タレントのモト冬樹が9日に自身のアメブロを更新。夫婦そろって気になっていた妻でミセスモデルの武東由美が高島屋で購入した品を公開した。この日、モトは前日の夕食に富良野地方卸売市場株式会社のレトルト食品『ゴロッと玉ねぎと骨付きチキンのスープカレー』を堪能したことを報告。「俺がいつも高島屋のレジに並んでいる時 丁度右側に置いてあって気になってた」と明かした。続けて、武東も「同じ状態で気になって」いたそうで、購入したことを報告。「なんだか夫婦そろって同じことを考えていたって面白いね」とつづり、購入した『ゴロッと玉ねぎと骨付きチキンのスープカレー』の写真とともにブログを締めくくった。
2024年05月09日ミセスモデルの武東由美が4日に自身のアメブロを更新。コンビニエンスストア『セブン‐イレブン』で大量に購入した品を公開した。この日、武東は「羽田までの高速 さすがにGW大渋滞」と切り出し、車内で手にした『セブン‐イレブン』のドリンクの写真を公開。「カフェラテで落ちつこう 優しい味で癒されます」とコメントした。その後に更新したブログでは『セブン‐イレブン』で大量に購入したおにぎりの写真を公開。「おにぎり2個にドリンク1本ついていたので7本無料でした」とドリンクの写真も公開し「何だか得した気分」と嬉しそうにつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「確かにお得ですね」「玄米おむすび美味しそう」「よかったですね」などのコメントが寄せられている。
2024年05月05日女優の藤原紀香が3日に自身のアメブロを更新。驚きと悲しみで胸がいっぱいになった4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんの訃報についてつづった。この日、藤原は桂さんの訃報に言及し「知らせを受けた時は驚きと悲しみで胸がいっぱいでした」と胸中を吐露。桂さんについて「文金高島田の時代にたくさんの逆風を受けながら、ウエディングドレスや、エスコートする男性のために燕尾服も日本に広められた先駆者」「日本の伝統工芸にも大きな功績を残した方」と説明した。続けて「私もこれまで」「様々な仕事で、友禅ドレスや絞りのドレス、伊藤若冲や浮世絵のデザインドレスなどに身を包ませていただきました」とドレス姿の自身と桂さんの2ショットを複数枚公開し「その度ワクワクが止まりませんでした」とコメント。「90歳を過ぎても自らテキパキと『ここはこんな風にした方が紀香さんには合うわね』と何着ものドレスのフィッティングやお直しにお付き合いくださり」「現場に来てくださることも多くありました」と振り返った。また「『愛之助さんはいまどちらで歌舞伎をされているの?』と常に夫のことを気にかけてくださり」「何十人ものスタッフの皆さん揃って毎回 応援に来てくださいました」と夫で歌舞伎俳優の片岡愛之助と桂さんとの3ショットとともに回想。「いつお会いしても、指先までお綺麗で」「見るたびに違う装いで、会う人の目も心も楽しませてくださいました」とつづった。さらに、桂さんから昨年末に電話があったことを明かし「いまの夢はね,“アニバーサリーウエディング”を世の中に広めたい」「愛之助さんと紀香さんも結婚10年目の時、やってみましょうよ。もうすぐでしょう」と言われたといい「お声が、今も耳に残っています」とコメント。最後に「生涯現役で夢に突き進んできた先生...は、沢山のことを教えてくださいました」「感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます」と述べ「心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月04日ミセスモデルの武東由美が5月1日に自身のアメブロを更新。73歳を迎える夫でタレントのモト冬樹と誕生日ディナーを堪能した日のエピソードをつづった。この日、武東は「一足早いモトちゃんのお誕生日で横浜の『エリア 耀』へ行って来ました」と報告し、モトとの2ショットを公開。「中華料理ですがフレンチのような...すべて斬新なお料理でした」と述べ「北京ダックに金木犀のお砂糖 うに」と堪能した料理を写真で公開した。続けて「お隣のお客様と『衝撃的な美味しさ!』と意見が一致しました」と明かし「また行きたいレストランが増えました」とコメント。「5月5日 モトちゃん73才のお誕生日」と述べ、食事中のモトの写真を公開し、ブログを締めくくった。
