晴れやかな笑顔で手を振り周辺の桜が美しい半蔵門を通られた雅子さま。3月26日、淡い水色のロングドレスをお召しになって皇居で催された歌会始の儀に臨まれた。雅子さまは《感染の収まりゆくをひた願ひ出(い)で立つ園に梅の実あをし》と、新型コロナウイルス感染症の収束を心から願うお気持ちを御歌で表され、国民にお心を寄せられた。この歌会始の儀は講書始の儀に続いて1月中旬に行われる宮中の新年の儀式。だが、今年はコロナ禍のため約2カ月も延期され、出席者も大幅に抑えて全員マスクをつけての開催となった。さらに、歌を詠み上げる講師や講頌などはフェースシールドをつけ、机にアクリル板を立てるなど、完全な感染防止対策が施されていた。「女性自身」2021年4月13日号 掲載
2021年04月03日東日本大震災の発生から10年となる3月11日、天皇陛下は東京・国立劇場で開かれた犠牲者の追悼式に雅子さまとともにご出席。陛下は被災地、被災者へ寄せる思いを述べられた。「復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています」10年という長い歳月が経った今でも、復興は道半ばであり、さまざまな課題を挙げられて“震災は現在も続いている”と強調されたのだ。震災を風化させまいという強いお気持ちが伝わってくる。異例の長さともいえる6分間にわたるお言葉は、雅子さまとご一緒に、10年間の被災地訪問を振り返りながら、追悼式の直前まで推敲を重ねなられたという。その表れとして、お言葉のなかでは、「皇后と共に」と2度も言及されている。「私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています」「私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」陛下はこれからも雅子さまと“二人三脚”で、被災地に心を寄せていく意志を示されたのだ。これまで両陛下は皇太子ご夫妻時代に、被災した岩手、宮城、福島の3県を3回ずつ訪問されている。追悼式を前にした3月4日には岩手県、3月17日には宮城県の被災者たちとオンラインで懇談された。今後、福島県へのオンライン訪問も検討されているという。陛下は今年2月のお誕生日会見で、こう述べられた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」10年を節目、区切りと考えるのではなく、さらなる復興のスタートとしてとらえるためにも、陛下と雅子さまが被災地を再訪される日が待たれる――。
2021年03月19日東日本大震災から10年を迎えた3月11日、天皇陛下と雅子さまは追悼式に臨まれる。雅子さまは毎年のお誕生日のご感想で、陛下とご一緒に「被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います」などと今なお被災地を気遣われ、復興を願う思いをつづられてきた。また、皇太子妃時代には被害の大きかった東北3県の被災地を3回ずつご訪問。そのご交流のなかでのお気持ちを、折に触れ和歌に詠まれている。《春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く》’96年春、福島県土湯温泉町を訪ね、仁田沼周辺を散策された両陛下。震災の年に、その美しい自然に思いをはせ詠まれた御歌。《悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり》岩手県釜石市をお訪ねの際、釜石湾が静かに凪ぐ様子をご覧になり、地域の人々の悲しみが癒されていくよう願われた。《ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む》事故を起こした福島第一原発に近い広野町の福島県立ふたば未来学園高等学校の授業をご覧になり、生徒たちの真摯ですがすがしいまなざしの印象を詠まれた。《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》津波被害の大きかった宮城県名取市閖上地区などをご視察。新しい災害公営住宅に入居した被災者の喜びの声に安堵され、さらなる復興を願われて詠まれた御歌。今年3月に入って以降、両陛下は被災地により深く心をお寄せになっている。1日には赤坂御所で復興庁の事務次官らから復興状況に関する進講を受けられ、4日には赤坂御所と岩手県の釜石市、陸前高田市とをリモートで結び被災者らの代表6人とお話を。雅子さまは、一人ひとりのお話をじっくりと聞かれ、声をおかけになるなどの交流をされていた。コロナ禍の今はリモートでのご交流しかかなわないが、近い将来、陛下とともに被災地をご訪問され、慈しみの心を皇后の御歌として詠まれることだろう。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月17日東日本大震災から10年となる3月11日、天皇陛下と雅子さまは政府主催の追悼式に出席される。コロナ禍で被災地へ足を運ぶことは難しい状況だが、両陛下は3月4日にも岩手県の陸前高田市と釜石市をオンライン訪問されるなど、被災地した人々の力になりたいという強い思いをお持ちだ。これまで、雅子さまは被災地の未来を担う次世代の子供たちのことを気にかけてこられた。’15年10月には、この年の4月に開校した福島県立ふたば未来学園高校をご視察。生徒たちが「2030年に直面する地域課題解決に向けた取り組み」をテーマに話し合う様子を見学された。雅子さまはこの年の誕生日に、次のような感想を綴られている。《震災前よりも一層輝く福島県にしたい、将来ふるさとに戻って地域のために貢献したい、という前向きな気持ちにあふれた高校生の言葉に接し、嬉しく、また心強く思いました》「雅子さまは本当に明るいご表情で生徒たちとお話しされました。生徒たちの話には真剣に耳を傾けられ、活動目的、学校生活などについて聞かれていました。陛下と雅子さまが参加された“特別授業”は生徒たちにも大きな経験となったのではないでしょうか」(皇室担当記者)雅子さまはこのときのことを翌’16年の歌会始の儀で《ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む》と詠まれている。当時高校1年生で、現在はふたば未来学園高校の同窓会会長を務めている新妻留菜さん(21)に改めて話を聞いた。「天皇陛下からは『震災のとき、どういう状況でしたか?おうちの人たちは大丈夫でしたか』とお声がけがありました。生徒会の書記の仕事にやりがいを感じていますとお話しすると、陛下は『頑張ってください』と、励ましてくださいました」新妻さんは、雅子さまが生徒たちに向けて語られた言葉が印象に残っているという。「あの日雅子さまがお話しになった『震災に遭ったこの地域の復興のために頑張ってください』という言葉が、いまの自分の生き方にも影響していると思います。地域復興のために頑張りたいという意志が強くなったように感じます。雅子さまにお会いした翌年のお歌は嬉しかったです。自分たちの高校というだけでなく、被災地の福島のことを詠んでくださった。そして今も被災地の福島、宮城、岩手の3県のことを気にかけてくださっている……。天皇陛下と雅子さまが、10年という月日がたっても震災を忘れずにいてくださっていることは、本当にありがたいです」その新妻さんは、元々は女優になりたいという夢を持っていたが、震災後に避難所などで看護師や医師の方たちに助けてもらったことで、将来は看護師になりたいと思ったという。そして、現在は、地元の看護学校で学んでいる。その励みとなっているのが“復興のために頑張ってください”という雅子さまの言葉なのだ。「震災のときは、全国各地から来てくださった人たちに助けてもらいました。もし今後、どこか違う地域で大災害が起こったときには、今度は看護師として私が助けに行けるようになりたいと思っています」天皇陛下は先月の誕生日会見で、次のように語られていた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」3月11日には政府主催の追悼式が開催され、両陛下が出席される予定となっている。両陛下はこれからも、被災地の人々にエールを送り続けられることだろう――。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月11日天皇誕生日に胸元の刺繍が美しいロイヤルブルーのロングドレスをお召しになり、皇居へと向かわれた雅子さま。天皇陛下が61歳を迎えられた今回も、昨年と同じようにコロナ禍のため天皇誕生日の一般参賀は中止に。さらには駐日大使らと懇談する茶会の儀なども取りやめ、祝賀行事も出席者を縮小して催された。雅子さまは、お気に入りのドレス姿で皇居・宮殿で祝賀行事にご出席。皇后としてのお務めを果たされた。陛下は、お誕生日にあたり雅子さまについて「雅子は私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手となってくれております。私も、今後ともできる限り雅子の力になり、支えていきたいと思っています」と愛情深くお話に。夜には、両陛下と愛子さまは家族水入らずでお祝い御膳を囲まれた。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月07日コロナ禍でご公務も激減、なかなかお出ましの機会が訪れない昨今。本当はもっと雅子さまのお姿を拝見したかった……!ということで、近年の冬のファッションを総ざらい。色使いなど、気品ある装いのエッセンスをまねしてみては――?【Day1】リモートでも現地ご訪問と同じコーデを!