春はオープンキャンパスの季節!オープンキャンパスとは、大学がキャンパスを受験生などに開放し、入試説明会や体験授業などを行うイベントのこと。わが家のASD(自閉スペクトラム症)娘いっちゃんも高校3年生になり、いよいよ志望校を決めなければならない時期になりました。高校2年の夏休みはコロナに罹ってしまって一校も回れなかったので、今年の4月は毎週のように大学のオープンキャンパスの予定を入れていました。息子の時は予約制ではなく、大勢の学生が列をつくっていたものだですが……今ではほとんどの大学がインターネットで予約を入れての時間差入場、時代は変わったものです。Upload By 寺島ヒロいっちゃんの志望は芸術系。先生の授業の進め方も知りたいというので、体験授業もびっしり入れました。いっちゃんは声が大きくて早口の先生が苦手なのです。「叱られている感じがして、話の中身が頭に入ってこない」と言います。キャンパスツアーと体験授業いざオープンキャンパスへ!オープンキャンパスのメニューは学校説明会、受験説明会、入学相談会などの学校の制度について教えてもらえるプログラムと、実際に学校の施設を見て回るキャンパスツアーや、模擬授業を受けられる体験授業などがあります。今回はいっちゃんの希望でキャンパスツアーと体験授業に参加することにしました。キャンパスツアーでは、在校生のボランティアが、見学者を10名ほどずつに分けて三角の旗で引率しつつ、校内の部屋や機材を紹介してくれます。所用時間は40分ぐらいです。Upload By 寺島ヒロ体験授業では、漆芸の講座を選び、実際に授業でも使う素材を使って小さな螺鈿(らでん)の作品を作りました。体験授業は実際の授業時間と同じ90分でした。高校の授業時間に比べるとかなり長いですが、授業に参加した皆さんは長時間の作業でも集中して取り組んでいたようです。いっちゃんも終始真剣な表情で作業に取り組んでいました。入学相談会は学部専攻ごとにこの学校では、特に個別で相談をしたいという人のために、体験授業の会場の一部を相談会場としてセッティングしており、それぞれの学部学科、専攻に合ったアドバイスを受けられます。これはほかの大学ではあまりやっていないことなので大変好印象でした!学生の生活時間帯や研究の内容、使う絵具や薬品(アレルギーがあるかも)など、学生課での相談ではフォローしていない、専門的な細かいところも教えてくれるのがありがたいと思いました。Upload By 寺島ヒロ入学相談会には、娘と一緒に参加し「娘には障害があり、登校しての授業に全ては参加できない可能性があること」「現在は通信制の高校に通っていること」を伝え、「ここで学ばせていただくには、出席日数はどの程度必要でしょうか?」と聞いてみました。すると、理由があればいつでも授業を欠席できること、卒業要件としては出席日数はそれほど厳しくない(作品の評価の割合が大きい)ことを教えていただきました。しかし、その場に参加して作業をしないと面白くない授業が多そうだという印象も持ちました。この大学では、座学だけでなく実習を伴う授業も多くあり、チームでのプロジェクトを経験する事が重要視されています。そのため、最初からあまり登校しないで済むようにデザインされている同じ大学の通信部のほうが娘には都合がいいかもしれません。いくつかの大学を見て...このあとも、1ヶ月半ほどかけて、週末ごとに行われるオープンキャンパスに参加しました。同じ大学の違う学部学科の体験授業を受けたり、また、ほかの大学のキャンパスツアーに出かけたりもしました。芸術系の学部ばかりを見たので、やっていることはそれほど違いはないのですが、なんとなく校内にある雰囲気が、微妙に、しかし決定的に違うなと感じました。特に学部の教授、講師の方の作品や研究、学生への接し方などは、入学すれば毎日一番影響を受けることなので、絶対見ておくべきポイント。個人的には偏差値や卒業生の就職率より大事だと思っています。さて、いっちゃんの進路は...?5月の中旬時点で、まだいくつか回ってみる予定の大学を残していますが、娘は最初に行った大学の通信部に、かなり心惹かれているようです。通信部は講師の先生方もインターネットで参加するので、アッと驚くような現役作家が何人も参加しています。これは常駐の講師で全教科を担当している地方の単科大ではなかなかできないこと、インターネット時代の通信教育ならではでしょう。「あの先生知ってる!直接見てもらえるの!?」と娘も目を輝かせていました。娘の希望がある程度固まったら、今度は入学を検討している大学の学生支援課(※名称は大学によって違います)へ、6~8月の間に具体的な支援について相談に行くことになります。まだまだやることは多いですが、娘が自分の可能性を最大限に発揮できる環境を見つけられるよう、私も暑さに負けず頑張りたいと思います。執筆/寺島ヒロ前の記事はこちら(監修:藤井先生より)高校3年の4月からオープンキャンパスに参加し、これから具体的な支援についても相談されるのはとても良いですね。秋頃になってから相談も可能だとは思いますが、早い段階から見学をすると、先生方の雰囲気、学生への接し方など細やかなところもゆっくりと見られるのが良いですね。いっちゃんが大学進学を希望し、大学の見学・検討をすることで、将来への選択の幅が広がったり、自信をつける機会になると思いました。いっちゃんにとって良い学ぶ場所が見つかることを応援しています。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月24日痛みでは泣かず、跳ねるような動きがみられた幼少期わが家の長男りーは、赤ちゃんの頃から泣き声がとても大きい子でした。お腹が空いた時には特に激しく泣いていました。しかし頭をぶつけるなど痛い思いをした時にはあまり泣かないので、不思議に思っていました。Upload By かし りりあそして1歳を過ぎた頃、今思うと気になる動きをしていました。興奮すると跳ねるように、座った状態から、立膝になる動作をするのです。当時は「変わった動きをするなあ」「かわいいなあ」程度にしか思ってませんでした。しかしこの行動、今のりーの飛び跳ねている様子とそっくりで、りーの特性と関係があるのかなと思っています。Upload By かし りりあ聞こえているはずなのに……名前を呼んでも、手遊びにも反応なし同じ頃「そろそろ、りーとやりとりの遊びができるかな」と思っていました。名前を呼んでみたり、りーの手をとって一緒に手遊びをしたりと誘いかけていました。しかし、りーは私を見るだけで、特に反応はありませんでした。もしかして、私の声が聞こえていないのかな?とも思ったのですが、テレビ番組の歌には反応しているので、聴力の問題ではなく私の遊びに興味がないのかと思っていました。そのため、りーの興味を引きそうな手遊びや人形遊びなどをいろいろ試して、何度も誘いかけてみましたが、反応はいまいちでした。1歳半健診での医師の言葉にショック。親子療育を提案されたけれどそして迎えた1歳半健診。りーは保健師さんの問いかけにも指差しはなし、指示に対しても反応しませんでした。待っている間は姿勢を保てず、椅子の上で寝転がろうとするりーを何とか支えて、小児科医の先生の診察となりました。いつもと違う環境でキョロキョロあたりを見まわしたり、あちこち動くりー。そんな様子を見て先生は「この子は落ち着きがない」とひとこと。そんなつもりはなかったのかもしれませんが、その時の表情や言い方は、当時の私たちには冷たく、また突き放されたように感じました。初めての育児で不安な中、ショックが大きかったのかもしれません。そこからははっきりと覚えてはいませんが、一緒に参加していた夫が話を聞き、対応してくれました。その後、発達相談の担当の方にも診てもらい、りーが理解しやすい方法をアドバイスしてもらいました。その方法とは、お菓子や飲み物などを実際に見せて、本人に欲しいものを選ばせるというやりとりをしていく、というもの。実際行ってみると、最初は全てのものに手を伸ばしていたりーですが、少しずつ欲しいものを選ぶようになりました。Upload By かし りりあ最後に、「こういったものもあります」と親子療育の案内を受けました。週に2回、午前中の療育。フルタイムで働いている私たちにとっては、時間的になかなか難しいものがありました。そのため、夫婦で相談した結果、まずは家でできることをやってみて、幼稚園入園までに変わらなければ、療育を考えていくということになりました。安心できる情報にすがる日々。それでも不安は消えず、頼った先はUpload By かし りりあこの頃の私はインターネットで自分の安心する記事ばかり見ていました。「3歳から話しはじめました」「不安だったけど話し出したら2語文、3語文あっという間に話しています」などの記事を見て、「りーは今その時期じゃないだけ」「発達がゆっくりだけどすぐに追いつくはずだ」と自分を無理やり安心させていました。こうして無理やり自分自身を安心させている半面、「この子は何かあるのかもしれない」という気持ちがなくなったわけではありませんでした。私たちの住んでいる地域には児童発達支援の施設が多くありません。万が一のことを考え、知り合いの児童発達支援施設の先生へ連絡しました。その先生はこちらの事情を話すと温かく迎えてくれ、りーが利用することになるかも、ということも快諾してくれました。この先生との関わりで、私とりーの世界が大きく広がっていくことになったのですが、りーのその後についてはまた別の機会に書かせていただきます。執筆/かしりりあ(監修:初川先生より)長男りーくんの幼少期のエピソードをありがとうございます。発達や様子に気になるところはありつつも、それが何であるか、そしてどうやって「やりとり」をしていくかが見えない。そんな時期のお話でした。ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんには感覚の過敏などがあることは昨今よく知られていますが、過敏と同様に鈍麻もあります。熱が出ていることに気づかない、痛みに鈍感である。感覚としての鈍感さを呈するものがあるということです。あるものは過敏で、あるものは鈍くて。そうしたこともあるでしょう。感覚鈍麻がみられる場合は、体調の変化やケガがみられた時にお子さん本人から訴えが出づらいこともあり、周囲の大人はそのあたり気を配ることが必要です。お子さんへの療育は早期であるほうがよいとされていますが、仕事の状況や地域的な課題などで実際療育を受けられるかどうかはご家庭で判断してゆくことになります。夫婦で話し合って決められたとのこと、よかったです。話し合える家族や親族、地域の支援者がいることは何よりです。インターネットでさまざまな経験談がシェアされる時代。実際にはお子さんの状況やお子さんの周辺状況はかなりケースバイケースなのですが、不安から検索してしまうこと、また自分にとって救いとなるような情報ばかり見てしまうこと。よくあると思います。ただ、本当にこうしたことはケースバイケースで、目の前にいるお子さんがどのような発達経過をたどるかはインターネットを見ていてもどうにも分からないものです。継続的に相談でき、お子さんの様子を見て介入(療育など)してくださる、いわば子育ての伴走相手としての支援職が近くにいるといいなと感じます。かしさんにはお知り合いの児童発達支援施設の先生がいらしたこと、何よりです。近くに相談相手がいない、という場合には自治体の子育て支援センターや療育センターなどにそのあたり相談いただけると、さまざまな情報を集めることができると思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月24日発達障害グレーゾーン?不安が強い次男私には2人の息子がいます。長男けんとは現在、小学3年生。3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)と診断を受けました。次男ゆうきは、小学1年生。以前、病院の先生に「ASDの診断がつくか、つかないかの境界付近」と言われたことがあります。ゆうきは、小さいころから不安が強く、心配性。天邪鬼で極度の負けず嫌い。物事を白黒はっきりつけたがるタイプの、恐竜が大好きな男の子です。Upload By ゆきみゆうきがASDの診断を受けるかどうか……ということは、私自身はあまり気にしておらず、ゆうきの特性で少しでも困りごとが少なくなるように……と思い、2歳から発達支援施設へ通い始めました。今回は、そんな次男ゆうきについて書かせていただこうと思います。3歳で発語ほぼなし…きっかけは1歳半健診長男けんともそうだったのですが、次男ゆうきも1歳半の時に全く言葉が出ていませんでした。ゆうきの1歳半健診があった頃は、3歳の長男の発達のことで悩むことが多かった時期。ゆうきが1歳半健診前に言葉が出ていなかったことを気にしてはいたものの、それ以上に3歳で言葉が遅く、苦手なことがとても多い長男のことで、私の頭の中はいっぱいだったのです。Upload By ゆきみゆうきは「あっちを見て」と指をさせば、その方向を見ました。通っていたベビー体操では、長男と比べると上手に身体を動かしていました。ほかにも、こちらの言うことへの反応が長男と比べるとずっと良かったのです。このように「長男と比べると」できることが多かったのが、次男ゆうきの発達をあまり心配していなかった要因の1つだと思います。しかし1歳半健診の時、「言葉が出ていない」ということで要観察に。それをきっかけに、私はゆうきの発達について心配に思うようになり、臨床心理士さんによる発達相談を受けることにしました。「2歳になっても言葉が出ていなかったら、またお話ししましょう」と言われ……時がすぎ、2歳に。ゆうきはまだ言葉が出ていませんでした。長男がお世話になっていた児童精神科の先生に「言葉が出ていない2歳の次男の受診を検討しています」と相談したところ、「受診を検討するよりも、2歳で言葉が出ていなかったら療育を受けることをおすすめします」と言われました。すぐに市の行っている親子教室への入室を希望し、言語聴覚士さんによる個別訓練を受けられる発達支援施設を探し、手続きを進めて通い始めました。警戒心が強い次男へ行った対応策とはUpload By ゆきみゆうきは警戒心が強いところがあります。同じくらいの月齢の子どもたちが来る、友達ママとの集まり。ゆうきは毎回、私の膝から動こうとはせず、じっと動かないで私の腕にしがみつき、最後まで過ごしていました。通い始めた親子教室でもそのように「私から離れなそうだな」と思い、親子教室がオープンする早い時間に行くことにしました。するとほかの子たちもほとんど来ていない時間だったので、警戒はあまりせず、楽しそうに遊ぶことができました。たまに私から離れなくなることもありましたが、この早く行く作戦はその後もうまくいきました。親子教室では、たまに母子分離になることがありました。長男の時は、私が離れても興味を示さず、母子分離が終わり、長男の元へ帰った時も反応せず、自分の好きな遊びに熱中していました。ゆうきは、私と離れることを極度に嫌がり、大号泣。母子分離ができない日も。発達支援施設では、個別療育だったのが緊張したのか、通い始めた当初は、ゆうきが警戒して動かなくなってしまい、慣れるまでに時間がかかりました。ASD長男とはすすめられた進路が違った次男地域のこども園の満3歳児クラスにゆうきの入園を考え、親子教室で行われる発達相談で進路相談をしました。長男の時の進路相談では「小集団での手厚い支援のある環境が合っていると思う」と、市の発達支援施設への入園を強くすすめられました。ゆうきの場合は「周りからの影響を受けるタイプの子だと思うので、集団が合っていると思う」とのこと。地域の園をすすめられました。長男けんとと次男ゆうきの特性が違うため、その子に合わせた支援が大切なのだということを考えるきっかけの1つになりました。Upload By ゆきみこども園の満3歳児クラスに入園した頃、ゆうきはまだ言葉が出ていませんでした。3歳の誕生日を迎える数か月前から、「ママ」とだけ言えるように。ただ、ママのことをママと呼ぶだけでなく、全ての物を「ママ」と言っていたのです。先生とお話し中、動物を指差し「ママ!」。「あっち行きたい」などの欲求も「ママ」。パパを呼ぶ時でさえも「ママ」と言っていました。しかし、3歳の誕生日をむかえる頃、急に「お話ししたいスイッチ」が入ったようで、ものすごい勢いで話し始めました。発語がほぼなかったこと以外は、長男ほどは大きな困りごとを感じなかった次男ゆうき。きっと長男がASDと診断を受けていなかったら、「言葉が遅いだけ」と発達のことを気にしていなかったかもしれません。この先、診断を受けるのか受けないのか……今も正直よく分かりませんが、これからも、ゆうきの特性での困りごとを少しでもやわらげられるように、向き合っていけたらいいなと思っています。(執筆/ゆきみ)(監修:藤井先生より)3歳未満でみられる言葉の遅れには、理解はしているけれど発語がない、理解も難しい、社会性が乏しいなど、お子さんによって様子は違ってきます。また、診断がつくかはっきりしない場合もよくあります。ゆきみさんが、ゆうきさんの困りごとが少なくなるようにと相談されたのはとても良かったと思います。発達障害の診断がなくても、お子さんの発達で気になることがあれば、かかりつけの小児科、発達相談室や、療育施設、保健所などで相談することをおすすめします。3歳になる頃にはお話をたくさんするようになったゆうきさんの、成長の姿を読ませていただき、ありがとうございました。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月23日2024年5月に調査実施徐々に気温も上昇し、今年も熱中症のリスクと隣り合わせの梅雨、そして盛夏がやってきます。その前にいまいちど、正しい熱中症対策を復習しておくべき時期がやってきました。熱中症は、気温の上昇や水分摂取の不足による高体温と脱水によって起こる、身体のさまざまな器官がダメージを起こす病気です。体温調節機能が未熟な子ども、また、体温調節機能が衰え始める高齢者においては特にリスクが高いといわれますが、正しい健康管理をしていなければ誰にでも熱中症になるリスクがあります。「水分を摂ればいい」、「塩分を摂ればいい」といった断片的な知識では、熱中症は予防できません。また、熱中症になりにくい身体を作るための長期的な栄養対策、いざ熱中症リスクが急激に高まる暑熱環境における短期的な栄養対策も、実は異なります。「適度に摂取することで熱中症対策に役立つ栄養素」と認識しているものは?熱中症対策の栄養管理に関して正しい知識を持つ人はまだまだ少なく、大正製薬株式会社が2024年5月に実施した調査によると、熱中症対策として摂取したい栄養素(たんぱく質、ナトリウム、カリウム、マグネシウム、タウリン、ロイシン(アミノ酸のひとつ)、ビタミンB1、カルシウム、ビタミンC)のうち、それらの栄養素が熱中症対策になると知っているかを聞いたところ、1200人中の353人、3割弱の29.4%の人が「どれも知らない」と回答。すべて認知していた人はわずか27人(2.3%)でした。また、認知している人が多い栄養素順では右のグラフのような結果になっています。今回は熱中症の対策に詳しい医師の谷口英喜先生に、熱中症になりづらい体づくりのために知っておきたい、食生活からの熱中症対策について伺います。【調査概要】調査名称:「適度に摂取することで熱中症対策に役立つ栄養素」として認識しているものは?調査機関:Freeasy調査対象:全国の 20 代~70 代の男女 1200 人(年齢・性別 均等割付)調査方法: Web アンケート調査日:2024年5月8日監修者プロフィール谷口英喜先生熱中症からいのちを守る済生会横浜市東部病院患者支援センター長/周術期支援センター長/栄養部部長医師谷口英喜先生麻酔・集中治療、経口補水療法、体液管理、臨床栄養、周術期体液・栄養管理のエキスパート。日本麻酔学会指導医、日本集中治療医学会専門医、日本救急医学会専門医、TNT-Dメディカルアドバイザー。1991年、福島県立医科大学医学部卒業。学位論文は「経口補水療法を応用した術前体液管理に関する研究」。2024年5月に新刊『熱中症からいのちを守る』(評言社)が刊行。その他の著書『いのちを守る水分補給~熱中症・脱水症はこうして防ぐ』(評言社)など。暑くない時期から継続する、長期的な食の対策熱中症になりづらい身体づくりは、まだ暑くない今の時期から開始しましょう。一年を通して継続するべき長期的な対策としては、「貯水しやすい身体」と「暑熱順化(しょねつじゅんか=暑熱環境への順応)」を意識した栄養素の摂取が重要になります。体内の水分は、約半分の量が筋肉に貯蔵されます。そのため、筋肉量を増加させるたんぱく質を積極的に摂取して身体を動かし、長期的に筋肉が維持できるようにすることが重要です。また、膠質浸透圧(こうしつしんとうあつ。血管中に水分を引き込む浸透圧のこと。アルブミンという血漿に含まれるたんぱく質が豊富でないと血管内へ水分を引き込みにくくなります)を維持するためにもたんぱく質が必要になります。特にロイシンというアミノ酸は筋肉の合成を促す効果が高いので、ロイシンを豊富に含む肉や魚を積極的に食べましょう。また、暑熱順化のためには、タウリン、ビタミンCも重要です。