取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部働く女性たちは、自分の意思で社内キャリアを築いていくことの難しさを感じることは多いもの。結婚や出産といったライフイベントもあり、描いたとおりにキャリアを築ける人はなかなかいないのかもしれません。「年齢や性別、それまでのキャリアに関係なく、挑戦したい時や挑戦できる時に行動してみると、何かが変わる可能性があるよ。私は“挑戦が身を助く(たすく)”って思っています」そう話してくれたのは、新卒でNTTに入社し、30年かけてグループ会社の役員にまで上り詰めた、新宅亮子さん。彼女にとっても、自分のキャリアは思い描いた通りのものではなかったといいます。30代でシングルマザーとなった新宅さんは「若い頃は逆に、自分のキャリアを棚上げにして他に優先すべきことに全集中!ということも多かった」と話してくれました。そんな彼女のキャリアが花開いたのは、なんとアラフィフを迎えてからのこと。彼女のキャリアや人生の話を聞いてみると、何かに挑戦するのに、遅いなんてことはないのだと思わせられます。また、地方の営業・企画職を長く務めてきた新宅さんのキャリアを大きく変えるきっかけになったのは、とある「飛び道具的」な努力のおかげなのだとか。新宅 亮子さん1992年NTT入社。仕事と育児を両立しながら地域に閉じたキャリアとして20年以上営業畑をわたり歩き、その後人事労働部門の育成業務に従事。40代後半に差しかかる頃、個人で社外のビジネスコンテストや起業家養成プログラムに挑戦し、そこで得た知見や人脈を社内に持ち込むかたちで活用。イントレプレナーとして活躍する中、介護も経験した後、2022年に飛び級扱いでNTT西日本のグループ会社役員にハードアサイン。その後、2023年7月に新設された「イノベーション開発部」の組織長に任命され、インキュベーション段階にある新サービスの早期立ち上げや新規事業開発に邁進中。■40代後半を迎えて「社外活動」をフックに事業開発組織へとキャリアチェンジQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?好奇心旺盛だった一方で、食が細く体格も小さかったので、母をよく心配させていました。幼少からなんとなく、自分は他の子とちょっと違うかもしれないと思っていました。他の子が興味を持つことに自分は興味を持てなかったり、ちょっと空気が読めなかったり。もちろん悪気はなかったのですが、先生からしても扱いづらさがあったのではないかと、今になって思います。ただ、母がとても優しい人で、何かあった時は「亮子ちゃんは大丈夫」と強く抱きしめてくれました。そのおかげで背負いすぎることなく、のびのび成長できたと思います。Q.2 学生時代に注力したことはなんですか。バイトやサークル活動など、みんなと同じようなことを特に深く考えることなく、楽しんでいたと思います。特に思い入れがあるのは、FM局でのバイトですね。番組コンテンツの企画制作や選曲、パーソナリティまでやらせてもらっていて、エンタメ業界にも興味を持っていました。就職活動も、当時はバブルだったこともあって「女の子はキャラ採用」なんて言われていたので、あまり苦労した覚えはありません。その分、入社してからは色々と苦労しました……(笑)。Q.3 これまでのキャリアを教えて下さい。1992年にNTTに入社し、現在32年目です。長らく、名古屋で営業・企画職として現場仕事を続けてきました。20代で結婚、出産し、30代には離婚も経験しています。シングルマザーとして子育てしてきたので、40代半ばまで拠点を変えないことがキャリアの最優先事項だったのですが、「もっと色々な仕事に挑戦してみたい」という思いもずっと持っていました。私は50代を迎えてから、介護も経験した頃に「NTT University」という多様な経営人材のキャリア形成を支援する社内制度を知り、ちょうど一般公募での募集があったので思い切って受験したところ、合格することができました。「NTT University」では、経営等の研修プログラムの受講に加えて、未経験業務分野でのポスト配置によって実践の業務経験を積むカリキュラムが導入されていました。そのため、「NTT University」への入学を契機に、その年の夏には地域の現場課長から飛び級でNTTメディアサプライの役員にハードアサインされ、現在は新設されたイノベーション開発部の部長を務めています。Q.4 リーダー職に就いた時の心境を教えてください。新卒時代から「新規事業をやってみたい」「海外で活躍したい」という思いで働いてきましたが、20代後半、30代では、プライベートでのライフイベントが忙しく、目の前の仕事と日常に追われて精一杯の時期が続きました。40代を迎えてから「私の人生ってこれでいいんだっけ」と立ち返り、自費でビジネススクールに通ってMBAを取得したりビジネスコンテストに応募したりと積極的に活動してきました。私から言えるのは、40代、50代でも新しいことを学んだり、挑戦したりするのは遅くないということ。ただ、いきなり高いポジションに就くと今までとは当然見える景色が変わりますから、もちろんプレッシャーは大きかったです。■新しいことを学び、新しい人と出会い……夢だった海外出張にもQ.5 新しい挑戦のために、どんな努力をしましたか。自分の実力試し、運試しも兼ねて社外での実績づくりに力を入れました。40代半ばで通ったビジネススクールでの学びは大きかったですね。そこでの成績が想像以上に良く、志を同じくする仲間にも恵まれ、自分の強みを知ったことをきっかけに様々なビジネスコンテストに応募し、社外実績を持ち込むかたちでNTTグループ内のジョブポスティング制度に応募して夢に見た本社組織への転身をかなえました。大企業務めだったり、地方で働いていたりする方だと、今の会社で新しい挑戦なんてできない、と感じるかもしれません。私もそうでしたが、ハングリー精神と好奇心だけでここまでやってきました。Q.6 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?新規事業や国際的な仕事にはずっと興味があったので、今扱っている商材には非常にやりがいを感じています。例えば、eSIMサービスでは、お持ちのスマートフォンがeSIM対応端末であれば、Webでのお申し込みのみで、物理的なSIMの抜き差しをすることなく海外でもスマートフォンを使っていただけます。コンシューマ向けサービスの取り扱いは当社で初めてのことなので苦労も多いですが、時代の変わり目を作るサービスに携われていることが嬉しいです。Q.7 リーダー職に就いてから、大変だったことはありますか?挑戦するタイミングが遅かった分、周囲で活躍するエリートとの格の違いに悩むこともあります。経営という新しい領域へのチャレンジをしながら、新規事業の数字を伸ばしていかなくてはいけないというプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありましたが、人の倍は努力しないとできないことも多いので、とにかくがむしゃらにやるしかありません。とはいえ、完璧をめざすのではなく、不完全なままの私であっても、できるだけ自然体の私で通用する世界をつくりたいと思っています。理想は、個の強みのかけ合わせで共助・協働・共創が育まれ、価値創造に向けた強いチームビルディングが成されること。私は能力に偏りのある人材なので、標準的なリーダーができる当たり前のことができず、その分苦労も多いのですが、誰しも社会のどこかには、自分が活躍できる領域があるはずです。今は自分の活動を通して、キャリアに悩む女性にそのことを伝えていくことをモチベーションに、努力を続けています。Q.8リーダー職に就いてから、嬉しかったことはありますか?去年、海外でのモバイル展示会に視察と個別商談を兼ねて参加させていただきました。念願かなって初めて海外出張に行くことができた時は感慨深かったですね。通訳もなしにトライしなくてはいけなかったので、英語で起業したビジネススクールの友人に個別でビジネス英会話のレッスンをつけてもらってから行きましたが、それでも現地での交流は緊張の連続でした。ただ、「NTT University」で知り合ったNTTグループのグローバル人材の方を通じて得たご縁にも恵まれ、現地で彼女と再会した際にはそこからさらに新たな出会いもいただき、想像以上のグローバル人材との人脈開拓につながりました。初めての海外出張で、個別商談を成功できたことも嬉しかったですが、人とのつながりの大切さを噛み締めた瞬間でもありました。Q.9 仕事終わりやお休みの日は何をされていますか?介護もやり切り、子どもも手が離れているので、ここ数年は今まで以上に、自分のために時間を使えるようになりました。社内では会議をしている時間が長いですが、現在も退勤後は社外活動に力を入れています。ビジネススクールで出会った仲間たちと情報交換をしたり、新しい知識を身につけたり……最近では「中部女性リーダーズサロン」という中部圏を中心に多様性と変革を育むコミュニティにも所属しており、ずっと興味のあったダイバーシティ推進活動にも力を入れています。■異色のキャリアも「当たり前」になる世の中を願ってQ.10 プライベートや仕事での悩みはありますか?今は、仕事で新しい挑戦をさせていただいていることに全力で応えたいという思いが強く、人生も後半に差しかかっているというのに、プライベートな悩みはほとんどありません(笑)。ただ仕事では、様々な社外活動に参加したり、新しい知識を身につけたりしているにも関わらず、なかなか仕事の成果につなげられていないことが苦しいです。ただ、思い悩んでばかりなのもよくないので、睡眠と食事には気をつけて生活しています。身体と心のどちらかが疲れている時は、一方だけでも気をつけてケアするのが大切だと思っています。Q.11 ストレス発散の方法を教えてください。土日も社外活動に勤しむことも多いですが、美味しいごはんも好きなので、地元のママ友たちとおしゃべりしてストレス発散することも。時に、仕事と直接関係のない人と話をすることが、私にとって心安らぐ瞬間になります。離婚やシングルでの子育て、介護など、人生の中で大変なことはこれまでも何度もありましたが、そういった時に人生の先輩や、ポジティブな友人に話を聞いてもらうことで、心が軽くなったことが多かったように思います。今でも心に残っているのは、やりたいことが思うようにできなかった30代の頃、40代の先輩に「女の人生は40からよ」と言われたこと。数年後、その先輩にはさらに「50になると女はもっと自由になる」とも言われました(笑)。確かに、色々なライフイベントがいったん落ち着いたタイミングだったからこそ、今こうして自分の仕事のためだけに生きることができています。苦しい時はいつも、背中を押してくれる誰かの一言に助けられてきたような気がします。Q.12 働く女性たちに一言、メッセージをお願いします。自分としては、飛び級での就任は到底かなわないミラクルのように思えましたが、思い切って踏み出してみたら、新しい世界が開けました。こういったキャリアが、これからは世の中でもっと当たり前のことになっていくと思います。私は決して完璧な人間ではなく、標準的なリーダーと比べて圧倒的に足りていない部分があります。けれど、そんな私を必要としてくれる部署があった。完璧ではなくても、助けて応援してくれる人がいて、活躍できる場所はあります。会社にいるからこそ、足りない部分は人を頼ることもできます。私は、足りない部分も多いけれど足りている部分を強みにした“ありのままの自分”で通用する領域、世界があると証明し、日本のダイバーシティの懐を広げていきたいです。
2024年03月22日取材・文:ねむみえり撮影:渡会春加編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部20代後半から30代になると、自分のこれからのキャリアをどうしていくか、現実的な悩みに直面する人も多いのではないでしょうか。ロイヤルカナン ジャポンに勤める獣医師の平瑛美さんは、キャリアについて「長期的に絶対にここを目指すという風にはあまり考えていない」と言います。2人の子どもを育てながら臨機応変に働く平さんのお話しを聞いていると、これから先のキャリアを考える自分の背中をポンと押して貰えた気持ちになりました。■製品に込められた情報を適切に伝達していく初めに、改めてロイヤルカナンという会社についてお聞きしたいです。ロイヤルカナンは、1968年に南フランスでジャン・カタリーという1人の獣医師が設立した会社です。以来、50年以上にわたって一貫して「Dog & Cat First」という理念のもと、栄養学に基づいたプレミアムペットフードと食事療法食を展開しています。「Dog & Cat First」というのは素晴らしい理念ですね。これはずっと変わらずに、私たちの会社の真髄にある言葉です。私たちはそれぞれの犬や猫のきめ細やかな栄養ニーズに対応したペットフードを開発し、彼らを食事を通じて真に健康な状態にしたいという思いがあります。これは、創立者のジャン・カタリーの思いでもあって、それが私たちの原点になっています。薬だけではなく食事の面から病気にアプローチするというのは、犬や猫の体に対して優しいような感じがします。今、平さんはどのようなお仕事を担当されているんですか?私はロイヤルカナンの日本支社、ロイヤルカナン ジャポンで、コーポレートアフェアーズという部門の中の、サイエンティフィックコミュニケーション&アカデミックアフェアーズというチームに所属しています。平たく言うと、学術部です。私たちの製品は全て栄養バランスを考えるところから設計されており、それぞれが違った特徴を持っています。その製品に込められているサイエンス的な情報を伝えたり、犬や猫についてレクチャーを行ったりするのが、獣医師でもある私の大切な仕事です。■大好きな食と動物に同時に関わりたい思いでペットフード会社へ以前は街の診療所で獣医師として働かれていたそうですね。大学を卒業してすぐの頃には、ペットのかかりつけとなるような動物病院に勤めていました。 大学付属の病院に比べてより飼い主さんとの距離が近い環境でしたね。そこから、ロイヤルカナン ジャポンさんに入るきっかけは?もともと食や栄養には興味があったんです。大学受験でどの学部に行こうかと考えた時に、小さい頃から好きだった動物と関わる方面か、自分が好きな食の方面か、どっちに行こうか迷ったぐらいなんです。なので、自分の最終的な仕事としては、食事を通じて好きな動物の健康に関わっていきたいという思いがあり、ペットフード会社というのは自分の中ではすごく自然な選択でした。お話を聞いていて、辿り着くべきところに辿り着かれた感じがします。ちなみに何年ぐらい前から、今のお仕事をされているんですか?今の部署に所属したのは2020年です。それまではカスタマーケアという、お客様からのお問い合わせに対応する部門に所属していました。そこで日々、お客様からのお問い合わせを受けていた中で、本当に多くの学びがありました。ペットオーナーのリアルな声に触れられたのは、今でも私が一生懸命仕事をしようと思う糧になっています。■目の前の課題に取り組むことで、自分の進む道が確立されていく今されているお仕事で、難しかったり苦労したりする部分はありますか?入社してくる社員たちはロイヤルカナンの理念に共感して入ってくるんですが、どうしたら彼らにより分かりやすく製品情報や犬や猫の知識を届けられるかは、いつも苦労しています。相手の目線に立てているかということは、 新入社員のトレーニングをする時でも、外のお客様に向かってセミナーする時でも悩みながら大切にしているポイントで、そこにはカスタマーケアでの経験が大きく役立っているなと感じます。しっかりと前のキャリアを活かして、今のお仕事をされているんですね。ありがとうございます。でも実は、当時この部署でこんな風に役立つということは、全く想像もしなかったです。キャリアというのは、後から振り返ると、頑張ってきたことがうまく線になってつながっているなと感じるので、長期的に絶対ここを目指すという風にはあまり考えていないんです。目の前にある課題に一生懸命取り組むことで、長い目で見た時に自分の進む道というのが確立されていくのかなと思っています。自分がこれから働いていく中で大切にしたい考え方だと思いました。平さんが働く上で大切にしている軸はありますか?私は子どもが2人いるんですが、母親や妻としての自分だけじゃなくて、働く自分というものも大切にしたいと思っています。子どもがいるということを、仕事の上で何かをやらない理由にはしないというのは、1つ軸としてあります。もちろん、子どもが小さい時は物理的に手がかかるので、できない仕事もあるんですが、それでも目の前に成長の種って落ちていると思うので、その時にできることを一生懸命やるというのは、自分の中でルールとして定めています。すごくすてきな軸ですね。でも20代の頃は、この先自分はどういうキャリアを築けるのか、子どもを産んで働き続けられるのか、みたいな部分はすごく不安がありました。育休が空けた時に1度フルタイムで職場に戻ったのですがその後、子どもが小学生にあがるタイミングで時短勤務に変えました。保育園に預けている時と違って延長保育がなく帰宅が早まったということもあり、そんな子どもの生活スタイルの変化に合わせて自分の働き方も変えたんです。昔の自分は、仕事時間を短縮することにネガティブな気持ちがあったんですけど、その時に初めて“そういうものだから”と受け入れることできました。それができたのは自分の中でもとてもいい経験だったと思います。読者世代も自分のキャリアに悩む年代でもあるので、そういう壁にぶち当たった時の柔軟な向き合い方はすごく良い視点になると思います。働くお母さんってみんな一生懸命じゃないですか。絶対それって後から活きてくるから、大丈夫だよって思うんです。多くの女性の背中を押してくれる大きな言葉だなと感じました。最後に、平さんの今後のビジョンについてお聞きしたいです。後悔はしたくないので、カスタマーケアで得た経験も含め、自分の目の前にあることを一生懸命取り組みながらも、将来的には日本のお客様の声を上手く製品開発につなげられるような仕事ができたらいいなとは思っています。これまでのキャリアを取り入れた目標なんですね。プライベートの方でも、こういう生活をできたらいいなみたいなものってありますか?2年前に保護犬を迎えたんですけれども、ちょうどその子との生活が落ち着いてきたので、もう1頭お迎えしたいなというのを思っています。この会社はペットフレンドリーオフィスと言って、自分の犬や猫を連れて一緒に出社ができるというスタイルなので、犬を2頭連れてオフィスで働いてみたいですね。ペットと一緒に出社ができるなんてすてきな会社ですね。ありがとうございました!
2024年02月22日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部あなたは、自分のキャリアにどんな道を描いていますか?あまり先のことばかり考えても、上手くいかないのかもしれません。急にプライベートでライフステージが変わることもあるかもしれないし、その時に昇進が重なるかもしれない。「自分のキャリアには自分で責任を持つ。それが、アメリカン・エキスプレスのキャリアに対する考え方です。責任というと重たく聞こえるかもしれませんが、上司や会社と一丸になって、それぞれが自分のキャリアを考え抜く必要があるということです」そう語ってくれたのは、新卒でアメリカン・エキスプレスに入社し、コールセンターからキャリアをスタートさせた井出愛さん。彼女は会社の様々な制度を利用し、3年目で部署異動を決意。現在は社内の女性活躍推進組織の活動も参加し、日々の仕事に邁進しています。「でも、昔の自分は消極的でした」とも話してくれた井出さん。アメリカン・エキスプレスの文化に触れ、いい意味で「変われた」という彼女が選んだのは「仕事で関わる人々に喜ばれたい」という、キャリアの軸でした。■自身の希望で、3年目で部署を異動本日はどうぞ、よろしくお願いいたします!井出さんは新卒でアメリカン・エキスプレスに入社されて、とのことですね。そうなんです。もともと東京育ちで、昔アメリカン・エキスプレスのビルがあった地域に住んでいたので、私にとってはすごく身近な会社だったんです。地元でも有名でしたし、幼い頃から世界的な企業だということは知っていたので「あそこで働けたらかっこいいな」と思っていました。なんと。小さい頃から憧れの会社だったのですね!大学生の頃には雑誌の編集部でアルバイトもしていましたし、就職活動の時には興味のあったエンタメ・出版関係の会社も検討していたのですが……憧れの気持ちを忘れられないままに受けて、採用してもらいました(笑)!アメリカン・エキスプレスでは、どんなキャリアを築いてらっしゃるんですか?最初はコールセンターへ配属になり、アメックスカードの会員様に対して電話対応する業務に就きました。その後、部署異動して、現在は加盟店様に対してプロモーションを行う事業部に所属しています。コールセンターの業務には、どんな思い出がありますか?コールセンターと聞くと大変そうなイメージがある方も多いかもしれませんが、私はとても楽しく働いていました。アメリカン・エキスプレスのコールセンターは業界でも珍しく、全員が正社員で構成されていることもあり、電話越しながらも深いお付き合いをさせていただくことが多いんです。たとえばお客様からのお電話で、カードの利用枠についてご相談いただいた際も、枠をお伝えするだけではなく、その理由までお伺いするように心がけていました。もしもお客様が、海外旅行のためとおっしゃったら、海外保険のご説明の資料をお送りしたりもしていました。クレジットカードの案内を超えた接客をされるんですね。マニュアルに沿って決められた内容をご案内するのではなく、お客様の背景や環境を察しながら適切なご案内をするよう努めていたので、会話の柔軟性やアイデア力が身につきました。周辺の音や声の大きさまで聞き取って、どんなタイミングでお電話をかけてくださっているかまで読み取り、お客様にとって一番適切な対応ができるよう、心がけていました。想像するコールセンター業務より、かなり高度なことをされていたんですね。やりがいを感じられていた中ご異動されたのは、社内辞令だったんですか?実は、アメリカン・エキスプレスには社内辞令というものが存在しないんです。異動したい場合は、グローバルで展開されている社内向けのジョブポスティングのサイトを見て、応募したい部署のポジションが空いているかを確認します。そこで採用基準などを確認し、適性に合っていれば自発的に応募し、書類選考と数回の面談に合格すれば、部署を移ることができるんです。日系企業ではあまり聞かない制度ですね。アメリカン・エキスプレスには“Own My Career(オウン・マイ・キャリア)”という考えがあり、自分がキャリアの中で何を成し遂げたいか、どうなりたいかを考え、会社や上司はそれを支援することが、文化として根付いています。上司との1on1面談も多く、日頃から自分のキャリアについて考える癖がついています。異動したのは3年目ですが、社歴が浅いからといって異動できないということもありません。ただ、ポジションによって必要なスキルが違うので、足りないものがある時は、どうしたらそのスキルを養えるかも、上司と一緒に確認していくんです。■仕事の正解も、自身で選び抜くでは、井出さんも今後のキャリアを考えた上で、ご自身の希望で異動されたんですね。若いうちからすごいですね!とはいえ、私自身は10年先のキャリアを見据えて異動したというわけではないんです。きっかけは、コールセンターの業務の中で「アメックスって、高級店でしか使えないんでしょう」という問い合わせが多かったことです。実際にはそんなことはないのですが、世間に認知をされていないことを知りました。そこで、生活者への認知拡大に関わる業務に携わる、加盟店事業部へ異動しました。現在は、どのような業務を行っているのですか?アメリカン・エキスプレスは個人・法人のお客様にカードを発行するだけでなく、クレジットカードを扱う加盟店様も同時開拓しており、今は加盟店様に対するプロモーションを企画・実施するチームにおります。コールセンターにいた時は、いただいたお電話に対して応対をする日々でしたが、現在の部署では数字を追いかけながら、自分から進んで営業をかけていくような動きもするので、最初の部署とは真逆とも言える仕事をしています。キャリアに沿っての異動というよりも、前の業務の中で浮き彫りになった課題に貢献するために異動されたと思うのですが……実際、今までにないスキルを求められるのは大変ではないですか?そうですね、大変な部分もあったとは思います。もともと目立つのが好きな方ではなく、学生時代は交友関係も受け身でしたから「自分から動く」という当たり前のことが、元の自分にとっては簡単なことではありませんでした。ただ、学生時代からメモを取るのが癖でして。上司との会話の中で印象に残った言葉や、先輩社員がやっていて参考になると思った行動など、気に留めたことは全て、自分の言葉でメモするようにしているんです。そうすることで、自分になかった考え方を落とし込めるので、仕事が上手くいかない時はメモ帳を見直しています。とてもいい習慣ですね!……けれど、すごい人のすごいところを真似しようとするのって、ストレスになる時もないですか?これは会社に入ってから身についた考え方ですが、すごい先輩や上司がやっていたことだからといって、全てが正解だとは思いません。アメリカン・エキスプレスではフィードバックの文化も根付いていて、社歴の浅い社員が、上司に対してフィードバックをすることもあります。経験が多いからと、その人の言うことを全部鵜呑みにするのではなく、一度自分の中で咀嚼して、自分なりに腹落ちした部分を真似するようにしています!社内交流会や社内イベントも多く、チームの上司以外とキャリアに関して意見を交わす機会も頻繁にあり、色々な考え方があって、それぞれが自分の想いを大切にしていいという文化が、社内風土として根付いているんです。そ、そんな会社があるなんて……!めちゃめちゃ働きやすそうじゃないですか。社内の風通しは本当にいいと思います。私自身、上司に対してフィードバックすることもありますが、皆さんフィードバックに対して「気づきを教えてくれてありがとう」と言ってくれるんです。誰か1人の意見だけが正解と思わないのは、尊敬する先輩たちから教えてもらった、意見に対する感謝の姿勢のおかげですね。■消極的だった私に訪れた、ポジティブな変化。すべては、社内風土のおかげチーム以外の社員と会話する機会が多いと、自分の視野も広がりそうでいいですね。井出さんも、積極的に社内イベントに参加されているんですか?私は「WIN」という社内プログラムの運営を、有志でやらせてもらっています。WINはWomen’s Interest Networkの略で、女性の働き方推進を目的としているプログラムで、社内メンター制度のマッチングを行ったり、定期的にキャリアや性にまつわるセミナーなどを実施したりしています。最近では更年期や生理など女性の身体に関わるヘルスケア情報を、講師の方に教えていただくセミナーも実施しました。でも、通常の業務と兼任されているということですよね。お忙しくはないですか?私はもともとボランティア活動的なものには全く興味がなくて、目立つのも苦手だったので、ここに来るまでは挙手制のイベントの運営をすることなんて、一度もなかったんですよ(笑)。でも会社に入って、少し変われたんです。WINは「楽しそうだな」と思って自分から参加して、実際に活動するのもすごく面白くて、こうして続けられています。色々な部署の人と関わってみると気づきも多いですし、新しい視点で物事を考えられるようになったので、やってよかったなと思っています。社会人サークルに参加しているような気持ちですね。会社に入って変わることができた、その理由はなんだと思いますか?会社の文化や、社員のための制度に慣れていることが大きな理由だと思います。会社に入る前とは人との交流の仕方も変わりましたし、自分の意見をはっきり言えるようになりましたね。最後に、これから思い描く自身のキャリアについて教えていただけますか?私は明確なキャリアの道筋に向かって行動しているわけではないのですが、最初の部署での経験も踏まえて、私はカード会員様や加盟店様など、アメックスに関わる皆さんに喜んでいただくことを軸に、今後もキャリアを進めていくのではないかと思っています。また、例えば子育てと仕事でやりたいことのタイミングが重なったらどうしようとか、今後のライフステージの変化を考えると悩みは尽きないですが、今はどうなっても対応できる力をつけるために、毎日すべてに全力で向き合い、そして何よりも毎日楽しく働いています。アメリカン・エキスプレスは産休・育休の取得率・復帰率が非常に高く、周りの先輩たちにお話を聞く機会も多いので、心の支えになっています。ロールモデルが近くにいらっしゃるのは、とても心強いですね。そしてアメリカン・エキスプレスさん、女性にとってもすごく働きやすい会社だと思いました!貴重なお話をありがとうございました。
