「自宅から搬送された病院でダチョウ倶楽部のメンバーである肥後克広さん(59)と寺門ジモンさん(59)は、上島さんのご遺体に対面することができました。その顔はまるでバラエティ番組収録のロケバスで寝ているときのようで……。肥後さんたちや事務所スタッフが泣きじゃくる中にも、みんなに愛された“竜ちゃん”の顔がそこにはありました」(事務所関係者)5月11日未明に亡くなった、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)。ダチョウ倶楽部がブレークした『お笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)で共演したビートたけし(75)や“お笑い第三世代”の同期である松本人志(58)や出川哲朗(58)ほか超大物タレントもこぞってコメントを発表するなど、日本中に衝撃を与えた。「同日の午前0時ごろ、自宅で妻の広川ひかるさん(51)がぐったりしている上島さんを発見。すぐに119番して病院に運ばれましたが、深夜1時ごろに死亡が確認されました」(スポーツ紙記者)最近は役者業にも進出。この4月も『恋に無駄口』(テレビ朝日系)、『やんごとなき一族』(フジテレビ系)に出演するなど、仕事の幅を広げていた。共演者のひとりは“異変”など微塵も感じなかった、と証言する。「上島さんは持ちギャグを見せるなど、現場を明るく盛り上げてくれていました。緊張している若手には率先して声をかけるムードメーカーでした。本当にいい人でした。ただただ、驚きです」上島さんは“師匠”と慕う志村けんさん(享年70)を2年前、新型コロナで亡くしたばかり。それだけにコロナには人一倍気を使っていた、と前出の事務所関係者は強調する。「自らコロナを警戒して、大好きな飲みの席など含め、できる限り外出を自粛していたんです。以前は不摂生でしたが、最近は健康にも気を使い、ウオーキングなどもしていました。仕事も順調で、バラエティ番組からドラマ、イベントへの出演がずっと先まで決まっていたし、亡くなる前日も担当マネージャーと電話で仕事の打ち合わせをしています。死につながる原因がまったくわからないんです……」■学生時代は藤山寛美さんに憧れ、役者を目指していた’61年、兵庫県丹波市に生まれた上島さん。父親は住宅設備メーカーに勤めるサラリーマン。酒癖や女癖が悪く、母親を苦労させていたと『週刊文春』’18年3月8日号のインタビューで語っている。《芸事が大好きで、めでたい席では率先して謡曲の「高砂」を歌ったりしてね。お酒好きなのも似てる》幼少期から人気者だったという上島さんの小中学校の同級生は、当時、松竹新喜劇の話をしていたことを今も鮮明に覚えていた。「ドタバタの吉本新喜劇よりも、藤山寛美が客を泣かせて笑わせる松竹新喜劇のほうがいいよね、なんて話をしていました。『何回見ても同じところで笑えて、同じところで泣ける。藤山寛美さんはすごい!』と興奮していることもありましたね」上島さんは最初はお笑い芸人ではなく俳優を目指していたという。「中学生時代に映画に目覚めて、俳優名鑑を暗記していたほどでした」(地元の知人)劇団青年座研究所の試験に受かり、上京して1年がたったころ、母親が倒れた。直腸がんだった。一度、帰郷し、母親の退院を見届けて再上京。しかし、今度は父親が自己破産。一家は全員千葉県市川市に引っ越してきた。「弟さんは大学を休学して働き始め、母親も掃除の仕事をし始めたそうです。上島さんは青年座を受け直したものの今度は不合格に。そのためテアトル・エコーの夜間部に通い、寺門さんと出会ったのです。後に南部虎弾さんと肥後さんが加わり、’85年にダチョウ倶楽部が誕生しました」(演芸関係者)’87年に南部が脱退し、現在の3人体制となった。’89年、ダチョウ倶楽部は『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』に出演。背負ったリュックを爆破されるなど、おなじみのリアクション芸でお茶の間の人気者に。’93年に「聞いてないよォ」で流行語大賞銀賞を受賞。’94年には、ものまね芸人の広川ひかると結婚。当時『お笑いウルトラクイズ』の放送作家をしていた、江戸川大学教授でお笑い評論家の西条昇さんは、こう証言する。「上島さんの芸風はバカバカしいことに徹したものでしたが、ふだんは人に気を使うし、真面目。いつも笑顔で接してくれました。サービス精神も旺盛で、酔うと直径15センチほどの灰皿を局部にあてながら服を脱ぐ芸を見せてくれたことも。昔ながらの喜劇人だったと思います」■40代から「竜兵会」を始めたのは志村さんへの恩返し順風満帆に見えたが、上島は当時、マンネリ感に内心焦りを感じ始めていたと打ち明けている。《そのうちドタバタやるようなお笑いがテレビの画面から消えていってね。30代の終わりごろには、なんか「新しいこともしなきゃいけないのかな」なんて漠然と思ってたんですよ》(『BIG tomorrow』’16年10月号)前出の演芸関係者が続ける。「そんなとき、友人のプロレスラー・川田利明さんから電話があり、“志村さんと一緒に飲んでいるからどうか”と。面識がなかった上島さんは『明朝早いから……』と断るも、志村さんが『俺も早いんだ。来いよ』と言われて初めて麻布十番の飲み屋で会ったといいます」志村さんは、上島が抱える不安を言い当て、こう告げた。「お前ら、最近ネタやってねえだろう。飛ばされたり、熱い、痛いとか、そんなのばっかりやっていて。じゃあ『バカ殿』のネタづくりやらせてやろうか」その3日後には『バカ殿』の仕事が入っていたという。上島さんは「『バカ殿』で40代を突っ走れたようなもんですよ」と感謝の言葉を口にしている。志村さんの恩を返さんとばかりに、上島さんは動き出した。《40代に入ってからかな。吉本の芸人なんかだと、番組が終わった後に「飯でも食いにいこうか」というノリがあるじゃないですか。そんなノリが東京の芸人にはないから、「毎週水曜、ラジオで生放送やってるから、ヒマな奴は遊びに来ない?ギャラ出ないけど、終わったら居酒屋でご馳走するから」と言ったら、まだヒマだった有吉弘行、土田晃之、劇団ひとりといった若手が来てくれるようになって》(『BIG tomorrow』’16年10月号)これが「竜兵会」の始まりだ。東京・中野の韓国料理店オジャンドンの店主はこう振り返る。「上島さんが飲むのは芋焼酎のロック。お気に入りはホルモン鍋で、後輩たちから『おい、上島!』と朝までイジられていました」■連日酔っぱらって泣きながら「自分の信じるお笑いの道を進め」と――数十万円におよぶ日もあったという飲食代はすべて上島さんが支払った。猿岩石を解散し、仕事がまったくなかった有吉弘行(47)を特にかわいがっていた上島さんは、今年2月のラジオ番組でうれしそうに当時をこう振り返っていた。「深夜2時に連絡してもほかのメンバーは反応がなくても有吉だけは出た。『ダメだったらいいよ』って言っても必ず来た」10日連続で飲んだことも……。「上島さんは食事や金銭面でも有吉さんの面倒を見ていました。『月30万やるから、仕事せずにいつも俺のそばにいてくれ』とまで言ってくれた上島さんの励ましがあったから、有吉さんは踏ん張れたと感謝しているそうです」(芸能プロダクション関係者)上島さんが後輩たちによく話していたのが、志村さんからの愛ある教えだったという。「『マンネリをずっと続けるのは実力が必要だし、難しいけど大切』だと。“いくらくすぶっても自分の信じる笑いの道を進め”と連日酔っぱらって泣きながら伝えていたそうです」(前出・演芸関係者)その後、毒舌キャラで再ブレークした有吉だが、上島から受けた恩義を一時も忘れることはなかったとテレビ局関係者は言う。「テレビでは上島さんを頻繁にイジっていましたが『上島さんをバカにされると俺は怒りのスイッチが入る!』と力説していました。去年の上島さんの還暦の誕生日にはオメガの腕時計を贈っていました。夏目さんとの結婚を事前に報告したのも上島さん。泣かない有吉さんが泣くときは『上島さんの葬式だけ』とも言っていました」上島さんの訃報が流れた11日、有吉は『有吉ゼミ』『有吉の壁』(日本テレビ系)の収録があった。「誰も声をかけられないほど憔悴した様子で時間ギリギリにスタジオ入り。ただ、本番は気丈にこなしたそうです」(テレビ局関係者)上島さんは昨年7月、自身の考える最高の葬式についてテレビ番組でこう語っている。「やっぱり僕は定番として、棺桶に豆絞りのふんどしを入れてもらって、おでんはコンビニのパックのおでんをそのまま入れてもらって……。お棺は一度ガタンと落としてもらって、そのとき出てこなかったらほんとに死んでると。そのとき初めて(みんな)泣く」あまりに早すぎる死。上島さんの枕元には有吉からの腕時計が宝物として置かれていたという。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2022年05月17日お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが11日に亡くなったことを受け、妻でタレントの広川ひかるが16日、所属事務所を通じてコメントを発表した。広川が所属する太田プロダクションは、公式サイトで「故・上島竜兵の葬儀も無事終えることが出来、皆様には心より深く感謝申し上げます」と報告。「本日、夫人より追悼文が届きましたので掲載させていただきます」とし、広川のコメントを伝えた。全文は以下の通り。■広川ひかるコメントファンの皆様関係各位応援してくださっているファンの皆様、関係各位の皆様にはご心配おかけしましたこと深くお詫び申し上げます。生前は仲間とお酒を飲むのが好きで先輩や後輩、仕事でお世話になりました皆様にはご厚情を賜りたくさんの思い出を作らせていただいたと思います。また、最近ではドラマやCMに出演させていただく機会も増えて本当に喜んでおりました。故人に代わって厚く御礼申し上げます。私達家族も、皆様からの温かい言葉に励まされ葬儀もとどこおりなく相営むことが出来ました。これからもずっと竜ちゃんを忘れないでください。「芸人上島竜兵」は皆様に愛され大変幸せな人生でした。皆様の中に思い出がありましたら、どうぞたくさん笑ってたくさん思い出話をしてほしいです。上島光(広川ひかる)悩んでいる方の相談窓口があります。下記の公式サイトをご覧ください。・電話:よりそいホットライン・SNS:生きづらびっと・いのちと暮らしの相談ナビ(相談窓口検索サイト)
2022年05月16日ダチョウ倶楽部が5月14日、メンバーの上島竜兵さん(享年61)への追悼コメントを公式サイトで発表。コメントの中での肥後克広(59)から上島さんへの“イジり”がネットで反響を呼んでいる。5月11日に上島さんの訃報が伝えられて以来、沈黙を貫いてきた肥後と寺門ジモン(59)。コメントの中で寺門は、冒頭で「ダチョウ倶楽部上島竜兵を愛してくれた皆様本当に申し訳ありません」と謝罪し、「僕は竜ちゃんと出会って40数年 苦しい時も楽しい時もいつもそばにいてくれました!! 本当にありがとう!!竜ちゃんがいたから僕はあります!」と上島さんへの感謝と愛を伝えていた。寺門と同じく冒頭でファンと仕事関係者に謝罪した肥後だが、「何をやっても笑いを取る天才芸人上島が最後に誰も1ミリも笑えない、しくじりをしました」とコメント。そして、こう続けたのだ。「でも、それが上島の芸風です。皆で突っ込んで下さい。『それ違うだろ!』『ヘタクソ!』『笑えないんだよっ!』と地面も蹴って下さい。上島は天国でジャンプします。皆様もジャンプして下さい」さらに、肥後は「皆にツッコまれる、それが上島の芸風です」とも綴っている。生前、「押すなよ」と言いながら熱湯風呂に落とされる、ギャグがすべったことを笑いに変えるといった“イジられ芸”で愛されてきた上島さん。肥後はそんなキャラクターを尊重するように、追悼コメントでも上島さんをイジったのだ。想像を絶する悲しみの中にいながらも、“芸人”としての上島さんを尊重したコメントに、Twitterではこんな声が上がっている。《リーダーのコメント、大泣きしながら読んでるけどうちらが地面踏んで天国で竜ちゃんがジャンプしてるの想像してたら笑けてきてしまった。最高のコメント。そして想像だけで笑かしてくれる竜ちゃん最高。有難う》《なんて愛があるコメントなんだろう。心が少し軽くなった。。ジャンプしてる姿想像したらフフっと笑えるところがまたやはり天才だったなって思う。愛されてたなって。。》《肥後さんのコメント涙が出た。今日は上島さん、天国でジャンプしっぱなしかもね、みんな地面蹴ってるから》《肥後さんのコメントすごいな。温かい》
