国民主権党党首の平塚正幸氏(38)が8月9日、東京都渋谷でマスク無着用の「クラスターデモ」を実施。新型コロナウイルス対策への抗議活動で、今回が10回目だという。ネットでは「クラスターフェス」とも呼ばれ、トレンド入りするほど波紋が広がっている。厚生労働省は5月に「新しい生活様式」を提言。「人との間隔を空ける」「人との間隔が取れない場合は、症状がなくてもマスクを着用」といった予防策を呼びかけている。いっぽう平塚氏は「コロナはただの風邪」とし、「マスクやソーシャルディスタンスは不要」などと主張。7月実施された東京都都知事選に出馬したが、得票数は8,997票に留まった。さらに平塚氏は8日、デモが終わった後に山手線を一周することをYouTubeで事前告知。これまでも支持者たちがマスク無着用で電車に乗っていたことから、「自分もやりたい」と着想したという。平塚氏は「マスクしている奴らを孤立させてやろう!」「マスクは奴隷がつけるもの」などと発言していた。10日放送の『あさチャン!』(TBS系)では、この「クラスターデモ」を特集。番組の取材に対して、平塚氏は「自由な生活が脅かされる危機感のもと始めた」と動機を語っていた。デモ終了後、「ノーマスク・山手線」と題した動画をYouTubeにアップ。「公安委員会の皆さん、今から乗ります!」と宣言し、マスク無着用で仲間たちと車内に乗り込む様子を披露した。動画は11万回以上再生されているが、6,500件もの低評価を記録(10日18時現在)。平塚氏の行動に、辛辣な声が殺到している。《クラスターフェスって初めて知った時マジで驚いた、自由の権利を一方的に主張して公共の場で自分のみならず周りの人にも迷惑かけるとかテロじゃん普通に》《クラスターフェスかなんか知らんが、公共機関をジャックしようとしたり関係ない人を巻き込まないで欲しいな》《ノーマスクで山手線一周とか嫌がらせとしか感じないんだけど、医療従事者がこの中で感染した人の対応するって思うと泣けてくる》「アメリカでは、『コロナパーティー』に参加した男性が感染して死亡しました。死ぬ間際に、参加したことを悔いていたそうです。厚労省でも、飛沫感染と接触感染でうつると警鐘を鳴らしています。また平塚氏がデモを行うことを危惧し、営業時間を短縮した店もあったそうです」(全国紙記者)国民主権党の公式サイトは現在、閲覧できない状態だ(10日18時現在)。いっぽう平塚氏は、TwitterとYouTubeで世論の反応を拡散し続けている。平塚氏は10日に投稿した動画で「こういう状況だからこそ、やらなければいけないことは公開討論大会」と断言。続けて「我々の主張に対して物申したい人がいるなら、ぜひ連絡してきてください」と呼びかけている。
2020年08月10日11月11日、新しいダウン症像を考える「第1回日本ダウン症会議」が大正大学で開催された。オープニング・アクトを担うのは、ダウン症の子どもたちのためのエンタテインメントスクール「LOVE JUNX」(以下・ラブジャンクス)の精鋭たち。ブレーキングチーム(選抜チーム)のメンバー11人だ。 9月にCD化した持ち歌『LALALA One Life』を待寺優さん(27)が歌い終わると一斉に、10人のダンサーがステージに飛び出して行く。複雑なステップを華麗に踏み、背中で床をスピンするコ、ブレークダンスを決めるコもいる。シャープな彼らのダンスは、ぽっちゃりした体形、先天的な心臓病など、ダウン症から連想するイメージを一気に吹き飛ばす。観客のダウン症の子どもや家族、福祉や医療関係者から、ため息が漏れた。 その舞台袖に、かがみ込みながらリズムをとり、手拍子を打ち、ついには一緒に踊り出した女性がいた。牧野アンナさん(46)。ラブジャンクスの創設者である。父は、あの安室奈美恵を見いだした沖縄アクターズスクール(以下・アクターズ)の創設者で校長のマキノ正幸さん(76)。アンナさん自身、スーパーモンキーズの結成メンバーとして、安室とともにデビューした元アイドルだ。 引退後も、アクターズのチーフ・インストラクターとして、MAXやSPEED、三浦大和、黒木メイサ、満島ひかりなどを育ててきた。現在は、AKB48やSKE48の振付指導も担当。SKE48のファンからは、その厳しい指導ぶりに「鬼軍曹」「クラッシャー・アンナ」などと呼ばれている。 しかし、ラブジャンクスでのアンナさんは違う。