2022年9月28日 18:15
「学校の標準」に苦しむ子どもたち。「一度しか言わないからよく聞いて」はインクルーシブ教育を否定する指導方法――精神科医・本田秀夫先生
ほかの大多数の子どもよりも、困難が多いように感じます。それはなぜでしょうか。
私はその要因の一つに「学校の標準が狭すぎること」があると考えています。いまの日本の学校には、子どもが「標準的にやるべきこと」が多すぎます。
私は、いまの学校では子どものやるべきこと、守るべきことが多すぎて、「標準」が狭くなっているように感じます。その「標準」をこなせる子どもはよいのですが、発達の特性がある子どもは、すべての活動を「標準」に合わせるのは難しい場合もあります。
ローカルルールは少ないほうがいい
学校には多くの子どもたちが集まっています。集団で活動するためには、一人ひとりが一定のルールを守ることが欠かせません。
ですからなんらかの「標準」は必要です。子どもたちが学校で集団行動のルールを学ぶことには、意味があると思います。
しかし、ルールが細かくなりすぎると、それがいじめの温床になることもあります。例えば「校舎内の廊下は左側を歩きましょう」という決まりをつくることは、衝突を避け、人の流れをスムーズにするためには有効です。しかし、それを破ったら罰を与えるような厳しいルールにしてしまうと、ある子どもが右側を歩いたときに、ほかの子どもがそれを強く注意したり、先生に言いつけたりすることが出てきます。ルールから少しはずれただけで、非難するような風潮ができていくわけです。
私は、学校内のローカルルールは、少なければ少ないほどよいと思っています。
「学校の標準」に苦しむ子どもたち
「学校で、みんなと同じようにできない」ということに悩み、登校できなくなった子どもたちを、私は大勢みてきました。
私は「学校の標準」が狭いこと、大人たちが学校をきっちりとつくりすぎてしまったことが、一部の子どもたちを苦しめているのではないかと思っています。
また、学校のように大勢で集まって活動する場所では、「一緒に遊ぶと楽しいよ」「全員一丸となってやれば、必ずうまくいく」というふうに、「みんなで一緒にやるのがいいこと」という価値観を強く押し出し、しかもそれを目標にしてしまうことがあります。
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28174007523
学校で「みんなで一緒に」を目標にしない
グループをつくってお互いに協力し、それぞれの長所を生かして一人ではできないことをするというのは、よいことだと思います。