2020年12月28日に放送されたバラエティ番組『ドリフ・バカ殿・志村友達大集合SP』(フジテレビ系)に出演した『ザ・ドリフターズ』の3人と、お笑いコンビ『千鳥』。オープニングではモノマネとして、いかりや長介さん役を『千鳥』のノブさん、志村けんさん役を『千鳥』の大悟さんが務めました。大悟さんは加藤茶さんから「志村に似てる」とお墨付きをもらうほど。ネット上でも反響が上がっていました。大悟、志村けんとのコントを回顧以前、志村けんさん演じる人気キャラクター『ひとみ婆さん』とのコントに挑戦した大悟さん。当時の映像を振り返り、「テレビで見ていたひとみ婆さんの姿に、思わず頬が緩んでしまった」と思い出を語りました。テレビで見たひとみ婆さんだから喜んじゃって。あれも、ケツが何もほとんど決めてなくてルールは「ひーちゃん」って呼んでくれっていうのと、あと終わりに「俺がケツ叩いたらどこで終わってくれてもいい」って。だから今のも編集してるからですけど、たぶん15分ぐらいですよ。多分、間で2人でプライベートの話もずっとやっちゃってたから編集したんちゃうかな。ドリフ・バカ殿・志村友達大集合SPーより引用プライベートでも志村さんと仲の良かった大悟さんは、とても嬉しそうに志村さんとのコントを回顧。横で映像を見ていた相方のノブさんは「キャラになってコントをしてましたけど、時折少年大悟の顔になっていた」と、大悟さんの隠しきれていない喜びを感じ取っていたようです。エンディングでの大悟の姿にもらい泣き番組のエンディングでは、出演者全員で『いい湯だな』を歌いました。そこでの大悟さんの姿と加藤さんの合いの手に注目が集まっています。バラエティ番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)やバラエティ番組『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)などを見ていた人にはおなじみの、この曲。加藤さんは、今の時代に合わせた合いの手にアレンジしていました。ババンババンバンバン「風邪ひくなよ」ババンババンバンバン「風呂入ってるか」ババンババンバンバン「コロナに気を付けろよ」ババンババンバンバン「また来年お会いしましょう」ドリフ・バカ殿・志村友達大集合SPーより引用悔しくも、志村けんさんが亡くなったのは新型コロナウイルス感染症による肺炎でした。だからこそ、加藤さんの「コロナに気を付けろよ」は、多くの人の心に響いたのでしょう。また、曲の最中、大悟さんはずっと涙をこらえている様子が映っていました。最後は涙を流さないように、天を見上げて手を振る姿に、もらい泣きをした人が多かったようです。ネット上では、たくさんの感想が寄せられていました。・エンディングで大悟さんがずっと泣くのをこらえてて、もらい泣きした。・カトちゃんの「コロナに気を付けろよ」が心に沁みた。・大悟さんがエンディングで天に向かって手を振っていたな。志村さんにかな…。それを見て号泣。時代が変わっても、たくさん笑わせてくれたドリフのコント。志村さんは、多くの人の心に笑いを届け続けることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年12月29日「大みそかに行われるジャニーズのカウントダウンコンサートには、“解散ではなくあくまで休止だから”と現時点で出演する予定はないそうです。『第71回NHK紅白歌合戦』の大トリも辞退するようで、メンバーは“最後の日は嵐ファンのための一日にしたい”という思いでいると聞いています」(音楽関係者)突然の発表から約2年。嵐のグループ活動休止がいよいよ目前に迫ってきた。31日に休止前最後の配信ライブを行い、しばしの休息に入る嵐。だが、5人の歩みがここで止まるわけではない。そこで本誌は5人の“これから”を総力取材!まずは『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)の後番組『1億3,000万人のSHOWチャンネル』でMCを務める櫻井翔(38)。同局での音楽番組では総合司会など幅広い活躍を見せる櫻井だが、’21年は“ジャーナリスト”としての活動も見られそうだ。「’06年からキャスターを務めている『news zero』(日本テレビ系)により力を入れていくそうです。今後は嵐の活動が忙しくてなかなかできなかった現場での取材活動を増やしていくと聞いています。これまでも東日本大震災の被災地への取材を自ら志願していましたし、長期的に取材できるフィールドリポーターとして活動していきたい気持ちがあるようです。櫻井さんに対する日テレの評価は高く、あわせてドラマもオファーしているといいます」(日本テレビ関係者)そんな櫻井に負けじと意気込んでいるのが相葉雅紀(38)。櫻井と同様に『VS嵐』(フジテレビ系)の後番組『VS魂』でのMCが決まっている相葉だが、現状に危機感を抱いているという。「最近の相葉さんは、“いつまでも嵐と思っていてはダメ”と、自分を見つめ直し、MCスキル向上を’21年の目標としているといいます。時事ネタを積極的に勉強して、MCとしての幅を広げようとしているそうです」(フジテレビ関係者)MC特訓に励む相葉の心の支えとなっているのが、志村けんさん(享年70)からの教えだという。「『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)に出演し始めた’04年ごろ、相葉さんはほかのメンバーと比べて仕事が少なく、志村さんに悩みを相談していました。そんなとき、志村さんは『いつどんな風が吹くかわからないから、その準備だけしておけば大丈夫』と背中を押したそうです。相葉さんはその言葉に今でも感謝していて、『志村さんのように日本中から愛されるMCになる』と親しいスタッフに話しているといいます」(前出・フジテレビ関係者)二宮和也(37)は俳優業に邁進していくようだ。「しばらく連ドラ出演のなかった二宮さんですが、’18年放送の『ブラックペアン』(TBS系)の続編や、単発ドラマのオファーが来ているそうです。ただ、休止後は少しゆっくりしたい気持ちもあり、’21年の連ドラ出演はないでしょう」(TBS関係者)そして、二宮が目指す先には“国際派俳優”への道が。「二宮さんは最近、時間を見つけては、英会話を勉強しているといいます。’06年のハリウッド映画『硫黄島からの手紙』出演以降、海外への憧れを強め、コロナ禍前はニューヨーク移住も考えていたほどです。“オファーがあればハリウッドに再挑戦したい”と考えているそうです」(映画関係者)「女性自身」2021年1月5日・12日合併号 掲載
2020年12月26日「大きな胸がずっとコンプレックスだったんです。実は中学時代、クラスの男の子たちに『胸を揉ませろ!』って言われたことがあって。それからは、体育の授業も胸を隠しながら走ったり。21歳までは『こんなもの切り落としたい!』って思ってたくらいなんですよ」こう語るのは、グラビアアイドルの清水あいり(28)だ。大阪出身の彼女はセクシーに関西弁を話す「関西弁あいうえお」などで現在、大きな注目を集めている。さらに今年は「ウチのガヤがすみません!」や「ダウンタウンDX」(共に日本テレビ系)、「水曜日のダウンタウン」(TBS系)など人気番組に続々と出演!不思議な存在感から評判もうなぎ登りで、次世代バラドルとしても急成長中だ。そのHカップを活かし、バラエティで笑いを取ることもある清水。しかし、冒頭のように大きな胸に悩まされていたという。続けて「でも、あえて世にさらけだしたいなって考えたんです」と明かす。「中学卒業のタイミングでスカウトされて上京して。ヤクルトスワローズの公式ダンスユニットのお仕事をした後に、18歳のときにグラビアでデビューしました。コンプレックスである胸をあえてさらけだすことで、自分の武器にせざるを得ない状況を作りたかったんです。でも最初は武器に変える方法がわからなくて、モヤモヤしていて……」すると22歳のころ、転機が訪れた。「番組で共演したピースの綾部祐二さん(43)が、すごく真剣にバカなことをしていて(笑)。『こんなにくだらないことを真剣にやっててかっこいいな』『私ももっと解放しよう!』と考えるようになって。亀さんみたいに、自分なりにゆっくり歩んできて、そして今があります。私はしゃべり方も声も変わってるけど、今ではコンプレックスも武器だと思っています。『あざとい』と言われることもあって、最初は『あざといって何?』って感じだったんですけど。でも誰かのために自分を変える必要はないんですよね。一番大事なのは自分を貫くことなんだとお仕事を通して気づきました」そんな彼女を苦しめたのはコンプレックスだけではない。おっとりとした口調からは想像できないほどの、赤貧時代を長らく過ごしてきたという。「やっと昨年から、人並みの生活ができるようになりました(笑)。それまでアルバイトがメインだったんですけど、ちょこちょこお仕事も増えだして。でもオーディションや収録が急に入るとバイト先に迷惑がかかってしまうので、あまり入れなくて。とはいえ、芸能のお仕事だけで食べていけるほど稼げていたわけでもなくて……」現場でもらったお弁当を持って帰ったり、コンビニで買った納豆で空腹をしのいだり。「コスメも種類が選べないので大変でしたね。実は自分のグッズをメルカリで売って、生活の足しにしてたこともありますよ(笑)。あと、すごい土砂降りの雨が降ってたことがあって。傘を買うためにATMに行ったんです。でも、傘を買うお金すら残ってなくて。さすがに絶望しちゃいましたね。ずっと泣いてました。あの時のことはずっと記憶に残ってます」しかし清水は今や人気番組に出演し、超大物芸能人との共演を何度も経験するほどに。3月に亡くなった志村けんさん(享年70)とも2回共演している。「普段はクールな渋いおじさまって感じで。でも舞台になると“一気にバカになる”みたいな。『プロだな』ってすごい感動して。めちゃくちゃかっこよかったです。小さいころから見てきた存在でもあるので、亡くなったときは受け入れられなくて。胸が痛かったですね」さらにダウンタウンの浜田雅功(57)からは、直々にバラエティのアドバイスも受けたという。「早食いの企画に一緒に出させてもらって、みんなでお皿を突っつくシーンがあったんです。でも、私が一歩引いてしまって。すると収録後に、浜田さんが『あそこは行ってよかってんぞ!全然行ってよかったのに!』って教えてくれたんです。浜田さんは関西のおっちゃんって感じ(笑)。すごく気さくで、太陽みたい。周りをパッと明るくしてくれる方なんです」そんな清水は、SAGAMIのコンドーム「サガミオリジナル002」の12代目宣伝大使に選ばれた。これから1年間、イベントやSNSを通して商品を広めていくという。「ちょうどいい年齢だと思うんですよね(笑)。もうちょっと若かったら、ファンの方も驚いたかもしれないんですけど。避妊や性病防止の大切さを、より多くの方に知っていただきたいなぁって。コンドームってちょっと恥ずかしいものって思われる方もいますよね?だから、偏見を取っ払うために『持ってるとオシャレだよ』と伝えていけたら。私なりの方法で、楽しく広めていきたいなって思ってます!」18歳のデビューから苦節10年。自分らしさを貫く清水の快進撃は、2021年も続きそうだ。
2020年12月22日山田洋次監督最新作『キネマの神様』の新たな出演者、リリー・フランキー、志尊淳、前田旺志郎の3名が発表された。揃って山田監督作品初出演となる。リリーさんが演じるのは、1950~60年代の日本映画黄金期に活躍した、助監督のゴウ(菅田将暉)が師匠とする映画監督・出水宏。多くは語らないが、映画撮影において確固たるこだわりを持ち、ゴウに監督としての在り方を背中で教える。先日最終回を迎えた「極主夫道」への出演も話題となった志尊さんは、テラシン(小林稔侍)が経営する映画館「テアトル銀幕」でアルバイトをするイマドキの青年・水川を演じる。「テアトル銀幕」を通して、現代のテラシンや淑子(宮本信子)、そしてゴウ(沢田研二)と会話を重ねる中で関係性を築いていく役どころだ。また、落ちぶれたゴウが持っていた才能を再び見出す、孫・勇太役で、先日放送終了した「猫」で連続ドラマ初主演を務めた前田さんが出演。現代のゴウにとってのキーパーソンと言える勇太。内気で部屋にこもりがちの繊細な彼だが、ゴウとはほかの誰よりも信頼関係を築いていく。過去のゴウ、現代のゴウ、とそれぞれ人生を共にする3人。リリーさんは「山田洋次監督、沢田研二さん、志村けんさん。僕の憧れのスターの方々と、同じフィルムの中に存在できたことが、幸福です」と参加を喜ぶ。志尊さんは「自分の人生において、山田洋次監督作品に出演させていただける事があるなんて思ってもいませんでした。スタジオに入った瞬間から感じる、緊張感、繊細さ、熱量。全てにおいて貴重な時間でした」と撮影をふり返り、前田さんも「正直、山田監督は厳しかったです。しかし、それは僕にだけではなく自分自身に対してもで、映画を作る事への一切妥協しないあの姿勢は映画への愛に溢れており、心の底からリスペクトしています。改めてこんな素敵な作品に出演できた事が嬉しいですし、多くの人に観ていただきたいと思います」とコメントしている。『キネマの神様』は2021年4月16日(金)より全国にて公開。(cinemacafe.net)■関連作品:キネマの神様 2021年4月16日より全国にて公開©︎2021「キネマの神様」製作委員会