2022年05月15日《全国のダチョウ倶楽部ファンの皆様、今回は、このような事になってしまい、申し訳ありませんでした》5月14日、こう切り出したのはダチョウ倶楽部のリーダー・肥後克広(59)。上島竜兵さん(享年61)が11日に急逝してから3日経った同日、肥後と寺門ジモン(59)は所属事務所の公式サイトを通じてそれぞれコメントを発表した。冒頭のコメントに続けて、《仕事関係者の皆様申し訳ありませんでした。何をやっても笑いを取る天才芸人上島が最後に誰も1ミリも笑えない、しくじりをしました。でも、それが上島の芸風です。皆で突っ込んで下さい》と綴った肥後。そして《ダチョウ倶楽部は解散しません》と宣言し、《どんな悲しい事があっても、みんなでクルリンッパ!》と上島さんのギャグを添えて締めくくった。寺門は、《僕は竜ちゃんと出会って40数年苦しい時も楽しい時もいつもそばにいてくれました本当にありがとう竜ちゃんがいたから僕はあります!》とコメント。最後は《ずっと忘れないよ!ずっと一緒だよ!》と結んだ。上島さんの訃報が報じられた11日、ビートたけし(75)やダウンタウンの松本人志(58)ら芸人仲間が相次いで追悼のコメントを出した。しかしトリオ結成以前から、40年あまり苦楽を共にした肥後と寺門はコメントを発表していなかった。そのためネット上には、2人を慮る声が溢れていた。「訃報が報じられた日は、所属事務所が代表してコメントを発表しました。そこには《あまりにも突然のことで驚きに堪えません》と綴られていたように、肥後さんも寺門さんも憔悴しきっていたようです。トリオの1人が欠けてしまった悲しみは、察するに余りあります。それだけに肥後さんも寺門さんも、コメントを出せるような心境ではなかったのでしょう……。一部スポーツ紙によると、上島さんが亡くなる前に受けた仕事は、2人で全うすると伝えられています」(芸能プロ関係者)上島さんのギャグを交えながらも、「解散しません」「ずっと一緒だよ」と気丈にコメントを発表した肥後と寺門。ネット上では、そんな2人に心を打たれた人が続出している。《読んでめっちゃ泣けた。長年一緒に苦楽を共にしてきた仲間の言葉たまらないわ》《愛に溢れたコメント。真の友情。最愛の友を笑いで送る。日本中が泣いています。感謝上島さん》《お二人のコメントにただ泣けてきます。竜ちゃんほんとに愛されてますね。ダチョウ倶楽部のネタは自分が小さい頃見てた時から色褪せることなく、いつまでも面白いです》《とても良いコメントでした。涙が出ます。これからも頑張ってください》この先もずっと、トリオの絆は永遠だ。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2022年05月14日2022年5月11日に亡くなったことが報じられた、お笑い芸人トリオ『ダチョウ俱楽部』の上島竜兵さん。61歳という早すぎる別れに、多くの芸能関係者やファンが衝撃を受けました。『ダチョウ倶楽部』肥後克広&寺門ジモンがコメント同月14日、上島さんと『ダチョウ俱楽部』を組んでいた、肥後克広さんと寺門ジモンさんが、所属事務所を通してコメントを発表。あまりにも急すぎる別れを受け、2人は上島さんとファンに向けて思いをつづりました。肥後克広さんコメント全国のダチョウ倶楽部ファンの皆様、今回は、このような事になってしまい、申し訳ありませんでした。仕事関係の皆様申し訳ありませんでした。何をやっても笑いを取る天才芸人上島が最後に誰も1ミリも笑えない、しくじりをしました。でも、それが上島の芸風です。皆で突っ込んで下さい。「それ違うだろ!」「ヘタクソ!」「笑えないんだよっ!」と地面も蹴って下さい。上島は天国でジャンプします。皆様もジャンプして下さい。そして、上島の分、3倍笑って下さい。皆にツッコまれる、それが上島の芸風です。ダチョウ倶楽部は解散しません。二人で、純烈のオーディションを受けます。ヤーッ!どんな悲しい事があっても、みんなでクルリンッパ!サンケイスポーツーより引用寺門ジモンさんコメントダチョウ倶楽部上島竜兵を愛してくれた皆様本当に申し訳ありません。こんな形でのお別れです。僕は竜ちゃんと出会って40数年苦しい時も楽しい時もいつもそばにいてくれました!!本当にありがとう!!竜ちゃんがいたから僕はあります!大好きなお酒を今も飲んでいるんじゃないかな?これからもダチョウ2人のそばで見守ってください!ずっと忘れないよ!ずーっと一緒だよ!サンケイスポーツーより引用肥後さんと寺門さんのコメントに対し、ネットからは「お2人らしいコメント」「明るいはずなのに、泣いてしまった」といった声が上がっています。渾身のネタで笑いを届けるのが仕事の、お笑いタレントらしいコメントで上島さんを送り出した、肥後さんと寺門さん。どんなに悲しくても、最期まで笑顔で送り出すのが『ダチョウ俱楽部』らしい対応だと思ったのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2022年05月14日11日未明に61歳の若さでこの世を去ったダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(61)。お笑い芸人としてだけでなく、俳優としても活躍した上島さんの突然すぎる訃報は、日本中に衝撃を与えた。長年にわたって数多くの番組で共演したビートたけし(75)は、同日、公式サイトで「大変ショックです」とした上で、「芸人は笑っていくのが理想であって、のたれ死ぬのが最高だと教えてきたのに、どんなことがあっても笑って死んで行かなきゃいけないのに、非常に悔しくて悲しい」とコメントを発表。ダウンタウンの松本人志(58)もTwitterで《今日は仕事でテンションを上げるのに少し苦労しました。同世代の仲間やからね…》と綴っていた。重鎮たちにも大きなショックを与えた上島さんの死。85年にダチョウ倶楽部を結成して以来、40年近くにわたって活動してきた上島さんがお笑い界に残した功績はあまりにも大きかった。お笑い評論家のラリー遠田氏は、その功績についてこう語る。「リアクションを芸にしたのが上島さんであり、ダチョウ倶楽部なんです。彼らが世に出てきて、初めて“リアクション芸“という言葉が生まれたのではないかと思います。芸人やタレントが体を張って笑いを取ること自体は彼らが登場する前からありましたが、ダチョウ倶楽部ほどそれに特化していた芸人はいませんでした。もともとは、ビートたけしさんの番組でたけし軍団の皆さんが体を張った企画に挑戦することがあり、その伝統を色濃く受け継いだのがダチョウ倶楽部だと思います」(以下、「」内はすべてラリー氏の発言)「絶対押すなよ!」と言いつつも熱湯風呂に落とされるといったリアクション芸を中心にお茶の間を楽しませてきた上島さん。ラリー氏はその“隠れた凄み”を分析する。「上島さんが“押すなよ、押すなよ”と言いながら熱湯風呂に突き落とされてしまうのも、熱々のおでんを食べさせられるのも、そこには伝統芸のように完成された“様式美”があります。熱いものを食べてもだえ苦しむというのは、素人目には誰でもできるように見えるかもしれません。でも、実はすごく計算された段取りのもとに完成された芸であって、やっぱり素人にはマネできないし、どの芸人でもできるようなことではないのです」激しく喧嘩しながらも接近し、最後にキスをするといった定番のギャグについても、秘密があるようだ。「“喧嘩芸”にしても、上島さんがなぜかやりたくないことをやらされてしまう“どうぞどうぞ“にしても、見ている人がすごく身近に感じて、マネしたくなる芸なんですね。そういうギャグや芸というのは、一般の人のコミュニケーションの手段としても役立ってきました。私の世代でも、クラスのお調子者みたいな人がダチョウ倶楽部のギャグをマネしていましたからね」同世代のリアクション芸の“ライバル”として上島さんと切磋琢磨したのが出川哲朗(58)。11日には「「無念です。まだまだ竜さんとケンカしてチュ~したかったです。最高のライバルであり最高の友でした」と追悼コメントを発表していたが、上島さんはそんな出川にも影響を与えていたという。「出川さんは上島さんとほぼ同時期に芸能活動を始めていますが、最初は劇団出身の役者という立ち位置で、芸人ではなかった。今でいうと大泉洋さんやムロツヨシさんのような存在でした。デビュー当初の出川さんは、自分は役者だという意識があり、バラエティ番組でもどこか格好つけていたところがあったんです。でも、たけしさんの番組で、芸人が必死で体を張って笑いとっているのを見て、その凄さがわかるようになり、そこから出川さんも心を入れ替えて、本気でお笑いに取り組むようになったそうです」また、昨今のバラエティ番組で活躍する次世代の芸人たちにも多大な影響を与えていた。その代表的な一人としてラリー氏が名前を挙げるのがパンサーの尾形貴弘(45)。今年3月、ラジオ番組『TOKYO SPEAKEASY』(TOKYO FM系)で上島さんとともに出演した際、尾形は「(ダチョウ倶楽部を)観てましたから。昔っから大好きで、何回僕救われたか!」「半端ない、この2大巨塔(編集部注:もう一人は出川)はやばいっすよ、ずっと背中を僕らは追っかけてきました」と興奮気味に憧れを口にしていた。同世代から後輩まで幅広く慕われた背景に、上島さんの人柄もあるようだ。「私は取材で何度かお会いしたことがありますが、上島さんは偉そうにすることもなく、常に温かく接してくれました。そういう人間味があってこその芸なんですよね。竜兵会のメンバーとして知られる有吉弘行さん(47)や土田晃之さん(49)も、表では上島さんのことをイジったりしていますが、本心では慕っていると思います。芸人としての底力と人間としての器の大きさを持っている上島さんのことをリスペクトしているからではないでしょうか」『M-1グランプリ』や『キングオブコント』といった賞レース出身の芸人の活躍が目立つ昨今のお笑い界。そんななか、ダチョウ倶楽部と上島さんが残した“偉大な功績”について改めてラリー氏は語る。「土田さんも『自分が素人の頃はダチョウ倶楽部を面白いと思っていなかったけど、芸人になったらその凄さがわかった』と言っていたことがあります。複数の芸人が次々にギャグをやる流れになったとして、その最後を任せられるのが上島さんなんですよね。そういうときってどんどんハードルが上がっていくから、最後にやるのが一番難しいんですよ。でも、上島さんはそれを引き受けるし、堂々とやり切って笑いにすることができる。たとえスベったとしても、それを周囲の芸人がイジることで結果的に面白くなってしまう。その意味でも最強の存在なんですよね。今のお笑い界では、大喜利が強い人、面白いネタを作れる人、トークが上手い人が評価される傾向にあって、“言葉”の笑いが強い時代だと思います。だから、テレビで人気があったりMCをやったりしている芸人さんにはそういうタイプが多いですよね。一方、ダチョウ倶楽部はリアクション芸やギャグや集団芸に特化していて、その分野の頂点にいる人たちです。これはこれで一つの道を極めていると言えると思います」上島さんが遺した“宝物”は後輩たちに受け継がれ、日本中の人を笑わせ続けていくことだろう――。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2022年05月13日5月11日に、お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さん(享年61)が亡くなったことが報じられてから2日が経った。ビートたけし(75)や松本人志(58)ら芸人仲間をはじめ、各界から追悼のコメントが寄せられている。同じリアクション芸人として、上島さんと“キス芸”も披露していた出川哲朗(58)は同日、所属事務所を通じて次のようにコメントを発表した。「無念です。まだまだ竜さんとケンカしてチュ~したかったです。最高のライバルであり最高の友でした」そんな出川は、憔悴した様子を見せていたという。「昨日、出川さんはバラエティ番組の収録に参加したようです。ですが目を腫らし、落ち込んでいたと聞いています……」(テレビ局関係者)上島さんの訃報が報じられた直後、Twitterでは出川と有吉弘行(47)の名前がトレンド入りした。出川だけでなく、上島さんと親交が深かった有吉弘行を慮る声も相次いでいた。芸風は異なれども、上島さんは有吉にとって尊敬する先輩であり“恩人”だった。「有吉さんは、後輩芸人たちが上島さんを囲んで集う『竜平会』の中心メンバーです。’90年代半ばにブレイクしたお笑いコンビ『猿岩石』が解散した後、有吉さんはピン芸人として活動するも鳴かず飛ばずでした。そんな有吉さんを、上島さんがよく面倒見ていたのです。有吉さんをとても可愛がっていた上島さんは、『いつも俺のそばにいてくれ』と言うほどだったようです。そんな有吉さんは現在のように人気者になっても、上島さんへの恩義を忘れることはありませんでした。万が一、上島さんが老後に困窮したとしても助けられるように、有吉さんが“上島貯金”をしていたというエピソードは有名。昨年に上島さんが還暦を迎えた際も、有吉さんは高級腕時計を贈っていました」(芸能関係者)上島さんとたくさんの時間を過ごしてきた有吉だが、現在に至るまでコメントは発表していない。また有吉のTwitterとInstagramも、10日を最後に更新がストップしたまま。Twitterのコメント欄には、《大丈夫でしょうか?》《みんな有吉さん心配してる》といったメッセージが寄せられている。かけがえのない“恩人”を失った有吉の心痛は、察するに余りある。
2022年05月13日《あまりにも突然のことで驚きに堪えません》5月11日、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが61歳という若さで亡くなった。所属事務所は冒頭のように上島さんの急死を伝えた。有吉弘行(47)、出川哲朗(58)など数々の後輩から慕われた上島さんだったが、上島さんの“親友”は芸人だけではなかった。「2010年にドラマ『怪物くん』で共演した嵐の大野智さん(41)と上島さんは、『竜ちゃん』『大ちゃん』と呼び合う仲でした。2人ともお酒好きなこともあり、ドラマが終わってからもよく飲みに行っていたそうです」(テレビ局関係者)20もの歳の差がある親友。大野との関係を通じて、上島さんには変化がみられるようになったという。「上島さんは携帯電話でメールを打つのが苦手で、有吉さんも2010年5月にはTwitterに《ドラマで忙しいみたいなので、上島さんと全く会っていない、元気にやっているか知りたいので(親心的な心情)、ツイッターでもやってほしいと思うのだが、あの人はメールさえもできない、、、、、》と投稿していました。しかし大野さんと親しくなったことで『メールでも連絡を取りたい』と言うようになり、送り方を覚えたそうです」(芸能関係者)有吉は2015年12月にもTwitterに《上島さんからメールアドレス変更のメール。メールが打てるようになった上島さんに感動している。。。》と、上島さんの変化に感激した様子を綴っている。そんな不器用さも含めて、周囲から愛されていた上島さん。大野の影響は他にも。「普段アクセサリーは身に付けなかったという上島さんですが、あるときから急にネックレスをするように。不思議に思った土田晃之さん(49)が聞くと、それは大野さんがプレゼントしたものだったのです。番組スタッフなどにも『大ちゃんからもらった。かっこいいでしょ?』と自慢していたそうです。飲みに行く場所も、中野区から港区に変化。大野さんがよく港区のお店に行っていたことから、上島さんもそのお店に通うようになったみたいです」(前出・テレビ局関係者)60歳をすぎても変化していた上島さん。20年末には、大野についてこのように語っていた。《国民的アイドルなのに、気さくでお酒好きで、優しくて普段は全くオシャレじゃなく、でも、それが格好良くて性格もサバっとしてる》今年4月には『怪物くん』の原作者・藤子不二雄Aが亡くなったばかり。相次ぐ『怪物くん』ファミリーの死去に、大野は何を思うか。
