第2子の出産エピソードです。コロナ禍での出産だったため、立ち会い出産はできないと言われていました。そこで、生まれる瞬間を見せてあげられない代わりに、産声だけは録音したいと希望を伝えていたのですが……。思ってもいない展開となったのです。バースプランでは産声の録音を希望今回の出産はコロナ禍ということで、立ち会い出産はできないと産院から言われていました。そこで、バースプランには「できれば赤ちゃんの産声だけでも録りたい」と希望を伝えました。 助産師さんからは、「昼間の出産や人手が足りている時間帯なら、看護師にスマホを渡したら録画してくれるかもしれないけど、夜の出産だと難しいかもしれない」とのこと。なので、昼間の出産で運がよければ録音できるかな……程度に思っていました。 深夜の出産で録音はあきらめかけて…出産予定日の前日、夜の11時ごろにおなかが痛くなってきました。陣痛カウンターで確認すると6分間隔で陣痛が! 産院へ連絡をしてすぐにタクシーで向かいました。 診てもらうと、子宮口6cm。診察台から分娩台へ移動することになりました。夜中ということもあり、分娩台で横になっている私の様子を数十分おきに見にきてくれるのは、助産師さん1人と看護師さん1人でした。「人少なそうだし、産声を録音するのは無理そうだな……」とぼんやり考えながら、腰をさすって過ごしていました。 いきんでいると助産師さんが!?時間が進むにつれて、どんどん陣痛が痛くなり、午前3時ごろ、ついに出産の時がやってきました! 助産師さんの声に合わせて、いきんではまた力を抜いてを何度も繰り返し、途中で破水もしながら、陣痛と共に徐々に誕生の瞬間が近づいてきました。 助産師さんに「赤ちゃんの頭もう見えてきてるよ!」 と言われて、「あぁ、もうすぐ生まれるんだ。夫にも息子にも生まれる瞬間を見せてあげられなかったな。録音もできなかったな」と、頭の隅でぼんやり考えながら、次の陣痛でいきむと、助産師さんに「赤ちゃんの頭出た! もうすぐ産声あげるから! 録画用意 !!」と言われ、「えっ?! 録画用意?」と私は混乱と驚きで固まってしまいました。助産師さんにもう一度「もうすぐ産声あげるから、スマホ起動させて動画の用意!」と言われて、私は慌ててテーブルに置いていたスマホを起動して、自分の下半身にカメラを向けました。 出産の瞬間をスマホで自撮り!次の陣痛でいきむと、赤ちゃんが出てくる姿がスマホの画面を通してハッキリと見えました! そして元気な「おぎゃー、おぎゃー」という産声も! 助産師さんはテキパキと赤ちゃんの体を拭きながら、「希望通り赤ちゃんの産声録れてよかったね」と、マスク越しでもわかる笑顔で話しかけてくれました。 希望通りなのかは少し疑問でしたが、たしかに無事に赤ちゃんの産声は動画付きで撮ることができました。まさか出産シーンを自撮りすることになるとは思ってもみなかったので驚きです。1人目のときは、30時間を越える分娩で記憶も途切れ途切れでしたが、今回は陣痛から6時間ほどと安産だったこともあり、そのあとは胎盤を見せてもらったり、赤ちゃんが入っていた卵膜の破れた部分を説明してもらったりと、イベント盛りだくさんの出産になりました! その後、落ち着いてから録画を見てみると、産声はちゃんと撮れていました。ただ、赤ちゃんの声より大きい私の叫び声もバッチリ撮れていました(笑)。 無我夢中で撮りましたが、恥ずかしくて将来、子どもに見せられるかなぁ……と悩ましい動画となったのでした。 1回目の長男のときとはまったく違う体験をして、出産は1人ひとりまったく違うんだなと身をもって感じました。今回、出産しながら自分で動画を撮れたことで、何だか少し母としてたくましくなれたような気がします。とても良い経験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:かずママ手のかかるわんぱくな3歳と抱っこ大好き0歳の2児の母。現在は産休中。 監修者:医師 おおたレディースクリニック院長 太田 篤之 先生
2024年02月15日現在6歳の長男が2歳半のころに2人目の妊娠が判明しました。2人目はもう少しあとでも良いと思っていた私は心の準備ができていませんでした。妊娠中は自分が思うように動けず、長男にキツく当たってしまうことが増えてしまいました。長男は怒られてもケロッとしているため、長男の気持ちをあまり考えていなかった私。しかし、出産を終えて退院したとき、ようやく長男の気持ちに気がつきました……。思うように育児ができず苛立つ毎日妊娠4カ月ごろからつわりが始まりました。1日中体調が悪く、寝込んでしまう日が多くありました。長男はまだ未就園児で毎日家にいたため、2人きりで過ごすときはテレビを見せ続けてしまうことも。 長男に「遊んで」と言われても相手をしてあげられない私。これではいけないとわかっているのにどうすることもできない状況に、イライラしてしまいました。そしてその苛立ちが長男に向かってしまうことも……。妊娠前には感じることのなかったイライラや気分の落ち込みに自分自身でも戸惑ってしまいました。 妊娠と長男のイヤイヤ期が重なって……当時長男はイヤイヤ期真っ最中。抱っこをせがまれることが多かったのですが、「おなかに赤ちゃんがいるからできないよ!」と強く言ってしまうことがありました。また、おなかめがけて飛びついてくる長男を叱ることもありました。私は申し訳ない気持ちがありながらも、自分に余裕がなかったのでやさしく伝えることができなかったのです。 長男は泣いたりいじけたりすることなく、怒られてもケロっとしていたので、私は長男の気持ちを考えずに強く言ってしまうことが増えていきました。 2人目を出産。退院後、長男の元へ向かうと出産による入院中の7日間、長男は夫や私の両親と過ごすことに。長男はママに会いたいと泣くことはほとんどなかったようで、面会で私に会いにきた帰り際もニコニコしていました。出産を終えた私は退院してすぐに実家で待っていた長男の元へ向かいました。そして、遊んでいた長男に「ただいま、よく頑張ったね」と伝えました。 すると、長男は急に泣き出してしまったのです。それを見て私も思わず長男を抱きしめて泣いてしまいました。そしてこのとき初めて私は、長男にたくさんの我慢やつらい思いをさせてしまっていたことに気づいたのでした。 妊娠中や入院の間、長男が不満を言ったり泣いたりすることがほとんどなかったので、私は勝手に長男はつらくないんだと思い込んでしまっていたのです。でも退院後の長男の涙を見て、ずっとつらい思いを我慢していたことに気づき、深く反省しました。おしゃべりができても自分の思いを言葉にするのは子どもにとって難しいことだと思います。しっかりと親が汲み取って理解してあげなくてはいけないなと思いました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:水沢 雫6歳男の子と3歳女の子の2児の母で、夜勤ありの夫と4人暮らし。アパレル販売員の経験があり、ファッションやショッピングが趣味。
2024年02月14日kikiさんが妊活を始めたのは、夫・てんさんと結婚して4年が経ったころ。しかしなかなか妊娠せず、不妊治療専門のクリニックでさまざまな検査を受けましたが、不妊の原因はわかりませんでした。妊活は人工授精へステップアップ。2回の人工授精をおこないましたが、残念ながら妊娠に至らずでーー。落ち込むkikiさんは、てんさんの顔を見た途端涙が溢れてしまいました。不安な思いを吐露するkikiさんを、てんさんはやさしく抱きしめるのでした。 不妊治療中、体に起きた異変とは ※誤:偏頭痛正:片頭痛 ※誤:顕微受精正:顕微授精 ※誤:人工受精正:人工授精 原因のわからない耳の不調のため、kikiさんは耳鼻科を受診しました。そこで出会ったのは、同じクリニックで不妊治療を受けていた看護師さん。 思わぬ場所で妊活の体験談を聞かせてもらえ、とてもうれしい気持ちになったのでした。 耳鼻科では「メンタルケアもしてくれる病院なのか?」と思うほど、話を聞いてくれたそうです。同じクリニックでの不妊治療を経験し2児のママになった人の存在は、とても心強く感じますね。 >>次の話 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター kiki
2024年02月13日コロナ禍で夫・進さんの立ち合いがない中、24歳で初めての妊娠・出産に挑んだまほさん。これは、出産のときに起きた思わぬ事件のお話です。出産時、自分の体から聞こえた聞きなれない音に違和感を持つものの、痛みもなくただ喜びに包まれていたまほさん。しかし病室へ移動することになり、車椅子に乗り換えた瞬間、体を激痛が襲います。寝食もままならないほどの痛みに骨盤ベルトをつけますが、痛みは一向に回復しません。退院後も続く痛みに、整形外科を受診したまほさん。そこで衝撃の事実を知ったのでした。医師から尾てい骨を骨折しているとを告げられたまほさん。自然治癒を待つしかないと言われます。さらに衝撃だったのが……? 産後の骨折、地獄すぎる…! ※登場人物のマスクは省略しています。 産後まだ1週間足らずで母乳育児中ということもあり、湿布や痛み止めも使えないという状況に絶望するまほさん。それでも毎日の育児は続き、痛みも約1年続きました。娘が2歳になったことで夫と第2子について相談することもありますが、まほさんは出産そのものよりも、再び骨折する可能性を考えてしまうと恐ろしく、未だ悩んでいるそうです。 自然治癒を待つしかない状態で痛み止めも使えないとなると、やはりつらいですよね。それに加えて初めての育児でこれまでの生活とは大きく状況が変わっているため、想像以上に大変だったでしょう……。まほさんのように、出産時にまさかのトラブルが起こる場合もあると思うので、「これは大丈夫なの?」と何か不安があれば、助産師さんや医師に相談してみても良いかもしれませんね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月13日コロナ禍で夫・進さんの立ち合いがない中、24歳で初めての妊娠・出産に挑んだまほさん。これは、出産のときに起きた思わぬ事件のお話です。