元女子の井上健人さんが元女子のMAKIさんをゲストに迎えたコラボYouTubeから、MAKIさんファミリーの妊活や子育てを紹介します。元女子のMAKIさんは女性と結婚し、1児のパパとなりました。「血の繋がっていない子の親になれるのか」元女子パパが抱く葛藤とは?ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 元女子の健斗さんは女性のパートナーと、彼女の連れ子を育てている1児のパパ。 動画では、FtM(Female to Male/性自認が男性のトランスジェンダー)の健斗さん(画像左)が、同じくFtMで、最近子どもが生まれた元女子パパのMAKIさん(画像右)に、妊活や出産について質問。その様子を対談形式でご紹介します。 元女子パパ・子どもを授かりました! 健斗:MAKIがゲストで来てくれました。簡単な自己紹介をお願いします。 MAKI:MAKIです。1989年生まれ。24歳で性別適合手術・戸籍を男性に変更。家族の反対がありましたが、27歳で女性のパートナーと結婚、32歳でパパとなりました。健斗さんと出会ったのが22〜23歳くらいなので、10年くらい経ちましたね。 健斗:早いよね〜今回は、おめでたいことがあったので紹介させてください。 健斗:MAKIが、子どもを授かりました。コロナ禍での出産は、リモートでの立ち会い? どうだった? MAKI:奥さんのスマホとLINEビデオを繋いで、リモート出産でした。無痛分娩で、最後は吸引。33〜34時間かかりました。吸引時に、カメラがOFFにされてしまったので、生まれた瞬間は見られなかったです。 健斗:長かったね! 奥さんお疲れ様でした。今回の妊娠は、シリンジ法だよね?※「シリンジ法」とは:採取した精液を、シリンジ(針のない注射)を使って自分で腟に注入する方法 MAKI:はい。精子は第三者に提供してもらいました。 血の繋がっている子どもの親になれるのか…不安に 健斗:男性になるための治療を始めたばかりの時なんて、まさか自分が結婚して子どもが生まれるなんてイメージがつかなかったでしょ? MAKI:はい。子どもが生まれる前は「血の繋がっていない子の親になれるのかな……」と不安でした。 でも、今回の出産が難産で、子どもが一度NICUに入ったんです。ドクターに「子どもの状況があまり良くない」と言われた瞬間に、自分の血の気が引いていくのがわかったんです。そんな自分に気づいた瞬間に、「あっ、俺もうパパだ」と実感できました。 健斗:本能で心配したってことだよね。もう愛が溢れているね! 義父母説得に4年…妊活に対する周囲の反応は厳しかったけれど動画はここまでですが、MAKIさんに妊活に対する周囲の反応を教えてもらいました。 MAKI:最初は『そこまでして子を持つ必要はない』・『生まれてくる子がかわいそう』という理由で、妻のご両親の理解を得られませんでした。そもそも『子どもを作らないこと』が結婚の条件でした(笑)。もちろん夫婦2人での生活も幸せですが、子どもがいる家庭を築くことを夢に思い描いていました。でも、ご両親の気持ちもわかる部分もある。だからこそ、ご両親に理解してもらうのに4年間という時間をかけて、じっくり話し合いを進めていきました。そして妊活を開始しました。妊娠がわかった時は喜びしかなかったです。ですが、自分とだけ血縁関係がないので、正直不安はゼロではありませんでした。でも今ではもう血縁関係なんて気にならないくらい親子・家族として幸せに生活しています!僕たちのような形で家庭を築くことに賛否両論あるとは思います。でも、僕たち夫婦は誰よりもわが子を愛しています! いま悩んでいるトランスジェンダーの方たちに『トランスジェンダーだから結婚や子どもを持つことを諦めなければいけない』と思って欲しくない……僕たちの人生を伝えることで、皆さんの選択肢が増えるきっかけになってくれれば良いなと思います。 健斗さん、MAKIさんありがとうございました! MAKIさんの子どもへの愛情がとても伝わってきましたね。FtMパパといっても、健斗さんのようにパートナーの連れ子のパパになったケースや、MAKIさんのように精子提供等で妊活して授かるケースなど、いろいろな形があります。情報を必要としている人に、少しでも届きますように。 元女子・健斗さんが運営する「ジーピットチャンネル」では、さまざまなLGBTに関する動画が投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。 著者:ライター 廣瀬尚子
2023年04月25日娘がまだおなかの中にいたときは、快適に過ごしているだろうか、窮屈じゃないだろうかと気がかりだったことを覚えています。そこで、おしゃべりがじょうずになった娘に「おなかの中にいたときはどうだった?」と聞いてみることに。その答えがとっても不思議だったんです。お風呂に入りたかった?保育園に通い、おしゃべりがじょうずになったころ、「ママのおなかの中はどうだった?」と娘に聞いてみました。すると、ニコニコしながら絵を描き始めた娘。 底が丸い池のような絵の上に、顔のついた人のような絵を描いて、娘は「熱ーいお風呂があった。入りたくて、ここからジャボーンって飛び込んだ。やけどしちゃった」と言っていました。 娘いわく、そのお風呂のお湯はとにかくたくさんあったそうです。たしかに私は、妊娠糖尿病で軽度の「羊水過多」だったんです。 ピンク色だった?娘が楽しそうに絵を描きながら、おしゃべりを続けるので、そのまま聞いていることにしました。そのときにピンクのクレヨンを選んで絵を描いていたので、「ピンクだったの?」と聞くと、「そう!」とのこと。おなかの中はピンクだったようです。 続けて「温かいからずっとプカプカしていたの」と言っている娘の姿を見て安心しました。どうやら私のおなかの中は快適だったようです。その姿を見た私は幸せな気持ちでいっぱいになり、娘を抱きしめました。 弟ができることを知っていた?さらに娘は「もう1人、お風呂に入りたいって待っている子がいるんだよ」と言いながら、せっかく描いた絵の上に黒いボールペンで「はなまる」を上書きしました。これは保育園の先生のまねっこです。「話がそれて、空想の話になっちゃったかしら?」と思いながら、当時は娘が描いた絵を記念として写真におさめました。 この少しあとに私は2人目を妊娠。「もしかして、あのとき娘が言っていた“もう1人”ってこの子のことなのかも」と、さらに不思議な気持ちになったのでした。 個人的に、女の子のほうが言葉が早い子が多く、胎内記憶についても話を聞きやすいと感じています。胎内記憶について聞いてみたい!という方は、何度もしつこくは聞かずに、リラックスしているときに聞いてみると思い出しやすいそうですよ。 イラスト/imasaku著者:斉藤あや大人しく内気な娘と楽天的で活発な息子、男女二児の母。ママ・パパに役立つ情報をお届けすべく、これまでの育児経験を生かして、育児の工夫やお役立ちグッズなどの情報を発信中。
2023年04月06日私には、現在13歳の娘と3歳の息子がいます。年の差、10歳。10年間ママである私をずっと独り占めしてきた娘の赤ちゃん返り。弟の誕生で娘にどのような変化があったのか。妊娠中から、産後の様子までを詳しくお話しします。娘に妊娠を伝えたときの反応は?わが家はステップファミリーで、娘が8歳のときに今の夫と再婚しました。そして、娘が9歳のときに息子を妊娠。娘に妊娠を伝えると「私、サンタさんに弟が欲しいってお願いしてたの……本当にきてくれたんだ!」と大喜び。 ですが、それと同時に「やっぱりお姉ちゃんになりたくない。ママを取られたくない」と急に泣き出すようになったりと、少し情緒不安定になってしまい、「赤ちゃんが生まれても◯◯のこと大好きなのは変わりないよ」と、抱きしめながら娘に伝えていました。 いざ息子が誕生! 娘の様子は…そして息子が誕生し、娘も積極的に抱っこしたりと息子をとてもかわいがっていました。それでも、約10年間ママを独り占めしていた娘にとって、突然のライバルの誕生にとても複雑な気持ちだったと思います。「◯◯(息子)が泣いても抱っこしないで」と言ったり、ごはんを食べさせてほしいと甘えたりすることもありました。 その都度、娘の気持ちを受け止め、息子が泣いていても娘を優先して対応するようにし、1日に何度も娘を抱っこして「ママは○○(娘)のことが大好き」「ママは○○(娘)のこと愛してるよ」「○○(娘)は、今まで通りママにたくさん甘えていいんだよ。お姉ちゃんだからって無理しなくていいの。○○(娘)は○○なんだから」と伝えました。 月に一度は3人で「映画デー」小学4年生の子どもと赤ちゃんでは、もちろん赤ちゃんのほうが手がかかるので、娘がママやパパを独り占めできる時間を積極的に作るようにしました。夫が休みの日には私と娘で買い物に行ったり、カフェに行ったりしてじっくり娘と関わるようにしたのです。 その他にも、月に一度「映画デー」という日を設定し、夜に息子を寝かせたあとに私と夫、娘の3人でレンタルしてきたDVDを観て、映画館ごっこをする日を作りました。日によってはお菓子やジュースを買い、飲んだり食べたりしながら3人だけの時間を楽しみます。この「映画デー」は、頻度は2~3カ月に一度と頻度は少なくなりましたが、息子が生まれてから3年半経った今でも続いています。 娘の赤ちゃん返りは、安定したりまた不安定になったりしながら1年近くは続きました。正直、いつ終わるかわからない娘の赤ちゃん返りと息子の育児でヘトヘトになりましたが、大変な時期にこそ娘とじっくり向き合う時間を作ることで、今も良い関係を続けていけているのかな、と思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな13歳女の子と3歳男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2023年04月05日YouTube「【12人産んだ】助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師のHISAKOさんのチャンネルです。登録者数は35万人で、ママ達の間でも話題になっています。今回は、お産についてHISAKOさんが話してくれている動画をご紹介! 叫ぶお産と静かなお産……一体どちらが良いお産なの!?初産と経産婦さんでお産って違う?今回はご自身も12人の出産を経験し、さらに助産師としても数々のお産に立ち会ったHISAKOさんがお産について教えてくれています。 HISAKOさん曰く、初産の方と経産婦さんでは出産にかかるまでの時間がかなり違うそう。傾向として初産の方はじわじわと時間をかけながら子宮口が広がっていき、子宮口が6〜7cmに広がるまでに15時間程かかるのが一般的だそう。 それに比べ、経産婦さんは初産の方に比べると子宮口が6〜7cmに広がるまでの時間が早いのが特徴です。 初産の方はお産の際に叫ぶ方が多め。それってなぜなの? ちょうど子宮口が7〜8cmほどに広がっている頃は、陣痛の時間は長いけど、まだ辛さがMAXまではいかない状態。 この時間帯が長い初産の妊婦さんは、「もう無理〜!」など大声で叫んでお産に励んでいる方が多いのだとか! 経産婦さんは静かなお産が多め。自分で痛みのコントロールをするママも逆に、子宮口が6cm〜7cmまで広がるのが早い経産婦さんは、痛いけどまだ我慢できる…という時間が短く、いきなり痛さがMAXの状態になる人が多いよう。すぐにお産につながるため、割と静かに冷静なお産をされる方が多いようです。低い声を出しながら体を動かして痛みのコントロールをするなど、今までの出産経験を元に自分なりのリラックス方法を持っているというママもたくさん! お産の時に叫んでいるママが多いのには、しっかりと根拠や陣痛のメカニズムが関係しているんですね!初産の方と経産婦さんでのお産に違いがあることもHISAKOさんの話を伺い納得です。 陣痛の際に面白いことを叫ばれているママも多いようですよ♪ HISAKOさんが実際に出産に立ち会った方々のおもしろエピソードは、動画でチェックしてみてくださいね。 「叫ぶお産」は決してダメなんかじゃない 声を出したり騒ぎ立てるお産が間違っていてダメ!なんてことは決してないんです。 「お産でこんなに叫んでしまったからダメ人間だ…」、「私が弱いから声を出してしまうのね…」などと、お産の際に叫び声をあげてしまうことや、パニックになって騒ぐお産をマイナスに捉えなくても大丈夫!とHISAKOさんは話してくれています。 これは、HISAKOさん自身も多くの出産を経験したり、助産師として多くの出産に立ち会って実体験で感じたことなんだとか。 静かに産むことが良いお産だと思っているママもたくさんいますが、お産の時に叫んでも全然大丈夫!ママの叫び方や声、表情のちょっとした変化は助産師にとってもお産の兆候を知る大切なバロメーターになっているんですよ。 また、叫んでいるからといって、冷静なお産ができていないかというとそんなことは決してないそう。叫ぶことがリラックスに繋がるという方も結構多く、出産の時の話をじっくり聞いてみたら、叫びながらも頭は冷静!リラックスしてお産に挑めているじゃない!というパターンはよくあるそうです。ママはみんなしっかりと出産に向き合って挑めているんですね。 ちなみに、HISAKOさんは4人目のお子さんの出産の際には「歌うお産」を行ったそうです。そのエピソードも動画内でお話されています♪ 命懸けのお産。ママが一番リラックスできる方法でお産は赤ちゃんにとってもママにとっても命懸けです。 叫んでもいいし、動きながらのお産をしても大丈夫!叫びすぎてしまったからといって助産師の皆さんは迷惑に思うことはないそう。 本能のままに、リラックスできて冷静なお産であれば、叫び倒すお産も静かなお産もどちらも良いお産ということなんですね。 動画では、HISAKOさんの助産師になりたての頃に立ち会ったお産のエピソードや、HISAKOさん自身の出産の話もされています。 これから出産を控えていてお産が不安…という方はぜひご覧になってみてくださいね。 画像提供・協力/助産師HISAKO