2022年05月12日2022年5月11日、お笑いトリオ『ダチョウ倶楽部』のメンバー、上島竜平さんが逝去したことを事務所が発表しました。同日、お笑いタレントや映画監督などマルチな活躍をしている、ビートたけし(北野武)さんが、訃報を受けてウェブサイト上にコメントを掲載。自身の想いをつづっています。上島、大変ショックです。40年近く前から一緒に仕事をしてきたのに、芸人は笑っていくのが理想であって、のたれ死ぬのが最高だと教えてきたのに、どんなことがあっても笑って死んで行かなきゃいけないのに、非常に悔しくて悲しい。北野武 公式サイトーより引用『ダチョウ倶楽部』はかつて、ビートたけしさんが総司会を務めたバラエティ番組『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)に出演。「絶対に押すなよ!」といいながらも熱湯風呂に落とされる、身体を張ったギャグが誕生しました。また、ビートたけしさんがメイン司会を務めたバラエティ番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)にも出演し、リアクション芸が人気に。台本にないことをやらされそうになった際に、上島さんが発した「聞いてないよォ」は、第10回『新語・流行語大賞』で受賞し、ブレイクの切っかけになりました。上島さんのご冥福を心よりお祈りいたします。ニュースを読んでつらい気持ちになった人は、厚生労働省が行っている電話相談を頼ってください。厚生労働省[文・構成/grape編集部]
2022年05月12日「あまりにも突然のことで驚きに堪えません。今まで上島竜兵を応援して下さった皆様には心から感謝いたします」5月11日、お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなった。61歳だった。冒頭のコメントは、所属事務所の公式サイトにアップされたものだ。体を張ったリアクション芸で人気を博し、バラエティ番組に欠かせない存在だった上島さん。そんな上島さんが慕っていたのは、’20年3月に亡くなった志村けんさん(享年70)だ。「’96年秋頃、元プロレスラーの川田利明さん(58)の紹介がきっかけで2人は出会いました。深夜、川田さんが上島さんに電話して、『志村さんと飲んでいるから来たら?』と誘ったそうです。それが縁で飲み仲間となり、翌年1月放送の『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)に初出演。あまりにも急な展開に、上島さんは驚いてしまったそうです。その後、’02年からダチョウ倶楽部は『バカ殿』のレギュラーにもなりました」(テレビ局関係者)突然の出会いから志村さんが亡くなるまで、23年にわたって続いた2人の“師弟愛”。上島さんは、いつも志村さんのそばで学んできた。「収録中に余計なことをして怒られたり『リアクションが悪い』とダメ出しされたりと、志村さんは上島さんに厳しかったといいます。いっぽうでダチョウ倶楽部が持ちネタ『どうぞどうぞ』をいったんやめたとき、『マンネリといわれるものをずっと続けるのは大変だけど、大切なことだよ』と諭してくれたそうです。その言葉が上島さんにとっての糧だったといいます。志村さんが上島さんを褒めることは滅多になかったそうですが、『竜ちゃんがいてくれて良かった』と漏らすこともあったといいます。上島さんも志村さんも、それぞれがかけがえのない存在だったのです」(前出・テレビ局関係者)■上島さんしか知らない志村さんの姿もまたプライベートでも、2人は“師弟愛”を築いていた。’21年11月、『文春オンライン』にアップされたインタビューで上島さんは志村さんと毎日飲み歩いていた時期があったと告白。「地方ロケが終わって飛行機で帰る時も、志村さんに『今から飛行機乗ります』って連絡していました。『お前は俺の彼女か』って言われましたけどね(笑)』」とのエピソードも明かしていた。「志村さんは上島さんを家に招待すると、朝から手料理を振舞ってくれたといいます。さらに、東村山にある実家に連れて行ったこともあるそうです。いっぽうで女性に振られて涙を流す姿など、上島さんしか知らない志村さんの一面もあったといいます。上島さんは志村さんとの思い出を回想し、『かわいい人だったなぁ』と話すこともありました」(スポーツ紙記者)‘21年3月、『スポーツ報知』の取材で志村さんの一周忌に触れた上島さんはこう語っていた。「今も1日に1回は思い出しますよ。サツマイモを食べたら『あの人は嫌いだったな』。迷うと『師匠だったらどう考えるかな』ってね」■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時〜午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時〜午後9時/毎月10日・午前8時〜翌日午前8時)
2022年05月11日お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが5月11日、亡くなったと発表された。61歳だった。今月8日、ダチョウ倶楽部の公式Instagramで笑顔の写真をアップしていた上島さん。突然の訃報に、芸人たちも悲しみを明かしている。EXITのりんたろー。(36)は『めざまし8』(フジテレビ系)で、「すごく相手の立場で物事を考える人っていうか、いろんな意味ですごく受け取りやすい方だったのかなっていう印象を受けて、いろんなプレッシャーとかもあったと思う」と声を絞り出すようにコメント。また極楽とんぼの加藤浩次(53)も『スッキリ』(日本テレビ系)で「僕もビックリしています。3月11日に『スッキリ』にも“天の声”でしゃべってくれて、終わった後もスタジオに来てくれて……。大先輩で……」とコメント。「『上島さんが?ウソでしょ?』って……」と、動揺が隠し切れない様子だった。そんななか、Twitterでは有吉弘行(47)と出川哲朗(58)の名前がトレンドに上がることとなった。2人は上島さんと親交が深く、メディアで共演したりお互いのエピソードを話したりする機会がたびたびあったからだ。■先輩を感じさせない上島さんを慕っていた例えば、上島さんは2月に放送された『TOKYO SPEAKEASY』(TOKYO FM)で有吉について語っている。ブレイク前の有吉は飲みの誘いを断らなかったといい、深夜2時に連絡しても必ず来たと明かしている。さらに、2人は10日連続で飲んだこともあったと話している。また出川は’13年12月の『アメトーーーーーーーーーーク!5時間SP』(テレビ朝日系)で上島さんについて、「愛おしくて大好きな人」とコメント。上島さんも’18年2月の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)で「むしろ先輩である僕の方が出川の背中を見てここまで来ていますよ。誉め言葉しかない。てっちゃん最高だね!」と讃えていた。「有吉さんは、上島さんがダラダラとトークしたことに対して『最近まともに最初から最後まで話したことないでしょ!』とダメ出ししたことがありました。出川さんも過去の共演時に上島さんから『俺の出番が減るだろう!』と言われたという話を本人の前で明かし、『どんだけちっちゃい男なんだと思った』とテレビで語っていました。芸人の世界は本来、上下関係が厳しいもの。普通だったら、後輩が大ベテランの上島さんにそんな“ダメ出し”をするなんてはばかられるはずです。それができるというのことは、上島さんの決して偉ぶらない“飾らない人柄”があればこそ。そして、それだけ後輩から慕われているという証でもありました」(テレビ局関係者)上島さんを慕っていた有吉と出川。そのため、Twitterでは2人の心痛を慮る声が上がっている。《同じメンバーの肥後さん、ジモンさんと同じ位に、有吉さんと出川サンも大変ショックを受けてるだろうな……》《相方のお二人はもちろんだけど、恩人と公言していた出川さんと有吉さんは大丈夫かな……》《有吉が心配…出川さんの反応も、辛すぎて見れないよ…》■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2022年05月11日お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんが、5月11日未明に亡くなった。61歳だった。報道によると、都内自宅で倒れている上島さんを家族が発見。その後、搬送先の病院で死亡が確認されたという。「ヤー!」「聞いてないよォ」のギャグや、体を張ったリアクション芸で人気を博した上島さん。その活動は40年近くにもわたる。「’85年に肥後克広さん(59)、寺門ジモンさん(59)、上島さん、そして現在『電撃ネットワーク』で活動する南部虎弾さん(70)とダチョウ倶楽部を結成しました。’87年に南部さんが脱退し、以降は3人で活動を続けました。上島さんは’92年にバラエティ番組『スーパージョッキー』(日本テレビ系)の『熱湯コマーシャル』に登場したことで、リアクション芸を確立。『絶対に押すなよ!』の決まり文句で湯船に突き落とされる芸は、上島さんの“十八番”として長く愛されてきました」(芸能関係者)だが、‘20年1月ごろから新型コロナの感染拡大によって、飛沫や接触を伴うリアクション芸はバラエティの世界で大きく制限を受けた。コロナ禍での制約について、最近でも上島さんは嘆いていたという。「先月、トリオで登壇したイベントで、肥後さん、寺門さんが『触れ合えない』と吐露する一幕がありました。上島さんも『アツアツおでんをやっても、口に届くまでぬるくなっちゃう』『商売あがったりですよ』と漏らしていました。それでも上島さんと寺門さんは言い合いの末、キスして仲直りする定番のギャグを披露。アクリル板越しのキスとなり、上島さんは『アクリル板越しでも、お前の唇は良かったよ』と喜んでいました。そんな上島さんはコロナの影響で、仲の良い後輩芸人らと集う『竜兵会』の機会が減っていたことを寂しがっていました。その一方で’94年に結婚したひかる夫人が上島さんの話し相手になってくれたようで、『嫁がいて良かった』とも話していました」(スポーツ紙記者)元「たけし軍団」で上島さんと『スーパージョッキー』で共演経験のある東国原英夫(64)は、同日にTwitterを更新。《本当にビックリした。一瞬、呆然とし、言葉を失った。友人から聞いた。嘘だろ?と思った。上島君の死去。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます》と悼んだ。YouTuberのHIKAKIN(33)も、《上島竜兵さん。熱湯風呂対決させて頂いた時、楽屋裏でも見たことがないくらい腰が低くて本当に心優しい方でした。ご冥福をお祈りします》とツイート。HIKAKINは’18年1月に、『モンスト1000万個オーブ山分け!土田withヒカキン軍団VSダチョウ倶楽部!』(ABEMA)で上島さんと熱湯風呂対決をしていた。上島さんの人柄にふれた多くの人々が、心から冥福を祈っている。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時〜午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時〜午後9時/毎月10日・午前8時〜翌日午前8時)
