女優の加藤紀子が25日に自身のアメブロを更新。お笑いタレントの明石家さんまらとの集合ショットを公開した。この日、加藤は「豪華なラインナップ!」というタイトルでブログを更新。「昨夜オンエアのあったMBS『ヤングタウン土曜日』お付き合い頂いた方、ありがとうございました」とコメントし「オープニング冒頭、さんまさんがロベカル・カルロス氏とそっくりな人と喫煙所で一緒になった…と話をしていて」(原文ママ)と明かした。また「『もしや?』と探したら10年くらい前に行ったブラジルでご本人にお写真お願いしてました」と述べ、元サッカー選手のロベルト・カルロス氏との2ショットを公開。最後に「さんまさんに佳林ちゃんにショージさんも登場」とさんまやお笑い芸人の村上ショージらとの集合ショットも公開し、ブログを締めくくった。
2024年02月26日「9月30日、宮内庁が秋篠宮邸の改修工事が終了したことを発表しました。もともとは今年3月末までに完了する予定でしたから、ちょうど6カ月間の遅延ということになります」そう語るのは皇室担当記者。秋篠宮邸改修は’20年3月にスタート。同じ赤坂御用地内にある赤坂東邸も改修し、渡り廊下で連結するという大規模な工事であり、工事が公表された当初、総工費は33億円と報じられていた。皇室担当記者が続ける。「改修工事中、秋篠宮ご一家は御仮寓所にお住まいでしたが、この建物は9億8千万円かけて新築されたものです。宮邸の改修費とあわせて40億円以上ということになります。いっぽう天皇ご一家のお住まいの御所の改修費は約8億7千万円でした。そのため“皇嗣家の新生活にまつわる費用とはいえ高すぎるのではないか”という声は宮内庁内でも上がっていたのです」今回、改修工事が遅れた理由について宮内庁は3つの理由を挙げている。1.新型コロナの影響で2カ月ほど工事が中断されたこと、2.密を避けるために作業員の数を減らし、作業が遅れたこと、3.世界的な物流の混乱により、建築資材などが調達できなかったこと、だ。「工期延長が決定したころ、工事関係者たちは“より人件費がかさみ、予算をオーバーしてしまうのではないか”という危惧を抱いていました。しかし、それから半年、関係者たちは“予算オーバーはもう決定的。超過してしまった分をどう処理すればよいのか”と、不安を吐露するようになっていたのです」(前出・皇室担当記者)工期延長にはコロナ禍以外の理由もあった。それは秋篠宮ご夫妻の度重なる“追加注文”だという。宮内庁関係者が次のように明かす。「秋篠宮ご夫妻は今回の改修工事に、強い意気込みをお持ちでした。お二人で工事現場に何度もいらっしゃり、進捗状況も逐次確認されていたのです。悠仁さまの16歳のお誕生日には、秋篠宮ご一家が2種類の稲を栽培されていることが公表されましたが、その水田には改修工事で出た赤土を利用しているそうです。ご夫妻が工事現場で思いつかれたのでしょう」■標準の建物よりもトイレが多数設けられた改修工事関係者たちを戦々恐々とさせていたのは、秋篠宮ご夫妻の、ときには“予算無視”ともいえる思いつきだったという。「“もっと金(きん)を使用してほしい”という注文があり、関係者たちを驚かせていました。さらに彼らに不満を抱かせたのが、国産の資材で間に合うものでも、海外からの資材調達を求める指示があったことでした。具体的な例でいえば大理石については、“イタリア産が好ましい”という要望があったそうです」(前出・宮内庁関係者)イタリアは大理石の名産地として世界的に有名だ。大型施設の建設工事にも詳しい建築士によれば、「連日、食品の値上がりが報じられていますが、資材の高騰は建築業者たちを苦しめています。現場の業者たちは、施工主たちに、納期や価格がある程度予想できる“国産資材”を提案するわけですが、施工主たちがあくまでもブランド感のある海外産を希望するケースも多いのです」秋篠宮家に近い人物はこう語る。「これまでも秋篠宮ご夫妻の“アイデア”に、皇嗣職の職員たちが振り回されることは多く、それが改修工事にも影響した面はあるかもしれません。ただ、紀子さまは裏紙をメモ用紙として利用されたりなど、ご倹約家です。今回の改修工事でも、建築材料の新規調達をやめて既存のものを再利用したり、新規調達する場合も特注をやめて既製品に変更したりなどの工夫を凝らしたとも宮内庁は説明しています。しかし、秋篠宮邸は海外要人の接遇にも使用される“公室部分”があります。ご夫妻は“賓客に不快な思いを与えたくない”という使命感から、そうしたスペースの内装には費用をかけられたのでしょう。一般的な基準よりトイレがかなり多く設置されたそうですが、それもお気遣いの一環なのだと思います」■“高額すぎる改修工事”という批判にナーバスに9月30日に明らかにされた工費は全体で約34億6千600万円。建物で約26億円、庭園工事や赤坂東邸との連結工事などを含めると、その額になるという。ちなみに、建物のみの費用約26億円については、2年半前には約25億円で大手ゼネコンが落札したことが公示されている。前出の宮内庁関係者は、「宮内庁管理部は“秋篠宮さまは必要最小限の予算で改修するべきとお考えだった”と、あえて説明しています。秋篠宮ご夫妻が“改修費が高額すぎる”という批判に対してナーバスになられていたことが伝わってきます。結果的には当初の報道より約1.7億円オーバーしたということになりました。しかし改修工事関係者たちは『かなりの額を、自分たちが負担するしかない』とも漏らしていたのです。34億6千600万円という数字は、工事会社との折衝を経て公表されることになったものなのでしょう。宮内庁管理部は今回の発表で、3カ年で計上した予算を35億円としています。“工費は、あくまでも予算内におさまった”という点を強調したかったのでしょう。しかし、『いつのまに33億円から35億円に予算が増えていたのか?』と、首をかしげる職員もいました」秋篠宮ご一家のお引っ越しは来年3月までに完了するという。こだわりの新宮邸での、国際親善のご成果は――。
2022年10月04日関東大震災から99年を迎えた9月1日、秋篠宮ご夫妻は墨田区の東京都慰霊堂で営まれた「秋季慰霊大法要」にご出席。秋篠宮さま、紀子さまが続いて焼香し、震災と東京大空襲の犠牲者を静かに悼まれた。コロナ禍のため3年ぶりに皇族の列席となったが、’19 年には佳子さまがおひとりで出席されているため、秋篠宮ご夫妻のお出ましは4年ぶりとなった。この日のご様子からも感じられたことだが、紀子さまは最近、優しい表情をお見せだ。9月11日には56歳の誕生日をお迎えになる。眞子さんの結婚騒動で、紀子さまのご感想が注目されていた1年前と比べると、ご心中もかなり落ち着かれていることだろう。今年の秋篠宮家の秋は、穏やかなものとなりそうだ。
2022年09月10日株式会社オレンジページ(東京都港区)が発行する生活情報誌『オレンジページ』は8月17日(水)発売号より、新たに松田紀子氏を編集長に迎えることをお知らせいたします。雑誌『オレンジページ』ロゴ松田氏招聘の背景雑誌『オレンジページ』は、本日で創刊37周年を迎えました。デジタル化による情報との付き合い方、共働き世帯の増加による家族のライフスタイル、コロナ禍での「ニューノーマル」など、創刊当時には想像できないほど、生活者の暮らしは大きく変わりました。そのような中、私たちの中核事業である『オレンジページ』も、現代に暮らす読者に寄り添う「生活情報誌」として、新しいあり方が求められていると認識しています。一方、『オレンジページ』は編集部に「読者の声」を届けてもらうため、「綴じ込み封筒」を掲載するなど、創刊以来、読者の声を聞き、読者とともに歩んできたメディアです。新しい生活情報誌のあり方がどのような形であっても、読者を大切にするこの姿勢はこれからも変わることなく、むしろより一層読者の皆さんとのつながりを深め、ともに新たな価値を見出し、暮らしに寄り添う提案をしていきたいと考えております。このような背景の下、株式会社ファンベースカンパニー(東京都渋谷区/以下、ファンベースカンパニー)のディレクターである松田紀子氏と出会い議論を重ねる中で、『オレンジページ』や読者の個性を大切にしながらも、さらに広く、深く愛されるメディアとなる未来の実現に、真摯に向き合ってくださる方と確信し、新編集長として招聘するに至りました。「ファン」を大切にすることへの回帰と強化松田氏は、これまで出版業界で数々のヒットコミックエッセイを手がけた実績、生活情報誌の編集長経験を持ち、現在はファンベースカンパニーのディレクターとして、同社の提唱する「ファンベース」という考え方の下、企業やブランドが大切にしている価値を支持するファンの共感・愛着・信頼を増やし共に未来の価値を創出することで、企業やブランドの成長を支援しています。「ファンベース」のアプローチは、『オレンジページ』が創刊以来もっとも大切にしてきた価値観、私たちが改めて生活者と向き合うことで実現したい「生活情報誌の未来像」と強く符号するものと捉えています。そして私たちは、これまでの豊富な経験や知見、また実績だけではなく、「ファンベース」を実践される現在の松田氏の取り組みと熱意に共感・共鳴しました。今回松田氏はファンベースカンパニー在籍のまま『オレンジページ』編集長に就任し、ファンベースカンパニーの力も借りながら、読者=ファンのより深い理解、共感・愛着・信頼を生む取り組み、半歩先をいく提案をつくり上げていきます。編集長も「複業」の時代ファンベースカンパニーのディレクターであり、株式会社オーバーラップ(東京都品川区)が出版する『はちみつコミックエッセイ』の編集長も務める松田氏は、現在の肩書きはそのままに、新たに『オレンジページ』の編集長に就任する形となります。社会が「複業」「パラレルワーク」を受容し始めている今日、『オレンジページ』も新しい編集長のあり方を模索してきました。ひとつの所属や役割にとらわれることなく、多方面で活躍する複業人材が持つ知見やネットワーク、そして情報感度と幅広い好奇心が、生活情報誌や編集そのものをポジティブに変えていく原動力になると考えています。また、創刊以来、編集長ポストの社外登用が初となる『オレンジページ』にとって、松田氏の招聘自体が変化・チャレンジを象徴するものでもあります。生活情報誌の未来、編集長や雑誌づくりの新しいあり方など、今後の『オレンジページ』の変化とチャレンジに、ぜひご期待ください。新編集長、松田紀子氏よりこのたび『オレンジページ』編集長に就任いたしました、株式会社ファンベースカンパニーの松田紀子です。2019年まで『オレンジページ』と同じ生活情報誌業界で編集長を務め、編集メンバーと共に読者が喜ぶ雑誌を目指して誌面を刷新し、「『オレンジページ』の実売部数を超える」をひとつの目標としていました。その私が、なぜ今、『オレンジページ』の編集長就任を受けたのか。そのお話から始めたいと思います。はじまりは、以前から面識のあったオレンジページの役員の方から届いた、1本のメール。その切迫した内容からひとまずお話を伺うことになりました。そこでは、近年の売上や、編集部を揺るがした出来事など 、『オレンジページ』の状況とご苦労を切々と伺うことになりました。私が雑誌業界を離れた3年前と比べて、デジタルシフトは一層進んでいます。「大きな改革が必要な時代。ぜひ協力してほしい」という主旨でした。その時、私の胸に去来したものは、愛読している本誌のファン読者の姿でした。創刊以来37年もの間、日本を代表する生活情報誌としてその存在が認知されていることに大きな価値があります。「コロナ禍を経て、急激に部数が落ちてしまった」ということでしたが、隔週の刊行にもかかわらず10万人を超えるファン読者がいてくださるのも事実です。万が一にも、愛読誌がなくなってしまったら…とまで想像してしまい 、ファンベースカンパニーでさまざまな業界・分野のファンの声を傾聴している私にとって、胸がつぶされるような思いがしました。私にとっても、『オレンジページ』はかつての目標であり、「雑誌の代名詞」という存在。出版業界、雑誌業界に与えるダメージも計り知れず、何としても回避しなければならない―という思いが胸に深く刺さりました。