~「わからない」ことを避けがちな現代を生きる全ての人に贈る「養老流」ものの見方、考え方~養老孟司さんの最新刊『ものがわかるということ』が祥伝社より2月1日に発売されます。担当編集者の「ものがわかるとは、理解するとはどのような状態のことを指すのでしょうか」という問いに対して養老先生が「じゃあ説明してみましょうか」といった対話から生まれた、約1年ぶりの単著となります。養老先生は子供の頃から「考えること」について意識的で、一つのことについてずっと考える癖があったことで、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたそうです。考えても答えは出ません。それでも考え続けることが「学び」につながると養老先生は言います。本書は、情報化社会、少子化、SNS誹謗中傷、承認欲求、都市への一極集中、ワーケーションのすすめ・・・など現代社会の様々な事象について、養老先生が解説。そして、本当に「わかる」とすれば「共鳴」しかない、という養老先生がたどり着いた 「ものがわかるということ」についての解釈が示されています。ベストセラーとなった『バカの壁』(新潮社)から20年。あの頃にはなかったスマホやメタバースといったものが進化なのか、壁は高くなったのか低くなったのか・・・ふとした迷いや悩みに行き当たった時、先を考えて不安になった時に触れたい「養老節」が詰まっています。【目次】まえがき第一章ものがわかるということ第二章「自分がわかる」のウソ第一章 世間や他人とどうつき合うか第二章 常識やデータを疑ってみる第三章 自然の中で育つ、自然と共鳴するあとがき-生きていることに意味を求めない~養老先生が思う「人生」《人生の意味なんか「わからない」ほうがいいので、わからないと気がすまないというのは、気がすまないだけのことで、それなら気を散らせばいい。私は気を散らすために、虫捕りをはじめとして、いろいろなことをする。今日も日向ぼっこをしていたら、虫が一匹、飛んできた。寒い日だったから、なんとも嬉しかった。今日も元気だ、虫がいた。それが生きているということで、それ以上なにが必要だというのか》-85歳の今、夢中になっているのは「ゾウムシ」《そんなこと調べて、どうするんだ。子どものときからそう言われ続けてます。もう慣れました。どうぞご心配なく。》「あとがき」より-情報や記号で埋め尽くされた社会《なぜ情報化社会と言うんでしょうか。ほとんどの人はこう考えます。コンピュータが普及して、テレビやパソコンのない家はなくなって、誰でもスマホやケータイを持っていて、毎日おびただしい情報が流れるからと。私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。》-少子化・都市化《都会には人間の作ったものしかありません。人間の作ったものには設計図があります。子どもは違います。うちの子がなんだか変だと言っても、設計図がもともとないので、どこがおかしいのか、はっきりとわかるものではありません。その意味で、子どもは不合理な存在です。都会には不合理な存在を相手にしたくない人が大勢います。子どもをもう産みたくない。子どもを持ってもしょうがない。それが少子化です。空き地の樹木を育てるより、もっと確実に儲かる話があるんじゃないか。こうやったら立派な木に育つんじゃないかというふうなことについては、考えたくない。そのくらいなら、きちんと計算できて結果が出ることをやりたい。学校秀才の世界です。地方でも学校秀才が増えれば、自然がなくなり、子どももいなくなります。ですから、少子化と地方の過疎化は同じ現象です。現に都市には人が大勢います。日本中が都市化した結果です。》-SNSは純粋脳化社会《実際にスマホやパソコンの前には生身の身体があります。気に入らない文章を読めばイライラする。怒鳴りたくなる。感覚がなくなったわけではない。でも、その感覚を察知してくれる相手の身体や感覚がないわけです。身体や感覚のイライラをまた概念でなんとかしようとするから、言葉はどんどんエスカレートしていきます。SNSで過激な言葉で他人を非難して、それなりのリアクションが返ってきたりすると、その瞬間は気持ちがスカッとするでしょう。しかし、ほんの一瞬のことです。その人自身の問題が解決されたわけではなく、単に先送りされただけです。SNSを離れれば、前と変わらない日常が待っています。すると、またスカッとしたくなりSNSに戻ってくる。自分の言葉に対するフィードバックが心地よいことを覚えると習慣になり、過激さはエスカレートしていきます。こうしてSNSは始終ギスギスし、あちこちで炎上が起こるのです。》【書誌情報】・書名:ものがわかるということ・著者:養老孟司・定価:1,760円(税込)・仕様:四六判ソフトカバー・発売:2023年2月1日・ISBN:978-4-396-61763-9・発行:株式会社祥伝社撮影/津田聡【著者プロフィール】養老 孟司(ようろう たけし)1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。1962年、東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年、東京大学医学部教授退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。一般社団法人メタバース推進協議会代表理事。1989年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞受賞。2003年、毎日出版文化特別賞を受賞した『バカの壁』(新潮新書)は450万部を超えるベストセラーに。大の虫好きとして知られ、現在も昆虫採集・標本作成を続けている。s-book.net Library Service : Bevor Sie zu YouTube weitergehen : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年02月01日「今をときめく作曲家・藤倉大の生み出す音楽はなんでこんなに面白いのだろう」という素朴な疑問への答えが、新刊『どうしてこうなっちゃったか(藤倉大著:幻冬舎刊)』の中にある。なにしろ綴られた文章が破格の面白さなのだ。ジャーナリズムの世界において、「普段面白い話ができない奴に、面白いインタビューなんかできるわけがない」という説があるのだが、この“インタビュー”の部分を“音楽”に置き換えてみれば納得だ。そう藤倉大の話はもとより、その人間性が掛け値なしに面白い。だからこそ彼が手掛ける音楽作品の数々は面白いのだろう。過去を振り返ってみれば、日本を代表する作曲家の先達である武満徹(1930-96)の文章も、藤倉大とはテイストの違いこそあれ最高に面白かったことを思い出す。そのまた先輩に当たる團伊玖磨(1924-2001)においては、作曲家と分筆家の見事な2刀流であったことにも合点がゆく。この2人の大作曲家たちが、人間的な魅力に溢れていたことは語り草だ。だからこそ彼らの音楽が面白かったと考えてみるのも楽しい限り。この素敵な系譜に藤倉大という超新星が加わったことを喜びたい。藤倉大の次なる展開やいかに。それを期待させるだけの面白さがここにある。(田中泰:音楽ジャーナリスト)
2022年01月27日