2022年05月11日5月11日、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)が急逝していたことがわかった。突然の訃報に日本中が深い悲しみに包まれている。「上島さんの事務所はメディアの取材に対し『呆然としている』と答えており、あまりにも突然のことで対応に追われているといいます。葬儀のことなどもまだ決まってないそうです」(スポーツ紙記者)上島さんは生前、自身の葬儀プランを語っていた。上島さんと親交の深い有吉弘行(47)は、14年7月21日にこのようにTwitterに投稿している。《上島さんは『俺の葬式の時には、俺の顔に熱湯をブッかけてくれよ!』と言う。。。中々ハードな注文だ。かける方の世間体もあるし。。。でも、まあ世話になったし、やってみるか。。。(もちろん上島さんは存命中です。。。)》「押すなよ!絶対に押すなよ!」と言いつつ、芸人から熱湯風呂に落とされる定番のやり取りなど、イジられキャラとして知られている上島さん。有吉は困惑しつつも、恩師の注文を聞き入れることを綴っていた。上島さんは他にも理想の葬儀プランを語っていたと、テレビ局関係者は話す。「上島さんは21年にもテレビ番組で『棺桶には豆絞りのふんどしとコンビニのパックのおでんを入れてほしい』と、ご自身の持ちネタを使った葬儀プランを明かしていました。おでんを“コンビニのパックのもの”としたのは、棺桶の中がびしょびしょにならないように、ということのようです」葬式でも笑いを起こそうという芸人魂も忘れなかった。「ひつぎを運んでもらうとき、わざと一回落としてほしいとも話していました。落とされて『何だバカヤロウ!』と出てくれば笑えるし、そうでなかったら本当に死んでるんだと泣いてほしいと言っていて、最後まで笑ってほしいという芸人さんらしさを感じました」(前出・テレビ局関係者)今年1月に有吉と出演したラジオ番組では、自らの死後について「私生活も芸も『面白い人だった』と言われたい」とも語っていた上島さん。笑いを追求し続けた人生の幕切れはあまりにも突然だった。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2022年05月11日2022年5月11日、お笑い芸人トリオ『ダチョウ俱楽部』のメンバー、上島竜兵さんが亡くなったことが明かされました。61歳でした。サンケイスポーツは、以下のように報道しています。人気お笑いトリオ「ダチョウ俱楽部」のメンバーの上島竜兵(うえしま・りゅうへい)さん(61)が死去したことが11日分かった。所属事務所によると、同日未明、自宅で家族が異常を発見し、病院で死亡が確認された。サンケイスポーツーより引用テレビのバラエティー番組を中心に活躍し、「ケンカしてチュー」「絶対押すなよ」など数々のギャグでお茶の間を沸かせた、上島さん。突然の訃報に、「ショックすぎる」「とてもさびしい」など、悲しみの声が上がっています。上島さんのご冥福を心よりお祈りいたします。また、ニュースを読んでつらい気持ちになった人は、厚生労働省が行っている電話相談を頼ってください。厚生労働省[文・構成/grape編集部]
2022年05月11日女優の吉高由里子とお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵が出演する、J:COM・J:COM NETの新CM「熱湯」編が、20日より放送される。新CMでは、吉高の前にウサギ姿になった上島が登場。上島は、タブレットを手におなじみの熱湯風呂に入り「J:COM NETがサクサクなんて聞いてないよー!」「お風呂でもネットがサクサクなんて聞いてないよー!」と叫びながら暴れだす。最初は驚いた様子だった吉高だが、「ネットと熱湯をかけたんですね!」と冷静にツッコミを入れ、上島をたじろがせる。アニメーションで合成される“上島ウサギ”が、目の前にいるかのようなリアルな演技を披露した吉高。熱湯風呂で暴れるウサギの水しぶきをよけるなど、かわいらしい姿を見せた。一方の上島は、顔出しパネルを使っての演技に挑戦。頬を膨らませたり、照れたり笑ったりと様々な表情で表現した。また、声の収録では、ほっかむりをかぶったまま身振り手振りも交えてセリフを読み上げ、歌のシーンでは楽しそうに歌い、「もう1回やる?」とスタッフに提案する場面もみられた。■吉高由里子インタビュー――CMの見どころをお聞かせください。上島さんといえば熱湯コマーシャルというか、まさしくネットとコマーシャルをかけてるのかなというような、斬新なコラボレーションが見れたなと思って。私も上島さんとはご挨拶はさせていただいたんですけど、一緒に撮影したわけではないので、まだ出来上がりがどういうふうになっているのか、放送される時に初めて私がこの世界観を知るので、それはワクワクしてますね。――お風呂でインターネットを使うことはありますか?お風呂でゲームとか。30分くらいはしてますね。映像見たり、ゲームしたり。せっかくお風呂掃除して沸かしたら、意地でも30分は入りたいっていう。ちょっと貧乏性なところがあるんですよね。――最近「聞いてないよー!」と思ったことはありますか?聞いてないよー……なんだろう。もう事前に言われちゃうので。でも、説明してくれてるのに本当に私聞いてなくて、聞いてないよって。え、言いましたよ!? っていうのはあります。聞いてないよーって言ってはいると思います(笑)。それは私の責任なんで。問題なんで。――お風呂のこだわりはありますか?10年前にいただいた溶岩っていうのかな。いろんな成分が入った石があって、それが半世紀持つんですって、効果が。その石を必ずお風呂沸かすときは入れて、循環良くっていうか、発汗作用とか肩こりとか腰痛とかにも効いてくれるような。――これからの新生活で何がしたいですか?やっとドラマがひと段落したので、どっぷり映画とか、連続ドラマとか、見たいですね。ああいうのは間間じゃなくてドンって見た方がのめり込めるので。ダウンロードをサクサクしていただいて、見たいなっていうふうに思っております。■上島竜兵インタビュー――撮影の感想をお聞かせください。ウサギちゃんなんですよ。ええ。かわいいですよ。俺ってこんなかわいかったっけって。こんなかわいい還暦いませんよほんとに。ジョージ・クルーニーと同い年なんですけど、ジョージ・クルーニーそんなかわいくないですもんね。かっこいいけどね。――顔だけの出演は大変ではなかったですか?監督さんがすごい柔軟に指示してくれたんで大丈夫でした。うちのリーダーと寺門が一緒だったら二人からいろいろダメ出しを食らうんですが、今日はいなかったんで気楽にできました。――CMの見どころは?それは、やっぱり吉高さんでしょ。吉高さんとさっき会ったんですけど、写真も撮っていただいたんですけど、素晴らしい、きれいな方でした。人当たりも良くて。僕初めてお会いしたんですけどね。あとはやっぱり何度も言いますけどウサギになってるんで、芸もちょっとね、出てますので、俺の。CMってなったらね、一つの企業のイメージみたいな、そこに僕のギャグとか、やってることを取り入れていただけるのはすごくうれしいです。もう誇りですね。スタッフの方が打ち合わせの時から、ほっかむりもしてほしいと。で、俺がうれしかったのは鼻毛ね。あのキャラクターのときは鼻毛をちょっと描くんですけど、それもやってくれと、細かいところまで見てくれて、そうやって使ってくれてるんだと思って。――最近「聞いてないよー!」と思ったことはありますか?NHKでこないだ初めて熱湯風呂をやったんですよ。今まで NHK で熱湯風呂ってやらせてもらえなかったんですけど、こないだ初めて解禁になったのか、分からないんですけど、熱湯風呂をやったんですよ。そうしたら、やっぱりやったことなかったんだろうね、熱湯が熱過ぎて。熱湯風呂専門のスタッフで、菊池さんっていう方が昔からやってくれてるんですけど、その人を急にマネージャーに頼んで呼んでもらって、温度調節とかしてもらって。だからやっぱりね、あれはうれしかったと同時に、温度の熱さは「聞いてないよー!」っていう感じでね。ええ。いや、熱いんですよ?熱いけど、あれは、まあファンタジーだから、何度あるって言いませんけどね。うん。熱いことは確かなんですよ。でもそんな熱くしたらね、大変なことになっちゃうので、それがちょっとびっくりしましたね。「聞いてないよー!」でした。
2022年02月17日愛車をもっと気軽に「早く」「キレイ」にバリュープライスで修理する、車のコンビニエンスストア・カーコンビニ倶楽部では、企業の社会貢献活動の一環として、文化・スポーツの発展に寄与する取り組みに協賛しています。この度、カーコンビニ倶楽部が協賛する「報知映画賞」の特選試写会が、感染症対策へ最大限配慮のもと1月12日(水)に開催されました。今回の受賞作は、クリント・イーストウッド監督・主演・制作の映画「クライ・マッチョ」。本作品は名優で監督のクリント・イーストウッドの40作目となるアニバーサリー作品で、今回、見事報知映画賞に選ばれました。映画上映前には、現在テレビで放映中のカーコンカーリース「もろコミ」のCMに加え、カーコンビニ倶楽部イメージキャラクター 上地由真さんからのビデオメッセージを来場の皆様にご覧いただき、カーコンビニ倶楽部のブランドをPRさせていただきました。カーコンビニ倶楽部では、今後とも社会の一員として、事業活動を通じて、文化・スポーツの発展に寄与する活動を支援してまいります。<カーコンビニ倶楽部株式会社>代表者: 代表取締役社長林 成治設立日: 2007年2月資本金: 90百万円所在地: 東京都港区港南2-11-19 大滝ビル事業内容: 自動車軽板金補修を軸に自動車向けトータルアフターサービスを提供する「カーコンビニ倶楽部」および「カーコン車検」加盟企業による全国FC事業の企画・開発・運営・経営支援。また、2017年より個人向けカーリース「もろコミ」を展開。URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年01月21日カーコンビニ倶楽部株式会社(本社:東京都港区港南代表取締役:林 成治)は、“車がもらえるカーリース”のカーコンカーリース「もろコミ」として、カーリース事業を展開しています。この度、最短14日で納車可能な「即納車」、1ヶ月~3ヶ月ほどでご納車可能な「短納期車」を台数限定でご用意いたしました。車種は人気のラインナップを取り揃えております。さらに期間限定キャンペーンも開催中です。4月から進学、就職、転勤などで新しい生活が始まることに伴い、新生活におクルマが必要となる方も多いのではないでしょうか?現在ニュースなどで大きく報じられている「半導体不足」は車の生産にも非常に大きな影響を及ぼしており、納車が1年遅れになるような車種も出てきてしまっています。「新生活に車が必須だからすぐ購入したい」とお困りの方におすすめなのが「即納車」「短納期車」!! すでに在庫が確保されているため「即納車」は最短14日で納車可能です。「短納期車」も1ヶ月~3ヶ月ほどでご納車いただけます。車種はタフト、ソリオ、ミライース、N-WGNなど人気のラインナップからお選びいただけます。(※在庫状況により変動します)さらに、2022年3月末までのご契約者様限定で希望ナンバープレゼントのキャンペーンも現在開催中!もちろん、頭金0円、登録時諸費用、車検基本料、税金などすべてもろもろコミコミで月々定額お支払いのため、まとまった出費も抑えられます。「すぐに車が欲しい」×「まとまった出費を抑えたい」の願いを叶えるもろコミをぜひご利用ください!カーコンカーリース「もろコミ」の即納車・短納期車はこちら : カーコンカーリース「もろコミ」とは「頭金0円」、しかも「登録時諸費用」や乗っている間の「車検基本料」、「自動車税」、「自賠責保険料」、「自動車重量税」すべてがもろもろコミコミでお支払いプランに含まれています。お支払いプランは「月々税込8,000円~」や「お客様が選ぶ自由設計」などイロイロご用意しています。しかも、契約期間満了後はご返却の必要はなく、そのままお乗りのクルマがもらえます。お手軽に、そしてお得に新車に乗りたい!カーライフをもっと長く楽しみたい!それがカーコンビニ倶楽部のカーリース「もろコミ」です。特典内容について【ご契約特典】希望ナンバープレゼント※3月末までのご契約者様が対象となります。ご希望ナンバーは、4桁のアラビア数字(一連指定番号)の部分のみ自由に選ぶことができます。(抽選となる人気の高い番号「7777や1111など」はご希望に添えない場合があります。)【最短14日の即納車】タフト G ターボ【最短14日の即納車】ソリオ G【最短2022年1月〜2月の短納期車】新型 アルト Lカーコンカーリース「もろコミ」の即納車・短納期車はこちら : ■会社概要社名カーコンビニ倶楽部株式会社代表代表取締役社長林 成治所在地東京都港区港南2−11−19設立2007年2月事業内容自動車軽板金補修を軸に自動車向けトータルアフターサービスを提供する「カーコンビニ倶楽部」および「カーコン車検」加盟企業による全国FC事業の企画・開発・運営・経営支援。また、2017年より個人向けカーリース「もろコミ」を展開。U R L ■提供サービス「カーコンカーリースもろコミ」カーコンカーリース「もろコミ」サービスサイト: カーコンカーリースもろコミコールセンター0120-29-5353(受付時間 8:00〜22:00) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年01月05日この度DoLIST(奥田 延昭)では、日本最大級の道の駅口コミサイト「道の駅倶楽部」をローンチしたことをお知らせします。「道の駅倶楽部」では道の駅各所の口コミやお得なクーポン情報、イベントのお知らせなど、道の駅にまつわる様々な情報を発信してまいります。■「道の駅倶楽部」についてサイトURL: 道の駅倶楽部 TOP画面道の駅倶楽部では、会員登録(無料)をしていただくと様々な道の駅情報をタイムリーにご覧いただけます。*道の駅のお得な情報やクーポン*厳選された特産品の情報や道の駅イベントのお知らせ*道の駅のコアなファンの口コミ情報*バイカーやキャンパーが知りたい情報*道の駅オリジナルグルメ情報道の駅は全国に1,193ヶ所以上あり、24時間利用可能な駐車スペースやトイレ、電話、情報提供設備が整っている他、地方の文化・名所・特産物などを活用した農産物販売所、売店、レストランなどが併設されており、観光スポットとしても人気の場所です。今回この「道の駅倶楽部」を通じて、ユーザーの皆さまに有益な道の駅情報をお届けし、より充実した旅になるよう貢献いたします。■「道の駅倶楽部」開発の背景道の駅には、地元の隠れた名産品や魅力溢れる観光地がたくさんあります。新型コロナウイルスの影響によって、国内旅行は大きな打撃を受けました。