現在の私が勤めているファンベースカンパニーの基本は、「ファンを大切にし、ファンをベースにして、中長期的に売り上げや価値を上げていく」考え方です。これは、商品やブランドの方向性や価値観など、目指す姿がはっきりしているものほど濃く、強く作用します。中でも雑誌ほど、ファンの力が生き生きと表現され、輝かせることができる商品はないのではないか―。この3年間、ファンベースカンパニーであらゆる企業の伴走をしてきたからこそ、コアなファンがいる『オレンジページの強さ』をあらためて感じています。ファンベースの理念を軸に、再度『オレンジページ』の価値を深掘りし、誌面に投影していきたいと思っています。競合誌が切磋琢磨し、それぞれが部数を伸ばすことは、生活情報誌全体の活性化につながるものと信じています。それが私のたった一つの願いです。37周年を迎えて、さらに新しい道へと踏み出す『オレンジページ』に、変わらぬご声援を頂戴できますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。松田 紀子(まつだ のりこ)松田 紀子氏1973年長崎生まれ。株式会社リクルート『じゃらん九州発』の編集経験後、出版社、株式会社メディアファクトリーにて300万部突破の『ダーリンは外国人』などコミックエッセイジャンルを牽引。株式会社KADOKAWA移籍後、生活情報誌『レタスクラブ』の編集長を2016年より兼任、3号連続完売、実売前年同期比146%のV字回復を果たす。2019年、野村證券の子会社である株式会社ファンベースカンパニーに転職し、ファンベースに基づいた企業のコンサルティング・伴走を実践するディレクターへ。2021年5月より出版社、株式会社オーバーラップ『はちみつコミックエッセイ』編集長を兼任。コミックエッセイの描き手を育てるオンライン講座も運営。東京FM番組審議会審査委員。TCS認定コーチングスキルアドバイザー。プライベートでは高校生男子の母であり、サーフィンとゴルフを始めました。株式会社ファンベースカンパニー「株式会社ファンベースカンパニー」ロゴ「ファンを大切にし、ファンをベースにして、中長期的に売上や事業価値を高める考え方」=「ファンベース」の理念を軸に、企業やブランドの成長を支援・伴走する会社。ファンの感情と誠実に向き合い、企業やファンと共にみんながハッピーになる未来を創りあげていきます。株式会社オレンジページ雑誌『オレンジページ』他ムック・書籍の出版をはじめ、マーケティングによる情報提供サービス、生活雑貨を中心とした通販、「食」と「暮らし」を中心としたイベント・講座の運営など、生活を軸に多方面で事業を展開。2020年8月にブランドパーパスを〈「食」を起点に暮らしをつくり、 生活者、コミュニティ、地球の、よりウェルビーイングな未来をつくる〉と設定しSDGs 達成にむけた取り組みを強化。2021 年 6 月に「生活実装する会社」をタグラインに掲げ、コーポレートロゴを新設。企業・団体との新たな協業に積極的に取り組んでいます。【本リリースに関するお問い合わせ】〒108-0073 東京都港区三田1-4-28三田国際ビル16F株式会社オレンジページ広報担当 遠藤・雫石 press@orangepage.co.jp 20220617orangepage_Editor-in-chief.pdf : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年06月17日5月11日、皇嗣である秋篠宮さまの肉声が収められた書籍『秋篠宮』(小学館)が刊行された。著者は元毎日新聞記者の江森敬治氏。秋篠宮ご夫妻とは31年以上も交流があるという。江森氏は’17年6月から’22年1月まで、37回も秋篠宮さまのもとに通い、インタビューを敢行していた。眞子さんと小室圭さんの結婚問題の経緯も、秋篠宮さまのお言葉を交えて詳しく語られている。一方、本を読んだ宮内庁関係者は、気になることがあったと語る。「結婚問題について、小室さんへの厳しい言葉が掲載された一方、眞子さんに対しては苦言めいた言葉はいっさいないのです。秋篠宮さまと眞子さんの関係は、いまだに冷え込んだままのようですから、親子を引き離した小室さんへの“恨み節”のようにも感じられました」当初、小室さんの収入面の不安などが報じられても、秋篠宮さまは「反対する理由はありません」ときっぱりお答えになっていたという。しかし、およそ半年後に事態は急転。小室さんの母・佳代さんと元婚約者との間に、約400万円の金銭トラブルがあると報じられたのだ。報道から2カ月後の’18年2月、結婚の延期が決まった。秋篠宮さまは小室さんに何度も、金銭トラブルについて国民への説明を求められたというが、無視されたという。そして、小室さんは3年間の米国留学を決めてしまう。このころ秋篠宮さまは江森氏に「どうするのだろうと思って……」とつぶやき、困惑を隠さなかったという。いまや“娘の夫”となった小室さんへの怒りを隠さずに伝えた『秋篠宮』だが、前出の宮内庁関係者は、こう指摘する。「小室さんは独断で、説明拒否や突然の留学といった行動をとったわけではなかったのです。眞子さんの指示があったはずなのに、その点には触れられていません」眞子さんは’21年10月の結婚会見で次のように述べていた。「圭さんのお母様の元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めていただきました。圭さんの留学については、圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作ってほしいと私がお願いしました」つまり、小室さんが金銭トラブルについて説明しないまま渡米したことも、眞子さんのお願いに沿った行動だったのだ。「秋篠宮さまの要望、そして国民感情を無視した小室さんの行動には、眞子さんが少なからず関わっていたのです。しかし、眞子さんに疑問を投げかけ、批判するような言葉は『秋篠宮』には掲載されていません。秋篠宮さまは、眞子さんの気持ちが冷め、小室さんから離れることをいまだに期待されているのではないでしょうか。アメリカの眞子さんに“目を覚ましなさい”と呼びかけられているかのようです」(前出・宮内庁関係者)離れ離れになった愛娘への未練がにじむ、異例の“肉声本”。眞子さんがそのページをめくることはあるのだろうか。
2022年05月19日5月11日、関係者の注目を集める1冊の本が出版された。タイトルはずばり『秋篠宮』。皇嗣である秋篠宮さまの肉声が収められた書籍だ。著者は元毎日新聞記者の江森敬治氏。秋篠宮ご夫妻とは31年以上も交流があるという。宮内庁関係者は、今回の出版は異例なことだと語る。「秋篠宮さまは、皇太子と同等の皇嗣という重い立場にある方です。これほどの立場の方の肉声が本になるのは極めて異例のことです。出版は江森氏の独断ということはなく、秋篠宮さまのご意向をくんだものとみていいでしょう」江森氏は’17年6月から’22年1月まで、37回も秋篠宮さまのもとに通い、インタビューを敢行していた。眞子さんと小室圭さんの結婚問題の経緯も、秋篠宮さまのお言葉を交えて詳しく語られている。皇室とメディアに詳しい名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは、出版の意図をこう推察する。「おそらく、世間にあふれているイメージに対して、自分自身はどういう思いを抱いているのか伝えたかったのではないかと思います。この本を読むと、秋篠宮は一貫して結婚を認めつつも、小室さんに対して説明を求めています。しかし、思うようには展開していかず、秋篠宮の苦悩が見て取れます。自分の考え、そして結婚問題の背景にある象徴天皇制自体が抱えるさまざまな問題を、国民に考えてほしいという思いがあったのではないでしょうか」掲載された江森氏によるインタビューは、眞子さんの婚約内定報道の翌月から始まる。当初から、お相手の小室圭さんに対する世間の反応は好意的なものばかりではなかった。弁護士事務所でパラリーガルとして働いていた小室さんの年収は、300万円程度ではないかと推測されていた。しかし秋篠宮さまは「いまのお仕事が定職ですよ」「パラリーガルのままでもいいですよ」とお答えになり、まったく問題にされなかったという。江森氏が、今回の結婚に反対されたことはないかと尋ねても、秋篠宮さまは「反対する理由はありません」と、きっぱりお答えになったそうだ。’17年11月の誕生日会見でも、秋篠宮さまは小室さんについて「非常に真面目な人だというのが第一印象でした。そして、その後も何度も会っておりますけれども、その印象は、変わっておりません。また、娘のこと、娘の立場もよく理解してくれていると思います」と、べた褒めされている。小室さん本人の人柄を信頼しきっていらっしゃったのだ。しかし、事態は急転。小室さんの母・佳代さんと元婚約者との間に、約400万円の金銭トラブルがあると報じられたのだ。報道から2カ月後の’18年2月、結婚の延期が決まった。秋篠宮さまは小室さんに何度も、金銭トラブルについて国民への説明を求められたというが、無視されたという。そして、小室さんは3年間の米国留学を決めてしまう。このころ秋篠宮さまは江森氏に「どうするのだろうと思って……」と、つぶやかれたという。また、秋篠宮さまは結婚延期が長引くことで、小室親子への厳重な警護が続くことも懸念された。警備費用の原資は国民の税金であり、小室さんに警備のありようについて検討するように伝えたというが、反応は鈍かったという。「この本で経緯を振り返ると、当初は結婚に賛成していた秋篠宮さまが、金銭トラブル報道を機に、小室さんに対して非常に厳しい姿勢に転じたことがわかります。とくに強調されているのは、小室さんが秋篠宮さまのご要望を拒否し続けていたことです。秋篠宮さまは、自分はできる限りのことをしたのだと訴えたいのかもしれません」(皇室担当記者)
2022年05月19日「秋篠宮殿下のご参拝がずっと延び延びになっていて、心苦しく思っていました。ようやくご参拝が実現して安心しました」そう安堵した様子で話したのは、伊勢神宮関係者。4月21日、秋篠宮ご夫妻は伊勢神宮の外宮と内宮を参拝された。今回のご訪問は、’20年11月に秋篠宮さまが立皇嗣の礼を終えられ、皇嗣となられたことを奉告されるためだった。当初は’21年4月に参拝されるご予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大で同年9月に延期、その後さらに延期されていた。秋篠宮ご夫妻の神宮への到着をお迎えに来ていた70代の女性は「秋篠宮さまの伊勢神宮ご参拝は大切なことと思っていましたが、コロナ禍でなかなか叶いませんでした。でもこのご参拝で、秋篠宮ご夫妻も心落ち着かれると思います」と話していた。今回の伊勢神宮ご参拝については、伊勢市の地元の人たちにも参拝の日時は知らされていなかった。偶然にも秋篠宮ご夫妻を沿道で迎えることができた60代の男性は、明るい表情でこう話した。「毎月一度、神宮にお参りに来るのですが、今日は秋篠宮ご夫妻をお迎えすることができてよかったです。両殿下のお姿が拝見できたのも、何かのご縁とありがたく思います。秋篠宮さまも、コロナ禍でなかなか参拝できなかったことはお心苦しかったのではないでしょうか。ようやく参拝ができたことで、いろいろと安心されると思います」参拝は、秋篠宮さまの妹で伊勢神宮祭主を務める黒田清子さんの奉仕により執り行われた。両殿下は、お祓い、お塩でのお清め、御手水をお受けになって、四重の垣根がある正宮の門の3つを通り最後の瑞垣南御門の前まで進まれ、両殿下が並んで拝礼、玉串をささげられた。その玉串を両殿下から大宮司を介して清子さんが受け取り、瑞垣南御門の内側の正殿の案上に納められた。その後、瑞垣南御門の外にいる両殿下に向かい、清子さんが無言で一礼され、無事にお供えされたことを伝えた。おかえりの際は、紀子さまが御手水を受けられ、その間、殿下は待っていらしたという。雨が止み、厳かな雰囲気の中でのご参拝。秋篠宮さま、紀子さまともに終始厳しいご表情をされていた。実は、秋篠宮ご夫妻のご参拝時、“奇跡”ともいうべき出来事があったという。「秋篠宮ご夫妻が外宮のご参拝を終えられたころから雨が降り始め、お車で内宮に入られたあとは、非常に激しい雨になっていました。それが内宮のご参拝が近づくと小雨になり、予定時間の直前に雨が止んだのです。ご夫妻が内宮の斎館から長い参道を歩かれて正宮に参拝される間だけちょうど雨が止み、傘をさされずに参拝されました。本当に不思議な天候でした」(皇室担当記者)ご参拝時、秋篠宮さまはモーニングコート、紀子さまはロングドレスのご参拝服をお召しだったが、紀子さまのドレスの裾が濡れた玉砂利に触れて濡れるくらいで済んだのだ。伊勢神宮の取材を長年続けていて、皇室の参拝にも詳しい文筆家、皇學館大学講師の千種清美さんはこう話した。「外宮、内宮と参拝された秋篠宮殿下はいつになく真剣な厳しいご表情をなさっていました。16回目ということですが、これまでのご参拝とは全く違う秋篠宮殿下の雰囲気だったと思います。皇嗣というお立場になられたことを意識されていたのだと思います。外宮のご参拝の後に雨が降り出し、激しく降っていた雨が殿下の内宮ご参拝の時だけ上がりました。取材陣からも『皇室マジックだ、すごい』という声が出ていましたが、それは秋篠宮殿下ご本人も強く感じられたと思います。さあ、お参りに来なさいというように神様から招かれているように感じられたのではないでしょうか」秋篠宮ご夫妻は伊勢の神宮のあと、4月22日に奈良の神武天皇陵、京都の孝明天皇、明治天皇陵を参拝され帰京。4月26日に東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れ昭和天皇、大正天皇など各陵を参拝された。これで天皇陛下のご即位の関連行事がすべて終了した。