2023年02月07日現在6歳の長男が2歳半のころに2人目の妊娠が判明しました。2人目はもう少しあとでも良いと思っていた私は心の準備ができていませんでした。妊娠中は自分が思うように動けず、長男にキツく当たってしまうことが増えてしまいました。長男は怒られてもケロッとしているため、長男の気持ちをあまり考えていなかった私。しかし、出産を終えて退院したとき、ようやく長男の気持ちに気がつきました……。思うように育児ができず苛立つ毎日妊娠4カ月ごろからつわりが始まりました。1日中体調が悪く、寝込んでしまう日が多くありました。長男はまだ未就園児で毎日家にいたため、2人きりで過ごすときはテレビを見せ続けてしまうことも。 長男に「遊んで」と言われても相手をしてあげられない私。これではいけないとわかっているのにどうすることもできない状況に、イライラしてしまいました。そしてその苛立ちが長男に向かってしまうことも……。妊娠前には感じることのなかったイライラや気分の落ち込みに自分自身でも戸惑ってしまいました。 妊娠と長男のイヤイヤ期が重なって……当時長男はイヤイヤ期真っ最中。抱っこをせがまれることが多かったのですが、「おなかに赤ちゃんがいるからできないよ!」と強く言ってしまうことがありました。また、おなかめがけて飛びついてくる長男を叱ることもありました。私は申し訳ない気持ちがありながらも、自分に余裕がなかったのでやさしく伝えることができなかったのです。 長男は泣いたりいじけたりすることなく、怒られてもケロっとしていたので、私は長男の気持ちを考えずに強く言ってしまうことが増えていきました。 2人目を出産。退院後、長男の元へ向かうと出産による入院中の7日間、長男は夫や私の両親と過ごすことに。長男はママに会いたいと泣くことはほとんどなかったようで、面会で私に会いにきた帰り際もニコニコしていました。出産を終えた私は退院してすぐに実家で待っていた長男の元へ向かいました。そして、遊んでいた長男に「ただいま、よく頑張ったね」と伝えました。 すると、長男は急に泣き出してしまったのです。それを見て私も思わず長男を抱きしめて泣いてしまいました。そしてこのとき初めて私は、長男にたくさんの我慢やつらい思いをさせてしまっていたことに気づいたのでした。 妊娠中や入院の間、長男が不満を言ったり泣いたりすることがほとんどなかったので、私は勝手に長男はつらくないんだと思い込んでしまっていたのです。でも退院後の長男の涙を見て、ずっとつらい思いを我慢していたことに気づき、深く反省しました。おしゃべりができても自分の思いを言葉にするのは子どもにとって難しいことだと思います。しっかりと親が汲み取って理解してあげなくてはいけないなと思いました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:水沢 雫6歳男の子と3歳女の子の2児の母で、夜勤ありの夫と4人暮らし。アパレル販売員の経験があり、ファッションやショッピングが趣味。
2023年01月20日私が元夫と離婚したのはDVが原因です。妊娠中にも繰り返される暴力、ひどいときは首を絞められて気を失ったこともありました。離婚を選択する度胸も生活力もなく、精神的にも元夫に依存していた状態だったので、「私は一生、この人と暴力と一緒に生きていくんだ」と思っていました。ですが、娘が生まれて心境が一変! ここでは、妊娠から離婚を決意するまでの私の体験をお話しします。DV彼氏との間に子どもを授かり、結婚当時19歳だった私は、同棲中の彼氏(元夫)との間に子どもを授かりました。子どもを授かる前から殴る蹴るなどの暴力や、包丁を持ち出しての脅し、携帯電話や眼鏡を壊されるということがあったので結婚に不安はありました。 しかし、陽性の妊娠検査薬を見てうれし泣きしている彼氏を見て、子どもを授かった喜びのほうが勝ってしまったのです。そして、その姿を見て「子どももできたし、結婚もするし、暴力も終わるだろう」そんな期待を持っていました。 結婚しても出産してもなくならない暴力ですが、やはり元夫は簡単には変わりませんでした。妊娠初期のころはまったくなくなっていた暴力も、徐々に手を上げられるようになったのです。でも「子どもにとって父親がいないのはかわいそう。子どもが生まれたら暴力も終わるだろう」⋯⋯そう考えて離婚は選択肢にも上がっていませんでした。 毎日元夫の顔色をうかがい、私はこの人がいなくなったらだめになる、元夫も私がいなくなったらだめになる、そう思い込んでいました。そして子どもが生まれましたが、やっぱり暴力はなくならなかったのです。 こんな父親、子どもにとって必要?私はだんだんと、「子どもが大きくなって、パパがママを殴っている姿を見るのは悪影響じゃないか」「子どもにまで手を上げるようになったらどうしよう」と考えるようになりました。そのうち、「暴力を振るう父親はいらないんじゃないか」という結論に至ったのです。 そのとき、子どもは生後2カ月。離婚するなら子どもの記憶に残る前がいいと思いました。離婚までの計画を練り、元夫をなんとか言葉巧みに説得し、2週間後には離婚届を出しました。 離婚後の心境とその後の生活離婚してすぐは「やっと解放された!」という気持ちより、この先、子どもをひとりでちゃんと育て上げられるのか、子どもが片親ということで寂しさを感じるかもしれない……という不安のほうが大きかったです。 ですが、元夫の顔色をうかがう必要がなくなり、私自身よく笑うようになりました。子どもも元気にすくすく育ち、現在は中学生です。私を気づかっての言葉かもしれませんが、「ママがいっつもいてくれるから別に寂しくない」と言ってくれたりもします。 子どもが生まれたことでやっと目が覚め、DV夫と離婚することができました。今は毎日娘と笑顔で過ごすことができていますが、離婚前や離婚したばかりのころはこんなに明るい未来は想像できませんでした。こうして、娘との穏やかな毎日を過ごすことができ、あのときの私の選択は間違っていなかったと胸を張って言うことができます。 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな12歳女の子と2歳男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2023年01月20日私たち夫婦はお互いに離婚歴があり、お互いに息子がいますが同居はしていません。そんな事情もあり、子どもはつくらず2人の生活を楽しんでいこうということで再婚しました。しかし、入籍して半年くらい経ってから、夫からのあるひと言で妊活を決めたのです。夫との出会いから結婚まで私は2回の結婚経験があり、どちらも失敗に終わりました。しかし、現在の夫と職場で知り合い、この人となら今度こそ幸せになれるかなと思い、同棲を始めたのです。 毎日が楽しく、作ったごはんも喜んで食べてくれて30代後半で普通のカップルがするような素敵なデートもいっぱい体験させてくれました。そして結婚を機にマイホームを購入し、新婚生活を数カ月送っていたときに、夫に言われたのです。 うれしい言葉に悩んだ末、決断何気なくテレビを観ているときに、夫から「おまえとの子どもが欲しいな」と言われたのです。私は「本気で言ってるの?」と聞いたら、夫は「おまえとの子どもがいたら、今とは違う幸せがあるのかなーって思ったんだ」と言われ、うれしくて涙が出たのを今でも覚えています。 言われたことはとてもうれしかったのですが、やはり悩みました。38歳での出産で私は「大丈夫かな? 育てられるかな?」と不安しかなかったのです。私たち夫婦には両親がいないので頼れるところがないということが、私にとっては大きな悩みでした。しかし、やっぱり夫の子どもを産みたいと思い妊活を始めたのです。 妊活を開始後、半年で妊娠妊活を始めて半年、妊娠検査薬を試してみると見事に陽性でした。すぐに夫に妊娠検査薬の写真を添付してLINEで報告すると、「やったね! おめでとう!」という返事がきて本当にうれしかったです。 妊娠が確定し、35歳以上の出産はリスクが高いのも不安の要素で、元々体格がよかったので太り過ぎにもかなり注意していました。 無事に出産して3年出産予定日を過ぎてもなかなか生まれず、結局、妊娠41週2日に緊急帝王切開で娘を出産しました。娘は3歳になりイヤイヤ期真っ最中ですが、とても元気いっぱいです。 娘の笑顔を見ると、本当にあのとき不安を乗り越えて妊活してよかったと心から思います。これから先、親子でたくさんお出かけするのが今の私の楽しみです。 20年ぶりの出産で体力的にも精神的にも不安いっぱいの妊活でしたが、夫のうれしいひと言で前向きになり、頑張って子育てしていこうと思いました。私たちは親もなく、頼れる場所がないことがどれほど大変かを知っているので、妊活にはかなりの勇気が必要でした。何度も何度も夫と話し合った結果、私たちの子どもを身ごもることができ、幸せを実感しています。 監修/助産師 松田玲子著者:のろ ゆうこ結婚3回目にして幸せを手に入れた北海道出身ライター。23年前に息子を出産し、20年ぶりの出産を経て現在は3歳の女の子をワンオペで育てています。美味しいものを食べ歩くことが大好きなアラフォーです。
2023年01月08日2歳と生後5カ月の子どもを育てている私。2人とも完全母乳で同じように育てており、長男のときは産後9カ月ごろに生理が再開しました。今回も「生理が再開するのはまだだな」と余裕を持っていたところ、体に異変が……。その2週間後にまさかの生理が! あまりの体の変化に驚いた生理再開の体験談です。1人目のときは産後9カ月で再開長男のときはなかなか生理が再開せず、2人目を希望していた私は「いつ生理が再開するんだろう」と心配していたほど。長男は生後10カ月で断乳をするまで夜間におっぱいを欲しがり、私自身いつも不眠で相当疲れていたと思います。 生後7カ月でようやく夜間に1回の授乳で済むようになり、少し気持ちに余裕が出てきた産後9カ月ごろに生理が再開しました。「産後、生理が再開するまでとても時間がかかるんだな」と思ったことを覚えています。 2人目の産後は予想外の早さ!?長男のときの経験から、「生理なんてまだまだ関係ない」と余裕を持っていた私。ある日、次男の授乳中に両乳首の鈍痛に気づいたのです。私は「乳腺炎かな?」と少し不安になっていたころ、右下腹部痛も感じたのです。 「あれ? 排卵してる? まさか……完全母乳でこんなに早く生理が再開するはずない」と思い、知らないうちに症状が消えていたので、そのまま忘れていました。しかし、その2週間後にトイレで生理に気づきビックリ! あの症状はやはり排卵だったのかもと驚きました。 完全母乳でも生理はくる振り返ってみると、次男は生後3カ月ころには朝までぐっすり眠ることも多く、夜間授乳はほとんどしていませんでした。また、私自身一度育児を経験しているので、心身のストレスも少なかったと思います。 生理が産後4カ月で再開したことを、助産師の姉に相談してみました。姉は「産後の生理再開は個人差がすごくあるから早くても問題ないよ。ただ、もう妊娠できるから避妊はしないとね」と返答が。私は「もう妊娠する可能性があるんだ。注意しなきゃ」と改めて感じたのです。 妊娠中も長男と次男の妊娠経過や体の症状がまったく異なるように、同じように育てていても産後の体の回復も違うことを改めて学びました。私の場合は、完全母乳でも産後4カ月で生理が再開し、体が妊娠前の状態に着実に戻っていることがわかりうれしかったです。しかし、あまりの体の回復の早さに驚き、今度は妊娠しないように注意しなければ……と思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2023年01月07日私には現在7歳と4歳の息子がいます。もともと2歳差で子どもを産みたかったのですが、息子は抱っこが大好き。私は常に息子を抱っこしていたため、ここで妊娠するとおなかにも負担がかかるのでは、と考えました。息子の気持ちを尊重し、2歳差での妊娠を断念したのです。2人目が欲しくて焦る私と抱っこをせがむ息子現在7歳の息子が、まだ1歳になったばかりのころ。2歳差で2人目が欲しいと考えていた私は、そろそろ妊活を始めなければと思っていました。ですが、長男はとにかく抱っこが大好き。生後9カ月で歩けるようになったので、1歳を迎えるころには小走りができるぐらいにまで成長していました。 それでもお散歩も抱っこ、寝かしつけも抱っこ、家の中で過ごしているときもすぐに抱っこをしてほしがるほど。しかもパパではだめ、ママでないと泣くという状況だったのです。 私はパパの抱っこも嫌がらないようになってもらおうと、夫に相談しました。夫も息子に泣かれるのはつらかったようで、息子の機嫌がいいときに何度も抱っこにチャレンジ。