それでも、古き良き日本の文化や工芸品やふるさとを感じる体験、これらの有形無形を問わない隠れた素晴らしい資産の数々を伝え続けていきたい。そんな想いから、道の駅倶楽部を立ち上げました。■「道の駅倶楽部」のこれからと、代表の想いこのサービスを立ち上げた奥田はこの道の駅倶楽部をローンチするにあたり、道の駅オーナー様や受託企業様へ、本サービスの告知のため全国を周りました。いずれの担当者様もおっしゃっていたことは“コロナの影響で海外・国内問わず観光客が激減してしまった”ということ。そんな道の駅の数々に少しでも貢献していきたいと考えていると同時に、道の駅を基点とした国内ツーリズムの提唱者を目指しております。この道の駅倶楽部は、ユーザー様は無料でご利用いただくことができ、また道の駅オーナー様にも当面は質の高いサービスを無料でご提供させていただきます。まずは10,000人のユーザー様登録を目指し、道の駅ファンが集い有益な情報が得られるサイトとして、ますますサービスを強化してまいります。■URLまとめ▼道の駅倶楽部サイト登録 道の駅倶楽部 QRコード▼Facebook 道の駅倶楽部 Facebook▼Twitter 道の駅倶楽部 Twitter 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年11月30日「パンとエスプレッソと堺筋倶楽部」が、2021年11月15日(月)大阪・南船場にオープンする。「パンとエスプレッソと堺筋倶楽部」大正時代建築を改装したレトロな新店人気ベーカリーカフェ「パンとエスプレッソと」の新店舗となる「パンとエスプレッソと堺筋倶楽部」。1931年に建てられた銀行の建築をリノベーションした、大正浪漫感じるレトロな趣深い店内で、人気のパンをはじめとする様々なメニューを楽しむことが出来る。モーニングからディナーまで営業、幅広いメニューを展開店頭では、一番人気のオリジナル食パン「ムー」やカンパーニュ、クロワッサンといった「パンとエスプレッソと」定番のパンに加え、他店舗とは一味違ったラインナップも展開。モーニングからディナータイムまで営業し、様々なシーンで利用することが出来る。モーニングのトーストセットは出来立てのオムレツと「パンとエスプレッソと堺筋倶楽部」限定のデニッシュ食パンをセットに。また、ハンバーグやチーズチキンカツをメインディッシュにしたランチでは、食べ放題のパン、サラダ、スープがセットになる食べ応え満点のメニューを用意する。カフェメニューからはフレンチトースト、チョコバナナパフェ、コーヒーゼリーなどが登場。自家焙煎豆を使用したほんのりと甘いコーヒーゼリーは、店内の雰囲気とマッチしたレトロな見た目もポイントだ。建物モチーフのアフタヌーンティーもさらに、「パンとエスプレッソと堺筋倶楽部」の建物をモチーフにしたアフタヌーンティースタンドも提供。「パンとエスプレッソと」の人気メニューを揃えた充実のラインナップと共に優雅な午後のひとときを過ごすことが出来る。詳細パンとエスプレッソと堺筋倶楽部オープン日:2021年11月15日(月)営業時間:8:00~22:00(L.O.21:00)住所:大阪府大阪市中央区南船場1-15-12TEL:06-4256-4880<メニュー例>・モーニングトースト 900円、ピザトースト 850円、あんバタートースト 850円、フルーツサンド 1,000円・ランチハンバーグ デミグラス 1,400円、チーズチキンカツ 1,400円・カフェフレンチトースト 850円、ミルフィーユ 850円、ティラミス 600円、プリン 550円、チョコバナナパフェ 850円、コーヒーゼリー 550円、アフタヌーンティー(1日限定10セット) 2,800円
2021年11月15日長崎バイオパークは、『ふれあい』がコンセプトの動植物園。カバにエサをあげたり、カピバラをなでたり、15種類以上の動物と触れ合うことができます。長崎バイオパークの飼育員が撮影した1本の動画が、25万超も再生され大きな話題になりました。内容は、ダチョウと一緒に踊れるかどうか!結果がこちらです。 #ダチョウ は #飼育員 と #踊る のか? #検証 pic.twitter.com/RhxaOnkAZL — 長崎バイオパーク公式 (@ngsbiopark) October 14, 2021 ダチョウより、飼育員がノリノリ!男性飼育員の情熱的な踊りに誘われて、ダチョウも両羽を交互にバタバタ。お互いを求め合うような姿は、プロポーズが成功した恋人たちのようです。ですが、次に登場した女性飼育員の動きはイマイチのようで、「仕方ないから付き合うか」といいたげな、ダチョウの表情がなんともいえません。飼育員とダチョウの踊り合いに、多くの人がコメントを残しました。・ダチョウダンスが完璧すぎて笑っちゃいました。・もう結婚しちゃえよ案件ですね。・めっちゃ楽しい、面白すぎる。見ているだけで笑顔になる、ほのぼのとした動画に癒やされますね。長崎バイオパークでは、一般の人も動画と同じように踊っていいとのことでした。普通の動植物園にはない『ふれあい』を楽しみたい時は、最高の場所でしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年10月28日カーコンビニ倶楽部株式会社(本社:東京都港区、代表取締役社長:林 成治、、以下カーコンビニ倶楽部)は、株式会社BuySell Technologies(代表取締役社長兼CEO:岩田 匡平、証券コード:7685)の子会社である株式会社タイムレス(代表取締役:太田 大哉、以下、タイムレス)と提携し、直営店・加盟店の店頭で、ブランド品・宝飾品買取サービスを提供いたします。カーコンビニ倶楽部は、自動車軽鈑金、車検、カーリースなど自動車向けのトータルサービスを提供しており、日本全国に約1,000店舗のフランチャイズを展開しています。今回、カーコンビニ倶楽部の店舗にて新たなサービスとして、ブランド品・時計・ジュエリーなどの買取サービスを提供することとなりました。自動車関連の店舗で買取サービスを提供するにあたり、タイムレスとの業務提携により「タイムレスエクスプレス」を導入いたします。タイムレスでは、百貨店専門の総合買取サロン「TIMELESS」、古物商向けオークション「タイムレスオークション」を運営しています。このたびの業務提携では、タイムレスの真贋鑑定に基づくオンライン遠隔査定・買取の仕組みを、カーコンビニ倶楽部のフランチャイズ加盟店で利用できるようにするものです。カーコンビニ倶楽部では、直営店3店舗にて買取サービスの提供を開始しており、今後、順次加盟店にも展開してまいります。リユース品の売買をより身近なものとすることで、自動車の修理・車検・購入に関するカーオーナーの負担軽減、および、新たな需要を創造してまいります。店頭装飾の様子1店頭装飾の様子2店舗内買取ブースの様子◆ 会社概要<株式会社BuySell Technologies>代表者: 代表取締役社長兼CEO岩田 匡平設立日: 2001年1月16日資本金: 1,637百万円(資本準備金を含む)所在地: 東京都新宿区四谷4-28-8 PALTビル8F事業内容: ネット型リユース事業URL: <株式会社タイムレス>代表者: 代表取締役太田 大哉設立日: 2009年4月1日所在地: 東京都港区芝公園1丁目7-6 KDX浜松町プレイス2階事業内容: ブランド品買取・販売事業、オークション事業URL: <カーコンビニ倶楽部株式会社>代表者: 代表取締役社長林 成治設立日: 2007年2月資本金: 9000万円所在地: 東京都港区港南2-11-19 大滝ビル事業内容: 自動車軽板金補修を軸に自動車向けトータルアフターサービスを提供する「カーコンビニ倶楽部」および「カーコン車検」加盟企業による全国FC事業の企画・開発・運営・経営支援。また、2017年より個人向けカーリース「もろコミ」を展開。URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年10月06日カーコンビニ倶楽部株式会社(本社:東京都港区港南代表取締役:林 成治)は、2021年10月から国産中古車のカーリースの取り扱いを開始した。カーコンビニ倶楽部は、“車がもらえるカーリース”のカーコンカーリース「もろコミ」として、カーリース事業を展開している。これまでカーリースの需要は年々大きなものになりつつあったが、半導体不足による新車の納期長期化等の問題から、早期の納車を望むニーズに応えるべく中古車の取り扱いを始めた。もろコミ中古車リースカーコンカーリースで取り扱う中古車リースは、頭金不要、1年間の保証付き、自動車税・重量税・自賠責保険料込みとなっており、軽自動車を中心に高年式・低走行の車種を多数揃える。6年間(72回払い)のリース期間終了後は、車がもらえるため、そのまま乗り続けることが可能となっている。カーコンカーリースの中古車の申込はWEBサイト上から行うことができるため、来店する必要がない。申込後の商談は担当者と電話やメールで手続きを行う。納車は顧客の自宅に届けることで顧客の負担軽減を図っている。お手続きの流れ今後は早期納車を希望する顧客のニーズに応えるべく、随時掲載車両の増加を見込む。[カーコンカーリース「もろコミ」中古車リースWEBサイト] ◆会社概要社名:カーコンビニ倶楽部株式会社代表:代表取締役社長林 成治所在地 :東京都港区港南2−11−19大滝ビル6F設立 :2007年2月事業内容 :自動車軽板金補修を軸に自動車向けトータルアフターサービスを提供する「カーコンビニ倶楽部」および「カーコン車検」加盟企業による全国FC事業の企画・開発・運営・経営支援。また、2017年より個人向けカーリース「もろコミ」を展開。URL: [サービスサイト]URL : お問い合わせ:カーコンカーリースもろコミコールセンター0120-29-5353(受付時間 8:00〜22:00)カーコンカーリース「もろコミ」 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年10月06日お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部(上島竜兵、寺門ジモン、肥後克広)が23日、神奈川・横浜スタジアムで開催されたスペシャルイベント「DB 海賊団 DAY 2021 Supported by nojima」の始球式のマウンドに登場。イベント後の囲み取材で、恒例のキスネタの希望ターゲットを問われて上島は「菅田将暉」と今をときめく人気俳優を指名した。横浜DeNAベイスターズ対東京ヤクルトスワローズの3連戦を対象にした同イベント。ダチョウ倶楽部は最終戦の試合前に行われたメモリアルピッチで躍動。定番の「どうぞどうぞ」ギャグをはじめ、三浦大輔監督に扮した寺門が会場を沸かした。また、今回ピッチングを担当した上島は、ベイスターズの森敬斗内野手と一触即発の事態に。「イケメンだからって調子乗るな!」と森に顔を近づけ、あわやというところで「I LOVE YOU」と愛の投げキッス。森も投げキッスでお返しした。ダチョウ倶楽部のハマスタでの始球式は、2年ぶり6回目。寺門は、始球式の前に三浦監督に会ったと言い、「(マウンドに)行く前に、本人にお会いした瞬間、ちょっと緊張した」と本音がポロリ。上島も「本物の三浦監督はさわやか! 背も高いし、ぜんぜん違う」とベタ褒めした。これまで数々の芸能人やアスリートが犠牲になってきたダチョウ倶楽部のキスネタ。報道陣から次のターゲットを質問されて上島は「今はあの人、菅田将暉くん」とロック・オン。菅田は現在28歳。2018年に映画『あゝ、荒野』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。音楽活動もこなし、10月に最新主演作『CUBE 一度入ったら、最後』の公開が控え、役者として脂が乗っている。そんな菅田を上島は「好きなんだよ」と繰り返し、頬を赤らめていた。
