「女の子」の枠に入れられるのが嫌。でも、「男の子」になりたかったわけではない突然だが、私の戸籍上の性別は女性である。「何を今さら」と言われてしまいそうだが、私は長年この事実に違和感を抱いてきた。私が生まれた昭和50(1975)年は、今以上にジェンダーロール(性役割)が守るべきものとして扱われていた時代である。女の子はスカートを履くのが当たり前。現在では好んで履くこともあるが、物心ついた当時は、これが嫌で嫌で仕方なかった。股下がスースーするような履き心地が心もとないというのもあるが、「女性である」という枠に組み込まれてしまうようで、何だか恐ろしかったのだ。「女の子らしい」とされるレースや小花柄などは、視覚情報としてうるさく感じられ、避けていた。かといって、男の子になりたかったわけではない。私の髪は、元美容師である母の手によって常にショートカットにされていた。私から「長く伸ばしたい」と母に願い出たことも何度もあったが、「自分で手入れができるようになってからね」と聞き流されていた。なぜ娘の願い出をいつも退けていたのかと後年質問したところ、「ショートカットが可愛いと思っていたから」と答えた。嘘ではないだろうが、おそらく面倒だったのもあると私は思う。私には3歳上の兄がいて、今ではすっかり落ち着いた2児の父親だが、学童期は多動気味な少年だった。そんな息子を育てながら、こだわりの強い娘こと私の髪を毎日結ってから送り出すなんて、自分だったら泣きながら「勘弁してください」と願い出るだろう。ショートカットで装飾の少ないシャツやパンツという出で立ちに加え、痩せてはいたが、骨ばったごつい体格をしている私は、しょっちゅう男の子に間違われていた。保育園や小学校のクラスメイトからの「オトコオンナ」というからかいも、悪気ない大人から「坊ちゃん」などと呼ばれるのも、等しく不快に感じていた。なぜ服装や髪型から「男の子である」と決めつけられ、時にはからかいの対象として扱われなければならないのか。とても理不尽に思え、泣きながらその場を逃げ去ることもあった。「女性」の枠に入れられることも、「男性」として扱われることも、私にとっては受け入れ難い。「じゃあ私は一体どっちに入ったらいいの?」そんな疑問が湧き上がってきた。「私、女の子に産んでほしいって頼んでない!」性別違和とジェンダーロールへの不満を爆発させた私。そのとき母はさて、私の母はとても朗らかかつ柔軟性のある人で、ぶつかることもありつつ、深い愛情を注いでもらっていた。しかし「男の子だから」「女の子だから」をよく持ち出す人で、3歳上の兄には許されるのに私には許されないことがさまざまあった。兄の立場からしたら、逆のこともあったのかもしれないが、ここは一旦横に置く。「男である」「女である」と断じられることへの違和感を払拭できずにいた私は、母への不満を募らせることになる。そして、それが思春期に爆発した。高校1年生の夏休みのこと。兄はすでに実家を離れ、県外で暮らしていた。両親は共働きで、それぞれ出勤してしまうまで寝過ごしてしまった私は、食後に食器をシンクに入れたまま洗いそびれ、慌てて部活動の練習へ向かった。夕方、母より後に帰宅をした私は、こっぴどく叱られた。寝坊したために自分がすべきことをこなせず、母の仕事を増やしてしまったことは申し訳ないと思い、素直に謝罪した。が、ふと(あれ?兄ちゃんも高校生のとき、似たようなことが何度もあったよな。でも、叱られてなかった…)と気づき、どうしてかと母に尋ねると、「○○(兄)は男の子だからいいの!希望は女の子でしょ!?」と一喝された。「え、何それ。私、女の子に生まれたい、女の子に産んでほしいって頼んだわけじゃないのに、どうして“女の子だから”だなんて役割を背負わされなきゃいけないの?女の子だから、女の子らしく…そう言う割にさ、小さいころの私が男の子に間違われた、嫌だ、髪を伸ばしたいって頼んでも、ボーイッシュで可愛いじゃないとかさ、私、別にボーイッシュがいいなんて思ってなかった。というか、女の子らしくしたらいいの?ボーイッシュにすればいいの?それを私に選ぶ権利はないの?ねえ?子どもは親の選択に従わなければならないの!?男か女じゃなくちゃいけないの??私は私でいてはいけないの!!?」