2020年12月22日紬織(つむぎおり)の人間国宝・志村ふくみの孫である志村昌司を中心とした京都の染織ブランド・アトリエシムラ(atelier shimura)は、「アトリエシムラ展/染織家・志村ふくみ、洋子からの継承」を、2021年1月14日(木)から20日(水)まで、帝国ホテルプラザ東京3F 花あさぎにて開催する。「アトリエシムラ展/染織家・志村ふくみ、洋子からの継承」では、草木で糸を染め、手機で織った色無地反物や帯を展示販売する。中でも、「青藍」の反物は、最も元気の良い頃合いの藍で染めた、濃い色味の中にも爽やかさを感じられる仕上がり。自然の神秘を肌で感じられる、表情豊かな風合いが魅力だ。また、反物や帯に加えて、帯の上辺を飾る帯揚げや、小物を入れて持ち運べる数寄屋袋といった、着物と一緒に使えるアイテムやストールも、ともに販売される。【詳細】アトリエシムラ展/染織家・志村ふくみ、洋子からの継承開催日時:2021年1月14日(木)~20日(水) 11:00~19:00会場:帝国ホテルプラザ東京3F 花あさぎ住所:東京都千代田区内幸町1-1-1価格:・反物 400,000円+税~・帯 150,000円+税~・帯締め 19,000円+税~・帯揚げ 15,000円+税~・ストール 39,000円+税【問い合わせ先】花あさぎTEL:03-6273-3139
2020年12月21日1998年より約20年にわたりテレビ朝日にて放送されていた正月恒例の名物番組『志村&鶴瓶のあぶない交遊録』が、来年1月2日(21:00~22:30)に大最終回スペシャルとして復活、ABEMAで独占配信されることが決定した。14日に都内で収録が行われ、笑福亭鶴瓶、ナインティナイン(岡村隆史、矢部浩之)が取材に応じた。このスペシャルでは、番組名物の元祖「英語禁止ボウリング」を実施。過去の放送では、志村けんさんと鶴瓶がチームを組み、ナインティナインと対決を繰り広げてきたが、今回は志村さんと親交の深かった千鳥の大悟が鶴瓶のパートナーとして参戦する。また、過去の名場面を振り返るコーナーでは、3人が思い出話を語る。収録後、鶴瓶は「去年(放送が)なかった。志村さんも亡くなられたので、あのまま終わっていくのかなと思ったんですけど、改めてやっていただいてうれしかったです」と心境を告白。「志村さんとよく一緒に飲みに行きましたよ。その思い出も踏まえて寂しいなと思いますね。亡くなったとき、なんで死んだんやねんと、ずっと思っていましたから」と突然の別れに悔しさをにじませつつ、「この番組で『志村けんと一緒にできた』ということだけでも幸せやなと思います」と思い出をかみしめた。矢部も「エンディングを撮っていたら寂しかったです。ふっと志村さんが来そうな雰囲気で。ほんまに終わるんやなと思ったら悲しくなりました」と吐露。「プライベートでも可愛がっていただいたなと思い出しながらVTRを見ていました。やっぱり寂しいですね。今日は寂しさを味わっていいのかなと思って収録に挑みました」と志村さんへの思いを語った。今年10月に結婚した岡村は、「今日の一投目は志村さんに『結婚しました』と報告して投げました。志村さんがどう思われているかわからないですけど。『裏切り者』と言われているかもしれませんが(笑)、志村さんのことを考えつつボウリングさせていただきました」と、志村さんへの結婚報告を込めてボウリング。「こんなに長く志村さんと鶴瓶さんと毎年お仕事させていただけるというのはすごく幸せなことでしたから、最終回とうたうのは寂しくはあったんですけど、自分の中で踏ん切りがつけられた気持ちもあります。この番組ですごく勉強させていただきましたし、お二人とも怒るわけでもなく自由にやらせていただいて本当に楽しいコーナーをやらせていただいたなと思っています」と語った。矢部も岡村も、志村さんと鶴瓶との共演はとても勉強になったという。矢部は「志村さんと鶴瓶さんと絡んでいると、ほかの番組に行っても緊張しない。すごい人と絡んでいると自信になるというのは大きかったです」と打ち明けた。岡村は「一つ一つの志村さんのリアクションをよく見ると、一個一個違う。こうやってリアクションとるんだなと勉強になりました。鶴瓶さんは『腰がちょっと』とか必ず何か振っておく。それがあとで効いてきたりして、なるほどなと。そういうのも大事やなと勉強になりました」と2人から学んだことを語ると、鶴瓶は「腰が痛いのはマジですよ」と笑いながらツッコんだ。さらに岡村は「控え室で志村さんと鶴瓶さんがしゃべっているのも聞いていて楽しかったです。ベテランの方が楽屋でこんな話するねんやというのを見られるだけでも得した気分でした。緊張もしていましたけど、毎年本当に楽屋から楽しみでした」と懐かしそうに振り返った。
2020年12月16日「12月31日まで何が起きるか分からない。視聴者の皆さんの期待が高いアーティストに対しては、可能性は探っていきたい」12月9日、囲み取材でそう語ったのは「第71回 NHK紅白歌合戦」の制作統括・加藤英明チーフプロデューサーだ。今回の正式な出場歌手は紅白合わせて42組(紅組20組、白組21組)。14日にはさだまさし(68)が13年ぶりに特別企画「今こそ歌おう みんなでエール」コーナーで出演することが発表された。「実は『紅白』の制作側は今回、さだまさしさんだけではなく、大物国民的歌手にも出演依頼しています。それが、もし登場となれば94年以来となる、沢田研二さん(72)なのです」(NHK関係者)沢田といえば17回の『紅白』出場を誇る大ベテランだ。「78年には山口百恵さんが紅組のトリ、沢田さんが大トリを務めました。しかしながら、94年の出場を最後に、“曲を出場者全員で歌うことに違和感を感じるようになった”という理由もあって、『紅白』出場を辞退されるようになったのです。“ソロ歌手”としての矜持だったといいます」(音楽関係者)確かにアーティスト気質の強い沢田。18年10月17日にはさいたまスーパーアリーナでのコンサートを“ドタキャン”したことが記憶に新しい。翌日の会見では「事務所とイベント会社には9,000人の集客と聞いていたが、リハーサルでモニターを見たときに異変に気付き、実際には7,000人しか集まらないことを知った」と説明していた。そんな沢田だけに、一度決めた『紅白』不出場の決断を覆すことはなさそうだが…。「制作側も沢田さんの思いを知っているだけに、数年前から水面下で話し合いを続けてきました。実は今月4日に、その“交渉”の一環として、全80曲以上、約5時間にもおよぶNHK映像の集大成DVD『沢田研二BEST OF NHK』を発売したんです。もちろん、過去の『紅白』の出演映像も収録されています。特に今年はコロナ禍にあり、『今こそ歌おう みんなでエール』というコンセプトを丁寧に説明しているそうです」(NHK関係者)実際、コロナの影響で沢田の公式サイトは8月から休止状態。沢田のライブも1月の正月ライブ以降、開催されていない。「今年の『紅白』は感染対策を徹底し、初の無観客開催となります。沢田さん自身、現状では歌うことに積極的になれない面はあるようです。しかし、制作側は、朝ドラ『エール』に志村けんさんが出演していたこともあり、映画『キネマの神様』で志村さんの代役を務め上げた沢田さんに“天国の志村さんのためにも”と粘り強く交渉しているそうです」(前出・音楽関係者)沢田の事務所に今年の『紅白』出場について問い合わせたが、締切日までに返答はなかった。盟友・志村けんさんのために、四半世紀ぶりに沢田がサプライズ登場することはあるのかーー。
2020年12月15日2020年12月12日に放送されたトーク番組『サワコの朝』(TBS系)に出演した、タレントの加藤茶さんと加藤綾菜さん夫妻。結婚10年目になるまでに、さまざまな壁を乗り越えてきたといいます。加藤茶夫妻に7年間続いた世間からのバッシング45歳差婚ということもあり、結婚当初は世間からのバッシングが続いたという加藤さん夫婦。『バッシング』という言葉だけではいいまとめられないような、酷いことをされた過去を明かしました。実家も特定されて、実家のほうにもクレームが(一般の人から来た)。お母さんの携帯番号が次の日にはネットにバレて。幸せになれるはずの結婚だったのに、なんでこんなことになったんだろうっていうのはすごい1~2年悩んだ時があったんですけど。私が乗ってる自転車がペンキ塗られて木に吊るされたりとか。サワコの朝ーより引用綾菜さんは、ネット上に個人情報を晒され、家も特定されてしまったといいます。しかし、バッシングに耐えた加藤さん夫婦。加藤茶さんは「それがあったから10年頑張れた」と振り返り、綾菜さんも「7年叩かれて謙虚になることを教わった」と前向きなコメントをしました。生死をさまよう病で必死の看病結婚4年目には、加藤茶さんがパーキンソン症候群で倒れてしまいました。綾菜さんは「絶対死なせない」という思いで看病にあたったといいます。その後、加藤茶さんが自宅で大量の吐血をし再び入院に。綾菜さんがある動画を再生すると、加藤茶さんは驚異の回復を見せたのだとか。加トちゃんは意識がもうろうとしているので、とりあえずずっと隣にいてもかける言葉もなかったんですよ、私。なので、ドリフの階段落ちコントを見えてるか見えてないか分からないですけれど、見せて。加トちゃんは、記憶があまり意識がもうろうとしているので、志村さんとのコントとかをずーっと見せてたら、加トちゃんがうっすらくすくす笑うようになって。サワコの朝ーより引用意識がもうろうとする中で「もう1回舞台に立ちたい。元気になってたくさんの人に笑ってほしい」と語った加藤茶さん。実は、同年3月に新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)で亡くなった志村けんさんと、再びコントをする約束をしていたことを明かしました。盟友・志村けんさんとコントの約束もまだ、コロナウイルスがどのような病気かが分かっていない頃に感染が発覚した志村さん。病院に運ばれて亡くなるまでは、たった4日のことでした。加藤茶さんは、盟友をなくし果たせなかった約束をさびしそうに語ります。志村がちょうど70になって、僕たちに追いついてきて。よし、70になったらできるコントあるよな、これをお客さんに見てもらおうなって志村と話してたんですよ。多分ね、間が空くと思うんだけど、間が味になって出ると思うんで、だから面白いと思うよって、絶対やろうなって。サワコの朝ーより引用加藤茶さんは「あっけなく逝ってしまったのですごいショックだった。かけがえのない相方だった」と振り返りました。番組の視聴者からは、バッシングを受けた新婚生活や加藤茶さんの志村さんへの想いにさまざまなコメントが寄せられています。・愛に年齢は関係ないことが分かった。幸せそうだな…。・ウルっとした。全員70歳を超えたドリフ、見たかったです。・加トちゃんが元気になってよかった。素敵な夫婦ですね。綾菜さんは、ヘルパー1級を取得するなど介護の勉強にも献身的に取り組んでいるといいます。長期間バッシングが続くも、2人の間には固い絆と愛情があったのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2020年12月13日志村けんさん(享年70)が新型コロナウィルスによる肺炎のため、今年3月29日に亡くなってから8カ月が経つ。だが、所属事務所・イザワオフィスのHPのトップページでは、いまも生前と同じ「事務所の顔」として写真やプロフィールなどが掲載され続けている。さらにDVD発売などの情報は、NEWのマークをつけていまも更新が続く。「所属タレントが亡くなった場合、ほとんどの場合はひっそりとHPからなくしていくケースがほとんどです。なかにはファンの気持ちを思い、残すケースもありますが、“事務所の顔”であり続けることはめずらしいでしょうね」(芸能関係者)実は志村さんだけではなく、2004年に急逝した、いかりや長介さん(享年72)もイザワオフィスのHPでは“健在”だ。メンバー2人が他界してもなお、ドリフターズのメンバー全員が同社HPのトップにはずらりと並んでいるのだ。いしだあゆみ(72)、麻生祐未(57)、小泉孝太郎(42)など、一線級で活躍する所属タレントがいるにも関わらず、いまだ志村さんやいかりやさんを“顔”として掲げ、いまもなお新着情報を更新し続けているのはなぜなのかーーイザワオフィスに聞いてみた。「いまも志村の名前を冠にした番組は続いていますし、DVDやグッズの販売も続くので、HPを変える理由がありません。新着情報は今後も更新していく予定です」確かに「志村友達」のように名前を冠した番組は続いている。今後、新たなDVD発売も予定されている。加えて“志村さんのみならず、ザ・ドリフターズはいまも事務所にとって大切なグループ”とイザワオフィスは言う。「ドリフターズは41年前の事務所の設立時からの所属で、看板として貢献してくれた、感謝すべき存在です。そしてグループとして解散したわけでもない。今でもそのコントは映像で流れています。われわれとしては“ドリフターズはまだ活動中”と考えています」「8時だョ!全員集合」の番組終了から35年。いかりやさんと志村さんが天国に旅立った後も、ドリフターズはイザワオフィスの看板タレントなのだ。
