真夏の日差しを受けて、供花はどこか寂しげに揺れていた。墓標に刻まれていたのは「渡瀬家」の文字。そして傍らには、もう一基の墓標が。昭和の大スター・渡哲也さん(本名・渡瀬道彦享年78)が、自分の父母、そして愛妻の家族のために作った墓地は、東京都内の古刹にある。渡さんの逝去が公表されてから2週間ほどがたつ。「逝去が報じられた翌日には、友人知人たちからたくさんの供花が送られてきましたが、故人の遺志により受け取られることはなく、運んできた車に、再び積み込まれていました。遺骨は自宅の祭壇に安置され、俊子夫人(78)が守っているそうです」(スポーツ紙記者)肋膜炎、直腸がん、大腸がん、急性心筋梗塞、肺気腫……、生涯で多くの病魔と闘い続けた渡さんの傍らには、いつも愛妻・俊子さんがいた。渡さんと俊子さんは、青山学院大学の同窓生で、兵庫県人会でたまたま席が隣り合ったのが出会いだったという。「渡さんは兵庫県の淡路島出身。俊子さんは東京出身ですが、父の仕事の都合で高校時代は神戸女学院に通っていたのです。青山学院大学の同窓生によれば、“学生時代も下宿の部屋探しからなにから、俊子さんが渡さんの面倒をみていた”そうです」(渡さんを古くから知る映画関係者)出会ってから’71年に結婚するまで7年。ようやく始まった待望の新婚生活だったが、翌年から俊子さんは渡さんの看病に追われるようになった。また渡さんは’74年に大河ドラマ『勝海舟』を肋膜炎のために降板している。当時、俊子さんは週刊誌のインタビューで、渡さんの闘病生活について語っていた。《とにかく食べさせることに気を遣いました。おにぎりなら食べやすいというので、なかにイクラや肉のつくだにをいれたおにぎりをつくったり、牛肉や野菜を一日煮込んでスープをつくったり……。でも、大変なのは夜でした。すごい寝汗をかくんです。シーツやタオルケットまで濡れるので、明け方までに3~4回、下着とシーツをとりかえなければなりませんでした》(『女性セブン』’74年2月27日号)このときの俊子さんは、半世紀近くにわたって、夫の幾度もの大病と闘っていくことになるとは、想像もしていなかっただろう。銀幕スターとしての矜持も邪魔したのだろうか、渡さんは妻の献身に対して、言葉で感謝の気持ちを表すことは苦手だったようだ。取材のときも俊子さんに関して語るときは、ややそっけなかった。「(ご苦労さん、ありがとうなんて)そんなこと言えないですよねぇ。言わなくてもわかってくれているでしょう」 「(女房は)丈夫だけがとりえでねぇ」こんな調子だった。だが前出の映画関係者が続ける。「口には出さなくても、渡さんは体調を崩すたびに、自分の睡眠を削って看病してくれる俊子さんに感謝していたでしょうし、“一人娘”をくれた俊子さんのご両親のことも大切にしていました。渡さんが亡くなるまで住んでいたのは東京都内の一軒家ですが、ここにはもともと俊子さんの実家があり、いわば“マスオさん”として同居生活を送っていたのです。俊子さんのお母さんが’93年に亡くなったときには、渡さんが喪主を務めています。通夜や葬儀には、宍戸錠、富司純子ら数百人の芸能人や関係者らが弔問に訪れるという盛大なものでした」そして渡さんは、石原裕次郎さんの逝去から20年後の’07年、ある決断を下した。故郷・淡路島の真言宗の寺院ににあった渡瀬家代々の墓を、東京都内に移したのだ。移設先は、平安時代に創建されたとされる天台宗の古刹。「俊子さんのご実家の菩提寺だったと聞いています。渡さんはそこに渡瀬家の墓を建立するだけではなく、その隣に俊子さんのご実家の墓標も新たに作り直したのです」(前出・映画関係者)墓の移設について、葬儀・お墓・終活ビジネスコンサルタントの吉川美津子さんが次のように語る。「宗派の違うお寺に、お墓を移すことは、寺院や親戚の理解があれば可能で、珍しいことではないと思います。奥さまのご実家と同じお寺に移すことで、お盆やお彼岸の法要、お墓参りも同じタイミングですることができるようになります。また渡さんは、奥さまとそのご家族を大事にされていただけではなく、ご自身のご先祖と奥さまのご先祖とのご縁をとても大切にされていたのではないでしょうか」俊子さんの父母は他界しているが、一人娘だった彼女はまめまめしく墓参を続けているという。「きっと渡さんは看病で苦労ばかりかけた俊子さんに、何かの形で報いたいと考えていたのだと思います。ご両親の眠るお墓をきれいにしてあげたいとも考えたのでしょうし、もっと先の話でいえば、俊子さんはゆくゆくは渡瀬家のお墓に入るわけですが、お隣には、ご両親もいらっしゃることになります」(前出・映画関係者)並んで立つ両家の墓標には、口下手だった渡さんの、俊子さんへの深い愛が込められている。「女性自身」2020年9月8日号 掲載