先月末、昨年7月に発生した熊本県の豪雨被害の被災地をリモートでお見舞い。両陛下はともにタートルネックセーターにジャケットの装いで、被災者に親しみやすい雰囲気作りを。【Day2】環境会議は緑のスーツで昨年12月、環境問題に取り組むGEA国際会議の開会式に出席された際は、深いグリーンのスーツを選ばれた。襟と袖口にベルベットをあしらった、素材感の違いもポイント。【Day3】地方ご訪問は優しい白コート冬の地方ご公務には、雪のような白いロングコートで。Aラインのゆったりとしたシルエットに、お帽子のベージュのリボンと靴先の色合いをそろえ、優しげなスタイルに。【Day4】冬の定番色はボルドー寒くなると雅子さまがよくお召しになっているのがボルドーカラーのスーツ。同じ色でも帽子やバッグなどの小物でバリエーションを。【Day5】サステナブルファッションを実践!スカラップカラーが特徴的なロイヤルブルーのスーツは25年以上大切にされているもの。インナーを替えられ、上手に印象をチェンジ。【Day6】遊び心あるジャケットでご静養へ襟、ポケットのフラップ、カフスに入ったステッチでカジュアルさを演出。お持ちのバッグはFURLAの80周年記念限定モデル。【Day7】おうち時間はリラクシー素材を上質なとろみ素材のブラウスはおうち時間を心地よく過ごされるのにぴったり。パールのネックレス、イヤリングで女性らしさもUP。寒~い季節は、こっくり深いカラーを取り入れれば貴女もロイヤル気分♪「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月07日コロナ禍によりご公務や行事が続々と中止になってしまった’20年。雅子さまの着物姿を拝見できたのは昨年の1月が最後。今年こそは感染拡大が収束し、和装での晴れやかな笑顔をたくさん拝見したい……そんな願いを込めて、雅子さまが着物をお召しになる機会を振り返ります。【大相撲ご観覧】’20年1月、例年、大相撲初場所の初日や中日に天皇陛下が行幸される天覧相撲。令和になって初の国技館には愛子さまと色合いをそろえられて、扇柄に菊、もみじなどを散らした淡いクリーム色の和服で。【海外要人とのご接見】’19年8月、海外からの賓客を招かれての国際親善では和服でのおもてなしで歓迎のお気持ちを。皇居宮殿にアフリカの要人を招かれての茶会では、淡いブルーに花籠紋様の和服をお召しになられた。【園遊会】’18年11月、春秋と年2回行われる園遊会は和装と洋装に分けられることが多い。皇后陛下はじめ、女性皇族方の和の装いも注目される。この日、雅子さまはもみじの葉のグラデーションが映える秋らしい和服で秋の園遊会にお出ましになられた。【文化功労者らとの茶会】’19年11月、毎年、文化勲章受章者と文化功労者を宮殿の「連翠」に招き催される茶会。平成の皇后、美智子さまも和服姿でのご列席が多かった。この年、雅子さまは淡いブルーにしっかりと描かれた菱の文様の和服で皇居・宮殿でのお茶会に。今年も拝見したい雅子さまの着物姿。雅子さまの晴れ着が日本を明るくする!「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月13日「雅子さまは、もともといろいろな人としゃべるような社交的な雰囲気の子供ではなかったから、子供のころはずっと2人でしゃべっていることが多かったんです。雅子さまと私の2人が学校の先生に犬をもらったのですが、その犬たちを毎日のように一緒に散歩させてどちらかの家に行って遊んでいました」雅子さまとの学生時代の思い出を懐かしそうに話すのは、ご学友の清家ルリ子さん(旧姓:村岡)。雅子さまとは、小学3年から高校1年まで田園調布雙葉学園で同級生だった。「家も近所で、学校の行き帰りもずっと一緒でした」という幼なじみだ。今月、12月9日に皇后になられて2回目のお誕生日を迎えられた雅子さま。本誌はその翌日、清家さんに雅子さまとの思い出を伺った。「小学生のころ、雅子さまと私は生物部だったんです。2人とも飼育係も担当しており、学校の動物をかわいがっていました。うさぎやハムスター、ヘビ、ハツカネズミ、モルモットも。雅子さまは当時、ご自宅でも犬のほかにカメレオンやハムスターも飼っていらっしゃいました」雅子さまは小学校の卒業文集に将来の夢を「獣医」と記されているほどの動物好きだ。「ヘビを触るのも平気でしたよ。学校で誰かが持ってきたヘビをグラウンドまで私と2人で素手で持っていって散歩させたこともありました。ヘビってヌルヌルしそうですけど、実はサラサラで冷たくてとてもきれいな感じなんですよ。でも私たちが持っていると、みんなキャーキャー言いながら逃げていく。それも面白くて、2人でよくお昼休みや放課後にグラウンドの草むらに放してあげたりしたんです。雅子さまが、そうやって楽しいことをやられているときにケラケラ笑っていらっしゃった表情を思い出します」その後、雅子さまのご留学などで頻繁に会えなくなってからも交流は途絶えず、22歳ごろには、清家さんの結婚式で雅子さまが介添え役をされ、さらにスピーチまでされたという。「実はスピーチは雅子さまを含めてお友達2人にお願いをしていたんですが、雅子さまのスピーチが長すぎて、2人目の友達のスピーチはなくなってしまいました(笑)」雅子さまは29歳で皇室へ嫁がれた。ご婚約を発表されたころ、清家さんはご自宅にお祝いに伺っている。「ご婚約が決まる前から、海外でも写真を撮られたりして大変そうでした。ですから私たち友人はそういう話題には触れないようにしていました。けれど、ご婚約の発表があるとマスコミの方から伺って、私の母にも“ここで会いに行かなかったらもう会えなくなるかもしれないから”と言われ、ある人からは“規制が張られて遠くから見ることしかできなくなる”とも言われたので、じゃあその前にお祝いのお花を持って会いに行こうと思ったんです。当時、雅子さまもよく買われていたお花屋さんで“雅子さまのお祝いに持って行きたい”と言って、バラの花束を作ってもらいました。オレンジ色というか黄色というか、活気があるような色にしてもらって。雅子さまは、ピンクのようなかわいらしいイメージよりは、活力のあるイメージでしたから、そんな色の花を選びました」そのときは、清家さんの母親も一緒だったこともあり、雅子さまとあまりしっかりと話はできなかったそうだ。「“おめでとうございます”と、あとは“大変だね、これから”と私は言いました。当時、ご自宅のまわりに記者の方たちがすごかったですから。警察官もいました。“そうなの、外に出られなくて”と雅子さまはおっしゃっていて。それでも、嬉しそうにされていたのを覚えています。外交官のキャリアを手放してまで、嫁がれる決心をされたのですから。外交官として実現したかったことが、皇室でも別のかたちでできるという思いもあったかと思います。一方で、自由に行動することはできなくなるでしょうから、そういう意味では大変なのだろうなとは思いました。でもまさかここまでとは……。当時はご本人も思っていらっしゃらなかったかもしれませんね」皇室に入られて以降、実際にお会いできたのは同窓会などの機会で数度。ご体調などが心配で手紙を差し上げたこともあるという。「そのときは、宮内庁の方から“受け取りました、ありがとうございました、とのことでした”といったお返事をいただきましたね」同窓会で直接お会いしても“皇室のことは気軽にお話になれないだろう”と話の内容は世間話ばかりになってしまうというが、幼いころからの2人の共通の話題、“動物”のことをお話になったときのことを教えてくれた。「私は、そのときも文鳥を飼ったり、カエルを飼ったりしていたんですよ。そういう動物の話を私からしたり、雅子さまが飼っていらっしゃる犬の話を伺ったりしましたね。あとは、皇居の敷地にアライグマが出たことがあったらしいんですが、保護をしたときのお話を雅子さまがされていたんです。私が“えっ、触ったんですか?”と尋ねたら、ほかの方から“まさか触れるわけがないでしょう”と(笑)。確かにそうだなぁと思ったのですが、小さいころから動物がお好きだった雅子さまですから、触りたかったんじゃないかしら、と思ってしまったんですよね(笑)」
2020年12月25日ご養蚕でお作りになった絹糸を前に、天皇陛下と写真に写られた雅子さま。12月9日の、57歳をお迎えになったお誕生日の写真で、雅子さまは今年の流行スタイルであるバルーンスリーブのタイブラウスに黒のワイドパンツという装いだった。実はこのシルエットは12月1日のお誕生日に公開された、ベージュのボウタイブラウスにワイドパンツ姿の愛子さまとほとんど同じ。なんとお二人で、若い女性の間で流行している、リンクコーデをなさっていたのだ。1週間違いでお見せになった雅子さまと愛子さまのタイブラウスコーデに、母娘の連携のよさが感じられた。「女性自身」2020年12月29日号 掲載
