2016年の春、長女を出産したぷにらーさん。出産後、授乳をおこなう際は陥没乳頭だったため、赤ちゃんが乳首を吸いにくく、体重が思うように増えなかったため悩んでいました。新生児健診では体重が半分しか増えていないのを指摘され、ショックを受けたぷにらーさんでしたが、近所で赤ちゃんの測定・相談会に参加し、助産師さんにアドバイスをもらったことで授乳の問題は解決されます。しかし、赤ちゃんが生後2カ月を迎えたころ、小児科で「心室中隔欠損症の可能性が高い」と言われてしまいます。「大学病院で検査を受けたほうがいい」と言われたため、予約を取って受診をしたのですが、そこで「心室中隔欠損症です」と診断されてしまったのです。 医師から「手術が必要です」と告げられ、その1週間後、肺高血圧の検査をおこなうため、入院することに。検査後、肺の状態はよくなかったものの、手術の緊急性が低く、また手術をおこなう医師の予約が取れなかったため、一時帰宅を言い渡されてしまいます。 呆気ない退院にモヤモヤしたぷにらーさんでしたが、指示通り一時帰宅をしたのでした。 退院日から10日後、病院から連絡が来て… 一時帰宅をして10日後、病院から「2週間後に入院してください」と連絡が入りました。 入院先が大部屋だったため、周囲に気をつかいながら過ごしていたのですが、一方でママたちからいろいろな情報を仕入れることができました。 落ち込むママをみんなで励まし合ったり、前を向いて頑張る姿を見て、心を動かされたぷにらーさん。 (私も手術が終わったら、不安なお母さん達の力になりたいな……) そう思っていたのですが、病院から、突然「退院してください」と言われてしまったのでした。 今回の入院で「やはり心臓に負担が大きいので、早めに手術をしましょう」と言われたものの、その5日後に退院を促されてしまったぷにらーさん。病院の事情があるのかもしれないですが、短い期間で言っていることがこれだけ反転してしまうと、不安になるのも無理はないすよね……。早く娘さんの手術を受けられる日が来ることを願います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:マンガ家・イラストレーター ぷにらー2016年生まれの長女と2018年生まれの次女の姉妹を育児中。旦那の行動力に振り回されつつ、愉快な日常や体験談を描いていきます。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月01日2016年の春、長女を出産したぷにらーさん。出産後、授乳をおこなう際は陥没乳頭だったため、赤ちゃんが乳首を吸いにくく、体重が思うように増えなかったため悩んでいました。新生児健診では体重が半分しか増えていないのを指摘され、ショックを受けたぷにらーさんでしたが、近所で赤ちゃんの測定・相談会に参加し、助産師さんにアドバイスをもらったことで授乳の問題は解決されます。しかし、赤ちゃんが生後2カ月を迎えたころ、小児科で「心室中隔欠損症の可能性が高い」と言われてしまいます。さらに、「大学病院で検査を受けたほうがいい」と言われたため、さっそく予約を取ることに。 大学病院の受診日は、家族みんなで病院に行きました。検査後に診察を受けると、「心室中隔欠損症です」と診断されてしまいます。医師から「手術が必要です」と告げられ、思わず涙してしまったぷにらーさん。その1週間後、肺高血圧の検査をおこなうため、入院することになったのですが……? 一度入院したものの、思わぬ展開が待っていて… 5日後のカテーテル検査に向けて、入院生活が始まりました。 「肺高血圧が進んでいると手術ができないので、まずカテーテル検査で程度を調べます」 検査後、医師は説明を始めました。 「肺の状態はあまり良くないのですが、緊急というほどではありません。予定していた手術はおこなえます」 「手術はいつごろに……?」 「来週を予定していましたが、手術の先生の予約が取れなかったので、早くても2週間後になるかと……」 「まだ時期が未定なので、一度退院してください」 思ってもいなかった展開に、拍子抜けしてしまったぷにらーさん。 (求めていたのは、こういう帰宅じゃないんだけどな。でも手術ができないなら、いても仕方ないかぁ……) 不満が残りつつも、病院の指示に従い、一時帰宅をしたのでした。 手術の緊急性が低かったことと、先生の予約が取れないというちゃんとした理由があるので今回の一時帰宅は仕方がないですが、なかなか思うようにいかなくて歯がゆいですね。病院いわく、手術は“早くても2週間後”とのことなので、それまで待つしかなさそうですが、次はちゃんと手術が受けられるといいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:マンガ家・イラストレーター ぷにらー2016年生まれの長女と2018年生まれの次女の姉妹を育児中。旦那の行動力に振り回されつつ、愉快な日常や体験談を描いていきます。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月31日2016年の春、長女を出産したぷにらーさん。出産後、授乳をおこなう際は陥没乳頭だったため、赤ちゃんが乳首を吸いにくく、体重が思うように増えなかったため悩んでいました。新生児健診では体重が半分しか増えていないのを指摘され、ショックを受けたぷにらーさんでしたが、近所で赤ちゃんの測定・相談会に参加し、助産師さんにアドバイスをもらったことで授乳の問題は解決されます。しかし、赤ちゃんが生後2カ月を迎えたころ、小児科で「心室中隔欠損症の可能性が高い」と言われてしまったのです。ショックを受けながらも夫に報告し、娘の病気について話し合いをおこなうことに……。 そして、小児科で「大学病院で検査を受けたほうがいい」と言われ、さっそく予約を取ったぷにらーさん。ようやく受診する日を迎えたのですが……? 不安な気持ちで大学病院を受診。診断結果は… 病院に到着後、まず検査をおこってから11時から診察が始まりました。 そして、医師からは「心室中隔欠損症です」と言われてしまったのです。 「心室の壁に9ミリの穴が空いています。これが自然閉鎖が期待できない大きさで手術が必要です」 医師からそう告げられたあとショックを隠し切れず、涙を流してしまったぷにらーさん。 「手術しないと健康にはなれない。大きくなれないかもしれない……」 「元気に産んであげられなくてごめんね」 娘にそう謝ると、泣きながらお母さんに電話で報告をしました。 そして初診から1週間後、肺高血圧の程度を調べるため、検査入院をすることになったのでした。 心のどこかで心室中隔欠損症でないことを強く願っていたと思うので、この診断結果はかなりショックだったと思います。つらい現実ではありますが、そこから目を背けることはできません。検査入院も大変だと思いますが、夫婦で支え合って乗り越えてほしいです。 著者:マンガ家・イラストレーター ぷにらー2016年生まれの長女と2018年生まれの次女の姉妹を育児中。旦那の行動力に振り回されつつ、愉快な日常や体験談を描いていきます。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月31日初めての出産は緊張することばかり。どんなふうに出産が進むのか、いつどんな処置をされるのか、事前に説明を受けたはずですが、陣痛が怖かったこともあり、あまり詳しく考えずにいました。そんなこともあってか、出産時に夫婦でとんでもない勘違いをしていたようでーー。陣痛が来て、すぐに入院することになりました。しかし、すぐに出産とはならず、陣痛室で夫と2人、そのときを待っていたのです。 あの人は誰?次々と陣痛の痛みがやってくるものの、ただただ耐えるのみ。いつ出産になるか……と緊張していましたが、なかなかお医者様は来ません。たまにやってくるのは、スタッフさんと思われる女性のみ。 なかなかやってこないお医者様に、いつ生まれるかわからない赤ちゃん……次第に不安になり、夫と「先生呼んできたほうがいいのでは……」というやりとりも何度もしました。 そんな中、かなりのスピードで分娩は進み、いざ分娩台へ……。そこで気が付いたのは、スタッフさんだと思った女性が助産師さんだという事実でした。 