2020年08月30日俳優の渡哲也(本名:渡瀬道彦)さんが10日、肺炎のため都内の病院で死去した。78歳だった。石原プロモーションは、公式ツイッターに文書を掲載し、「弊社 渡哲也(本名:渡瀬道彦)が長きにわたり病との闘いの末去る令和2年8月10日午後6時30分に肺炎のため享年79をもって都内の病院にて旅立ちました。ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と報告。「葬儀につきましては、静かに送ってほしいという故人の強い希望により本日、家族葬というかたちで執り行わせていただきました」と伝え、「誠に勝手ながらご香典、お供物、ご弔電、ご供花などの儀は故人の遺志により固くご辞退申し上げます」と記した。そして、「尚、お別れ会・偲ぶ会等の実施につきましては、故人の意向により執り行いません。何卒、故人の遺志をご理解いただけますようお願いいたします。皆様のお心の中にて故人への祈りを捧げていただけますことを心よりお願い申し上げます」と呼びかけた。
2020年08月14日『名探偵コナン』のすべてを知る男、諏訪道彦プロデューサーに特別インタビュー。テレビアニメ第1作から今回の映画『劇場版 名探偵コナン ゼロの執行人』まで、すべてを手がけている諏訪さんが劇場版ならではの魅力を語ってくれました。「テレビのコナンは、当初は月曜日の夜7時半から30分、という枠だったので、ファミリー向けの作品ではあるんです。でも最初から制作陣全員が共通認識として持っていたのは、“子供だましはしない”ということ。子供にもわかるように作ってはいますが、どこか背伸びして楽しんでもらいたい、というのが本音です。子供って、少し背伸びして大人の世界を覗くのが好きじゃないですか。その気持ちは、劇場版を作るときも変わりません」と語るのは、コナンのアニメを放送している読売テレビで約30年間、数々のアニメを手がけてきた諏訪道彦さん。自身も過去に、背伸びをする楽しみを味わった経験があったそうで、「僕は小さい頃からミステリードラマの『刑事コロンボ』が好きでした。中学生のときに、コロンボの『別れのワイン』というワインがキーワードになる作品を見たんですが、もちろん当時僕は未成年。でも大人の飲み物であるワインを通して見える世界がちゃんとあり、そこにあるロマン的な魅力がしっかり心に残ったんですよね。なので、コナンを見る子供たちにも、同じような経験をしてもらえたら嬉しい。あ、もしかしたら“子供的には背伸びをして見る作品”だからこそ、大人も等身大で楽しめるのかな。それは本当に理想的なことです」劇場版の1作目、『時計じかけの摩天楼』が公開されたのが’97年。そのときには、シリーズ化の予定はなかったとか。「普段1本30分の作品を作っている僕らにとって、90分の物語を作れるのが嬉しいのはもちろんでしたが、大きな挑戦でもありました。劇場版はすべて、原作マンガにはないオリジナルストーリーで、このときは青山先生も、“これはマンガに使おうと思ってたトリックなんだけど…”と、アイデアを出してくれて。青山先生、監督、脚本、そして音楽ほかスタッフが一丸となって、全力でおもしろいものを作りました。もしまだ映画を観たことがない人は、ぜひこの1作目を、何の情報も入れずに観てもらいたい。でも、続きを考えずに全力投球したため、翌年“2作目を”と言われたときは、真っ白。ならばもう、〈名探偵コナン〉という世界観の中で、いろんな物語をやっていこう、ということになり、今回の22作目まで、話自体は連続性は考えず、映画を作っています。でもその、どの話から観ても楽しめるというところが、劇場版のいいところだとも思いますし、だから毎年新たな方が観に来てくれるのかもしれないですね」すわ・みちひこ読売テレビ アニメーション部エグゼクティブ・プロデューサー。コナンの他に『シティーハンター』『YAWARA!』『金田一少年の事件簿』『犬夜叉』などを手掛けている。『劇場版 名探偵コナン ゼロの執行人』サミットが開かれる予定の東京で、大規模爆破事件が勃発。