2020年12月19日《今年は、特に命の大切さ、尊さについて改めて深く思いを寄せる年になりました》12月9日、57歳になられた雅子さまが、お誕生日に際してのご感想を文書で公表された。「ご感想は4千字を超える文量で、コロナ禍の国民を心配するお気持ちが伝わってきました」(皇室担当記者)ご感想のなかで雅子さまは《新型コロナウイルス感染症により、世界中で、そして日本国内でも多くの方が亡くなっていることに対し、この場をお借りしてお悔やみ申し上げます》と犠牲者を追悼された。また、《医療に従事される皆さんが、大勢の患者さんの命を救うために、そして、感染の拡大を防ぐために、日夜献身的に力を尽くしてこられていることに、心からの敬意と感謝の意を表したいと思います》と、医療従事者への感謝を述べられている。コロナ禍の影響についてはほかにも、苦境にある経営者や失業者、偏見に苦しむ感染者の家族や医療従事者の家族、虐待の増加が懸念される子どもたちなど、さまざまな立場の人々に寄り添ったお言葉を綴られていた。さらにはコロナ禍だけでなく、自然災害や東京五輪の延期、上皇ご夫妻や愛子さまのご近況にいたるまで、多岐にわたる話題に言及されている。「文面が宮内記者会に渡されたのは誕生日前日の夕方でしたが、雅子さまはなんと、8日の午前に報じられた小惑星探査機『はやぶさ2』のカプセル回収成功というニュースにまで言及されていました。雅子さまは、ギリギリまで推敲に推敲を重ねられていたのです」(前出・皇室担当記者)来年の新年一般参賀は中止が決まっているが、天皇陛下によるビデオメッセージが配信されることが決定。雅子さまの出演も検討されているという。11月には天皇陛下とご一緒に、病院や高齢者施設へのオンライン訪問をされた雅子さま。《オンラインという方法により、このように国民の皆様との触れ合いの機会を持てることは有り難く、今後ともそのような機会を大切にしていくことができればと感じております》と、リモート活用に積極的な姿勢も示されている。新年、画面越しであっても両陛下とお会いできることを願いたい――。
2020年12月14日12月9日、57歳の誕生日をお迎えになられた雅子さま。変化の激しい時代に適応しながら常に国民に寄り添うことを考え実践されている、令和ならではのルールとはーー。【1】子どものケア&動物愛護に積極的皇太子妃時代から児童養護施設を訪問されたり、子どもたちに対して優しいまなざしをお持ちの雅子さま。また、保護動物を引き取られて飼われるなど、生き物を大切にされている。【2】パンツスーツで颯爽とご自分らしく近年、お召しになるスーツは優しい色合いが多くなられた。特にパンツスーツでのお出かけは雅子さまの定番スタイル。ジャケットの襟や袖には、少し個性あるデザインを加味して、雅子さまらしさを演出されている。【3】レセプションではよりお近くに地方ご訪問などの際に行われるレセプションでは、参加者が来るのをお待ちになる形ではなく、大勢の人たちの中に自ら入っていき移動されながら参加者とお話し交流する形式に。【4】涙を隠されない昨年、ご即位のパレードで沿道からの歓声に感激の涙を見せられた雅子さま。感動されたときに思わず目を潤ませるご様子もお人柄を感じさせる魅力のひとつ。【5】笑顔も思い切りお見せにたとえご公務中でも、楽しいときにははっきりと笑った表情をお見せになる。心からの明るい笑顔で会話されるご様子が印象的。【6】しゃがまれて奉迎者とお話しをお出かけ先に集まっている人たちと積極的に歓談されてのご交流。最前列に座っている子ども連れのお母さんたちともしゃがんで会話を。【7】オンラインご公務にも挑戦コロナ禍の中、外出されてのご公務が行えない状況が続いているが、天皇皇后として初めて“オンライン行幸啓”を取り入れられた。令和流、皇后のセブンルール。雅子さまは国民により近い皇室像を模索されている。「女性自身」2020年12月22日号 掲載
2020年12月13日雅子さまは12月9日、57歳の誕生日を迎えられた。誕生日に際してのご感想にでは、新型コロナウイルスによる影響を案じられるなか、こう綴られている。《家庭内での暴力や子供への虐待が増加している可能性があるということも耳にしており、案じています。大きな禍に見舞われている社会の中で起こりやすい問題とはいえ、今後、皆が心穏やかに日々を過ごせるようになることを願ってやみません》児童虐待は、雅子さまがこれまでも強い関心を示されてきた問題だ。’18年に発表されたお誕生日に際してのお言葉には、このような一節が綴られていた。《最近、国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます》さらに昨年、56歳のお誕生日に際してのお言葉でも《プラスチックゴミなど多くの環境問題や、日本国内の貧困や子供の虐待などの問題、また、世界で紛争や内戦が続いていることなどにも心が痛みます》と言及されている。3年連続で、児童虐待への憂慮を示された雅子さま。「子供の虐待を防ぎたい」というお気持ちを、繰り返し訴えられているのだ。これまでも雅子さまは、困難な状況にある多くの子供たちを励まされてきた。愛子さまを出産された翌年は、世田谷区内の社会福祉法人「福音寮」をご訪問。療養に入る前の’03年には、東京都社会福祉事業団「石神井学園」を訪れ、保護者がいない子や虐待を受けた経験のある子供たちと交流を深められた。新型コロナウイルスの影響下では、子供たちの支援にいっそう強い関心を寄せられている。今年10月1日、小中学校の校長会会長や東京都教育委員会教育長ら4人を赤坂御所に招き、天皇陛下と雅子さまはコロナ禍の教育現場について説明を受けられた。雅子さまは「家庭での虐待は大丈夫ですか」などと熱心に質問され、懇談の時間は予定より60分ほど延長になったほどだった。コロナ禍の長期化でより柔軟な対応が必要となっているなか、雅子さまも動き出されているという。「天皇陛下と雅子さまは11月18日、日本赤十字社医療センターなど全国4つの病院を赤坂御所からオンライン上で視察されました。両陛下の“オンライン視察”は初めての試みでした。“苦しい状況の子供たちを励ましたい”というお気持ちを強く持たれている雅子さまは、子供たちを励まされるため、今後は児童養護施設などにリモートを活用して視察をされることもお考えではないでしょうか」(宮内庁関係者)
2020年12月09日12月9日に皇后となられて2度目、57歳のお誕生日をお迎えの雅子さま。残念なことに皇后としての2年目は、コロナ禍の拡大でご公務が極めて少ない一年となり、国民に優しく接してくださる雅子さまのお姿を拝見できず寂しい思いをされた方も多いだろう。それでも11月8日の「立皇嗣の礼」では、天皇皇后両陛下に「立皇嗣宣明の儀」を終えた秋篠宮さまが挨拶される「朝見の儀」において、雅子さまと紀子さまがティアラにローブデコルテの盛装でお出ましになったときの輝きは、不安な時代にあって国民の心に華を感じさせてくれるシーンだった。私たちに夢を与えてくれる、雅子さまのロングドレスの盛装を一緒に振り返りたい。【93年6月ご成婚】森英恵さんがデザインしたご成婚の日のローブデコルテ。生地は最上級のシルクで、京都の龍村美術織物が織り上げた明輝瑞鳥錦。光沢の美しい絹糸で鳳凰と龍の地紋を浮かび上がらせる銀から金のグラデーションが美しい。ご成婚パレードのお車に乗られるときには襟元に花弁をあしらったジャケットをお召しになり、美智子さまから贈られたティアラを輝かせドレスと共布のバッグを手にされていた。【93年6月宮中饗宴の儀】オレンジがかったシャンパンゴールドのシルクのロングドレス。ご成婚を祝う昼の宮中饗宴の儀には肌の露出を抑えたローブモンタント姿で。スタンドカラーに膨らんだ袖、左のウエストに大きなリボンを飾り、スカートにかけて大きなドレープがデザインされている若々しい新妻の装い。【94年11月バーレーン】ご成婚後、天皇陛下と初めてお出かけになった海外ご公務で中東4カ国を歴訪。バーレーンの王宮でお召しになったのは、フロントに金糸で流水のような模様をあしらった真っ赤なロングドレス。中東の風習を考慮して首回りを詰めて長袖にされ肌の露出を抑えている。バッグと靴は金と銀で統一、ゴージャスさを演出されていた。【95年1月ヨルダン】2度目の中東ご訪問。ナドワ宮殿で催されたヨルダン国王主催の晩餐会での装いは、イスラム圏の女性の衣装・アバヤで使う長い布を感じさせるような、上質なシルクの布を右肩から裾にかけて用いられている。左上半身には花をあしらったレース素材でとてもエレガントな一面をお見せに。アシンメトリーなロングドレスは肌の露出を抑えながらも女性的な装いになっている。【13年4月オランダ国王即位式】アムステルダムで行われたオランダのアレクサンダー国王の即位式。久しぶりの海外ご公務に出席された雅子さまは、スタンドカラーからスカートの裾まで、日本のシルクの美しさが際立つローブモンタント姿。地紋には可憐な花々が描かれていて、お帽子から足元まで統一された姿にシンプルな日本的美意識が醸し出されていた。【15年7月トンガ国王戴冠式】南太平洋のトンガ王国の国王トゥポウ6世の戴冠式へ。雅子さまは胸元に金糸を使ったベージュのロングドレスでご列席。花びらを思わせるようなスタンドカラーから胸元に施したレースが美しく、パールの控えめなアクセサリー使いをされながらも豪華なバッグを持ちアクセントにされていた。【17年4月スペイン国王来日、宮中晩餐会】スペインのフェリペ国王夫妻の来日を歓迎する宮中晩餐会。雅子さまは四角く開いた胸元のラインと少し長めの袖口にデザインを施した爽やかな淡いブルーのローブデコルテ姿でご臨席。豪華なティアラとネックレスが際立つように開いた首回りの美しく見えるドレス。【19年5月即位後朝見の儀へ】皇后となられ初のドレス姿。第一ティアラとネックレスをおつけになるにふさわしい、最上級のシルクで作られたシルエットのたいへんに美しいローブデコルテ。2連にされたネックレスに合わせたハート形の首回りに少し長めの半袖で、華美に肌を露出されずミセスらしい装いになっている。【19年5月トランプ大統領夫妻来日、宮中晩餐会】令和初の国賓、トランプ大統領とメラニア夫人をもてなす宮中晩餐会での装い。皇后として初めての晩餐会で、雅子さまはバラ模様のシャンティレースのジャケットに、体のラインに沿ったロングドレスで華やかな大人の女性の装いをなさっていた。珍しく金を基調にされたアクセサリー使いを。【20年11月祝賀御列の儀】祝賀御列の儀に出発される両陛下。雅子さまは即位の礼の際のローブデコルテに、フロントに縁取りの三つ編みと淡いゴールドの花びらを飾ったボレロ風ジャケットをお召しに。第一ティアラとネックレスをおつけになり、全体のシルエットから皇后らしい貴賓が感じられる。当初の予定では、イギリスへ訪問されたり、習近平国家主席を国賓としてもてなされたりするはずだった2020年。来年こそは、再び雅子さまの華やかなドレス姿を拝見できることを期待したい――。