8時間陣痛の痛みに耐え続けたまほさんは、子宮口が全開大になったことでようやく分娩台へ!30分後、無事赤ちゃんが生まれました。出産時、自分の体から聞こえた聞きなれない音に違和感を持つものの、痛みもなくただ喜びに包まれていたまほさん。しかし病室へ移動することになり、車椅子に乗り換えた瞬間、体を激痛が襲います。寝食もままならないほどの痛みに骨盤ベルトをつけるものの、痛みは一向に回復しません。退院後も痛みは続き、ついに1週間が経とうとしていました。 嘘でしょ…こんなことってある? ※登場人物のマスクは省略しています。 あまりに長引く痛みに、ついに整形外科を受診したまほさん。レントゲン検査と診察の結果、痛みの原因は尾てい骨が骨折していることだと判明しました。そして、まほさんは、医師から「自然に治るのを待つしかなく、後遺症が残って痛みが消えない場合もある」という衝撃の話を突きつけられてしまったのでした。 出産時に聞こえたあの音は、尾てい骨が骨折する音だったようですね……。まさかそんなところが折れているとは、まほさんも思っていなかったのではないでしょうか。どうかまほさんの痛みがこれ以上強くならないことを祈るばかりです。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月12日妊娠をきっかけに、夫・進さんと結婚した田中まほさん。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週のころ、ついに陣痛が!夫に送ってもらい訪れた病院では、診察の結果すぐに入院が決まりました。コロナ禍のためひとりで出産に挑むまほさん。8時間痛みに耐え続け、子宮口が全開大になったことでようやく分娩台へ! 30分後、無事赤ちゃんが生まれました。出産時に自分の体から聞こえた聞きなれない音に違和感を持つものの、痛みもなくただ喜びに包まれていたまほさん。しかし病室へ移動することになり、車椅子に乗り換えた瞬間、体を激痛が襲います。分娩台から車椅子へ移り、腰を下ろそうとしたまほさん。しかし、そのとき信じられない痛みが駆け抜けて……? わかるよ、ママも泣きたいよ! ※登場人物のマスクは省略しています。 おしりの痛みは陣痛や会陰切開よりも痛く感じ、まほさんは「痛い……」と言い続けることしかできず……。病室へ移動後も、どんな体勢になっても痛みを感じて眠れず、ごはんを食べることさえできません。助産師さんから骨盤ベルトの装着をすすめられて過ごすものの、一向におさまらない痛み。その痛みは退院したあとも続き、痛みと闘いながら初めての育児がスタートしたのでした。 陣痛や会陰切開よりも強い痛みが、退院後にも続くという状況。想像するだけで地獄のような時間ですね。最悪のコンディションで始まる初めての育児……。前途多難な幕開けですが、痛みと育児の忙しさが相まってまほさんが心身ともに疲労困憊とならないでほしいところです。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月11日結婚を機に仕事を辞めた私。亭主関白な夫は「専業主婦ごときが俺に指図をするな」「俺に逆らったら離婚だ」と、妊娠中の私をいたわることもありません。さらに、義母もそんな夫の味方で、一緒になって私をなじる始末。そんなつらい日々を過ごしている中で、夫の浮気が発覚したのです――。近頃は「実家に泊まる」と言って、夫はなかなか家に帰ってきません。しかし、義母によると、夫はごはんだけ食べて帰ったとのこと。もしかして……と思った私に、義母は「かわいいい彼女の家にでも行ったのかしらね」「出来損ないの嫁を持ってしまったんだもの、浮気のひとつやふたつしたくなるわよね」と不安を煽るようなことを言い出したのです――。 浮気されて当然!?結婚前から、私のことを良く思っていなかったらしい義母。おなかの子が女の子だとわかると、さらにあたりは強くなりました。 「家にいても役立たずなんだし、里帰りでもしたらどうかしら」「あら、私としたことが!ご実家のお父さんは入院中だものね、里帰りなんてできる状況じゃなかったわね~」「あなたがいなくなれば息子も堂々と浮気できるだろうに……」 母親自ら息子の浮気環境を整えようとするなんて……。この母親にして、あの息子ありだと思ってしまいました。 見つけた浮気の証拠…3時間後――。 不安になった私は、こっそり夫の書斎を調べました。すると出るわ出るわ、浮気の証拠が。浮気相手は会社の後輩のようです。 珍しく早く帰ってきた夫に、私は浮気について問いただしました。「つわりだとか言って、家事もまともにできない嫁にはうんざりなんだよ!」「俺が浮気をする羽目になったのはお前のせいだ!」と開き直る始末。 「専業主婦の分際で旦那様に生意気な態度を取るとは馬鹿な女め」「俺と離婚したらホームレス確定だぞ」「もう離婚してますけど?」「は?」 毎日のように「俺に逆らったら離婚だ」と言われていた私。時には記入済みの離婚届を投げつけられて「サインして出しておけ」と命じられたこともありました。 そこで、私は元夫の命令通り、その離婚届を役所に出してきたのです。義母からも「あなた以外のお嫁さんがほしいから離婚しろ」と常日頃から言われていましたし。 「お前は専業主婦なんだぞ!?俺がいないと生活できないだろ!」と途端に焦り出した元夫に、私は淡々と「慰謝料と財産分与で当分の生活費はなんとかなるし、その後も養育費はしっかり払ってもらいますから」と告げました。 「離婚するなんて言うなよ!俺、ちゃんと子どものこと楽しみにしているんだ」「おなかの子どものためにも離婚はよくないよ」と急にしおらしくなった元夫。しかし、今の環境で子育てする方が子どもにはよくないでしょう。 事情を知った義母は翌日――。 元夫から事情を聞いたらしい義母から、怒りの電話がかかってきました。 「あなたのわがままでうちの息子を振り回すなんて!あなたには1円たりとも払いませんからね!」とたいそうお怒りの義母。しかし、覚悟を決めた私はもう何も怖くありませんでした。 「じゃあ、お義母さんの暮らしている家、売りに出しましょうか!」 義父が亡くなったときに、「どうせ譲るから」と家の名義を元夫に変更した義母。しかし、相続手続きが面倒になった元夫は、私に名義を変更し、すべての手続きを丸投げしたのです。 「ホームレスになりたくなかったら、慰謝料と養育費をちゃんと払ってくださーい!」とだけ言って、私は電話を切りました。 その後――。 闘病生活を乗り越えて退院した父が身重の私に代わって、元夫から慰謝料と養育費をしっかり回収。まとまったお金を手に入れた私は、実家に戻って無事に出産しました。強面の父も、今ではやさしいおじいちゃんです。しばらくは両親の助けを借りながらですが、この子を立派に育てられるようがんばります! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月10日コロナ禍で夫・進さんの立ち合いがない中、24歳で初めての妊娠・出産に挑んだまほさん。これは、出産のときに起きた思わぬ事件のお話です。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週、ついに陣痛が! 夫に送ってもらい訪れた病院では、診察の結果すぐに入院が決まりました。コロナ禍のためひとりで出産に挑むまほさん。8時間痛みに耐え続け、子宮口が全開大になったことでようやく分娩台へ! 先生と助産師さんからOKが出るまで30分ほど待った末、やっといきめることになりました。いきむ許可が出たため、勢いよく力を込めていきんだまほさん。赤ちゃんが生まれたと同時にポキッと変な音がしたのですが……? な、何!? ※登場人物のマスクは省略しています。 聞こえた音が気になるものの、体に痛みは感じないうえに、赤ちゃんが生まれた感動に包まれていたまほさんは、特に気に留めませんでした。そして分娩台で少し休む間、夫や両親へ無事出産を終えたことを連絡します。出産の大変さをひしひしと感じていると、病室へ戻る指示が。産後すぐは歩けないだろうと車椅子を用意され、分娩台から乗り換えた瞬間、とんでもない痛みが駆け抜けたのでした。 出産中に聞こえた音が異常なものなのか、それとも出産時によく聞こえるものなのかは、出産が初めてのまほさんには判断が難しいですよね……。このときのまほさんは、まさかこのあと激痛を感じるとは思っていなかったでしょう。まほさんを襲った激痛の正体が、せめてすぐに解消できるようなものであることを願うばかりです。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月10日コロナ禍で夫・進さんの立ち合いがない中、24歳で初めての妊娠・出産に挑んだまほさん。これは、出産のときに起きた思わぬ事件のお話です。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週、ついに陣痛が! 夫に送ってもらい訪れた病院では、診察のあとすぐに入院が決まりました。コロナ禍のためひとりで出産に挑むまほさん。助産師さんに励まされながら8時間痛みに耐えると、ついに分娩台へ促されて……?子宮口が全開大になり、いよいよ出産本番! まほさんは手すりを伝ってなんとか自力で分娩室へ移動します。 ま、まだ生まれないの…!? ※登場人物のマスクは省略しています。 子宮口は全開大で、赤ちゃんの頭が出てきているという声をまほさんは耳にするものの、先生と助産師さんがOKを出すまでいきむのは待たなければいけません。まほさんがもう耐えるのは無理だと思ったとき、ようやく出された許可。勢いよく力を込めて「ふんっ!!」といきむと、ポキッという聞きなれない音とともに、無事かわいい赤ちゃんが生まれたのでした。 分娩台へ向かってからも30分耐え続けたまほさん。無事に出産を終えられ、本当によかったですね。かわいい赤ちゃんと夫、そしてまほさんの新しい生活が幸せにあふれていることを願うばかりです。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月09日コロナ禍で夫・進さんの立ち合いがない中、24歳で初めての妊娠・出産に挑んだまほさん。これは、出産のときに起きた思わぬ事件のお話です。