2021年09月23日「えっ、あの2人って付き合っていたの?」。そんな驚きとともに、結婚報道に接することが増えていないだろうか。それも当然、芸能人の「秘め愛婚」が急増しているのだーー。「かつては大物芸能人の交際は、どんなに隠していても必ず噂が立つものでした。過去に2人の交際報道がありましたが、双方が強く否定したこともあり、完全に“なかった”ことになっていた。それだけに、今回の結婚は寝耳に水。まったくノーマークでした」そう語るのは、芸能レポーターの菊池真由子さん。世間を騒然とさせたお笑い芸人の有吉弘行(46)とフリーアナウンサーの夏目三久(36)の大物カップルの結婚。「自炊にハマっている」などと、有吉はことあるたびに独身生活を謳歌しているような発言をしてきたが、本誌が先週号でも報じたように、2人はおよそ3年前から同棲していたという。次を見てほしい。人知れず逢瀬を重ね、自らが結婚を報告する--。そんな「秘め愛婚」が急増している。■’15年8月22日発表:山本耕史(44)×堀北真希(32)’09年にドラマ共演で知り合い、山本が6年間アプローチ。電話番号を知った2カ月後に結婚し、世間を驚かせた。初めて外でデートしたのは結婚当日だったという。■’15年9月28日発表:福山雅治(52)×吹石一恵(38)’12年に写真誌が交際報道したが、破局報道もあり、マスコミはノーマークのなかで突然の結婚発表。今回の有吉と夏目の結婚に近い形だった。■’18年6月21日発表:玉木宏(41)×木南晴夏(35)6月21日に結婚することを事務所が認めた。6月26日に入籍。結婚のおよそ8年前に知り合い、2年前に交際を開始したという。芸能界随一のモテ男は本命を隠し通した。■’19年6月5日発表:山里亮太(44)×蒼井優(35)人目に触れない2カ月の交際を経て6月3日に入籍、5日に発表した。山里は両親や、蒼井を紹介してくれた相方の山崎静代にまで、結婚直前まで交際を伝えなかったという。■’19年6月6日発表:EXILE・AKIRA(39)×リン・チーリン(46)’11年の舞台共演をきっかけに知り合った2人。長らく友人関係だったが、’18年に交際に至ると、およそ半年間の日本と台湾の遠距離愛を実らせ、結婚発表。■’19年8月7日発表:小泉進次郎(40)×滝川クリステル(43)’18年に交際開始。この日、安倍首相(当時)に結婚と滝川の妊娠を報告し、政界を驚かせた。翌日に入籍。2人は一緒に外出したこともないほどの隠密交際だったという。■’19年8月8日発表:速水もこみち(36)×平山あや(37)’09年にネットに2人のデートの目撃情報が書き込まれたことはあったが、マスコミが交際を報じることはなかった。料理という共通の趣味で愛を育みゴールイン。■’20年10月23日発表:岡村隆史(50)×一般女性相手は有名人ではないが、世間の驚きは大きかった。“独身キャラ”を貫いてきた岡村が自身のラジオ番組で結婚を突如発表。相手は10年来交流のあった30代の女性だった。■’20年12月10日発表:松坂桃李(32)×戸田恵梨香(32)恋多き戸田が、松坂との2年間の秘め愛を成就させた。同じマンション内で、お互いの部屋を行き来していたことで芸能マスコミのマークをかわした。■’21年4月2日発表:有吉弘行(46)×夏目三久(36)’16年に交際報道があったが、両事務所の強い否定でマスコミもノーマークに。親族や友人のダチョウ倶楽部の上島竜兵にも内緒の5年にもおよぶ秘め愛を見事に完遂させた。ALL About恋愛ガイドの石田陽子さんが語る。「芸能人にとって結婚は大きな転換点です。結婚前にSNSなどで交際を示唆するような行為は“におわせ”といって嫌われますが、最後まで交際を隠して結婚したカップルはファンからも祝福され、好感度もアップする傾向にあると思います。プロ意識の高さを感じさせるからでしょうか」気になるのは「秘め愛」を成就させたカップルのその後だ。女性の生き方アドバイザーで心理学者の山脇由貴子さんはこう話す。「恋愛でも共通の敵がいると2人の結束力は強固なものになります。芸能人カップルの場合も、マスコミにバレないように秘密を共有する連帯感や緊張感が恋を大いに盛り上げていきます。秘めた交際を続けるうちに絆が強くなり、いつしか戦友のように。その信頼関係は結婚後もなかなか消えることはありません」実際に本誌は隠れた交際から解放されたカップルの仲むつまじい姿を確認している。家族仲よく歩く堀北と山本、身を寄せ合って笑う蒼井と山里。最近も写真週刊誌が、映画デートを楽しむ松坂と戸田の姿をキャッチ。秘め愛を経て「おしどり夫婦」にーー。そんな芸能カップルがこれからも増えそうだ。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月15日「志村さんが亡くなられたことは理解しているんですが、今でもコント番組以外での志村さんを見られないんです」そう語るのは昨年3月29日、新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさん(享年70)の付き人を’94年から7年務めた、弟子の乾き亭げそ太郎さん(50)だ。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)での眼鏡をかけた家来の姿は記憶している人も多いだろう。死から1年近くたったいまも、コントの役に扮装していない、トーク番組などでの志村さんの映像を目にすると、悲しみがぶり返してくるのだという。鹿児島県出身のげそ太郎さんは17歳のときに家出同然で東京に出た。23歳のときに、子どものころからテレビで見ていた憧れの志村さんの弟子になることを決意した。ちょうど、志村さんの運転手を募集していたこともあり、付き人に採用された。「いちばんの仕事は志村さんの送迎です。自宅までリムジンで迎えに行って、収録現場まで送ります。現場では食事の手配や、小道具の確認もします」志村さんの収録が終わっても、げそ太郎さんの仕事は終わらない。「志村さんはほぼ毎日飲みに出かけるので、その送迎です。お店から出てくるまで、何時間でも車の中で待機して、自宅まで送ったら付き人の仕事は終わりです」げそ太郎さんは車中での待機中に、リムジンの運転席でコントのネタを書くようにした。志村さんの番組のスタッフにお願いして、志村さんも出席する“ネタ会議”に提出させてもらった。「いちばん最初に僕がネタを出したときは志村さんが目を通したのか通してないのかわからないぐらいの速さで不採用になりました」しかし、めげずに何度もネタを出した。「ある日、僕が書いた家族コントを『これいいな』と採用してくれて……。そこから何回かネタが採用され始めたころ、『こいつ頑張ってるんでバカ殿様の家来役で使いませんか?』とディレクターさんが志村さんに提案したんです。『そうだな』って志村さんも賛同してくれました」その夜、麻布十番のイタリアンのお店に呼んでくれた志村さん。2人きりの食事だった。「『頑張ればできるだろう。もしかしたら(放送)作家の誘いがあるかもしれないが、芸人をやりたいんだったら、芸人をちゃんとやっていけよ』と言っていただきました」昨年3月下旬、志村さんが新型コロナに感染し重篤な状態になっているというニュースが流れてすぐに、げそ太郎さんは当時の付き人に連絡をした。「正直ギリギリのところです」そんな返事だったが、げそ太郎さんが住む鹿児島県は当時1人も感染者が出ておらず、どこか楽観しているところもあったという。だが、5日ほどたって志村さんの専属メークから電話があった。「志村さんが亡くなった……」げそ太郎さんは激しく動揺し、すぐにテレビをつけると「志村さん死去」というテロップが目に飛び込んできた。「全く整理がつかないまま僕とメークさんは声を上げて泣きました」志村さんが亡くなった夜、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(60)からビデオ電話がかかってきた。「上島さんが泣きながら『あのハゲ死んじゃったな』って言ったんですよ。それが僕の胸にすごく刺さってボロボロ泣いちゃいました」げそ太郎さんには、多くの番組で共演し、20年以上酒を酌み交わしてきた上島さんの悲しみが、その一言に集約されているように思えたという。(取材・文:インタビューマン山下)「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日「志村さんが亡くなられたことは理解しているんですが、今でもコント番組以外での志村さんを見られないんです」そう語るのは昨年3月29日、新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさん(享年70)の付き人を’94年から7年務めた、弟子の乾き亭げそ太郎さん(50)だ。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)での眼鏡をかけた家来の姿は記憶している人も多いだろう。鹿児島県出身のげそ太郎さんは17歳のときに家出同然で東京に出た。23歳のときに、子どものころからテレビで見ていた憧れの志村さんの弟子になることを決意した。ちょうど、志村さんの運転手を募集していたこともあり、付き人に採用された。「いちばんの仕事は志村さんの送迎です。自宅までリムジンで迎えに行って、収録現場まで送ります。現場では食事の手配や、小道具の確認もします」志村さんの収録が終わっても、げそ太郎さんの仕事は終わらない。「志村さんはほぼ毎日飲みに出かけるので、その送迎です。お店から出てくるまで、何時間でも車の中で待機して、自宅まで送ったら付き人の仕事は終わりです」’01年に付き人を卒業。’11年、鹿児島のテレビ局からの誘いを受けて、げそ太郎さんは活動の拠点を故郷・鹿児島に移した。’15年には鹿児島の仕事に専念するために『バカ殿様』と『志村魂』を卒業。会う頻度は減ったが、客として舞台を見に行ったときにはあいさつに行ったり、東京に行くときは会いに行ったりと、志村さんとの交流は続いていた。これからも続くと思っていたそんな日々は、新型コロナウイルスによって突然断たれてしまった。■「師匠がくれた仕事」背中を押した上島竜兵2月26日、げそ太郎さんは志村さんとの思い出をつづった『我が師・志村けん僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル)を出版する。亡くなった直後、メディアからの取材依頼が多数きた。しかし気持ちの整理がつかなかったげそ太郎さんはそれを断っていた。「そのことをダチョウ倶楽部の上島竜兵さんに伝えたら、『バカ野郎!それは師匠がお前にくれた仕事だから受けないとダメだろ』って怒られたんです」舞台や番組と、何度もチャンスをくれた志村さん。鹿児島に拠点を移してからも、志村けんの弟子という肩書に何度も助けられた。亡くなってなお仕事をくれる師匠に応えようと、げそ太郎さんは取材や書籍のオファーを受けるようになった。志村さんが亡くなってからしばらくして、げそ太郎さんは自室の一角に志村さんの祭壇を作った。志村さんが生前好んで飲んでいた焼酎を供えて、傍らには水着の女性のポスターを貼った。「志村さんの写真の周りをとにかく寂しくさせたくなかったんです。せっかくなら水着の女性のほうが喜ぶと思って」げそ太郎さんは祭壇に毎朝あいさつし、夜寝る前には志村さんの写真を眺めながら晩酌するのが日課になっている。「志村さんに『お疲れさまでした』と言って飲んでいます。でも僕はお酒が弱いので焼酎1にお湯9で割って飲むのです。そんなのを志村さんに見られたら『酒がもったいない!』って間違いなく怒られますよね(笑)」希代のコメディアンをそばで見てきた者の1人として、げそ太郎さんはその軌跡をこれからも語り継いでいく。(取材・文:インタビューマン山下)「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日1月8日に公開されるやいなや『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』を制して、1位を獲得した映画『銀魂 THE FINAL』。その公開を記念して、歴代の担当編集者に原作者・空知英秋と『銀魂』の舞台裏についてたっぷりと語り明かしてもらった。現在公開中の映画『銀魂 THE FINAL』。1月8日に全国で封切られると、全国映画動員ランキング(興行通信社調べ)で12週間連続首位を独走していた『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』を制して、1位を獲得。アニメ『銀魂』史上最大の大ヒットとなるスタートを記録した。タイトルどおりファイナルとなる本作で描かれるのは、原作のラストをベースとしたエピソード。2019年に約15年に及ぶ連載は完結を迎え、まさに本作は『銀魂』の総決算となる作品だ。デビューの段階で年齢詐称疑惑!?まず語ってもらったのが、空知と初代担当編集・大西の出会い。空知のデビュー作となったのは、第71回(2002年6月期)天下一漫画賞佳作受賞の『だんでらいおん』 (『週刊少年ジャンプ』2002年42号掲載)。見ためはイカつい天使連盟送迎部の天使2人組が、成仏できない幽霊をあの世に送るという物語で、すでにそこには2003年に同誌でスタートする『銀魂』(2004年2号)につながる味わいが。さて、その作品に対して、編集部内ではこんな驚きと疑惑もあったのだとか!?初代担当・大西恒平(『週刊少年ジャンプ』メディア担当編集長)大西 出会いは20年くらい前になるんですが、空知さんが漫画賞に応募されてきて、『だんでらいおん』という作品だったんですが、そのとき僕はまだ編集者として2年目で、賞を取った有望な新人を担当できる制度があったので、担当させてもらうことになりました。最初に会ったのはそれから半年後くらいですかね。僕が北海道に行きまして、初めて会って……という感じでした。最初からだいぶ老成した作風だったので、年齢をごまかしてるんじゃないかと編集部の皆が言っていて(笑)。僕も怪しいなと思いつつドキドキしながら会ったんですが、本当に若者でした(笑)。本田 『だんでらいおん』の(原稿の)裏に、「空知英秋(無職)」って書いてあったんですよね。すごく歴史を感じます。大西 周りの人には誰にも言わずこっそり漫画を描いていたらしくて、自分の中でラストチャンスだと思ってたみたいで。駄目だったら就職しようと思ってたのが、入賞したからやってみようかっていう感じだったらしく、それで「無職」ってことだったのかと。4&6代目担当・本田佑行(『週刊少年ジャンプ』編集部主任)本田 マンガが賞に通らなかったら何するつもりだったんですかね!?大西 何かしら普通の平凡な仕事をやってたんじゃないですかね(笑)。編集者から見た空知英秋はどんな人?謎も多い、作者・空知英秋。素顔に触れている編集者から見て、果たしてどんなキャラクターなのか。いろいろ聞き出したかった中で、んっ? 気づけばいつしか話は原稿が遅いというテーマに!?設問の答えは、「原稿が遅い人」ということでまぁひとつ……。2代目担当・齊藤優(『週刊少年ジャンプ』副編集長))齊藤 器がちょーデカイっていう。ほかの作家さんだったらありえないんですが、一回、原稿が遅れて本当にヤバイときにアシスタントさんじゃなくて僕が「ザーン」とか書き文字を書いたんです。最後に空知先生が原稿をチェックしてるときに、「おい! 誰だこの汚い書き文字!!」