長らく抱えていた性別への違和感と、ジェンダーロールに絡め取られて自己が失われてしまうような不気味な感覚がないまぜになって、私は一気にまくし立ててしまった。前述したとおり、普段の母は陽気で柔軟、発達障害だなんて概念すら知らなかったころから、私の特性を尊重してくれた。だから私はとても信頼していた。こんな言葉をぶつけられる程度に信頼していた。でも「女の子に産んでほしいって頼んだわけじゃない」はさすがに言い過ぎだ。母は、今までに見たことのないような、強ばった悲しげな表情を浮かべている。まずいと気づいたものの、吐き出した言葉は取り戻せない。何を言うべきか、何をするべきか、私が迷い、うろたえている間、重い空気が流れる。先に口を開き、沈黙を破ったのは母だった。「ごめん、私はちゃんと希望を1人の人間として見ていなかったのかもしれないね。これからは女の子だからとか、そういうことは言わずにちゃんと話を聞くようにしなくちゃね」きっぱりとした口調で母は伝えてくれたが、傷ついていたのではなかろうか。私は凄まじい後悔と、やっと言えて、なおかつ受け入れてもらえた安堵に包まれ、その後のことは覚えていない。以降、母との関係は良好だ。しかし、長年当たり前だと思っていた感覚から抜け出すことは容易ではない。役割を押しつけてくることこそなくなったが、私の息子について「男の子だからそれぐらいでいいの!」というようなかたちでジェンダーロールを持ち出すことがある。その度に「だからそういうのはやめてって頼んだでしょ」「あ、そうだったね、ごめんごめん」と意思表示して笑い合うことができているのだから、あの日の衝突は無駄ではなかったと思える。まだ自分が「女性」だという確証を持てない私。男女、LGBT以外にも多様な性があると知り…女性の体を持って生まれ、恋愛や性愛の感情は男性に向く事実を踏まえると、自分は女性であると捉えるのが自然だ。でもやはり、どこか据わりが悪い。身体的なことはともかく、「心が男性」だとか「心が女性」だという表現があるが、何を以て判断できるのか。基準が分からないから、私は自分が「女性である」という確証を持てないのだ。それに、現時点で恋愛・性愛の対象が男性だとしても、いつか魅力的な女性に出会って、私が恋をする可能性が皆無とも思えない。だからといって、自分がレズビアンもしくはバイセクシュアルだというのも、どうにもピンとこないのだ。2度の結婚と離婚、出産を経ても、そうした思いは変わらなかった。そしてあるとき、後に書籍化される宗方美樹(現・小池みき)さんの『同居人の美少女がレズビアンだった件。』というWeb漫画と、同作で“同居人・まきむぅ”として描かれている牧村朝子さんの『百合のリアル』という書籍に出会い、男女及びLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)以外にも、多様な性(LGBTQ+)があるということと、Xジェンダー、クエスチョニングという概念を知ったのだった。他者に判断された性別でも、男性でも女性でもないあり方を選ぶもの『百合のリアル』(牧村朝子著/星海社)P59より性に対するあり方をまだ決めていない。もしくはあえて決めない。『百合のリアル』(牧村朝子著/星海社)星海社P108より衝撃を受けたのと同時に、深く安堵した。男性か女性のいずれでなくてもいいし、無理に決めなくてもいいのだ、と。そして『百合のリアル』には、私が何十年も抱えてきた思いと似た、牧村さんの言葉もつづられていた。わたしの場合、「未知への恐れ」は自分自身に向いていました。自分の中の同性愛を嫌悪し、「よくわからないもの」として恐怖していたのです。(中略)この「自分が何者かわからない恐怖感」を解決するために、わたしは「同性愛者」とか「レズビアン」という言葉を欲しがったのだと思います。「男としか付き合ったことがない自分は同性愛者じゃない」とか、「女と寝たことがない自分はまだレズビアンになれていない」とか、そんなの誰が決めたのかしらっていう謎の思い込みに苦しめられながら。わたしはこの「自分の中の未知への恐怖」に、色んな名前をあてがうことで、解決を試みました。(中略)色んな言葉で説明しようとしたなあ、って思います。レズビアンとか、ファッションレズとか、バイセクシュアルとか、性同一性障害、アライだとか。