助産師さんのテキパキとした動きに助けられ、無事出産。ちなみに、あれほど呼びに行こうかと迷っていたお医者様は、分娩が進んだところでやってきました。 今思えば、陣痛室に度々来ていたのは、スタッフさんではなく助産師さんだと、普通に考えればわかるもの。しかし、出産は医師主導で進むものだと思い込んでいたがために、助産師さんの存在がすっかりと頭から抜けていたのでした。 また、もしかすると超スピード出産でバタバタしたこともあり、あいさつや紹介を聞き逃してしまったのかもしれません。 助産師さんは、出産を支えてくれる頼もしい存在。今思い出してもおかしい勘違いでした。このお話は、ベビーカレンダー公式インフルエンサー「ベビカレメイト」のママと実施した座談会でお話しいただいた体験談です。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月30日私の実母はいわゆる毒親。私が幸せになることが許せないようで、結婚式にも参列はしてくれましたが、「実家には二度と戻ってくるな!」と言われてしまいました。その後、コロナ禍真っただ中に妊娠が判明し、夫を頼れず初めての出産を迎える私はとても悩みました……。 里帰り中の実母初めての出産と育児で不安だった私は、迷った結果、里帰り出産を希望しました。快く……とまではいえませんが、里帰り出産をすることを認めてくれた実母。普段は口うるさい義母も、妊娠は喜んでいましたし、さすがに妊娠中や産後はやさしくしてくれるのかと思っていました。 しかし、現実はそんなに甘くはなかったのです……。 里帰りしてからは毎日のように「私の予定が崩れて迷惑」「ルーティーンがあるのに……」などとネチネチ言われ続けることに。 唯一良かったことは、無事に長女を出産できたこと。しかし、産院から帰ってすぐに、「里帰りで実家のスペースを貸してるんだから、私からの出産祝いはなくていいわよね」「親戚への内祝いは何にするの?さっさとやりなさいよ」など、母のマシンガントークは炸裂します。なかなか体を休めることができませんでした。 実家から夫の待つ家に帰るときにも、「二度と来るな」というようなことを実母から言われました。口には出しませんでしたが、私も「二度と帰ってくるもんか」と思っていました……。 ただ、さすがの母も、孫はかわいいようで、ときどき連絡をしてくるようになりました。しかし、余計な一言やチクチク言葉が多いので、なかなか私は我が子を実母に会わせる気にはなれず、めったに帰省することはありませんでした。 長女の出産時は心身ともに疲れ果ててしまったので、2人目の時は里帰りしないことに。夫が育児休暇を取ってくれたこともあり、夫婦2人で支え合いながら自宅で赤ちゃんのお世話をしました。上の子をみながらということもあり、体の方は大変でしたが、気持ちの方は落ち着いていた私。実母であっても適切な距離が必要なのだと今は実感しています。時々電話口で孫に会わせろと怒る母ですが、聞き入れる気はありません。実母には一度我が身を振り返ってもらいたいなと願うばかりです。 イラスト/きりぷち ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:佐藤恵
2024年05月30日私が第一子を出産したときの話です。片付けの苦手な義母が、出産直後の私に出産祝いを持ってきました。しかし、義母が持って来てくれた出産祝いは、あまりにも衝撃的だったのです―。 衝撃の出産祝いいわゆる『片付けられない女』の義母。義実家の寝室はタンスと衣装ケースで埋め尽くされ、洗面所や階段にまでものが置かれている始末。地震が起きたらヤバいな、という環境です。 何度か片付けてほしいとオブラートに包んで言ってみたのですが、義母にとってはすべて大切な思い出の品だそう。ひとつも捨てられないとのことだったので、私もいつしか説得することを諦めました。 その後、長男を出産し、産院で過ごしていた私たち家族。そこに、義両親が出産祝いを持って車でやってきました。大きな段ボール箱の中に入っていたのは…… あひるのおまる。 もともと白かったであろうそれは、経年劣化で黄ばんでいたのです。 「どうかしら~?」と浮かれる義母をよそに、そのおまるを見た夫は赤くなってプルプル震え、「なんでこんなものを……」とつぶやきました。夫によると、このおまるは夫が小さいころに使っていたものだそう。 当時、夫は30代半ばでしたから、このおまるは30年以上もしまいこまれていた計算になります。 怒りに震える夫に気付いていないのか、「まだまだあるわよ~」と義母。続いて取り出したのは、これまたシミだらけの布おむつ。こちらも、夫が使っていたものだそうです。 夫が「こんなもの、もう捨ててくれ!」と言っても、義母は「洗ったから大丈夫よ」と聞く耳を持ちませんでした。 結局、激怒した夫がおまるも布おむつも段ボールに放り込み、義両親を追い返しました。こちらの意見に耳を傾けず、一方的に押し付けようとした義母への夫の怒りはおさまらず、そのまま私たち夫婦と義両親は疎遠になっていきました。 ものを大事にすることはいいことですし、わざわざ探してくれたのだから、孫への愛情もあったのでしょう。気持ちはうれしいのですが、夫の言う通り、息子に使用したいと思うものではありませんでした。せめて義母が夫の意見を聞こうとしてくれていたら、展開は違ったかもしれません。相手が望んでいないのに押し付けることを私自身もしないよう、気を付けようと思った出来事でした。 イラスト/はたこ著者:さくらはなこ
2024年05月30日2016年の春、長女を出産したぷにらーさん。出産後、授乳をおこなう際は陥没乳頭ということもあり、赤ちゃんが乳首を吸いにくく、体重が思うように増えなかったため悩んでいました。さらに、新生児健診では体重が半分しか増えていないことを指摘され、ショックを受けてしまいます。健診では母乳をあげたあと、育児用ミルクを追加するように指示され、その日から実践することに。その3日後、近所で赤ちゃんの測定・相談会があったので、会場に足を運んだぷにらーさんですが、助産師さんを目の前にすると突然泣き出してしまいます。そんなぷにらーさんに助産師さんは温かい言葉をかけると同時に、アドバイスをしてくれました。 それからひと月ほど経つと、授乳がラクにできるようになったほか、無事に1カ月健診を終えることができたのです。 しかし、赤ちゃんが2カ月を迎えたころ、予防接種のために受診した小児科で、「心室中隔欠損症の可能性が高い」と言われてしまいます。突然のことにぷにらーさんはショックを隠し切れず……!? 娘の病気や手術について、急きょ2人で話し合うことに… 急きょ夫に報告し、娘の病気や手術について数日間かけて話し合いをおこなったぷにらーさん。 「呼吸が早い、体重が増えにくい、汗をかきやすい……。まんまこの通りだな」 空いている時間は病気のことについて調べ、理解を深めようとしていました。 また、検査を受けるまでは、心臓の件は留めておくことにしました。 そして、ついに大学病院を受診する日に。 不安をかかえながら、夫婦そろって病院に足を運んだのでした。 検査を受けて診断されるまで内心落ち着いていられなかったと思いますが、時間があるときに病気について調べるなど、現実とちゃんと向き合おうとする真剣さを感じました。大学病院での診断結果が、ぷにらーさんの望んだ結果であることを願います。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター ぷにらー2016年生まれの長女と2018年生まれの次女の姉妹を育児中。旦那の行動力に振り回されつつ、愉快な日常や体験談を描いていきます。