2024年05月03日歌手でタレントの森口博子が3日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんとの思い出を回想した。この日、森口は桂さんの訃報に言及し「心から哀悼の意を表します」とコメント。「先生には大変お世話になりました」と述べ、2016年5月に日本橋三井ホールで開催された桂由美さんの創作活動50周年を記念した舞台『桂由美物語』で桂さんの役を務めたことを明かし、桂さんとの2ショットとともに「改めて先生の偉大さを実感した感動の連続の日々。いろいろな思い出が蘇ってきます」と当時を振り返った。続けて、舞台のポスターで着用していた衣装について「先生から『是非に』と、お貸しいただきました私物なんです」と説明し「恐れ多くも袖を通させていただき、背筋が伸びる思いでした」とコメント。「先生が、本読みの時に持って来て下さって、ターバンを私の頭の上にのせて下さった」といい「先生からの無言のメッセージを受け取ったような瞬間で、目頭が熱くなりました」とつづった。また、稽古場では桂さんから「歌のシーンで涙が・・・・大変だった時代を思い出しちゃって…素晴らしかったわ。ありがとうございます」と言われたそうで「こちらこそ、感謝の気持ちでいっぱいです」とコメント。「カーテンコールでは何と私もウエディングドレスを着させて頂きました」と明かし、ウェディングドレス姿の自身の写真を公開した。さらに、着用したウェディングドレスについて「ベールのビーズやスパンコール、ひとつひとつ手作りで愛情と透明感が溢れていました」と述べ「マーメイドのようなデザインは『由美ライン』と言われています」と説明。「現役で常に創作アイディアが溢れていらっしゃる先生のカーテンコールでのお言葉にも感銘を受けました」といい「まだまだ『道半ば』。強い意志やロマンを感じずにはいられませんでした」とつづった。最後に「日本で革命を起こし、偉業を成し遂げた先生に敬意を表します。本当にありがとうございました」とコメント。「旅立たれた新たな世界でもきっとアグレッシブに過ごされているのだと思います」と述べ「心から、ご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月03日タレントのデヴィ夫人が5月1日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんの突然の訃報を受け悲痛な心境を吐露した。この日、デヴィ夫人は桂さんの訃報に言及し、桂さんについて「1964年に日本初のブライダル・デザイナーとして活動を始め、60年。数々の『日本初』を手掛けたブライダル・ファッションの第一人者です」と説明した。続けて「美しいウェディングドレスを着て教会で結婚式をすることを先駆者として広めました」と明かし「桂さんがいなければ、今も日本ではウェディングドレスは普及していなかったでしょう」とコメント。「1980年代以降はNY、パリを始め、世界30か国以上で活躍し、『ゴージャスな友禅の和装を世界に広めたい』と、パリコレで和装を広めた第一人者でもあります」とつづった。また「突然の訃報、大変悲しいです」と悲痛な心境を吐露し、自身も参加したショーやパーティーでの桂さんとの集合ショットを複数枚公開。先月には、日本舞踊家で歌手の花園直道の舞台で再会したそうで「お元気そうでしたので、びっくりしております」とコメント。「ブライダル・デザイナーとして世界一でした」と述べ「その意気込みと信念、最後の最後までお仕事をされている姿に心をうたれました。どうぞ、安らかにお眠りください」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月02日タレントのキャシー中島が4月30日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんの訃報に心境を吐露した。この日、キャシーは「桂先生に初めてお会いしたのは、女の60分と言う番組で取材をさせていただいた時です」と初対面した日を回想。「それからかれこれ50年!!私の結婚式のドレス、娘2人の結婚式のドレスと公私共におつきあいさせていただきました」と明かした。続けて、桂さんがキャシーの夫で俳優の勝野洋の舞台を必ず観に来てくれていたそうで「大きな拍手をくださいました」とコメント。「いつも心に留めてくださいました。先生、寂しい!」と心境を吐露し「2月にサファイア婚のイベントをしていただいたのが最後になりました。その時にこんなに早くお別れが来るとは思いもしませんでした」とつづった。また、一緒に食事をする約束をしていたことを明かし「実現しなかったですね。寂しい」と述べ「ただただご冥福をお祈りするばかりです」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月01日2024年4月30日、ブライダルデザイナーの桂由美さんが94歳で亡くなったことが分かりました。ブライダルデザインの第一人者として、日本にウェディングドレスを広め、数々の芸能人のドレスなども手掛けていた、桂さん。訃報を受けて、親交のあったモデルやタレントからも追悼の声が寄せられています。アンミカが、故・桂由美さんを追悼ファッションモデルやデザイナーとして活躍する、タレントのアンミカさんも、桂さんと親交があった1人。訃報を受けて、同日自身のInstagramで追悼のコメントを寄せました。生前の桂さんとのツーショット写真や、美しいドレスを身にまとった自身の写真を添えた、アンミカさん。