しかし状況は変わらず、私以外の抱っこは嫌がっている状態でした。 悩んだ結果2人目は…長男が抱っこ大好きだからといって、2人目を妊娠できないわけではありません。しかしすでに2人目を妊娠している友人から、「1人目を頻繁に抱っこしていたら、おなかがよく張るようになった」という話を聞いていました。 それならやはり2人目の妊活はもう少し待ったほうがいいのではないかと考え、今まで通り長男の気持ちを尊重し、存分に抱っこしてあげるようにしていました。 後悔はしていない!長男が2歳半になったころ、突然抱っこを要求することが少なくなってきました。何かきっかけがあったわけではないので理由はわかりませんが、2人目にチャレンジするなら今がベストタイミングだと考えた私は、夫にも相談することに。 すると夫も私と同じ考えだったようで、「今ならそこまで〇〇(息子の名前)に我慢させることもないんじゃないかな?」と言ってくれ、妊活にチャレンジすることになりました。 その後、長男が3歳になってすぐ2人目を妊娠。結果的に4歳差になってしまいましたが、私は長男の気持ちを尊重したことに後悔はしていません。あんなに抱っこを求めてもらえるのは子どもが小さいうちだけだと思うので、無理に2人目にチャレンジせず、ゆったりとした気持ちで長男に向き合うことができて、本当によかったと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2023年01月02日2020年1月からの2年間、松山家のみなさんはカナダのバンクーバー島にて、旅をしながらトレーラー生活をしていました。夫のまささん、妻のみほさん、5歳の長男ゼンくん、2歳の次男セージくんの4人暮らし。限られたスペースであるトレーラーハウスでの生活っていったい……!? ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 家族で旅をする理由東京で営業のお仕事をされていたまささん。みほさんとは東京で出会い結婚しました。当時2人はそれぞれ仕事をしていて、それなりに余裕のある暮らしだったそうです。しかし、休みなく働くことに疑問を感じ、会社を辞めて、夫婦でワーキングホリデービザを取得。2012年に夢だったカナダへ出発しました。当初は1年後に帰国する予定でしたが、カナダ生活がすっかり気に入った2人。ワークビザを取得できる職場を探し、カナダ生活を継続したのだそうです。 そして、10年間カナダで暮らしている間に2人の子どもに恵まれ、家族4人で2年間トレーラー生活をしていました。トレーラーハウスとは、住宅の設備を備えた車のこと。カナダではトレーラハウスを購入し、主にキャンプ場で暮らしていたそうです。 「旅はすごく刺激を受け、自分自身の成長にも繋がります。旅=人生です」と話すまささん。カナダへと旅に出たのは、自分で選択しないまま人生が進んでいっているように感じたことがきっかけだったと言います。 現在は日本に帰ってきて、お世話になった方々やフォロワーさんなどたくさんの人に出会いながら、北海道から沖縄まで自走式キャンピングカーで日本全国を巡っています。 まささんの旅のコンセプトは『人に出会う』『人とつながる』。生きる上で大切なことは「自分で考え、自分で決定し、自分で道を決めること」だと語るみほさん。子どもたちには、「旅で人と出会って多様な文化を知って視野を広げ、好きなことをして生きて欲しい」と2人は話します。 それでは、カナダのバンクーバー島でのトレーラー生活は、いったいどのようなものだったのでしょうか。お仕事は? 保育園は? それからトレーラーハウスはいくらぐらいかかるの? 家賃は発生するの? などなど、疑問がいっぱい。 当時のモーニングルーティンとともに紹介します! トレーラーハウスから保育園へ!?モーニングルーティンまずはカナダでのトレーラーハウス暮らしのモーニングルーティンを見てみましょう。この日はクリスマスを目前にした12月の半ばです。 朝8:15 朝食外の気温は2度。でも、ガスヒーター・ポータブルヒーターのおかげでトレーラーの中はポカポカです。和食中心の松山家。今日の朝ごはんは納豆うどん♪ 日本で食べられるものは揃えているそうです。家族そろって、いただきます! 自分でお着換えができたことを話す、ゼンくん。パパにお話を聞いて褒めてもらってとってもうれしそう! 「なんでも自分でやってみる」これが松山家の方針です。 8:45am ゼンくん保育園に出発!準備ができると、まささんはゼンくんを車に乗せて保育園まで送ります。みほさんが1人の時間が持てるように、次男のセージくんも一緒に連れて行くのが日課です。 英語にこのころ自信がなかったゼンくんは、保育園ではおとなしいそうですが、元気よく出発! 高速道路を利用しますが、カナダでは無料! そして渋滞はまったくないのだそう。 保育園は山の上の方にあり、山、海、島が見えてとても景色が良いのだとか。保育園に到着したまささんが景色に見とれていると、「それより早く行こうよ」とニコニコのゼンくん。保育園が大好きな様子が伝わってきます。 一方、3人を送り出したみほさんはと言うと……。 「ようやくわが家に静寂が訪れました」と、洗い物・部屋の片づけなどのお掃除タイムが始まりました。 トレーラーハウス全体に掃除機をかけても約5分。「掃除がすごくラクなのが、気に入っているポイントです」とみほさん。 10時ごろにこれらの家事を終えると、つかの間の1人時間。 音楽を流しながらストレッチをされていることが多いそうですよ。ここはカナダの自然あふれるキャンプ場。窓の外には緑が見えて、体も心も気持ちよくなれそうですね。 9:10am次男セージくんはお昼寝タイムへ長男ゼンくんを保育園に送り届けたまささんはと言うと……。 山道を2人でドライブしながら、次男のセージくんの寝かしつけ。11時くらいまではまささんはセージくんのことを見るようにしているそうです。 「チームワークがとても大事。小さなことで喧嘩している場合ではなく、人間力が試されるんですよ」とまささんは語ります。家事も分担しているとのこと。 そして気持ちよさそうにセージくんがお昼寝すると、まささんも1人時間へ。この時間は「頭の中を整理する時間」だと言います。 次のビジネスについて、クリエイティブなことについて思案する、なくてはならない貴重な時間です。開放的でメディテーションにピッタリの環境に見えますね。 11:00am お仕事タイム10時半にまささんとセージくんはトレーラーハウスに戻り、11時からまささんのお仕事タイム。まささんは、カナダに住み始めてから、ビジネスを立ち上げ遠隔で運営したり、Youtubeを編集したり。トレーラーハウス住まいのこのときは、家の中かキャンプ場のラウンジでパソコンを使っていたそうです。 松山家のようにトレーラーハウスで暮らしている方など、ラウンジにはいろいろな人が集まります。「ここではいろいろな生き方をした人に出会える。そしてみんなが家族みたいで、それがいい!」とまささん。 「環境や出会いによって人は簡単に変われる」と、まささんはご自身の体験を通して感じているそう。「早く歳をとりたい! 子どもたちの将来が楽しみ!」と日々本当に充実されていて人生を楽しんでいる様子が伝わってきます。 いったい家賃はいくら?生活費は?トレーラーハウスは格安!?ところで、とても素敵なトレーラーハウスですが、住居も兼ねた車なので、キッチンやシャワーなどいろいろな設備がついています。いったいいくらぐらいで購入したのでしょう?その額は……! 12,000ドル(税抜き)! 日本円にして当時の物価で100万円弱! 小さいとはいえ、この金額でトイレもシャワーもキッチンも電子レンジや冷蔵庫、ベッドなどが完備された家が購入できるというのは、破格かもしれませんね。 まささんは販売サイトを通じて、中古車を個人から購入したそうです。 ただ、壊れている箇所がいくつかあり、修理代を全て含めると200万円ちょっとだったとのこと。自分でDIYをする必要があり、それは結構大変だったそうです。やり始めて「DIY向いていないかも……」とも思ったそうですが、お友だちにも協力してもらい、素敵なトレーラーハウスが完成しました! とにかくすべての修理を自分でしたとのこと。もし森の中でトレーラーが壊れた場合、自分でできないと困りますよね。まささんは雨漏りや水漏れなど、あらゆることをすべて自分で直していたそうです。 気になる家賃は? キャンプ場に住むっていくらかかるの?キャンプ場で暮らしていたまささんたちご一家は、毎月家賃を支払っていました。 コロナ禍ということもあり、窓越しに金額を自分で聞いて支払うシステムだったそうです。電気、ガスもキャンプ場の設備をトレーラーハウスに接続して使用する仕組み。そのため家賃と一緒にそれらの費用も支払います。ちなみにカナダでは水道代が無料。厳密にいうと、税金に含まれているのだそうです。「寒いのでたくさんヒーターも使ったし」と電気代も気になるまささん。気になる金額は……! 電気代もガス代も入って426ドル! 当時の日本円で約35,000円でした。 ちなみに前の先月は、777ドル!(当時、日本円で約64,000円)お友だちが遊びにきたこともあって少々高め。月によっても結構差がありますね。 「トレーラー生活なので家賃は安いけれど、なるべくトレーラー生活で家賃はかけたくないよね。夏は3倍になってしまうだろうし……。」と話し合う2人。どうやったら生活費を減らせるか、できることはないかと、いつも2人で話し合っていたそうです。生活のことすべてを自分の力で決めなければいけないトレーラー生活。夫婦のコミュニケーションがポイントのようですね。 「普通の家に比べるとトレーラーハウスのクオリティは低いと思います。『トレーラー生活、憧れます』と言われることも多いですが、実際にやってみると思った以上にやらないといけないことがたくさんあります」とまささん。けれども、「旅はいろんな出会いがあり、刺激があってたくさんのことを学べる。旅を攻略できれば人生を攻略できる」そんな風に考えているのだそう。確固たる信念のもと、このライフスタイルを貫いているご夫婦は、多様な文化を受け入れ、とても魅力的です。 「どんな人生になるのか楽しみ」と語るまささんの瞳はキラキラと輝いています。 ◇ ◇ ◇ 限られたスペースで生活されている松山家。ある日、雨の中ゴミを車で捨てに行くというまささんに、みほさんは「1人で大丈夫?」と声をかけていました。そこには自然とお互いを思いやるやさしさがあります。 また、意識的にそれぞれが自分時間を確保する工夫されていたのも印象的。家族みんながお互いを尊重しあい、心地よく暮らすためにどうすればいいのかを考えているからこそ、このトレーラー生活を楽しんでいるのでしょうね。 現在は日本の拠点を探すため、家族4人キャンピングカーで日本一周中。動画は日本各地から配信されていて、見ているだけでおもしろい……! 松山家の旅生活はまだまだ続きます! YouTubeチャンネル「キャンプの松山家。」さんの動画では、トレーラー生活の大変なこと・素晴らしい出会いなどありのままの動画がたくさん! 海外生活やトレーラー生活に興味がある方はぜひ参考になさってくださいね。著者:ライター 福島絵梨子
2022年12月28日職場の同僚のMahoさんとRisaさん。一緒に仕事をする中でお互いに惹かれあい、お付き合いをスタートさせ、家族になりました。YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、そんなお2人の正直な気持ちや家族のあり方について、ありのままの姿を動画で紹介されています。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 そして先日無事、2人の長男であるぽこちゃんが誕生!同性カップルの妊娠、育児とは……? 今回はRisaさんの妊娠期間から、出産、そして新生児の育児について、お2人の様子を紹介します。 同性カップルの私たちが妊娠にいたるまでと、妊娠中のよかったこと・困ったことまずは、妊娠にいたるまでを振り返ります。 私たちの妊娠 職場の同僚であるMahoさんとRisaさん。最初は仕事仲間として接していたそうですが、徐々にお互いを意識するようになりました。そしてお付き合いを始め、パートナーシップ宣誓(※)をし、家族になりました。将来子どもが欲しいと思っていたMahoさんは、Risaさんと過ごしていくうちに「Risaとだったら、絶対に子どもを幸せにできる」という確信を持てたそうです。「どんな人生を歩んでいきたいか」「どういう家族を作っていきたいか」について、きちんと話す場を作ってお互いの気持ちを言葉にして伝えあい、2人で子育てをしようと決心!そして実績が豊富なデンマークの精子バンクで、1,000人以上のドナー候補の中からドナーを決定し、5回目のチャレンジで赤ちゃんを授かりました。 さて、同性カップルの妊娠生活とは……!? いったいどんな感じだったのでしょうか。 ※各自治体が同性カップルを婚姻に相当する関係と認めて、証明書を発行する制度のこと 同性カップルだからこそ理解できたことも!?妊娠中よかったこと3つ出産したRisaさん(写真左)とパートナーのMahoさん(写真右) 妊娠中、「同性だったからこそわかり合えたことがあった」とお2人。 その1.ホルモンに理解がある「女性はホルモンに左右されるということを実感している」と話すMahoさん。