうな人だから。幽霊っていい人そうな人に引き寄せられるみたいなんです。ただ、重要なのは見た目で“強面だけど実は優しい”みたいな人はむしろ憑かれにくいです。まあ、幽霊になったからって、人間の本質が見抜けるようになるわけじゃないですから(笑)。もう1つ、僕が思ってる基準が、道でぶつかりそうになったときによけるかどうか。必ず自分のほうがよけちゃうって人は確実に憑かれやすいですね。芸人仲間には、憑かれやすいなって人もけっこう多いんですけど、そのなかでも和田さんは、群を抜いてます。なんだか最近、先輩にまつわる心霊話が多いですね。そういえば、以前お話しした「悪魔のピーター」を見たっていうのも、先輩のチャンス大城さんです。この連載を読んでくれているらしく「その話使うなら名前出して!」と言われたので、いまさらながら紹介しました(笑)。先輩たちには、いろんな面で助けられていますね。いつもありがとうございます!【お知らせ】はやともさんへのファンレター・心霊相談は、〒112-8011東京都文京区音羽1-16-6光文社・女性自身編集部「ポップな心霊論」係まで!
2019年12月01日(イラスト:ちたまロケッツ) 『お笑い』→『海外ドラマ』→『マンガ』→『ラジオ』の4ジャンルを週替わりで、そのスペシャリストが“最推し”を指南する『今週の萌えガタリ』。今週は『お笑い』ということで、『オモロー山下』として活動した元芸人で、現在はインタビュアー・ライターとして活動するインタビューマン山下さんが最推し芸人を紹介! 【最推し芸人】チャンス大城 世間には知られず、主に小さなお笑いライブだけで活動している芸人さんを“地下芸人”といいます。 その現役地下芸人界の主がチャンス大城さん(以下・チャンスさん)です。地下への潜伏期間はなんと30年。地下芸人出身の芸人さんを挙げると潜伏期間20年の永野さん、潜伏期間24年のハリウッドザコシショウ。そのはるか上をいく30年というのは、あの綾小路きみまろさんと同じ年数だというから驚きです。 そんな地下芸人のチャンスさんには、ここ1カ月で『すべらない話』に出演、とんねるず『みなおか』の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」では優勝……と、追い風が!実に15年ぶりだったテレビ出演のきっかけを作ったのが、吉本の養成所・NSCで同期だった千原兄弟でした。 養成所時代、チャンスさんはこっそりノートで同期芸人のネタに点数をつけていて、千原兄弟には低く点をつけていたそう。そのノートが偶然せいじさんに見つかり、千原兄弟のトークライブに呼び出しを食らう羽目に。そこで披露したのが、なんと山に埋められたエピソードでした。 チャンスさんは地元の怖い先輩に夜中、山奥に連れていかれ、首まで土に埋められ、そのまま放置されていたそうです。しばらくして、たまたま肝試しに来ていたカップルが急接近。助けてもらおうと、彼らに「すいません」と声をかけると、カップルはチャンスさんを生首の幽霊だと思い、「ギャー!」と叫んで逃げていってしまい、助けてもらえなかったそう……。この話が大ウケし、ジュニアさんのプッシュもありテレビ出演につながったのです。 チャンスさんのトークは、いじめられていたころの話が多いのですが、不思議と笑えます。この不思議と笑える一番の理由は、チャンスさんからにじみ出る哀愁です。 たとえばチャンスさんの埋められた話を若手にされると、いじめられていたときから、まだ時間がそんなにたっていないので生々しくて笑えません。しかし、おじさんが話すと、聞く側はどうしてもおじさんのビジュアルの状態のままで、埋められていた絵を浮かべてしまうのでそのコミカルさに笑ってしまいます。 「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で優勝したネタも、『ザ・ノンフィクション』に出てくる哀愁のあるダメ親父の役で爆笑をかっさらっていました。 つまりチャンスさんの持っている哀愁という武器は、加齢を伴ってこそ輝くんです。43歳でようやく注目された理由もここにあります。 これからどんどん年を積み重ねていくチャンスさん。彼がこれからスタートさせる地上芸人活動の未来は、明るいに違いないでしょう。
2018年02月12日大きなチャンスを無駄にしてしまったとき……、本当にガックリきてしまいますよね。みなさんはそんな経験、あるでしょうか。今回は全国の30代男女300人に「チャンスを無駄にしたことがありますか」というアンケートを実施。すると男性は39%、女性は33%、全体では36%の人が「経験アリ」ということが判明したのです。これは、多くの人が経験する就職活動が分かりやすい例かもしれません。希望の会社にもう少しで入れそうだったのに、最終面接で思わぬ失敗をして落とされてしまった、とか。探してみれば、案外出てくるものではないでしょうか。それでは、今回のアンケートの結果をお伝えします。ぜひ、誰かの後悔を参考に、自分も同じことをしないようにしていきましょうね!■男性の三大“チャンスを無駄にして後悔していること”男性の回答では“仕事” “結婚” “金融商品”の3つに関することが多く挙がりました。仕事は、転職関係ややりがいのある仕事を自ら潰してしまったなど。結婚は、今一つ踏み込めなかったこと。金融商品は、株などの売り買い時期の後悔。どれもチャンスとタイミングが勝負、飛び込む勇気が必要なものばかりですね。それでは、その他の意見もみていきましょう。