2024年02月13日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部リーダー職に就くためには、若いうちから計算してキャリアを構築する必要がある……そう思っている方も多いかもしれません。だけど、若いうちからやりたいことが決まっていた人って、身の回りにもそう多くはないものですよね。株式会社アデランスのe-ビジネス室でマネージャーとして働く飯野貴子さんも、自身の学生時代をこう語ります。「やりたいことなんてなかった、というか、なーんにも考えてませんでしたよ(笑)」。そう笑って話してくれた彼女ですが、現在はチームのリーダーとして部下たちを牽引する存在。飯野さんのキャリアは派遣社員からのスタートで「当初は興味がある仕事を選べる立場ではなかったんですよ」と話してくれました。艷やかな髪が印象的な飯野さんの話しぶりは、まさに明朗快活。部下や同僚からも「気持ちのいい人」として慕われています。そんな彼女の社会人生活について話を聞いてみると、与えられた環境の中でスキルを身につけ、成長し続けられる人の「社会人としてのコツ」も見えてきました。飯野 貴子さん派遣社員から社会人生活をスタートしたのち、コンサルティング会社に正社員として勤務。その後、アパレル会社のMDとして百貨店ブランド・TV通販ブランド・EC専用アパレルブランドの立ち上げEC販売に12年携わる。2019年9月、アデランスに中途入社。アデランス公式通販サイトの運営、管理をするマネージャーとして活躍中。毛髪診断士。■派遣社員からスタートした社会人生活。思い描いていたキャリアは蹴り出せなかったQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼少期のことは自分ではあまり覚えていないのですが、好奇心旺盛な子どもだったようで母は私が保育園に上がるまでとても手がかかったそうです。好奇心旺盛がゆえに知りたい欲に捉われ、本の世界に没入しました。1人で本を読む時間がかなり好きだったようで、図書館の端から端まで読み込むことを楽しんでいた変わった子どもでした。塾にも通っていましたがあまり勉強は好きではなく、読書のしすぎで夜更かしし、親に怒られるほどの本の虫でした。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?学校に行きはじめてからは、役職を任されることが多かったです。自分から手を挙げることはないのですが、気づいた時には結果的にリーダー役をやっていましたね。Q.3 進学先はどのように選びましたか?大学の付属高校に通っていたため、進学先に悩むことはありませんでした。高校生の頃の自分は何も考えていない子どもだったので、将来のことを考えての行動はできていなかったですね。その結果、大学では学部編入をしました。国際情勢に興味があったのですが、英文学科に進学してしまい、自分が思ったような内容を学べなかったんです。田舎だったし、あの頃は今より気軽に情報もありませんでしたが、それにしてもなぜ誰も教えてくれなかったのか、と他責的に捉えていました。Q.4 留学は経験しましたか?大学時代に短期留学はさせてもらいました。国際情勢を学ぶ中でジェンダーに興味を持ち、韓国の大学院への進学が決まっていたのですが、日韓情勢が悪くなり、泣く泣く渡韓を諦めました。卒業する年の3月に進学を諦めたので時間的に就職活動もできず、就職氷河期であったこともあり、社会人人生は派遣社員からスタートすることに。自分で就職先を選ぶことはできませんでしたし、当時は「自分は負け組だ」と考えていました。■派遣社員時代の「苦労」が、今の自分にとっては大切なキャリアにQ.5 これまでのキャリア変遷を教えて下さい。派遣社員ですから、自分で思い描いてキャリアを選択できる立場ではありませんでした。社会人になってからは「とにかく今いる場所で頑張るぞ」というモチベーションで働いていました。最初は派遣会社の人事部アシスタント、次はインク屋さんの秘書アシスタント、その後は製薬会社の人事部に派遣されました。その後、縁あってコンサルティング会社に正社員として務めることになり、身体を壊すまで働きました。転職してアパレル会社を経験した後、アデランスに拾ってもらいました。こうやって話してみると、かなり変わったキャリア変遷ですよね(笑)。Q.6 現在の仕事に興味を持ったきっかけは何ですか?前職のアパレル会社でも役職に就かせていただいていたのですが、親会社に吸収合併されたことをきっかけに、転職を決意しました。アデランスに興味を持ったのは、人の悩みを解決する仕事に関わってみたいと思ったからです。自分に大きな影響を与えたコンサル時代の経験が生かせそうとも思いましたし、アパレル時代に経験したEC運営のスキルも生かせるので、アデランスでもマネージャー職として採用いただき、ECチームに配属となりました。Q.7 リーダー職に就いた時の心境を教えてください。初めてリーダー職に就いたのはコンサル会社の時でしたが、アデランスのような大きい会社で役職に就くとなると、求められることも多いのだろうと不安を感じていました。実際働いてみると、社員はいい人ばかりだったのですが、ECサイトで取り扱う商材も自分にとっては未知のものばかりだったので、当初は商品理解のために多くの時間を費やしました。Q.8 リーダー職についてから大変だったことは?ECサイトで販売するアイテムは、私たちECチームが商品企画や開発に携わることがあります。特に、今年4月に発売した「AWANIST」の開発~発売までは、アデランスで働いた数年間の中でもいちばん大変でしたね。AWANISTは、スイッチを入れるだけで自動的に質の良い濃密な泡ができあがる、独自開発の電動シャンプーブラシです。お箸の使い方は教わりますが、髪の洗い方って誰も教えてくれないなと思ったんですよね。毎日正しい髪の洗い方をすれば髪の悩みのほとんどがいい方向へ導かれるのではないか、という視点の元開発されたガジェットです。ブラシと一緒に専用のヘアケア製品の開発も進めていましたし、その上で通常業務も進めていたので、色々と調整が必要でした。鬼のように残業していたコンサル時代なら「何時まででも終わるまで働けばいい」と考えていたかもしれませんが、アデランスに入ってからはいかに効率よく、定時までに仕事を終わらせるかに注力するようになりました。私も歳を重ねましたし、今はチームの子にも「仕事と私生活のライフワークバランスが大事」と指導するようになったので、残業せずに仕事量をこなすのは、今までとは違う工夫が必要でしたね。Q.9 リーダー職として気をつけていることはありますか。2社目のインク屋さんで秘書業務をしていた時、上司にあたる女性がすごく怖い人だったんです。仕事の仕方を教えてもらえないのに、できないと怒られるので、何時間かけてでも自分で答えを見つけながらタスクをこなしていました。部下にそういったコミュニケーションを取ろうとは思いませんが、あの時身についた「自分で答えを見つける大切さ」は、今の若い子たちにも知ってほしくて。分からないことがあったらすぐに声をかけて欲しいけど、すぐに答えを与えず「なぜ疑問に思ったのか、どうしたかったのか」と聞くようにしています。派遣社員からスタートした社会人生活は人より忙しかったし、働いてばかりいたけど、得るものもあったと思っています。「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、私の20代はまさにそんな生活だったので。今はその経験ができたことに感謝しています。■「ありがとう」の言葉がいちばんのモチベーション。部下の育成にも力を入れたいQ.10 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?1日のはじめに前日の売上をチェックするのですが、利益が出ていることが分かる時が一番うれしいですね。特に、自分が開発した商品が売れて、いい口コミがついた時が一番うれしいです。AWANISTはもともと、美容感度の高い若い女性に向けて作った商品だったのですが、いざECで販売してみると、想定とは違う層に受け入れられました。今はシニア層の方々に多くご購入いただいていて、髪が上手に洗えるようになって嬉しいというお声が届いています。アデランスは、人々の悩みに向き合っている会社です。だからこそ、お客様から直接に「ありがとう」という言葉をかけていただけることが多く、働き続ける大きなモチベーションになっていますね。Q.11 仕事終わりやお休みの日は何をされていますか?アデランスは今までの社会人生活の中でもっともホワイトな企業なので、時間を持て余すようになって困っています。平日の帰宅後は夜は昔と比べると考えられないくらい早く寝るようになりました。土日もゆっくり自分の生活に時間をかけることができるようになり、人生でいちばんのスローライフを満喫しています。昔は昼夜仕事のことばかり考え、夢にまで出てきていましたが、今は会社にいる時以外、仕事のことを考えなくなりました。Q.16 今後の展望を教えてください。今の若い人にとっては「アデランスって何?」という人も多いと思います。サロン事業を若者に知ってもらうのは難しいかもしれませんが、私たちはECという広い玄関口を構えるチームなので、若い人にも知っていただき身近に感じていただけるような新商品開発を進めていきたいです。リーダーとしては、チームメンバーの育成にも力を入れていきたいです。自分の若い頃とは随分雰囲気の違う部下たちと日々接していますが、学ばせてもらうことも多いですね。ただ、私のキャリアの中では「悔しさを感じる経験」が自分にとってかなり重要だったとも思っています。失敗するかもしれなくても、チャレンジの場を与えてあげるのも、リーダーとしての務めだと思っています。チームメンバーにはもっともっと、色々な経験をさせてあげたいですね。
2023年12月01日取材・文:ミクニシオリ撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部あなたは、毎日使うしごとバッグにどんな想いを持っていますか?今回お会いしたのは、しごとバッグに対して誰よりも強い情熱を持つ人。トートバッグ専門ブランドROOTOTEを展開する株式会社ルートートの商品企画室で働く小澤三月さんは、わたしたちの使うしごとバッグをはじめとする、さまざまなバッグの企画開発やデザインを担当するデザイナーさん。10人いれば10人違うのが、しごとバッグの楽しいところ。小澤さんのしごとバッグには、使う人の工夫と「つくる人の工夫」がどっちも詰まっていました。小澤 三月さん東京造形大学デザイン学科を卒業後、販売員、ファッション雑貨のデザイナーを経て、2017年から「Fun Outing!~楽しいお出かけ!~」を届けるトートバッグ専門ブランドROOTOTEのデザイナーに。多数展開されるアイテムの中でも、日常のちょっとした不満や違和感を解決できるようなプロダクトや、カラーデザイナー(A・F・T 認定)、一級色彩コーディネーター (A・F・T 認定)、色彩心理カウンセラー(「色彩学校」認定)、アート療法士(「色彩学校」認定)の資格を活かしたプロダクトなどを手掛けている。Instagram @roototeそんな小澤さんのしごとバッグは、ご自身が開発とデザインを担当した『airo(アイロ)』という2WAYトート。実は『airo』は、働く女性のために開発されたバッグ。実際に小澤さん自身が女性たちにユーザーヒアリングを行い、わたしたちが本当に必要としている要素や使い心地を追求しながらつくられたといいます。「デザイナーとしてのこだわりは数えきれないほどありますが、いち使用者としても気に入っているバッグです。通勤時間が長いこともあって荷物が多いのですが、見た目以上に収納力があって整理しやすいので助かっています。本体は約450gで軽量ですし、撥水素材なので雨の日も使えます。ちょうどいい場所にポケットがあるので、バッグの中で荷物が迷子になることもありません」トートとしてもリュックとしても使うことができるので、シーンに合わせて表情を変えてくれる優等生なバッグ。収納力がすごいとのことですが、バッグの中身を広げてもらうと……。●バッグの中身1 NORDISKA TYGER × ROOTOTEのトートバッグ2 ROOTOTEの折り畳み傘用トート『CASA(カーサ)オリ』、Traditional Weatherwearの折り畳み傘3 『クロマトピア―色の世界― 写真で巡る色彩と顔料の歴史』(デヴィッド・コールズ 著/グラフィック社)4 社用iPhone、私用iPhone5 PC6 YLINUMのハンカチ7 会社オリジナルの名刺入れ8 MARCO MASIのカードケース9 Jamin Puechの巾着(エチケットアイテムポーチ)10 Jamin Puechの巾着(PC周辺アイテムポーチ)11 ĽANGÉLIQUEの巾着(衛生用品、薬用ポーチ)12 THREEのメイクポーチ13 NORDISKA TYGER × ROOTOTEのポーチ(筆記用具用ポーチ)たしかに、想像以上にたくさんのアイテムが収納されていました。荷物多めの小澤さんは、ポーチなどを使ってバッグの中をしっかり整頓したい派。まず気になったのが、オレンジ色が目立つこちら。中からは、折りたたみ傘が!これも、小澤さんが開発・デザインを担当したルートートの折りたたみ傘用トートです。「雨に濡れた折りたたみ傘って使った後の収納が難しくないですか?付属のポーチに収納する時って手もびしょびしょになるし、バッグに入れるのも躊躇しちゃいますよね。電車での移動中もこちらに濡れた傘を入れておけば、周りの方や座席を濡らしてしまうことがなく安心なんです。中にゆとりがあるので、きちんと畳まなくても手を濡らさずに傘を収納できますし、カラビナを使ってバッグの外につけておくこともできます」ルートートには、さまざまな用途やシーンに合わせたデザインがラインナップされています。次にこちらのポーチを開けてみると、数種類のフレグランス類が。「オーガニックコスメが好きで、特にNEAL’S YARDとSHIGETAの香りが気に入っています。いつでも気軽に気分をリフレッシュしたりできるように、ポーチはバッグの前ポケットに入れています。仕事中は、一人で集中したい時もあれば、ミーティングなどで外側に意識を向ける時もあるので、フレグランス類は気分を切り替えたりするためにも必須のアイテムです」香りの選択肢があると、その時の自分に合った香りを選べるのがうれしいですよね。平日も自分の気持ちを感じ取ることを大切にしているという、小澤さんならではのこだわりが詰まっています。「お直し用コスメはほとんどTHREEのアイテムでそろえています。メイクは好きなのですが、新しい情報をたくさん取り入れると悩んでしまうので、気に入ったブランドの中でアイテムを更新していくことが多いです。色を楽しむとポジティブな気持ちになれるので、コスメは多めに持ち歩いています」仕事中もなるべく自分らしくいられるよう、必要な荷物を整理整頓して収納できるバッグと小物を選ぶという小澤さん。次のポーチからは、デザイナーである彼女の仕事道具も。「PC上でイメージを視覚化するだけではなく、ときには、テキスタイルや紙を切り貼りしてデザインを立体的に確認するための簡単なサンプルを作ることも。ペンケースの中身は周囲の人より多いかもしれませんね。こちらは、通勤中に読んでいる本です。美大を卒業しているのですが、コロナ禍になって家のまわりで過ごす時間が長くなり、その頃から色彩に関して再勉強するようになりました」パンデミックをきっかけに、アートセラピーや色彩心理学などの資格を取得した小澤さん。図書館で色彩に関する本をたくさん借りるようになり、その中でも色彩と心理の結びつきについて強く惹かれ、色彩心理とアートセラピーについて学び始めたのだそう。「行動制限があった時期、デザイナーとして働くことの意味を改めて深く考えるようになりました。商品を企画しても自己満足だけになっては意味が無いし、お客様の声を直接聞ける機会もあまり無い時期だったので、自分がデザイナーとして働く意味を見失いかけていました。でも、そんな時に出会った色彩心理学とアートセラピーが、新しいデザインの可能性を私に教えてくれました」色彩に関する学びを通して、自身がデザイナーとして働くことの意味を再認識した小澤さん。その後につくりあげたのが、働く女性のためのバッグ『airo』でした。「気持ちを新たに色彩心理学からアプローチした新しいバッグを開発することにしました。さまざまな職種で働く女性の方々にインタビューさせてもらったり、一緒にカラーワークを行ったりして、お客さまとなる女性たちとたくさんの時間を共有しながらつくりあげました。商品名の『airo』は『私の色』という意味です。カラーリングにもかなりこだわっていて、実はこのバッグ、内側は外側よりもポジティブなイメージのきれいな色を選んでいるんです。カラーワークに参加してくれた方の中には、外側の自分と内側の自分は違う色合いをしていると答えてくださった女性が多くいらっしゃいました。自分しか見ることの無いバッグの内側部分は、見た人にエネルギーを与える配色にしました」『airo』は色彩がもたらす効果ごとに5種類を展開。どのカラーも内側は爽やかで明るく、ファスナーを開けた時に元気がもらえます。「誰かの想いを組み上げてものづくりしてみたら、デザイナーとして働くことの意味合いも変わってきました。商品を開発するデザイナーだけでなく、商品を伝えてくれる方、それを使ってくれるお客さま……『airo』に関わるすべての人が、表現者なのではないかと思っています。仕事に関わってくれる方々への感謝と一体感をより深く感じるようになり、以前よりエネルギッシュに働けるようになりました」「大人になると、自分で自分が分からなくなることもあると思います。仕事や育児など、自分以外を優先しているうちに、自分の気持ちや好きなものが見えにくくなる時もありますよね。でも色を見ていると、『そうだ、私この色が好きだったんだ』とか、何かしら感じられることがあると思います。本当の自分を感じたい時に『airo』を手に取っていただけたらうれしいです。自分がつくったものが誰かを元気にするきっかけになるかもしれないと思うと、デザイナーをやっていて良かったな、色彩を学んできて良かったなと思います」誰かの心に響くようなトートバッグをつくっていきたい。そう言って笑う小澤さんの表情が印象的でした。
2023年11月27日今回のお仕事ハックは「次の職場を決めずに退職するのはダメですか?」とのお悩みについて、コラムニストのヨダエリさんがアドバイス。次の職場を決めずに退職するのはダメですか?新卒で今の会社に入社し、ある程度のことが経験できたのでそろそろ退職したいと考えるようになりました。でも今は自分の中でこれから先やりたいことなどは全く見えていません。このままズルズル働き続けるのは嫌なので早く辞めたいのですが、周りからは止められます。やはり次の職場が何も決まっていない状態で退職をすることはやめた方がいいのでしょうか?(20代/営業職)次の職場が決まっているのと決まっていないのとではどちらがいいか?といったら、基本的には決まっている方がいいかもしれません。が、個々のケースで見たら、そうとは言えない場合もあります。例えば、今の会社にい続けることが大きなストレスとなっている場合。会社に行くのがひたすらつらく、精神的もしくは肉体的に限界に達しており、解決する手立ても見つからない。という状態なら、次の職場が見つからなくても辞めていい!と私は思います。こういうケースに陥る人は基本的に真面目なので、下手に次の職場が決まっていたら、「またつらくなったらどうしよう」と入社する前からプレッシャーに感じてしまう恐れもあります。まずはゆっくり休んで、心身が完全に元気になってから次の道を考えるのをおすすめしたいです。さて、あなたの場合は心身が健やかで、今の職場にいるのがつらいわけではない様子。「惰性で今の会社にいるのはよくない、ステップアップを目指そう!」という心持ちで転職を検討していますよね。その姿勢、素晴らしいです。パワーと向上心がある証拠。ただ、周りの人が止める気持ちも分かります。その理由として、「条件のいい会社が見つかるとは限らないのに、次の職場が決まらないうちに辞めるなんて危険すぎる」「無収入の時期が長くなっちゃうかもよ」などなど経済面のリスクがありますよね。次を決めてから辞める人が多いのは、この理由からでしょう。加えて、私は別の理由から、あなたはまだ辞めない方がいいように感じます。というのも、「このままズルズル働き続けるのは嫌」とあなたは言っています。そうなる可能性を感じているわけですよね。でも、ズルズル働けるのって、その人にとって、それなりにいい会社ってことなんですよ。人って「離れた方がいい」と本気で思ったら、黙ってスッと離れるものです。本当に離れるべき時には、ある日ストン、とそういうタイミングが訪れます(恋愛の電話相談でも、私これよく言ってます)。だから、悩みに悩んで決められない時期は、無理に離れなくていい。もちろん正常な判断ができないくらい病んでしまった場合は別ですが、あなたはそうではないですよね。なので、今の仕事を続けつつ、例えば別の部署に異動希望を出して新たな職種にチャレンジしてみるのはどうでしょう?いや、チャレンジするなら別の会社がいい、ということであれば、転職サイトや資格のサイトを継続的に見るようにする。たぶんあなたは今の職場や仕事に飽きていそうなので、「こんな会社があるんだ」という発見や、「こういう資格を取ったらスキルアップできそう」といったポジティブな妄想にワクワクする時間を持つことで道が拓けると思うんです。やりたいこと、今の会社で働きながらでも必ず見つかりますよ!Point.・惰性で今の会社にいたくない、と思えるパワーと向上心は素晴らしい・とはいえ辞めるのであれば、次の職場が決まってから、に越したことはない・また「このままズルズル」という言葉が出てくる時点で、まだ辞めるタイミングではない・今の会社で働きながら新たな経験や情報をインプットして、やりたいことを見つけよう(文:ヨダエリ、イラスト:黒猫まな子)
2023年11月21日株式会社ウィザス(大阪府大阪市、代表取締役社長:生駒 富男)が運営する第一学院高等学校(全国54キャンパス)では、自身のキャリアを考える体験プログラムの一環として「さとのば大学」と連携し、「Learning Journey」を実施いたします。※さとのば大学:「地域を旅する大学」をコンセプトに掲げ、地域留学とオンライン講義でプロジェクト学習を実践する新しいスタイルの市民大学( )本プログラムでは「さとのば大学」の提携地域を訪れ、3日間の短期プログラムを体験します。それぞれの“まち”の文化や自然に触れ、普段なかなか出逢うことのない様々な生き方や働き方をしている地域の方々との出逢いを通して、生徒たちの新しい視点が育成され、将来のキャリアを前向きに考えるきっかけとすることを目的としています。【実施日時】2023年11月20日(月)~11月22日(水) ※2泊3日【2023年実施予定地】(1)宮城県女川町(1)宮城県女川町「還暦以上は口を出さず」東日本大震災直後、女川町の復興はこの号令の元に始まりました。民間の復興団体結成の際に、当時還暦だった女川町商工会会長が「まちづくりに還暦以上は口を出さず、次の世代に託す」決断を、若い世代による100年先に誇れるまちを目指してきました。今ではハーバードビジネススクールをはじめとする様々な大学や企業が女川町の復興の過程を通じて、リーダーシップや持続的な地域のあり方などを学びに来る場所となっています。地域のあり方や地域の人の生き様から、自身の人生を考えます。(2)京都府京都市(2)京都府京都市日本の古都として世界的に有名な京都。全国の市区を対象にしたSDGs先進度調査では、2020年1位・2021年2位と全国のトップの評価を受けてます。千年の伝統が日常に根づいたまちで、環境、文化、地域活性化、観光などこれからの日本のあり方を考えるうえで、最適なエリアとなっており、洛北(京都市北区)で自然とまちとつながる温故知新な暮らしからスローなサスティナビリティを学びます。歴史・文化・自然と共生する日常の洛北の暮らしと仕事を楽しく体験し、今まで知らなかった京都を見つけることで、観光では見えないまちのリアルな課題や暮らしを体感します。第一学院高等学校では、生徒一人ひとりの「成長実感」を大切にしております。生徒の中には、不登校や高校中退など、何かしらの形で一度挫折を経験し、自分に自信が持てない生徒が多数在籍しています。そのような生徒たちも、第一学院高等学校での学校生活を通じてたくさんの方とふれあい、さまざまな経験を重ね、新たな一歩を踏み出しています。本プログラムを通して、非日常の経験をし、普段接することのない様々な方と出会うことで生徒が自身のキャリアを前向きに考えられるきっかけとします。生徒自身の将来に対する「不安や葛藤」が「安心や期待」に変わる瞬間をぜひ、取材ください。■第一学院高等学校について株式会社ウィザスは、「『社会で活躍できる人づくり』を実現できる最高の教育機関を目指す」をコーポレートビジョンに、また、「1/1(いちぶんのいち)の教育」を教育理念と掲げ、学習塾や通信制高校の運営をはじめに、幅広い顧客層・多様な顧客ニーズに対して総合教育サービスを展開しています。高校・キャリア支援事業の中核として運営している第一学院高等学校(通信制・単位制)は、全国に54キャンパス(2023年5月時点)を展開。「生徒第一」「1/1の教育」の想いを大 切に、「成長実感型教育」を掲げ、生徒をプラス思考に変える独自の「プラスサイクル指導」をベースとし、生徒一人ひとりの「『もっともっと自分を好きになる』自分づくり」をサポートしています。通信制の当校には、スポーツや芸能活動などの夢の実現と学業との両立を目指す生徒が在籍。卒業生もそれぞれの分野に羽ばたき、多彩に活躍しています。サッカー界では、2022ワールドカップ日本代表として活躍した山根 視来選手(川崎フロンターレ)や久保 建英選手(レアル・ソシエダ)、酒井 宏樹選手(浦和レッズ)、伊藤 洋輝選手(シュツットガルト)らが第一学院高等学校の卒業生です。スポーツ界では、稲場 悠介選手(水球)、西村 碧莉選手(スケートボード)が日本代表として選出されました。ほかにも野球、サーフィン、テニス、スノーボードなど、競技の壁を越えて第一学院高等学校生が活躍しています。芸能界では、ヴォーカルグループ「Little Glee Monster」のMAYU、かれん、アサヒも第一学院高等学校で学んだ卒業生です。また、チャンネル登録者数94.2万人のねお、同40.2万人ののえのん、同64.9万人のゆーぽんら人気YouTuberも、卒業後に自分らしい活躍を見せています。多様な生徒たちがそれぞれの希望する進路を実現できるよう、第一学院高等学校は生徒一人ひとりの自己成長を支援しています。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年11月17日今回のお仕事ハックは「好きなことを仕事にしたつもりがつらくなってきた」とのお悩みについて、コラムニストのヨダエリさんがアドバイス。好きなことを仕事にしたつもりがつらくなってきた私はフリーランスでイラストレーターの仕事をしています。昔から絵を描くことが好きでこの職業になるのも夢だったので、なりたての頃は仕事の依頼が来るたびにうれしくて仕方なかったのを覚えています。でも最近は将来の結婚も視野に入れて、もっと収入を得なければという責任感から気の乗らない仕事を受けることも増えてきました。そうしているうちに絵を描くことがつらくなってきてしまったのです。好きだったことを仕事にしたつもりが、そのせいで自分のアイデンティティでもあったイラストから離れたくなってしまったことにモヤモヤする日々です。今後私はどうしていけばいいのでしょうか。何かアドバイスをください……!(20代/イラストレーター)分かる……!と頷いている人、山ほどいると思います。ずっと続けている好きなことがある人は、それを仕事にしたくなりがち。そして実現させがち。ものすごく好きであるがゆえの情熱と継続力があり、それが第三者にも伝わるからです。ただ、実際にその仕事を始めた後は、悩みがち。なぜそうなってしまうかというと、ものすごく好きであるがゆえに、こだわりがあるから。世の中には好きなことを仕事にするのに向いている人と向いていない人がいて、向いている人は「仕事として割り切れる人」である……という考え方があるようですが、これについて私は少し異論があります。というのも、人はものすごく好きなことに対しては割り切れないものだから。「嫌わない者は愛さない」。ドイツの文豪ゲーテの言葉です。何かを強く嫌わない者は何かを強く愛することもない、と。これは逆に言うと、何かを強く愛する人は何かを強く嫌う、ということでもあります。「愛する」は「大切にする」に、「嫌い」は「受け入れられない」「選ばない」などに置き換えてもいいでしょう。絵を描くことが昔から好きで、それを仕事にすることができたあなたなら、この言葉、腑に落ちませんか?作品作りとは、瞬間瞬間で何かを選び、何かをはじく作業の積み重ねとも言えます。イラストのように「美」の定義が人によって全く異なる場合、何を愛し、何を嫌うかがなおのこと重要です。とはいえ、仕事では自分の好き嫌いやこだわりではなく、「売れるから」「クライアントの希望だから」など、優先させないといけないものがあります。仕事だからです。もちろん、自分の「好き」に共鳴してくれる仕事相手を少しずつ増やす、という方法もあります。ただ、ある程度の時間は必要かもしれません。「そんな悠長なこと言ってられない。もっと稼ぎたい。でも気の乗らない仕事が増えるのはつらい……」ということであれば。イラストレーターの延長線上にあるデザインの仕事など、「共通点のある異なる分野」に仕事を広げてみてはどうでしょう?えっ、今から……と思うかもしれませんが、ビジュアル関連の仕事なら、あなたのセンスを活かせるはず。そして、イラストを描く時ほどは、クライアントの意見や要求に合わせることが苦にならないのでは。新たなスキルを学ぶ必要はありますが、それも楽しさや充実感につながり新鮮な気持ちで仕事ができるかもしれません。あるいは、今よりも稼げる全く別の仕事に転職し、イラストは個人的な活動としてやっていくという手もあります。私の友人は、そのスタイルで個展を開いたりネットで作品を発表したりしていくうちに仕事の依頼も来るようになりました。それで食べていけるわけではなくても、自由に創作している時の彼は幸せそうでした。「好きなことを仕事にしてたくさん稼ぐ」がベストとは限らない。「好き」で苦しむのではなく、「好き」と共に健やかに生きられるスタイルを探してみてください!Point.・人はすごく好きなことに対しては割り切れないので、それを仕事にすると悩みがち・割り切れる程度に好きな「共通点のある異分野」に仕事を広げれば、ストレスが減り収入も上がりやすい・自由に好きなことをやりたい場合、個人的な活動として続けるのも一案・「好き」で苦しむのではなく、「好き」と共に健やかに生きられるスタイルを探そう(文:ヨダエリ、イラスト:黒猫まな子)