Risaさんのメンタルが不安定なときは、「ホルモンの影響なので仕方がない。嵐や雷のようなもので、どうしようもない」と考え、Risaさんに気晴らしになるようなことを勧めつつ、どっしり構えていたそうです。 Risaさんは産休に入りたてのころ、「仕事をしないことで社会に貢献している自覚が得られない」と、自分の置かれている状況に不満を感じてしまったときもあったそう。今Mahoさんは当時を振り返り、「Risaの苦しさを理解していることを、もっと伝えればよかったね」とRisaさんに話します。 Mahoさんのおおらかでやさしい人柄が伝わってきます。ホルモンが女性にもたらす影響を、パートナーが心からわかってくれるというのは、妊娠中だけでなく産後のRisaさんにとっても、とても心強いでしょうね。 Risaさん自身、メンタルの不調に悩んだときは、たくさん本を読んだり、動画を見たりして、自分でどうすればいいのか解決策を探していたそうです。 「自分の中でどう解消すればいいのかを知りたかったので、メンタルコントロールなどの自己啓発・自己認識の本を読んだ」というRisaさん。「自分の今の状態」を認識することで、客観的になれることもあったのだとか。 その2. 柔軟に役割分担ができる家事などの役割分担に関しては、妊娠中に限らず、普段からお互いが過ごしやすくなることを優先に考え、やりたいことを無理せずやっていたお2人。これは「同姓カップルだから」ということではなく、もともとのお2人の考え方や関係性によるものなのだそうです。 たとえば、Risaさんがつわりでつらいときは、家事はMahoさんがメインで担当。Risaさんが産休に入ると、そのころ体調がよかったこともあり、Risaさんがメインで家事をされていたとのこと。 「やらなきゃダメ」という感覚ではなく、「やれたらやる」というスタンスで、デリバリーなども活用しつつ過ごしていたそうです。 それから、良い意味で「相手に期待していない」と話すMahoさん。産休中のRisaさんがご飯を作って待っていてくれると、「ご飯作ってくれてありがとう……!」と思ったそうです。 「相手に期待しない」というのは相手にプレッシャーをかけることもなく、また自分も相手がしてくれたことに素直に感謝ができて、平和な関係をもたらすのですね。 その3. お互い自分ごと化ができる これは婦×婦の同性カップルならではのお話かもしれません。 お2人は、Risaさんの次にMahoさん、という順で、2人とも出産することを考えているそうです。 「(同性だからか)Risaが直面していることを自分ごと化して考えられる」と話すMahoさん。「自分のときはどうかな?」と、より一層相手のことを理解しようとする気持ちになれるそうです。 Risaさんはつわりで自分が辛い思いをしているなか、将来Mahoさんがつわりになったときのことを想像して心配になっていたそうです。思いやりにあふれたカップルですね。 一方、同性カップルだからこそ困ったこともあったそうです。 同性カップルならではの悩み。妊娠中、困ったことそれほど困ったことはなかったものの、「強いて挙げるとすれば……」とお2人は続けます。 説明が大変……! 病院や市役所では、男女の既婚カップル前提で話をされることが多いとのこと。Risaさんは最初は苦労したようですが、説明を重ねるうちに、端的に言えるようになっていったそうです。相手の方も、「あーーー、分かりました……!」と驚きつつも理解してくださるようになっていったのだとか。 Mahoさんは、主に父親が参加する、市役所の子育て教室に参加したそうです。その際、周囲の方に普通に接してもらえて、説明したことで断られたりすることは無かったので、「とてもありがたかった」と言います。 確かに、同性カップルだからこそ相手に理解してもらうためには説明が必要な場面もありますよね。「人によって“家族”に対する理解が違うため、これからは『母が2人いるカタチの家族である』ことを周りの人に伝えていきたい」とお2人は考えているそうです。 Mahoさん立ち会いのもと、いよいよRisaさんが出産!そしてついに…… ぽこちゃん誕生! Risaさんもぽこちゃんも、母子ともに健康で出産自体もスムーズだったとのこと。本当におめでとうございます……! Risaさんは、出産する前夜におしるしがあり、翌日に定期健診へ。「(出産は)1週間以上先かな」と言われたものの、その日の夜10時に破水。翌日の朝7時半に産まれたそうです。「あっという間だった……」とRisaさん。 こんなにかわいいポコちゃんが生まれてきてくれましたよ♡ どんな出産だったのか、Risaさんにお話をうかがいました! ・出産にMahoさんは立ち会えましたか? Risaさん「立ち会えました! 分娩を予約するときから同性カップルであることは伝えていたので、破水後に病院に一緒に行ったときも、出産間近になって分娩室に行くときもスムーズでした。お医者さんも看護師さんも自然に接してくれました」 ・出産時のエピソードを教えてください! Risaさん「Mahoが到着するまでは『1人で陣痛に耐えなければ……』と孤独な気持ちになり、時間が長く感じました。でも、Mahoが到着してからは、『痛い時に話しかけたほうがいい? そっとしといたほうがいい?』とこちらの希望を聞いてくれながらずっと手を握ってくれていたので、やさしさを感じ、そばにいてくれると心強かったです」 さらに、「陣痛の波が来て私がいきむたびに、Mahoも息を止めてしまっていたようで、2人で酸欠気味になっていました」と当時を振り返ります。 妊娠中だけでなく、出産時もMahoさんは常にRisaさんをサポートされていたのですね。お2人で息を止めていたエピソードが一心同体のようで微笑ましい……! 一緒に出産しているかのようで、RisaさんにとってMahoさんの存在がとても心強かったのが伝わってきます。 では、産後はどのように過ごしているのでしょう? ふたりママの子育ては、パパママと一緒!?ぽこちゃんが生まれて1カ月。 お顔もしっかりしてきました! 産後の1カ月を振り返って、「まだ1カ月かぁ……! と思えるほど、あっという間だった」と語るRisaさん。Mahoさんは、「かわいすぎて仕事との両立が難しかった」と笑います。 夜は比較的長く寝てくれるものの、3週目を過ぎてから泣くことが増えてきたそうです。そんな変化にも成長を感じますね。これから家の中だけでなく、少しずつお散歩など、活動範囲を広げていく予定だそうです。 産後の生活についても、Risaさんにお話をうかがいました。 ・Mahoさんはどのように働かれていますか? Risaさん「Mahoは週1-2回出社で、それ以外はリモートワークをしています。リモートであっても、日中はほぼ会議のようです。Mahoは仕事を頑張っています」 ・お2人の育児の様子を教えてください! Risaさん「平日の日中は私がずっとお世話していて、お風呂と夜のミルクは2人でやっています。そして夜中は私が「遅番」担当(笑)。ミルクや寝かしつけをやっています。土日の日中はMahoがメインで担当して、平日抱っこできない分を取り戻しているようです」 お話をうかがっていて、協力しているというよりも、自然にされているのが伝わってきました。Mahoさんのポコちゃんへの想いも伝わってきますね。 伝えたいのは感謝の気持ち ぽこちゃんが誕生したいま、お2人が周囲に何よりも伝えたいのは、感謝の気持ちだそうです。 もちろん、・10カ月支えてくれたMahoさん・おなかでぽこちゃんを育ててくれたRisaさん・元気に生まれてきたぽこちゃんに感謝しつつ…… 『新しい家族のカタチを受け入れて応援してくれた家族、友人、会社など周囲の人たち』への感謝の気持ちでいっぱいとのこと。 世の中、多様性への理解が広がってきましたが、周囲の人たちの中には、Mahoさん・Risaさんの家族のあり方に、一瞬驚いたり戸惑ったりしている様子の方もいらっしゃったそうです。それでも、最終的に、「周囲の方が好意的に受け入れ、支えてくれた」とお2人。ポコちゃんの誕生という一大イベントを乗り越えたお2人は、自分たちのことを受け入れ支えてくれた家族、友人、会社など周囲の人たちへの感謝の気持ちが尽きません。 ◇◇◇ 今回取材させていただいて、改めてお2人の誠実な人柄が周囲の方を巻き込み、大きな渦になっているように感じました。今後もYouTubeを通じて、新しい家族のカタチについて発信していかれるとのこと。 これからの、Maho Risaそして+ポコちゃん Familyの未来が楽しみですね。 YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、お2人の日常生活の様子、妊娠経過についてなど、さまざまな動画を投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。著者:ライター 福島絵梨子
2022年12月27日私には8歳と4歳の娘がいます。最近、長女は人類や宇宙の始まり、人間の生死についてなど、生の神秘について興味と疑問を持ち始めました。寝る前に話しているとき、さまざまな疑問をぶつけてきますが、先日、「どうやったら赤ちゃんはできるの?」と質問されました。そのときの様子や、私の対応をお伝えしたいと思います。ついに長女からあの質問が…今までも女性の体の変化や赤ちゃんについて話をしたことはありましたが、「どうやったら赤ちゃんはできるの?」と直球で聞かれたことは初めてでした。聞かれたとき、私は「ついに親が戸惑うあの質問がきた!」と思いました。長女はもう小学校3年生。コウノトリが赤ちゃんを運んでくるのではなく、本当のことを話したほうがよいかなと感じました。 そこで私は「おちんちんからタネみたいなものが出て、それが女の人の体に入ったら、赤ちゃんができるんだよ」と回答。すると娘はさらに「どうやって種を入れるの?」と質問を重ねてきました。 絵本を借りてみることにどうやって説明すればよいのか私は悩みました。そのときは「うーん、ハグして仲良くしたらかな」と曖昧に伝えたのですが、せっかく興味を持ったこの機会にきちんと伝えたいと思いました。そこで、私は性教育に関する絵本を何冊か借りて読んであげることに。 そのことを世間話として小児科医のママ友に話したところ、彼女は子どもが幼稚園のころ、いやらしいという気持ちを持つ前に絵本を読み聞かせて説明したと言っていました。私は5歳の次女には早いのかなと思い、今回は長女にだけと思っていましたが、それを聞いた私は同じタイミングで次女にも性について話をしてみることにしました。 娘たちに読み聞かせた性教育の絵本読んであげた絵本は『わたしのはなし』と『あかちゃんがうまれるまで』。『わたしのはなし』はプライベートゾーンや自分の心と体を守ることの大切さについて、『あかちゃんがうまれるまで』は精子や卵子、性行為についても描かれています。 読んであげると、長女は性行為については「気持ち悪い」と言っていましたが、赤ちゃんができる過程は理解できたようです。次女は幼稚園で「パンツが見えないように気をつける」と言っていました。2人とも興味津々できちんと最後まで聞いてくれました。 「どうやったら赤ちゃんはできるの?」と聞かれたときは、どう説明してよいかわかりませんでした。正確なことを淡々と伝える自信がなかったので、きちんとした情報を伝えてくれる絵本を読み聞かせたことはすごくよかったと思います。娘たちは、まだすべてを理解できていないと思うので、もう少し大きくなってから再び読んであげたいと思います。 著者:小川恵子8歳と4歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年12月16日わが家では念願の娘が生まれてから、夫と「子どもは2人欲しい」という話をしていました。しかし、問題は妊活のタイミング。私の周りでは「子どもは2学年差がおすすめ」という声をよく聞きましたが、娘は早生まれのため、私が仕事復帰して数カ月以内に妊娠しなければ間に合いません。そこで、自分たちの生活や職場への影響を考え、育休中に2人目を妊娠することを目指した私の体験談をお話しします。生理が再開しない私は母乳の出がそこまで良くなかったため、少し育児用ミルクを足して混合育児で娘を育てましたが、それでも毎日12回前後の頻回授乳を続けていました。その影響なのか、出産後1年経っても生理は再開しませんでした。 そして、保育園は1歳児入園をねらっていましたがあっけなく落ちてしまったので、今すぐ断乳する必要もないかと思い、結局1歳半になるまで母乳育児を続けました。その結果、産後1年7カ月のときにようやく生理再開。この時点で2人連続育休は叶わぬ夢となりましたが、2人目を希望する気持ちは変わらなかったので、ここから妊活をスタートしました。 夫婦と娘のタイミングが合わない無事生理は再開したものの、いざ妊活となるとさまざまな壁が待っていました。第一に「夫とタイミングが合わない」ことでした。夫は21時過ぎに帰宅し、そこから夕飯を食べてゆっくり過ごすのですが、そのとき私は娘の寝かしつけをしています。 娘が2歳になるころには私も職場復帰をして忙しくなっていたので、寝かしつけてそのまま一緒に寝てしまうことも多く、平日夜は妊活できませんでした。また休日の朝、娘が起きる前に奇跡的にタイミングが取れそうなときも、途中で娘が起きてくることが度々びあり、夫婦ともに2人目は諦めかけていました。 まさかの退職後に…私が仕事復帰して1年経つころ、時短勤務からフルタイム勤務へ切り替わる予定でしたが、保育園の預かり時間の関係で始業時間に間に合わず退職することになりました。教育費や家のローンのことを考え、早く次の就職先を探さないといけないと焦って就職活動していたところ、新型コロナウイルスの感染拡大により就活市場が縮小……。 そこで、とりあえず就職は一旦諦めてフリーランスで在宅ワークしようと考えましたが、その月に第2子妊娠が判明しました。うれしいよりも、まず驚いたというのが正直な感想でした。これまでどんなに頑張ってもできなかった子どもが、たまたま1回とったタイミングでできるなんて。結果的に4学年差となりました。 私は「2人目は妊娠しづらい」という話を聞いたことはありましたが、自分で経験してそれを痛感しました。予想外の連続で授かった第2子ですが、不思議なもので「このタイミングだから妊娠できた」気がして、とても愛しく思っています。ようやく私たちの元にきてくれたおなかの子どもを大切に育てていきたいと思います。 監修/助産師REIKO著者:潮田しずく1児の母で、現在第2子を妊娠中。元大学職員。現在はフリーランスとして、自身の経験をもとに子育てに関する体験談を執筆中。
