俳優の中尾明慶が20日、YouTubeチャンネル『BESHARIZAKE/べしゃり酒』にゲスト出演。自宅での洗濯事情を打ち明けた。○仲里依紗から「じゃあ、自分で洗濯すればいいじゃん!」この日の配信では、YouTuber・なこなこカップルのこーくんと、夫婦関係についてトークを展開。妻で女優の仲里依紗との間で、「家事分担はあんまり決めてない」と語った中尾だが、「洗濯はするよ。一回、“洗濯事件”があったから……」とポツリ。あるとき、買ったばかりのロンTが、「突然キッズサイズになってた」と言い、「“これ買ったばっかりなんだけど!”って、俺も見た瞬間に機嫌が悪くなっちゃって」と回顧。すると、仲に、「じゃあ、自分で洗濯すればいいじゃん!」と言われてしまい、「そこから別々に洗濯してるんだよね」とつぶやいた。「最近引っ越して、ちょっと交ざるようになってきたけど。引っ越し前はずーっと別々。息子のは気づいたほうがやるけど」と打ち明けた中尾。“洗濯事件”を振り返り、「やってもらって、そういうことってあるじゃん。向こうも悪気があったわけじゃないんだからさ。でも、そんなに縮むと思わないじゃん」と語りつつ、「そのときの俺もちっちゃかったなと思って……」と猛省。「また自分で買っても数千円だから。“なんで俺、あそこで怒ったんだろう?”って。そういうときに、なんかユーモアをもって返せればよかったんだけど……」と反省しきりだった。【編集部MEMO】YouTubeチャンネル『BESHARIZAKE/べしゃり酒』は、カップルYouTuber・なこなこカップルのこーくんがゲストと酒を飲みながら、ゲストの恋愛事情を深掘りする対談番組。MCのこーくんがお酒の力を借りて、攻めた恋愛トークを展開する。
2024年05月26日俳優の中尾明慶が20日、YouTubeチャンネル『BESHARIZAKE/べしゃり酒』にゲスト出演。妻で女優の仲里依紗との“夫婦ゲンカ”事情を打ち明けた。○一度ケンカになると3日は続くこの日の配信では、YouTuber・なこなこカップルのこーくんとトークを展開。中尾は、夫婦ゲンカについて問われると、「うちはだいたいケンカになったら大ゲンカだから。軽くすぐ謝るとかはない」と告白。「結婚してすぐのころは、本当に大ゲンカだったよ」と語りつつ、今年で結婚11周年を迎え、「頻度は減った」とも。それでも、一度ケンカになると3日は続くと言い、「3日経ってくると、なんかどうでもよくなってくるんだよ。何やってんだろう? って。この3日間の無駄感が半端なく襲ってきて。“まあ、話しかけるか……”って、だいたい俺が話をする」と苦笑した。一方、“夫婦ゲンカ”中に仲から折れることはないそうで、「だってあの人、息子に“勝つまでやる!”って断言してるから。“夫婦ゲンカは勝つまでやるからね”って断言してんのよ(笑)。息子が俺に、“パパ、ママは勝つまでやるらしいよ”って。“マジかよ。じゃあここは一旦、俺負けるわ~”って」と吐露。続けて、「ただ、俺が話しかけるじゃん? そしたら向こうも、そこでガーッとかはないから。“勝つまでやる!”って言っても、向こうもそこで“ごめんね”ってなる」と大ゲンカしても最終的には仲直りしていることを明かした。また、結婚当初は、家出をしたこともあるという中尾。そのときは、自宅に3日間帰らなかったそうで、「頭来た! って言って、友達のところに行ったり、実家も近かったからちょろっと帰ったりして」と回顧。仲に連絡をしないまま3日が経ち、「もういいか」と思い自宅に戻ったところ、「カギを開けたらチェーンが閉まってて。俺、肘が抜けるかと思ったよ。開くと思ってるドアにチェーンかかってたら、マジ肘抜けるぞ」と思い出し笑い。仲にドアのすき間から「何……?」と言われ、「“あのさ、悪かったよ”って。そしたら向こうも笑ってけど」と仲直りエピソードを披露していた。【編集部MEMO】YouTubeチャンネル『BESHARIZAKE/べしゃり酒』は、カップルYouTuber・なこなこカップルのこーくんがゲストと酒を飲みながら、ゲストの恋愛事情を深掘りする対談番組。MCのこーくんがお酒の力を借りて、攻めた恋愛トークを展開する。
2024年05月25日5月16日に心不全のため亡くなった俳優の中尾彬さん(享年81)。22日に所属事務所が公表し、コメントを寄せた妻・池波志乃(69)は最期を看取ったと明かしていた。芸能界では加賀まりこ(80)や北野武(77)をはじめ、縁のあった著名人たちから惜しむ声が寄せられている。’61年に日活第5期ニューフェイスに合格し、’64年公開の映画『月曜日のユカ』で本格的にデビューした中尾さん。’78年放送のドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)で演じた徳川宗春役は当たり役となり、以降も数々の話題作に出演。映画でも強面のルックスをいかした演技力で、『極道の妻たち』シリーズや『アウトレイジ ビヨンド』などで観客を魅了した。いっぽう普段はスカーフやマフラーをくるくる巻いた「ねじねじ」がトレードマークで、愛妻家の一面も。『ダウンタウンDX』(読売テレビ・日本テレビ系)や『いまどき娘とハッスルオヤジ』(テレビ東京系)といったバラエティー番組では、盟友の俳優・江守徹(80)との軽妙な掛け合いが人気を博した。そんな2人は’03年に、中高年を代表してヤマサ「昆布つゆ」のイメージキャラクターに抜擢されたことも。’11年5月にも「声の日」の制定を記念したイベントに2人で登壇し、“モテ声対決”を披露。世間でも広く、「仲良しコンビ」のイメージが浸透していた。Xでは中尾さんを偲ぶ声だけでなく、当時のお茶の間を沸かせた名コンビを懐かしむ声も目立った。《江守徹さんと中尾彬さんのケンカ。90年代トーク番組においては鉄板のやり取りだったなぁ…》《一昔前は江守徹さんとよく一緒に番組出てられましたね。江守さんもショックだろうな…合掌》《中尾彬と江守徹のケンカコンビが懐かしい…お二人共にカッコいい低音ボイスで…》《中尾彬さん亡くなって江守徹さんがどうしてらっしゃるのか心配》だがいっぽうで江守は、中尾の訃報に際してコメントなどは出しておらず沈黙を守っている状態だ。それだけに現在はどう過ごしているのか、世間の関心も高まっているようだ。江守の近況について、ある芸能関係者は言う。「テレビでは豪快なイメージがあった江守さんですが、’07年2月に脳梗塞で入院していました。同年4月に復帰したものの、翌月に出演予定だった舞台『夏の夜の夢』は療養のため降板。全国紙のインタビューでは、それ以前にも“脳出血を2度経験していた”と明かしていました。江守さんといえば大のお酒好きでも知られていましたが、脳梗塞をきっかけに控えるようになったといいます。その後も健康に気をつけながら、舞台やドラマ、映画など多岐にわたって精力的に活動していたのです。そんな江守さんは’18年10月に『週刊朝日』のインタビューで、『大事なのは毎日の生活だね。何にでも興味を持つこと。本を読み、あらゆることに目を向ける』と前向きに語っていました。いっぽう’19年5月公開の映画『兄消える』に特別出演して以来、表舞台には登場していないようです。’22年4月には、文学座の代表を角野卓造さん(75)に後任を譲っています。それでも文学座の公式サイトでは今も座員に名を連ねているので、静かな日々を過ごしているのではないでしょうか」「週刊朝日」18年10月26日号で、江守は今後についてこうも語っている。《これからの演劇界がどう変わっていくか、それはわからないね。人生100年時代だそうですからね。声と足腰の続く限り、舞台に立ち続けたいと思ってますよ》盟友である中尾さんの死に江守は何を思うのかーー。