2023年11月07日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部皆さんは、リーダー女性にどんなイメージがありますか?忙しいスケジュールに耐える精神力、関係各所とスムーズにやり取りするコミュニケーション力……仕事だけでなく人柄も素晴らしい女性、という印象がある方もいるのではないでしょうか。では、リーダー職はポジティブ思考なコミュニケーション猛者しかいないのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。第一三共ヘルスケアで「ロキソニン内服薬」シリーズのブランドマネジャーとしてブランドを牽引する土合桃子さんは、25歳で現在のポジションに就任しました。しかし彼女は「幼い頃から内気で人見知りな性格だった」と話してくれました。学生時代の留学や、向いていないと思っていた営業職を経験し、新しい環境にも恐れずに飛び込み続けることで、苦手なことも克服してきた土合さん。学生時代には人の先頭に立つような立場なることは想像していなかったという彼女のキャリアを聞いてみると、苦手と割り切らず挑戦してみることの大切さを知ることができます。土合桃子さんドラッグストアの営業職に3年間従事した後、2020年4月から「ロキソニン内服薬」シリーズのブランドマネジャーに就任。つらい痛みに悩んでいる方のQOL(生活の質)向上に貢献したいという思いで、幅広い痛み悩みに対応した新製品の開発や、薬を正しく使っていただくための啓発活動に取り組んでいる。■留学と営業経験で「かなりの人見知り」を克服Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼い頃から人見知りが激しく、親戚が集まる時には家族の背中に隠れてしまうような、内気な子どもでした。学童に通っていたこともあり、同い年くらいの子とはなんとか仲良くなれるのですが、あまり自発的ではなかったので、なんとなく周りの子が作ってくれる空気に合わせて遊んでいました。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?みんなの中の1人といった存在で、特に目立つ生徒ではなかったと思います。運動が苦手だったので、部活は高校生になるまでやっていなかったのですが、勉強は好きでした。やったことがそのまま結果になるのが気持ちよくて、誰に言われずとも自発的に勉強していました。Q.3 大学はどのように選びましたか?文系科目の方が得意で、多様なコミュニケーションにも興味があったので、異文化コミュニケーションが学べる学部に進学しました。2年生の時には留学も経験し、アメリカのモンタナ州に行きました。様々な国の学生が集まる寮ではブラジル人の女の子と同室になり、これまでの自分とは180度異なる積極性に驚きました。彼女との関わりの中で、世の中に多様なコミュニケーションがあることを知り、自身の人間性を深めるきっかけになりました。幼い頃から積極性に欠けるタイプでしたが、自分が育った環境とは異なる文化に触れたり、自分から何かをつかみ取っていく留学生たちと接したりする中で、自分も新しいことにチャレンジしたいと思うようになりました。また、留学中には地元のボランティアにも参加し、自発的な働きかけで成果を出すことの面白さを知りました。Q.4 学生時代にバイトはしていましたか?高校生の時に近所のドラッグストアでアルバイトをはじめ、大学を卒業するまで続けました。ヘルスケア領域で仕事をしたいと思うようになったのは、ドラッグストアでの仕事で薬やヘルスケア商品を身近に感じるようになったことが大きな理由です。レジ打ちや品出しが主な仕事ではありましたが、お客様と触れ合う機会が多かったこともあり、生活におけるヘルスケアの重要性を感じるようになりました。Q.5 会社に感じた魅力はなんですか。第一三共ヘルスケアはOTC医薬品を中心に取り扱う会社なのですが、当初は商品数やバリエーションの幅広さに魅力を感じました。不調に対処する医薬品から、健康を保持するためのスキンケアやオーラルケア製品など、様々な状態の人を包括的にカバーできるのがいいなと感じました。総合職として募集されていましたが、営業にはあまり自信がありませんでした。しかし営業先には、自分と関わりの深かったドラッグストア様も多いので、苦手意識のあった営業職からでもキャリアをスタートする決意ができました。Q.6 これまでのキャリア変遷を教えて下さい。最初の配属は名古屋で、営業として東海3県で約100店舗を展開するドラッグストア様の窓口担当をしていました。人見知りな性格も営業時代にかなり改善され、積極的に営業先に働きかけ、店舗と連携して販売方法をご説明させていただく機会を設けるなど、店舗ごとの販売モチベーション維持に注力しました。こちらから働きかけたことに対してきちんと協力してくださる、あたたかい人柄の方が多く、私自身も励まされました。3年間の営業時代には、人と真剣に関わることの大切さや、良好な人間関係の中で仕事が成功した時の喜びを知ることができました。入社当時から「営業を経験した後は、ブランドマネジャーとしてキャリアを積んでいきたい」と上司に伝えていたのですが、想像以上に早いタイミングで異動が決まりました。■営業時代の経験を生かし、若手リーダーとしてブランドを牽引Q.7 現在のお仕事内容を教えてください。現在は「ロキソニン内服薬」シリーズのブランドマネジャーとして、ブランド全体の育成戦略を立てています。新製品の開発や既存品の育成戦略の検討、広告戦略の立案など、幅広い業務に携わっています。また、生活者の方々に定期的なブランド調査も行っており、検討内容とニーズのバランスを考えながら、社内会議で検討しています。痛みに関する実態把握や啓発活動も行っており、近年はとくに気圧・気象の変動に伴って発生する頭痛(気象病)や、女性特有の痛みである生理痛に対する理解促進、対処啓発に注力しています。Q.8 若手としてブランドマネジャーという職に就いてから、大変だったことはなんですか?本社に異動してからは、営業現場で働いていた時とは業務内容も環境がガラッと変わり、日々の業務もいちから自主的に学ぶ大変さがありました。また、本社で関わるメンバーには自分と年次の離れた先輩も多く、ブランドマネジャーとして様々な部署と連携を取る時には、関係づくりに苦労しました。些細なことでもデスクに直接聞きに行き、まずは顔を覚えてもらえるように工夫しました。留学や営業で自主性や積極性を身につけられていなければ、社内コミュニケーションにももっと苦戦していたと思います。Q.9 ブランドマネジャーとして、意識されていることはなんですか。私はブランドを牽引する立場ではありますが、自分より役職の高い方に業務をお願いすることもあります。業務上必要なことではあるものの、皆さんが他にも重要な仕事をこなしていることを十分理解し、やってもらって当たり前と思わないようにしています。ブランドとしての想いや背景をしっかり説明したり、期日を明記した上でメールを送ったりと、相手が疑問を感じづらいコミュニケーションを工夫しています。Q.10 どんな時に仕事のやりがいを感じますか。実際に生活者の方々のお声を聞いて、自分が担当した製品が役に立っていることを実感する時が一番嬉しいです。今年の3月年に「ロキソニンSプレミアムファイン(第1類医薬品)」という生理痛向けの新製品を世に送り出した時も、SNSやネットにアップされる生の声を見て、人々に必要とされる製品だったことを実感しました。学生の頃は自分が誰かの役に立てるとは思っていませんでしたが、仕事をはじめてからは、自分が働く意味やその価値を感じるようになりました。Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。9時過ぎに出社し、メールの確認から1日を始めます。お昼は同じ部署の仲間とランチして、午後からは打ち合わせや会議をこなします。合間に資料を作ったりもしながら、20時までに退勤する日が多いです。忙しさは時期によって変わるのですが、睡眠はしっかり取るようにしています。■夢はブランドマネジャーとしての持続的な成長Q.12 ヘルスケア習慣について教えてください。まず、不調が出た時には効果的に薬を使って対処するようにしています。痛みを我慢していると鎮痛薬が効きづらくなるので、すぐに病院に行けない時は自社製品も服用します。私もロキソニンに携わる前は、ちょっとした痛みなら我慢したまま生活するのが当たり前と思っていました。しかしロキソニンの効能について詳しく知ってからは、低気圧の日に頭痛が生じたときやデスクワークが続いて体に痛みを感じた日なども、我慢せず薬を服用するようになり、生活のクオリティや仕事のモチベーションが保ちやすくなりました。生活者の方々のお声を聞いてみると、ロキソニンに対して「よく効くから体に負担がかかりそう」という印象を持っている方も多いようなのですが、実は服用時の胃への負担が少なくなるように工夫されていて(※)、効き目と胃への優しさを追求した鎮痛薬なんです。ロキソニンに対する正しい情報を世に伝えていくことも私の仕事なので、今後も様々な形で魅力を広めていけるように注力していきたいです。また、最近は年齢を考えてジムで運動をするようになりました。幼い頃からずっと運動が苦手でしたが、機械を使えば私でも運動ができるんだな、と感動しています(笑)。Q.13 今後の展望を教えてください。学生時代の自分は内気で人見知りで、誰かを引っ張る存在になれるなんて思っていませんでした。留学や営業など、自分が苦手と思っていたことにもチャレンジしてみたことで、今の自分がいます。実は第一三共ヘルスケアが新卒採用を始めたのは今から10年前で、私はその4期生なんです。そのため、年齢が近い先輩方が、結婚・出産などのライフイベントを経たのち、どのような働き方をしているのかを知る機会がまだ少なく、自身のライフステージが変わった時の働き方も、今はまだ想像がついていません。だからこそ、今後プライベートの状況が変わっても私がブランドマネジャーを続けていくことで、社内の後輩たちのロールモデルになれればと思っています。仕事とプライベートのどちらにも言えることですが、未来の見えない挑戦でも、これまでのように積極的に飛び込んで、新しいスキルや経験を得ていきたいです。※胃粘膜を刺激しにくい形で通過し、体内で吸収されてから鎮痛効果を発揮するプロドラッグ製剤
2023年11月07日取材・文:ミクニシオリ撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部世界的パンデミックの影響で、私たちは長らく世界と分断されていましたが、今年はやっと情勢が落ち着いて、好きな時に好きな場所を訪れることができるようになりました。Clase Azul Asia株式会社で働くMari Mochizukiさんは、パンデミックに影響を受け、キャリアの転換を考えた人の一人です。「もともとメキシコで働いていましたが、新型コロナの影響で帰国し、現在は日本で働いています」中目黒にある会社まで、自転車で通勤しているMariさん。現在は「クラセアスール」というプレミアムテキーラのマーケティング担当として仕事をしています。転職や方向転換のタイミングは、いつだって自分のタイミングとは限りません。大人になればなるほど、色々な理由で転職せざるを得ない状況は増えていくかもしれません。Mariさんのしごとバッグから学べるのは、ポジティブに仕事と人生を楽しむコツ。Mari Mochizukiさん東京育ち。大学卒業後、メキシコに渡り自動車関係のメーカーに入社。2021年に日本に帰国し、クラセアスール・アジアに入社。スペイン語を生かし、輸出入などの物流の業務の傍ら、マーケティングを担当する。現在はイベントの企画・運営や、プロモーション戦略立案などを行っている。Mariさんの仕事バッグは、アメリカのスポーツブランド「Aer」のリュックサック。スポーツ向けとは思えないほどスタイリッシュなのにしっかり軽量で、しかも底にはシューズも収納できるのだとか。「Aerのリュックはとにかく大容量で、PCや自社のテキーラデキャンタを収納しても、まだ余裕があります。友人とバスケをする日もあるので、バスケシューズが入っている時も(笑)。自転車やサブスクの電動キックボードで通勤することが多いので、このバッグには日々助けられています」●バッグの中身1 金子眼鏡のサングラス2 イル ビゾンテの財布3 ノートとペン4 書籍『DOS VECES UNICA ELENA PONIATOWSKA』5 おやつの小魚6 コニカのフィルムカメラ『現場監督』7 BIMBA Y LOLAのポーチ8 水筒(シンガポールのホテルのアメニティ)一見シンプルなMariさんのバッグですが、中身は個性があふれていました。海外で働いていたMariさんの持ち物には、世界のいろいろな場所で旅した思い出や、遊び心が詰まっています。「現場監督という90年代のフィルムカメラは、趣味で友人と会う予定がある時に持ち歩いています。おっちょこちょいでなんでもすぐに落としたり壊したりしちゃう方なのですが、これは工事現場で使われていたほど丈夫なカメラなので、ガシガシ使っても壊れる気配がありません。職場の人を撮る時もあります。日常の一ページを切り取りたくて、なんとなくシャッターを切ることが多いです」サングラスは金子眼鏡のもの。日差しが強い日は、サングラスをかけたままシャッターを切る日もあるそうですが……「サングラスかけてると暗くて見えないんで、現像してみると意味の分からない写真もいっぱい入ってます(笑)」と笑うMariさん。その明るさで、話していると元気をもらえます。「水筒は、シンガポール出張に行った時、ホテルのアメニティとして置いてあったもの。ボトルには“Take Me Home”と書いてあって、これをあなたの最後のボトルにしてね、という一言が添えられていて、じゃあそうしようと思ったんです。オフィスにある給水器の水を入れて、外出時に持ち歩いています。メイクポーチは、BIMBA Y LOLAというスペインのブランドのもので、メキシコに住んでいるときに購入しました。派手なカラーや柄物のアイテムが多くて、一目惚れして買いました」海外のアイテムは、日本には無いスタイリッシュさや個性があってすてき。華やかなアイテムも、スポーティーなカバンや他の落ち着いたアイテムと混ざると、バッグの中でいいアクセントになってくれそう。バッグの奥の方からは、読み古したような質感もある本と、メモ帳も。メモ帳は開いてみると、日本語に英語、それにスペイン語で取られたメモがびっしり。「会社の福利厚生でスペイン語の授業を受けているので、授業に使う本とメモを取るノートも持ち歩いています。クラセアスールの本社はメキシコにあるのですが、スペイン語がメイン言語の方もいるので、忘れないように勉強を始めました。私はもともとメキシコに行っていたため多少理解があるので、授業は週に1回です。この本はディエゴ・リベラというメキシコの壁画家の、最初の結婚相手が主人公の作品です。メキシコは1900年代初頭に革命があったので、この頃のアートには当時の歴史や文化が現れていて、国を理解するのにも非常に重要なんです」最後にどうしても気になってしまったのが、バッグの中から出てきた小魚。おやつ用の小魚ではなく、お味噌汁の出汁を取る時などに使う煮干しなのですが……。「会社で今、煮干しがプチブームになっているんですよ。このまま食べても意外とおいしいし、もちろん家では出汁を取るのにも使えます(笑)。海外をベースに活動している人も多いので、会社にはいつも海外土産の甘いお菓子ばかり置いてあるのですが、飽きてしまって……どこでも買えるし、身体にも良さそうだし、おすすめです!」こうしてバッグの中身を見ているだけでも、Mariさんの個性が伝わってきます。そしてその個性は海外への興味関心からの影響も大きく、その最初のきっかけは高校生の時に行ったテキサス留学でした。「テキサスにもメキシコからの移民の子が何人かいて、アジア人である私たちにもすごく優しくしてくれた思い出があり、もともとメキシコに対して良いイメージを持っていました。そして就職活動の時、日本の就職活動が肌に合わず、面接も上手くいかなかったので、メキシコで就活する決心をしました。当時は親からもかなり反対されたのですが、日系企業のメキシコ支部で採用してもらえることになり、卒業してしばらくしてからメキシコでの生活を始めました」全員黒髪、全員スーツの就職活動とは相性が良くなかったMariさんですが、メキシコの文化や暮らしには馴染みを覚えたのだそう。しかし3年働いた後、世界的にコロナが流行し、帰国を余儀なくされました。「コロナが落ち着いたらすぐにメキシコに帰ろうと思っていたのですが、思った以上に長くかかってしまったので、いったん日本で仕事をすることにしました。スカウト制の転職サイトに登録した時に、Clase Azul Asiaのことを知ったんです。日本にいながらもメキシコに関わりのあるテキーラの仕事ができて、本社があるメキシコのメンバーと繋がれるなら、自分の強みが生きると思い、転職を決意しました」クラセアスールは、メキシコ生まれのプレミアムテキーラ。日本でよく飲まれているテキーラとは製法が異なり、純度の高い原料から作られているそうで、飲んでみるとビックリ。これまで飲んでいたテキーラとは全く違う、味わい深さや甘さを感じます。特徴的なボトルはメキシコの伝統工芸品にインスパイアされていて、現地の職人が一つ一つに絵付けを行っているのだそう。「私ももともとお酒は全然強くなかったし、テキーラも得意ではありませんでした。ただ、メキシコに行った時に飲んだテキーラは日本のものとは何もかもが違っていて、やっとテキーラのおいしい飲み方を知りました。クラセアスールのようなプレミアムテキーラは、日本でもお料理とのペアリングで楽しんでもらえる可能性があると思っています。和食やお蕎麦などにも意外と合うし、質の良い糖分でつくられているので、喉が熱くなる感じもしないし、二日酔いも起きづらいんです」マーケティング担当でもあるMariさんは、日本各地でチームメンバーと共にクラセアスールのカクテルやペアリングイベントの企画・運営も行っています。一口飲んでみたい時は、Clase Azul Asiaの企画するカクテルイベントに行くか、会社の下にある「緑青(ろくしょう)」というバーでも、1杯から注文することができるんだとか。メキシコでテキーラの魅力を知ったMariさんは、コロナ禍が終息してもClase Azul Asiaで働き続けています。コロナ禍の最中は「メキシコに帰りたい!」という気持ちが強かったと話していましたが、どんな心境の変化があったのでしょうか。「自分がメキシコに行くのももちろん楽しいんだけど、今はメキシコに貢献したい気持ちも強くって。クラセアスールの製造には現地の人々がたくさん関わってくれていて、その土地での雇用も生んでいます。メキシコは気候だけでなく、そこにいる人々の心も本当に温かいんです。だから私も、大好きなメキシコの人たちに恩返しがしたい。それに私はとても単純な人間なので、自分がどこにいて何をしていようと、楽しければそれで良いんです。逆にもし仕事が楽しくないと感じる日が来るのなら、転職活動を始めると思います。仕事って大変なこともあるものだけど、私がまだここにいるということは、それ以上にやりがいや楽しさを感じているってことなんだと思います。仕事って基本、大変だし嫌じゃないですか。だからこそ、楽しくないと続けられないと思っています。逆に楽しみさえあれば、どんな場所でするどんな仕事も、続ける理由になると思います」転職のきっかけは、新型コロナウイルスの流行。だけど、Mariさんは転職を環境のせいにはしていませんでした。「メキシコと繋がる仕事をすること」、そして「楽しい場所で働き続けること」という軸を持っている彼女にとって、仕事を続ける理由はとてもシンプルでした。
2023年10月30日30歳になった時、今後の自分の人生について考えてみる……たぶん、30歳を迎えた女性はみな、することなのではないかと思います。そして、私の中で結果を出すのに、そんなに時間はかかりませんでした。「子どもは欲しい。不妊治療は怖い。だけど、まだ母になる決意はできない」この問題はきっと、先延ばしにしたところで解決しない。むしろ、選択肢は狭まっていくばかり。だから私は、パートナーと一緒にプレコンセプションチェックを受けに行くことにしたんです。■答えが出せない私が見つけた「プレコンセプションチェック」という選択30歳の女性って、たぶんすごくパワーにあふれていると思います。仕事も充実してきたタイミングで、だけどもうちょっと年収も上げたい。今の会社で出世するべきか、それともキャリアアップ転職を目指すべきか……。そしてどちらも、今母になってしまったら、閉ざされてしまうかもしれない。プライベートだって、まだまだやりたいことがありました。やっと運動習慣が見についてきて、体型のコントロールもできるようになってきたのに……。きっと妊娠したら、またゼロからのスタート。仕方がないことだと分かっていても、これまでの自分が築いてきたいろんな”積み重ね”がリセットされて、また新しいステージでLv.1から冒険がスタートしていくのが、怖いんです。今の私には、結婚を考えているパートナーがいます。子どもを持ちたいというのはお互いの共通認識だったけれど……「じゃあ、いつにする?」と明確に決めているわけではありませんでした。私たちにとってはふたりで過ごす時間だって大切で、たぶんお互いに踏ん切りがつかなくて、話し合えていないことでした。だけど30歳になった時、やっぱり色々なことが不安になりました。だって出産をするかしないか、いつするかによって、仕事もプライベートも、計画がぜんぶ変わってしまうから。それは長い将来を一緒に過ごすパートナーにとっても同じはず。誕生日のあと、私は彼にも相談してみることにしました。何から話そう。引かれないかな。そんなことが不安になって、切り出し方を検索したりもしてしまったけれど、こういうことを話し合えなければ、きっと結婚生活も難しい。だから結局、金曜日の夜に、単刀直入に話を切り出しました。「あのさ……子どもを産む時期によって、今後のキャリアを考えたいんだけど」キャリアや生活クオリティ、世帯の金銭事情など、色々なことが出産と関わると考えていることを彼に伝えました。キャリアが変われば世帯年収も変わる。買える家や、子どもを何人持てるかも変わる。出産の時期を考えることの重要性を話したら、彼は真剣に話を聞いてくれました。だけど私たちの中では、どちらにせよ「今すぐに妊活」という選択肢を出す決め手がない、という結論に至りました。だからといって、いつまでに妊活すればいいのかも、私たちにはか分かりません。一般的に30歳といえば、妊娠時のリスクは高まりはじめる時期とも言われています。だけど、知識のない私たちには、タイムリミットがいつなのかも分からず、二人で検索してみることに。その時に、プレコンセプションチェックの一つである、AMH検査の存在を知りました。■若いうちから向き合いたい妊娠と出産。将来を考えるひとつの指標になるAMH(アンチミューラリアンホルモン)検査とは、卵巣の中に卵子がどれくらい残っているかを調べるもの。不妊治療の際に検査する人もいるそうですが、現在は妊娠時期を考える指標として、若いうちから検査する人も多いのだそう。たしかに、今の時点で残りの卵子が少ないことが分かれば、キャリアやプライベートよりも先に、妊活を優先して行う選択もできます。エネルギーにあふれる世代だからこそ、指標となる検査を行うことには大きな意味があるように感じました。AMH検査は、不妊治療を行っている婦人科や健診施設で受けることができます。調べてみると、AMH検査はプレコンセプションケアという名目で広まっており、若い世代の人が現在のからだの状態を把握し、将来の妊娠やからだの変化に備えて、自分たちの健康に向き合う一貫として認知されているようでした。プレコンセプションチェックの中には、男性の精液検査が含まれている場合もあるのだそう。いわゆるブライダルチェックと近いようにも思えましたが、結婚前でも、これからの将来設計に向き合うという意味で、男性がひとりで受ける場合もあるそうです。私たちは今後の将来設計のために、お互いにプレコンセプションチェックをすることに決めました。■ふたりで『浅田レディース品川クリニック』へ私たちは品川にある『浅田レディース品川クリニック』で検査を行うことにしました。通常の診察は予約が必要ですが、プレコンセプションチェックは予約不要で検査できます。婦人科は定期的に行くように心がけてはいるものの、忙しいとどうしてもおざなりにしてしまいがち。健康診断でもなかなか検査されない項目もあったため「どうせ行くなら」と、他にも検査を受けてみることにしました。私が検査することにしたのは、プレコンセプションチェックのBコース。AMH以外に感染症や性病、風疹など、不妊に関係のある検査を受けることができるコースです。久しぶりの婦人科だったので、超音波や子宮頸がんも一緒に検査して、後から不安要素が出ないようもりもりの検査項目でトライすることに。検査に休日を使ってしまうのはもったいないかなと、私たちは平日の夜に検査を予約し、仕事終わりに待ち合わせをしました。まずは受付。レディースクリニックに男性と来るのははじめてでしたが、平日の夜でも男女で待合室に座っている人たちがいたので、なんだかほっとしました。受付でカルテをもらって、二人それぞれに記入します。来る前は緊張していて、あまり考えないようにしていたけれど、いざこうして検査にやってくると「ふたりの将来なんだ」と実感します。パートナーもそれを察してくれたのか、緊張するね、と苦笑いしながら「まあどんな結果が出ても、お互いに楽しめる未来を計画しようね」と声をかけてくれました。妊娠・出産は女性だけの問題ではありません。パートナーの声かけのおかげで少し勇気が出て、カルテを受付に提出する足取りが軽くなります。女性と男性は別々に検査が進むため、呼び出しのために院内用のPHSを貸し出してもらいます。電話に出ると診察室の番号を伝えられるので、それぞれの検査に向かいます。AMHや感染症の検査は、採血のみで完了します。採血が苦手な人は、横になりながら採ってもらうことも可能です。やさしい看護師さんに励まされながら、採血が終了。私たちはオプション検査をお願いしたので、私は内診室に、パートナーは精液検査のために個室へ。内診検査はいつも緊張してしまいますが、今回は女性医師が検査してくれたので、なんとなく安心感がありました。超音波検査と子宮頸がんの検査を行い、待合室に戻ってくると、すでにパートナーの姿が。20代の頃、婦人科検診はいつも憂うつでした。誰かといっしょだと、やっぱり安心します。自分のからだのことだけど、自分ひとりで悩まなくていいんだ。勇気を出して、パートナーに相談してよかった。検査には、20代の女性や男性がひとりで来ることももちろんあるそう。からだのことを早いうちから考える若者が増えているのは、いいことだと思います。だって、もしも自分が子どもを産めないからだだったら?若いうちに知っておけば、人生の選択肢が変わるでしょう。子どもを産めないなら、結婚はしなくてもいいかなという人もいるでしょうし、キャリアを充実させることもできます。実際に検査に来てみると、まだ結果も出ていないうちから「もっと早くやっておいてもよかったな」とも思いました。■検査結果でやっと、地に足のついた「将来設計」が可能にお会計を済ませて、帰り道はパートナーと品川でおいしいごはんを食べました。検査結果は郵送で届くので、それまではいつも通りのふたりです。2週間後、別々の封筒で検査結果が届きました。ドキドキしながら、ふたりで検査結果を見比べました。いちばん気になっていたAMH値……つまり、卵巣予備能は問題なし。しかし、その他の検査項目に気になる結果も出ていたので、検査後の無料個別相談にも申し込むことにしました。浅田レディース品川クリニックでは、プレコンセプション検査の結果について、後日院長に無料相談に乗ってもらうことができるのです。(※相談時間は10分ほど)AMH値は、年齢とともに減っていくものだといいます。だから、私たちは定期的にAMH検査を行っていくことにしました。そして検査結果をもとに、これからのことを話し合いました。現状で卵巣予備能に余裕があるなら、先に転職をすべきか。家を買うのは、いつごろにするべきか。不安定な世の中だからこそ、お互いの認識を合わせて話し合いができたことで、将来への「そこはかとない不安」が拭われ、地に足がついたような感覚が持てました。健康な人にとって、健康であることはあたりまえのこと。もしも急に不健康になったら、日常はガラリと変わってしまうでしょう。定期検査をしておくことで、からだの急変を防ぐこともできますし、心の準備も整います。将来の選択肢を増やすためにも、パートナーの有無に関わらず、いちど検査してみてはいかがでしょうか?(文:ミクニシオリ、写真:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部)「浅田レディース品川クリニック」婦人科(生殖医療・不妊治療)〒108-0075東京都港区港南2-3-13 品川フロントビル3FTEL:03-3472-2203