ってなって「僕ですね」って言ったら、「齊藤さんかよ! ……じゃあしょうがねぇな」って(笑)。井坂 それ“器かデカイ”じゃなくて、“原稿が遅い”だけですよ。器じゃない(笑)。8代目担当・真鍋廉(『Vジャンプ』・『最強ジャンプ』編集部))真鍋 原稿の話で言うと、長時間待つということで僕らは現代の手塚治虫先生番だなと思っているんですが、『ブラック・ジャック創作㊙話~手塚治虫の仕事場から~』(※手塚治虫の創作の現場を描いた宮崎克・吉本浩二のノンフィクションコミック)の中で、原稿が上がらな過ぎて追い込まれた担当が、手塚プロダクションの壁を破壊するっていうシーンがあるんですが、ちょっとそれ、分かるなって(笑)。井坂 だから仕事場の椅子が1個壊れてたんだ!?真鍋 それは僕じゃない!(笑)描いている本人がすなわち銀さん!?一向に止まることのないばかりか、過熱する原稿取りの苦労話。しかしそれでも担当者たちが心折れないのは、上がってくる原稿の出来はもちろん、空知の人柄あってこそ!本田 漫画家としてすごいところももちろんあるんですけど、人間味がすごく強くて。でもギリギリの締め切りの日は世界で一番嫌いになるんですよ。9代目担当・井坂尊(ジャンプコミック出版編集部・『ONE PIECE』メディア担当)井坂 分かる~(笑)!本田 でも終わってボロボロになって原稿入れて、次の日打ち合わせに行って、「すみませんでした。今週はいけると思ったんですけどね。来週は頑張ります。飲みに行きましょう」と言われると、もう一回好きになっちゃうんですよね。来週は信じてみようかなと思うと、また裏切られるんですが(笑)。真鍋 本田さんが言ってたように、次は信じてみようかなというのを毎週繰り返しながらやってた感じです。井坂 信じてたの!? 僕は信じたこと1回もないですよ。絶対に終わらないと思ってたもん(笑)。7&10代目担当・内藤拓真(『週刊少年ジャンプ』編集部)内藤 僕も信じてた派です。「大丈夫です。来週描くことは見えてます。描けばいいだけなんですよ」みたいな感じなんですけど、「描けばいいだけ」が長いっていうのが(笑)。齊藤 本当に頑張ってくださっていることに関してはまったく疑いはないんですけど、読みが甘すぎるっていう(笑)。懐の深さみたいなものはすごいと思いますね。人たらしがすごいです。5代目担当・松尾修(マンガMee編集部)松尾 人たらしがすごいですよね。本田 だから銀さんなんですよ。空知英秋のここがすごい!映画『銀魂 THE FINAL』大ヒット公開中 (C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会編集陣から飛び出すトークはなんだかディスりばかり!?いやいや、それだけぶっちゃけて語れるのも作家と担当の絆あってのもので、“『銀魂』魂”ある編集者たちゆえ。もちろん漫画家・空知英秋のその才能もちゃんと理解していて、こんな分析も……。井坂 実はすごい理論派で、漫画も流行っているものをちゃんと読んでいて。「この作品はここがいい」っていう話を打ち合わせのときにもしていて、考えてるんだなって。齊藤(別作家の)新連載が始まったときも「これどうですか?」って聞くと、細かい話はなくて、言うことはシンプルなんですが、「これがこうだからこうじゃない?」ってめちゃめちゃ芯を突いていて。あれはすごいセンスだなって思います。大西 客観視する力はすごいと思いますね。世の中のことをいつもずっと観察して、それを作品の中でキャラクター作りやストーリー展開に活かすという。プラスに解釈して言えば、そういうところに時間がかかって原稿が遅くなっちゃうのかなって(笑)。編集者なのに握手の行列ができた!『銀魂』歴代編集者実は漫画の中にも登場している、歴代の編集者たち。この座談会そのままに(!?)、毒を吐いたり、気を吐いたりする姿が内輪の小ネタやパロディで描かれていて、ファンにとってはおなじみの存在でもはや作中のいちキャラクター! 連載中には、こんな出来事も!!真鍋 担当編集も作品の一部みたいになっていて。印象的だったのは、僕の担当時代に『大銀魂展』(2016~2018年)というのをやっていて、僕らはノベルティの名刺を作って入場のところで皆さんに配ってたんですね。 そのときに大西さんに握手の行列ができて。アイドルみたいでしたね(笑)。大西 もちろんお願いされたからやってたんですけど、その後、それを見た誰かにSNSで「大西が調子乗ってる」とか書かれたりして、それを言ったら断るほうが調子乗ってるみたいじゃない?って、なんだか割り切れませんでしたけど(笑)。史上最大級の全面協力の経緯は?映画『銀魂 THE FINAL』大ヒット公開中 (C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会今回の『銀魂 THE FINAL』では、その制作において空知が全面協力。映画では初となるティザーイラストの描き下ろしに始まって、また自身初の試みとなる原画4カットの描き下ろし、さらに入場者プレゼントでなぜか『鬼滅の刃』の「炭治郎&柱イラストカード」全10種類の描き下ろしといった試みまで!加えて、TVシリーズ以来2度目となる声優出演も果たしている。今回のこの全面協力が実現した経緯を聞いてみると、えっ? そういうこと!?内藤 連載が終わって暇だろうということで(笑)。本田 本当に暇してたの!?内藤 普通、作家さんには連載が終わったあと「アニメのキャラデザしてください」とか「ゲームのキャラデザしてください」とか話が来るんですけど、空知さんのところには「ゴリラにならって鋼のメンタルを手に入れよう」みたいな本(『鋼のメンタルを手にいれる ゴリラ式メタ認知トレーニンク』)の表紙を描いてくださいという話しか来なくて(笑)。井坂 唯一ね。唯一の仕事(笑)。内藤 ただ、『銀魂』自体はこれで本当に終わっちゃうから、やはり最後に何か関わりたいとも言われていたので、「“原作・空知英秋”“作画・空知英秋”“声優・空知英秋”みたいな感じになったら面白いんじゃないですか?」と話していて。それで全部いいですよということになったんですが、声優は一回しぶられて。TVシリーズでも声の出演をしてもらったことがあって、「チーズ蒸しパンになりたい」っていうやつなんですけど(第内の『空知のひとりごと』の本人役)、あれが本当にイヤだったみたいですね(笑)。それで今回も「このセリフだけなので声優をやってほしいんです」って頼んだんですが、「絶対なんかほかにもいろいろ言わせる気だろう!?」という押し合いはありました(笑)。大西 収録が終わった後まで言ってましたもんね。「絶対これだけじゃないんですよね!?」って(笑)。本田 それ、(ダチョウ倶楽部のお約束の)“押すな!押すな!”じゃないんですか? 本当はやりたかったんじゃないですか?(笑)“終わる終わる詐欺”の裏側では……映画『銀魂 THE FINAL』大ヒット公開中 (C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会2018年、TVシリーズの『銀ノ魂篇 後半戦』がクライマックスを迎え、実写映画『銀魂2 掟は破るためにこそある』公開で盛り上がる中、8月20日発売の『週刊少年ジャンプ』38号で発表されたのが、あと5回で最終回を迎えるという告知。これが大きなニュースとなった中で、その最終回となる42号で「やっぱり終われなかったァァァ!!」の叫びとともに空知からの謝罪文と、『ジャンプGIGA』への移籍を発表。しかしそちらでも最終回を謳いながらやはり閉められず、さらに『銀魂公式アプリ』に媒体を移して2019年6月17日配信でついに終わるはずだったのが、配信日が延期されることに。そして6月20日配信の704話『天然パーマにロクな奴はいない』でようやく完結を迎えることとなった。ネットでは“終わる終わる詐欺”とも言われた完結をめぐる動きの裏側で編集者たちは!?『銀魂』歴代編集者本田 井坂、本誌の最終回の近辺で、近藤勲が出てきた瞬間に「終わるつもりねぇな、この人」って言ってたよね?。井坂 ゴリラ(=バブルス女王)と近藤の結婚式を始めたときに、「コイツ、終わらせる気ねぇじゃん!」って。実際、終わらなくて、テニプリの歌を歌ってたから(※最終回の予定回で『テニスの王子様』のパロディを展開)、“頭おかしいのかな!?”って思いました(笑)。すぐSQ(『新・テニスの王子様』連載の『ジャンプスクエア』)に電話して、許斐剛先生の担当にいいですかって確認取ったりした記憶が(笑)。終わらないってことで、ずっと大西さんとどうしましょうかって話してましたね。真鍋 僕が担当のときに「本誌で何月に終わります」みたいなことを決めたはずだったんですよね。そのくらいで井坂さんに交替して、案の定終わらなくて。僕はもうそこから全部ぶん投げた感じです。あらためて語る『銀魂』の魅力映画『銀魂 THE FINAL』大ヒット公開中 (C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会ギャグを見ていってもバリエーションは多種多様で、アクションに人間ドラマと、さまざまにファンの間でも業界内でも語られてきた『銀魂』という作品の魅力。では、その作品作りにも携わって、一番近いところで裏も表も見てきた編集者たちにとって、あらためて『銀魂』の魅力とは? そこにはやはり担当だったからこそ語れる表現と逸話が!齊藤 とにかく似てる漫画がほかにないってことだと思いますけどね。オンリーワン感がすごい!井坂 “俺たちの『銀魂』”感ですかね。遠くへいかない。汚いことやるし、ふざけているし、売れ過ぎないし(笑)。『ONE PIECE』とか『鬼滅の刃』くらいになると“みんなの『銀魂』”になっちゃう。『銀魂』は「俺は分かってるんだよ」っていう感じがファンにとってあるんじゃないですか。トガッてる分、理解できるとめちゃめちゃ楽しいっていう。大西 高級フランス料理っていうよりは、くさやみたいなね。井坂 好きな人はめっちゃ好きっていう。本田 もう手放せなくなっちゃう。齊藤 全然おしゃれじゃないんだけど、すごいマニアがいるみたいな。井坂 (ラーメン)二郎です、二郎(笑)。本田 僕はあれですね、『銀魂』は生き急いでるところがすごいオンリーワンというか、今この瞬間、死んでもいいと思いながら毎週・毎ゴマやってる感じがするじゃないですか。バトルでも真面目な展開でもギャグでも。今この瞬間、打ち切りになってもいいという気持ちでやっている感じに、ほかの漫画では味わえないゾクゾク感があるので。それはアニメーションにもありますよね。齊藤 そのくせ、結婚式に何ページも使ってペースを崩さないみたいな。誰がどう考えても、今これにページ使ってる場合じゃないんですよっていう(笑)。本田 思いついちゃったらそれを骨までしゃぶり尽くさないと、2度とそれに手を出せなくなっちゃうから、しゃぶり尽くしてから手放すんだっていつも空知さんおっしゃってましたね。松尾 銀魂だったらなんでもありっていうふうな前例を作ったのはすごいなと思っていて。僕が担当しているときに「これ、誰に許可取ればいいんだろう?」と思う案件もあったりして(笑)。今回の映画の描き下ろし「炭治郎&柱イラストカード」もそうで、『銀魂』やってくれたなっていうふうに、アメーバのように周りを取り込んで全部銀魂にしちゃうっていうところが銀魂らしいなって思いますね。気になる続編の可能性と新作の展望は!?『銀魂』歴代編集者果たして本当に終わりなのかということ含めて、気になるのが続編と、新たなる作品。もうそのあたりについてもズバッと聞いてみた。内藤 まったくわかりません。もし新作があるとしたら、ジャンプの目次コメントで空知さんがご自分の言葉で帰還を報告されると思うので、それを待っていただければいいんじゃないかなと思います。大西 続編はないと思いますよ。分からないけれど、作家が何十年か後にお金がまったくなくなったらなんか……。松尾 『銀魂2』みたいな!?大西 『帰ってきた銀さん』みたいな(笑)。本田 今回の映画を観たら、これ以上はもうないですよね。みんなの心の中で銀は生き続けるんですよ!『銀魂 THE FINAL』を編集者たちはこう観た!!映画『銀魂 THE FINAL』大ヒット公開中 (C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会最後に語ってもらったのが、まさに『銀魂』の集大成となる今回の作品について。編集者たちは、映画『銀魂 THE FINAL』を観て何を感じたのか。この座談会についても最後の最後まで、『銀魂』の担当陣らしさ全開です……。内藤 もちろんマンガで1回読んでいるんですけど、15年くらいやった作品の最後だったというのもあるし、そこに声優さんたちの演技や動きが加わって、関わってきた人間としてはグッと来る感じではあって。僕は号泣しましたけど……そうでもなかったですか!?本田 井坂はどうだった? 内容は井坂が担当してたときのものだもんね?井坂 僕は観ながら、「このとき14時間くらい待ったな」とか、「このとき(TVシリーズで監督、今回の映画で脚本・監督も務める)宮脇(千鶴)さんにこう言われたな」とか。「井坂さん、こんなの2時間の尺に入るわけないでしょ!」「大丈夫です、要らないところいっぱいあるんで摘まんでください!!」というやりとりを思い出して……ちょっと涙が出てきましたね(笑)。真鍋 僕もうるっときたんですけど、どっちかって言うと井坂さんと同じで担当当時の、主にアニメスタッフとのやりとりを思い出して、申し訳なさというか。関わってくれたすべての人たちに本当にごめんなさいっていう気持ちで観てましたね(笑)。松尾 『銀魂』ってこんなに殺陣シーンが多かったっけ?って思ったんですけど、見応えがありましたね。2時間、あっという間だなという感じがしましたね。齊藤 あっ、最後はこういう話だったんだっていう(笑)。僕、本誌の校了(編集作業)で何年か掛けて読んでいて、それをキュッとしてくれたことでようやく全体像が分かるっていう。そういう意味ではきれいな映画だなと思いましたね。本田 本誌で読んでるときは載ってる媒体がどんどん変わっていって、19ページが40何ページになったりもするから、頭がすごくこんがらがったんですけど、映画で観て初めて『銀魂』ってこういう終わり方をしたんだって知りました(笑)。良かったですね。井坂 知らなったんですか!(笑)真鍋 『銀魂』を少しでも好きだった人が観るとやっぱりグッと来ますよね。大西 僕は、漫画の最後のほうはそんなに真剣に読んでなかったんですけど(笑)、うまく映画でまとめてくれていて、流石にグッと来ましたね。本田 『銀魂』の本当の最終回は映画だったんですね…。大西 原作を途中までしか読んでなかった人でも、楽しめる作りになっていたと思います!『銀魂』歴代編集者映画『銀魂 THE FINAL』大ヒット公開中■原作:空知英秋(集英社ジャンプコミックス刊)■監督/脚本:宮脇千鶴 ■監修:藤田陽一■声の出演:杉田智和、阪口大助、釘宮理恵 ほか ■アニメーション制作:BN Pictures■配給:ワーナー・ブラザース映画 (C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会