コナンは、怪しい動きをとる安室透に違和感を覚える。厳戒態勢の東京で、迫るXデー。果たして安室はコナンの敵なのか、味方なのか?原作/青山剛昌監督/立川譲主題歌「零 ‐ZERO‐」福山雅治声の出演/高山みなみ、山崎和佳奈、小山力也、古谷徹ほかスペシャルゲスト/上戸彩、博多大吉©1997・2013・2016・2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会連続爆破事件に、コナンと蘭が巻き込まれていく。壁越しに二人が愛を語る名シーンは必見。『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』’97年公開。©1997・2013・2016・2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会※『anan』2018年4月25日号より。取材、文・河野友紀(by anan編集部)
2018年04月23日LINDBERGの渡瀬マキ(49)が4月11日、公式HPで「機能性発声障害」と診断されたことを公表した。同バンドは来年4月でデビュー30周年を迎えるが、渡瀬はしばらく治療に専念するという。 昨年から体調不良を訴えていたという渡瀬。発症時の様子を、こう綴っている。 「段々と体が弱っていき、いつも苦しくて、何も楽しめなくなってしまい、眠れない食べれない頭痛、吐き気の日々が続きました」 渡瀬は次第に、喉の不調にも気づいたようだ。 「喉にも違和感を感じ始め、ふとした何気ない会話も苦痛になってしまいました。その後も喋ろうとすればするほど声が出ない」 そして病院の診察を受けたところ、“機能性発声障害”と診断されたという渡瀬。以来、医師と相談しながら治療しており「昨年から比べたらとても良くなってきています」と“回復傾向”にあるという。体力がつき始めたことで軽い筋トレにも挑戦しているようだが、「何よりこんなに長い文章を書けることがすごい進歩です」と喜びを語っている。 現在は歌える状態ではないという渡瀬だが、LINDBERGの“30周年”についてこう綴っている。 「『早く治せるように頑張ります』と書くことはやめておきますね。とにかく、焦らずに頑張らずに、きちんと治療をすることが今、私に出来る最善の事だと考えるようにしています」 そして続けて「どうぞ自分を大切にしてあげてね!元気でいてね!会える日を楽しみにしてるね!」とファンに“復帰”を約束した。 節目の年を目前に、思わぬアクシデントに見舞われた渡瀬。ネットではファンからの激励が届いている。 《青春時代、あなたの歌を聴いて勇気づけられました!大変かもしれませんが、がんばってください!》《いくら感謝しても足りないくらい元気もらってました。頑張らなくていいから、ゆっくりしてて。もし、復活して歌いたくなったら、また勇気もらいます》《直接声をかけられませんが、心の裡で応援しています》 また元気な歌声を聞かせてほしい!
2018年04月11日3月14日に死去した渡瀬恒彦さん(享年72)。渡瀬さんは往年の東映アクション映画で頭角を現し、その後、演技派のベテラン俳優として活躍を続けていた。最近では脳梗塞を患ったあとに胆のうがんを発症、約1年半にわたって闘病中だった。 渡瀬さんが医師から胆のうがんを発症していることを告知される直前の15年8月2日、元妻で女優・大原麗子さん(享年62)の7回忌法要にその姿があった。 「その日は夏の盛りで、とても暑い日でね。参列者はみんな大汗をかくような日だったんですが、とくに渡瀬さんは顔色が悪くて体調が悪そうだったので、あれ、と思ったんです。後から聞くと、あのときにはもう、がんに侵されていたんですね」(芸能関係者) 病をおして大原さんの法要に駆けつけた渡瀬さん。その心のうちにあったものは――。 「もともと二人は、嫌いで別れたわけではなかったんです」 と語るのは、渡瀬さんと親しかった芸能記者の前田忠明さん。 「73年に大原さんと結婚したころから渡瀬さんは、役者として上昇気流に乗りはじめました。東映専属だったので、京都の東映撮影所での仕事が多くなっていたんです。そこで彼は大原さんに、京都に生活の場を移し、夫婦一緒に暮らそうと提案しました。でも既に人気女優だった大原さんの仕事場は、主に東京のテレビ局や撮影所。役者をやめて京都住まいをするというのは、さすがに無理だったんです」 それがもとですれ違いが生じ、5年後に離婚。