2020年12月05日11月30日にスタートした、NHK連続テレビ小説『おちょやん』。各メディアによると、初回の平均世帯視聴率は18.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。17年4月から放送された『ひよっこ』以来、7作ぶりに20%台を下回ったという。「前作の『エール』は志村けんさん(享年70)の遺作となりましたが、新型コロナウイルスの影響を大きく受けました。しかし凄惨な戦地での描写や、終盤に織り込まれた志村さんのオフショットなどは視聴者を釘付けに。ドラマシーンを一切省いた最終話の『コンサート』は圧巻で、コロナ禍でも視聴者の心に寄り添った作品として話題となっていました。そのため、現在も“エールロス”が続いているのでしょう」(テレビ局関係者)そんななかで『おちょやん』で主人公・竹井千代の子ども時代を演じる毎田暖乃(9)の演技が、注目を集め始めている。「竹井千代のモデルは、昭和の名女優・浪花千栄子さん。鶏の行商を家業とする大阪・富田林の貧しい家で生まれました。4歳で母親が逝去。弟の世話や家事、鶏の世話などに追われたことで小学校へ通えなかったといいます。’83年4月に放送された『おしん』を彷彿させると話題になっています」(制作関係者)初回から、トータス松本(53)演じる働かない父親とのバトルを繰り広げた千代。酒をせびる父親に、「はあ?あるかそんなもん」と一蹴。さらに「あほんだら、ぼけ!」などと、強烈な“河内ことば”をさく裂させる。しまいには「親やったら親らしいことをさらせ!」と、父親に蹴りを入れるという驚きの演技を披露した毎田。Twitterの公式アカウントでは、《怒りで、お父ちゃんを蹴っ飛ばす千代ちゃん。この動き、#毎田暖乃 ちゃんのアドリブだそうですよ!》と撮影の裏側を明かしている。アドリブも駆使する毎田の演技に、「圧倒された」と驚く声が続出している。《こまっしゃくれた演技をする子どもの演技が、とんでもなく上手。末恐ろしい。いわゆる恐ろしい子》《おちょやん泣くね……。#毎田暖乃 演技力に引き込まれる。凄い……》《子役の子、すごいな 圧倒されたわ #毎田暖乃 ちゃんっていうんやね覚えとこ》早くも爪痕を残した毎田、9歳にして突出した演技力を持っているという。「昨年放送された『スカーレット』では、主人公の幼なじみ(大島優子)の長女役を演じました。今回オーディションが行われましたが、約500人のなかから『毎田さんしかいない』と満場一致で決まったのです。チーフプロデューサーも『他の子とレベルが違う』と絶賛。大人を相手に喜怒哀楽など、豊かな演技ができる彼女に期待が高まっています」(前出・制作関係者)メインの主人公を演じる杉咲花(23)が登場するのは3週目から。それまで力強い演技力で物語を牽引する毎田に、目が離せない。
2020年12月04日「グラビアの仕事も女優の仕事も分けて考えたことないんですよ」‘02年11月、本誌でこう話していた小池栄子(40)。その20年後となる’22年、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK総合)で北条政子を演じると発表された。小池は今年4月期のドラマ「美食探偵 明智五郎」(日本テレビ系)、10月期の「姉ちゃんの恋人」(フジテレビ系)、11月スタートの「竹内涼真の撮休」(WOWOWプライム)といった話題作に次々と出演。来年公開予定の吉永小百合(75)が主演を務める映画「いのちの停車場」でも、キャスト欄に名を連ねている。そんな小池だが、もともとは抜群のプロポーションからグラビアの女王と呼ばれていた。また「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」(日本テレビ系)や「ワンナイR&R」(フジテレビ系)など、バラエティでも大活躍していた。「お父さんは経営者で、彼女はいわゆる“お嬢様”として育てられました。だからスカウトされたものの、当初は人前で水着になることに抵抗があったそうです。そのため、デビュー早々に引退を決意したほどだったといいます。しかし女優業に名残惜しさがあったため、引退を撤回。社長に『どんな仕事でもするから芝居をもっとしたい』と直談判したそうです。すると意識が変わったこともあり、その後は仕事が軌道に乗り始めていったのです」(スポーツ紙記者)‘02年12月、本誌で「一番にならないでもいい。しかし、必ず一級品であれ」という父の言葉を大事にしていると語っていた小池。’00年代の初頭から朝ドラ「こころ」や大河ドラマ「義経」(ともにNHK総合)に出演し、初主演舞台「ライアーガール」も経験している。“女優で一級品に”という並々ならぬ思いが、彼女を突き動かしていった。「すでにバラエティで活躍していた彼女は、忙しい合間を縫って初主演舞台の稽古に参加していました。満足できるほど時間が取れないものの、『この程度の演技?』と思われるのが嫌で精神的に追い詰められるほど没頭したといいます。また『義経』では監督に『できるまで何度もやらせるからな』と言われ、何度も泣かされたそうです。そのいっぽうで当時から朝ドラのオーディションで最終審査まで残ったこともあるほど、演技力には定評がありました。業界でも評判で、志村けんさん(享年70)は『こんな演技を見せてくれる子だとは!』と驚いていたそうです」(舞台関係者)芝居を重ねることで、女優としての存在感が日に日に増していった小池。だが、それでも「バラエティの人間が女優だなんて」と白い目で見られることもあったようだ。当時を回想し14年8月、「婦人公論」でこう語っている。「『何をやりたいんだ』といった声も聞こえて。悔しさもあり、女優をやっていきたいという意志表明のため、バラエティを控えさせていただき、一作一作積み上げていこうと心に決めました」そんな彼女の礎を作ったのは、鈴木京香(52)だった。2人は’06年の映画「男はソレを我慢できない」で共演。女優業の先輩である鈴木が、小池にたびたび“熱血女優指導”を行ってきたという。「2人はすぐに意気投合し、鈴木さんから食事に誘うようになりました。食事会では小池さんが女優業について相談し、そのたびに鈴木さんが励ましてきたそうです。たとえば小池さんが難役にチャレンジするか悩んでいたときには『挑戦しようという気持ちが大事』と背中を押し、『自分がどんな作品に出るかではなく、作品の向き合い方が大事』など女優業の取り組み方も伝えてくれたといいます。だから小池さんのなかでは、『こんな女性になりたい!』という目標が鈴木さんになっているそうです」(前出・スポーツ紙記者)小池は’10年から’17年まで1年に1回のペースで舞台に参加。近年では’18年の「空飛ぶタイヤ」や「SUNNY 強い気持ち・強い愛」、’19年の「記憶にございません!」や「グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~」など話題の映画に出演。また’12年の日本アカデミー賞・優秀助演女優賞など、華々しい受賞歴ももつ。その演技力は、女優業以外の経験によってこそ培われていたようだ。「小池さんはグラビアでは表現力を磨き、バラエティでは間の取り方を学んだそうです。さらに演技を通して様々な人生に触れたことで、人間的な成長もできたといいます。紆余曲折ありながらも、女優業に腰を据えている彼女。主演ももちろん嬉しいのですが、『自分の人生経験を生かせるのは脇役ではないか』とも考えているそうです」(小池の知人)快進撃の続く小池。これからどんな演技を見せてくれるだろうか。
2020年12月02日山田洋次監督が手掛ける、松竹映画100周年の記念作品『キネマの神様』の公開日が2021年4月16日(金)に決定。これまで、主演に決定していた志村けんさんの逝去、新型コロナウイルスによる撮影中断などに直面しつつも、志村さんの代役として沢田研二を迎え再始動した本作から、初の本編映像となる特報映像が解禁となった。今回初めて解禁された映像は、若き日のゴウ(菅田さん)がカチンコを片手に映画製作に奮闘していた頃、北川景子演じる銀幕スター・桂園子が主演する作品を、現在、白髪姿になったゴウ(沢田さん)が懐かしさと寂しさ溢れるまなざしで鑑賞する、という2人の姿が重なるシーンから始まる。映画製作に全身全霊を傾け、夢を追い駆ける若きゴウ。その一方で、妻・淑子(宮本信子)から指摘されるまで思い出せなかったほど、現在のゴウはかつての情熱と輝きを失っていた。この対照的な2人を中心に、ゴウを支える若き日の淑子(永野芽郁)や映写技師のテラシン(野田洋次郎)ら家族・友人たちが映し出されていくエモーショナルな映像だ。かつての映画青年に何があったのか?そしてゴウの人生に起こった奇跡とは?“映画の神様”を信じ続けた男とその家族に起きる奇跡の物語であることが分かる特報に仕上がった。公開日決定に至るまで2020年1月に映画化を発表した山田監督最新作『キネマの神様』は3月1日にクランクイン、撮影を進めていたが、ちょうど半分を撮り終えた3月末にW主演である志村さんが新型コロナウイルスによる肺炎の悪化で逝去。突然の訃報に、山田監督をはじめとするキャスト、スタッフは動揺した。ほどなくして日本政府による緊急事態宣言が発出し、撮影は長期中断を余儀なくされた。この時点で「再開するのは無理だろう」といった声が世間では数多く上がっていたが、この作品を無事完成させることが、志村さんへの一番の供養になると信じた製作陣は、コロナ禍の終息が見えない中、撮影が再開できる日を想像し、志村さんが演じる予定だったゴウのキャスティングを開始。そして、かつて同じ事務所に所属し、先輩後輩同士で非常に仲が良く、「8時だョ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」などの番組、共同のラジオ番組「ジュリけん」やコントなどで志村さんと多く共演した沢田さんが出演を決意。「志村さんのお気持ちを抱き締め、やり遂げる覚悟です」と、志村さんから沢田さんに魂のバトンが渡り再始動した。撮影再開後もコロナ危機と常に隣り合わせで数々の困難があったが、それを一つずつ乗り越え、ようやく公開日が決定。コロナ禍の影響を大きく受けた映画として、コロナ禍に限らず、様々な苦境に立たされた全ての人と一緒に乗り越えたい、そして無事に公開を迎えることで、勇気と希望を与えたい。きっといる“映画の神様“を信じて――。そんな思いが本作には込められている。『キネマの神様』は2021年4月16日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:キネマの神様 2021年4月16日より全国にて公開©︎2021「キネマの神様」製作委員会