2021年02月05日多くの女性にとって悩みの種である、月経(以下、生理)。2021年1月4日放送のバラエティ番組『真夜中の保健室』(日本テレビ系)では、生理について特集しました。指原莉乃、PMSの悩みに共感の声この日の放送では、PMS(月経前症候群)についてトークする一幕が。PMSには、乳房の張り、食欲や睡眠欲の変動などの身体的なものや、イライラ、憂うつ感といった精神的なものなど、さまざま症状があります。同番組に出演していたタレントの指原莉乃さんは、「PMSでどうしようもなくイライラすることがある」と告白しました。PMSは特に酷いほうで。もう全部が嫌になってワーッと暴れて、もしその時に付き合ってる人がいたら、その人にもビックリされちゃうくらい大暴れして。真夜中の保健室ーより引用また、指原さんはPMSによって、おかしな理由でイライラしてしまうことがあるそうです。イライラして泣いちゃうんです。いっぱいいっぱいになって。「酷い!」とか。全部の感情のリミッターが外れるみたいになっちゃう。CMを見てたら、『ダチョウ倶楽部』の上島さんだけ出てたんですよ。それに対して「なんでだよ!」って!真夜中の保健室ーより引用指原さんは、お笑いトリオ『ダチョウ倶楽部』の上島竜兵さんのみが出演するCMを見て「どうして『ダチョウ倶楽部』を3人揃って出演させないの!酷い!」とイライラしてしまったのだとか。指原さん自身も当時を振り返り、「なぜそんなことでイライラしてしまったのか分からない」と、スタジオの笑いを誘っていました。指原さんの悩みに、視聴者からは多くの共感の声が上がっています。・指原さんのエピソードには笑ってしまいましたが、意味不明なことに対してイラっとしてしまうの、すごく分かります!・「イライラして泣いちゃう」っていうのとても共感しました。泣きたくないのに涙が出て、そのことにさらにイライラします。・PMS前のイライラはどうしようもないですよね。でも、パートナーが理解してくれないので、こういう何気ないエピソードを広めてくれるのは本当にありがたい。・生理に関する悩みについて、バラエティ番組で取り上げてくれて嬉しい。こういう形で、もっと理解が広まってほしいな。指原さんのエピソードに共感する声のほか、生理の話題を取り上げた番組への感謝や、応援の声もたくさん上がっていました。バラエティ番組などによって、今までタブー視されがちだった生理について、正しい知識や理解がもっと広がると嬉しいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年01月06日特別企画「100人が選ぶ松竹映画」が特設サイト( )にて本日より公開された。「100人が選ぶ松竹映画」は、各界で活躍する100名が「好きな松竹映画」を選び、その作品についてのコメントを寄せたもの。1920年に松竹キネマ合名社を設立し蒲田撮影所を開所して以来、100年にわたり約5,000本の名作、話題作を製作・配給し続けてきた。今年は「松竹映画100周年」の記念の年としてこれまで1年をかけて国内での特集上映、展示、海外映画祭での特集上映、TVでの特集放映など、さまざまな取り組みを行ってきたが、その締めくくりとして「100人が選ぶ松竹映画」が企画された。6月から参加しているポン・ジュノ監督や松坂桃李に加え、山田洋次、倍賞千恵子、大泉洋、広瀬すずらも参加。俳優陣からは、竹中直人や毎熊克哉、お笑い芸人では、上島竜兵(ダチョウ倶楽部)、昴生(ミキ)、木本武宏(TKO)、映画監督では、本広克行、山崎貴、橋口亮輔、音楽業界からは、石井竜也、堀込高樹(KIRINJI)、コトリンゴらが参加している。・山田洋次『東京物語』世界中の映画人が、この作品を映画史の中でのNo.1にあげることについて異論はない筈です。この作品が作られた松竹大船撮影所で修行したことを、そして小津監督の謦咳に接する機会があったことを、ぼくは心から誇りに思っています。・倍賞千恵子『下町の太陽』当時私が歌ったデビュー曲「下町の太陽」がヒットしたことがきっかけで映画化されたのがこの作品です。私も下町育ちなので、 町工場や路地など、住んでいた町と映画に出てくる町が似ていて、まるで近所に住んでいそうな人が出てきて、撮影がとても楽しかったのを覚えています。この作品で、私は「庶民派女優」と呼ばれるようになって、そしてこれが山田洋次監督との初めての仕事で、ここから『男はつらいよ』シリーズにつながっていったのだと思うと、自分の俳優人生を決定づけた、大切な記念すべき作品です。」(一部抜粋)・大泉洋『蒲田行進曲』私の好きな松竹映画は『蒲田行進曲』です。初めて見たのは、10代半ばくらいだったでしょうか。今まで見てきた映画やドラマとは役者の芝居が明らかに違う気がして、とても惹きつけられたのを覚えています。今思えば、この映画の役者の演技は映画の演技というより、つかこうへいさんの舞台の熱気をそのまま映像で再現したような演技だったのではないでしょうか。ヤスの階段落ちの後の平田満さんと風間杜夫さんの熱演がめちゃめちゃかっこよかった。スピーディーな物語の展開、心を鷲掴みにされる役者達の演技。今でも、こんな映画に出られたら良いなぁと憧れる作品です。・広瀬すず『舟を編む』言葉集め、それは馬締さんにとっては宝探しのようで、あのキュートさがとっても魅力的でした。言葉を落としていくような感覚で使いたくなくなる気持ちになりました。言葉を発することで時代を感じるように、私ももう少し歳を重ねたら、この映画に新たな共感が生まれ、より楽しい世界を見られるのかなと思いました。自分だけに送ってくれる言葉で、どれほど救われていくのか、これからの人生の楽しみが増えました。高揚を感じながら、モノ作りするということは、深呼吸も大切ですね。とても優しい作品でした。100人の選出者は下記の通り。山田洋次(映画監督)/ 倍賞千恵子(俳優) / 朝原雄三(映画監督)/ 足立紳(脚本家)/ 安藤紘平(映画作家、早稲田大学名誉教授) / 石井竜也(アーティスト)/ ダチョウ倶楽部・上島竜兵(芸人) / 上田慎一郎(映画監督) / 大泉洋(俳優) / 沖田修一(映画監督) / 乙一(作家・映画監督) / 笠井信輔(フリーアナウンサー) / TKO・木本武宏(お笑い芸人) / 黒沢清(映画監督) / ミキ・昴生(お笑い芸人) / コトリンゴ(音楽家) / 紺野ぶるま(芸人) / 近藤良平(振付家・ダンサー) / 澤本嘉光(CMプランナー / クリエイティブ・ディレクター) / オジンオズボーン・篠宮暁(お笑い芸人) / 嶋浩一郎(クリエイティブ・ディレクター、編集者) / 高崎卓馬(電通 エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター) / 竹中直人(俳優) / 立川志らく(落語家) / 塚本晋也(映画監督) / 中野量太(映画監督) / 橋口亮輔(映画監督) / 林家たま平(落語家) / 樋口尚文(映画評論家・映画監督) / 広井王子(演出家・プロデューサー) / 広瀬すず(女優) / 富貴晴美(作曲家) / 堀込高樹(KIRINJI・ミュージシャン) / ポン・ジュノ(映画監督) / 毎熊克哉(俳優) / 松坂桃李(俳優) / 松原タニシ(事故物件住みます芸人) / みなみかわ(お笑い芸人) / 本木克英(映画監督) / 本広克行(映画監督・演出家) / goen°・森本千絵(コミュニケーションディレクター・アートディレクター) / 安川午朗(劇伴音楽家) / 山崎貴(映画監督) / 飯島千鶴(川越スカラ座番組編成担当) / 池ノ辺直子(映画予告篇ディレクター) / 石井達也(リアルサウンド映画部編集部) / 石塚慶生(松竹プロデューサー) / 石飛徳樹(朝日新聞記者) / 磯谷貴彦(岐阜土地興業株式会社取締役企画本部長) / 市山尚三(映画プロデューサー) / 榎本雅之(株式会社浜松市民映画館シネマイーラ館主) / 大崎章(映画監督) / 大高宏雄(映画ジャーナリスト、文化通信社・特別編集委員) / 大塚史貴(映画.com 副編集長) / 岡 大(映画ナタリー編集長) / 岡政人(ぴあ編集長) / 奥田誠治(松竹エグゼクティブプロデユーサー) / 景山理(シネ・ヌーヴォ、シネ・ピピア代表) / 木全純治(シネマスコーレ代表取締役) /酒井宏幸(テアトルサンク支配人) / 柴田寿美子(萩ツインシネマ支配人) / 下田桃子(MOVIE WALKER PRESS編集長) / 下村麻美(シネマトゥデイ編集長) / 徐昊辰(映画ジャーナリスト) / 関口裕子(映画ジャーナリスト・編集者) / 高島幹雄(フリーランス・ディレクターなど) / 田上真里(長野相生座・ロキシー取締役支配人) / 竹石研二(深谷シネマ館長) / 竹内守(株式会社京都映画センター代表取締役) / 立田敦子(映画ジャーナリスト) / 蔡剣平(映画研究者・評論家) / 椿原敦一郎(シネマシティ株式会社番組編成部部長) / ディック・ステゲウェルンス(日本近現代史家(准教授)) / 戸川喜史(株式会社序破急取締役銀幕部長) / ドン・ブラウン(字幕翻訳者) / 内藤由美子(シネマヴェーラ渋谷支配人) / 西本佳弘(宇部シネマスクエア7支配人) / 野中俊雄(有楽興行株式会社専務取締役) / 花俟良王(映画館「新文芸坐」勤務) / 平池由典(文化通信記者) / ファブリス・アルデュイニ(パリ日本文化会館映画担当) / フィルマークマ(国内最大級の映画レビューサイトのマスコットキャラクター) / 深田誠剛(プロデューサー) / 北條誠人(ユーロスペース支配人) / 細谷美香(映画ライター) / 洪相鉉(全州国際映画祭プログラミングアドバイザー) / マーク・シリング(映画評論家) / 前野裕一(キネマ旬報副編集長) / 増當竜也(映画文筆) / 増谷文良(川喜多記念映画文化財団鎌倉市川喜多映画記念館専任担当) / 水川満(福武観光株式会社本部長) / 溝口秀治(TOHOシネマズ番組編成) / 宮久保伸夫(大蔵映画株式会社目黒シネマ劇場支配人) / 村岡実(佐世保シネマボックス太陽支配人) / 森裕介(ミッドランドシネマ名古屋空港支配人) / 森健太郎(株式会社コロナワールドシネマ事業部次長) / 矢島孝(松竹プロデューサー) / 矢田部吉彦(東京国際映画祭作品選定ディレクター) / 山崎紀子(シネ・ヌーヴォ支配人)■公開情報松竹映画100周年記念特集上映「松竹映画100周年 “監督至上主義”の映画史」11月21日(土)~12月25日(金)神保町シアター上映スケジュール: 「松竹映画100年の100選」公式サイト:
2020年12月09日EXILE/三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEのNAOTOが20日、YouTube公式チャンネル『EXILE NAOTO オネストTV』に出演。動画「【セルフ焼肉】美味しいお肉を食べてゆるく話してたらなんかシビアな話になったんだけど大丈夫?」内で、映画『フード・ラック!食運』(公開中)で初共演した女優・土屋太鳳とのエピソードを披露した。ダチョウ倶楽部の寺門ジモンが初監督を務めた映画『フード・ラック!食運』で、主人公の良人を演じたNAOTO。撮影で苦労したことについて聞かれると、クライマックスのシーンを振り返り、「溜め込んでた感情がすべて湧き上がるシーンがあって。台本を読んだときに、大変そうだなと思ってた」ことを告白。本番では、なんとか気持ちを作ることができたものの、「現場に入ったら、意外と待つことがあるわけ。そうすると、どんどんリアルになってきちゃって……」と気持ちが冷めてしまったことを明かした。当初はそのシーンだけを撮影する予定だったが、そんなNAOTOの様子を察した土屋が、「『前のシーンから撮ったらどうですか?』と提案してくれた」そうで、「その気遣いに感動して……。“神アシスト”をもらいました」と感謝しきり。「どうしよう? どうしよう? って思ってたんだけど、前のシーンからやることによって、そこに向かってより感情が作りやすかった」と撮影を振り返ったNAOTOは、土屋の機転のおかげで、「自分の中でも、ジモンさんも太鳳ちゃんも、みんなが納得いくシーンになった」と話していた。
2020年11月28日