2023年10月27日取材・文:瑞姫撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、全米ヨガアライアンス認定のヨガスクールなどを運営する株式会社MAJOLIの代表取締役・横幕真理さん。株式会社MAJOLIでは、ヨガ業界初のオンラインによるヨガ資格講座『おうちヨガ』の運営を行っています。自分で道を切り開いてきた、ストイックで行動力の塊のような横幕さんですが、実は人見知りで、苦手なことも多かったそうです。しかし、「苦手なことにあえて挑戦してきた」からこそ見えた、予想外の人生。それは、彼女の今をより輝かせてくれるきっかけになったものでした。横幕真理さん株式会社MAJOLI 代表取締役、一般社団法人国際ヨガアカデミー協会 代表理事。大学卒業後、就職活動に失敗し海外へ渡航。その後、海外での留学と就職を経て、インドにヨガの修行に行き人生が変わる体験をする。インドから帰国後に結婚して専業主婦になるが、“自立した女性になりたい”一心で、29歳で株式会社MAJOLIを起業。2,750名(10/1現在)以上の生徒を抱えるヨガスクールを経営し、これまで東京、沖縄、京都、バリ、ハワイ、セブで事業を展開。運営メディア「Wellness Story」 、Instagram 、公式HP ■人見知りな性格を自ら克服。視野を広げるために大学卒業後は海外へQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?すごく人見知りで、人から注目をされることが苦手なタイプでした。感受性が豊かなのですぐ泣きそうになるんですが、注目されるのが嫌なので涙が出そうになるのをグッとがまんして……。家に帰ってお母さんに「大丈夫?」と言われた瞬間に泣いてしまうような子どもでした。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?人見知りだし目立ちたくないっていう気持ちがすごくあったんですが、背が高かったり、真面目な性格だったりしたこともあって、先生からリーダーや学級委員長を任されることが多かったです。ただ、自分からなりたくてなったわけではないものの、任された以上は責任感を持ってはやっていました。目立つのは嫌だけど意見を出すことは嫌いじゃなかったので、リーダーとして色々と決める立場にあることは、自分にとってはすごく心地良いポジションだったのかもしれません。Q.3 学生時代にアルバイトはしていましたか?人と話すことが苦手だったので、あえて苦手を克服したいと思って接客業に挑戦していました。焼肉屋さんやアパレルなど、色んなジャンルを経験しましたね。一番やりがいを感じたのは、結婚式場のバイト。人の人生が変わる大切な日に携われるのはすごくやりがいを感じましたね。逆に、大きな声を出さなくちゃいけない焼肉屋さんのバイトは苦手でした(笑)。Q.4 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?経済的に自立した女性に対しての憧れがあったので、高校生の頃から起業したいという気持ちがあり、アントレプレナーシップという学部で、起業や経営について学んでいました。その学部は元々、親が起業家の方しか入れないのですが、2年生からは成績と面接で合格した人が数枠入れるので、その枠で私は入りました。バイトばかりしていたので本当は成績が足りなかったんですが、どうしても入りたくて担当の教授に「絶対にがんばるので入れてください!」とお願いして(笑)。振り返ると今でもすごく学びたいと思える授業がたくさんあって、特に多かったプレゼンの授業は、すごく今に活きているなと思います。実際にお金の流れを学ぶマネジメントゲームもおもしろかったです。Q.5 大学卒業後に留学しようと思ったきっかけを教えてください。大学の3年生の就職活動の時期に、自分が何をしたいかが分からなくて就職活動ができなかったんです。起業したいけれど、お金もやりたいことも無かったので、今すぐ起業するという選択肢は無くて……。そんな時に、大学生になってから初めて行った海外旅行で外国の方とお話した時に「英語は学問ではなくコミュニケーションツールの一つなんだ」と感じたことを思い出したんです。それぞれの国で、いろんな考え方や文化の中で育ってきた人と話すと、新しい世界が広がるので、「海外に出てもっと視野を広げたい!」と思って、卒業後は1年間くらいアルバイトでお金をためて、ロンドンに留学しました。■ヨガで人生が変わったQ.6 人生が変わったというヨガに出会ったきっかけを教えてください。ロンドンに留学すればやりたいことが見つかると思っていたんですが、結局見つからなくて。帰国してから日本で一度就職したものの、その会社もあまり続かなかったんです。でも、また海外へ行きたいという気持ちがあったので、今度は留学ではなく仕事で海外へ行こうと思って、海外就職について調べて片っ端から応募して、当時ちょうどセブ島に進出するタイミングだった、日本の上場企業のセブ島拠点に就職を決めました。そこから3年間セブ島でゼロから立ち上げの拠点でマーケティングや人事の仕事をしました。そして、その後次のステップとして「苦手なことに挑戦したい」「あえて、衛生面や治安が心配で一番行きたくない国であるインドに次は行ってみたい」と思って。それでインドについて調べていたら、インドがヨガの発祥地で、ヨガ留学というものがあることを知って、行くことを決めたんです。ヨガがやりたくてインドに行ったというより、インドに留学に行くためにヨガを学ぶことにしたという感じですね。Q.7 ヨガで起業しようと思ったきっかけを教えてください。インドのヨガ留学は2カ月間だったんですが、初めて受けたヨガの授業で「あなたにとって幸せとは何ですか?」という質問を投げかけられて、何も答えることができなかったんです。自分を変えたいと言いながら、私は自分自身のことを何も知らなかったんだなと痛感し、それが自分自身を見つめ直すきっかけになりました。元々私はすごく太っていたんですが、ヨガを始めてから8キロほど痩せたことで、ずっと嫌いだった自分のことを少しずつ大事にできるようになったんです。自分が変わると周りの環境が変わる。環境が変わると、どんどん人生が変わって、生きるのが少しだけ楽になったんですね。それで、ヨガってすごいな、もっと色んな人に伝えたいなって思ったんです。ただ自分ひとりがヨガインストラクターとして活動をするよりも、同じ志を持ったヨガの先生を育成する立場になることで、より早く大きく広がるんじゃないかなと考えて、ヨガ講師を養成するスクールを運営する会社を起業しました。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?スクールの生徒さんが「ヨガで人生変わりました」って最後に泣いて卒業していく時はすごくやりがいを感じますね。それから、わたしの下で働いてくれているヨガ講師たちの成長を見られるのもうれしいです。当時、オンラインでヨガの資格が取れるコースは業界初だったので、やったことが無いことに挑戦する分すごく大変だったんですが、やって良かったなと思えます。■世界をウェルネスでハッピーにQ.9 毎日のタイムスケジュールを教えてください。毎朝5時に起きて、365日間、6時〜6時半まではオンラインで瞑想のクラスを自分で受け持っています。 そこからはヨガのプラクティスをやって、お部屋の掃除・洗濯をするのが朝のルーティングです。仕事の時間はミーティングに出たり、新しい講座を作ったり、イベントの開催準備をしたりというのがメインの仕事ですね。あとは、マーケティングや企画、数字分析、卒業後の生徒さんとの面談もしますし、夜9時〜10時の間は夜のヨガレッスンのチェックをしたりしています。また、昔からドラマを観るのが大好きなので、夜に髪の毛を乾かしながら観たりしてプライベートは過ごしていますね。ドラマから今の流行りや、みんなが何に悩んでいるのかを読み取ったり、マーケティングの観点から情報収集もできたりするのでなるべく観るようにしています。感受性が豊かで、感情移入もしやすい性格なので、ドラマを観ながら泣いたり笑ったりして感情のデトックスをしています。Q.10 休日は何をしていますか?丸一日お休み!というのはほとんど無いのですが、年に一回は友人と旅行に行く時間を作っています。あとは、新しい世界に触れることが自己成長につながると思っているので、行ったことの無い場所、体験したことの無い経験を大切にしています。時間が空いたら音楽ライブに足を運んだり、舞台や映画館、美術館などに夫と出かけたりするようにもしています。夫婦の時間も大切にしたいなと心がけているので、月に一度はデートしていますね。Q.11 どんなところにお住まいですか?沖縄のギリギリオーシャンビューのお家に住んでいます(笑)。海が好きなんですけど、移動が多いので、空港に近いところが良くて。沖縄の気候だけじゃない人の温かさや、海の綺麗さ、そういったところに自分自身がすごく癒されます。Q.12 プライベートで悩みはありますか?仕事ばかりで、家族の時間をなかなか作ることができないことですね。忙しくて家事が追いつかないことも多く、それも悩みです。仕事に没頭できる今はとても幸せですが、ふと気がつくと部屋が散らかってしまっていたり、家族でゆっくりご飯を食べる時間をぜんぜんとれてなかったり……。起業してからそこはずっと悩みですね。Q.13 将来の夢を教えてください。世界をウェルネスでハッピーにしたいというのが今の私の夢です。これまで誰もやったことがない新しいことをやってきたので、これからもいろいろなことに挑戦していきたい。ヨガやピラティスという業界を超えて、みんなで手と手を取り合って健康について伝える活動をしていきたいです。
2023年10月27日取材・文:仲野もも撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、世界最大級のビジネス特化型SNSおよび同サービスを提供する『LinkedIn』の日本法人・リンクトイン・ジャパン初の女性代表を務めている田中若菜さんです。田中さんが代表になった経緯を聞くと、なんとLinkedInを通して日本法人代表へのオファーがあったことがきっかけなんだとか。転職を5回以上経験し、様々な業界で幅広いスキルを身につけている田中さんの素顔に迫ります。田中若菜さん2003年米ハーバード大学ビジネススクール 経営学修士(MBA)取得。日本ロレアル株式会社ブランドマネージャー、グラクソ・スミスクライン株式会社 変革推進室長、Google合同会社 Google PartnerOlex Tokyo統括、執行役員などを経て、2023年3月よりLinkedIn日本法人・初の女性代表に就任。■幼少期から好奇心旺盛。ジャカルタ生活がきっかけで国際関係に興味を持ったQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?私には弟がいて、長女ということもあってリーダー気質というか、いろいろなことに手を上げて自分からトライするような子どもでした。失敗を恐れない、好奇心旺盛な女の子でしたね。班長とかもよくやっていました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?父はすごく厳格で厳しかったです。一方で母はおおらかでポジティブな、いつも笑顔のはじけるような人でした。母から受けた影響はすごく大きいですね。父の仕事の都合で中学3年から高校3年までジャカルタで暮らしていたんですけれど、異国の地で日本人ファミリーとして生き延びていくために家族一致団結する必要があり、そのおかげで家族仲が良くなりましたね。私がチャレンジすること全てをサポートしてくれる、そんな家族でした。Q.3 大学はどのように決めましたか?国際関係や政治について学びたいと思って、その当時国際政治分野でトップだったアメリカのジョージタウン大学に進学しました。この先生のもとで学びたい!と思った教授がいたのも、選んだ理由の一つです。当時はちょうど冷戦が終わってベルリンの壁が崩れて、世界がすごく変わったときだったんです。それで、このままだと日本はどうなるんだろうって考えて……。また、インドネシアで育って、日本が戦時中どんなことをしていたのかを現地の人から聞いて、「日本で受けた教育とは違う。ちゃんと政治や国際関係の勉強がしたい!」と思ったのが専攻を決めたきっかけですね。Q.4 大学時代はどんなことに注力しましたか?学生時代は学校での勉強の他に、地域の人に英語を教えたり老人ホームでボランティアしたりしていました。あとは性被害を受けた女性を助けるNGO団体があって、そこで経営方針を考えるコンサルティングのアルバイトをさせてもらいました。社会の課題に触れながら、将来自分は何がしたいのかなって考えていましたね。■「私も女性の背中を押す存在になりたい」目標ときっかけをくれたのは、昔からお世話になっていた年上の女性の友人Q.5 大学卒業後はアメリカで就職したのですか?いえ、大学を卒業するとともに日本に戻ってきました。これから就職するというときにアジアの通貨危機が起こり不景気になったので、日本に戻ってきた方が仕事を見つけやすかったんです。バイリンガルだったということもあって、最初はコンサルティング会社に就職しました。久々に実家に戻って4年ほどがむしゃらに働いた後、ハーバード大学大学院のビジネススクールに入学しました。Q.6 なぜMBAを取得しようと思ったのですか?キャリアアップするにはどうしたらいいんだろうと考えていたんですよね。職場にはMBA卒業生が多くいたのもあって、自然な選択でした。ただ最初はハーバードではなく、別の大学を考えていました。ハーバードは自分には無理だろうなって思っていたんです(笑)。でもたまたま昔からお世話になっていた年上の女性の友人でハーバードのMBA卒業生がいて、「若菜ちゃんならできるよ!」って背中を押してもらって、受けてみたら合格をいただいて。その先輩にはハーバードに行くきっかけをいただいてすごく感謝しています。女性に多いように思うんですけど、100点を取れないと「自分はできる」って言わないんですよね。80点だとまだまだだなと思ってしまうというか、ギャップに目がいきがちだと思うんです。私もそうだったんですが、そこで「大丈夫だよ」って背中を押してくれた人がいたおかげでチャレンジできました。その時に、私も若い人の、女性の背中を押すような、そんな存在になりたいと思いましたね。Q.7 ハーバードではどのようなことを学びましたか?経営プランを立てたりディスカッションしたり、疑似経営体験の授業をくり返して「自分がリーダーだったらどうするか」というマインドをつくりました。人って立場が変わると視点が変わるというか、マネージャーの視点になった瞬間見えるものが変わるんですよね。すごくいい練習だったなと思います。その他にもいろんな授業を受けましたが、振り返ってみると「自分は何をやりたいのか」「どんな存在でいたいのか」そういうことを考えたり、インターンシップをしたり、いろいろトライできる時間だったなと思いますね。やっぱり授業の内容は忘れてしまうんですけど、培ったマインドセットみたいなのは今も忘れていません。女性は介護や育児でキャリアを休む期間が出てくると思いますが、MBAを取得したらそういった時も復帰しやすくなりますし、自分が立ち戻れる場所でもある。リスキリングとして一番の投資にはなるので、特に女性におすすめしています。Q.8 MBAを取得後、どのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?新卒で就職したコンサルティング会社ではいろいろな業界を担当しました。経営ってこんな感じなのかなとイメージしていくうちに、自社で商品を作って市場に出して……ということを一通りやってみたいと思ったので、MBA卒業後は化粧品メーカーに入社してブランドマネージメントにトライしました。商品開発から流通、価格設定、在庫管理までいろいろ触れることができて、すごくいいスキルセットを学ばせていただいたし、自信にもつながりましたね。その後、結婚して子どもを産んで、お仕事を少しお休みしました。産休の間は自分でリスキリングしたり、コーチングの資格を取ったりしました。その時学んだコーチングは、今も自分のパッションだと思っています。というのも、コーチングはリーダーシップに通ずるものがあって、メンバーのやる気を引き出すような、コーチングを軸にしたリーダーになりたいと思ったんですよね。その後もさまざまな経験を積んで、その経験を買われてリンクトインからオファーが来ました。■スキル型採用は女性のチャンスを広げる。リンクトインのビジョンに魅力を感じ日本法人代表にQ.9 リンクトインを含め、どういったポイントで就職先を選んできましたか?お仕事を選ぶときに大事にしていることは3つあります。まずは会社のビジョンやミッション。私自身いろいろな経験を得た中で、後に続く世代の地位を上げたいと思うようになりました。将来の日本の女性、アジアの女性の地位を上げることに貢献したいんです。ビジネスにおける「機会」って均等ではないと思うんですよね。やっぱり限られた人に集中してしまう。日本社会の場合はそれが大企業の男性であることが多いと思うんですが、スキルベースの採用になれば、どこに何年務めたかでお給料は決まらない。どんなスキルを持っているか、どんな結果が出せるのかでお給料が決まれば、女性にもチャンスが増えますし、より平等になると思うんです。リンクトインを通してスキルベースの採用が浸透すればそういう社会を実現できる、そこに魅力を感じました。次に、私がどれだけ貢献できるか。そして、家庭と両立できるかです。私には子どもが二人いるので、母としてもプロフェッショナルでいたいというか、妥協したくない。家庭と仕事を両立できる、会社の社員に対する扱い方を尊敬できる会社がいい。これまでの会社もこのポイントで選んできたのですが、リンクトインはやっぱりビジョンに魅力を感じたこと、貢献できるところがあったので、お話を受けることにしました。Q.10 代表に就任してから一番うれしかったことは何ですか?サービスを使うことで人生が変わった、新しいお仕事に就けた、ネットワークが広がった、そういう声を聞くとすごく嬉しいですね。またリンクトインではe-ラーニングサービスも展開しているんですが、それを全社導入したことで社員が学習するようになったとか、人材が増えて会社の競争力が上がった、その結果として株価が上がったとか……。初めて会社のトップに立って自分が試されているなと思うこともありますが、そう言った声を聞くと、すごくやりがいがあるなって思います。Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。リンクトインは人と人、人と会社を繋ぐので、仕事中は基本的に人と会っています。本社がアメリカに、アジア支社の本部がシンガポールにあるので、オンラインMTGや海外の人とのMTGも多いです。お昼は会社でヘルシーなお弁当を頼んでいるので、みんなで集まって食べたりしています。夕飯の後は子ども達と話したり宿題を手伝ったりしますが、もう二人ともティーネイジャーなので、干渉しすぎないようにしています(笑)。寝るのは大体24時頃、就寝前の2時間くらいは自分の時間に使えることが多いですね。できるだけストレッチやエクササイズをするようにしています。■仕組みが変われば社会が変わる。若者や女性が輝ける社会をつくりたいQ.12 お休みの日は何をされていますか?休みの日は家族と過ごしています。娘がK-POPにハマっていて、この前は一緒にライブに行きました(笑)!あとはファッションにも興味を持ち始めたので、一緒に買い物に行くことも。息子はスポーツをしているので、応援に行ったり、差し入れを持っていったりすることもありますね。他にはやっぱり、「チームはリーダーを見て変わる」とよく言われているので、まずは自分がリスキリングするようにしています。LinkedInラーニングは1コース1時間ほどの内容を、1回3分の動画に分けて学ぶんです。3分だけなので土日の空いている時間や平日のスキマ時間に進めています。LinkedInラーニング()は、13カ国語で2万を超えるコースがあり、このうち日本人講師による1,200コース以上のコースに加え、すべての英語コースに機械翻訳による字幕が導入されていることから、1万を超えるコースを日本語で視聴することができます。ぜひ皆様に試していただきたいです。Q.13 将来の夢はありますか?「女性の背中を押す」という、ずっと自分がやりたかったことを仕事にできているので、貢献できる限り仕事は続けたいですね。そして将来は子どもを含むみなさんが暮らしやすい社会にしたい。人材の持つ力を活かして社会を元気にしたいというか、若い人が、特に女性が輝ける社会をつくりたいと思っています。自分一人ではできないことですけど、人材には力がありますし、リンクトインはそれが実現できるポテンシャルがあるサービスだと思っています。私自身さまざまな業界で幅広いスキルを身につけたことで、日本法人初の女性代表に選ばれたと思っています。終身雇用からジョブ型採用への移行は女性活躍のカギになると考えているので、多くの人にリンクトインを知ってもらって使ってもらって、すべての人が、女性が、経済的チャンスをつかめる社会に変えていきたいですね。
2023年10月06日文:ミクニシオリ撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部働く私たちのモチベーションを上げてくれる、お仕事用の小物類……今回のリーダーは、大人かわいいライフスタイルブランド『GAACAL』を運営する株式会社rainbowwの社長・朱 静儀さんです。中国生まれの彼女は、幼い頃から日本の文化やビジネスに憧れて日本にやってきました。今はライフスタイルブランド社長として成功している朱さんですが、「経営者になってからの道のりは、決して平坦ではなかった」と話します。しかし、そんな苦労も忘れさせるほど、屈託のない笑顔を浮かべながらインタビューに応じてくれた彼女。その奥底には、日本に憧れた理由の一つでもある「好きなことに没頭して働く」という夢をかなえたからこその強さがありました。今は一児の母でありながら、大好きな音楽でも活動を続ける朱さんに、これまでの人生とこれからの展望を語っていただきました。朱 静儀(シュ・セイギ)さん1988年10月16日、中国深セン生まれ。早稲田大学 教育学部 数学科卒業。2016年に共同創業者の戴と上海でレンタルファッション事業を起業後、2018年に同時に妊娠・出産となったため事業を断念。2019年に新たに株式会社rainbowwを設立。東京在中の朱と上海在住の戴で拠点を分け、日中のメリットを活かした組織体制で運営。■受験や留学よりも苦労した、大学での人間関係Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?マイペースな性格で、ゲームをしたり音楽を聞いたりと、一人行動が好きな子でした。友だちもいましたが、誰とでも仲良くできるタイプではなく、数は少なめでした。あまり周りを気にしない子供だったと思います。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?安定志向の父と母のもと、よくある家庭で育ちました。中国で高度経済成長期を生きた親世代は、満足にご飯を食べられない人々もいましたから、昔から「勉強をして良い大学に入って、大きな会社に就職しなさい」と言われていました。その反発もあってか、小さい頃から自由でいたい気持ちが強かったですね。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?特定のグループに所属している感覚はなく、中学生の頃も友だちは多くありませんでしたが、生徒会で学校行事の主催をしました。マンガに出てきそうな活動に憧れて、先生も周囲も巻き込むようになり、自分としては大きな舵を切った時期ですね。目立つのが好きではなかったので、振り返ってみると、よくやったなあと。今も昔も、思いついたことは即やらないと気が済まない性質なんです。Q.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?中国ではアルバイトという概念が無いので、はじめてのアルバイトは日本にやってきてから。大学進学前に、日本の語学学校に通いながら、吉野家で働いていました。当時は留学生を雇ってくれるアルバイト先が少なくて、コンビニで働けるのは、かなり優秀な人だけだったんです。その頃から日本の音楽とライブにハマっていたこともあって、受験勉強をしながらも、アルバイトは半年ほど続けました。Q.5 学生時代に注力したことはなんですか?受験勉強は積み重ねがあったので、趣味を楽しめる程度には手を抜けたのですが、大学生活はそうはいきませんでした。大学での授業は教科書通りに勉強するのではなく、自分でゴールやプロセスを決めなくてはいけなかったし、一人で勉強すれば良いわけではないという、今までに無かった壁にぶち当たりました。グループワークやテスト対策は周囲の生徒たちと一緒にしなくてはいけなかったし、生まれてはじめて、団体行動の大切さと大変さを知りました。この時の経験は、会社を経営する上でもとても役に立っています。Q.6 留学先で苦労したことはなんでしたか?大学では数学を専攻していたので、数名しかいない女性たちとギュッと固まって過ごしていたのですが、所属していたミュージカルサークルは女性ばかりで、クラスとは全く違うやり方でコミュニケーションを取る人が多く、混乱してしまいました。一匹狼でも生きていけると思っていたのに、それではだめなのだと気づいてショックでしたし、周囲と馴染むのにも時間がかかったので、やっぱり人間関係が一番の悩みだったかな。でもそれ以外は、ご飯はおいしいし、好きだった漫画やアニメの文化に触れられて、楽しいことも多かったです。■フリーランスと起業を繰り返し、挫折も味わった20代Q.7 就職先はどのように決めましたか?小さい頃から日本の番組を見て、好きなことに打ち込める仕事に憧れがありました。日本では仕事に夢中になっている人がいる印象もあったので、いかにやりがいを感じる仕事に就けるかを大切に考えていました。自分の得意分野を伸ばしたかったので、大学卒業後は学生時代から一人で続けていたゲーム開発の仕事を選びました。そこでも「誰かと仕事する大変さ」を思い知りましたし、また、お金を稼ぐ大変さも実感していました。Q.8 リーダー職を目指したきっかけはなんでしたか?最初はフリーランスとして、IT企業とゲーム開発の仕事をしていましたが、その後IT企業からスカウトされ、社長室に配属していただきました。そこでIRや新規事業、採用など、経営にまつわるさまざまな話を聞くことができ、その時点で自分も起業をしていたので、とても勉強になりました。その後は何度もスタートアップ起業しては事業を辞めて、また独立して……をくり返しながら、今に至ります。Q.9 起業してから一番大変だったことはなんですか?日本のビジネスを中国でやったら成功するのではないかと思い、上海で会社を作った時もあったのですが、日本と中国では資本やサービス展開の環境も異なるため、大きなギャップを感じました。起業家になってからの道は平坦ではありませんでしたが、やってきたことが繋がった先に、現在のrainbowwがあります。現在の会社でも、業績と現場体制のギャップや、市場とのタイミングのズレなど、常に発生する問題と向き合い続けています。Q.10 起業してから一番うれしかったことはなんですか?今の流行りやトレンドに敏感なアンテナを持っている人材として、若い子や未経験の子も積極的に採用しているのですが、その子たちの成長を見られる瞬間がとてもうれしいです。業績が伸びると、経験が少なくてもいろいろな仕事を振らなくてはいけないし、プレッシャーに涙してしまう子もいます。そういう子が、その苦しみを乗り越えて仕事を成功させて、会社とともに成長していってくれるのが、ひとつのやりがいですね。逆に、一番つらいのは社員同士がビジネス観の違いでケンカしているのを見る時ですね。人間関係に対しては今でも苦手意識がありますが、一人ひとりと話をして、一緒に解決しています。■大好きな音楽とものづくりを融合させて、新しい感動を創出していくQ.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。今は息子がいるので、朝は子どものお弁当作りから始まります。8時20分には幼稚園の送迎バスが来るので、それまではバッタバタ(笑)。会社は10時スタートなので、子どもを見送った後に、音楽の時間を取ることも。日中はひたすらミーティングをこなして、仕事が長引く日は親に子どもを預けることもあります。夜は子どもと遊んだりしながら寝かしつけをして、夜は趣味を満喫します。没頭してしまう時もあるので、寝る時間は日によってバラバラです。Q.12 休日は何をしていますか?休日は朝から夕方くらいまで、息子との時間にあてています。踏切が大好きなので、踏切が見られる公園に行ったり、子ども用列車に乗ったり……この一年はずっと踏切ブームなので、平日より忙しいかもしれません(笑)。仕事と子育ての両立は大変ですが、適度に力を抜くようにしています。もちろんミスもするんですけど、ヤバいなと思いながら、気づいた時になんとか対処をくり返す日々です。Q.13 プライベートでの悩みはありますか?人生を通して人間関係に悩んでいるのですが、今は家族の人間関係と、子育てですね。夫や両親にも、それぞれが良しとする教育方針があるけれど、子育てには正解がないじゃないですか。どうすり合わせていくのかも課題ですし、何が子どものためになるのか考えるのは、自分のことを決めるのより難しいですね。Q.14 趣味はなんですか?一番の趣味は、やっぱり音楽かな。実は、仕事としても活動しているんですよ。J-POPが大好きで、特にピアノロックにハマっています。今年はやっとイベントの数が増えてきたので、Mrs. GREEN APPLEさんやOfficial髭男dismさんなどのライブに参戦しています。自身が音楽を演るのは仕事でもありながらほぼ趣味なので、最近は音程をうまくとるための特訓もマイブーム化しています。Q.15 将来の夢はなんですか?仕事に夢中な人生を過ごしながら、自分が社会に何を残せるのか、何を達成できるのかに挑戦し続けたいです。もちろん、好きじゃない仕事もたくさんあるんですけどね(笑)。rainbowwで培ってきた製造小売での経験と音楽での経験は、ビジネスとしては全く交わらないと考える人もいるかもしれませんが、私にとってはエンターテイメントという一つの大きな事業の中にあるものです。たとえばディズニーのような、みんなから愛される感動を創出するために、もっとたくさんの経験を組み合わせて、大きなビジネスを展開していきたいです。Q.16 今後の展望を教えてください。rainbowwが展開する『GAACAL』は、働く女性のためのライフスタイルブランドです。「私だけのテーマ、ここにある」というブランドコンセプトや、ブランドの生まれた意味を届けて、もっと皆さんにとって必要とされるように成長させていきたいです。ただモノを売り続けるだけではなく、手に取った人がプラスアルファの意味を感じられるようなものづくりを続けていきたいです。私自身、ブランドの成長がものすごく楽しみなのですが、みなさんにとってもそうであると良いなと思います。