魚介類や栄養ドリンクに豊富なタウリンは筋肉疲労を回復する効果でも有名ですが、身体のさまざまな機能を調節する働きがあることがわかっています。近年、深部体温を下げる働きがあることも研究結果からわかっており、熱中症対策として意識したい栄養素です。ビタミンCには抗酸化作用があり、体内の活性酸素を減らすことで細胞を守り、炎症を軽減し、暑熱順化をサポートする役割を果たしてくれます。タウリンもビタミンCも水溶性なので、魚介類や野菜を煮てスープのようにしたお料理を汁ごといただくのは、食事からのたっぷりの水分摂取にもつながり非常におすすめです。熱中症対策時期・食生活の注意事項・ポイント・摂取する栄養素気温が上がってきてからの短期的な食の対策気温が上がってからの短期的な予防策では、暑熱環境で汗をかいて失われた水・電解質・ビタミン類を補うことを意識します。長期対策のための栄養素に加えてほしいのが、電解質であるミネラルであるナトリウム、カリウム、マグシウム、ビタミンB1です。ナトリウムは塩に含まれますが、ナトリウムを適度に摂取しつつ水分補給をしないと体内には吸収されにくく、また残りにくいのです。水だけを多量に摂ると、いわゆる水中毒となり、体内の塩分濃度が極端に下がってしまうと低ナトリウム血症を起こすリスクもあります。逆に塩分のみで水分を摂取しないことも水分の実質的な補給に繋がらずに危険です。塩飴だけ、梅干しだけ、ではなく、必ず塩飴、または梅干し1つにコップ1杯の水分をあわせて摂ることを忘れずに。真水だけを1時間に1リットル以上飲むと危険です。必ず塩分が含まれた水分か食事とあわせて摂るようにしましょう。野菜や芋類、藻類に豊富なカリウムは尿を出しやすくし、体温を下げることに役立ちます。緑黄色野菜や豚肉に豊富に含まれるビタミンB1は熱中症の症状を緩和させてくれます。暑さによる疲労感をやわらげ、食事から摂取した糖質を体内で燃やして効率的にエネルギーを作ることで必要な身体作用をサポートしてくれます。これらをいっぺんに摂ることができるのが、ビタミンB群もビタミンCも豊富に含むキウイをはじめとする果物やトマト、きゅうり、かぼちゃなどの夏野菜です。豚肉を入れた夏野菜カレーなどもおすすめのメニューです。これって熱中症?そんな症状が出てしまったら…万が一、体温が上昇し、めまいや激しい汗、頭痛など、熱中症を疑う症状が出た場合は、固形物を食べるのは避け、体温をさらに上昇させてしまうたんぱく質も避ける必要があります。汗で失われた電解質とともに水分をたっぷり摂る必要があるので、水、ナトリウム、カリウムを迅速に適正濃度で摂取できる経口補水液をできるだけ早い時期に沢山飲むことで対処してください。基準として、ペットボトルのふたを自力で開けて自分で飲めないくらいの重症の場合は、迷わず病院に受診するようにしましょう。体力を回復し、自律神経を整える習慣を栄養管理も重要ですが、あわせて日々体力を蓄え、体温調節にも密接に関わる自律神経を整えておくための生活習慣も欠かせません。こまめな水分補給、食事からの水分補給量も非常に大きいので朝食を抜かない(食事で1リットル、水分補給で1リットルの1日2リットルが目安)、天気予報で熱中症注意報を意識した無理のない行動計画を立てる、日傘、帽子、首冷却アイテムなど、暑熱環境で危険のない対策アイテムを持ち歩く、エアコンをきちんと使用し、涼しい環境で良質な睡眠・休養を取ることなども大切です。【大正製薬】熱中症対策に関するリリース_谷口英喜先生監修.pdf : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年05月22日お気に入りのものもスムーズに手放し、順調に登園していた保育園時代長男は2歳の頃保育園に入園しました。当時はそれなりに預ける際泣くこともありましたがスムーズに登園しているほうだと見受けられました。実は長男は1歳の頃からお気に入りのタオルケットがありました。家でも外出先でも肌身離さず持っていて、そのタオルケットがあれば添い寝をしなくても1人で眠っていました。Upload By ねこじまいもみタオルケットは保育園に持っていけないので、手放せるか心配でした。しかし事前に説明すると持ってはいけないことをすぐに理解し、登園初日からぐずったりすることもなく園に行く直前でサッとタオルを置いて登園していました。当時は大変驚きました。園でのお昼寝も「タオルがない」と落ち着かない様子を話してくれることもありましたが先生の寝かしつけでお昼寝できていたようでした。本当に頑張っているなぁと思いました。家に帰ってくると一目散にタオルケットのところへ行き、安心している様子はとても可愛かったです(ちなみに小学4年生の今も帰るとすぐにタオルケットを持ちます)。 このように保育園の時は登園について問題を感じることは特にありませんでした。Upload By ねこじまいもみ登園渋りのはじまり長男は年中になる年に幼稚園へ転園しました。環境の変化に心配もありましたが順調に登園していました。登園渋りがはじまったのは年中の後半でした。 当時私は働いていたのでなんとかなだめて送っていました。一時的なものかもしれないと思ったのですが、年長になるにつれて激しさは増していきました。着替えさせるのも一苦労で、やっと外に出れたかと思いきや道で座り込んでしまったり、園までついても門の前で逃げてしまったりすることもしょっちゅうでした。特にお友達と何かあったとかはなさそうな様子でいつも「つまらないから行きたくない」と言っていました。 それでも迎えに行くとお友達と遊んでいたり、先生も「みんなの前でいつも面白いことを言って笑わせてくれるムードメーカーのような存在です」とおっしゃってくれたりしていました。 でも「やっと今日が終わった」「帰りの車は最高だ」とよく言っていたのでとても頑張っていたのだと思います。出産で仕事をやめた私は産まれたばかりの次男を連れての送迎が大変な時もあり、激しく行き渋る時は休ませることもしばしばありました。長男は休めばまた明日行けるという感じだったので休ませることも時には大事かもしれないと感じました。また、この頃は弟が産まれたことも登園渋りに関係あるのかなぁと思ったりもしました。Upload By ねこじまいもみ年長がもうすぐ終わり卒園が目前になった2月頃、長男は1人の時間が増えてみんなの輪に入りたがらない様子が目立つようになったと担任の先生に話をされました。長男は同じ直線を行ったり来たりする常同行動をするのですが、幼稚園でも自由時間になるとそれをしていました。みんなで何か取り組む時は先生の指示に従い集団で動けるのですが、この頃から常同行動の時間が増え、みんなと何かやらなければならない時以外は1人黙々と走っていて、遊ぼうと声をかけられても来ない場面をよく見かけるようになったそうです。気分もあるだろうし先生も温かく見守ってくださっていましたが、2年間受け持ってくれた先生だったので、なんだか1人の世界に入り込む時間が増えた気がすると少しいつもと違う様子が気になって私に話をしてくれました。 激しくなる登園渋りとも何か関係があるのかなと思いました。発達検査を受けてみようと思ったきっかけUpload By ねこじまいもみもともと長男は人への関心が薄いことは私も気づいていましたが、この時をきっかけに漠然と長男の今後が改めて心配になりました。そしてこの常同行動はいつまで続くのだろう……入学を前に、これまでなんとなく気にかけてはいたけど発達障害を強く意識し始めたのはこの頃でした。また、鉛筆がうまく持てず筆圧も弱く、ヒョロヒョロの線しか書けなかったことなど細かい部分でも気になっていたことはあったので、一度発達検査を受けてみることにしました。 私の勝手な見解だけではなく、専門的な部分から長男を知り、今よりもっと良い関わり方があるなら知りたいし、長男が困った時に私がしてあげられることはなんだろうというヒントが得られるかもしれないと思い、大学病院へ発達検査の予約をしました。これが、長男と私にとって一つの転機になったのです。執筆/ねこじまいもみ(監修:初川先生より)長男くんの発達検査の予約を取るまでのエピソードをありがとうございます。最初に入った保育園時代から、長男くんに対して「本当に頑張っているなぁ」という眼差しであたたく見守っていてくださったこと、よかったです。子どもは子どもなりに、集団生活を頑張り、特に一人を好む傾向の強いお子さんだと、もっと渋ったり荒れたりしていてもおかしくないのに、本人なりに頑張っている。お子さんなりの頑張りを保護者の方が気づいていてくださること、とても大事だなと感じます。弟くんの誕生、幼稚園への転園さまざまな変化もご心配されたことと思います。下にきょうだいがうまれることは、多かれ少なかれ影響はあります。家族にとっての大きな転機なので、多かれ少なかれ、良くも悪くも影響があるのが自然です。そうした変化によってお子さんが何かしら不安定さを呈することがあっても、それは想定内であると考えていただくとよいかなと思います。ねこじまさんは長男くんの小学校入学を前に、発達検査を大学病院で受検することを決断されました。発達検査を受ける、入学前に気になることを相談するために相談機関にかかる。この時期はさまざま決断される方が多いです。お住まいの自治体では、就学相談という小学校入学前に気になることを相談できる相談事業も年長になると申し込みが開始することと思います。医療機関に相談する、相談機関に相談するというのももちろん良いと思いますし、自治体の教育委員会がやっている就学相談に申し込むのも1つです(居住自治体内なので比較的近い、入学までには検査や相談などの一連の流れが終わる、相談無料、ただし医療機関ではないので診断は下りない)。就学相談を受ける際にはその流れの中で発達検査や集団での行動観察などが含まれていることも多いです。これからお子さんが小学校入学だという読者の方はぜひ一度「(お住まいの市区町村名)就学相談」で検索してみてください。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月22日セカンドオピニオンってどういうもの?息子が小学3年生の時、行き渋りを始めたことをきっかけに児童精神科を受診しました。最初の病院では、不安を和らげる薬が処方されましたが、3ヶ月ほど通院しても改善が見られませんでした。その後、先生から大きなA病院を紹介され通院することになり、A病院では「解離性障害」と診断されました。しかし、A病院に通院しているうちに不安がどんどん増してきました。薬の変更によって大切な行事前に荒れてしまうことや、現状を伝えても「治ります」としか言われないこと、こちらの話を全く聞いてもらえないことが続いたため、現在の治療法が正しいのか疑問に感じたのです。そのため、セカンドオピニオンを受けることにしました。セカンドオピニオンとは、患者さんが納得のいく治療法を選択することができるように、治療の進行状況、次の段階の治療選択などについて、現在診療を受けている担当医とは別に、違う医療機関の医師に「第2の意見」を求めることです。セカンドオピニオンは、担当医を替えたり、転院したり、治療を受けたりすることだと思っている方もいらっしゃいますが、そうではありません。まず、ほかの医師に意見を聞くことがセカンドオピニオンです。引用:東京都保健医療局|セカンドオピニオンとは調べてみたところ、セカンドオピニオンは基本的に自費診療となり高額のようです。そして今通っている担当医の診断書が必要になります。私自身も、担当医に「セカンドオピニオンを受けたい」と伝えることに抵抗を感じましたが、先生は「セカンドオピニオンは患者の権利ですから」と理解を示してくださり、診断書を用意してくれました。その瞬間、心からホッとしました。Upload By 花森はな優しいB病院の先生との出会い初めてB病院を訪れた時のことは今でもよく覚えています。はじめに臨床心理士さんのカウンセリングを一時間ほど受けました。そして、次はいざ先生の診察!診察室を開けた瞬間に飛び込んできたのは、先生の満面の笑顔と「今日は来てくれてありがとう!」というあたたかい言葉でした。私たちの話を一つひとつ丁寧に聞いてくださり、もうこの時点で「この病院に転院したいです……」と言って泣いてしまいました。それほどまでに追い詰められていたこと、周囲に味方がいなかったことに、その時初めて気がつきました。Upload By 花森はなセカンドオピニオンの結果は…セカンドオピニオンの結果は、治療法もお薬の処方も間違ってはいないとのことでした。ただ一つだけ、「解離性障害」という診断名については、B病院の先生によると「僕はどちらかと言えば『不安症』と言いたいです」とのことでした。「心理検査も希望するならやりましょう。できることは全てしていきましょう」とおっしゃっていただき、こちらのB病院に転院を決め、心理検査を受けることになりました。心理検査とは、広く知能水準や発達水準、パーソナリティを評価するための検査をさします。病院などで、その後の支援計画・治療計画を立てるために集める情報の1つとして実施されます。検査、受けられる…?心理検査は、診察室近くの小部屋で行われました。検査が始まる前から私は不安でした。まずこの日は、秋にしては気温が真夏並みに高いのに院内は冷房がついておらず、うだるような熱気でした。息子は、暑くなるとパニックが起きやすいのです。また部屋も、天井が低く圧迫感があり、長時間いるのは難しいのではないかな……と思いました。そして何より、息子は不登校になってしまってから、母子分離が難しく、常に私がついていないとだめでした。一人で外出もできなくなってしまっていたのです。Upload By 花森はなセカンドオピニオンを受けてよかった検査が始まって30分も経たない頃、息子が検査室から飛び出してきました。「帰る!帰る!」と言って暴れます。慣れない空間、見知らぬ大人と二人きり……息子にとっては耐え難い空間だったのでしょう。検査は途中で中止となりました。途中までの内容で一旦結果を出していただき、検査はまた息子の状態が安定してきたら改めて行うことになりましたが、学校で支援を受けようとなると今回の結果では難しく、ひとまず定期的に受診をし、精神障害者保健福祉手帳の取得を目指すことになりました。Upload By 花森はなあのままA病院に通っていたら、精神障害者保健福祉手帳の取得を考えることもなかったですし、ずっとモヤモヤしたまま通い続けることになっていたと思うので、思い切ってセカンドオピニオンを受けてよかったと思っています。こうしてB病院の先生と出会うことができました。話を聞いてくれる、受け止めてくださる医療者と出会うことは、息子にとっても、私にとっても大きな救いとなりました。担当医は残念ながら代わってしまいましたが、現在もB病院に引き続きお世話になっています。執筆/花森はな(監修:室伏先生より)セカンドオピニオンを受けられ、通院先を変更されるまでの道のりを共有してくださり、ありがとうございました。大事な大事なお子さんの状況に関してご心配されるというのはとても自然なお気持ちですし、さまざまな先生の意見を聞いていただいて納得して治療に臨んでいただけるのが、医師と患者さま双方にとってよいことなので、ご希望される場合にはぜひ受けていただきたいと思いますが、患者さまにとってはそれを医師に伝えることは、時に勇気の必要なことですよね。医療スタッフと患者さまの間の信頼関係はとても大事です。人間関係なので相性もありますし、お子さんにとって何を大切と考えるかに関して意見の違いもあります。それは医師もよく分かっています。ですので、もしセカンドオピニオンのご希望があれば、ぜひ前向きにお願いしてみていただきたいと思います。前の記事はこちら
2024年05月21日息子と二人で家から少し遠いスーパーへ。機嫌よくしていた息子が号泣!?1歳頃の息子は、癇癪や他害がひどかったので、児童館や公園など同年代の子どもたちがいる場所には連れて行きにくいと感じていました。ですから、たまにいつもと違う、少し家から離れたスーパーに買い物に行くことが、わたしと息子にとってのささやかなイベントになっていました。この日は、家から3キロほど離れたスーパーに、自転車に乗って息子と出かけて行きました。機嫌よく買い物に付き合ってくれた息子でしたが、帰りがけに大泣きしてしまうことに。なぜかというと、お菓子コーナーにあった小さな画面に夢中になってしまったからです。その画面には、とあるお菓子のCMが、繰り返し流されていました。Upload By メイお菓子のCMを何度も繰り返し見たがり、動かなくなってしまった息子何度か見たらそのうち満足して離れられるかもしれないと、しばらく様子を見ていましたが、一向にその気配はなく、予告の声掛けをしたあとにその場から引き離しました。予告の声掛けは残念ながら効果がなく、息子は号泣。出口までなんとか連れて行ったものの、息子はスーパーの前で動こうとしません。大泣きする息子をなんとか連れて帰ろうと、自転車に乗せようとしましたが、息子は座席から立ち上がって拒否していました。そんな状態のまま自転車で走るのは危険だったので、私は息子を自転車に乗せることをあきらめ、片手で暴れる息子を押さえ、反対の手で自転車のハンドルを持ち、少しずつ押していきました。これが想像以上に大変で、少し進んでは止まって休憩して、また少し進んでは休憩を繰り返していました。ずっと泣き続け、全力で拒否し続ける息子に疲れ、泣きそうになりながら自転車を押していた時、一人の女性に声を掛けられました。女性は、今進んでいる大通りの先にある駅まで行くところだから、そこまで自転車を押しましょうかと言ってくれたのです。女性はしばらく一緒に歩いていましたが、電車の時間が迫っているということで先に行き、駅の前に自転車を停めておいてくれました。Upload By メイとてもありがたい女性の手助けに、少し気持ちが軽くなった私でしたが、その後もまだ息子は泣き止みませんでした。自転車に乗れていれば20分もあれば家に着いていたはずなのに、すでに2時間が経過して、あたりは薄暗くなってきていました。Upload By メイどんなになだめても泣き止まない息子。疲れで感情が乱れてしまい……優しく声をかけてなだめようとしても全然ダメだし、もう疲れた……。だんだんお腹の中で、イライラとかムカムカとか、なんとも言えない感情がぼこぼこと湧いてきました。この膨れ上がる感情を、一体どうしたらいいのか分からず、この場を立ち去ってしまいたい衝動に駆られました。Upload By メイUpload By メイ結局私は、3歩ほど息子から離れたところで立ち止まりました。落ち着かないといけない、冷静にならないといけない。そのためには、このお腹の中のモヤモヤを、どうにかしないといけない。でもこの場を離れるわけにはいかない。私は寝転がって大泣きしている息子のそばに座り込んで、気が済むまで地面を叩きました。そんなことするなんてヒステリックですごく嫌だと思ったけれど、ほかに気持ちを発散できる方法が思い浮かびませんでした。Upload By メイ落ち着きを取り戻した私は、ひたすら息子を待つことに決めました。しばらくして、息子の泣き方が少し変わってきたタイミングで、帰ろうかと声を掛けました。息子はグスグス言いながら、私に寄ってきました。Upload By メイちなみに自転車は持って帰れなかったので、あとから夫に取りに行ってもらったのでした。どう対応すればよかった? 今も考え続ける息子との関わり方この時の出来事は、今でも何が正解だったか分かりません。息子のやりたいことに延々と付き合ってあげられたらいいけれど、外出先だったり時間の余裕がなかったり、そうできない場合もあります。今回のことは、息子の気が済むまでスーパーでCMを見せてあげていたほうが、結果的に早く家に帰り着いていたかもしれません。でもそれは、あとからだから言えることでもあります。トラブルがあるたびに、こうすれば良かったああすれば良かったと、いろんなパターンをシミュレーションしてきました。そうして少しずつ、息子との関わり方を学んできたような気がします。執筆/メイ(監修:森先生より)愛情を持っていれば持っているほど、子育ては「こうすればよかった、ああすればよかった」の連続ですね……。お子さんを楽しませたくて少し遠くのスーパーに行ったり、帰りたがらないときもはじめから無理に連れ出さずに気が済むまで付き合おうとしたり、予告の声掛けをしたりと、メイさんはお子さんのために努力されていますね。うまく癇癪がおさまらないことは少なくありません。一般的な「子育てのコツ」を勉強して、お子さんの気持ちを考えて寄り添って……全てを頑張ってもうまくいかないことはありますよね。親も人間ですから、イライラしてしまうこともあります。お子さんを無理に自転車に乗せて自転車から落ちる、お子さんが車道に飛び出してしまう、といった大きな危険をできる限り回避したというだけで満点の対応ではないでしょうか。それだけで満点なのに、あの時どうすればよかったかを考えてさらに学ばれているということですので、素晴らしいですね。同じような環境にいる子育て中の皆さん、迷いや後悔は常にあるかもしれません。後悔の度合いは愛情に比例します。すでに充分頑張られていますので、どうかご自身を褒めてあげてください。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月18日熱中症に備える保険が注目を集めています。代表的なものは、キャッシュレス決済のPayPayアプリから加入する「熱中症お見舞い金」という保険で、2022年から熱中症シーズン限定で販売しています。2024年は4月22日から受け付けを始めると、1週間で約4千件の申し込みがあったといいます。熱中症お見舞い金は、熱中症に特化した保険です。熱中症になって点滴治療を受けたら「治療保険金」、1泊2日以上の入院をしたら「入院保険金」が受け取れます。保険期間は2種類あります。1つは月単位で加入する「月額型」。「お手軽プラン」だと保険料は月200円で治療保険金が5千円、入院保険金が1万円です。昨年も加入した人には保険料が10円引きになる「リピート割」があります。もう1つはイベントなどに合わせて1~7日までの期間を選んで加入する「期間選択型」。保険料は1日100円~7日170円で、治療保険金が1万円、入院保険金が3万円受け取れます。特徴は手続きが簡単なことです。加入も保険金の請求もPayPayアプリからでOK。特に保険金の請求は病院の領収証と診療明細書をアップロードするだけ。2023年は記録的な猛暑で、熱中症での救急搬送は2022年より約2万人増えて9万人超でした(総務省)。今年も猛暑が予想されるので、不安な気持ちはわかります。■安い保険料でも保険会社は損しないように設計されてですが、保険の本質は自分の支払い能力を超える事態に備えることだと思います。仮に大黒柱が亡くなったら、今の貯蓄では子どもの教育費がまかなえないから死亡保険に加入する、などです。熱中症保険は保険の本質からずれている気がします。熱中症の治療費を払えない人はあまりいないでしょう。最近はスマホアプリで簡単に安く加入できる保険がたくさんあります。アウトドア、ゴルフ、スキー・スノボなど、どれも100~300円という安い保険料のため、「それくらいなら加入したほうが安心」と思う人が多いのでしょう。ただ保険に加入しても、病気や事故に遭わないわけではありません。万が一の際に保険金が下りるだけ。保険が解決してくれるのはお金の問題だけなのです。加入を検討する際はまず、お金の心配が必要かを考えましょう。次に、なぜ保険料が安いのかも考えてください。保険会社は決して損はしないように保険を設計しています。つまり、安い保険料でも保険会社が損しないほど、保険金を支払う事例が少ないのです。 先述の熱中症による救急搬送9万人超も日本人全体の0.75%。確率が高いとはいえません。さらに、医療保険などでも熱中症で入院すれば入院給付金が出るものが多いです。新規加入の前に、すでに加入済みの保険のご確認を。円安や物価高が家計を襲う昨今、わずか数百円もムダにできません。保険を頼る前に、適切なエアコンの利用や水分補給など熱中症にならない対策をとりましょう。