2022年05月04日この春、筑波大学附属高校に入学された悠仁さま。幼稚園から中学校まで、お茶の水女子大学の附属校に通われていた悠仁さまは、これまで車で通学されていたのだが……。紺色のパーカと長ズボン、黒のスニーカーという装いの悠仁さまは、歩いて筑附の校門に入っていったのだ。「“徒歩通学”といっても、校門の数百メートル手前で車を降り、側衛官に付き添われての登校です。安全確保を第一に考えれば、車に乗ったまま校内に入ってしまうのが最善です。少しでも長く徒歩で登校することになったのは、紀子さまが強く要望されたからではないでしょうか。ほかの生徒や保護者たちから“特別扱い”と見られないよう、こだわられたのでしょう」(皇室担当記者)悠仁さまが初めて私服で登校された4月11日、紀子さまは東京都清瀬市の郷土博物館にお出かけになった。実は、この日の様子は従来の紀子さまのイメージを大きく覆すものだったという。「結核療養と清瀬」という展示をご覧になった紀子さま。展示の視察終了後、記者が「(悠仁さまの)ご入学おめでとうございます」と声をかけたところ、「ありがとうございます。お天気に恵まれました」と笑顔で返された。このあと、隣の「民俗展示室」もご見学。そして休憩を挟んでもう一度、展示室を訪れた紀子さまは、「どうぞご覧ください」と、記者たちを展示室に招き入れたのだ。紀子さまは「さきほど聞いた話なのですが」と、自ら記者たちに展示物の説明をし始め、「みんなで見ると、いろんな発見がありますね」とうれしそうに話された。記者団と一緒に展示室を回ったのは5分ほどというが、紀子さまは終始、楽しそうだったという。「紀子さまがこれほどハツラツと記者とお話しされる姿を見るのは、いつ以来でしょうか……。紀子さまに対しては『職員への注文が多い』『口調が厳しい』といった報道もありますから、そういったイメージを払拭したいという思いがあったのかもしれません。ただ、眞子さんと小室さんの結婚問題を機に秋篠宮家のイメージは悪化してしまいました。挽回への道のりは険しいと言わざるをえません」(前出・皇室担当記者)
2022年04月21日《本当のところは敬宮様の初会見から少しでも注目をそらすためにわざと同じ日にぶつけたのでしょう》《秋篠宮家のお子さんのイレギュラーな高校進学が批判を浴びているからそれが目立たないように愛子さまの会見をかぶせたのかな?》インターネット上でもさまざまな臆測が噴出した“日程かぶり”問題。愛子さまの初会見と悠仁さまの中学校の卒業式が3月17日に重なってしまったのだ。1週間後の3月24日の定例記者会見で、宮内庁の西村泰彦長官は次のように説明した。「3月に愛子さまの会見を調整しているのを聞いた段階で、悠仁さまの卒業式に思いを致すべきだったにもかかわらず、それが頭に思い浮かばす、調整できなかった。できれば別の日がよかった……」長官は「私のミス」と釈明したが、《単なるミスなんて、とても信じられない》という意見も多く、人々の疑問を解消するにはいたらなかった。宮内庁関係者も、この“スケジュール調整大失敗”には、深刻な問題が隠されていると指摘する。「天皇家にお仕えする侍従職と、秋篠宮家にお仕えする皇嗣職との間で連絡がきちんととれていなかったことが露呈したのです。まず悠仁さまの卒業式は、お茶の水女子大学附属中学校の年間スケジュールとして1年前から決まっていたことでした。愛子さまの会見は、学習院大学での学業に支障が出ないように、3月に開催する方針が昨年11月には発表されていましたが、その段階で皇嗣職が『悠仁さまの卒業式は3月17日です』と、連絡をしていれば、こんな事態にはならなかったのです。侍従職も、愛子さまの会見スケジュールを固めた時点で皇嗣職へ連絡していれば、日程がかぶっていることが判明したでしょう。それをしないまま発表したために、会見の日取りを変更することができなくなってしまったのです。平成の御代であればありえなかったことであり、単純に“宮内庁職員の劣化”として片づけられることではないと思います」■宮内庁長官“私のミス”発言の真意とはなぜ西村長官は、あえて“私のミス”という言葉を使ったのだろうか?皇室ジャーナリストは次のように語る。「“私のミス”と断言することで、“両陛下と秋篠宮ご夫妻の責任ではない”ということをアピールする意図があったのだと思われます。今回の騒動で明らかになったのは侍従職と皇嗣職の連携がまったくとれていないという事実ですが、同時に天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻の密接なコミュニケーションがないということも判明してしまいました。最近の天皇家と秋篠宮家の“丸かぶり”は日程問題ばかりではありません。2月23日は天皇陛下のお誕生日で、宮中で祝賀行事が行われました。その際、雅子さまは紺色のドレスをお召しだったのですが、紀子さまのドレスも紺色で、かぶってしまったのです」園遊会や一般参賀、宮中での行事など、女性皇族が一堂に会する場では、格上の皇族から着物やドレスの色合いや柄を決めていく。「もちろん最初に決めるのは皇后さまです。色や柄が同じにならないように、側に仕える人たちがお伺いをたてて、順番に決めていくのが宮中の慣習で、祝賀行事の“色かぶり”について一部週刊誌は“前代未聞”とも報じています」(前出・皇室ジャーナリスト)前出の宮内庁関係者は、度重なる異変の原因の1つに天皇陛下と秋篠宮さまの距離が広がっていることがあると考えているという。「’12年から’19年までの7年間、上皇さまと天皇陛下、そして秋篠宮さまが月に1回ほどのペースで、御所で会談をされていました。もともとは美智子さまのご発案で、宮内庁長官も立ち会って、重要な案件について意見交換を重ねていらしたのです。ただこの“頂上会談”も、御代替わり以降は行われていません。天皇陛下と秋篠宮さまがコミュニケーションをはかられるために大変貴重な場だったのですが……。さらにコロナ禍のために、お誕生日やご成婚記念日などのお祝いの食事会もなくなっています。ご挨拶程度ならともかく、お二人が顔を合わせて、話し合われる機会が、ほぼまったくない期間が続いているのです。天皇陛下と秋篠宮さまの深刻なコミュニケーション不足も、侍従職と皇嗣職の連携不足の一因となっていると思われます」最近はオンラインでのご公務も増えている。コロナ感染を防ぐためというのならば、オンラインでの頂上会談はできないのだろうか。だが前出の皇室ジャーナリストはこう語る。「宮中は慣例が重要視されており、天皇陛下と秋篠宮さまのどちらかが強く提案しない限り、オンライン会談のような新しい試みは実現しません。この4年ほど、秋篠宮家は長女・眞子さんの結婚問題で揺れ続けていました。しかし皇室全体を揺るがす大きな問題となっても、“秋篠宮家の問題だから”と、秋篠宮さまは陛下に頼られることはなかったのです。秋篠宮さまは、人に相談することを好まれないともいわれています。そんなご姿勢が、天皇陛下との距離を広げてしまったように思われるのですが……」5月1日で新しい御代になって丸3年となる。皇室の将来を担う愛子さまと悠仁さまのためにも、宮中の亀裂がこれ以上広がらないことを祈りたい。
2022年04月06日秋篠宮家の長男・悠仁さまは3月17日午後、ご進学先の筑波大学附属高校で開かれた入学準備会に出席された。母・紀子さまとご一緒に「筑附」への初登校となった。この日は午前中に、お茶の水女子大学附属中学校の卒業式にご出席。卒業式の前には報道陣に対して「中学校生活では休校になった時もありましたが、その中でさまざまな経験をして充実した3年間になったと思います」と心境を述べられた。中学入学時は紀子さまより一回り小さかった悠仁さまの身長は、紀子さまを超え、秋篠宮さまに迫るほどに。Twitter上では、悠仁さまのご成長に《あの小さくて愛らしかった殿下が、あと少しで皇嗣殿下の身長を超えてしまいそう》《お母様より身長伸びているように見えて感慨深い》《声変わりもされて、将来が楽しみ》といった声が上がっていた。中学1年生のときには、中学校の校舎に不審者が侵入し、悠仁さまの教室の机に刃物を置く事件が発生。警備体制が強化された。さらにコロナ禍にも見舞われたため、国民の前にお出ましになる機会は多くなかったが、3年間で大きく成長されたようだ。秋篠宮家を補佐する宮内庁皇嗣職は卒業式当日、悠仁さまの中学校生活について紹介する書面を公表した。悠仁さまについて《様々な行事を通じた貴重な体験、ご友人との関わりなどから多くのことを学ばれ、成長されました》と記されている。また、悠仁さまは生物への関心を強く持たれているそうだ。1年生の夏休みにブータンを訪問された際には《日本と近い種類のトンボが同国にもいることをお知りになり、海外のトンボへも関心の幅を広げられた》という。また、3年生の「自主研究」では古いもち米について調べ、交配実験もなさったとのことで、《以前に訪れられた場所で古くから栽培されているもち米のことを紹介され、その品種については秋篠宮皇嗣殿下からもいろいろとお話を聞かれた》という。筑波大学附属高校は、毎年30人前後が東京大学に進学する、都内有数の進学校。悠仁さまが今後、どういった進学先を目指されるのかについても注目される。「秋篠宮さまは学習院大学の法学部政治学科に進学されましたが、生物学を専攻したいという思いが強かったそうです。卒業後はオックスフォード大学大学院動物学科に留学されました。筑附は国際交流が活発で、海外の大学に進学する生徒もいます。悠仁さまも、国内の難関大学だけでなく、海外への進学も選択肢としてお考えかもしれません」(皇室担当記者)