オープニングのダンスを終え、満場の拍手のなかを意気揚々と戻ってきたメンバーたちを迎え入れた彼女は、一人ひとりに温かい声をかけた。 「みんな、もってるね~。今日はスゲエ叫んでたね。パワーが伝わってきたよ」(アンナさん・以下同) そして、メンバー全員と次々にハグしていく。メンバーたちもみんな、笑顔だ。 「ラブジャンクスでは、彼らも私も、ものすごくハッピーにやっていますから。ブレーキングチームのコたちなんて、私、同志だと思っています。一緒に手探りしながら、いくつものハードルを一つひとつ超えてきた、同志なんです」 芸能活動の難しさ、厳しさを教えてくれたのが、来年9月16日での引退を発表した安室奈美恵だったという。 「引退を知ったとき、奈美恵らしいなと。彼女のキャラクターは強烈です。スターになる宿命だったコだと思います。彼女の能力、努力、背負っているものも含めて、こんな生き方は私にはできないと思った。奈美恵と一緒にやったからこそ、私は潔く、きっぱり表舞台から身を引いたんです。今の私があるのは、奈美恵のおかげ。そう思っています」 20歳のアンナさんをリーダーに安室、後のMAXのナナとミーナ、そしてヒサコ(新垣寿子さん・振付師)の5人で結成されたスーパーモンキーズは、’92年9月に、第1弾シングル『ミスターU.S.A.』をリリース。デビュー前は、アンナさんがセンターだったが、デビュー後は、安室に代わった。 「ステージで一緒にパフォーマンスをしていると、わかるんです。観客もスタッフも、みんなの視線が奈美恵に集中する。技術も大事だけど、もっと大事なのは、人を引きつける魅力。奈美恵にはそれがある。でも、私にはなかった」 圧倒的な才能の差を目の当たりにして、アンナさんは、父の言葉を思い出していた。 《スターになるのは、才能を持った人がさらに努力した結果だ。おまえは裏方。裏方として輝く道だってある》 ’92年年末。アンナさんはスーパーモンキーズをやめて、沖縄に帰った。スターになる夢はきっぱり捨て、指導者として生きる道が定まった。’98年8月、SPEEDがデビューし、アンナさんは4人のメンバーを育てたインストラクターとして、脚光を浴びる。 ’98年には「沖縄アクターズスクール全国オーディション」がスタート。さらに正幸さんはインターナショナルスクール開校に向けて動きだし、アクターズは、アンナさんに任せきりになっていた。 そんなある日、インストラクターとして人望を集めるアンナさんがスクールを乗っ取ろうとしているという疑念が、正幸さんのなかで湧き上がる。正幸さんは、生徒たちの前で何時間もアンナさんを罵倒した。アンナさんが根も葉もない疑惑で、チーフ・インストラクターを解任されると、翌日から、彼女に挨拶する生徒は誰もいなくなった。 「15年間、私が沖縄で積み上げてきたものが、たった1日で失われてしまうのか、と」 居場所がなくなったアンナさんは、横浜に引っ越し、’88年に正幸さんと離婚した母と暮らし始めた。鬱々とした日々だった。父とはもうやっていけない。アクターズをやめたい。でもやりたいことが見当たらず、横浜校でレッスンを続けていた。 ダウン症の子どもたちと出会ったのは、そんなころ。日本ダウン症協会からの依頼があり、’02年8月のイベントで、子どもたちが踊るダンスを教えることになったのだ。 「最初は不安もありました。正直、怖さもありました」 ダウン症児は体力がない。心臓が弱い。激しい運動は避けるべき。そんなネガティブな情報しか入ってこなかった。ところが、最初のレッスンで、不安は一気に吹き飛んだ。アンナさんは、まず、お手本として踊ってみせた。すると、子どもたちはあちこちで立ち上がり、勝手に踊りだしていた。笑顔がはじける。いつまでもダンスをやめない。 「よっぽど楽しかったんでしょう。私は忘れかけていたんです。ダンスって楽しいんです。それを子どもたちが思い出させてくれました」 イベント終了後、生徒やお母さんたちの前で、「これから、この子たちのために生涯かけて、一緒にダンスをやっていきます」と宣言した。自分の能力を生かし、自分自身も楽しめる場所。それをアンナさんは見つけたのだ。 アンナさんは沖縄へ飛び、アクターズをやめ、ラブジャンクスを立ち上げた。’02年10月、彼女は30歳になっていた。安室にどうしようもない才能の差を思い知らされてから10年。アンナさんは、自分の人生を歩き始めた。 今後の目標は、ラブジャンクスの紅白出場と東京オリンピックのイベントでの活躍、スクールの全国展開。アンナさんと生徒たちの可能性は無限に広がっていく――。