2020年12月09日雅子さまは12月9日、56歳の誕生日を迎えられ、宮内庁を通じて文書でご感想を公表された。文書のなかで雅子さまは《思いも寄らず世界中が新型コロナウイルス感染症の大きな災厄に見舞われることとなり、大変に心の痛む年でした》と、コロナ禍の国民生活を案じられた。皇室の活動も大きな制約のかかる1年だったが、即位関連儀式を締めくくった秋篠宮さまの「立皇嗣の礼」についても触れられている。《先月には、当初の計画より規模を縮小してではありましたが、立皇嗣の礼が執り行われました。これにより、昨年のお代替わりに伴う主な儀式や行事が無事に終了したことを安堵しております》ただ、秋篠宮家についての言及はこの箇所のみ。先月、眞子さまの「お気持ち」文書が公表され、秋篠宮さまが”結婚容認”を表明されたが、眞子さまと小室圭さんのご結婚についての言及はなかった。婚約内定会見から3カ月後というタイミングだった3年前の誕生日では、雅子さまは次のように眞子さまを祝福されていた。《9月には、秋篠宮家の眞子内親王殿下のご婚約が内定し、喜ばしく思っております。私が皇室に入りました時には、東宮仮御所の隣にお住まいの、まだ1歳半余りの活発なかわいらしい女の子でいらっしゃった眞子様が、すっかり立派に成長された姿を感慨深く思います。日頃から、愛子にも優しく、また、楽しく接していただき、私たちにとっても、いつも楽しい時間をご一緒してきた眞子様には、心からのお幸せをお祈りしております》しかし、このお言葉が発表されたわずか3日後、『週刊女性』が小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルを報道。翌年2月に眞子さまと小室さんの結婚延期が決定されたのだった。雅子さまはそれ以来、眞子さまの結婚には触れられていない。一方、眞子さまは「お気持ち」文書のなかで、次のように綴られていた。《この度、私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》「結婚延期の原因となった金銭トラブルについて小室さんから十分な説明がないなど、課題は残されたままです。眞子さまのお気持ちを”尊重”されているといっても、この状況で雅子さまがお二人の結婚についてコメントされるのは難しいでしょう」(皇室担当記者)雅子さまが眞子さまに、もう一度心からの祝福の言葉を贈ることができる日は来るのだろうか――。
2020年12月09日豪華なドレスに十二単、颯爽としたスーツ姿……。9月11日に、皇后となられてから500日を迎えた雅子さまのエレガントな装いの数々を、徹底解説します!解説してくれたのはファッション評論家の石原裕子さん。皇室をはじめ、セレブの装いにも幅広い知識を持つ。美智子さまや雅子さま、佳子さままで、お務めの内容や歴史背景なども考慮した装いの解説に定評がある。■ローブ・デコルテ【令和元年5月1日】「即位後朝見の儀」肌を出す装いのローブ・デコルテ。「ご成婚時にはノースリーブで胸元のカットも大きかったのですが、今回は袖を付け、ハート形のVネックは小さめにされたミセスらしい装い」(石原さん・以下同)【令和元年10月22日】「饗宴の儀(第1日)」ひし形の地紋がデコラティブな、ゴールドの柔らかな布で作られたローブ・デコルテ。「襟のフリルは胸元で5つのバラがつぼみから花になるデリケートなデザインで、2連のネックレスと調和して華やかな印象です」【令和元年11月10日】「祝賀御列の儀」縁取りの三つ編み、外側に飾られたゴールドの花びらが印象的なボレロ風ジャケット。「第1ティアラと調和する、たおやかで風格あるシルエットから高貴さを感じます」■ローブ・モンタント【令和元年5月27日】「トランプ米大統領を招いての宮中晩さん会」米大統領夫妻を迎えるため、ニューヨーク州の花、バラの模様のシャンティレースのジャケットを。「体にまとうようなシルエットも華やかで、大人の女性の装いです」【令和元年10月29日】「饗宴の儀(第3日)」立食の会を想定した全身を見せる装い。水の流れを思わせるモアレの地に、滝を表現したカスケード襟を飾られて。【令和元年11月18日】「大饗の儀(第2日)」桜の花びらを織り出した光沢のあるレース地でシンプルなデザイン。「袖の付け根の膨らみと大粒のパールのネックレスに女性らしさを感じます」【令和2年2月23日】「天皇誕生日を祝う茶会の儀」上質なシルクで首から袖口まで肌を覆った典型的なローブ・モンタント。色、ラインも美しくウエストのボウでエレガントさと愛らしさを。■十二単【令和元年5月8日】「期日奉告の儀」十二単に近い雰囲気の伝統的装束姿で令和初の宮中三殿ご参拝。古典的な向鶴紋様の若草色の御小袿が若々しい。【令和元年10月22日】「即位礼当日賢所大前の儀」最高に清浄な白の十二単姿は薄紅色の御長袴。釵子、櫛は銀、檜扇も白木に白い紐をお使いに。【令和元年10月22日】「即位礼正殿の儀」白の御唐衣は非対称の向鶴紋様で現代的デザイン。「内側の御表着には、雅子さまのお印である紫のハマナスの柄が。さらに、少しずつずらして見せる緋色も美しい日本的な色重ねです」■着物【令和元年7月1日】「トルコ大統領ご接見」淡い青磁色に白、紫、オレンジなどの小菊を描いている。柄の間隔をあけ、余白を生かして落ち着いた趣に。【令和元年8月30日】「アフリカ各国首脳との茶会」菊、紫陽花などが飾られた金箔の花籠紋様の和服に、銀糸も織り込んだ白い綴れの唐花柄の帯を合わせて。【令和元年10月31日】「饗宴の儀(第4日)」松並木の風景のようなしっかりした絵柄のクリーム色の和服。華やかなゴールドの帯に平打ちの帯締めを。【令和元年12月20日】「ウズベキスタン大統領ご接見」雲取りや青海波の中に松や菊が描かれたおめでたい紋様。上質なピンクゴールドの帯で高貴さをプラス。【令和2年1月25日】「大相撲ご観覧」令和初の天覧相撲へ。「愛子さまのワンピースの色目に合わされ、優しいクリーム色の地にオレンジ色や濃淡をつけた朱色の小花を散らしています。同系色の帯もグラフィック調の花菱紋様で、キリリと締まった感じを加えています」■スーツスタイル【令和元年6月2日】「全国植樹祭」植物をイメージさせる、淡いアップルグリーンのテーラードジャケットのスーツ。「ミセスになられても、ラインを絞った腰半ばまでの短めのジャケットをキュッと着こなされて、颯爽とした感じがします」【令和元年8月7日】「フローレンス・ナイチンゲール記章」授与式目の覚めるような純白のシルクのスーツ。「胸元の詰まったウィングカラーはナース服を思わせ、清潔な感じがします」【令和元年9月7日】「全国豊かな海づくり大会」レセプション光沢のある上質なシルク地で襟からフロント、袖口にフリルをあしらった白のセットアップ。シャンパンゴールドの小物で気品を添えられて。【令和元年9月28日】「国民体育大会」役員懇談会クラシックなドレスコート。白と紺は雅子さまお気に入りの配色。「胸元や襟、ボタンなどの紺が引き締まった雰囲気を演出。ボタン中央にパールで花を作る心配りも」【令和元年11月21日】「三重県行幸啓」「ハリ、光沢の美しい上質な生地で帽子から靴まで全て統一された最高の品格を感じる装い。丸襟、アールのついた裾ラインが素敵です」石原さんは、雅子さまのミセススタイルへの変化についてこう語る。「雅子さまは皇后になられてから、今のお立場でしか着こなせない上質な装いのなかでも、色使いやデザイン、素材など、どこか国民に寄り添うような、優しいお気持ちが感じられるお召し物を選ばれているように感じます。特に色使いは、お若いころからよくお召しになっていたビビッド系から、パステルカラーや白へと色のトーンを落とされた印象です。白い服はとてもお似合いで、上質な素材を全体に使い、ほかの色を入れるときには控えめな淡い色を選ばれています。まさに皇后陛下という高貴な装いになり素敵だと思います」また、フリル使いやカスケードなど、襟周りからフロントに使われている女性的なデザインも増えている。「それらもかわいいだけにならずエレガントに取り入れています。米大統領夫妻の歓迎晩さん会では、ニューヨーク州の花であるバラをあしらった豪華なレースのジャケットをお召しでした。ご公務では訪問先や、その催しにゆかりの色や柄を取り入れてお召しになります。皇后として大切なお務めとなるフローレンス・ナイチンゲール記章授与式では、ナイチンゲールの衣装のような刺しゅうを施したウィングカラーの白いスーツで、古いナース服をイメージさせる装いでした。美智子さまがされてきた細やかなお心遣いも、しっかりと継承されているのです」「女性自身」2020年9月29日・10月6日合併号 掲載
2020年09月25日終戦から75年の節目を迎えた8月15日、天皇陛下と雅子さまはマスク姿で全国戦没者追悼式にご臨席。正午にはお二人で標柱の前に立ち黙祷された。今年は新型コロナウイルスの影響で規模を縮小しての開催となり、参列者も昨年の約6,200人から約550人と大幅に減少した。国歌は演奏のみ、参列者は間隔を空けマスク着用での式典となった。陛下は今年も「深い反省」という言葉を用い、平和に対してのお気持ちを示された。陛下と雅子さまにとっては2月14日の「世界らん展」以来、半年ぶりの公の場でのお務めとなった。「女性自身」2020年9月1日 掲載