2022年03月18日「実は、舟さんが2月に再婚したそうなのです」こう本誌に証言するのは、紀子さまの実弟である川嶋舟さん(48)の知人だ。舟さんは、学習院高等科を卒業後に、麻布大学、東京大学大学院で獣医学を専攻。現在は、秋篠宮さまが客員教授を務めている東京農業大学で准教授として教壇に立っている。小室圭さんと結婚しニューヨークへ移住した眞子さん、佳子さまや悠仁さまの叔父である舟さん。彼の研究に、「悠仁さまも強く関心を寄せられている」と話すのは、ある皇室担当記者だ。「川嶋准教授は、医療や福祉などに動物を活用する動物介在療法の研究を長年続けていて、特に馬を用いた分野が専門です。悠仁さまが動物へ強い関心を示されているのは、川嶋准教授の影響もあるのでしょう。なので、“農学部のある大学”への進学を希望されています。しかし都内でその条件を満たすのは東大と東京農大など少数の大学に限られ、双方の学校と縁が深い川嶋准教授は、悠仁さま進学のキーパーソンとも言えるのです」舟さんは、’06年に福島県内の神社で禰宜を務めていたAさんと結婚し、長女が生まれたが、’12年に離婚している。「当時、離婚の原因はAさんの“不倫”と報じられ、夫婦関係に注目が集まりました。また、複数の一般社団法人やNPО法人が、舟さんを広告塔のように担ぎ出し、彼の名前を前面に出して“お金集め”を行い、集まった寄付金や出資金の使途を巡ってトラブルが起き、週刊誌に報じられたこともありました。舟さんは“皇族の親戚”であることをひけらかすような言動はしていないそうです。しかし、学者肌でおおらかすぎるところがあり、妃殿下の弟という立場を利用したい人間に対して無防備すぎると心配されてきました」(秋篠宮家関係者)昨年11月4日、紀子さまと舟さんの父で、学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(享年81)が逝去している。前出の舟さんの知人も、「お父さまが亡くなったばかりなのに、ずいぶん結婚を急いだという印象を受けました」と話す。一般的には、父が亡くなった場合の喪中期間は1年ほどであり、その間は、祝い事を控えるのが慣習となっている。舟さんが父の命日からわずか3カ月の“喪中再婚”を強行するほどの女性とは、いったいどのような人物なのか――。■再婚相手は銀座のクラブでホステス経験も「近年、業界で注目されているランジェリーブランド会社の社長を務めるNさん(38)です。学習院大学出身で、外務省で働いていたこともあるそうです。’12年にブランドを立ち上げ、国内でのハンドメードにこだわる品質に、多くのファンがいます。雑誌やテレビ番組への出演のほか、YouTubeの番組では風俗やアダルトビデオ業界についての対談に登場するなど、メディアへの露出にも積極的です」(ファッション業界関係者)Nさんはこのブランドを立ち上げるまでには、多くの苦労を重ねてきたと語っている。「会社を設立する資金集めには苦労したそうです。昼の仕事に加えて、銀座のクラブでホステスとして週5日働いていた時期もあり、インタビューなどでもそのことを話しています。彼女は美人で人懐っこく、芸能界やスポーツ界など幅広い交友関係を持ち、仕事にも生かしてきました」(Nさんの知人)Nさんの、家族を作りたいという希望も強かったという。「Nさんはずっと働きづめで、出会いには恵まれなかったそうです。そうしたこともあって、“交際する男性と家庭を持ちたい”という気持ちが強く、結婚前提でお付き合いする男性を探していたそうです。昨年、知人に紹介される形で、Nさんは舟さんと知り合って、交際に発展したと聞いています。でも、2月中旬の彼女の誕生日に、突然SNSに結婚したことを投稿していたので、ずいぶん展開が早いなと驚きました」(前出・Nさんの知人)NさんのSNSには、《2月11日の紀元節に38歳に今までの誕生日と違うのは、最愛のパートナーと共に、お互いの家族と過ごせたこと》と、喜ぶ気持ちが記されている。紀元節とは、初代天皇の神武天皇が即位したといわれる皇室の記念日だ。皇族の親戚となる彼女の高揚感も伝わってくるが――。■「静かに見守っていただければ…」3月上旬、舟さんとの入籍についてNさんの会社に取材を申し入れると、「プライベートのことなので、お答えは控えさせていただきます」とスタッフを通じてコメントが返ってきた。しかしNさんの知人は、複雑な胸中を明かす。「結婚されたのは、とても喜ばしいことです。でも、舟さんは昨年お父さまが亡くなり、前の奥さんとの娘さんと暮らしているそうです。多感な年ごろでしょうし、少々急ぎすぎな気もしますが……」’18年1月に本誌記者は、目を細めながら孫への思いを語る生前の辰彦さんの言葉を聞いていた。「舟は離婚して、いまは娘とともに家におります。舟は仕事がありますので、時間がないときは私と妻が面倒を見るということなんですが、孫が僕らの面倒を見てくれているみたいで、いろいろ指図してくる。孫は、本当にかわいい……」辰彦さんの孫への思いは、舟さんに伝わっているのか――。3月上旬、本誌記者が電話で舟さんに結婚について聞くと、「そのことについては、静かに見守っていただければ……」と、再婚したことは否定しなかったものの、多くは語らなかった。“将来の天皇”となる悠仁さまに、新しい叔母ができたことについて、紀子さまはどのように受け取められているのか――。宮内庁関係者はこう語る。「ご姉弟間の絆は昔から強く、定期的にコミュニケーションをとっておられます。再婚についても報告は受けられているそうです。しかし妃殿下はご実父の逝去後、2月上旬までの90日間は喪に服されて、祝賀や祭祀などを控えていましたし、やはり舟さんの再婚は急すぎるのではというお気持ちもあるようです。服喪については、一般よりも宮中のほうが厳しく、それだけに秋篠宮さまが昭和天皇の喪中に婚約を発表されたときは、異例のこととして物議を醸したことがありました。そのことは妃殿下も覚えていらっしゃると思います。もちろん舟さんは皇族ではありませんが、妃殿下は秋篠宮家へ今以上の批判的な声が上がることを心配されているのでしょう」小室圭さんについては、“婚約前に「身体検査」をするべきだった”という意見もあった。「親戚ともなれば、記念日にご家族で集まるお食事会などで、天皇皇后両陛下とご一緒することもあります。舟さんご夫婦にも今後そうした機会があるでしょう。それにもかかわらず、妃殿下もNさんという女性に関する判断材料に乏しく、困惑されていると聞きます」(前出・宮内庁関係者)近現代の皇室制度に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「皇室は、冠婚葬祭などへの態度は厳格であるべきとされています。それが国民の象徴としての畏敬や信頼を集める源泉となっているからです。皇室と関係が深い親族であれば、冠婚葬祭などには一定の配慮を示したほうが、国民の“違和感”は生じにくいと思います」紀子さまは小学3年生のときに、文集に舟さんについて、こう綴っている。《いつもいたずらをして、私をこまらせる舟ちゃんですが、ほんとうは、私の心の中には、舟ちゃんのことをだいすきという心があるのです》“舟ちゃん”の急すぎた再婚にも紀子さまは憂愁を募らせているのか――。
2022年03月15日「たいへん光栄なこと。できる限りの方策を立てて安全・安心を確保したい」秋篠宮家の長男・悠仁さまが筑波大学附属高等学校(筑附高)に合格されたことについて、同大の永田恭介学長は2月24日の会見で歓迎の言葉を述べた。悠仁さまはお茶の水女子と筑波、両大学の附属校の間で’17年にスタートした「提携校進学制度」を利用されたという。悠仁さまのために作られた制度ではないかとの指摘に、永田学長は「その見方は当たらない」と否定した。だが、皇室担当記者は首をかしげる。「悠仁さまがお茶の水女子大学附属幼稚園に入園されたのも、女性研究者を支援する『特別入学制度』によるものでした。この制度の“適用第1号”で入園されたのが悠仁さまだったのです。悠仁さまの進学に伴って“特別な制度”の新設が2度も繰り返されたわけで、疑念が生じるのも致し方ありません。皇嗣職大夫の会見でも、記者から『特別扱いでは』との質問が相次いだのです」なぜ紀子さまは“皇室特権”との批判を顧みず筑附高への進学を推し進めたのか。「紀子さま自身の学歴コンプレックスがあるのでは」と語るのは皇室ジャーナリスト。「ハーバード大、東大で学ばれた雅子さまと比べると、見劣りするという思いがあったのでしょう。紀子さまは、’13年にはお茶の水女子大で博士号も取得されています。筑附高は’21年度は29人が東大に合格した、都内有数の進学校。悠仁さまにも東大を目指してほしいというお気持ちが紀子さまにはあるのでしょう」だが、こうした秋篠宮家の価値観は、皇室に亀裂を生じさせつつあるという。天皇陛下は2月23日の誕生日に際して開かれた会見で、眞子さんと小室圭さんの結婚について次のように語られた。「今後、幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」■天皇陛下から“異例の苦言”がめいである眞子さんの慶事について“心苦しい”と語られた陛下。宮内庁関係者は「“苦言”ともとれる異例のご発言だった」と語る。「あえて『心苦しい』と語られたのは、眞子さんの国民に対する姿勢が決して好ましいものではなかったと、陛下もお考えになっているからでしょう」陛下は続けて「国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております」と、皇室のあり方について改めてお考えを述べられた。歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「秋篠宮家は、従来とは異なる、より自由な精神による皇族の生き方を模索してきました。眞子さんの結婚や悠仁さまの進学にも、その価値観が反映されています。陛下は会見で、歴代天皇の言葉を紹介し、『徳』『道義』『礼儀』を重んじ、国民に心を寄せることが皇室の役割だと語られましたが、秋篠宮家の現状はそこから逸脱しかけているようにもみえます」“道義”よりも学歴を追い求めるかのような教育方針は、美智子さまのお考えとも相いれないという。「美智子さまは、雅子さまが皇太子妃に決まった際に、喜ばれつつも親しい知人に、ある懸念を表明されていたのです。それは、雅子さまがあまりに優秀で、学歴も立派すぎるために、将来の“お妃選び”が難しくなるのではないかというご心配でした。雅子さまが皇太子妃にふさわしくないということではなく、国民がご結婚相手に求めるハードルが上がりすぎることを危惧されたのです。また同時に、皇族にとって大切なのは優秀さよりも祈る心だというお考えも示されていました。紀子さまは学歴や受賞歴で“優秀さ”を示そうとされているのかもしれませんが、皇族として大切にするべきことが悠仁さまに伝わっているのか、疑問も残ります」(前出・宮内庁関係者)止まらぬ“高学歴志向”への懸念は払拭されるのかーー。
2022年03月04日《一般論として、受験期を迎えている未成年者の進学のことを、臆測に基づいて毎週のように報道するのは、メディアの姿勢としていかがなものか》秋篠宮家の側近幹部である加地隆治・皇嗣職大夫は1月24日、悠仁さまの進学先を巡る報道について、文書で苦言を呈した。現在お茶の水女子大学附属中学校3年生で、この春に高校進学を控える悠仁さま。「最有力と報じられているのが、筑波大学附属高校です。実は、お茶の水女子大学と筑波大学は’17年に『提携校進学制度』を創設しています。両校の附属校の生徒が若干名ずつ、もう一方の附属校に進学できるという制度です。面接や書類審査はありますが、学力テストはなし。しかも5年間限定の制度のため、『悠仁さまのための特別ルートではないか?』という報道が相次いでいたのです」(皇室担当記者)加地大夫は、そうした報道にクギを刺したのだ。「今回の苦言は、21日にあった加地大夫の定例会見の“補足”として出されました。次回の会見を待たずに文書が出るのは異例です。会見でのやりとりについて報告を受けた秋篠宮さまと紀子さまが対応を指示されたのでしょう。秋篠宮ご夫妻が“悠仁さまの進学問題への口出しは許さない”とばかりに報道への反発を強めるのは理解できます。ただ、眞子さんの結婚問題に関してはマスコミを“利用”していたはずですが……」(宮内庁関係者)小室さんがニューヨーク留学に出発した’18年8月には、朝日新聞に「『納采の儀、現状では行えない』秋篠宮ご夫妻、小室さんに」との記事が掲載された。2人の結婚について《皇族として国民から広く祝福される状態にないと考えている》などと、秋篠宮さまが結婚に強く反対されていると印象づける記事だった。さらに同年12月、『AERA』に紀子さまと親交が深い女性記者の署名原稿が掲載される。そこには“親しい友人”が紀子さまから聞いたという言葉が記されている。「船の舵をいきなり90度、切りかえられるものではありません」「でも、どんな小さな船でも自分で進んでいく力を持っていることを信じています」遠回しだが、小室さんとの結婚に突き進む眞子さんに“方向転換”を願うメッセージにも見える。「当時、眞子さんはご両親との会話を拒否していたといいます。そんな“家庭内冷戦”の状況下で、秋篠宮ご夫妻は小室さんとの結婚をどうにか阻止しようと、マスコミを通じてメッセージを発したのでしょう」(前出・皇室担当記者)その秋篠宮ご夫妻が一転して、悠仁さまの進学問題報道には神経を尖らせている。“真逆の対応”といっても過言ではないがーー。