2024年05月30日夫の友人が、息子誕生のお祝いを持って遊びに来てくれました。友人のお姉さんがちょうど最近出産を終えたばかりだったようで、お姉さんと私の陣痛時間を比較するような発言をされてモヤモヤ……。悪気なく言ったのだろうし、夫の友人なので反論もできませんでした。そのとき、夫の反応は……? わが家は立ち会い出産私が息子を出産したとき、夫の希望で分娩に立ち会ってくれました。破水から始まったお産で、自然に陣痛がきてからは2時間弱で息子が生まれたため、時間こそ短かったものの、陣痛に耐える私の姿に夫はかなり心配になったようでした。 無事息子が生まれた瞬間に、夫は感動の涙を流していたほどです。病院で別れて自宅に帰ってからも「本当に大変な思いをして生んでくれてありがとう」と、夫から何度もスマホにメッセージが届きました。 「ラクでよかったですね!」にモヤモヤ息子の生後1カ月健診も無事に終わり、夫の高校時代からの友人がお祝いを持って遊びにきてくれました。 夫の友人は、ちょうど最近自分のお姉さんが子どもを出産したばかりとのこと。「姉は陣痛がきてから1日半かかったみたいで、めちゃくちゃ大変そうでしたよ。どのくらいで生まれたんですか?」と聞いてきたので、「それは大変でしたね。うちは破水からで、陣痛がきてからは2時間くらいでした」と答えると、「早っ! ラクなお産でよかったですねー」と言われ、その言葉に私はモヤモヤ……。 夫の反論にスカッと!私が笑って受け流そうとしていると、すかさず夫が反論。「いや、陣痛時間短いと痛みが一気にくるみたいだから、すっごい大変そうだったよ!」と、友人に返してくれたのです。 友人は「そういうものなのかー。どっちにしても大変だ……」と言っていて、陣痛の時間の話はそこで終わりました。友人が帰宅したあと、改めて感謝の言葉を私から夫に伝えるのは照れくさかったので、その日の夕食は腕によりをかけて、夫の好物をたくさん作りました。 夫の友人は、まったく悪気なく「ラクなお産」と言ったのでしょうが、そのひと言に私は「陣痛時間が短い=ラクなお産ではないのに……」とモヤモヤしてしまいました。夫の友人だし、わざわざ息子の出産祝を持ってきてくれた、という状況だったので私は反論するつもりはありませんでした。しかし立ち会い出産をした夫が、私の陣痛のつらさをわかってくれていたことがうれしかったです。著者:吉川 みきな2008年生まれの女の子と2018年生まれ、2022年生まれの男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年05月30日子どもが産まれてすぐのこと。夫の地元の友だちが数人でお祝いに来てくれました。私もうれしかったのですが、出産祝いを見てびっくり。思わず涙が出てしまいました。 プレゼントを開けてみたら…子どもが産まれてすぐのこと。夫の地元の友だちが数人でお祝いに来てくれました。出産祝いにと全員から洋服のプレゼントを頂きました。 「面白い洋服を見つけたから買ってきたよ」と渡してくれたのは、とあるマンガのヒーローの衣装。うちの子は女の子だけど……と思いましたが、とりあえず着せてみてと言われ、着せることに。 洋服を着た娘の姿を見て、私は思わず悲しくなり涙が出てしまいました。今ならこんな感情にはならず、かわいい!と思えるので、産後でホルモンバランスが崩れていたことが大きかったと感じています。産後こんなに感情が変化すると思っておらず、自分でも驚きました。夫に相談し、今後は嫌なことは無理せず伝えるなど、対応を考えていこうとなりました。 ◇ ◇ ◇ 産後はホルモンバランスが急激に変わるため、これまでは何ともなかったことに対しても不安になったり、悲しくなったり、イライラしたりすることがあります。多くの場合は自然に治りますが、気になる際は産婦人科などで相談しましょう。 イラスト/シュー子著者:ぽんこ
2024年05月30日話す言葉も増えて、成長著しい長男が、第二子出産に立ち会うことに。そして、まさに今生まれる!というとき、長男がまさかの発言をしたのです。現場は一時騒然として…2才の長男と夫が第二子出産に立ち会うことに私は、新生児と2才10カ月の男の子を育てています。長男は、日々自宅や保育園でたくさんの刺激を受けながらすくすく、のびのび成長中。話せる言葉も増えてきて、毎日が感動の連続です。 そんな長男と夫が、私の第二子出産に立ち会うことになりました。陣痛も徐々に加速し、いざ分娩室へ! 子宮口も全開になり、さぁ、いきみましょう!という瞬間です。息子が一言、 「でた」 と言いました! そう、このタイミングで大きいほうが出た、というのです。 「えぇーっ!?」 私と夫、そして助産師さんまで口を揃えて、息のあったリアクションが出ました! 私は息子が自分の排泄をはっきり教えてくれたといううれしさと陣痛の痛みが相まってパニックに! そして夫は、おむつ交換を今すべきか、赤ちゃんが産まれるまで待つか判断に困るパニックに! 現場は一時騒然となりました。 結果、その場で夫がすばやくおむつを交換。みんなスッキリした状態で、第二子出産に無事立ち会うことができたのです。痛かったけれど、それ以上に楽しかった、一生忘れられない立ち会い出産の思い出となりました。 まだまだ上手く言葉を発することができない息子ですが、できたこと・教えてくれたことには、どんなに疲れていても、他に家事をしていても、手をとめてとびっきりの笑顔でたくさん褒めてあげています。 今しかない一つひとつの感動に対して、しっかり幸せを感じながら子育てを楽しんでいこうと思いました。 作画/加藤みちか著者:山田球児
2024年05月29日2016年の春、出産予定日よりも10日早く長女を出産したぷにらーさん。出産後、授乳をおこなう際は陥没乳頭ということもあり、赤ちゃんが乳首を吸いにくく、体重が思うように増えなかったため悩んでいました。新生児健診では体重が半分しか増えていないことを指摘され、ショックを受けてしまったぷにらーさん。母乳をあげたあと、育児用ミルクを追加するように指示されたため、その日からその通り実践することに。その3日後、近所で赤ちゃんの測定・相談会があったのでそこで体重を測ってもらおうとしたのですが、助産師さんに話しかけられると、突然涙がこぼれ落ちてしまいました。 ぷにらーさんが授乳の悩みを伝えると、温かい言葉をかけてもらうと同時にアドバイスももらいました。すると、ひと月くらいであんなに大変だった授乳がラクにできるようになったほか、無事に1カ月健診を終えることができたのでした。 小児科に予防接種を受けにいくと、医師から衝撃的な言葉が! 予防接種を受けるため、小児科を受診したぷにらーさん。 すると、医師から耳を疑う言葉が……。 「心臓どうしたの?」 戸惑っていると、医師は言葉を続けます。 「この子ね、心臓に雑音があるよ。穴が空いてるかもしれない」 その後、改めて診察を受けると、「心室中隔欠損症の可能性が高い」と言われてしまいます。 「大きい病院で診てもらってください」 医師からそう言われ、早速大学病院の予約を調べるのですが、なんと予約が取れるのは2カ月も先―。 夫に今日のことを報告しようとスマホを打っていると、涙が溢れてきてしまったのでした。 授乳の問題が解決したかと思ったら、突然見知らぬ病名を告げられてしまったぷにらーさん。今の段階ではあくまで「可能性が高い」というだけで、診断が確定されたわけではないですが、そのショックは計り知れなかったと思います。大学病院の予約が2カ月先なのでヤキモキしますが、気を確かに持ってほしいです。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター ぷにらー2016年生まれの長女と2018年生まれの次女の姉妹を育児中。旦那の行動力に振り回されつつ、愉快な日常や体験談を描いていきます。
