「ディナーショーが本当に楽しみです。沙也加さんの一周忌もあるので、聖子ちゃんにとっては忙しい1カ月になりますね」(ディナーショーに行く聖子ファン)恒例のクリスマスディナーショーが12月14日から始まる松田聖子(60)。昨年はまな娘の神田沙也加さん(享年35)が急逝したため一部中止となったが、今年は東京と大阪で計8公演をこなす。18日には沙也加さんの一周忌を迎えるが、聖子はときどきふさぎこんでしまうなど、いまも精神的にやや不安定だという。「11月上旬に予定されていた納骨式も取りやめになってしまいました。“大みそかは沙也加と静かに過ごしたい”と考えているようです」(聖子の知人)大みそかといえば『NHK紅白歌合戦』。聖子は出場辞退した昨年に続き、今年も出場者リストに名前がない。まだ多数の歌手たちといっしょに大舞台に立つことにためらっているようだが「躊躇している理由はほかにもあるそうです」と、聖子の仕事関係者が明かす。「聖子さんは時折“石川さゆりさんが怖い”と言っているのです」今年デビュー50周年を迎える大御所の石川さゆり(64)が怖いとはどういうことなのか。「さゆりさんと聖子さんは『紅白』の出演者全員がステージに上がる場面で、毎年のように並んで歌っています。’17年には渡辺直美さんが『去年は松田聖子さんと石川さゆりさんが手をつないで歩いていました』と語り、話題になりました。関係がとても“近い”印象ですが……」(スポーツ紙記者)だが内実は違うようだと、前出の聖子の仕事関係者は語る。「さゆりさんは相手によってガラリと態度を変えると言われています。実は、身内や後輩にはけっこうキツめに当たるんです。一方で、いつも自由に振る舞っている印象の聖子さんですが、実は周囲にとても気を使う人。それだけに、他人の一言に傷ついてしまうことも多いのです」’80年にデビューした聖子に対して、’73年デビューの石川は芸能界の先輩にあたる。しかし、あっという間にトップアイドルに駆け上がった聖子と比べて、石川はなかなか日の目を見なかった。「さゆりさんは最初アイドルとして売り出され、森昌子さん、山口百恵さんと一緒に『ホリプロ3人娘』と呼ばれていました。しかし、森さん、百恵さんに桜田淳子さんが加わった『花の中3トリオ』が断然人気を博していったのです」(芸能記者)この“挫折”を石川はバネにする。アイドルではなく歌手として成功するため、歌唱法の特訓を開始。声を震わせるビブラートの技術や、高音域で歌うファルセット唱法を磨いていく。そして’77年に『津軽海峡・冬景色』がヒットし大ブレークを果たした。今や日本を代表する歌い手となった2人だが、初期の経歴は好対照だった。前出・仕事関係者が2人の関係をさらに語る。「聖子さんにとってさゆりさんは芸能界の先輩であると同時に、堀越高校の先輩。それに加えて、2人はともに九州出身で、同郷の上下関係もある。聖子さんは常にさゆりさんを立て続けています」■「津軽海峡」と「天城越え」だけのジレンマ石川さゆりの“いびり”ともいえる目下に対する扱いについて、実際に体験した映像関係者が語る。「石川さんは撮影現場では完全に女王様。レコード会社の方たちも常にご機嫌をうかがっていました。私は初対面でしたが石川さんの口調がキツくて……。自ら現場の指示もされるので、段取りがかき乱されましたし、制作費に収まらない着物を撮影当日に突然提案されたのは、大変困りました」よく言えば天真爛漫、悪く言えば空気を読まない石川さゆり。彼女自身も雑誌のインタビューで、こんなことを語っている。《デビューした年に忘年会のステージで自己紹介するとき、「美空ひばりさんはひばり節、島倉千代子さんは島倉節…。私も早くさゆり節が歌えるようになりたいと思いまーす」って挨拶したら、(ひばりさんに)「こっちにいらっしゃい」って(笑)》(『週刊文春』 ’04年7月22日号)また、石川を知る音楽関係者は、彼女の『紅白』に対する悩みを明かしてくれた。「石川さんは’77年以来、出産準備の’83年を除いてずっと『紅白』に出場しています。当然、紅組最多出場歌手としてのプライドは高い。ところが歌う曲目は『津軽海峡・冬景色』と『天城越え』だけ。毎年この2曲を交互に歌う慣例に縛られているジレンマに、さゆりさんはいら立っているのです」私生活でも2人は異なる。石川は23歳で結婚し、一人娘を出産。31歳で離婚して以来、シングルマザーとして娘を育ててきた。一方で聖子は、これまでに結婚と離婚を繰り返している。「さゆりさんが聖子さんに対して『あなたは自由にできていいわね』と言ったことがあるそうです。『紅白』でもある程度歌う曲を選べて、女性としても恋愛を繰り返す聖子さんへの羨望があったのかもしれませんが、さゆりさんの辛口な物言いを受け止め続けていた聖子さんにとって、その一言がトラウマとなってしまったそうです」(前出・仕事関係者)冒頭の聖子の知人が付け加える。「沙也加さんを失った不安定な精神状態でまた何か言われたら、と不安に思っているようです」それでも聖子の『紅白』出場を楽しみにする視聴者は多い。サプライズは果たしてあるか。
2022年12月14日モデルでタレントの高田秋が9日、自身のSNSを通じて、一般男性との結婚を発表した。高田は、「いつも応援してくださる皆さまにご報告があります。この度、かねてよりお付き合いしておりました、会社員の方と結婚いたしました」と報告。「穏やかでとても心が広く、いつも私の仕事を全力で応援してくれています」と、夫となる男性についてつづった。続けて「今まで以上に感謝の気持ちと思いやりを持ち、競馬もお酒も町中華も」「日々、すべてのお仕事を私らしく全力で楽しみたいと思います」と決意を新たにしながら、「これからも宜しくお願いたします」と結んだ。
2022年12月09日松田聖子のクリスマスディナーショー『SEIKO MATSUDA Christmas Dinner Show 2022』が、12月14日(水) から17日(土) にかけて東京・グランドプリンスホテル新高輪 大宴会場 飛天で開催される。これまで40以上の音楽賞を受賞し、シングルチャート24曲連続1位という記録を持つ松田。歌手としてだけではなく作家、プロデューサー、女優として映画、テレビドラマ、CMにも出演。さらに2021年には映画監督デビューを果たしており、常に新しい挑戦をし続けるトータルアーティストのステージは必見だ。チケットは、現在追加席の販売が行われている。<公演情報>SEIKO MATSUDA Christmas Dinner Show 2022会場:東京・グランドプリンスホテル新高輪 大宴会場 飛天ディナー:国際館 パミール【日程】12月14日(水)・15日(木)・16日(金)受付16:30 / ディナー17:30 / ショー19:3012月17日(土)受付16:00 / ディナー17:00 / ショー19:00【料金】1名さま:51,000円※料金には、ショー、コース料理、お飲みもの、サービス料・消費税が含まれております。※開催時間は変更になる可能性があります。チケットの購入はこちら:
2022年12月01日靴下製造を行う後藤(正)靴下工場(所在地:奈良県北葛城郡広陵町大字安部196-3、代表 後藤 政弘)は、大和高田市立高田商業高等学校「まち部。」と共にゴミ箱に捨てない土に還るサスティナブルな靴下「SDGs Socks」を、2022年11月23日(水・祝)から発売します。「SDGs Socks」URL: SDGs Socks(カラー:目標1)【開発背景】SDGs Socksは、大和高田市立高田商業高等学校の卒業生であるの後藤(正)靴下工場の代表・後藤 政弘と在校生の「まち部。」の学生で地域を盛り上げるために企画したコラボ商品になります。この靴下は、SDGsの活動をしている方・企業・団体の方々がPRする靴下になり、ボランティア活動の時は履いてPR、SCRを掲げている企業は額に入れて飾ることでPRできるようになっています。デザインは、SDGs17の目標のカラーと合わせていますので、自身で取り組んでいる目標を選んでいただけます。プロジェクトメンバー【商品の特徴】(1) 土に還る靴下ブラジルで開発された画期的な生分解性のある繊維“Amni Soul Eco(R)(AVILAS(R) plus certification number 6174)”を使用することで、本来、ゴミ箱に捨てるはずの靴下を土に埋めることで自然に還すことが可能になりました。これからは靴下に穴に空いた時や破棄するタイミングでゴミ箱に捨てるのではなく、庭の土やプランターに土と一緒に入れ、約3年で土に還ります。(2) 親しみやすいかわいいデザイン今回、大和高田市立高田商業高等学校「まち部。」の学生がデザイン企画したSDGs17の目標のカラーに合わせたカラフルなデザインで、各目標ナンバリングされています。足の裏には「Please bury me!」と私を埋めてくださいと英語で記載しており、捨てる時に土に埋めることを忘れてしまわないように工夫しております。SDGs Socks(カラー:目標2)SDGs Socks(カラー:目標6)(3) 企業PRもできる靴下企業や市役所などSDGsの活動を行っているがPRにも使える靴下。活動に合わせた目標のカラーの靴下を額に入れて飾ってもよし、ボランティア活動の場合は、履くことで足元からでもSDGsの何番の目標を掲げて活動しているかPRしてもらえます。(4) 靴下職人が厳しい目で製造長年、あらゆる繊維での製造実績を積み重ねてきた経験から繊維ごとに最適な編み方を熟知した、プロフェッショナル集団。靴下を編む機械は、最新のものから今では製造されていない古い日本製の靴下編機まで取り扱っています。なぜ、製造がされていない古い編機を使うかというと最新のコンピュータ機ではできない微妙な色合い、編み方の調整ができるので風合い良く仕上げてます。【商品概要】商品名 : SDGs Socks発売日 : 2022年11月23日(水・祝)価格 : 1,300円(税込)サイズ : メンズサイズ、レディースサイズカラー : SDGs17の目標の17種類素材 : コットン、綿、ナイロン、ポリウレタン販売場所: オンラインショップ、近鉄百貨店奈良店(期間限定:11月23日~29日)URL : 【会社概要】商号 : 後藤(正)靴下工場代表者 : 代表 後藤 政弘所在地 : 〒635-0825 奈良県北葛城郡広陵町大字安部196-3設立 : 1953年1月1日事業内容: 靴下製造・販売取引実績: タビオ株式会社/小中高校(約500校)URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年11月24日願いの光が鮮やかな紅葉を照らす。大分県豊後高田市内でも有数の紅葉スポットとして知られる富貴寺ライトアップイベントが開催されます。今年もイチョウやモミジの葉が次第に色づき始めており、例年見ごろを迎える11月下旬頃から12月初旬頃までの間で楽しめる予定です。■開催概要(ライトアップイベント)【開催日】11月26日(土)、27日(日)12月3日(土)、4日(日)※ライトアップ点灯時間17時から20時まで※雨天の場合は中止です。【拝観料】500円【場所】豊後高田市田染蕗2395番地■同時開催イベント(第21回国宝富貴寺ふれあいウォーク大会)【開催日】11月27日(日)受付/8:30~9:00(蓮華 駐車場)開会/9:30~(富貴寺大堂)参加料/1,000円 ●小雨決行●弁当、景品配布 10:00~【主催】:国宝富貴寺ふれあいウォーク大会実行委員会【共催】:山下・蕗自治会 田染地区健康推進協議会※当日受付はございませんので令和4年11月20日までに事前申し込みください。【問い合わせ・申込先】 宗教法人 富貴寺〒879-0841 豊後高田市田染蕗2395TEL:0978-26-3189 FAX:0978-26-3190富貴寺富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。