2023年09月29日日本最大のジュエリーの街・御徒町で活動している、キャリア30年以上のジュエリー職人たちが、デザイン制限なしの、鍛造の結婚指輪をオーダーメイドできるサービス「錬士」を2023年9月1日に開始しました。「錬士」URL: 錬士■結婚指輪の光と闇結婚指輪は、あらゆるジュエリーの中で最も末永く付き合っていくモノだと思います。しかし、長い職人キャリアの中で、良い指輪と悪い指輪があること知りました。残念なことに簡単に変形したり、歪んでしまう結婚指輪がたくさん売られていて、約半分の方は結婚指輪の変形を経験するとも言われています。変形の最大の原因は、最初から強度に問題があるということです。■錬士の特徴錬士の特徴は、「職人の技術」「デザイン制限のない鍛造オーダーメイド」「高品質でリーズナブルな価格」「日本の心」です。デザイン制限のない鍛造オーダーメイド■品質の高い結婚指輪錬士では品質の高い結婚指輪のみをお作りしています。結婚指輪の品質とは「強度・耐久性」「つけ心地」「素材」です。*強度・耐久性のこだわり「安心の寸法」変形する結婚指輪のほとんどは細く薄いものばかりです。コスト削減のため素材の使用量を減らし、強度を無視して作られています。例えば、幅2.0mm未満、厚み1.5mm未満のような指輪です。しっかりした寸法でお作りすることが大切です。*強度・耐久性のこだわり「鍛造(たんぞう)製法」指輪を作る方法は、溶かした金属を型に流し込んで作る鋳造(ちゅうぞう)と、金属を直接叩き鍛えながら作る鍛造(たんぞう)の2種類があります。鍛造の方がより強い指輪になりますが、職人の高い技術が必要なことと大量生産に向かないため、行なっているお店は少数です。錬士では、全ての結婚指輪を鍛造(たんぞう)で製作しています。また、鍛造製法でオーダーメイドを行なっているお店でも、デザイン制限を設けていることが多いですが、錬士ではデザイン制限なくご依頼可能です。*明確な理論に基づいた滑らかなつけ心地つけ心地の良い指輪には明確な理論があり、内側の丸みとしっかりした厚みです。つけ心地が良いことは当たり前ではないです。しっかりと見極める必要があります。*素材の厳選結婚指輪で人気のプラチナとゴールドですが、色味の違いだけではないです。例えばプラチナでも純度や配合など様々あります。おすすめできるモノとそうでないモノがあります。しっかりと厳選する必要があります。鍛造製法の流れ■リーズナブルな価格錬士では材料費の利益をいただいていません。工賃のみをいただいております。材料費は、指輪を作るのに必要な重量だけその日の地金相場をそのまま採用し計算します。そのため、リーズナブルな価格設定になっています。もはや、価格破壊だと思われるかもしれません。*低価格の理由職人の高齢化、減少によって、日本人のジュエリー職人は絶滅危惧種とも言えるほどの状態です。若手も全く育っていないです。日本の技術をお届けするのには、もう時間が限られています。これはジュエリーだけでなく、様々な業界にも言えることだと思います。そんな中、私たちは少しでも多くの方に日本の技術をお届けしたいと考えました。*技術の安売りはしていないです私たちは決して安売りしているわけではないです。むしろ、一般的なジュエリーショップよりも職人の工賃は高いです。「高品質でリーズナブル」「職人の地位向上」このふたつが私たちが目指す世界観です。■職人たちの想い私たちは不器用な職人です。本当に正しい知識、真実のみをお伝えさせていただきます。「値段の高い、安いは関係なく、しっかりとした結婚指輪を届けたい。」それが私たちの想いです。■錬士について屋号 : 錬士代表者 : 国吉 栄一場所 : 〒110-0005 東京都台東区上野3丁目19-6 江口ビル 4Fアクセス : JR山手線「御徒町」駅 徒歩2分営業時間 : 完全予約制電話番号 : 03-3834-0603メールアドレス: contact@renshi.jp URL : Instagram : LINE : 【本件に関するお客様からのお問い合わせ先】錬士TEL : 03-3834-0603メールアドレス: atelier@renshi.jp LINE : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年09月28日取材・文:山口真央撮影:大嶋千尋編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、MICIN(マイシン)少額短期保険株式会社 取締役の伊藤由貴奈さん。MICIN少額短期保険は、がんを経験したことのある方向けに保険商品を展開する企業。一般的に、がんには一度かかるとすぐに保険に加入することは難しく、保険に入りたくても入れないとあきらめる方も多くいます。そんな方々に対して「MICIN少額短期保険なら入れます!」ともっと多くの人に知ってもらうために、日々奮闘しているのが伊藤さんです。プライベートでは2児の母でもある彼女。お話を伺うと、忙しさの中にある「保険を企画し、提供する側の覚悟」が見えてきました。伊藤由貴奈さん1982年生まれの41歳。大手保険会社にてIRや法務コンプライアンス、商品開発など専門性の高い業務を経験。その後、2022年3月にマイシン少額短期保険に入社。現在は取締役を務める傍ら、小学生2人の母として、育児と仕事を両立しながら活躍中。■引っ込み思案だった幼少期から、バスケに熱中した思春期までQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼稚園くらいまでは引っ込み思案な性格だったと思います。人前に出るのがあまり好きではありませんでした。よく覚えているのは、幼稚園のクラスに性格が明るくて、クラスの中心にいるような女の子のこと。その子が好きな男の子に手紙を渡すとなって……そうしたら、周りにいる女の子も次々とマネをし始めたんです。私も「やらなきゃいけないのかな?」と、慌てて男の子に手紙を出したのを覚えています(笑)。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?小学生になり、引っ込み思案だった性格が、少しずつ前に出ることが好きになり、活発で負けず嫌いになっていきました。中高は私立の一貫校に通っていたのですが、個性的な子が多い学校だったなと今振り返ると思います。中高ではバスケットボール部に所属し、熱中していましたね。中高一貫校でよかったなと思うのは、幅広い年齢層と関われたこと。中学のうちから大学生や若い社会人のOBたちとの交流もあって、大学や社会人の雰囲気を感じ取れたのはとても大きかったと思います。Q.3 大学時代はどんなことを学んでいましたか?私は高知県で生まれ育ったのですが、家を出てひとり暮らしをしてみたい!という理由で大阪の大学に進学しました。当時は検事へのあこがれもあり法学部を選択。でもこの頃ももっぱら部活がメインでした(笑)。大学の女子バスケットボール部員が少なかったので、男子バスケットボール部のマネージャーに。そこで主人とも出会いました。■「必要な人に届ける保険」に感動し、現職のリーダーにQ.4 なぜリーダー職を目指したのですか?新卒で前職である大手保険会社に総合職で入社しました。金銭的に自立したいと思っていたので、金融業界を軸に就職活動をし、保険業界にたどりついた形です。前職が女性活躍に取り組んでいる会社で、熱心に仕事に取り組んでいたらいつのまにか管理職の道へ進んでいましたね。Q.5 MICIN少額短期保険への転職動機はなんですか?前職には18年在籍していたのですが、MICIN少額短期保険の存在を知るまで、転職したい気持ちはまったくなく。キャリアをこのまま積んでいけばいいと思っていたのですが、MICIN少額短期保険の「がん経験者向けの保険」を発売したことにとても驚きました。どの保険会社も「これから取り組んでいかなければならない商品」と考えている中、ベンチャー企業がそこに取り組んだ。カジュアル面談を組んでいただき、会社のビジョンにも共感できたため、すぐに転職を決意しました。Q.6 取締役就任当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。前職は大きな会社でしたが、MICIN少額短期保険はベンチャー企業。保険事業全体をマネジメントしていくのは、緊張感がありましたね。また、伝統的な訪問・対面販売の保険と違い、MICIN少額短期保険はオンライン販売です。デジタルマーケティングの知識をつけるのも大変でした。今振り返ると大変だった……と思いますが、当時は無我夢中でやっていたこともあり、あまり大変だったという自覚はなかったですね。Q.7 子育てとの両立の大変さはありますか?私はいい意味で、「何が何でも子どもが第一」の母ではないのかもしれません。世間が考える「いい母親像」を目指しているわけではないです。必ず子どもの味方でいようとか、そういった根っこの部分以外は、「適度になんでもやる」「なるようにしかならない」という気持ちでやっています。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんなときですか?2つあります。ひとつは新商品を世に送り出すとき。つい先日、私が開発に携わった新商品を世に出すことができました。保障内容や保険料の決定、財務局への商品審査……と、手塩にかけた商品を世の中に出せるのはとてもうれしいですし、やってよかったと感じます。もうひとつは、お客さまから感謝の声をいただけたとき。MICIN少額短期保険ではお客さまに対してよくインタビューやアンケートを行っています。そんな中で「がん経験者だからとあきらめていたけど、MICIN少額短期保険があって本当によかった」という感謝の言葉をたくさんいただくんです。そんなときは、やっぱりこの仕事をやっていてよかったなと思いますね。■メリハリのある日々。休日は家族の時間にQ.9 毎日のタイムスケジュールを教えてください。7時に起きて、子どもたちとごはんを食べて……8時過ぎに子どもたちが学校へ行くので、8時半過ぎからリビングで仕事を始めることが多いです。MICIN少額短期保険はフルリモートワークができる環境が整えられているので、9割型は在宅で仕事をしています。家事などと仕事を並行してやったりと、時間を有効活用できるのでこの制度は本当に助かっていますね。16時くらいまでは仕事をバリバリこなし、夕方に子どもたちが帰宅したら迎え、習い事に送り出す。19時くらいに子どもたちが帰ってくるので、一緒にごはんを食べて……。21時くらいからは自由時間ですね。仕事をする日もありますし、映画を見たりとゆっくり過ごすこともあります。Q.10 お休みの日はなにをされていますか?お休みの日はとにかく、寝る(笑)。平日の就寝時間が深夜2時くらいなこともあって、反動があるのか休日は遅くまで寝ていることがありますね。最近、娘が少年野球のチームに入ったんです。その練習を見に行ったり、息子と出かけたり……。ほぼ土日は仕事をせず、家族の時間と、休息の時間に充てるようにしています。■保険を通じてたくさんの人を助けたいQ.11 何歳まで仕事をしたいですか?私は暇だと落ち着かないタイプ。よく忙しくしているね、と周りに言われるのですが、暇があると不安になってしまうだけなんです。今の仕事にずっと関われたらいいなと思いますし、定年後もボランティアや地域のお仕事など、なにかしらのお仕事がずっとできたらいいなと思います。Q.12 今後の目標を教えてください。MICIN少額短期保険のビジョンである「医療×テクノロジーで保険をアップデートし、自分らしい生き方を選択できる世界を。」を実現するため、必要としてくださっている方に必要なときに入ってもらえるさまざまな保険を提供していきたいです。今はがん経験者向けの商品のみを展開していますが、病気の予防や早期発見の商品とか……保険を通じてたくさんの人に笑顔と安心を届けていきたいと思っています。
2023年09月22日取材・文:ミクニシオリ撮影:洞澤佐智子編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、シニア向けWell-being事業で注目される株式会社AgeWellJapanの代表取締役・赤木円香さん。株式会社AgeWellJapanでは、シニア訪問サービス「もっとメイト」を中心に、シニア世代を明るくサポートするサービスを展開し、福祉やヘルスケアの業界で注目されています。経営者の両親のもと、幼い頃から挑戦を惜しまないよう育てられた起業家サラブレッドの赤木さん。しかしそんな彼女にも、起業家としての歩みを始めるまでに様々な苦難がありました。正義感の強いギャルだった学生時代には「他者からのラベリングへの疑念」や「周囲に対するコンプレックス」など、誰しもが経験する壁に何度もぶち当たります。それでも彼女が人生のハードルを乗り越えることができたのは、幼い頃からの起業への憧れと、苦難から学んだ「本質を見抜く力」のおかげでした。赤木 円香さん東京都渋谷区生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2013年に人材コンサルティング会社に参画。法人向けのコミュニケーションやホスピタリティ研修の企画・営業を担当。2017年に味の素株式会社に入社。財務経理部にて決算および原価計算業務を担当。2020年、「シニア世代のわくわくを創造する」を掲げ、株式会社MIHARU(現在の株式会社AgeWellJapan)を創業。シニア世代のウェルビーイングを実現する孫世代の相棒サービス「もっとメイト」の運営。法人・自治体向けに、多世代交流の場づくりを支援。カンファレンスイベント「AgeWellJapan」を主催。渋谷のラジオ「誰でもスマートフォン講座」レギュラー出演をはじめメディア出演多数。■大好きだったギャルメイク。けれど外見やイメージからの「ラベリング」には違和感Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?子どもの頃から活発だったと思われることが多いのですが、双子の妹と比べると実はとても人見知りでした。年齢とともに改善はしましたが、正直、幼少期は妹に守ってもらってばかりの頼りない姉でした。ちなみに、その後もお世話になり続けた妹への感謝を込めて、起業時の社名は、妹の名前である「MIHARU(みはる)」と名付けました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?父母ともに経営者で、いつも惜しまず挑戦をさせてもらえる環境でした。そのおかげで今の自分らしさがあると思いますし、同じ女性の身で経営者として働き続ける母のことはずっと尊敬しています。起業してからの苦しい時、いつも母が背中を押してくれました。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?中学時代は、評議会長だけどヤンキーの彼氏がいる、そんな学生でした(笑)。高校は私立の学校に進学しました。金髪エクステのギャルだったので、クラスではその見た目もあって浮いた存在になり、先生にも目をつけられてしまいました。その頃から、見た目だけで判断されたりラベリングされたりすることに違和感を覚え、自身は他者を勝手に解釈せず、本質を見抜ける人でありたいと思うようになりました。それが原体験となって「ギャル」だけでなく、「シニア」や「障がい者」など、それぞれの人生経験を無視して弱者と見立てる文化を変えたい思いが強くなっていきました。Q.4 大学はどのように選びましたか?受験期にマザーハウスの創業者である山口絵理子さんの本を読み、感銘を受けたことがきっかけで、彼女の出身校である慶應大学SFCキャンパスを選びました。25歳で起業して、裸一貫で社会を変えようとした彼女の人生を知り、私もそんなビジネスがしたいと強く思いました。ちなみに、高校時代に読んだ本はたった2冊で、1冊が山口絵理子さんの本、もう1冊はヤンキーの彼氏に借りた矢沢永吉さんの『成りあがり』だけです(笑)。Q.5 学生時代に注力したことは?高校時代は、児童館でボランティア活動をしていました。起業家になると決めていたため、大学時代は「どの領域で起業するか」を見極めるために、様々なことにチャレンジしました。インターンや留学もしたけど、AO推薦で入学したこともあり、自分より優秀な人が多くいることを知り、コンプレックスが強くなっていった時期でもあります。周りには帰国子女も多く、英語が喋れないことにもコンプレックスを持っていました。父には留学を反対されましたが、母が金銭的援助や助言をしてくれたおかげで、1年の留学に行くことができ、語学力を養うことができました。■「おばあちゃんを笑顔にしたい!」大好きだった祖母の変化が起業のきっかけQ.6 就職先はどのように決めましたか?学生時代に起業したい分野を見定めることができなかったので、大企業の経営を間近で経験できる就職先に進むことに決めました。経営企画部や財務経理部で就職できる会社を探し、大手食品メーカーに就職。毎日17時退社のホワイト企業で、人生で初めて暇を持て余すようになりました。空いた時間は、今までできなかった家族とのコミュニケーションに使うようになり、大好きだった祖母の家に頻繁に遊びに行くようになりました。Q.7 起業のきっかけはなんでしたか?私が幼い頃は、一緒にケニア旅行をするほどアクティブで、チャーミングだった祖母。そんな彼女が、私が新卒2年目の時に体調を崩して背中が曲がってしまい、家族に対して「申し訳ない」と口にするようになりました。時代を築いてきたシニア世代は、知識も人生経験もある人たちなのに、できないことが増えるからといって謝るなんておかしい。なんとも言えない憤りを感じました。そんな祖母の姿を見て、「これだ」と思いました。ずっとやりたいことが見つからなかったけど、孫としてだけでなく、時代を生きる若者として「おばあちゃんのために何かしたい」と強く感じ、シニア向けWell-being事業での起業を決意しました。ずっと探し続けていた人生を賭けることが見つかった瞬間は、知的好奇心で震えたのを覚えています。Q.8 創業当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。2020年1月に創業して、3月にサービスをリリースしてすぐ、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が始まりました。訪問サービスなど行えるわけもなく、最初のお客様に会うことができた時、起業からなんと半年も経っていました。そうした経緯もあって、最初の半年間はお金が出ていく一方でした。新聞折り込みのチラシで広告活動を行った時は、1円でも無駄にしたくないという思いから、各エリアの販売店に直接電話して、実際に配っている枚数を聞きたこともあります。現在はコロナも落ち着き、事業も波に乗っていますが、今も道に落ちているチラシを見ては「あ、7円の広告宣伝費が落ちている」と当時の自分の気持ちを思い出すこともあります。Q.9 創業してから一番うれしかったことは何ですか?創業期にお電話をくれて、お客様になってくれたケイコさんというおばあちゃん。子どものいない85歳の彼女のもとに訪問するようになって、ある日こんな感想をいただきました。「人生で初めて、折込チラシから電話をしました。赤木さんが毎週来てくれるようになって、人生がみるみる明るく、賑やかになりました。人生の最後に、一緒にいてくれてありがとう」その日の帰り道は涙が止まりませんでした。ケイコさんと撮った写真を会社のHPに載せているのですが、「メンバーを紹介するページに、クライアントを載せている会社なんてないよ」とよく言われます。でも、いいんです。私にとってはケイコさんを含めて、今後関わる可能性のある3,600万人のシニア全員が、会社のメンバーと同じように大切な存在ですから。Q.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。お昼の時間は、基本的にないです。22時くらいまで打ち合わせが入るか、夜の会食も多く、合間を縫ってお客様の訪問にも伺います。訪問は土日に入ることもあるので、休みは不定期……というか、ほぼないです。私自身は仕事が生きがいなので、つらいと感じることはありません。ただメンバーたちには、私のことは気にせず、適切なライフワークバランスを実現するよう伝えています。■クライアントだけでなく、自分や家族含め「全員ハッピーな未来」を描くQ.11 プライベートの悩みはありますか?現在、結婚5年目なのですが、子どもをいつ持つかを悩んでいます。おばあちゃんに孫を見せてあげたい気持ちも強いのですが、夫の拠点は岡山なので、自分中心の育児に不安を感じています。今は会社にとっても大切な時期でもありますし、35歳くらいまでは仕事に全力を注ぎたい。だけど女性には身体的なリミットもあるので、難しいですよね。周りにも同じ悩みを抱えている友人が多くいます。Q.12 忙しい日々の中で、息抜きになる瞬間は?4カ月に1度は沖縄に行きます。沖縄出身の友人が多く、彼らに流れているゆっくりした雰囲気が好きなこともあり、息抜きは沖縄と決めています。沖縄は気候だけでなく、そこに住む方の人柄も温かく、気に入っています。沖縄では大好きなお酒をたくさん飲んで、経営者の赤木ではなく、素の自分を過ごしています。Q.13 どんなところに住んでいますか?都内のマンションで、妹や母、祖母たちと別々に部屋を借り、家族みんなで暮らしています。忙しい日々の中でできる、私なりの親孝行です。経営者一家とは言っても、経営悪化で貧しい暮らしを強いられたこともありました。それでも母は一貫して自立し続けてきた人です。そんな母の影響力があってこそ、今のマンションに家族みんなが集結しているので、母には頭が上がりません。Q.14 将来の夢を教えて下さい。起業家としての夢は、3,600万人のシニアたちが、全員ハッピーになれる世界を作ることです。無謀と思う人もいるかもしれません。けれど、無謀な挑戦を口に出して言えるのは起業家の特権です。だからこそ、どれだけ無謀であっても、明るい未来の展望をみんなに伝え続け、賛同してくれる仲間を増やし続けることが私の使命だと思っています。個人としては、子どもを持つことで、私自身や私の家族を笑顔にすることが夢です。お客様であるおばあちゃんたちだけでなく、自分も、自分の家族もハッピーにし続けたいです。
2023年09月13日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部アジアNO.1のPR会社・ベクトルグループでP2C事業を担う「Direct Tech」の女性役員、横田彩夏さん。転職後1年で部長、2年で執行役員にスピード出世した若手リーダーです。学生時代から培った「PR力」と、挫折しても歩みを止めないたゆまぬ精神で、20代からキャリア街道を爆進する横田さん。学生時代にはミスコングランプリを受賞しており、華やかな経歴も注目されがちな彼女ですが、その芯には「体験への強い思い」や「成功につなげるルーティン」など、地道に積み上げてきた努力がありました。横田彩夏さん1993生まれ、東京都出身。在学中、ニューヨークに拠点を持つ服飾美術大学「Parsons School of Design」にてファッションデザインの技術を学んだ後、アパレルのキャリアをスタート。前職にてパワーインフルエンサーをディレクターに迎えた P2C事業の運営に包括的に携わり、2020年8月に株式会社Direct Techにジョイン。P2Cアパレルブランド「Boka nii」の立ち上げに従事。2022年4月より、執行役員としてP2Cブランド事業のグロースを包括的にマネジメントしている。■女子校時代は、アフィリエイトとバイトで留学費用を貯金Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼い頃から興味があることに熱中しやすく、外の世界が気になって幼稚園から脱走したこともありました。特に絵を描くことに熱中していて、1日に5〜6時間は紙に向かい、気づけば最も長く続く趣味に。読書も好きで、小学校の時のクリスマスには、サンタさんにギリシャ神話の全巻セットをねだり、親にも少し驚かれたようです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?銀行勤めの母と、やさしい祖母との3人暮らしでした。祖母と過ごす時間も長かったので、初めて買ったCDは美空ひばりさん。渋い趣味ですよね(笑)。母は帰りが遅いことも多かったですが、その分気の向くままに、自身の興味関心を深めることができました。夜は母が必ず読み聞かせをしてくれて、物語の先を想像しながら眠りにつくことが毎日の楽しみでした。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?「堅実にして質素」が校訓だった中高一貫の女子校では、周囲の友人から“自由人”、“尖っている”などと言われていました。自覚はあまりなかったのですが、振り返ってみれば変な子だったのでしょうね。美術ではない授業の最中にも画材を広げて絵を描いていて、先生に怒られたこともありました。Q.4 学生時代にバイトはしていましたか?中高時代はバイト禁止だったのですが、当時流行していたブログで、PV数を伸ばすことに熱中していました。購入品やコスメをブログにアップしていただけだったのですが、人気が出てきてPR案件を受けるように。ブログはその後のキャリアにも少しつながっていて、大学時代には、留学のノウハウをまとめたブログを立ち上げ、アフィリエイトで稼いでいました。Q.5 学生時代に注力したことはなんですか?大学ではミスコンに参加し、グランプリを受賞しました。SNSを伸ばしたりネット票を稼いだりするのが地味に大変で、ミスコン参加中はバイトとの両立で日々手一杯でした。ミスコンも大変でしたが、大学生活の中で最も努力したのは、留学でしたね。中学校の語学研修でハワイに行ったことをきっかけに、アメリカでファッションを学びたいという気持ちが徐々に大きくなっていき、大学では1年間、ニューヨークのファッションスクールに通いました。留学費用も自分で貯めたので、3年生まではバイトにもかなりの時間を割いていました。■留学先で「人生の挫折」を経験。けれど、やることは変わらないQ.6 留学先で苦労したことはなんでしたか?スクールでは、一人前に服が作れるようになることをゴールに、毎日服づくりをしていました。洋裁については初めて学ぶことばかりですし、語学の壁にぶつかることも多く、毎日授業を録音して、学校が終わってからはステイ先で何度も録音を聴き返しながら、宿題をこなしていました。そんなある日、1カ月かけて作ったドレスを提出したら、講師が激怒……。私は、ポリエステルでドレスを作っていたのですが、課題は「コットンで服を作る」だったんです。自分の語学力不足のせいで、1カ月の努力が無駄になってしまった時は、人生で初めて挫折を味わいました。しかし、挫折したからといってやることが変わるわけではないので、数日で立ち直ったように記憶しています。成長するためには努力と勉強、作業を繰り返すしかないと思っているので、人生を通してそのルーティンをこなし続けています。Q.7 就職先はどのように決めましたか?留学でファッションを学んだものの、職業としてデザイナーを選ぶべきか悩んでしまい、就活は迷走していました。さまざまな企業のOBに話を聞くうちに、どの業界でどんな仕事をしたとしても、任されることの大枠はあまり変わらないと考えるようになり、最終的にはインターン先の会社に就職することを決めました。就職先は「C Channel株式会社」というキャスティングやPRを得意とするベンチャー企業。手を挙げればなんでもやらせてくれる空気があり、裁量権が大きかったのがメリットでしたね。Q.8 リーダー職を目指したきっかけはなんでしたか?もともとリーダー職を目指していたわけではありませんでした。「C Channel」では留学経験を活かして海外事業部に配属され、1年でEC事業部に転籍。EC事業部でP2Cブランドの立ち上げに従事した経験を買われ、当時の上司に誘われてDirect Techに入社しました。上司と同じ環境で働けるなら、と転職し、新しいコスメブランドやアパレルブランドの立ち上げをこなしていくうちに、いつの間にかリーダー職に。成長するために必要なものを取りに行くことを繰り返していく日々の中で、役職は勝手についてきました。Q.9 就任してから一番大変だったことはなんですか?経営者として「ズームアウト」の視点を持つまでには、苦労しましたね。もともとオタク気質で、視野が狭くなりやすいことは長所であり短所でもありました。けれど、仕事のスケールが広がっていくこと自体は楽しかったですし、貴重な経験を積ませてもらっている自覚があったので、日々を楽しみながら徐々に学んでいますが……毎日が充実しているからこそ、すぐに時間が過ぎていくような感覚もあり、焦りも感じます。けれど、時間は平等に有限です。少ない時間の中でどうしたらもっと成長できるか、もっと考える時間を確保できるかを考えて、最近会社の近くに引っ越しました。Q.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。実働時間は、毎日10時間程度です。経営者の中ではホワイトな方かもしれませんね。チームメンバーの仲がいいので、ランチはみんなで食べることが多いです。仕事が終わったら、お酒を飲みながら本を読んだり、情報収集に時間を使うことが多いです。今でも絵を描くのが好きなので、瞑想も兼ねて絵筆を握る日も。■仲間である社員とともに「感動体験を世界に」Q.11 休日は何をしていますか?新しい体験をすることを大切にしているので、アートに触れたり、図書館に行ったり、ゴルフに行ったり……色々ですね。休日も、チームメンバーと過ごすことも多いです。新しい体験に前のめりな子や、情報が早い子が多いので、誰かしらが新しいスポットを見つけてきて、みんなで遊びに行きます。サウナに旅行、展示会など、いい意味でなんでも楽しんでいます。Q.12 どんなところに住んでいますか?会社からすぐ近くのデザイナーズマンションで、コンクリート打ちっぱなしの、無機質な部屋です。もともとは韓国風の女性らしい部屋や、白基調のインテリアも好きなのですが、家に帰っても仕事のことを考えることが多いので、雑念が入りづらいよう趣味とは全く違う部屋を選びました。いつかは、好きなものに囲まれたかわいい部屋にも住んでみたいんですけどね。Q.13 社員とはどんな関係ですか?上下関係というよりは、いい意味で支え合う同志のような関係です。ちなみに、社員からも「横田さんは変わっている」と指摘されることが多いです(笑)。トレンドを追いかけるのも私たちの仕事の一つなので、私も社内では日によってはかなりカジュアルな格好をしているので、親近感はあるのかな?Q.14 将来の夢を教えてください。仕事と自己成長が何よりも好きなので、お仕事は死ぬまで続けたいです。でも、夢を語るとしたら、感動体験を世界に提供していきたいです。ITやメタバース、AIが進歩していく世の中で、体験や経験こそが人間を人間たらしめていくと思っています。今後、体験は世界中でもっと価値が高くなっていくと思います。Direct Techでは、誰かの経験や体験を、コスメやアパレルといったモノ、イベントや発信に落とし込みます。その経験の価値や感動がもっと伝わるよう、尽力していきます。それと同時に、私自身も限りある時間の中で、より多くのことを体験し、濃い人生を送っていきたいですね。