2022年02月04日「11月30日の56歳の誕生日に先立ち、11月25日に秋篠宮さまが記者会見に臨まれました」(宮内庁関係者)すでに小室眞子さんはアメリカでの新生活を始めているものの、やはり会見では記者たちの質問も“長女・眞子さんの結婚”に関わるものが多く、秋篠宮さまも厳しい表情を見せられていた。前出の宮内庁関係者が続ける。「秋篠宮さまは、眞子さんのことで、上皇ご夫妻や天皇皇后両陛下にまでご迷惑をかけてしまったことに忸怩たる思いを抱かれていたそうです。また納采の儀など、結婚にあたっての行事を行わなかったことを“私の判断”としながらも、皇室の行事が軽いものだという印象を国民に与えてしまったことも後悔されているようでした」結婚問題を巡り、眞子さんとは深い溝ができてしまったとされる秋篠宮さまだが、そのことも後悔されているのか、会見では眞子さんをかばうような言葉も語られていたことが印象的だったという。「たとえば《皇族でいる間、公的なものと私的なものとの場合には、常に公的なものを優先してきている》などと、眞子さんは決して“私優先”ではなかったと強調されたのです。秋篠宮さまとしては、小室さんとの結婚への批判のために、眞子さんの皇族としての功績までもなかったものとされ、さらに眞子さんの人格への攻撃にまでエスカレートしていったことが耐え難かったのではないでしょうか」その一方で、“婿”である小室圭さんへの冷淡な態度は隠そうとなさらなかった。「質問のなかには3年ぶりに帰国した小室さんと対面したときの印象をお伺いするものもありました。しかし秋篠宮さまは、対面の時間が20分ぐらいだったことを理由に、《印象に残ることというのは特に私にはありませんでした》と、突き放すような言い方をされたのです。また10月26日の結婚会見では記者との質疑応答は前日、突然に中止になったわけですが、秋篠宮さまとしては、少なくとも小室さんは自分の口で経緯をきちんと説明すべきだった、というお考えを持たれているようです」小室さんを名前ではなく“夫”と呼ばれていたことからも、今回の騒動の元凶は小室圭さんであると考えていらっしゃることが強く伝わってきたという。「小室さんに関する言及はできるだけ避けていらっしゃった秋篠宮さまですが、今回は婿に対する“恨み節”を止めることができなかったという印象です。これまでにない、はっきりとした表現も多かったのは、眞子さんの結婚騒動に、ご自身の会見で終止符を打ちたいという強いお気持ちもあったのでしょう」最後まで自分をかばってくれた父・秋篠宮さまのお姿を、眞子さんはどのように受け止めたのだろうか。
2021年11月30日秋篠宮家の長女・眞子さまは10月23日、30歳の誕生日を迎えられる。信念を曲げることなく、ついに小室圭さんとの結婚を成就される眞子さま。“まっすぐ”に歩んだ30年を秘蔵写真とともに振り返る。「かわいい顔して……。私に似て」眞子さまご誕生の翌朝、秋篠宮さまはお顔をほころばせた。‘91年10月23日に誕生されたご長女に、秋篠宮ご夫妻は「眞子」と命名された。「眞」には「自然のまま、ありのまま」の意味があり、秋篠宮さまは「自然に飾ることなく、人生を歩まれる」ことを願って名付けられたという。眞子さまが1歳くらいのころ、秋篠宮家の夜の日課はおやすみの挨拶回りだった。ナマズの水槽の前で紀子さまと「ナマズさん、おやすみなさい」と一緒におじぎ。カメや庭のハニワにまで「おやすみなさい」をして眠りにつかれていたという。“生あるものに対するいつくしみの心を育んでいこう”という、秋篠宮ご夫妻のお考えだったそうだ。初孫の眞子さまを、美智子さまはとくにかわいがっていらした。眞子さまが学習院初等科3年生のときに、ご養蚕について伝える手紙を綴られ《おととし眞子ちゃんは、このまゆかきの仕事をずいぶん長い時間てつだって下さり、ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました》とお褒めになっている。心優しく真面目に、すくすくと成長された眞子さまは、皇室の“優等生”と呼ばれるほど熱心にご公務に取り組まれるようになる。そんな“まっすぐさ”は、幼少期の秋篠宮ご夫妻の教育、美智子さまを始めとする皇室の方々との交流のなかで育まれたのかもしれない――。
2021年10月22日紀子さまの父で、学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(81)が、10月19日に都内の病院に緊急入院したことがわかった。報道によると、紀子さまは眞子さま、佳子さまとご一緒に、同日午後2時半ごろに病院へ駆けつけられた。川嶋さんの詳しい容体については、わかっていないという。眞子さまの結婚1週間前にして、秋篠宮家に走った大激震――。奇しくも同日は、眞子さまが午前中に皇居・宮中三殿を私的に参拝し、小室圭さんとの結婚を報告された日だ。眞子さまにとって、川嶋さんは祖父にあたり、上皇ご夫妻と同じ孫を持つ身だ。上皇ご夫妻は、「複雑性PTSD」と診断された眞子さまを心配されており、上皇ご夫妻の側近である上皇侍従次長は、8日の定例の記者対応で「上皇ご夫妻、とくに上皇后さまが、眞子さまの健康を案じたいへん心配されている」と明かしていた。川嶋さんも、上皇ご夫妻と同じように眞子さまを心配されていたのではないだろうか。「紀子さまが秋篠宮さまと結婚されてから、川嶋さんはその暮らしを静かに見守ってきました。ですが最近では、紀子さまと眞子さまの対立が報じられたり、お子さまたちの教育方針に疑問の声が上がることもありました。さらにそれだけではなく、川嶋さんご家族の交友関係にまで批判が及んだこともありました。眞子さまの結婚をめぐっては、いまだに批判する国民も少なくなく、決して祝福できる状況にはありません。美智子さまでさえ沈黙を貫かれているなか、川嶋さんが意見を口にすることはありませんでした。実際、川嶋さんは今年8月に一部週刊誌からの取材も丁重に断っています。娘や孫たちを遠くで見守るしかできないだけに、目には見えない心労を抱えていたのではないでしょうか……」(皇室担当記者)思いもよらぬ川嶋さんの入院に、ネット上では川嶋さんの体調を慮る声が広がっている。《心配ですね。快方に向かいますように》《どうぞご容態が安定されるといいですね。ご回復が早ければいいですね》《紀子様のお父様心配ですねご回復御祈り致します》
2021年10月21日駐日パラグアイ大使を迎え、並ばれた秋篠宮さまと眞子さま。10月5日、父娘でパラグアイ政府からの国家功労勲章伝達式に臨まれたのだ。勲章を受け取られる際にはほほ笑まれたお二人。だが皇室担当記者はこう語る。「今回の伝達式は、最後の父娘でのご公務になるようです。しかし公開された映像からは、ぎこちない印象を受けました。特に眞子さまが緊張されているようにお見受けしました……」ご結婚発表と同時に、眞子さまが“複雑性PTSD”と診断されたという事実が公表されたことは、国民だけではなく、令和の皇室にも衝撃を与えた。皇室担当記者が続ける。「10月7日には天皇皇后両陛下の側近である侍従次長が、『両陛下も心配されている様子とお見受けします』と、語りました」眞子さまの病名が診断された時期は明確にされていないが、宮内庁関係者は次のように語る。「紀子さまは’18年11月の会見で、眞子さまのご体調の異変についてこう言及されています。『長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした』。その後、皇室医務主管に相談され、精神科医の秋山剛氏による眞子さまのご診察にいたったのだと思われます。しかし今回の病名公表で私が気になったのは、診断結果が秋篠宮家の側近に伝えられるまで、かなりの時間差があったと思われることです」秋篠宮ご夫妻の側近トップ、加地隆治皇嗣職大夫は10月1日の会見でこう漏らしているのだ。「(ご結婚の日程が)なぜ、10月26日なのかということをいろいろお聞きしている中で、そういう話が出てきたものですから、びっくりしたところでございます」この発言について、前出の宮内庁関係者は首をひねる。「センシティブなご体調の問題ですから、秋篠宮ご夫妻も伏せていらしたのかもしれません。しかし側近トップにさえ、ごく最近までまったく知らされていなかったという事実にとても驚いています。ご病名公表がもっと早い時期であれば、ここまで長期間、眞子さまが国民の批判の矢面に立たされることもなかったのではないでしょうか。以前から秋篠宮さまは、事前に宮内庁職員と相談せず、独自に判断される傾向がおありでした。これまでの皇族のご結婚に関しては、お相手やその家族について、宮内庁が事前に綿密に調査していたのです。しかし、眞子さまの場合は事前の調査を行っていません。それは秋篠宮さまのご意向だったといわれています」ご自身の判断について秋篠宮さまがどうお考えになっているのかはつまびらかにされていない。しかし小室家が金銭トラブルを積極的に解決する姿勢を示さないなか、秋篠宮さまは“破談作戦”ともいえる動きを見せられるようになったのだ。「1つは“多くの人が納得できる状況にならないと納采の儀は行えない”とし、ご結婚のハードルを上げられたことです。秋篠宮さまとしては、時間をおくことで、眞子さまがお考えを改めるのではないか、というご期待もあったでしょう。また、さらに積極的に関与されたこともありました」(前出・宮内庁関係者)’18年に小室さんはニューヨークのフォーダム大学に入学。同大学のサイトでは小室さんのことを「日本のプリンセス・マコの婚約者」と紹介していたが、その後、削除されたのだ。「宮内庁が『内親王と小室氏は、まだ正式に婚約していない』と、フォーダム大学に指摘したのです。実はこれは秋篠宮さまのご指示だったそうです」(前出・宮内庁関係者)■秋篠宮さまは2つの立場の間で苦悩を続けられてしかし、小室さんが留学した3年の間、秋篠宮さまが期待された“眞子さまの心変わり”はなかった。そして眞子さまはご家族、小室圭さん母子やご自身に対するバッシングの期間も長期化したことで、複雑性PTSDを発症され、破談を目指されていた秋篠宮さまは“自滅”してしまうことに……。立教大学教授で精神科医の香山リカさんは次のように解説する。「複雑性PTSDの主な症状としては『自分の価値がないと思い込んでしまう』などがあります。眞子さまの自己肯定感が減少している状況ですので、ご結婚できないとなると、症状が悪化する可能性があることを医師は説明したと思います。ご家族としても、結婚を認めることで、自己肯定感を回復してもらおうと、お考えになったのではないでしょうか」皇嗣と父親という2つの立場の間で、秋篠宮さまは苦悩され続けてきたという。秋篠宮家に近い関係者は、こう明かす。「『私だって苦しい……』、そんなお気持ちは明らかでした。一時は一目でわかるほどお痩せになって、私もご心配申し上げました。いまも皇嗣殿下のお立場としては眞子内親王のご結婚に反対されています。しかし内親王がご結婚の儀式も一時金も辞退し、一人の女性として結婚すると決断された以上、憲法で保障されている結婚を反対されることはできないのです。もちろん父親として娘の体調を憂慮するお気持ちもあったでしょう。多くの国民の祝福を得られる結婚を実現できなかった、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下にご心配をおかけしてしまった……、秋篠宮殿下はそんな懺悔の念にもかられているご様子です」“もっと早く宮内庁と協議していれば……”、秋篠宮さまは、そんな自問自答を繰り返されているのだろうか。