2024年05月17日年中からいよいよ幼稚園に入園。事前にASD(自閉スペクトラム症)の診断や娘の特性は伝えていたけれど……Upload By マミヤ事前に発達の相談の面談もしていただき、無事に年中から幼稚園に入園した娘。娘の発達のことも伝えているし、診断書も提出しました。そのかいあってか娘のクラスには加配の先生が入ることになりました。加配の先生は娘個人につくのではなく、クラス全体の補助ということでした。でも、いざ園生活が始まると、娘ではなく、別の園児1人に加配の先生はつきっきりになっていました(園長先生の話では1クラス中で3人が診断書を出してくれたら、加配の先生が1人つけられるとの説明でした)。娘に加配の先生の補助が入っていないと聞いて不安もありました。ですが娘の園生活での課題は給食が苦痛になりやすいとか、一斉指示が聞こえていないとか、何個かの指示のひとつを忘れてしまうというもので、ひっそりと困っているタイプでした。もっと小さい頃は癇癪が激しかったのですが、 その頃は泣いたり怒ったりなどの強い感情は、外ではあまり出さなくなっていたので、困りごとがあっても気づかれにくい子なんだなと思いました。遠足で運動場に行った時に、クラスの皆は水筒を1ヶ所に置いてグラウンドを走っていたのですが、娘1人だけ水筒を持って走っているのを見た時は「ああ……指示聞いてなかったんだ……そして気づいてもらえてないんだな……」と感じました。それでも、当時の担任の先生は、面談などで娘の特性や困りを伝えるとしっかり聞いてくれ、声がけなど工夫してくれていました。年長になり新しく担任になった先生。明るくていい人だけど、「娘さんは大丈夫」と繰り返すばかりUpload By マミヤ年長になり新しい担任の先生になりました。今度の担任の先生は明るくて大らかな方なのですが、娘の特性を伝えても「でもしぇーちゃんは大丈夫ですよ。できてますよ。問題ないですよ」と答える方でした。娘のことをほかの定型発達の子どもと同じように見ている……初めは「それって良いこと、うれしいことかも?」と思いました。でも娘は、次第に幼稚園へ行き渋りをするようになりました。なぜ幼稚園に行きたくないのか聞くと、給食の時間に約束した量を完食したのに、担任の先生に「あと一口頑張ろう」「もっと頑張って食べよう」と声がけをされるからだというのです。事前にあった先生との面談で、私は「給食がとても苦手なので、約束した分を食べたら無理させないでほしい」と配慮を求めていましたが、 娘は苦手な給食を毎日頑張らなくてはいけなくなっていました。 また娘がヘルプを出しても「あとでね」や「大したことないよ」と言う先生に、娘は不信感を持ってしまっていました。3学期には週に1回お休みしながら通いました。担任の先生に娘の困りは最後まで伝わらなかったのかなと思います。就学相談で、親子共に「特別支援学級」を希望。判定は?Upload By マミヤそして年長になったので、就学相談が始まる時期でもありました。小学校には親のみで1回、娘を連れて1回の計2回見学に行きました。特別支援学級ではクラスにあるオモチャに興味津々、通常学級では後ろで飼っている生き物ばかり気にしており「見学に意味はあるのか……」とも思いましたが、娘は迷いなく特別支援学級を希望しました。人数が少なく静かなところが気に入ったようでした。また小集団療育で通っていた病院で、夏頃にWISC−Ⅲの発達検査を受けた結果と、小集団療育での様子もふまえて「娘には情緒障害特別支援学級を希望しよう」と決めました。発達検査の結果を見てはじめは「通常学級でいいのでは?」と言っていた夫も、娘が笑顔で通えるならと納得してくれました。特別支援学級への就学希望を決断してすぐ行ったことは、療育の先生と娘の特性や困りごとについて話し合い、A4の紙にすべて書き出すことでした。その年はコロナ禍で、親子面談や教育委員会の方が園に娘の様子を見学に行くことなどが中止になっていたため、特別支援学級の判定は「医師の診断書」と「幼稚園の担任の先生が書いた園での娘の様子についての書類」で決まると言われました。申し訳ないのですが幼稚園の担任の先生は娘の困りを詳しく書いてくれるか不安があったので、療育の先生とまとめた娘の特性や困りごとに関する文書を幼稚園に提出し、「療育の先生に療育での娘の困りも書いてもらったので、一緒に書類へ記載してほしい」とお願いしました。幸い担任の先生は快く引き受けてくれ、結果として娘は無事に情緒障害特別支援学級への在籍が決まりました。これでめでたしめでたしとなればいいのですが、就学後は就学後でまた大変な生活が待っていました。また別の機会に就学後のことも書きたいと思います。執筆/マミヤ(監修:室伏先生より)マミヤさん、幼稚園生活から小学校への進学に至るまでの道のりを詳しく共有してくださり、ありがとうございました。しぇーちゃんの困りごとや課題を見極め、それを踏まえた就学先の検討、そして入念な情報収集、しぇーちゃんの小学校生活のため、丁寧にご準備されたことが伝わりました。就学にあたって、特別な配慮・教育を希望される場合(特別支援学校、特別支援学級、通級指導教室など)、もしくは発達に不安があり就学先について相談・検討をしたい場合には、各自治体で行われている就学相談を受ける必要があります。就学時健診とは異なり、就学相談には保護者からの申請が必要となります。マミヤさんは、しぇーちゃんの特性や園でのご様子から、特別支援学級への就学をご希望されたとのことですが、どのような進路がお子さんに合っているのか判断がつかず希望する進路が決まっていない方も多くいらっしゃいます(周りでそういった進路に進まれている方がいらっしゃらない場合にはイメージも湧きにくいと思います)ので、相談を申し込む時点ではご希望を決められる必要はありません。また、申し込みをすると必ず特別な支援を受けなくてはならないのかと不安に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、就学相談は教育に関わるプロの方が、お子さんが小学校で楽しく充実した生活を送るためにはどのような環境や配慮が必要かを検討し、保護者に提案するものです。就学相談を受けても、検討の結果、現状では通常学級の進学のほうが望ましいとの判断になる場合もありますし、特別な支援を受けたほうがよいとの判断がおりてもご家庭での相談の結果、さまざまな事情で通常学級に通うことを希望され通常学級へ通われる場合もあります。特別支援学級でどのような授業が行われているのか、どのようなお子さんがいらっしゃるのか、学校によっても異なりますので、マミヤさんのように、実際に特別支援学級の見学をされるのもとても大事なことだと思います。また、特別支援学級は知的発達症(知的障害)のあるお子さんが通う場所と思われている方もいらっしゃるかと思いますが、知的発達症(知的障害)がなくてもコミュニケーション・対人関係の面や、感情や衝動性のコントロールの面、その他情緒面で援助が必要なお子さんが通われる場合も多く、自治体にもよりますが、知的発達症(知的障害)のあるお子さんのためのクラスと情緒面に困難さのあるお子さん(ASD/自閉スペクトラム症やADHD/注意欠如多動症など)のためのクラスに分かれている場合もあります。就学相談への申し込みに不安や葛藤のある保護者様もいらっしゃるかと思いますが、みんなでお子さんのこれからを考える場として、前向きに捉えていただけるといいなと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月16日まるで王様!?"自ら"動くことがほぼなかった赤ちゃん時代何に対しても興味が薄かった赤ちゃん時代の息子は、運動発達もゆっくりでした。母子手帳のチェック項目などでは3~4ヶ月が目安とされる『首座り』をクリアした以降、徐々に運動発達の遅れが出始めます。同じく6~7ヶ月が発達目安とされている寝返りは、先に腰の座りを習得したことで毎回「座らせてくれー!」の泣きで私がホイホイ座らせてあげていたため、10ヶ月になるまで自ら寝返りをすることはありませんでした(……なぜホイホイ座らせてしまっていたかというと……当時家の建て替えのためにアパートに住んでいたので、泣き声や物音を極力立てないようにご近所にとても気を遣っていたのでした)。転ばないよう、怪我をしないよう、息子の周りをフカフカのクッションで囲み、転んでしまっても寝返りができないので私が座らせてあげていました。また、おもちゃへの興味の薄い息子はすぐに飽きてしまうので、色んなおもちゃ代わる代わる並べ……微動だにしない息子をまるで王様のように扱っていたのでした(振り返れば、なんて過保護な育児をしていたんだと遠い目になります……)。Upload By 海乃けだまその後もずり這いしたのが10ヶ月、ひとり歩きをしたのは1歳5ヶ月でした。2歳半〜5歳半、療育園での様子療育の親子通園クラスに通いはじめた頃には少しずつ好きなものが出てきた息子。電車のおもちゃを追いかけたり、地面からゼロ距離で眺めたり(笑)と、好きなおもちゃを通じて自ら動いて遊ぶようになっていました。3歳手前で2語文、3語文を話し始めると、電車ばかりだった遊びもおままごとややり取り遊びへと広がり、当時親子通園していた療育園でのリトミックも楽しんで参加するようになりました。とはいえ、運動発達が急激に進むということはなく……体幹の弱さや持ち前の怖がりな性格から、ジャンプができるようになったのも3歳目前、片足のケンケンは5歳手前でした。幼稚園に転園後、同級生の身体能力に驚愕‼︎……やはり少し落ち込んでしまった母息子が5歳半になり、年長クラスに上がるタイミングで、地域の幼稚園に転園しました。転園後すぐに春の遠足が予定されていたので、付き添いすることになりました。行き先はなんと登山!!園児でも登れるくらいの標高とはいえ、「息子以前に産後運動を怠っていた私に登れるのか!?(笑)」という不安を抱えながら出発しました。出発するやいなや、同級生のお友達の早いこと!!!!息子の歩幅に合わせていたら、列からどんどん置いていかれそうになるので、5分に一回「疲れたぁ~」と言う息子を励ましながらほぼ私が手を引っ張り登ることになりました(運動発達がゆっくりであることに加え、体力も少なく、疲れやすい息子でした)。Upload By 海乃けだま遠足で同級生の子たちとの体力の差に圧倒されたのも束の間、同じ幼稚園に通う娘の登園時(当時娘は年少で、登園時間が年長より30分ほど後でした)、ふと園庭をみると、縄跳びをいとも簡単にヒュンヒュン跳ぶ年長のお友達、鉄棒を回っているお友達、そして鬼ごっこをしているお友達の足の速いこと……!!片足ケンケンがやっと様になってきた段階だった息子との運動能力の差に驚くとともに、ショックを隠しきれませんでした。いよいよ運動会。はたして息子は……!?そんなこんなでショックを受けつつも、運動会が近づいてきました。お迎えで担任の先生に会うたびに「今日はリレーで最後になって泣いてしまいました」とか「通し練習を1回したら疲れてしまって……」とか……不穏なことばかり聞いていました。運動会当日、息子本人以上にドキドキしながら見に行きました。息子が出る種目は年長のみのキッズソーラン、年長・年中合同のダンス、障害物競走、バトンリレー。「……うまくできなくても、列から離れずその場にいれれば100点!」と考えていましたが、列から離れるどころか、自分の出番やポジションをしっかりと覚えて動いているではありませんか!!!!しかも時折笑顔を見せて楽しんでる……(涙)!!!!!細かいことを言えば、ピシッと手を伸ばすところが伸びていなかったり、腰を落とすところがへっぴり腰だったり、小走りで集まるところを息子だけ優雅に歩いていたり、息子版にカスタマイズされていましたが……(笑)。先生やお友達が声をかけてくれて誘導していてくれたものの、息子なりに全ての競技を頑張っていました!Upload By 海乃けだま現在、小学1年生の息子は、自転車もまだ補助輪なしでは乗れないし、縄跳びも跳べないし、鉄棒も1回も回れません。ですが、大きな怪我をしない程度に、運動も日常生活に困らない程度にできるようになればと思っています(私たち両親も運動が苦手なので、高望みはしません(笑))。執筆/海乃けだま(監修:室伏先生より)けだまさん、息子さんの運動発達のご様子や運動会で頑張られたお姿について共有くださり、ありがとうございました。運動会、ご自身の出番やポジションをしっかり覚えて参加できたこと、そして何よりご本人が楽しむことができていたとのこと、成長が感じられてとてもうれしいことですね。ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠陥多動症)と診断されるお子さんには、DCD(発達性協調運動症)が合併することも多いです。協調運動とは、ある動作に対して複数の身体の部位を連動させて滑らかに動かす運動のことを言います。例えば、本をめくって読む(両手、眼)、縄跳び(両方の腕と脚)、ピアノ(両手と眼、ペダルもあるのであれば脚も)、ボール投げ(腕、脚、眼)、など生活には協調運動が溢れています。DCD(発達性協調運動症)は、このような運動を年齢相応に行うことができず(単にできない場合だけでなくぎこちない、動作が遅いなども含まれます)、日常生活に支障がある場合に診断されます。こうしたお子さんには、筋緊張低下もみられることがあります。しばしば、体幹が弱い、疲れやすいなどと表現されることもあります。これは筋肉の疾患などで見られる筋力低下とは異なります(合併することはあります)。筋力と筋緊張の違いは分かりにくいのですが、筋緊張とは常に持続的に生じている筋肉の緊張状態のことを言います。イメージとしては、ズボンのゴムを思い浮かべていただけるとよいかと思いますが、ズボンのゴムはその位置を保つために常に一定の張りがありますよね。筋肉は、姿勢を保ったり、関節を安定させたりするために動いていない時も常に一定の張りを保っています。これは無意識に行われており、例えば寝ている子どもを抱っこしても、体の重みで関節が変な方向に過度に曲がってしまうということは生じないわけです。筋緊張低下は、このゴムの張りが少し緩いという状態と考えていただけると分かりやすいと思います。この筋緊張の維持には、固有感覚(筋緊張の状態、どの筋肉がどのくらい引き伸ばされているか→関節の曲げ伸ばしの状態)という感覚を筋肉がキャッチし、それを脊髄や脳に伝えて、さらにそこからの情報が筋肉に伝えられることが必要です。筋緊張低下の要因は複数ありますが、発達障害のあるお子さんにおける一つの要因として、この筋緊張を感じる固有感覚の鈍さがある可能性があります。筋緊張低下があると、姿勢が崩れやすくなり、本人のやる気やしつけの問題だと見なされてしまうこともありますが、上記を理解すると決して本人の気持ちの問題ではないことが理解できると思います。この場合、筋力と違って筋肉を鍛えることで改善することが難しいばかりでなく、疲れやすい状態にある筋肉に過度な負荷をかけてしまうことにもなりかねません。とはいえ、もちろん運動は大事ですので、支援としては、本人のペースや体力、運動能力に合わせた継続的な運動(本人が楽しめるもので)を行いながら、本人が姿勢を保ちやすい支援(成長に合わせた椅子を使い、椅子に滑り止めマットを敷くなど)を行うことが基本となります。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月15日診断名のデパート私が5年ほど前に診断を受けた二次障害は「複雑性PTSD」。家庭や学校でのトラウマが長期にわたって累積したことにより、複雑なトラウマの後遺症に苦しむこととなったのです。その他、診断基準を全ては満たさなかった、または医療につながっていなかったなどで該当するか不明なものとしては、社交不安症、離人症、摂食障害、神経性胃炎、過敏性腸症候群、概日リズム睡眠障害、強迫症、ネット依存症、双極症のような傾向がありました。内科では自律神経失調症や「うつ」と言われていた時期もあります。PMSや月経困難症もひどく、片頭痛や過活動膀胱の傾向もありました。複雑性PTSDのようなトラウマ性疾患のある人は、トラウマ・ストレス反応によって自律神経のバランスが崩れることで、非常に多様な症状を抱えます。このため、身体科疾患も含めていろいろな病気の症状を呈し、トラウマの問題が発見されるまでの間、たくさんの診断名をつけられる傾向にあります。こういった人を「診断名のデパート」と呼ぶことがあるそうで、私もまさにそういった状態でした。※診断名等は診断時・受診時のものです小学校時代から二次障害の症状に苦しむこうした背景により、私は小学校の頃にはすでに、さまざまな症状に苦しむようになっていました。学校で人の視線が気になる、誰かが何か話していると自分の悪口を言っているのではと気になる、人前での失敗を必要以上に恐れる。決まったやり方で教室に足を踏み入れ、何歩歩いたら、どこでどれくらいの角度とスピードでターンするかを事前に頭の中でシミュレーションする、など……。20代までの間は食欲不振や下痢の症状があるいっぽうで、チョコレートなどの甘いものを一気食いするなどしていて、身体はガリガリ、顔はニキビだらけ。ネットサーフィンやソーシャルゲーム、チャットに依存し、すっかり昼夜逆転。精神安定剤でデロデロの状態で昼過ぎにやっと起き、化粧や服装を完璧に整えようとして何時間もかかるので、家を出たら午後4時過ぎ。必要な事務手続きなどができず、生活に支障をきたしました。また、人と話すのが苦痛で、電話1本かけるのに脂汗をかき、震えながら小1時間葛藤するといったことも……生理にまつわる症状や片頭痛で月のほとんどの時期調子が悪かったこともあって、この時期は準ひきこもり状態となっていました。ずいぶん楽にはなったけれど……30代以降、実家を出て、家庭における最大のストレス・トラウマの源であった母と離れました。夫に支えてもらい、安心できる環境に身を置きながら、発達障害の診断・治療、トラウマ治療、その他の身体科の疾患の治療を受けるようになってからは、もろもろの症状は徐々に治まっていきました。しかし、トラウマの影響による気分の変動や、トラウマ記憶のフラッシュバックには引き続き苦労しています。もっと診断が早ければ……私が二次障害を発症するに至ったのは何より、時代的に、診断が遅かったためだと思っています。今の時代であれば就学前に発達障害の診断を受け、療育を受けたり、公立小学校の通常学級とは違った学校の選択肢を選んだりすることができたでしょう。