けれど、どんな言葉で説明しても、結局自分は自分だったのです。『百合のリアル』(牧村朝子著/星海社)P243-246より自分を男性だとも、女性の体を持って生まれてきたにも関わらず、女性だとも自認できない状態は、正直に申し上げて恐怖だった。だからこそXジェンダー、クエスチョニングという概念を知ることで救われた。許されたような気がした。現在の私は、性自認について問われた場合、「FtX(Female to X-gender、女性からXジェンダー)」もしくは「FtQ(Female to Questioning、女性からクエスチョニング)」と答えている。とはいえ、平時はあまりこだわりがないというか、意識をしない。相変わらず「女性である」と断定されることへの違和感は消えてはいないが、「私は男性でも女性でもないけれど、男性と女性の両方があるのかもしれない。だから、女性“でも”あるのかもしれないな」と、以前よりは楽に受け止められるようになった。「男だろうが女だろうが、どんな性であろうが、私は私でしかないんだ」という確信があるからだ。もしわが子が性別違和を訴えたら、私が伝えたいこと自閉症スペクトラム障害との診断を受け、SNSなどを通じてさまざまな人と交流をするようになってから、私と同じように性別違和を抱えている発達障害当事者は少なくないことが分かった。近年、イギリスなどでは、発達障害と性別違和の関連性についての研究が進められているという。もちろん、発達障害当事者の全員が性別違和を感じるわけではないし、性別違和を抱える人が、必ずしも発達障害当事者であるとは限らない。そして現段階では、どのように関連があるのかは分からない状態だ。しかし、発達障害当事者である息子が性別違和の苦しみを訴える未来を、全く想像しないわけではない。自分にも経験があるし、おそらく私は驚かないだろう。どう寄り添えるのかはそのときになってみないと分からないけれど、彼の思いを受け入れ、肯定したい。人が人をカテゴリという器に押し込めても、それぞれのアイデンティティは、それぞれが選び身に付けるものです。『百合のリアル』(牧村朝子著/星海社)P249より「性自認やアイデンティティは決めてもいいし、決めなくてもいい。一旦決めてから、また変わることがあってもいいんじゃないかな。何があってもあなたはあなただから」常識と呼ばれるものや、時代ごとに求められるジェンダーロールにとらわれ、迷い、悩み、母との衝突を経て理解を得てもなお、「性自認が曖昧な自分だから、母を傷つけてしまったのではないか」と自己否定をして苦しんだ私だからこそ、そんなふうに伝えたい。参考:「あなたがあなたらしく生きるために性的マイノリティと人権」活用の手引き|法務省委託 人権ライブラリー※クエスチョニングについても触れられています
2019年08月16日パートナーと一緒に行けるね12月1日、新宿に日本で初となるオールジェンダーOKの脱毛トリートメントサロン『LASiKU(ラシク)新宿本店』がオープンした。多くの脱毛サロンが女性専用とされている中、『LASiKU』は性別(ジェンダー)やセクシャリティを問わずに利用することができる特別なサロンだ。スタッフ全員が定期的なダイバーシティ研修やLGBT研修を受けており、これまでサロンを利用しにくかったLGBTの人々も気軽に来店できるよう努めている。話題のボタニカルトリートメントでさらにツヤ肌サロンでは脱毛だけでなく、ボタニカルトリートメントを行うことで肌の状態を整え、さらなるツルツル美肌を追求する。現在先着50名がキャンペーン価格の1パーツ490円(税込)で利用できるほか、ペアでの来店者は料金が50%OFFになるクリスマスキャンペーンも開催中。友達同士はもちろん、カップルやパートナーと利用できる『LASiKU』ならではの企画だろう。イメージキャラクターは牧村朝子さんイメージキャラクターとして、タレントの牧村朝子さんを起用。タレント活動を行う傍ら、講演や執筆活動も精力的に行う才色兼備が「効果も品質も本物志向」という同サロンのコンセプトと合致したのだそう。牧村さんはTwitterで脱毛で「彼も喜びますよ」とか言われて(彼女だよ)って思う人、「デキる男のヒゲ脱毛」とか言われて(男とは)(のんぱす~)って思う人、脱毛に性別も性的指向も関係ないという超当たり前のことを言ってくれるサロン @salon_lasiku がやっとできたのよ(Twitterより引用)と、ジェンダーフリーのサロン誕生に喜びをつぶやいた。(画像はプレスリリースより)【参考】※LASiKU※牧村朝子Twitter