「桂由美さんの訃報に接し、在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」という書き出しで投稿された文章には、桂さんとの思い出などがつづられていました。日本の伝統美や技術を継承し、思いもよらない新素材の発想力で誕生する桂由美さんが手掛ける衣装やドレスたちは、どれも唯一無二の芸術作品。なのに着用すると動きやすく、何より着る人をとても美しく見せてくれて、自信を増大させ輝かせてくれる。何度も桂由美さんの魔法にかかりました。そして、いつお会いしても完璧ないでたちに、優しい笑顔を称えられ、とても空気が丸い美しい方でした。ahnmikaofficialーより引用※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る アンミカ(@ahnmikaofficial)がシェアした投稿 モデルになった15歳から、桂さんのショーに出ることがずっと夢だったという、アンミカさん。念願が叶った時には、1つステージが上がったような自信がついたといいます。また、アンミカさんは写真集やテレビ番組でも桂さんの手がけた衣装をたびたび着用。投稿された写真は、その時に着用したものの一部なのでしょう。華やかで斬新なデザインのドレスはどれもインパクトがあり、着こなすアンミカさんの美しさも際立っていますね!投稿を見たファンからは、ドレスを絶賛する声や桂さんにまつわるエピソードなど、さまざまなコメントが寄せられています。・どのドレスも似合っていて、とても素敵!私も30年前に、桂由美さんのイブニングドレスをお色直しで着させてもらい、心から幸せな気持ちになれた想い出です。・アンミカさんが着ることでドレスの魅力も増していて、どの衣装にも魂が込められているようです。これからも光り輝くドレスたちですね!・どれも素敵で、桂由美さんの偉大さを感じます。アンミカさんがこうして桂由美さんのお洋服を素敵に着こなされることで、亡くなられても作品は生き続けるのですね。アンミカさんをはじめ、多くの関係者から感謝や追悼の声が寄せられている、桂さん。その功績は、唯一無二の美しいドレスと幸せな思い出とともに、人々の心の中に生き続けるのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年05月01日女優で声優の戸田恵子が5月1日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんから差し入れを貰った日のエピソードをつづった。この日、戸田は桂さんの訃報に言及。2月24日に放送されたスペシャルドラマ『はれのひ シンデレラ ウェディングドレスを日本へ!ある女性の挑戦』(読売テレビ、日本テレビ系)に出演していたことを明かし「撮影現場にもお顔を出されて、私はすれ違いでお会い出来なかったのですが、お弁当の差し入れまで頂戴しました」と振り返った。続けて「後に先生から送って頂いたサイン入りの御本です」と桂さんのサインが入った本の写真を公開し「~おしあわせに~のお言葉がいかにも先生らしい」とコメント。「94歳。本当にあっぱれな人生だったと思います」と述べ「ドラマ録画されてる方は、是非もう一度観てもらいたいです」とつづり「ご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。
2024年05月01日モデルでタレントのアンミカ(52)が4月30日、自身のブログを更新。デザイナーの桂由美(かつら・ゆみ、本名結城由美=ゆうき・ゆみ)さん(享年94歳)が26日に死去したことを受け、追悼した。アンミカは「桂由美さんの訃報に接し、在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」と追悼。「日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった桂由美さん」とあらためて桂さんを紹介し、「15歳でモデルになってから、ずっと桂由美さんのショーに出ることが夢で、叶った時は一つステージが上がったと自信がつきました」とつづった。さらに「MBSのパリコレ学では、日本から世界へ活躍するモデルの成長のためにご協力して頂き、私もコレクションでお世話になりました」「近年は、アクスタ衣装全て、アンミカーニバルPVの衣装、写真集の衣装、トークィーンズでの衣装まで、とてもお世話になっていました」と、桂さんと共演した番組や仕事などを回想。また、「日本の伝統美や技術を継承し、思いもよらない新素材の発想力で誕生する桂由美さんが手掛ける衣装やドレスたちは、どれも唯一無二の芸術作品。なのに着用すると動きやすく、何より着る人をとても美しく見せてくれて、自信を増大させ輝かせてくれる」と桂さんが手掛ける衣装やドレスに身を包んだ姿を複数枚公開するとともに桂さんを称賛し、「何度も桂由美さんの魔法にかかりました」とコメントした。