そうすることで、いじめ・教師からの虐待といったトラウマを負わずに済んだかもしれません。早期の診断や療育を受けていれば、何がいけないのか分からないままの、人間関係上の失敗や挫折を漫然と繰り返すこともなく、何かつまずくたびに効果的な学習の機会にできたでしょう。暗中模索のまま過剰適応に追い立てられることもなく、疲労の蓄積や、大学受験を最終的なきっかけとしたバーンアウトも経験せずに済んだかもしれません。仕事の選択も特性に合ったものを考えられたでしょうし、20代のひきこもり時代による社会的な学習機会の損失も起こさず、もっとずっと早く、もっとずっと高いレベルで社会適応できていたでしょう。家庭内で私のストレス・トラウマの最大の原因となっていた母も、おそらくASD(自閉スペクトラム症)とその二次障害の強迫症の持ち主だったのですが、今の時代であれば彼女への治療や支援といったアプローチも可能だったかもしれません。彼女への早期の介入がなされていれば、私は家庭内で今ほどのトラウマを負わないで済んだでしょう。早期発見と早期の対応はとても大事発達障害があること自体はやはり、社会を生きていくにあたってディスアドバンテージではあると私は思っています。しかし、トラウマ治療が進み、定型発達の人たちのコミュニケーションや考え方の分析に目が向けられるようになって思うのですが、早期発見や(療育の質にもよりますが)早期療育はとても大事です。特性に合った環境調整や療育で、二次障害を防ぎ、教育の場や社会からのドロップアウトの期間をなくせば、社会適応に必要な発達課題をきっちり積み重ねていくことができます。トラウマ性疾患は治療可能な病気ではありますが、治療にとても長い時間と多額のお金がかかります。その間、健康であったら得られていた、人生の節目ごとの発達課題の学習機会を逸することにもなります。私は、いまの未就学児が療育で学ぶようなことを、自分で本を読んだり、周囲の人に教えてもらったりすることで補填しています。ずいぶん自分なりに発達できた、人生はこれからだと思っていますが、いま43歳の私、あまりにスタートが遅い感は否めず、また累積した経済的損失は計り知れず、悔しい思いをしています。いまの子どもたちは、早期発見という意味では幸い私よりも恵まれた環境にあるので、ぜひ早期に対応することで、元気な人生のスタートを切ってほしいと思います。文/宇樹義子(監修・鈴木先生より)残念ながら、今の時代でも本事例のようなことは起こっています。乳幼児健診やかかりつけ医に相談しても「様子を見ましょう」で特に療育もせずに成人された神経発達症の方々が私の外来にはたくさんいらっしゃいます。もっと早くここ(私の外来)に来れればよかったと皆さん口をそろえて言います。アメリカの心理学者バークレー先生は神経発達症のお子さんにおける早期介入の重要性を訴えています。以前来日したおり、私も運営に関わり全国の小児科専門の先生方に神経発達症の早期診断・治療の重要性を伝えました。その際に保護者の方々へ行った「いつからADHD(注意欠如多動症)などの治療開始を希望されますか」というアンケートには、ほとんどの親御さんが「就学前後」と答えていたのです。そのためには就学前に小児科を受診し診断されなければなりません。ですから、私が推奨している5歳児健診が重要になるのです。しかし、さまざまな要因により、すべての自治体では行えていないのが現状です。そのため、保育士や幼稚園教諭の皆さんに対する神経発達症の周知や教育が急務だと考えています。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月14日太郎が学校に行きたくない理由ある日、ASD(自閉スペクトラム症)の太郎が学校に行きたくないような素振りを見せた。私と祖母にはその理由ははっきりと分かっていた。その日は学校のバレーボール大会なのだ。バレーボールの練習の段階から太郎は「バレーボールは難しい」「どこにボールを当てたらいい?」「どうやってボールをとばしたらいい?」など困っていた。毎日のように「今日もバレーボールした……」と浮かない顔で言っていた。Upload By まゆん幼い頃から運動全般が苦手だった太郎Upload By まゆん初めに不器用さを感じたのが離乳食の頃。嚥下や咀嚼が苦手で食事中にえづくことや嘔吐もみられた。これに関しては感覚過敏からくることも考えられるが、そのほかにもその運動自体に問題がある可能性について分かってきた。次に箸や鉛筆の扱いの不器用さが著しかった。この頃、保育園側から家でも箸や鉛筆の扱いの練習をするようアドバイスがあったが、私は練習の量の問題ではないと太郎の動きからなんとなく気づいていた。それから小学生になると、指先の小さな動きの不器用さは明らかになってきた。定規、ボタン、靴ひも、鉢巻、エプロンのひも結び、どれもほかの人の3倍以上は時間がかかるか、できずに途中で諦めていたり、周りに助けを求めてしてもらうことがあった(これは良いことだと思っている)。特に難題だったのが、先生と取り組んだ縄跳び。いまだに太郎の中では苦でしかないだろうと思っている。縄を回すこと、腕を回すこと、縄のタイミングに合わせてジャンプすること。複数の動きを同時にしないといけないのが縄跳びだと、この時私は勉強になった。太郎はその複数の動きを同時に起こす運動も苦手である。これは練習を重ねても平均的な跳びはできなかった。なんで跳べないのかと本人も思っているのかもしれない。明らかに縄跳びの時間になるとテンションが低かったと担任の先生から聞いていた。自転車は小学5年生まで練習をぼちぼちと行っていたが中学生になってからは練習することもしていない。直線でも急にブレーキを強くかけたりいきなりバランスをくずして転倒する。何回乗っても手にはマメを作るほど力が異常にかかる。なので危険性を感じるためサイクリング場での自転車の運転だけで収めている。中学生になりストレスが大きくなってUpload By まゆん中学1年生の頃は大縄跳び大会でうまく飛べずに固まってしまい、2年生の時は水泳の時間にほかのクラスの生徒から一人ビート版の練習をしているのを笑われたとトラウマになっている。学年が上がるにつれて、太郎の中でも強く運動の不得意さを感じストレスになっていると感じている。そんな中、中学1年生の終わりに療育センター相談をした。その時に担当の心理士の先生から伝えられたのが「DCD(発達性協調運動症)」についてだった。実際に、発達性協調運動症に関するチェックシートを記入してみると、ほぼ当てはまっていた。DCDの可能性が分かり納得はできたが、これからどうしていくかが私と太郎の課題になると感じた。おそらく学校の先生はDCDについて詳しく知らない。どういう関わりがベストなのかといったマニュアルがない場合、先生の考え一つで教育は変わるだろうと思った。一度担任の先生に相談した際は、「苦手な運動でも評価に繋がるため、頑張って参加してほしい」とのことであった。一方で私は参加を推すことで二次障害が出現しないかを危惧している。これから私が行おうと思っているのは、太郎がどの範囲まで運動が可能か、何ができて何ができないかを知ることだ。そして、学校の先生と情報共有し配慮を行ってもらうこと。それが、太郎のメンタル面の二次障害を引き起こさないために必要になると考えている。そして今回のバレーボール大会ではいよいよ学校を休むという判断を本人が出した。休んでどうだったかをあとで聞くと、後悔や後ろめたさはないとのことだった。逆に清々しく感じているようにも思えた。学校の先生に事情を説明すると、とても残念そうにこう言われた。「20分だけでいいから頑張ろうと伝えてたんですけどね、だめでしたか」と。その言葉を太郎に伝えると「お母さん、バレーボールをしている時の20分は俺にとってはすごく長くて、地獄のような時間なんよ」と。太郎の言うことはよく分かる。不思議な動きを見られて周りから笑われるくらいなら私も休んだほうがましだ、と思うに違いない。まさに今、先生の考えと私の考え、太郎の気持ち、DCD……いろいろと考え中である。執筆/まゆんUpload By まゆん(監修:鈴木先生より)DCD(発達性協調運動症)は、不器用で手足の協調運動が苦手なお子さんに当てはまります。人生最初にみられる手足の協調運動はハイハイですが、DCDのお子さんは、うまくできないため、いきなりつたい歩きをするケースもあります。縄跳びや球技に苦手さがあったり、走り方やダンスもぎこちなかったりするため、体育の授業や運動会が嫌いになるお子さんも多くいます。そういうお子さんには病院のリハビリテーション科で行っている作業療法士による感覚統合訓練をおすすめしているほか、病院へ通えない場合には公園やアスレチックで遊具の遊びをおすすめしています。また、私のクリニックでは小脳を鍛えることで症状改善にアプローチするため、音楽療法に感覚統合訓練を取り入れた療育なども行っています。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月13日一般社団法人チャレンジドLIFE(所在地:滋賀県草津市/代表:畠中 直美)は、2024年1月~3月に日本テレビ系列で放送された主人公が自閉スペクトラム症のドラマ「厨房のありす」の鈴間 広枝プロデューサーをゲストにお招きしてのオンライントークイベントを、2024年6月8日(土)20時から開催します。◆開催の背景自閉スペクトラム症(ASD)の主人公をとりまく周囲の方々の温かい関わりが印象的だったドラマ「厨房のありす」。この素敵なドラマに、チャレンジドLIFEは取材協力という形でご縁をいただきました。プロデューサーや脚本家の方たちに、自閉スペクトラム症児の保護者として経験してきたことをお伝えする中で、スタッフの皆様が自閉スペクトラム症の当事者や家族に真摯に向き合ってくださる姿や、ドラマ制作にかける熱意にとても感動しました。なぜこのドラマを作ろうと思ったのか、何を届けたかったのか。本イベントでは、「厨房のありす」プロデューサー 鈴間 広枝様をお招きし、本ドラマに込められた制作スタッフやキャストの皆様の想いを、公開インタビューの形でお聞きします。どんなエピソードが飛び出すのか!?どうぞお楽しみに。鈴間様、参加者の皆様と共に、あらためて自閉スペクトラム症や多様性について、「厨房のありす」で描かれた“多様でやさしい世界”を実現するためにできることを、一緒に考えていきます。◆イベントタイトル:「厨房のありす」の“多様でやさしい世界”をみんなで味わおう!~鈴間 広枝プロデューサーと語り合うオンライントークイベント~「厨房のありす」鈴間 広枝プロデューサーチャレンジドLIFE代表 畠中 直美◆開催時期:2024年6月8日(土)20:00~22:00◆開催方法:Zoom(オンライン) ※お申し込み者には終了後アーカイブ配信あり◆ゲスト:ドラマ「厨房のありす」 プロデューサー 鈴間 広枝様<プロフィール>日本テレビ コンテンツ制作局でドラマプロデューサーとして「東京タラレバ娘」「あなたの番です」「真犯人フラグ」「リバーサルオーケストラ」「厨房のありす」など数々の作品を手掛ける。◆目的:・ドラマ「厨房のありす」のファンの方や関心をお持ちの方に、制作スタッフやキャストの皆様の想いを届ける・「厨房のありす」を視聴した方たちの想いを、制作スタッフやキャストの皆さまに直接届ける・自閉スペクトラム症や多様性についての理解を深め、自分事として考え、「多様で優しい世界」への一歩を踏み出すきっかけとする。◆参加いただきたい方:「厨房のありす」視聴者、自閉スペクトラム症など発達障がいの当事者・家族、支援者、ダイバーシティに関心のある方など◆定員:50名◆参加方法:フォームよりお申し込みください。前日までにご登録いただいたメールアドレスに配信用URLを送付します。申し込みフォーム ※受付締め切り:2024年6月5日(水)◆主催:一般社団法人チャレンジドLIFE<会社概要>商号 : 一般社団法人チャレンジドLIFE(2017年9月設立、滋賀県草津市)代表者 : 畠中 直美事業内容 : (1) 発達障がいに関するワークショップ、セミナー、情報発信: (2) ダイバーシティコミュニケーターとして多様性の目線から、多くの人の生きやすさにつながる企画・サービス開発URL : Instagram: これまでのオンラインイベント事例(一部):・くわばたりえさんYouTube「バタやんちゃんねる出演」(2024年5月)<第1回> <第2回> ・くわばたりえさん×片山 泰一先生 オンライントークセミナー( )・くわばたりえさんYouTube出演YouTube「くわばたのくすくす子育てママトーク」(2021年7月)<第1回>うちの子、発達が遅れてる? <第2回>発達障がいの診断が出たらどうする? <第3回>発達のこと、誰にどう伝える? <第4回>発達障がいの子の学校生活は? <第5回>発達障がいの子の将来は? ・くわばたりえさんのオンラインdeメガネのママ友会(全3回)( ) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年05月09日出産は比較的楽……だったはずが、生まれてからの悩みが……コチ丸は、出産予定日より2週間ほど早く生まれました。出産の時は私もほかのお母さん方同様、陣痛との闘いでしたが、最後のほうはスルッと生まれてくれて、会陰切開も会陰縫合もなく、「綺麗な出産だねー」と看護師さんに言われたくらいの安産でした。私自身も「根性がないママのために早く生まれてきてやるか」とお腹の中でコチ丸が気を利かせてくれたのだと今でも信じて疑いません(笑)。ほかのママ友たちの出産の話を聞いていても、楽に生まれてきてくれたほうなのではないかなと思います。しかし、スムーズだった出産と比べて、育児のほうはそううまくはいかず、悩みの連続でした。コチ丸はもう少し小さかったら低出生体重児に入る、2520gで生まれてきました。初めての出産だった上にめちゃめちゃ小さかったので、3つ年上の甥っ子が生まれた時と比べてしまい、当時は本当に心配でした。Upload By あき吸う力が弱いのか母乳もあまり飲まなかったので、面倒くさがりの私は母乳を飲ませることは早々にあきらめミルクにしました。周りには母乳で育てることに結構こだわりを持っている人が多くいましたが、私は「初乳は飲んだし、あとは楽な方法で育てればいいや!」くらいの楽観的な考え方だったので、そこにはあまり抵抗はありませんでした。しかし、1ヶ月健診の時には体重がほとんど増えておらず、黄疸も出ていたので、どうしたものか……と途方にくれたのを覚えています。何より、それまで仕事をバリバリやってきた自分が、母親としては何もできない……ということに自分の無力さを痛感していました。当時はフリーランスでウェブデザイナーをしていたため、出産当日まで仕事をして、出産1週間で育児しながら仕事再開……という状況でした。当然ですが、仕事も思うようにはできず、疎かになってしまいました。あんなに母乳にこだわりのない楽観的な(笑)私も、当時は大分メンタルをやられました……。Upload By あき生まれてすぐから敏感な子ども。産後うつ状態に。さらにコチ丸はとても敏感で、昼間は抱っこして寝かしつけても布団に置くとすぐに泣き出したり、ちょっとした物音にも敏感で起きてしまったりしていました。毎晩寝る前には儀式のように1時間近くギャン泣きしていたので、私のメンタルはますます弱りました。これってほかの子もそうなのか?うちの子だけがこんなに敏感なのか?はたまた私がやっぱり根性がないのか?と思っても比べるものがないので分からず。私は若い頃にちょっと心を病んで通院・投薬をしていた経験からなんとなく、「あぁ、これはうつだな」という感覚はありましたが、病院にいく間もありません。出産からしばらく経った頃に、ギャン泣きするコチ丸の泣き声に耐えかねて、泣いているコチ丸を布団に置いたまま、部屋を出て近所を裸足でさ迷い歩いていたこともありました。相当病んでいましたね……(笑)。コチ丸パパもそんな私を見かねて、休みの日にマンションから近い自分の実家にコチ丸を預けるなどしてくれましたが、それはそれで義父母に「子育ても満足にできない嫁」と思われているようで素直に預けることはできませんでした。今思い返せば本っっ当にありがたい話なのですが……。当時はそこまでの心の余裕がなかったんだと思います。そんな中でもありがたかったのは実母の存在でした。出産の際に実家に里帰りしたものの、妹の家族も実家で暮らしており、なんとなく居心地が悪く感じた私は1週間で自分の家に戻りました。当時、私とコチ丸とコチ丸パパは、愛知県北部の実家から30キロ離れた名古屋のマンションに住んでいましたが、私が泣きつく度に実母は実家から車で駆けつけて、コチ丸の面倒を見てくれたのには救われました。未だに実母は当時のことを思い出すと「あの時は大変だった……」というので実母への負担も結構なものだったのかと思います。それでも当時、実母がコチ丸を見ていたのは1日のうちの数時間、かつ動き回る時期ではなかったので、まだ「コチ丸の本気」を知らなかったのです……。Upload By あき生後8週から保育園へ登園。良いバランスが保てるようになったのも束の間……。そんな現状を打破できたのは、生後8週から預かってくれる保育園を見つけたことでした。とにかくもっとしっかり働きたい!という気持ちと、フリーランスなので、お客さんをいつまでも待たせていられないという現状もあり、一刻も早く保育園に……と思っていたところ、家から車で10分くらいのところに保育園を見つけたのです。幸いなことに空きもあり、すぐに預けられることになりました。当時はまだ寝返りすらできないコチ丸をクーハンに入れて保育園に通っていました。預けられる時間は9時~14時くらいまででしたが、仕事にも集中でき、迎えのあとはギャン泣きのコチ丸とも向かい合える余裕ができたので良かったです。Upload By あき息子が高校から北海道に行ってしまった今、当時を振り返ってみると、「もう少し一緒の時間を過ごせたら良かったのかな」という思いも少なからずありますが、やはりあの時のメンタルで子どもと無理に一緒にいるよりは、あれで良かったのかなと納得しています。自分の心が健全でなければ子どものことも健全に見ることができないなと思うので、「離れる時間」というのも二人の関係性を保つのに大切なことだったと思います。都合の良い解釈なのかもしれないですが、親と子も相性は少なからずあるのではないかなと思っていて、親子であっても私とコチ丸はそこが相反するタイプだったために、離れたことによって心地いい距離感が生まれたのかな?と感じています。そんな良い感じの関係性で生活ができていたのも束の間(笑)。すぐに寝返りができるようになり、座れるようになり……立ち上がった頃には「コチ丸の本気」が始まりました(汗)。執筆/あき(監修:鈴木先生より)ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんは感覚が敏感なので寝付かせるのが大変です。抱っこして揺らしていると泣き止むので親御さんはずっと立っていなければならなくなります。しかし、最近は電動で揺れる揺りかごなどもあり、こうした便利な育児用品を活用できれば、少しは親御さんの苦労も減るかもしれません。誰でもそうですが、ずっと一緒にいると細かいところも気になり過干渉になりがちです。親子とも離れたことでお互いに気にせずリフレッシュできたものと思います。親の子離れ、子の親離れも時には必要なのです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月09日広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)のある中1娘。夏休みに「あること」を伝えました広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)のある娘は、4月から中学2年生。これは、娘が中学1年生の時の、夏休みの話です。夏休みになる少し前、私は娘にあることを伝えました。Upload By SAKURA娘はスケジュールを管理するのが苦手で、特に口頭で聞いたことはすぐ忘れてしまいます。聞いたことをメモに取るようにしていますが、メモ自体忘れることもよくあります。今は私たちが助けてあげられますが、仕事をするようになるとそうはいかない。中学生のうちにたくさん経験して、失敗もして、自分にはどんなスケジュール管理が合っているか、見つけて欲しかったのです。しかし、娘はあまりピンときていない様子でした。そして、終業式の日……。娘は学校で配布された夏休みのスケジュール表を持って帰ってきました。娘の通う中学校では、夏休み中もいろいろな当番が生徒に振り分けられていて、部活以外に登校する日が何日かあり、細かく書き込まれた予定表は、私でも訳が分からなくなるほど細かいものでした。Upload By SAKURAこの膨大なスケジュールを、果たして娘一人で理解し、管理できるのか。Upload By SAKURAこちらの熱量とは真逆にあっさり「分かった」と答える娘……。不安に思いましたが、やらせなければ成長しないと思い、話した通りにスケジュール管理を任せることにしました。