本尊の阿弥陀如来像は970丈にも及ぶ一本の榧の巨木から六郷満山寺院を開基したとされる仁聞菩薩の手によって造られた、と伝えられています。大堂内には極楽浄土の世界を描いた壁画が施されており、風化が激しいが、極彩色で描かれていたという調査結果から県立歴史博物館に忠実に再現されています。他にも大堂の周囲には僧侶が修行のときに使用したとされる、梵字が刻みつけられた仁聞石や鎌倉時代の笠塔婆、室町時代の国東塔等があり、かつての富貴寺の繁栄ぶりを偲ぶことができます。関連リンク■富貴寺 本イベントに関するお問い合わせ先豊後高田市観光協会事務局(豊後高田市役所商工観光課内)大分県豊後高田市是永町39番地3TEL:0978-25-6219FAX:0978-22-0955公式サイト: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年11月23日昨年12月に逝去した愛娘、神田沙也加さん(享年35)の一周忌をまもなく迎えようとしている松田聖子(60)。昨年は道半ばで中止となった恒例のディナーショーを12月に控え、辞退した『NHK紅白歌合戦』への出場も有力視されるなど、動きを活発化させている。そんな多忙な聖子だが、11月12日に“シークレットイベント”を都内で開催していた。「聖子さんが昨年に初めて監督を務めた映画『あの風が吹いた日』の特別上映会とトークショーが行われました。直前まで場所も告知されず、参加できたのは抽選に当選して購入したファンクラブ会員のみ。イベントは2部に渡って行われ、貴重な生声を聞くことができました」(参加したファン)『あの風が吹いた日』は、聖子が“ずっと頭の中にあったアイデア”をもとに、1年以上かけて脚本を書き上げた作品。女子高校生が憧れの歌手に偶然出会ったことから始まる、一見ラブストーリーながらホラー仕立て、という異色の作品だ。聖子にとって思い入れの強い初監督作を、本人のトークつきで鑑賞するというファン冥利につきる今回のイベント。しかし、戸惑いもあったと前出のファンは言う。「この主人公のヒロインも“死”というものに遭遇するというもので、どこか沙也加ちゃんとリンクして観てしまうこともあり、私たちも複雑な気持ちでいました」そんななか上映が終了し、トークショーの時間になると、聖子から思わぬ発言があったという。「聖子さんが『天国はお花畑があって、とても良いところだと思うんです。だから、ヒロインも沙也加も幸せにしているんだ』と涙声になり、最後には『沙也加に会いたい!』と泣き崩れてしまったのです。会場にいたファンも思わずその姿にもらい泣きをしながら、拍手を送りました。そんな姿を見た聖子さんは平静を取り戻し、『ファンがいるから前を向いて頑張れます。また会おうね!』と笑顔で手を振りながら退場していきました。ファンとしては、聖子さんがつらい気持ちを我々に吐き出してくれ、またこちらとしてもずっと応援しているよ、という思いを伝えられた空間になって、とても良かったです」(前出・ファン)ファン、そして沙也加さんとともに聖子は師走を駆け抜ける――。
2022年11月16日2022年の「秋そば」解禁日が決定しました豊後高田市では、春そばと秋そばの年2回、そばの栽培を行っており、旬の新そばが市内の「豊後高田そば認定店」各店で提供されます。そばの栽培は繊細かつ難しいもので、そばの生育状況をみながら毎回新そば解禁の日が決まっていきます。そんな中、今年の秋そばの解禁日が決定いたしました。2022年の秋そば解禁は、11月19日(土曜日)です!市内の豊後高田そば認定店舗にて一斉に、秋そばがいただけます!本年度は、秋そばを約41ha作付けし、10月下旬から刈り取りを開始しました。解禁日まで新そばを提供できる体制を整え、市内の認定店にて解禁します。大切にはぐくまれた「豊後高田そば」仏の里・豊後高田で育まれ、可愛らしく花を咲かせた「そば」。実が収穫、丁寧に乾燥され、そば粉などの素材に加工されていきます。移動距離や温度変化が小さく、食材にかかるストレスが少ないそばは「豊後高田そば認定店」で大切に<3たて(挽きたて・打ちたて・茹でたて)>を守って提供されます。秋そばの特徴はゆたかな風味と舌触りのよさ。愛情いっぱいの豊後高田そば。どうぞお楽しみください。○◎●○◎○個性豊かな豊後高田そば認定店に行こう!○◎●○◎○■"豊後高田そば認定店"の詳細(営業時間等)はこちらから 本イベントに関するお問い合わせ先豊後高田市観光協会事務局(豊後高田市商工観光課内)大分県豊後高田市是永町39番地3TEL:0978-25-6219FAX:0978-22-0955公式サイト: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年11月14日”本物の生きた昭和の商店街”で昭和を体感!!【開催中】豊後高田昭和レトロフォトコンテーマは『昭和レトロ』。豊後高田昭和の町で撮影した写真をインスタグラムに投稿して、豪華賞品がゲットできるイベントを開催中です。■期間 令和4年11月25日(金)まで■応募方法:①豊後高田市公式インスタグラムアカウント「bungotakada_city_official」をフォロー②「#昭和の町さんぽ2022」をつけて写真を投稿※キャプションに「作品タイトル」と「撮影場所」を記載してください。※応募に対しては、豊後高田市公式ホームページ内の「募集要項」(クリックでページへ移行します)をご確認していただき、同意の上ご応募ください。■商 品 ・最優秀賞(1名)~豊後高田市オリジナルブランド牛~『豊後・米仕上牛お楽しみセット』・優秀賞(2名)5,000円分図書カード・入選(10名)3,000円分図書カード■審査結果 12月中に豊後高田市ホームページやインスタグラム豊後高田市公式アカウントで発表します。【開催中】昭和の町 懐かしのヒーロー展月光仮面や隠密剣士・スーパーロボット「レッドバロン」などのパネル展示や映像放映、当時の雑誌や新聞のスクラップ記事やソフトビニール人形を展示します。■期間 令和4年12月28日(水)まで■場所 昭和の町展示館 ※毎週火曜日休館■時間 (平日)10:00~16:00 (土日祝)10:00~17:00【開催中】昭和の町アート&クリームソーダクーポン市内のデジタルアート(共通3館券)と昭和の町商店街の15店舗で提供する❝クリームソーダ❞を楽しめるクーポン券を販売しています。■期間 令和5年3月31日(金)まで■セット内容①デジタルアートギャラリー共通3館券②商店街店舗のお好みのクリームソーダ①と②を合わせて通常1,550円相当が、クーポンを購入していただくとなんと!1,000円で楽しむことができます。※小中学生は500円クーポン券は、「昭和ロマン蔵」「チームラボギャラリー真玉海岸」「不均質な自然と人の美術館」にて販売しています。【常時受付中】昭和のレトロファッション体験昭和レトロ感たっぷりの衣装をレンタルできます。レトロファッションに身を包み、特別な1枚を撮るのも良し、商店街でのお買い物を楽しむのも良し、お友達やカップルなどでお好みのコーディネートをしながら、昭和の町をより一層楽しんでください。■料金 1着1000円■場所 昭和ロマン蔵■時間 貸出から閉館30分前まで(平日:10時~16時)(土日祝:9時~17時)豊後高田昭和の町とは2021年に昭和の町が誕生して20周年を迎えました。~20年分の感謝を込めて「ありがとう。」 ~豊後高田市の昭和の町は、「犬と猫しか歩かない」と言われるほど衰退してしまった商店街に、かつての賑わいを取り戻そうと、商業者、商工会議所、行政が議論に議論を重ねた結果、構想から9年もの歳月を費やした平成13年9月に誕生しました。ボンネットバスが走り、昔ながらの建物が並び、店の歴史を語る貴重な一宝と個性豊かな一品、そして店先には笑顔でもてなす昭和の商人と、昭和の町には″本物の生きた昭和の商店街″があります。年間約2万5千人のお客様に訪れていただき、産声をあげた昭和の町。あれから、2021年に20年が経過し、多くの関係者、訪れていただいたお客様により大事に大事に育てられ、今では年間40万人が訪れる大分県を代表する立派な観光地へと成長することができました。これまでのご愛顧に感謝をしながら、昭和の町は、次の20年を見据え、「原点回帰と未来進化」の融合によるさらなる発展をめざしていきます。もっとも活気があった昭和30年代の町並み今の豊後高田昭和の町昭和の町はこれからも頑張っていきます!時間の流れとともに、お客様の年齢層やニーズも変化しています。その度に、昭和の町も進化を続けながら〝変わらない懐かしさ″をお届けしていきますのでこれからもご期待ください。昭和の町は、「感謝の気持ち」を忘れず、生きた商人の町として温かく皆様をお待ちしております。【皆様へお願い】昭和の町へお越しの際は、新型コロナウイルス感染拡大防止にご協力をお願いします。■お越しいただく際は、マスクの着用等、新型コロナウイルス感染拡大防止にご協力ください。【昭和ロマン蔵で貸出し】昭和のレトロファッション体験♪ : 豊後高田昭和レトロフォトコン : 昭和の町 懐かしのヒーロー展 : 昭和の町でアート&クリームソーダクーポン : 関連リンク■【10月・11月運行情報】無料で昭和の町周遊「ボンネットバス」 ■観光スポット&お店情報 ■昭和の町のたのしみかた 本イベントに関するお問い合わせ先豊後高田市観光協会事務協(豊後高田市役所商工観光課内)大分県豊後高田市是永町39番地3TEL :0978-25-6219FAX:0978-22-0955公式サイト: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年10月31日「昨年6月から聖子さんのお家の建て替えが行われていたのですが、10月頭に完成したようです。宅配業者が大きな段ボールを運び入れたり、引越し用のトラックが来たりしているのを見かけました」(近隣住民)年末のディナーショーに向けた準備と並行して、引っ越しに追われているという松田聖子(60)。神田沙也加さん(享年35)の納骨も11月上旬に控えている。そんな折、残された肉親である母・蒲池一子さんが、10月18日に90歳の誕生日を迎えた。新居は母の卒寿に合わせた贈り物なのだろうか。聖子の知人が明かす。「聖子さんは2年前から建て替えを計画していました。『私、何でも早め早めだから、老朽化する前に建て替えるの』と。いちばんの理由はもちろんお母さまのこと。一子さんが転倒しないように『老人用のバリアフリーと感じさせないように、手すりはおしゃれじゃないとね』なんて話もしていました」事務所としても使われていた建物の跡地に建設されたのは、およそ100坪の土地に地上2階、地下1階建ての豪邸。グレーの立派な門構えの奥には、アイボリー調の邸宅が見える。費用はいったいどのくらいかかったのだろうか。「古い建物を取り壊して新築した費用は、推定ですが2億~3億円でしょう。都内でも屈指の高級住宅街ですから、土地と合わせた資産評価は5億円と考えられます」(住宅ジャーナリスト・榊淳司氏)この“介護御殿”の地下にはなんと、レコーディングスタジオまで備えられているという。「仕事を家に持ち込みたくないと、これまで自宅にスタジオは設けなかった聖子さんですが、コロナ禍で外出できない生活を送るなかで、考えが変わったようです。仕事とお母さまの介護の両立が、新居のテーマとなりました」(前出・聖子の知人)デビュー当時から聖子を知るカメラマンのYAHIMONときはるさんが語る。「『今日は喉の調子がすごくいいからレコーディング日和』と話していたのを聞いたこともありますが、聖子さんは常にベストコンディションを重視します。状態次第ですぐに録音できる自宅スタジオは彼女にピッタリでしょう」そんな建替え工事の最中、愛娘を失ってしまった聖子。悲しみを乗り越える中で、“もう肉親と離れない”という気持ちがこれまでないほど強くなっているようだ。「一子さんは90歳を迎えるいまでも矍鑠とした様子ですが、心配でないはずありません。最近聖子さんは、これまで以上に一子さんとの距離を縮め、まるで小さな子供が母に甘えるような態度を見せるときがあります。聖子さんの性格から、お手伝いさんなどほかの人にお母さまを任せるようなことはないでしょう」(前出・聖子の知人)常に母のそばに寄り添いながら、ファンに向けて歌うーー。聖子流の“理想の介護”を実現する新しい家が完成したのだ。