2024年05月25日歌手でタレントの森口博子が23日に自身のアメブロを更新。まだ信じられない16日に心不全のため亡くなった俳優・中尾彬さんの訃報に心境をつづった。この日、森口は中尾さんの訃報に言及し「突然は淋しすぎます…」と心境を吐露。「現場で放つその存在感。優しさ、厳しさ、愛がありました」と述べ「ウィットに富んだ会話と、色っぽさと、大人な魅力でいっぱいの中尾さん。いつも私がふざけて『アキラー!』って呼び捨てにすると、照れた笑顔で、受け止めて下さった懐の深い偉大な大先輩」とつづった。続けて「何よりも正義感と、奥様、志乃さんへの愛、思いやりに溢れていて、本当に素敵でした」といい「もう、お会いできない事がまだ、信じられません」とコメント。「お食事に連れて行って下さったり、中尾さん企画の『母への手紙』朗読CDにお声をかけて下さったり、大変可愛がっていただきました」と中尾さんとの思い出を振り返った。また「『お母さんへの親孝行になれば』と、家族の存在にも、気持ちを向けて下さった事も忘れられません」と述べ「たくさんの愛情を本当にありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「びっくりしました」「本当に残念です」「信じられないです」「心よりお悔やみ申し上げます」などのコメントが寄せられている。
2024年05月24日タレントの小川菜摘が22日に自身のアメブロを更新。16日に心不全のため亡くなった俳優・中尾彬さんの訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、小川は中尾さんの訃報に言及し「お稽古場に向かう車の中で訃報を知り」と説明。「お元気でいらっしゃるとばかり思っていたのでショックでした悲しいです」と悲痛な胸の内を吐露し「1番の思い出は私がまだ結婚前バラエティのロケでラスベガスに行き、2週間近くご一緒した事です」と中尾さんとの思い出を振り返った。続けて、中尾さんについて「優しくてダンディで、おしゃれで気さくで、ダジャレを言ってはスタッフさんや、私を笑わせてくれました」と明かし「凄く楽しかったので今でも鮮明に覚えております」とコメント。「番組でご一緒した時もずっとずっと変わらず優しくしてくださいました」と回想し「私が結婚してからも夫婦共に可愛がって頂きました」と振り返った。最後に「本当にありがとうございました」と感謝を述べ「ご冥福を心よりお祈り致します 中尾さんゆっくりおやすみくださいね」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月23日俳優の中尾彬さんが心不全のため16日に死去した。81歳。所属事務所が22日、公式サイトで発表した。これを受け、『ゴジラ』公式Xが23日、中尾さんを追悼した。東宝の『ゴジラ』シリーズに中尾さんは多く出演。『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)、『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)、『ゴジラvsデストロイア』(1995年)に麻生司令官役、『ゴジラ×メカゴジラ(2002年)『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)に五十嵐隼人総理役、『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)に旧・轟天号艦長役で出演していた。『ゴジラ』公式Xでは「中尾彬さんの突然の訃報に接し謹んでお悔やみ申し上げます。6作品のゴジラ映画にご出演いただき、司令官、総理大臣、初代轟天号艦長として、ゴジラに立ち向かう役柄を演じていただきました」と振り返る。「その重厚な演技による勇姿は、多くのファンの心に刻まれています。心からの感謝とともにご冥福をお祈り申し上げます」と悼んでいた。中尾さんの同事務所は22日に公式サイトで「弊社所属 中尾彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しました」と報告。「これまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と記した。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。
2024年05月23日俳優の鈴木福(19)が23日放送の日本テレビ朝の情報番組『ZIP!』(月~金前5:50~9:00)に出演。涙ぐみながら、亡くなった中尾彬さんとの思い出を語った。鈴木と中尾さん、中尾さんの妻・池波志乃の3人は、REGATEの「買取 福ちゃん」CMで共演していた。鈴木は「(CMを)2年前からやらせていただいて…。毎年撮影でお会いできるのが本当に楽しみで、この間も撮影があったときに木曜日だったので『ZIP!』観てるよ、頑張ってるねと話してくださって。まさか亡くなってしまうとは思っていなかったのですごく寂しいです」と悲しみを打ち明けた。続けて中尾さんの印象について「大御所の方ならではの雰囲気はもちろんあるんですけど、本当に優しくてみんなに気を配ってくださるすてきな方だと思っていましたし、(CMでの)『福ちゃんだね!』というフレーズを1つ1つ、いろんなバリエーションで言って下さったのが印象的でした」としみじみ回顧。「監督からの指示に対して、『はい』と、周りの方々に対してすごく丁寧で、感謝の思いも持っていらっしゃるんだなと感じていました。(自分も)長く活躍できる方になりたいなという感じです」と語った。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。
2024年05月23日落語家の金原亭世之介が22日に自身のアメブロを更新。身内だけで密葬した俳優・中尾彬さんの葬儀に参列したことを報告した。この日、世之介は16日に心不全のため亡くなった中尾さんの訃報に言及し「身内だけで密葬致しました」と報告。「故人の遺思で静かにお別れしたいと言うことで荼毘に付されました」と明かし「師匠の娘、池波志乃の旦那さんでありましたから弟子たちも参列させていただきました」と中尾さんの妻で女優・池波志乃が落語家の10代目金原亭馬生の娘であることにふれ、葬儀に参列したことを写真とともにつづった。続けて「中尾彬さんと志乃姉さんの事務所でお世話になって沢山の仕事と人脈をいただきました」と述べ「本当にありがとうございました」と感謝のコメント。「私を含め兄さん達もすっかり歳を取りました」と参列者らとの集合ショットを公開し、ブログを締めくくった。