とは言え……結局は送り迎えをしなければならない私。Upload By SAKURA何も知らないと自分の仕事や予定が組めないので、把握は必要。しかし、学校から配られたスケジュール表は細かすぎて、よく分からなかったので、自分のために分かりやすくしようと、娘の部活と当番の予定を、家族の予定を管理しているカレンダーに書き込むことにしました。それを横目に見ていた娘。Upload By SAKURA私がカレンダーに書き込み、もう一度説明をすると、自分がやることをやっと理解したようでした。お弁当がいるかどうかは、その日によって違いましたし、部活の終わり時間も日によって変わることもあり、予定表がすべてではありませんでした。娘が知っている情報も、私に伝えて共有してもらわなければなりません。娘は自分の責任の重大さに気がついたようでした。娘が予定を見逃したり、私に言い忘れたりしないようにしてあげたいと思った私は……。Upload By SAKURA学校からもらった予定表を、娘が分かりやすいように、忘れにくいように、自分なりのやり方に変えることを勧めたのですが、娘は学校からもらったスケジュール表を、そのまま使うと言いました。そうして始まった、夏休み。夏休み開始!最初は予定を伝えてくれていた娘ですが……Upload By SAKURA最初の数日は、「明日は部活だよ。〇時から〇時まで」というように教えてくれていたのですが、だんだんと言わなくなり……Upload By SAKURAと言うように、私から探りを入れなければならなくなる始末。娘の中途半端な感じに、ついイライラしてしまいましたが……ついイライラしてしまう私に夫からのアドバイスUpload By SAKURAUpload By SAKURA私は結局、親として子どもを助けないと、冷たいんじゃないかと思ったのですが、たしかにそうだ……私は「やらせなければ成長しない」と言いながら、結局やらせてない!私は心を入れ替え、完全に口を出さない事にしました。翌日、本来なら当番がある日……Upload By SAKURA当番の変更があったこと、私は先生から聞いていたのですが、娘は「当番はない。休み」と断言していたので、それを信じ自宅にいさせました。すると、先生からメールが届きました。Upload By SAKURA先生にスケジュール管理に励んでいる事情を説明し、理解してもらえたので、その後、あーさんに今日が当番であったこと、先生からメールが来たこと、ほかの当番の子に迷惑をかけたであろうことを説明しました。Upload By SAKURAこの出来事以降、娘はこまめにスケジュール表を見て、私に予定を確認するようになりました。学校には迷惑をかけることになりましたが、失敗させること、切り替えさせることの練習だと話していたので、理解してもらえました。お弁当がいるということを伝え忘れた日は、自分でコンビニに行ってお昼ご飯を買ってもらうようにしました。娘の場合、元々の性格と反抗期もあって、失敗する前に「こうした方がいいよ」というアドバイスや助言は、全く響かず、言われた通りにしたくない!と思う傾向にあります。そのため、失敗は貴重な経験。たくさん失敗しても、フォローしてもらえる学生のうちに経験しておくことはきっと将来につながります。私も「良かれと思って……」「助けてあげないと冷たいのではないか……」「可哀想かも……」という感情が頻繁に湧いてきますが、頭で「娘の将来のため!」と繰り返し、見守るようにしています。執筆/SAKURA(監修:鈴木先生より)大人のADHDで受診する患者さんから学校時代に忘れ物がなかったと伺うことがありますが、実は親御さんが全部準備してくれて大丈夫だったということがよくあります。大学生になって初めて一人暮らしをするようになって、誰も準備してくれないため忘れ物が多いという現実に気づいて受診するケースもみられます。なんでも先回りして親御さんがやってあげることで、言葉で伝える場面が少なくなり、結果として言葉が出るのが遅れることもあります。保護者の過干渉は、子育てにおける問題の一つであると思います。小さい時から自分でできることはなるべく親が見守りながら自分でやらせることが重要なのです。失敗は成功の基なのです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月08日ASD(自閉スペクトラム症)の息子の日常生活の中の不器用スバルは幼稚園での生活の中で、明らかに飛び抜けて不器用でした。ダンス、体操、ボール投げなどの全身運動。筆、はさみ、楽器などの道具を使う微細運動。そして日常生活の中でも服のボタンやファスナー、お弁当包みなど、あらゆることにサポートが必要でした。ちなみに両足ジャンプは年少の終わり頃までできませんでした。のちに「DCD(発達性協調運動症)」と診断されるのですが、この頃は「スーパー不器用BOY」として過ごしていました。年少の運動会スバルは幼稚園に入園するまで歌ったり踊ったりしませんでした。その頃のスバルは、幼児向けの教育番組が大好きでした。特にお兄さんお姉さんが楽しそうに踊る、テンポの良い明るい歌が好きで、毎日食い入るように観ていました。しかし真似して踊ったりリズムに乗ることはありませんでした。歌に関しては3歳まで喋らなかったのでそのせいもあるのかなと思いますが、番組に登場する同世代の子ども達が上手に踊る姿と比べて、「あれ?」と感じ始めた私。しかしテレビに出演するくらいだから特別ダンスが得意な選ばれし子どもたちなのだろうと思いました。スバルのダンスを初めて見たのは年少の運動会でした。振りつけは覚えているようでしたが、可動域が少ないというか、ぎこちないというか、踊れているか踊れていないかでいえば踊れていないというか……。Upload By 星あかり踊れていないスバルもめちゃくちゃ可愛いけど、それはそれとしてこれはただ事ではないと思いました。ただスバルの中ではみんなと同じように踊れていると思っているようでした。「スバル、ダンス上手だったでしょ?」と自慢げに楽しそうに運動会を終われたのはとても良かったです。年中の運動会年中の頃には周りと比べてダンスが得意ではないことに、本人が気づくようになりました。ダンスの難易度も上がり、物理的にできない動きが増えました。この頃のスバルは片足ジャンプや、複数の動作を同時にすることができず、「しゃがんでからジャンプ」みたいな流れるような動きもできませんでした。練習では少しでもできることが増えるようにと補助の先生がマンツーマンで指導してくれていました。どうしてもできない動きも最後まで諦めずに指導してくれました。それは親としてはとてもありがたいことなのですが、結局踊ることもできず、みんなと別で行われた個別指導により自分の不器用さを自覚したスバルはすっかり自信をなくしてしまいました。弾ける笑顔がトレードマークのスバルですが、年中の運動会の写真はしょんぼりしています。努力ではどうにもならないレベルで苦手なことを自覚し、それを人前で披露するのは本当に心に負担があったと思います。年長の運動会年長の運動会の数日前、スバルは独り言のように「運動会の日、お父さんが運動会があることを忘れて、スバルを連れて遠くに遠くにお出かけしちゃわないかな」と言いました。しかし休みたいかと聞かれるとスバルの答えは「NO」なのです。私たち夫婦は運動会の参加にこだわりがないので、休むことにも抵抗はないのですが、実はスバル自身がズル休みを引きずってしまうタイプで本人もそれを自覚しているのです。それにダンス以外の競技はそれなりに楽しみにしているようでした。いっそのこと熱でも出れば、心穏やかに休めるのに……なんてことを考えながら運動会当日。プログラムの最初の方でダンスが始まりました。年長の時の先生も個別指導をしてくれたのですが、今回は物理的に無理な動きは切り捨て、ギリギリ可能性のある動きだけを「まあまあできる」まで伸ばす方針でした。スバルとしても「できない動きはあるものの、できる事も増えた」と感じ、どん底まで自信をなくすことはありませんでした。前半は屈伸運動やステップなどの下半身の動きは切り捨て、直立のまま上半身の動きをゆるっとこなしていました。そんな感じで全体的に集団の中に紛れてなんとなくできている風にやり過ごし、フォーメーションチェンジのあと、スバルがついて行けない激しい動きのサビに入りました。「なんとなくリズムに乗る」なんて器用な事ができないスバルは、直立のまま時間が過ぎるのを待つのかなと思いました。しかしスバルは「あれ?スマホに着信が!」みたいな表情でポケットからスマホ(に見立てた手のひら)を取り出し、通話ボタンを押した後、スマホを耳に当てペコペコしながら「スミマセン、今運動会中なんですよ~。あとでまた掛け直しますね」と言って通話を切りスマホをポケットにしまいました。そしてちょうどサビが終わったタイミングでまたダンスにゆるっと合流しました。Upload By 星あかりもしかして『ぼく、ダンスができないんじゃなくて、仕事先から電話がかかってきちゃって仕方なくダンスを中断しているんですよ~』ってこと?曲の2番のサビでも仕事先から電話がかかってきちゃったので、仕方なくダンスを中断していました。仕事先からの電話だから仕方ない仕方ない。ダンスが終わり肩の荷が下りたスバルは楽しそうにほかの競技に参加してました。スバル的には楽しく運動会を終える事ができたようで、私も安心しました。小学生の現在小学2年生でケンケンができるようになり、全身運動でも微細運動でも、できる事がグンと増えました。しかし年齢が上がるにつれて求められることも難しくなるので、今でも「スーパー不器用BOY」のままです。運動会のダンスは未だに下半身の動きを切り捨て上半身の動きだけで集団に紛れています。日常の中でぶつかる「努力しても今すぐにはできない事」は便利な道具とアイディアと人の優しさで乗り切りっています。「ぼくはこれが難しいのでこうして良いですか?」と自らのアイディアを提案する姿を見るとあの年長の運動会を思い出します。おそらくあれがスバルが一番最初に自ら考えて実行した「スーパー不器用BOYが乗り切るためのアイディア」だったのだと思います。執筆/星あかり(監修:新美先生より)からだの動かし方の不器用さがある方の、運動会のダンスとの変化について詳しく聞かせてくれてありがとうございます。後半の、ダンスが苦手な場面で「仕事先から電話がかかってくる」という想定外の必殺技を繰り広げられた時は、思わず声をあげて笑ってしまいました。すごい対処スキル!!!!!こんなすてきなアイデアを思いつくなら、なんでも乗り越えていけそうです。DCD(発達性協調運動症)のお子さんにとっては、日常の体育や運動会の競技など、みんなで同じ事を揃ってやると、苦手さに直面することになります。いくら先生が「自分なりでいいよ」と言われても、本人的にはできない自分に直面して傷つくものです。星さんのように、「運動会休んでもいいよ!」というスタンスも全然ありだし、体育は別メニューでやるというのもありなのですが、自分だけがほかの子とは違う行動をとることも、なかなかハードルが高いものです。できれば、周りも完璧にし過ぎない(運動会で完成度を高くするために厳しく練習しすぎない。その場でできるスポーツお楽しみ会ぐらいのスタンスにする)、複数のメニューが誰でも選べるようにするみたいな、ユニバーサルな支援があったらいいのかもしれませんが、学校の方針もあります。「ぼくはこれが難しいのでこうして良いですか?」と自らのアイデアを提案できるというのは本当に素晴らしいです。きっとこれまでの関わりの中で、そんな風にしても大丈夫、苦手をアイデアでチェンジできるという経験を育んできてもらっているのかなと思いました。素敵なエピソードを聞かせていただきありがとうございました。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月07日発達に不安のある1歳半頃のたーちゃんと、ノイローゼ気味だった私たーちゃんは1歳頃から、人見知りや場所見知りが激しかったりコミュニケーションに困難さを感じたりと、発達に不安がありました。その時の私は悩みや不安を気軽に相談できる人がおらず、助けてほしいと思っていても行動できずにいました。自宅保育で1日中たーちゃんと一緒だったので、ノイローゼ気味になっていたのかもしれません。そしてたーちゃんが1歳半頃、発達について悩んでいることを思い切って市役所の窓口に相談しました。市役所の職員さんと面談を重ねたあと、市で開催している親子教室へ週に1回通うことになりました。しかし、夫の帰りが遅く、近くに住む義母や義祖母には頼れない状況で、それだけの支援では足りないとモヤモヤとした気持ちを抱いていました。Upload By みかみかん診断書がないと児童発達支援を利用できないの?療育や児童発達支援の存在を知ったのは、発達障害についてインターネットで調べている時でした。私はすぐにでも通わせたいと思いましたが、どうしたらいいか分からずにいました。児童発達支援を利用するための受給者証は、診断書がないともらえないものだと勘違いしていたのです。Upload By みかみかん当時のたーちゃんは児童精神科や発達外来で診てもらったことはなく、もちろん診断書もありません。さらに調べていくうちに、児童精神科や発達外来は紹介状が必要だったり、初診の受付は停止していたり、そもそも2歳児は診てくれない病院もあったり……ということを初めて知りました。児童発達支援を利用するためには診断書が必要だと思い込んでいた私は、堂々巡りの状況に悩みながらも、引き続き週1回の親子教室に通っていました。しかし、2歳半頃にたーちゃんが通い始めたプレ幼稚園での様子を見て、「やはりほかのお子さんとは何かが違う」と感じ、ついに行動を起こしました。児童発達支援について、分からないことばかり。思い切って市役所で直接聞いてみることに。まず、市役所で児童発達支援について聞いてみることにしました。「発達に不安がある」という相談だけでは、数回の面談のあとに市の親子教室に繋がるだけだと分かっていたので、「児童発達支援の利用をしたい」と単刀直入に伝えました。Upload By みかみかんすると、必要な書類や手続きの流れや、市内にどんな事業所があるかなど、分かりやすく職員さんが教えてくれたのです。以前「発達に不安がある」と話をした職員の方が不親切だったわけではないのですが、来訪の目的がはっきりしているだけでここまで違うのかと驚いたのを覚えています。そして、私の住んでいる市では診断書がなくても児童発達支援に通うことができると分かり、ホッとしました。※児童発達支援の利用については自治体によって申請方法が異なります。そこからはとんとん拍子に事が運び……診断書の代わりに必要だったのは、医師が書いた意見書でした。職員さんから意見書のひな型を受け取りましたが、初めて見る書類なので、やはり発達外来を受診するべきなのだろうかと戸惑っていると、「かかりつけの病院で書いてもらえば大丈夫ですよ」と言われました。しかし、たーちゃんは病気をすることが少なかったので、かかりつけの小児科といえば、予防接種を何回かしてもらった近所の小さな診療所しか思い浮かびません。まずその診療所に意見書を書いてもらえるか問い合わせをしてから、たーちゃんを連れて診てもらいました。私がたーちゃんの発達や、療育に通わせたいことについて伝えたところ、すぐに意見書を書いて渡してくれました。先に市役所で意見書のひな型を受け取っていたので、とてもスムーズでした。Upload By みかみかんさらに幸運なことに、診療所の先生から「詳しく診てもらうならこの病院が良いと思います」と言われ、大きな病院にある発達外来への紹介状を書いてもらえたのです。発達外来でたーちゃんを診てもらいたいと思っていても、どうすれば受診できるのか理解できていなかった私でしたが、先生のおかげで活路を見出すことができました。児童発達支援事業所の見学、そして契約その後、受給者証の申請の手続きをしつつ、複数の児童発達支援事業所へ見学に行きました。預かってもらえる人がいないのでたーちゃんを一緒に連れて行きましたが、快く受け入れてくれる事業所ばかりでした。最初、場所見知りや人見知りのあるたーちゃんは警戒していましたが、理解のある支援員さんの誘導もあり、ほかのお子さんと楽しそうに活動をしていました。また、たーちゃんの様子を観察して、支援方法をアドバイスしてくれる事業所もありました。Upload By みかみかんその後、市の担当の方と複数回の面談を経て、念願の受給者証を手に入れることができました。「児童発達支援の利用をしたい」と市役所に駆け込んでから、約2ヶ月。ようやく1つの事業所と契約することができました。その事業所に決めた理由は、たーちゃんの好きな運動療育がメインで、自宅や幼稚園への送迎があり、母子分離で半日預かってくれるからでした。やっと児童発達支援事業所に通える!と思ったけれど……これで、来月から利用開始できる!プレ幼稚園や親子教室のない夏休みも、なんとか頑張れる!そう思っていました。ですが契約した時にはすでに、その事業所の夏休みのスケジュールは利用者さんの予定で埋まっていたのです。そのため、実際の利用は9月からということを知り、もっと早く行動していたら……と落ち込みました。それでも夏休み明けの9月から週に2回ほど通えるようになり、ゆっくりですが、たーちゃんの発達にも良い影響が表れ始めました。そして私も、たーちゃんと離れる時間ができて徐々に元気を取り戻していきました。この児童発達支援には、現在も幼稚園と併用して楽しく通っています。たくさん悩んだ、いままでの道のりを振り返って児童発達支援の利用を開始するまでに思ったことは、・自分で調べてみても分からないことは人に聞いてみる・児童発達支援について知りたければ、まず自治体に問い合わせしてみる・すぐには利用できないので、利用したいと思ったらなるべく早く行動した方が良いということでした。この記事が、児童発達支援を利用したいと思っている方を後押しするきっかけになれば幸いです。執筆/みかみかん(監修:室伏先生より)児童発達支援に通われるまでの道のりを詳しく共有してくださり、ありがとうございました。児童発達支援施設の通所に必要な書類や、自治体が管轄する療育を受けられるかどうか、自治体・民間の児童発達支援施設の空き状況は、自治体や地域により異なります。みかみかんさんのように、悩まれている親御さんも少なくないと思います。利用されたい方は多い一方で、発達を専門にする外来も児童発達支援も、空きが少なくて待つ期間が長かったり、書類準備や申請などの準備に時間がかかったり、という現状があります。発達に不安はあるけど個人差の範囲なのかもしれない、もう少し様子を見てみたほうがいいのかもしれない、と迷われている方もいらっしゃるかもしれませんが、お早めに自治体に相談して情報を集めてみることが、適切な時期に適切な支援へとつながる大切なステップになるかもしれません。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月04日子どもだって連休明けはしんどいこの春から入学や進級で新しい環境に少し慣れてきたかと思った頃なのに、祝日や連休でリズムを崩されてしまうお子さんもいるのではないでしょうか。わが家の子どもたちも、休み明けに学校に行きたくない!となってしまうことが多々あります。あんなに調子が良かったのに振り出しに戻ったようになってしまいます。今回はそんな登校渋りについてお話したいと思います。休み明けの登校渋りは、一年を通してさまざまなタイミングで起こります。最初は五月の連休明けでした。やっと慣れてきたところに何日も休みが続き、生活リズムが崩れがちに。連休中も規則正しい生活を送ればいいのかもしれませんが、ずっとキッチリ過ごすのはなかなか至難の業。母だって休みの日は朝寝坊したい(笑)Upload By スパ山子どもが行きたくないと思っている原因を探る問い詰めるのではなく、何が引っかかって行きたくないのか、親も焦らずに余裕をもって子どもと話します。わが家の長女「姉子」の場合は母子分離不安があり、私と離れることが怖くなってしまうのが原因です。そこで、休み明けに崩れてしまったときは母子登校をしています。教室まで一緒に登校して、下校まで一緒に過ごします。そして少しずつ離れて登校できるようにしていきます。姉子はかなり強い不安があるので、このような方法を選択しています。現在中学生になりましたが、今まさに母子登校をしています。長男「ハジュ」の場合は、長く休んだことにより、再び元のルーティンをこなすことが面倒くさくなってしまったようでした。そこで、ハジュが好きなイベントや授業の単元を休み明けに取っておいてもらうことにしました。例えば、休み明けに工作がある、虫探しをする、などの「お楽しみ要素」を担任の先生と相談して調整してもらい、登校の意欲に繋がるようにしました。あと、大好きな先生に「ハジュくんに会いたいから待ってるね」と連休前に声をかけておいてもらうのも効果的でした(笑)Upload By スパ山子どもの声を受け止めるさまざまな原因で(原因がないこともある)登校を渋っている子どもの気持ちを一旦受け止めて共感するのを心がけました。それは、「学校行きたくない」なんて子どもから言われたら何があったのかと親は慌てて質問攻めしてしまいそうに。