ミッフィーの友達「ボリス」と「バーバラ」のダブルウォールグラスが、ダブルウォールグラス専門店「グッドグラス(GOODGLAS)」から登場。2022年6月20日(月)より、新宿マルイアネックスの限定イベントで発売される。ボリス&バーバラの新作ダブルウォールグラス発売後に"即完”を記録した「ミッフィー」のダブルウォールグラスに続き、ミッフィーの仲間である、少しおっちょこちょいなくまの「ボリス」と、しっかり者のガールフレンド「バーバラ」が新作として仲間入り。飲み物を注ぐたびに、内側の層にデザインしたキャラクターのフェイスが浮かび上がる、「グッドグラス」お馴染みのキュートなビジュアルを楽しむことができる。取っ手付きの"マグタイプ”でグラスはガラス職人による手作りで、取っ手のついた"マグタイプ”として登場。ー20℃から120℃まで対応した耐熱仕様のため、オールシーズン楽しめるのも嬉しいポイントだ。セット使いもおすすめ単体ではもちろん、「ボリス」「バーバラ」のセット使いで楽しむと、より可愛さもUP。それぞれ専用ボックスも付属するため、大切な人へのギフトとしてもおすすめしたい。【詳細】「ボリス」/「バーバラ」ダブルウォールグラスマグタイプ 各4,345円発売期間:2022年6月20日(月)~7月3日(日)展開店舗:新宿マルイ アネックス 1階 イベントスペース「グッドグラス」期間限定イベント内住所:東京都新宿区新宿3-1-26※グッドグラスジャパン公式サイトでは、6月18日(土)から販売。<仕様>材質:ホウケイ酸ガラス仕様:耐熱 ー20℃~120℃サイズ:D12.7cm、H7cm ※手作りのため個体差あり容量:130ml手作りのため個体差ありパッケージ:専用ボックス
2022年06月20日8日(現地時間)、人気ランジェリーブランド「ヴィクトリアズ・シークレット」(以下、「VS」)のファッションショーがニューヨークで開催された。今年のショーは「VS」の幹部が「準備期間に丸1年かけ、例年より壮大なショーになる」と約束していた通りのものに。パフォーマンス・アーティストは増え、ビービー・レクサとホールジーは、エンジェル(モデル)顔負けの露出度の高い派手な衣装でパフォーマンス。さまざまな理由で昨年は出演できなかったモデルたちも復帰し、ショーはより一層華やかさを増した。出産のためしばらくショーを遠ざかっていたベハティ・プリンスルーの夫のアダム・レヴィーン、バーバラ・パルヴィンと交際中のディラン・スプラウスなど、エンジェルたちの交際相手が応援に駆け付けていたのも印象的だ。復帰したエンジェルもいれば、卒業を決めたエンジェルも。1999年からこれまでに18回のショーに出演してきたアドリアナ・リマは、SNSで卒業を発表し「翼をくれるだけじゃなくて、羽ばたくことを教えてくれた」として「VS」に感謝の意を表した。毎年ゴージャスさが話題となる“ファンタジー・ブラ”は、今年は「ドリーム・エンジェルズ」と名付けられた約1億円のブラをエルザ・ホスクが着用。「スワロフスキー」の2100個の合成ダイヤモンドで作られており、「ホンモノのダイヤじゃないのに、なぜそのような価格に?」という疑問の声も上がっていたが、美しい輝きを放っていた。(Hiromi Kaku)
2018年11月10日「いつも笑顔で」「前向きに考えて」――いつもポジティブなバイブスを発するバーバラ植村さん(69)は、シンガー・AI(35)の母。ハーフで日本語もわからずに来日したがゆえの差別や苦労、それを乗り越えた実体験からくるメッセージは、鹿児島や全国の悩める人に元気を与え続けている――。 講演会講師、作家、タップダンス講師・振付師、イラストレーター、ボランティア団体主宰者など、多方面で活躍し、地元の人気情報番組『かごしま4』(南日本放送)で週1回、コメンテーターを務めるバーバラさん。鹿児島では、街を歩いているとサインを求められるほどの有名人だ。 バーバラさんは’48年4月10日、アメリカ・ワシントン州で生まれた。父・遠藤正美さん(’96年没・享年80)は、米国生まれ、静岡育ちの日系2世。その後、米国に戻り、第二次世界大戦時、合衆国史上最も多くの勲章を受けた日系人部隊442連隊に所属していた。イタリア駐屯中、ジョバンナさん(91)と恋に落ち、結婚。だから、バーバラさんは日本人とイタリア人のハーフ、AIはクオーターだ。 陸軍退官後は一家でロサンゼルスに移り、夫婦は「スキッド・ロウ」と呼ばれる地域の小さなホテルの管理人として、住み込みで働いた。 「スキッド・ロウはホームレスが多くて、酔っぱらいが多くて、ヘロイン中毒の人が多くて。道端で普通に人が寝てる街。汚くて、サイテーな場所(笑)。そこで私は5歳から15歳まで育ったの」(バーバラさん・以下同) 母・ジョバンナさんは、ホームレスも、黒人も、メキシコ移民も差別せず、いつもニコニコと挨拶する人だった。 「でも、私はハーフだから、日系人からも、白人からも差別されたね」 スキッド・ロウに隣接するリトル・トーキョーの日系人学校には「ハーフだから」という理由で入学できなかった。短期的だが、高級住宅地の白人学校に転校した小5のときも、最初は歓迎し、仲よくしてくれたクラスメートたちが、父親が日系人とわかった途端、手のひらを返した。 