2024年05月23日5月22日、俳優の中尾彬さんが、16日に心不全のため亡くなっていたことが所属事務所の公式サイトで発表された。所属事務所は同日、ホームページで《弊社所属 中尾 彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しましたこれまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます》と発表。妻の池波志乃さん(69)も《15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです》とコメントを寄せた。本誌は、’17年5月に当時74歳だった中尾さんと62歳だった池波さんにインタビューを実施。今回、あらためてその記事を再掲載する。(全3回の3回目)■「私は高校を中退して18歳で女優デビューして、中尾さんとは’77年にドラマの収録で初めて共演したんです」こう語るのは、中尾彬さん(74)との結婚40周年、ルビー婚式も間近の池波志乃さん(62)。芸能界一の“おしどり夫婦”として知られる2人。特に池波さんの献身ぶりはテレビなどでも話題だ。そんな中尾さんと池波さんが2人の馴れ初めを語ってくれた。中尾「そのときに、当時、ブームになっていた日本酒の『越乃寒梅』をやっと手に入れたという話をロケバスの中でしてたんですよ。そしたら、まだ20歳そこそこの志乃が『私、毎晩、飲んでます』って言うじゃないですか。ふざけんな、と思ったんだけどさ(笑)。それで彼女が行きつけの四谷の店の地図を書いてもらったけど、間違ってた。『何かあったら電話ください』って言っていたから、男としては、わざと間違えて電話を待ってるのかなと(笑)。その夜の飲みっぷりも、見事でした。でも、まあ、志ん生の孫ですから、やっぱり酒は飲む家系なのかなと思いましたけどね」池波さんは’55年3月12日、東京・西日暮里の生まれ。父は十代目金原亭馬生、祖父は五代目古今亭志ん生という落語の名門一家の3姉妹の長女。芸に生きた粋人の祖父や父を母親の治子さんが支える姿を、間近に見て育った。中尾さんは’42年8月11日、千葉県木更津市の生まれ、酒店を営む実家で、5人兄弟の長男として育つ。武蔵野美術大学油絵科を経て、’61年に日活ニューフェイスとなり、’64年デビュー。ひと回り年の違う池波さんと出会ったころは、先妻との離婚話が進行中だったという。中尾「初めて四谷で一緒に飲んだ日に、彼女から誘われて、神田の明神下で芸者遊びをしたんです。気付くと、チョコチョコと志乃と芸者衆が廊下で話している。『あの男はどうなのか』と、品定めされてたんですね」池波「芸者衆たちが言うには『言われてるほどチャラくないんじゃない』と(笑)。だって、当時は、『あのプレイボーイの中尾彬が』なんて週刊誌にも、さんざん書かれていたじゃないですか。おたくの雑誌とかですよ(笑)」中尾「実は、最初、挨拶に彼女の家を訪ねたときは、まだ離婚が成立していませんでした。先方が提示した慰謝料などの条件を私が受け入れるだけになっていて」池波「こっちは、まさか離婚してないとは思いませんよ。だって、浮き名も1つや2つじゃなかったですから。だから聞きもしなかった」中尾「離婚が成立して、再び家を訪ねて、『志乃さんをいただきます』と言ったら、親父さんは一瞬黙ったあとに、『いただきますというのは、ご飯のときだけでいいんだよ』と。いや、噺家ってうまいこと言うなと思いましたね」池波「母が、『お父ちゃんとそっくりな男を連れてきたね』とポツリと言ったのが印象的でした」中尾「ただ、頭にきたのは親父の弟子どもが、いや、弟子のみなさんが(笑)、賭けしてるんだよ。『結婚したって、もって3カ月だよ』と」池波「それが、40年でしょう。だから誰も賭けに勝った人はいないんです」
2024年05月23日5月22日、俳優の中尾彬さんが、16日に心不全のため亡くなっていたことが所属事務所の公式サイトで発表された。所属事務所は同日、ホームページで《弊社所属 中尾 彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しましたこれまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます》と発表。妻の池波志乃さん(69)も《15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです》とコメントを寄せた。本誌は、’17年5月に当時74歳だった中尾さんと62歳だった池波さんにインタビューを実施。今回、あらためてその記事を再掲載する。(全3回の1回目)■「’15年ごろ、『そろそろ2人のお墓のこと、考えない?』と言い始めたのは、志乃でした。私は長男ですが、千葉の実家は弟がすでに継いでいますから、死んだらいくところはなかった」そう話すのは、池波志乃さん(62)との結婚40周年、ルビー婚式も間近の中尾彬さん(74)。芸能界一の”おしどり夫婦”として知られる2人。特に池波さんの献身ぶりはテレビなどでも話題だ。朝から夫のリクエストに応え、洋食でも和食でも7品ものおかずを、手書きの“お品書”付きで用意するほど。そんな中尾さんと池波さんが“終活”について語ってくれた。池波さんは’55年3月12日、東京・西日暮里の生まれ。父は十代目金原亭馬生、祖父は五代目古今亭志ん生という落語の名門一家の3姉妹の長女。芸に生きた粋人の祖父や父を母親の治子さんが支える姿を、間近に見て育った。中尾さんは’42年8月11日、千葉県木更津市の生まれ、酒店を営む実家で、5人兄弟の長男として育つ。武蔵野美術大学油絵科を経て、’61年に日活ニューフェイスとなり、’64年デビュー。ひと回り年の違う池波さんと出会ったころは、先妻との離婚話が進行中だった。’78年3月14日、35歳の中尾さんと23歳の池波さんは結婚。交際3カ月という“電撃婚”だった。結婚後まもなく志乃さんは妊娠するが、子宮外妊娠で入院してしまうーー。しかし、現実は悩んでいるゆとりなどなかった。地方公演なども含む女優業の傍ら、着物の見立て会などの営業も、それこそ睡眠時間を削ってこなした。夫婦で脇目もふらず、先妻への慰謝料で作った数千万円の借金返済のために働いているうち、子どもを持たない生活を自然な流れで選んでいた。池波「うちも女ばかりの3姉妹で、私は『中尾姓』でしょう。でも、中尾さんは、そんな姓や家にはこだわりがないという考えなんです」中尾「私にとっての墓は彫刻作品と思ってくれと言って、自分でデザインしました。ですから、『中尾家の墓』なんて書いてないです。墓石も普通は縦だけど横に3段重なっていて、刻まれているのは『無』の一文字だけ」子どもを持たない選択をした中尾さんと池波さん。墓まで準備しての終活を進めるなかで頭をよぎるのは、夫婦のどちらかが一人残されたときのこと。中尾「世間の常識では、私のほうが先だと思っているでしょう(笑)。でも、まあ、残された場合のことを考えたら、食事一つとっても大変とは思います。そこに志乃が、いまから洗濯機の回し方なんて教えようとするから、危なっかしくてしょうがない」池波「でも、それも終活の一部なのよ。ご飯なんかは、私がちゃんと貯金してあげていたら、外に行けばいいんでしょうけど。身の回りのことは、ある程度は自分でやれなきゃしょうがない」中尾「だから、いま、徐々に覚えているんだよ」池波「私はね、一人残されても、ふだんの生活は困らないでしょう。ただ、やる気がなくなっちゃうのが、正直、怖い。『おいしいね』と言って食べてくれる相手がいるから、かつお節だって毎日かいているわけですから。しまいには、食べてもつまらなくなって、何していいかわからなくなるんじゃないか、って。餓死なんてことも考えましたね。あまりにも長く一緒にいすぎて」中尾「きっと、どこの夫婦も同じだと思うんです。誰でも、60過ぎたら、人生の始末を考えるべきなんでしょうね」池波「とにかく元気なうちから夫婦で話し合うべき。だって、病気で寝てる人を前にお墓の話はできないでしょう」中尾「その点、うちはいまでも2時間、多いと4時間かけておしゃべりを楽しむ食事を続けて40年。つくづく私たち夫婦は、子どもがいなかったから、2人なりの違った世界というものがあったな」池波「そうですね」