それでも、過度に心配せずに話してくれた気持ちを受け止めると、次に同じようなことがあっても子どもが心の中で抱え込むことなく話してくれます。大人だって休み明けに仕事に行きたくないこともありますよね……。そんな時に「分かる、しんどいよね」と言ってくれるだけで「あ、この人には気持ちを伝えやすいな」と思えるのと同じなのかなと思います。Upload By スパ山休んでもいいもちろん、仕事や家庭の事情でなかなかそう簡単にはいかない場合もあると思いますが、登校渋りに繋がっている原因が解決しないうちは、休んでしまって家で楽しく過ごすのも一つの手だと私は考えています。それは甘やかしているのではないですし、行き渋ったからすぐ休ませよう!というものでもありません。子どもにとっての安心は何なのかを考えて環境を整えるということだと思います。原因もさまざまなので、決まった対応があるわけではない登校渋りですが、「大丈夫、きっとうまくいくし、家族はあなたの味方だよ」という想いを子どもたちに伝えていきたいです。Upload By スパ山(執筆/スパ山)(監修:初川先生より)休み明けの行き渋りについて、お子さんそれぞれへの対応やその対応に際してのスパ山さんの思いのシェアをありがとうございます。いくつかとても大事なことがシェアされたと思うので振り返っておきたいと思います。まずは、担任の先生と行き渋りについて相談や連携ができているということ。母子登校にしても、休み明けの楽しみなことにしても、先生方との連携なくしてはできないことと思います。保護者として見取ったお子さんの気持ちを担任の先生などと共有し、できることを考え、提案されているのだと思いますが、そのあたりの打ち合わせ・調整が大事だなと感じました。そして、「子どもの声を受け止める」こと。スパ山さんが書かれていたように、お子さんから「学校に行きたくない」と言われたら一大事で、慌ててしまう方もいらっしゃるかと思います。質問攻めにしたり、あるいは無理に頑張らせたり。保護者の方の心の動きとしては自然ですが、子どもの側からすると、つらいからそう言っているのに受け止めてもらえない、保護者を悲しませてしまったとますます追い詰められてしまう場合もあるでしょう。まずは受け止める。そのうえでどうするか考える。慌てふためいてしまいがちな方は、そう覚えておいていただければと思いますが、テニスのラリーのように来た球を打ち返すのではなく、一旦球を受け止める。その段階を挟むだけでもだいぶ違います。最後にスパ山さんが書かれていた、家庭や仕事の事情によってできることには違いがあり、正解はないけれど、しかし「家族は味方」であるという思いを持つこと。それもまた大切なことです。お子さんの状況、理由もさまざまで、保護者の都合もさまざまなので、できることできないことが完全にケースバイケースです。誰かが無理をしてやったところでいいこともない(持続可能性が乏しい場合も多い)ので、手探りでやっていく面は多かれ少なかれあります。そうした場合、保護者が迷ったり悩んだりすることもあると思います。先生方やスクールカウンセラーなど近くの相談できる相手をぜひご活用いただければと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月02日岡崎体育の連載「体育ですけど、オンガクです」。今回のテーマは「花粉症」です。先日、「正月から取り憑かれたように毎日ヨーグルト食べてたら花粉症治ってんけど」とXにポストしたら、それが瞬く間に拡散され、ネットニュースにまでなって驚きました。きっと、それくらい花粉症に苦しめられている人がたくさんいるのでしょう。僕も昨年まではそのうちの一人でした。発症したのは20代前半の頃。年々ひどくなり、ここ数年はくしゃみは止まらないし、目が痒すぎて開けていられないほど。夜も鼻が詰まって眠れなくなるし、本当に「春、キライ!」という状況でした。花粉症は、ミュージシャンという稼業にとってかなりの天敵です。鼻声ではレコーディングもろくにできませんし、喉がイガイガしていてはライブにも支障が出まくりです。僕もこの春Zepp Tourが控えていたので、花粉症がひどくなったら嫌やなと思っていました。花粉症対策は、もはやミュージシャンとして欠かせないものなのかもしれません。業界の先輩方からもさまざまな治療法があることを教えてもらっていました。あそこのお医者さんがいいだとか、舌下治療が効果あるとか…。しかし、僕は今年自力で脱・花粉症を実現しました。きっかけは、口臭予防でヨーグルトを食べ始めたことです。実践したことも、Xに事細かにポストしました。僕がやったことは、(1)継続期間は今年のお正月から2か月間ほぼ毎日ヨーグルトを摂る。(2)1日2回(朝と寝る前)。(3)ヨーグルトの種類はコンビニに売ってる飲むヨーグルトの大きいサイズのやつ(朝)と、スーパーに売ってる4個セットのやつ(寝る前)。これを続けていたら、みんなが「今年の花粉はひどい」とどんなに言っていても、花粉症らしい症状が出ていません。ヨーグルトは腸内環境を整えてくれるので、それがよかったのかなと思っています。あとは、花粉が飛び散る前からやっていたのがポイントだったのかなとも思いました。これが万人に効くのかどうかと言われるとエビデンスが僕1人なのでなんとも言えませんが、そういう方法もあるんだと参考程度にしていただけたらと思います。春の花粉シーズンはそろそろ終わりますが、このヨーグルトルーティンをいつまで続けるべきかを実は今、悩んでいます。やめた途端、なにかしらの花粉アレルギーが始まったらどうしよう?と怖くて。謎のヨーグルト療法カルマを背負ってしまっています……。おかざきたいいく自身初となるEP『Suplex』(SME レコーズ)配信中。「岡崎体育 Zepp Tour 2024」開催中。4/27名古屋、4/29福岡、5/12大阪(ベイサイド)、6/2東京(ダイバーシティ)。※『anan』2024年5月1日号より。写真・小笠原真紀ヘア&メイク・大矢佑奈(KIND)文・梅原加奈(by anan編集部)
2024年04月28日小さな頃から苦手がいっぱい!?うちの息子、タケルはASD(自閉スペクトラム症)からくるこだわりで、どうしても嫌だ、できないということがいくつかあります。例えば、下の名前で呼ばれること。タケルは下の名前を呼ばれると、「世界に存在を許されないかのような恐怖」に襲われるのだと言います。記事や漫画の中ではタケルと書いていますが、私は本人に「タケル」と呼びかけることはありません。家の中では妹が生まれるずっと前から「お兄ちゃん」です。私が何か必要があって仕方なく名前を呼んだときなどは、恐怖に顔をゆがませ、「ふーッふーッ」と激しく息を吐きながら何かに耐えています。その様子はまるで身体の中からすべての空気を押し出したいかのようです。Upload By 寺島ヒロただ、名前自体は気に入っていると言い、筆記するのも問題ありません。また姓で呼ばれるのは大丈夫なので、普段は姓のみを名乗るようにしているそうです。ただ、フルネームもダメなので、学校などでは「呼ぶときは苗字だけで」とお願いしていました。また、目の前でドラマやアニメを見ている人がいることが耐えられなかったりもします。親に構ってもらえないから……とかいうわけではなく、家電売り場のテレビの前にいる知らない人でもイライラするのです。「自分でもなぜこんなに恐怖や怒りを感じるのか分からない」「やめてほしいとは思うが、自分のほうが不当な要求をしていると分かっているので我慢している」と、タケルは言います。これらは3歳の頃から成人になった今まで継続している問題ですが、個人的なこだわりの範疇の話であり、周囲にもある程度理解してもらっているので、それほど大きな問題ではないと思っています。避けては通れぬ大問題しかし金銭に関するこだわりには悩まされました!タケルは小さい頃から、レジでお金を渡すことを嫌がるという特性がありました。そのため、小学校高学年になっても、一切の買い物をすることができませんでした。お気に入りのものを選ぶ際に予算を立てることや、その過程での選択肢を理解することも難しかったのですが、なにより「支払いをする」ということに強い拒否感があったようなのです。練習のため、お店で一緒にレジ前に立ってから、私の財布から出したお金を渡して、お店の人に渡すように促したこともありました。でも、タケルは「うーうー」とうなり固まるだけでした。お使いはハタチになってから!?また、近くのスーパーなどにお使いを頼んでも激しく抵抗し、絶対に行ってくれませんでした。やはり「支払いをする」という行為がネックになっていたようです。10代も後半になると、自分でも「何でできないんだろう?」と思うようになり、なんとか「自分に命じて(タケル談)」お使いができるようにはなったのですが、それは大学2年生、ハタチを少し超えてからでした。Upload By 寺島ヒロどうしてそこだけ?こだわりの不思議タケルはケチなわけでもなく、むしろ無欲な方です。お金自体に対する嫌悪感も特になく、物販イベントで友達の手伝いをしてお金を預かったりお釣りを渡したりするのは平気でしたし、小学生の頃には古銭に興味を持ち集めていたこともありました。なぜ「支払いをする」ことだけに困難があるのか、本人にも私にも分かりませんでした。思わぬ角度からの解決法、現在のタケルハタチになったタケルは、自分のクレジットカードを持つようになり、それを使って決済をするようになりました。なんと、キャッシュレス決済は問題なく行えたのです!!えええ……?いやほんとに……どういうこと?謎は謎のままなのですが、おかげでかなりの金銭管理をタケル自身に任せられるようになりました。キャッシュレス時代の到来に感謝するばかりです。(執筆/寺島ヒロ)(監修:新美先生より)もう成人になられている息子さんの、子どもの頃から続いていた不思議なこだわりとその後の経過について教えてくださりありがとうございます。「下の名前を呼ばれたくないこだわり」なかなか独特ですね。これは子どものときのほうが苦労しますよね。大人になれば下の名前で呼ばれる機会は減るので、必要な場面では事情を説明すればなんとかなりそうです。「お金を支払いたくないこだわり」は今までにも聞いたことがあります。お金を支払う場面は人と人とのコミュニケーションが必要になるので、何かのきっかけで不安になったことがあったのかもしれません。買い物が自立してできないのはとても不便ですが、キャッシュレス決済ならOKなのですね!大人になって成長した段階で、ちょっと別の手段を用いることでOKになるということもありますね。教えていただいたような、生活で日常的に困るこだわりは、大人になるにつれてそういう場面を避けた環境を選択できるようになることもあります。また多くの方で青年期ごろになると、本人が損得を考えられるようになるため、この目的のためにはこれだけ頑張ろうという本人の中でモチベーションが明確になり克服できることもあります。子どもの時期に、「大人になったときに困るから」と本人の意思を無視して、こだわりを治すことにこだわりすぎるとかえってこじれることもあるので、いったん保留にできるこだわりなら、子どもの時期はしばらくはそのままにしておくというのもありかもしれません。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月25日かし家の3人の子どもたちを紹介しますはじめまして!かしりりあと申します。 ASD(自閉スペクトラム症)の長男りー、発達ゆっくり次男かー、同じく発達ゆっくり三男おーと夫、5人家族で仲良く過ごしています。 ブログ、SNSで子どもたちとの暮らしの中で気づいたことを発信しています。そんな私たちの家族を紹介していきます。中度知的障害(知的発達症)を伴うASDの長男りーUpload By かし りりあ中度知的障害(知的発達症)を伴うASD(自閉スペクトラム症)の長男りー(6歳)です。 2024年4月から特別支援学校に入学し、放課後等デイサービスに通っています。長男りーは、1歳を過ぎても指差しや模倣、言葉が出ず、1歳半健診で様子見になりました。 その時は、インターネットで検索して出てきた自分が安心できる言葉だけを信じて、「この子には何もないんだ。もう少しで身振りをしたり、言葉を話したりするんだ」、そう思っていました。その後絵本を読み聞かせしたり、よく話しかけたりと自分なりにいろいろとはたらきかけてきましたが、これといった良い変化を感じることができませんでした。知り合いの児童発達支援管理責任者の方へ相談したところ「ぜひ来てください」と言っていただき、幼稚園入園と同時に、児童発達支援事業所へ通い始めました。あわせて、言語療法や作業療法などにも2年間通ってきましたが、事業所の先生から療育園へ通うことを勧められ、幼稚園を退園し、療育園へ通うようになりました。Upload By かし りりありーは小さい頃から、気持ちが高まるとその場で飛び跳ねます。特に、電車や車などの走るものや、流れるように動くもの(マニアックなものだと、テレビ番組のスタッフロール)が大好きで、テレビや動画でこのような場面を見ると必ず飛び跳ねています。飛び跳ねる癖は、6歳になった今も続いているので、トランポリンでジャンプするように教えています。また、感覚過敏なところがあり、マスクや帽子などが苦手です。マスクをつけていてもすぐに外してしまうので、コロナ禍の真っ只中では、周囲の目が怖かった記憶があります。最近は、家でズボンやパンツを履くのを嫌がるようになりました。履かせてもすぐに脱いでしまうため、できるだけ脱ぎにくい丈が長い服を着せるようにしています。6歳ではありますが、まだまだ幼いところもあり、気まぐれにだっこやおんぶなどのスキンシップを求めてきます。父(夫)が大好きで、以前は出勤すると泣いて怒ることもありました。発達ゆっくりさんの次男かーUpload By かし りりあ次男かーです。幼稚園年少(3歳)です。児童発達支援事業所に週2回通っています。長男同様言葉が話せないということが気になったため、保健師さんや長男の通う児童発達支援の先生へ相談し、幼稚園に入るタイミングで、長男と同じ児童発達支援に通うことになりました。そんなかーですが、身振り手振りで自分のやりたいことを伝えてくれるので、兄よりも気持ちが分かりやすいです。そして母(私)が大好きです。スキンシップも多めで誰かと触れ合っていると安心するようです。お友達や先生との関わりでいろいろなことを吸収してきて、 幼稚園で習った手遊びやダンスを披露してくれます。見通しが立たなくなると不安を感じるのか、幼稚園や児童発達支援では泣くことがあります。Upload By かし りりあかーは今、声のボリュームについて勉強中です。家では楽しくなると「わー」「きゃー」などの奇声のような大きな声をあげます。「小さい声でお話しようね」と伝えるとその時は気をつけていますが、少し時間を置くとまた「きゃー」と騒ぎ出してしまいます。今のところ、幼稚園や児童発達支援では大声は出していないようで、家の中だけなのですが、これは繰り返し伝えていきたいと思っています。発達に遅れはないと思っていた三男おーUpload By かし りりあ三男おー(1歳)です。兄たちの姿を見て活発に育っていますが、言葉や身振りがまだ出ておらず、1歳半健診で引っ掛かり、様子見ということになりました……。欲しいものへの主張はすさまじく、自分で高いところへのぼって取りに行ったり、泣いて「欲しい」アピールをしてきます。兄たちが大好きで、常に追いかけています。たくさんの人に支えてもらいながら毎日ドタバタな生活をする中で、いろいろなトラブルやハプニングもありました……。そんなわが家の日々を描いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。執筆/かしりりあ(監修:鈴木先生より)言葉の遅れがある知的発達症のお子さんは焦らずゆっくりと階段を上っていけばいいのです。そこにASD(自閉スペクトラム症)の併存があればなおさら大変になります。言語療法以外に感覚統合を行う作業療法も必要になるからです。さらに、感覚過敏やこだわりなどもあるため、育てにくさを感じる場面に多く遭遇することとなります。今回は3人とも言葉の遅れがありますが、小児科医がまず初めに疑うのは難聴の有無です。ABR(聴性脳幹反応)という検査で難聴の有無を客観的に判定できます。難聴が見つかった場合は補聴器などで補正して言葉を増やすことができるので、健診で様子見ではなく、できるだけ早く小児科医と相談する必要があります。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月24日掲示物を毎日チェック見通し不安の解消?Upload By ゆきみ3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)と診断を受けた長男けんとは、現在小学3年生。特別支援学級に在籍しています。昔から文字を読むのが好きで、どこへ行ってもポスターや貼り紙、カレンダーなどをチェック。在籍している特別支援学級の教室内は時間割表、年間行事表、給食の献立表、各学年で習う漢字一覧表……など、とにかく壁に掲示物が多いのです。視覚優位で、視覚的な刺激を受けやすいけんとは、毎日のように貼り紙が替わっていないか確認しています。親や先生よりも学校スケジュールが詳しいときもあるほど。掲示物を読んで、自分がどこで何をするのか頭の中に入れているようで、見通し不安を自分で解消しているのかもしれません。そんなわが子は、小学校に入ったばかりの1年生の時、学校のスケジュール変更の多さにパニックになることが多々ありました。予定変更でパニック!参加できない全校集会けんとは小学1年生の1学期頃、予定されていた内容が変更になってしまい、それが楽しみにしていたものだったりすると「なぜ変更になったんですか?」と先生に詰め寄り、パニック状態になってしまうことがよくあったそうです。学校には、見通しが崩れると不安になってしまうことを伝えていたつもりでしたが、いつも先生は口頭で軽く説明する程度。先生もパニック状態になってしまったけんとに、どのように対応していいのか分からず、困っている様子でした。私も見通し不安を解消してあげたいと思いつつ、視覚支援などの対応を学校にどこまでお願いしていいものなのか分からず悩んでいました。けんとが小学校に入ってから知ったのですが、学校では時間割の変更が毎日のようにあるようです。「朝会の内容が変更になった」「雨のため、集会の場所が校庭から体育館になった」「3時間目の授業が国語から学活になった」「算数の授業でテストが予定されていたが、前回の授業で終わらなかった内容の勉強になった」など、さまざまです。Upload By ゆきみけんとは、朝の全校集会が特に苦手でした。まず何が行われるのか、内容が不明なことが多いのです。感覚過敏も影響しているのか、人が多い場所も苦手な様子。しかも集会は、天気に左右されることも多く、開催場所が校庭なのか体育館なのかが直前に決まったりします。見通し不安が強いけんとにとっては苦手なことがいっぱいだったと思います。1年生の時は、ほぼ全校集会に出られず教室に残っていたそうですが、ほんの少しだけ参加することを目標にして参加。それを長い期間をかけて、少しずつ参加時間をのばしながら自信をつけ、2年生くらいから全校集会に長い時間参加できるようになりました。保育所等訪問支援を受け変化したこと専門知識のある方が学校で子どもの様子をみてくださり、先生とお話をしてくださる保育所等訪問支援施設と契約していたので、担当の方が学校を訪問してくださることに。先生から学校での様子を聞いてくださったり、実際にけんとの様子を見てくださったりしました。そして、夏休み明け頃に訪問してくださった際、「けんとくんの場合、スケジュールが変更になったときは、変更になった時点で視覚を使い、説明することがとにかく大事」ということを、しっかり先生に伝えてくださいました。私が説明するより、専門の方が先生に伝えてくださるほうが説得力があり、とても心強かったです。学校の先生方も、しっかり保育所等訪問支援の方の話を聞いてくださり、それを参考に考え、支援方法を変えてくださいました。Upload By ゆきみ大きなホワイトボードを使い、時間割や、その日にやる授業内容を細かく説明。予定が変更になる場合は、視覚的に見通しを立てる支援をしてくださり、変更された予定がもし今後ある場合は「明日やる予定だよ」などと、分かる範囲で伝えてくださったよう。すると、落ち着きがなく何かがあるとよく情緒不安定になっていたけんとが、先生がすぐに実感するほど「落ち着く時間が増えた」と効果絶大だったとのこと。そしてさらにそれを繰り返していくことで、けんともスケジュール変更を受け入れられることが多くなり、1年生の冬頃からは、「スケジュールは、変更もあってのスケジュール」ということや、自身の心の折り合いを少しずつ学んでいった様子でした。曖昧な予定が苦手…?現在の息子はUpload By ゆきみ小学2年生になると、時間割や授業内容の変更は視覚支援で丁寧には説明せず、口頭指示のみでも受け入れられるようになりました。しかし、夏休み明けなどに「全校生徒が借りている本を返し終えたら、通常の図書貸出を始める」などの曖昧な日程は大の苦手で、納得がいかないこともあるようです。現在、小学3年生になりました。