安藤裕子が、11月17日にリリースするニューアルバム『Kongtong Recordings』(読み:コントンレコーディングス)の収録曲とジャケット写真を公開した。今作には、世界中のリスナーからの大きな反響を獲得したTVアニメ『進撃の巨人』The Final Seasonエンディングテーマ「衝撃」がalbumバージョンとして収録されるほか、テレビ東京系ドラマ『うきわ―友達以上、不倫未満―』オープニングテーマ「ReadyReady」、さらにファンの間ではライブでお馴染みの「少女小咄」を含む全12曲を収録。なお収録曲の発表は、本日10月1日に行われたYouTube生配信にて安藤本人からアナウンスされた。また、安藤の書き下ろし短編小説が収録された『コーヒーと短編』が本日より発売されている。さらに安藤は10月29日公開の映画『そして、バトンは渡された』に出演することが決定している。<リリース情報>『Kongtong Recordings』(読み:コントンレコーディングス)11月17日(水) リリース価格:3,300円(税込)初回限定仕様:安藤裕子直筆シリアルナンバー入りブックレット予約リンク:【収録曲】01.All the little things02.ReadyReady テレビ東京系ドラマ『うきわ―友達以上、不倫未満―』オープニングテーマ03.UtU04.Babyface05.恋を守って06.森の子ら07.少女小咄08.Toiki09.僕を打つ雨10.teatime11.Goodbye Halo12.衝撃(album ver.)TVアニメ『進撃の巨人』The Final Seasonエンディングテーマ【特典】各法人: A4オリジナルクリアファイルAmazon:メガジャケ「ReadyReady」リリックビデオ<書籍情報>「コーヒーと短編」庄野雄治 編10月1日発売定価(本体1,300円+税)ミルブックスHP:<映画情報>『そして、バトンは渡された』10月29日(金) 全国公開映画『そして、バトンは渡された』本予告編公式サイト:公式Twitter:公式Instagram関連リンク安藤裕子オフィシャルサイト安藤裕子オフィシャルTwitter安藤裕子オフィシャルInstagram安藤裕子オフィシャルオフィシャルYoutubeチャンネル
2021年10月01日どんな仕事においても、働いていく中で専門的なスキルが身に付き、また、みがかれていくもの。漫画家の中村ゆきひろ(@Nmurayukihiro)さんがTwitterに投稿した漫画は、保育士という仕事のすごさ、そしていかに専門的なスキルをもっているかが、よく分かるものでした。保育園で、衝撃的だったこと我が子が保育園に通っていた際、保育士体験を受けたという中村さん。子供たちは元気いっぱいで、静かにしなければいけないシーンでも、中村さんの言葉に聞く耳をもたなかったといいます。しかし、プロの保育士の手にかかると…。ムスメが保育園に行ってた時に衝撃的だったことの漫画です pic.twitter.com/b4FoRHxvwk — 中村ゆきひろ (@Nmurayukihiro) September 29, 2021 各々好きなことに夢中な子供たちを相手に保育士がしたことは、手遊び歌。するとどうでしょう、子供たちは保育士と一緒になって、手遊び歌をはじめ、最後には全員が前を向いて着席していたのです。ま…魔法か~!?そう心の中で叫ばずにいられなかった、中村さん。日々、子供たちと向き合い、行動や習性を知り尽くしているからこその保育士のスキルに衝撃を受けたといいます。中村さん同様、漫画を読んで「すごい」と感動を覚えた読者は多く、絶賛の声が多数寄せられました。・幼稚園の頃に、自分もこの手遊び歌に釣られていたことを思い出した。・小さい子もこれなら楽しく静かにできますね。考えた人すごい!・保育園の先生って天才だよなぁ…。おとなしい子、元気な子、イヤイヤ期の子もいれば、そうでない子など、保育園や幼稚園にはさまざまな子供がいます。子供一人ひとりにあわせた対応はもちろん、時には一度に全員を相手しなければならないこともあるでしょう。子供の視点に立ち、うまく誘導する保育士さんは、『専門職』といえますね…![文・構成/grape編集部]
2021年09月30日この度、モデル・タレントの西内ひろとフォトグラファーの大島央照(オオシマチアキ)で「#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE」2nd 写真展を開催。新たに、フラワーアーティストのMASSAをお迎えし、展覧会を開催いたします。また、西内ひろが初プロデュースするアパレルブランド“KIGINU”の初公開、オンラインイベントも開催いたします。URL: #PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE 2nd 写真展【オンラインイベント】9/18(土)17:00~18:00/出演:西内ひろ、大島央照ギリシャで大島が撮影したドキュメンタリー映像を見ながら、旅、写真、写真集の裏話などをいたします。お申し込みURL: ※取材いただける方はURLを発行いたします。オンラインイベント終了後15分間、質問を受け付けます。E-MAIL passportbook2021@gmail.com にオンラインイベント参加と書いて17日(金)21時までに、媒体名、掲載予定日、担当者名を明記し、お申し込みください。#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE 2nd 写真展■女性ふたり旅。ギリシャで見た美しい景色と植物の生命力・色彩を見せる空間、旅で得たインスピレーションで作る洋服、ここにしかない初のコラボレーション!!「#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE」2nd 写真展「2014年ミス・ユニバースジャパン」準グランプリの西内と、「2002年ミス・ユニバースジャパン」ファイナリストの大島がキューバの旅をスタートとして動き出した#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE。今作は、西内が“一番天国”だと思ったギリシャのサントリーニ島とミコノス島の旅、第2弾。広大なエーゲ海、青い空、宝石のように輝く街、大きな太陽に照らされたピンクに染まる夕景の街etc。ギリシャで見た、ただただ美しい景色と、どんどん開放的になっていく西内のドキュメンタリーを写真と映像に収めました。今回は、ギリシャの写真を見てインスパイアされたMASSAの生命力溢れる花、そして、旅で得たインスピレーションを受けて作った西内の初ブランドとのコラボレーション展示!【#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE 2nd 写真展×MASSA/at UNDER THE PALMO】Hiro Nishiuchi×MASSA×Chiaki Oshimaギリシャをより近くに感じることができるような葉山の海が目の前に見えるUNDER THE PALMOにて、モデル 西内ひろと写真家 大島央照が旅したギリシャの開放的な景色とリアルなドキュメンタリー写真・映像と、唯一無二の空間づくりを演出するフラワーアーティストMASSAが「天地人・力強さ」をコンセプトとし植物の生命力/色彩を表現。ここにしかない新たな空間を作るコラボレーションを展開。そして西内ひろが初めて監修するブランド1st Collection“KIGINU”。ヨーロッパを旅しながら得たインスピレーションで、美しい自然と共存するものづくりをテーマに、サスティナブルでエコな素材から作り出される生地を使用し洗練された大人の女性の魅力を引き立てるリラックス感あふれるブランドも展示いたします。是非ご覧ください。<西内ひろ/Hiro Nishiuchi>モデル・女優・タレント・フィリピン観光親善大使・宗像国際環境会議アンバサダー/福岡県出身1989年、福岡県生まれ。16歳でデビューしタレント、モデルとして活躍。2014年にミス・ユニバースジャパンで準グランプリを獲得。2018年にフィリピン観光大使に任命され、同国の映画『KINTSUGI(金継ぎ)』にヒロインとして出演(2021年、日本公開)。2020年フィリピンマニラで行われた第四回Pista ng pelikulang Pilipinoにおいて140本の映画ラインナップの中からBest Actressにノミネートされる。最近はSDGsに根差した環境問題への取り組みを国内外で積極的に行っている。趣味で始めた海外旅行では、これまでに40ヶ国を訪れ、そのセンスが好まれアパレル、宿泊施設など幅広くプロデュース・ディレクション業にも力を入れている。Web: 西内ひろ<Massa Nakagawa>フラワーアーティスト/ダイナミックさと繊細さを合わせ持つ独創的なスタイルと、日本的な感性を融合させたフラワーデザインが信条。世界のハイブランドのレセプション、オープニングパーティーの装花演出、雑誌、広告、ウェディングなどのデザインワークを数多く手掛ける。またコンサートのステージデザインなどのアートワークやディスプレイは既成の概念に囚われない空間デザインとして国内外で高く評価されている。2010年「Flowerアート&デザイン協会」会長就任。2012年パレスホテル東京でのWEDDING装花ブランド「MUKU」を立ち上げ、デザイン監修、同エグゼクティブアートディレクターとして就任。Web: MASSA<大島央照/Chiaki Oshima>写真家/京都府京都市出身雑誌IN ROCK, MOVIE STARにて来日ハリウッドスター、各界のセレブリティのポートレートを中心に、広告、雑誌、オフィシャル撮影、映像撮影、ディレクターなど手がける。ライフワークで人の人生の一部を追いかけたフォトドキュメンタリーを国内外で撮影、展覧会に多数参加。2016年 #PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBAを企画・撮影・制作・出版。2002年ミス・ユニバースジャパンファイナリスト、モデル、女優として舞台、イタリア映画(TARDA ESTATE/ベネチア国際映画祭招待作品)出演など。最近は、各々のライフステージに寄り添ったChiaki Oshimaフォトプランの展開や、料理撮影のディレクション、ドレスやジュエリー撮影など幅広く行っている。Web: 大島央照【#PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBA】60年代から止まったままのキューバの景色を残したい。アメリカとの国交が回復して変わってしまう前に今のキューバの街と、西内ひろが旅するキューバを写真集として残したいという想いのもと、キューバの旅を初めとして#PASSPORT BOOK制作を開始した。#PASSPORT BOOKとは、旅先でスタンプをおしていく様に、旅の思い出を写真と文章で綴るブック。ここにしかない自分だけの#PASSPORT BOOK。一緒に旅をした気になる、旅をしたくなるブックを写真と文章で構成。Web: #PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBA 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年09月16日安藤裕子が11月17日にニューアルバム『Kongtong Recordings』(読み:コントンレコーディングス)をリリースすることが決定した。今作は、タイトルが表す通り混沌とした今の想いが詰まった今しか創れない作品となっており、TVアニメ『進撃の巨人』The Final Seasonのエンディングテーマ「衝撃」やテレビ東京系ドラマ『うきわ―友達以上、不倫未満―』オープニングテーマ「ReadyReady」などが収録されるほか、初回限定仕様には本人直筆のシリアルナンバーが入ったブックレットが付属する。そのほかアルバムの詳細に関しては、後日行われる予定のYouTube Liveにて本人から発表される。合わせて安藤の新たなアーティスト写真が公開され、カラフルに彩られた前回のイメージから一変し、モノクロで凛とした表情が印象的なビジュアルとなっている。安藤は10月29日公開の映画『そして、バトンは渡された』に出演するほか、ミルブックスより刊行の『コーヒーと短編』への短編小説の書き下ろしや表紙モデルを担当することが決定している。<リリース情報>『Kongtong Recordings』(読み:コントンレコーディングス)11月17日(水) リリース価格:3,300円(税込)初回限定仕様:安藤裕子直筆シリアルナンバー入りブックレット【特典】各法人: A4オリジナルクリアファイルAmazon:メガジャケ「ReadyReady」リリックビデオ<番組情報>『うきわ ―友達以上、不倫未満―』8月9日(月) より毎週月曜23時6分放送『うきわ ―友達以上、不倫未満―』告知画像監督:風間太樹 / 太田良出演:門脇麦 / 森山直太朗 / 田中樹(SixTONES)/ 高橋文哉 / 小西桜子 / 大東駿介 / 蓮佛美沙子 / 西田尚美原作:野村宗弘『うきわ』(小学館ビッグスピリッツコミックス)放送局:テレビ東京 / テレビ大阪 / テレビ愛知 / テレビせとうち / テレビ北海道 / TVQ 九州放送配信:動画配信サービス『Paravi』と『ひかりTV』にて配信予定Paravi:ひかりTV:公式HP:<書籍情報>「コーヒーと短編」庄野雄治 編10月1日発売定価(本体1,300円+税)ミルブックスHP:<映画情報>『そして、バトンは渡された』10月29日(金) 全国公開映画『そして、バトンは渡された』本予告編公式サイト:公式Twitter:公式Instagram関連リンク安藤裕子オフィシャルサイト安藤裕子オフィシャルTwitter安藤裕子オフィシャルInstagram安藤裕子オフィシャルオフィシャルYoutubeチャンネル
2021年09月08日インターネット掲示板「2ちゃんねる」創設者の“ひろゆき”こと西村博之氏(44)と実業家・前澤友作氏(45)の“バトル”が勃発。しかし、ネットでは2人に冷ややかな視線が送られている。ことの発端は、25日にTwitter上で前澤氏が発表したマイホームを建てる人を対象にした10万円配布キャンペーン。前澤氏がそれまで行ってきた “お金贈り”は困っている人や挑戦している人を対象としたものだった。しかし、今回の企画の対象者は”マイホームを建てようとする人“。コロナ禍の今、家を建てられる人は”困っている人”ではないのでは?と、過去の企画と大きく異なる方向性に対し、疑問の声が集まっていた。それらの声に対し、前澤氏は《最近こういうの多いからはっきり言っておく。誰に配ろうが俺の好き。国の社会保障と一緒にしないでもらいたい。あくまでも個人からの寄付や、企業のキャンペーンなので悪しからず。こういうこと言ってくる人はブロックします》(現在はツイートを削除)と反論。この主張に疑義を唱えたのがひろゆき氏。同日、彼はTwitterにこう呟いた。《「困ってる人や挑戦してる人を助けたい」と言ってたので、「フォロワー増えないから児童養護施設への寄付しません」とか「寄付の抽選に謎のアプリのインストール必須」とかの矛盾が指摘されてた前澤さん。お金配りは営利企業のキャンペーンです!って、最初から認めておけばよかったのにね。》その後、この投稿によって前澤氏にブロックされたことを報告したひろゆき氏。《企業のキャンペーンとして、「寄付の抽選に謎のアプリのインストール必須」ってのは、前澤さんが書いたことや事実だと思うのですが、、何がお気に召さなかったんですかねぇ。。。?》と、皮肉交じりに呟いていた。すると前澤氏もひろゆき氏からの攻撃に“応戦”する素振りを見せる。翌26日夕方、前澤氏はインスタグラムのストーリーズを更新し、黒い背景に、白い文字で、《人の良いところを褒めて讃えるより人の悪いところをイチャモン付けて馬鹿にしたり揚げ足取ったりする方がお手軽で簡単だとは思うけどそんなことして気持ちいいのかな?健康的ではないなー平和的でもないなー》と、ひろゆき氏に対する”愚痴”と思われるメッセージを投稿したのだ。5月にも、寄付への考え方の相違からもめていた二人。ネット上で何度も繰り返される彼等のやりとりに対し、SNSでは呆れの声が相次いでいる。《高校生みたい》《いい歳した大人達が何を子供の様な喧嘩をしているの》《勝手にやってください》《どっちもどっちかなぁ》《裏でやり取りすればいいのに…》《何でいちいち晒すかな?》