2024年05月23日5月22日、俳優の中尾彬さんが、16日に心不全のため亡くなっていたことが所属事務所の公式サイトで発表された。所属事務所は同日、ホームページで《弊社所属 中尾 彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しましたこれまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます》と発表。妻の池波志乃さん(69)も《15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです》とコメントを寄せた。本誌は、’17年5月に当時74歳だった中尾さんと62歳だった池波さんにインタビューを実施。今回、あらためてその記事を再掲載する。(全3回の2回目)■「実は、最初、挨拶に彼女の家を訪ねたときは、まだ離婚が成立していませんでした。先方が提示した慰謝料などの条件を私が受け入れるだけになっていて」そう話すのは、池波志乃さん(62)との結婚40周年、ルビー婚式も間近の中尾彬さん(74)。芸能界一の“おしどり夫婦”として知られる2人。特に池波さんの献身ぶりはテレビなどでも話題だ。朝から夫のリクエストに応え、洋食でも和食でも7品ものおかずを、手書きの“お品書”付きで用意するほど。’78年3月14日、35歳の中尾さんと23歳の池波さんは結婚。交際3カ月という“電撃婚”だった。結婚後まもなく志乃さんは妊娠するが、子宮外妊娠で入院してしまうーー。中尾さんと池波さんが当時のことを明かしてくれた。池波「お医者さまから『片方の卵管は無事だから、また子どもはできる』とは聞かされていました。ただ、当時の思いとしては、こんなことしてる場合じゃないと」中尾「それは、私の借金があったから、とにかく2人で仕事をしなきゃならなかったんです。結局、向こうの離婚の条件をすべてのんだので」池波「慰謝料を一括払いにするために、まず数千万円単位の借金をして、プラス、毎月の養育費もありました。ただ、借金といっても、彼が放蕩したとかじゃありませんからね。結果として、妻となった私も一緒に作った借金のようなものでしたから。子宮外妊娠のときも、無理して働いてこじらせちゃうんですが、入院中にも考えるわけです。もし、また子どもができて働き続けるとして、誰に預けるのか。うちの母も、実の親を介護していたりして、頼れません。そもそも私自身、わが子を誰かに預ける気もなかった。それに、当時、女郎なんていう色っぽい役ばかりやっていて、母親であることは、私の女優としてのイメージにはそぐわないかなとも」しかし、現実は悩んでいるゆとりなどなかった。地方公演なども含む女優業の傍ら、着物の見立て会などの営業も、それこそ睡眠時間を削ってこなした。池波「常に死にそうなくらいに寝不足で、いつも疲れていて。家に帰っても、肌襦袢でメークしたまま、バタバタ台所を走りながら食事の支度をするわけです。楽屋にいても撮影の待ち時間にも、いつも冷蔵庫に残っていた食材は何だっけと考えていて。自然に、あるものでメニューが決まっていくのをメモするんですが、ふと思うんです。どうせやるなら、中尾さん好みに奇麗に書こうと」中尾「ですから、あの志乃のお品書も苦肉の策で、けっして余裕のある生活から生まれたものじゃない」池波「そんな毎日を送っているうちに、ねっ、なんだか、夫婦2人の生活ができあがっていったんです」中尾「うんうん」夫婦で脇目もふらず借金返済のために働いているうちに、子どもを持たない生活を自然な流れで選んでいたのだと、2人は口をそろえて語った。
2024年05月23日俳優の高橋英樹が22日に自身のアメブロを更新。16日に心不全のため亡くなった俳優・中尾彬さんの訃報を受け悲痛な心境を吐露した。この日、高橋は「本当に突然のことで大変!大変!驚いています」と中尾さんの訃報について言及。「昨年の三月、WBCで優勝したそ日に二人で雑誌の対談をしていました」(原文ママ)と振り返り「とても盛り上がった時間でした」とつづった。続けて「日活の入社も同期 奥さん同士とも共演しあって心は近い存在でした」と説明。「この頃テレビで観ないなあと思っていましたらこの突然の訃報」と述べ「長く長く付き合いたかったなあ!逝ってしまうのはまだ!早いぜ!!」とコメントした。最後に「寂しくて涙もでないよ」と悲痛な心境を吐露。「心よりご冥福をお祈りいたします」と中尾さんとの2ショットとともに追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「とても寂しい気持ちです」「テレビで知って、びっくりでした」「本当にお辛いですね」などのコメントが寄せられている。
2024年05月22日2024年5月22日、俳優の中尾彬(なかお・あきら)さんが亡くなったことが明らかになりました。俳優としてはもちろんのこと、バラエティ番組などでも活躍し、多くの人に影響を与えた、中尾さん。突然の訃報に、日本中から悲しみの声が上がっています。俳優・中尾彬さんが逝去「まさに巨星墜つ」「素晴らしい人だった」逝去した中尾彬さんの妻・池波志乃がコメント所属事務所である株式会社古舘プロジェクトによると、中尾さんは同月16日に心不全によって逝去したとのこと。葬儀告別式については、すでに近親者のみで執り行われ、お別れの会などは予定していないそうです。同社のウェブサイトでは、妻であり、俳優の池波志乃さんからのコメントも公開されています。池波志乃です。終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます。今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです。長い間、本当にありがとうございました。古舘プロジェクトーより引用池波さんによると、中尾さんは同年に入ってから、自宅で休みながら、時々取材などの仕事を受けていたとか。同年12月には旅行を計画しており、それに向けて元気にリハビリをしていたものの、同年5月16日に容体が急変したといいます。芸能界きっての『おしどり夫婦』として知られていた、中尾さんと池波さん夫婦。池波さんは、夫との突然の別れにまだ心が追いついていないところもあるかもしれません。「まだ『志乃』と呼ばれそうな気がします」という言葉には、胸が締め付けられますね。最後に池波さんは「『中尾彬らしいね』と笑って送ってあげてくだされば」と、伝えていました。池波さんが願う通り、たくさんの人が中尾さんを偲び、心の中で温かく見送っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年05月22日REGATEが22日、公式サイトを更新。妻の池波志乃とともに「買取 福ちゃん」のイメージキャラクターを務めていた中尾彬さんの訃報を受け、追悼コメントを寄せた。サイトでは「中尾彬さんには、妻の池波志乃さんと共に、2016年より「買取 福ちゃん」のイメージキャラクターを務めていただきました。中尾彬さんの優しいお人柄は、TV CM撮影の際にも常に周囲へのお気遣いが感じられ、今も心に深く思い出されます」と紹介。続けて「『買取 福ちゃん』の発展には、中尾彬さんの多大なご尽力がありました。所属事務所ならびにご遺族のご了承のもと、今期も継続してイメージキャラクターを務めていただくこととなりました」と伝えた。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。■追悼コメント全文「買取 福ちゃん」イメージキャラクター中尾彬さんのご訃報に接しまして中尾彬さんのご訃報に接しまして、心より哀悼の意を表しますとともに、ご遺族の皆様、関係者の皆様に衷心よりお悔やみ申し上げます。中尾彬さんには、妻の池波志乃さんと共に、2016年より「買取 福ちゃん」のイメージキャラクターを務めていただきました。中尾彬さんの優しいお人柄は、TV CM撮影の際にも常に周囲へのお気遣いが感じられ、今も心に深く思い出されます。「買取 福ちゃん」の発展には、中尾彬さんの多大なご尽力がありました。所属事務所ならびにご遺族のご了承のもと、今期も継続してイメージキャラクターを務めていただくこととなりました。中尾彬さんの生前のご厚誼に深く感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。株式会社 REGATE代表取締役福島