最後は「いつお会いしても完璧ないでたちに、優しい笑顔を称えられ、とても空気が丸い美しい方でした」と桂さんの人柄についても触れながら、「ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。共に同じ場所で過ごさせて頂いた日々は、私にとって大切な宝の思い出です。安らかに、美しいものに囲まれていらっしゃいますように。。ご冥福を心よりお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月01日歌手の水森かおり(50)が30日、自身のブログを更新し、この日訃報が伝えられたブライダルファッションデザイナーの桂由美さんを追悼した。「桂由美先生」というタイトルで更新されたブログの冒頭、水森は「ニュースで知ってとても驚きました」と心境を吐露。「2003年『鳥取砂丘』で紅白歌合戦に初出場させていただいた際の衣裳でお世話になってからご縁をいただき、それから昨年までの紅白、コンサートやキャンペーンなど様々なドレスを着させていただいております」と桂さんとの関係を明かし、その衣装の魅力を「桂先生のドレスはとにかく夢がいっぱい詰まっていて、デザインも生地も装飾も素晴らしく全世界の女性の憧れ!着用すると背筋がシャンとなるような、また触れているだけで幸せな気持ちになり心が満たされていくのです」とつづった。また、「先生のプロフェッショナルの凄みを感じる出来事」として、ある年の『NHK紅白歌合戦』でのエピソードを披露。「前日リハーサルの際に衣裳のベールのシルエットが気になるからとスタッフの方々に一からやり直しを指示されました。何メートルもの生地を使ったベール。さすがにスタッフの方も『先生、本番は明日です。1日しかありません』。と言われました。私もさすがにそれは時間がなさすぎると思いました」と、さすがの水森も難しいと思ったと告白。「でも桂先生は『なに言ってるの、まだ1日もあるじゃない』とおっしゃったのです。桂先生のお言葉で一斉に直しに入り、翌日の本番には最高の衣裳に進化していて大成功を収めました!」と、当時の思い出を振り返った。続けて「この時私は桂先生のドレスへの並々ならぬこだわり、プロ意識、最後まで諦めない心、全力を尽くす姿勢に心から感動したのです。その時の空気感や先生の表情やお言葉は目と心に焼き付いていて忘れられず、今でも思い出すと涙が出てきてしまいます。私のためにそこまでしてくださって、水森かおりへの愛ももの凄く感じました!そしてそれ以来私は『こんなところでいいかな』と思わずに、桂先生のように最後まで諦めずに全力を尽くそう!と思うようになりました」と、水森にとっても大きい出来事だったと語った。最後に会ったのは、昨年の『NHK紅白歌合戦』のリハーサルだといい、白いドレスをまとった水森と、車椅子に乗った桂さんの2ショットを公開。ブログの最後を「桂先生、今まで本当に本当にありがとうございました!『私、あなたの歌声大好きなのよ』という嬉しいお言葉を胸に、先生に届くようにこれからも歌ってまいります。天国で見守っていてください。私も先生のこと大好きです!心よりご冥福をお祈りいたします」と締めた。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。94歳で亡くなった。
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。94歳だった。これを受けタレントの神田うの(49)が所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。桂さんと親交の深かった神田は訃報を受け「桂由美先生の突然の訃報に接し、ただただ呆然としております」と悲しみ。「先生には、いろんな会にてお目にかかり、今年も先生主催のお茶の会にお声がけ下さったりといつもお心に掛けて頂きました」と振り返った。また「いつも素敵にオシャレをされて、精力的に活動をされていらした先生。ウェディングドレスデザイナーとしてはもちろんの事、『デザイナー桂由美』としてパワフルに社会に貢献された先生の生き方は本当に素敵でした」とつづり、「私、若かりし頃はモデルとして先生のドレスを着させて頂いたり、ウェディングドレスのデザイナーとして大先輩の先生の背中を追いかけて参りました」と、自身の人生にも大きな影響を受けたことを明かした。続けて「『うのちゃんとブライダル業界を一緒に盛り上げる企画を是非しましょう!』と言って下さっていた先生…、残念ながらそれはもう叶いません…」と思いを吐露。「先生を心から尊敬しておりました。大好きでした。桂由美先生どうかごゆっくりお休み下さいませ。どうぞ安らかにお眠り下さいませ…」と締めくくった。(以下、コメント全文)桂由美先生の突然の訃報に接し、ただただ呆然としております。先生には、いろんな会にてお目にかかり、今年も先生主催のお茶の会にお声がけ下さったりといつもお心に掛けて頂きました。いつも素敵にオシャレをされて、精力的に活動をされていらした先生。ウェディングドレスデザイナーとしてはもちろんの事、『デザイナー桂由美』としてパワフルに社会に貢献された先生の生き方は本当に素敵でした。私、若かりし頃はモデルとして先生のドレスを着させて頂いたり、ウェディングドレスのデザイナーとして大先輩の先生の背中を追いかけて参りました。「うのちゃんとブライダル業界を一緒に盛り上げる企画を是非しましょう!」と言って下さっていた先生…、残念ながらそれはもう叶いません…。先生を心から尊敬しておりました。大好きでした。桂由美先生どうかごゆっくりお休み下さいませ。どうぞ安らかにお眠り下さいませ…。神田うの