2024年05月29日私と義母は家事や育児のことで時折衝突することがあり、決して良好な関係ではありませんでした。第2子である長男を出産する際、義母が「あなたの入院中は、私に家事や育児を任せて!」と言っており、夫も義母に来てもらえると助かるとのこと。悩み抜いた末、私の入院中は義母に自宅へ来てもらい、3歳の娘のお世話と家事などをお任せすることにしたのですが……。 家具や電化製品の配置が変わっている!?出産を終え長男と退院したあと、数日ぶりのわが家へ。入った瞬間、私はすぐに「いつもと違う」と感じました。私の留守中、夫だけであれば洗濯物で溢れているであろう洗面所はきれいな状態で、洗濯物はきちんと外に干してあり、床にはチリひとつありません。その時点では、入院中、義母に来てもらってよかった! と私は思ったのですが……。 辺りを見渡すとテーブルや棚、炊飯器やポットなど、さまざまな家具や電化製品の位置が変わっていたのです。 匂いが違う! 洗剤も総入れ替えしている!?そして、わが家の匂いが変わっていることにも気づきました。なんと、自宅で使用しているありとあらゆる洗剤がすべて変わっていたのです。 私の様子を見ていた義母は「あなたの家の洗剤の匂いがどうしても苦手で、洗剤を全部変えちゃったの。ごめんね!」と笑顔で言われました。さらに、「家具も、こっちの位置のほうが使いやすいとずっと思っていたのよ。変えられてスッキリしたわ」と……。 近くにいた夫は「母さんが買ってくれた洗剤のほうがいい匂いだぞ? これからもこの洗剤にしようよ」と言うのです。 私の気持ちを知った義母の言い分は?私は夫に「勝手にいろいろなものを変えるなんてショックだよ。せめてひと言言ってほしかった」と伝えました。夫も「母さんも少しやり過ぎたな。母さんに言っておくよ」と言ってくれたのですが……。翌日、義母から「息子から聞いたわ。ごめんなさいね。少しでもあなたたちが快適に過ごせるようにと思っただけなの。それが不快に思われるなんて、思ってもみなかった」としおらしく言われました。 しかし続けて、「でもね、あなたももう少し快適に過ごせるように考えたほうがいいわよ。こんな環境だったら、息子も孫たちもかわいそうよ!」と強く言われたのです……。 私は義母の言葉に何も言い返すことはできませんでした。たしかに私の家事力は義母には及ばないでしょう。それは自覚しています。義母に言われた言葉はショックでしたが、産後の疲れを癒やしたあとは、家族のために家事が行き届くよう頑張りたいと思っています。そして、私の入院中に子どものお世話や家事をしてくれた義母には、改めて感謝の言葉をしっかり伝えたいと思います。著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年05月29日長男を出産したときの話です。友人から出産祝いが続々と贈られてきたのですが、予期せぬ驚きの展開になったのです……。 まさかの出産祝い最も親しくしている3人の友人から、それぞれ出産祝いを受け取った私。最初の箱からはバスタオルセットが出てきました。これからタオルはたくさん必要になるので、うれしかったです。 しかし、2人目のプレゼントもまったく同じバスタオルセット。そして、3人目からもまったく同じバスタオルセットが届いていたのです! 届いたバスタオルセットは、なんと色まで一緒。同じものが3セットあるので、1セットだけ使うことにして、残りは実家と義実家にあげることに。 友人たちは示し合わせたわけではなく、それぞれネットのランキングで人気の高いものを注文してくれていたようです。まさかまったく同じものが届くなんて……。 私の出産祝いの件は、今では笑い話になっています。しかし、それからは友人同士でプレゼントを贈る際は事前に情報共有をしてかぶらないようにする、というルールができました。気が置けない友人たちだからこそ、本当にほしいものをプレゼントしたいと思っています。 イラスト/はたこ著者:八木まこ
2024年05月28日2016年の春、出産予定日よりも10日早く長女を出産したぷにらーさん。出産後、授乳をおこなう際は陥没乳頭ということもあり、赤ちゃんが乳首を吸いにくく、体重が思うように増えなかったため悩んでいました。新生児健診では体重が半分しか増えていないことを指摘され、ショックを受けてしまったぷにらーさん。母乳をあげたあと、育児用ミルクを追加するように指示されたため、その日からその通り実践することに。その3日後、近所で赤ちゃんの測定・相談会があったのでそこで体重を測ってもらおうとしたのですが、助産師さんに話しかけられると、突然目から涙がこぼれ落ちてしまったのでした。 ママが泣き始めると、助産師さんが… ぷにらーさんが泣いていると、助産師さんは「大丈夫よ」と声を掛けてくれました。 「授乳したあとでしょ?これだけおなかが膨れてるなら十分、母乳出てるって」 「でも私、胸の形が悪くて……。なかなか飲ませてあげられなくて……」 ぷにらーさんがそう言うと、「この子がお母さんの胸を育ててくれるから」と励ましてくれました。 その言葉を聞いて、安堵したぷにらーさん。 その後は助産師さんが言った通り、ラクに授乳ができるようになっていきました。 体重の増え方は緩やかだったものの、なんとか1カ月健診をパスすることができ、穏やかな日々を送っていたのでした。 助産師さんの言葉に励まされたおかげで、安心することができたぷにらーさん。不安なときに正しい知識がある専門の人からアドバイスをもらえるというのは、とても心強いですよね。そしてアドバイス通り、赤ちゃんの授乳もラクにできるようになって本当によかったです。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター ぷにらー2016年生まれの長女と2018年生まれの次女の姉妹を育児中。旦那の行動力に振り回されつつ、愉快な日常や体験談を描いていきます。
2024年05月27日かおりさんが娘・こはるを出産後、夫・いちろうはすぐに育休に入る予定でした。しかし、いちろうのミスで先延ばしに。突然ワンオペ育児を任され、自分の体に限界を感じていたかおりさんは、育休に入ったいちろうにスパルタ指導を開始しました。いちろうは育児をなめていたことを反省し、かおりさんもいちろうを許したのですが……。かおりさんと仲直りした矢先、いちろうは会社の後輩・みほの口車に乗せられてかおりさんに内緒で面倒な仕事を引き受けました。しかし、そのことがかおりさんにバレてしまい夫婦喧嘩に発展。いちろうは正直に謝ったものの、かおりさんは、育休取得の1カ月前からいちろうが会社に寝泊まりしていた原因もみほの仕事を肩代わりしたためではないかと疑念を抱きます。 まさか、後輩を優先したの?私は夫に、出産直後の妻子より、後輩の女子社員を優先したのかと問いました。 ※「終っちゃう」→「終わっちゃう」 いちろうはかおりさんに問われたとおり、みほの仕事を肩代わりしており、正直に話すべきか葛藤しました。嘘をついて人手不足だったことにしようとしたとき、こはるの声が。 いちろうはこはるをお世話した日々を思い返すと我に返り、大泣きしながら土下座。みほの力になりたかったこと、育休で迷惑をかける穴埋めになると思ったことを、ありのままかおりさんに伝えました。 わが子の寝顔を見て、嘘をつくのをやめたいちろう。子どもの前では正直な人間でありたいと、父親の自覚が芽生えたのかもしれませんね。 もちろん最初から家族に向き合っていれば、こんなことにはならなかったでしょう。しかしここで嘘をついていたら、いちろうも成長できなかったはず。ここはしっかり反省して、今後に生かしてほしいですね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター くまお
2024年05月27日私が第2子を出産したのは、長女が2歳になったばかりのときでした。長女はイヤイヤ期で言うことをきいてくれないこともあり、私は次女の世話だけでいっぱいいっぱいになっていました。そのため、長女の世話はほとんど夫に見てもらっていたのですが、夫から話を聞いて後悔しています……。 夫のひと言長女が2歳1カ月になったころ、次女が生まれました。生まれたばかりのころは次女にばかり気をとられていて、長女とじっくり遊んであげることができませんでした。夫が育休を取っていたので、長女の面倒は夫にほとんど任せっきりに……。 2歳の長女はイヤイヤ期の真っ最中。言うことも聞いてくれなくて面倒に感じてしまうこともありました。新生児の次女は大人しかったので、私も次女の新生児のかわいさにぞっこんでべったりだったと思います。 そんなとき、夫に「長女を避けているようにみえる」と言われてしまったのです。 後悔の涙次女が0歳のころは頻回授乳で、私は朝なかなか起きることができませんでした。でも、長女はいつも私より早く起きていてくれたのです。また、長女はいつも朝起きてから育児用ミルクを飲むのですが、私を起こさないように気遣い、寝ているふりをして我慢してくれていたことを夫から聞きました。 私はその行動に気が付くことができず、長女に今までなんて申し訳ないことをしてしまったのかと後悔して泣いてしまいました。 当時を思い出すと、急に妹ができた長女のケアをしないどころか距離を取ってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。次女が生まれてから私に気を使ってくれていた長女は、もうすでに立派なお姉ちゃんだったのだなと思いました。 著者:堀川京香