いつかは曖昧なスケジュールも受け入れられるようになったらいいなーと願いながら、今のけんとのペースを見守っていきたいと思います。執筆/ゆきみ(監修:藤井先生より)けんとさんが学校で穏やかに過ごすことができるよう、訪問支援も併用し、学校とゆみきさん、訪問支援担当者が連携されたのはとても良かったですね。視覚指示を使うことで、予定の変更を受け入れられ、さらには口頭指示のみでも受け入れられるようにと、けんとさんのペースで、パニックが軽減されてきましたね。少しずつ変更があっても大丈夫という経験を積むことで、できたという実感が積み重なっていき、けんとさんのペースで曖昧なスケジュールも受け入れるようになっていくと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月22日お気に入りのもの長男は、同じ場所を行ったり来たりする常同行動を2歳の頃からしています。そして、その時いつも手にお気に入りのものを持っています。3、4歳の頃は「曲がるストロー」がお気に入りで、このストローの曲がる部分の”角度“が長男にとって重要でした。思うような角度にならないと「これは違う」とよく泣いて、自分で直せない時は私に「直してほしい」と訴えてきました。私からすると、「え?どこが違うの?」と思うようなほんのわずかなズレも長男は気になる様子でした。 ストローはすぐに傷ついたり、凹んだり、角度が変わる素材なので、長男は何度もイライラしていました。ストローの曲がっている角度と色とメーカーさえ同じであれば替えがきいたので、「思う存分折り曲げて、気にいる角度を作っていいよ」と同じストローの100本入りを渡してみました。すると長男は曲げたストローを手に持つだけではなく、ストローで工作もするようになりました。当時はたくさんのストローの芸術たちが床に転がっていました(曲げる角度を失敗したストローは飲む時に使いました)。 こだわりに拍車をかけてしまっていたのではないかと少し心配もあったのですが、最近長男が通う児童精神科の心理士の先生に幼い頃のストローの話をしたら、「ストロー100本入り良いですね!」とおっしゃってくださり、何年も経ってから安堵しました。ストローブームのあとは、「食べかけのお菓子の袋などを止める袋止めクリップ」が長男のお気に入りとなり、やはり角度にこだわりをみせていました。 今現在のお気に入りは長方形のブロックで、もう角度のブームは去ったようです。今は角度ではなく感触を気にしています。感触が気になりすぎて、ブロックを洗うことに夢中になっています。やりすぎてしまうことがあるため、通院しながら様子を見ています。Upload By ねこじまいもみ食に関するこだわり長男は好きになると、とことんはまるという性格で、1番初めにそれを感じたのは2歳の頃でした。とにかくリンゴジュースが好きすぎる。リンゴジュースをすごく飲みたがる。食事の時はお茶という約束をしていて、それは本人も受け入れていたので特に深く考えてはいなかったのですが、このようなこだわりは長女にはなく、現在3歳の次男にも見られないため今振り返ると長男のリンゴジュースへのこだわりはすごかったなぁと感じます。好きなものを何度も食べたいというのは誰にでもあることかもしれませんが、その度合いを少し超えるこだわりの強さでした。スイカも同様に、ある時期とことんはまっていました。といっても幼い頃は、そういったこだわりくらいで、激しい偏食は感じませんでした。しかし、成長につれて長男の偏食は強くなっていき、食べられないものがみるみる増えていきました。同じ頃から感覚の過敏さも強くなっていったことも関係しているかもしれません。現在は、毎日長男の食事に頭を悩ませています。Upload By ねこじまいもみ衣類のこだわり幼い頃の長男は、衣服のタグを嫌がりましたが、私が選んで着るのを手伝うと特に拒まず着ていました。タグを嫌がるのはよくあることかな、とあまり気にしていませんでした。この素材、大きさ、形が嫌、長袖は着たくない、肌着、上着は着たくない……といったこだわりが出てきたのは、幼稚園の年中の頃でした。成長するにつれてどんどんこだわりが強くなり、着られる服が限られていきました。一度も袖を通さずサイズアウトした服がたくさんあります。長男と一緒に服を選んだり、気持ちを聞いたりしながら、これなら着られるという服を私もだんだん理解していきました。それでも幼稚園の頃は、家の外でも寒くても半袖だったり上着を着なかったりしました。小学生になってからは長男自身、人の目が気になるようで家の外では長袖を着たりするようになりました。しかし、本当は窮屈だと話してくれます。家に帰るとすぐに半袖半ズボンに着替えて開放感を感じているようです。Upload By ねこじまいもみ成長するにつれて特性は強くなる幼い頃の長男は、こだわりが強いほうかな?と感じつつも臨機応変もでき、本人の困りごともうまく解消できる範囲のもので、大きな癇癪につながったりということもほとんどなかったため、「なんとなく気になるけど、どうなんだろう……」という気持ちがずっと続きました。ほかにも麺がすすれない、手先が不器用、エスカレーターが怖いなど細かいことで気になっていたことはありました。いろいろな特性が成長するにつれて強く表れるようになり、私も強く感じるようになりました。 実際に9歳の発達検査で診断を受けた時、心理士の先生から「年齢とともに、特に家での特性はどんどん強くなっていくと思う」と言われ、今それをすごく感じています。執筆/ねこじまいもみ(監修:初川先生より)長男くんのこだわりの遍歴エピソードをありがとうございます。幼い頃から、日常生活に大きな支障が生じにくいタイプのこだわりがあったのだなと感じます。お子さんによってこだわるポイントが違うので、ものによっては体調や日常生活のリズムに影響を及ぼしうるものだとなかなかに本人も周りも疲弊します。長男くんのストローは、ねこじまさんがされたように、好きなだけ(100本入り!)あげることができ、好きなだけ没頭できたのは、長男君本人にとってストレスにならなかっただろうというところでよかったなぁと思います。成長につれ、色濃くなってゆくもの、逆に成長に伴って頭で理解することで多少(本人が)寛容に受けとめられることとどちらもあると思います。昔から変わらないこと、気づけば少しずつ変化していくこと。それぞれあると思いますが、どんな経過をたどるかは人それぞれ(本人のこだわりポイント、不安の高さや、環境側の受け入れなどによっても変わります)であるため、保護者の方はどうなっていくんだろうと不安になられることもあると思います。よき相談者や支援者とつながり、ともにその不安や成長の喜びなどを共有しながら対応されると良いと思います。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。前の記事はこちら
2024年04月22日息子と娘は、こんな子ですはじめまして。メイと申します。わが家は、子どもたち2人と私と夫の4人家族です。夫は仕事が忙しく、平日はどうしてもワンオペになってしまうのですが、子どもたちと助け合いながら楽しく過ごしています。まずは、息子と娘のことを紹介します。○息子トールUpload By メイトールは1歳半健診の時に言葉の遅れを指摘されました。気持ちの切り替えが苦手で、癇癪を起こすことも多く、児童館などでは他害も見られていました。定期的に発達の相談をしていたのですが、遅めではあるけど息子なりの成長がみられていましたので、発達検査はずっと受けていませんでした。息子が発達検査を受けたのは小学校1年生の時で、その際に医師の診察も受けた結果、ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如多動症)と診断されました。○娘リンUpload By メイリンは3歳児健診の時に、発達検査を受けるよう勧められました。人見知りせず活発な性格の娘については、それまで発達に関して心配をしたことがなかったので、指摘されたことはわたしにとっては驚きでした。その後発達検査を受けて、3歳の終わり頃にASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。夫は仕事が忙しく、平日はなかなか子どもたちと関わることができません。とにかくポジティブで陽気な性格で、明るさに助けられることも多々あります。地声が大きいのが長所でもあり短所でもあります。わたしは息子を産んでから、ずっと専業主婦をしています。息子を産んだ頃は、友達も全くいない、実家からも遠い土地でのワンオペ育児に、不安でよく泣いていました。新しくできたママ友とも、息子の他害や癇癪がひどくなるにつれて疎遠になってしまい、つらいと感じたこともあったのですが、その分息子と向き合って過ごしてきたなぁと思っています。Upload By メイ息子の発達にずっと悩みながらも、夫の転勤や私の出産・育児などが重なり、なかなか支援につながることができず、小学1年生で診断されるまでは一人で悩んだりしていました。しかし、自分なりに発達障害のことも勉強しながら、今ではブログやSNSで子どもたちとの日々を発信しています。発達ナビでも、わたしたち家族のこれまでの歩みを書いていけたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。Upload By メイ執筆/メイ(監修:新美先生より)メイさん、はじめまして。異なる個性の2人のお子さんを平日はワンオペで子育てされている大変な中で、今ではブログやSNSでの発信もされているとのこと。とてもパワフルですね!!発達ナビのコラムでもいろいろな記事を読ませてもらえるのが楽しみです。これからよろしくお願いいたします。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年04月18日引っ越し後、すぐに行動開始!待ったなしの療育と病院探し娘のしぇーちゃんが2歳半頃に、他県へ引っ越しをしたわが家。新しい土地でまず最初にしたのは、ASD(自閉スペクトラム症)の娘が通う療育施設と、発達の相談ができる病院を探すことでした。わが家は車がないので、通えるところは限られていました。そんな中で初めて契約した療育施設は母子分離型で、1回3時間で週に1~2回あり、送迎もしてくれるところでした(ちなみに、受給者証の支給量(児童発達支援を利用できる日数)は13日/月でした)。母子分離が苦手な2歳半の娘を預けることに初めは不安もありました。しかし、すぐに通える施設はそこしかなく……一日でも早く療育を再開したかった私は、良い効果があることを期待して通うことにしました。行き慣れた祖父母の家でさえも、私の姿が見えないと泣くくらい不安が強かった娘ですが、こちらの施設に通い始めて数ヶ月ほど経った頃にはすっかり慣れて、私と離れても平気になりました。診断済みでも「すぐにみてもらえる病院」を急いで探した理由。それは……娘は2歳4ヶ月でASD(自閉スペクトラム症)と診断されていましたが、引っ越し先ですぐにみてもらえる病院を急いで探す必要がありました。なぜなら、引っ越し先の自治体では受給者証の更新時に「医師の意見書(診断書)」が必要で、早くもその更新時期が迫っていたからです。目星をつけていた第1希望の病院は1年待ちと言われてしまったので、すぐにみてもらえる病院を探して受診しました。この病院には約半年ほど通いましたが、JSI-R(日本感覚インベントリー)を受けたところ数値が高く、この病院でも、ASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。その後、待機中だった第1希望の病院から連絡があったタイミングで、そちらに転院しました。そこでは月に2回OT(作業療法)を受けられることになりました。自立支援に力を入れる療育施設にも通うことに。よき出会いに恵まれてUpload By マミヤその頃、 初めに通っていた療育施設に加えてさらにもう一つ、小集団療育を行う施設にも通うことにしました。そこはこども園が運営している施設で、1回3時間のプログラムの中にお散歩や給食の時間があり、自立支援に力を入れていました。週に1回とはいえ、自宅から自転車で片道40分程かかるので悩んだのですが、1つ目の療育施設で娘の成長を感じられていたので、思い切ってこちらの施設にも通うことに決めました。こちらの施設では、娘は最初から母子分離不安もなく、スムーズに活動へ参加することができていました。自転車で片道40分の通園は大変でしたが、娘を送り届けた後は療育が終わるまで空いている部屋で待機させてもらい(お昼ごはんを持参していました)、天気が悪い日は別の日に変更するなど快い対応をしてくれたので、なんとか通い続けることができました。ここでは、娘も私自身も友達に恵まれ充実した日々を送ることができ、とても幸運だったなあ……と今でも思います。幼稚園に入園する?それともこのまま療育だけにする?迷った末の決断Upload By マミヤこうして、2ヶ所の療育施設と病院での作業療法に通う日々を送っているうちに、娘は3歳になりました。来年度から幼稚園に行くかどうか迷いましたが、その頃の娘はお話が上手ではなかったこともあり、集団でのザワザワは「言葉のシャワー」ではなく「ただの雑音」になるのではないかと考え、年少の時期にあたる1年間は療育1本でいくことに決めました。幼稚園には行きませんでしたが、療育と並行して月に1度は幼稚園のプレにも通い、忙しかった思い出があります。娘はこの1年間で、母子分離不安、偏食、多動が格段に落ち着き、言葉の理解が進んで意思の疎通もしやすくなっていきました。年中から幼稚園入園するため、園探しを開始。ASDと伝えると入園を断られることも……Upload By マミヤ4歳を過ぎた頃には娘がかなり落ち着いてきたこともあり、年中から幼稚園へ通うことにしました。自宅から通えそうな幼稚園を調べて、何ヶ所かの園に連絡し、事前に面談をお願いしました。ASD(自閉スペクトラム症)であることを説明した上で、娘のことを理解し、受け入れてくれる園に入園したかったからです。電話でやんわり断られた園もありましたが、面談で娘の様子を見て「ぜひ願書を提出して下さいね」と言って下さった園もありました。そして、いざ幼稚園に入園してみると、療育で小集団の経験を積んできたおかげか、娘は入園1日目から1度も泣くことはありませんでした。幼稚園での生活にもすぐ馴染んでいました。年少の1年を療育のみで大丈夫かという不安もありましたが、療育メインでやってよかったな……と思える結果となりました。執筆/マミヤ(監修:室伏先生より)引っ越し後の療育・病院探しに始まり、療育施設で過ごされた年少時期、幼稚園への入園にいたるまで盛りだくさんの情報を共有くださり、ありがとうございます。幼稚園に入園されると、多くのお子さんから刺激をもらってよい影響を受けられるお子さんもいらっしゃいますが、しぇーちゃんが年少さんの時期を療育施設のみで過ごされたことは、先生方の手厚い対応ももちろんですが、安心して過ごせる環境が確保できたという意味でもよいことだったかもしれませんね。幼稚園か療育施設かというご相談は多くの親御さんからいただきます。これについては、発達段階だけでなく、そのお子さんの困りごとによってもどちらが合うかは変わってきます。たとえば、他害がある、多動がとても目立つ、多くのお子さんがいる環境に強い不安を感じる、感覚過敏が強く環境や食事など細やかな対応が必要となる、などの場合には、幼稚園では対応が難しいこともありますし、お子さんにとっても負担が大きくなります。悩まれた場合には、お子さんのことをよく知ってくれている支援者(病院の先生や療育スタッフなど)に相談してみてくださいね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月16日握力が弱く、クレヨンがうまく持てない。創造性が弱く、特にお絵描きが苦手だった時期今思えば、赤ちゃんの頃から物をつかむことがあまりなかった息子。手のひらに感覚過敏があり、何かをつかむときもよく指先だけでつかもうとしていました。握る力も弱く、1歳半でスプーンを握るのがやっとな状態でした。そんな息子でしたが、私自身が絵を描くのが好きだったこともあり、積極的に遊びに取り入れていました。握りやすい大きめのクレヨンを買ったり、当時息子が好きだったキャラクターの塗り絵を買ってみたり、電車の絵を私がお手本に描いてみたりしましたが、効果は今ひとつ……。握力の弱い息子はどんなに濃い色のクレヨンでも、消えてしまいそうなか弱い線を2~3本描くだけでした。そもそも息子は創造性を育むような遊びもあまり好きではなく、お絵描きはもちろん、粘土遊びや砂遊び、ブロック遊びもすぐに飽きて5分と続かなかったように思います。お絵描きも、すぐにクレヨンを転がして遊んでいることがほとんどでした。Upload By 海乃けだまお絵描きは苦手だけど色に興味が出てきた時期お絵描きを好きになってもらえたら……と思いながらも、息子が苦手なら仕方ないとあまりお絵描き遊びをやらなくなっていった2歳頃、喃語ではあるものの単語を少しずつ話し始めていた息子は色に興味が出てきたようでした。同じ色のおもちゃを集めて同じ色のカップに入れたりして遊ぶ姿が多くなったので、ものは試しに、色と数字と動物が一緒になっているおもちゃを導入しました。しばらくは数字を無視して色のみを合わせて遊んでいましたが、そこから徐々に数字にも興味を持つようになりました。2歳半から通い始めた療育でも、毎日数字を目にしていたので(視覚支援で朝のお集まりの際に1~6くらいまでの数字を振ったおおまかなスケジュールを一緒に聞いたり、手遊びでも数字を取り入れたりしていました)、療育での影響も大きかったと思います。数字大好き炸裂期療育の活動の際に、絵本の時間の前に数字を数える手遊びがありました。もともと歌や音楽が好きだった息子はその手遊びも大好きになり、3歳になる頃には一緒に歌って手遊びをしていました。その手遊びから、数字の1が指1本、数字の2が指2本と、数字の概念も少しずつ分かるようになっていき、3歳半になる頃には物の数を数えることもできるようになっていました。数字が読めるようになると、数字大好き炸裂期が到来したようで、毎日毎日数字のパズルで遊んでいました。この時の息子は「分かる=楽しい」に結びついたような瞬間だったのかな、と今では思います。数字が大好きになったことで、視覚支援もしやすくなりました。スケジュールを数字で順番に説明すると、その順序を覚えてその通りに動いてくれたり……こんなにスムーズに事が進むのかと感動したほどです(笑)。お絵描き遊びが苦手なのは変わらずでしたが、この頃には色好きが高じて7色で虹を描くようになっていました(それ以外の絵は全く描きませんでしたが……(笑)。そんな虹ばかり書いていた息子ですが、4歳を過ぎたある時、数字らしき文字を書き始めたのです!!ここぞとばかりに褒めちぎり、書くこと、それが誰かに伝わることの楽しさを感じてもらいました。そこでいい気分になったのか、お絵描きの時には必ず数字を書いてくれるようになり……この機会を逃すものかと私もパパもおじいちゃんもおばあちゃんもやたらめったら褒めちぎりました(笑)。Upload By 海乃けだま数字からひらがなへ。これなんて書いてあるの?期襲来数字が読めるようになると、街中の看板や公園の注意書きをよく見て質問してくるようになりました。「ママ、これなんて書いてある?」1日に何十回と繰り返される質問に、私は読み聞かせロボットと化して答え続けました。5歳で療育園から幼稚園に転園する頃には、ひらがなの半数くらいは読めるようになっていました。幼稚園転入後は先生やお友達の影響もあり、半年ほどでひらがなもカタカナも(濁点がついているものも)読めるようになりました。数字を書いていたことで、絵を描くことへの苦手意識も低くなり、この頃には車の絵やパパやママの顔をよく描いてくれるようになっていました。ひらがなは初めは大きくなぞり書き、次に小さくなぞり書き、そして見本を見ながら書く、見本を見ながら枠内に書く……と療育でも練習していました。現在は見本の字を見ながらではありますが、自分の考えた文章を自ら紙と鉛筆を出してきて書いています。絵を描くことで指先を動かす練習になり、物の形をじっくり見るようになり、その結果がひらがなを描く土台となったように思います。字を書くことに自信がついた今では、お友達や先生に「お手紙書くね!」とうれしそうに話しています。Upload By 海乃けだま執筆/海乃けだま(監修:新美先生より)お絵描きにも興味がなかった息子さんが、成長に伴い興味が移り変わると共に、書くことに取り組めるようになった経緯を詳しく教えてくださりありがとうございます。どのような活動でも、興味を持ち始める時期や、興味の対象は人によってまちまちなので、お子さんによっては、適齢と言われる時期になっても興味を示さず乗ってこないことはありますね。海乃さんは、興味を示さない時にはそれほど無理強いすることなく、息子さんが興味を持ったものにしっかりつきあい、ここぞとばかりに褒めて、反応していかれたことがとても素敵だと思いました。そうした関わりの中で、息子さんの興味が少しずつ広がり、文字を書くことにつながっていったのですね。