2024年05月22日俳優の中尾彬さんが心不全のため16日に死去した。81歳。所属事務所が22日、公式サイトで発表した。これを受け、1998年のドラマ『GTO』(カンテレ)で共演した反町隆史(50)が追悼のコメントを寄せた。反町は「ご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。26年前の『GTO』で初めて共演したときは演技を超えた存在感に圧倒され、役とは違う柔らかな笑顔に魅了されていました」としみじみ回顧。「『GTOリバイバル』の撮影で鬼塚を演じているときには、いつも中尾さんの内山田が頭の中にいました。在りし日のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。中尾さんの同事務所は22日に公式サイトで「弊社所属 中尾彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しました」と報告。「これまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と記した。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。■反町隆史コメント全文ご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。26年前の『GTO』で初めて共演したときは演技を超えた存在感に圧倒され、役とは違う柔らかな笑顔に魅了されていました。『GTOリバイバル』の撮影で鬼塚を演じているときには、いつも中尾さんの内山田が頭の中にいました。在りし日のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2024年05月22日俳優の中尾彬さんが心不全のため16日に死去した。81歳。所属事務所が22日、公式サイトで発表した。おしどり夫婦で知られる中尾さんは、妻で俳優の池波志乃(69)とともに“終活”しており、2018年4月には夫婦での著書『終活夫婦』(講談社)も発売していた。2018年5月に行われた同書の発売記念イベントには夫婦で登壇し、池波が“終活”について「断捨離とは全然違う。自分の大事なものはとっておいたほうがいい」と説明するも、中尾さんはトレードマークともいえるねじねじのストールを触りながら「でも俺捨てられたよ、これ200本くらい」と落胆。さらに中尾さんは残りのストールの数を「200本」だと報道陣を驚かせ、池波は「ありすぎるものは捨てます」とバッサリ。終活のために家、大量の本、写真などさまざまなものを処分したことを明かし、池波は「私たちは子どもがいない選択をしたので、亡くなったときに舌打ちされながら遺品整理されたくない」と苦笑。中尾さんも「元気なうちに終活をやらないと」と語っていた。囲み取材中には「仲いいわけじゃない」と笑い合っていたが、言葉とは反対に「夕食時は2時間話す」「きのうも遊びで九州に行っていた」など、仲の良さが伝わってくる様子も披露されてた。
2024年05月22日俳優の中尾彬さんが死去した。81歳だった。所属事務所が22日、公式サイトで発表した。中尾さんと「おしどり夫婦」として知られていた、妻の池波志乃(69)が、所属事務所を通じてコメントを寄せた。池波は「終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます」としたためた。続けて「今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです」と記した。所属事務所の公式サイトでは「弊社所属中尾彬が去る2024年5月16日、心不全のため81歳で永眠しました。これまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と報告。「お別れの会などは予定しておりません誠に勝手ながら御弔問・御香典・御供花等の儀は固くご辞退申し上げます」と伝えた。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。■池波志乃コメント全文池波志乃です。終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます。今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです。長い間、本当にありがとうございました。
2024年05月22日2024年5月22日、俳優の中尾彬(なかお・あきら)さんが亡くなったことが分かりました。81歳でした。サンケイスポーツによると、詳細に関しては、事務所である株式会社古舘プロジェクトからいずれ正式発表されるとのこと。1978年にテレビドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)で初代徳川宗春役を演じ、俳優として一躍有名になった中尾さん。その後も『GTO』シリーズをはじめ、さまざまな作品に出演するだけでなく、ユーモアあふれる性格を生かしてバラエティ番組でも活躍しました。1978年に再婚した俳優の池波志乃さんとは、芸能界きっての『おしどり夫婦』として知られています。夫の旅立ちを受け、今後、池波さんが想いを明かすこともあるかもしれません。日本の芸能界の重鎮として、多くの人に影響を与えてきた中尾さん。それだけに、訃報は多くの人に衝撃を与えた模様です。ネットからは、「本当にすばらしい俳優だった」「こんなにも温かみのある演技をできる人は、そういない」といった声が上がっています。中尾さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年05月22日2013年3月に結婚した俳優の中尾明慶(35)と仲里依紗(34)夫妻が9日、都内で行われた「Uber Eats新CM公開記念『Uber Eats 博士』認定式」に出席。3年ぶりとなるイベント共演を果たした。イベント後半、MCとアイコンタクトでタイミングを計っていた中尾は「実は何ですけど、母の日と言うことでUber Eatsをしていまして。僕、何にも覚えてないみたいなやつですが、抑えるところは抑えるので」と切り出した。すると、Uber Eatsスタッフが「すみません、Uber Eatsです」とイベント会場に到着。中尾は「いつもお母さん頑張っているということなので」と花束をプレゼントした。仲は「私の台本には書いていなかった。サプライズだ!サプライズ苦手なのに。しかもUber Eatsの配達員さんが届けてくれた」と目を見開いて大喜び。中尾は「これで1週間ぐらいはあったかい空気になりますかね」と胸をなでおろし、笑いを誘った。普段からUber Eatsを愛用し、活用術を発信している2人は、4月15日に公開されたCM「やっぱりUber Eatsで、いーんじゃない?」シリーズ第1弾「ドラ猫篇」「炊飯器篇」に出演中。きょう9日からは第2弾「100万人目篇」「団子篇」が公開される。2人は、09年3月に映画『時をかける少女』で初共演。13年3月に結婚し、同年10月に長男が誕生した。