2022年10月20日還暦となった現在も精力的に活動を続ける“永遠のアイドル”松田聖子。そんな彼女をデビュー以来支えてきた母・蒲池一子さんが、10月18日に90歳の誕生日を迎えた。歌番組が華やかだった’80年代、一子さんはテレビ番組で聖子とたびたび共演していた。「聖子さんがシングル『青い珊瑚礁』で『ザ・ベストテン』(TBS系)の1位を初めて獲得したとき、中継先から出演した一子さんが、本名の法子ではなく、『聖子ちゃん、良かったね!』と呼びかけたことが話題になりました」(当時を知る芸能記者)現在はメディアに出ることもなくなった一子さん。聖子との確執を報じられた時期もあったが、最近は聖子と一緒に思い出の曲を歌ったりするなど、“一つ屋根の下”で仲良く暮らしていると本誌は報じてきた。このたび卒寿を迎えた一子さんと聖子の思い出を、デビュー当時から聖子を知るカメラマンのYAHIMONときはるさんが語った。「聖子さんが歌手デビューした’80年ごろは、音楽祭が多数開催されていました。聖子さんは『第13回新宿音楽祭』に出演し、見事金賞を受賞。その副賞として翌年イタリアで開催される『サンレモ音楽祭』に参加することになったのです。そこからフランス・パリも周ったのですが、親孝行もかねて母・一子さんも同行しました。私は幸運にも取材者としてついていくことができたのです」YAHIMONさんは、聖子と一子さんが「母娘ながら友達同士のようで、本当に楽しそうでした」と話す。「一子さんの感覚が若いこともあって、聖子さんとのやり取りでぶつかることはまったくなく、お互い信頼しあっていました。“パリジェンヌみたいね”って一子さんに言われた聖子さんが笑顔で、“お母さんの方がパリジェンヌよ!”と返していたのを聞いたときはとても微笑ましかったですね。とにかく笑顔が絶えない旅行だったことを昨日のことのように覚えています。このとき聖子さんは19歳で、一子さんは49歳。一子さんは現在の聖子さんより若かったわけですが、今も変わらない母娘の絆は素晴らしいと思いますね」今回掲載したツーショットは、パリでのタクシー待ちでの一枚だという。和気あいあいとした雰囲気が伝わってくる。このときから40年以上の年月が経過した2022年の誕生日も、変わらない二人の笑顔がきっと見られたのだろう。
2022年10月18日「全国ツアーを終えた後の聖子さんは“サヤ(沙也加)の曲を歌ったことで、(娘との)伝説を作れたと思うの”と語っていました」(聖子の知人)松田聖子(60)が愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失ってから初めて行った全国ツアー。そのファイナル公演は、日本武道館で9月3日に行われた。「沙也加さんと幾多の共演をした日本武道館は、聖子さんにとって娘との大切な思い出の場所。そのため追加公演という形にしてまで、武道館を千秋楽の場として選んだと聞いています」(デビュー当時から聖子を知るカメラマン・YAHIMONときはる氏)聖子は沙也加さんのデビュー曲『ever since』を熱唱。大観衆の涙を誘い、ツアーは無事に終演したが、実はその直後に聖子は冒頭の知人にこう漏らしたという。「サヤの曲は正直、歌える自信がなかったの。サヤの曲は彼女のものだから、私が歌って壊してしまったらどうしようという葛藤があったから……。それでも“伝説”を作りたかった。そして、実際にファンの方たちと私で、伝説を作ることができた。そう思っているの。ただし、伝説はここで終止符じゃなくて進行形。ひとつの伝説が、次の伝説を生むのよ」その言葉どおり、聖子は12月に行われる恒例のディナーショーに向けて準備に入っているという。「打ち合わせの際、聖子さんは“ディナーショーのころにはサヤはもう家にいないけど、頑張るから”と笑顔で話しました。11月上旬に沙也加さんの納骨を行うようです」(前出・知人)愛娘の遺骨は、福岡県にある蒲池家(聖子の生家)の菩提寺・良清寺に納骨される予定だという。沙也加さんは、9月22日に死後初めて更新されたSNSが話題となった。「神田さんが手がけていたアパレルブランドが今秋で終了するため、デザイン画などを展示するアーカイブ展を銀座で開催するという告知でした。神田さんの元夫の村田充さん(45)が神田さんから引き取った愛犬の画像をアップしたため、さらに反響を呼んでいました」(スポーツ紙記者)また30日には追悼アルバムの発売も発表された沙也加さん。聖子はこうしたタイミングで、“愛娘逝去後の傷心生活からの卒業”を知人に宣言していたのだ。ディナーショーの後に控えるのは『NHK紅白歌合戦』。昨年は急な辞退となった聖子への期待は大きい。「聖子さんは、今年は出たいと思っているはず」と芸能レポーターの城下尊之さんが語る。「昨年の紅白は世帯視聴率が34.3%と歴代最低だっただけに、NHKも話題性抜群の聖子さんには出てもらいたいでしょう。聖子さんには、ファンに向けた何かしらのメッセージを出してほしい。“これが聖子だ!”という姿を、紅白で見たいですね」母娘にとって区切りとなる年の瀬。完全復活を目指す聖子の新たな伝説は見られるだろうか。
2022年10月05日劇団☆新感線の高田聖子が立ち上げたユニット「月影番外地」の公演『暮らしなずむばかりで』が、2023年1月18日(水)から下北沢ザ・スズナリで上演される。同居していた母が亡くなり、一人暮らしを始めた能見(高田聖子)。習い事でも始めたいが「『これを最後の趣味として一生続けたい』と思うと、簡単に選べない」と思っているうちに人生に迷い、散歩の途中で立ち尽くしてしまうことが増えた。しかし、いざ立ち尽くしてみると、道を聞かれるなど忙しい。それで能見は“立ち尽くす”を趣味にしてみた。そして、アパートの大家の逆巻(宍戸美和公)、隣の部屋に住む庄司(松村武)らと出会ってーー。脚本は福原充則、演出は木野花。その他、森戸宏明、信川清順、田村健太郎が出演する。月影番外地としては、2019年の『あれよとサニーは死んだのさ』以来の公演。高田は「コロナ禍に、月影としてオンライン公演などをした方がいいんだろうか、果たしてしたいんだろうか、一体何をしたらいいんだろうかと、もやもや考える時間を過ごしていました」と心境を吐露しつつ、「そのもやもやを少しでも払拭したいし、突破したい気持ちがあった」。チラシには「五十路の逆噴火物語」というコピーが書かれているが、高田は「福原さんや木野さんから見た、今を生きるすべての人の中の“何か”が暴れ出すような、マグマのように溜まっていたものが吐き出せる場になったらいいな」と語る。今回が月影番外地に初出演となる松村武。「達者な役者さんが集うカンパニーだと常々思っていたので、オファーは喜んでOKでした」。高田との共演は初めてだが、同じ奈良県出身ということで「言葉も人との距離感も、奈良の人やなぁ〜という印象で見ていました。一緒にいて、なんかほっとします」と笑いつつ、「(高田は)紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した『どどめ雪』(2016)も素晴らしかった。今の演劇界を代表する女優さんの一人だと思います。胸を借りるつもりで挑みます」。2023年最初の舞台。2022年を振り返ってもらうと、松村は「徐々に戻っていくだろうと思っていたのに、もしかしたらずっとこのままなのではないか、前提を変えていかなくてはいけないのではないかと思わされた年だった」と話す。「飲んで話すことも減った。そもそも飲まへん文化になったり、演劇が『マスクをとった人間をみる媒体』になっていったりするかもしれない」と危機感も感じていた。高田は「コロナの影響で、キャストや公演日程が変更になったりと振り回された一年でした。未だに本番が始まる直前までマスクをつけて稽古をしているので、いざ本番でマスクをとったとき、人の顔の下半分が持つパワーはすごいなと」。漢字では「立」という一文字を挙げて「立ってはいるけど、動けなかった。2023年は一歩踏み出したい」と話し、「みんなが元気に集まれることを目指して、頑張ります」。公演は1月29日(日)まで。取材・文:五月女菜穂
2022年09月27日女優・モデルの高田里穂さんは、『仮面ライダーオーズ/OOO』のヒロイン役やファッション誌『non-no』の専属モデルで人気に。昨年には11年ぶりにグラビアに復帰し、話題になりました。そんな高田さんがインスタに重大告知を投稿!さっそく内容をチェックしていきます。こだわりの一冊を制作 この投稿をInstagramで見る 高田里穂????????(@riho__takada)がシェアした投稿 高田さんは、インスタで写真集の発売を発表!ファンに感謝の気持ちを伝え、「集大成になるような一冊にしたくて撮影シチュエーション、衣裳、写真の構成など愛のあるスタッフ陣と妥協をせず、何度も打ち合わせを重ねました」と制作の裏側を明かしました。気になる内容について「完全すっぴん姿に、私服で地元・久留米でも撮影するなど今の自分、素の自分、綺麗なだけじゃない表情これまで見せたことのない顔をたっぷりと、魅せました」と綴り、2枚の写真を公開。1枚目はスタイルのよさが際立つビキニ姿で、2枚目はストラップが落ちて細い肩があらわになったもの。高田さんの色気にも2枚の表情のギャップにもドキッとします。この投稿に、「笑顔が最高に可愛い」「めっちゃ綺麗ですね」「いつも魅力的です」「少女から大人の女性へと進化されましたね♪」「めっちゃセクシー」「腹筋綺麗」「天使降臨」など絶賛するコメントが寄せられています。身長167cmでスタイル抜群、そして圧倒的美貌の持ち主である高田さん。これからの活動が気になります!あわせて読みたい🌈刺激的…“次世代愛人”古河由衣さん、黒の水着ショットに「むちむちっ」「圧巻」との声殺到
2022年09月13日どんな人でも、ストレスが積み重なると、心が壊れそうになるもの。不特定多数の人に注目される、芸能人であれば、なおさらストレスは大きいのかもしれません。タレントの中川翔子さんは、2020年、心が壊れそうな時期があったといいます。そんな時、自身が出演するラジオ番組に突然、歌手の松田聖子さんが現れたそうです。昨年、私が壊れそうだった時に、松田聖子様がサプライズで突然ラジオにいらっしゃり泣いてなにも言えなくなってしまったわたしにあなたはたくさんの才能があるからいつも楽しみにしていますよ、と ディオールの香水をプレゼントしてくださったのです聖子様は1番の神様であり命の恩人様です pic.twitter.com/bULNAiK9t4 — 20周年の中川翔子 (@shoko55mmts) September 3, 2022 憧れの人である、松田さんの出演を知らなかった中川さんは、驚きや嬉しさで涙が止まらなくなったのでしょう。松田さんは「あなたにはたくさんの才能があるから、いつも楽しみにしていますよ」と優しい言葉をかけてくれたといいます。芸能界の第一線を走ってきた松田さんだからこそ、中川さんの心に届く言葉をかけてあげられたのかもしれません。【ネットの声】・松田さん、素敵な人だな。投稿を読んで泣いてしまいました。・友人や知人からの声は励ましになるけど、憧れている人からの言葉って本当に救いになるよね。しょこたん、よかったね。・松田さんご本人も、さまざまなことを感じて苦しんできたからこそ、どんな言葉をかけてほしいかを、分かったのかもしれないですね。・後輩にも優しい松田さんの振る舞い、人として尊敬します。松田さんの言葉は、これからも中川さんの心を支えてくれるのでしょう。人を思いやることができる松田さんの姿勢が素敵ですね。[文・構成/grape編集部]