2020年08月24日深いグレーの礼服をお召しになった雅子さまは、天皇陛下の左後方を寄り添うように歩まれ、「全国戦没者之霊」と記された白木の標柱の前へと進まれた――。終戦75年となる今年、終戦記念日の8月15日に「全国戦没者追悼式」が日本武道館で催された。しかし、会場は例年とは違う緊張感に包まれていた。「コロナ禍のなかでの追悼式となりますので、感染予防のために厳戒態勢が敷かれました。参列者は例年の1割以下となる550人程度に。入場時に体温測定が行われ、全員がマスクを着用。両陛下も、最後までマスクを外されることはありませんでした」(皇室担当記者)壇上の両陛下は正午の時報とともに1分間の黙祷。続いて陛下がお言葉を述べられた。そのなかにも、新型コロナに言及する異例の一節があった。《私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います》陛下と雅子さまがご公務でお出ましになったのは、今年2月14日の「世界らん展」以来。実に半年ぶりのことであった。「感染の懸念が消えないなかでも両陛下が式典への臨席を決断されたのは、先の大戦への“深い反省”と、唯一の被爆国としてかけがえのない“平和”を願う強いお気持ちゆえでしょう」(前出・皇室担当記者)終戦記念日に先立つ8月11日、両陛下は赤坂御所に国連本部事務次長の中満泉さんを招き、核軍縮などについて説明を受けられた。中満さんは日本人女性として初めて国連事務次長に就任し、軍縮部門のトップを務めている。両陛下とのご面会前には広島と長崎の平和式典にも参列している中満さんが、本誌の取材に答えてくれた。「まず私から両陛下に国際安全保障の現在の環境や、日に日に難しくなる軍縮のさまざまな課題についてお話をいたしました。今回訪問した広島・長崎では、オンライン技術を使って被爆地の情報を世界に発信できるシステムを開発している若者たちと出会い、非常に勇気づけられたという報告もさせていただきました」中満さんの報告に両陛下は強い共感を示され「すばらしいことですね。政府間の交渉も重要ですが教育も重要です。若者が被爆地の話を継承するのも大事なことです」と述べられたという。面会室の机上には中満さんの著書『危機の現場に立つ』が置かれていた。両陛下は面会に先立ってお読みになっていたのだ。「両陛下は本当にご誠実なお人柄であると感じました。天皇陛下からはかなり専門的な化学兵器についてのご質問もありました。私の本も興味を持ってお読みいただいたようですし、軍縮についてもすでにさまざまな知識をお持ちのようでした」また、雅子さまと中満さんは同じ’63年生まれ。中満さんの2人の娘も愛子さまと同世代だ。そういった共通点もあり、教育の大切さについても意気投合したようだ。「若い人たちに積極的に平和の問題に目を向け、海外でどのような課題があるのかということに関心を持ってもらうためには、教育がいちばん重要なのではないかとお話しさせていただきました。その流れで、愛子さまが中学生のときに広島へ修学旅行に行かれて、原爆資料館で感じたことを卒業文集に書かれたというお話もお聞きしました。天皇ご一家は、常日ごろからご家族で『平和』についてよく考えられたり、学ばれたり、お話しされているのだろう、と感じました。私たちは戦争を体験していない世代です。だからこそ、この平和を守っていくために何をすべきなのか。雅子さまは皇后陛下というたいへんなお立場で、それを誠実に真剣に探られているのだと思います」さらに中満さんは“コロナ禍と闘いながらの平和希求”についても両陛下に語った。「コロナ危機に関しても、ある意味でこれを“機会”として、これまで私たちの社会・世界にあったさまざまな問題点を見直し、よりよい世界に変革していくように心がけたい、一人も取り残さないような社会・世界にするべく努力したいと申し上げました。すると陛下と雅子さまは何度も大きくうなずかれておられました」「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月20日キャリア30年、50歳で他界したモデル・雅子さんの半生を、夫である大岡大介が監督として追ったドキュメンタリー映画『モデル 雅子 を追う旅』が、劇場公開から1年を経て、7月30日(木)より各配信サイトにて順次配信スタートする。1984年、19歳でモデルとしてデビューして以降、雑誌文化全盛期の80年代に「an・an」や「装苑」など時代の最先端で活躍した雅子さん。CM出演や、映画『リング』(’98)では貞子の母を演じ話題に。本作では俳優・竹中直人、高嶋政宏ら生前の雅子さんを知る人々に、大岡さんがインタビューを敢行。彼女の半生に思いを馳せると、移りゆく時代の中でも自分の歩幅を信じて丁寧に年を重ねてきた姿が浮かび上がり、美しさに隠された、愛すべき素顔が明かされる…。そして今回、本作の配信決定を記念して、特別映像がシネマカフェに到着。昨年の劇場公開時にアップリンク吉祥寺で行われた、竹中さんらゲストと監督のトークショーの模様からスタートし、雅子さんが写る雑誌、普段の雅子さんの様子も映し出されている。『モデル 雅子 を追う旅』は7月30日(木)より各配信サイトにて順次配信開始。(cinemacafe.net)■関連作品:モデル 雅子 を追う旅 2019年7月26日~アップリンク吉祥寺にて1週間限定、全国にて順次公開。©︎2019 Masako, mon ange.
2020年07月25日美智子さまから引き継がれたご養蚕の作業のため、お車で皇居へ向かわれる雅子さま。その隣には天皇陛下のお姿が――。6月2日、天皇陛下は雅子さまとご一緒に皇居・紅葉山御養蚕所へ。陛下は「かわいいね」と雅子さまに声をかけながら、成長した蚕の世話をされたという。皇室担当記者は驚いた様子でこう語る。「上皇陛下も何度か、美智子さまと繭を収穫されたことはあります。ただ、繭ができる前から一緒に作業をされることはほとんどなかったと思います。今回の“夫婦共同作業”は、異例のことでした」6月9日には、ご結婚27周年を迎えられた天皇皇后両陛下。緊急事態宣言は解除されたが、まだまだ新型コロナウイルス感染症の拡大は予断を許さない状況だ。「皇后となられた令和元年、雅子さまのご活躍ぶりは目覚ましいものでした。世界約190の国や機関から賓客を招いた『即位の礼』でも堂々たるお振舞いで、世界の王族と親交を深められました。卓越した語学力を生かした国際親善など、皇后としての2年目は、さらに雅子さまらしさが発揮されるはずでしたが……」そう語るのは前出の皇室担当記者。突如やってきたコロナ禍という“逆風”は、雅子さまにもショックを与えているという。「名誉総裁として臨まれるはずだった、5月の日本赤十字社の全国赤十字大会が中止になりました。さらに、5月ごろに予定されていた、天皇皇后となられて初の海外ご公務となるイギリスご訪問も延期に。東京五輪も1年延期となり、海外に行くことも、日本に賓客を招くこともいっさいできなくなりました。気丈に振る舞われている雅子さまですが、皇后として大きな目標とされてきた大切な行事や、国際親善の場が次々となくなり、沈みがちな日もあるという話も聞こえてきます」実際に5月18日には、ご養蚕作業を当日直前になってキャンセルされたことも。ご体調が整わなかったことが原因とみられている。「今回、天皇陛下が蚕の世話を雅子さまとご一緒になさったのは、陛下たってのご希望だったと聞いています。できるかぎり近くにいて、見守りたい――。そういった陛下の深いお気持ちを感じる出来事であったと思います」(宮内庁関係者)天皇陛下は今年2月の誕生日会見でも《できる限り雅子の力になり、支えていきたい》と語られていた。陛下が《雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから》とプロポーズされたのは28年前のこと。にこやかな養蚕作業には、雅子さまを「私が守る!」という陛下の今も変わらぬ強いご意志が滲んでいたのだ。精神科医で立教大学教授の香山リカさんもこう言う。「イギリスご訪問などは、長い時間をかけて、以前からしっかりと準備されていたと思います。そのぶん、突然のコロナ禍での延期は、雅子さまにとって大きなストレスにもなりえます。そんなときに天皇陛下がご養蚕に同行されたことは、雅子さまにとっては陛下のお気持ちを感じて、とても心強かったはずです」しかし、世界を覆うコロナ禍は、いまだ皇室の活動にも暗い影を落としている。「2月23日の天皇誕生日の儀式および一般参賀がお取りやめになったのを皮切りに、ご公務は次々と中止されて、皇族方のスケジュールは白紙状態が続いています。天皇皇后両陛下のお出ましは、8月15日の『全国戦没者追悼式』までないのではないでしょうか。このまま皇室と国民の触れ合いや交流がない状態が続くと、皇室に対する国民の敬愛が薄れて、存在意義を失ってしまうのではないかと宮内庁内でも危惧されています」(前出・宮内庁関係者)そんななか、すでに両陛下は前例なき「皇室改革」へ向けて一歩踏み出されているとみるのは、皇室ジャーナリスト。「陛下と雅子さまが、5月20日、日本赤十字社の社長と副社長を赤坂御所に招いてご進講をお受けになりました。翌日、そのときの両陛下のお言葉が、それぞれ宮内庁のホームページで公表されたのです。誕生日のご感想以外で“皇后のお言葉が単独で”公表されるのは異例のことです」両陛下は6月3日にも、全国保健所長会の副会長ら保健所関係者3人と面会し、現場の状況などについて懇談された。「宮内庁は新型コロナウイルスをめぐり、両陛下が専門家から説明を聞くご進講や面会に関して、その場でのご発言内容をこれからも公表していくとしました。そして、公表は天皇陛下のご意向を踏まえたものであると明かしたうえで、『その時々にでき得る、最大限のお気持ちの発信の形』と説明したのです」つまり陛下と雅子さまは、前例を打破し、現場の医療関係者に労いのお言葉、国民へのメッセージを発信したのだ。海外渡航が制限されているコロナ禍の状況では、雅子さまが皇室に入られたときから望まれている国際親善もままならない。しかし、前出の皇室担当記者によれば、その状況だからこその“ステイホーム外交”を両陛下が始められているのだという。「陛下は4月、スペイン国王フェリペ6世と両国の状況について電話会談されています。また、カナダのジュリー・ペイエット総督から見舞いの電報が寄せられたのをきっかけにして、電報でのやり取りをされ、コロナ禍に協力して立ち向かうことを確認されています。両陛下が特に親しくされている海外王室といえばオランダとベルギーの王室が筆頭に挙げられますが、それ以外の王室とも緊密なお付き合いがあります。今後、スカイプやズームを使ってのオンライン交流が行われていく可能性も高いのです」前出の香山さんも、両陛下の挑戦に賛成だという。「陛下と雅子さまが現在学ばれている新型コロナの知識を生かして、オンラインで病院の関係者を励まされるなどの新しい活動は、近い将来実行なさる可能性があるのではないでしょうか。過去の慣例から脱却して、新しいスタイルで国民に寄り添われることも素晴らしいと思います」逆境の中、二人三脚で進められている改革――。皇室と国民の距離は、さらに近づいていくはずだ。「女性自身」2020年6月23・30日号 掲載