2021年08月27日「宮迫さんっていう人がなんでこんなことになったかっていうと、多分優秀だったのが問題なんですよ」こう話したのは、実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏(44)だ。8月20日、自身のYouTubeチャンネルでライブ配信を行ったひろゆき氏は、お笑いコンビ『雨上がり決死隊』の解散に言及した。宮迫博之(51)について冒頭のように話した彼は、さらにこう続けた。「多分、宮迫さんがYouTube超失敗してたら大丈夫だったんですよ。登録者数が数千人とかで再生数も全然回らなくて。TKO木下さんみたいにマジでもう勘弁みたいな感じであれば、『ほらねYouTubeダメだったでしょ?』で、吉本興行に土下座して謝って、なんとか食わせてくださいっていう形にして」そして「なまじ宮迫さんがYouTube成功しちゃったんですよね。成功しちゃったせいで、『別にテレビとか戻んなくてもこいつ食えてんじゃん』っていうのがみんな見えちゃったんですよ」と語った。そのいっぽう17日に放送された「アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会」(テレビ朝日系)を観たというひろゆき氏は、宮迫の元相方である蛍原徹(53)についてこう話した。「『しゃべれるゲストの人が面白いこと言ってます』っていうので。蛍原さんの回しで面白かった部分ってあんまりないんですよ」また「ぶっちゃけ蛍原さんいなくても、アメトーク成立するなという風に僕は見えたんですよ」とも明かしたひろゆき氏。「『宮迫さん、そこまで悪いことをしたの?』っていうのと、あと『蛍原さん、ぶっちゃけ冠番組作る実力ないよね』っていうのがあるので、あの騒動はいかがなものかと僕は思いました」と話す一幕もあった。■「そりゃ、ホトちゃんをディスって宮迫アゲするわな」「捨て垢の中傷レベル」宮迫を擁護し、蛍原への痛烈なディスを展開したひろゆき氏。しかし、ひろゆき氏は宮迫のYouTubeチャンネルの管理に携わる『株式会社Guild』のメンバーだ。同社の公式サイトによると、“ほぼ黒幕”との役職に就いているという。そのためネットでは蛍原を“下げ”、宮迫を“上げた”彼の言動を疑問視する声が上がっている。《ひろゆきポジション・トーク?》《換言すれば利害関係者じゃん。本当に分かりやすい奴だな》《そりゃ、ホトちゃんをディスって宮迫アゲするわな》また動画でひろゆき氏は「あの状態の蛍原さんを見て、蛍原さんの名前で冠番組をオファーするテレビ局がありますかっていうと多分ないんですよ」といい、こうも述べている。「『アメトーク』という場所ぐらいしか多分続かないと思うんですよね。なので若手芸人さんの場所ではあるし、蛍原さんの収入の源でもあるので、『アメトークは続けるべきだよ』っていうのを他の芸人さんが言ってるのは、すごく正しいと思うんですよ。ただ他の芸人さんが『お前の実力だと冠番組なんかもう持てねえから、マジでやめんな』とか、『間違ってるよ』ってのは多分言えないんですよ。でも本心、多分そういう感じに見えると思うんですよね」そして、蛍原にこう提案した。「そこらへんの冷静な判断ができていない時点で、蛍原さんはちょっとカウンセリングとか受けたほうがいいんじゃないかなと思ったんですよ」しかしひろゆき氏が蛍原にカウンセリングを勧めたことに、不快感を覚えるひとたちもいる様子。ネットでは、こんな声が上がっている。《ひろゆきなんで蛍原のことめっちゃ悪く言うんと思ったら宮迫と繋がってるのかーそれだけで蛍原アメに要らないって言うんか カウンセリング受けろって言うんか》《「蛍原さんはカウンセリング行った方が良い」は無いよな》《メンタル病んでるからカウンセリング行けとかいう捨て垢の中傷レベルのもの》《ひろゆきの蛍原さんはつまらない、カウンセリング受けたほうがいいと発言した件について、是非とも宮迫さんに言及して欲しいよね》
2021年08月26日大人気マンガシリーズ、今回は古川 昌(@furukawa_shou)さんの投稿をご紹介! 「かわいい!と理解ってる女に利用され」第2話です。 苦手な知り合い・かのさんにばったりでくわした古川さん。かのさんは浴衣を着ているみたいですが…?花火とかあったっけ…?出典:instagramやっぱりないよね?出典:instagramえっお話!?出典:instagramかのちゃん曰く…出典:instagram花火大会を断わると…出典:instagram嫌な気分にさせちゃったかな?出典:instagram急に話題が変わって…出典:instagram…………???出典:instagram思わず変な声が…出典:instagramなぜかおしゃべりする流れになってしまった古川さん。聞いてもいないことを話すかのさんに困惑しているようです…。毎日1日1話更新中♪次回の配信もお楽しみに!(lamire編集部)(イラスト/@furukawa_shou)本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。"
2021年08月17日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第15回は、『素直な子供』について。また、誰もが持っている劣等感について、きしもとさんが持論を展開します。第15回『気休めだけど、持ってってや。』レジャーシートを広げてごっこ遊びをしているところに、フリスビーが飛んできた。遊んでいた女の子たちは突然飛んできたフリスビーに驚きはしたものの、特に迷惑そうにすることはなく、不安定に転がるフリスビーの行く先を見つめていた。レジャーシートから少し離れた、手を伸ばしても絶妙に届かない辺りでフリスビーが止まる。拾ってあげようかそのままにしていようか迷っている。一人の子が立ち上がりフリスビーの方へ歩いて行ったが、案の定というか、拾おうとした女の子と取りに来た見知らぬ男の子とほぼ同時にフリスビーの元に辿り着いた。お互いに気まずそうにしながらも「せっかくだから」という雰囲気で、女の子が拾って渡してあげた。男の子が「ありがとう!」と思いのほか大きな声でお礼を言ったので、素直な子だなと感心する。女の子は返事をせずに戻っていった。素っ気ないなと思う。普段はおちゃらけて僕たちを笑わせてくれるような、天真爛漫を絵に描いたような子なので不思議に思う。それでも、知らない子に親切にしてあげているのを見て嬉しかったので、僕はその子の側に行き「ありがとうって言ってもらえたなあ」と声をかけた。褒められるためにやったわけではないだろうから、偉いとかすごいとかではなく、喜んでもらえて嬉しかったねという気持ちをただ共有するつもりで、話しかけた。少し照れながら、まんざらでもない顔をする。返事をしなかったのは照れ臭かっただけなのだと思い「答えてあげたらよかったのに~」と、助言をするいうよりはどちらかというと調子付かせる感じで言った。するとその子は笑いながら「わたしの声へんやから」と答えた。思いもしない言葉だったので「ん?なんで?変じゃないで?」と間の抜けた返答をしてしまう。「こないだ友達に、笑い声が変やって言われたから声聞かれたくないねん」言う。そんな一言で声を出すことを躊躇するようになるなんて悲しすぎる。けれど、その場で「誰やそんなこと言ったん!許せへん!」と息まくことができないのは、僕自身もその一端を担っていたかもしれないと思ってしまったからだ。いつも変な顔をしながらみんなを笑わせていたその子が、笑われることに本当は傷ついていたのかもしれない。なにも知らずになにも考えずに笑っていた僕は、大きな間違いを犯していたんじゃないか。「まったく変なんかじゃないし、君の楽しく話す声も元気に笑う声も好きやで」と伝えたけれど、その言葉は不安を打ち消す魔法の言葉ではなく、ただの気休めにしかなっていないような気がした。気の弱い、控えめな女の子がいた。その子には仲のいい友達が2人いて、その日も、その2人に付いて遊んでいた。自分の意見をあまり言わずに2人の言いなりになっているように見えて、その子がひとりになったときに「嫌なら嫌って正直に言っていいんだよ」と、声をかけた。「僕はあなたの気持ちに気づいているからね」という風に、救いの言葉として伝えた。するとその子はしばらく黙ってから涙を流した。残念ながらその涙は、理解者が現れた感動からではない。「怒られた」と思って泣いていた。「嫌って言っていいんだよ」という言葉が、嫌だと言えない自分が悪いのだと思わせてしまっていた。そんなつもりじゃないんだよ、と言っても遅い。自分の思いに正直になっていいよっていう言葉で僕は、嫌と言えないその子自身を否定しまっていたのだ。その子は、仲良しの2人に付いて遊ぶことを嫌とは思わず、もしくは自分で嫌だという気持ちに気づいていない中で、外側から「嫌って言えない自分はダメなのだ」と、元々は持っていなかった不安を持たされたことになる。素直な子と聞いてどんな子を思い浮かべるだろう。気持ちよく「ありがとう!」と言えたり、悪いことをして「ごめんなさい」と言える子を見て素直だなと感じる。なにかお願いをして「うん!」とか気持ちよく返事してくれると素直ないい子だなあと思う。けれどそれは、子どもに素直になることを求めているんじゃなくて、聞き分けが良くて可愛げがあることを求めているのかもしれない。僕が求めている姿や正しいような姿だから素直だと感じているのかもしれない。以前、ある保育士さんが「子どもに注意した時、すぐにケロっとしていると馬鹿にされている気になったり、もっとしょんぼりしろよ…と思ってしまう自分がいる」と言っていたのを思い出す。言い返してきたり、嫌がったりしても、それがその子の率直な思いなら「素直」ということのはずなのに、「素直じゃない」と思ってしまう。そんな風に思ってしまう自分に気づいて、自分はダメだなあって落ち込む。じゃあ、「嫌だ」とはっきり言えることが素直なんだろうか、と考えてみる。いや、自分の気持ちを表せられたらいいけれど、表さないのもその子の表現であるなら否定しちゃいけない。自分の気持ちを真っ直ぐ表すことが素直であることならば、恥ずかしくて黙ってしまうことも、嫌って言えないのも、その子のそのままの気持ちでそのままの姿だ。その子の「素直な姿」を僕が勝手に、「自分の思いが言える子に」と理由をつけてひねくれさせているだけだ。もちろんうまく自分を表せられなくてしんどい思いをしている場合もあるだろうから、ほっとけばいいわけじゃない。素直であることを大切にしたいなら、その子の素直な気持ちを「自分の気持ちを素直に表そうよ」なんて矛盾した言葉で否定してしまわないようにしたいということ。その保育士さんは「自分が言っていた素直な子って、自分が保育しやすい子どもなんじゃないか、そこからズレた素直さが受け入れられないんだろうな」と葛藤を見せながら言った。そして「その子の素直さって「価値」ではなくて、ただ守られるべきもののはずなのに」と続けた。本当だな。素直であるかどうかを測っている時点で、その子の本当の気持ちなんて見ることができていないのかもしれない。それでも、僕は子どもに本当の意味で素直な気持ちでいてほしいから、間違えて傷つけてしまわないように向き合っていたいんだ。そのためにできることはなんだろうって考えたら、その子がどう感じているんだろうって思いを巡らせることしかないのかもしれないけれど。小学生のときに「笑い方気持ち悪いな」と言われたことがある。たったその一言だけで、それから20年以上経った今でも、自分が笑っている顔を写真で見たり、ビデオ通話をしていて視線の端に入ったりするのも嫌だ。きっと言った子は覚えてないだろうから、同じようなことを僕も誰かに言っていて、同じように僕も覚えていないんだろう。あからさまに意地悪で言っていることもあれば、全く悪気がなく言っていることもある。自分にそんなつもりがないのに相手を傷つけてしまうことも、相手にそんなつもりがないって分かっているのに自分が傷ついてしまうこともある。自分の笑顔をまじまじと観察して嫌いになったわけじゃないのに、なんとも思っていないそいつに言われたその一言で、なんで自分で自分を嫌いにならなきゃいけないんだろう。「お前に言われたないわ」と一言返せばよかったのに、と思いながら、一言返したとしてもきっと傷ついていただろうし、ずっと心に残っている。それは、人格を揺るがすような大袈裟なものだけでなく、例えば好きなお菓子なんかを「そんな味が好きなの?」と馬鹿にされたりしても、「大きなお世話じゃ」とは言えず、言えたとしても心のどこかでは「自分は変なんだろうか、劣っているんだろうか」って思ってしまうだろう。いま抱いている不安や劣等感はどこからやってきたんだろうって改めて考えてみると、もしかしたら自分で見つけたものではなく、僕じゃない誰かが作ったものを持たされているだけかもしれない。僕は頭髪が薄くおデコが後退している。いわゆるハゲだ。ただ僕がハゲていることを喜べないのは髪型でオシャレができないからではない。なぜか劣っているように感じるからだ。ただ、冷静になってみたら髪の毛が少ないだけでなんで劣ってるってことになるんだ。ならないだろう。悪口で「ハゲ!」とか言われるけど、誰が言い出したんだ。あれ悪口じゃなくてただの事実やからな。事実を言うだけやったらこっちだって言ったるわ!イケメン!ハンサム!いかん、取り乱してしまった。劣等感を刺激して、さも正しい姿があるように見せて、そうでなければ劣っている、と感じさせる物を社会の中では多く目にする。戦略的な商業広告から、普段の生活の会話まで、なにかしら「こうあるべきなんじゃない?」という感情を持たされている。小学生のまだ低学年の子でも「太ってるからおやつ食べない」とか「足の毛が濃いから見せたくない」と言う子がいる。周りと自分との違いに気づいて自分の身なりなどが気になっていくことは発達の過程で見られる育ちのひとつだ。だけどこの場合は違うだろう。その子が自分とほかの子を見て気づいた違いではなく、自分ではない誰かから持たされた劣等感だ。そしてそれはとても悲しくてしんどいことだ。「素直になろう」とか「元気でいよう」という言葉も、もしかしたらそうなっているのかもしれない。子育てでしんどいことや不安に思うことも、自分で考えて生まれた不安ではなく、周りから持たされた劣等感ということも多くあるんじゃないか。「子どもがかわいそう」「親として」「愛情が」そんな言葉なんか「大きなお世話じゃ!」と一蹴すればいいのかもしれないけれど、そう思おうとしても心の奥底では「自分はできていない」と思ってしまう。子どもたちと楽しく過ごしたいと思っていても、行儀良くさせなきゃ、好き嫌いさせない、手抜きしちゃいけない、そんなことを考えてしまうと、なぜだか楽しく過ごしているだけではダメな気がしてしまう。逆に「心の余裕があることが大切です」「楽しんだほうがいいです」なんて言葉を聞いても、楽しめていない自分がよくない気がするし、さらに余裕がなくなっていく。そのしんどさは、もしかしたら誰かに持たされているのもかもしれない。その子の姿を見て不安になっていると思っていても、どこかで聞いた正しい姿ではないから不安なのかもしれない。自分とその子の関係が苦しいように見えて、誰かが言っていた形にならないから苦しいのかもしれない。その子と自分との関係は、ふたりにしか分からないのに。色んなしんどさがあるけれど、その子と自分との関りだけで両手はいっぱいなんだから、誰かに持たされた不安はその辺に置いとけたらいいな。いや、この言葉もまた僕が誰かに不安を持たせているかもしれないから、置いておけなくてもいいなとも思えたらいいなって書き足しておこう。余談ですが「笑い声が変だと言われたから」と言っていたその子が、その後声を出さなくなったり話さなくなったりすることは、少なくとも一緒に過ごした一年程の間には、なかった。相変わらずおちゃらけている姿を見てそんな大げさに考える事ではなかった、と思いたいけれど、それはできない。もしかしたら、あれからずっと気にしているかもしれないし、忘れていたとしても何かのきっかけで思い出すかもしれない。みんな何かしら誰かから持たされた不安を抱えているのだと思う。「そんなことないよ」って言われても、きっと残念ながら、その呪いみたいなものはずっと無くならない。けれど、そのたびに「そんなことないよ」って言ってもらえたことも思い出して、どうにかやっていけるのかもしれない。「大丈夫やで」「そんなことないで」そんな言葉は気休めのように聞こえるかもしれないけれど、僕もその気休めの言葉に救われていたりする。