2022年12月02日出産祝いは、自分では買わないけれどあったら便利だなというものが意外に重宝しました。冬に初産だった私がうれしかった出産祝いをご紹介します。カサカサしがちな冬に必須の保湿アイテム 新生児のお世話は、ひたすら授乳とおむつ替えの日々。私はお世話の前後には手を洗うようにしていたので、手がカサカサになってしまい困っていました。そんな私に友人がプレゼントしてくれたのは、ちょっと高級なママの保湿グッズでした。赤ちゃんのお世話で荒れがちなお肌を守るためのハンドクリームやリップクリームなど、外出しづらい産後にプレゼントしてもらえてありがたかったです。しかも、ちょっと高級なので、使うたびにウキウキできる効果もありました。 ほっとひと息つく時間のおともに ハーブティーの詰め合わせのプレゼントも、冬出産の私にはうれしいプレゼントでした。冷え性の私は、体を温めるためになるべく温かいものを飲むようにしています。ハーブティーの詰め合わせは、選ぶ楽しさがあり、自分好みのハーブティーを探すティータイムが、育児中のちょっとしたぜいたく時間に。カフェインが入っていないものを選んでくれたので、寝る前や授乳の影響なども心配せずに飲めました。 用途いろいろ、大判おくるみ aden + anais (エイデンアンドアネイ)のスワドル(おくるみ)の存在を知らなかった私ですが、使い始めて虜になりました。 赤ちゃんをおひな巻き(※)する際に使うと、伸びが良いので縛りやすく、通気性が良いので赤ちゃんも巻かれたままスヤスヤ寝ていました。また、授乳する際には自分の首の後ろで結んで授乳ケープに変身したりと使い方がいくつもあり、おでかけの際には小さく畳んでバッグに入れて必ず持ち歩いていました。 (※)赤ちゃんが丸くなる姿勢でくるむ巻き方。おなかの中にいたときのような体勢でリラックスでき、安眠効果が期待できます。 こうして書いてみると、もらってうれしかった出産祝いはちょっと高級で日常使いできるものが私にはうれしいポイントだったようです。そして、赤ちゃんのためだけのものではなく、ママのことを考えているプレゼントに対して、その気持ちがうれしくて、より印象深くなっていると気がつきました。 監修/助産師REIKO 著者:ライター 横山まい三児の母。夫の転勤に伴い三人別々の県で出産し子育てをしている。転勤妻としての妊娠・出産・子育ての経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2022年12月02日何でも先回りして心配してくれる義父。2人目が双子だとわかった瞬間から、「産後はどこで過ごすのか?」、「子ども3人、どうやって育てるのか?」など義父の心配事は尽きませんでした。出産予定日間近で気持ちもギリギリのとき、義父の心配によって私が大泣きするほど困惑させられた出来事をご紹介します。義父が心配してならない車の買い替え義父が数ある心配事のなかで一番気にしていたのが、車の買い替えです。実は、私たち夫婦は2年前に5人乗りの新車を買ったばかり。3歳のお姉ちゃんと双子のチャイルドシートを乗せることを考えると、夫婦としてもどうすべきか悩んでいました。 しかし、車はトランク収納が十分なSUV車なので、私が狭い思いをして我慢すれば、乗れないこともありません。また、家族揃って外出するのは週末だけで頻繁ではないため、今すぐ買い替えを決めなくてもしばらくはなんとかなるだろうと私たち夫婦は思っていました。 帝王切開3日前に迫られた大きな決断!いよいよ帝王切開予定日まであと3日と迫った夜、夫から電話がありました。義父母が私たちの車を買い取るので、代わりに義父母の知人から中古車を買いなさいと連絡があったというのです。詳しく話を聞くと、義母が乗っていた車が廃車になり、新しく車を買う必要があるためとのこと。 一見ありがたい話のようですが、その中古車の値段は400万円。中古車でこの値段は高すぎる! と反対しましたが、義父母はもうその気のよう。夫もすでに義父母に説得されている様子で、あとは私が了承するのみという状況でした。 妊娠中の不安が重なり大泣き!双子妊娠でおなかははち切れそうなほど大きく、夜も眠れない日々が続いていた私。正直、車どころではない状況なのに、出産ギリギリになって大きな決断を迫られたことと、義父母がすでに話を決めているという状況にストレスを感じました。 帝王切開手術への不安や、管理入院で長期間入院しなければならず、その間実家で祖父母と生活しているお姉ちゃんのことなど、いろいろな思いが重なって涙がぽろぽろとこぼれ始め……。夫は私が急にひどく泣き出したため、「なぜそんなに泣いているのかわからない」と困惑している様子でした。 実は車の買い替えは義父の独断だった!その後、「夫婦で決めていた通り、今の車で生活してみてもいいのではないか?」と夫を説得しました。涙が功を奏したのか、夫も理解してくれて義母へそのことを報告しました。実は知り合いから中古車を購入するという提案は、義父だけで進めていたそう。私たちの車を買い取ることに、義母は内心反対だったようです。 私の決断をとても喜んでくれ、義母は自分が乗りやすい車を買うと義父を説得してくれました。それを聞いて、義父母の提案に流されず、正直に自分たちの意見を伝えてよかったなと思いました。 私たち夫婦のことを思っていろいろと心配をしてくれるのはありがたいのですが、もう少し私たちを信じて見守ってほしいと強く感じた一件でした。購入したチャイルドシートを設置してみると、やはり車は買い替えなくても大丈夫そう。車の件はとりあえず納得してくれましたが、次は私のワンオペを心配してくれている義父です。著者:山口まなみ4歳の娘と1歳の双子の男の子の母。韓国人の夫と家族5人で韓国に在住。海外での子育てやバイリンガル教育に奮闘する自身の体験談を執筆中。
2022年12月01日生まれつき耳が聞こえない難聴のユカコさん。一般採用で入った大企業に人事として入社。その後結婚し、難病をもつ長女・なっちゃんが生まれました。ユカコさんは育児に悩んだりもしましたが、「自分にできることをしたい」と勤めていた会社を退職し、難聴児の言葉の教育をサポートする会社を立ち上げ活躍されています。難聴者であるユカコさんのYouTubeチャンネルでは、生活や子育て、難病の娘さんのことなど、障害のある暮らしについてご家族のリアルな姿を動画でご紹介されています。今回は、おなかの赤ちゃんに難病があるとわかったときのこと、難病の長女なっちゃんが大きな手術を幼いながら頑張り、ご家族でリハビリを乗り越えて車いすを返却する様子をご紹介します。動画を観た方からは「自然と涙が」「感動しました」「涙が止まりません」などの声が続出。 ユカコさんはいったいどのようにして、ご自身が難聴を抱えながら、難病の子どもを育てているのでしょうか。その答えは、家族の在り方にありそうです。 生まれつき難聴の私が難病児を出産。「この子を育てられない」と号泣したあの日。 聞き取りやすい言葉と発音ですらすらとお話しをされるユカコさん。じつは、生まれつき耳の聞こえない重度の難聴者です。ユカコさんは話す相手の口の動きを見て、言葉を読んでコミュニケーションを取っています。 幼稚園から中学校まで一般の学校で過ごし、希望の高校・大学へと進学。大学ではお友だちと遊んだり、海外旅行をしたり、とにかくチャレンジを続け満喫した4年間だったそうです。その後は一般採用にて、大企業に人事として入社。お友だちとのキャンプで出会ったテツさんと結婚し、長女・なっちゃんを出産しました。 なっちゃんを妊娠中、妊娠後期になって、おなかの赤ちゃんの病気が発覚。長女なっちゃんは50万人に1人の骨の病気を持って生まれてきました。 最初は「難聴の私にどうして難病の子どもが生まれたんだろう……」と受け入れることができませんでした。 テツさんに泣きながら相談したところ「そっか、わかった。ユカコのやりたい方向で考えよう」と言ってくれました。そして、ユカコさんのお母さんは「育てられなくてもいいよ。障害児を育てるのは2人目やから、私が頑張って面倒を見てあげる」と力強い言葉をくれました。 ユカコさんには赤ちゃんの泣き声も聞こえないため、難病を抱えるなっちゃんのお世話は精神的にも肉体的にも非常に大変だったそうです。 テツさんやご家族のサポートもあり、徐々に受け入れられることができるようになったユカコさん。改めて難病児・障害児のことを考えてみると、教育の選択肢がとにかく少ないことに気がつきました。 「難聴のことなら自分にできることがある!」と思い、2018年に会社を辞め、難聴児の言葉の教育を中心とした団体・株式会社デフサポを立ち上げました。 難病のわが子が過酷な手術を……元気いっぱいすくすくと大きく成長していくなっちゃん。しかし、病気の影響で、成長するにつれて両足の長さに差がでてきたため、短い方の足の骨を伸ばす手術をすることに。ユカコさん夫婦は、全国各地の医師を探しまわり、どうにか手術をしてくれる先生を見つけました。 手術後は痛がってずっと泣き続けるなっちゃん。「すごくかわいそうだった……。とにかく頑張ったなぁ。」とユカコさんは振り返ります。ユカコさんとテツさんが交代で病院に行くため、次女のかんちゃんも寂しい思いをしながら頑張っていたそうです。 術後1カ月半ほどが経ち、器具がついた状態で退院。入院していたときに比べて、なっちゃんの表情は徐々に明るくなっていったそうです。 退院後は、テツさんが常に後ろから支えながら、川や山などの自然の中にも積極的にでかけたそうですよ。 とにかく大変だったとご夫婦で口をそろえておっしゃっていたのが、退院後のリハビリです。リハビリには毎日2時間ほどかかり、「仕事もある中で体力も時間も減って忙しすぎて記憶がない」とのこと。 『とても大変な日々だったけれど、将来なっちゃんにとってプラスになるなら』という気持ちで乗り越えたというお2人。 「一番頑張ったのはなっちゃん。そしてかんちゃんも頑張ったね。私たちはあの2人に比べたら全然……」と笑顔でおっしゃっていたのが印象的でした。 今なっちゃんの元気な様子を見て、「頑張ってよかったな」と心から思っているそうです。 ついに、車いすを卒業! 1年後、器具が取れて、ギブス生活を過ごしたなっちゃん。今ではランドセルを背負って元気に自分の足で学校へ通えるまでになりました。 そして今日は1年ほど使った車いすを返却の日。子どもたちの手でピカピカに綺麗に拭いていきます。 ユカコさんは耳が聞こえないため、子どもたちの口を読みながら会話をしています。そしてテツさんがさり気なくサポートし、常に子どもたちを褒めながら掃除を進めていきます。 最後に一度乗ってみるなっちゃん。座ってみると車いすが小さく見え、成長したのがわかります。「『車いす、いっぱい貸してくれてありがとうございました』と言って返そうね」と伝えるユカコさん。 きちんと自分の言葉で「ながいことかしてくれてありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えることができました。 なっちゃんの足がなおり、ジャンプできるようになった姿を見て、職員さんも驚いていましたよ。 退院後、1年以上お世話になった車いす。その期間はご家族4人が力を合わせて頑張った期間でもあります。手術後痛くて泣き叫んでいたなっちゃんがここまで成長した姿を見ると、胸が熱くなりますね。 動画を観た方たちからは、「なっちゃんも家族のみんなもがんばったから車いすにありがとうってお別れが言えたんだよね。 お世話になったものに素直に感謝する心を教えるテツ&ユカコご夫婦はホントにステキ」 「つらい思い出があるだろうにちゃんと『長いこと貸してくれてありがとう』って言えることに本当に感動しました! 涙出ちゃう……。これからもっともっと楽しいことが待ってるよ! がんばった分、素敵なことがたくさん2人の子どもたちに降り注ぎますように! もちろんご両親にも!!」「お父さんも普段からお子さんとちゃんとお話ししてるんだなっていうのがよくわかります。常に褒め続けているし2人の動きよくみていらっしゃる。本当に素敵なご家族です」「つらい時期を乗り越えて、車椅子を返却したときの気持ちを思うと涙がでます。 本当に良かったですね!」と感動の声がたくさん届いているようです。 ◇ ◇ ◇ お世話になった車いすを子どもたちの手で掃除をして、感謝の気持ちとともに返したユカコさんご家族。辛い日々を乗り越え、「ありがとうございました」と伝えながら自分で車いすを返却したなっちゃんは本当に強い……! なっちゃんの将来のことを想い、日本全国お医者さんを探し回って大きな決断をし、サポートし続けたユカコさんの芯の強さにも脱帽です。 決して明るいことだけではなかった日々。その都度ご夫婦で気持ちを共有して乗り越えてこられたのが動画から伝わってきます。他の動画を拝見していても、とにかくユカコさんの笑顔・子どもたちへのやさしい声かけ、テツさんのサポートが印象的……! ぜひユカコさんご一家の絆を動画でもご覧くださいね。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 難聴者であるユカコさんのYouTubeチャンネルでは、生活や子育て、難病の娘さんのことなど、障害のある暮らしについてご家族のリアルな姿を動画でご紹介されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。著者:ライター 福島絵梨子