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週、ついに陣痛が! コロナ禍のため、病院まで送ってくれた夫には車で待機してもらい、受付を済ませたまほさん。緊張しながら診察へ向かいました。今の陣痛は10分間隔。子宮口の開きを確認してもらう間、ドキドキしているまほさんでしたが……? 出産本番まであとどれくらいかかるの!? ※登場人物のマスクは省略しています。 子宮口も無事に開いてきており、出産するため入院が決まったまほさん。しかしコロナ禍で家族の付き添いや出産の立ち合いはできないため、まほさんは準備していた入院グッズを夫から受け取ると、頑張れ!と励まされながら別れました。着替えを済ませ、必死に痛みに耐えるまほさん……。出産本番の時をまだかまだかと待ちわびていましたが、そうしているうちに気付けば病院に来てから8時間が経過。子宮口が全開になったと告げられやっと分娩台へ促されたときには、思わず歓喜の涙を流したのでした。 陣痛が来たからといって、すぐに分娩台へ上がって出産というわけにはいかないのがもどかしいところ。思い返せばあっという間に感じるのかもしれませんが、8時間もどんどん強くなる痛みを耐え続けるのは苦しいものです。終わりが見えてきたと思うと、涙も流れてしまいますよね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月08日私が妊娠悪阻(にんしんおそ)で入院していたときのこと。お母さんになったばかりの同室の方と仲良くなりました。その方が私にかけてくれた言葉が、純粋に心に響いたことをお話しします。 元気に生まれるのは当たり前じゃない…私は妊娠悪阻で24時間点滴をするために4日間入院していました。入院初日、向かいのベッドのほうから聞こえるうめき声が気になり、「大丈夫ですか?」と声をかけたことをきっかけにお向かいの方と仲良くなりました。 お向かいの方は前日の夜に帝王切開で出産したばかりで傷がとても痛むようでしたが、自分のことより、出産直後に呼吸状態が悪くなって今も保育器に入っている赤ちゃんのことが心配だと話してくれました。 「呼吸状態が落ち着いたら、看護師さんが連れてきてくれるって言っていたので、まだなんでしょうね……。早く会いたい!」。このとき、私は本当に赤ちゃんが元気に生まれてくることは当たり前ではないと痛感しつつ、赤ちゃんが早く元気になってくれることを心から願いました。 心に響いた励ましの言葉私が退院する前夜、お向かいの方の元へやっと赤ちゃんが! その方が本当にうれしそうに赤ちゃんを抱っこしている姿をみて、私も自然と笑顔になったことを覚えています。 私の退院の日、お向かいの方へあいさつに行くと、「つわりも出産後も大変だったけど、赤ちゃんの姿を見たら本当に幸せ! つらいことも多いけど頑張ってね」と励ましてくれました。この「頑張ってね」という言葉は純粋に心に響いて、私の気持ちが前向きになりました。 赤ちゃんが元気に生まれて当たり前ではないことは理解していたつもりですが、実際に目の当たりにして改めて痛感……。自分より大変な思いをしている方からの励ましは、本当に強い気持ちになり、私も頑張ろうと思いました。そして、私もこの方のように人を励ますことができるようになりたいと思った体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:下川 美悠イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2024年02月08日コロナ禍で夫・進さんの立ち合いがない中、24歳で初めての妊娠・出産に挑んだまほさん。これは、出産のときに起きた思わぬ事件のお話です。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週、ついに陣痛が!夫に車で病院まで送ってもらう道中、どうしてもファストフード店のポテトが食べたくなったまほさんは……?夫に心配される中、念願のポテトをほおばりながら病院へ送ってもらうまほさん。実はポテトを食べるのには、まほさんなりの理由がありました。 ついに出産本番らしくなってきた! ※登場人物のマスクは省略しています。ポテトを食べながら、陣痛が来てもすぐ出産本番になるとは限らないと夫に話すまほさん。 当時はコロナ禍。夫には車で待っていてもらい、まほさんは受付を済ませます。診察の結果、すでに子宮口は5cm! 出産するために入院することが決まったのでした。 ついに入院が決まったまほさん。コロナ禍では診察や出産に付き添いができない病院も多く、孤独な闘いに臨んだ方もいるのではないでしょうか。ひとりでは不安が大きいかもしれませんが、きっと車で待機している夫も不安なはず。しかし、家族が無事を祈ってくれていると思うと、力が湧いてきますね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月07日この記事では、2024年1月に妊娠・出産を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。安めぐみさん、北川景子さんなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。俳優・タレントなど、13名の出産のニュースをお届けします。 出産発表藤岡麻美(41歳)俳優・シンガーソングライター 妊娠発表:2023年9月6日(3人目) 出産発表:2024年1月2日(女児) ブログ・SNS:藤岡麻美オフィシャルブログ吉川莉早(38歳)俳優 ※夫は小澤慎一朗(35歳)元お笑いコンビ・ピスタチオ 妊娠発表:2023年10月8日(2人目) 出産日:2024年1月5日(女児・2,880g) ブログ・SNS:Instagram(@liisakawa)永島優美(32歳)フジテレビアナウンサー 妊娠発表:2023年7月20日(1人目)出産発表:2024年1月12日ブログ・SNS:Instagram(@yuumi_nagashima)ハードキャッスル エリザベス(31歳)フリーアナウンサー 出産発表:2024年1月21日(1人目) ブログ・SNS:Instagram(@elizabeth_hc49)安めぐみ(42歳)タレント ※夫は東 貴博(54歳)お笑い芸人妊娠発表:2023年9月1日(2人目)出産日:2024年1月23日(女児)ブログ・SNS:安めぐみオフィシャルブログ大空直美(34歳)声優出産発表:2024年1月27日(1人目)ブログ・SNS:X(@osorasan703)中村有沙(31歳)俳優 ※夫は布川隼汰(31歳)俳優・布川敏和の長男出産発表:2024年1月27日(1人目・男児)ブログ・SNS:Instagram(@arisanakamura0127)浜田翔子(38歳)タレント ※夫はカブキン(39歳)YouTuber妊娠発表:2023年7月31日(2人目)出産発表:2024年1月29日(男児)ブログ・SNS:浜田翔子オフィシャルブログ北川景子(37歳)俳優 ※夫はDAIGO(45歳)ミュージシャン・タレント妊娠発表:2023年9月25日(2人目)出産発表:2024年1月31日(男児)ブログ・SNS:公式サイトパパになった芸能人・有名人酒井健太(40歳)お笑いコンビ・アルコ&ピース出産発表:2024年1月1日(2人目・出産日は2023年12月28日)ブログ・SNS:Instagram(@kenta_sakai)伊藤智博(44歳)お笑いコンビ・LLR出産日:2024年1月4日(1人目・女児)ブログ・SNS:Instagram(@itotomohirollr)鈴木Q太郎(49歳)お笑いコンビ・ハイキングウォーキング出産発表:2024年1月4日(2人目・男児・3,578g)ブログ・SNS:X(@suzukiQtaro)じゅんいちダビッドソン(48歳)お笑い芸人出産発表:2024年1月29日(2人目・男児)ブログ・SNS:Instagram(@0204junich_davidson_official)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2024年02月04日現在第2子妊娠中、3歳の長女を育てています。私がまだ長女を妊娠していたとき、買い物に行ったスーパーで店員さんから信じられないような言葉の数々をかけられ、非常に不快な気持ちになった体験談をご紹介します。 スーパーの店員さん突然の「横綱」発言臨月にスーパーへ買い物に行ったときのことです。その日はいつもと変わらず買い物をしていました。私がいろいろと見て回っていると、急に「おう! 横綱!!」と大声で話しかけられました。お客さんもまばらなのですぐに私にかけられた声だと気づき、「は!?」と思って驚いて振り返ると、鮮魚コーナーで働いているおじさんがニコニコして近づいてきます。 このときは突然のことで、まだ私にかけられた「横綱」という言葉を飲み込めずにいました。少しして臨月の自分が「横綱」などと言われて、不愉快な気持ちがこみ上げてきました。 続く失礼すぎる言葉の数々この店員さんはこれまでも買い物のときに数回話をしたことがありますが、そのときは気さくな店員さんだという印象でした。しかしその程度で、いきなり横綱と言われて笑えるほど親しくはありません。そこであいまいに会釈だけしてその場を立ち去ろうとしたのですが、その店員さんがなぜかついてきます。 しかもこの店員さんの言葉はこれだけで終わりませんでした。黙っている私に「でかっちり(尻)は安産っていうからよかったなぁ!」「何食べたらそんなでかくなるんだ!」。そう言ってバンッと私のおなかを叩きました。 その場を去るも嫌な気持ちにこれには私も驚き過ぎてその場で絶句してしまいました。一方それで満足したのか「じゃあなぁ」と言って店員さんは去っていき、私は怖くなって買い物もそこそこにスーパーをあとにし、それからこのスーパーには行かなくなりました。 普段から気さくに話しかけてくる人なので、店員さんにとってはいつものコミュニケーションのつもりだったのかもしれません。確かに私は臨月でおなかは出ていましたが、体型のことを言われるのはかなり不快でした。