誰かに言われたしんどい言葉を捨てられないなら、ついでに別の誰かが言った気休めもカバンにぶち込んでおくのはどうだろう。なんとなく取り出してしまったしんどい言葉に絡まって「そんなことないで〜」と出てきてくれ。僕がかけた言葉も「でも、あいつはそんなことないでって言ってくれてたよな」って、しんどい言葉に釣られて思い出してくれたらいいな。「なんて言ってたか覚えてないけど、そんなことないでって言ってくれてたような気がするな」って。「どこの誰やったか覚えてないけど」って。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年08月14日安藤裕子の新曲「ReadyReady」が、8月9日よりスタートするテレビ東京系ドラマ『うきわ ―友達以上、不倫未満―』のオープニングテーマに決定した。本ドラマのために書き下ろされた「ReadyReady」は、オリジナリティ溢れるメロディと歌詞世界を表現する安藤のヴォーカルに、二胡の音色をフィーチャーするなどトライバルなサウンドが枯れたギターリフやビートと同居したダンサブルなナンバーとなっている。合わせてドラマ初回オンエア後の8月10日に本楽曲が配信リリースされることも発表された。『うきわ ―友達以上、不倫未満―』は、社宅のベランダを舞台に「不倫まで壁1枚」というお隣同士の危うい関係を描いたドラマで、主人公・中山麻衣子役を門脇麦、麻衣子の隣室に住んでいる“二葉さん”こと二葉一役を森山直太朗が演じる。■安藤裕子コメント原作の中の麻衣子さんは夢の中にふわふわと沈んでいる様な印象でしたが、ドラマの中の彼女は二葉さんと出会い、どう浮上していくのだろう?実はお話をいただいて曲を描いては迷ったりを繰り返しておりました。麻衣子さん、二葉さんが互いの存在により浮上していく模様がこの夏の蒸し暑さの中、より濃く、ちょっと妖しく描けたんじゃないかな?と思っております<リリース情報>安藤裕子「ReadyReady」8月10日(火) 配信リリース配信リンク:<番組情報>『うきわ ―友達以上、不倫未満―』8月9日(月) より毎週月曜23時6分放送『うきわ ―友達以上、不倫未満―』告知画像監督:風間太樹 / 太田良出演:門脇麦 / 森山直太朗 / 田中樹(SixTONES)/ 高橋文哉 / 小西桜子 / 大東駿介 / 蓮佛美沙子 / 西田尚美原作:野村宗弘『うきわ』(小学館ビッグスピリッツコミックス)放送局:テレビ東京 / テレビ大阪 / テレビ愛知 / テレビせとうち / テレビ北海道 / TVQ 九州放送配信:動画配信サービス『Paravi』と『ひかりTV』にて配信予定Paravi:ひかりTV:公式HP:関連リンク安藤裕子オフィシャルサイト安藤裕子オフィシャルTwitter安藤裕子オフィシャルInstagram安藤裕子オフィシャルオフィシャルYoutubeチャンネル
2021年07月27日お笑いコンビ・メイプル超合金(安藤なつ、カズレーザー)が12日、都内で行われたLIFULL「しなきゃ、なんてない。アワード」に出席。年下の一般男性である夫と離婚調停中と報じられた安藤は、その件については何も語らなかった。LIFULLは、既成概念の枠を超え、多様な人の、多様な生き方をサポートしたいという想いから、「しなきゃ、なんてない。」というメッセージを2018年から掲げている。同アワードでは、既成概念にとらわれずさまざまな才能を発揮しているメイプル超合金と、結婚、子供、セクシュアリティについてカテゴライズされない生き方を発信し、2021年5月に出産を発表した最上もがを表彰した。安藤は「こんなありがたい賞をいただけてうれしいです」と喜び、オレンジと指定されたこの日の衣装について「とても華やかな気持ちです」とコメント。自身のポリシーを聞かれると、「買い物に行って裏に書いてあるカロリー表示を絶対見ないというのは死守しています」と述べ、「健康であればいいなとは思っているんですけど。自分はこの体型が嫌だとは1回も言ってない」と語った。安藤は2019年11月22日に介護職の年下男性と結婚。6月下旬に「デイリー新潮」で離婚調停中と報じられた。
2021年07月12日お笑い芸人「メイプル超合金」の安藤なつさん(40)が、2019年に結婚した一般男性と代理人を立てて離婚協議に入っていると明らかとなりました。また時を同じくしてフリーアナウンサーの小林麻耶さん(41)も夫で整体師のあきら。さん(37)とすでに別居しており、離婚協議が進んでいると一部で報じられています。安藤さんは結婚前に夫と会ったのは4回。小林麻耶さんは夫と知り合って2カ月で交際と同時のプロポーズだったことを過去に明かしています。最近は“交際0日婚”といった超スピード婚も増えつつあります。いっぽうで、スピード婚は離婚しやすいというイメージもあるものです。ただ当然、メリットもあります。スピード婚をしたら、全員が別れるというわけでもありません。では、その明暗を分けるものはいったい何なのでしょうか。■データでみるスピード婚と離婚率「スピード婚は離婚率が高い」多くの人が抱くイメージですが、裏づける研究データが2014年にアメリカから発表されています。エモリー大学の研究によると、交際の長さと離婚率には反比例の関係があるというのだ。交際期間1年未満で結婚したカップルは、1~2年を経て結婚したカップルよりも20%離婚率が高いとのこと。さらに3年以上交際して結婚したカップルと比較すると、離婚率は39%も高いそうです。この結果が、多くの人が言う「スピード婚はすぐ別れる」という裏づけになっているのかもしれません。ただこの研究には、もう1つ注目すべきデータが。それは年間2500ドル(日本円で約30万円)稼ぐカップルを基準としたとき、年間125000ドル(日本円で約1400万円)以上稼ぐ夫婦は離婚リスクが51%下がるというものです。芸能人のスピード婚だと金銭的に余裕がある方も多い分、一般的なスピード婚カップルよりも離婚率が低いという見方もできるかもしれません(逆に、男女どちらも稼いでいるから離婚しやすいという見方もできますが)。■スピード婚のメリットとは……こうしてデータと比較すると、一般的なスピード婚はリスクが高いと感じるかもしれません。しかしスピード婚は恋愛の熱量そのままに新婚生活をスタートできたり、結婚後に相手を知っていく楽しさがあったりします。また結婚に慎重になった結果、婚期を逃すという話は本当によく聞きます。どちらも一長一短。勢いがあったほうがいいのか、じっくり進んだほうが安心できるのか。その違いはありそうです。スピード婚は、結婚した後に相手を知っていくことになるわけです。これを刺激というメリットとして考えられるか、それとも“こんなはずじゃなかった”などデメリットとしてとらえるか。それによって、離婚の可能性も変わっていくかもしれません。またリスクを下げるために前もって意識的に相手を知ろうとしても、恋愛の熱量が高いときというのは相手を冷静に見られないもの。甘い時間が楽しすぎて、この先の生活や将来といった“地に足のついた話し合い”を忘れがちです。かつて夫婦カウンセリングを行う方に取材した際、「価値観を話すというのは仕事、お金、子供、実家とのつき合い方、暮らしなど、複数の項目を開示しあうことである」と教えていただきました。安藤さんのケースでは、夫と自分の金銭感覚の不一致が大きな原因として報じられました。収入差があったことは事前に分かっていたことです。生活に関するお金の取り決めだけでなく収入差や共有資産について、また不満があったときの再度のすり合わせ方について事前に話し合っていたら……。もしかすると、状況は変わっていたかもしれません。人も物も混ぜたりくっつけたりするのは簡単ですが、再度切り離すのは大変な労力が伴います。タイミングが重なった2つの離婚騒動。その結末はいったい、どうなるのでしょう。(文・おおしまりえ)
2021年07月03日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第14回は、つい他人と比べてしまうことについて、きしもとさんが持論を展開します。第14回『みんな頑張ってて、みんな怠けてる。』梅雨なのに何日か気持ちのいい晴れた日が続くことを梅雨の中休みというらしい。カラッといい天気だったので、7歳の友人を誘って少し遠い普段行かない公園に行くことにした。宿題を持ってきたので公園へ行く前に済ませることに。二桁の足し算をする横で応援しながら、学校楽しい?なんの授業が好き?と、邪魔もしていた。邪魔されているのに律儀に「国語と道徳が嫌いかなー」と答えてくれたので理由を聞いてみると、道徳の授業で聞いたらしい物語を話してくれた。サルくんがロボットを作って学校に持ってきました。みんなが「すごーい」と言ってサルくんの周りに集まってるのを見て、クマくんは「僕も作ったことがあるよ」と言いました。そしたら、みんなから「持ってきて見せてよ」と言われました。クマくんは急にお腹が痛いと言ってどっかに行ってしまいました。クマくんの気持ちはどんなだったでしょうか?伝聞調ではあるけれど、しっかり話を聞いて理解しているのが分かる。伝わるように話をしてくれたのを聞いて、むしろ国語得意なんじゃないかと思ったが、得意だからといって好きだとは限らないか、と思い直す。ほんでほんで?って続きを聞くと、「どう思うか聞かれてんけど、うまく答えれへんかってん」と、その時のことを思い出すのかしょんぼりしている。「どう思ったの?」と尋ねると「ズルイと思ったって思ってん」と小さな声で自信なさげに応えてくれた。的外れな答えとは思わない。「みんなにすごいなーって言われてるサルくんをクマくんはズルいって思ったんか」と、言葉を補足しながらその「ズルい」の意味を汲み取ろうとしてみる。自身が友達をみて「ズルい」と思うことがあるのかもしれないな、と学校生活を想像する。その「ズルい」が、羨ましいなのか妬ましいなのかは分からないけれど、自分にとって知っている感情で、それがその言葉なのだろう。「あの子だけズルいなーって思うことあるもんなあ。クマくんもサルくんみたいにみんなからすごいって思ってもらいたかったんかもしれへんなあ」と、何かの答えに誘導するわけではなく、例えば映画を観ながらヒロインの心情を考察するくらいの気軽さで、話してみた。「うんうん、そやろそやろ」と頷いてくれる。「けど、みんなの答えは違っててな」と、また急にトーンが下がる。「自分だけ間違えてると思って泣きそうになってん」と。発表してみんなから非難を浴びたんだろうか。発表する前にみんなの答えを聞いて自分は間違っていると思って自信をなくしたんだろうか。「それは辛いなあ、けど間違ってないと思うで」と伝えると、「あ、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ!」と急にケロっとするので、思わず吹き出してしまった。泣きそうになってないんかい!とツッコミながら、けれど、と思う。具体的な辛さは分からないけれど、その泣きそうになるっていう気持ちは分かるような気がする。僕も同じような思いになったことが、いつかあったかもしれない。自分の感じたことや考えたことは間違っているかもしれない。みんなとは違うかもしれない。みんなは分かっているはずなのに自分は分かってないかもしれない。そんな漠然とした不安で苦しくなることがある。答えのないものを答えられるか試されているような、自分の考えがあるのか試されているような。正解がないというのなら答えさせないでおくれよ、と愚痴りたくなる。夕方18時前に電話がなる。僕が体調を崩してから、ドイツにいる友人がほぼ毎日同じ時間に電話をかけてきてくれる。少しだけ世間話をした後で将棋のネット対戦を3局だけ楽しんで、ではまたと電話を切る。だいたい僕がうっかり飛車を取られてそのまま負ける。心配してくれているのと、息抜きなのと、将棋で僕をぶちのめしたいのと3:3:3くらいの割合だろう。残りの1割はなんだろうな。その日電話に出ると、開口一番「よくない話があったんだけど聞いてくれる?」と、尋ねられた。海外映画では「いい話と悪い話どっちが先に聞きたい?」というような台詞を聞くけれど、日本では先に断ることってあまりないよなあと、どうでもいいことを思いながら「聞こうか」とそれっぽい返事をする。「ドラッグストアに石鹸とスマホ用のプリペイドカードを買いに行ったんだけど、買うもの2つだけだからメモせずに行ったのね」ドイツのドラッグストアはコンビニみたいな感じなのかな、と想像する。「で、プリペイドカードはすぐ見つかって、あと、最近おじさんになってきたからか肌荒れひどいしYouTubeでビタミン入りの美容液がいいって見たのを思い出して、せっかくドラッグストアに来たからと思って買ったんだよね」急におじさんのお肌事情の話に飛ぶ。お肌にはビタミンがいいのか。ビタミンてのは何にでも効くんだな、YouTubeはなんでも教えてくれるんだなと、またどうでもいいことを考える。「買うもの2つだから満足して帰ってきたんだけど、家に着いて手を洗おうとした時にさ」と話したところで、「あ、石鹸」と、思わずオチを言い当ててしまった。これもまた映画っぽいやりとりだなとくだらないことを考えていると「ほんま自分が嫌になるわ〜」と、オチを横取りされたことを気に留めずに自身の失態に落ち込んでいる。「あるよなあ」と共感する。「あるんや」と意外そうだったので、そんなきっちりしてるように見えるのかな?と思いながら「うん、毎日のようにあるで。毎日というか、1日に何度も」と返すと、「俺はたまにでこれだけ落ち込んでるのに、それが毎日なんて、生きてるの嫌になれへん?」と心配された。ものすごい勢いで失礼なことを言うな。「けど安心したわ」と続けたので、失礼には目を瞑ることにした。ダメな自分と同じような姿を他の人にも見えたら安心する、その気持ちはとても分かる。それは、蔑んだり見下したりするという意味ではなくて、この人も完璧じゃないんだと思えて、同じ人間なんだと思えるからだ。自分は人と比べてできていないなあ、と思うことはよくある。僕はとくに、よく忘れ物をするし、優柔不断だし、うっかりミスもする。大人になってもできないことだらけだ。だから、きっちりしてる人と話す時はいつも心なしか緊張する。ズボラだとか雑だとかダメなやつだとか思われてるんじゃないかと不安になる。逆に、きっちりしている人からすれば、ゆるい人と話すときには、「柔軟で臨機応変に対応できる人との会話は緊張する」と思っているかもしれない。いや、それは都合よく考えすぎか。僕はいつもどこかで、自分はダメだなあと思っている気がする。ただ人と比べてダメだなあと思うだけならいいんだけど、しんどいのは自分が頑張りたいのに頑張れない時だ。これじゃダメだと分かっているのにできなくて情けなくて、でもどうしたらいいか分からなくて頑張れない自分を責めてしまう。こんな風にできたらいいなって前向きに思えたらいいけれど、それじゃダメだぞ、としっかり後ろ向きに考えてしまう。几帳面できっちりしているのと、ズボラで優柔不断なのとだったら、どっちがいいだろう。感情的な人と理性的な人とどっちがいいだろう。自分がなれない「それ」になろうとすることはいいことかもしれないけれど、その前に「それになれない自分」を責めてしまって潰れてしまいそうになる。「自分を責めちゃダメだよ、自分はそのままでいいって思おうよ」って言葉で、さらに自分を責めて抜け出せなくなっていく。どちらが善くて、どちらが悪いって思ってしまうけど、きっと本当はどちらも悪くない。その人はたまたまきっちりしていて、僕はたまたま忘れっぽいだけ。ズボラなことで誰かに迷惑をかけることもあれば、きっちりしていることで誰かを傷つけることもあるかもしれない。几帳面なことで助かる人がいるかもしれないし、ゆるいからこそ救われる人もいるかもしれない。都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにしようと思う。できている人とできていない人を分けて「できている人が正しくて、できていない人が間違ってる」ってしてしまうのは、とってもしんどいもの。こんな人間でいたいな、と思うことがある。子どもと関わる時にこんなことに気をつけたいな。と思うことがある。けれどできなくて、自分はできないなあって思ってしまう。もしかしたら、みんなが「自分はダメだなあ」と思っているかもしれない。そんなふうに思ってみると、少し気持ちが楽になる。みんな頑張ってて、みんな怠けてて、みんな自分はこんなんじゃダメだって思ってて、頑張りたいけど頑張れなくて、みんな怠けてて、みんな頑張ってる。