2024年05月09日2013年3月に結婚した俳優の中尾明慶(35)と仲里依紗(34)夫妻が9日、都内で行われた「Uber Eats新CM公開記念『Uber Eats 博士』認定式」に出席。3年ぶりとなるイベント共演を果たした。そろって登場した2人は、顔を見合わせて照れ笑い。仲は「きょうは本当にたくさんの方にお越しいただき本当にありがとうございます」と感謝し、「2人で登壇するのが久しぶりなのでけんかにならないように頑張ります」と意気込んだ。一方、中尾は「(いつもと)だいぶ違う。緊張する」と終始、落ち着かない様子。仲が「CM撮影中もずっと『恥ずかしい、恥ずかしい』って言っていて」と明かすと、中尾は「なんか照れちゃいますね、僕は。恥ずかしかったです」と重ねた。普段からUber Eatsを愛用し、活用術を発信している2人は、4月15日に公開されたCM「やっぱりUber Eatsで、いーんじゃない?」シリーズ第1弾「ドラ猫篇」「炊飯器篇」に出演中。きょう9日からは第2弾「100万人目篇」「団子篇」が公開される。2人は、09年3月に映画『時をかける少女』で初共演。13年3月に結婚し、同年10月に長男が誕生した。
2024年05月09日2013年3月に結婚した俳優の中尾明慶(35)と仲里依紗(34)夫妻が9日、都内で行われた「Uber Eats新CM公開記念『Uber Eats 博士』認定式」に出席。3年ぶりとなるイベント共演を果たした。そろって登場した2人は、顔を見合わせながら照れ笑い。仲は「きょうは本当にたくさんの方にお越しいただき本当にありがとうございます」と感謝し、「2人で登壇するのが久しぶりなのでけんかにならないように頑張ります」と意気込んだ。中尾が「おーい、そんなこと言うな」とツッコむと、仲は「打ち上げからぎくしゃくしちゃった」と告白した。すると、中尾は仲の横に並び「またこういう靴とか履かないでよ。小さく見えるじゃん」と仲のヒールの高い靴を指摘。仲が「考えてるよ。いつも」と怒る“夫婦漫才”で笑いを誘った。その後も、どちらがUber Eatsを愛用しているか言い合うなど、“夫婦漫才”を重ね、笑いをさらっていた。普段からUber Eatsを愛用し、活用術を発信している2人は、4月15日に公開されたCM「やっぱりUber Eatsで、いーんじゃない?」シリーズ第1弾「ドラ猫篇」「炊飯器篇」に出演中。きょう9日からは第2弾「100万人目篇」「団子篇」が公開される。2人は、09年3月に映画『時をかける少女』で初共演。13年3月に結婚し、同年10月に長男が誕生した。
2024年05月09日俳優の中尾明慶と女優の仲里依紗夫妻が、19日までに互いのInstagramを更新。結婚11周年を迎えたことを報告し、祝福の声が殺到している。○結婚11周年でツーショットを大量に撮影仲は「2024.4.18 結婚11年記念日でした」と題し、夫である中尾との仲睦まじい2ショットや妻目線のオフショットを投稿。2人は2013年に電撃結婚を果たし、同年に第一子となる男児が誕生。その後もYouTubeやSNSで家庭の様子を度々発信するなど、お茶の間を楽しませている。結婚11周年を迎え、仲は「今日は久しぶりに2人で食事に行きました」と夫婦水入らずで過ごしたことを明かし、「そしてはじめてじゃん? ってくらいツーショットを大量に撮りました」とぶっちゃけ。中尾に対しては、「人生って楽しい事だけじゃないしたくさん困難にぶち当たる時もあるけどいつもしれっといい事? 言ってなるほどをたくさんもらえてる気がします ありがとうございます」と日頃の感謝の気持ちを伝えた。一方、中尾は「結婚11周年 今日は顔のしみを数えられました。20個あるそうです。。。」と夫婦のやりとりを明かしながら、「それだけ月日を共にしたということで」とポスト。夫婦で密着した2ショットを披露しながら、「最近は一緒にCMも出させていただいて、調子にのってますが、今後とも応援よろしくお願い致します。いつもありがとう」と妻である仲に感謝の意を表し、「スマホの待ち受けに俺も出るようにしてください、、、」と結んだ。しかし、仲は夫からのこの“お願い”に対し、「でもまだあなたを待ち受けに出すのはちょっと恥ずかしいです」。最後は「これからも喧嘩しながらですが楽しく生きましょう よろしくお願いします」と添えて、ハッシュタグで「#日付変わっちゃったけど」「#weddinganniversary でした」「#いつも投稿先越されるの次はどうにか阻止したい」とつづっていた。こうした投稿にファンからは、「最高の夫婦。記念日おめでとう!」「こんな夫婦を目指します」「結婚記念日おめでとうございます」「激アツ夫婦!BIGLOVE」「末長くお幸せに」「永久に推し続けます」「本当に可愛い夫婦だね」「こっちまでニヤニヤしてしまうよ」「素敵すぎて泣いた」「最高のパートナーですね」「里依紗ちゃん良い顔してる」「ハッシュタグのセンス良すぎ」「11年経っても夫婦でありながら、戦友みたいに見えて素敵です!」「何これハッピーオーラしか伝わらない」など、仲には2000件、中尾には700件を超える祝福コメントが相次いで寄せられた。
2024年04月24日俳優の中尾明慶が25日、都内で行われた「FENDI selleria(フェンディ セレリア)」レセプションのフォトコールに登場した。イタリア・ローマを代表するラグジュアリーブランド・FENDIは、ブランドのクラフツマンシップを体験できるポップアップストア「FENDI selleria(フェンディ セレリア)」を3月26日~31日まで、東京・渋谷のMEDIA DEPARTMENT TOKYOにて開催する。同ストアの開催を祝したレセプションが25日に行われ、フォトコールに桐谷美玲、佐々木希、佐野勇斗、中尾明慶、藤田ニコル、MINA(TWICE)が登場した。中尾は春らしいブルーのシャツにハンドステッチのモチーフがデザインされたパンツを合わせたコーディネートを披露。「パンツのデザインが仮縫いのようなステッチで非常にかわいいなと思って気に入っています」と話した。また、「フェンディさんは以前上海で行われたファッションショーに呼んでいただいたことがあって、そのときは夫婦で参加だったんですけど、フェンディさんのパネルの前でピースで写真を撮ったら海外のメディアさんに失笑されたという過去があって、もう二度とフェンディさんには呼んでいただけないと思っていたんです」とエピソードを明かし、「今日この日が来て本当にほっとしています」と笑顔を見せた。新生活シーズンということで新たに挑戦したいことを聞かれると、「最近引っ越しまして、憧れのオープンキッチンになり、キッチンが広くなったので、これを機に料理を本格的に始めたいなと今は思っています」と答えた。同ストアでは、「セレリア1925(Selleria 1925)」の2024年春夏 新作コレクションの販売をはじめ、イタリア・トスカーナ地方 カパヌッチアにあるフェンディ レザー工場より職人が期間限定で来日し、伝統的な製法によってつくられるフェンディのアイコンバッグ「ピーカブー」の製造工程を披露する。