2020年12月01日『ザ・ドリフターズ』のメンバーである、仲本工事さん。2020年で79歳を迎え、YouTubeチャンネルを開設したり、Twitterを始めたりと、精力的に活動しています。そんな仲本さんがTwitterで驚きの投稿をし話題に。なんと、80歳を目前にして子供ができたというのです。この歳でまた子供ができました。— 仲本工事 (@nakamoto_koji1) November 25, 2020 これにはファンも衝撃を受け「おめでとうございます」「すごい」と、一時、ネット上が騒然とする事態に。しかし、約12時間後…『笑撃』のオチが明かされたのでした。お騒がせしてすみません。家族になったのは2ヶ月の猫のまる君です。男の子です。 pic.twitter.com/p7cWriNSl3 — 仲本工事 (@nakamoto_koji1) November 25, 2020 そう、仲本さんが『子供』といったのは、生後2か月の子猫、まる君。確かに仲本さんにとっては子供のような存在ですが、『ザ・ドリフターズ』のコントのような展開に、さまざまなコメントが寄せられています。・さすが一流のオチですね!・あり得ない話ではないので驚きましたが、猫も立派な家族には違いありません。・ダメだこりゃ。また、寄せられているコメントの中には、2020年3月に亡くなった『ザ・ドリフターズ』のメンバー、志村けんさんの生まれ変わりでは…というものも。80歳を目前に、子猫の『パパ』になった仲本工事さん。まる君はきっと愛情をたっぷり受け、元気に成長していくのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2020年11月28日●鉄男の情の深さに感銘「僕もそうありたい」あす27日に最終回を迎えるNHK連続テレビ小説『エール』(総合 毎週月~土曜8:00~ほか ※土曜は1週間の振り返り)で、窪田正孝演じる主人公・古山裕一の幼なじみで盟友の村野鉄男役を演じた中村蒼を直撃。幼少期はガキ大将だった鉄男だが、のちに新聞記者を経て作詞家となり、裕一や佐藤久志(山崎育三郎)と共に“福島三羽ガラス”として故郷に錦を飾った。初の朝ドラ出演で、重要な役どころを担った中村は、1年間の完走後、俳優としてどんな景色を見たのだろうか。「福島へ行くと、皆さんが僕のことを『鉄男さん』と呼んで温かく迎えてくださるんです」と笑顔で語る中村。福島三羽ガラスのなかでは、唯一、最後まで福島弁のなまりが強い役どころだ。「福島弁は濁点がけっこうあるのが特徴的で、微濁音の場合もあるし、微妙な違いが難しかったのですが、方言を話すと心がほっこりします」裕一たちから“大将”と呼ばれる鉄男は、一本気で荒々しい性格だが、実は誰よりも情が深く、友達想いな男でもある。シャイで人見知りだという中村は、自身とは真逆だという鉄男役にどう向き合ったのか。中村は鉄男役について、ステレオタイプのガキ大将キャラにはしたくなかったようだ。「“男らしい”とか“一本、筋が通っている”というのが鉄男の第一印象だと思うのですが、彼は家を飛び出し、いろいろな経験を経て新聞記者になってから登場するので、笑顔が少なくてクールなキャラだけではダメだと捉えました。人に信頼される性格だからこそ、急におでん屋の屋台を任されたりもしたのかなと。だから、男らしさだけではなく、人のために行動できる優しい部分や弱い部分など、いろいろな面を見せていけたらいいなと思いました」ただ、おでん屋を演じていた当初は「おでん屋の時期がけっこう長かったので、このまま終わってしまったらどうしようと思ったこともありました」と打ち明け、「当時は、先の台本を読めなかったし、裕一や久志のほうが先に光が当たっていったので、鉄男と同様に、僕自身もコンプレックスを感じていました」と笑う。音楽の豊かさと家族の絆を描く『エール』だが、家族のバックグラウンドとしては、おそらく飲んだくれでDVな父親から逃げ出した鉄男の半生が一番、壮絶だったに違いない。第22週では、生き別れの弟・典男(泉澤祐希)と再会する感動のエピソードも反響が高かったが、中村自身は、家族という関係性をどう捉えたのか。「家族については、良い思い出も悪い思い出も人それぞれにあると思います。一見、簡単そうだけど、とても難しいものかなと。すごく愛し合う家族もいれば、血がつながっているからこそ、家族と呼びたくないと思っている人もいるかもしれない。一言で言い表せないぐらい複雑なのが家族かなと思います」鉄男役を演じたことで、自身の気の持ち方にも変化があったそうだ。「鉄男は、自分が家族を捨てた冷たい人間だという罪悪感を持っていますが、裕一は『鉄男はすごく優しい人間だ』と言ってくれたし、周りの人間もそう思っている。鉄男はすごく情が深いので、僕もそうありたいなと思いました。また、僕は自分のことをネガティブに捉えがちなんですけど、鉄男のように自分ことをちゃんと受け止めてくれる人がいるのなら、そういう人たちのために頑張ろうかなと思うようになりました」●「窪田さん主演の朝ドラに出られてよかった」主演の窪田正孝については「本当に素晴らしい人」と心から称える。「常に自分のことよりも、誰かを引き立たせるために、自分がどう動くべきかということを考えてらっしゃる方。現場での立ち振る舞いや、現場の雰囲気作りも含め、絶妙なバランスを保たれていました」作曲家としての才能があっても、ヘタレで弱虫キャラな裕一だが、実は窪田自身は「すごく男くさい方」だと言う中村。「男三兄弟で育ったそうで、学生時代の話を聞いていても、僕とは全然違いました。でも、僕は別のオーディションで窪田さんとお会いしたことがあるんですが、以前から男らしいイメージは持っていました」常に華を背負ったプリンス、久志役の山崎育三郎については「育さんは、すごく紳士で、みんなに優しい。女性に優しい久志役だからそうなれたと、育さんはおっしゃっていましたが、そうとは思えないほど、普段からそういう振る舞いが身についている印象を受けました。三羽ガラスのなかでは一番年上でしたし、とても冷静で、歌やお芝居が上手なだけではなく、想いを届ける力がすごく強かったので、久志役は育さん以外には考えられなかったです」と、こちらも手放しで絶賛する。和気あいあいとした福島三羽ガラスの共演シーンは、中村自身も楽しんだようだ。「ムードメーカーというか、常に場を和ませてくれたのは窪田さんで、いつも3人の真ん中に立ってくれていた感じがしました。僕は最初に、初めて朝ドラに出られて良かったなと思いましたが、最終的には窪田さん主演の朝ドラに出られて良かったなとつくづく感じました」1年間、同じ役を演じ通した経験は初めてだった中村。「例えば、1カ月で終わる作品だと、瞬発的に役を見せなければいけないのですが、朝ドラだと1年掛けて、鉄男という男のいろんな部分をゆったりと見せていくことができる。また、今回は本当に多彩な人たち、音楽もお芝居もできるような怪物的な人たちと1年間一緒にやってこられたことは、今後の自信にもつながるのかなと思います」●俳優の理想像はたけし&志村さん「存在だけで成立」コロナ禍で一時期は撮影が中断したが、そんななかでいろいろな気付きがあったようだ。「俳優という仕事について、みなさんと話していても不安だという声を聞いたりしましたが、僕自身は充実した2カ月間でした。あまり深く考え込まずにいられたのは、家族の存在も大きかったかなと思います。ただ、『早く現場に行きたい』と思うようにはなっていきました」。それは今までにない経験で、自分自身も驚いたという中村。「どの現場も厳しくて、そこで『用意スタート!』と言われたら、100%の力で走らないといけないし、それができなければきっと振り落とされてしまう。現場に対して、そういうプレッシャーは常にあります。でも、コロナ禍では、早くみんなと会って、一緒にお芝居をしたいと、初めて思いました。その時、自分はやっぱりこの仕事が好きなんだなと再確認した感じです」来年の3月で30歳となる中村。役者として見据える理想像について尋ねると、ドラマ『破獄』(17)で共演経験があるビートたけしと、『エール』で作曲家・小山田耕三を演じた亡き志村けんさんの名前を挙げる。「以前、たけしさんとご一緒した時、その人が立って台詞を言ってくださるだけで、魅入ってしまうというか、満足できるような役者さんってすごいなと思いました。今回志村さんとは、ご一緒できなかったけど、きっと志村さんもそういう存在の方だったのかなと。お芝居での間とか、表情で感動させるというよりは、その人の存在そのものだけで成立してしまう。そこは将来的な理想ですね。僕もいつかそういう役者さんになれるよう、頑張っていきたいです」中村と志村さんの共演シーンは残念ながらなかったが、窪田から志村さんと共演時のエピソードを聞かせてもらったとか。「芸人さんだから、真面目に演技をすることが照れくさかったようで、カットがかかると、恥ずかしげに笑ってらっしゃったそうです。僕は完成した映像しか観ていませんが、やはり志村さんはすごかったですね。音楽界の重鎮として、言葉数少がなくても、座っているだけで説得力がありました」最終週は、ひげをたくわえた晩年の鉄男役を好演した中村。「鏡で見て、変だな、似合ってないなと思いながら、恥ずかしい気持ちで演じました。でも、若い頃は必死にもがいていて、戦争も経てきた鉄男たちが、年老いてからみんなで純粋に音楽を楽しむ姿は、すごく感慨深かったです。それはきっと長く、鉄男役を演じてきたからこそ感じられたものであり、一緒に困難を乗り越えられた共演者たちだからこそ、共有できたものだったかなと。今回、本当にみなさんと一緒にやってこられて良かったし、この経験は何ものにも代えがたい大切なものだと思いました」■プロフィール中村蒼(なかむらあおい)1991年3月4日生まれ、福岡県出身。2006年、寺山修二原作の舞台『田園に死す』で俳優デビューし、2008年には『ひゃくはち』で映画初主演。近年の主な出演作は、ドラマ『悪魔が来りて笛を吹く』(NHK BSプレミアム)、『詐欺の子』『浮世の画家』(NHK)、映画『空飛ぶタイヤ』(18)、『もみの家』(20)など。BS時代劇『赤ひげ3』(毎週金曜20:00~NHK BSプレミアムにて放送中)にて保本登役で出演中。(C)NHK
2020年11月26日「10月29日に全ての撮影が終わりました。クランクアップのときは、二階堂さんが大号泣してしまって。あいさつの言葉を詰まらせるほどでした。主演の窪田正孝さん(32)がそれを温かく見守っていたのが印象的でしたね」(ドラマ関係者)NHK連続テレビ小説『エール』もクライマックスへと近づいてきた――。最終回は11月27日放送で、10月29日にはついにクランクアップ。コロナ禍で困難が多かっただけに、窪田演じる裕一の妻、音役を務めた二階堂ふみ(26)の撮影終了の感動もひときわ大きかったようだ。「もともと、朝ドラの撮影というのはハードなのですが、『エール』は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、例年よりも大変だったと思います。撮影は2カ月半の休止を余儀なくされ放送も一時中断。結果、当初の予定よりも10回短縮になりました。また3月には、出演者の志村けんさんが亡くなられるという悲しい出来事もありました」(前出・ドラマ関係者)現場では、NHKが定めた感染防止のための制作マニュアルを順守して撮影が進められてきた。感染対策の観点から特に『エール』で問題になったことの一つが、出演者たちの“歌唱シーン”の多さ。「大きな声での歌唱は、飛沫感染のリスクが懸念されました。そのため、すべてのシーンではないですが、場合によっては、歌を事前収録して本番は口パクにするなど、コロナ禍前には予定していなかった対応をする必要もありました」(前出・ドラマ関係者)二階堂も歌手を夢見る役のため、随所で歌声を披露してきた。「二階堂さんは公募だったヒロイン役オーディションに自ら希望して参加。事前に自腹でボイストレーニングに通い、撮影中も歌のレッスンは欠かさなかったそうです。並々ならぬ熱意で臨んでいただけに、感染対策に留意しながらの歌唱シーンの撮影はもどかしい部分もあったでしょうが、常に最善を尽くしてきた。クランクアップの号泣にはそういった思いも秘められていたかもしれませんね」(前出・ドラマ関係者)そんな涙のクランクアップから4日後のこと。二階堂が、『第71回NHK紅白歌合戦』の紅組司会を担当することが発表された。そうなると期待してしまうのが、二階堂の“生歌”だ。過去の紅白を振り返ってみても、可能性は十分にある。「’13年の紅白では、紅組司会を務めた綾瀬はるかがNHKの復興ソング『花は咲く』を歌唱。また、その年の朝ドラを紅白で大々的にコーナーとして扱った例として『あまちゃん』があります。宮藤官九郎さんが紅白用に台本を書き上げ、のんをはじめとした出演者がドラマの役柄のままで登場。当時ヒットした劇中歌『潮騒のメモリー』などを歌って、盛り上げました」(スポーツ紙記者)NHK関係者は、二階堂の“生歌”の可能性をこう話す。「なにより今年の紅白のテーマは“今こそ歌おう みんなでエール”ですからね。まず、『エール』コーナーは当然あります」作曲家が主人公であり、歌手やミュージカルで活躍する俳優も多く出演している『エール』は、紅白との親和性は抜群だ、と続ける。「たとえば、山崎育三郎さん(34)による『栄冠は君に輝く』はコーナーに入るでしょう。視聴者の反響が大きかった曲ですからね。あとは薬師丸ひろ子さん(56)。『エール』では賛美歌を歌って話題になりました。『あまちゃん』でも紅白に出演していますし、今回も母娘を演じた二階堂さんを支える意味で、出演を決めるのでは。そして局側としては、やはり女優業一筋だった二階堂さんに“歌手”として、歌ってもらいたい。ただ初司会の負担もありますから、二階堂さん側と相談しながら決めていくことになるでしょう」二階堂が歌う候補として有力なのが、『蒼き空へ』という曲だ。「音の夫・裕一が作ったという設定の曲。劇中では歌への情熱を失いかけていた音が再び前を向く場面で歌われます。二階堂さんの伸びやかな歌声も合わさって、多くの視聴者から感動の声が届きました」(前出・NHK関係者)コロナ禍で苦闘した朝ドラ歌唱撮影への思いを年末に“生歌唱”でリベンジ――。それこそが、日本中への“エール”になる!「女性自身」2020年11月24日号 掲載