やっぱりそれも都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにする。余談ですが無事宿題を終わらせて、少し離れた広い公園へ来た。芝が傾斜になっていて、その芝を上下に挟むように細い歩道がある。子ども連れが数組レジャーシートを広げている。「そういえば小さい頃ここで転けたことあるねんで」と、芝を指差し、スマホに保存されている動画を見せてあげる。当時2歳の友人の手を握って芝の坂道を登っているときに、僕の方が足を滑らせて転んでしまい、その勢いで一緒に転んで大泣きしてしまったのだ。大の大人がひっくり返る動画を見て声を出して笑ってくれたので、どさくさに紛れて「ごめんね泣かして」と7歳になった本人に改めて謝罪した。「悪くないよ!」と返ってきた。「でも、巻き込んじゃったからさ、悪いのは悪いねん」と説明しても、「悪くないってば!」と強めに返してくる。気を遣わせてしまったかなと思いながら、身軽に大型遊具を登るのを離されないように追いかける。なんて言えばいいか分からないから「許してくれてありがとね」と伝えた。すると「好きな人のこと悪いって言いたくないし、自分が悪いんやって思ってほしくないもん」と小さな声で言うのが聞こえた。大事な人のことを悪いって言いたくないし、大事な人には自分が悪いって思ってほしくない。こんなにシンプルなことを、僕は言葉にされてようやくなにより大切なことだと気づく。優しさとか慈しみとか凡庸な言葉しか浮かばない。分かっているのに、僕はあなたに自分が悪いって思わせているかもしれない。分かっているのに、僕は自分で自分のことを悪いって思ってしまっているかもしれない。また自分はダメだなあって思いそうになっている。けれど、君がそう言ってくれるなら、自分で自分のことを悪いって思わないことにするよ。長いローラーすべり台を滑り降りながらそんなことを思って泣きそうになった。いや、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年06月27日一気にスターダムに乗った『キッズ・リターン』での映画デビューから、25年となる安藤政信。今年は『ゾッキ』『るろうに剣心 最終章 The Beginning』に続き、早くも3作目の出演作となる『ザ・ファブル殺さない殺し屋』が公開中だ。誰も殺さずに一般社会に溶け込んで生活するよう命じられた、岡田准一演じる最強の殺し屋“ファブル”が、巨悪との闘いに挑む映画版の第2弾で、安藤が演じるのは“凄腕の殺し屋”鈴木。バックグラウンドなどは描かれず、謎に包まれている鈴木だが、どこか憎めないキャラクターに仕上がった。取材に現れた安藤は、ざっくばらんでとても気さく。岡田との共演に「ジャニーズだ、スターだ!」と普通に興奮したとか。また、本作のクランクインが新型コロナの影響で遅れた際には、改めて「自分は、役者で、クリエイティブなことが好きなんだ」と感じたと言い、役者業を含め、写真や新たに挑戦した監督業など、クリエイティブなことへの思いを意欲的に語った。○■鈴木には豊かなグラデーションを出せた――キャラクター紹介では、凄腕の殺し屋となっている鈴木ですが、ファブルの敵として登場するのに、嫌いになれないキャラクターでした。(江口)カン監督とは、「キレイでかっこいいといった単純な感じじゃなくて、チャーミングで人間臭い、殺し屋なのに人間臭いなんて変な気がするけれど、でもそれが成立するキャラクターにしたい」と話し合いました。負けを知って悔しさを味わったり、死を前に恐怖を知ったり、すごく豊かなグラデーションを出せたんじゃないかなと思います。――クールじゃないのがすごくよかったです。クランクアップしたときにも監督がメールをくれました。「今回、安藤さんの鈴木がとても素敵だった」と。編集作業のときにもそう言ってくれたんです。完成した作品を観て、ファブルのような派手さはないけれど、芝居として豊かな色は出せたのではないかと感じました。――ファブルを演じた岡田さんは95年、安藤さんは96年と、ほぼ同時期にデビューしていますが、初共演ですね。ジャニーズの人は、知り合いじゃなくても、毎日のようにどこかで目にしている。自然と自分の記憶のなかに入り込んでいるので、やっぱりすごいと思います。会う前からいつも近くにいる人というか、当たり前のように存在しているので、まさにスターだなと思いますよ。現場でも、スタッフとかも、「みんなが見てきた人がそこにいる!」みたいな感覚がありました。「スターだ!」みたいな。そう思いません?――もちろん私にとって完全にスターです。でも安藤さんも長く芸能界で活躍されてきた俳優さんなわけで(苦笑)。オレにとってもスターですよ。(堂本)剛に横浜アリーナに誘ってもらってKinKi Kidsのコンサートに行ったり、(櫻井)翔に誘われて東京ドームに行ったりもしましたが、あんな大きなステージでスポットライトを浴びている姿を見ると興奮しますよ。何万という観客を一体にさせてしまうわけですから。歌って踊って芝居もできる。常人じゃないです。○■20代の頃にニアミスの岡田と、40代になって初共演――今回の岡田さんはファイトコレオグラファーという、アクションを振り付けるスタッフとしての仕事も兼任しているので、スター=俳優として現場で一緒になるのとはまた違ったのでは?確かにアクション練習のときから、その場にいましたね。実は20代のときにニアミスしてるんです。――ニアミス?20代のころに剛とよく遊んでいて、当時住んでいたマンションに誘われたんです。それで部屋に行ったら、剛が「岡田~」と奥に声かけて。当時、一緒に住んでいたらしいんです。でもそのときは留守で、結局会えず。――40代になってやっと会えたんですね。そうなんです。最初に岡田がアクション指導をすると聞いたときは、「別に指導されたくない」とか思っていましたが、動きを直視した瞬間、「わかりました。よろしくお願いします。」となりました。岡田がここまで動けるなんて知らなかったんです。急いで前作を観て納得しました(笑)。――そして指導も受けて。舞台挨拶では“師匠”みたいに言いましたけど、単純に岡田から習いたいというのがホントです。岡田は本当に格闘技が好きだし、真摯に向き合っているんだなと感じましたね。○■役者が生業に。思い出した北野武の言葉――今作の撮影は、新型コロナの影響でクランクインが遅れたそうですね。お芝居ができない状況に置かれたことで、改めて「自分は役者なんだ」と痛感したとコメントされているのを見ました。去年のあの時期は、作品が中止や延期になり芝居ができない状況でした。役者であれば誰しも「自分たちの仕事はどうなっちゃうんだろう」と考えたと思います。やっぱりオレは芝居しかできないし、クリエイティブなことにしか興味がないと思ったし、再開したときには、現場に行って芝居をすることの喜びをすごく感じました。――思っていた以上に役者の仕事が好きだと実感した?好きだし、オレが生活できることって何なんだろうと考えると、やっぱり“表現”しかないんだなと。自分にとって芝居と監督と写真。クリエイティブにしか興味がないし、そのためにはお金がないとできないから、まずオレは役者なんだなって。――『キッズ・リターン』から25年が経ちますが、去年は仕事に対しての意識が大きく変わった年だったのでしょうか?去年の外出自粛期間明けは、芝居を本当に楽しいと感じました。でも人生が大きく切り替わったのは、プライベートが変化して、自分だけじゃなくて「食わせていく」という意識が出来たときだと思います。『キッズ・リターン』の撮影の終わりくらいのときに、(北野)武さんから、「20代は自分が好きな映画や作品だけを選んで、ブームで終わらないようにだけ考えていけばいいよ。そのあと、嫌でも働かなきゃいけない時期がくるかもしれないから」と言われたんです。当時は若かったから、あまりピンと来ていなかったんですけど、武さんが言っていたのはこのことなのかな、と感じた瞬間がありましたね。――生業になった。ドラマとか以前はやりたくないと思っていたけれど、それも変に考えが偏り過ぎていただけだということにもやっと気づきました(笑)。実際に携わってみると、映画と変わらないし、作ることにみんな真摯に向き合っていて、もっと寛容に早い時期に受け入れていてもよかったのかなと思いました。○■役者が一番だけど、写真も監督業もやっていきたい――写真家としても活動されていて、ここ数年はプロとしてお仕事されてますね。写真自体は20代のころからやっていたんですけど、ここ3年くらい、仕事としてきちんとやっています。今までドメスティックにやっていたものを、写真家としてもっと自信を持ってもいいよなと思って、雑誌の『GQ』とかに見せたら気に入ってもらえたんです。そこから雑誌やファッションショーでも撮っています。写真はとにかく好きなんです。岡田のアクションと同じように。それを仕事にしたいなと思うようになりました。――監督業も。山田孝之が立ち上げた、短編映画制作プロジェクトの「MIRRORLIAR FILMS」に誘われました。これまでも監督はやりたいと思っていたんですけど、タイミングがなかったんです。今まで人の映画やドラマに対しても率直な感想を言ってきたから、自分が監督したとき受け入れられるだろうかと不安はありましたがやるしかないと。この仕事が好きだし、できるんだったらやろうと思って「頑張るわ!」と張り切ってやったら4時間越えました(笑)――えっ!?ひと作品15分という規定なんですけど、頑張った結果、4時間半くらいになっちゃって(笑)。四苦八苦して、なんとか15分にしました。――ディレクターズカット版を作るというのは。ピクチャーロックをかけたんだから、もういいやと。長編をやるなら次作です。この作品を観て、オレにも撮れるんじゃないかと思ってもらえたら嬉しいですね。――企画で一度やったというより、監督としての第一歩なんですね。イベントとして監督するということは全然考えてないです。今回役者もスタッフも贅沢すぎるぐらいのメンバーが集まってくたんです。しかも支払えた金額は本当に些少でした。「次はオレの映画でみんなを世界に連れて行くから!」と熱く語ってたんですけど、みんなもう海外の映画祭は経験済みでした。――あはは! 監督業も期待ですが、これからの展望を教えてください。写真家としても、ファッションショーを撮影したり、展覧会とか個展をやって、集客できる仕事にしたいです。ちゃんと仕事としてやっていきたい。あとは自分は映画が好きで、役者として20数年間映画に携わってきましたが、今度は作る側としても関わっていきたい。といっても役者として出ることは、もちろん一番大切にしています。――安藤さんは寡作なスタイルが好みなのかと思っていたので、熱い気持ちが伺えて嬉しいです。いろいろやっていきたいですよ。なにか途中から話が『ザ・ファブル』を外れちゃいましたけど(苦笑)。今回の完成作を観て、(江口)カン監督の演出と編集力がとにかくすごいと思いました。岡田が考えたアクションはエンターテインメント性もすごくあるし、本人自らやっていて、自分は役者として辿り着けない領域だと思うけれど、それをまとめた監督の編集もすごくうまい。クライマックスの平手(友梨奈)さん演じるヒナコが、人生を走馬灯のように見る点描的な映像も、すごくドラマチックだったし、とてもスケール感のある作品だと思います。■安藤政信1975年5月19日生まれ、神奈川県出身。96年に北野武監督の映画『キッズ・リターン』でデビューし、日本アカデミー賞新人賞ほか多くの賞を受賞した。『バトル・ロワイアル』『サトラレ』などで印象を残し、09年にはチェン・カイコー監督作『花の生涯~梅蘭芳~』で海外進出を果たした。近年の主な出演作に映画『劇場版 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』『デイアンドナイト』『るろうに剣心 最終章 The Beginning』、ドラマ、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』『DIVER-特殊潜入班-』『理想のオトコ』など。写真家としても雑誌『GQ』などで活動。また短編映画制作プロジェクト「MIRRORLIAR FILMS」で初監督を務める。
2021年06月23日お笑いコンビ・メイプル超合金のメンバーとして人気の安藤なつさんは、お笑いを志して上京した当時から業務スーパーを愛用しているといいます。そこで、今も週に一度は訪れているというなつさんと一緒に業務スーパーを訪問!いつも買っている商品や活用法を教えてもらいました。今回、『業務スーパーに行こう!2021』(双葉社刊)の取材でなつさんが訪れたのは、広々とした店内が印象的な業務スーパー鴨居店(神奈川県横浜市緑区)。プライベートでいつも訪れているお店とは違うものの、なつさんは慣れた様子で商品をチェックしていきます。「『牛乳パックスイーツ(牛乳パックと同じ形の容器に入った1kg入りのスイーツ)』は、シリーズ全種類食べたことがありますよ。特に杏仁豆腐が気に入っています」さらに、1kg入りのゴボウサラダやウインナー、冷凍フライドポテト、餃子、缶詰類……。なつさんがよく買うと挙げた品は、40点以上にのぼりました。なかでも最近の大のお気に入りはライスペーパー。「これに何でも巻いちゃいます。オススメは大好きなたこ焼き!ライスペーパーのモチモチの食感と合うし、たこ焼きを手で気軽に持って食べられるところもいいですね」初めて出合った品にどんどん挑戦するのがなつさん流「業務スーパーには他店では見かけない商品も多いですよね。メーカーを気にせず気になったものを買ってみて、お気に入りの味を見つけるのも楽しいです」そんななつさんが、気になりつつまだトライしていなかった商品も試食してもらいました。特に大絶賛だったのは、全国909ヵ所の業務スーパーのなかで徐々に増えつつある、「馳走菜」というお惣菜コーナーの品々。「このチキンカツ、お肉がジューシーで柔らかくて、おいしい!他のフライやコロッケも買ってみたいです。おいしくて安いお惣菜コーナーは食費の節約に重宝しますね。いつも行く店舗にもできるといいなー」『業務スーパーに行こう!2021』では、なつさんのお気に入り商品をたっぷり紹介。さらに人気料理研究家のジョーさん。の業務スーパーの品を使ったレシピや、人気ブロガーやYouTuberの掘り出し物のオススメ商品などの実用情報が盛りだくさん。現在、全国の書店・ネット書店のほか、全国の業務スーパーでも販売中です。「お店には本誌の表紙を使った特大ポスターも飾るそうです。売り場でぜひご注目ください」(担当編集)業務スーパーを知っている人もこれからの人も、行く前にぜひ本誌をチェックしてお得なお買い物を!【書誌情報】・書名双葉社スーパームック「業務スーパーに行こう!2021」・発売元双葉社・定価990円(本体900円+税10%)・判型A4変形株式会社双葉社|業務スーパーに行こう! 2021【主な内容】・簡単!おいしい!毎日業スー!マル得レシピ・メイプル超合金・安藤なつ現地取材!“業スー愛”を大いに語る!・「実はすごくイイんです!」業スー“隠れた名品”一挙公開!・「?」なアイテムのお味は?「未知の味探検隊がゆく!」・業務田スー子さんの「これ、どーすんの?」アイテムアレンジ術・業務スーパー誕生ヒステリーその売り場哲学とは・マンガレポート・業スースイーツ製造工場に行ってみた!・店長から聞き出した!買い物勝利宣言術・マンガ直輸入品のバイヤーは縁の下の力持ち!etc.企業プレスリリース詳細へ TIMESトップへ