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。94歳だった。これを受けタレントの菊地亜美(33)が30日、生放送番組で追悼した。菊地はきょう放送のカンテレ情報番組『旬感LIVE とれたてっ!』(月~金後1:50)に出演。桂さんとの思い出について「私、実は自分の結婚式で桂由美さんのウエディングドレスを使わせていただいて…」と話し、「実際にお会いして、桂さんの事務所の下にカフェがあるんですけど、カフェでお茶しない?と言ってくださって。そこで生花をつけるのはかわいいと思うよと言っていただいた」とエピソードを明かした。訃報は移動中に知ったと言い「さっき新幹線の中で知って、すっごいびっくりしちゃって。最後までオシャレで桂由美さん素敵だなって思いました」とコメントした。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。
2024年04月30日2024年4月30日、ブライダル関連のサービスを展開する株式会社ユミカツラインターナショナルは、ウェブサイトを更新。同社でクリエイティブディレクターを務めた、ブライダルデザイナーの桂由美さんが亡くなったことが明かしました。94歳でした。桂さんの逝去を報告するにあたって、このように想いを明かしています。並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。株式会社カツラユミインターナショナルーより引用ブライダルデザインの第一人者として、活躍した桂さん。新婦の夢を叶えるために、日本人女性にぴったりのウェディングドレスや打掛などの婚礼衣装を開発したといいます。また、ウェディングドレスの普及にも貢献。1965年当時は、ウェディングドレスの着用率がわずか3%だったのが、2024年現在では、90%以上の花嫁が着用するようになったそうです。さらに、桂さんの活躍は国内だけにとどまらず、1981年で開かれた、アメリカでのショーを皮切りに、イタリアやフランスなど30か国以上で日本の技術を用いたコレクションを発表しています。ネット上では「桂さんのウェディングドレスを選んだばかりだったので、驚いています」「素敵なドレスを作っていただきありがとうございました」といった追悼の声が上がっていました。ブライダルデザイナーとして、花嫁の幸せの瞬間に寄り添い続けてきた桂さん。その功績は、数々の美しいドレスとともに、人々の記憶の中で輝き続けることでしょう。桂さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。94歳だった。これを受けアイドルユニット・Berryz工房の元メンバーでタレントの熊井友理奈(30)が30日、追悼コメントを自身の公式Xに投稿した。熊井は桂さんのショー出演時について「私のモデル人生のきっかけとなったYumi Katsuraのブライダルショー」とつづり「素敵なドレスを着用させていただき 初めてショーに出演した時の緊張と幸せな気持ちで溢れていたあの瞬間は一生の宝物です」と振り返った。最後は「桂由美先生 ご冥福をお祈りいたします」と結んでいる。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。
2024年04月30日タレントのモト冬樹が29日に自身のアメブロを更新。妻でミセスモデルの武東由美をいつも心配していた理由を明かした。この日、モトは「妻の健康の秘訣」というタイトルでブログを更新。武東について「俺と結婚する以前は何回も病気で入院していた」と明かし「だから身体が弱いという印象があっていつも妻のことが心配だった」と武東を心配していた理由を説明した。続けて「最近思うのは妻が健康でいられる秘訣ってきっと毎日を楽しく過ごすってことなんだね」と推測し、武東の写真を公開。ハッシュタグで「#入院」「#毎日を楽しく」「#病気」「#武東由美」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。ユミカツラインターナショナルが30日、公式インスタグラムで発表した。94歳だった。同社は投稿で「桂由美に感謝を込めてー」と題し、「株式会社ユミカツラインターナショナルは、1965年以来ユミカツラのクリエイティブディレクターを務めてきた桂由美(かつら・ゆみ/94歳)の逝去を発表します」と発表した。