2022年11月29日上のお子さんが1歳になり、2人目妊娠のタイミングを考えるようになったママさん。夫婦で今後の家事・育児の役割分担ついて話し合い、2人目妊娠に至るまでの体験談を紹介しています。 上の子が1歳になり、2人目を考えるように結婚して夫婦で子どもについて話し合ったときに「できれば子どもは2人欲しいね」とお互い話していました。そんなことから、上の子が1歳になったころには2人目を意識するようになりました。 しかし正直なところ、ちょうど上の子が1歳になったと同時に保育園へ預け始め、仕事復帰も果たしたばかり……。家事・育児と仕事の両立がとても大変ななか、今2人目を妊娠して私はやっていけるのだろうかと、不安がよぎることが多々ありました。 2人目のタイミングは2歳差を計画!2人目のタイミングは少し迷いましたが、1人目の出産がすでに高齢出産だった私。自分の年齢を考えても、2人目妊娠のタイミングを先にするほど余裕はないと思っていました。私自身、4人きょうだいで育ち、大人になってきょうだいの心強さを感じています。だから自分の子どもには将来、親がいなくなっても支え合えるきょうだいを作ってあげたい。 そこで、2歳差を意識して計画を立てました。そのためには夫の協力は必須。家事・育児の分担について、洗濯・お風呂掃除は夫、料理・部屋掃除は私、と話し合いました。 2人目妊娠は計画通りにはいかないものちょうど2歳差になるように計画したものの、理想通りにはいかず……。私は1人目も不妊治療をおこなって妊娠しているので、不妊治療を再開することに。1人目はなんとかタイミング法で妊娠できましたが、私の年齢も上がっているせいか半年経っても妊娠せず……。 先生からステップアップを提案され、体外受精へ踏み切りました。家事・育児、仕事を両立しながらの不妊治療はかなりつらかったですが、最近やっと妊娠を確認することができました! 無事生まれるまで安心はできませんが、ギリギリ計画していた2歳差で生まれてくる予定です。私は子育ても仕事も頑張りたいと思っているタイプなので、夫が家事や育児に協力的でないと2人目は考えられませんでした。夫婦で納得いくまで話し合い、夫が家事育児の分担をすすんでしてくれたからこそ2人目を生み育てようと決心できたと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年11月29日保湿さえやっておけば大丈夫だろうと間に合わせようとした結果、臨月間際でおなかの大きさに耐えられず妊娠線ができ、産後に後悔することに……。ズボラな私が4回の出産を経て、妊娠中やっておけばよかったと後悔した体験談をお話しします。保湿さえしておけば!と出産した第1子初めての妊娠中はゆっくり雑誌を読む時間もあり、妊娠中の過ごし方や、準備するものなど情報を集めていました。その一方、自分のケアには無頓着だった私は、大きくなるおなかが痒くてよくかいていました。調べると、おなかが大きくなると脇腹やおなかの皮膚が伸ばされていったり、妊娠中のホルモンの変化によって痒くなったりすることがあるとのこと。いろいろな専用クリームがあると知っていながら、保湿さえすればいいかと家にあった保湿クリームを塗っていました。 臨月間際で見えないところに妊娠線が!おなかの赤ちゃんに語りかけながら保湿クリームを塗っていると、赤ちゃんが動いて反応してくれることもありました。いよいよ臨月間際になったころ、おなかの下のほうにピリッとした感覚があり、見えない部分だったので夫に見てもらうと、妊娠線ができているとのこと。もう少しで出産なのに!とショックでした。そのとき保湿だけで済まさずに、やはり妊娠線予防効果があるオイルやクリームなどで対策するべきだったと後悔したのです。 できてしまった妊娠線は消えない…第1子でできてしまった妊娠線は今からケアしてももう消えないと諦め、その2年後に第2子を妊娠。第1子のときに妊娠線はもうできているからと諦めもあり、おなかが痒くなるとお風呂上がりに家にあった保湿クリームを塗るだけで、新たに妊娠線予防用のクリームは買いませんでした。そして無事、第2子を出産。私の体格は身長が150cmほどで小さいほうですが、第1子のときは出産までに14kg、第2子でも12kgと体重が増えてしまいました。2人とも3,500gとやや大きめだったため、2人を産んだ時点でおなか全体に妊娠線ができてしまい……。その後、第3子と第4子は帝王切開で手術になったため、おなかには手術の痕も残っています。 妊娠線ができる原因は乾燥だけではなく、体が小柄だったり、急激な体重増加だったりが原因となることもあるそうです。今思えば、妊娠線予防は保湿だけでなく体重管理もきちんとするべきでした。ですが、その妊娠線も子どもたちにおなかのことを言われるたびに、「あなたたちがママのおなかで大きくなった証だよ!」と前向きに話しています。監修/助産師REIKO著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月28日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断を迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病について、病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽい物は食べられず、甘い物なら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やおしりに神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・おしりの痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師 松田玲子著者:桜井りこ2児の姉妹ママ。不妊治療から流産を経験し妊娠。美容系会社勤務、現在は育児休暇中。整理収納・株、投資信託が趣味。美容・コスメ系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年11月28日私は妊娠5カ月に入ってから、赤ちゃんが生まれたらできなくなりそうなことや、行けなくなりそうな場所を予想して、妊娠中に無理のない程度に楽しんでおこうと心がけていました。そして娘が生まれ、まもなく出産から3年5カ月が経ちます。出産前にはわからなかった、赤ちゃんがいても楽しめたこと、未だにできていないことをご紹介します。※コロナ禍前の体験談です 存分に楽しんだ妊娠期間私は妊娠中、カフェや映画、漫画喫茶など静かな場所によく行きました。特にカフェはもともと好きだったこともあり、妊婦健診のあとには必ずと言っていいほどカフェに行っておいしいスイーツを食べ、読書を楽しんでいました。 次に私が楽しんだのは旅行です。健診の際に医師に相談し、「何かあったらすぐに受診できる距離ならいいよ」と許可をもらって、県内ですが温泉旅行に行くことができました。温泉を選んだ理由は、産後はゆっくりと湯船に浸かることもできなくなると思ったから。 そして、自宅では時間が許す限りとにかくダラダラと過ごし、好きな時間に起きて、好きな時間に寝るとても自由な時間を送っていました。私は「これで出産後しばらく遊べなくても頑張れるぞ」と思っていたのです。 予想外!赤ちゃんがいてもできた!娘が生まれてから、私はしばらく自宅で過ごし、おでかけは散歩か近所のスーパーくらいでした。しかし意外にも娘が生後4カ月になるころには、家族3人でカフェに行くことができました。そして娘が生後6カ月になるころには、時々夫が休みの日に3時間ほどひとりで娘を見てくれたので、私は映画や漫画喫茶にも行くことができましたし、ダラダラと過ごすこともできたのです。 さらに娘が生後8カ月になったころ、同じ県内ではありますが家族3人で一泊温泉旅行にも行けました。 私が妊娠中にしていた「何もできないだろう」という予想は大きく外れ、赤ちゃんがいても何でも楽しむことができました。 唯一、未だにできていないことは…娘が生まれて3年5カ月経ちますが、実はひとつだけ、1度もできていないことがあります。それは、夜に出かけること。わが家は転勤族で実家が遠方のため、たまにしか会わないじぃじ、ばぁばに娘を預けることができません。 また、夫は仕事で車を運転するため、娘の夜泣きで寝不足になっては危険だということで、新生児のうちから寝室を別にしていました。その結果、夫は未だに寝かしつけができず、私は毎日20時過ぎに娘と布団に入る生活……。友だちと夜飲みに行くことも、もちろん夫と夜デートをすることもできないのです。 出産してからの今しかできないこともたくさんあり、もちろん最高に幸せです。しかし、たまには夜の街の雰囲気を楽しみたい……。お酒を飲んで帰ってくる夫が羨ましくて、つい夫にやさしくできない日もあります。現在はコロナ禍ということもあって、妊娠中に出かけることが余計に難しいかもしれません。そして夜の街に妊婦がいることはあまり一般的ではないかもしれませんが、自分のためにも夫婦円満のためにも、妊娠中にもっと夜のおでかけを楽しめばよかったと後悔しています。監修/助産師REIKO著者:小谷 かずえ不妊治療を経て出産。現在3歳女児の母で元ウエディングプランナー。転勤族で九州在住し、ウエディング関係の記事や妊活に関する記事を執筆中。
2022年11月27日わが家の三姉妹は年が離れています。次女が妹を欲しがったことがきっかけとなり、三女が誕生しました。三女は早産になったため大変なこともありましたが、上の娘たちは三女をとてもかわいがってくれて、幸せを感じることもたくさん! 「歳の離れた姉妹ってどう?」と聞かれることがあるので、わが家の三姉妹の体験談をご紹介します。娘がサンタさんに赤ちゃんをお願い!?次女は小さな子が好きで、幼稚園のお友だちの妹をよくかわいがっていました。私の友人が歳の離れた妹を出産したこともあり、「どうしてうちには赤ちゃんがいないの?」と言うように。 次女が年長のとき、クリスマス前にサンタさんへ何をお願いするか悩んでいました。尋ねると、「サンタさんに赤ちゃんを頼むか、おもちゃを頼むか考えている」という答えが……。本当に赤ちゃんが欲しいと思っているのだと気づき、びっくりしました。わが家は経済的にも子どもは2人だと思っていましたが、このことをきっかけに、もう1人いるともっと楽しいだろうなと思うようになりました。 3人目ができた喜びも束の間、早産に何となく「子どもが3人いるといいよね~」と思うようになったころ、第三子を妊娠。娘たちに伝えると、とっても喜んでくれました。しかし、妊娠28週に入ったころ、切迫早産から早産になり、三女はNICUに入院となりました。その病院ではママとパパ以外の面会には制限があり、窓越しで面会することしかできません。「早く上の子たちに抱っこさせてあげたい」と思う日々が続きました。 幸い三女は順調に成長し、生後100日で退院。ようやく三女を抱っこできる日、娘たちは小学校からダッシュで帰ってきました。初めて抱っこしたときの娘たちの笑顔は忘れられません。 歳の離れた姉妹でよかったこと三女は、長女とは10歳、次女とは7歳、年齢が離れています。上の子がお風呂に入れたり、ごはんをあげたりするのをサポートしてくれるので、私はとても助かっています。上の子ができないことと言えば、うんちのおむつ替えと寝かしつけくらい。いろいろ頼んでしまうので、我慢させていることもあるかもしれませんが、何よりかわいがって、一緒に遊んで笑っている姿はとても微笑ましいです。 「育児が終わらなくて大変ね」「お金がかかるわよ」などと言われることもありますが、今の幸せな瞬間はほかの何にもかえられないと思います。 三姉妹で楽しそうに笑い合う姿は本当にかわいくて、幸せを感じる瞬間です。上の子たちは三女のことを「とにかくかわいくてたまらない!」と言っています。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:小林更紗中1・小4・2歳の三姉妹の母。通関士資格保有。長女が小学生になるタイミングで、勤めていた通関業者を退職。