2021年06月17日舞台『虹む街(にじむまち)』に出演する、俳優・安藤玉恵さんのインタビューをお届けします。起きていることを体験して、これって何かを考えたり、感じていただけたら。横浜中華街近くの劇場に野毛の街が出現した。そう言われてもピンとこないだろうけれど、現在上演中の舞台『虹む街』は横浜・野毛の街を描いた作品。居酒屋やパブ、コインランドリーなどが立ち並ぶ多国籍で雑多な街の景色を切り取った、リアルなセットが組まれている。「今回私は“脚の悪い女”を演じるんですが、台本をいただいたら全体の9割…いや9割8分くらいがト書きなんですよね。セリフがなくて自由度が高いぶん難しさはあるけれど、考える楽しさはあるし、肉体で表現するという意味でスタンスは他の作品と変わりません。ただ演じるうえで、自分の心情を表現するというよりは絵のなかのパーツになる感じがします。コインランドリーで回っている洗濯物と同じ存在というか」そう安藤さんが語るのも、むべなるかな。今作は’16年に『地獄谷温泉無明ノ宿』で岸田國士戯曲賞を受賞したタニノクロウさんの手によるものだが、この作品もセリフでドラマを紡ぐというより、目の前の風景のなかで生きている人々の何気ない姿を、ただただ観察しているような感覚になる演劇作品だ。「来てくださる方がどうご覧になるかに関しては、人智の及ばぬところというか…わかりません(笑)。観る方によってはおそろしく退屈な可能性もある。ただ、現代美術を観た時に、全然わかんないけど、これってなんだろうって考えたり、何を表現したいのだろうと想像したり、ひとつひとつ自分にフィードバックさせていく感覚ってありますよね。それに近い気がするんです。お客さんの想像力をお借りするにもほどがあるんですが、あのオバさんに似た知り合いいるなとか、いい匂いがしてきてお腹すいたなとかでもいいので、そこで起きていることを体験して、プリミティブな感覚を楽しんでいただけたら面白いのかなと思います」街の一部になる。そう聞いて思わず深く納得してしまったのは、安藤さんという存在感にだ。近年、映像作品でも活躍しているが、その居住まいから、役が暮らす土地の匂いや暮らしの気配、生活感を醸し出せる人だ。そう伝えると、「お話をいただけるなら、プリンセスもやりたいんですけどね」と笑って返された。「どんな役も楽しいし、楽しみたいと思っているんですよ。チェーホフとかもやりたいし。でも、いまのところそういうのは求められていないみたいです。存在が若干ハレンチなのかもしれません(笑)。ただ、普段、とっても普通に生きていると思っているので、カッコつけられないんですよね。どこかで、私がカッコつけて演じるなんておこがましい、という気持ちがあって。どこを見られてもいいのでどうぞ、という気持ちで臨んでいたりします。今回の役に関しては、動きが振り付けのように見えたくなくて、あくまで生活の一部でありたいなとは思っています」あんどう・たまえ1976年生まれ、東京都出身。早稲田大学在学中に演劇を始め、舞台、映像で活躍。近作に、ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』など。『虹む街』多国籍の人々が行き交う古い飲食店街で、唯一のコインランドリーが閉店することになった。その営業最終日、さまざまな人がここを訪れ洗濯していく姿を描き出していく。上演中~6月20日(日)KAAT 神奈川芸術劇場 中スタジオ作・演出/タニノクロウ出演/安藤玉恵、金子清文、緒方晋、島田桃依、タニノクロウ、蘭妖子ほか全席指定4500円ほかチケットかながわ TEL:0570・015・415(10:00~18:00)※『anan』2021年6月16日号より。写真・小笠原真紀インタビュー、文・望月リサ(by anan編集部)
2021年06月12日フレンズが4月30日、昨年末より活動休止をしていたメンバー・ひろせひろせ(MC / Key)の脱退を発表した。配信がスタートした新曲「急上昇あたしの人生」のミュージックビデオも公開されている。この脱退の発表により、今後はえみそん(Vo)、三浦太郎(Cho/Gt)、長島涼平(Ba)、関口塁(Dr)の4人でバンドは継続。そして新体制となったフレンズの初の新曲となる本MVでは、えみそんが初めてMVの監督を務めている。自らが企画立案しアイデアに溢れた演出で、疾走感ある楽曲の世界観を見事に表現。音楽のみならず多彩な才能を発揮し、これからのバンド活動に期待が膨らむ見応えのある内容だ。楽曲自体は、ひかりTVオリジナルドラマ『取り立て屋ハニーズ』の主題歌として好評配信中。新ビジュアルも、これからも様々な形で楽しませてくれる予感のする、爽快なメンバーの姿が印象的なものだ。新たなフェイズを迎えたフレンズの今後の更なる飛躍を期待しよう。■リリース情報『急上昇あたしの人生』4月30日(金)配信リリース■公演情報「フレンズワンマンツアー “UNO!”」5月29日(土)会場:愛知・THE BOTTOM LINE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:305月30日(日)会場:大阪・Banana Hall1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:306月5日(土)会場:東京・duo MUSIC EXCHANGE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:30※各回90分程度の公演を予定。料金(税込):全自由¥5,000※未就学児入場不可※お一人様2枚まで※ドリンク代別途必要※政府指定のガイドラインに沿った形での開催。※オンライン配信の予定なし
2021年04月30日森山直太朗が、女優の安藤サクラをゲストに迎えた「最悪な春 feat.安藤サクラ」の弾き語り映像を『森山直太朗のにっぽん百歌』にて公開した。『森山直太朗のにっぽん百歌』は、「ギター1本で、好きな曲を好きな場所で弾き語る」をテーマに一発撮りで楽曲を披露するYouTubeチャンネル。同チャンネルのコラボレーション動画第2弾に出演する安藤は、3月にリリースされた森山の両A面シングル『さくら(二〇二〇合唱)/ 最悪な春』でも共演しており、今回披露する「最悪な春」の朗読バージョンに参加していた。公開された映像は秋田県・田沢湖の絵に描いたような絶景のもと撮影が行われ、「最悪な春」を安藤の詩の朗読とともに森山がギター弾き語りでパフォーマンスしている。■森山直太朗 コメントYouTube「にっぽん百歌」にて安藤サクラさんをゲストに迎え「最悪な春」を朗読してもらい、田沢湖の湖畔で歌ってみました。去年4月の緊急事態宣言の際に作った「最悪な春」を一年後、再び出された緊急事態宣言の最中で発信するなんて想像もしていなかったけどサクラちゃんの朗読はそんな「やりきれなさ」にそっと寄り添ってくれた。この一年、この歌と向き合ってみてわかったのは、やはり口にすること、声に出すことが大事だということ。最悪なことは、最悪と言ってしまったほうが体にもいいと思う。詩として読むでもいい、歌ってもらうでもいい。やり場のない気持ちを逃がすために、この歌を使ってもらえればと。いつの日かこの最悪な春を懐かしむようにみんなで歌い合える時が来ることを心から願っています。■安藤サクラ コメント秋田はちょうどさくら満開でした。真冬の山梨で初めて’最悪な春’を朗読し、それから様々な環境で読んでいますが、毎度毎度新鮮です。おぉ今日はそうくるか!って驚くほどに新鮮です。だからわくわくするし、緊張するし、ときめきます。湖畔で直太朗さんと読んだ時間もこれまた特別で、とっても楽しかったです。「最悪な春 feat.安藤サクラ / にっぽん百歌【田沢湖】」■森山直太朗のにっぽん百歌:<リリース情報>森山直太朗 『さくら(二〇二〇合唱)/ 最悪な春』2021年3月17日(水) リリース●初回限定盤(CD+DVD):2,700円(税抜)●UNIVERSAL MUSIC STORE限定マスク盤:3,300円(税抜)※初回限定盤+オリジナル・デザインマスク付※完全数量限定●通常盤(CD ONLY):1,000円(税抜)【CD収録内容】1. さくら(二〇二〇合唱)2. 最悪な春(朗読:安藤サクラ)3. 最悪な春4. さくら(二〇二〇伴奏)※「さくら(二〇二〇合唱)」WEB版合唱譜面付※「最悪な春」は、2020年5月に配信された弾き語りバージョンではありません。【DVD収録内容】・「すぐそこにNEW DAYS in Blue Note Tokyo」配信ライブ映像しまった生まれてきちまった / レスター / 愛し君へ / 糧 / 風曜日 / することないから / すぐそこにNEW DAYS / 君は五番目の季節 / 最悪な春 / 生きてることが辛いなら / フューズ・カロリーメイトCM「見えないもの」篇 フルバージョン・「さくら(二〇二〇合唱)」レコーディング・ドキュメンタリー【特典情報】・3アイテム共通封入特典:初回プレス分「よくがんばりました」ステッカー・レコード店ご購入者全店特典:抗菌仕様ミニクリアファイル・Amazonご購入者特典:メガジャケ関連リンク森山直太朗 オフィシャルサイト:森山直太朗 Twitter:森山直太朗 Facebook:森山直太朗 Instagram:森山直太朗 Tiktok:森山直太朗 UNIVERSAL MUSIC オフィシャルサイト:
2021年04月29日ブルガリ(BVLGARI)は、“時”をテーマに建築家の安藤忠雄とコラボレーションした腕時計「オクト フィニッシモ 安藤忠雄 限定モデル」を2021年4月に世界限定160本で発売する。“時”がテーマ、安藤忠雄コラボ第2弾コンクリート、ガラス、光といった3つの要素をクリエイティブに組み合わせた建築物を手がけてきた安藤忠雄。アメリカテキサス州の「フォートワース現代美術館」、大阪の「光の教会」、東京にある「21_21 DESIGN SIGHT」などが代表作として挙げられる。ブルガリと安藤忠雄がタッグを組んだ「オクト フィニッシモ」は、2019年に発売された第1弾の日本限定モデルに続いて2作目は世界限定モデルとして登場する。今回発売される「オクト フィニッシモ 安藤忠雄 限定モデル」では、安藤忠雄の大切にしている“時”というテーマを「三日月」で表現。文明の黎明期から“時”を表すために用いられてきた月の満ち欠けの過程で、一層移ろう時の儚さを感じさせる「三日月」を藍色のラッカーダイアルにオン。螺旋が渦巻くダイアルに、ゴールドの「三日月」が映える。ブレスレットやケースには、マットな輝きを放つサンドブラスト加工のブラックセラミックを採用。シースルーのケースバックには、安藤忠雄のサインがレーザープリントであしらわれている。【詳細】ブルガリ「オクト フィニッシモ 安藤忠雄 限定モデル」発売時期:2021年4月(日本先行発売)〈世界限定160本〉価格:2,178,000円(税込)■仕様ムーブメント:BVL138 機械式マニュファクチュールムーブメント、自動巻き、プラチナ製マイクロローターとスモールセコンド付き極薄キャリバー、時分表示、7時位置にスモールセコンド、コート・ド・ジュネーブ装飾、面取り仕上げのブリッジ、ペルラージュ仕上げのメインプレート、厚さ 2.23mm、直径 36.60mm、毎時 21,600振動、60時間パワーリザーブ、36石ダイアル:安藤忠雄による螺旋模様とイエローゴールドの三日月が施されたブルーのラッカーダイアルケース:ケース径 40mm、サンドブラスト加工を施したブラックセラミック製ケース、ベゼルとリューズ、安藤忠雄のサインがレーザープリントされたカスタム・シースルーバックケース 厚さ 5.15mmブレスレット:フォールディングバックル付きサンドブラスト加工のブラックセラミック製ブレスレット防水性:30m防水【問い合わせ先】ブルガリ / ブルガリ ジャパンTEL:03-6362-0100
2021年04月17日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。子供の成長は、とても喜ばしいもの。ですが結果だけに目がいってしまい、大切なものを見落としてしまっているかもしれません。第13回『すこしずつ、変わっていくだけ。』こないだ、ピーマンを生で食べた。7歳になった友人と食事をしている時に、学校の給食でピーマンが出るとテンションが下がるという話になった。面白半分で「そういえば、こないだピーマンを生で食べてんけど、意外とこれが美味しくて」と話をすると「食べてみたい!」と言い出した。間違いなく好奇心だけで言っている。その好奇心を取りこぼさないように冷蔵庫からピーマンを取り出し、手渡して種をとる方法を教えてあげた。流水で洗って塩をかけると、嫌いだと言っていたのに好奇心の方が勝ったのか勢いよくかぶりついた。パリッと“美味しそうな”音が鳴る。もぐもぐと味わいながら笑顔になったので「おいしい?」と尋ねると、表情を歪ませてお皿に吐き出した。美味しいのは音だけだったらしい。苦い後味を紛らわすために白米を口いっぱいに含む。「出しちゃったけどさ、学校のみんなには食べたって言おう」と笑っていた。「味はどうでしたか?」という質問には「まずかったです!」と元気に答えたのに、しばらくしてから「もう一回食べてみる」と言い出した。クセになるのだろうか。せっかくなので次はマヨネーズをかけてみることにした。すると、さっきより苦味が少ないのか、一口食べて「これはイケる」とばかりに追いマヨネーズ。二口三口と食べ進め、「食べてみて?美味しいわ」と嬉しそうに勧めてきた。それから面白くなって、ケチャップやソースでも試してみた。「ケチャップが美味しいって思ったけど、やっぱりマヨネーズが一番やわ。そのままで食べるのは苦いので0点です!」と、ゲラゲラと笑いながら、結局1人でまるまる一個食べてしまった。僕はピーマンを見るたびにその時のことを思い出しては、パリパリッという心地いい音とゲラゲラと笑う声が耳に蘇ってつい口元が緩む。ピーマンは子どもの嫌いな食べ物の代表格だ。子どもの舌は苦味を感じやすいから無理に食べさせることはないと聞いたことがある。好き嫌いが多くて不安だという子育て中の悩みはよく聞くけれど、ピーマンに限らず嫌いなものを無理に食べることはない。好き嫌いはよくない、という価値観は根強いけれど、無理に食べさせようとすることで、逆に食べること自体が嫌いになっては元も子もない。まず食べることを楽しむことができたら、いつか食べられるようになるかもしれない。もちろん食べられるようにならないかもしれないけれど、ピーマンを食べられなくても生きてはいける。嫌いなものを克服できた。それはきっと本人にとって喜びだろうし、大人にとっても何か成長の瞬間に立ち会ったようで嬉しく感じる。だけどなぜだか、この生ピーマンを食べた話を「苦手を克服した話」にすると、違和感がある。なんでだろうと考えて出た答えは単純明快で、僕が伝えたいと思ったのはその子が苦手を克服したことではなくて、まずそうな顔をしたり美味しそうな顔をしたりして笑い合ったその時間なのだ。ただ楽しく食事をした。いろんな調味料を出してきて、半分遊びみたいだから行儀が悪いかもしれないけれど、とにかく楽しかった。それを伝えたいのに「苦手を克服した」というレンズ越しに見ると、途端にそのおもしろさが見えなくなる。できなかったことができるようになった。それがとてもいいことのように感じる。もちろん、いいことなんだろうけれど、そればかりに目がいってしまって大切なものを見落としてしまっている。そんなことって意外と多くあるかもしれない。同僚が「去年やんちゃだった子が、今年に入ってから落ち着いて過ごしているんです」と話していた。何気なく「成長ですね」と答えた。すると「本当にそれが成長なんですかね」と返ってきた。僕の言葉への批判という感じではなかった。自問するように「大人しく過ごせるようになった、トラブルを起こさなくなったということが成長なんですかね」と考えを巡らせているようだった。何年か前に訪問した保育園での出来事を思い出す。子どもたちが整列して朝の会をしていた。その横で、ひとり、でんぐり返りをしている子がいた。僕が笑って見ていると、それに気づいて嬉しそうにまたでんぐり返しを見せてくれた。周りの子どもたちがその子に「ちゃんと並びや!」と注意をしているのを聞いて、僕も空気を読んで、みんなと一緒に並ぶよう促した。その後も何度かそんな場面があり、その子はじっとしていたりみんなと同じ行動をすることが苦手なんだろうということが見て取れた。別の日に、体育館のようなところで音楽会の予行演習があった。本番を想定して舞台に上がって演奏していて、緊迫した雰囲気が漂っていた。その子はというと、でんぐり返しはしていなかった。普段の姿とは別人のように、かしこまって楽器を演奏していた。その時の僕は、どんなことを感じたんだっけ。「やればできる子なんだ」とか、その子の良い姿を見たような気がしたのだと思う。演奏の途中でその子がトイレに行きたいと言ったので僕が付き添った。手を洗うその子に、僕は「上手に演奏してたね、楽しかった?」と尋ねた。するとその子は、少しムッとしたような顔で「楽しいとかちゃうねん」と答えた。予想もしない返事で戸惑ってしまった。「頑張ってんねんから、楽しいとか言わんといて」と言われた。この言葉を聞いて、「協調性が育まれている」とか「責任感を持っている」なんて的外れなことを思いたくなったけれど、それはさすがに自分のエゴだと思い直す。僕は「やればできる子」なんて言葉を使って、その子のしんどさを見ようとすらしていなかった。自由奔放に見えていたその子は、みんなの中で普通になるために頑張っていたのだ。やればできるのではなく、やるしかなかったのだ。成長したように見えるその姿は、追い込まれて苦しみながらギリギリで頑張っていることなのかもしれない。