2017年12月17日「(安室)奈美恵は最初、友達の付き添いでアクターズスクールに来たんです。第一印象は、色が黒くて、すごく細くて、ごぼうのよう」 そう語るのは、ダウン症の子どもたちのためのエンタテインメントスクール「LOVE JUNX」の創設者・牧野アンナさん(46)。父は、あの安室奈美恵を見いだした沖縄アクターズスクール(以下・アクターズ)の創設者で校長のマキノ正幸さん(76)。アンナさん自身、スーパーモンキーズの結成メンバーとして、安室とともにデビューした元アイドルだ。 引退後も、アクターズのチーフ・インストラクターとして、MAXやSPEED、三浦大知、黒木メイサ、満島ひかりなどを育ててきた。現在は、AKB48やSKE48の振付指導も担当。SKE48のファンからは、その厳しい指導ぶりに「鬼軍曹」「クラッシャー・アンナ」などと呼ばれている。 安室がアクターズに現れた’87年当時をアンナさんが振り返る。 「どちらかというと暗い感じで。レッスン場でも隙間に隠れるようにしているし、発声練習のときも手で口元を隠すような女の子でした」(アンナさん・以下同) ニコリともせず、事務所の隅でモジモジする10歳の安室に、誰もがスター性など感じなかった。ところが、正幸さんは違った。安室の歩き方だけで、輝くオーラを感じたのだ。一度、帰りかけた安室を呼び戻し、母親に電話を入れ、「特待生にします。授業料はいりません」と、その場でスカウトしてしまう。 そして、正幸さんはアンナさんやアクターズの生徒たちに、「俺は奈美恵を特別扱いする。おまえたちとは才能が違う。奈美恵は絶対、スターになる」と宣言した。当初、アンナさんは、半信半疑だった。 「後になって、奈美恵を後のMAXのミーナと一緒に『ちびっこのど自慢』に出したんです。ミーナは歌がうまいと評判で、私たちの間では断トツの優勝候補でした。ところが本番になったら……」 無口で、いつも隅っこにいた安室が、ステージの上で突然、スパークした。明るくはじけて、踊り、歌った。 「驚きました。その姿に、私も『イケる!』と思いました」 歌と踊りがとにかく好きで、無類の負けず嫌い。母子家庭だった安室が、往復260円のバス代を浮かすために、片道1時間半の道のりを歩いて通っていたという話は、アクターズの伝説になっている。 「難しい子ではありましたね。まず、言うことを聞かない」 練習をサボるのではない。練習をしすぎてしまうのだ。「練習しすぎで、喉の状態がおかしいから控えなさいね」とアンナさんが言った直後に、レッスン室から、安室の歌声が聴こえてくる。慌てて、注意をしにいくと、聞かないふりをして、まだ、続ける。 「人から指示されてするのは嫌だったんでしょう。嫌なことは、絶対に嫌。何時間、説得しても、横を向いてツーッと涙を流し始める。後年、本人が言っていました。『言いたいけど、うまく説明できないから』と。言われたことが理不尽だと感じていても、それをうまく伝えられなくて。葛藤の涙だったんでしょう」 やがて、20歳のアンナさんをリーダーに安室、後のMAXのナナとミーナ、そしてヒサコ(新垣寿子さん・振付師)の5人で、スーパーモンキーズが結成された。’92年1月、5人で上京。大田区の3DKのマンションで共同生活を始め、9月には、第1弾シングル『ミスターU.S.A.』がリリースされた。 だが、すぐに売れたわけではなかった。東京のスーパーマーケットのレジ前で、パフォーマンスをしたことも。 「私なんて、胸のうちで『サイアク』と思いながら踊っていたのに、奈美恵は『歌えて踊れて、楽しかった』って、ニコニコしながら言うんです。私とは違うなと思いました」 デビュー前は、アンナさんがセンターだったが、デビュー後は、安室に代わった。 「ステージで一緒にパフォーマンスをしていると、わかるんです。観客もスタッフも、みんなの視線が奈美恵に集中する。技術も大事だけど、もっと大事なのは、人を引きつける魅力。奈美恵にはそれがある。でも、私にはなかった」 圧倒的な才能の差を目の当たりにして、アンナさんは、父の言葉を思い出していた。 《スターになるのは、才能を持った人がさらに努力した結果だ。おまえは裏方。裏方として輝く道だってある》 ’92年年末。アンナさんはスーパーモンキーズをやめて、沖縄に帰った。スターになる夢はきっぱり捨て、指導者として生きる道が定まった。 「奈美恵は、できる子なのに、チヤホヤされてもてんぐにならず、もっと努力できる。あ、でも、彼女のは、努力じゃないのかもしれません。道を歩いていても、奈美恵は自然に体が踊っちゃってる。私だったら、どんなに楽しくても、『さぁ、やんなきゃ』になる。でも、奈美恵は自然に踊っちゃって、歌っちゃってる。『やんなきゃ』じゃない。それこそが才能なのでしょう」