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年11月25日4人目の出産入院中に上の子たちのお世話を、家事がちょっぴり苦手なパパにお願いしたというママの体験談を紹介しています。4人目の出産当時、長男は小学1年生、次男は年長、そして長女は年少でした。電車で8時間かかる実家へ里帰りをしようか悩みましたが、小学生が長期欠席するのは好ましくないと感じ、夫に1週間の休暇が取れるか相談。幸いにも会社の理解があり、1週間ほど休暇をいただき、里帰りせずに出産を迎えました。 夫に家事・育児を任せるのが心配わが家の夫は料理が得意ではなく、作れるものはみそ汁とカレーくらいです。掃除機はかけられますが、洗濯機の使い方や洗剤の量など、細かいことはわからない様子。 また、幼稚園の子どもの持ち物やお迎え時間が曜日によって違うことを、口頭で何度も説明したのですが理解できず……。「お弁当も作れるのだろうか?」とさまざまなことが心配でたまりませんでした。 そこで出産入院中、夫が困らないように家事や幼稚園の支度を細かくノートにまとめたものを用意しておきました。 子どもの精神面も心配!出産入院中の1週間ほどは、私がいない生活になります。子どもたち3人はまだまだ甘えざかりなので「大丈夫だろうか?」と心配になりました。 特に幼稚園児の2人は、ママがどのくらい入院し、どのくらいで帰宅するのかわからない様子。そこで1週間分のカレンダーをつくり、毎日シールを貼っていってもらい、ママが帰ってくるまでの期間を感覚で伝わるようにしました。 さみしくなったときはグズグズしてしまうので、お手紙とシール、小さいおやつを人数分×1週間分、用意して出産に備えました。 「意外となんとかなる」と思えた!夜に陣痛がきた私は、子どもたちが寝ている間に病院に駆け込みました。付き添いもおらずひとりでしたが、私の場合は逆に集中できてよかったと思っています。 私が入院中の1週間、結局、夫は幼稚園をお休みさせて、子どもたちを遊びに連れて行ったようです。普段私は外食をさせませんが、夫と子どもたちはラーメン屋巡りをしたそう。子どもたちはとても楽しそうに報告してくれました。夫は、3人の子どもたちのお世話が想像以上に大変な様子で、日に日に疲れた顔になっていきました。 予想外の外食続きで、栄養バランスが気になりましたが、子どもたちに怪我もなく、これまでの夫の様子を考えると、ひとりで面倒を見ていてくれただけでもすごいと感じました。夫自身も子育てをしながら家事をする負担を、身をもって実感したようで、お互いのことを知るいいきっかけになった出産前後でした。 原案/武山あゆみ作画/やましたともこ監修/助産師REIKO
2022年11月24日子連れ同士の再婚で、5人家族となったひーぼんママさん、そしてそのご家族をご紹介します。ひーぼんママさんは、保育園の保護者交流会で知り合ったシングルのパパさんと再婚。現在(2021年8月投稿の動画において)は、サッカーが趣味の旦那さん、ゲームが大好きな11歳サムくん(現在の旦那さんの連れ子)、同じくゲームが大好きな9歳ユイくん(ひーぼんママの連れ子)、お絵描き好きの3歳のヒナくん(自閉症スペクトラム・現在の旦那さんとの間に生まれた子)と暮らしています。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 YouTubeチャンネル「ひーぼんママfamily」では、自閉症児の育児に関すること、ステップファミリーのこと、ひーぼんママさんご自身の体調についてなど、楽しいだけではないご家族のありのままの姿を動画で紹介されています。 この日は、月1の面会交流日(2021年8月投稿の動画において)。 ユイくんは元旦那さんの実家へ、そしてサムくんは元奥さんの家へと遊びに行っています。その間、末っ子のヒナくんと2人きりのひーぼんママさん。元旦那さんと過ごしていた当時を振り返り、そして再婚した現在の旦那さんとのなれそめを語りました。 最後はこの日のナイトルーティンを紹介。継母として子育てに奮闘するひーぼんママさんの本音もポロリ……!? 「あのころは想像も絶する状況…」元旦那さんとの離婚と、現在の旦那さんとの出会い「元旦那さんとは、どうしてもうまくやっていけずに喧嘩ばかりだった」というひーぼんママさん。精神的に追い詰められ、ママ大好きっ子だったユイくんを引き取り、シングルマザーになる道を選択。頼れる実家も、頼れる人も、仕事もお金もない状態で、2人の生活がスタートしました。 当時を振り返り、「仕事がないので家を借りられず、保育園には仕事がないので入れず……という負のループに陥りました」と語ります。 最初は託児つきの仕事から始め、仕事に就けたことでユイくんは区の保育園へ転園。ひーぼんママさんは契約社員として働きはじめました。入園した保育園では、父母会が行われ保護者同士の交流がありました。「とにかく相談できる人が欲しかったので、シングルマザーがいないか聞いてみたところ、シングルになったお父さんならいると聞き、最初はがっかりしたんです」とひーぼんママさんは笑って言います。その方が現在の旦那さんです。 当時は離婚直後で、実家で暮らしていた現在の旦那さん。保育園の保護者同士として出会い、紆余曲折を経て子連れ同士で再婚することになりました。 月1の面会交流日、ナイトルーティンこの日は、月1の面会交流日。ユイくんは元旦那さんの実家へ、そしてサムくんは元奥さんの家へと泊まりで遊びに行っています。パパはお仕事で不在。 末っ子のヒナくんと2人きりで日中を過ごすひーぼんママさん。家事などをしながら過ごしています。 元気いっぱい日焼けしたユイくんが帰宅最初にユイくんが帰宅!プールや公園に連れて行ってもらったようで、真っ黒に日焼けしています。 ユイくんは、小さいころは面会から帰ってくると泣く日もあったそうです。けれども今は自分の居場所はここだと強く思っているようで、「この家族5人がボクには必要」と言ってくれるのだとか。ちなみに、元旦那さんも元義両親もユイくんを大切にしてくれているそうです。 3人でお風呂と夕飯タイム とにかくママと話がしたくてずっと喋り続けるユイくんと、イヤイヤ期が始まったヒナくんと3人でお風呂に入ります。 ひーぼんママさんのつかの間の休息タイムは終わりです……。 サムくんは元奥さんと一緒にごはんを食べてくるので、今日は3人での夕飯です。「今日の夕飯は手抜き」とひーぼんママさん。近所のスーパーのお惣菜と家にあったものにしたそうです。 食後の片付けをしながらほっこりタイム。そして継母としての本音…夕飯を食べて片づけをしても、サムくんがなかなか帰ってきません……。夏休みだからか、いつもより帰りが遅いようです。 ここでひーぼんママさんの本音がこぼれました。元奥さん、つまりサムくんの実母さんは、時々会うサムくんを甘やかしていると感じている様子。継母であるひーぼんママさんは「毎日一緒にいるから親として叱らないといけないこともあり、時々複雑な心境になる……」とのこと。 そうこうしているうちにサムくんが帰ってきました。ようやく帰ってきたサムくんを交えて、みんなでテレビゲームタイム! お兄ちゃん2人が帰ってきて、ヒナくんがとてもうれしそうなのが印象的です。お兄ちゃん2人が大好きなのですね。 その後サムくんとユイくんは2人で部屋にこもり、いつものようにカードゲームを楽しんでいたようです。 サムくんとユイくんはもちろん喧嘩もするけれど、お互いのことが大好きで仲良しなのだそう。そして、2人ともヒナくんに負けずに、ヒナくんのことを大事に思っている様子。ヒナくんを可愛がっているのが動画からも伝わってきます。 歯磨きタイムのあと、就寝子どもたちそれぞれが違う環境で過ごしてきた1日。 最後はみんなで楽しく遊んで、歯磨きをしたら就寝です。安心して眠る子どもたちの寝顔を見ているとなんだか胸にこみ上げるものがありますね。 ひーぼんママさん、今日も1日お疲れさまでした……! 『家族』について思うことパパの連れ子であるサムくん、ママの連れ子であるユイくん、そしてパパとママから生まれたヒナくん。ひーぼんママfamilyの他の動画を拝見していても、ひーぼんママさんがそれぞれの子どもたちを深く愛しているのが伝わってきます。 ひーぼんママさんは家族についてこう思っているそうです。 「家族は血のつながりがあるかどうかではなく、大切な存在かどうか。家族として一緒に過ごすと大変なこともあるけれど、いいところもたくさん知っているので、みんなあたたかく受け入れられる。」 継母として、ときに複雑な心境になることもあるひーぼんママさん。「家族みんなが笑顔で過ごせる家庭づくり」を意識して、日々奮闘中とのことです。 ◇◇◇ 家族みんなが互いを大切に想い、支え合っているひーぼんママfamily。動画を拝見して、家族の強い絆を感じました。そしてなによりも印象的なのが、ひーぼんママさんの笑顔! そのひまわりのような笑顔が、家族をおおらかに包み込んでいるのでしょうね。これからも、ひーぼんママfamilyから目が離せません! 著者:ライター 福島絵梨子
2022年11月24日初めての出産を控え不安でいっぱいの私は、無神経な実の父の言葉に落胆していました。そんな私の心が、ある方の思いやりのある行動と言葉によって救われました。そんなお話をしたいと思います。ひとり、のんきな父にがっかり!初めての出産を迎える私はとても神経質になり、いろいろなことに対して不安になっていました。そんな私に、出産経験のある母は理解し寄り添ってくれていましたが、父は初孫の出産ということで浮かれるばかり。 出産予定日が近づくにつれて、陣痛が始まったときの移動方法をさまざまなパターンで考えている私たちをよそに、お酒を飲むタイミングを気にする父。母や私を含め、女性は命がけで出産に臨むというのに……。のんきな父に私は少しがっかりしてしまいました。 産婦の気持ちに寄り添えない父の言葉いよいよ陣痛が始まり、入院することに。しかし陣痛が強くならず、結局その日は出産に至りませんでした。翌日の朝を迎えても、陣痛は弱いまま。こういったことは、珍しいことでないとわかっていても、なかなか進まない現状に不安でいっぱいに。「いつ生まれてくるのだろう。今日もまた1日このままかもしれない。これって大丈夫なの? 」。そんなふうに考えて、どんどん心配になっていきました。 そんな私の気持ちを察することができない父は「今日生まれてほしいな。明日になったら誕生日の語呂が悪いんだよな。今日生まれないかな」と発言。ただでさえ、なかなか陣痛が強くならず不安になっている私に、父はさらに不安になるような言葉を浴びせてきました。「なんでそんなことを今言うかなぁ……」と私は父にイライラし、そして悲しい気持ちになりました。 私の心を救ってくれたのは…気持ちに寄り添えない父の発言を母に話すと、「無事に生まれてきてくれたら、それでいいことなのに!」と一緒になって怒ってくれました。そんな私たちの様子を見ていた助産師さんは一旦その場を離れたあと、再び戻ってきて私たちにやさしく声をかけてくれました。 「お二人の会話を聞いて、お父様が語呂が悪いとおっしゃっていた日がお誕生日のほうを調べてみたのですが、すごいですよ! 有名人がたくさんいらっしゃいましたよ。どちらの出産になってもとても楽しみですね」。 その言葉は、不安でいっぱいだった私の心をとても癒やしてくれました。なにより私の心に寄り添い、行動を起こしてくださった助産師さんのやさしさがうれしくて仕方がありませんでした。 その後、無事に陣痛が強くなり、元気な息子を出産することができました。産婦の気持ちをすぐにくみ取り、心に寄り添える助産師さんは「さすがだな」と思わずにはいられません。何年たっても、助産師さんの温かい思いやりを忘れることはないと思います。 監修/助産師 REIKO著者:山下亜衣10歳と7歳のサッカー小僧の母。子どもたちを応援するため、アスリートフードマイスターを取得。転勤族で現在は地方での生活を満喫中。趣味はキャンプ。