発表で同社は桂のこれまでの活動を振り返り「数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、“婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう」とコメント。手掛けた多くのドレスについて「多くの花嫁様を輝かせ、かつてない自信と感動を届け、新しいクリエイションを生み出し続けてきたことは忘れてはなりません」としのんだ。また同社の常務執行役員、鞍野貴幸氏は「桂由美氏は、誰よりも花嫁を美しくすることに寄り添い、日本のブライダル文化の発展を願い、そしてユミカツラを愛していました。そのあくなき挑戦を続けるマインドによって、誰も想像しなかった未来を切り拓き、数多の遺産を残してきました。1965年から今日までの60年間並々ならぬ情熱を捧げてこられた桂由美氏の意思を受け継ぎ、ユミカツラとして100年続く企業を目指します。」と言葉を寄せた。今後は、デザイナーで30年以上桂さんの右腕としてクリエイションをしてきた藤原綾子氏・森永幸徳氏・飯野恵子氏の3人が率いる「ユミカツラ」のクリエイティブチームが、「桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました」とし、「ユミカツラは、心より哀悼の意を表しますともに、ご冥福を心よりお祈りします」とつづった。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。(以下、発表全文)桂由美に感謝を込めてー株式会社ユミカツラインターナショナルは、1965年以来ユミカツラのクリエイティブディレクターを務めてきた桂由美(かつら・ゆみ/94歳)の逝去を発表します。並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。1981年にはNYショーのデビューを皮切りに、ローマやパリなど、30カ国以上へと活動の場を広げ、国内だけにとどまらず世界中の花嫁に影響を与えました。日々ドレスの制作や新素材の開発を続けながら日本の素晴らしい伝統技術を体感した桂由美は、ブライダルの枠組みを超え、日本の技術を用いたコレクションをパリコレはじめ海外で発表。日本の伝統美や技術を継承し発信していく試みは、世界的に評価されました。最後に、桂由美のウエディングドレスにかける強い思いと美への探究心――そこから生み出されるドレスたちは多くの花嫁様を輝かせ、かつてない自信と感動を届け、新しいクリエイションを生み出し続けてきたことは忘れてはなりません。同社の常務執行役員、鞍野貴幸氏は「桂由美氏は、誰よりも花嫁を美しくすることに寄り添い、日本のブライダル文化の発展を願い、そしてユミカツラを愛していました。そのあくなき挑戦を続けるマインドによって、誰も想像しなかった未来を切り拓き、数多の遺産を残してきました。1965年から今日までの60年間並々ならぬ情熱を捧げてこられた桂由美氏の意思を受け継ぎ、ユミカツラとして100年続く企業を目指します。」との言葉を寄せました。ユミカツラのデザイナーであり、30年以上桂由美の右腕として共にクリエイションをしてきた藤原綾子・森永幸徳・飯野恵子の3名が率いるユミカツラのクリエイティブチームが、桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました。ユミカツラは、心より哀悼の意を表しますともに、ご冥福を心よりお祈りします。
2024年04月30日ダンス&ボーカルグループ・THE RAMPAGEの川村壱馬(27)が27日、都内で行われた写真集『川村壱馬 1st写真集 Etoile』(小学館)の発売記念取材会に出席。今後の目標について語った。芸能活動開始から10年の節目に初の写真集を刊行した川村は「2014年5月8日に上京しました。もうすぐ10年が経ちますが、あっという間と言えば、あっという間」としみじみ。「ひとつひとつを振り返っていくと大変なこもありましたが、大変なことが気にならなくなるくらい恵まれているなと感じております」と感謝の思いを語った。川村は、グループのヴォーカルとして活動するほか、俳優としても活躍する。今後の目標を問われると「声優さんのお仕事もしたいなって」と即答。「好きなアニメがあったり、ゲームも家に2、300本あるくらい好き、漫画も好き」と目を輝かせ、「現実ではこんなんおらんやろってくらいめっちゃカッコいい役をやってみたいです。敵の大ボスや魔王みたいなキャラが濃いものもやってみたい」と願いを込めた。今作は、川村にとって2020年発売のフォトエッセイ『SINCERE』以来、約4年ぶりの書籍。初の写真集となり、フランス・パリと北部のノルマンディーで撮影した。タイトルにもある「Etoile」が意味する星、花形、スターをテーマに、川村が内包する“圧倒的なスター性”を全体にちりばめた作品となっている。パリに生まれ育った19世紀の象徴主義を代表する画家・ギュスターヴ=モローの美術館、フランス北部にある19世紀に建てられた古城を貸切り、大規模な撮影を敢行。両場所で、写真集の撮影許可がおりたのは、国内外合わせて今回が初めてとなる。