2020年06月09日5月29日、雅子さまは皇居の紅葉山に出かけられ3度目のご養蚕に臨まれた。「食べるのにどれくらいかかりますか?」エサになる桑の葉を蚕に与えられる雅子さま。ご養蚕は明治天皇の后、昭憲皇太后が明治維新後に絹の生産を奨励するために始められ、歴代皇后に引き継がれてきた。例年は4種類の蚕をお育てになるが、今年は新型コロナの影響で日本古来種の「小石丸」だけを飼育されている。2年前、美智子さまのなさりようを見学されている雅子さまは、落ち着いた様子で丁寧に給桑されていた。「女性自身」2020年6月16日号 掲載
2020年06月08日5月20日、天皇陛下と雅子さまは日本赤十字社の社長と副社長を赤坂御所に招き、新型コロナウイルスの医療現場の対応についてご進講を受けられた。約1時間半にわたり、お2人でメモを取りながら真剣に話を聞かれていたという。その席で、医療の最前線で働く医師や看護師、関係者の苦労や頑張りへの理解を示され、雅子さまは次のように述べられた。「医療活動に献身的に力を尽くしてこられている方々、そして、その方々を支えられているご家族や周囲の方々に、陛下とご一緒に心からのお礼の気持ちをお伝えしたい」翌日には、宮内庁ホームページでもこのときのお言葉を公表。皇后がお誕生日以外でお心を示されるのは異例のこと。日本赤十字社の名誉総裁でもある雅子さまが、現場を強く案じられているお気持ちが感じられた。「女性自身」2020年6月9日号 掲載
2020年05月30日昨年5月1日に令和の御代を迎えてから1年ーー。生き生きと、そして堂々とご公務に励まれる雅子さまのお姿に、国民だけでなく世界も魅了された。そのご活躍ぶりを振り返ります。■8月30日「アフリカ各国首脳夫妻と茶会」アフリカ開発会議で来日した32カ国の首脳らのお見送りは、長時間に。■9月7日「秋田県動物愛護センターへ」全国豊かな海づくり大会のため、秋田県へ。県動物愛護センターでは保護犬とお触れ合い。両陛下は保護犬と保護猫を飼われている。■9月28日「茨城国体開会式」ひたちなか市で開催の国民体育大会の総合開会式にご臨席。上空を飛ぶ6機のブルーインパルスの祝賀飛行を楽しそうに見上げられて。■10月22日「即位礼正殿の儀」若草色が印象的な十二単姿。皇后のみが羽織れる白い唐衣には向かい鶴の文様が。■10月22日「饗宴の儀」仲のいいスペインのレティシア王妃にチークキスで歓迎を。■11月9日「即位を祝う国民祭典」祭典の終盤、嵐が奉祝曲を歌うシーンでは、涙ぐまれる場面も。■11月10日「祝賀御列の儀」国民祭典翌日の祝賀パレード。沿道からの祝福に思わず目頭を押さえられた雅子さまのお姿に、感動の声が多く上がった。■11月23日「伊勢神宮ご参拝」即位の礼の一連の儀式と、大嘗祭を終えたことを2日がかりでご参告となった。内宮へ向かわれる際は。少し硬い表情を。■1月25日「大相撲一月場所ご観覧へ」令和初の天覧大相撲にご家族おそろいでお出かけ。相撲好きな愛子さまのオレンジ色のワンピースと、色を合わせられた和服姿で。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月01日東北各県に甚大な被害をもたらした東日本大震災から、今年で9年が経つ。天皇陛下と雅子さまは、’11年6月に宮城県山元町の避難所で被災者を励まされた。そして同年7月には福島県郡山市、8月には岩手県大船渡市へ。その後も継続的に被災地を訪問されている。ただ、今年は新型コロナウイルスの感染拡大もあり、震災関連の報道もやや目立たない状況となってしまった。「政府主催の東日本大震災の追悼式も中止になりました。3月11日は、陛下、雅子さま、愛子さまがお三方そろって震災発生の時刻に黙とうされて、赤坂御所でお慎みになるでしょう」(宮内庁関係者)実は、雅子さまの母方のルーツは、被災県の一つである岩手県にある。「雅子さまの母・小和田優美子さんの両親が、江頭豊さんと寿々子さん夫妻です。2人は東京・目黒にある小和田家と同じ敷地内で暮らし、雅子さまが幼いころから、たいへんかわいがっていました。そんな寿々子さんの父親、つまり雅子さまの曽祖父の山屋他人は岩手県盛岡市出身で、海軍大将として連合艦隊司令長官も務めた人物です」(皇室担当記者)盛岡タイムスの元記者で『山屋他人―ある海軍大将の生涯』の著書もある藤井茂さんに話を聞いた。「寿々子さんに初めて会ったのは、天皇陛下と雅子さまのご婚約、ご成婚があった’93年でした。寿々子さんは、山屋他人にゆかりの山屋坂で写した3~4歳の雅子さまの写真を見せてくれました。かわいがっていた様子でした」藤井さんは山屋他人の取材のために寿々子さんに何度か会ったのだが、雅子さまの話もときどき聞かせてもらったという。「寿々子さんは『雅子さまは本当にいい子で、私の話をずっと覚えていて、実行してくれたこともあります』と言っていました。寿々子さんが、福井県の永平寺に山屋他人の書が所蔵されていると話したところ、雅子さまはお友達と旅行したときに、わざわざ永平寺をお訪ねになって書をご覧になったそうです。寿々子さんの話を伺っていると、雅子さまはとてもおばあさんっ子でいらっしゃると感じます。また、雅子さまは以前、尊敬する人として祖父母を挙げられていたこともあったそうです。ご自身のルーツとして、いまでも盛岡や岩手を意識されているのではないでしょうか」’13年11月と’16年6月には、天皇陛下とご一緒に岩手県の被災地を訪問されている雅子さま。特別な思いを抱かれてお見舞いに臨まれていたのかもしれない。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月15日東日本大震災から9年が経った。痛ましい記憶を風化させないことが課題となるなかで、皇室は被災者の心に寄り添い続けている。雅子さまも、天皇陛下とご一緒に、被災者のもとを繰り返し訪問されてきた。2017年11月には、東日本大震で甚大な津波被害に見舞われた宮城県・閖上地区へ。復興公営住宅「名取市閖上中央第一団地」の被災者と懇談された際には、一人ひとり丁寧にお声がけされたために、15分の予定が25分と大幅に延びてしまった。その後、団地から車で2分の東日本大震災慰霊碑に供花する際には、あるサプライズが。団地では動きやすいパンツスーツだった雅子さまが、慰霊碑の前に立たれた際にはお帽子をかぶり、スカート姿に着替えられていたのだ。そこには、限られた時間の中でも場にふさわしい装いを、という最大限の心遣いが表れていた。翌年の歌会始で、雅子さまは《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》とこのときの喜びを詠んだ歌を披露された。この歌を刻まれた歌碑が、昨年3月に閖上地区の「震災メモリアル公園」に建立されている。「雅子さまは、過去の誕生日の際のご回答でも、折に触れて繰り返し《被災地に永く心を寄せていきたい》と東日本大震災の被災者を思いやられてきました。皇后となられても、そのお気持ちは変わっていません」(皇室担当記者)昨年12月、皇后として迎えられた初めての誕生日に際しても、《東日本大震災で被災した釜石市でこの大会の試合が行われたことも喜ばしいことでした》と岩手県・釜石鵜住居復興スタジアムで開催されたラグビーワールドカップの試合を振り返られた。時が経っても忘れない――。雅子さまの愛のメッセージが、被災者の心を照らし続ける。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日「あのとき、雅子さまのヘアメークを手がけたのも、私の祖母と母でした。当時、私は高校生で、ちょうど髪が長かったものですから、自宅で雅子さまの髪型の練習台にもなったんですよ」そう語ったのは、与儀育子さん(43)。港区虎ノ門のホテル、オークラ東京にある「与儀美容室」の3代目だ。即位礼正殿の儀では、秋篠宮紀子さま(53)はじめ眞子さま(28)、佳子さま(25)らの妃殿下のメークを担当した。27年前、今上陛下と皇后雅子さまのご成婚の時の、いわゆる“世紀のパレード”。オープンカーで30分以上も風を受けながら、少しも乱れなかった雅子さまのお髪と輝くティアラは、多くの人の心に残っただろう。あの奇跡の美の場面を成し遂げたのも、与儀美容室が3代にわたって築き上げた技術の賜物だった。近年も、秋篠宮家の眞子さま、佳子さまの“プリンセス・メーク”や、羽生結弦選手の国民栄誉賞受賞式での羽織はかま姿のヘアメークと着付けを担当したのも、育子さんだった。「雅子さまも、それに先立つ紀子さまのご成婚も、当時の皇后でいらした美智子さまから『ぜひ与儀さまに』とご依頼があったと、祖母たちから聞いておりました。