2021年10月14日9月11日、55歳のお誕生日を迎えられた紀子さま。皇嗣妃となられてからは、毎年記者からの質問に文書で回答されているが、今回は10月にも婚姻届けを提出する見通しだと報じられた眞子さまの結婚について、どのように考えを述べられるかが注目されていた。今回、紀子さまは眞子さまの結婚について、《親として娘の思いや考えを受け止められるよう、対話を重ねております。こうした中、共感できることもあれば、意見が違うこともありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合い、長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております。一連の対応についての受け止めや、今後の見通し、話したことの内容などをお伝えすることは控えさせていただきます》とつづられた。「“尊重したい”というお気持ちは昨年のお誕生日での文書で初めてつづられ、“事実上の結婚容認”だと大きな注目を集めました。今回も、昨年とほとんど同じ内容となっていますが、“意見が違うこともありますが”と言及されているとおり、昨年に引き続き、未だ母娘で折り合いがついていない部分があるということでしょう」(皇室ジャーナリスト、以下同)18年2月に結婚延期が発表されてからも、紀子さまは眞子さまとともにご公務や皇室行事に取り組まれてきた。ご公務中にお二人で会話されることもあったが、ときには“距離”が開いたときもあったという。「19年6月に、紀子さまと眞子さまが横浜能楽堂で琉球舞踊を鑑賞されたときのことです。お二人とも終始笑顔を浮かべられているのですが、カメラが入っている間、一度も視線を合わせることはありませんでした。18年4月に、オランダ絵本の展示会にお出ましになった際には、お二人で絵本を手に語り合われ、フォトブースで写真も撮られていたのですが……」“緊迫”した時期にも、紀子さまは眞子さまのよき将来を願われ続けていた。「そのような状況でも、紀子さまはご公務で眞子さまに話しかけられたり、ご一家で医療用防護服を手作りされるボランティアに励まれたりと、関係の修復に努めてこられたのです」紀子さまが粘り強く向き合われることで、再び母娘で話されるようになった眞子さま。しかし、眞子さまは「一時金辞退の意向」を示され、戦後の皇室で初めてとなる「儀式なしの結婚」を遂行しようとされている。母娘の対話は、果たしてどう決着がつくのだろうかーー。
2021年09月11日マスク姿の眞子さまを乗せた車が、皇居の門をくぐる――。秋篠宮家の長女・眞子さまは8月26日、宮内庁病院で新型コロナのワクチンを接種された。5日の1回目の接種からちょうど3週間で2回目の接種となった。「ニューヨークの小室さんは数カ月前に接種済みとみられています。若者の中には副反応に不安を覚える人もいるようですが、小室さんから話を聞いていた眞子さまは、安心して接種なさったのではないでしょうか」(皇室担当記者)眞子さまの結婚問題に進展が見えないなか、秋篠宮家にとってもう一つの大問題が、9月6日に15歳の誕生日を迎える悠仁さまの高校進学だ。お茶の水女子大学附属高校は女子高。現在、附属中学3年生の悠仁さまは、別の高校に進学せざるをえない。宮内庁関係者は学習院を推す。「進学先候補として、筑波大附属高や東京農大一高が挙がっていますが、やはり学習院高等科を第一に考えていただきたいです。警備の面でも万全ですし、天皇陛下や上皇陛下、もちろんご両親の秋篠宮ご夫妻も通われた学校ですから。小室さんの問題に巻き込まれたのも秋篠宮家の“学習院離れ”が元凶といっても過言ではありません。眞子さまが学習院大学に進学されていれば、小室さんに出会うこともおそらくありませんでしたが、それ以上に根深い理由があるように思います。“学習院離れ”に象徴されるように、秋篠宮ご夫妻はお子さまの自主性を最大限に尊重される子育てをされています。その結果、眞子さまが夢を追い求める“自由人”の小室さんに引かれたのは至極当然ではないでしょうか。悠仁さまの教育も軌道修正して、皇室との関係も深い学習院に進学されれば安心なのですが……」■10年前の“紀子さま呼び出し”事件しかし学習院関係者は、悠仁さまが学習院に進学される可能性はゼロに近いと、強く否定する。「秋篠宮ご夫妻には、学習院との因縁がいくつもあるのです。秋篠宮さまはナマズや家禽類の研究ができる大学へ進学したかったのに、周囲の説得で仕方なく学習院大学に進学されたそうです。また紀子さまの父は学習院大学名誉教授ですが、一時は学長候補と目されていたにもかかわらずあまり出世できませんでした。そういった出来事から、ご夫妻ともネガティブな印象を持たれていたのかもしれません」さらに、眞子さまと佳子さまが在学中の出来事が決定的だったという。「眞子さまと佳子さまが学習院初等科にいらっしゃったころ、大規模な工事が進んでいました。グラウンドが整備され、新たな教室棟が建てられたのですが、それは愛子さまの入学に合わせたタイミングだったのです。さらに女子中・高等科についても、愛子さまが入学される前に新教室棟が建てられました。秋篠宮家としては、ないがしろにされたと感じられたでしょう。さらに、佳子さまが女子高等科に在学中、紀子さまが学校から“呼び出し”を受けたことがあったといいます。当時保護者の間でも話題になりました。佳子さまの学校生活についてのことだったと言われており、紀子さまにとっては屈辱的だったのではないでしょうか。それ以来、学習院に対する忌避感は消えていないのかもしれません」(前出・宮内庁関係者)’13年4月に悠仁さまはお茶の水女子大学附属小学校に入学される。戦後、皇族方が学習院以外の小学校に入学されたのは初めてだった。悠仁さまの進学にまで影響を及ぼすほどに、約10年前の事件が尾を引いているというのか――。
2021年09月04日3年半もの間、“延期”されている眞子さまと小室圭さんのご結婚――。この問題について、来月11日に公表される、秋篠宮家の紀子さまが55歳のお誕生日に際して公表される文書が注目を集めている。文書では眞子さまのご結婚についても触れられる見込みで、小室圭さんがニューヨークで就職する予定との報道があるなか、大きな進展がある可能性も考えられる。先だって、8月27日、紀子さまより一足早く55歳の誕生日を迎えたのが、小室圭さんの母・小室佳代さんだ。眞子さまのご結婚に大きく関わっている佳代さんの周りには、いまだ説明がなされていない謎が多く残る。その謎を整理してみよう。【謎1】そもそもお金は持っていた?佳代さんの元婚約者が400万円の返済を求めたことに始まった今回の騒動。そもそも、佳代さんはお金に困っていたのだろうか。圭さんの幼稚園の送り迎えには、真っ赤なアウディを使っていたという佳代さん。さらに、圭さんを幼いころからヴァイオリン教室に通わせ、自宅からかなり離れた音大付属小学校や、中高6年間の学費が1,000万円越えと言われるインターナショナルスクールにも通学させていた。「佳代さんは有名な洋菓子店に正社員として勤務していましたし、市役所勤務だった夫・敏勝さんの遺族年金を受給していました。また佳代さんは父親と同居しているので、家計収入は少なくはなかったのかもしれません。現在も解決金として400万円を支払う意向があることを代理人が語っています。お金がなくて金銭トラブルになっているというわけではないのかもしれません」(皇室担当記者、以下同)【謎2】400万円は何に使われたのか?当初、元婚約者が佳代さんに貸したと主張する400万円は、国際基督教大学(ICU)に通っていた圭さんの学費にも使われていたと報じられてきた。しかし、圭さんの代理人は「(ICUの)入学金は圭さん自身が、期限までに納入しています。その主な原資は、彼が高校生のころにアルバイトをして貯めたお金でした」と昨年11月に本誌に語ったのだ。さらに、入学後の学費についても「圭さんは、ICU在学中は奨学金を利用していました。入学金と1学期目の授業料などは圭さん自身の貯金から支払い、それ以降の学費は全額、奨学金で賄っています」と説明している。「これは元婚約者側の当初の主張を覆すものでした。学費に使われていたのであれば圭さんも金銭トラブルに無関係ではないと思われていたことが、騒動をより大きくしたからです。しかし、これにより400万円の使途はなんだったのかという新しい疑問が生まれたのですが、金銭の行方についてはまだ説明がなされていません」【謎3】佳代さん一人にも警備がついたのはなぜ?NHKが「眞子さま 同級生とご婚約へ」と報じたのは17年5月16日だった。その翌日には圭さんと佳代さんが警護にあたる警察官と出勤する姿が報じられた。「圭さんに警護がつくのは、黒田慶樹さんが清子さんとのご婚約について報じられたときと同じでしたが、母親の佳代さんが単独で移動する時にも当初から警察官による警護がついていました。黒田さんのときとは違う対応です。まだ金銭トラブルが発覚する前だったので、なぜそこまでするのか異様な感じでした」月額500万円とも600万円とも報じられた小室家の警備。圭さんの留学後は警備が行われていないが、小室家のマンションの前には圭さんの帰国を待つように2年間ポリスボックスが設置されたままだ。【謎4】なぜ元婚約者との面会を拒否し続けるのか?秋篠宮さまが「決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではない」とまで言及されたご結婚問題。鍵を握る、金銭トラブル解決に向けた交渉は、400万円の返済を求めた元婚約者側に解決金として同額を支払うことで両者が合意するとみられていた。だがいまだに解決しないのは、元婚約者側が求める佳代さん本人との面会が実現していないからだという。「今年4月に出された“小室文書”では《(元婚約者から)ここまでの攻撃をされるというのは、ご真意とされているもの以上のお考えがあるように思えてなりませんでした》と書かれています。ここで“ご真意”と触れられているのは、元婚約者が当初から語っている、“どんな形でも400万円が戻ればいい、結婚を邪魔するつもりはない”という主張のことでしょう。つまり、佳代さんは今も元婚約者側に別の意図があると思っている可能性が高いということになります」4月の段階では「長期入院中」を理由に面会を先延ばしにしていた佳代さん。今後は方針転換があるのだろうか。【謎5】小室家の親子関係は良好なのか?「もし圭くんが眞子さまと結婚しても、佳代さんと別居することは考えられないよ。社会人になった後でも、地元商店街で親子2人が並んで歩く姿を何度も見かけた」。小室親子を知る男性がこう語るほど、佳代さんと圭さんは“母子密着”状態にあると周囲は見ていた。ところが、今年6月に発売された『週刊文春WOMAN2021夏号』に掲載された佳代さんのインタビューでは、「息子は全部自分で決めてやるタイプなんです。(中略)米国留学してからは、それほど連絡はとっていません」と自身で“母子密着説”を否定している。「圭さんは4月の“小室文書”を公表する日を佳代さんに伝えていなかったそうで、金銭トラブル解決に向けて親子の足並みがピタリとそろっているわけではないこともわかってきました。それがこの問題が3年半経っても解決しない理由のひとつなのかもしれません」「多くの人が納得し喜んでくれている状況」になるのはいつの日のことなのだろうか。
2021年08月27日ご公務にはフォーマルな装いで臨まれる皇族方が、なかなかお見せにならない私服姿。今回は雅子さまと紀子さまの、若かりしころのファッションをプレイバック――。ジョルジュ・レッシュのスーツで海外にお出かけになる、ご婚約以前の雅子さま。ポケットチーフとストライプのインナーは紺と白で色を統一されている、上品なスタイルだ。一方、ご婚約時代の紀子さまは、白、赤、紺のトリコロールの色使いや金ボタンを使った深いVネックのカーディガンで当時のお嬢様スタイルを取り入れている。皇室の装いにも詳しいファッション評論家の石原裕子さんは、「空港での雅子さまはいかにも外務省で働く女性という感じで、多くの女性の憧れとなったお姿です。独身時代からとても品のある装いをされています。紀子さまのコーディネートは、偶然にも全てトリコロールカラーのお洋服になっています。学生時代の流行も偲ばれます」雅子さまと紀子さまのファッションは、プリンセスたちのお手本になっていることだろう――。