2023年08月31日取材・文:瑞姫撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部日々生活する上で、健康な身体は何よりの資本。年齢を重ねるにつれて、これまで以上に健康に気を使い、食生活などを意識することが多くなったという方もいるのではないのでしょうか?元サッカー選手・鈴木啓太さんが代表を務めるヘルスケア事業の会社、AuB株式会社の広報を務める上田麻実さんはまさに、健康を第一に考えることをプライベートでも仕事でも大切にしている一人です。元々は臨床検査技師の資格を取得し、新薬開発のための治験に携わるような会社におよそ6年半勤務していたという上田さんですが、さまざまな縁が重なって現在の仕事に行き着きます。THE 理系のような研究職から、未経験だったという広報へのキャリアチェンジには、一体どんな経緯があったのか?そして、全く違うように思える二つの職種に通ずるものとは?詳しく聞いていくと、奇跡のような縁が紡いだストーリーがありました。■点と点がすべて繋がった。「ここしかない!」と思えた今の仕事上田さん、本日はよろしくお願いいたします!まずは簡単にこれまでの経歴を教えてください。大学卒業後、新薬開発のための治験に携わるヘルスケア事業の会社に勤務した後に語学留学を経験し、そこから再び同じ仕事に戻ったものの、現在のAuB株式会社に入社しました。AuB株式会社はアスリートの腸内細菌の研究成果をベースに、一般のお客さまに向けたフードテック事業、サプリメントなどの栄養補助食品の販売を行う会社です。現在は、「どうやったら商品やサービスが世に認知されるか」を意識しながら部門長としてPRに注力し、さらにアスリートの方のサポートも行っています。AuB株式会社を選んだ理由を教えてください。昔からの夢と、ヘルスケア業界で働いていた経験を生かせる場所が、ここにはあるんじゃないかなと思ったところが一番大きいです。私は埼玉県の浦和出身で、小さい頃から両親が熱烈な浦和レッズのサポーターだったんです。土曜日は学校が終わると両親が迎えにきてくれて試合を見にいくというのが日課だったので、日常生活の中で当たり前のように「スポーツ」「サッカー」「浦和レッズ」というキーワードが入っていて……。それで、何となく将来の夢を考え始める高校生ぐらいのタイミングで、最初はスポーツに関わる仕事がしたいなと思ったのですが、そのとき私が調べられた範囲ではトレーナーやドクターというような職種しか見当たらなかったんですね。たしかに、私もパッと思いつくスポーツ関連の職種だとその二つでした。けれど、当時の私はそれにはあんまりピンと来なかったので、次にやりたいことを考えました。医療系のドラマを見るのもすごく好きだったので、じゃあ医療の分野に行こうと思って選択したのが臨床検査技師という資格でした。それで大学も選択しました。そこからどういった経緯でAuB株式会社に?ヘルスケア業界で働いて数年経った頃にはそのスポーツに関わるっていう夢は忘れていたんですけど、ある時うちの代表の鈴木が引退記者会見で「アスリートの腸内細菌を研究するベンチャー企業立ち上げます」と言っていたのを見たんです。それを聞いたときに「今までやりたかったアスリートに関わる仕事と、自分が経験してきたヘルスケアの仕事、両方ができる場所はここしかないんじゃないか!」と思い、代表の鈴木にInstagramでDMを送ったのがきっかけです。点と点が一気に繋がった感じがありますね。でも、すぐに連絡が帰ってきたわけではなかったんです。当時Instagramが流行り始めたばかりの頃だったので、鈴木はDMの見方を知らなくて……(笑)。ただ、その1カ月後ぐらいにたまたま私の前職の会社の社長を通じて、鈴木と会食をする機会がたまたまセッティングされて、そこで「実はこういうメッセージを送ったんです」「帰ったら見てください」とコンタクトを取ることができました。今思い返しても、最初に勇気を出してDMを送っておいて良かったなと思います。■社員一号として入社、未経験だった広報職に就いたきっかけは?これまでの研究職から、広報という職種になぜキャリアチェンジしたのでしょう?実は最初から私がPRをやりたくて入ったわけではないんです。そもそもアスリートのもとに行って便検体を集めなきゃいけない時期だったので、アスリートのところへ行って「便ください」とお願いしたり、研究費を稼ぐために企業さんのもとに行って受託研究を取ってくる、みたいな営業のような仕事をしてみたり……。社員第一号だったので、本当にいろいろな仕事をしました。スタートアップならではですね。そうですね。そうこうしているうちに、徐々にいろいろと専門的なメンバーが入ってくる中で、役割として今のPRの仕事を与えられたっていう形なので、どちらかというと自分で選択したというよりは、自然とこの広報のポジションに就いたっていうところです。長年やられていた研究職から離れることに抵抗はありませんでしたか?どちらかというと、今この会社に求められていることや、この会社で実現したいことの方が気持ち的には強かったので抵抗は無かったですし、今まで頑張ってきたことが生かせていないと思ったことはありません。ヘルスケアには携われていますし、完全に離れているわけではないので。実際働いてみていかがですか?どういう雰囲気の会社でしょうか。一言で言うと健康オタク的な人が集まるところですね。それこそみなさん仕事上で「今日どんなうんちでた?」なんて会話を絶対にしないと思うんですけど、割と日常的に「なんか今日こんなうんちが出たんだけど、それって何でだと思う?」みたいな話をします。ランチタイムにコンビニにいくときも「これ食物繊維量これだけ入ってるよ!」とか、「組み合わせはどれがいい?」「何する?」みたいな、マニアックな話をしょっちゅうする、少し変わった人が多いですね。入ってからより一層健康を意識するようになるんでしょうか。上田さんも元からそうでしたか?今の会社に入ってかなり加速したと思います。さすがに自分の便の状況を人に伝えることはこれまでありませんでした(笑)。でも、みんな健康を意識しているからか、体調を崩して休む人はそんなにいないような気がします。さすがです。健康第一ですよね。あとは、健康に良いとされているものを試すことが趣味のようになってきました。楽しみながら毎日の体調管理ができています。毎日の食事にも気をつけて、職場の人が教えてくれた食べ合わせを意識してみたりするのが楽しいです。■健康は全てのライフステージの基盤健康を意識することが仕事であり、プライベートにもつながっているってすてきです。元々、仕事を仕事として捉えていないというのはありますね。入社した経緯が「プライベートで自分が好きだったアスリートのサポートがしたい」だったこともあるんですけど、入社して8年もいれば、結婚して家族ができたり、子どもを授かったり、自分のライフステージがどんどん変わっていくと、思うことも感じることもどんどん変わります。けれど、健康って赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで誰もが絶対に大切なことじゃないですか。たしかに!どのライフステージにおいても変わらない大事な基盤ですよね。なので、今自分がいるライフステージによって「何かもっとこういうサービスがあったら良いな」とか、「こういうふうに伝えたら、届けたい人に届けられるんじゃないかな」と日々感じることがすごく多いです。普段から仕事とプライベートを分けず、日々の生活の中でも「これ、AuBにとって良いかもしれないな」ということは、会社に戻ってからフィードバックしますし、仕事で得た健康情報があれば家に持ち帰る……みたいな感じです。わりと私の中で、仕事とプライベートの切り分けはないのかなと思います。すてきです。今後こうなりたいというような展望はありますか?現在妊娠中でまた新しいライフステージがやってくるので、その経験もAuBに還元できたら良いなと思っています。2月に子ども向けのブランドを新しく立ち上げたんですが、同じぐらいの世代の親御さんに向けていろいろな情報発信することが増えていく中で、もっと妊娠中の自分や、生まれた直後の赤ちゃんに対するサービスや情報の提供など、やれることがあるんじゃないかなっていうのは思っていて……。でも、やっぱり実際に自分が母になることでしか分からない気持ちもあると思うので、まずは自分で体験したことを会社に持ち帰って、商品やサービスに生かせるように考えたいというのが産休後の目標です!
2023年08月26日株式会社ビズストーム(所在地:大阪市中央区、代表取締役:箕作 千佐子(きさく ちさこ))は、戦略的キャリアデザインを学ぶ研修用ゲーム『キャリアストーム』を、関東、関西に加えて中部地区でも展開をはじめます。2023年8月26日開催の「キャリアストームベーシックセミナー in名古屋」では『キャリアストーム』のフルバージョンを体感いただけます。研修用ゲーム『キャリアストーム』 : キャリアストーム研修風景1キャリアストーム研修風景2キャリアストームは、シミュレーションゲームでキャリアデザインを体感的に学ぶための研修用コンテンツです。10代から60代までの人生を凝縮して疑似体験することで、目指す姿に近づくために考えるべきポイントを学びます。働く環境がめまぐるしく変わるこれからの時代にも、自分の人生を自分で選びながらより満足度の高い人生が送れるよう、戦略的なキャリアの考え方を身につけることを目的としています。これまで関東、関西で展開しており、キャリアストームが自身の研修で活用できる資格「キャリアストーム認定インストラクター」として登録された講師の数は約30名となっています。このたび愛知県のコンサルティング会社、ポイント・フォワード株式会社(代表取締役:永田 るり子)とキャリアストームの展開についてパートナー契約を締結いたしました。今後はポイント・フォワード株式会社が名古屋において公開セミナーを開催してまいります。名古屋における初めての公開セミナーは下記のとおりです。【キャリアストームベーシックセミナー in名古屋】どなたでも参加いただける公式のオープンセミナー「ベーシックセミナー」も開催します。本セミナーでは、キャリアデザインを学ぶ研修用ゲーム「キャリアストーム」のフルバージョンを体験していただくことができます。自分のキャリアを考えたい方はもちろん、研修への導入や認定インストラクターに興味のある方にもお勧めです。日時 :2023年8月26日(土)13:00~17:00場所 :名古屋市中村区名駅3-21-7 名古屋三交ビル2階 Tsudoico参加費:8,800円(消費税込)<詳細・お申し込み> ■キャリアストームの主な用途・高校や大学のキャリア教育・企業のキャリア研修やインターンシップ・キャリア観をアップデートすべき教育に携わる方、経営者■キャリアストームで学べること・長期的視点をもち、戦略的に考えること・戦略と環境に応じて自分の能力を高めること・環境変化にも柔軟に対応し、チャンスをつかむこと・副業、複業、起業など多様な働き方を視野に入れること・家族や健康など、ワークライフバランスを考えること■研修のスタイル<研修時間>4時間~短縮版として3時間、90分2~3回などでの実施も可能です。<形式と人数>1チーム6人までのグループ形式。グループ数の制限はありません。人数に比例して、キットや講師の数が必要になります。オンラインでの実施も可能です。キャリアストーム研修風景3キャリアストーム研修風景4■他地域におけるベーシックセミナーのご案内東京・大阪においても、ベーシックセミナーを開催しております。<日程(予定)>2023年8月26日(土) 9:00~13:00 東京2023年10月14日(土) 13:00~17:00 大阪2023年10月21日(土) 9:00~13:00 オンライン2024年2月3日(土) 13:00~17:00 東京2024年2月17日(土) 9:00~13:00 東京<詳細・お申し込み> ■認定インストラクター制度のご案内インストラクター養成講座を受講すると、キャリアストームを自身の研修で活用できる「キャリアストーム認定インストラクター」になることができます。キャリアコンサルタントや、キャリア教育に携わる方にお薦めです。人事ご担当者が資格取得をして内製化することも可能です。 ■開発者プロフィール株式会社ビズストーム 代表取締役 箕作 千佐子(中小企業診断士/キャリアコンサルタント)大学卒業後、ゲームソフトメーカーにてゲームクリエイターとしてゲームソフト開発に従事。代表作は「花火職人になろう」シリーズ。その後、出産をきっかけに独立し、3児を育てながら中小企業診断士として登録し、経営コンサルタントとして活動。2014年、2つのキャリアで得たノウハウを結集した経営センスを鍛えるビジネスゲーム『ビズストーム』を制作し、株式会社ビズストームを設立。さらに国家資格キャリアコンサルタントを取得し、2021年戦略的キャリアデザインを学ぶ研修用ゲーム「キャリアストーム」を制作。■会社概要名称 : 株式会社ビズストーム本社所在地: 大阪府大阪市中央区伏見町4-4-9 淀屋橋東洋ビル3F設立 : 2014年5月代表者 : 代表取締役 箕作 千佐子URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年08月23日今回のお仕事ハックは「フリーターへの偏見がつらい」とのお悩みについて、コラムニストのヨダエリさんがアドバイス。フリーターへの偏見がつらい私は2年前に会社員をやめてフリーターになりました。今は、アルバイトをして収入を得ていて、会社員時代にストレスに感じていた無駄な規則や人間関係から解放され自分の中では楽しく生きているつもりです。でも、ことあるごとに周囲から「就職は考えないの?」「そんなんじゃ結婚相手見つからないよ」「将来が怖くないの?」と否定的な意見を言われます。このご時世、独身のフリーターは偏見を持たれても仕方ないのでしょうか?(30代/フリーター)新しい髪型を褒めただけでセクシャル・ハラスメントになるのなら、人の生き方に否定的な意見を言うのは、ライフ・ハラスメントではなかろうか……。そんなことを考えてしまいました。これをしてくる人には大きく分けて2種類いると思います。あなたのことを本気で心配している人と、そうでない人です。後者は全く気にしなくて良し!そこにあるのは「自分には絶対できないことをなぜこの人はできるの?」という疑問、好奇心、嫉妬、もしくはそれらが入り混じった感情です。無責任な立場から言っているので聞き流しましょう。悩ましいのは前者、つまりあなたの行く末を本気で心配している人があなたの選択を否定してくる場合です。例えば親の場合、「この子は自分が死んだ後ちゃんとやっていけるのか」「生活に困るのでは」「まじめなパートナーと出会えないのでは」などなどの心配をします。そこにはまさに偏見も混ざっていますが、子どもを心配すればこそ危険な目に合わせたくない、つまりリスクのある選択をさせたくないわけで、親としては筋が通っています。が。それを踏まえた上で思います。あなたはあなたの人生を生きればいいんだよ!と。そう思う背景を話します。私は親の転勤で、11歳から15歳までをドイツで過ごしました。多感な思春期だったことや、おそらく自分の中に潜んでいた性質なども絡み合い、ドイツでの日々は自分の人生観に大きな影響を及ぼしました。ひとことで言うと、生き方も幸せの形もひとつではない、と知ったのです。ドイツでは、さまざまな職業の人が自分の仕事に誇りを持っています。例えば公衆トイレに入ると、チップを入れる皿が置かれたテーブルの横に、清掃係のおばちゃん(制服ではなく私服)が編み物をしながら座っています。私はここの主、と言わんばかり。ぶっちゃけ偉そうです。でも、そのトイレは「ここで暮らせそう……!」と思うくらいピカピカで清潔。仕事ぶりに抜かりはないのです。他の職業の人もそうでした。自分の仕事や生き方に誇りを持ち、自分の人生を謳歌している。子ども心にそう感じました。もちろん、大人としてその土地に暮らしてみないと分からない部分もあるでしょう。でも子どもでも、偏見がそこにあるかないか、誇りがあるかないかは空気で分かります。そして自分も働く年齢になり。就職氷河期になんとかPR会社に入ったものの、退社してフリーランス・ライターになりました。親は「そんなやくざな仕事」と猛反対。フリーで食べていけるようになっても「まだやってるの?」と言われ続けました。今考えると、親の気持ちも分かるんですよね。「なんでわざわざ不安定な道に行くんだ」「何のために大学を出たんだ」と。でも、親の考える幸せは私の望む幸せではない。だから親の望む生き方をしても私は幸せにはなれない。そう確信していたので、決意が固まった後は気持ちが揺らぐことはなかったです。今は、親も私の生き方を認めてくれています(半分諦めたとも言う……笑)。フリーターとしてイキイキと暮らす姿を見せていれば、あなたの周囲もそのうち静かになるはず。少なくともあなたを心配して意見を言ってくる人は。正社員になりたい人が山ほどいるこの時代に、あえて会社を辞めてフリーターになるあなたは、自分の幸せを知っている人なんだと思います。自信を持ってあなたの人生を生きてください。応援してます!Point.・人の生き方に否定的な意見を言ってくる人には2種類いる・無責任に疑問や好奇心、嫉妬などから口を出してくる人のことは気にしなくて良し・心配で口を出してくる人は、あなたがイキイキと暮らし続ければ、そのうち静かにな・自分の望む幸せがあるのなら、周りに何を言われても揺らぐ必要はない(文:ヨダエリ、イラスト:黒猫まな子)
2023年08月22日今回のお仕事ハックは「本業だけではお金が足りない」とのお悩みについて、コラムニストのヨダエリさんがアドバイス。本業だけではお金が足りない最近の物価上昇によって、本業だけの収入では生活が厳しくなってきました。これまで自分に向いていると思った仕事を一生懸命してきたつもりですが、このままだとプライベートを楽しむ余裕が全くありません。転職をするべきか、副業を始めるべきか悩んでいます。また、素人でも始めやすいおすすめの副業があれば知りたいです。(20代/販売職)「本業だけの収入では生活が厳しくなってきた」。「プライベートの時間を楽しむ余裕が全くない」。これは相当シンドイと思います。その上で、まず一つ気になったのですが、給料を上げてもらえないか、という交渉はしてみましたか?もし会社があなたを手放すのが惜しい場合、検討してくれる可能性があります。いや、そこに関しては望みゼロなので転職か副業を考えているんです、ということであれば。まずは副業ではなく、転職する方向で動いてみては、と私は思います。なぜなら、まだ20代と若いことは転職に有利だから。そして、「自分に向いていると思った仕事を一生懸命してきたつもり」という言葉に可能性を感じるからです。特に「自分に向いていると思った仕事を」というのがポイント。「一生懸命」は自分だけの基準で成り立ちますが、「自分に向いている」は、多少なりとも周りとの比較や周りからの評価があってこそ感じるものですよね。だから、勤める会社を変えれば収入も増える可能性があると思います。今、友人を思い浮かべているんですが……いい仕事をして会社に貢献していても(そして会社側がそれを分かっていても!)、働きぶりに見合った給料をもらっていないケースってあるんです。「文句を言ってこないし、辞めなさそうだしな」と思われて。だからまずは「このままでは続けるのが厳しい」と、辞める可能性を醸し出しながら交渉。それでダメだったら転職!と、これで終わらせたいところなのですが。転職ではなく副業も考えているということは、今の会社で働き続けたい理由が何かあったりしますか?それって今の会社じゃないと得られないものですか?もしそうなら副業ももちろんアリですが、今の仕事に関係があってスキルアップにつながる仕事がいいような気がします。繰り返しになりますが、「自分に向いていると思った仕事を一生懸命してきた」と言えるあなたが、生活が厳しいと感じる給料で諦めてしまうのは早すぎます!副業は、もう少し年を重ねてからでも、そして職種によってはうれしいことに何歳からでもできます。でも転職はなかなか難しい。早くあなたに合った会社に出会えるなら、それに越したことはないです!私、就職氷河期世代なので、就職って「親ガチャ」ならぬ「生まれ年ガチャ」な部分があると思ってます。でも若いうちなら、ガチャを引き直せる!(いい景品は少ないかもだけど!)早く会社と交渉しましょう。それがダメだったら転職活動!いや、やっぱり副業で……という場合は、連載「#令和のマネーハック」で書いた「アラサー女子におすすめの副業とは?」という記事もよかったら読んでみてください。でも、あなたには転職を推しますけどね!(しつこい笑)Point.・「自分に向いていると思った仕事を一生懸命してきた」と言えるのは素晴らしい・評価してくれる会社に出会えば、収入アップの可能性あり・副業はもっと年を重ねてからでも始められるが、転職はそうではない・今の会社と給料アップの交渉をして、うまくいかなかったら転職がおすすめ(文:ヨダエリ、イラスト:黒猫まな子)
2023年08月08日取材・文:瑞姫撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、東京・六本木ヒルズに位置する5つ星ホテル「グランド ハイアット 東京」でチーフコンシェルジュを務める今泉愛子さん。コンシェルジュとは、ホテルにて観光スポットの案内、チケットの手配、旅行のプランニングまで、多くのリクエストに答える、お客さま対応のプロ。中でも今泉さんは、チーフコンシェルジュとしてだけでなく、さまざまな規定をクリアしたホテルのコンシェルジュのみが入会を認められる世界的なコンシェルジュの組織「レ・クレドール」の日本支部「レ・クレドール ジャパン」のプレジデント(会長)を勤めています。そんな華々しいキャリアを持つ今泉さんに話を聞くと、お客さまへ真摯に向き合い続けた姿勢が生んだ評価と、一緒に働く仲間への信頼が生んだ「チームの強さ」を知ることができました。今泉愛子さん2004年グランド ハイアット 東京に入社。フロントデスク、グランド クラブ ラウンジ、ビジネスセンターなど宿泊部門の業務を経て、2008年からコンシェルジュ。2012年にはコンシェルジュの世界的組織『レ・クレドール(Les Clefs d’Or)』国際正会員、2015年にグランド ハイアット 東京 チーフコンシェルジュとなる。その後、『レ・クレドール ジャパン』バイスプレジデント(副会長)を経て、2023年4月に『レ・クレドール ジャパン』のプレジデント(会長)に就任。■家族と海外で過ごした幼少期Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?今でもあまり変わらないのですが、人見知りな性格でした。父の仕事関係で海外に行くことがあったので、新しい人間関係を作り直さなければいけなかったこともあり、自らいろんなとこに飛び込むタイプというよりは、人の様子を窺うことが多かったです。仕事の際はお客さまと接することがとても多いので、全然人見知りしないのですが、プライベートでは意外と今でも人見知りです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?家族構成としては、両親と4つ上の兄の4人家族です。父が航空業界で働いていたので、私は幼稚園から小学校に入学する直前ぐらいまで数年間アメリカに住んでいました。そういったこともあるのかもしれないですけど、家族の距離感は非常に近い家庭でしたね。Q.3 大学時代はどのように過ごしていましたか?大学時代はサークルばかりやっている生活でした。すごくマイナーなスポーツなのですが、アルティメットという、フリスビーを使った屋外で行うバスケットボールとアメフトを足して2で割ったようなスポーツをやっていました。大学生になってから始めたのですが、マイナースポーツである分、大会で勝ち進めるチャンスがあって…。一緒に始めた仲間と「日本一になろう!」と決め、実際に大学3年生の時に学生の大会で優勝することができました。Q.4 留学は経験されましたか?大学卒業後にイギリスに留学しました。元々すごく行きたかったという訳ではなかったのですが、父親が海外で仕事をすることが多かった人なので、「一度は海外に出たら?」と幼い頃から言ってくれていたのもありますし、ちょうど私が大学を卒業する頃が就職氷河期と言われていて、就職難の時代だったんです。ホテルや観光業界で就職を考えていたものの、その年はもう本当にほとんど採用が無い時代だったので……。一般企業への就職も考えはしましたが、きっと続かないなと思い、だったら良い機会だからということで、今後必要になるであろう英語の勉強をしに留学させてもらいました。元々は英語と観光業界関係の授業を受けられる留学プログラムでイギリスへ行ったので、10カ月で帰ってくる予定だったのですが、せっかく行ったんだったらというのと、いろいろな人との出会いの結果、ホテル専門学校に入り直して合計3年ほどイギリスにいました。最後の1年はインターンシップとして現地のホテルでも働きました。■コンシェルジュとしてのやりがいQ.5 現在の仕事に興味を持ったきっかけは何ですか?この業界で働きたいなと思ったのは、大学生の頃です。父親の仕事の関係で元々旅行に行く機会は多かったのですが、特に高校生から大学生ぐらいのときは毎年のように家族で海外旅行をしていたんです。私の中でさまざまな国へ行くことはもちろんすごく刺激的だったんですけど、帰ってから思い出すのはいつも家族で過ごしたホテルでの時間で……。そこから、旅行の思い出の一つにホテルで過ごした時間が絶対に出てくることに気づき、印象に残る滞在をできるのはすごく幸せなことだなと思ったことがきっかけで、ホテル業界で働きたいなと思いました。Q.6 チーフコンシェルジュに就任当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。前任の上司がすごく上手に引き継ぎをしてくれたので、業務としてすごく苦労したということはあまり無いんです。けれど、コンシェルジュの仕事というのは、社内外問わず、人と人との繋がりがすごく重要になってくる仕事。前任の10年以上やってきた大先輩から私に引き継いでいただいたときも、もちろんいろいろな人を紹介してもらったのですが、それを自分のネットワークにするまでの過程が一番大変だったかなと思います。Q.7 チーフコンシェルジュに就任してから一番うれしかったことは何ですか?チーフコンシェルジュという役職に就くことは、コンシェルジュ業界の中ではすごくインパクトがあることなんです。なので、私が就任した時も自分のホテルのコンシェルジュだけではなくて、他のホテルのコンシェルジュの皆さんも「チーフになったんだね」と認知してくださるようになったことが嬉しかったです。コンシェルジュはすごく横の繋がりが強くて、他のホテルのコンシェルジュとも仲が良く、「一緒に日本、東京のおもてなしを良くしましょう」と思って助け合っているので、そういった人たちと「やっとここまで来て、一緒にやっていける土壌に立つことができた」と思えたことが何よりの喜びになりました。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?やはり、戻って来てくださったお客様に「君、前回はありがとうね」などの言葉を言ってくださることが一番うれしいです。つい先日も、隣のスタッフが接客していたお客さまが私の前まで来てくださって、「君はここで長く働いているよね。前回来たときはこれをやってくれてね。その前はこれやってくれて……。20年ぐらい前から知ってるよ」「絶対に君だった」と言ってくださったんです。もちろん覚えていただいたこともそうなのですが、何より”人の記憶に残ることをお手伝いできていた”という、過去の自分との答え合わせみたいなものができる時がうれしくて…。「あのときやったことは間違ってなかったんだな」「いい思い出にしていただけたんだな」ということが分かりますし、その経験を元に、また日本に、東京に、そしてうちのホテルに帰ってきてくれたというのが喜びになります。Q.9 仕事で大切にしていることを教えてください。私達コンシェルジュにとって大切なことのひとつは“誰に聞いたら一番正しい答えが出てくるか”ということを知っているかですので、私自身はチーフコンシェルジュとして、“誰と繋がって、誰と一緒にやることが、一番お客様に喜んでいただける答えが見つかるか”ということを重要視して、周りと積極的に助け合えるような関係性を築くようにしています。チームのみんなに伝えているのは、プロとして仕事をしましょう、人との繋がりを大切にしましょう、自分がグランド ハイアット 東京のコンシェルジュを代表する一人として、お客さまの対応をしているということを意識してやりましょう、ということです。それから、この仕事を好きであってほしいので“必ず楽しんでください”と伝えています。皆が楽しく仕事をしてもらうために、私は基本的にすごく距離感の近いチームを作っているので、日々の雑談を含めたコミュニケーションをすごく大切にしてます。■目標は日本一のコンシェルジュチームQ.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。仕事は10時からの日が一番多いです。朝6時半に起きて、シャワーを浴びて朝食を食べて、家から職場までが大体ドアトゥドアで1時間くらいなので、9時には家を出る。そこから仕事をして終わるのが大体20時半くらい。家に帰宅すると22時ぐらいになっているので、寝る準備をして、大体日付が変わるくらいにはベッドに入るようにしています。プライベートの時間は寝る前に取っているのですが、その時間はだいたいメールのチェックをしています。コンシェルジュのネットワーク組織が国内と海外にあるので、そういったところの人たちとのやりとりや仕事など、ホテルの業務以外のことを寝る前の時間にしているんです。仕事に繋がりはするんですけれども、自分が楽しいと思っていることなので、あまり仕事という意識ではなくやっています。Q.11 毎日のお仕事で何をしている時間が一番長いですか?基本的にほぼお客さまのご対応です。コンシェルジュカウンターに立って対面でのご案内をしたり、到着前後にメールで事前にお問い合わせをいただいた方の対応を、オフィスでしたりしています。どちらにしてもお客さまの対応が多くの時間を占めますね。ご滞在中の方が出先から「今ここにいるんだけど、次はどっちに行ったらいい?」という道案内のような“今どうしても誰かが対応しなければいけない”というような問い合わせをくださるケースも少なくないので、できる限りその最新の情報が見られる場所にいるようにしています。Q.12 お休みの日は何をされていますか?そもそも休みの日はありますか?休みはきちんと取るようにしていて、基本的に外出するようにしています。海外からいらっしゃるお客さまが多いので「観光はどこに行けばいい?」「おいしいレストラン教えて」「今何かおもしろい展覧会とかやってない?」といったお問い合わせにコンシェルジュは答えなければいけないんです。ですから、そういった質問にも答えられるように、できる限り自分たちの目と足で情報収集をするようにしています。Q.13 今後の展望を教えてください。現在グランド ハイアット 東京でチーフコンシェルジュとしてチームを持ってやらせていただいていて、私とチームとしての目標が“日本一のコンシェルジュチームになる”ということなんです。今もそう自負していますが、それを周りからも「やっぱりグランド ハイアット 東京のコンシェルジュは一番だよね」と思ってもらえる、力強いチームでありたいと思っています。あとは私がプレジデントを務めている「レ・クレドール ジャパン」のメンバーとして、東京だけではなく、日本の観光業が正しく成長していくこと、コンシェルジュという仕事を正しく認知していただけるような活動をしていきたいです。