2017年12月17日現代作家が能の物語に着想を得て新作を書き下ろす「現代能楽集」シリーズの第8弾、マキノノゾミ作・演出の『道玄坂綺譚』が11月8日、東京・世田谷パブリックシアターで開幕した。能の『卒都婆小町』と『熊野』を三島由紀夫が近代劇に翻案した「近代能楽集」の『卒塔婆小町』と『熊野』を、マキノがさらに現代劇に翻案した多重構造の大作。と聞くと、能や文学に精通していないと楽しめない難解な作品のように感じられるかもしれないが、さにあらず。マキノは二作をオムニバスとして並べるのではなく、現代の渋谷を舞台のひとつの物語に編み上げることで、重厚さのなかに軽やかな味わいが漂う快作に仕立てて見せた。現代能楽集VIII『道玄坂綺譚』チケット情報第一場の舞台は、渋谷の繁華街にあるネットカフェ。店員ふたり(水田航生、根岸拓哉)の会話は若者言葉の応酬で、そこに古典や近代劇の気配は微塵もないが、実はこの場面にすでに『卒塔婆小町』と『熊野』の登場人物が勢ぞろいしているという周到な幕開けだ。長期滞在客の年齢不詳の女 (一路真輝)と店員のキーチ(平岡祐太)は第二場、洋館に住む美しき令嬢・小町と彼女に想いを寄せる青年将校・深草貴一郎に。家出少女ユヤ(倉科カナ)と謎の紳士・宗盛(眞島秀和)は第三場、ある契約を結んで熊野(ゆや)と宗盛のような庇護関係に。二幕に入ると、宗盛にスマホの利用を禁じられたユヤの未来、そして小町と貴一郎を描いた映画の裏側と、物語は「近代能楽集」から大きく飛躍して展開されていく。『卒塔婆小町』と『熊野』、現在と過去と未来、そして現実と幻想…。何層もの背反要素の間を自在に行き来しながら進むこの綺譚が、どう“快作”として帰着していくのかは、観てのお楽しみ。どこをどう切り取ってもそれだけで十分面白い物語に、想像もしなかった“オチ”がついた時、誰もがマキノの緻密な構成力に舌を巻かずにはいられなくなることだろう。古典に材をとっても幻想を絡めても、やはりマキノはウェルメイドの名手なのだ。そんな緻密な劇世界を成立させているのが、達者な役者陣。本作では、例えば平岡ならネットカフェ店員のキーチ、青年将校の深草貴一郎、映画で深草を演じた俳優の佐伯というように、ひとりが複数の役に扮している。それぞれの役は言葉遣いが大きく異なるため、役者は場面ごとに使い分ける必要があるわけだが、作品の性質上、全くの別人に見えてしまってもまた面白くない。その微妙なラインを各人が丁寧に捉えて演じていたなかでも、とりわけ印象に残るのが一路だ。強烈な臭いを放つ老婆 から気品あふれる令嬢までを多彩な語り口で演じ分けたほか、情感豊かな歌声も披露し、確かな存在感を示した。公演は11月21日(土)まで、東京・世田谷パブリックシアターにて。取材・文:町田麻子
2015年11月09日Alteraの日本法人である日本アルテラは7月1日、同日付けで、代表取締役社長にナショナルセミコンダクター(NS)やインターシルの日本法人社長を務めた和島正幸氏が就任したと発表した。和島氏は日立製作所、Conexant Systems、NS、インターシルといった半導体関連企業の米国本社ならびに日本法人において30年以上にわたって要職を歴任してきており、特に車載機器、産業機器、民生機器、電源、航空宇宙といった分野の新規市場開拓において実績を築いてきた。今回の就任に際し、同氏は、「テクノロジー先進国である日本は、Alteraにとって重要な市場。今まで培ってきた経験をもとに、日本アルテラのさらなる成長を目指す」とコメントを述べており、先端の14nmトライゲート・プロセス製造デバイスを含むGeneration 10 FPGA & SoCならびにEnpirion電源ソリューションといったデバイスを、カスタマにマッチする形で提供し、製品設計を支援していきたいとしている。
2015年07月01日