2024年04月27日ミセスモデルの武東由美が26日に自身のアメブロを更新。愛車の警告灯が点灯して約1か月が経過し不安な心境をつづった。この日、武東はゴルフのレッスンで「プロに『武東さんシャツのボタンあいています!』」と指摘されたことを報告。「急いでお着替え!気をつけなきゃ!」と自撮りショットとともにつづった。続けて更新した「心配になる車のマーク」と題したブログでは「このオレンジマークついてから1ケ月は過ぎる?」とエンジン警告灯が点灯した愛車のメーター周りの写真を公開。「車屋さんにすぐにみてもらい 部品をとりよせてもらっています」と明かし「クーラー部分らしいですが さすがに不安になる!」と心配そうにつづり、ブログを締めくくった。
2024年04月26日ミセスモデルの武東由美が11日に自身のアメブロを更新。見かけると購入しているスーパーマーケット『成城石井』の品を公開した。この日、武東は「10分休憩!」と切り出し「成城石井のマクロビクッキー」と『成城石井』の品を写真とともに紹介。「棚にない時もあるので見かけると買っています」とつづった。続けて、自身について「イチジクとアプリコットが入っているクッキーが好き」と明かしつつ「噛めば噛むほど味がある!みたいな」と説明し、ブログを締めくくった。
2024年04月13日ミセスモデルの武東由美が11日に自身のアメブロを更新。夫でタレントのモト冬樹に驚かれた服装を公開した。この日、武東は「雨風で落ち葉がすごい!」と切り出し、1時間半かけて玄関前などを掃除したことを報告し、掃除前と後のビフォーアフターを公開。「私はお家では休むことができません」と述べ「桜の花びらがひらひらひらひら 次から次へと...」とつづった。続けて「今更ながら夫が驚いたファッション」というタイトルでブログを更新し、自身の服装を見たモトが「えっ!誰かと思った!キャップで雰囲気変わるなぁ」と驚いていたことを説明。「今更???」と述べ、キャップを被った自身の全身ショットを公開し、ブログを締めくくった。
2024年04月12日無邪気に笑っている赤ちゃんがいると、周りの人まで笑顔になることがありますね。そんな天使のような笑顔が見たくて、赤ちゃんを見かけると思わずあやしてしまうという人もいるでしょう。赤ちゃんを見た馬が?ノルウェーで撮影された赤ちゃんの動画が話題になっています。母親らしき女性が撮影している動画に映っているのは、ベビーカーに乗った赤ちゃんと1頭の馬。目の前の赤ちゃんに興味しんしんの馬は、首を伸ばして顔を赤ちゃんに近付けますが、赤ちゃんは無反応です。そこで馬がとった驚きの行動とは…!こちらをご覧ください。舌をべローンと出して顔を前後左右にブンブンと振る馬。まるで「ベロベロバアー!」と、赤ちゃんを笑わせようとしているようです!撮影している女性も、たまらず吹き出してしまっていますね。動画を見た人たちからは、この馬に対する称賛の声が上がりました。・笑わせようとしてるのかな?馬って優しいですよね。・こんな面白い馬を初めて見た!・最高のベビーシッターだ。・この馬は素晴らしいパパになりそうだね。こんなに大きな馬が目の前まで近付いても赤ちゃんは泣いておらず、怖がっているようにも見えません。きっと赤ちゃんは、この馬が優しい動物だということを感じ取っているのでしょう。赤ちゃんを見るとあやしたくなるのは、人だけでなく馬も同じなのかもしれませんね![文・構成/grape編集部]
2024年04月08日ミセスモデルの武東由美が5日に自身のアメブロを更新。10年以上リピ買いしている会員制倉庫型スーパー『コストコ』の品を公開した。この日、武東は「10年以上リピ買いしているコストコ品」というタイトルでブログを更新。「今朝はゴミの日でした」と述べ「確か夕べは覚えていましが朝忘れていて慌てた」と明かしつつ「コストコのひもつきゴミ袋にささっと集めて」とまとめたゴミ袋の写真とともにつづった。続けて『コストコ』のゴミ袋について「結婚してスタイリストさんにもらってからずっとリピ買い」しているそうで「10年以上になります」とコメントし、ブログを締めくくった。
2024年04月05日ミセスモデルの武東由美が3月31日に自身のアメブロを更新。かなり満足感があるスーパーマーケット『成城石井』の品を紹介した。この日、武東は「満足感が高いなと思う成城石井品」というタイトルでブログを更新し「久々に見つけた」「バタークッキー ピスタチオ」と『成城石井』の品を写真とともに紹介。「味わい深いなと思います」とコメントし「1枚でかなりの満足感がある感じ」とつづった。その後に更新したブログでは「今日の晩ごはんはカレイのしぐれ煮(モト作)お豆腐 豚汁 ご飯でした」と述べ、食卓に並べられた料理の写真を公開。「お豆腐には魯山人」と湯浅醤油『魯山人醤油』を紹介し、ブログを締めくくった。
