昭和の残像 鉄道懐古写真 (61) 旧型国電の「幽霊列車」現る! その行先は…
行先不明の列車がホームに滑り込む。
薄汚れた茶色の電車に、乗客の姿はゼロ。
数分後、ひっそりとどこかへ走り去っていく。
まるで「幽霊列車」のように……。
72系が次々と引退した1978~1980年にかけて、首都圏の主要駅で目撃された光景です。
この「幽霊列車」の名は「廃車回送」。
終着駅は大船工場(当時)。
到着後は工場内での解体が待っていました。
そう、「幽霊列車」の行先は「墓場」だったのです。
今回は、鶴見線から72系が引退してから約8カ月後に運転された「廃車回送」の様子を紹介します。
1980(昭和55)年1月20日、首都圏最後の72系が鶴見線から引退しました(当連載第42回「首都圏最後の”73形”が走った鶴見線」参照)。
101系に置き換えられた72系は次々と廃車・解体となりましたが、一部の車両は大船工場での解体スケジュールの影響もあり、解体されるまでの間、横浜線橋本駅電留線に留置されていました。
ピーク時には3連が4本、計12両が”解体待ち”をしていました。
それから約8カ月後の1980年9月、橋本駅の電留線から72系最後の廃車回送が行われました。
この廃車回送は、橋本駅から横浜線経由で東神奈川駅へ、そして京浜東北線経由で大船駅から大船工場へ、というルートで運転されました。