2023年08月07日取材・文:太田冴撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、日常をがんばる私たちの“ご褒美”の代名詞とも言える「ハーゲンダッツ」を製造・輸入・販売するハーゲンダッツ ジャパン株式会社で人事グループマネージャーを務める矢野優子さん。長らく商品開発やマーケティングに携わったのち、40歳を過ぎて初めて人事の世界に飛び込んだ矢野さん。「最初はマネージャーをやるつもりなんてなかったのだけれど」と添えながらも、背中を押されて引き受けた先に出会った“仕事の面白さ”について、語ってくれました。二人の思春期の娘さんの子育てに奮闘しつつも、土日は趣味の畑仕事に勤しむという自然体なプライベートにも注目です。矢野優子さん1997年、ハーゲンダッツ ジャパン株式会社に入社。営業本部に配属。首都圏エリアのチェーン・卸店を担当。1999年、マーケティング本部に異動。日本発の商品クリスピーサンド発売に関わる。ほかミニカップ・バーなどあらゆる形態の新商品企画を担当。その後、産休を経て営業推進本部、コーポレート本部などを歴任。2022年より、コーポレート本部人事グループマネージャーに就任。現在、2児の母として育児と仕事を両立しながら社員の働きやすさ・働きがいの施策に取り組む。■知らぬ間に学級委員長に。「任されがち」な学生時代Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?3歳年上の兄と一緒に、外で走り回って遊ぶようなアクティブな子どもでした。小学4年生のときに初めて引っ越しをして、出来上がった人間関係の中に飛び込む経験をしてから、少しずつ自己開示に悩んだり、おとなしくなったり、という性格の変化があったように思います。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?それなりに友達もいて、それなりに部活もやって。別に目立つこともなければ、みんなを引っ張っていくようなタイプでもなかったような気がします。ただ、学級委員長だけはなぜかやらされることが多かったです。一番ひどいときは、たまたま学校を休んだ日に勝手に学級委員長に任命されてしまっていたときもありました(笑)。ちょっとは抵抗してみるのですが、最後は諦めて引き受けるしかなくて。頼まれたら「いやだ」と言えない性格だということを、先生にも友人にも見抜かれていたのでしょうね(笑)。Q.3 学生時代にアルバイトはしていましたか?大学生の頃は4年間、ファミレスでホールのアルバイトをしていました。これも同様に、長く続けているものですからだんだんと任される仕事が増えていって、時給も上がっていったのを覚えています。基本的に、人から任されて伸びるタイプのようです。Q.4 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?フランス語を学んでいました。とはいえ、フランス文学に興味があったわけではなく……語学をやろう、と思った時に「フランス料理っておいしそうだなぁ」という10代のピュアな好奇心だけでフランス語を専攻することに決めました。あまりに単純ですが、その頃から食べることが大好きだったんです。短期留学で、1~2カ月間フランスに滞在したことも。「本当に毎朝クロワッサンを食べるんだ!?」と衝撃を受けたことを覚えています。フランスのカフェで食べるクロワッサン、本当においしいんです。■乗り気じゃなかったリーダー職も、やってみて初めて知る面白さがあったQ.5 人事マネージャーに就任された経緯を教えてください。人事グループに異動してきたときから「マネージャーをやったら?」というお声はいただいていたのですが、私自身はマネージャーになりたいとは思っていませんでした。当時、中学2年生と小学6年生の娘がいましたし、やはりマネージャーになるとそれだけの責任が伴います。二人の子育てだけでも大変なのに、自分の仕事に加えてメンバーや会社のことも考えなければならない立場になるというのは大変すぎるのでは……と思ったのです。そんな風に億劫に感じていた私の背中を押してくれたのは、当時の上司にあたる人の存在と、人事の仕事のおもしろさを知ったことでした。当時の上司がすごく楽しそうに人事の仕事を教えてくれたおかげで、マネージャーになると得られる情報が増えることや、できる仕事の幅が増えていくことを魅力的に感じることができました。そこで、いちメンバーでとどまるのではなく、マネージャーになってみるのも良いかも、と思えたのです。今も正直、マネージャーであることに自信を持てているわけではないのですが、必ずしも自信がある必要があるわけではないのかなと思っています。私にとっては「より良い会社にしたい」という目標を持てたことがマネージャー職を務めるやりがいになっています。Q.6 マネージャーに就任してから一番大変だったことは何ですか?やはり、人事経験が無い中で40歳を過ぎて初めて人事の仕事を学んだことでしょうか。本当になんにも知らない状態で人事に異動して……それこそ、どうやって給与が計算されているのか、どんな人事制度があるのかなどを、ゼロから学ぶ必要がありました。外部の研修にも参加して、毎日必死で勉強していたので、頭がパンクしそうになったことも。ただ、ひとつひとつの制度について「どういう目的でこの制度が存在しているのか」という背景を紐解いていくうちに、私自身がこれまでこの会社で働きやすさを感じてきた理由を知ることができました。私の仕事は、社員の働きやすさややりがいに直結するんだ、と実感してから、仕事の面白さがグンと増した気がします。Q.7 逆に、マネージャーに就任してから一番うれしかったことは何ですか?この仕事をしていると「この制度ってどういう意味ですか?」などと社員から直接質問を受けることがあるのですが、一見難しい人事制度でも、噛み砕いて説明すると納得してくれるんです。人事の仕事はなかなか感謝されることはありませんが、一生懸命説明したことに対して「わかりやすかった」と言ってもらえるとすごくうれしく感じますね。もちろん、人事制度の内容はさまざまですからすぐには納得してもらえないケースもありますが、直接社員の声や意見を聞けるのも貴重なチャンス。今後どう変えていけばいいのか、を考える機会になるので、とてもありがたく感じています。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?ちょうど昨年人事制度が大きく変わったばかりなのですが、人事制度に絶対的な正解やゴールはありません。いつまでも「どうしたら良くできるか」を考え続ける必要があると思うんです。ある人にとっては魅力的な制度も、別の人からしたら良くない場合もある。それをどう調整していけるのか、というのを考え続けるのに終わりはありませんし、だからこそずっとやりがいを感じていられるのでは、と思います。■The 朝型なタイムスケジュール。多忙な生活を支えるのは「とにかくぼーっとする時間」Q.9 毎日のタイムスケジュールを教えてください。平日はだいたい毎朝4時に起きて、掃除・洗濯などの家事を済ませます。そのあとは娘二人分のお弁当を作って、夫や娘たちが起きてきたら一緒に朝食を食べる。家族がみんな出かけたら自分の支度をして、大体8時半ごろには会社に着くようにしています。起床が早いのですが、夜はだいたい22時ごろには寝てしまうので、そこまで睡眠不足ではないんですよ。飲み会が無ければ、ですが(笑)。出社して、メールチェックなどを済ませたあとは大体ミーティングが続いて、夕方ごろからようやく自分のタスクをこなす時間。伝票の承認など管理者としての仕事を済ませて、基本的には19時に退社して、20時ごろに帰宅できるようにしています。もちろん残業が必要な日もありますが、どんなに遅くても会社に残るのは20時まで。これは、家族との時間を死守するために私の中で決めているタイムリミットです。夕食は、その日の帰宅時間や夫の仕事の状況によってまちまちなのも、我が家のあり方。夫が在宅勤務であれば用意してもらいますし、みんながそろう日は簡単に作って一緒に食べたり、作り置きで済ませたり、無理のない範囲でやっています。夕食後は完全なリラックスタイム。身支度をして、22時にはベッドに入るようにしています。Q.10 これだけは譲れないルーティーンはありますか?お風呂のときは絶対に湯船に浸かるというのと、寝る前に枕にアロマスプレーを吹きかけること。ささやかですが、そうした工夫がちゃんと気分転換になるんですよね。あとは、唯一の自分の時間と言っていい朝の時間は、とにかくぼーっとすることを心がけています。本当に、ぼーーーっとするだけ。以前は洗濯物を畳む隙間時間にも英語の勉強をした方がいいかな、などと模索していたのですが、今となっては「何にも考えない時間」を作ることが一番大事だなと感じるんです。天気が良いなぁとか、お花が咲いているなぁとか。そういう感覚を持つ時間を忘れないようにしています。■週末の畑仕事にハマり中!目下の悩みは娘二人の「お弁当作り」Q.11 お休みの日はどんなふうに過ごしていますか?自宅から自転車で40分くらいのところに小さな畑を借りていて、そこで野菜を育てているんです。なので、そのお世話をしに行くのが週末の日課です。娘にも手伝ってもらいながら、ピーマンやトマト、最近ではオクラなんかも育てています。なんででしょうね、以前は鉢植えを買ってベランダで育てていても全部枯らしてしまうような人だったんです(笑)。でも、本当に絶望的にセンスが無いのか、それともしっかり土から手入れをしたら野菜は育ってくれるのか、というのを試したくなって、やってみたら意外とちゃんと育ってくれた。それが楽しくて、最近はすっかり土いじりにハマっています。Q.12 プライベートの悩みはありますか?お弁当作りが面倒なこと、ですね(笑)。娘が二人とも同じものを食べられたらまだ良いのですが、一人が卵アレルギーを持っているので、少し内容を工夫しなくてはいけなくて。お弁当の中で「黄色」って意外に重要じゃないですか。卵を使えないとなると、とうもろこしを入れようか、かぼちゃにしようか、はたまた冷凍のグラタンを入れようか……と日々頭を悩ませています。最終手段は、なんでもカレー味で味つけしてしまうこと(笑)。そんなささやかな悩みを抱えながらなんとかやっています。Q.13 今後の展望を教えてください。「人の役に立ちたい」と言葉にしてしまうと平凡かもしれませんが、私の軸はそこだと思っています。何かを自分で成し遂げるというよりは、何かしら困っている人の手助けになるようなことがしたい。仕事の内容がなんであれ、ずっと人の役に立ち続けたいと思っています。また、プライベートでは土いじりが本当に楽しいので、夢は大きく“自給自足”を目指して頑張りたいと思います!
2023年07月22日取材・文:ミクニシオリ撮影:稲垣佑季編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部あなたは「このままここで働いていていいのかな」と悩んだことはありますか?同じ会社、同じ部署で、日々同じような仕事をしていると、ふと「このまま同じ仕事をしているだけで大丈夫なのだろうか」と不安になることがあります。だけど、転職に踏み切るほどの自信もない。そんな時、どんな選択肢があるのでしょうか。新卒で入社した日立ソリューションズで、社会人6年目を迎えた村田友梨さんも、新卒で配属された部署で将来への不安を抱えていたといいます。そんな彼女は、この6年の間に2回の部署異動を経験し、SE、企画、営業とさまざまな仕事を経験してきました。「新卒の部署で仕事に不安を感じても、転職できる自信がなかった」と話す村田さん。SEから始まった村田さんのキャリアですが、彼女はこの春、日立ソリューションズの「若年層ジョブマッチング制度」という社内制度を活用して、営業部へと異動することになりました。転職ではなく「社内異動」という選択肢で、自身に足りないスキルを身につけてきたという村田さん。転職するのではなく、社内異動でさまざまな職種を経験して「ジェネラリスト」となることで培ったキャリアがあったからこそ、見えてきた景色があるといいます。■社内制度を使い、自身のキャリアを転換まずは、村田さんのこれまでのキャリアについて教えてください。私は新卒時に機能開発のSEとして日立ソリューションズに入社し、現在6年目になります。2年半ほどで事業部内異動をしまして、製品プロモーションチームに配属となりました。その後、今年4月に「若年層ジョブマッチング制度」を利用し、営業部に異動。現在に至ります。6年間で2回も部署異動があるのは、珍しいですよね。それぞれの仕事は、業務内容も異なるのでしょうか?SEの時はみなさんが想像する通り、コードを使って機能開発をしていたのですが、製品プロモーションチームではメルマガでの情報発信を行ったり、製品webサイトのアクセス分析を行ったりといった企画業務に携わっていました。今は、営業職として、社外のクライアントさんと関わっていますが、どの部署でも、ITサービスに関わるという大枠は同じなのですが、業務はそれぞれ全く違うものではありますね。部署異動が多いと、新しい業務を覚えるのが大変そうなイメージもあるのですが、実際経験してみていかがでしたか?私の場合は、過去どちらの部署でも、2〜3年目のタイミングで自身のスキルやキャリア形成に不安を感じることがありました。私自身は、部署異動にネガティブなイメージはなく、むしろ自身のキャリアにも良い影響があると捉えています。製品プロモーション部への異動は社内辞令でしたが、今回の異動は、制度を使って自分の意思で異動しました。「若年層ジョブマッチング制度」ですよね。どのような制度なのでしょうか。弊社では、新卒入社3年目の社員全員に対し、社内求人への応募、または現在の部署に継続して所属することを自ら選択する権利が与えられているのです。権利は2年間繰り越すことが可能なので、5年目まで保留することができます。利用希望者は、自己PRシートを作成して社内求人に応募し、面談を行います。応募要項と希望者のスキルがマッチングすれば、社内異動をすることができるんです。(※)■モヤモヤを感じた時、手を挙げて社内異動。足りないスキルを補える部署を志望村田さんは、どうして営業職に異動したいと考えたのですか?製品プロモーション部では、エンジニアの時と比べて社内のさまざまな事業部と関わることができ、視野を広げることができました。しかし、一つひとつの案件に細かく関わることはできないため、現場の声が拾いきれないことに歯がゆさも感じていました。現場での経験値がないと、社員にとって本当に必要な企画を立案することが難しいと考え、まずは「課題解決」や「ソリューション提案」の経験値を養うため、営業職を志望しました。自身のキャリアに必要な経験に、真摯に向き合っていて素敵です……!キャリアとしては、部署異動にポジティブなイメージがあったということですが、新しい仕事への不安はありませんでしたか?もちろん、新しい業務に不安がないわけではなかったのですが、上位層の方が「この社員は見込みがある」と判断して異動を受け入れてくださったのだから、まずはできることから頑張っていこうと前向きに思えました。そして、分からないことは積極的に周囲に質問するようにしていました。不安や懸念事項は先にシェアしておくことで、自身の不安も軽減されると思います。分からないことを伝えるのは勇気がいると思いますが、お互いにできること・できないことが分かっていると、自分もチームメンバーも働きやすいと思います。部署異動をしたことで、キャリアに対する考え方に変化はありましたか?新卒当時は、自分がどんなキャリアを描いていくのか、全く想像がついていませんでした。もともと文系卒でエンジニアとしてのスキルも持っていなかったので、日々目の前の仕事に追われながらも、「今の仕事、自分に向いているのかな」と漠然と思うことはよくありました。しかし、部署異動してからは、エンジニアとして積んだキャリアも意味があったと感じるように。不安を感じた時に、別部署での経験を積むことができた自分は幸運だと思いますし、機会を与えてくれた会社にも感謝しています。さまざまな部署での仕事を経験したことで、自身の視野も、キャリア形成も広がったと思います。仕事に対して不安や不満を感じた時に、転職を考えることはありませんでしたか?転職については、あまり考えていませんでした。自身には、まだ転職できるほどのスキルがないと思っていましたし、会社の文化や人間関係には満足していたので、まだこの会社の中で頑張れることがある、とも思っていました。ただ、モヤモヤを抱えたまま同じ部署で仕事をし続けていたら、転職していた可能性もあると思います。■社内に残ったことで、自身のキャリアが「点」から「線」に変わった転職ではなく、社内異動でキャリアを積んだことを振り返って、どんなメリットがあったと思いますか?エンジニア時代を振り返ってみると、自身が関わっていたのは、大きな製品のごくごく一部でした。当時は新人目線からすると「これ必要かな?」と疑問を感じる作業もあったのですが、製品プロモーション、営業と他の職種も経験したことで、どんな小さな作業も意味があったのだと思えるようになりました。あのままもし転職活動をしていたら、私は「いちエンジニア」としての視野しか持てないままだったかもしれません。同じ仕事、同じ会社に関わっていく中で、自分の仕事が「点」ではなく「線」としてつながっていることを知れたことが、一番のメリットだったと思います。読者の中には、部署異動に興味を持っている方もいると思います。希望の部署に異動するコツはありますか?「若年層ジョブマッチング制度」での部署異動の際にも、面接や自己PR書類の提出が必要で、かつ社内求人が出ていなければ異動できないので、必ずしも希望の部署に異動できるわけではありません。しかし、面接や面談を担当するのは同じ会社の社員なので、異動希望を出すことは、転職活動に比べても気持ちが楽だと思います。私は、人事や面接官が気になるのは「社員と部署の相性の良さ」だと考え、自分のしたいことや興味を固めすぎないよう、書類を作成しました。もしも「今の部署以外で働く」ことを優先するなら、応用のきくスキルをアピールするのがいいのかなと思います。最後に、村田さんが思い描く理想のキャリアや、今後の働き方を教えてください。私自身、10年先を明確に思い描いて行動するタイプではないのですが、今の仕事に全力になることで、次にやりたい仕事が見えてきたと思っています。今の時点では、次にしてみたい仕事があるわけではないのですが、営業として全力で仕事に取り組むうちに、また身につけたいスキルが明確になると思っています。今後も、仕事の目的を忘れず、与えられた仕事をやりきり続けていきたいです。その先には、その時の自分が必要としているキャリアが見えてくると思います。(※)引用:
2023年07月13日取材・文:瑞姫撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、レンタル事務所「喫茶れんたる」を運営しながらも、日本一高い“レンタル彼女”として活躍するよもぎちゃん。今では漫画やドラマなどの作品で耳にすることも増えてきた「レンタル彼女」「レンタル彼氏」ですが、そもそも「レンタル彼女(or彼氏)」とは依頼主から指名を受けたキャストが恋人役となってデートをするサービス業。サービスそのものについては知っていても、「実際に利用したことはない」「キャストをやっていると公表している人を見たことがない」など、まだまだヴェールに包まれた存在なのではないでしょうか。そんな「レンタル彼女」を大学時代に始め、その魅力にとらわれたよもぎちゃんが、その仕事を通して見つけた課題を解決するために立ち上げた事務所「喫茶れんたる」は、レンタル彼女・彼氏・友達としての枠組みに囚われない、“コミュニケーションの専門店”として人に寄り添うサービスを提供することを目指しているそう。インタビューをしてみると、レンタル彼女として人気であることも頷ける、誰に対しても分け隔てなく、真っ直ぐに向き合ってきた優しさを知ることができました。よもぎちゃん大学時代にレンタル彼女を始めてからその魅力にハマり、会社員から一念発起して『喫茶れんたる』を立ち上げる。現在はキャストとして活動しながら、事務所運営に携わっている。■自己肯定感が低く、常に劣等感があった幼少期Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼少期は今よりもだいぶ卑屈な性格でしたね。ずっと進学校に通っていて周りがエリートぞろいだったんですけど、その中で飛びぬけて勉強ができなかったので、自己肯定感がすごく低かったんです。勉強ができない自分はお先真っ暗なんだってずっと思っていました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?とても良い家庭だと思います。比較的裕福な家庭で、父も母も大事に育ててくれましたし、「学歴があった方が役立つだろう」という両親の考えのもと、小学校から進学校に通わせてもらっていたので、恵まれた環境ではありました。ただ、そんな中で勉強が苦手であることが“両親に何も返せていない”という劣等感を抱くことに繋がってしまいました。学校の授業についていくために塾にも通わせてもらっていたので、すごく申し訳ないなって思っていたんです。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?可もなく不可もなく……という感じでした。すごくかわいいとか、すごく勉強ができるとか、逆にすごく勉強ができないとか、そういった自分を形容するものが何も無かった。学校ってグループがあると思うんですけど、私はどこへでも入っていけるけど、どこにも属してない感じで、地に足がついていない存在だったなって今となっては思います。■大学時代の合コンとレンタル彼女のバイトが転機にQ.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?最初は自分が通っていた塾の受付をしていました。そこからカフェと居酒屋と、レンタル彼女。レンタル彼女を始めたのは、私が失恋した時に「男性でできた傷は男性で埋めるしかない!」と思って、レンタル彼氏を利用しようと検索したのがきっかけです。当時は自分のタイプの男性がいなかったので利用するには至らなかったんですが、「レンタル彼女」という仕事があることをそこで知りました。知らない人からすれば少し怪しい仕事だったので、「バックに怖い人がいるのかな」「実は裏オプションがいっぱいあるんじゃないか」とか、色々興味が湧いてきたので、「自分で確かめるしかない!」と思って始めました。Q.5 どのような大学時代を過ごしていましたか?小中高とエスカレーター式で同じ学校に通っていたんですが、それが私にとっては殻だったんです。大学生になってそこから出られたことは、自分の中で大きな変化でした。友人から合コンに誘ってもらって、勉強はもちろん大切だけど、「勉強だけが全てじゃないんだ」と思えて、そこから自分はコミュニケーションを磨いていこうと思って、さまざまな人と関わるうちに、低かった自己肯定感もどんどん上がっていきました。大学時代にレンタル彼女をはじめたことも大きかったです。大学時代に学校で学んだことよりも、合コンやレンタル彼女のお仕事で学んだことの方が今に活きているかもしれません(笑)。一応コミュニケーション系の学科にはいたのですが、どれだけ座学で学んでも、生の人間とたくさん話した方が得られるものが多い気がします。Q.6 なぜ起業しようと思ったのですか?会社員として働いていた時に、レンタル彼女時代のことを書いたブログをやっていたのですが、現役で利用されているユーザーさんとキャストさんからメッセージがくることが多くなって、それぞれの問題点が見えてくるようになったんです。そこからその問題点を解決できるような事務所を自分でつくりたいなって思ったのがきっかけですね。事務所を作ることへのハードルはそんなに高く感じていなくて、「とりあえずやってみよう。失敗したらその時考えよう」くらいの気持ちでした。■大学時代の合コンとレンタル彼女のバイトが人生の転機にQ.7 創業当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。大変なことしかなかったです(笑)。完全にプレイヤーの方でやってきたので、運営だったりとか、経営だったりとか、何にも分からないところから始まって大変でしたね。あとは、私がプレイヤーだった時に気にしていなかったことが、他の女の子にとっては気になることだったり。そこで「気にしなくて大丈夫だよ!」というのではなく、その子の立場になって、その子の気持ちに寄り添ってケアをしるなどといった、キャストのマネジメントやメンタルケアも大事なことなんだなと学びました。自分と同じで考えちゃいけないんだと痛感しましたね。プレイヤーではなく、自分が経営側に回ったことで初めて気づくことがたくさんありました。Q.8 創業してから一番うれしかったことは何ですか?やっぱり依頼してくださった方が、喜んでくれるのが一番うれしいです。頑張ってここまでつくり上げてきて良かったなって思いますね。「喫茶れんたる」はレンタル彼女・彼氏というより、“コミュニケーションの専門店”としてやっているので、ジェンダーで悩んでいる方や、少し特殊な悩みの方とかが来てくださることが結構多いんですが、そういう方の捌け口になれて本当に良かったなと思いますし、そういった悩みを受け止める場所になれてきていることを日々うれしく感じます。私自身が、“彼女”としての立ち位置を求められているというより、話し相手や、相談相手として求められているなと感じることの方が多かったので、“コミュニケーションの専門店”という今の形にしています。Q.9 創業してから一番つらかったことは何ですか?脱サラして事務所を立ち上げた初期の方に、コロナ禍に入ってしまったことですかね。人と会うお仕事なのに、人と会うことはもちろん、緊急事態宣言で外出も禁止されていたので……。最初の方は本当に仕事が無かったですし、不要不急の斡旋になってしまうので宣伝もできず、そこで何もできなかったのがすごくしんどかったです。Q.10 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?実際に私自身がまだキャストとして活動もしているので、そこで実際に依頼者さんにお会いして、「すごく楽しかった」と喜んでいただけるのがやっぱりうれしいしですし、やりがいになりますね。■“コミュニケーションの専門店”としての展望Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。結構夜型人間なので、寝るのは大体3時くらい。24時以降に脳が冴えちゃうんですよ。雑音がないと色々考えてしまって眠れないので、YouTubeを見ながら就寝します。“耳かき動画”というのは海外の耳かき動画なのですが、毎日1時間くらい見ています(笑)。仕事はレンタル彼女だったり、事務所のお仕事だったりバラバラなのですが、それに加えて恋愛やコミュニケーションのコンサルもしているので、1日7〜8時間は常に何か仕事をしている気がします。最近だとキャストさんを増やしたので、それぞれの方向性や、どうやってマネジメントしていこうかなとか考える時間が今一番多いです。Q.12 何歳まで仕事をしたいですか?生きている限りは何かしらしてたいです。趣味と日常の楽しみと仕事が一緒になっている状態なので、逆に仕事が無くなった時が死に時かなって思ってしまうくらい。今、キャストとしては月10回前後の仕事量なのですが、本当はもっと運営としてのお仕事を減らしてキャストとしてのお仕事をやりたいんです。運営を手伝ってくれる人たちも最近増えてきたので、自分がやるところを少しずつ減らしてそれが実現できるようにしたいなと思っています。キャストとして働くからこそ、教えられることもあると思いますし、何より他のキャストさんに何か教えるためには、自分がキャストとして圧倒的であり続けることが大事だと思っているんです。なので、事務所をもっと大きくしたい、もっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちはもちろんなんですが、キャスト6、運営4くらいの割合でお仕事できればいいなと思っています。Q.13 今後の展望を教えてください。今はレンタル彼女、レンタル彼氏、レンタル友達として「喫茶れんたる」をやっているんですが、このお仕事をやっているとカウンセラーさんのところへ行くのが怖かったり、逆にカウンセラーさんのところへ行きたかったけど予約が2カ月待ちだからこっちに来ましたって方がちらほらいるんですよね。人や友達として楽しい時間をご提供するのはもちろんなんですが、カウセリングの一歩手前、まず一回自分の話を吐き出せるような場所として、認知してもらえるようにしたいなと思っています。私たちは専門家ではないけれど、話を聞くことや向き合うことはできる。キャストの中にはメンタルに関する知識がある方や、実際に鬱病になったことがある方、セクシャルマイノリティの方もいたりするので、悩みを抱える方がもっと身近に自分の悩みを打ち明けられる場所を作っていきたいです。