2022年09月04日Songs from Singapore to Tohoku 実行委員会は、「Songs from Singapore to Tohoku 2022」コンサートを、岩手県陸前高田市コミュニティホール内シンガポールホールにて2022年9月18日(日)に開催することを発表いたします。Songs from Singapore to Tohoku 2022 フライヤー本公演は、シンガポール在住日本人シンガーソングライター「Sachiyo」とシンガポールのトップミュージシャンが、音楽の力による心の復興の一助になることを目指し、東北とシンガポールとの絆を繋ぐという趣旨で、2011年の東日本大震災発生直後から東北被災地で開催しているコンサートです。陸前高田市コミュニティホールは、東日本大震災発生後にシンガポール赤十字社が創設した「ジャパン・ディザスター・ファンド2011」に、日本の復興を願って、シンガポール市民・在住外国人より寄せられた寄付金を元に建設され、同コミュニティホール内にある多目的ホールは、「シンガポールホール」と名付けられました。2011年、東日本大震災直後にシンガポール国内で復興支援活動を行い、同年12月より毎年、「Songs from Singapore to Tohoku」と名付けた復興支援コンサートを、東北被災地で開催して来たSachiyoにとって、本公演を「シンガポールホール」で行う事は大きな意義を持ちます。「いつかシンガポールホールでコンサートを」、構想から11年、コロナ禍を経て、ついにリアルコンサートが実現します。【開催概要】日程 :2022年9月18日(日)会場 :陸前高田市コミュニティホール(シンガポールホール)チケット:入場無料時間 :開場 12:30/開演 13:0013:00~開会行事/地域女性団体協議会プログラム14:45~コンサートどなたでも自由にお越し頂けます。観覧をご希望される方は、当日会場に直接お越し下さい(定員200名、先着順)。問い合わせ先は以下の通りです。陸前高田市国際交流協会(市役所観光交流課内)Tel : 0192-59-2558(内線412)Email: kankou@city.rikuzentakata.iwate.jp ※ご来場のお客様に、シンガポール政府観光局より蘭の花をプレゼントします。※本イベントは陸前高田市地域女性団体協議会との共催で実施します。【出演】Sachiyo(Vocal)/Mei Sheum(Piano)2021年の本公演の動画: 2020年の本公演の動画: 2019年の本公演の動画: 2018年の本公演の動画: 2017年の本公演の動画: 2016年の本公演の動画: 2015年の本公演の動画: 2014年の本公演の動画: 2013年の本公演の動画: 2012年の本公演の動画: 2011年の本公演の動画: Sachiyo オリジナル復興支援ソング“A Song of Life”動画: 【コンサート概要】<主催>Songs from Singapore to Tohoku 実行委員会陸前高田市国際交流協会<協賛>三菱電機アジア、明治屋シンガポール有限公司、全日本空輸株式会社<後援>陸前高田市、シンガポール政府観光局、日本政府観光局(JNTO)、在京シンガポール共和国大使館、一般社団法人 東北観光推進機構、一般社団法人 日本シンガポール協会、GAMBATTE! JAPAN from SINGAPORE<Sachiyo 公式サイト> 【Sachiyo プロフィール】1972年シンガポール移住、シンガポールを拠点に活躍する日本人シンガーソングライター。多民族の国で培われたグローバルな感性を持ち、英・日・中・マレーの4カ国語でジャズ・ボサノバ・ポップス・エスニックなどの広いジャンルの音楽を歌い上げ、人種や年齢を問わず幅広い層の人々に支持されています。日本とシンガポールの音楽親善大使としての活動を積極的に行っています。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年08月31日「聖子さんが生まれ育った福岡県での公演とあって、1万人以上収容の会場は満席。聖子さんは曲の合間には『水ば飲むけん。ちょ待っとって』と久留米弁丸出しで会場を沸かせていました」(コンサートに参加したファン)8月20日、全国ツアー真っただ中の松田聖子(60)がふるさとに帰ってきた。マリンメッセ福岡で行われたコンサートは大盛況だったが、実は聖子の“帰郷”には隠された目的もあったという。「聖子さんは公演前日の夜に、地元の高校時代の女友達に会いに出かけているんです」こう語るのは彼女の知人だ。「その際にはいつも頼んでいる美容師に編み込みをしてもらったそうです。リフレッシュと“変装”、2つの意味があったのかもしれませんね。学生のころの昔話に花を咲かせたそうですが、そこでは沙也加さんの遺骨をどうするか、という話題も出たそうです」昨年12月に急逝した愛娘・神田沙也加さん(享年35)はいったいどの地で眠るのか――。ファンならずとも気がかりな沙也加さんの納骨先は、いまだ決定の報せがない。芸能関係者が明かす。「沙也加さんの四十九日法要が行われたのは、聖子さんの現在の夫・Aさん一族の菩提寺でした。しかし、聖子さんはそこに納骨はせず、沙也加さんの遺骨は自宅に持ち帰っているのです」とはいえ、聖子とAさんの関係が悪いわけではない。「2人は仲睦まじく、このまま添い遂げる可能性が高いでしょう。しかしAさん一族のお墓では、聖子さんの元夫であり沙也加さんの実父の神田正輝さん(71)が訪ねづらいのでは……という事情があります」(前出・芸能関係者)では正輝はどう考えているのか。「神田さんのお母さんのお墓は東京・新宿にあります。しかし、こちらに沙也加さんを埋葬すると、聖子さんがお参りのときに遠慮してしまうのでは、と神田さんは考えているようです」(同前)複雑な家庭事情の中でも沙也加さんがいちばん安らげる場所はどこなのか。聖子は半年以上悩み抜き、決断を旧友たちに明かしたという。聖子が生まれた久留米にほど近い福岡県柳川市には、蒲池家の菩提寺・良清寺がある。そこに墓を建立して沙也加さんを埋葬し、家族で彼女を弔おうというのだ。■菩提寺の住職は本誌に…本誌は良清寺を訪ねた。閑静な住宅街に佇む大きな瓦葺きの門が印象的だ。近隣住民に話を聞いた。「ここに聖子さんの父、孜さんが眠っていますが、お墓はありません。納骨堂を見てもらえれば、管理している(聖子の母の)一子さんの名札があると思いますよ」孜さんは国家公務員だった。真面目で厳格な性格からか、聖子の芸能界デビューをなかなか許さなかったことでも知られる。「孜さんが亡くなったのは’97年末。ただ、急いで墓を造らなくてもよいという故人の意向もあったようで、遺骨は納骨堂に納められていました」(前出・聖子の知人)蒲池家とゆかりの深い良清寺。聖子に近い親戚だという住職に話を聞いた。――このお寺が松田聖子さんご一家の菩提寺であるとお伺いしております。神田沙也加さんの納骨もこちらでされる予定でしょうか?「すみません、そういったプライベートなことにはお答えしていないんです」――最近も聖子さんが訪れませんでしたか?「申し訳ない。それにもお答えできません」住職は、聖子がここに蒲池家の墓を新たに建てるのかという質問にも返答を控えたが、ほほ笑みを絶やさず、墓地の見学はかまわないと言ってくれた。寺の周辺で話を聞くと、意外にも沙也加さんにまつわるエピソードが次々と出てきた。お供え物を扱う店で、店主が話す。「沙也加さんがデビューして数年後のことだったかと思います。彼女が一人でうちにやってきて、お供えの花を買ってくれたんです。納骨されている孜さんに手を合わせに来たんだと思いました」別の商店の店主もこんな思い出話を語ってくれた。「沙也加さんがまだ小さなころ、一子さんが境内で遊んであげているのを見たことがあります。両親ともに大スターですから、おばあちゃんが面倒を見ているんだねってこのあたりで話題でしたね。聖子さんも見かけたことがありますよ。夫のAさんと手をつないで歩いていました」沙也加さんの思い出も詰まった特別な場所・良清寺。聖子はこの地に蒲池家の新たな墓を建立すれば、娘も安らかに眠れると考えたのだろう。父の逝去から25年、重大な決断を下して心の荷を一つ下ろしたからこそ、聖子の久留米弁はファンの心を打ったのか――。
2022年08月30日「カセットテープから流れる、聖子の歌声を聴いた瞬間“すごい声を見つけてしまった”と強い衝撃を受けました」天才歌姫発掘の瞬間をこう語るのは音楽プロデューサーの若松宗雄氏(82)。若松氏は、キャンディーズ、藤あや子、PUFFYといった多くのスターを手掛けてきたが、なかでも最大の功績と言われているのが、松田聖子(60)を見いだしたことだ。7月19日に若松氏が出版した『松田聖子の誕生』(新潮新書)には、いかにして聖子をスターダムに押し上げたかが、秘話を織り交ぜ克明に綴られている。聖子と若松氏の二人三脚が始まったのは’78年5月のこと。当時プロデューサーとしてCBS・ソニーに勤めていた若松氏は、ミスセブンティーン・コンテスト地方大会の出場者、200人分もの歌声を収めたカセットテープの山の中から、聖子を見つけ出した。しかし、待っていたのはデビューに大反対する聖子の父・蒲池孜氏だ。「『許すつもりは一切ありません』の一点張りで、『ダメと言ったらダメなんだ!!』とまで言われたこともありました。ようやく福岡での面会が実現したのですが、翌日には『やはり諦めてほしい』『今後は娘や家内にも電話をしないでくれ』と、連絡の道すら断たれてしまった」その後、半年以上に及ぶ説得のすえ、ついに父親の承諾を得る。父親を動かしたのはほかでもない、絶対に歌手になりたいという聖子の意志だった。そこから若松氏は、所属事務所探しに奔走したが、旧知のプロダクション尾木社長の尾木徹氏にはこう難色を示されてしまう。「尾木さんからは『ああいう子は売れないんだよ。華もないしね』と忠告されました。そのときは、なんでわかってもらえないんだ!とくやしかったですね」■『ザ・ベストテン』で百恵さんとの邂逅がしかし、若松氏の熱意が、当初乗り気ではなかったサンミュージック元会長の相澤秀禎氏を動かした。聖子の所属が決まったのだ。「聖子は直感力に優れていて物覚えが抜群によく、人懐っこい性格なのでその場にもすぐなじむ。彼女が挨拶をすると、『あのコなかなかいいね』なんて声がかかって。私は『やっとわかってくれたか』と、うれしかったものです」ミスセブンティーン・コンテストから2年もの月日がたった’80年2月末、聖子はついにデビュー曲である『裸足の季節』のレコーディングに挑んだ。そのときの光景はいまも若松氏の脳裏に焼きついている。「ブースに目をやるとマイクの脇でこちらに向かってぺこりと頭を下げた聖子の頰に、涙が流れ落ちていくのが見えたんです。これまでの人生で見たなかでも、最も忘れがたいうれし涙でした」