2024年03月25日万作・萬斎の会 毎年恒例の横浜公演横浜能楽堂休館のため「横浜にぎわい座」にて趣向を変えて開催万作の会主催、第24回よこはま「万作・萬斎の会」at横浜にぎわい座~狂言と落語による~(神奈川)《2回公演》が2024年4月29日 (月・祝)に横浜にぎわい座芸能ホール(神奈川県横浜市中区野毛町3丁目110番1号)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて3月25日(月)10:00より発売開始です。カンフェティにて3月25日(月)10:00よりチケット発売開始 公式ホームページ 狂言師 野村万作と野村萬斎を中心に能と狂言を上演する〈よこはま「万作・萬斎の会」〉。毎年恒例の横浜公演ですが、横浜能楽堂改修工事による休館のため、本年は場所と趣向を変えて同じ桜木町にある寄席「横浜にぎわい座」にて開催します。会場に合わせ、落語家・三遊亭竜楽さんをお招きし、同工異曲の狂言「鏡男(かがみおとこ)」と落語「松山鏡(まつやまかがみ)」を合わせて上演いたします。また、狂言「縄綯(なわない)」を野村万作・萬斎・裕基の三代で上演します。公演冒頭には野村萬斎による解説もあり、初心者でも安心してお楽しみいただけます。【番組】解説:野村萬斎鏡男:石田幸雄・中村修一・岡聡史落語「松山鏡」:三遊亭竜楽縄綯:野村万作・野村裕基・野村萬斎公演概要第24回よこはま「万作・萬斎の会」at横浜にぎわい座~狂言と落語による~(神奈川)《2回公演》公演日時:2024年4月29日 (月・祝)13:00 / 16:30※開場は開演の30分前会場:横浜にぎわい座芸能ホール(神奈川県横浜市中区野毛町3丁目110番1号)■チケット料金S席(1階前方)6,000円A席(1階後方・2階前方) 5,000円B席(2階後方)4,000円C席(1階・2階サイドシート)3,000円(全席指定・税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年03月25日万作の会主催、『第106回野村狂言座』が2024年4月18日 (木) ~2024年4月19日 (金)に観世能楽堂(東京都中央区銀座6-10-1 GINZA SIX 地下3階)にて上演されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて3月18日(月)10:00より発売開始です。カンフェティにて3月18日(月)10:00よりチケット発売開始 公式ホームページ 第106回目の今回は、「長光(ながみつ)」「朝比奈(あさひな)」「花折(はなおり)」の3演目を上演します。特に「朝比奈」は人間国宝・野村万作とその孫・裕基による共演が見どころ。鎌倉時代の武将・朝比奈三郎義秀を万作が、朝比奈を地獄に落とそうとする閻魔大王を裕基が演じます。祖父・孫による攻防をお楽しみください。「花折」は春にふさわしく、舞台上に桜の小道具を出して華やかな花見の様子を表現します。また公演冒頭には、野村萬斎による解説と小舞の上演もございます。【番組】解説:野村萬斎小舞「鮒」:野村萬斎狂言「長光」:飯田豪・中村修一・石田幸雄狂言「朝比奈」:野村万作・野村裕基狂言「花折」:野村太一郎・野村萬斎・岡聡史・内藤連・深田博治・竹山悠樹・高野和憲野村万作野村裕基野村萬斎公演概要『第106回野村狂言座』公演期間:2024年4月18日 (木) ~2024年4月19日 (金)会場:観世能楽堂(東京都中央区銀座6-10-1 GINZA SIX 地下3階)■公演スケジュール4月18日(木) 14:004月19日(金) 18:30※開場は開演の45分前■チケット料金S席:7,000円A席:6,000円B席:5,000円C席:4,000円学生席:3,000円 ※学生券は万作の会お電話のみでのお取り扱い(全席指定・税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年03月18日舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』春の応援大使就任会見が27日、東京・赤坂ACTシアターにて開催され、大使に任命された中尾明慶、永尾柚乃、そしてハリー・ポッター役を務める大貫勇輔が出席した。本舞台は、小説『ハリー・ポッター』シリーズの作者J.K.ローリングが、ジョン・ティファニー、ジャック・ソーンと共に舞台のために書き下ろした『ハリー・ポッター』シリーズ第8作。小説の最終巻から19年後、父親になった37歳のハリー・ポッターとその息子・アルバスの関係を軸に描かれる新たな冒険物語だ。先日、2024年7月以降の公演延長が決定し、新たに14人のキャストが発表となった本作。この日、春の応援大使として俳優の中尾と子役として人気を博している永尾が春の応援大使に任命。以前から“ハリポタ好き”を公言している中尾と永尾は、大役就任に満面の笑みを浮かべ9と3/4番線からそれぞれトローリーを引いて登場。中尾は「まさか僕が応援大使をやらせていただけるなんて思ってもいなかった」と感無量な表情を浮かべるも「“春”ってついているのが気になります。春だけ? これだとすぐ終わっちゃうのかなって。1年間ぐらいやる気満々なんですが、夏は誰かに変わっちゃうのかな」とやや不満顔。一方の永尾は「ハリー・ポッターが大好きなので、すごくうれしい。皆さんの演技が素晴らしく、仕掛けもすごい。ハリーの世界にいる感じがして感動します」とほぼ完ぺきな挨拶。そんな永尾の就任挨拶に、ずっと大使を続けていきたいという意欲を見せていた中尾は「柚乃ちゃんすごいね。僕は大使を辞任した方がいいかも……」とタジタジに。この日はハリー役を務める大貫もお祝いに駆けつけ、それぞれの名前が入った杖を贈呈。中尾は「すごく立派な杖をいただきました。しかもネーム入りなんて、うちの息子が見たら喜ぶと思います。これで自慢のお父さんになれますね」と胸を張ると、永尾も「メッチャうれしい。杖は私の宝物。魔法もどんどんやっちゃおうかなと思います」と呪文を唱える仕草を見せて会場を沸かせていた。2人が喜ぶ姿に大貫は「子供から大人まで楽しめる作品になっていますので、お二人の力を借りてたくさんの方に作品を届けていただければと思います」と応援大使の中尾と永尾に期待していた。
2024年02月27日子どものことは「全部親の責任」中尾さんは2013年に俳優の仲里依紗さんと結婚し、長男のトカゲくん(愛称)は現在、小学4年生に。自身のYouTubeチャンネルで子育てに関する質問に回答した中尾さんですが、初っ端から「子育てをする上で親の責任だと思うこと」という難しい質問に答え、「いや全部だよ。すべて子どもがやることっていうのは親の責任」と断言。たとえばトカゲくんがYouTubeの視聴者から食べ方のマナーに関する指摘を受けることがあり、「完全に親の責任」と反省するそう。一方で、撮影する時に「変に構えさせたくない」という気持ちもあり、難しいと明かしていました。中尾家には厳密なルールや約束事はありませんが、仲里依紗さんがトカゲくんの学校の準備などに対して「全力サポート型」であるのに対し、中尾さんは「自分でやれよ!」タイプ。こうした部分でパパ・ママの違いがハッキリしていますが、挨拶の大切さだけはきっちり教えており、飲食店を出る際には必ず「ごちそうさまでした」と言うよう伝えているそうです。多くの保護者が悩みがちなゲームや動画を見る時間については、「(ルールを)決めようと思って何度も叱った」ものの、「ずっと一緒にいることは不可能なので難しい」「決めたくても決められない」のが現状で、中尾さんもまた悩んでいるようです。息子をどうサポートするかだけでなく、習い事や学校のことで仲さんと意見がぶつかることはしょっちゅう。ただ、「自分の子どものことをいい加減に考えている親はいない」ので、真剣に考えるからこそぶつかり合うんですよね。そう理解しているからこそ、お互い冷静になって話し合いをすることで解決し、トカゲくん本人の意見も大事にするようにしているといいます。厳しく叱ることもあるという中尾さんですが、「厳しくしたあとめっちゃ凹む。自分の機嫌で叱ってることもあるしね」と、しょっちゅう反省もしているそう。これまでで「一番叱ったこと」は、ケンカなどで相手にひどいことを言ったときと、嘘をついたとき。「人間だから嘘をつくこともある」と認めつつ、他に誰かが叱ってくれるわけでもないので、親として叱らなければならないと考えているといいます。