2021年06月17日宮内庁は4月30日、秋篠宮家の次女・佳子さまが、5月6日付で「全日本ろうあ連盟」に非常勤嘱託職員として就職されると発表した。コロナ対策のため当面はテレワークとなり、週3日程度の勤務で事務などに従事されるという。「佳子さまといえば、プライベートでダンスレッスンを続けられていて、イギリス留学でも舞台芸術について学ばれました。そういった舞台芸術関連の就職先を模索されたこともあったようですが、もう一つの“ライフワーク”ともいえる手話に関わる仕事に就かれることになりました」(皇室担当記者)ダンスを除けば、佳子さまがもっとも精力的に取り組まれてきたのが手話だった。全日本ろうあ連盟主催の「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」に、’14年の第1回からほぼ毎回出席。昨年9月のウェブ開催でも手話を交えたビデオメッセージを寄せられた。「ビデオ収録のときには、伝わりやすい映像にすることにこだわって、何度も撮り直しをされていました」(宮内庁関係者)手話への情熱が、就職先選びの決め手になったことは間違いない。だが、今回の佳子さまのご就職に関して決定的な影響を及ぼしたのは、一向に収まる気配のない“眞子さまと小室圭さんの結婚問題”だと、宮内庁関係者が声を潜めて内情を明かす。「眞子さまは25歳のときに婚約内定会見に臨まれました。今年27歳になられる佳子さまがいつ結婚されてもおかしくありません。しかし、この状況では、佳子さまはしばらく結婚させられないと、秋篠宮ご夫妻、とくに紀子さまがお考えになっているようなのです。今回のご就職も、紀子さまから佳子さまへ、強い要望があってのことのようです。十分に社会経験を積まないままでは結婚はさせられない――。紀子さまはそうお伝えになったといいます」■小室さん問題が佳子さまのご結婚に起こした“よい影響”眞子さまの結婚問題に憤懣やるかたない紀子さまから飛び出したという、まさかの結婚禁止令……。「眞子さまのご結婚問題が一筋縄ではいかない状況になって、秋篠宮ご夫妻の意識は大きく変化しました。それは、佳子さまのご結婚に関しては、ある意味“よい影響”なのではないかと思っています」そう語るのは、古くからの秋篠宮家の知人である。「秋篠宮さまも紀子さまも、お子さまたちを信じて、その選択を尊重するという姿勢をずっと貫いてきました。ご結婚相手についても、眞子さまや佳子さまが選んだお相手に反対するおつもりはなかったのです。しかし、その結果として“小室さん騒動”が起きてしまったのです。佳子さまのご結婚について、もうご本人任せにはできないと、秋篠宮ご夫妻はお感じになっています。とはいえ、ご結婚相手に何か特別な条件をお求めになっているわけではないのです。無理やりお見合いをさせようというお考えもありません。人柄が信頼でき、生活に困らないだけの安定的な収入があれば十分だとお考えなのです。仕事を通じてさまざまな人に接することで“人を見る目”を養ってほしい……。それこそが秋篠宮ご夫妻の切実な願いなのです」佳子さまの結婚について慎重姿勢に舵を切られたという秋篠宮ご夫妻。その不安は杞憂に終わるのか、それとも――。「女性自身」2021年5月25日号 掲載
2021年05月13日近年、赤ちゃんの名づけは古風で和風な「レトロネーム」が一大ブーム! 今回は、赤ちゃんの名づけ調査件数日本最大級「ベビーカレンダー2020年赤ちゃんの名前ランキング」から、女の子に人気の「こ止めネーム」TOP10をご紹介いたします。古風でありながらも今どき感もある、二音の名前が多数ランクイン! 1位りこ2020年「こ止めネーム」首位を獲得したのは「りこ」。2019年よみランキングでは14位、2020年は16位にランクインしている、近年人気の名前です。「莉子」「莉瑚」「莉心」などで名づけられており、「莉」という漢字の人気。「莉」は「茉莉花(ジャスミン)」に用いられ、夏に香りのよい小さな花を咲かせることから、可憐な印象を受けるようです。 2位あこ「あこ」は2019年のよみランキングでは70位、2020年は93位にランクイン。「彩心」「葵子」のほか、ひらがなの「あこ」などで名づけられました。「あ」という開放的な印象の響きと、「こ」で止める少し古風な印象が重なり、印象的な名前ですね。 3位にこニコニコとかわいらしく笑う女の子をイメージするような「にこ」。「虹心」「にこ」「優心」「仁瑚」などと名づけられました。青空に大きくかかる虹を連想させる「虹」は、多彩な魅力を輝かせてほしいという願いが感じられるようですね。 4位きこ賢くスタイリッシュな印象となる「か行ネーム」の一つ「きこ」。「葵子」「葵心」「希心」「希子」などが名づけに用いられました。皇族の秋篠宮紀子さまを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんね。モデルの水原希子さんも同名で活躍されています。 5位ひなこどことなく太陽のあたたかさを連想させるような「ひなこ」。「日向子」「日菜子」「日奈子」「陽菜子」などの漢字が名づけに用いられました。有名人では日本人史上2人目の海外メジャー優勝を果たしたプロゴルファーの渋野日向子選手や、女優として活躍中の桜井日奈子さんが活躍されています。 6位まこ「まこ」という名前を聞けば、今大人気ガールズグループNiziUのメンバーで、リーダーでもあるマコさんを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。「まこ」というよみでは、「茉子」「真子」「まこ」「眞子」などが名づけに用いられました。「茉」という漢字は、2020年の漢字ランキング19位で、ジャスミンの花のように可憐で魅力的な女の子という印象を受けるようですね。 7位みこ「こ止めネーム」7位にランクインした「みこ」。「美心」「心都」「心琴」「みこ」などと名づけられていました。「心」は2019年、2020年と2年連続漢字ランキング9位にランクインする人気の漢字で、「思いやりのある心の綺麗な女性になりますように」という願いを込めて名づけてもいいですね。 8位ここチャーミングで新鮮な雰囲気の「ここ」。「心」「心虹」「瑚子」などの漢字が名づけに用いられました。同ランキング7位の「みこ」同様、「心」という漢字の人気の高さがわかります。9位なこ音の響きがかわいらしい「なこ」が「こ止めネーム」9位にランクイン。「菜瑚」「奈子」「菜子」「なこ」などが名づけに用いられました。音に温かみがあり、周りを癒す明るい印象の「な行ネーム」の一つです。 10位ななこ「こ止めネーム」10位にランクインしたのは「ななこ」。「菜々子」「七菜子」「菜七子」「ななこ」「菜那子」などの漢字が名づけに用いられました。2019年の漢字ランキングでは4位、2020年は2位にランクインした、菜の花を連想させる女の子らしいイメージの「菜」が人気ですね。 2020年の「こ止めネーム」TOP10には、かわいい響きが印象的な「二音ネーム」が8個もランクイン!「こ止め」ネームは、日本の伝統的な美しさが感じられるレトロネームですが、二音になることで今どき感のある印象の名前が多かったようです。これから女の子の名前を考えられる方、参考になさってくださいね!<調査概要>調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2020年1月1日(水)~2020年10月1日(木)調査件数:79,425件(女の子) 文/福島絵梨子
2021年05月12日宮内庁は4月30日、秋篠宮家の次女・佳子さまが5月6日付で全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員として就職されると発表した。佳子さまは週3日で勤務される予定で、しばらくはテレワークで事務などに従事されるという。’19年3月に国際基督教大学を卒業され、公務に取り組んできた佳子さま。公務を通じた連盟との関わりからご自身で就職を希望され、約2カ月のインターンを経て決まったという。佳子さまはこれまで、手話に関するご公務に多数出席されてきた。初めて手話を交えた挨拶をされたのは、’15年9月に開催された「第2回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」だった。最近では昨年1月27日に、「第42回聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」に初めて単独で出席された佳子さま。この催しは紀子さまが’07年から出席されてきたが、佳子さまが引き継いだ形となった。昨年9月27日の「第7回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」にはオンラインで参加された。佳子さまは手話を用いて、「皆さまのあふれる思いと、熱意のこもった舞台は、きっとたくさんの人の心に届くことでしょう」と生徒たちを激励された。秋篠宮家では、紀子さまや長女の眞子さまも手話を学んでいる。紀子さまは日本語のほかに、英語とインドネシア語の手話もマスターされているほどで、佳子さまはそんな紀子さまの熱意を受け継がれているという。「佳子さまは幼少の頃より、紀子さまが手話でスピーチされる姿を近くでご覧になっていました。眞子さまよりも遅れて手話を勉強され始めた佳子さまですが、熱心に練習され、眞子さま以上の上達ぶりだと評判なのです」(皇室担当記者)5月9日の「母の日」を目前に、めでたくご就職される佳子さま。愛娘の新たな門出に、紀子さまの喜びもひとしおだろう。
2021年05月02日小室圭さんは4月8日、いわゆる「金銭トラブル」について説明する文書を公表した。その“小室文書”を読んだ秋篠宮家をよく知る人物は、憤りを隠さない。「今回の小室さんの文書の内容については、自己主張と言い訳に徹している印象でした。文章も読み難く、正直なところ、ひどい文書だと思いました」秋篠宮さまは昨年の誕生日会見で、眞子さまと小室さんの「結婚を認める」と公言された。同時に、以前から結婚の条件とされていた「多くの人が納得し喜んでくれる状況」には、決してなっていないと感じると口にされていたのだ。「秋篠宮殿下が求めていらっしゃったのは、国民からの理解です。しかし、今回の文書の内容は、国民が不審に感じている小室さんのお母さんと元婚約者さんの金銭問題について、小室さん側の主張を繰り返し述べることに終始しています。これでは、とても多くの人の賛同は得られないでしょう」(前出・秋篠宮家の知人)文書発表の翌日、宮内庁は「文書を読まれていろいろな経緯があったことを理解してくださる方がいらっしゃればありがたい」という眞子さまのコメントを公表した。さらに、秋篠宮家の側近である加地隆治皇嗣職大夫は定例記者会見で、今回の小室さんの文書は、眞子さまと小室さん側が相談したうえで公表されたと説明している。母親と元婚約者の金銭トラブルに際し、あくまで話し合いを試み、金銭を支払うことを避ける方針が取られてきたことについて、加地大夫は「眞子さまの意向が大きかったと聞いている」と明かした。こうした経緯について、秋篠宮家の知人は「非常に残念」と語る。「眞子さまの『理解してくださる方がいらっしゃればありがたい』というお言葉は、小室さんと母親の立場に寄った発言です。多くの国民や、秋篠宮ご夫妻のことを思われている感じは、まったくありません。小室さんの主張を繰り返しているだけの眞子さまのコメントは非常に残念です。本来ならば眞子さまは、ご両親と小室さん側の橋渡しにならなければならないのです。この文書に関しても、国民の理解を得るために『この内容はどうなの?』『これでいいの?』といったことを、小室さんに伝えなければならなかったはずです。これでは眞子さまご自身も、国民から“残念な対応をされる方”と思われかねません」すると、眞子さまのご意向といわれる「金を渡して解決する選択を取らない方針」を記した文書公表のわずか4日後の12日、小室さん親子の代理人弁護士が、「解決金を支払うことで金銭トラブルを解決することにした」と明かした。日本中があ然とした急激な舵取り――。そこにも、眞子さまのご意向が働いているのだろうか?