2024年05月27日「里帰りするんでしょ」と、誰もがそう声をかけてきて……。母親のことが苦手な私は里帰り出産をしない少数派で、里帰りしないその選択は親不孝なのだろうか……。そう悩んでいました。実際に里帰りしないで2人の子どもを出産。デメリットばかりではない、夫婦で向き合った出産と育児の経験をお伝えします。 母親が苦手な私は「里帰りしない出産」へ私は遠方へ嫁いだため、母親と会うことも少なくなっていました。待望の妊娠が判明してすぐ私が考えていたのは、里帰り出産をしなくてもいい方法でした。母親のことが苦手な私。里帰り出産をして、母親と顔を合わせれば喧嘩してしまう……。 出産後、実家で子育てすることを想像しただけでストレスを感じました。周囲の反対を押し切り、夫を説得し、誰も頼ることのできない自宅アパートに残ることを私は決意しました。 出産! 産後1カ月を乗り切った方法出産当日。初めての陣痛も夫婦で乗り越え、無事に元気な男の子を出産しました。私の入院中、夫は自分のことだけでも大変だったのに、わが子を迎え入れるために部屋を掃除し、さらに退院の準備でバタバタしたようです。 退院後、必要な物はネットで購入。注文した翌日に商品は届きます。退院1週間後の健診は、タクシーを利用しました。産後1カ月の間、洗濯は後回し、掃除もしない……。食事は健康的なメニューの宅配弁当に頼り乗り切ったのです。 里帰りしない出産の最大の利点は?無理しないことを大前提に、私はファミリーサポートや産後ヘルパーなどさまざまなサービスを利用することに。おかげで産後3週間は、ほぼわが子のお世話だけをして体を休められました。何より私の心が穏やかでした。 ただただ眠るわが子を夫婦で愛おしく見つめ、困ったことは夫婦で試行錯誤する。産後1カ月間、わが子と私のために頑張ってくれた夫。いつもそばにいてくれた夫のことを本当に信頼し、良いパートナーだと実感できました。里帰りしない出産で私の心身は健康に、そして家族の絆は深くなったと感じています。 産後はささいなことで不安になったり、苛立ったりしていた私ですが、実家に帰れば余計なストレスを感じていたはずです。しかしアパートに残ったことで、夫や友人に相談しながら育児に奮闘できました。2人目も里帰りはしませんでしたが、さらに夫がたくましく思えました。もし3人目を妊娠しても、迷うことなく私は里帰りしない出産を選択します。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ライコミ著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月27日出産直後、早くわが子に会いたいだろうと思い、県外にいる夫へ「週末会いに来る?」と連絡をしました。すると「サバゲーに行く予定だから無理」とまさかの返事が! 夫はさらに衝撃の発言をしてきて……!?赤ちゃんや私より、遊び優先!?待望の長男出産直後の話です。出産予定日を5日も超過し、結局緊急帝王切開での出産になりましたが、無事に生まれてホッとしました。私1人で実家へ里帰りしての出産だったので、県外にいる夫へ出産の報告と、産後14日以内の手続きもお願いしたく、何より早くわが子に会いたいだろうと思い、「週末会いに来る?」と連絡しました。すると「今週は無理だから、今度行く」とそっけない返事が返ってきたのです。む、無理とは……? 週末は仕事が休みのはずなのに……。わが子に早く会いたくないの……? と困惑し、「どうして無理なの?」と聞き返すと、なんと会社の人に誘われてサバゲーへ行ってくるというのです。しかも「先週だったら空けてたのに、予定日がズレたからさぁ……」と、予定日を超過したこちらが悪いかのような物言いでした。都合よく予定日ちょうどに生まれてくるわけないでしょ! 産後の私の体調をねぎらう素振りもなくて、怒りを通り越して呆れました。 結局、会いに来たのは翌週末で、たったの1日だけ。仕事の都合もあるだろうし、休みを取ってでも会いに来てとは言いませんが、産後の手続きもギリギリになってしまったし、もっとわが子との対面を喜んでくれると思っていたのに……。残念な思いをしました。 作画/赤身まぐろ著者:碓井 あかり
2024年05月26日出産予定日まであと3日となった日の深夜、自宅で破水した私。寝ている夫を起こし、夫の運転で産院へ向かいました。コロナ禍だったこともあり、その産院では「出産に立ち会うことは可能だが、分娩室に入ったら出産が終わるまで外には出られない」というルールが設けられていました。「初産は時間がかかる」と聞いていた私は、いったん夫に自宅待機してもらうことに。しかし、これがのちのモヤモヤを生むのです……。 夫が遅れて来た衝撃の理由産院に着いてから1時間後には、陣痛は7分間隔に。初めての出産ということもあり、不安で何度もナースコールを押して助産師さんに来てもらってしまいました。陣痛室が真っ暗だったこともあり、今までで一番長い夜のように感じられました。 朝7時半ごろ、子宮口が4cmになり、陣痛室から分娩室へ移動することに。そのタイミングで、夫に「病院に来て」と連絡しました。 分娩室に移動してからは、さらに陣痛が強く、間隔も短くなっていきます。痛みが来てもいきめないし、痛みが去っても次の陣痛が怖くて、私は早く夫に来てほしいと思いながらただただ耐えていました。 しかし、1時間経っても夫はまだ現れません……。 見かねた助産師さんが、夫に電話をかけてから10分後――。ようやく夫が来てくれました。 陣痛が来るたびにおしりをおさえてくれたり、水分をとるのを手伝ってくれたりとサポートをしてくれた夫。分娩室に移ってから子宮口は1時間に2cmのペースで開いていました。 そして、夫が到着してから2時間半後――。 最愛の娘が産声を上げました。私はほっとしたのと、痛みからの解放で気が抜けたので、涙も出ませんでしたが、夫は声をあげて泣いていました。 夫に到着が遅れた理由を聞くと、長丁場に備えてお風呂に入って身なりを整え、自分の着替えを持ち、コンビニで自分の食べ物と飲み物を調達していたとのこと。私が陣痛で苦しんでいるときに、なんて悠長な……と呆れてしまいました。 たしかに、臨月に入ったときに「初産だから時間がかかるかもしれない」「長丁場に備えて食べ物や飲み物は事前に用意しておいてね」とは伝えていました。夫は決して間違ったことはしていないのですが、こちらは命懸けでお産に挑んでいるのだから一刻も早く駆けつけてほしかったです。 もしも次の出産があれば、そのときは「連絡したらすぐに来られるように用意しておいてね!」と伝えようと思っています。 イラスト/はたこ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:中谷みなみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月26日2016年の春、出産予定日よりも10日早く長女を出産したぷにらーさん。念願の第1子が生まれて幸せいっぱいかと思いきや、出産後ある壁にぶつかってしまって……!? 出産後、つらい現実に直面。悪戦苦闘をするも… 出産後、自分が陥没乳頭であるということを知ったぷにらーさん。 「私の胸って変な形なんだ……。吸いにくくてごめんね」 赤ちゃんに謝りながらも直接授乳の練習をしたり、ニップルを使うなど、赤ちゃんが母乳を飲めるようになるか模索する日々を送っていました。 そんなある日、新生児後期健診で体重が増えていないことを指摘されてしまいます。 「母乳をあげたあとにミルクを追加して、3日後に病院などで体重を測ってこちらに連絡してください」 さっそくその日から、健診で言われた通りに授乳後は育児用ミルクをあげることに。 その3日後、ちょうど近所で赤ちゃんの測定・相談会があったため、そこで体重を測ってもらうことにしたのですが……。 「測定ですね」 「はい、あの……この子の体重が増え……てなくて……」 ぷにらーさんの目からは、涙がボロボロとこぼれてしまったのでした。 今まで必死に耐えていた感情が、ついに耐え切れなくなってしまったぷにらーさん。初めての育児でただでさえ不安なのに、今回のような状況になってしまったら、精神的につらくなってしまうのも無理はない気がしました。今回の健診では、測定のみにチェックを付けていましたが、一緒に育児の相談もしてもらったほうがいいかもしれません。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター ぷにらー2016年生まれの長女と2018年生まれの次女の姉妹を育児中。旦那の行動力に振り回されつつ、愉快な日常や体験談を描いていきます。