逃げ道を無くして克服することは成長ではない。ましてやその頑張りを求めて喜ぶなんて、なんだかおかしいような気がしたのだった。毎日わがままを言っていた子が、ある日を境に何も要求をしなくなったとして、そんな時に僕は、聞き分けが良くなったとか自制が効くようになったとか、勝手に成長だと思ってしまう。けれど、その実は「言っても無駄だと悟ったから」かもしれない。自分の思いを伝えるエネルギーがなくなったからかもしれない。社会では、言っても無駄だからと諦めて黙ることを、「大人になる」と表現する。けれど、それは成長して大人になったのではなくて、身を守る術を身につけただけだ。僕は子どもの何を見ているんだろう。できているように見えるその姿は、みんなから外れないように、こぼれないように、少しでも普通になるために必死にしがみついているのかもしれない。僕自身がまさにそれで苦しんでいるのに、子どもの姿となると、みんなと同じようにできて、トラブルを起こさないでいられるようになったそれを、成長だと感じてしまう。学校に行けるようになった。ピーマンが食べられるようになった。友達と仲良く過ごせるようになった。落ち着いて話が聞けるようになった。聞き分けが良くなった。じゃあそれで、その子は生きやすくなったんだろうか。それで一つ問題が解決したように感じるけれど、その子のしんどさは「できなかったことができるようになった」という姿に隠れただけで、ずっと深くに残ったままかもしれない。子どもの育ちを見守って、その育ちに喜びを感じる立場だからこそ、その成長した姿に喜びを感じる。それは悪いことではないけれど、それと同時に、無理していないだろうか、しんどさを抱えさせていないだろうかと、見えない部分にも目を向けていられたらと思う。できなかったことができるようになって生きやすくなることもあれば、しんどくなることもきっとある。僕がほんとうに大切にしたいことは、できなかったことができるようになることではない、もっとほかの何かだ。見栄えのするものに覆われてしまってその大切にしたいことが見えなくなる前に、ちゃんとそれに気づけるようにしていたいな。去年と今年を比べて、先月と今月を比べて、昨日と今日を比べて、子どもができるようになったことは、きっとたくさんある。その分、サボるようになったとか片付けをしなくなったとか、やらなくなったこともきっとある。その度に、一喜一憂する。「成長というよりも、変化しているだけなんですよね」とその同僚は言った。昨日と比べてしまうけれど、日々の姿がその子の姿で、それは成長でもなく後退でもない。ただ、移り変わっているだけなのだと。僕はどこかで、子どもの育ちは右肩上がりで、多少の浮き沈みがあったとしても、伸びていくもの。そんな風に思っていたのかもしれない。できるようになることも、できなくなることもある。その変化の中で、その時のその子が生きやすくなる方法を、その都度見つけていけたら。それは、見栄えしなくて不安になるかもしれないけれど、そうやってとどまることなく心配事が見えている方が、いいのかもしれない。子どものしんどさに気づけなくなるよりかは、もしかしたらその方がいいのかもしれない、なんて思う。余談ですが手巻き寿司の正解ってなんだろう。シンプルに刺身だけを巻くのもいいし、胡瓜や大根を添えて巻くのも飽きない。何も考えずに目についたものを乗せて、巻ききれず溢れそうになったのにかぶりつくのも、何味かわからないけれど美味しい。大葉なんか入れると最高だ。そういえば、僕は子どもの頃から、シソ(いわゆる大葉)が嫌いだった。独特の香りが苦手で、素麺つゆに間違え入れて勢いよくすすってしまい、勢いよく吐き出したことがある。シソはシソでも、ばあちゃんが作るシソジュースだけ飲めた。原液を水で薄めて飲むんだけれど、きれいな薄い紫色でシソ独特の香りがしない。大人になっても嫌いだったんだけれど、いつからか食べられるようになっていて、気づいたら好物になっていた。今では素麺にも手巻き寿司にも欠かせない。僕はシソのことを好きになってよかったって思うけど、だからと言ってシソが苦手な人に勧めたりはきっとしない。苦手なものは、苦手なままでいい。もし、いつかそれを好きになったなら、それは「克服した」のではなくて、ただ「きらい」が「すき」に変わっただけなんだろうなって思う。苦手なままなら、それは成長していないのではなくて、ただ、そのままなだけ。克服するのではなくて、おもしろそうだから試してみる、そんな感じで楽しめるのなら、嫌いなものも試してみようかなって思えるのかもしれない。例えばやったことない組み合わせで手巻き寿司にしてみて、色んな味を試してみるように、あんまり美味しくなくても食べられるようにならなくても、それでもいいかって思えるような気がする。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年04月09日『地図にない場所』は、『町田くんの世界』で爆発的な人気を博した、安藤ゆきさんの最新刊。〈俺の人生、終わってるのかも……〉という、中学1年生・土屋悠人(ゆうと)のぼやきから、物語の幕は開く。兄は優等生で弟はイケメン。学校でも家庭でも居場所がないと感じている悠人の孤独を埋めてくれるのが、隣人のコハクさんこと宮本琥珀だ。世界的バレエダンサーだった琥珀だが、ケガにより引退と報道される。実は琥珀は母親とも死別したばかり。挫折を抱えているはずなのに、存外に明るい表情を見せる彼女に、悠人は最初とまどうが…。「自分にとって何が日常なのか、人はわりと認識できないもので、失って初めて気づくような部分があると思います。と同時に、失ったその状態が日常になっていくということもありますね。そのもろさや不思議さについて考えてみたかったんです」バレエ一筋できた琥珀は、いわゆる生活能力が皆無。そこで悠人は、倍も年上の彼女の部屋を訪ね、何くれとなく世話を焼く。琥珀の本心をつかみかねながらも、そんなひとときに悠人自身の寂しさも慰められる。「大人から見ると、悠人の悩みは絶望するほどではないと感じるかもしれませんが、中学生の閉じられた世界ではとても深刻な問題になります。そういった部分を繊細に描いていけたらいいですね。一方、琥珀は、天才ゆえに当たり前のことが何もできない人というところからキャラを肉付けしていきました。元天才は一種の使命を終えた人、という見方もできる。そんな天才を降りた人のその後を描きたいなと思ったんですね。琥珀がいつか当たり前の生活ができるようになればいいなと思います」ある日、琥珀は悠人に〈“地図にない場所”って知ってる?〉と問いかける。ふたりの住む地域の子どもたちの間で、かつて〈イズコ〉と呼ばれる地図に載っていない場所の都市伝説が流行ったのだ。「悠人と琥珀のキャラを作ってから、世代や性別を超えた特殊な共通認識があれば面白いなと考えました」かくて、ふたりは〈イズコ探し〉の小さな冒険を始める。まずは資料を求めて出向いた図書館で、悠人は幼なじみのすずと遭遇。バレエを習い、琥珀のファンでもあるすずが、悠人と琥珀の関係にさざ波を起こしそうで…。気になる2巻は、夏頃発売予定。『地図にない場所』1中間子の悠人が兄や弟、両親とどう関わっていくのか、家族関係が変化していくのも楽しみ。『ビッグコミックスペリオール』にて連載中。小学館591円©安藤ゆき/小学館あんどう・ゆきマンガ家。『町田くんの世界』(集英社)で第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞、第20回手塚治虫文化賞・新生賞を受賞。※『anan』2021年3月3日号より。写真・中島慶子インタビュー、文・三浦天紗子(by anan編集部)
2021年03月02日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。「つらい環境でも耐え忍べば報われる」という意味を持つ『石の上にも三年』という、ことわざ。ですが、長く続けることよりも難しいのは…。第12回『石の上にも、三日坊主。』始めることと続けることって、どちらが難しいんだろう。興味を示したけれど輪に入らずに、あそびに参加しない子がいる。そのあそびに興味がないのかといえばそうではなく、観戦しながら一緒に楽しんでいるので仲が悪いというわけでもない。むしろやりたそうにはしているけれど、誘ってみると「やったことないから」と断られる。「教えるよ」と声をかけても頑(かたく)なで、あまりしつこく誘うと逆に離れてしまうので、一歩を踏み出すきっかけを見逃さないように見守るくらいしかできない。保護者の方にお話しすると、家では興味深げにそのあそびについて話しているらしい。やってみたい気持ちはあるようだ。じゃあ、なんでやらないんだろう。やってみたいのにやらない。どうしてだろうって考えてみる。無理にそのあそびをさせたいわけではない。したいならしたらいいし、したくないならしなくていい。「見ているだけ」も、その人の楽しみ方だ。サッカーをしたことがなくても観戦は楽しめるし、経験者よりも劣っているということもない。実際にプレーしている人と見ている人、そこに優劣はないのだから。ただ、なにかが足枷になっていて一歩を踏み出せないのであれば、その足枷を外してあげたいなと思う。もちろん、その子と自分は違う人間だし場面も違うから、正しい答えが出るとは限らない。けれど、分かるわけないからといって開き直ってしまったら、分からないままだ。想像したり思いを馳せたりしていれば、すこしでもなにかのヒントが見つかるかもしれない。5年くらい前、友人に誘われてボルダリングを始めた。室内の壁に打ち付けられた、岩のでっぱりやくぼみを模した“ホールド”というものを登っていくスポーツクライミングと呼ばれるものだ。初日はペットボトルの蓋も開けられないくらい腕がパンパンになったんだけど、何度か通っていると筋肉痛も心地よく感じるようになり、日ごとに登れるようになっていった。競技自体も楽しいんだけれど、目に見えて自分の成長が感じられるのも嬉しかった。大人になってのびしろを感じる機会って少ないもんね。ある程度技術がついてきたあたりから、初めは見えなかった面白さを感じるようになってきて、一層楽しめるようになった。そのものの本質的な面白さがわかるまでには時間かかる。あそびもスポーツも仕事も同様だろう。時間をかけてこそ見えてくるものは確かにあるよね。三日坊主という言葉がある。物事が続かないことを揶揄(やゆ)する言葉だ。逆に、辛抱強くいればうまくいくかもしれないという意味として、石の上にも三年ということわざがある。初めは冷たい石の上でも、長く座り続ければいずれ温かくなるということだ。継続は力なりというように、三日で辞めるより続けられた方がきっといい。途中で投げ出さずに粘り強くやり抜くことって、何かを成し遂げるためだけではなく、楽しむためにもとても大切なことだろう。子どもたちにも、やり始めたことは途中で投げ出さずにやり抜いてほしいと思う。今は面白さを感じなくても、続けていれば楽しくなってくるよって。根気強く続けた先に見える面白さや追求することの楽しさを知ってほしい。壁にぶち当たっても乗り越えてほしい。そのときに味わう達成感は格別だ。けれど、と少し考えてみる。何気なく腰掛けて、なんとなく座っていただけなら三年座っていられるかもしれない。けれど、あらかじめ石が温かくなるまでは何年もかかりますよ、と言われていたら、そんな石には座らないんじゃないだろうか。どうしても座らなきゃいけない状況はあるかもしれない。そんな人にとっては、「いつか温かくなるかもしれない」という見通しがあれば安心する。だけど、それは座り続けるための理由ではなく、あくまでも我慢を続けるための慰めだ。そうやってやっとのことで温まったお尻に感じるのは、きっと達成感ではなく、辛かったことから解放された安堵だろう。少し走ってみようかなと思ったときに、遠くにあるゴールにたどり着くまで走り続けないといけないとしたら、ましてや、周りのみんなはその道のりを悠々と走っているのを見たら「今回はやめておこうかな」と、スタートを切ることさえしないんじゃないか。そうしたら、そのまま「興味はあるけれどやっていないリスト」に追加されることになる。続けたら花が咲き、実がなるかもしれないけれど、そもそも始めなかったら芽さえも出ない。なんとなく始めてみて、一歩ずつ進んで、気づいたら遠くまで来ていた。座っていたらいつの間にか温くなっていた。それくらいでいいのなら、最初の一歩も気軽に踏み出せそうな気がする。どうして僕はその面白さを知れるくらい続けられたんだろう、と考えた時に思うのは、同じように下手くそな友人がいたからではないだろうか、ということ。もちろん、上手い人に憧れて鍛錬して上達する人もいるだろうけれど、自尊心の低い僕の場合は、周りの人たちが板チョコのような薄さのホールドを掴んで身軽に登っているのを見て、憧れよりも惨めさを感じた。僕だけが、バナナみたいなデカいホールドに不格好にしがみ付いている。身軽さなんて微塵もなく、ナマケモノのように壁にへばりついて腕をプルプルさせたあげく引力に負けてマットの上に落下する。初心者なんだから当たり前だし、恥ずかしがって楽しめないのはもったいない。そんなこと分かっているけれど、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。だから僕は、慣れるまではひとりで行けなかった。一緒に通う、同じタイミングで始めた同じように下手くそな友人がいたから、その恥ずかしさが紛れていた。自分より下手だから安心できるのではない。「失敗しても大丈夫だ」と思えるから安心できるのだ。持つべきものは偉そうに教えてくれる熟練の友ではなく、共に失敗する未熟な友だった。そんなことを思い出しながら思う。興味を持ったあそびに参加しないその子は、新しいことに挑戦することが嫌というよりは、「みんなができていて自分だけできない」のが嫌なんじゃないだろうか。「失敗するかもしれない」という気持ちが足枷となっているんじゃないだろうか。なんとなく始めて、なんとなく覚えて楽しんでいる間に上達することってある。特に幼少期はそういうことが多いだろう。自分が人よりも劣っているかも、そんなことを思うとはじめの一歩は踏み出せない。大人なら子どもよりも上手にこなして「やってみなよ、教えてあげるよ」って、色んなことを教えてあげたい。けれど、未熟な友として共に失敗しながら成長していくのも良いのかもしれない。簡単に投げ出したり、逃げ出したりしないでほしい。けれど、途中で辞めることを「悪いこと」にしてしまっては、その経験はきっと「あの時も投げ出してしまったし、今回もどうせ続かないからやめておこう」になる。投げ出さないように嫌なことに耐えて育つのは、根気強さではなく我慢強さだ。根気強さや粘り強さはきっと、「もう少し続けたら面白くなるんじゃないかな」という期待のもとにあるんじゃないかな。それはきっと、与えられるものではなく、気軽に始めてたまたま続いた、そんな経験の積み重ねから生まれるんだろう。だから、途中で投げ出さずに続けてほしいなら、途中で辞めても大丈夫って思いたい。いつ立ってもいいからこそ、気負わずに安心して座り続けられるのだ。身になりかけたものを途中でやめそうになったときに「もったいないな」って思ったりもする。こんなに勉強してきたのに生かせないのはもったいないな。この資格取ったのに、別の仕事するなんてもったいないな。ここまで原稿書いたのに、ボツにするのはもったいないな。そんなことを大人になっても、いや、大人になったからこそ思ったりする。きっと、これまでそれに注いできた時間が無駄になるようで嫌なんだと思う。けれど、これまでの時間はこれまでの時間で、これからの時間はこれからの時間だ。ちなみに、これまで注ぎ込んだものを無駄にしたくない!という思いで損をすることが分かっていてもそれを続けてしまうことを、コンコルド効果っていうらしい。博打好きの同僚が教えてくれた。博打と一緒にするなよ、と思うけれど、同時に納得もしてしまう。未来のためにやってきたことを間違いにしないために、これからを犠牲にしているならそれは、未来ではなく過去のために生きているということになる。きっと誰だって、失敗するのは嫌だ。けれど、それが失敗じゃないとしたらどうだろう。「やるなら途中で投げ出しちゃダメだよ」「どうせ続かないんだからやめときなよ」って言葉は減るかもしれない。飽きたなら途中で辞めればいい。しんどければ逃げればいい。簡単に投げ出せばいい。そんなことを言葉にするのは憚られるけれど、それが許されるなら、大人も子どもも、少し肩の荷が降りるような気がする。甘いんじゃないだろうか。その子のためにならないんじゃないだろうか、と思ってしまうかもしれない。