筆圧が弱い、不器用といったことが気になる時、普段の遊びのなかで、本人が興味を持ったことを足掛かりに手先を使う活動を増やしていくのはとても良いと思います。家庭の中だけでは興味が広がりにくい時、療育やリハビリは興味の幅を広げるきっかけを意図的に提供してくれる場になるかもしれません。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月15日幼少期はお友達に興味や関心がほとんどなかった息子知的障害(知的発達症)を伴うASD(自閉スペクトラム症)の次男Pは、幼い頃は人に興味や関心がほとんどなく、すぐ隣で誰かが話しかけてくれても目も合わさず、無視をしてしまうような子でした。療育園へ通い始めてからは先生や大人に対してなら自分からコミュニケーションを取りにいく様子もみられるようになりましたが、同じ年頃のお友達には全く興味を示さず、ほとんど関わろうとしませんでした。でも小学生になってから、少しずつお友達へも興味を示すようになってきました。Upload By みんお友達と関わろうとし始めてうれしく思っていたけれど…学校からの連絡帳でも「〇〇くんのことが好きみたいで、いつも隣に行こうとします!」などと書いてもらうことが増え、最初は私もうれしく思っていたのですが、Pのお友達への関わり方の様子を先生から詳しく聞くうちに、喜んでばかりもいられないようになりました。たとえばPは心を許した大人に対して甘えるときなどに、腕を触ろうとしたり、匂いを嗅ごうとしたりします。大人の場合は「こうすることで安心して落ち着くなら……」とそのまま腕を差し出すこともありますが、Pは授業中にお友達にも同じことをするようになってしまいました。Pは「好きな人」「心を許した人」にだけそのように距離感なく接するのですが、相手の状況や気持ちも考えずに近づきすぎてしまうのは大問題です。お友達も突然触られるとびっくりするでしょうし、不快になることもあるでしょう。このままでは学校生活の妨げになってしまうかも……と私は心配になりました。お友達に興味を持つようになってうれしい反面、好きになったお友達との距離感や関わり方が分からないばかりに、不適切な行動につながってしまっているので、どうすればいいのだろう……と悩んでいました。Upload By みんお友達を好きという気持ちは大切にしてあげたい!その後先生と話し合い、近づくのがダメだと叱ったり注意したりするのではなく、Pがお友達を好きという気持ちは大切にしてあげながら、正しい関わり方がうまくできないうちは、大人が物理的に距離を取らせることが必要ということになりました。それからは、まず席を離すことから始めてもらい、授業で何かをする順番も最初と最後にしてもらうなど、できるだけ距離を開けてもらいました。それでもPがお友達に触りに行こうとしたら、先生が前もって触らないよう止めてくれました。このように物理的に距離を置くことで、お互い落ち着いて過ごすことができるし、Pがお友達を触りにいくことも徐々に減っていきました。Upload By みん成長から見えてきたわが子の新たな課題今まで苦手なお友達や相性の悪いお友達と距離を置くという話は聞いたことがありましたが、Pはまだお友達との距離感や関わり方がうまくできないので、たとえ好きなお友達だとしてもPのような課題がある場合は距離を置く必要があるということが分かりました。お友達に興味関心があるのはうれしいことですが、それを成長だと喜んでばかりもいられず、また新たな課題が出てくることを実感しました。お友達に抱きつくなど、小さい頃なら微笑ましく見えるような言動も、年齢を重ねると微笑ましいとは言えなくなるし、トラブルにもつながってしまうので、Pがお友達と正しい関わり方ができるよう先生と相談し、支援していただきながら見守っていけたらと思います。Upload By みん執筆/みん(監修:鈴木先生より)ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんは人との距離感をつかむことが難しく、近寄りすぎてしまう傾向があります。私の外来では30cmの定規を使ったり、前へならえで手を伸ばした距離を保ったりしてお話しするように伝えています。今回のコラムでご紹介いただいたように、人との適切な距離感や公共の場でのふるまい方は、できるだけ早い時期から指導していくことが大切です。人に抱きつかない、トイレに行くときは個室の中でズボンとパンツを下ろすなど、大人になる前に身につけられるようにしましょう。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月14日特別支援学校高等部卒業後の進路特別支援学校高等部卒業後の進路としては、大きく4つあると思います。1、障害者雇用枠での「企業就労」2、企業への就職を目標に訓練を行う「就労移行支援事業所」3、一般雇用が困難な人への訓練や就労の機会を提供する「就労継続支援A型・B型」4、障害者支援施設で過ごす「生活介護」息子が通っていた特別支援学校高等部は、生徒に合わせてクラスが分かれていました。「教育課程の類型」といい、生徒の特性や目指す進路に応じて適切な教科や科目の履修ができるというものです。まず、企業就労を目指すクラスがあります。また、就労移行支援事業所や就労継続支援A型・B型を目指すクラスがあり、こちらは食品加工班、接客班、事務班、清掃班などに分かれて授業に取り組んでいました。そして、生活介護を目指すクラスは、紙漉きや園芸、陶芸の作業を主にしていました。さて、当時このクラス分けは特別支援学校高等部入学後3年間、類型の移動などの変更はありませんでした。また就労移行支援事業所や就労継続支援A型・B型を目指すクラスのメンバーは高等部1年のときに接客班、食品加工班、清掃班、事務班の体験をし、高等部2年でこの中で適性を見極めて1つに絞り、卒業後の進路を決める形がとられていました。就労移行支援事業所や就労継続支援A型・B型を目指すクラスに所属していた息子、進路はどうする?息子は就労移行支援事業所や就労継続支援A型・B型を目指すクラスに所属していましたが、同じクラス内での何人かは最終的に企業への就労が決まったり、また企業就労を目指すクラスでも最終的には企業就労ではなく、福祉的就労に進んだ生徒もいましたので、必ずしも属しているクラスで進路が決定されるわけではありませんでした。息子にはどのような進路がいいのか、私は思いを巡らせていました。3年生の2学期頃から生徒たちの進路が決まり始め、企業への正式内定をもらう子も出てきました。定型発達でも受験期の保護者あるある話だと思いますが、保護者同士が親しくても進路先や結果はお互いに秘密にするという暗黙の了解を感じました。親しい友達でも「どこの企業に決まったの?」と聞いても「まだ決まっていない」と決まっていてもごまかされたり、「学校から口止めされているから企業名は言えないのよ」といった返事が戻ってくることもありました。そんな中、高等部に通っていた頃の息子の状態ではすぐに企業就労することは難しいと考え、就労移行支援事業所で高等部卒業後もスキルを学ぶことを希望し、活動を始めました。息子にあった就労移行支援事業所はどこ?私たちは居住区内にある事業所を何件か見学しました。ですが、私も息子もここならと思うところが見つかりませんでした。例えばとある事業所、そこはB型と就労移行支援事業所を併設していたのですが、袋詰めの作業をB型は座って行い、就労移行メンバーは立って行っていました。不思議に思った私が「違いは何ですか?」と質問すると「企業就労を目指すメンバーは身体を鍛えるため立って作業をしてもらいますが、B型のメンバーは着席で行ってもらっています」との返答でした。このようなこともあったので、私たちは居住区以外へも範囲を広め、探すことにしました。そして別の区のとある事業所へ見学にいきました。そこはパソコンに特化した訓練をしてくれ、支援員さんの雰囲気がとても良く、息子も私もここだ!とすぐに気に入りました。就労移行支援事業所の利用期間は原則2年間なのですが、コロナ禍で就職活動ができない期間があったため、息子はここに丸まる3年通うことになりました。そして、希望通り障害者雇用で内定をもらい、現在は一般企業で契約社員として働くことができています。就労定着支援制度できめの細かいフォローをしてもらっています現在の息子は就労定着支援制度を利用していて、月1度、就労移行支援事業所の職員さんが会社訪問をしてくれます。特別支援学校高等部卒業後に就労する場合、学校の先生が定期訪問にしてくれるのは最初のほうだけのようですが、就労移行支援事業所に通い就労定着支援制度を利用すれば約数千円の利用料で(所得により変動します)きめの細かいフォローをしてくれるので、とても助かっています。遠回りしましたが、いきなり企業就労せず就労移行支援事業所へ通って良かったなと今は思っています。進路を選択するということはとても大変なことですが、私たちの経験が参考になったら幸いです。執筆/立石美津子(監修:鈴木先生より)知的発達の程度にもよりますが、何ができるかに注目して、できるところを伸ばしてくれる職場が一番望ましいと考えています。神経発達症に理解のある職場だといじめやパワハラなどがなく、ストレスは少ないと思われます。知的発達に遅れのない神経発達症の患者さんの中には、会社に告知しないで頑張って働いている人も多くいます。そのため仕事量が多くなったり、指導を任されたり、ストレスが多くなることもしばしば聞かれます。教育も職場も自分に合ったところがいいのです。前の記事はこちらUpload By 立石美津子Upload By 立石美津子Upload By 立石美津子Upload By 立石美津子(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月13日「発達障害かはっきりさせたい!」と思って臨んだ3歳児健診現在11歳、小学5年生の息子は、6歳でASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けています。息子は言葉も遅く、小さい頃からこだわりがあり、室内の灯りは蛍光灯または昼白色でないとダメ、顔が濡れるのもダメで、ダメなものに対しては癇癪を起こしてしまうといった特性らしきものがありました。基本的に穏やかな性格なのですが、3歳頃にはそれらがさらに目立ってきたように感じています。私はそんな息子に「何か特性のようなものがあるのでは」と思っていたのですが、身内や周りに息子の困っていることを相談しても「何も気になる事はないけれど」と言われるばかりで、私が気にしすぎなのだと受け取られているようで、もやもやしていました。そのため、私は(特性があるのならハッキリさせたい!)という気持ちが強くありました。ですので、3歳児健診へは(何か指摘されるだろうな。これで発達障害か分かる!)と気合たっぷりでした。健診当日は不機嫌MAX!嘔吐にギャン泣きで大パニックに健診前日の夜、よりによって息子は全然寝ついてくれませんでした。やっと寝たと思ったらすぐに朝を迎えてしまい、起きたら出発予定時間ギリギリ!慌ててタクシーで向かったものの、息子はぐずり、さらにはガッツリ車酔いしてリバース……。万全の体制で向かいたかったのが、健診会場に着く前からボロボロでした。Upload By ユーザー体験談なんとか会場に着いたあとも、息子はリバースした事やら眠たいやらで不機嫌MAX!同じ保育園のお友達も何人かいたのですが、そのお友達家族の前でも少し嘔吐してしまい、それが息子の中でショックだったようで、ギャン泣き……。ですが、少しずつ落ち着いてきて、機嫌よく……とはいかないまでも、それなりに検査は済ますことができました。私はげっそり、疲れ切っておりました。「個別にお話があります」と言われ、別室へそして一通りの検査が終わったあと、「個別にお話があります」と声をかけられました。私の感想は「やっぱりな」でした。Upload By ユーザー体験談これで息子が何に困っているか分かる、どうすればいいか分かる、そして同時に身内などが言っていた「大丈夫、問題ない」の言葉にモヤっとしていた日々も終わるかもしれないとホッとしました。保健師さんから指摘されたことは、2語文がほとんど出ない、コミュニケーションがとれないといった言葉に関するものでした。また、英語に興味があって英語の動画をよく見ていた息子は、その中のセリフを完璧に覚えていて独り言のように発していました(恐らくエコラリアだと思います)。「英語はよく覚えているみたいだけど、日本語がね……」と言われ、親としてもそれには完全同意。私は藁をもすがる思いで「どうしたらいいのでしょう……?」と尋ねました。保健センターで新版K式発達検査を受けることに保健師さんから、その日は子どもの機嫌が良くなかったことから、再度検査をしましょうと提案され、その後は保健センターへ行き新版K式発達検査を受けました。保健センターでの検査は機嫌よく受けることができました。検査をされた方が言うには「カレンダーを見ながら数字を英語で言っていた」そうです。結果、実年齢より1年半程度発達が遅れていると言われました。私はショックなどはなく、療育の話もいただいたので「息子のためにできることをしよう!」と前向きに考えることができました。Upload By ユーザー体験談療育へつながることができて療育は月2回、保育園に行きつつ通うことになりました。新しい環境にもさほど戸惑うことなく、むしろ楽しくそうでテンションが上がってた息子ですが、通っていくうちにプログラムも落ち着いてこなすようになり、徐々に先生とのコミュニケーションも取れるようになってきました。年長になる頃には、民間の発達支援施設にも通うようになりました。最初息子は、取り組み始めたプログラムは最後まで終わらせないといけないというこだわりがあり、途中でお手洗いに行きたくなっても行けなくて泣き出す……といったこともありましたが、通園が終わる頃には本当に落ち着いてきました。私も息子が発達支援に通うようになってからはほんの些細なことでも、息子がやり遂げるとものすごく嬉しくなってたくさん褒めていました。息子が失敗しても「なんでできないの?」とはならず、当たり前のように「次頑張ろうね」と言えるようになっていました。やっとつながった療育は親子共にいい影響を与えてくれました。Upload By ユーザー体験談たくさんの人に愛されるように!現在小5になる息子は、特別支援学級で楽しく過ごしています。授業の内容もしっかり理解しており、交流学級での授業(理科、体育)も頑張っています。英語、野球、工作と、好きなこともバラバラですが、将来どのような道に進むのか、親としてどう導いていけばいいか、悩ましくも楽しみにしています。息子は私が少し体調を崩すと、頭やお腹(痛いといった箇所)を撫でてくれるような優しい子です。その優しさとユーモアを忘れることなく、たくさんの人に愛されるよう願っています!イラスト/星河ばよエピソード参考/あきっち(監修:森先生より)お子さんの興味がある事・得意な事を褒めて伸ばして応援することができていて素晴らしいですね。「大丈夫、問題ない」という言葉は、周囲の人としては励ましの意味で言っているのかもしれません。残念ながら、「発達障害」という言葉にネガティブなイメージを持つ人もまだまだいるのでしょうね。しかし、大切なのは「大丈夫かどうか」「問題があるかどうか」ではなく「どうしたらお子さんがもっとのびのびと自分らしく過ごせるか?興味や得意を伸ばせるか?」という視点ですよね。また、お子さんのように、思いやりの心を持つためには、共感力を育てることが重要です。相手の気持ちを想像する力や、思いやりを表現するスキルを身につけるのにも、療育のプログラムを上手に使っていけるといいですね。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月12日もっと早くに気づけていたら現在中学3年生の息子は、自閉スペクトラム症と強度行動障害があります。診断を受けたのは中学1年生の時でしたが、初めて児童精神科を受診してから診断を受けるまで3年近くかかりました。私が息子に発達障害があることを疑いだしたのは、小学3年生で行き渋りを始めた頃からでした。初めての育児で私の知識が乏しかったこともあるかもしれませんが、息子が突然学校に行けなくなるまで、「発達の特性があるかもしれない」と考えたこともありませんでした。息子は1歳半健診で言葉の遅さを指摘されたくらいで、そのあとの健診も幼稚園でも就学時健診でも、何ひとつ問題はありませんでした。小学校1〜3年生頃の家庭訪問や懇談では、担任の先生に相談することがなさすぎて5分もかからず終了。テストの点数もよく勉強もよくできてクラスの人気者。今では考えられないですが、それが学校に行けなくなる前までの息子の姿でした。Upload By 花森はなもしかして?と児童精神科を受診学校に行けなくなった = 児童精神科を受診しよう!とすぐに決断できたのは、私自身に精神科への受診経験があったからです。今は児童精神科を受診しようとすると私が住んでいる地域では半年は待たなくてはいけませんが、当時は1ヶ月程度で受診できました。初めての児童精神科で診察が始まりました。息子は、教室にいるのがとてもしんどいこと、担任の先生が強く叱るところを見るのがつらいことなどを話してくれました。話をしていくうちに、次第に息子の真の姿が見えてくるようでした。いつも私が見ている「優等生」の姿は、すごく無理をして彼自身が懸命につくり上げていたもので、もうその無理ができなくなってしまったのではないかと思いました。そのことも含めて病院の先生にお伝えしましたが、発達検査などには至らず、不安を和らげる薬の処方を提案されました。Upload By 花森はな転院をすすめられ……児童精神科に通い始めて3ヶ月、薬を飲み続けても気持ちが安定しないので、病院の先生から大きな病院への転院をすすめられました。そして、「この病院ではこれ以上のことはできないので、もっと詳しく知りたいなら転院しましょう」と言われました。その際に「発達障害ではありませんか?」とお聞きすると、「いろいろお子さんを診てきましたが、息子くんの場合は違うと思います」と言ってくださいました。ホッとする反面、私の中で「それでも、もしかして……」という気持ちがくすぶり始めたのがこの頃です。Upload By 花森はな小学4年生で大きな病院Aに転院し、通院し始めた頃に最初に出た診断は「幼児返り」。そして、その次に出たのは「解離性障害」でした。新しい診断が出るたびに「発達障害の可能性はありませんか?」とお聞きしましたが否定され、発達検査を希望しましたが「必要ありません」とのことでした。今思えば、まだかろうじて元気が残っていたこの時期に検査ができていたらよかったと思います。本人が元気じゃないと検査自体が受けられないですし、通院もできませんので……。その後、こちらのA病院の治療方針とも合わず、もっと大きなB病院でセカンドオピニオンを受けることになりました。息子は、実はずっと困っていたのかもしれない病院は「違う」という診断を出してくれているのに、「発達障害ではないか?」と疑問を持ち続けた私に対して、ほかの家族の目はとても冷ややかでした。「通院よりももっと子どものことを考えて」「息子を病気にしたいのか」とまで言われましたが、そこで折れてしまっては、息子の学校の困りごとも生きづらさも何も解消しないと私は思いました。学校に行きづらくなってくると、息子はこれまでは口にしなかった教室の雑音がつらい、何もしないで「待つ」という時間が怖い、ノートの字が荒れてきたり書けなくなる、突然癇癪を起こすなど、さまざまな問題が一気に出てきました。学校が合わないこと、教室をイヤだなぁと思ってしまうのは、そういった特性上の理由が隠れているのかもしれません。息子の話は、これまでもずっと聞いてきたつもりです。それでも足りなかったし、学校に行けなくなる前にもうちょっとできることがあったのではないかなぁと、何年も経った今も後悔の念が消えないです。たぶん、この先もずっと消えることはないだろうと思います。Upload By 花森はな執筆/花森はな(監修:室伏先生より)息子さんの診断が分かるまでの経緯について、共有くださりありがとうございました。はなさんも息子さんも不安や葛藤を抱えながら、いくつもの医療機関で受診を重ねられ、本当に大変な日々でしたね。他のご家族さんからの理解を得るのが難しい状況でも、「そこで折れてしまっては、息子の学校の困りごとも生きづらさも何も解消しない」と考えて行動され続けたはなさんを尊敬いたします。幼児期のお子さんとは違って、学童期以降のお子さんでは、ご本人と信頼関係を構築するのに時間がかかってしまったり、ご本人の頑張りや取り繕いなどにより特性が分かりにくかったりして、診断に時間がかかってしまうこともあります。発達障害は生来お持ちの特性によるものなのですが、息子さんのように、それまではご本人の努力で、適応して生活されてきていたけれど、学童期になって人間関係が複雑化したり、思春期になって身体も心も不安定になったりして、困りごとが表面化する、ということもあります。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。前の記事はこちら
2024年04月11日