大原さんの実弟・政光さんは当時のことを本誌のインタビューでこう語っている。 「姉は結婚前に渡瀬さんの子を身籠り、それが子宮外妊娠だったため、泣く泣く緊急手術をしました。そのとき渡瀬さんから輸血を受けています。離婚後も姉は『渡瀬さんの血が今でも体に流れているから嬉しいの』と言っていました」 渡瀬さんは離婚から1年後、現夫人のい保さんと結婚し、ふたりの子供も設けて平穏な生活を手に入れた。しかし大原さんは森進一と再婚するも、まもなく離婚。渡瀬さんは離婚後も大原さんのことを気にかけていた。大原さんは独居生活を送り、09年に自宅で孤独死するという最期だった。 2人のことをよく知る脚本家の石井ふく子さんは語る。 「渡瀬さんは世間では無骨なイメージがありますけど、優しい気性の人で、本当に麗子ちゃんを愛してくれていたんだと思います。渡瀬さんが、彼女のことを忘れずにいて、亡くなった後もお別れの会、七回忌の法要と、節目節目に顔を出してくれた。麗子ちゃんも幸せだったと思いますよ」 二年前の夏、法要の席で渡瀬さんは亡き元妻について前出・前田忠明さんに「別れたとはいえ、僕の妻でしたからね」と語ったという。重い病を押して駆けつけ、大原さんの墓前に手を合わせた渡瀬さんの脳裏によぎったものは幸せだった5年間の結婚生活だったのだろうか……。
2017年03月25日歌舞伎俳優の市川海老蔵が16日、「渡瀬恒彦さん」というタイトルでブログを更新。多臓器不全のため14日に死去した俳優の渡瀬さんを悼んだ。主演したNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で渡瀬さんと共演した海老蔵は、「沢山思い出が、撮影の時テストや本番とあります」と告白。テストの時に照明合わせにずっと立っていたら「いいんだよ。本番キチンとやればいいんだよ。主演がずっとやっていたら、周りも一年間やる事になる。他のドラマと違い一年間の長丁場だから、いいんだよ」とアドバイスをもらったそうで、「全てを思っての大人の優しい言葉でした」と感謝した。また、茨城のロケの後に食事に連れて行ってもらったときのエピソードも披露。「あの当時の私は、血気盛んな上に血気盛んの血気ボーボーでしたから笑笑」と前置きした上で、渡瀬さんから「俺と一緒でどうをとるやつは初めてだ!」と言われて「なんすか?どうをとるって?」と聞いたというやりとりを明かし、「臆する事なく聞いた無礼に優しく強くこたえて下さった事とか、、、本当にカッコよく素敵な先輩でした」とつづった。さらに、「この度のこと、ショックでした」と吐露し、「心から御冥福を御祈り申し上げます」と締めくくった。
2017年03月16日俳優の原田龍二が16日、自身のブログを更新。俳優の渡瀬恒彦さんが14日に胆のうがんのため死去したと報じられたことを受け、追悼の意を表した。原田は「大先輩」というタイトルで更新。「2006年、2012年にドラマ『おみやさん』にゲストで出演させて頂いた際に、主演の渡瀬恒彦さんに大変お世話になりました」と感謝の思いを記し、「京都の撮影所ではよくお会いし、ダンディーと鋭さが同居している魅力的な大先輩として拝見していました」とつづった。続けて、「共演した際も、暖かく厳しい目で僕の芝居を受け止めてくださり、嬉しかったことを思い出します」と振り返り、「昔から見ていた偉大な先輩…大変ご苦労様でした。渡瀬さん、ゆっくりお休み下さい。御冥福を心よりお祈り致します」と偲んだ。
2017年03月16日俳優の渡瀬恒彦さんが14日に胆のうがんのため死去したとの報道を受け、俳優の高橋克典が16日、ブログを更新し、「ご冥福をお祈りします」と追悼した。高橋は「渡瀬恒彦さん」と題し、「風呂の中でブログを1つ書き終わってニュースを見ると、渡瀬恒彦さんが亡くなったと」と驚きの様子。共演の機会はなかったそうで、「何度かご挨拶をさせていただいただけでしたが、伝え聞く、俳優としての様々なもがきの後の味のある佇まいと、1つ1つの仕事にかける熱のお話はよく耳にし、都度感じ入るところでした」と振り返り、「ご冥福をお祈りします」とつづった。渡瀬さんは、今月25・26日に2夜連続で放送されるテレビ朝日系ドラマスペシャル『そして誰もいなくなった』に出演するが、今月2日に行われた制作発表会見を欠席。また、4月からは同局系の主演ドラマ『警視庁捜査一課9係』(毎週水曜21:00~21:54)の放送が予定されている。