ましてや赤ちゃんのいるおなかを叩くなんてもってのほかだと思い、しばらくは嫌な気持ちでいっぱいでした。 妊娠中といういろいろなことに繊細になっている時期で、かなり傷つく体験でした。この経験から、私は夫や実父などに「妊婦さんに対してでも体型のことを言ったら不愉快だからね!」と伝えています。もちろん私自身も親しい友人でも妊婦さんの体型のことは言わないようになりました。 著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2024年02月02日私は今日で退職します。もうすぐ赤ちゃんが生まれるのです。仕事を辞めるのは少し寂しいけれど、子育てに専念する新しい生活も楽しみにしています。夫は最近、残業が多くて……。家には寝に帰ってくるような状態です。この1週間まともに話していませんし、夫の顔色がすぐれないので心配しています。 繁忙期はもうすぐ終わると夫は言いますが、以前は残業がこんなに続くことはなかったように思います。体調を気遣って転職まで勧めてしまいましたが、ごちゃごちゃ言わないでほしいと強く言われてしまい……。そのときの夫の様子にすこしびっくりしました。 ありえない目撃情報に…ある日突然、妹からメッセージが入りました。「お姉ちゃん出産おめでとう!」「お義兄さん、赤ちゃんにデレデレだねー」妹が何を言っているのか、私にはさっぱりわかりませんでした。「え? 私まだ出産していないよ」「じゃああれ誰の子……?」 妹は、なんと夫が産院から出てくるのを見かけたというのです。そして、笑顔で赤ちゃんを抱きかかえてタクシーに乗り込んだ夫の姿を見た、見間違いではないと断言しました。 すると、その日のうちに私は破水し、病院へ行くことに。精神的なショックが引き金になったのか、予定日よりすこし早く娘は誕生しました。それ以降、私は家に帰っていません。離婚を希望し、夫には養育費をしっかり払ってもらいます。 ありえない!夫の秘密とは…なんと夫は部下と不倫し、妊娠させていたのでした。この半年近く妊婦の私を放置し、足繁く不倫相手の家へ通っていたようです。すべてが片付いたらきちんと話そうと思っていたと言いますが……、妹が無理やり携帯電話を取り上げてメッセージアプリを確認しなかったら、白状しなかったと思います。 不倫をしている時点でアウトですが、子どもを作っておいて隠し通せると思っていたのでしょうか。被害者ぶっているのも気に食わず、本気で軽蔑します。 いくら謝られても、私のほうが好きだと言われても、こんな人と一生を共にするのは絶対に無理です。離婚を拒む夫でしたが、周りはみんな私の味方。離婚は無事成立となりました。 元夫はその後…、そして私は…離婚が成立した後、元夫は不倫相手から再婚を求められたそうですが、断ったと聞きました。それを知った不倫相手の両親が激怒し、大いにもめたそうです。会社にも不倫のうわさが広がっているとのこと。 一方の私は、元夫と不倫相手に慰謝料を請求し、娘と新しい生活を始めました。生まれたばかりの娘には申し訳ないですが、これからは実家の両親、妹に協力してもらい、愛情をたっぷり注いで一生懸命育てたいと思います。 ◇ ◇ ◇ 生まれたばかりの子がいるなかで、離婚を決意するのは大変だったはず。元夫のことは忘れて心機一転、すっきりとした気持ちで子育てを楽しんでほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月31日アメリカで出産することになり、無痛分娩を選択した私。「痛くないってことだよね」とリラックスしていると、陣痛が来てからまさかの事態になり……!?こんなことってある!?妊娠した当時、夫がアメリカで仕事をしていたので、アメリカで出産することになりました。アメリカでは無痛分娩を選ぶ方が多いと聞いていたので、私は何の迷いもなく無痛分娩を選択します。 出産予定日になっても子宮口が開いてなかったので、予定を決めて入院することに。 まず相部屋に通され、そこでバルーンを入れて破水。すぐに陣痛が来ました。痛くなってきたので、すぐに麻酔をしてもらえると思っていたのですが、緊急で分娩台がうまって移動ができないとのこと。相部屋では無痛分娩の処置ができないらしく、「ここで産むことになったら自然分娩です」と言われました。私は、「嘘つきー! 無痛って言ってたでしょ! 分娩台が空いたか聞いてー!」としばらく夫に訴え続けていました。 その後、無事に分娩台に移動して無痛分娩で出産。私は無痛ということに安心して、陣痛がきたらどのように対処するのかなど調べていませんでした。予期せぬ事態になることもあるので、もしものときに対応できるように下調べをしておくことは重要だと学んだ出来事です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 作画/森田家 著者:ほしのチョコ
2024年01月31日私は半年前に結婚した兼業主婦です。夫はバーの店員をしているため、私たちの生活時間は異なりますが、幸せな日々を過ごしていました。ある日のこと、仕事に出かけたはずの夫が青ざめた顔ですぐに帰ってきました。理由を聞いてみると、「不倫相手に子どもができたんだ……」とのこと! 不倫したのは私のせい!?驚いた私は、いつから不倫していたのか聞いてみると、3カ月前だそう。しかも、不倫相手はバーの常連で、私の知人だったのです。 夫に不倫の原因を聞いてみると、「お前が仕事ばかりしているから……寂しくて。俺に全然かまってくれなかったじゃないか!」と。私は「子どもかよ……」と心底呆れてしまいました。 2人とも騙されていたなんてそれから数日後、夫と不倫相手に慰謝料を請求するために、3人で話し合うことにしました。すると、不倫相手が「人の男取るんじゃないわよ! 早く離婚しなさいよ!」と怒鳴ってきたのです。 人の男を取ったのは不倫相手だと思っていたのですが、不倫相手は夫から独身だと聞いていたようで、私が結婚していることを伝えると絶句していました。 不倫相手にいつから付き合っていたのか聞いてみたところ、なんと1年前からと言うのです。つまり、私にも嘘をついており、結婚前から2人同時に付き合っていたことが発覚。 悔しさのあまり、私はある作戦を実行することに。 私の作戦とは……次の日から、私は彼のことを一切責めず、彼にとにかくやさしく対応しました。その上、妊娠中の不倫相手を気遣い、彼女の家に行くことを許しました。夫は驚きながらも、私の懐の広さに感動している様子。 そして夫の好物の料理を毎日作り、「今日も作りすぎちゃって。せっかく作ったのに捨てるのはもったいないから、帰って来てくれたら嬉しいな……」と健気に連絡。そんなことを続けていると、夫は不倫相手に「いつになったら離婚するの!?」と問い詰められるように。 会うたびに「離婚しろ!」と怒鳴る不倫相手と、大好物を作って健気に待つやさしい私。夫はだんだん不倫相手の家へ行く頻度が減っていき、家へまっすぐ帰るようになってきました。 調子いいことばかり言う夫にこんな日々が続くうちに、夫と不倫相手の関係は悪化し、不倫相手は実家に帰ってしまったそう。すると、夫は「今までごめんな。ようやく目が覚めたよ! 俺にはお前しかいない!」と言い始めたのです。 2人が疎遠になったのを見計らって、私は夫に離婚届を突き付けました。「もうあんたに対してへの愛なんて、不倫が分かったときからとっくに冷めてるから」と言うと、夫は「え……嘘だろ!?」とショックを隠し切れない様子。 その後、私たちは離婚。元夫は私への慰謝料や、不倫相手への養育費の支払いなどで苦しい日々を過ごしているようです。 自分のことを構ってもらえないという理由で不倫し、相手を妊娠させるなんて自分のことしか考えていない証。夫婦であれば、お互いのことを思いやり、尊重できるような間柄でいたいものです。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月30日第二子を出産して退院した私。毎日のようにオンラインゲームをしている夫に思うところはありましたが、趣味の範囲だったのである程度は譲歩していました。出産してから数週間後、中学時代の親友が他界したという連絡を受け、私は子どもたちを夫に任せて単身で葬儀へ向かうことに。するとその晩、長女から「助けて」と連絡が入ったのです――。子どもたちの面倒を見ないわけではない、と前置きしながらも「少しくらいは……」「里帰りの方が良かったかな?」と言い出した夫。私が入院していた間はゲームをせず、長女の面倒を見てくれていたようですが……。 夫はゲーム好き長女を産んでから約9年。2人目の出産は思ったよりも大変で、なかなか体調も本調子に戻りませんでした。夫の態度でさらに不安を感じながらも、私は「ゲームをやめろとまでは言わないけど、しばらくは控えてね」と繰り返すのでした。 友人の訃報3週間後――。 その日、中学時代からの親友の訃報が届きました。お互い結婚して、遠く離れてしまいましたが、頻繁に連絡を取っている仲でした。 明日葬儀をするとのことで、私は単身で新幹線で向かうことに。葬儀後、一泊して帰ってくる予定です。 夫に事情を話すと、ちょうど休みだったこともあり、「子どもたちは任せろ」との頼もしい返事が。遠くに住む両親や義両親に頼むのは申し訳ないと思っていたので、少し安心しました。 そして、翌日――。 親友とのお別れをした私は1人ホテルに戻り、帰る準備を進めていました。時刻はもうすぐ23時。そろそろ寝ようと思ったその時、スマホの通知音が。 「ママ、助けて」「迷子になっちゃった」「夜中だよ?外に出てるの!?」「赤ちゃんが泣きやまないから、パパが外に連れてけって」 こんな夜中に小学生と新生児を外に放り出すなんて……!! 「もしかしてゲーム?」と尋ねると、少し間を空けてから「うん」との返事が。夫への怒りが爆発しそうになりましたが、まずは子どもたちの安全が第一です。 「電話するね」と送ると、「ダメ」と返信が。どうやら変な男の人に声をかけられて、走って逃げていたそう。まだ近くにいるかもしれないから、電話はしたくないとのことでした。 コンビニを探して入るように言い、その間に私は長女のスマホの位置情報を確認。無事コンビニに着いた長女が電話をしてきたので、店員さんに代わってもらって事情を説明しました。