2020年11月13日サンリオの人気キャラクター“けろけろけろっぴ”をモチーフにした「けろけろけろっぴファミリードーナツ」が、自然派ドーナツ専門店「フロレスタ」(一部店舗を除く)にて限定発売。販売期間は、2020年11月14日(土)から30日(月)まで。2020年夏に続き、フロレスタから登場する“けろけろけろっぴ”とのコラボレーションドーナツ。“秋”を意識した新作「けろけろけろっぴファミリードーナツ」では、落ち葉と枯れ木をイメージしたこの季節ならではのモチーフをデコレーションしているのが特徴だ。そして今回は、けろっぴはもちろん、お父さん&お母さんも一緒に登場。クリっと丸い瞳がキュートなけろっぴたちのフェイスは、有機抹茶チョコレートで再現。また木の枝をイメージしたカフェラテ味のチョコに、クラッシュした有機アーモンドを組み合わせるなど、フロレスタならではのこだわり素材をふんだんに使用しているのもポイントだ。【詳細】けろけろけろっぴファミリードーナツ 全3種 各450円+税期間:2020年11月14日(土)~30日(月)取り扱い店舗:東北:石巻R45店関東:宇都宮平成通り店、高円寺店、学芸大学店、京王クラウン街笹塚店、保谷駅前店、祖師谷大蔵駅前店、鎌倉店東海:浜松さんじの店関西:奈良本店、堀江店、北花田店、八尾青山通り店、三田ウッディタウン店、須磨キッチン中国:米子店九州:藤崎店、大分店、大分駅上野の森口店、大分大在店沖縄:新都心店※販売期間中、店舗によっては開店直後であっても商品の用意が出来ていない可能性有り。※ドーナツはお店で一つひとつ丁寧に手作りしているため、数に限り有り。※常温/冷凍販売は店舗により異なる。※予約、取り置きなど詳しくは各店舗に要問い合わせ。
2020年11月07日紬織(つむぎおり)の人間国宝・志村ふくみの孫である志村昌司を中心とした京都の染織ブランド・アトリエシムラ(atelier shimura)は、4周年を記念して、色無地(いろむじ)着物の展示販売会を2020年10月30日(金)から11月10日(火)まで、アトリエシムラShop & Gallery 京都本店にて開催する。“色無地”着物を展示販売アトリエシムラの制作の中心である“色無地”は、手織りの特徴が余すところなく表れ、植物から抽出した色の美しさが最も生きる着物。草木染めならではの、繊細な色彩を楽しめる。色無地着物の色のバリエーションは、青藍、銀鼠、桜花、春草色などを用意。月の満ち欠けに沿って藍染を施した青藍色の着物は、肌で自然の神秘を感じられる仕上がり。濃い色味の中にも爽やかさや若々しさを感じられる、凛とした色彩が魅力だ。樫や百日紅などの枝葉、団栗のイガや実の皮、枝葉などから生み出される銀鼠、つまりグレーの着物は、年齢や性別を問わずまとうことのできる、落ち着いた雰囲気が特徴。草木染めから生み出されるグレーのバリエーションは数えきれないほど多く、自分だけのお気に入りのグレーを見つけるのも楽しい。桜だけでなく梅や冬青(そよご)などの幹や枝から染められる桜花色の着物は、優しい色味で、ハレの日にぴったり。品格がありながらも柔らかく、温かみのある雰囲気を演出してくれる。染料から選べる色無地着物の受注販売も展示販売会では、色無地着物や帯、帯揚げといったアイテムを販売する他、色無地着物の受注販売も行う。受注販売では、思い入れのある植物や好みの色、自宅に植わっている植物などを相談した上で染料を選択。さらに、実際に糸を染め、経糸の準備をし、機にかけて織っていく工程も作り手からその都度共有し、着物そのものだけでなく着物になるまでの物語も楽しむことができるようになっている。【詳細】アトリエシムラ4周年―「色への祝祭」色無地着物展示販売会―開催日地:2020年10月30日(金)~11月10日(火) 12:00~18:00定休日:水・木曜日会場:アトリエシムラShop & Gallery 京都本店住所:京都府京都市下京区河原町通四条下ル市之町251-2 壽ビルディング2F・着物 400,000円+税~・帯 120,000円+税~・帯締め 19,000円+税~・帯揚げ 15,000円+税~・受注色無地着物 400,000円+税~ ※藍、緑、紫色は450,000円+税~【問い合わせ先】TEL:075-585-5953
2020年11月02日2020年3月、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の感染による肺炎で亡くなった、志村けんさん。突然の訃報に戸惑い、涙した人は多いでしょう。『志村けん銅像プロジェクト』目標金額2400万円を達成志村さんの故郷でゆかりの地である東京都東村山市は、訃報から約半年が経った同年9月29日より、『志村けんさん銅像プロジェクト』を発足。東村山を全国的に広く知らしめてくれた志村さんへの感謝の想いを込めた銅像を作るべく、クラウドファンディングで支援金を募っていました。クラウドファンディングは支援金が目標金額に達していない場合、受け取ることができない仕組み。同年10月30日が期限日でしたが、なんと同月28日時点で、目標金額である2400万円に到達したというのです!産経ニュースによると、実行委員会はクラウドファンディングを行っていたウェブサイト上に、以下のコメントを掲載しました。「皆さんと一緒にゴールを迎えられたことを嬉しく思っています」「必ず、素晴らしい銅像へと繋げて参ります」産経ニュースーより引用ちなみに、目標を上回った分の支援金は、銅像の維持管理費に充てるそうです。『志村けんさん銅像プロジェクト』のウェブサイトによると、志村さんの銅像は2021年夏頃を目処に、西武線東村山駅東口への設置が予定されています。志村さんのファンからは喜びの声が上がっています。・達成おめでとうございます!自分のことのように嬉しい。完成したら必ず志村さんに会いに行きます!・微力ながら参加させていただきました。志村さんは私たち夫婦にも子供たちにも大きな存在でした。完成を楽しみにしております。・「ありがとう」の気持ちを形にすることができるなんて、夢のような企画でした!「東村山に行けば志村さんに会える」と思うと、本当に嬉しいです。東村山市民やファンの感謝の気持ちが込められた志村さんの銅像は、何十年、何百年と歴史を刻んでいくことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年10月29日華々しいステージで大勢のファンに囲まれながら迎えるはずだった記念イヤーを、消し流したコロナの“荒波”。無念の決意に至るまでと、そこからの再起を語るーー。「デビューして50年、68歳の今がいちばん高い音が出せるんです。歌うことが本当に楽しくって」可憐な黒のフレアスカートに鮮やかな緑のパンプス姿で、颯爽と現れた小柳ルミ子さん(68)。’70年に宝塚音楽学校を首席卒業し、NHK連続テレビ小説『虹』で女優デビュー。翌年『わたしの城下町』で歌手としても国民的人気を得て、今年、50周年を迎えた。9月には、半世紀の生きざまや美についてつづった著書『もう68歳と思うのか、まだ68歳と考えるのか』(徳間書店)を出版。だが、今年のコロナ禍で、実は「芸能界引退」も決意していたという。「芸能人生で初めて、4カ月間、仕事がまったくなくなり、ずっと自粛生活をしていました。私たちは仕事をいただけることで表現の場が持てます。いわば“他力まかせ”。仕事への情熱はあるけれど、自分ではどうにもできないもどかしさを感じていました」志村けんさん(享年70)のコロナ感染死にも衝撃を受けた。一緒に夫婦コントも演じた志村さんは、小柳さんが18歳のときに出会って以来、尊敬できる友達だった。ショックを引きずったまま迎えた4月25日。デビュー50周年のこの日に予定されていた記念イベントも中止になったことが、小柳さんの傷心に追い打ちをかける。「歌、踊り、芝居と、幼少から培ってきた芸事が、すべてゼロになってしまったようで……。コロナ禍の芸能界でも、必要とされている人は仕事をしている。だから、つらかった。『私には存在価値はない』と感じて」そう語る小柳さんの目からは、こらえきれず大粒の涙が。7月半ば、4カ月ぶりに入ったラジオの仕事で、小柳さんは「引退」の言葉を口にする。「ブログやインスタグラムもやっていますが、ラジオで、自分の声で引退を考えていると話しました。ファンの方に向けて、ズルズルと自分の心に嘘をつきたくなかった」ところが、その告白から2日後、決意が大転換する“奇跡”が。小柳さんのブログにファンから、「サザンオールスターズの桑田佳祐さん(64)が『週刊文春』の連載コラムで、小柳さんのことを《最強の歌姫》といっている」というコメントが寄せられたのだ。「すぐに、コンビニに雑誌を買いに走りました。記事を読んで、その内容に涙と震えが止まらなくなって。家のソファで雑誌を握りしめて号泣しました」桑田は《歌がうまい》《エロい》《踊りが上手い》《芝居が上手い》《脱げる》と絶賛。そのうえで《彼女を「最強」たらしめる、同じ条件を備えたエンターテイナーは、世界を見渡しても、あのマドンナか、レディー・ガガしかいない》と評していた。この思いがけない“贈りもの”を、小柳さんは何度も読み返したという。「日本の宝である唯一無二のアーティストが、“小柳ルミ子”をこれほど分析してくださって……。50年間やってきたこと、私自身のキャラクターや存在をこんなに誇らしく思ったことはありません」「今も思い出すと涙があふれる」と、その言葉どおり、温かい涙を流しながら語る小柳さん。「コロナ禍で失っていた自信を取り戻す光でした。もし、この記事が出るのが1週間遅れていたら、私は今、ここにはいません」そして引退発言を撤回。「桑田さんは本当に“小柳ルミ子”の命の恩人です」その後、芸能生活50周年を祝う花とカードも送られてきた。「富士山とともに満開の花が咲いていて。桑田さんが選んでくれたこのカードにも、私は勝手に(応援の)意味があると思っているんです。“お守り”として、いつも持ち歩いています」そう、少女のような笑顔を見せた小柳さん。おかげで自分自身を「再発見できた」とも。「私は3歳から、歌、バレエ、ジャズダンス、タップダンス、ピアノ、三味線、書道……と、さまざまな芸事と向き合い、身につけ、鍛えてきました。そのうえで少なくない数のヒット曲を生み出し、踊りも芝居も評価していただけた。そんな自分を桑田さんは見てくれていた。それならば私だって、自分自身を褒めてあげていいんだって思うことができたんです」小柳さんはすぐにボイストレーニングを再開した。「ずっと歌っていなかったので、最初はぜんぜん声が出ませんでした。でも、信頼するボイストレーナーの向井(浩二)君のおかげで、レッスンするうちに、どんどん声も自信も取り戻せたんです」つらい時期を過ごし、引退まで考えたからこそ、小柳さんは今、歌う喜びを実感している。「数カ月間ずっと歌うことにも後ろ向きになっていました。でも週に2回のレッスンで、体も精神も筋肉も脳も、そして声も活性化して蘇ってきた感じです。今まで、出なかった地の声が出て、ファルセットも楽に出るようになりました。68歳になっても、トレーニングすれば声も体も応えてくれる。それがうれしくて、モチベーションも上がっています」デビュー50年にして、新たな意識も芽生えた。「これまで私はファンのため、スタッフのため、そして親のために歌ってきました。でも今、人生で初めて、自分のために歌っても、許してもらえるかなって。私が、私のために楽しんで歌う歌を、皆さんもよかったら聴いてねって。そう思えるんです。これからも歌に、芝居に、ダンスに、艶っぽい“小柳ルミ子”を貫きます!」「女性自身」2020年11月3日号 掲載
