皆が憧れるステージで活躍する大人って、どんな子ども時代をすごしたのでしょうか? ゆめを叶えた大人はどんな風に育てられたのか、人生まだまだヒヨっ子のちゃずがインタビュー!
第5回に登場していただく松本梨香さんは、アニメ『ポケットモンスター』の主人公サトシ役を演じることで有名です。また、同アニメの初代オープニングテーマ曲『めざせポケモンマスター』を歌うなど、歌手としても人気を集めています。
■子どもの頃から、ポケモンのサトシみたいな性格だった!?
ちゃず:当サイトの読者には、松本さんがキャラクターを務めるアニメを親子で観ている方がたくさんいらっしゃいます。私も、小学生の頃から『ポケットモンスター』のサトシを観てきたひとり。こんな男の子がクラスにいたらいいのになあ、といつも思っていました。
松本さんご自身は、どんな子ども時代を送られていたんですか?
松本:劇団の座長を務める父と、面倒見のよい母のもとに生まれました。両親ともに性格が明るく、人望が厚い。下町で近所づきあいも良く、家に鍵をかける必要がなかったんですよ、必ずいつも誰かしら遊びにきていたから(笑)。
毎年、大晦日には劇団員の人たちが大掃除に来てくれて、私も指示したり、一緒に掃除したりしていました。そういう家庭にいたからこそ、自然と誰にでも話しかけ、よく話しかけられる、人見知りしない子に育ったんだと思います。
ちゃず:松本さんのとても明るい性格は、家庭環境によるものだったんですね。
松本:実は、明るくなった理由はもう1つあって。学校で自分がした発言や行動で、友だちが笑ってくれるのがうれしかったんです。歌もそう。私が歌うと、両親が「うまいうまい」と言って笑顔になってくれるのがうれしかった。
人前で何かすることが、昔から好きでした。3歳の頃から習っていた日本舞踏のお教室でも、先生の前で踊ると飽きちゃうのに、先生のお弟子さんたちの前では間違えずに最初から最後まで完璧に踊れる、みたいな(笑)。
ちゃず:では、昔からの知り合いの方々は、現在の松本さんの活躍を見て、「やっぱりな」って思っているかもしれませんね。
松本:「オリンピック目指せばよかったのに」って。横浜市の800メートル走の新記録を出したりしているんですよ。逃げ足が速かったので(笑)
父には、「芸は身を助ける」と教えられて育ちました。だから、小さい頃から三味線、英会話、日本舞踏と、習い事もいろいろやらせてもらってました。
ちゃず:それで、その能力を将来に活かそう、と?
松本:ハイ。 兄が障害をもっていたので、この能力を活かして兄を養おう、とずっと考えていたんです。私が何でもできるのは、兄が母のおなかのなかに忘れてきたものを、私が全部拾って生まれてきたからなんじゃないかなと思ったりしました。
兄をいじめる子とは真っ向から喧嘩もしました。
もともと正義感が強かったんです。泥棒を走って捕まえたこともあるくらいですから。
ちゃず:まるで、サトシそのものみたい!
松本:確かに、サトシの正義感に似ていると思う。サトシと言えば、ポケモンの言葉がわかるじゃないですか。私も動物の言葉がわかるんです。だから、サトシがピカチューに話しかけるシーンは、自分が飼い犬に話しかける感覚でやっています。けっきょく、「演じないことが、演じること」なんです。それを目指しています。
■主治医から告げられた、「舞台に立ったら死ぬ」
ちゃず:現在のお仕事を始めるまでの経緯を教えてください。
松本:10代の頃、父の劇団で3年間演劇の勉強をしたのち、商業演劇の世界に入りました。それからずっと舞台に立っていたんですが、19歳のとき大病を患い、主治医から「舞台に立ったら死ぬと思ったほうがいい。当分、舞台には立ってはいけない。」と告げられたんです。やむを得ず舞台を降り、入院したんですが、目の前が真っ暗になったのを覚えています。
ちゃず:どのくらい、病気と闘ったんですか?
松本:1年くらいかな。薬の副作用が強く、耳が聞こえにくいこととかもあって、本当につらかった。早く復帰して元気なところを見せないと、女優生命が断たれると思って、必死で主治医の先生に泣きつきました。
でも、主治医の先生は小さい頃から看てくれていたので、私のことを娘のように思っていました。
先生は本気で私を治したいがゆえ、副作用の強い薬を出したがりませんでした。そんな先生に対して、泣きながらお願いしました。
ちゃず:松本さんのお芝居に対する本気と、先生の松本さんに対する本気がぶつかりあったんですね。
松本:おかげさまで徐々に回復してきたものの、しばらくは歌ってもすぐ息が切れ、長時間立っていられない状態が続きました。そんななか、俳優の名古屋章さんが、声優のオーディションを受けることを勧めてくださったんです。お芝居は舞台だけじゃないよ、と。
ちょうどその頃、同期の山寺宏一さんも声優・俳優をやっていて、「梨香なら出来る」って背中を押してくれました。
兄もアニメ好きだったので、導かれているような気もして。それで、チャレンジしたのが、アニメ『新・おそ松くん』の声優オーディションだったんです。
ちゃず:それが声優への道の第一歩だったわけですね!
松本:当時、声優として演じるのは初めてのこと。声優って、ディレクターさんがうしろから見ている状態で演じるんですけど、ずっと舞台に立っていた身としては、相手にお尻を見せることが落ち着かなくて。それくらい、ド素人だったんです。
でも、このオーディションのとき、「ギャグのアニメだからこういう言い回しのほうが良いんじゃないかな」と思ってアドリブを入れてみたんですよ。そうしたら、ディレクターさんが気に入ってくださって。「この子がいたら現場が明るくなって、よい作品ができそうだ」と言ってくださっていたようです。
ちゃず:それから20年以上もの間、声優を続けられている。これってすごいことですよね。
松本:続けていると、声優をやっていてよかったと思うことがたくさんあります。例えば、あるお父さんから、柔道の練習に行かなくなってしまった息子について相談されて、その息子さんにサトシの声で電話をかけたんです。
それから10年後、そのお父さんが私に会いにイベントへ来て、とてもうれしいことを報告してくださいました。「息子は、あれから黒帯を得て、いまは子どもたちに柔道を教えているんですよ」と。
ちゃず:感動です! 今後はどんな活動を?
松本:日本を越え、全世界の子どもたちと笑顔で繋がっていきたいです。いまや、日本のアニメソングは海外でも合唱してもらえるくらい浸透しているんですよ。ライブもたくさんやっています。
お客さんが、みんな笑顔で帰れるようなエンターテインメントを生み出していきたいんです。それって、病気になって1度は「無理」と言われたこと。でも、やるべきだからこそ生かされている。そう考え、いまいろいろ頑張ってます。