2022年07月29日福岡県に住む16歳の少女だった蒲池法子(松田聖子の本名)。その歌声を発掘しトップアイドル・松田聖子へと押し上げたのが当時CBS・ソニーに勤めていたプロデューサーの若松宗雄氏(82)だ。7月19日に若松氏が出版した『松田聖子の誕生』(新潮新書)には、いかにして聖子をスターダムに押し上げたかが、秘話を織り交ぜ克明に綴られている。■聖子を感激させた『ザ・ベストテン』での百恵さんからの檄芸能界入りを反対する父親の説得や事務所探しを経て、ついに‘80年4月にデビューを果たした松田聖子(60)。その後、瞬く間にスターダムに上り詰めていったのは周知のことだ。時代は山口百恵の引退フィーバーの真っただ中。しかし、「ポスト百恵」といったプレッシャーは微塵も受けなかったという。「百恵さんも誰かと比較できるような人ではないですが、やはり聖子はほかのどのアイドルとも全く違う存在でした。だから、その素質を生かすことだけ考えていて、外野がどうとは全く気にしていませんでしたね」ただ、当の本人には、ほかの同年代の少女たちと同じく、百恵さんに対する憧れはあったようだ。「『ザ・ベストテン』で『がんばってくださいね』と引退間際の百恵さんから声をかけられると、聖子はうれしそうにしていました」『ヤンヤン歌うスタジオ』では「私も百恵さんのように、結婚したいです!」と口にしていた聖子。しかし、’85年6月、実際に23歳で結婚したとき、同じ道を進むとは微塵も思わなかった、と若松氏は言い切る。「デビューから走り続けていたから少し休むのはよいことだと思いました。ただあれだけ歌が好きな聖子のことだから、きっと歌いたくなるだろうなと復帰を確信しながら、送り出したんです」■アメリカからかかってきた“悩み相談”の電話そしてこの思惑どおり、休業から半年ほどたったころ「復帰したい」と若松氏のもとに聖子から連絡が。結婚後の聖子には、ある変化も見られたという。「楽曲への自我が芽生えたのかな。レコーディングを始めると、私と聖子で曲に対する意見が食い違うようになりました」結婚を機に、自らの思いを込めた“私だけの歌”を作りたいという思いが増したのだろうか。’89年6月にサンミュージックから独立して以降、聖子は本格的に作詞や作曲を手掛け始めた。このころから、若松氏も社内人事により聖子の担当を離れることに。といっても、若松氏と聖子の絆が完全に切れたわけではなかった。聖子がアメリカでの活動を開始した’90年代、若松氏はしばしば聖子からプライベートの悩み相談の電話を受けたという。「声が聞けるのはうれしかったですね。でも一方で、私に電話をかけてくるっていうのは、相談をできる相手がほかにいないのかなと少し心配にもなりました」若松氏への聖子の信頼は相当大きかったようだ。’98年、CBS・ソニーを退社した若松氏のもとに聖子から「マネジメントしてほしい」との依頼が。聖子は、若松氏が代表を務める事務所に移籍、再びタッグを組んだのだ。大切な愛娘、沙也加さんのデビューに関する相談をしたのも若松氏だった。若松氏は当時、聖子とは異なるタイプの天与の才を彼女に感じていたという。「沙也加ちゃんは、学校帰りに事務所へ寄るようになって、その日あったことを話してくれていました。とても感受性が豊かで、なかでも文才は群を抜いていました」今年還暦を迎えた聖子。昨年12月には沙也加さんとの別れを経験した。しかし、今年6月から全国ツアーを行うなど、精力的に活動を続けている。そんな聖子に若松氏は「とにかく自分のペースで希望をもって、楽しくやってほしい」と語る。2人が作ってきた楽曲はこれからも、色褪せることなく、聴く人の心をときめかせ続けるのだ。
2022年07月29日「久しぶりに聖子ちゃんの歌声を聞けて、コンサート開始早々からずっと泣きっぱなしでした。やっぱり私にとって永遠のアイドルです」万感の表情でこう語るのは、会場にいた50代の女性ファン。6月24日、1年ぶりに大阪城ホールを松田聖子(60)の歌声が包んだ。6月11日の埼玉公演を皮切りに5都府県を回る全国ツアーを開催中の聖子。多くのファンが押し寄せているようだ。「どの会場もチケットは軒並み完売し、大阪と福岡では追加公演が決定。チケットを取れなかったファンの熱い声に応えて、9月に日本武道館で2日間の追加公演を行うことも決まっています」(ライブ制作関係者)少しでも多くのファンの期待に応えるべく、精力的に活動する聖子。しかし、ステージに立つまでにあまりにも悲しい出来事があったーー。昨年12月18日、聖子の一人娘である神田沙也加さんが、札幌市内のホテルで急逝。まだ35歳だった。大ヒットした映画『アナと雪の女王』のアナ役や歌手活動に加え、ミュージカルを中心とした舞台で女優としても高い評価を受けていた沙也加さんのあまりにも突然の訃報は日本に衝撃を与えた。そして、母親である聖子の悲しみは想像を絶するものだった。「沙也加さんの葬儀は亡くなった3日後の21日に札幌市内で行われ、聖子さん、元夫で沙也加さんの父親・神田正輝さん(71)ら親族が参列。その後に行われた囲み取材では、聖子さんは位牌を抱えて、声を震わせながらコメントしていました。沙也加さんが亡くなった当時、聖子さんは東京と大阪でのディナーショーツアーの真っ只中でしたが、残りの公演はすべて中止に。大晦日の『第72回NHK紅白歌合戦』への出場も取りやめました」(音楽関係者)実の娘を失った聖子。その悲しみはあまりにも大きく、私生活だけでなく歌手活動にも大きな影響を与えることに。「外出もできない日々が続き、花を飾った祭壇で沙也加さんに語りかけていると報じられたこともありました。今年は還暦を迎えるということもあって聖子さんにとってアニバーサリー・イヤーになるはずでした。還暦を祝うイベントなども予定されていたそうなのですが、それも当然中止。一時は歌手活動再開の目途も立てられないほど落ち込んでいたといいます」(前出・音楽関係者)憔悴の日々を送る聖子だが、そんな生活にも徐々に変化が。沙也加さんの四十九日が迫った1月下旬、聖子がいたのは都内の閑静な住宅街にある一軒家。実はこの場所、カリスマ美容師が一対一で施術を行う完全予約制のプライベートサロン。1月前に夫の菩提寺で行われた四十九日法要の前に、髪を整えていたのだ。そして、百日忌も近づいた3月7日、ついに沈黙を破る。中止したディナーショーの振替公演と6月から全国ツアーを開催することを発表したのだ。しかし、苦悩しながらの決断だった。「再開発表と同時に配布したファンクラブの会報誌で、聖子さんは沙也加さんがいないことについて“今でも信じられない気持ちがある”と率直に綴っていました。同時に“私が悲しんでいるだけではいけない”と思い立ち、活動再開を決断したそうです」(芸能関係者)意を決して再び“歌手 松田聖子”と向き合った聖子だが、そんな彼女を奮い立たせたのはほかでもない沙也加さんだった。再開を発表する直前の3月初旬、自宅からほど近い老舗デパートを訪れた聖子。聖子が数十年にわたって通っているデパートで、沙也加さんが小さい頃に何度も2人で訪れたことのある場所だ。さらにディナーショーの振替公演が行われる数日前の4月上旬にも、かつて沙也加さんを連れてきたこともある都内の撮影スタジオにも訪れていた。聖子を支えるのは“思い出の場所”だけではない。「生前、沙也加さんが愛用していたハンドミラーを聖子さんが受け継ぎ使っているそうです。あるスタッフが聖子さんに『それ、きれいですね』と言うと、聖子さんは『これ、沙也加のものなの』と答えたといいます。また、聖子さんの自宅には一緒に住んでいた時に沙也加さんが使っていた部屋もあり、今はそこで聖子さんがメイクをすることもあると聞いています。聖子さんは3月に配布したファンクラブの会報誌で、沙也加さんの歌声が大好きだったことを明かし、“これからは沙也加と一緒に歌っていく”と綴っていました。沙也加さんとの思い出が詰まった場所や物の触れることで、歌手活動への気持ちを高めているのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)さらに懐かしの“旧友”もーー。「アイドルとして同じレコード会社からデビューした同期の元アイドル浜田朱里さん(59)が、沙也加さんへの供花を贈るために聖子さんに久しぶりに連絡をとったそうです。当時、2人は共演する機会も多く、大親友でした。久しぶりの連絡をきっかけに交流が復活し、喫茶店でお茶もしていたそうです」(前出・芸能関係者)全国ツアー初日となった6月11日のさいたまスーパーアリーナでの公演で、沙也加さんのデビュー曲「ever since」を涙ながらに披露したという聖子。今、ある目標があるという。「新曲を準備しているそうで、自ら作詞作曲を手掛ける構想もあるといいます。またその曲は年末に予定しているディナーショーや昨年出場できなかったNHK紅白歌合戦で披露したいと考えているそうです」(前出・音楽関係者)愛娘との“約束”を胸に聖子の歩みはこれからも続いていくーー。
2022年06月26日「聖子さんは今日、大阪城ホールで全国ツアーの2公演目に臨みます。6月11日に埼玉で開催されたツアー初日は、沙也加さんのことを口にして涙がこらえ切れない場面もありましたが、1万8千人を前に熱唱。大阪でのコンサートにも期待がかかります」(芸能関係者)還暦を迎えた今も、ファンを魅了し続ける松田聖子(60)。そんな聖子の素顔はどのようなものなのか。元所属事務所サンミュージックの後輩・桑田靖子さんは、聖子の気さくな一面を明かす。「初めてお仕事をご一緒していただいたときに、『こっちおいで靖子ちゃん』と、お隣に座らせてくださいました。誰もが知っている存在でしたので、もう心臓がバクバクでしたよ。共通の話題などお話ししてくださって、同郷ということもあり私の緊張をほぐしてくださったのかもしれません」絶大な人気を誇った聖子のすごさはどのような点だったのか。桑田さんは言う。「ほかのアイドルの方々とは違って、聖子さんの現場には専属のスタイリストさんやメークさんがいらっしゃらないんです。ご自身で全てをやっていらした。当時、聖子さんのマネージャーさんが、“なぜ聖子が輝いているかというと、与えられたものではなく自分がいちばん着たいものを選んで身に着けることで、自分がものすごくかわいくなることをわかっているからだ”と、おっしゃってましたね」自らの道を進んでいった聖子。それは’86年10月に沙也加さん(享年35)を産んでからも変わらなかったようだ。「当時のアイドルって結婚したら終わりで、子供を産んだら違うのかなと思っていました。だけど、聖子さんはママになってもアイドル。さらに髪形を変えたりして、新しい“松田聖子”にどんどん変わっていきました。誰かにプロデュースされてきたのではなく、自分の気持ちに正直に動いてきたからこそファンの方々もついてきたんだと思います」昨年、愛娘・沙也加さんが亡くなり、今年60歳で全国ツアーに臨んでいる聖子。ファンの存在の大きさを桑田さんは強調する。「いいときだけではなくつらいときも一緒に年齢を重ねてきた松田聖子さんとファンとの絆。聖子さんがステージに立つことはファンへのエールに。また聖子さんに対するファンからのエールになるんだろうなと思います。だからこそ松田聖子さんは“永遠のアイドル”であり唯一無二の存在なのです」