ただし、仲さんが叱っているときに一緒になって叱ることは「まずない」。そういうときは後からトカゲくんの話を聞いてあげ、叱られて悔しい気持ちに寄り添いつつ、ママがなぜ叱ったのかも説明してあげるようにしているそうです。叱るより褒めるほうが伝わりやすいこともある子どもの叱り方は多くの保護者にとって悩みの種ですが、叱る際にいくつか覚えておきたいことがあります。一番大事なのは、子どもの人格を否定するような言い方をしないようにすること。子どもを否定するような叱り方は、子どもにとって深い傷を残しかねません。感情に任せて怒らず、こんなときどのような言葉をかけられたいのか、何と言われれば納得できるかを、子どもの心になって考える努力をしてみましょう。また、しつけとして叩いたりすることは絶対にNG。子どもに恐怖心や反抗心だけを与えるだけで、親が本当に伝えたいことも伝わりません。そして、「悪いことをしたときに叱る」のならば、同じように「マナーを守れたときや良いことをしたときは褒める」も必要でしょう。叱るよりも褒めてあげた方が伝わりやすいこともあります。叱る場面もあれば褒めるところもあると、子どもは親が愛情をもって叱っていることを理解するようになります。参照:【医師監修】子供のしつけはいつから?月齢・シーン別の怒り方
2024年02月20日2024年2月9日、俳優の中尾明慶さんがInstagramを更新。公開された写真に、人々から驚きの声が上がっています。中尾明慶の鍛え上げられた肉体に反響同日、中尾さんが公開したのは、自身のソロショット写真。海水パンツを身に着けて海に入っている姿が、ファンをざわつかせているのです。「ギャップ萌え」「たまらない」といった声が寄せられた、実際の写真をご覧ください。 この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 透明度の高い海よりも、人々が目を奪われたのは…鍛え上げられた中尾さんの肉体美。明るく、さわやかな印象が強い中尾さんですが、鍛え抜かれたボディを持ち合わせているギャップに驚かされます!「目は閉じて口は半開き。水着のヒモもちゃんと中に入れるべきでした」という、自虐的なコメントとともに写真を公開した、中尾さん。ファンからは、中尾さんをフォローする声とともに、たくましい肉体に絶賛のコメントが寄せられました。・着痩せするタイプなのかな?バキバキの腹筋が素敵!・こんなにマッチョなの!?かっこよすぎる…。・さわやかフェイスにこの身体!ギャップがたまらない~!・すごすぎ。『いいね』を何回も押したい!・加工かと思った。素晴らしい身体!中尾さんの写真には、「筋トレ動画をYouTubeにアップしてほしい」といった要望が寄せられるなど、美しいボディを作り上げる方法が気になった人もいたようです。今後も中尾さんは、鍛え上げた肉体を生かし、あらゆる役柄に挑戦するのでしょうね![文・構成/grape編集部]
2024年02月12日「3学期は一緒に勉強がんばろうって約束したの」中尾さんは2013年に俳優の仲里依紗さんと結婚し、トカゲくんこと長男は現在小学4年生。仲さんは2024年1月期のドラマに出演中で撮影が続き、中尾さんも舞台公演中と、この冬は夫婦ともに多忙なようです。ただ、この日は中尾さんが舞台の休演日で久しぶりに他の仕事も入っておらず、久しぶりに長男と過ごす休日となったといいます。学校から帰ってくるトカゲくんをリビングで待ちながら、「宿題もやらせないと」とパパの顔を覗かせる中尾さん。「ただいま」と帰宅したトカゲくんが着替えてソファに座ると、すかさず「漢字テストどうだった?」と尋ねます。トカゲくんは「80点は確定」と頼もしい返答。中尾さんいわく、「3学期は一緒に勉強がんばろうって約束した」のだそうで、「高校行かないんだもんね? それまでに高校よりも楽しいやりがいのあることを見つけるんだって。だからあと何年かは学校がんばるって」と、視聴者に向けて説明。トカゲくんは今の時点においては「高校には行かない」と決めているといい、「高校よりも楽しいやりがいのあることを見つける」という目標があるよう。中尾さんはそんな息子の意思を尊重しているようです。親子の会話は社会のテストについても広がり、東京都と神奈川県の有名な場所について、トカゲくんが「東京スカイツリーと東京タワーと伊勢丹と……」と話すと、中尾さんは「影響受けすぎだろ、家庭内に(笑)」と盛大なツッコミ。東京の名所として「伊勢丹」が思い浮かぶのは、明らかに爆買い大好きなファッショニスタ・仲里依紗さんの影響なのだとか。ちなみに神奈川県については「ランドマークタワーと中華街、横浜市青葉区」と言うトカゲくんに、中尾さんが「ママが好きなのは神奈川そごう(そごう横浜店)です」と補足していました。パパだけでなく仲さんのYouTubeにもたびたび登場しているトカゲくんですが、「ママのYouTubeのときはテンションちょっと上げるらしい」と中尾さんが暴露すると、「だってあの人たちのテンションに追いつけない」と本音を漏らし、子どもながらに状況に合わせたテンションを意識しているようです。まだあどけなさの残る小学生ながら、しっかりしていますね。
2024年01月31日「いまだに生活感の不一致はあるけど、全部なくすのは難しい」2013年に俳優の仲里依紗さんと結婚し、現在小学5年生となる長男を育てている中尾さんのもとに集まったお悩みは、夫婦関係や育児についてリアルなエピソードばかり。中尾さんは自身の夫婦関係についてまず、「俺はいっぱい衝突してきたし、こないだも里依紗のインスタに靴下が放置されてる、みたいなのが上がってるぐらいだからいまだに生活感の不一致はある」「全部なくすのは難しい。お互い主張するとキツイよね俺はあんまりこだわりがないから」と明かします。ただ、実際生活する中でどんな衝突があったか聞かれると、何があったか思い出せないといい「だからやっぱ俺、(仲さんから言われていることが)響いてないんだと思う。俺が気を付けたほうがいいな」と苦笑していました。「パートナーが他の女の子と遊びに行くのが嫌だ」という女性のお悩みには、「別れちゃえばいいよ。彼女がいて他の女の子と遊びに行くなんてさ」と即断で直球ボールを投げる中尾さん。次に、学生のうちに出産し親元でお子さんを育てている女性から、自分は育児と仕事で忙しく友達とも会えないのに、彼氏は飲み会でオールすることもあり、これから籍を入れて2人一緒に子育てしていくことが不安……と言う相談が寄せられました。すると中尾さんは「夫婦2人で子育てしていくことは、ずっと不安だと思う。俺も不安と言えば不安だった」「親である以上は(不安がつきまとうことは)しょうがないよね」。一方で、飲みに出かけることについては、「わたくしもしてました」と懺悔しました。「父親になったという実感が湧くのが遅かったね、わたしは。でもそれが不安だったら、言ったほうがいい。わたしもうちの人(仲さん)から言われたし」と経験をもとにアドバイスしました。また、「旦那がありがとうって言ってくれない。家事とか全般のやる気が失せちゃう。どうしたら自然に言ってくれるか」というお悩みを打ち明けた女性には、「でもありがとう言えよって空気がでちゃったら、それはそれで男はムキになっちゃう部分があるかもしれない」と男性側の気持ちを推測。中尾さん自身は普段から仲さんには口頭やLINEで「ありがとう」と伝えるようにしているそうですが、「逆に嘘くさく伝えてみたら?何かあったときにハリウッドザコシショウみたいに(誇張しまくる)」と話し、ありがとうと言われる気持ちよさが相手に伝われば、逆に相手も言わなきゃと思う可能性があるとアドバイスしました。
2024年01月18日