2016年12月08日タレントの一ノ瀬文香さんと女優兼ダンサーの杉森茜さん、元宝塚の東小雪さんと会社経営の増原裕子さん、タレントで文筆家の牧村朝子さんとフランス人女性など……。LGBT(セクシャル・マイノリティー)の成婚カップルが増えています。2015年11月には渋谷区と世田谷区で、結婚に相当する関係を公式に認める「同性パートナーシップ証明書」の制度がスタートするなど、国内でも同性愛への認知度が高まっている昨今。みなさんは、ボーダレスな恋愛をどう思いますか?今回は、海外事情からレズビアンカップルのリアルな声までお届けします。海外では珍しくない「LGBT」私はこれまで欧米や東南アジアなどの6カ国で暮らした経験があります。どこの国でも職場や学校にLGBTの方がひとりやふたりは必ず居たので「同性カップルはごく普通」という感覚でした。ところが、先日2年ぶりに会ったオーストラリアの友人から「私、レズビアンになったの」と告げられたときは正直驚きました。2年前には彼女には彼がいたし、女子会ではヘテロセクシャル(異性愛)な恋バナに花を咲かせていたのですから!彼女だけではありません。私のイギリスの友人の父親は、離婚をきっかけに「同性愛」をカミングアウト。友人に話を聞いてみたところ「お父さんがカミングアウトしたときは戸惑ったけれど、幸せならそれでいいと思う」とのこと。現在は、年下のボーイフレンドとのデートを楽しんでいるようで「お父さんが家にボーイフレンドを連れてくることもある」のだとか!こちらも、非常にビックリしました。海外(特に欧米)ではLGBTを受け入れる土壌が整っているということも、ボーダレスな恋愛を楽しめる理由のひとつかもしれませんね。レズビアンの友人に恋愛観を訊いてみた認知度が高まっているとはいえ、両親へのカミングアウトや世間体など、立ちはだかるいくつもの壁を乗り越えなければならない同性愛。恋愛には障害がつきものですが、LGBTはさらに困難なケースも少なくない模様です。前述のオーストラリア人の友人に、ボーダレスな恋愛観を尋ねてみました。アマンダさん(25歳・シドニー出身)パートナーのカーラ(25歳)とは、交際を始めて約1年になります。わたしが同性愛に目覚めたのは14歳のとき。当初は本当に同性が好きなのか、異性が好きなのか分かりませんでした。若い頃は男性ともお付き合いをしたけれど、やっぱり女性の方がフィーリングが合うみたい。カーラも12〜14歳ぐらいのときに「自分は女性が好き」ということを知ったようです。カーラは生まれも育ちもオーストラリアの中華系オーストラリア人(2世)です。彼女の両親はLGBTに対する考え方が私達の世代とは異なるようで、私はまだ彼女の両親に会ったことがありませんし、私の母親もレズビアンの関係を認めてくれません。ただ、父は「カミングアウトしてくれてありがとう」と言ってくれたので、母にもカーラの両親にもいずれは認めてもらえたらいいなと思っています。シドニーやメルボルンといったLGBTの多い都市なら障害も少なくないのですが、カーラが住んでいるのはオーストラリア南東部の小さな町。LGBTに対する考え方が進んでいないため少し悲しいのですが、彼女の町を訪れるときにはカップルではなくベストフレンズを装っています。将来的には彼女と結婚したいと思っているのですが、オーストラリアでは同性婚がまだ認められていません。そのうち、同性婚が可能な国への移住を考えるかも。ちなみにアマンダさんは、出会い系アプリ「Tinder」を使ってカーラさんと出会ったそうですが、オーストラリアにはゲイバーやLGBTの人たちがよく行くエリアなどがあるとのこと。都内の新宿2丁目のようなイメージなのかも!LGBTの人もヘテロセクシャルな人も、パートナーを愛する気持ちや愛されたいと願う想いは同じです。恋愛は十人十色、色んな形があってよいと思うのですが、みなさんはいかがですか?
2016年04月11日