2024年04月01日ミセスモデルの武東由美が29日に自身のアメブロを更新。夫でタレントのモト冬樹に大好評だった夕食を公開した。この日、武東は「夫に大好評だった晩ごはん」というタイトルでブログを更新。「ロールキャベツ お豆腐 きんぴら サラダ 玉子のお吸い物 ご飯」と夕食のメニューを紹介し、完成した料理の写真を公開。ロールキャベツについて「パセリをかけすぎたかも」と述べつつ「モトちゃんに大好評でした」と明かした。続けて更新した「夫にリクエストしたお惣菜」と題したブログでは「今夜のきんぴらはモトちゃん作です」と報告。武東のリクエストで作ってもらったことを明かしつつ「美味しい!」と絶賛した。この投稿に読者からは「美味しそうですね」「野菜いっぱい」「煮込み料理いいですね」などのコメントが寄せられている。
2024年03月30日ミセスモデルの武東由美が29日に自身のアメブロを更新。夫でタレントのモト冬樹からも大好評だった品を公開した。この日、武東は「夫に大好評だったお土産」というタイトルでブログを更新し、和歌山中華そば『井出商店』の『和歌山ラーメン井出商店3食入』を購入したことを報告。「すごく人気があると聞いて買いました」と明かし「モトちゃんにも大好評!」とつづった。続けて「夫と納得しながら食べた高島屋購入大福」と題したブログでは「岡埜栄泉の大福をいただきました」と報告。「結構サイズは大きいです」と説明し「あんことのバランスがいいよね!とモトちゃんと話ながらいただきました」(原文ママ)と食事中の様子をつづった。また「栗まんじゅうとどちらにしようかな?と迷いました」と述べ「さすが!老舗だけあるなとモトちゃんと納得!」と大満足の様子でコメントし、ブログを締めくくった。
2024年03月29日タレントのモト冬樹が25日に自身のアメブロを更新。妻でミセスモデルの武東由美が高速道路で見舞われた危険なアクシデントについてつづった。同日のブログで、武東は「アクシデント発生」というタイトルでブログを更新し、高速道路で自身が乗っていた車のタイヤがパンクしたことを報告。その後、レッカー車で車を運んでもらったことを明かし「手早い対応でありがたい」とつづった。この日、モトは「妻達が乗ってた車がどうやら高速でパンクしたみたいだ」とパンクしたタイヤの写真を公開。「高速でパンクって危ないよなぁ」と述べ「レッカーが来て修理したみたいだけど」「ライルもポンムも元気そうで良かったけど」と愛犬を抱える武東の写真とともにつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「本当に大事にならずに良かったですね」「高速でパンクは、ビックリしますね」「事故なくてよかった」などのコメントが寄せられている。
2024年03月26日ミセスモデルの武東由美が18日に自身のアメブロを更新。高島屋でたくさん購入した品を公開した。この日、武東は「モーニングに間に合わなかったKALDI」というタイトルでブログを更新。カルディコーヒーファーム(キャメル珈琲)が運営するカフェ『カフェカルディーノ』を訪れ「厚切りトーストと黒糖ミルク珈琲をKALDIでいただきました」と堪能した品を公開した。続けて更新した「高島屋でカートいっぱいのお買い物」と題したブログでは「高島屋で食材のまとめ買いをしました」と購入した品を公開し「デパ地下って見ているとぜ~んぶ美味しそうに見えます」とコメント。「大好きなビーツがあったのでボルシチと甘酢漬けかな?」と述べつつ「気がつくとカートいっぱいになってる」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月18日タレントのモト冬樹が13日に自身のアメブロを更新。妻でミセスモデルの武東由美がスーパーマーケット『成城石井』で購入した品を公開した。この日、モトは「そのままのネーミング」というタイトルでブログを更新し「妻が成城石井で買ってきた2種ブドウが7つ入った杏仁豆腐」と武東が『成城石井』で購入した品を写真で紹介した。続けて「すごいよね そのまんまがネーミングになってる」と驚いた様子で述べ「これは間違いなく美味しい!」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月14日ミセスモデルの武東由美が11日に自身のアメブロを更新。病院で診察を受けて医師から言われたことを明かした。この日、武東は「午後からの診察をうけるために病院へきました」と病院を受診したことを報告し「駐車場1台あいていました」と車内での自撮りショットを公開。「親指がカクンカクンとなるのは朝起きた時です」と症状について説明し「ドキドキする」と心境をつづった。続けて更新したブログでは「整形外科へ行って来ました」と述べ「初期のバネ指でした」と診察結果を報告。「早く受診したので注射をしていただきこれで終了となりました」と説明し「いつも早い段階に来てよかったと言われています」と医師から言われたことを明かし、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「早く診てもらって良かったですね」「お大事に」「注射痛そう」などのコメントが寄せられている。
2024年03月12日