その後、警察にも連絡。私が帰るまで、子どもたちを保護してもらえることとなりました。 「ママ、早く帰ってきて」という長女の涙声を思い出し、夫への怒りがまたふつふつと湧き上がってきました。その晩は怒りのあまり、ほとんど眠れませんでした。 夫の苦しい言い分翌朝5時――。 朝一番の新幹線で帰ろうとしていた私のもとに、ようやく夫からの連絡が。 「うっかり寝ちゃってて、長女たちがいなくなってた」 この期に及んで嘘をつく夫。2時間前から探していたと言っていますが、普通子どもたちがいなくなったらまず警察に連絡するのではないでしょうか。 「ゲームしてるのバレたくなかったんでしょ?」「長女から話はすべて聞いています」と言うと、夫は「見つかったの?良かった……」と一言。子どもたちに怖い思いをさせておいて……。 「帰ってきたら子どもたちにちゃんと謝るよ」「これからの子育てもちゃんとフォローするから」と言う夫。しかし、私も子どもたちも、もう夫のもとに帰るつもりはありません。だから、「離婚しましょう」と告げました。 小3の長女に新生児のお世話をさせて、ゲームにのめり込んでいた夫。長女によると、私が出産で入院していた時も、デリバリーのごはんだけ頼んでずっとゲームをしていたそうです。 「子どもたちはコンビニで保護してもらって、その後警察のお世話になったんだよ」「どれだけの人に迷惑をかけたと思ってるの?」と言うと、夫は「警察!?俺捕まったりするのかな……」と自分の心配のみ。 やっぱり離婚を決心したのは間違いではありませんでした。「もうゲームは辞めるから、離婚だけはしないでください」と夫は平謝りでしたが、わが子よりゲームを優先した夫を私は許すことはできません。この先一生、1人で好きなだけゲームをしていればいいとさえ思いました。 その後――。 夫と私は離婚。警察から事情を聞いた両親も義両親も、離婚には賛成してくれました。離婚後、夫からは毎月謝罪と復縁したいとの連絡が来ますが、一生許すことはないでしょう。 今、私は子どもたちを連れて実家に戻り、両親のサポートを受けながら育児に励んでいます。長女の心のためにも、しばらくはケアに努めていこうと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月30日出産は鼻からスイカを出すような痛さだと聞いて恐怖を感じていましたが、実際に経験して、私は陣痛に耐える時間のほうがつらかったです。産院に着いて、陣痛に耐えているときに思わず「今!?」とツッコミを入れてしまった出来事をお話しします。なかなか進まないお産…出産予定日の2日後の明け方に陣痛が始まり、産院へ着いたときには子宮口が6cm開いていたため、そのまま夫と一緒に分娩室へ移動することになりました。ついにわが子に会える!と私も夫も気持ちが高ぶっていました。 ところが、子宮口の開きが6cmからなかなか進まず、分娩室に移動してから6時間が経過。「今いきむと赤ちゃんが苦しくなるよ」と助産師さんに言われていたので、私は必死にいきむのを我慢していました。このいきみ逃しの時間が本当に苦しかったです。 いきみ逃し中にまさかの質問!必死でいきみ逃しをしている最中、産院のスタッフさんが朝食を運んで来てくれました。「食べる?」と聞いてくる夫に、首を横に振るのが精いっぱいの私。 しばらくすると別の女性スタッフさんが下膳に来てくれたのですが、その際に早口で「明日からの朝食につける飲み物はコーヒーか紅茶、どちらがいいですか?」との質問が……! まさかのタイミングでの質問に、私は思わず「今!?」とツッコミを入れてしまいました。しかし、そのベテラン風のスタッフさんは無反応で、私の回答を待っている様子。夫が「あとでお伝えしてもいいですか?」と返答すると、「わかりました」と言って部屋を去っていったのでした。 無事に出産が終わり、夫と一緒に病室へ移動したあと、「あのタイミングで聞かれると思ってなかったね」と2人で笑ったのを覚えています。 陣痛やいきみ逃しがあんなにつらいものだとは思っていませんでした。そんな出産直前のタイミングで、朝食の飲み物について聞かれるとは予想していなくて、とても印象に残りました。今でも時々思い出して、夫と笑い合える大事な思い出になっています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:下川 美悠
2024年01月29日私は35歳の専業主婦です。5年前に結婚し、双子の女の子を出産しました。現在は私の実家の離れにある建物を改築して生活しています。実は私に悩みがあって……。それは、夫が家事や育児を手伝ってくれないということ。仕事柄、出張も多くて会社の接待も忙しいので家に帰ってきても子どもと遊ぼうとしません。なので、育児は同じ敷地に暮らしている私の親に手伝ってもらっています。理不尽な発言に唖然私の父と母は、よく子ども達と一緒に出かけたり遊んだりしてくれます。今日も娘2人を連れ公園へと出かけました。子ども達を見送った後、私は急いで家の掃除と洗濯を終わらバタバタとしていると夕方に。夕飯を作ろうとしていると、夫が出張から帰ってきたのですが開口一番「もうちょっと片付けろよ!何度も言うけど、子どものオモチャも目障りだ」と言うのです。掃除したばかりだと伝えると、「掃除とは、チリ1つ落ちてない、物1つ床にない、見える範囲におもちゃが出ていない状態の事を言うんだ!」と無茶なこと言うのです。そして、家にいても休まらないからと言い残しその場から立ち去るのでした。まさかの裏切り行為が発覚家にいて嫌な顔をされるくらいなら、居てもらわない方が良いかも? と楽観的に考えていたある日のこと。子ども達と出かけていた母が帰宅後、夫と見知らぬ女性が歩いてたと衝撃発言をするのです。こっそり撮影したという動画を見ると、白昼堂々、若い女性と手を繋いで歩く夫が写っていました。私はショックを受けるも、もっとしっかりとした証拠を揃えて、とことん追い詰めようと決意しました。 あっけなく離婚へ……その後、私は探偵に依頼して本格的に証拠を集めることに。調査の結果、不倫相手である女性は夫の元カノだったのです。出張と言い元カノの家に入り浸り、さらには夫が生活費を出していると言うのです。私は、役所から離婚届もらい自分の欄は記入しておきました。さらにもう1通、大切な書類も準備。離婚への準備も整ったある日、夫が「離婚したい。俺は子ども中心の生活はうんざりだ。」と言うのです。あまりにも自分勝手な理由に失望した私は「他にも何か言う事あるでしょ?」と煽るように質問しました。すると夫が、元カノとヨリを戻すことにしたから離婚しようとハッキリと言うのでした。呆れた私はここで離婚届ともう1通の書類を出しました。私が浮気調査をしていたなんて知らない夫は、随分準備がいいなと不思議そうに離婚届にサインをしたのでした。そして、一通の書類とは「勝手に敷地内に侵入してきた場合は警察に通報することと、不法侵入者としてそれなりの責任を取ることと」いう内容が書かれた誓約書。夫は離婚届と誓約書にサインをし、夫と元カノの2人分の慰謝料と、娘2人の養育費を一括で支払い私たちはあっさりと離婚をすることになったのでした。 予想通りの展開に!数週間、今にも泣きそうな声で夫から私に連絡が入りました。話を聞くと、不倫相手だった元カノが掃除も家事も全然しない!と嘆くのです。そこに私が「あなた以外にも付き合っている男性がいるのよね?」と聞くと夫が「なんで知っているんだ?」と不思議そうな声で呟きます。私は続けて「ギャンブル好きで、バツ3だよね」というと夫は知らなかったのか無言に。私のところに戻りたいと懇願する元夫に「うちの敷地内に入ってきたら、速攻で警察を呼ぶからね!」と言って私は電話を切りました。 実は私は浮気調査の結果から、元カノの悪行を知っていたのです。絶対に元夫が泣きついてくると確信していたので、家に入れないように誓約書を作っていて良かったです!そして、慰謝料と養育費を貰っておいたのでスッパリと縁が切れてスッキリしました。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月27日私は33歳の会社員で5歳になる娘がいます。娘を出産してすぐ、元夫の浮気が判明し離婚。バツイチのシンママとして奮闘していましたが、縁あって3カ月前に再婚しました。2年ほど前から娘と通っていたオムライス店の店長として働く夫に声をかけられ、最初は断っていたのですが、料理が好きで食べる事が好き、すごく優しくて娘も懐いていたので再婚を決意しました。しかし、数日前から少し夫の様子が気になりはじめ……。優しかった夫の態度が急変!?結婚して1カ月くらいは、お店が休みだと食事を率先して作ってくれた夫。ところが、食事は主婦である私に任せると言ってきたのでした。私の母は元料理人で、私も料理には自信があります。ある日の夕食時、夫と娘が席に着きました。夕食を前に喜ぶ娘に対し、お皿や盛り付けに対し文句をつける夫。さらに「センスのない奴にセンスを語っても無駄か」と心ない言葉を投げつけるのでした。そんなやり取りを見ていた娘が「すっごくおいしいから食べてみて!」と促します。ようやく料理を口にすると。「今日は40点だな!」とバカにしたように点数をつけはじめました。そして「なんか残念だな。お義母さんが元料理人だったのに……」と言うのです。続けて「お義母さんの料理はおいしかった。しかしなんでお前は、お義母さんの味を出せないんだ?不器用なのか?」とダメ出しを始めました。堪忍袋の緒が切れた私は実家に相談に行く事にしました。心無いの発言に怒り爆発実家へ行き、私は夫の態度について話すと父が「作ってくれた人に感謝もせずに点数付けるなんて、ろくでもない男だ! 自分の物差しで家族を測るのは許せない! 」と激怒。すると母が「週末、見返すにちょうどいい機会があるじゃない!」と満面の笑みを浮かべ言うのです。それは、毎年必ず開催している祖父の誕生日会のことで、今回は夫が自から料理を振舞うと志願していたので我が家に集合することになっていました。 楽しい誕生日会の始まり…数日後、祖父の誕生日会当日。私と娘は朝から飾り付け、夫は料理の準備と慌ただしく動き回っていました。