2024年4月8日 12:00
明治学院大学国際学部 合場敬子教授が論文「無毛化する女子高生の身体」を発表
とツルツルの脛がよいという理由が共存していました。さらにツルツルの脛がよいという理由には、自分の外見をより望ましい状態にしたいという思いがあります。
これは寧音にとって、ツルツルの脛が「想像された自己」(the imagined self)(Widdows, 2018, 158)として構築されているからです。Widdows (2018)は多くの社会において「理想の美」(the beauty ideal)が支配的な「倫理的理想」(an ethical ideal)になっており、それが道徳的枠組みを作っていると主張しています。この枠組みは、どのような外見が成功/失敗か、善い/悪いかを判断する共有された基準と、我々の日々の生活における習慣や実践を方向づけます。さらに理想の美との関係において「想像された自己」が構築されます。
想像された自己は、特定の身体と同一化し、その身体は我々が現実に得ている身体に同一化しているだけでなく、我々がすべき美容実践に参加することによってのみ将来得られる、あるいは得られるかもしれない、または現在得られた身体でもあります。たとえ我々が想像された自己を決して得られないと知っていても、また美容実践を続けることで様々な代償(多くの努力や時間の投入など)