2017年03月16日俳優の渡瀬恒彦が主演を務めるテレビ朝日系ドラマ『おみやさん』の最新作が放送されることが17日、明らかになった。『土曜ワイド劇場』で10月15日(21:00~23:06)に放送される。石ノ森章太郎の原作で、渡瀬演じる元敏腕刑事・"おみやさん"こと鳥居勘三郎が、迷宮入り(=おみやいり)と呼ばれる過去の未解決事件を、古い捜査資料から解明していく同作。今年2月に、貫地谷しほりを新パートナーに迎えたスペシャル版が放送されたが、この第2弾が放送されることになった。今回は、詐欺グループの男が刺殺された事件で、捜査線上に浮かぶ女が作った「折り紙のバラ」に着目。おみやさんはそれを見て、12年前に起きた未解決事件の現場でも、同様のバラの折り紙が見つかったことを思い出し、次第にその2つの事件がつながっていく。ゲストには、佐野史郎、加藤貴子、神尾佑らが登場。「五山の送り火」も事件解決のヒントになるなど、京都の夏の風情も描かれているという。渡瀬は「『久しぶりに面白い"映画"を見た』、そんな感じです。過去の事件を絡めながら進んでいく『おみやさん』、ついつい難解になってしまうことが多いのですが、今回はまったく気になりませんでした」と、同作を見ていない視聴者でも楽しめる内容であることをアピールしている。
2016年08月17日タワーレコードは12月9日、デサントの「アリーナ(arena)」とクリエーティブディレクター・箭内道彦が代表を務める「風とロック」とコラボレーションし、箭内が愛用するジャージのスペシャルモデルの予約受付を開始した。2014年1月29日まで。風とロックのイチゴモチーフを全面にプリントした「イチゴ総柄ジャージ」(3万1,500円)、アリーナの定番ラインジャージをベースに、風とロックのドクロロゴを両サイドに配置した「ドクロラインジャージ」2種(ブラック×イエロー、ピンク×イエロー/各2万1,000円)の3モデルをラインアップ。素材は吸汗速乾・UVカット(UPF50+)のソフトで軽い生地を採用。1年の大半をジャージで過ごすという、箭内のこだわりが詰められた。完全受注生産で2014年3月31日に発売。タワーレコードオンライン、アリーナ直営店(原宿店、名古屋店、天神店、札幌店)で受け付け中。箭内はタワーレコードの 広告キャンペーン“NO MUSIC, NO LIFE.”を手掛けている。
2013年12月09日今年の夏に放送され、好評を博したクリエイティブ・ディレクター箭内道彦が総合監督を務めるファッション通販サイト「マガシーク」によるショート仕立てのCM。このほど冬セールを前に、その第2弾が12月30日(日)から放送されることが明らかとなった。夏バージョンでは、若手人気俳優の三浦春馬と仲里依紗が東北で撮影した、ショートムービー仕立ての爽やかなCM2本が放送されたが、今回の冬のセールに合わせて製作された第2弾CMでは仲さん扮する真子のその後のストーリーが描かれる。その物語の中では、福島県・南会津を舞台に、なんと仲さんが澤夫役で出演しているお笑い芸人「ハライチ」の澤部佑と“うっかり”新婚生活を楽しむ様子が収められているのだとか!この物語を作り上げた箭内さん率いる製作チームには、撮影担当を映画『ホノカアボーイ』で監督を務めたフォトグラファー・市橋織江を始め、音楽は元「東京事変」のベーシスト・亀田誠治と「MONGOL800」のキヨサクのコンビが務めるなど、センスの光る豪華な面々が集結した。人々の周りにある“日常のHAPPY”を応援していきたいという「マガシーク」の理念のもと、心温まるショートムービー仕立てのCM。ぜひ、12月30日から放送となるこのCMで、この忙しく過ぎ行く年の瀬にホッと心を温めてみては?「マガシーク」冬のうっかりセールCM放送期間:12月30日(日)~2013年1月6日(日)放送地域:関東、関西、名古屋、北海道などCM連動特設サイト:ファッション通販サイト「マガシーク」(text:cinemacafe.net)■関連作品:ホノカアボーイ 2009年3月14日より全国東宝系にて公開(C) 2009 フジテレビジョン/電通/ROBOTBRAVE HEARTS海猿 2012年7月13日より全国東宝系にて公開(C) 2012 F/R/P/T/S/A/FNS
2012年12月26日