2020年10月23日「デビューして50年、68歳の今がいちばん高い音が出せるんです。歌うことが本当に楽しくって」可憐な黒のフレアスカートに鮮やかな緑のパンプス姿で、颯爽と現れた小柳ルミ子さん(68)。’70年に宝塚音楽学校を首席卒業し、NHK連続テレビ小説『虹』で女優デビュー。翌年『わたしの城下町』で歌手としても国民的人気を得て、今年、50周年を迎えた。9月には、半世紀の生きざまや美についてつづった著書『もう68歳と思うのか、まだ68歳と考えるのか』(徳間書店)を出版。だが、今年のコロナ禍で、実は「芸能界引退」も決意していたという。「この半年、私は地獄と天国を味わった気がします」と、その経緯を語ってくれた。「芸能人生で初めて、4カ月間、仕事がまったくなくなり、ずっと自粛生活をしていました。私たちは仕事をいただけることで表現の場が持てます。いわば“他力まかせ”。仕事への情熱はあるけれど、自分ではどうにもできないもどかしさを感じていました」志村けんさん(享年70)のコロナ感染死にも衝撃を受けた。一緒に夫婦コントも演じた志村さんは、小柳さんが18歳のときに出会って以来、尊敬できる友達だった。「3〜4日間ずっと泣きっぱなしでした。私のコンサートに前座として出てもらってから50年、たくさん相談にも乗ってくれたけんちゃんが、隔離され、意識を失ったまま亡くなってしまった……。悔しかったろうなって」そう言うと下を向き、目頭を拭いながら、こう続けた。「けんちゃんはきっと最高の医療態勢で診てもらったはず。それなのに……。コロナが憎いと思うと同時に、本当に恐ろしいウイルスなんだと打ちのめされました」ショックを引きずったまま迎えた4月25日。デビュー50周年のこの日に予定されていた記念イベントも中止になったことが、小柳さんの傷心に追い打ちをかける。「歌、踊り、芝居と、幼少から培ってきた芸事が、すべてゼロになってしまったようで……。コロナ禍の芸能界でも、必要とされている人は仕事をしている。だから、つらかった。『私には存在価値はない』と感じて」そう語る小柳さんの目からは、こらえきれず大粒の涙が。このころはよく、天国の両親や愛犬と“会話”していたという。「私に歌手の夢を託した母に、『私、やめようと思うんだけど、どう?』と。すると、『いいよ、ルミ子の好きなようにしなさい。もう頑張らなくていいのよ』と“言う”んです。私を責任感の強い人間に育ててくれた母が。私は独りで身軽なので、引退して迷惑をかける人もいません。仕事がないのに事務所に所属していることも耐えられなかった」そして7月2日、68歳の誕生日に大きな決断を下す。「バースデーイベントもキャンセルに……もう、潮時だな、と」そのときを振り返り、一つ一つの言葉を、じっくりかみしめる。「私にはもうポジションがない……そのことをやっと認めたというか。これは私の運命。仕方ない。芸能界から身を引こう」7月半ば、4カ月ぶりに入ったラジオの仕事で、小柳さんは「引退」の言葉を口にした。「ブログやインスタグラムもやっていますが、ラジオで、自分の声で引退を考えていると話しました。ファンの方に向けて、ズルズルと自分の心に嘘をつきたくなかった」突然の告白に、マネージャーをはじめ、まわりは慌てた。「でも引退は、とことん考えた結論。ガマンしてガマンして、ゆっくりと膨らんでいった風船が、極限になり割れる感じでした」ところが、その告白から2日後、決意が大転換する“奇跡”が。小柳さんのブログにファンから、「サザンオールスターズの桑田佳祐さん(64)が『週刊文春』の連載コラムで、小柳さんのことを《最強の歌姫》といっている」というコメントが寄せられたのだ。「すぐに、コンビニに雑誌を買いに走りました。記事を読んで、その内容に涙と震えが止まらなくなって。家のソファで雑誌を握りしめて号泣しました」「今も思い出すと涙があふれる」と、その言葉どおり、温かい涙を流しながら語る小柳さん。そして引退発言を撤回。「コロナ禍で失っていた自信を取り戻す光でした。もし、この記事が出るのが1週間遅れていたら、私は今、ここにはいません」「女性自身」2020年11月3日号 掲載
2020年10月23日沢田研二と菅田将暉がW主演を務める、映画『キネマの神様』(2021年公開予定)のキャラクターポスターが9日、公開された。本作は、小説家・原田マハの同名小説を原作に、「松竹映画100周年記念作品」として山田洋次監督がメガホンを握る。ギャンブル漬けで借金まみれのゴウ(沢田研二)は妻の淑子(宮本信子)と娘の歩にも見放されたダメ親父だが、たった一つ「映画」を愛していた。 若き日のゴウ(菅田将暉)は助監督として撮影に明け暮れる傍ら、食堂の娘・淑子(永野芽郁)に恋をし、映写技師・テラシンとともに夢を語らい、青春の日々を駆け抜けていた。しかしゴウは初監督作品『キネマの神様』の撮影初日に転落事故で大怪我をし、その作品は幻となってしまう。半世紀後の2020年、『キネマの神様』の脚本が出てきたことで、沈みかけていたゴウとその家族は再び動き始める。新たに公開されたビジュアルでは、故・志村けんさんの遺志を継いだ沢田が演じるゴウ、菅田が演じる若き日のゴウ、宮本信子演じるゴウの妻・淑子、永野芽郁演じる若き日の淑子の姿が映し出された。穏やかなまなざしを見せる主人公のゴウと、カチンコを片手に映画制作に全身全霊を傾ける若き日のゴウが対比されており、ゴウの妻・淑子の愛情あふれる笑顔が印象的となっている。
2020年10月09日新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で、2020年3月に亡くなったタレントの志村けんさん。同年9月26日には、志村さんの冠番組である、16年半続いたバラエティ番組『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が最終回を迎え、後続として『I LOVE みんなのどうぶつ園』(日本テレビ系)がスタートしました。MCは、前番組に飼育係として出演していた、アイドルグループ『嵐』の相葉雅紀さん。同年10月3日の初回放送では、相葉さんが遺された志村さんの愛犬に会いに行き、反響が上がっています。衰弱した愛犬を救ったハウスキーパーの一家『天才!志村どうぶつ園』に出演したことがきっかけとなり、志村さんと暮らすことになった柴犬の『殿くん』と、ゴールデン・レトリバーの『チロくん』。新番組を始めるにあたって、愛犬2匹のことが気になっていた相葉さんは、志村さんの自宅で働いていたハウスキーパーの1人である女性に会いに行きました。部屋の片付けや愛犬たちの世話をして、家族ぐるみで志村さんと交流をしていた女性。彼女によると、殿くんは繊細で警戒心が強く、チロくんは自由奔放で独占欲が強いタイプとのこと。そのため志村さんが入院すると、殿くんは生きる気力を失って衰弱してしまったそうです。志村さんを想い続けた殿くん保健所や医療関係者の指導の元、室内の消毒は済ませていたのですが、女性は念のため志村さんが最後までいた寝室のみ締め切っていました。しかしある日、一瞬のすきを見て殿くんが志村さんの寝室に侵入。除菌洗浄されている布団のにおいをかいで何かを察し、ごはんと水を拒絶するようになってしまいます。女性が獣医に相談すると、「志村さんについて行くつもりなのかもしれませんね…」と覚悟するようにいわれてしまいました。愛犬の心を動かした子供たち散歩にも行かない殿くん。すると、女性の息子さんたちが遊びに誘いにやってくるようになります。イラ立った殿くんにかまれそうになりながらも根気よく遊びに誘い続けると、殿くんは徐々に回復。女性は「自分は家政婦の1人。殿くんを引き取ってもいいものか」と思うようになりますが、そんな悩みは無用でした。志村さんの所属事務所の人々が背中を押してくれたため、一家は殿くんを引き取ることができたのです。相葉さんは殿くんと対面すると、自身の腕前を発揮しトリミングすることに。サッパリとした殿君をなでながら、次のようにいいました。長生きするんだよ。園長が見守ってるから、絶対。I LOVE みんなのどうぶつ園ーより引用殿くんと女性一家のエピソードに、多くの人が胸を打たれました。・殿くん、いい人に引き取られて本当によかった!・志村さんもきっと、天国から心配していただろうな…。・めっちゃ泣いた。いっぱい食べて長生きしてほしい。・子供たちって不思議なパワーをもっていますよね。ありがとう!温かな家庭で暮らしている殿くん。さびしさはなかなか消えないものですが、殿くんも今では志村さんの笑顔を胸に日々を過ごしていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年10月04日タレントのベッキーさんが、2020年9月27日にインスタグラムを更新。同年3月29日に新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなったタレント・志村けん(しむら・けん)さんの冠番組『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が最終回を迎えたことに関連して、思い出の写真を投稿しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る たくさんの素敵な経験を、本当にありがとうございました! Becky ベッキー (@becky_dayo)がシェアした投稿 - 2020年 9月月26日午後8時35分PDTベッキーさんは2006年3月に同番組に出演。パンダの赤ちゃんを育てる企画に挑戦し、仲よく遊んだり、お昼寝したりと5匹のパンダのママとしての役目を果たしていました。投稿で、ベッキーさんは「たくさんの素敵な経験を、本当にありがとうございました!」とつづり、番組に感謝。するとファンは「懐かしくて涙が出そう」「終わってほしくないよ」と番組終了を悲しむ声を寄せています。・この放送でベッキーが好きになった。また番組に戻ってきてほしかった。・懐かしいね。いっぱい笑顔をありがとう。・かわいくて、面白くて、ずっと見てました。番組が終わってしまって悲しいです。番組は終わってしまいましたが、ベッキーさんの幸せそうな笑顔は多くの人の心に残っているようです。そして、2020年10月3日からは志村けんさんの思いを受け継ぎ、嵐の相葉雅紀(あいば・まさき)さんがMCを務める番組『ILOVEみんなのどうぶつ園』(日本テレビ系)がスタートします。新番組で、ベッキーさんが再び動物と触れ合う姿が見られたら嬉しいですね。ベッキーのインスタには笑顔になれる写真がいっぱい!ベッキーさんのインスタグラムには、自然と笑顔になってしまうような写真がたくさん投稿されています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram A post shared by Becky ベッキー (@becky_dayo) on Nov 22, 2019 at 11:44pm PST この投稿をInstagramで見る ドアップすみません。 最高な友だちが、びっくりなサプライズしてくれて、感動した夜がありました。 『頼ってね。』ってなんて心強い言葉だろう。 デザートで出てきたお花をおでこに貼って、さらに花びら1枚ずつ、上唇&下唇に貼り付けてます。 “装苑”みたいな雰囲気を目指して友達が写真撮ってくれたけど、程遠い。 ざんねん。 Becky ベッキー (@becky_dayo)がシェアした投稿 - 2020年 2月月7日午前3時54分PST この投稿をInstagramで見る 2019年! 仕事納めしました! 仕事初めは12時間後 今年もたくさんの方々に支えていただき、チカラをいただいた1年でした。 どの瞬間を切り取っても誰かが助けてくれていたように思います。 本当にありがとうございます。 来年も充実した年になりますように! それでは! 良いお年を!! Becky ベッキー (@becky_dayo)がシェアした投稿 - 2019年12月月31日午前1時08分PST この投稿をInstagramで見る マリンスポーツ女子って、もっと可愛い感じなイメージだったけど、これはこれは残念な結果に。 でも理想的な唇を手に入れた。 #Becky #Sexy Becky ベッキー (@becky_dayo)がシェアした投稿 - 2019年 7月月13日午前1時34分PDT この投稿をInstagramで見る こないだのオフ。 イタグレのパピーたちかわいい。 やはりオフは必要だな、私は。 しっかりと必要。 “やらなきゃいけないこと” を消化したあとにやっと “やりたいこと” ができますもんね。 短いオフだと前者だけになってしまう。 いいバランスでいきたい。 みなさま、素敵な春休みを! Becky ベッキー (@becky_dayo)がシェアした投稿 - 2019年 3月月20日午後6時49分PDT遊びも仕事も全力で楽しむベッキーさんの姿を見ていると、こちらまで明るい気持ちになりますね。ベッキーってどんな人?ベッキーさんは子供向けバラエティ番組『おはスタ』(テレビ東京系)に、『おはガール』として出演。以降、数多くのバラエティ番組やトーク番組に出演し、その人気を不動のものとします。タレントとして活躍する一方、2009年には『ベッキー♪♯』名義で歌手としての活動もスタート。2019年1月にはプロ野球チーム『読売ジャイアンツ』の片岡治大(かたおか・やすゆき)コーチと結婚し、2020年に第1子の出産を報告しています。現在は1児の母でもあるベッキーさんの活躍からますます目が離せません!ベッキーの現在は?川谷絵音との不倫を経て、結婚へ[文・構成/grape編集部]