2024年05月25日出産前は「育児は2人で頑張ろう」と言ってくれていた夫。しかし、出産後に育児が始まると、無職で時間があるはずなのにワンオペを強要してきて……!?ワンオペを強要する夫出産を終え退院した直後、夫は転職の間に期間があり1カ月間無職でした。それなら育児を手伝ってもらえるとホッとしていましたが、来る日も来る日も夫は夜の早い時間に寝て昼過ぎに起き、また夜早くに寝てを繰り返す日々。夜泣きの対応なども一切してくれません。 昼はどこかに出かけていて、24時間ずっと私が子どもをみていました。あまりにも寝不足になり、少しでもいいから代わってほしいとお願いすると、なんと「僕がおらんでもいけるやろ」と言われました。どこにいけるんでしょうか。全然いけません。夢の国に行きたいのに……。出産前に「子どもの面倒は2人で見ようね」と言うと「親やねんから当たり前やろ」と答えてくれていて、そのとき感動しただけにショックが大きかったです。 「あなたがいないとだめなの」と、支えてもらいたい風のか弱い妻っぽい雰囲気を出しましたがやっぱり面倒を見てくれなかったので、保健師さんや助産師さんの訪問をお願いしてなんとか今まで育てています。助産師さんがいなければ夜泣きのひどい時期は乗り越えられませんでした。とても感謝しています。夫には育児への協力は期待せず、外で稼いできてもらおうと決めました。 作画/森田家著者:鶴多こまち
2024年05月25日長男を出産しようとしている私の横で、なぜかハイテンションの夫。ずっと鬱陶しいと思っていると、看護師さんが思わず爆笑する展開になり……!?看護師さんがまさかの爆笑!?長男出産時のことです。その病院では出産時、好きな音楽をかけてもいいとのことだったので、夫婦揃ってアニメ好きの私たちは少年漫画が原作のアニメのオープニングソングを流してもらい、出産に挑みました。 初産ということで夫が立ち会っての出産だったのですが、難産になり私はかなり大変で、もう何が何だかわからない状態に。しかし夫はなぜかテンションがハイになっており、曲に合わせて私に呼吸法を促してきたり、そのアニメのセリフを言ってきたりと、夫なりに頑張ってくれてたのですがかなり鬱陶しく……。その時の私はテンションの高い曲や夫を含めた全てが邪魔だと感じていたので、思わず夫に「うるせぇ!爆散しろ!」と叫んでいました。夫は絶句し、先生と看護師さんは必死に笑いを堪えています。そしてついに生まれる! という時「あ!? なんか出る!何? 何が出るの!?」という私の間抜けな叫びでついに看護師さんは吹き出し、大爆笑! 大変だったけれど思い出に残る愉快なお産となりました。 必死だったとはいえ初めて夫に暴言を吐いてしまった私。当時の夫はかなりショックを受けたようですが、今では笑い話としていい思い出になってます。この事で学んだ事といえば、いくら好きとはいえテンションの高い曲を出産時にかけるのは考えものだな、ということ。娘の出産時は、静かなアニメソングを選曲して挑みました。 ※イラスト内のマスクは省略しております。 作画/森田家著者:鈴原 美咲
2024年05月25日出産を機に東京から自然豊かな沖縄に移住した、モデルの武智志穂さん。大好きな地で双子の子育てを楽しむ志穂さんに、ママライフを綴ってもらう人気連載。第45回目は、親子留学シリーズの第三弾【親子留学の費用と滞在先】について。気になる学費やシーズンによって金額が異なる渡航費、現地で安心して過ごすための事前準備など。親子留学を検討中のママパパはぜひ参考にしてみて!2つ前のコラムから、わたしの夢のひとつでもあった、3歳の双子の息子たちとの母子留学の様子を絶賛お届け中です!母子留学前にインスタグラムのストーリーズにて【母子留学について知りたいことや質問はありますか?】とフォロワーさんにお伺いしたところ、ありがたいことにたくさんの方からいろんな質問をいただきました。いただいた質問をざっくりとカテゴライズしてみると【滞在中の子どもの食事】【わたしや息子たちの英語レベル、英語ができないと母子留学は難しいか】【母子留学にかかった費用】【用意していったもの&持って行ってよかったもの】【滞在先】【子どもが喜ぶお出かけスポット】【現地での体調不良やケガ、事故にあったときなどの対処法】に分けることができました。ということで、数回に分けていただいた質問にお答えしつつ、母子留学の様子をコラムに綴っています。母子留学シリーズ3回目。まず最初は【滞在先】についての質問についてお答えしたいと思います!留学中の滞在先の選択肢は、ホームステイ、シェアハウス、寮、ホテル等ありますが、わたしの希望はコンドミニアムでした。コンドミニアムはマンションの一室のようなイメージ。生活をするのに必要な家具・家電、キッチンが備え付けられているので、自分の好きなタイミングでお風呂に入ったり、お洗濯をしたり、お料理をすることができます。子連れだといろいろ気を使う場面があるので、コンドミニアム滞在はとてもおすすめです。留学前のオンライン打ち合わせで予算や要望を留学エージェントさんに伝えて、それに応じた最適なプランを提案していただくのですが、今回わたしが母子で滞在するにあたって譲れなかった住まいのポイントは……⚫セキュリティがしっかりしている⚫周辺も子連れで出歩ける治安のよさ⚫スーパーなどがすぐ近くにある⚫語学学校やプリスクールに歩いて通える距離⚫母子3人でも窮屈ではない広さが欲しい↑上記の5点でした。エージェントさんに提案していただいた内容は、わたしの思い描く理想通り……いや、それ以上の夢のようなプランでした!コンドミニアムのお部屋は、広々としたリビング・キッチン、2ベッドルーム、2バスルーム(ひとつは浴槽付き)、ウォークインクローゼット、ワークデスクもありました。37階のお部屋に滞在していたので景色もとてもきれいで、毎晩眠りにつく前に夜景を眺めながら、その日あった楽しい出来事などを3人で話し合っていたのがいい思い出です。警備員さんが常駐していて、居住区の下にはなんと大きなモールがあり、何から何まで揃ってしまうという便利さ。モールの中にプリスクール、オフィス棟に語学学校があるから、外出しなくてもすべてが完結してしまうという快適さ!日本食も豊富に揃う大型スーパーには、ケージフリーの卵が数種類あって選ぶことができるし、オーガニックの乳製品や野菜や加工品などのエシカルな商品も充実していたし、ノルウェー産のサーモンや日本人には嬉しい明太子やししゃもまで揃っていました。これは自炊メインのわが家にとっては、とても嬉しいポイントでした!飲食店も豊富で、トイザらスやプレイランドまであるから、子どもから大人まで一緒に楽しむことができました。本当に至れり尽くせりで、弟の絢士は何度も「ここに住みたい!」と言っていました。さらには居住者のみが使用することができる大きなプールやジムまで完備されていて、POOL LOVERなわたしたちは、数えきれないくらい利用させていただきました。遊具もいくつかあって、子どもたちはいつも大はしゃぎ!やっぱりプール付きのお家って憧れる〜!滞在先はこんな感じで、何ひとつ不自由なく母子留学を楽しませていただきました。しかし気になるのは費用……ですよね?ここからは今回のコラムふたつ目の質問【母子留学にかかった費用】にお答えしていけたらと思っています。母子留学するにあたって、航空券と宿泊先の手配以外すべてを留学エージェントさんにお願いしました。まずは通年あまり変化がない学費からご紹介。⚫プリスクールプラン1週間¥88,000(子ども1名追加は+¥40,000、期間の追加は1名1週間¥35,000)⚫語学学校プラン1週間¥99,000(子ども1名追加は+¥50,000、期間の追加は1名1週間¥40,000)という感じです。