しばらくすると、インターホンが鳴り祖父母と両親が到着し、夫は料理をテーブルに並べはじめ「心を込めてご用意させていただきました!」と自信満々に言います。すると祖父が「この刺身の皿は…。まぁ、これはセンスだから」と言葉を濁しながらもダメ出しを始めます。慌てる夫の額に汗が滲んでいました。気まずい空気の中、それぞれに料理を口にするとまさかの無言に。すると父が「空振り三振かな?」と言い、その言葉をきっかけに母や祖父も料理に点数をつけ始めたのでした。黙って聞いていた夫が激怒し「何日も前から色々考えて喜んでもらおうと思ったのに、人の気持ちを台無しにして!」というのです。すると娘が「パパの態度はマイナス100点!自分のしていたことが、自分に返ってきただけの話じゃない。パパが毎日ママにしている事をみんながマネしてくれたの」という娘の言葉を聞き状況を理解した夫。慌てた夫は「今後、人に対して点数で評価することはしません!」と謝り続けるのでした。 改心した夫は……それからというもの、夫はご飯を食べる時には必ず、「おいしい」と言ってくれるようになりました。そして、以前のように料理をしてくれる事も増えたのでした。嬉しいことにお詫びの印にと旅行を提案してくれたのです。娘にマイナス100点と言われてしまった夫ですが、今では点数をつけられないほど素敵な夫へと変わってくれました! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月26日私は先日娘を出産し、今は義実家で同居中です。最近の悩みは、授乳している部屋に義父が入ってくること。孫の顔を見たいからだと言うのですが……。私が母乳派だと知った義父。そのときの様子が妙に浮かれていたので、気にはなっていたのですが……。悪い予感は的中。ある日私が寝室で授乳をしていると、探し物をしているふりをして部屋に入ってきたのです。 最近ではわざわざ授乳を見にくるようになっているような……。孫の顔を見ているだけだと言いますが、そうは思えない態度の数々に私は気持ち悪さを隠せません。 私が気にしすぎなの…!?今まで私たちの寝室には家族の荷物がいろいろと置いてあったため、義母がこの際だからといろいろ片付けてくれました。結果、私たちの部屋には夫婦の荷物しかありません。これで、義父が探しものをしに入ってくることもなくなりました。 プライベートな空間が保たれるとホッとした私ですが、義父はこれを知ると急に激怒。これでは私たち母子が部屋にこもりっきりになって良くない、子どもは家族みんなで育てるものだなどと言うのです。 そして数日後には、義父は何の理由もなく無断で寝室に入ってくるように。さすがの私も声を荒らげると、私のことを被害妄想の激しい女だ、自意識過剰すぎると失礼なことを言ってきたのです。 そして、「嫁のくせに調子に乗るな! そんなに俺がイヤだったらこの家から出ていけ!」 と私に向かって吐き捨てました。 義母に相談し、ある作戦を決行!翌日も、義父は私たち母子の姿が見えなくなると家のあちこちを探し始めました。そして携帯電話で連絡までして、場所を突き止めてきたのです。「家族なんだからコソコソするな!」「そんなに見たいなら来てもいいですよ?」「寝室にいますから」私から許可が出ると、義父は鼻の下を伸ばしながら部屋にやってきました。自分は祖父だから孫が成長しているところを見届ける権利がある、そう言って堂々とやってきましたが、その後大慌てで逃げ出すことになるとは思ってもみなかったでしょう。じつはこれ、義母と私が仕掛けたワナだったのです。 義母は私が思い悩んでいることに気づいており、心配して声をかけてくれました。そこで私が義父のことを相談したところ、ドッキリをしかけて義父をこらしめることになったのです。 これは身代わり作戦で、私のふりをした義母が授乳をしているように見せかけるというもの。予想通り、義父は義母に気づいてぎょっとし、家を飛び出していきました。本当に孫を見にきたのであれば、慌てることも逃げ出す必要もないはず。この反応を見て、義父の本心がわかりました。 この作戦のことは夫にも伝えており、私と一緒に部屋の様子をうかがっていました。夫は義父には下心などないと思っていたようですが、慌てて逃げる様子を目の当たりにして猛烈に怒りを覚えたようです。詰問するために、義父の逃亡先へ乗り込んでいきました。逃げる先はいつも近所の友だちのところと決まっているので、その友だちにも自分のした悪事がバレることに……。 逃げた先で…余罪が発覚!?義母はさっさと義父の荷物をまとめ、外に出しました。二度と帰ってくるなと、義父には伝えたそうです。そして、再び逃げた先は親戚の家。 しかし義母がすでに事情を話していたため、非難と説教の嵐だったそうです。そして、余罪まで発覚。ここぞとばかりに、親戚のお嫁さんたちが暴露し始めたそうです。義父は私にしたのと同じように授乳しているタイミングで部屋にはいるなど、あきれた行為を繰り返していたと言います。 怒りが頂点に達した義母は、離婚手続きを始めました。義父はいくら謝っても許してもらえず。行き場を失って途方に暮れているようですが、自業自得です。 私はゆっくり授乳できるようになり、ストレスのない産後を過ごしています。これまでのことは忘れるようにして、娘を大切に育てていこうと思います。 ◇ ◇ ◇ お嫁さんが気を遣っているのをいいことに、何をしても許されるというような義父の態度は許せないですね。まずは家族に話すのがいいと思いますが、難しい場合は法務局の女性の人権ホットライン(0570-070-810)に相談するなどして、落ち着いて暮らせる方法を見つけていきたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月25日私が里帰り出産で実家にいるとき、夫の様子に違和感を覚えていました……。妊娠して数カ月後、夫の態度が急に冷たくなりました。私がそのことを指摘し、話をしようとしても、夫はイライラして怒鳴ってくる始末。出産の立ち会いも、乗り気ではないようでした。必要な連絡以外してこないでほしいとまで言われ、私はショックを隠しきれませんでした。親友に支えられて…私には入社同期の親友がいます。何かあると話を聞いてもらい、気晴らしをさせてくれる大切な友だち。夫のことも相談していました。 彼女は別れることも視野に入れて話し合ったほうがいいと言うのですが、離婚までは考えられませんでした。また、彼女はもうじき引っ越す予定だそうで。新しいお家に、生まれてくる娘と一緒に遊びに行く予定でした。わが家は義父の持っているマンションに住んでいるためなかなか引っ越せず、引っ越しで気分を変えるということがかなわないので、ちょっと彼女がうらやましくなりました。 それから2週間後のこと。「新居に引っ越したの! 遊びに来て♪」「住所送るね!」彼女の送ってきた連絡先に、私は驚きました。なぜって……。「これうちの住所なんだけど……」親友だと思っていた友だちの正体実は、夫と彼女は不倫をしていたのです。私が悩みを打ち明け、別れることも視野に入れて話し合うことを提案してきたのも、私が自分から別れると言い出すようわざと仕向けていたとのこと。そして、私が帰っている間、夫は彼女とわが家で同居を始めていました。 このことを夫に直接問いただしたところ、素直に不倫を認めました。しかし、自分は被害者であるかのような話しぶりで、彼女にウソを吹き込まれていたのでした。 おなかの子どもは私が不倫した結果だと、彼女から言われた夫。証拠の写真まで見せられたそう。私も確認しましたが、どう見ても合成としか思えない代物でした。けれども夫はあっさり信用したよう。ただ、私がいくら説明しても、聞く耳を持ってくれませんでした。 もう連絡してくるなと言われた私はかなりのショック状態に陥り、その影響か突然破水、出産。数日後、再度私は夫の不倫相手に連絡し、私を妻の座から引きずり下ろせそうで気分が良かったのか、彼女は気前良くいろいろ教えてくれました。 彼女は、好きだった人をいつの間にか私に取られ、結婚までされてしまったのが相当悔しかったのだそうです。そこで結婚後すぐ夫に告白し、1度でいいからと関係を迫ったと。夫は体の相性が合う彼女と別れづらくなり、それからずっと隠れて付き合ったとのこと。 いずれ私と別れて再婚すると夫は約束していましたが、私の妊娠によりそれを撤回。逆に彼女に別れを切り出したのだそうです。誰を信じるか私が彼女とやり取りをしたとき、その場には義理の両親がいました。生まれたばかりの孫に会いに来てくれていたのですが、彼らも知るべき話だと思い、やり取りを見守ってもらうことにしたのです。 この状況に慌てた彼女は、パニック状態。義父は今すぐマンションから出ていけと、かなりのご立腹でした。 夫は私の不倫話がウソだとわかると、やり直そうと言ってきましたが私は断固として拒否。よくよく話を聞くと、義父は夫への遺産分与分はすべて孫に渡すと言っているそうで、それを回避したかっただけのようです。 その後両家両親も交えて話し合ったところ、私たちは離婚することに。私はもうあの結婚生活に未練はありませんでしたから、別れられて清々しました。慰謝料や養育費を得て、また両家両親に支えられて今は穏やかな毎日です。 もともと私は彼らと同じ会社に勤めていたので、いつの間にか彼らの悪いうわさが会社中に広がってしまい、2人は居場所を失くしました。不倫相手は退職、元夫は慰謝料や養育費のために仕事が辞められず、つらい毎日のようです。 信じていた友人や夫からの裏切り。妊娠も控えた妻の気持ちを考えるとつらいですよね。今回の出来事は、妻にとってはショックなことですが、夫の両親も味方になってくれてよかったですよね。生まれてきた子どもと妻が幸せな人生を送れることを願いたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月25日kikiさんが妊活を始めたのは、夫・てんさんと結婚して4年が経ったころ。自己流の妊活だったこともあり、半年経っても妊娠は叶いませんでした。そこでkikiさん夫婦は不妊治療専門のクリニックを受診。不妊の原因を調べるため、さまざまな検査を受けました。精子・血液・菌の検査をしても、結果は異常なし。