2022年06月24日「今回のコンサートで聖子さんやスタッフが利用したケータリングには、豚骨ラーメンや季節の和菓子が用意されていました。これらは聖子さん自身のリクエストで、沙也加さんが大好きだったものを選んだそうです」(制作関係者)愛娘・神田沙也加さん(享年35)の急逝から半年、全国ツアーに臨んでいる松田聖子(60)。6月11日にさいたまスーパーアリーナで開催されたツアー初日に聖子は、沙也加さんと“共演”を果たした。公演の中盤、聖子は沙也加さんのデビュー曲『ever since』を歌唱し、このように語った。「娘は天国に旅立ちましたが、私の心にずっと生き続けています。きっと今日も一緒に『ever since』を歌ってくれたと思います」再出発した聖子の様子について、公演に訪れたファンは明かす。「沙也加さんについて口にする際は、涙がこらえきれない場面もありましたが、聖子ちゃんは全25曲を完璧に歌い切りました」1万8千人の観客の前で、アイドルの矜持をみせた聖子。そんな彼女を支える人々がいた。聖子のデビュー当時からの付き合いだという歌手の小柳ルミ子(69)は、12日に自身のInstagramを更新し、《昨日、可愛い可愛い愛する妹、聖子ちゃんに会いに行って来ました》と、松田聖子のコンサートに駆けつけたことを明かして、さらにこうつづった。《ステージ終了後、痩せた聖子ちゃんをぎゅーっと抱きしめて来ました》聖子のもとには“戦友”からのエールも届いていたという。「会場には日本テレビや、ユニバーサルミュージックなどからスタンド花が贈られていました。その並びに個人として唯一、松任谷由実さんから贈られた花が飾られていたのです。この花を目にしたファンは、『ユーミンありがとう』と感謝を述べていました」(イベント関係者)聖子と松任谷由実(68)の交流は長い。ユーミンが初めて聖子に曲を提供したのは、’82年の大ヒット曲『赤いスイートピー』だった。「聖子さんの女性ファンが増えるきっかけとなった『赤いスイートピー』は、作詞家の松本隆さんが、ユーミンさんに『ライバルに曲を書いてみない?』と声を掛けたことがきっかけで生まれました。松任谷さんは作曲者名を、ペンネームである“呉田軽穂”にすることを条件に了承したそうです」(音楽関係者)■ユーミンの作曲で大ヒットを連発’20年12月に放送された『松田聖子スペシャルロング・バージョン風に向かって歌い続けた40年』(NHK)で『赤いスイートピー』を手掛けた理由をユーミンはこう明かしている。「アイドルが嫌いだったんですよ、私。アイドルの世界は強大で『仮想敵国』みたいに思わないとやっていけなかった。変な気概があったところに(作曲依頼が)舞い込んだ。挑戦的なところがありました」その後も『渚のバルコニー』『秘密の花園』『瞳はダイアモンド』などでユーミンと聖子はタッグを組み、ヒットを連発してきた。しかし’84年の『時間の国のアリス』を最後にユーミンは30年以上もの間、聖子の曲を作ることはなかったーー。「あれほどの名曲を生み出してきた2人だけに、長い空白期間があったことで聖子さんと松任谷さんの間には、確執があるのではないかと報じられたことがあります」(前出・音楽関係者)この軋轢について、長年聖子を撮影してきたカメラマンのYAHIMONときはる氏は語る。「’80年代のユーミンは多忙もあってか、ラジオなどでキツい発言が目立っていた時期がありました。そんななか聖子さんが、雑誌でユーミンのライブを初めて見たときの衝撃を『私はいったい何なんだろうと思い、アイドルをやめようかと思った』と語った記事を、ユーミンが目にし、『やめたらよかったのに』とキッパリ。以来、不仲が噂されるようになりました」聖子のデビュー35周年にあたる’15年にユーミンは、新曲『永遠のもっと果てまで』を聖子に提供。31年ぶりに2人が組んだことで話題となった。音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠さんは、この背景を推察する。「単に、ユーミンのもとに楽曲提供のオファーがなかっただけではないでしょうか。プロデューサーの意向で別の人に依頼する時期が続いたということで、けんか別れなどではないと私は思います。盛り上がるタイミングでタッグを再開する運びになったということでは」前出の『松田聖子スペシャル~』で、31年の空白を経て“和解”したユーミンは聖子について、「一緒の時間を共有できて本当に光栄だと思っています」と、語っていた。そんな彼女が今回の公演で聖子に贈った友情の花には、ある思いが込められていたという。「大きな花束の中には白い八重咲きのユリがありました。これは沙也加さんが大好きだった花なんです。沙也加さんは’05年ごろ、芸名をユリの英語名“Lily”としてモデル活動していたことも。いかなるときでもステージに立ち続ける重圧は、ユーミンも痛いほど理解しています。それだけにユーミンは、気丈にふるまう聖子さんに“沙也加さんもそばにいる”とさりげなく伝えたかったのではないでしょうか」(前出・YAHIMONときはる氏)11日のコンサートでは、ユーミン作曲の『赤いスイートピー』や『渚のバルコニー』を熱唱していた聖子。ユリの花言葉と同様に純粋な沙也加さんと“戦友”に見守られ、ステージに立つ彼女は決して独りではなかったーー。
2022年06月21日「全国ツアーが6月11日からスタートする聖子さんですが『これからは沙也加と一緒に歌っていきたい』とファンクラブの会報誌でも明かしています」(音楽関係者)昨年12月に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失った松田聖子(60)。あれからまもなく半年となる今、本格的な歌手活動を再出発させる。ツアーに先がけて4月に行われたディナーショーでも、聖子は冒頭のMCで「私は沙也加の歌声が大好きでした」「今も沙也加の歌声は私の心の中に響いています」と声を震わせながら語っていた。2カ月半にわたって5都市8公演が催されるツアーだが、急逝した娘とともに歩んでいきたいという思いからか、自宅でも沙也加さんをしのぶ時間は大切にしている。「聖子さんの自宅の沙也加さんが使っていた部屋には、彼女の愛用品がたくさん残っているそうです。そこは現在、聖子さんがメークをするときなどのスペースとしても使っていると聞きます」と話すのは聖子の知人だ。本誌は、沙也加さんが生前に愛用していたシルバーのハンドミラーを“形見”として使っていると報じたが、それだけではないようだ。「沙也加さんといえばミュージカル女優としても活躍しましたが、駆け出しのころに出演した『レ・ミゼラブル』(’09年上演)の舞台は、聖子さんにとって特に娘を誇りに思える作品でした。その劇場の楽屋で沙也加さんが使っていた暖簾を、聖子さんは“沙也加ルーム”の扉にかけているそうです」(前出・知人)沙也加さんにとっても『レ・ミゼラブル』への出演は人生の転機と言えるほど大きな出来事だった。当時のブログには、物語の主人公ジャン・バルジャンの養女コゼット役を射止めた喜びが綴られている。《昔から、レ・ミゼラブルに出演するのは私の夢でした。今回、念願叶ってコゼット役、そしてまたジョン・ケアードさんの演出を受けられるかと思うと、胸がいっぱいになり、喜びで心臓が飛び出しそうです。(笑)》(’08年8月)そんな娘が初めて帝国劇場の舞台を踏んだ’09年10月6日、聖子は元夫の神田正輝(71)とともに来場。カーテンコールの際には聖子が涙を流して拍手を送る姿が報じられている。この“夢の舞台”『レ・ミゼラブル』の劇中で、沙也加さんが歌っていた曲の一つが『プリュメ街』。コゼット役のオーディションの課題曲として使われるほど難しいことで知られているが、この曲を沙也加さんは見事に歌い上げ、観客に感動を与えた。「聖子さんは、『レ・ミゼラブル』上演中に沙也加さんが録音していた『プリュメ街』の“生の音源”を、今も自宅で聴いているそうです」(前出・知人)別の音楽関係者が言う。「このころの2人は、沙也加さんの稽古の合間に一緒に買い物に行き、大好きな『ジルスチュアート』のトップスやコートなどをおそろいで選んだりしていました。聖子さんはそんな思い出が詰まった曲を聴きながら、ツアーへの士気を高めているのでしょう」『プリュメ街』には、“私の人生、もうこれから独りぼっちじゃないの”といった一節がある。その言葉のとおり、母の全国ツアーを天国の沙也加さんも見守っていることだろう。
2022年06月07日「4月ごろに、ある老舗の喫茶店に、聖子さんが同年代の女性といらしていたのをお見かけしたのです。2人はその店の個室で食事をしていたようでした。その女性と部屋から出てきた聖子さんは、少しだけほほ笑みを浮かべていました。あとからその女性について調べてみると、聖子さんの親友だった元アイドルの浜田朱里さん(59)で、とても驚きました」(その場に居合わせた聖子のファン)昨年12月18日、娘の神田沙也加さん(享年35)が急逝した松田聖子(60)。「6月からスタートする全国ツアーが間近に控えていることもあり、その準備に多忙な毎日を過ごしているそうです」(レコード会社関係者)そんななか、本誌は先週5月17日発売号で、聖子が沙也加さんの“形見”であるハンドミラーを使っていることを報じた。沙也加さんが愛用した品を手に、仕事に没頭する決意を固めているという聖子。だが、子に先立たれる“逆縁”の悲しみは深く――。「聖子さんは悲しみを埋めるかのように、『休みはいらない』と話しているほどでした。しかし、そんな聖子さんの“心の孤独”を慰めるべく駆け付けたのが、親友であった浜田さんだったのです」こう明かすのは、聖子を知る古参の芸能プロ関係者だ。「もともと聖子さんと浜田さんは、アイドルとして同じレコード会社から同期デビュー。学年こそ聖子さんが1つ上でしたが、同じ1962年生まれで、通っていた学校も一緒。アイドル時代における聖子さんの大親友でした。特にNHKの歌謡番組『レッツゴーヤング』では2人とも「サンデーズ」のメンバーとして活躍。また当時はアイドルがコントに参加することも多く『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)、『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)でもよく共演していました。その浜田さんは、沙也加さんが亡くなったときに供花を贈るため、聖子さんに久しぶりに連絡を取ったそうです」(前出・芸能プロ関係者)冒頭の喫茶店でのシーンは久々の再会のときのものだったのか、くしくも沙也加さんの急逝が、旧友たちを引き合わせたのだった。浜田さんは聖子と同じ1980年にデビューし、その年に引退した山口百恵さんの後継を目指す“ポスト百恵”として活躍。百恵さんが主演を務めたドラマ・赤いシリーズ『赤い魂』(TBS系)の主役にも抜擢された。■神田正輝との交際も相談する仲だったしかし、1990年代半ばに芸能界を引退。現在は一般人として、聖子とは別の道を歩んでいる。「聖子さんは事務所の方針や、昔から孤高なところがあって、あまり同世代のアイドル友達はいませんでした。そんななか、唯一といっていい同世代の親友が浜田さんだったんです。2人は所属事務所こそ違えど、最初から意気投合していました。当時は10代ということもあって、たわいない話から悩み相談まで、ありとあらゆることを語り合える間柄だったんです」(前出・芸能プロ関係者)デビュー当時の聖子を撮影してきたカメラマンのYAHIMONときはるさんが、当時を振り返る。「アイドルとしての浜田さんは歌唱力も評価されていましたが、なかでも演技力がすばらしく、女優として期待されていました。そんななか抜擢されたのが、聖子さん主演の映画『カリブ・愛のシンフォニー』でした。聖子さんは演技に対して苦手意識があったのですが、親友の浜田さんが一緒ということで、かなりリラックスして取り組むことができたようです。この作品は、聖子さんと元夫である神田正輝さん(71)が結婚するきっかけとなったといわれています。2人の仲が深まったのも、ある意味で浜田さんのおかげだったのかもしれません。実際に、神田さんとの交際についても、聖子さんは浜田さんによく相談していました。聖子さんの背中を浜田さんが押してあげたことも大きいと、当時からいわれていましたね」聖子にとって、親友であり、恩人でもあった浜田さん。いつしか、2人の関係には少し距離ができてしまっていたが――。「浜田さんが引退した当時、聖子さんも多忙な時期で、しばらく疎遠になっていたようです。しかし、沙也加さんに先立たれてしまい、人生で最もつらいときに駆け付けてくれたことを、聖子さんもさぞ心強く感じたはずです。浜田さんも3人のお子さんがいると報じられています。子供を育て上げた母親同士ということもあって、誰よりも聖子さんの悲しみを理解できるのだと思います。孤独に苦しんでいる聖子さんにとって、浜田さんとの再会は、今後も仕事にまい進するための原動力になっていくでしょう」(前出・芸能プロ関係者)苦楽を共にし、母としての心情も分かち合える親友が背中を押して、聖子は再びステージに立つ。