ちなみにですが、わたしのようにオプションで親が語学学校へ通う場合、マンツーマンで1時間¥3,500くらいでした。要望に応じて自由に時間割がつくれる感じでした!留学費用が大きく変わってくるのが、航空券代と宿泊費!!!わたしがマレーシアを訪れた3月初旬〜中旬は春休みで賑わう前のローシーズン(閑散期)。なので航空券代も宿泊費も比較的お安い時期でした。航空券は3人往復で合計約¥290,000。(羽田〜クアラルンプール直行便)宿泊費はわたしが滞在していた同じコンドミニアムでも、貸し主が違うと料金設定もバラバラになってはくるのですが、だいたい1泊¥7,000〜¥12,000。留学費用をおさえたいのであれば、断然ローシーズンに行くのがおすすめ!下手したら2倍くらい違ってきます……航空券も直行便じゃなく乗継便を選べば、もっと価格は低くなります。そしてわたしの肌感にはなりますが、自炊よりは外食の方が出費をおさえられる気がしました(買い物に行くスーパー、食べに行くお店にもよりますが)。マレーシアはスパイシーな食べ物が多いので、幼児連れの外食だと、どうしても栄養が偏ってしまいます。なのでわたしたちの場合は自炊が多めでしたが、ある程度いろんなお料理を食べることができるお子さんだと、楽ちんだし外食がいいかも!クアラルンプール内での移動はすべてGrabタクシーを利用していましたが、2週間いろんな所へ出掛けても合計約¥12,000でした。最後は絶対に忘れちゃいけない海外旅行保険の費用!わたし自身はクレジットカードに付帯している保険で賄いましたが、息子たちの保険費用は合計約¥22,000。ピンからキリまでいろいろな保険がありますが、万が一の事態に備えて十分な対応ができるものを選びました。わたしたちの場合だと、かかった費用はざっとこのくらい。親子(母子)留学を検討されている方の参考になれば幸いです。それでは今回はこのへんで♪また次回!PROFILE武智志穂さんファッション誌、TV、CM、ラジオなどモデル発のタレントとして10年以上のキャリアを持つ。現在は、美容・グルメ・アウトドア・音楽・旅行などライフスタイルを発信し、同世代の女性から高い支持を集める。出産を機に沖縄に移住し、双子の男の子の育児に奮闘中。Instagram:@shiho_takechi
2024年05月25日1人目の子どもを出産するとき、夫は分娩室でいびきをかいて爆睡していました。その後の育児でも寝ていることが多く、育児を任せるのは無理だと諦めた私は……。寝過ぎな夫夫は昔からとにかく眠気に勝てない人で、私が妊婦だろうが、どんな状況だろうが寝てしまいます。1人目の出産時、分娩室で私が必死になって赤ちゃんを産もうとしている中、なんと夫は椅子に座っていびきをかいて寝ていたのです! 現在は子どもが3人になり、生後2カ月の末っ子のお世話で寝不足な私をよそに、3歳の長男をお昼寝させると言って長男より先に寝始め、長男よりあとに起きています。たまには「俺が子どもたちを見てるから休んでおいで」くらい言ってほしいです……。 しかし最近は諦めています。子どもを任せると寝てしまうので、買い出しや料理などの別の家事を手伝ってもらうことに。そうすることで、いいバランスで家事と育児の役割分担ができています。不得意なことを無理に任せるよりも、できることを頑張ってもらえばいいかなと思うようになりました。 作画/森田家著者:川上 栞
2024年05月24日妹の里帰り出産は、まさかの連続でした。地元の産婦人科の院長先生の診察を受けていた妹。朝におしるしがあって、慌てて産婦人科に行った妹は、予期せぬ出来事に見舞われたのです――。 まさかこんなことが…妹のおしるしがあった日、産院に着くと、院長先生は体調不良でお休みしていたのです。臨時で他院から来た先生が妹を診てくださることになりました。院長先生を信頼していた妹は少々困惑気味でした。 ただ、まだ陣痛もなく、子宮口も開いてなかったため、いったん実家に帰って様子を見ることに。 その後――。 「陣痛が10分間隔になったら来てください」と言われた妹。陣痛が10分間隔になったのはその日の夕方のことでした。私の運転でいざ産婦人科に向かうと、今度は朝、診てくださった先生がいなくなっていました……。 どうやら交代のタイミングだったようで、朝の先生は帰り、他の先生がこちらに向かっているとのこと。産婦人科についたころには8cmだった子宮口も、新たな先生が着くころには全開大になっていました。 ギリギリで先生が間に合い、無事に出産を終えた妹。ずっと妹のそばについていた私ですら、せわしない出産だと感じたので妹はもっと感じたことでしょう。 見知った先生が出産のときにいてくれるとは限らないのだなと、お産は本当に何があるかわからないのだと実感しました。現在、第1子を妊娠中の私。子どもが無事に生まれてこられるように、できる備えだけはしっかりしておこうと思いました。 イラスト/はたこ ※おしるしは出産のサインではありますが、あったからといってすぐにお産が始まるわけではないので、慌てて病院へ行く必要はありません。おしるし後は3日前後で陣痛が始まると言われていますが、中には1週間後だったという人もいます。入院準備の確認や、家の中の片付けなどをして、赤ちゃんを迎える準備をしましょう。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:玉木ひよこ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月24日私は出産後、初めての育児と家事をこなすことで精一杯になりながら毎日を過ごしています。しかし、今まで日中ベビーベッドで寝ていた赤ちゃんが、突然ベビーベッドに寝かせると泣いて起きるようになってしまい困っていました。しかしそんなある日のこと。その問題はあっけなく解決することになったのです。 ベビーベッドに寝かせると泣く私は赤ちゃんが生まれてからずっとベビーベッドで寝かせていました。しかし、生後1カ月ごろから赤ちゃんが日中ベビーベッドで長時間寝なくなったのです。私が赤ちゃんを抱っこしている間は寝ているのですが、赤ちゃんをベビーベッドに寝かせると10分ほどで泣いて起きるようになりました。 泣いて起きた赤ちゃんを、私はまた抱っこしながら寝かせて、赤ちゃんが寝たらベビーベッドに連れていきます。そして、また10分ほどで赤ちゃんが泣いて起きることの繰り返しで、私は家事がほとんどできずに困っていました。 抱っこのし過ぎで手首が痛くなる赤ちゃんが長時間ベビーベッドで寝なくなったため、赤ちゃんを抱っこしている時間が増えました。私はよく左手を使って赤ちゃんを抱っこしていたため、半月が経ったころから、左手首と左肩に痛みを感じるようになりました。 日中は育児と家事の忙しさで左手の痛みを忘れられていたのですが、夜になると痛みが強くなって動かすことがつらかったです。このままでは左手の痛みはひどくなっていく一方だと思い、赤ちゃんを寝かせるためにバウンサーを使ってみたりしましたが、効果はありませんでした。 赤ちゃんが泣いて起きる原因を発見!ある日の日中、私はいつものように赤ちゃんを抱っこしていたのですが、赤ちゃんと密着しているため暑く感じてエアコンをつけることにしました。エアコンをつけたあとにどうしてもトイレへ行きたくなり、私はまたすぐ泣いて起きるんだろうなと思いながら赤ちゃんをベビーベッドに寝かせました。 すると、トイレから戻ってくると、赤ちゃんがすやすやと寝ているのです! 赤ちゃんはそのまま、ベビーベッドで夕方ごろまで寝続けました。もしかしてと思い、この日からエアコンをつけてみると、赤ちゃんがベビーベッドで寝るようになったのです。抱っこのほうが暑いと思うのですが、わが子にとっては日中のベビーベッドのほうが暑くて不快に感じたのかもしれません。 赤ちゃんが暑いせいで泣いて起きていたとは思いもしませんでした。しかし、夜ベビーベッドで寝ていたのは日中より涼しかったからかと思い当たる節があります。大人が暑いと思っていなくても、赤ちゃんにとって暑いことがあるんだなと学びました。不快な状態のせいで泣いていたことに気づけず、ごめんねと思った出来事です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/そら著者:佐藤ふみ1男の母。