2022年11月23日少人数の職場ゆえ、2人目の出産の際には、他のスタッフに極力迷惑をかけないようなタイミングで産休を迎えようと計画的に妊活をしたつもりでした。ところが、根本的な知識不足によって最も人手が欲しいタイミングで出産を迎えてしまったのです。ざんげの気持ちでいっぱいだった2人目の出産体験談です。※コロナ禍前の体験談です 我慢を続けた2人目妊娠私たち夫婦は3人子どもを持ちたいと思っていたので、1人目の出産直後から2人目の妊娠をいつにしようか考え始めました。そして、1人目は1年間育休をいただいたので、復職して丸2年は我慢しようと決めました。 1人目を産んだころは私の周囲も1人目出産ラッシュ。ところが復職して1年が経ったころ、同じころに1人目を産んだ同僚たちが2人目出産ラッシュに入ったのです。幸せそうな同僚たちに焦りとうらやましさを感じ、妊活をスタートしてしまおうかと思いましたが、他のスタッフに迷惑をかけたくない一心で我慢に我慢を重ねました。 痛恨の計算ミス私の職場では8月中旬に大きな主催イベントがあり、私自身もそのイベントのなかで担当企画を持っていたため、そのイベントが終わってから産休に入るようにしたいと考えていました。イメージとしては9月中旬の出産です。 しかし、1人産んでいるにもかかわらず、妊娠0日目の数え方を完全に勘違いしていた私。しかも2人目妊活を開始してすぐに妊娠したため、出産予定日が大事なイベントのわずか1週間後になってしまったのです! やさしい職場に助けられ職場に迷惑をかけたくないと計算したはずが、最も迷惑をかけるタイミングでの妊娠となってしまった私。それでも上司含め同僚たちも笑顔で受け止めてくれ、「やりたいなら体を一番に、やれるだけやりな」と、私の判断で本番までできる範囲で関わっても良いと言ってくれました。 経過も良好だったので、一応出産予定日の3週間前には産休に入ったものの、その後も自分の体調と相談しながら担当企画の進捗を見届けさせてもらっていました。 まさかの本番まるかぶり胎児の経過も良好で、イベントの前日リハーサルにもほぼ終日立ち会い、このままイベント本番を迎えてから出産できるなと勝手に安心していました。ところが翌日の本番早朝、まさかの陣痛が! しかも気づいたときにはもう5分間隔。最も恐れていたイベントの本番と私の出産本番が丸かぶりになってしまったのです。 分娩台の上でも陣痛の痛みとイベントが無事に進んでいるかの不安とが入り交り、出産後も喜び半分、ざんげの気持ち半分という、なんともほろ苦い経験となってしまいました。 私の場合は理解のある職場だったので、大迷惑をかけてしまったにもかかわらず笑顔で祝福してくれましたが、申し訳なさが消えず、自分では素直に喜びきれませんでした。3人目こそしっかり計算をし、笑顔で職場にも報告できるような妊娠・出産を目指したいものです。 監修/助産師REIKO著者:笹谷みずき 二女の母。地方の住宅街から離れた山の中在住。現在は外勤めですが、いつかは自宅周辺の自然を活かした事業を起こしたいと目論見中。地方での出産・子育ての楽しさを伝えるべく、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年11月22日私が1人目を出産したときの出来事です。義母との付き合いはまだ浅く、義母の性格について理解しきれていませんでした。安定期に入ったころに義母から、「分娩には立ち会ってあげるから、安心してね」と言われ、直接お断りしていたので、伝わっていると思っていたのですが……。分娩には立ち会ってあげるからね妊娠が判明して安定期に入ったころ、子どもの性別がわかったので義母に伝えるために、夫と2人で義実家を訪問しました。性別を報告すると、義母から「性別がわかってよかったわね。初産は大変だろうから分娩には立ち会ってあげるから、安心してね」と言われたのです。 以前から、夫婦でバースプランを話し合っていて夫がお産に立ち会うことになっていたので、「夫と2人で乗り越えたいと思っていますので、ごめんなさい」とお断りしました。 お母さんがいらしています出産当日、分娩室に移動したときでした。看護師さんから「お母さんがいらしていますので、お通ししましたよ」と声をかけられました。分娩室に入る前に夫が両家にもうすぐ産まれることを連絡したようで、立ち会いをお断りしたはずの義母が分娩室に現れたのです。 どうやら看護師さんは立ち会う人を把握しておらず、義母を分娩室に通してしまったようです。突然入ってきたのでお断りする隙もなく、痛みで余裕もなかったため、結果的に義母と夫がお産に立ち会うこととなりました。義母と言えど、股を広げている分娩室にいきなり入ってこられて不快な気持ちになりました。 2人目のお産での対策1人目のお産での反省を生かし、1年後の2人目出産の際には夫婦2人でお産に臨みたいことを夫には口を酸っぱくして伝えておきました。 今回は、陣痛がきても周囲には伝えず誕生してからの事後報告にすると夫と約束すること、夫以外は通さないでほしいと夫には内緒でバースプランに記入しておくことの2つを新しい対策として実行。対策の甲斐あって、夫婦2人で穏やかな気持ちでお産に臨むことができました。 2人目の出産の際には夫婦2人で出産に挑みたいことを義母にどう伝えるのがいいか悩みましたが、病院に頼るのも1つの手だと思いバースプランに記入しておきました。2人目の出産経験を生かし、対策をしておくことで今はうまく義母とお付き合いができています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:森優美2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月18日子連れ再婚をした私は、当時10歳の娘と夫の関係で悩んでいました。一人ひとりはやさしく情に厚いのに、関わるといがみあってしまう。どうしてこうなってしまったのか、私の決断のせいで2人に無理をさせてしまっているのか。安心して過ごす場所であるはずの家庭内で、気が休まらずに緊張しながら生活している。そんな状況を解決したくても、いったいどうすればいいのかわからないまま時は過ぎていきました……。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声をご紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 子連れ再婚は理想とは程遠く…籍を入れる前に同棲をしていた私たちは、生活のあらゆる面で価値観の違いがありました。特にお互いの子育てに関する価値観の違いは大きく、口論になることも。子育て未経験の夫にとっては、子どもの甘えとわがままの境界線が難しいようで、ストレスを募らせていました。 娘もその不穏な空気を察して、段々と夫になつかなくなっていきました。そうなると負のスパイラルで、3人で談笑することなんて考えられないといった雰囲気にまでなってしまいました。 このころの私は、娘の気持ちと夫の気持ちを常に気にしていました。どちらの言い分もウンウンと聞きながら、思い描いていた家庭とは程遠い現実に、無力感と娘への罪悪感でいっぱいでした。 セメントベビーが生まれて変わった父と娘の関係婚約後、妊娠が判明したあとも相変わらず3人になるとピリッとした雰囲気でしたが、赤ちゃんが生まれると、娘と夫は一緒にお世話をする機会をもつことで少しずつ打ち解けていきました。子連れ再婚した夫婦に生まれた赤ちゃんは「セメントベビー」と呼ばれるそうですが、赤ちゃんのかわいさが、固まっていた関係をあたたかく溶かしていってくれたように感じます。家族に笑顔が増え、会話も増えました。 今までは指摘することでしか話さなかった2人が話している様子を見て、これまで2人を信じて頑張ってきてよかったと言葉にできない気持ちがあふれました。 幸せをかみしめる日がくるなんて今も少しずつ関係はよくなっています。時にはもめることもありますが、赤ちゃんをかわいがる2人を見ると、以前のような心配は減ってきています。 セメントベビーという名前の通り、私たちを家族としてくっつけてくれた赤ちゃんの存在に心から感謝する日々です。そして、一番安心したい家庭の中で不安な気持ちで過ごさなければならなかった娘と、子育て感の違いに苦しみながら最後は私の意見を尊重してくれる夫にも。こんなふうにじんわりと幸せをかみしめる日がくるなんて。諦めずに進んできてよかったと実感しています。 ステップファミリーになり、自分の愛する人同士がこじれていくのを目の前で見るのは想像以上につらいものでした。そんなときに生まれ、家族をくっつけてくれたセメントベビーの存在は本当にありがたいものになりました。そして、家族を信じ、決して諦めないことで希望は見えてくるんだと実感しています。 著者:篠田めい自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月14日妊娠がわかり、義母や義父に報告をしたときのお話です。私には3人の子どもがいますが、妊娠したときの反応は毎回なぜか出産することを反対するような言い方なのです。同じ母親として疑問を抱くほどの発言をされ、不信感が募ってしまった体験談をお話しします。妊娠判明! 実父母は喜んでくれました最初の妊娠はまだ夫と結婚をしておらず、「できちゃった婚」になりました。実父母に赤ちゃんができたことを話すと、自分のことのように喜んでくれたので一安心。冬に妊娠したこともあり、「これから寒くなるからしっかり温めないと!」とか、「無理しちゃダメよ」と気遣ってくれました。両親から受ける愛情の深さに、初めての妊娠でもあまり不安を感じずに過ごせそうな気がしました。 義母に報告したときの衝撃のひと言私の両親が喜んでくれていたので、同じように喜んでくれると思って義母にも報告をしました。しかし妊娠したことを伝えたときの義母のひと言は、「堕ろしなさい」だったのです。その言葉のあとに続いたのが「私も昔、堕ろしたことがあるけれど、早いうちなら体に害がないから大丈夫よ」という言葉。信じられない言葉にショックを受け、何も言えなくなった私に、義母は淡々と堕ろす手順を話し始めたのでした。 夫とはまだ結婚をしていませんでしたが、これから入籍し、産んで育てていきたいと思って2人で報告に行ったのに、まさか「堕ろせ」と言われるとは思いませんでした。私が妊娠したとき、夫はまだ社会人になったばかりで、試用期間中でした。義母は夫の仕事が続くかもわからないので、そんな状態で赤ちゃんを育てていけるのかと心配だったこともあると思います。しかしいきなりの想定外の言葉に、夫も私も戸惑いを隠せませんでした。 義母を説得してくれた夫私も夫も赤ちゃんを産んで育てていきたいと強く思っていました。義母に本当に育てていけるのか? と問われ、「何があっても俺が守る!」と最終的に夫が義母を説得してくれたのです。私は初めての妊娠で不安だらけでしたが、そのとき「この人となら赤ちゃんを育てていける」と確信しました。しかし、義母は赤ちゃんが生まれるまでは人間として見てくれないのではないだろうか……と不安になったときのことが今でも忘れられません。 現在、そのときの子どもは4歳になり、その下に2人子どもが生まれて毎日とても幸せです。4歳でもしっかりお姉ちゃんをしている娘を見て、あのとき義母に従わず堕胎しなくてよかったと心から思っています。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2022年11月14日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2022年11月07日双子の妹たちのお世話を楽しそうにしていた娘が、本当は我慢していると知った私は、それまで気がつかなかったことに反省と後悔の気持ちでいっぱいに。そこである行動にでることにしました。それは、毎日たった10分のことなのですが、それが功を奏したのです。幼稚園の先生から驚きの話が双子を妊娠したと知らせたときから、生まれてくることをとても楽しみにしてた当時4歳の娘。妹たちが生まれてからは、育児用ミルクを飲ませたり、本を読んであげたり、歌をうたってあげたり、とても楽しそうにお世話をしていました。 そんな姿を見て、私はとてもうれしく思っていたのです。しかし、双子たちが生まれて半年くらいたったころ、幼稚園の先生に「ちょっと我慢しているように感じます」と言われ、正直私は驚きを隠せませんでした。 気がつかなかった娘の気持ち先生に話を聞くと、幼稚園で娘が「お姉ちゃんだから我慢するんだ」などと言っていたので「ママに甘えてもいいんだよ」と声をかけると、「でも、お姉ちゃんだから……」と少し寂しそうに答えるということでした。気になるたびに声をかけると娘は毎回同じような答えを返すので、先生は私に話をしてくれたようです。その日の夜は、娘にかわいそうなことをしてしまったという反省と、気がつかなかったことを後悔する気持ちでいっぱいでした。出産前から1カ月ほど娘を実家に預けて入院をし、産後は双子の育児が中心の生活。思えば、娘に寂しい思いをさせていたはずなのに気がついてあげることができませんでした。 双子のお世話に追われながらできることを考えた結果……娘に何かしてあげられることはないか、を考えました。ただ、どうしても日々は手のかかる双子の育児が中心となってしまいます。そのため、時間もありません。でも、何かしてあげたい気持ちで考えたのが、「娘とママだけの寝る前の10分」を作ること。 この10分は双子をパパや手伝いにきてくれている母にお願いし、私と娘だけの時間にしました。パズルをしたり、積み木をしたり、好きな本を読んだり、折り紙をしたり、2人でその日にあったことを話したり、娘のしたいことをして最後にぎゅっと抱きしめて「おやすみ」をします。娘もこの時間を毎日楽しみにしていました。 娘の様子に変化が現れた!この10分の時間を過ごすようになりしばらくしたころ、娘がよく笑っていて変化がみられると幼稚園の先生から連絡がありました。先生から「何かしたのですか?」と聞かれるほどでした。 たった10分の短い時間ですが、大事なのは「娘だけのママとの時間」だったのです。下の子が生まれるまではひとり占めしていたママとの時間がなくなり、娘は本当に寂しい気持ちでいたと思います。 娘が無理していることに気がつかせてくれた、幼稚園の先生からのひと言。本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。多くのことはしてあげられなかったのですが、娘の気持ちに気がつき、少しでも寄り添うことができて本当によかったです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:田中つばさ二卵性の双子(年中)と小学生の娘の三姉妹を育てる母。Web企画や秘書、人材系営業職を経験。現在は在宅ワークとワンオペ育児に奮闘する毎日。出産体験や双子育児に関するエピソードを執筆中。
2022年11月04日