2020年09月28日新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の流行にともない、豊作や疫病などを予言したとされる妖怪『アマビエ』が注目を集めました。日本ではネット上にアマビエのイラストやハンドメイド作品を公開し、「コロナウイルスが終息してほしい」と願う人が続出。歌手の研ナオコさんもその1人です。研さんは、なんと自らアマビエのコスプレをして、その写真をTwitterに投稿。コロナ撃退のためにはここまでやらねば #アマビエチャレンジ #アマビエ様 #ウイルス対策 #コロナウイルス #DIY #amabie #研ナオコ pic.twitter.com/mwFAFx4k4n — 研ナオコ (@naokoken77) March 23, 2020 研さんのユーモラスな行動は反響を呼び、多くの人を笑顔にしました。研ナオコ「ウイルス撃退のためにはここまでやらねば」アマビエ姿に腹筋崩壊研ナオコが『アマビエ』に扮した理由を明かす同年9月16日に放送されたトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に、ゲスト出演した研さん。番組内で、アマビエのコスプレに関する裏話を明かしました。研さんは、アマビエの衣装について家族で手作りしたことを説明。さらに、コスプレに至ったきっかけが、同年3月にコロナウイルスによる肺炎で亡くなった、お笑いタレントの志村けんさんだったことを語ったのです。(志村さんが)入院したっていう話がすぐ耳に入ってきて。コロナの陽性が出ちゃった、って。それでアマビエやったんです。これじゃなきゃダメだ、私がやんなきゃダメだって思ってやったんですけど。それもダメでしたねぇ…。徹子の部屋ーより引用50年近く親交のあった、研さんと志村さん。研さんは、自らアマビエの衣装に身を包むことで、入院している志村さんの無事を祈ったのでした。番組のMCを務める黒柳徹子さんから「訃報を聞いた時は悲しかったでしょう」と尋ねられた研さんは、涙ぐみながら「言葉にならなくて、どうしたらいいか分からなかった」と振り返ります。さらに、志村さんの人柄について、こう語りました。とてもシャイでね、お仕事に関してはとても真面目で。どちらかというと、私はコメディアンというより、役者さんという感覚でいたんですよね。すごい方だなぁと思って。私はもう一緒に仕事をさせていただいて、とっても幸せだったし、勉強をさせていただいたなって。徹子の部屋ーより引用最後に会ったのが、バラエティ番組『志村けんのバカ殿様』の収録だったことを明かした研さん。「まさかそれが最後になるとは思わなかったんですよ」と、さびしさをにじませました。【ネットの声】・あのコスプレは、ほかの誰でもない、志村さんのためだったんだ…。・最初にアマビエのコスプレを見た時は笑っていたのに、今は泣けてくる。・「コメディアンというより役者として見ていた」という言葉に、志村さんへの深いリスペクトを感じた。研さんと志村さんの深い絆が伝わってくるエピソードですね。きっと研さんの想いは、志村さんにも届いていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年09月18日こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言』にお付き合いください。コロナ報道の漢字とカタカナ新型コロナウイルスが、社会経済活動や日常生活を脅かし、世界の感染者も減るどころか増え続け、各国の感染者数や死亡者数が毎日報道されています。テレビやラジオでは、アナウンサーの音声でその報道を耳目にするので余り気になりませんが、新聞や週刊誌などでは、漢字やカタカナの文字数によって、かなり紙面の表情が違って見えます。新型コロナウイルスが主役になってから、それは当然のことなのでしょうが、漢字やカタカナの文字が、先ず目に飛び込んで来るのです。志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなられてから『感染』という文字が俄然増えました。新聞、雑誌のみならず、メールやツイートの漢字にもその影響が見られます。※ 写真はイメージ思いつくままに、それらの『漢字』を拾ってみますと、中国、武漢、新型肺炎、感染、病院、入院、免疫、不安、心配、恐怖、蔓延、逼迫、看護、医療従事者、三密、倒産、閉店、厚生労働省、西村経済再生大臣、小池東京都知事… 毎日目にしない日はありません。一方、カタカナですが、ウイルス、マスク、パンデミック、ロックダウン、アラート、カラオケ、クラスター、キャンセル、ソーシャルディスタンス、フェイスシールド、オンライン、テレワーク、リモート、ワクチン、それに、アメリカ、ブラジル、ロシア、インド、南アフリカなど感染者の多い国です。※ 写真はイメージ毎日の報道紙面のみならず、日頃のメールやツイートにも恐怖、心配、不安などの目が疲れ 肩の凝る漢字やカタカナが減少し、新型コロナウイルスが現れなかった頃の穏やかな表現に早く戻って欲しいと、老アナウンサーは願っております。<2020年9月>フリーアナウンサー押阪 忍1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2020年現在、アナウンサー生活62年。日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。
2020年09月18日長年連れ添い、紆余曲折を経ながら、最後は「夫を介護する」という試練と向き合うことになった妻たち。そのとき、夫に何を思うのか。きれいごとだけでは片づけられない複雑な思いを超え、見えてきた「夫婦って何?」の答えに、耳を傾けましたーー。■加藤綾菜さん(32・タレント)/夫は加藤茶(77)「これから先、彼に何があっても動じることなく、私がサポートしたいと思いました」そう語るのは、加藤茶夫人として自然体で夫に尽くす姿が共感を呼ぶ加藤綾菜さん。綾菜さんは短期大学進学時に広島から上京。’09年、六本木の割烹料理店でアルバイトをしていた19歳のとき、来店した茶さんに気に入られ、交際を経て’11年6月に入籍。「世間の反応を覚悟のうえで、責任を感じて入籍してくれた彼には感謝しています」というが、結婚当初は45歳年下というだけで綾菜さんへの風当たりは相当なものだった。そんなさなかの’15年、茶さんは『鶴瓶の家族に乾杯』(NHK総合)のロケの夜に倒れ、そのまま入院、闘病生活を余儀なくされる。診断結果はパーキンソン症候群という大病。しかし、手が震え、スプーンもまともに持てなかったという茶さんに、献身的に寄り添い、看病する綾菜さんの姿が報じられると、世間の目は次第に変化していった。「あのころは絶対に彼を死なせたくないという使命感に燃えていました。主治医の先生からは『回復は難しいでしょう』といわれましたが、結婚して数年しかたっていないのに、という思いがありましたし、生命の力を信じる心が強かったんです。『彼の大好きな仕事に復帰して舞台に立ってほしい』と、そればかり願っていました」この後、茶さんは奇跡的に回復、舞台にも復帰を果たした。「退院時に『1年後、舞台に立とうね』という目標を立て、『今日は5分歩けたから、明日は6分を目指そう』とか、地道なリハビリに励みました」復帰を果たしたものの、茶さんの年齢を考えると、いつ何があるかわからない。そう考えた綾菜さんは、ついに昨年から実践的な介護の知識を得ようと専門学校へ入学。130時間の研修を受け、この5月には幅広い分野でヘルパーができる介護職員初任者研修の筆記試験に合格した。合格を報告すると、茶さんも「とても安心だよ。ありがとう」と喜んでくれた。現在、介護福祉士を目指してさらに研鑽を積む日々を送っている綾菜さん。学ぶほどに介護の奥深さを痛感するという。「生半可な世界ではありません。学ぶことと、現場で実践するのでは大違いでした。重度の認知症の方は歯磨きの介助で口を開けていただくことも容易ではない。介護の本当の大変さをまだ私は理解していない。そう感じてどこかの施設で職員として働きたいと願っていたら、受け入れていただける先があったんですよ」そう目を輝かせる綾菜さんだが、7月に入職できるはずが、コロナ禍で延期に。それまでの間に大学の通信教育も開始したが、茶さんの食事作りを怠らない綾菜さんの一日は、それだけで十分忙しい。「出かけるときに彼の食事を冷蔵庫に入れるのはダメなんです。彼は『お皿がいっぱいあって、どれを食べたらいいかわからなかった』と食べずに過ごしてしまう。だから作ったらキッチンに置いて、保冷剤をたくさん載せて。お皿はそのまま置いておいてもらえばどれだけ減ったかわかります」綾菜さんにとって介護の修業も大事だが、あくまで“加トちゃんファースト”がモットー。この気持ちが強くなった要因には、志村けんさんの急逝もあった。「命には限りがある。一緒に過ごせる時間の大切さ」を痛感したという。「彼は当初、とても落ち込んでご飯も食べられない状態でした。最近は少し元気を取り戻して、ご飯も1膳ぐらいなら食べられるようになったので、彼が生きていられるだけでありがたいと思うようになりました。結婚当初は彼が女の人とラインをしていることにヤキモチやいたり喧嘩したりしたけど、いまは朝、笑顔で『おはよう』っていえることがうれしい。彼が一日でも長く芸人として舞台に立てるように生活すべてを支えるのが私の役割と思っています」綾菜さんは「ザ・ドリフターズで育った世代」とはいえないが、いまも昼夜ネタ作りに余念のない茶さんを見ているだけでも、そのすごさは伝わってくるそう。「支えがいがあるし、彼を支えられることに感謝ですね」9年間のなかで「子どもがいなくてかわいそう」「悩んでいるんだろうね」などといわれたこともあったが、綾菜さんは夫婦2人きりの幸せを満喫しようと思っている。「どんな夫婦にも悩みごとはあるはずだし、どうしようもないことはあまり悩まないことにしているんです。いまは2人の時間があることに感謝。お互いを思いやって残りの人生を一緒に過ごすことが、ただひとつの願いですね」「女性自身」2020年9月15日 掲載