2023年07月09日SuchmosのギタリストTAIKINGが、ソロキャリア初となる全国対バンツアー『TAIKING TOUR「Hangout」』を開催することを発表した。本ツアーは、TAIKINGがこれから友達になりたいアーティストや親交のあるアーティストを各地に招いて行われる対バン形式となっており、各地のステージを共にしてくれるゲストアーティストは後日発表される。<ツアー情報>『TAIKING TOUR「Hangout」』10月13日(金) 東京・渋谷CLUB QUATTROOPEN 18:00 / START 19:00チケット:5,500円(ドリンク代別)10月20日(金) 福岡・DRUM Be-1OPEN 18:30 / START 19:00チケット:5,500円(ドリンク代別)10月22日(日) 大阪・梅田シャングリラOPEN 18:00 / START 18:30チケット:5,500円(ドリンク代別)※ゲストアーティストは後日発表<イベント情報>『TAIKING Presents「Hangout Vol.1」』※終了分は割愛【東京】7月2日(日) WWWOPEN 18:00 / START 18:45チケット料金:6,000円(D代別)出演:TAIKING(Suchmos)、マハラージャン関連リンクTAIKING オフィシャルサイト& Fanclub「TAIKINGDOM」: Twitter: Instagram: YouTube:
2023年06月24日取材・文:太田冴撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、表参道ヒルズに構えるウェルフードマーケット&カフェ「imperfect表参道」を運営するimperfect株式会社代表取締役社長の佐伯美紗子さん。コーヒーやチョコレートなどの生産現場に存在する貧困や搾取などの社会問題に向き合いながらも、美味しくておしゃれな商品を通じて無理なくサステナブルな社会を目指し、日々奮闘しているといいます。穏やかで優しい語り口の裏には「社会を良くしたい」というまっすぐで力強い思いがありました。佐伯美紗子さん1985年大阪府生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、その時の経験から「いつか社会や経済の仕組みを変えたい」という想いを抱くようになる。帰国後は国内の大学に進学し、2008年大手総合商社に新卒入社。2019年「imperfect 株式会社」の設立に携わり、マーケティング部⻑就任。ウェルフードマーケット&カフェ「imperfect 表参道」を同年7月に開業。2022年8月に代表取締役社長就任(現任)。■人見知りで物静かだった幼少期、海外で過ごした10代Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?あまり悩んだりしない、楽観的な性格でした。すごく人見知りだったので、大勢の友人と一緒にいるというよりは、一人で過ごす時間が好きでした。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?とても賑やかで仲が良い家庭でした。特に中高時代は親の仕事の都合で、家族みんなでアメリカに住んでいたこともあり、出かけるときは常に家族一緒。多感なティーンエイジャーの頃ですから一般的には家族と距離が出来やすい年頃だと思いますが、そんな時期でも常に一緒だったのですごく仲が良かったんじゃないかな。姉がいるのですが、姉妹それぞれ好きなことを自由にやらせてもらえる環境だったと思います。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?みんなの前で何かをする、というようなことは苦手だったので、物静かなほうだったと思います。アメリカの学校に通っていた時も、日本に帰国してからも、ハンドベル部に所属していました。Q.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?大学の近くにある不動産会社で働いていました。一人暮らしを始める高校3年生や大学1年生のお客様に、カウンターで物件を紹介するお仕事でした。特に2~3月は繁忙期で、忙しなく働いていたのを覚えています。Q.5 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?経済学部で、株式市場分析などを学んでいました。また、ベルギーでホームステイをしていた時期も。幼少期からアメリカやメキシコには住んだことがありましたが、ヨーロッパには縁が無く初めての経験。伝統的な暮らしや街並みが残る地域ですごく魅力的だったのを覚えています。また、私は当時からチョコレートが大好きで、おいしいお菓子をいっぱい食べられるのも最高でした。ベルギーって、ショコラティエさんが営んでいる小さなチョコレート屋さんが町中の至る所に並んでいるんです。今日はここのお菓子を食べよう、明日はあそこの……と、毎日楽しんでいました。今ではチョコレートを扱う事業を行っているのですから、なんだか繋がっているものですね。■「SDGsってビジネスになるの?」懐疑的な声と戦った創業期Q.6 社長に就任するまでの経緯を教えてください。元々新卒で総合商社に入社したのですが、その後事業として立ち上げたのがimperfectです。会社員でしたから、社長になりたいとか起業したいという意思があったわけではありません。ただ、当時は今ほどSDGsやサステナビリティが注目を浴びていない時代。自分の手がけるビジネスが社会に対して良い影響を与えるためにはどうすれば良いのか、ということを考えた結果、最適な方法が会社を立ち上げる、ということでした。会社という形態にすることで、私たちのやりたいことができる、と思ったのです。設立当時は私の上司にあたる人が社長を担っていましたが、当初から「いずれは佐伯に任せようと思っている」と言ってもらっていて。いずれは、くらいの気持ちでいたのですが、まさかこんなに早い段階でその時がくるとは。はじめは、自分に務まるのか、という不安でいっぱいでした。Q.7 社長になった当初、一番大変だったことは何ですか?「imperfect」では「私たち生活者のみならず、世界や社会にとってもWell(良い)」という意味を込めた「ウェルフード&ドリンク」を提供していますが、創業当初の2019年は今ほどサステナビリティやSDGsが浸透していなかったため「本当にビジネスとして成り立つのか」という懐疑的な意見も多くありました。株主をはじめ事業に関わってくださる方々に対してこのビジネスの重要性や未来を信じていただけるよう説得するのが非常に大変でした。Q.8 創業してから一番うれしかったことは何ですか?私たちがサポートしている農園の方々が喜んでくださることが一番うれしいです。皆さんはカカオやコーヒー豆などを栽培していらっしゃいますが、それがどのような商品に生まれ変わって販売されているのか、というのを知らない方は多い。そこで、実際に表参道の店舗に来ていただいたり、動画や写真を用いてお店や商品の様子を見ていただいたりしています。遠く離れた日本でこんなふうに自分たちが作ったものが消費者に届いていると知ることができて、すごく喜んでくださるんです。Q.9 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?ふたつあるのですが、ひとつはやはりお客様が私たちの商品をみて「おいしそう」「かわいい」と言ってくださる姿を見る時。純粋に、とてもうれしく思います。そして、もう一つは、従業員が楽しそうに働いている姿を見る時です。特に私たちの事業は、伝えたいコンセプトやメッセージが強く、かつはっきりしています。それを従業員の皆が同じレベルで共有できていることが事業の成功につながると考えているんです。■1日の終わりは“前向きな振り返り”で気持ちをリセットQ.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。朝はあまり強くないので、ゆっくりシャワーを浴びて身支度をして出社します。そこから23時ごろまで会社にいますね。すごく長いと思うのですが、実はそこまでしんどくないんですよ(笑)。あまりプライベートと仕事の境目を作らないタイプだからかもしれません。会社にいるからといってずっと根を詰めて働いているわけでもありませんし、逆に家にいるからといって仕事のことを忘れているわけでもありませんから。午前中から午後過ぎまでは社内外との打ち合わせが詰まっていて、チームメンバーからの相談を受けたり自分で考えごとをしたりする時間は夕方以降。帰宅後は寝る支度をしてベッドに入ります。香りものがとても好きなので、キャンドルを焚いてリラックスしながらゆっくり考えごとをしています。Q.11 自宅でのルーティーンはありますか?夜ベッドに入った後、一日を振り返る時間を作っています。例えばメンバーとの会話を振り返って「もう少しああいう伝え方をすればよかったな」とか「明日はこれを伝えよう」とか、頭の整理をするんです。やはり人間なので当然気持ちの浮き沈みもありますが、それを表に出すのは避けたい。できる限り自分自身が穏やかでいられるように、そうして振り返りをして気持ちを鎮めてから眠るようにしているんです。よく「逆に眠れなくなるのでは?」と聞かれますが、どちらかというと早く明日にならないかな、くらいの気持ちで眠りにつけるんですよ。振り返りをしていると、メンバーに伝えたいことがたくさん出てきます。「ああすれば良かった」という後悔や反省の気持ちよりも、「明日はあのメンバーに“ここが良かったよ”って伝えよう」などと思って寝るので、明日がくるのが楽しみになるんです。Q.12 お休みの日は何をされていますか?私、寝ることと食べることがすごく好きなんです。なので、休日はとにかくおいしいものを食べておいしいお酒を飲んで、ゆっくり眠る。これが一番幸せです。あとは、本を読むのもすごく好きです。小説もビジネス書も読みますが、一番好きなのは真山仁さんの経済小説『ハゲタカ』シリーズ。あとはキャンドル集めも好きで、家に20〜30個くらいはあるので、毎日その中から気分に合う香りを選んでキャンドルウォーマーで楽しんでいます。要するに、かなりのインドア派ですね(笑)。■ロールモデルは船の仕事をしていた祖母の存在Q.13 何歳まで仕事をしたいですか?考えたこともなかったですね……。というのも、私の祖母がずっと働いていたんです。時代的に自分で仕事をする女性はそう多くなかったはずですが、船の設計周辺に関わる仕事をしていてすごくアクティブな女性だったんです。そんな祖母の姿を見ていたからか、いくつになっても元気に働いていることが自然に想像できるんだと思います。将来の夢は “かわいいおばあちゃん”になること。もちろん顔がかわいいという意味ではなく、すごく穏やかで優しい雰囲気をまとっているおばあちゃんになりたいんです。それまでの人生に自分なりに自信を持ち、自立している人こそ、歳をとったときにそういう雰囲気を醸し出せるのだと思うから。Q.14 プライベートで悩みはありますか?全然無いです。もちろん仕事でもプライベートでも考えることはいっぱいあるのですが、“悩む”ことはありません。あれこれ悩むことは解決にはならないと思うんです。課題があったらその時に出せるベストな回答をすぐに出す。それで解決しなかったらまた考えて次の手を打つ、というように、ただ漠然と悩む時間は持たないようにしています。あとはやっぱり、おいしいものを食べてゆっくり寝て、忘れちゃうことも大事です(笑)。Q.15 今後の展望を教えてください。せっかく社会に関わって生きているのであれば、何かしら自分自身が社会に対してプラスになれることをしたいと思っています。今はそれが幸いにも事業を通じて叶えられているので、より一層成果をだして、生産者も含めた世の中を少しでも良くしていきたい。歳を重ねて、仮にそれが事業という形ではなくなったとしても、私という人間が関わることで少しでも社会を良くすることができれば、と思います。
2023年06月20日取材・文:ameri撮影:稲垣佑季編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でも、リーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて……そして仕事をしている普通の人。そんなリーダーの素顔を探るべく、今回はGCIヘルス日本代表の山田千登勢さんにインタビュー。現在は明るく快活な印象を受けた山田さんですが、幼少期は引っ込み思案だったのだとか。そんな引っ込み思案の少女が、世界唯一のヘルスケア業界に特化したPR会社・GCIヘルスの日本代表になるまでの軌跡を伺いました。山田千登勢さん2021年1月よりPR エージェンシー、GCI ヘルス・ジャパン日本代表。医薬品業界において23年間のマーケティングならびにコミュニケーションを経験。GCIヘルス入社前は、エデルマン、ウェーバーシャンドウィックのヘルスケアセクターの責任者を歴任。医薬品業界以外に、新卒から約10年間の国内外での旅行業ならびにホテル業の経験を始め、自動車メーカー、金融メーカー等における営業マーケティングの業務も経験。■転校を繰り返した幼少期から学生時代までQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?小学4年生くらいまでは本当におとなしい子でした。母親の影に隠れて全然喋らないし、写真に写ってもいつも下を向いている、そんな女の子だったんです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?両親と4つ上の姉がいて、京都で生まれました。姉が積極的な性格だったこともあり、それに押されて控えめな性格だったのかもしれません。おとなしいせいでいじめられて、毎日泣いていた幼少期でしたね。そして、父親が国家公務員で転勤族だったので、小さい頃から高校生まで、2〜3年周期でいろいろなところへ転勤を繰り返す生活をしていました。Q.3 おとなしめの性格だと、新しい環境に飛び込むのは大変だったのではないですか?そうなんです。転校が多かったことがきっかけで、人を見て「この子にくっついておけば無事だろうな」と見極める、ずるい子になってしまいました。ところが、転校の頻度が増えてきた小学5年生から急に元気いっぱいになって。よく喋る・よく笑う・友達もたくさん作れる子になったので、今度はそれが目立ってしまい、逆にいじめられ……。高校卒業までは本当にキツかったですね。Q.4 転校はどれくらいの頻度で?小学校で3回、中学校では2回、高校では3回転校を経験しました。高校時代は毎年違う高校に行っていたので、友だちを作る以前に、その環境に慣れてみんなと仲良くすることが自分にとって優先度が高くなっていましたね。でも、実際は仲良くする余裕もなかったですし、逆に仲良くなると今度はお別れがとても悲しくなってしまうから、自分の中でセーブして生活していたように思います。Q.5 学生時代にバイトはしていましたか?大学時代は、外国人観光客へ国内旅行ツアーを提供する旅行会社で、通訳ガイドの方のアシスタントをするアルバイトをしていました。というのも高校2年生の時に、アメリカから来た交換留学生の子が、うちで3カ月ホームステイしていたんです。若くて英語の吸収が早かったこともあり、3カ月間彼女とずっと一緒に過ごしたことで、大学入学時すでにかなり英語が話せるようになっていました。という背景もあり、英語を使えるアルバイトを探して、そこにたどり着きました。当時は今よりかなり円安の時代。アメリカやヨーロッパからたくさんの方が日本に旅行に来ていました。毎朝都内のホテルに迎えにいき、話をしながら目的地へ連れて行ったり、空港まで迎えに行き、今で言うコンシェルジュのようにホテルでチェックインをはじめ、滞在中の質問に答え手配までしたりと、そういう役割を担っていました。いろいろな国の方と話をすることで耳がどんどん慣れていきましたし、とても楽しく有意義な経験をさせてもらったと思っています。Q.6 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?私の時代は4年制の大学に進む女性が本当に少なかったんです。ですが、うちは両親が「4年生の大学に行け」と最初から言っていたんですね。そして、高校生の時にアメリカへ留学をしていた姉が「大学に入るのであれば、そして仕事をしたいのであれば、経済学部が法学部に入るべき」と言っていて……。私はその言葉を頑なに信じて経済学部の商学科に進学し、マーケティングや経営を学んでいました。Q.7 留学は経験されましたか?いえ、留学は経験していません。ですが、やはり私にとって高校時代の交換留学生との交流、そして大学時代のアルバイトを経験できたことが英語の面でとてもラッキーだったと思います。さらにラッキーだったのが、大学卒業後の最初の仕事がハワイだったこと。そこで英語力をより向上させることができました。■旅行業やホテル、さまざまな業界で経験重ね、医薬品業界へQ.8 これまでどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?卒業後すぐのハワイでの仕事は旅行業でした。大学生の時にアルバイトをしていた旅行会社から紹介され、「行く!」と即答。約4年間ハワイに滞在し、仕事をしていました。そして日本に戻ってからは、スイス航空が直経営しているホテルチェーンの日本法人で営業マーケティングを担当。ですが、湾岸戦争の影響でいろいろな業界がダメになってしまい、私の働くホテル業界もお手上げに。突然日本のオフィスをクローズすることが決まったんです。ただ、日本のお客様をスイスに送るツアーを多く企画していたので、「自分のお客様をスイスで受け止めて、改善点のレポートを作ってくれるならスイスに来ていいよ」と本社から言われ、スイスのチューリッヒで1年間働くことになりました。Q.9 日本に帰国してからは転職をされたんですか?帰国後は、スイスにいた経歴を買われ、パリに本社を持つ老舗高級ホテルチェーンにヘッドハントされて、営業マーケティングの担当として移りました。ただ、日本支社の人間関係が良くなく退職。それまではラッキーの連続でしたが、ここからはかなり苦労したんですよね。というのも、湾岸戦争でホテルの統合が進み、さらに当時最高峰のホテルチェーンで働いてしまったこともあり、ホテル業界では道が絶たれているなと。なので、30歳半ばから40歳くらいまでは業界を変えて転職をしていたのですが、なかなかそれまでのように打ち込める仕事にめぐり逢えず……。ただ、一貫して外資系であること、また営業マーケティングの職種を固持していました。そして、40歳になった時に、今も働いている医薬品業界の道に入りました。Q.10 医薬品業界でリーダー職を目指したきっかけを教えてください。医薬品業界は理系の人が主流の業界なので、この業界ではリーダーになれるとは考えていませんでした。私の担当は、コーポレート・マーケティングとコミュニケーション部門の責任者でした。製薬業界だけを経験してきた人たちが多い中で、違う業界でマーケティングと企画営業を経験し、いろいろな引き出しを持つ人間は珍しかった。その引き出しを開けて試したプランニングが妙にハマったんですよね。最初は反感もありましたが、成果を出していくうちに異色の経歴を持つ私を面白がってくれて。医薬品業界のイロハをドクターや研究開発の人が丁寧に教えてくださり、多くの知識を得ることができました。初めは馴染めなかったのですが、数年経ってからは人の命にかかわる貴重な仕事と思えるようになりました。また、医薬品業界はこのぐらいからイノベーションが常に起こり始め、それを知ることも大きなモチベーションに。働いていると、上手くいかない時は「どうして自分ばっかり上手くいかないんだろう」と思ったり、やりたくないことをやらされたりすることってありますよね。でも、その経験がいざという時の引き出しになるんです。無駄だと思うことも、嫌だと思うことも、真面目にきちんとこなしているといつか花開くことがあるのだなと、自分の経験から感じました。Q.11 代表に就任してから一番うれしかったことは何ですか?GCIヘルスは、経営陣の99%が女性という特徴のあるPRエージェンシーなんです。アメリカのCEOもAPACのプレジデントも、私のような各国のカントリーマネージャーもほぼ女性。政治的な駆け引きが一切なく、お互いに助け合いの気持ちが強い環境がとてもやりやすく、心地よいです。これまでいろいろ経験してきましたが、これほど自分を受け入れ、リスペクトしてくれて、サポートしてくれる環境に出会えたのは初めて。本当にとても良い環境に来られたのだなと感じられたことが一番うれしかったです。■平日は休憩を取りつつ、朝から夜まで仕事Q.12 毎日のタイムスケジュールを教えてください。朝8時ごろから、グローバルから来たメールを見始め、12時くらいまでメールのチェックをしています。現在はほぼワークフロムホームの働き方をしているのですが、必ず12時から13時までに昼食を取るようにし、そこで少し仮眠を取ることもあります。そして、13時半、14時くらいから18時ごろまでミーティングをこなし、一旦終了。その後、グローバルのミーティングが20時だったり22時だったりにセットされていることがあるので、そこまで休憩してからミーティングに参加しています。平日の仕事をしている時間は長めですね。Q.13 毎日のお仕事で何をしている時間が一番長いですか?新規ビジネス開拓やPRコンサルに関するミーティング、ドキュメンテーションが長いです。ミーティングは、多い時は1日に5〜6回参加することもあります。そして、PRは書くことも多いですね。小学生の頃は作家を目指していたこともあるくらい書くことがかなり好きなので、そこは楽しんで仕事をしています。ナラティブやスピーキングポイント、プレスリリースなどのコンテンツ作成や企画書作成などの、集中して書く時間も仕事の中の大きな割合を占めています。■“推し活”でリフレッシュ。目標は「生涯現役」Q.14 お休みの日は何をされていますか?そもそも休みの日はありますか?はい。オンオフの切り替えはハッキリしている方だと思います。以前は、遊びに行きつつも携帯をチェックして仕事をして……ということをしていたのですが、最近はもうやらないことにしているんです。日曜日の10時〜14時に掃除に来てもらっているので、その間だけは仕事をして、それ以外は全部リフレッシュに充てています。リフレッシュは、エステや美容院、整体など自分メンテナンス。そして、“追っかけ”をやっているので、推しの彼が出るライブはもれなく、くまなく行っています!推しの彼は、天才でありながら努力家。同年代ですが、ずっとかっこいいし、なによりも進化し続けているんです。彼を見ていると私も進化していかないと、と思えますし、パワーをもらって「明日からも頑張ろう」という気持ちになれるので、ライブに行き続けています。そして、リーダーという立場として、私も会社のみんなにパワーをあげなければいけないなとも思っているんです。体の調子や気分が悪くても、多忙な日々が続いても、常に笑っていたいなと。「千登勢が笑っているから自分たちも笑おう、頑張ろう」となってくれたらいいなと思っているので、私は大体いつも元気と明るさの塊みたいに笑っています(笑)。Q.15 何歳まで仕事をしたいですか?人生100年時代で、まだまだ元気であれば働ける時代。ですから、生涯現役でいたいと思っています。そのためには、新しいものを生み出していく必要があるかなと。今はそれを模索中です。Q.16 将来の夢はありますか?書くことがとても好きなので、もしかすると作家のようなことに挑戦するかもしれないし、それこそ、自分の経歴の引き出しを開けて講演会をするかもしれません。まだ分からないけれど、チャレンジしていきたいなと思っています。また、2023年現在、日本でビジネスを初めて3年目となるGCIヘルスですが、よりビジネスを大きく展開していき、才能のある方にたくさん入ってもらうことを第一の目標として掲げています。目標を達成できたから引退ではなく、さらに次の目標を掲げ、新しいことに挑戦し続けていきたいですね。そんな人生を死ぬまで送っていけたらいいなと思っています。◇InformationGCIヘルス刻々と変化するヘルスケア環境のもと、常に新しい発想をもって挑み続ける世界唯一のヘルスケア業界に特化した統合型グローバル・コミュニケーション・エージェンシー。日本を含め、経営幹部の9割以上が女性。働く女性を応援しています。本社をニューヨークに置き、世界中に展開をしており、日本では2021年に設立し、今年で3年目。APACリージョンで、ベストヘルスケアPRコンサルタントエージェンシーを含む数多くの賞を受賞。
2023年06月16日昭和女子大学 (学長 金尾朗:東京都世田谷区)では、6月21日、学生によるキャリア支援団体「光葉キャリア塾」が企画・運営して、社会人メンターと学生とをつなぐメンターカフェ「自由な働き方って本当に可能?~理想と現実のギャップとは~」を4年ぶりに対面で開催します。社会人メンターは、昭和女子大学独自の制度で、卒業生に限らず社会で活躍する女性たち(現在約370人)が登録し、学生のメンターとなって自分の経験からキャリアや生き方のアドバイスをしています。メンターカフェは、社会人メンターがテーマに沿って自身の経験を学生に共有、懇談を通して様々な働き方の理解を深めるイベントです。※光葉キャリア塾は、学生有志による団体で、1~3年生16人が参加しています。学生が自分自身のキャリアを主体的に考えつつ、学生同士で互いにキャリア選びを支援し合おうと、2009年から活動しています。メンターカフェの運営の一部にも携わっており、学生を対象にアンケートを実施し、リモートワークやフリーランスといった多様な働き方について知りたいという要望を受けてテーマを決定しました。◆ 光葉キャリア塾主催メンターカフェ【 日 程 】6月21日(水)15:30-16:30【 テ ー マ 】自由な働き方って本当に可能?~理想と現実のギャップとは~【 参加メンター 】6名を予定2020年以降、新型コロナウイルスのためにオンラインで開催していましたが、光葉キャリア塾生が対面で運営するのは4年ぶりとなります。光葉キャリア塾リーダー山脇 麻由さん(管理栄養学科3年)「女性の様々な働き方や働きやすさについて興味を持っている学生が多かったので、このテーマを選びました。私の親は就業時間が決まっている働き方をしているため、自分が知らない働き方に触れてみたいと思っています。社会人メンターの方たちから、今回のテーマである『自由な働き方』について、良い面もそうでない面も含めてリアルな話を聴けるのではないかと期待しています。参加した学生が、フリーランスなどの様々な働き方について理解を深め、それぞれのワーク・ライフ・バランス、仕事と子育ての両立について考えるきっかけにしてほしいです。」※ 社会人メンター制度には、3つのプログラムがあります。「メンターカフェ」のほか、「メンターフェア」(複数のメンターが学生たちの相談に応じる)、「個別メンタリング」(メンターが学生と1対1で面談)があります。いずれも、学生が職業経験豊かな女性のロールモデルと直接対話できる貴重な機会となっています。本件に関する取材のお申し込み先昭和女子大学広報部 kouhou@swu.ac.jp 昭和女子大学ホームページ 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年06月15日