2021年04月15日秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまの作品が「子どもノンフィクション文学賞」の佳作に入選した。賞を主催する「北九州市立文学館」が、3月12日にホームページで発表した。今年で12回目を数えるこの賞は「自分の身の回りで、見たり、聞いたり、体験したりしたことの中で疑問に思ったこと、驚いたこと、興味を持ったことを自分の力で調べたり、考えたりして、作り事を加えずに自分自身の言葉で書く」がテーマ。全国の小中学生を対象に応募を受け付けている。ちなみに悠仁さまは’19年、中学1年生のときにも、読売新聞社が主催する「全国小・中学校作文コンクール」で佳作に入選されている。入選作品は夏休みの宿題としてお書きになった「トンボと私」と題する作文だった。今回「子どもノンフィクション文学賞」佳作に入選した「小笠原諸島を訪ねて」は、悠仁さまが小学5年生だった’17年に、一般客に混じって紀子さまとお二人、お忍びで小笠原諸島を旅行されたときの経験を綴られたものだ。「竹芝桟橋からフェリーに乗船されて片道24時間の船旅でした。父島に4泊5日の滞在をされて、野生のイルカと一緒に泳がれたり、アオウミガメを放流されたり、6時間半のトレッキングツアーを完歩されたりと、とても濃密な時間を過ごされたようです。また小笠原諸島は戦時中、硫黄島を含めて2万人以上の犠牲者を出した激戦地でした。戦没者鎮魂の碑に献花、黙祷をされて、悲惨な戦争の歴史も学ばれたのです」(皇室担当記者)「北九州市立文学館」のホームページには、悠仁さまご本人によるあらすじの説明が紹介されている。《4年前に小笠原諸島を訪ねたときの思い出をふり返り、その後、島の人たちと交流したことを書きました。》「秋篠宮ご夫妻は、将来、天皇となられる悠仁さまには、日本の歴史や芸術、文化など広く見聞を深めることが必要とお考えになっています。美術館や博物館に足を運ばれたり、伝統産業に触れられたりと、日本各地を訪れて経験を積んでこられました。紀子さまとの小笠原旅行もそんな“帝王教育”の一環だったのです」(前出・皇室担当記者)紀子さまは、’17年11月の秋篠宮さまの誕生日会見で、悠仁さまとのご旅行についてこう述べられた。「これは旅行のとき、感じることですが、訪れた地域の方々との温かいふれ合いがあったり、また、暮らしや文化にふれたり、また、おいしい郷土料理を頂いたり,そのようなことが休みの良い思い出になっています。こうした経験は長男の成長にいろいろな形でつながっているように思います」秋篠宮さまもご自身の経験を踏まえ、こう述べられている。「私自身が割と若い頃というか高校生ぐらいからですね、いろいろと各地を回る機会を得ることができ、そのことが何かのときに、何かのときというのは何かの仕事のときに役に立っているということを経験していますので、やはり是非、日本の中にある様々な文化を感じてほしいと思います」秋篠宮さまと紀子さまの期待以上に、悠仁さまはさまざまな経験から学び、成長されているのかも知れない。
2021年03月19日秋篠宮さまが11月の誕生日会見で「認める」と発言されたことで、眞子さまと小室圭さんの結婚は確実となった。一方、眞子さまがご結婚についての「お気持ち」の文書で《今の時点で具体的なものをお知らせすることは難しい状況です》と記されているように、結婚式や新居などはまだ決まっていない。ニューヨークに留学中の小室さんは、’21年5月にフォーダム大学のロースクールを卒業し、7月にニューヨーク州の司法試験を受けるとみられる。「小室さんが帰国するまで、ご結婚の日程調整をするのは難しいでしょう。そうすると、挙式は’22年になるのではないでしょうか」(宮内庁関係者)お二人の新婚生活でとくに注目を集めると思われるのが新居についてだが、実は、秋篠宮ご一家は’19年3月にお引っ越しをされたばかり。ご一家が’97年から過ごされてきた秋篠宮邸は、皇嗣となられた秋篠宮さまの活動が拡大することを踏まえて、’19年から約33億円を費やして増築工事が行われている。工事が完了した秋篠宮邸にご一家が暮らし始めるのは’22年3月になる予定だ。その工事の間、秋篠宮ご一家は赤坂御用地内に約9億8千万円かけて新設された「御仮寓所」にお住まいになることに。現在、眞子さまもご家族と一緒に御仮寓所に住まわれているが、それは“想定外”の事態だったと皇室ジャーナリストは語る。「本来なら’18年11月4日に、眞子さまと小室さんは結婚式を挙げるはずでした。つまり、秋篠宮ご一家が御仮寓所に引っ越された’19年3月には、もう眞子さまは小室さんとの新婚生活をスタートされているはずだったのです。結婚が2年以上も延期され、御仮寓所での暮らしがこんなにも長く続くとは、眞子さまは予想だにされていなかったでしょう」このままでは秋篠宮邸の改修が終わる’22年3月までに眞子さまが結婚式を挙げられるかも微妙な状況なのだ。ただ、結婚が確定的になった以上、眞子さまは小室さんと暮らす新居についてもすでにご検討し始めていることだろう。眞子さまは皇籍離脱に伴い、約1億4千万円の一時金を受け取られる見込みだ。セキュリティーのしっかりした高級マンションを選ぶとなれば、1億円前後の物件が予想される。上皇ご夫妻の長女・清子さんと黒田慶樹さん夫妻は結婚後、約1億円で都内の新築マンションを購入している。清子さんが3分の2をキャッシュで支払い、慶樹さんがローンを組んで残りの3分の1を負担している。支払いには一時金が充てられたとみられる。ただ、もし眞子さまと小室さんが“億ション”を購入するとなると、実質上の所有者は眞子さまになる可能性が高いという。「帰国したばかりの小室さんには安定した収入が見込めず、住宅ローンを組むのは難しいでしょう。そうなると、眞子さまの一時金でマンションを一括購入することになるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)来年の春、眞子さまがお住まいになっているのは33億円を費やして改修されたピカピカの秋篠宮邸か、それとも小室さんとの“愛の巣”なのか――。
2020年12月31日「私の主観になりますけれども、感じとしては決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています」秋篠宮さまは11月に行われた誕生日会見で、眞子さまと小室圭さんの結婚についてこのように述べられた。結婚を容認されつつも、厳しい意見を述べられた秋篠宮さまだが、そこには大切に育ててきた長女への深い愛情がこめられているのだろう。今年29歳になられた眞子さまは、’91年10月23日の午後11時41分に宮内庁病院で産声をあげられた。秋篠宮さまは出産の2時間ほど前から駆けつけ、紀子さまにつき添われた。オランダのベアトリックス女王主催のレセプションに出席されていたが、途中で退席されてのことだった。「病室に到着した秋篠宮さまは、紀子さまのベッドわきに座り、励まされていいました。秋篠宮さまの誕生時は3,000グラムでしたが、眞子さまはひと回り大きめの3,238グラム。眞子さまと初対面された秋篠宮さまは、『自然に嬉しさがこみ上げてきているところです』と喜ばれていました」(宮内庁関係者)眞子さまがお生まれになった翌朝、秋篠宮さまご一家は宮内庁病院で、親子水入らずのひと時を過ごされた。そのあと、皇族用玄関前に姿を見せられた秋篠宮さまは、記者団に「お子さまはいかがですか?」と問われると、「かわいい顔して……。私に似て」とお顔をほころばされた。一般のお七夜にあたる「命名の儀」で、お名前とお印が決められた眞子さま。秋篠宮ご夫妻が学者らとご相談のうえ、お名前をお決めになられた。「眞(シン)」には「自然のまま、ありのまま」の意味が込められており、秋篠宮さまは「自然に飾ることなく、人生を歩まれる」ことを願って命名された。健やかに成長された眞子さまは、’04年に学習院女子中等科にご進学。秋篠宮さまは’03年の誕生日会見で、記者から眞子さまと佳子さまの子育てにおいて、どのような点を配慮されているかという質問にこうお答えになった。「それぞれが興味を持っている分野で、それぞれの興味を伸ばし膨らましていってくれればと思っております」子供たちにはのびのびとした成長を望んでいることを語られた秋篠宮さまは、「学校の話も含めていろいろな話をする機会を多く持って、そして話しかけてくることをできるだけ時間をかけて聞く」と、コミュニケーションも大切にされていたようだ。眞子さまは’10年に国際基督教大学に進学され、翌年に成人を迎えられた。秋篠宮さまは46歳の誕生日会見で、眞子さまとの20年間の思い出を振り返られた。秋篠宮さまは、眞子さまが誕生されてから「あまり時の経過を感じないように思う」と述べられながらも、「2人で行ったいろいろなところのことが、良い記憶として残っております」とおっしゃっていた。秋篠宮さまは眞子さまと、’07年にマダガスカル、’10年にはラオスを訪れている。その時のことについて、「一緒にいる時間が長い分、例えばドライブをしている間とかに、いろいろ話をしました」とおっしゃられ、眞子さまが秋篠宮さまの興味に合わせて行動されていたことも語られた。成人になられたばかりの眞子さまは、誕生日会見で《まだ余り結婚については考えたことはありません》と、結婚について言及されていた。しかし国際基督教大学での学生生活のなかで、小室さんと出会われた眞子さま。’17年9月3日に、お二人で婚約内定の会見に臨まれた。その際、秋篠宮さまは《内定までの5年は、私たちの時よりも長い期間になり、二人の意思を確認するのには十分な時間であったことと思います》と、眞子さまと小室さんの結婚の意思を尊重されたのだった。小室さんとの婚約を控えて過ごされてきた眞子さまだが、直前の’17年8月18日に秋篠宮さまとハンガリーを旅行された。秋篠宮さまはニワトリや家畜、眞子さまは博物館学を研究しており、滞在中は民族博物館や農場を視察された。この旅行が、親子水入らずの“最後の婚前旅行”となるはずだったが、小室家の金銭トラブル発覚もあり、結婚は延期に……。眞子さまと小室さんの結婚を「認める」と発言された秋篠宮さま。しかし小室さん側から金銭トラブルについて十分な説明がないなど、課題は残されたままだ。“溺愛”する愛娘の行く末に、気を揉む日が続いているのではないだろうか。
2020年12月30日秋篠宮家の次女・佳子さまは12月29日、26歳の誕生日を迎えられた。コロナ禍で式典などへの出席が難しいなか、ビデオメッセージやオンライン中継といったリモート活用も積極的になさっていた佳子さま。そのご活躍については秋篠宮さまも《相当一つ一つ熱心に私は取り組んでいたと思います》と、誕生日会見でたいへん高く評価されていた。ダンスやファッションなどのプライベート面で注目を集める一方で、佳子さまはご公務にも真剣に取り組まれている。そんな佳子さまがお生まれになった26年前、ご両親の秋篠宮ご夫妻はどのような期待をこめられていたのか――。佳子さまがお生まれになったのは、’94年12月29日のこと。年をまたいだ’95年1月4日、一般のお七夜にあたるこの日に、皇居内の宮内庁病院で「命名の儀」が行われた。佳子さまのお名前は、秋篠宮さまと紀子さまがご夫妻でお決めになった。「佳」には「美しい、優れている」の意味があり、ご夫妻は「身体が健康であるだけでなく、人の気持ちを理解し、素直で思いやりがあるなど、心身ともにいろいろな意味で『佳い』女の子に育ってほしい」という願いを込められたという。その後、佳子さまは「佳」の字にこめられた「美しい、優れている」との意味通りに成長されていく。’14年8月に学習院大学を中退された佳子さまは、’15年4月に国際基督教大学(ICU)にご入学。幼いころは秋篠宮ご夫妻のご公務に同伴されていたが、成人を迎えられて次第にお一人でご公務に臨まれる機会も増えていった。とくに、現在も続けられている「手話パフォーマンス甲子園」などで披露される手話は、姉の眞子さまを追い越すほどの上達度だったという。まさに「優れて」いらっしゃるのだ。“ひとり立ち”された佳子さまの様子は、メディアでも大々的に報じられ“佳子さまブーム“と呼ばれるほどの状況に。アイドル並みのルックスが注目を集め、ICU入学直後の新入生合宿にまでマスコミが押し寄せる状況に。日本中が「美しい」佳子さまの虜になったのだ。’19年3月に大学を卒業された佳子さまは、就職も進学もされていない。秋篠宮ご夫妻は学生生活や進路について、佳子さまの意思を最大限に尊重されているというのだ。また、結婚についてもご本人の意思を尊重されるお考えを示されてきた。今年の誕生日会見では、秋篠宮さまは佳子さまの結婚ついて「もし彼女が結婚について何らか私もしくは妻に話をしてきましたら、その時は時間をかけてゆっくりと話合いをしていきたいと思っております」と述べられている。佳子さまは’19年3月、大学卒業に際した文書のなかで《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています》と眞子さまの結婚を強く支持されていた。ただ、秋篠宮ご夫妻は佳子さまには「多くの人が納得し喜んでくれる結婚」を切望されていることだろう。ご両親の願い通り「いろいろな意味で『佳い』女の子」に成長された佳子さまは、はたしてどんなお相手を選ばれるのか――。
2020年12月29日「結婚することを認めるということです」誕生日会見でそう明言され、眞子さまと小室圭さんの結婚を容認された秋篠宮さま。一方で結婚延期の原因となった金銭トラブルを念頭に「決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではない」との認識を示され、「今までの経緯とかそういうことも含めてきちんと話すということは、私は大事なことだと思っています」と、お二人に十分な説明を求められた。「秋篠宮ご夫妻の結婚は、秋篠宮さま24歳、紀子さま23歳のとき。婚約内定は昭和天皇の崩御から8カ月後で、兄の天皇陛下より先に結婚されたこともあり、一部には批判の声もあったのです。“きちんと話すことは大事”と秋篠宮さまがおっしゃるのは、ご自身の経験を踏まえてのことかもしれません」(皇室担当記者)結婚をお認めになった以上、今後は眞子さまと小室さんにアドバイスを送られることになるに違いない秋篠宮さま。ご自身たちの新婚時代についても反省の言葉を綴られていたことがあった。紀子さまとの結婚25周年に際しては、ご夫妻での対談形式の文章というユニークなやり方で当時を振り返られている。結婚準備の時期について秋篠宮さまは《私は1990年の1月から6月にかけては英国に滞在していたわけですが、その間、新たに住む家については、あなたに任せきりでした》と紀子さまに”謝罪”の言葉も。実は秋篠宮さまが帰国されたのは結婚式のわずか8日前で《新居での生活の準備は完全にあなたへ依存していた》という。さらに、結婚当時と現在を比較して、次のような“反省と後悔”も述べられている。《1990年というのは、ついこの間のことのように思えますが、やはり相応に時間がたっているということを感じることはあります。仕事や研究などでいろいろな事柄を解釈・判断するときに、若いころでは思い至らなかったことが多々あると感じます。そのことで、ずいぶんと周りに迷惑をかけたことがあるように思います。もちろん、いまだに不十分で、反省と後悔すること多々ありです。精神年齢が未だ20代から進化していないのでしょう》「精神年齢が未だ20代」と自虐される秋篠宮さまを、紀子さまは《今でも、20代のときのような探究心や若々しい感性や創造性をおもちになっているのではないでしょうか》とナイスフォロー。文書の最後には、25年の結婚生活についてお互いの自己評価も。秋篠宮さまは《限りなくボーダーラインに近い「可」》、紀子さまは《私も仲良く「可」にいたします》としている。結婚生活に向けてまだまだ超えるべきハードルが多い眞子さまと小室圭さん。秋篠宮ご夫妻のように、末永く年を重ねる夫婦になれるのか――。
2020年12月28日