2020年09月09日「弟は独身でしたからね。私たち兄弟の両親も眠っている、本家の墓に入りました。新盆にあたる8月15日に、私たちもお墓参りに行ってきましたよ」8月下旬、庭木の水やりの手を止めて、取材に応じてくれたのは、志村けんさん(享年70)の実兄・志村知之さん。3月に新型コロナウイルスによる肺炎で志村さんが亡くなってから5カ月。8月22日には、『24時間テレビ』(日本テレビ系)で、追悼ドラマ『誰も知らない志村けん―残してくれた最後のメッセージ―』が放映された。テレビ局関係者は言う。「実際の映像を交えながら、人気番組『天才!志村どうぶつ園』が誕生するまでを、ドラマで描きました。視聴率は22.6%と、かなり好調だったのですが、SNS上などで批判する人たちも少なくなかったのです」声の一部を紹介すると――。《志村けん…またテレビ局は障がい者とか死んだ人で金儲けしようとしてるんか…》《志村けん死んですぐ特番ドラマの題材にする24時間テレビというか日テレの下品っぷり、あまりにもイメージどおりすぎる》《追悼というよりは死者を食いものにしてる感じがしますね》批判の多くが、志村さんの逝去から日がまだ浅いことを理由にしていた。実は、遺族である知之さんも、そういった声があることは知っていたという。知之さんが続ける。「ドラマが制作されることもずいぶん前から知っていましたし、放映に反対の声を上げている人たちがいることも存じています。私もドラマを見ましたが、子供のころのエピソードとか、弟のずいぶん細かいところまで調べてくれて作ってくれたんだなぁと、うれしくなりました。《志村けんさんに対して失礼でないのか》といった声もあるようですが、私はそうは思いませんでした。きっと多くのファンの人たちも喜んでくれたのではないでしょうか。遺族としては、亡くなって5カ月もたつのに、弟をいまも覚えてくれていて、こういったドラマを作ってくれて、ありがたいと思いました」知之さんは目に光るものを浮かべながら、最後に亡き弟をこう偲んだ。「コロナのせいで、きちんとお別れできなかったからでしょうか。5カ月もたつのに、まだ弟が逝ってしまったことが、どこか信じられないんです。ばったり弟と会うこともあるんじゃないか、そんな思いが消えません。」「女性自身」2020年9月15日号 掲載
2020年09月04日「志村けんさんが亡くなられたのはニュースで知りました」静かな口調でそう話してくれたのは、津軽三味線奏者の上妻宏光さん(47)。上妻さんは、3月末に亡くなった志村けんさん(享年70)の三味線の“師匠”だ。「最後にお会いしたのが去年の夏。7月か8月頃でした。『志村魂』という志村さんの舞台の稽古です。舞台で演奏する際のアドバイスや、曲に関しての話をしました。そのときは、志村さんは前後にお芝居やコントの打ち合わせも入っていて、長くお話をするような状況ではなかったので、舞台の打ち合わせを淡々として。その後も、舞台に関してメールのやりとりをしたりもしましたが、お会いしたのはそのときが最後になりました」志村さんとは16年の仲。上妻さんが志村さんのラジオ番組にゲスト出演し、のちに志村さんから“弟子入り志願”。志村さんが力を入れていた舞台『志村魂』のために三味線を指導、2016年には「キリン 氷結」のCMで共演するなど交流を重ねてきた。「僕が志村さんとお付き合いを始めた頃っていうのは、まだ『志村魂』を始められる前でした。『ゆくゆくはテレビじゃなくて舞台で、生の空気感でお客さんと対面しながらやる一座を組むのが夢なんだよ。それは絶対にやりたいんだ。そのどこかの部分でこの三味線が披露できたらいいんで、そのときはぜひ協力してください』という話だったんですね。それが僕と出会ったときの、志村さんの一つの大きい夢でした」志村さんがどうしても上妻さんに弟子入りしたいと希望した理由の一つが、上妻さんのオリジナル曲『紙の舞』だ。この曲を弾けるようになりたい、と切望していたという。「志村さんが『紙の舞』を気に入られたのは、古典の音楽にないような表現やメロディのためではないでしょうか。リズムも一定ではなく変化する曲です。志村さんは“いろんなイメージをかき立てられる、情景を思い浮かべることができる曲”というようなことをおっしゃっていましたね」上妻さんいわく、「『紙の舞』は、情緒的で、儚さ、切なさを感じさせる曲」。儚い、もの悲しいメロディが志村さんの好みに合ったのではないか、と言う。「『風林火山』という曲も志村さんはお好きでした。ダンス系の曲や昔のブルース、ジャズ、フュージョンなど、いろいろな音楽を聞かれていましたけど、三味線の曲でいうともの悲しい感じのものが好みだったのかもしれませんね」『紙の舞』の稽古のときは、こんなやりとりをしたという。「“突然風が吹いて、紙が舞い、自然に廻っていく。紙が廻ってきたなと思うと、風がなくなるとひらひらと落ちてくる。そんなイメージで作った曲です”。このようなことを伝えたら、志村さんはそれをイメージして演奏されるようになりました。“ああ落ちていくんだな”というイメージがあると表現しやすいんですよね。飲んでいる席でも、『曲のあの部分はどういうイメージですか。高揚していく感じ、広がっていく感じですかね』なんておっしゃっていましたね。そういうのをもとに演奏してくれたのかなと思います」志村さんとの思い出が、師匠である上妻さんの“芸”にも影響を与えているようだ。「三味線をすごく愛してくれて、僕の曲を、音をすごく愛してくれた方なので、志村さんの思いというものを背負いながら三味線を演奏していきたいと思いますし、天国で聴いて喜んでもらえるような曲を作って頑張っていきたいと思います」上妻さんはこの3月、自身の原点・津軽五大民謡の演奏を収録したアルバム『TSUGARU』をリリース。また同時に、矢野顕子とのコラボレーションユニット「やのとあがつま」としてもアルバムをリリースするなど、伝統と革新、双方向から精力的に津軽三味線の可能性を追求し続けている。9月5日からはソロデビュー20周年を記念したツアー・上妻宏光「生一丁!」Tour 2020-2021“伝統と革新”がスタート。志村さんも、きっと天国から“師匠”の演奏をご覧になるだろう――。
2020年08月25日「志村さんが僕のことを“先生”とか“師匠”と呼んでくださったりしていたので、一緒に飲みに行ったりすると『あの志村さんが師匠と言うんだから』と周りの人から気を使われ、困りました(笑)。実は志村さんは人から指導を受けるのがあまり好きではなかったらしく、珍しいことだったようです」そう神妙に語るのは、故・志村けんさん(享年70)の津軽三味線の“師匠”上妻宏光さん(47)だ。今年3月に急逝した志村さん。8月22日に放送される『24時間テレビ』(日本テレビ系)でも志村さんを題材にしたドラマが企画されるなど、志村さんの生きざまが改めて人々を引きつけている――。《ライブに参加したり、CMで共演したり、僕の演奏をCDに収録していただいたり色々な事がありました。(中略)上妻師匠にはとても感謝しております。ありがとうございます。今後ともご指導宜しくお願い致します》志村さんが逝去する約1カ月前の2月に、ソロデビュー20周年を迎えた上妻さん。志村さんからはこんなお祝いのメッセージが贈られていた。当時を思い出し、上妻さんはそっと目頭を押さえる。「最後に直接お会いしたのは昨夏、舞台『志村魂』の稽古でした……」2人の付き合いは16年前から。志村さんのラジオ番組に上妻さんが出演したのがきっかけだった。「実は、お会いしたのはそのときが最初じゃないんです。子どものときに、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)の特番にいろいろな特技を持った20人くらいの子どもが出演したことがあって。僕も三味線で出たんですよ。ご縁があったんですね」以前から志村さんは上妻さんのCDを持っていたそうだ。ラジオ番組で共演した際、上妻さんは自ら作曲した『紙の舞』をリクエストされ、披露。放送終了後に、志村さんから「この後、どうですか?」と食事に誘われたという。「そのとき『三味線やりたいんだよね』とお話しされていたんです。僕は弟子をとらないので『よかったらどなたか紹介しますよ』と伝えたのですが、『いやあ、『紙の舞』を演奏したいからなぁ……』と。ただ、お酒の席でしたし、本気ではないだろうなと思っていたんです。しばらくして、今度は志村さんのテレビ番組のゲストに呼んでいただいて、その収録後に『本当に三味線をやりたいので、連絡先を交換しませんか』とおっしゃるので真剣なお話だとわかったんです。それからは週に2~3回、稽古をやっていました。休みは入りますが、だいたい2時間くらいです」志村さんは持ち前の集中力と努力でたちまち演奏できるようになっていったという。「もともとギターを演奏されていらっしゃったので、とても耳がいい方でした。それに加え、練習も重ねていたと思うんです」志村さんのセンスと努力を物語る一つのエピソードがある。稽古を始めてまだ半年くらいしかたっていないころ。テレビ番組の企画で志村さんの三味線に、ビートたけし(73)がタップダンスを合わせることになった。上妻さんがその収録に付き添うと――。「本番前に三味線を練習し始めた志村さんを見たたけしさんが『そんなに弾けるのか』と驚かれて。たけしさんも楽屋でタップの練習をし始めたんです。若手の芸人さんたちがそれを直立不動で見ていましたね。たけしさんは長くタップをやられていると思うのですが、あの短期間の練習で、たけしさんをも本気にさせるというのはすごいことだと思いました」4年前、上妻さんのアルバムの発売を祝して、志村さんがコメントを寄せたこともある。そのなかには、《お稽古の時間より呑んでいる時間の方が長かったかもしれませんが(笑)》というくだりも。「お稽古のあとに連れていっていただいていたんです。だいたい夕方の3時、4時くらいから稽古をはじめて、2時間くらい稽古をしたあと、食事をして飲みに行って、朝5時くらいまで。そこでダチョウ倶楽部の上島竜兵さんや、嵐の相葉雅紀さんのような、志村さんと番組で共演されている方と一緒になったり。1対1で飲むときもありました。基本的に静かな方なので、お酒を飲んではしゃぐようなことはありませんでした。いつも笑顔で飲んでいらっしゃって、誰か後輩が来るとまたいろいろと気を使われて、お酒や食べ物を勧めたり。志村さんは人が楽しんでいるのを見るのが楽しかったんだと思います」 師匠と弟子。2人で飲むときの話題はやはり“芸事”について。「音楽や映画の話が多かったです。何をアイデアの源にするか。モチベーションをどう保つか……」ときには上妻さんが、志村さんに悩みを相談したこともあった。「今の自分の生き方や、音楽のアプローチの仕方について不安になるときがあって。志村さんとお話をさせていただいたときに、『誰もやらない、そういうことを上妻先生はやってきたわけなんで、自信を持ってください!俺が言うんだから、間違いないですよ』と。独自の世界観を第一線で創ってきた方にそういうふうに言っていただいたというのは、生涯の宝ですね。僕にとっても子供のときから見ていた方ですから……」「俺、夜あまり眠れないんだよね」と呟いていたという志村さん。上妻さんは、志村さんの毎晩の習慣にも強い芸人魂を感じたという。「志村さんは、朝まで飲んでどんなに泥酔していても、自宅に帰ると就寝前に必ず1本は映画を鑑賞していたと聞きました。創作のヒントを絶えず探していたのではないかと思います。志村さんには、才能があるうえでの、たゆまぬ努力をまざまざと見せつけられました。これから僕は、志村さんの芸事の“覚悟”を背負いながら、天国で聴いて喜んでいただける曲を作っていきたいと思っています」志村さんが見せた芸道への執念は師匠にも影響を与えていた――。「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月20日重岡大毅(ジャニーズWEST)主演で、今年3月に新型コロナウイルス感染症により亡くなった志村けんさんの素顔を、ドキュメントとドラマ、音楽を通して描く「24時間テレビ」内のスペシャルヒューマンストーリー「誰も知らない志村けん -残してくれた最後のメッセージ-」。この度、さらなる主要キャスト4名が決定した。「コントの神様」と呼ばれた一人の男。老いも若きも男性も女性も、誰もがその名を知るコメディアン:志村けん。彼は、生涯をかけて“芸”の道を歩み、“笑い”を生み出し、世の中に届け続けた。だが彼はそんな周りの人々にさえ、自身の“素”の姿を語ることを避けていた。自分を曝け出すことを良しとはしていなかった。しかし2004年、長く守りつづけた自身のルールを変える出来事が起きる…。生前の志村さんと仕事を共にした人たちやスタッフたちが目撃したその知られざる素顔を、ドキュメント映像とドラマ、志村さんが愛した音楽を通して描く本作。重岡さんが志村さんの姿をずっと近くで見てきたテレビディレクター役を演じるほか、「天才!志村どうぶつ園」で長らく共演してきた「嵐」相葉雅紀も出演。そして、柄本明、川栄李奈、河合郁人(A.B.C-Z)、三浦リョウ太らが重岡さんを支えるテレビディレクターやスタッフなど、様々な役で登場する。今年の「24時間テレビ」は「動く」をテーマに、メインパーソナリティーを井ノ原快彦(V6)、増田貴久(NEWS)、北山宏光(Kis-My-Ft2)、岸優太(King & Prince)、さらに重岡さんがつとめる。「24時間テレビ43」は8月22日(土)18時30分~日本テレビ系にて放送。スペシャルヒューマンストーリー「誰も知らない志村けん -残してくれた最後のメッセージ-」は8月22日(土) 21時頃~放送。(text:cinemacafe.net)
2020年08月15日