吉沢亮の舞台俳優としての力量をみた 演劇ジャーナリスト・大島幸久が観た『マーキュリー・ファー』
撮影:細野晋司
白井晃が演出した『マーキュリー・ファー』の場面が進む。その半ば辺りから、それまで抱いていた現実感がさらに増していく体験は久しぶりだった。作者フィリップ・リドリーが描く物語は我が国が直面している、あるいはそう遠くない時に必ず到来するのではないか。そのように思わせる現実味があった。
興味を持っていた俳優は吉沢亮だった。NHKの大河ドラマ『青天を衝け』で主人公の渋沢栄一を演じて間もない仕事にこの翻訳劇に出演したからだ。舞台俳優としての力量をみたかった。
暗闇の中、上手の客席脇からトーチの明かりを頼りに舞台に入って来た。
そこは廃墟となった団地の部屋。不自由な足をひきずっている。兄エリオットの役だ。弟ダレンの北村匠海と会話が始まる。ともにまだ10代。この場面が恐ろしく、長い。だが、吉沢の台詞は客席にまで良く通った。
幻覚剤“バタフライ”を売買している兄と弟。
「ものすごく愛してる」と、くどい位、ふたりに繰り返される対話が印象付けられる。貶し合い、バカにしたり、兄は弟を支配するがそれでも両親や昔の楽しかった頃を思い出しながらギュッと抱き締めもする。これは家族の深い愛の話なのだ、と息がピタリと合うふたりの芝居から分かる。