2022年05月28日「聖子さんは5月に大阪で開催されるディナーショーに向けて、ボイストレーニングなどの準備に励んでいるそうです」(音楽関係者)4月9日と10日に都内のホテルで開催されたディナーショーで歌手活動を再開した松田聖子(60)。昨年12月に娘の神田沙也加さん(享年35)が急逝して以来、初めてファンの前に姿を見せた聖子だが、万感の思いでステージに立ったようだ。「ディナーショーの冒頭でのMCで聖子さんは、ファンへの感謝を述べ、心配をかけたことを謝罪。そして声を震わせながら沙也加さんとの思い出を振り返り、『私は沙也加の歌声が大好きでした。今も沙也加の歌声は私の心の中に響いています』と語っていました。その後、’11年の『NHK紅白歌合戦』で母娘共演した際に歌った曲、坂本九さんの『上を向いて歩こう』を涙ながらに歌い上げました」(ディナーショーを訪れた客)ディナーショーを終えると、6月からは全国ツアーも予定されている。「3月に配布されたファンクラブの会報で、聖子さんは『これからは沙也加と一緒に歌っていきたい』と明かしていました。ツアーでは’11年のカウントダウンライブでデュエットした『瑠璃色の地球』や、『冬の妖精』を歌う構想があるといいます。また沙也加さんがデビュー前に作詞した『恋はいつでも95点』や、沙也加さんが作詞に加えて作曲も担当した’06年の『bless you』なども候補に挙がっているようです」(前出・音楽関係者)愛娘との思い出とともに再び歌手として歩み始めた聖子。ファン待望の計画も進んでいるという。「年末には毎年恒例のディナーショーを開催する方向で調整が進んでいます。さらにこのディナーショーに向けて聖子さんは新曲を準備するつもりだとか。自身が作詞・作曲を手がける予定でいるそうです」(前出・音楽関係者)’80年にレコードデビューしてから、コンスタントにシングル曲を発表してきた聖子だが、’16年以降はリリースが途絶えていた。「聖子さんはすでに曲作りに着手していると聞いています。沙也加さんに対する思いや、母娘の思い出などを歌詞に込めた作品になるといいます。同時に6年ぶりのシングルとして発表することも検討を重ねているそうです。ディナーショーが行われるのはちょうど沙也加さんの一周忌の時期になるはず。ファンクラブの会報には、『沙也加は私が前に進むことを望んでいると思う』と聖子さんは綴っていただけに、前に進んだ自分の姿を見せたいという思いもあるのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)愛娘との“歌姫の契り”に突き動かされ新曲制作を決意した聖子。彼女が沙也加さんに向けた曲を作るのは今回が初めてではない。’97年に娘への思いを込めたシングル『私だけの天使~Angel~』を作詞・作曲している。もし、新曲が誕生すれば、25年ぶりのこととなる。「『私だけの天使』は神田正輝さん(71)と離婚した3カ月後にリリースされた曲です。聖子さんは当時、自らのプライベートを明かすことはほとんどありませんでした。そんななか『私だけの天使』の歌詞には、家に帰ったらパジャマ姿の沙也加さんが笑顔で出迎えてくれたことや、疲れたときに肩をなでてくれたことが描写され、支えてくれる娘への感謝が歌われていました。娘を題材にした曲だと判明したときは熱心なファンから驚きの声が上がりました。聖子さんは神田さんと離婚したことで、相当なショックを受けたそうです。そんな聖子さんにとって、当時唯一の支えが沙也加さんでした。娘への思いを込めた歌を作ることで、離婚の傷心から癒されたといいます」(前出・音楽関係者)■去年のぶんも歌う…母娘思い出の紅白へ今回の沙也加さんにささげる新曲の制作は、今の聖子の心を救う“リハビリ”になっているのではと、前出の音楽関係者は言う。「聖子さんはディナーショーの本番直前に沙也加さんも使用していたスタジオを訪れました。思い出に触れることで、沙也加さんに力を借りようと思われたのでしょう。そんな聖子さんが今回、沙也加さんに贈る曲を作ることは、楽しかった日々をしのぶとともに、自分の考えや感情を整理することにつながると思います」愛娘への“鎮魂歌”の準備に励む聖子だが、その新曲をどうしても披露したいと望んでいる場所があるようだ。「昨年、出演できなかった『NHK紅白歌合戦』です。もろもろの調整もしつつ、ぎりぎりまで聖子さんが出場する方向で話が進んでいました。ですが、やはり気持ちの切り替えは難しく、最終的に聖子さん自身が歌えないと判断して辞退することになったのです。聖子さんはそのときに気持ちをくんで対応してくれたNHKに感謝しているそうです。『去年歌えなかったぶんも歌いたい』と今年の出場を熱望しているといいます」(NHK関係者)さらに、紅白は沙也加さんとのかけがえのない時間が詰まった大切なステージだ。’11年に紅白初出場にして母娘共演が決定した際のインタビューで沙也加さんは、「母は本当におめでとうと何度も言ってくれてハグしてくれた」と親子で喜びを分かち合ったことを明かしている。「’14年の紅白で沙也加さんが『Let It Go』を歌っているところを見て、聖子さんは号泣していました。そんな思い出が詰まった舞台にもう一度“ふたり”で立つことは、聖子さんにとっても意義深いものとなるはずです。還暦を迎えた節目の年ということもあって“大トリ”で出場する可能性も十分あると思います」(前出・NHK関係者)「沙也加へ届け」、その一心で聖子が歌う新曲なら、日本中の人々の心を震わせることだろう。
2022年04月26日女優の高田夏帆が2ndシングル『風の唄』を5月25日にリリースすることが決定した。現在放送中のNHK連続ドラマ小説『ちむどんどん』に主人公・比嘉暢子の友人役で出演している高田。約3年ぶりのシングルとなる今作の表題曲「風の唄」は、高田がMCを務めるTOKYO MX『音ボケPOPS』内の企画から生まれた楽曲で、彼女が大ファンである阿部真央が書き下ろした。阿部はレコーディングにも立ち会ったほか、歌詞とアレンジは本人同士でのディスカッションを重ねて制作された。またカップリングには、高田が初めて楽曲制作に参加したオリジナル曲「今日だけは思い出していい?」が収録される。■阿部真央 コメント高田夏帆さんに「風の唄」を提供させて頂きました阿部真央です。私は、出会った時から夏帆ちゃんの声と、歌い方と、強くて真っ直ぐな意志がとにかく大好きで、その魅力全てを美しく網羅できる曲を作りたくて、風の唄を書きました。夏帆ちゃんのボーカルによって完成した曲だと思っています。この歌が風のようにキラキラと、夏帆ちゃんの声によって軽やかに、多くの人の心に届きますように。夏帆ちゃん、素敵な曲にしてくれてありがとう!「風の唄」どうぞよろしくお願いします!■高田夏帆 コメント再び音楽をやらせてもらう事になりました。2ndシングルです。まだかまだかと自分が一番待っていたかもしれません。今、嬉しくてたまりません!さらに大好きな阿部真央さんが楽曲提供して下さったのです。私が恋した時、落ち込んだ時、前を向きたい時、そばに居てくれた音楽の主です。レコーディングを終え、もっと好きになって帰ってきました!風の唄は私と話して膨らんできたイメージで書いて下さったそうです。この曲に不思議と背中を押される毎日です。今度は私の番。皆さんにとって追い風になる唄になりますように。カップリング曲の「今日だけ思い出していい?」は作詞をしてみました。二曲とも今もこれからもずっと好きな唄です。リリースに向けて闘ってくれた仲間と一緒に歌い続けたいです!<リリース情報>高田夏帆 2ndシングル『風の唄』2022年5月25日(水) リリース●初回盤(CD+36Pフォトブックレット):1,980円(税込)高田夏帆『風の唄』初回盤ジャケット●通常盤(CDのみ):1,210円(税込)高田夏帆『風の唄』通常盤ジャケット【収録内容】※全形態共通M1. 風の唄M2. 今日だけは思い出していい?M3. 風の唄 instrumentalM4. 今日だけは思い出していい? instrumental関連リンクTwitter::
2022年04月25日2022年4月14日、モデルでタレントの滝沢カレンさんが自身のInstagramを更新。昭和の時代に流行した『聖子ちゃんカット』を披露し話題を呼んでいます。滝沢カレンの聖子ちゃんカットに「誰?」の声も『聖子ちゃんカット』とは、その名の通り、歌手の松田聖子さんがデビュー当時にしていた髪型のこと。松田さんの人気を表すかのように、当時の若い女性の間で『聖子ちゃんカット』が流行しました。滝沢さんは、雑誌の企画で『聖子ちゃんカット』をはじめ、さまざまなヘアスタイルを披露。地毛ではなくウィッグを使用した撮影だったとのことで「1日に数人の人生になれた気がします」とつづっています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 滝沢カレン/KAREN TAKIZAWA(@takizawakarenofficial)がシェアした投稿 人気モデルとしてさまざまな雑誌で活躍している滝沢さんですから、どんな髪型も似合ってしまうのは「さすが」のひと言。バラエティ番組での滝沢さんとは大きく異なる印象に、ファンからは「一瞬、誰なのかが分からなかった」と驚くコメントも寄せられました。・パッと見、誰か分かりませんでした!すごく素敵です。・髪型だけで、こんなに変わるのですね…。・聖子ちゃんカットの写真、どなたなのか識別できず思わず確認しました。独特ないい回しなど、少し不思議な日本語でタレントとしてもブレイクした滝沢さん。しかし、写真の中でさまざまな表情を見せる滝沢さんの姿は美しく、モデルであることを改めて実感させられます![文・構成/grape編集部]
2022年04月15日「チケットは発売と同時に即完売。落ち込んだ様子を見せることなく歌い上げた聖子さんに多くのファンが涙を流していました。聖子さんはMCで沙也加さんのことについて『今でも信じられない』と語りながらも『私は沙也加の歌声が大好きでした』と話す表情はとても穏やかでした」こう語るのは、4月9日に都内で行われたディナーショーの会場にいた長年の聖子ファン。松田聖子(60)が約4カ月ぶりにステージに戻ってきた。愛娘・神田沙也加さん(享年35)が昨年12月18日に急逝して以来、音楽活動から遠ざかっていた聖子だが、3月7日に歌手活動再開を発表。昨年末に中止したディナーショーの振替え公演を4月と5月に行い、6月からは5会場を回る全国ツアーも予定している。歌手復帰に際して、聖子は新たな決意を述べていた。「聖子さんは活動再開発表と同じタイミングに送付したファンクラブの会報誌で、沙也加さんへの思いを綴っています。そこでは、沙也加さんを失った行き場のない悲しみを吐露しつつも、“沙也加は心の中で永遠に生き続ける”と思い直し、再びステージに立つ覚悟を決めたことが書かれていました」(前出のファン)そうして迎えた復帰初舞台のディナーショー。聖子は入念な準備をして、臨んでいたという。「活動再開が決まってから聖子さんは気持ちを切り替え、ボイストレーニングなどを再開し、急ピッチで準備を進めていたといいます。ファンに少しでも楽しんでもらうため、ディナーショー直前には連日、ショーのスタッフを自宅に招き、綿密な打ち合わせを重ねていたそうです」(音楽関係者)本誌もディナーショーを成功させるべく奔走する聖子の姿を目撃している。本番数日前の4月上旬。聖子は自宅からほど近い都内の撮影スタジオAを訪れていた。「60年以上の歴史を持つ老舗スタジオです。スチールから動画まで幅広く対応しており、多くのアーティストから重宝されています。聖子さんもサンミュージックから独立した’89年ごろから現在まで愛用しており、神田正輝さん(71)との離婚発表会見もここで行っていました」(音楽関係者)このスタジオA、聖子にとってただの撮影場所ではない。沙也加さんとの“思い出”が詰まった大切な場所なのだ。長年、聖子を撮影してきたカメラマンのYAHIMONときはる氏は語る。