そもそもの始まりは、戦後、祖母が開業した美容室に、一人の妃殿下がご来店されたことでした」やがて、育子さんの祖母の八重子さんは、多くの皇族のお支度を手がけ、“宮さま美容師”とも呼ばれるようになる。「(終戦間際の)物資の乏しい時代に、祖母はGHQ将校の奥様から舶来のパーマ液を入手しては、研究を重ねたそうです」(育子さん)この勉強熱心さを認めて通うようになったのが、昭和天皇の弟にあたる三笠宮殿下と結婚された百合子さま。ここから、現在まで続く皇族とのお付き合いが始まる。証言するのは、終戦の年に生まれた八重子さんの長女で、与儀美容室の2代目となるみどりさん。「皇室の方のご婚儀では、十二単からローブデコルテへのお召し替えがあります。限られた時間で、おすべらかし(平安風の垂髪)の固まった鬢付け油を落とし、洋髪に結い直さなければなりません。母は自分のかもじ(かつら)を使って、何日にもわたって試しながら、髪を傷めずに短時間で行う技法を独自に編み出したのでした」これを契機として、宮中において「与儀さんはよくやってくれる」との評判を呼び、のちの今上陛下ならびに秋篠宮家のロイヤルウェディングにつながっていく。雅子さまのご成婚で、みどりさんは、八重子さんとともに雅子さまのヘアメークを担当することに。本番まで、雅子さまに会えるのはたった2回だけ。「私たちは、まず雅子さまのお顔立ちを研究するために、お姿の載っているあらゆる雑誌を集めたり、デザイン画を何枚も描きました。髪型だけで10パターンは検討しました。(雅子さまは)『私の母も、結婚式のとき与儀さんにしていただいたんですよ』とおっしゃって。長くやっていると、こんな嬉しいご縁もあるんです」お相手と身近に触れ合う美容師ならではの“気づき”もあった。「雅子さまといえば、当時、バリバリのキャリアウーマンと盛んに報じられていました。でも、実際にお会いした印象はきゃしゃでかわいらしい方でした」改めて“内面の美”について考えるきっかけにもなった。「私たちは塗ったり貼ったりはいくらでもできます。けれど、その方の内面からにじみ出た美しさを感じた瞬間、一番いいお顔を引き出せたと思った瞬間に、メークを止める勇気も大事なんです。その意味でも、雅子さまのご成婚のメークでは、そのうちに秘めた純粋さや素直さを、お出しできたのではないかと自負しております」(みどりさん)初代の八重子さんも、いつもこの言葉を口にしていた。「美の真髄は、その人本来の美を引き出し、元気と生きる勇気を与えること」“宮さま美容師”の精神は、その人自身の美しさを引き出すこと――。これからも、その信念は、脈々と受け継がれていく。「女性自身」2020年3月10日号 掲載
2020年03月02日天皇皇后両陛下が今春、イギリスを公式訪問されることが1月14日に明らかになった。ご訪問は5月を軸に調整が進められているという。「今回、雅子さまが英国ご訪問を決断された大きな理由には、ダイアナ元妃への“強い思い”があるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)外務省職員だった雅子さまは’88年から’90年、研修のためにイギリスに留学されていた。「その当時、ダイアナ元妃はすでに2児の母親でもありました。ときには子連れで海外公式訪問に臨み、王族として国際親善のために世界を飛び回っていたのです。その活躍ぶりは雅子さまの目にも鮮烈に映ったはずです。雅子さまは渡英の前年からお妃候補として注目されていました。その後、陛下のプロポーズをお受けになった雅子さまの胸には、ご自身の目指す“皇太子妃のモデル”として、ダイアナ元妃の姿があったに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)そして、皇太子妃となった雅子さまがダイアナ元妃と面会を果たされたのが’95年の2月だった。ダイアナ元妃はひとりでの非公式な訪日だったが、両陛下が懇談にお招きになったのだ。3人だけで御所の応接室に入られ、通訳を交えず英語で30分ほどご歓談。話題は日常生活から公務にいたるまで、多岐にわたったという。「ダイアナ元妃は福祉や国際平和の問題にも関心が高かったので、雅子さまとの共通する話題も多かったと聞いています。とくに貧困や紛争で苦しむ子どもたちについては、少しでも早くこの問題を解消しなければいけないと意見が一致し、お互いに努力を誓われたそうです」(前出・皇室ジャーナリスト)そして、最後に雅子さまとダイアナ元妃は「次はイギリスでお会いしましょう」と約束を交わしたという。この麗しくも充実した会談について、当時の新聞は《新しい“プリンセス外交”が始まる予感が感じられた》などと報じた。ところが、ダイアナ元妃は’97年8月、36歳の若さで交通事故により非業の死を遂げる。英国政府からはダイアナ元妃の葬儀に「皇太子と妃殿下にお越しいただけないか」との打診があった。しかし、国葬ではなかったこともあり、日本政府はその申し出を辞退してしまう。「両陛下が参列を望まれても、政府のOKが出なければ出席は不可能だったのです。それでも雅子さまは親愛なるダイアナ元妃の葬儀に、一人の友人としても参列されたかったと思います」(前出・宮内庁関係者)雅子さまにとって英国ご訪問は、ダイアナ元妃との約束を果たす“25年越しの宿願”なのだ。ダイアナ元妃の葬儀以後、英国王室から陛下と雅子さまに2度の招待があった。しかし雅子さまは、いずれも断念せざるをえなかった。’01年にロンドンで開催された日本文化紹介事業「Japan 2001」には、陛下がお一人で出席。愛子さまをご懐妊した雅子さまは訪英を見送られた。’11年4月には、ダイアナ元妃の長男であるウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式に招かれていたが、直前の3月、東日本大震災が発生。両陛下は訪英の見送りをご即断せざるをえなかった。しかし雅子さまはご療養中も、国連大学で講義を聴講するなど、国際社会への関心を持ち続けられていた。毎年の誕生日に際して発表なさっていたご感想でも《これからの地球や人類の将来について考えていくことも大切なのではないかと感じます》(’14年)、《内戦や紛争の影響が、特に子供を始めとする弱い立場の人々に大きく及んでいる現状を深く憂慮しております》(’18年)と、繰り返し環境問題や難民問題について訴えてこられたのだ。また、ダイアナ元妃が亡くなった’97年、雅子さまは誕生日の会見で元妃を悼み、こう述べられた。《遺されたお二人の王子様方がこの大きな悲しみをお乗り越えになって、そして、お健やかにご成長なさいますことをお祈りしたいと思います》ウィリアム王子は自らも野宿を体験するなど、若者のホームレス問題解決のために15年近く活動を続けている。ヘンリー王子も、アフリカでの野生動物保護活動やエイズ撲滅のための慈善団体設立など、さまざまな社会貢献活動に尽力している。「両陛下はウィリアム王子との再会も楽しみにしていらっしゃるでしょう。皇后となられた雅子さまは、ご体調も回復しつつあります。イギリス訪問は、ダイアナ元妃の遺志を継ぐ国際貢献活動へのきっかけになるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)多忙極まるなかでの決意のイギリスご訪問。だが、それは皇族としての道標を示してくれた「ダイアナ元妃への恩返し」なのだ。「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月23日「今年は東京オリンピック・パラリンピックが開催され、天皇陛下は名誉総裁をお務めになります。陛下を支える雅子さまもお忙しくなるでしょう。実は、昨年秋ごろまで宮内庁幹部は『天皇皇后両陛下の海外ご訪問は令和2年にはない』と話していたので、両陛下がイギリスを訪問されるとの報道を聞き、たいへん驚きました」そう語るのは皇室担当記者。1月14日、両陛下が今春、イギリスを公式訪問されることが明らかになった。皇室ジャーナリストが言う。「チャールズ皇太子が昨年10月の『即位礼正殿の儀』のため来日したとき、エリザベス女王からの招待メッセージを伝えたのだと思います。それから両国の外務省を通じた交渉が行われ、今回の発表に至ったのではないでしょうか」宮内庁によると、ご訪問は5月を軸に調整を進めているという。「5月前半には春の叙勲があり、月末には『全国植樹祭』が控えています。両陛下は5月半ばから後半の訪英になると思われます。ご訪問の前後のスケジュールはきわめてタイト。両陛下そろっての海外ご訪問は、かなりのご決断だといえます」(宮内庁関係者)ヨーロッパの王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんは、今回のご訪英の背景に、皇室と英国王室の深い関係があると語る。「英国民の多くは、陛下と雅子さまがオックスフォード大学に留学されていたことも知っています。天皇ご一家がイギリスに親近感を持っていらっしゃるように、実はイギリス王室や国民も日本の皇室に親近感を持っているのです。そして、皇后になられた雅子さまのご快復ぶりを、喜ばしいことと受け取っています」今回、雅子さまのイギリスご訪問が実現すれば、留学されていた’90年以来、実に30年ぶりとなる。皇室と英国王室の交流は、明治維新直後から約150年にわたって続いてきた。その交流が、令和の時代にも引き継がれることになる。「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月23日上皇ご夫妻のお出ましが二重権威を生んでいる……、そんな報道に苦悩されている美智子さまを支えるため、雅子さまは天皇陛下とともに、心温まる提案を――。