さらに卵管造影検査(子宮の形や卵管の通りが悪くないかを造影剤を注入し、レントゲン撮影をして調べる)をしても特に異常は見られず、不妊の原因がわからないままタイミング療法を試すことになったのですがーー。 タイミング療法を開始!誤:俳卵正:排卵 誤:俳卵正:排卵 アプリを利用した自己流の妊活からステップアップし、医師が予測した排卵日をもとにタイミングをとって妊娠に向けて頑張る『タイミング療法』を開始したkikiさん夫婦。 しかし、1回目は妊娠に至らず、2回目は夫・てんさんの都合で1日だけタイミングを逃してしまいました。しっかりタイミングをとりたかったkikiさんは、妊活を開始して初めて泣いてしまうのでした……。 不妊治療を始めると、男性側に異常がない限り、主に病院へ通うのは女性側。精神的にも体にも負担がかかる妻と夫では、意識の差が生まれてしまいます。 4年半授からず、不妊の原因もわからず、1回目のタイミング療法もうまくいかなくて焦るkikiさんの気持ち……よくわかりますね。タイミング療法は、夫婦がお互いに協力し合うことが不可欠。夫側はタイミングを取れるようにできる限り協力し、難しい場合には妻の心に寄り添った言葉をかけてほしいですね。 >>次の話 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※原因不明不妊は、“不妊の原因がない”訳ではなく、現在の医療では原因を究明できないということです。ただし、不妊の原因がわからないだけなので、妊娠できないという訳ではありません。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター kiki
2024年01月24日来月出産予定の私。夫も中学生の娘も、赤ちゃんの誕生を心待ちにしていました。今日から出張の夫は、娘に私のことを託してでかけていき……。夫が出張から戻ると、家は空っぽ。荷物がなくなっていることに驚いた夫は、娘に連絡。そして娘は……妻である私が死んだ、と告げました。妻が…死んだ!?夫が出張中、私は早産になり、破水。そこから帝王切開をする緊急手術と、予想もしなかった展開を迎えました。何度も夫に電話をしてくれた娘でしたが、1度も出てはくれなかったようです。いくら出張中とはいえ、折り返しすらなかったことは娘にとってとても信じられないことでした。結局何も連絡がないまま、夫は帰宅し、部屋に何もないことを知り、パニックに。 また夫が娘から私が死んだと言われても電話すらしない状況に、娘は違和感を覚えていたようです。仲良し親子だったはずなのに、大嫌い、二度と連絡をしてこないでと娘に言われ、居場所すら教えてもらえなかったことに夫はショックを受けたようでした。 その後夫は私の実家を尋ねましたが、誰も出ず。それもあり、夫は私に語りかけるように、携帯電話へメッセージを送ってきました。「娘のことは俺が必ず守る! 安心して天国にいってくれ!」初デートのことを思い出し、私への愛を叫び、ちょっとしたナルシストぶりを見せた夫。「きもちわる」「え? なんで返事?」死人が返事をしたことに、驚きを隠せない様子でした。ウソとウソ実は、私が死んだというのはウソ。しかし帝王切開になり、母子ともに危険な状態になったのは本当でした。産後夫と連絡を取りたいと思った私は、娘に頼んで会社に連絡してもらったのですが、有給中とのこと。出張なんて真っ赤なウソでした。そして、なんと隣の課の若い女子社員と、不倫旅行に出かけていたのです。 同時期に有給を取っている女子社員を聞き出し、その旦那さんに連絡を取ったところ……。やはりうちの夫と同じように出張と偽って家族に伝えていたようでした。 この話は社長の耳にも入ったようで、事実関係を詳しく調べてくださるとのこと。その話を聞いて夫は急に怒りだし、自分のキャリアに傷がついたらどうしてくれるのだとわめき散らし始めたのです。でも、それもすぐに収束。不倫相手の携帯に残ったトーク履歴や写真が、あちらのご主人によって確認されました。 夫いわく、これはあくまでも遊びで、不倫にすらならないと……。訳のわからないことを言いだす始末。そして私がしたことが倫理的にいけないことだと、夫が責めてきましたが、娘が「論点のすり替えだ」と泣いて文字が打てなくなってしまった私に代わって反論してくれました。そして、私たち夫婦が娘にとって世界一、憧れの存在だったことを告げた娘。 さすがに娘の言葉は身にしみたようで、もう1度チャンスがほしいと言ってきた夫。しかし、娘は断固拒否。さらに娘は、夫が1度も赤ちゃんのことについて触れてこなかったことも指摘し、結局家族より自分のことばかりだと、咎めました。生まれ変わったつもりで…その後、「もうお父さんなんていらない」と娘が宣言してくれたので、私は何の気兼ねもなく夫と離婚。 夫からの養育費と慰謝料、不倫相手からの慰謝料が私の懐に入ってきたので、しばらくは育児に専念しても生活できそうです。事情を知った両家両親の支えにも、とても助けられています。また元夫の勤める会社の社長も、彼をクビではなく降格にしてくださいました。私たちへの支払いが滞らないようにとのご配慮で、本当にありがたい話です。 元夫は会社で肩身の狭い思いをしており、また不倫相手とも破局し、抜け殻のような状態でただただ働く毎日だそう。現在私は、2人の娘とともに実家に身を寄せています。慌ただしくもにぎやかな、楽しい毎日を過ごしています。 夫と結婚していたころの私は、本当に死にました。娘に伝えてもらった言葉通り、死んだのです。新しく生まれ変わったつもりで、一生懸命生きていこうと思います。 妊娠中や出産のときは、不安を感じたり心細くなったりしますよね。そんな中、自分の欲求のためだけに、妻を裏切った夫。娘からの必死の連絡にも折り返さないというのは、夫だけでなく、父親失格と捉えられてもおかしくないですよね。家族の信頼を裏切ったのは、夫自身。自分のおこなった過ちに対して、反省し、償っていってほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月24日現在3歳になった3人目の出産間近のある日。出産予定日が過ぎていたこともあり、自然に陣痛が来るのを待つか、産院へ行き陣痛促進剤で陣痛を誘発するか、私が選択できることになりました。産院へ行こうかどうしようかとなかなか決断できない私に、しびれを切らした義母から衝撃的な言葉を言われたのです。 出産は私のタイミング3人目妊娠中のとき、上の子どもたちもいるので思うように行動できないかもと思い、義母にお願いして出産予定日数日前から家に来てもらっていました。 出産予定日2日後の妊婦健診で、産院の先生から「子宮口が4cm開いていて胎胞も出てきている感じだから、今日〜明日中に生まれそう。一度自宅へ帰ってごはん、お風呂を済ませて気持ちの整理がついたら病院へおいで。出産予定日を超えているし陣痛促進剤しましょう」 と言われました。帰宅途中に夫へ電話し、産院の先生から言われたことを説明しました。夫は会社からすぐに帰宅し、私も産院から帰宅しました。しかし、なかなか気持ちの整理がつかず、産院へ行くのをちゅうちょしていました。 義母が放った衝撃的な言葉なかなか産院へ行かない私を見て、義母も我慢できなくなったのか、夕方の4時ごろ「さっさと行ったらいいのに。今から行ったらちょうどよい時間や」と言いました。1人目・2人目のときは、陣痛が来て約2時間で出産していました。そんな過去から義母は、今から産院へ行って陣痛促進剤で陣痛を誘発すれば、3時間ぐらいで出産して、夫は7時ぐらいに帰宅してくるだろうと思ったようです。 その言葉を聞いたとき、申し訳ない、気持ちの整理がつかない自分に情けないと思ったのと同時に、同じ出産経験があって出産の大変さや痛さなどをわかってくれていたと思っていたため、とても悲しくなりました。 味方だった夫予想もしなかった義母からの言葉に私は返す言葉がなくて、目から涙が溢れ出てきました。その様子に気付いた夫は義母に、「それは言ったらあかんこと。火の中に自分から入っていくようなものなんやから、気持ちの整理がなかなかつかないのは仕方ないこと。自分のタイミングがあるんだから、整理つくまで黙って待ってあげてくれ!」 と言ってくれたのです。 それを聞いた私は気持ちがとてもラクになり、味方がいてくれてよかったとホッとしました。 義母への反抗その後、気持ちの整理がつかないまま夜に。夜中の1時ごろにウトウトしていると、ドンッ!!とおなかに違和感を覚え、トイレへ行くと出血が! 急いで産院へ連絡して行くことになったのですが、寝ていたはずの義母が産院へ一緒に行くつもりで、化粧をしてリビングにいました。 義母に言われた言葉がずっと頭から離れず、このときばかりは顔も見たくなかったため、夫から義母に家で寝ている上の子どもたちと一緒にいてくれるように伝えてもらいました。そうして私と夫だけで産院へ向かい、午前4時ごろに無事出産しました。 今になって思えば、義母の言動は私の体調を心配してのことだったのかなとも感じますが、出産のときは不安と恐怖で気持ちもデリケートになっていました。そんなとき、出産を自分のことのようにと考えて行動してくれた夫がいて、とても心強かったです。周りのママたちや将来、自分の娘や息子のお嫁さんが妊娠、出産したときには自分の経験をいかして接したいなと思いました。 作画/山口がたこ著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。