・買わなかったけど、上がると思った株の株価が上がったとき・予想が当たったのに買い忘れた馬券・上司がやりがいのある仕事を頼んできたのに不安で断ってしまった。後から大後悔・重要な仕事を任されたが成果をあげられなかった・若い時にもっと転職しておけばよかった・大企業に入る面接で大失敗。人生が変わっていたのに・良さそうなお見合い相手だったのに、迷ったあげく断ってしまった・あのとき、結婚しときゃよかった……結婚に関してはご縁もありますね。チャンスは見送ったものの、疲れて帰宅したときに「お疲れ様」と笑顔で迎えてくれる存在がふと恋しくなるのも分かる気がします。■女性はやっぱり恋愛や結婚のチャンスを後悔しやすい女性の意見は、圧倒的に“恋愛”や“結婚”に関することが多かったです。なかには「自分の心とは裏腹な態度をとってしまってダメになった」など、若気の至りのような後悔も。(昔の)失敗は(これからの)成功のもと、と考えて前向きに頑張ってほしいですね。アンケート回答は次の通りです。・かっこいい人に告白されたけど、自分に自信がなくて断ってしまった。とても後悔・好きな人にアプローチされたが、緊張して冷たくしてしまい、チャンスを逃した・結婚を申し込まれたのに断った・裕福な人からのプロポーズを断ったこと。OKしていればきっと今頃……!・医師や歯科医師との良縁をムゲにしてきた若い頃・海外移住話を断ったこと・恋愛の駆け引きに失敗した時・お見合いでタイプの男性に巡り会えたが、長男で両親と同居の条件だったので交際を断った恋愛では気軽にお付き合いができても、結婚となると家同士の話にもなりますね。よく考えて断った結果は、チャンスの無駄ではなさそうな気もします。「チャンスの神様は前髪しかない」、と聞いたことはありませんか。これはギリシア神話の神様に由来する話で、「前髪を掴むタイミングを逃すと後頭部はハゲていてもう掴めないよ」、という意味だそうです。今がチャンスと思ったとき、後悔のないように飛び込む勇気は持っていたいですね。その上で冷静な判断を心がけていきましょう!(文/齊藤カオリ)【調査概要】調査方法:インターネットリサーチ『リサーチプラス』調査期間:2015年3月28日(土)調査対象:全国30代の男女300名
2015年05月22日今から3年前にいただいた送別の寄せ書きに、ある先輩が「チャンスの女神は前髪しかない」というフレーズとともに「チャンスをつかめるように」と書いて応援してくださいました。とても嬉しかったのですが、同時に言語的なインパクトが強烈で、ついニヤニヤしてしまいました。後で調べたところ、もともとラテン語派生の西洋のことわざでした。チャンスの女神さま、フォルトゥーナ「チャンスに前髪はあるが、後頭部に髪の毛はない。もし前髪をつかんだら、彼女(チャンス)をつかまえることができるが、もし逃がしてしまったら、ユーピテルですら二度と彼女をつかまえることはできない」(※Wikiquoteより和訳)この「チャンス」は、フォルトゥーナというローマ神話の運命の女神のことで、ユーピテル(ジュピター)はローマ神話に出てくる神々の主神です。そんなユーピテルでも、一度逃げたフォルトゥーナをつかまえることは二度とできない。つまり、チャンスが前から向かってきたときに無我夢中でつかまえないと、通り過ぎた後に気づいて後ろから手を伸ばしてつかまえようとしても、もう誰にもつかまえることができないということ。壮絶なローマ神話の神々の追いかけっこを想像して、女神フォルトゥーナの凄さを感じました。こんな彼女をつかまえる良い方法はないのでしょうか?「女神」キャッチ先日、ある「女神」が髪を振り乱して猛進してきました。想定外のできごとで目を見張るばかり。その「女神」こそ、このANGIEのライターのお話でした。ちょうどタイミングが悪く、自分すら励ますことができずに落ち込んでいた時期でした。明るい話題、しかも幸せについて書くことなど、とても考えられない状態でした。他にも「ダメ」な理由をあげれば、ライター経験ナシ、衰える一方の日本語力など。でも、書くことは大好き。やったことがないことを始める絶好のチャンスだとも感じていました。作戦が必要!個人名のもとプロジェクトに取り組んだり、起業に打ち込んだりする友人たちは「とりあえずやってみて、できるかどうかはそのあとに分かるだろう」と、そんなふうに言います。はじめから結果にはこだわらず、まず取り組んでみること自体が大事だと。そんなことを思い出し、ネガティブ思考を頭の片隅に押しのけて、とりあえず何も考えないで女神をつかまえることだけに集中しました。もし、つかまえることができたら、それから後のことはその時に考えればよいではないか。「NO」と言ってしまうのは簡単、でもその選択は間違っていると思いました。チャンスとは?その「チャンスの女神」ですが、はたして誰にでも見えるのでしょうか。わたしは100%準備ができている人には「彼女」が「チャンス」に見えないと思うのです。それは、もうその人にとっては手に入れるために何の努力もいらないものだからです。準備が万全にできていない、そんな少し未熟な自分だからこそ、次の「ステップ」や「挑戦」である「チャンス」として認識できるのではないでしょうか。前髪しかないちょっと変わった「彼女」が突進してくるのが見えたら、それは間違えなくあなたにとっての「チャンス」!彼女が逃げないうちに、何も考えずにギュッと抱きしめてあげてください。Photo by Pinterest
2014年03月23日