途中で辞めてしまう子を見て、歯痒い気持ちになるかもしれない。けれどそれは失敗じゃないし、無駄なんかじゃないとすれば、育んでいるものに目を向けられる。新しいことに挑戦できた。別のことに興味を持てた。できない自分を受け入れられた。全部大成功だ。何にも見つからなくても、自分の気持ちに正直になれた、無理しなかった、だけでも十分だ。それを失敗にしなければ、次の挑戦ができるかもしれない。気軽に、なんとなく興味を持って、なんとなく始められるかもしれない。そんな一歩が積み重なって、気づいた頃にどこか遠くまで来ているかもしれない。もちろん、どこにも辿り着かないかもしれないけれど、それはそれでいいじゃない。活発な子に育ってほしいなら、元気がなくてもいいよって言ってみる。なんでも食べる子に育ってほしいなら、無理して食べなくてもいいよって言ってみる。強い子になって欲しいなら、泣いてもいいよって言ってみる。今と未来は地続きだけれど、今のこの時間を、未来の何かにつなげるために無理しなくていい。「こんなんじゃダメだ」ではなく、「できなくても大丈夫」って安心できたなら、どこかの何かのきっかけでなんとなく「もう一歩踏み込んでみようかな」って思えるのかもしれない。余談ですがこの連載コラムは、月2本くらい書くつもりでスタートした。次第に月1本くらいのペースになっていった。1月から始まり12月にちょうど第12回の原稿を書き始めた。三日坊主の自分が月一を継続したと喜んでいたら、八割方書けたくらいで手が止まってしまい、結局予定より2ヶ月遅れた。初めは、「続けられるか分からないけれどとりあえずこの一本を」と書いていたのに、過去に積み上げたものや達成しそうな何かを見た途端、身動きが取れなくなったのだ。けれど、書いた。今までのものなんて忘れて、次のことも考えないで、目の前のことだけ考えて、ちゃんとできた。えらいな、自分。結局、ボルダリングは2年ほど続けたけれど、引っ越してアクセスが悪くなったことで足が遠のき、そのまま辞めることになった。せっかく鍛えたのだから衰えないようにと通い始めたフィットネスジムは、2、3回通って飽きてしまった。かと言って一度始めたのに途中で辞めるのもなんだかやはりダメな気がして「今月は月謝も払ったし…」と先延ばしにし続けていたら、結局1年間ほとんど通わないのに毎月月謝が引き落とされていた。これがコンコルド効果か、と無表情で納得した。始めたいけれどきっかけがない、ということもあれば、続けたいけれど途切れてしまうこともある。やめたいのにダラダラと続けていることもある。三日坊主が石の上に座っているのを想像してみる。ただの坊主なら修行っぽいけれど、三日坊主が座り続けているのならば、よほど居心地のいい石だろう。そんな石が見つかればいいなって思う。いつか見つかるかもしれないから、そんな石が見つかるまでは、少し冷たいお尻ももう少し我慢してみようかな、なんて誤魔化してみたりする。座っているのがしんどいならば、寝転んででもへばりついてでも居心地いい姿勢を見つけてやろうか。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年02月06日安藤裕子が本日発売となったシングル「衝撃」のMVを自身のYouTube Channelで公開した。「衝撃」は、安藤がTVアニメ『進撃の巨人』The Final Seasonのエンディングテーマとして細部までこだわって書き下ろした楽曲。MVでは安藤が大地に横たわり、様々な声色を使って歌いあげる姿が映し出されている。色調を抑えた映像も特徴的で、昼とも夜とも異なる独特の姿を見せる空の色、楽曲がドラマティックに展開するのに呼応するように縦横無尽に動くカメラワークにも注目だ。監督を務めたのは、カメラマンとしても活躍する川上智之氏。MVでは哀しみ、怒り、安らぎ、苦しみなど様々な感情が交差する模様が描かれており、『進撃の巨人』そして楽曲の世界観が見事に表現されている。安藤裕子「衝撃」MV配信シングル「衝撃」「衝撃」パッケージ購入用URLリリース情報安藤裕子「衝撃」本日発売1,300円(税抜)安藤裕子「衝撃」ジャケット【収録曲】01. 衝撃02. nontitle03. 花一匁■オリジナル特典・Amazon:メガジャケ・ディーラー共通(Amazon以外):チェンジングジャケット※特典は数量限定となるため、発売前であってもご予約状況によっては、先に特典プレゼントが終了する場合もございます。※特典を確実に入手いただけるよう、お早めにお近くのCDショップ、WEBショップで特典についてご確認をいただいた上でのご予約をお勧め致します。※特典につきましては、一部取り扱いの無いCDショップもございますので、詳細を店舗までお問い合わせください。また、ネット販売につきましても同様に、一部取り扱いの無い場合もございますので、各WEBショップの告知をご確認ください。タイアップ情報TVアニメ『進撃の巨人』The Final SeasonNHK総合にて毎週日曜24時10分より放送中※放送日時は変更になる場合がございます公式HPアニメ『進撃の巨人』The Final Season PV関連リンク安藤裕子オフィシャルサイト安藤裕子オフィシャルTwitter安藤裕子オフィシャルInstagram
2021年02月03日《親の考える「愛情」過多で、子供が壊れるよ…ある程度、取捨選択が必要だろう。8つは多い》安藤美姫(33)の育児方針について、一部の視聴者からSNS上で批判の声が上がっている。1月18日放送の『有吉ゼミ』(日本テレビ系)に、安藤が長女のひまわりちゃん(7)と出演。番組では、安藤が娘にフィギュアスケートをはじめ、ピアノ、バレエ、ダンス、古典オペラ、ボーカル、学習塾と数多くの習い事に通わせていることが紹介されたのだ。娘は将来、スケート選手として五輪に出場したいという。さらに安藤は最近、愛娘の“8番目の習い事”として、同番組にレギュラー出演中の坂上忍(53)が運営する子役スクールに入会したことも明かしたのだ。テレビ局関係者は言う。「安藤さんは4年前、坂上さん司会の『バイキング』(フジテレビ系)で羽生選手の世界選手権優勝の映像に淡々とコメントし、坂上さんから『そのテンションでは困る。もう少しテレビを勉強して』とダメ出しされたことがありました。それ以来、テレビ出演時の“先生”として、坂上さんの意見を聞くようになったそうです。昨夏、同じ『有吉ゼミ』で愛娘の映像を初公開したのも、坂上さんのレギュラー番組だったからだそう。厳格な指導で有名な彼の子役スクールを選んだのも、“先生”への厚い信頼ゆえでしょうが……」実は安藤も少女時代、8つの習い事をしていたと番組で明かし、“娘にも同じ挑戦できる環境を作ってあげたかった”と語っている。番組の最後、緊張した表情で坂上を見るひまわりちゃんに、「多分、今日(彼女の)声がちっちゃいのはママの圧と俺の圧」と坂上も苦笑いしていたが――。■8つの習い事に専門家からも疑問の声がSNSでも、娘への8番目の習い事が坂上の子役スクールだったことに違和感を訴える声が噴出。《『バイキング』でも自分と意見が合わないコメンテーターはキレるのに。自分が親なら入れたくない》母娘関係改善カウンセラーの横山真香さんはこう語る。「一般的には7歳の子にとって8つの習い事は多すぎると思います。過密な日程は、健やかな心身の成長に決していいとは言えません。『何しようかな?』と自分で考える空き時間もとても大事なんです。うちに親子関係で悩んで相談に来る家庭でも、たくさんの習い事をさせて子供が苦痛に思っていた事例は多いです。いくら親が『やめたければやめていい』と言っても、子供は敏感に親の顔色をうかがい、やめるとはなかなか言えないものです。親としては、将来の可能性を広げるためにいろいろなカードを並べたいのでしょう。ただ、“それ以外の可能性”もあります。最終的に本人が見つければいいんです」もちろん育児方針は各家庭で異なるもの。安藤が愛娘の“夢”をかなえられることを願うばかりだ。「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月03日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきが30日、一般女性との結婚を発表した草なぎ剛をツイッターで祝福した。草なぎはこの日、婚姻届を提出。所属事務所を通じ、「これからも、今までと変わらぬスタンスで仕事を続けていきたいと思っておりますので、皆様にも応援していただけるよう、日々精進してまいります」とコメントを発表した。天野は相方・ウド鈴木と共に撮った思い出のスリーショットをアップし、「うぉー、今つよぽん結婚!」と興奮。「こんな嬉しいサプライズは、なんぼあってもいいですからね」と喜び、「本当におめでとう」とメッセージを送った。天野が投稿した写真は、昨年11月に草なぎが行ったライブイベント「草なぎ剛のはっぴょう会」後の一枚。当時のブログでは会場まで足を運んだことを明かし、「歳をとると、失敗を恐れたり、なるべく恥をかきたくないという気持ちが強くなり、次第に自分で挑戦を諦めたり、限界を決めたりしてしまうものだ」「しかし、つよぽんにはそれがない」「その姿を見ていたら人生を楽しんで生きてるかい?とお尻を叩かれたような気持ちになったりした」と感想をつづっていた。
2020年12月30日冬は人恋しくなるシーズン。好きな人と一緒に雪景色をながめたり、ゆきだるまをつくったりして、イチャイチャとしたくなりますよね。今回は、そんな「ゆきだるま」にちなんだ心理テストをご紹介いたします。【質問】ゆきだるまを飾るなら、次のうちどれを飾りますか?A:帽子B:マフラーC:シャベルD:花冠あなたはどれを選びましたか?さっそく結果を見てみましょう。【診断できること】「あなたの運命の相手」深層心理において「ゆきだるま」は、あなたが精神的に温まりたい……つまり、「心のよりどころ」としたくなる存在を意味します。そして、ゆきだるまに足したいものは、あなたの趣味嗜好。すなわち、あなたがどんな相手に対して好感を持つかを暗示しています。そのため、ゆきだるまに何を足すかによってあなたの運命の相手が分かるのです。■ A:「帽子」を選んだあなた【センスが冴えた男性】あなたの運命の相手は、直感に優れ、目に見えない感覚でものごとを決めていくタイプのようです。感性が鋭くて、達観したものの考え方を好むでしょう。その反面、周囲に対して関心が薄くなりがちで、自分の世界に没頭してしまうところがありそう。少し理解に苦しむところもあるかもしれませんが、センスが冴えている男性とあなたの感性が一致すれば、驚くような急展開もあり得そう。■ B:「マフラー」を選んだあなた【粘り強く安心感のある男性】あなたの運命の相手は、精神的に安定していて、周囲の人たちに安心感を与えることができるタイプでしょう。穏やかで円満な性格なので、人間関係も良好そう。表には決して見せませんが、内面にはコツコツとものごとに取り組む「粘り」を秘めているようです。ただ、あなたが自分から洞察力を働かせないと、相手の存在には気づかないまま通り過ぎてしまう可能性も……。目立たないけどしっかりした男性なので、見逃さないように注意が必要です。■ C:「シャベル」を選んだあなた【活発で爽やかな男性】あなたの運命の相手は、活発でさわやかな魅力を持っています。パッと見て大人しそうに見えても、意外と行動派かもしれません。自分が自分らしく振舞えることに喜びを感じるようなので、あなたはお相手と束縛のないのびのびした自由な関係を意識すると良いでしょう。あなたがすべきことは、積極的に挨拶できるようになること。気軽に声をかけてみると、意外とスンナリ関係が進むはず。■ D:「花冠」を選んだあなた【クリエイティブな男性】あなたの運命の相手は、何かをつくりたいクリエータータイプ。芸術的な要素を持っているかもしれません。とくに、何もないところから形あるものをつくっていきたいという気概があるようです。ただ、あまり自分がやりたいと思っていることを口にしない性格なので、あなたが励ましてあげるときっかけが生まれるでしょう。少し頼りない部分をカバーしてあげれば、恋心に発展するはず。■ 運命に「気づく」ことが大切運命の人は、努力によってつかみ取るものだと思われがちですが、実は「気づく」ことで運命の人へと昇華する場合の方が多いと言えます。実は意外と身近なところにそんな相手は隠れていたりするもの。もしもまだ運命の人とめぐり合っていないと感じるのなら、じっくり目を凝らして周りを見渡してみましょう。きっと見つかるはずです。実は……意外なところにいたりするものなのです。(脇田尚揮/占い・心理テストクリエーター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2020年12月17日2021年3月4日(木)~3月14日(日)に、東京・大手町三井ホールにて上演される舞台「元号男子」のメインビジュアルが公開された。本作は、志島とひろによる元号を擬人化した作品を舞台化したもの。時代とともに生まれた大正、昭和、平成、令和の4人の元号男子が一つ屋根の下で暮らす模様を描いている。脚本・総合演出を川尻恵太、演出を白鳥雄介が担当。大正役の和合真一、昭和役の校條拳太朗、平成役の平賀勇成、令和役の大薮丘を中心に、若手俳優たちが活躍する。今回公開されたビジュアルのイラストは、原作者の志島が手がけた。背景はイラストレーターの村カルキによるもの。魅力的なキャラクターはもちろん、美しく描かれた背景も注目してほしい。なお、和合、校條、平賀、大薮のキャスト4名のサイトにて、チケット先行受付を実施中。申し込み締め切りは12月7日(月)23:59となっている。【公演概要】舞台「元号男子」公演日:2021年3月4日(木)~3月14日(日) / 全15公演会場:大手町三井ホール(東京都千代田区大手町 1-2-1 Otemachi One 3F)チケット代:全席指定9,800円(特製 A4 タペストリーつき / ランダム)※本公演のチケットは電子チケットとなります。ご注意ください。キャスト先行:2020年11月20日(金)10:00~12月7日(月)23:59大正役・和合真一 FC: 昭和役・校條拳太朗 FC: 平成役・平賀勇成 ニコニコチャンネル: 令和役・大薮丘 FC: ※詳細は各サイトでご確認ください。公演に関するお問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(平日12:00〜15:00)公式サイト:
2020年11月27日新型コロナウィルス感染拡大の第3波が懸念されるなか、菅義偉首相(71)は11月21日に「Go Toキャンペーン」の運用を見直す考えを示した。「Go Toトラベル」では、感染拡大地域を目的地とする旅行の新規予約を一時停止に。「Go Toイート」では、プレミアム付き食事券の新規発行やポイント利用の一時停止するなど都道府県知事に求めている。しかし具体的な期間やキャンセル料といった事柄については、これから定めていくという。「分科会から強いメッセージを受け、政府が対応に動いたのは11月20日の夜。キャンペーン開始前に、万が一の対策が立てられていなかったことが露呈しました。さらにどの都道府県を対象除外にするかどうかは、各知事の判断任せ。知事会も『丸投げしないで』と困惑しています」(全国紙記者)そんななか、松本人志(57)や“ひろゆき”こと西村博之氏(44)による「おひとり様」の提案が注目を集めている。「Go Toイート」について政府は、「原則4人以下」での飲食を要請。また東京都の小池百合子知事(68)は、会食時の対策として「少人数」「小声」「小一時間」「小皿」「小まめ」の“5つの小”を呼びかけた。どちらも複数人で食事することが前提となっている。ひろゆき氏は21日放送の『NewsBAR橋下』(ABEMA)で、「Go Toイート」について「予約1人で取れればいいと思うんですよね」とコメント。「要は2人とか3人とか、複数になるから飲み会とかで騒ぐわけで」と説明し、「全員1人客にすればすごい静かだと思うんですよね」と述べた。松本も22日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、「ずっと言い続けるんですが、おひとり様をやれ!って言ってるんですよ」と強調。「1人ならしゃべらないから大丈夫だし。家でご飯食べてるのと一緒ですからね」とし、「でもちゃんとレストランなりにお金を落としていくわけやから」と経済面でのメリットも主張した。ネットでは賛同の声が広がっている。《松ちゃんもひろゆき氏も言ってるけどGoTo関連はお一人様を優遇して!》《そうだと思う。経済を止めるわけには行かないし、感染を広げるわけにも行かない。個人で充分に予防して、意識しながら行動するしか無いよね》《大賛成です!コロナ対策と経済両方を考えるなら当然ですよ。もういい加減「お一人様イコール寂しそう」という概念は変えないと》果たして、国民の声は届くのだろうか。