「私がスタジオAで聖子さんと沙也加さんを見たのは、沙也加さんがSAYAKA名義で歌手デビューした’02年ごろでした。芸能界に入ったばかりの沙也加さんが、大先輩でもある聖子さんの仕事ぶりを見学しにきていたのだと思います。印象的だったのは、沙也加さんがスタジオで少しはしゃいだときに、聖子さんが“遊びじゃないんだから!”と注意したんです。その後、すぐ聖子さんは衣装を着て歌の撮影に入ったのですが、その様子を見た沙也加さんは小さな声で“カッコいい……”と漏らしていました。母として怒った後に“歌手”になった聖子さんを見て思わず口に出たのでしょう」その後もスタジオAでたびたび聖子と沙也加さんの姿を見たというYAHIMON氏。驚くことに、2人の間にですきま風が報じられていたときも、スタジオAで“秘密の交流”が続いていたという。「沙也加さんが結婚式を控えていた’17年5月初旬の話ですが、聖子さんがスタジオAでコンサートの準備をしていたところに、沙也加さんがフラッとやってきたのです。どうやら沙也加さんはお菓子の差し入れを持ってきていたようで、聖子さんは“うれしい!”と感激した様子でした。不仲がささやかれていた時期なので、2人の周囲から離れるスタッフもいましたが、聖子さんと沙也加さんは気にせず話していました」母娘の“思い出”がつまったスタジオをディナーショーの本番直前に訪れ、歌手として再始動した聖子。沙也加さんとの“約束”を果たすべく、前を向いているようだ。「6月からのツアーでは、沙也加さんとの思い出の楽曲を歌う予定でいるといいます。’11年末のカウントダウンライブで沙也加さんとデュエットした『瑠璃色の地球』や沙也加さんが13歳のときに作詞した『恋はいつでも95点』などが候補に入っているようです」(前出・音楽関係者)愛娘との思い出を胸に、聖子はふたたびステージに立つ――。
2022年04月12日松田聖子(60)が4月9日、ディナーショーで復活を果たした。昨年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35歳)を亡くした聖子。『日刊スポーツ』によると「これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌って参ります」と涙ながらに宣言し、’11年の『NHK紅白歌合戦』で沙也加さんとデュエットした『上を向いて歩こう』を熱唱したという。本誌は“歌手・松田聖子”が復活するまでの姿を目撃してきた。今年1月下旬、沙也加さんの四十九日を目前に控えた聖子は完全予約制の美容院に訪れていた。「沙也加さんが亡くなってから、聖子さんはふさぎがちになっていました。自宅から出ることはほとんどなく、沙也加さんの遺骨を眺めてばかりいたそうです。しばらく自分の身なりを気にする余裕もなかった聖子さんにとって、一つの“節目”を前に髪を切ることは大事な意味があったでしょう」(知人)1月30日には、沙也加さんの四十九日法要が営まれた。実母である一子さんや夫のK氏とともにワゴンから姿を現した聖子。うつむきながらも、落ち着いた足取りで寺へと向かっていった。「実はこのお寺、Kさん一族の菩提寺なんです。聖子さん一族の眠る福岡のお墓で法要を行うこともできたはずですが、新型コロナの感染が拡大するなか、親族一同で遠出するのはリスクが高い。聖子さんは『1人でも多くの親族に来てほしい』と考えていたため、最善の選択肢としてこのお寺を選んだのでしょう」(前出・知人)そして3月上旬、聖子は“思い出の地”を訪れていた。それは、老舗のデパートだ。「このデパートは聖子さんの自宅から近いこともあり、数十年にわたって贔屓にしているところ。コンサートのMCで『買い物するなら絶対ここ!』と公言するほどです。 そして沙也加さんが幼いころから、このデパートに2人でたびたび足を運んでいたと聞いています」(音楽関係者)沙也加さんとの縁も深いデパートで、しっかりとした足取りを見せていた聖子。活動再開を発表したのはその直後、3月7日のことだった。「ファンクラブの会報で聖子さんは『“もう前に進めない”と思ったこともあった。でも、沙也加との思い出を振り返るうちに、“悲しんでいるだけではいけない”と思うようになった』と明かしていました。前向きな決意をしたことで、ようやく今回のディナーショーは開催されたのです」(前出・音楽関係者)再び歌い始めた聖子。その美声を、沙也加さんも喜んでいるはずだ。
2022年04月11日2022年4月9日、歌手の松田聖子さんが、東京都内のホテルで、ディナーショーを開催しました。2021年12月18日に、娘であり、俳優や歌手として活躍していた神田沙也加さんが、35歳という若さで急逝。松田さんは、同月31日の歌番組『紅白歌合戦』(NHK)の出演を辞退し、自身の公演を中止するなど、活動休止状態が続いていました。約4か月ぶりの活動となる、ディナーショーの冒頭で、松田さんは沙也加さんについて、このように想いを語っています。ステージ序盤、「私の娘は天国に旅立ちました。突然のことで現実を受け止められず…今でも信じられない気持ちです」と報告。「沙也加は小さな頃から歌が大好きでした。おもちゃのマイクを持ち、私の『Rock’nRouge』を歌っていました。それが昨日のようです」と振り返った。サンケイスポーツーより引用その後、「私は沙也加の歌声が大好きでした。今も彼女の歌声は私の中に響いています」と、涙をこらえながら天井を見上げた、松田さん。続けて、「これからも皆さんの温かい応援を胸に、感謝の気持ちを忘れずに、この先もずっと頑張って…沙也加と歌ってまいります」と語りました。松田さんの言葉に、ファンからは約30秒間の温かい拍手が送られています。松田さんの活動復帰について、さまざまな声が上がりました。・心の傷は、ずっと癒えることはないのだろうと思います。それでも『松田聖子』として立ち上がる姿に涙が出ました。・深い悲しみの中、中止していたディナーショーから再開するところが、さすがプロだと思いました。ずっと応援しています。・親として、我が子を失うことほど、つらいものはない。心が壊れてしまわないよう、無理はしないでほしい。・まずは1歩を踏み出すことができたのですね。本当にすごいと思います。悲しみは尽きないけれど、前を向こうとする姿を応援したい。今後、2022年5月に大阪府のホテルでディナーショーを、また、同年6月からは全8公演の全国ツアーに臨む、松田さん。癒えることのない深い悲しみを抱きながらも、再出発した松田さんを、多くの人が応援しています。[文・構成/grape編集部]
2022年04月11日昼下がり、都心から少し離れた閑静な高級住宅街にある老舗デパートの地下駐車場に車が止まる。中から現れたのは松田聖子(60)。聖子はブラウンを基調としたチェック柄のコートに身を包み、化粧っ気はない。しかし、その表情はどこか決意に満ちた様子。そして、聖子はしっかりとした足取りで愛娘との思い出が詰まった“聖地”へと歩いていった――。神田沙也加さん(享年35)が突如、この世を去ってからまもなく3カ月。父の神田正輝(71)はMCを務める情報番組『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)への出演を休むことなく気丈に続け、2月5日にはファンが沙也加さんに追悼メッセージを送ることのできるウェブ上の専用ページが開設された。いっぽう聖子は昨年12月21日に札幌で行われた葬儀後に報道陣の前でコメントして以降、一切の芸能活動を休止。しかし、百日忌も迫る3月7日、ついに沈黙を破る。歌手活動を再開するのだ。「聖子さんは公式サイトで昨年12月に中止した東京と大阪でのディナーショーの振替公演を4月と5月に行うことを発表。8日には、6月から5会場で全国ツアーをスタートすることも明らかになりました」(芸能関係者)本誌は聖子が復帰するまでの一部始終を目撃している。1月30日に都内の寺院で営まれた沙也加さんの四十九日法要に聖子は実母の一子さんや神田らと参列。その数日前には、完全個室のサロンで髪を整えていた。そうした道程を経て、復帰を宣言した聖子。活動再開発表と同時に届きはじめたファンクラブの会報誌で、聖子は秘めていた胸中を明かしている。あるファンは言う。■「もう前に進めない…」「会報誌では4ページにわたって、沙也加さんを失ってからの聖子さんの生活や今の率直な気持ちがつづられています。聖子さんには沙也加さんがもういないことを今でも信じられないという気持ちがあり、“もう前に進めない”と思ったこともあったそうです。しかし、沙也加さんとの思い出を振り返っていくうちに、“私が悲しんでいるだけではいけない”と思うようになり、活動再開を決意したといいます。終盤では、ツアーでファンに会えることに対して“こんなにうれしいことはありません”とも書かれていました」長年にわたって聖子を取材し、会報誌も読んだという芸能リポーターの城下尊之さんは、聖子の気持ちをこう分析する。「聖子さんは声が出ないときは喉に直接注射を打ち、コンサート中に暴漢に襲われた後も休むことなくステージに立ち続け、どんな時でも『松田聖子』を完璧に表現してきました。そんな聖子さんでも、今回の沙也加さんの件で紅白出場を辞退し、活動も休止しました。ここ数年少し距離を置いて見守り続けてきたなかで、沙也加さんが亡くなってしまったことは、さすがの聖子さんにも耐えきれず、前を向くまでにこれだけの時間を要したのでしょう」今も深い喪失感を抱えながらふたたび歩き始めた聖子。そんななか、冒頭のシーンを目撃したのは、活動再開を発表する直前の3月上旬の週末。聖子が訪れた老舗デパートは、彼女の芸能生活には欠かせない大切な場所だという。「自宅から近いこともあって、数十年にわたって贔屓にしているデパートで、聖子さんもコンサートのMCで『買い物するなら絶対ここ!』と公言するほど。常に注目を集める聖子さんにとって、ここでの買い物は数少ないリフレッシュできる時間で、行き詰まったときにもよく訪れていたそうです」(前出・芸能関係者)そして、幼い沙也加さんを連れていくこともしばしばあったと、前出の城下さんは言う。「聖子さんは沙也加さんが幼いころからよく2人でこのデパートに行っていたと聞いています。当時、多忙を極めていた聖子さんですが、沙也加さんと買い物している間は、貴重な母娘2人だけの時間だったのではないでしょうか」■「これからは沙也加と一緒に歌っていく」活動再開宣言の直前に思い出が詰まった“母娘の聖地”を訪れた聖子。当時の記憶をたどることに“再出発の誓い”が込められていると、音楽関係者は言う。「会報誌には、歌手としての沙也加さんへの気持ちも書かれています。聖子さんも沙也加さんの透き通ったまっすぐな歌声が大好きだったと明かし、志半ばで歌手活動を終えた沙也加さんの無念に思いをはせています。そして、続ける形で聖子さんは“これからは沙也加と一緒に歌っていく”とつづっていました。活動再開を決断したものの、まだまだ聖子さんの悲しみは癒えておらず、以前と同じように歌えるのかという不安もあると思います。そんななか、発表直前に沙也加さんとかけがえのない時間を過ごしたデパートに行き、在りし日の思い出に触れることで、自らの気持ちを整理していたのではないでしょうか」東日本大震災が起こった’11年の『NHK紅白歌合戦』に沙也加さんと出演し、2人で坂本九さんの『上を向いて歩こう』を披露した聖子。前出の音楽関係者はふたたびの“母娘共演”にこう期待を寄せる。「聖子さんは紅白での共演をとても喜んでおり、またいつか2人で一緒に歌いたいとずっと願っていたといいます。2人でステージに立つことはもうできませんが、今後、聖子さんが沙也加さんの歌っていた曲を自身のコンサートで歌うこともあるのではないでしょうか」思い出のデパートで母娘の永遠の絆を再確認し、ステージに上がる決意を新たにした聖子。10日に還暦を迎え、まさにメモリアルツアーとなる。沙也加さんの思いを乗せた歌声が響き渡る日はすぐそこだ――。
2022年03月16日