1月2日の新年一般参賀には、上皇ご夫妻も出席された。しかしその中で、テレビでは報じられなかったハプニングがあった。午前中の3回目のお出ましで、にこやかにお手振りを始められた上皇陛下。するとお隣の美智子さまが上皇陛下に何か囁きながら腕に手を伸ばされ、お手振りを制止されたのだ。「通常の順序では、まず天皇陛下がお一人でお手振りされてから、ほかの皇族方が続くことになっています。しかしこのとき、天皇陛下のお手振りが始まってすぐに上皇陛下もお手振りをはじめられたのです。このままお二人でのお手振りが続けば、上皇陛下が天皇陛下と並び立っているような印象を与えてしまう――。美智子さまは、そのように懸念されて上皇陛下を制止されたのかもしれません」(皇室担当記者)だが、そんなハプニングにも、雅子さまは上皇ご夫妻をフォローするお気遣いをなさっていた。「雅子さまは上皇ご夫妻に身を乗り出して『どうぞ、お手振りを』とお伝えするような身ぶりで、声をかけられたのです。そういったやりとりで安心されたのか、3回目では美智子さまがお手振りされる時間も、1回目、2回目より長くなっていました」(前出・記者)宮内庁の説明では、美智子さまの嘔吐の症状は現在では治まっているという。ただ、美智子さまのご心痛が続いていることは一般参賀のご様子からも明らかだろう。そんな中、皇室ジャーナリストは、天皇陛下と雅子さまが、上皇ご夫妻にある提案をなさるのではないかと語る。「上皇ご夫妻は例年、2月ごろに葉山御用邸でご静養になります。このご静養に、天皇ご一家もご一緒する可能性があるのです。2家族“合同”でのご静養となれば、’02年8月以来、実に18年ぶりとなります」長い間“合同家族旅行”は行われてこなかったわけだが、これには理由があるという。「一つは、雅子さまが適応障害で療養に入られ、なかなかご体調が優れなかったためです。もう一つの理由は、上皇陛下が在位中であったためです。不測の事態を避けるため、在位中の天皇と将来の天皇である皇太子が、一緒に出かけ、宿泊する機会は非常に限られていたのです。しかし、上皇陛下は退位されました。そのため、2家族がおそろいで旅行されることにハードルはなくなったのです。“二重権威”などと報じられて、天皇ご一家と上皇ご夫妻との間に溝があるかのような印象を持った国民も少なくないでしょう。雅子さまの新たなご提案は、そういった声を払拭することにもつながるはずです」(前出・皇室ジャーナリスト)お忙しい中でも、天皇陛下と雅子さまは、上皇ご夫妻への気配りを欠かさないのだという。宮内庁関係者が言う。「12月23日の上皇陛下の誕生日には、愛子さまも連れて吹上仙洞御所を訪問されています。さらに12月27日には、上皇ご夫妻をはじめ、ご親族を招いた昼食会を開かれています。天皇皇后両陛下は、この前日に日帰りで福島県と宮城県の豪雨被災地を訪問され、たいへんお疲れだったと思われます。それでもこの昼食会を開かれたのは、昨年、象徴としての務めを終えられた上皇陛下、そして美智子さまを労うお気持ちゆえだったのでしょう」「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月17日天皇陛下の即位に伴う儀式が終了し、2020年に向けて動きだされる雅子さま。その原点は皇太子妃時代から続ける子供たちとの交流にあった。雅子さまの誕生日に発表された医師団の見解の中に《私的な部分でもご活動の幅を広げていっていただくことが大切だと考えております》との提案があった。12月4日に皇居の宮中三殿の賢所に参拝され、天皇皇后両陛下は即位に関する一連の儀式を終えられた。’20年は新たな活動を始める年となるのだろうか。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう捉える。「令和になり、雅子さまは皇后としてのお立場でしっかりとお務めをなさっています。ただ、医師団の言う『私的な部分』が何かと考えると、皇后の公務だけではなく、雅子さま個人にとってライフワークとなるテーマが必要だということでしょう」12月9日に発表された誕生日文書にはこのような一節がある。《プラスチックゴミなど多くの環境問題や、日本国内の貧困や子供の虐待などの問題、また、世界で紛争や内戦が続いていることなどにも心が痛みます》また1年前、55歳の誕生日に際しての文書にもこのような言及が見られる。《最近、国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます》雅子さまは“子供の虐待”を防ぎたいというお気持ちを繰り返し訴えられているのだ。’18年3月、東京都目黒区のアパートで当時5歳の船戸結愛ちゃんが虐待を受けて死亡した事件。’19年1月、千葉県野田市で起きた10歳の栗原心愛ちゃんが、父親による虐待で亡くなった事件。悲惨な虐待事件が相次いで起こる日本の状況に、雅子さまはずっと以前から心を痛められてきた。20年前、36歳の誕生日にも《特に最近は、児童の虐待が急速に増加していると聞きます》と、子供たちを守るために社会全体の取り組みが必要だと訴えられていた。令和の皇后として歩みだされた今だからこそ、雅子さまは「虐待される児童をゼロにしたい」という宿願を抱かれているのだろう。皇室担当記者が明かす。「実は、雅子さまは療養に入られる前から、難しい状況にいる子供たちに心を寄せられていました。お忍びで聖路加国際病院の小児病棟を訪問されて重病の子供たちを励まされるなど、多くの児童養護施設をお訪ねになっています」神奈川県葉山町の「幸保愛児園」には、療養に入られてからもクリスマスカードを送られた。’02年11月に最初の訪問をされた世田谷区内の社会福祉法人「福音寮」も、長年の交流がある児童養護施設のひとつだ。理事長の飯田政人さんに話を聞いた。「ご訪問後、子供たちは雅子さまのお誕生日に合わせて毎年、将来の夢や思いを手紙にしたためて送ることが恒例になりました。みんな楽しみに書いています。子供たちへの“お返し”として、翌年のバレンタインデーには、雅子さまからお菓子や花が届くようになり、かけがえのない交流が続いています」雅子さまは、長期ご療養中に入られた後の’06年と’16年にも、「福音寮」を私的なご視察という形で訪問されている。「前回のご訪問では、10年前に雅子さまにお会いした卒業生たちも『ぜひお会いしたい』と戻ってきて、皆が笑顔で思い出話をいたしました。それぞれに事情があり親と一緒に暮らせない子供たちを、皇后さまは心からずっと応援し続けてくださっているのです。施設を運営している職員らにも励ましのお声がけをいただき、そのお気遣いに感動いたしました」(前出・飯田さん)療養中も“弱者救済”の信念を貫き、ひそかに活動を続けてきた雅子さま。ベテランの皇室ジャーナリストも期待を寄せる。「即位関連の行事も終了して、雅子さまにも少し心身の余裕がお生まれになるかもしれません。陛下のご公務にもほとんどご一緒にお出ましになられ、ご体調は快復傾向にあります。私的なご活動を広げられるには今がチャンスなのです」皇后になられて2年目の本格始動へ!子供たちの笑顔を守るため、雅子さまは再び立ち上がられる――。
2019年12月24日乳がん手術の経過が心配されていた美智子さまに、さらなるご体調の不安――。発症から3カ月間にわたる“沈黙”にあった悲痛と、雅子さまへの思いとは……。「上皇侍従次長の説明によれば、美智子さまは今年に入ってから体調を崩されていました。御代替わりを直前に控えた4月ごろから急激に体重が減少し、現在も体重は戻らないまま。ただ、美智子さまは薬による治療を行った結果、ここ1カ月ほどは嘔吐の症状はみられないといいます。上皇職の見解では、詳しい原因はわからないものの精神的なストレスが原因になった可能性が高いとのことでした」美智子さまを苦しめた“精神的ストレス”の原因となったのは、いったい何だったのだろうか。皇室ジャーナリストは、美智子さまは孫である眞子さまと小室圭さんの長引く結婚問題を憂慮されているのではないかと語る。「やはり眞子さまの結婚問題については、美智子さまもたいへん心配されているようです。秋篠宮ご夫妻が結婚に反対する一方、佳子さまは眞子さまを応援する姿勢を示されています。“小室さん問題”をめぐって秋篠宮家が分裂してしまう――。そういった危惧を、美智子さまもお持ちなのではないでしょうか」しかし宮内庁関係者は、ストレスの原因はほかにもあるとの見解を語った。「美智子さまは毎朝、新聞に目を通されます。その際に週刊誌の新聞広告をご覧になったり、気になった記事は取り寄せてお読みになったりすることもあるのです。上皇侍従次長は今回の会見でも、詳しい原因はわからないものの、週刊誌報道にストレスを感じられた結果として、胃に負担がかかった可能性があると説明しています」上皇ご夫妻はこれまで、お体の不調に関してもなるべく公表されてきた。だが、嘔吐の症状が出始めたのは9月のことだというのに、美智子さまはなぜ12月中旬までずっと沈黙を守られていたのだろうか?前出の宮内庁関係者は、皇后となられた雅子さまへの配慮があるのではないかと語る。「9月から12月上旬にかけて、天皇皇后両陛下はたいへんな過密日程でした。適応障害からの快復途上にある雅子さまは、即位に関連する一連の儀式に臨まれることに、大きなプレッシャーがおありだったはずです。すべての儀式が終わったのが12月4日、そして雅子さま56歳の誕生日が9日でした。雅子さまが皇后としてのお務めに集中できるように――。美智子さまはそうお考えになって、症状の公表を遅らせたのではないでしょうか」深く傷つかれ、嘔吐に耐え続けながらも、美智子さまは新皇后を思いやり続けられていたのだ。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月19日