2020年11月23日グラビアアイドルの椎葉ゆきが、最新イメージDVD『初恋ゆきち』(発売中 4,180円税込 発売元:apricot)をリリースした。同DVDがグラビアデビューとなる椎葉ゆき。北海道出身ということで透明感溢れる白い肌が印象的で、スリーサイズも上からB80・W56・H81という極上のスレンダーボディーとCカップのバストが魅力の23歳だ。今年発表された「ミスヤングチャンピオン2020」ではファイナリストまで残って注目を集めた。そんな椎葉の初めてとなる同DVDは、彼女の魅力が詰まった1枚となっている。衣装的には制服や女教師をイメージした白ワイシャツにタイトスカート、情緒溢れる艶やかな和服と華麗な姿が見られる反面、水着はマイクロビキニや眼帯水着などどれも過激なモノばかり。初めてのDVDから露出度も高く、スタイルの良さをまざまざと見せつけている。全体的にソフトな仕上がりと思いきや、男性を誘惑する仕草を連発。最後を飾る夜ベッドでは過激なグラインドを余裕たっぷりで見せるなど、新人離れしたセクシーさも持ち合わせている。
2020年10月28日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。まだ感情のコントロールが苦手で、癇癪(かんしゃく)を起こしてしまう子どもたち。他人の苦しみや欲求は、どうすれば理解できるのでしょうか。第10回『同情するならお湯をくれ。』「怒りたくて怒ってるんじゃないよ」と言われて「なら怒らなければいいじゃないか」と思ったことがあるのは僕だけではないだろう。学校からの帰り道、歩きながらノートを広げている子がいた。「危ないからノートしまって歩きなよ」と声をかけると「だってー」と返してきた。「危ないことは危ないからやめてね」と口答えを制した。理由があろうと危ないことは危ないのだ。しばらく歩いたところでお茶を飲みながら、またノートを広げていた。「しまっときって言うたやろー!」と少し語調を強めると、注意されて落ち込むというよりも楽しみを邪魔されたというような表情をした。心配していることを伝えるつもりで言い訳のように「怪我したらあかんからな。ほんで、暑いから水分しっかり取ってな」と言うと「だから飲んでてんやん」と言い返してきた。なんだかやけに反抗的だなと思いながら視線を落とすと、広げたノートに地図のようなものが書かれているのが見えた。スタートらしき場所には「がっこう」と記されており、路線図のようにいくつかの四角を線で繋げていて、ところどころに手書きの星マークがつけられていた。双六のようにも見える。「なに見てたの?」と、指摘としてではなく興味本位で尋ねた。「帰り道に暑くてお茶飲まなあかんから、飲むポイントを書いてんねん、いまここ」と言って[学校]と[学童]の間にあるチェックポイントの一つを指した。「真夏の水分補給」も子ども達に指導している交通ルールと同じく大切なことだ。それを自分たちで工夫して実践できるようにしていることに感心しながらも「いいことやけど、危ないからノート広げて歩くのはやめような」と伝えた。しばらくしてから、「おもろいなあ」とそのノートのことを思い出していた。自分たちで相談して書いたんだろうか。決められためんどくさいことも、あそびに昇華してるなんてすごいじゃないか。「いいことやけど」ってなんやねん。ただただめっちゃおもしろいやん。「いいことや」って取ってつけたように言ったけど、あの子たちには「怒られた」ってことだけが残っているんじゃないかと少し後悔した。自分で自分に「怒りたくて怒ったんちゃうねん」と言い訳した。「なら怒らなければいいじゃないか」と子どもの頃のぼくが顔を出す。危ないことは危ないからやめてもらわなきゃいけない。けれど、もっとほかに伝え方があったんじゃないか、間違いを指摘することをそんなに焦らなくてもいったん話を聞くことくらいはできたんじゃないか、と何度も考えていた。思い通りにいかないときに癇癪を起こしてしまう子がいる。諭すように話したり、思いに寄り添うように声をかけたりしてみても全く応じることはなく、言葉をかければかけるほど興奮したり、脱力して床に寝そべり駄々をこねたりする。腫れものを触るように接していき、癇癪玉が爆発したら最後「鎮まりたまえ!」と災難が過ぎ去るのを待つようになだめ、根負けして思い通りにさせるか、そうでなければ開き直って強引に言うことを聞かせるしかない。その子は好きなあそびを中断されるたびに駄々をこねた。みんなで遊んでいるときには機嫌よく過ごしているけれど、終わってしまったり中断されると手をつけられなくなっていた。ある日、その子は好きなあそびをせずに一人で過ごしていた。ひとりでのんびり過ごしているのかといえばそうではなく、かと言って別のあそびに夢中になっている訳でもなさそうで、あえてそのあそびから離れているように見えた。何かあったのか尋ねてみると、その子は少し黙ってから「もう、ああなるの嫌やねん」と小さく言った。「ああなるの」とは「キーーーッ!」ってなること、つまり「癇癪を起こしてしまうこと」だ。「思い通りにいかないことがあったら癇癪を起こす子」ぼくはそんな風にその子のことを見ていた。思い通りにいかないことを押し通そうとする姿は、半ばわがままにも見えた。その子にも制御ができないのだ、とそのときに初めて気が付いた。本人が苦しんでいるなんて思ってもいなかった。癇癪を起こさないようにしたり、それを鎮める方法を話し合いもした。けれど、それは「その子がしんどいから」ではなく、「僕たちがしんどいから」やっていた。その子が癇癪と戦っているのに、僕とも戦わなきゃいけないなんてそりゃあしんどい。僕には見守るか支えるしかできなかったのだ。もしかしたら、わがままな姿や怠慢に見える姿が、ただ気に食わなかったのかもしれない。誰も困りはしないのに何故だか許せない、そんな感情ってあるんだよね。その子が感情をコントロールできなくて、うまく表現できなくて苦しんでいるかもしれない。それを分かっていても、それでもやっぱり「自分の言う通りにしたいだけじゃないか」とか「ただのわがままなのではないか?」と感じてしまう自分がいる。考えてみれば、その子が癇癪を起こさずに言うことを聞いて欲しい、と望んでいる僕の考えも、自分の思い通りにしたいというわがままだよね。僕たちはなんで、人がわがままに振る舞っていたりサボっているように見えたりするのが許せないんだろう。たとえば危険があるとか誰かの迷惑になるとかなら分かるけれど、誰に迷惑をかけるわけでもないのに、手を抜いていたりサボっていたりズルをしていたりすると許せない。気に食わないな、と思うだけなら勝手だけれど、「その子のためにならない」というもっともらしい理由をつけて厳しくしてしまうこともある。親を甘やかしたらいけないという価値観も、保育や教育の業界から聞こえてきたりする。「気に食わない」だけで批判するのは理不尽だって誰でも分かるけれど、それが「教育」とか「当たり前」という仮面を被ってたら、そういうものなのかもと思ってしまう。しんどい人は救われるどころかさらに追い込まれていく。しんどいのなら、甘えてもいいんじゃないのかな。なんで、甘えたり手を抜いたりすることが許せなくなってしまうんだろう。あ、例えば、狩りで生きてきた時代には、サボってしまったら生死に関わるから本能的に「サボるのは許せない」と感じるのかもしれないな。とか適当なことを考えてみたけれど、「サボりたい」「休みたい」も生きるために必要な心の声じゃないか。「何個しんどかったら帰れるんですか?」中学校に勤めている友人が、保健室で生徒に聞かれたらしい。熱は無いけれどアトピーの調子が悪いし具合もよくないので帰りたい。けれど、サボりだと思われて帰らせてもらえないとのこと。甘やかしてクセになってもいけないし、だからって子どものしんどさに寄り添えないのもつらいものだ。僕は子どもの頃からアトピーなんだけれど、痒いとか痛いとかだけでなく、向けられる視線やかけられる言葉に傷付いたり、自分は頑張りたいのに頑張れないしんどさもある。学童でも身体が痒くて目の前の宿題に集中できない子がいて、それを見て「集中力がないな」と思ってしまいそうになる。けれど、絶対に「集中しなよ」と声をかけることはしない。だって、集中できるならしてるもんね。痒いから集中できなくて、集中できないからまたイライラして掻いちゃって、終わりが見えなくてボーッとしてしまうんだ。荒れた肌は見た目も良くないし、フケが服についたりするから清潔感がないとか言われる。清潔にしていないとすぐに悪化するから、一度来た服を洗わずに着ることはないしシーツだってしょっちゅう洗う。その辺の清潔感のあるイケメンよりも、きっと清潔であることを心がけているけれど、見た目の清潔感は伴わない。食生活が良くないんじゃないかとか生活習慣が悪いんだよって言われることもある。怠慢だから、サボっているからだよと病気をその人のせいにしたがる。しんどくてエネルギーを使いすぎて、いつもなら容易にできることが、ガス欠でできないこともある。当たり前にできるべきことができていないから、またやっぱりサボってるって思われる。その人のしんどさはその人にしか分からない。同じ痛みでも、平気な人もいれば、動けないくらい苦しむ人もいる。その人にしかその苦しみはわからない、という至極当たり前のことを忘れて、苦しむ人が弱いのだと、それを悪いことのようにしてしまう。忍耐力が足りない?みんな我慢してる?その事実があったとしても、それでしんどさはなくならないのに。病気に限らない。健康でも、その時の環境や状況でしんどい人はきっとたくさんいる。家族がケガをしたり、飼っている猫が病気だったり、失恋したり、推しが引退したり。病気だからとか障害だからとかではなくて、なにもなくてもそのしんどさに目を向けていたい。「そんなことくらいで」なんて他人が言っちゃいけないんだよね。みんなは大丈夫なのに自分がしんどくても、「そんなことくらいで」って自分で思ってしまうことも、もうやめたい。みんなしんどいことは嫌なはずだよ。そのしんどさから逃げたり解放されることを望んだりするのって悪いことじゃないはず。みんながしんどくなくて、みんながサボれる社会の方が断然生きやすいやんか。「なぜしんどいか」なんて関係なくて、そこにしんどさがあるのなら、それをまずは解消したい。甘えてなにがいけないんだろう。弱くてなにがいけないんだろう。教育というモノを言い訳に、育てるという名目のもとに、その子のしんどさを否定してはいないだろうか。まっとうに生きる。勤勉に生きる。それが幸せになるためではなく、ちゃんとした大人として見られるためなのであれば、もうそれにならなくてもいいやって思うの。ちゃんとした大人、を目指すなら、人のしんどさを自分の尺度で測らずに、想像したり寄り添える大人でありたいと思う。「正しいこと」よりも先に「生きやすいこと」を大事にしてみようよって思う。他人が大切にしているものを否定しないのと同じように、他人のしんどさを否定しない。それができたならきっと、自分の大切にしているものもしんどいことも、自分で否定しないでよくなるんだと思う。子どもの育ちを見守る立場である僕が、こんな風にサボることを肯定したら、それで不安になる人もいるかもしれない。けれど、ぼくははっきりと言いたい。一個でも十分しんどいよ。みんながしんどくないことでも君がしんどいのならしんどいんだよ。休んでいいんだよ。手を抜いていいんだよ。苦しみを我慢して厳しくされた分だけ辛抱強くはなるかもしれない。けれど、その分相手にもその強さを求めてしまうのであれば、自分のしんどさに気づいて誰かに甘えられるほうが、その誰かもまた誰かに甘えていけるほうが、みんながしんどくないんじゃないかな。少なくとも、相手には相手のしんどさがあることを知れるから、強さを求めて追い込んだり傷付けたりすることは減るだろう。みんなが強いことを望んで傷つけ合うよりも、弱さを認め合って支え合えたら。甘いと言われようと、僕はそうありたいと思うのだ。余談ですが別の日の帰り道に、「泥棒って、ご飯食べてるんかなあ」と尋ねてきた。不意に問われたその意図が分からなかったので、なるべく断定するような答えにならないように「どうやろうなあ」と返すと「食べてないんやったら、カップラーメンにお湯入れてあげたいわ」とその子は言った。ただカップラーメンをあげたい、ではなく「お湯入れてあげたい」という具体的な優しさが、哀れみとか同情ではなくその子の本当の思いであることを感じさせた。「泥棒ってお金ないんやろ、だからカップラーメンに」と繰り返す。生まれながらに悪い人、ではなく、お金がないから悪いことをしてしまう。そんなふうに考えられる人がどれだけいるだろう。悪い人の代名詞である泥棒だけれど、その子にとっての泥棒は悪い人ではなく困っている人なのだ。犯罪を犯すのはその人のせいで、貧乏なのは自己責任だと叩かれるこの社会で、この子は泥棒のカップラーメンにお湯を入れてあげたいと言っている。それを聞いてぼくが抱いた感情を、なぜだろう、うまく言い表せられない。考えを巡らせすぎたのだろうか、「あーーー」と叫んで「あかん、ほんまに泥棒にお金配りたくなってきた」と泣きそうな顔で呟いた。もしぼくが泥棒なら、って少し想像したら、泥棒でもないぼくが何故か救われたような気持ちになった理由が分かった気がした。ぼくが泥棒だったなら。きっと、そのもらったお金でカップラーメンを買うだろう。ビールを飲んだり美味しいお肉も食べたいけれど、餃子やお寿司も食べに行きたいけれど、でもきっとカップラーメンを買うだろう。そして、その子がお湯を入れてくれるのを待つのだ。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年10月27日2020年9月20日、バラエティ番組『バナナマンのせっかくグルメ!!』(TBS系)に、お笑いコンビ『メイプル超合金』の安藤なつさんが出演しました。放送後、安藤さんの番組内での行動について、一部から「がっかりした」「二度と出演しないで」などと非難の声が上がり、安藤さんは自身のTwitterで謝罪する事態に。しかし、この謝罪に「謝ることじゃない」と、安藤さんを擁護する声が続々と寄せられています。安藤なつが謝罪した、番組内の行動とは?安藤さんは番組内で、アイドルグループ『日向坂46』の丹生明里さんと、佐々木美玲さんとともに、老舗寿司店を訪問。名物『伊達巻き』を食べるために訪れたのですが、店に到着した時間帯が遅かったこともあり、一人前しか残っていませんでした。そこで、3人はじゃんけんをして勝った人が食べることにしたのです。すると、安藤さんがじゃんけんに勝利。『伊達巻き』をひと口食べた安藤さんは…。何これ、本当に感動してる!めちゃくちゃうまい!バナナマンのせっかくグルメ!!ーより引用感想を聞いて「おいしそう!」と悶える丹生さんと佐々木さんを前に、安藤さんは残りを一気に頬張りました。その後、安藤さんのTwitterアカウントに一部から非難の声が…。・少しもあげないんですね。そういうのってお笑いなら許されるんですか?・がっかりしました。もう出演しないでほしいと思った。・強欲。二度と出ないでくれ!非難を受け、安藤さんは自身のTwitterアカウントで、番組内の行動を謝罪したのです。自分のしたことで不快な気持ちにさせてしまった皆様、ごめんなさい。今後このようなことがないように気を付けます。— 安藤なつ(メイプル超合金) (@mapleandonatsu) September 20, 2020 安藤なつの謝罪に、擁護の声が続々一連の出来事に対し、ファンや番組視聴者から擁護の声が続々と寄せられています。・「じゃんけんで勝った人が食べよう」とルールを決めて勝った人が食べた。別におかしなことはしていないと思います。非難する人がおかしい。・番組を楽しく拝見させていただきました!安藤さんが謝ることなんて何もなかったと思いますよ。・一部の非難に付き合っていたら、身が持たないと思います。気にすることなく頑張って!応援しています。また、「安藤さんもプライベートだったら分けてあげたと思うよ」という声も上がっていました。近年、問題となっている芸能人への誹謗中傷。出演者の言動について非難する前に、番組上の演出なのではないかと、一度考えてみるべきなのかもしれません。[文・構成/grape編集部]
2020年09月21日