2024年01月23日妊娠して体調不良が続いた私は、悩んだ末に仕事を辞めました。私が専業主婦になると、夫は今まで以上に何もしなくなり……。私が体調不良で横になっていても、家事を手伝ってくれない夫。先日はゴルフクラブを磨けとまで言ってきて……。すこしワガママがすぎるのではないかと思います。私もなかなか断れないのですが……。 妊婦への理解がまったくない夫臨月の私は、ちょっと動くのもひと苦労。疲れやすく、横になる回数も増えました。しかし夫は妊婦に対して理解がなく、私が休んでいると不機嫌に……。妊娠を言い訳に家事をサボっていると言ってくるので本当に困ります。 私が妊娠後すぐに退職したことも、気に食わなかったようです。体調不良が続き、悩んだ末に辞めたのですが、夫はラクしたいがために早めに専業主婦になったと勘ぐったわけです。 そもそも妊娠・出産は命がけのことで、常にリスクが伴います。夫はそのことにまったく気付いておらず、母体を大切にする気持ちが芽生えないようです。逆に、自分が稼いでラクさせてやっていると大いばりで、自分が一番偉いと思っています。 ベビーベッドの組み立てなど出産準備もなかなか協力してくれず、週末はゴルフの予定でいっぱい。すこしは協力してほしいとお願いしても、ギャーギャーうるさいと言われ……。母親の自覚が足りないと、なぜか説教されました。 予定日より前に破水…そのとき夫は!?ある朝、私は破水。出産予定日まで日があったのですが、急きょ病院へ行くことに。しかし夫は私を残し、ゴルフに出かけたのです。 数時間後。夫の携帯電話へ何度も連絡を入れましたが、応答はなし。「何度も連絡するなよ」「ゴルフの邪魔すんな!」やっとメッセージを返してきた夫に、ガツンと言いました。「妻子の命よりゴルフ?」「二度と二人には会えないと思いなさいよ」夫に返信したのは、義母でした。 母子ともに大変な状態だったことが義母から伝えられると、夫はびっくりしたようでした。破水したのがウソだと思ったと言い訳しましたが、私がウソを付く必要はなく……。同じように思った義母に、やり込められていました。 これまで私たち夫婦がやり取りしていたメッセージを義母に見せたところ、おかしいのは息子のほうだと私の味方になってくれました。 夫との関係を見直した結果…義母は、私のいる病院へ夫を近づけないでくれました。退院した今は実家に帰り、子どもの世話をしています。 今までのことを考えると、夫はこの先何も変わらないだろうと思っています。最初はパフォーマンスとして家事や育児をするとは思いますが……。離婚が一番いい選択だと思い、決断。夫には子どもの名前と離婚の話し合いだけ伝え、連絡を断ちました。 今になって夫は、子どもが生まれるのを本当に楽しみにしていたと言いました。私にしたら、どの口が言っているのだと思ってしまいますが。以前、親になる自覚がないと私に説教した夫ですが、自覚が足りなかったのはどっちだったのでしょうか。 両家の両親に責め立てられ、夫は後悔と反省の日々を送っているようです。ですが、今となってはどうにもなりません。 私は実家で暮らしながら、仕事に復帰することも考えています。初めての育児で大変なこともありますが、両親の手助けもあってなんとかやっています。周りの人への感謝の気持ちを忘れずに、生きていこうと思います。 ◇ ◇ ◇ 子どもの誕生を楽しみにしていたなら、妻のことを気遣ったり、ベビーベッドの組み立てを手伝ったりしてほしかったですね。夫婦は対等で主従の関係ではありません。お互いに思いやりをもって生活したいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月21日ネットの情報や先輩ママから、妊娠中は腰が痛くなると聞いていたため、「双子ならなおさら仕方のないこと」と腰痛が悪化しても妊婦健診で先生に相談することなく耐え続けていました。しかしあまりの激痛に耐えきれなくなり、出産予定日を目前に控えた日の真夜中、病院へ。そこでわかった腰痛の原因を紹介します。 妊娠3カ月には目立つおなか双子を妊娠して妊娠3カ月ごろにはおなかが大きくなり、妊娠前にはいていたズボンのチャックが閉まらなくなりました。それからはどんどんおなかが大きくなり、腰痛と付き合う日々。 仕事をしていても、運転をしていても、常に腰が気になります。妊婦健診の際に腰が痛いことを先生に伝えてみましたが、「もともと1人用のおなかに2人入っているのだから、腰への負担も仕方のないこと。できるだけ寝転がって過ごしなさい」とのことでした。 腰痛で眠れない日々妊娠5カ月に仕事を退職し、妊娠7カ月ごろからは必要最低限の行動以外は自宅のベッドにいる日々を過ごしました。それでも腰痛はひどくなる一方です。寝る向きを変えてみたり、腰をさすってみたり、押してみたり……。 少しでもラクになる体勢を探しながらゴロゴロ。夜中も痛みで起きてしまうため、ゆっくり眠ることもできない毎日。ただ、“腰痛は仕方のないこと”という認識から、妊婦健診でも先生に腰痛がひどくなっていることを相談しませんでした。 腰痛の原因が判明出産予定日を1週間後に控えたある日、とうとう腰痛が限界にきました。どうやっても治まらない激痛に涙がこぼれ、真夜中に通っていた産婦人科へ行くことに。そこで腰にエコーを当ててもらい、腎臓に水が溜まっていることが判明! 双子の成長により尿の通り道が圧迫され、水腎症になっていました。水腎症を発症していては個人病院の産婦人科では産むことはできないということで、そのまま市民病院へ転院し、緊急入院。2日後に、もともと予定していた帝王切開で出産しました。 出産したことで、尿の通り道への圧迫がなくなり、水腎症は回復しました。腰痛は赤ちゃんの重みが原因だと思い込み、先生に相談しなかった結果が緊急入院です。不安や心配事があれば思い込みで過ごすのではなく、なんでも先生に相談しておけばよかったと、今回の体験から学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:桜田はな双子男児と女児1人の母。子育てやサブスク関係のライターとして活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年01月21日妊娠初期に強い腹痛があったママ。妊婦ということで痛み止めの薬を服用するなどの処置は難しいと言われ、ひたすら耐えるしかありませんでした。そんなときに上司からかけられた温かい言葉で励まされたそうです。妊娠判明と同時に起こった不調の1つに、強い腹痛がありました。医師からは「卵巣が腫れていますが、経過観察で問題ありません。妊娠初期ということもあって痛み止めの薬も処方できません。大変ですが、耐えてください」とのコメント。つわりと相まってつらかった妊娠初期の体験談です。 妊娠判明、そしてつわり私が妊娠に気がついたきっかけは、強い倦怠感でした。少し動くだけで立っていられないほど疲れてしまい、これはおかしいぞと思ったことを覚えています。月経も少し遅れていたので妊娠検査薬を使うと、しっかり反応が。入籍から半年、そろそろ子どもが欲しいねと夫と話していたころだったのでとてもうれしかったです。 妊娠判明からほぼ同時期につわりの諸症状が起こり始めましたが、つらいものの耐えられないほどではありませんでした。 「妊娠は病気じゃない」の意味つわりも吐き気やめまいなどでつらかったものの、デスクワークの仕事ができないというほどではありませんでした。しかし、腹痛はまっすぐに歩けなくなるほどの痛み。椅子に座っていることもできず、仕事を早退したり、休んでしまう日が続きました。もちろん家事などまったくできません。 体調の悪さからメンタルも弱っていき、次第に自分がダメな人間だと感じるようになっていきました。しかしそのとき、職場の上司からかけてもらったひと言に救われました。 「妊娠は病気ではないというのは、医師や他人が治すことができない、あなたが安静にするしかないということ。仕事も家事もしなくていい。つらいときは休みなさい。申し訳ないと思わなくていい」 上司からかけてもらった言葉と理解ある同僚に助けられ、早退と欠勤を繰り返しながらもどうにか妊娠初期を乗り越えました。妊娠13週を過ぎたころ、つわりも腹痛も次第に治まっていきました。 それからも妊娠期間中、しばしばマイナートラブルに見舞われることがありました。そのたびに「妊娠は病気じゃないから、私が私とおなかの赤ちゃんを第一に考えた行動をしよう」と心がけ、無理のない妊娠生活を送りました。腹痛はつらかったですが、何かと無理しがちの私にとっては必要な経験だったと思えました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/かねこゆかり作画/やましたともこ監修/助産師 松田玲子
2024年01月21日私は産前から、足のむくみに悩まされていました。それが2度の妊娠、出産を機に症状が悪化し、大変なことになってしまったのです……。年々悪化する下肢静脈瘤私は産前から、左足に「下肢静脈瘤」を抱えていました。第1子妊娠中に左足だけむくみがひどくなり、主治医に相談したところ、産後に外科に相談しようということに。しかし第1子出産後、育児に追われ、足のむくみで外科を受診することなど忘れてしまっていた私。 そして、外科へ行く間もなくあっという間に2年がたち、第2子の妊娠が判明。そこで、また下肢静脈瘤による足のむくみに悩まされることとなったのです。第2子の妊娠中は第1子妊娠中よりもかなり足のむくみがひどく、足首の境目がわからないほどむくむ日もありました。 見た目も血管がボコボコ浮き出て、足を出すような洋服は着られません。産院では再び、産後に外科を受診するように言われました。私なりに食事に注意したりマッサージをしたりして乗り越えた第2子の出産。 出産が終われば、少しはラクになるだろうと勝手に思い込んでいた私でしたが、一番ひどくなったのは第2子を出産して3カ月ぐらいのときでした。朝、足がむくんで足が痺れたような感じがして起き上がれないことがあったのです。私は、すぐに外科を受診しました。すると、即手術が決まったのです。 私の下肢静脈瘤は遺伝性のものだと診断されました。私の父も祖母も下肢静脈瘤の手術をしていたからです。手術は1泊2日でおこなわれ、無事に成功。私の場合は、レーザー療法と言って、静脈の内側をレーザーで焼いて閉塞させる手術だったため、傷痕もほとんどありません。また、医療保険に入っていて保険が適用されたため、金銭的な負担も少なく手術ができました。 結果、手術をして日々の生活がとてもラクになりました。以前のように足がむくんで足首が見えない、歩くのが痛いということはなくなり、とても快適な生活を送っています。そして今も、予防のために長時間同じ姿勢をしたり、塩分を摂取しすぎたりしないように気をつけています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:なかまる あゆみ
2024年01月15日育児に遅れと混乱が生じてる !!
ムスメちゃんとオコメちゃん
うちの家族、個性の塊です