結婚を機に離職。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月23日私は退院着のベビードレスは手作りしたいと思い、妊娠中に頑張って作っていました。義父母にもそのことを報告済み。しかし出産後、義父母が持ってきた出産祝いはベビードレス……? 驚く私に、義母はとんでもない理由を口にするのです。 あれ?義父母の出産祝いもベビードレス!?不器用ながらも、なんとか頑張ってベビードレスを完成させた私。うれしくなった私は義両親にも完成品の写真をメールで送信。メールの返信はなかったのですが、生まれてくる子どものことで頭がいっぱいで、特に気にしていませんでした。しかし出産後、義父母がなんと、出産祝いにブランドのベビードレスを渡してきたのです……。「え、ベビードレスは手作りのものがあるんですが……」と伝えると、「あんな不細工なドレス、孫ちゃんに着せられないわよ!」と義母。さらに義父も、「恥ずかしくない立派なドレスを買ったからな」と言ってきます。どうしてこんなにボロボロに批判されないといけないのか、私は涙が止まりません。すると、夫が「ブランド物と比べたら立派ではないかもしれないけど……、この子の退院着には、気持ちがこもった妻のベビードレスを着てもらうから!」とビシッと伝えてくれました。義両親は夫からきつく言われたことで動揺し、「そうよね、ママの気持ちがこもっているほうが孫ちゃんも喜ぶわよね。無神経なことを言ってごめんなさい」とその場で私に謝罪。 初孫に良いものを着てもらいたい! という気持ちが暴走してしまった義両親。今後は、夫や私の意見を無視した行動はしないと約束してくれました。相手の気持ちを尊重できる人でいようと新ためて心に決めた出来事です。 作画/Pappayappa著者:桂ゆかり
2024年05月20日初めての子どもが生まれたときのことです。当時、独身だった友人から出産祝いが送られてきました。出産したことは伝えていたものの、まさかプレゼントをもらえるとは思わず、一気に舞い上がった私。しかし、届いた贈り物を見て戸惑ってしまったのです……。 友人からの出産祝い友人が贈ってくれたものは、乗って遊ぶタイプの大きなおもちゃでした。「よかったら使ってね!」とメッセージをもらったのですが、対象年齢は3歳~となっており、新生児のわが子が使えるのは当分先。そしてベビーベッドやベビー服収納などで居住スペースはすでに圧迫されていたため、部屋には置いておくスペースがありません。 もちろんお祝いの気持ちにはとても感謝していますし、贈ってくれたことがとてもうれしかったのですが、扱いに少し困ってしまったのも率直な感想です。 そして、悩んだ結果、好意でもらったものだからと、夫と相談して対象年齢になるまで押し入れの奥にしまっておくことに。およそ3年後――。 子どもが遊べる年齢になったのと、ベビーベッドなどがなくなって部屋にスペースができたので、押し入れから取り出しました。けれども子どもが乗って遊んでくれたのは、たったの2~3回程度。すぐに飽きてしまい、その後は見向きもしなくなってしまいました。 友人には大変申し訳ない気持ちでしたが、綺麗な状態のうちに欲している人の手に渡るようにと思い、そのおもちゃはフリマアプリに出品することに。 好意でもらったプレゼントだからこそ、扱いに困ることがあるということを身をもって体験しました。それからは、誰かにプレゼントを贈る際は「何がいい?」と聞くようにしています。消耗品にしたり、ギフトカードにしたりするのも良いかなと思っています。 イラスト/きりぷち著者:加藤絢香
2024年05月20日母乳育児からミルク育児に移行したママの体験談です。出産後、ママも赤ちゃんもいろいろなことが初めての状態。育児への自信をなくした時期を経てミルク育児で元気に育つ娘が、育児への自信をつけてくれたという話です。初の出産と育児をとても楽しみにしていた私。赤ちゃんを産むというのは大変ながらも、そのあとの子育て、特に母乳をあげることをとても楽しみにしていました。しかし、その楽しみは毎日涙を流す育児の始まりだったのです。じょうずに母乳をあげられなかった私。なかなかおっぱいを吸えない娘。周りの人からは、「なぜ母乳で育児ができないのか」と言われる毎日。母乳から育児用ミルクで育てることを決めた、私の育児体験談です。 母乳で子育てするものだと思っていた私の出産前の子育てイメージだと、出産後すぐに自然と胸が張り母乳が出て、赤ちゃんも本能で母乳を吸えるようになるものだと思っていました。しかし実際は、出産後すぐには私の胸が張ることはありませんでした。 2日後ぐらいにようやく胸が張り始め、母乳が作られているのを体で感じ、次は娘に吸ってもらうだけ!と思っていました。これも本能で赤ちゃんはできるものだと思っていた私は、母乳さえ出ればあとは大丈夫、“母乳で子育てができる”と期待していたのでした。 周りから押しつけられる理想の育児私は里帰り出産で、出産後2カ月ほど実家で過ごしていました。実家にいる祖母は3人の子どもを、母は私と兄を、義姉は甥っ子にあたるひとり息子をそれぞれ母乳で育てました。そのため、母や祖母は、母乳育児以外の子育てなんてありえない、という考えだったのです。 母乳は出ていたのですが、乳首が短く外側を向いていたため、舌に乳首が当たらず母乳をじょうずに吸えなかった娘。育児用ミルクにせざるを得ない状況に。搾乳をしていましたが、だんだんと母乳が出なくなってしまいました。そんな中、「なぜミルクなのか、母乳ではないなんてありえない」と母や祖母に言われ続けたのでした。 私の考えを変えたのは娘の存在街中で母親より少し上の世代の方に、母乳かミルクかを聞かれることがあります。「ミルクです」と答えるたびに母乳ではない私には劣等感が生まれ、もう母親失格なのではないかと思うように……。そんな私を変えたのは、生後半年を迎えたかけがえのない娘の存在でした。 育児用ミルクで育った娘は身長も体重の増え方も順調、風邪ひとつひかず病院にお世話になることもほぼなく、とても元気に育っています。そんな娘の姿を見ているうちにミルク育児でも私に自信が生まれてきました。 当時母乳育児にこだわっていた私ですが、育児用ミルクでも日々元気に育っていく娘の姿を見るうちに育児への自信もついてきました。母乳でも育児用ミルクでもそれぞれ良いところがたくさんありますが、一番はママとして私が無理のない子育てをすることが大切なのではないかと思っています。現在2歳の娘は今でも風邪もひかず元気に育っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/さくら著者:渡邉香澄0歳、2歳の年子姉妹のママ。ベビーマッサージセラピスト・幼児食インストラクター・上級幼児食インストラクターの資格を取得。ベビーマッサージ教室を運営中。ベビーマッサージセラピストをしつつライター業も兼業。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月20日私が2人目の出産をしたときのエピソードです。夫は出張中で、立ち会い出産をすることができず、私は1人で出産をすることになりました。人の気も知らないで…大きめの赤ちゃんだったので、とても大変な出産でした。日付が変わったころに生まれたのですが、夫に報告しようとテレビ電話をかけました。すると、出張先で呑んでベロンベロンに酔っぱらっている夫の姿がそこにありました。人が必死の思いで子どもを産んでいるというのに、何をのんきに呑んだくれているんだ……。と本当に怒りと不満で爆発しそうになりました。 ◇ ◇ ◇ 出張から戻り病院に駆けつけた旦那はお酒臭くて、本当にイライラしました。産後で色んなバランスが崩れていた私にとっては、赤ちゃん産まれて嬉しいはずなのに、そんな旦那の態度がストレスでしかありませんでした。 作画/さくら著者:松尾沙友理30代、中学生の長男・小学生6年の長女・小学生2年の次男がいるママです。
2024年05月19日yopipiのプチプラコーデ〜ときどき育児日記〜
発達障害と診断された息子の中学高校生活
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