「誰も挨拶を返してくれない。私が近寄ると、それまで楽しそうにおしゃべりしていた友達が、みんな急に逃げていった。好きだった男の子も私を無視。すごく悲しかった」 第二次世界大戦の記憶が、人々の心に鮮明な時代だ。 「友達のなかには、日本との戦争でお父さんの脚がなくなったり、親戚の人が死んだ子もいて。みんな日本人が嫌いでした。でも、悲しかった。だから、私は絶対、差別しない。それは娘たちにもずっと言ってきました」 その後、不動産取引の会社で、バリバリ働いていた31歳のころ、ロスで現地法人を立ち上げた夫・植村久さん(65)と出会った。久さんに誘われ、遊びに行くだけのつもりで来日した夜に、プロポーズされた。翌日には、久さんの鹿児島の実家で両親に会い、プロポーズから2カ月後には、盛大な結婚式を挙げていた。新婚生活はロスでスタート。新居で生まれたのがAIだ。 久さんは、九州全土で、建設業を主体に事業を展開する植村グループの御曹司。AIが2歳になるころ、父の会社のゴルフ場建設を手伝うため、帰国することになった。1年だけの約束だった鹿児島滞在も、あと1年、もう1年と延びていき、最終的に、久さんは社員3,000人の会社の経営を引き継ぐことになる。鹿児島に来た3カ月後に、次女・幸さんを出産した。 「毎日、泣いて、毎日、失敗してました。町を歩けば『ガイジン』と指さされ、買い物に行っても日本語読めない。砂糖と塩、間違えて買ったり……」 初めてのお宅に靴のまま上がったり、床の間の生花と並んで写真を撮ろうと、床の間に入って、注意されたり、でも、何がいけないのかさえ、わからない。 「小さい子どもが2人もいるのに、サイテーな母親、サイテーな人生。そう思いました。離婚したほうがいいかなと、真剣に悩みました」 バーバラさんは米国の両親に電話した。すると正美さんは、「その国を好きになること、その国の人を尊敬すること。そのためには、その国の文化や伝統を勉強してください」と言った。そして、前向きになる300冊の英語の本を送ってくれた。両親は2人とも、異国で暮らす苦労を乗り越えた人たちだ。 バーバラさんは、涙を拭いて、立ち上がる。まず、日本舞踊から習い始めた。もともとダンスは大好きだ。そして、お茶、お花の稽古にも通った。学ぶうちに、彼女のなかの「日本ヤダ」の気持ちがほぐれていった。 「なぜ床の間に花を置くのか。なぜ、畳の縁のラインを踏んではいけないのか。その全部に意味があった。日本の伝統文化や習慣には、目上の人を尊敬し、お客さんを受け入れる気持ちが込められていることをしりました」 3年かけて読破した300冊の本を参考に、家のあちこちに鏡を置いた。 「朝、起きたとき、出かけるとき、電話でるとき、全部、自分の顔を見て、大げさと思うくらい、笑顔しました」 さらに、深呼吸をして、「今日はサイコー」「絶対、成功する!」と声に出して自分に言い聞かせた。人のためになることをしようと、30年以上、欠かしたことのないチャリティー・バザーを始めたのもこのころだ。義父・近さんも異国から来た嫁のことを、ずいぶん気にかけてくれた。 「落ちこんでいるとき『仕事をしなさい。事業を立ち上げていいから』と言ってくれて。お義父さんの提案に、すごく興奮しました」 自分が好きなこと、できること、元気が出ることはなんだろう?バーバラさんはダンス教室に、英会話とスポーツジムも併設した「アメリカン・スーパー・シェイプ」を創設。38歳になっていた。そして、48歳のときに立ち上げた個人事務所「オフィス・バーバラ」を拠点に、八面六臂の大活躍を続ける。鹿児島の人たちを元気づけ、笑顔でいっぱいにするために。 AIは言う。 「ママ?いや、もうサイコーですよ。人に優しくて、いつも明るくて、元気で。忙しくても、体調的に大変な時期でも、どんなときも笑顔でハグして。本当、素晴らしいですよ」
2017年10月01日代官山のヴィアバスストップミュージアムに13日、バッグブランド「バーバラ・リール(BARBARA RIHL)」のポップアップストアがオープンした。同日行われたパーティーに合わせデザイナーのバーバラ・リールが来日。彼女はウィーン出身、パリ在住。ジル・サンダー、カール・ラガーフェルドでファッションデザイナーとして、経験を積み、その後フリーランスに。夫は世界的に有名なパティシエ、ピエール・エルメ。ユニークなイラストが描かれたバッグには、ファッショニスタの注目が集まる。——アジア各国を回られての来日ですね。今回、DFSと契約をしたばかりなんです。世界各国の空港にコーナーを設けることになるでしょう。私のコレクションは、「旅」がテーマ。旅の幸せ、楽しさを表現しているものなので、空港という場所にはぴったりなんです。――もともとファッションデザイナーとしてのキャリアがありながらバッグを作ろうと思ったのは?とにかく旅が大好きで、旅をしていると本当に幸福を感じるのです。ですから、旅と関係のあるものを作りたい、それにはバッグだ、ということになったわけです。アクセサリーやバッグというのはファッションに比べてけっこう自由な世界で、可能性がたくさんあります。つまり発想に応じていろいろなものをいろいろな方法で作ることができるわけです。デザイナーとしては、女の子の絵を描いたりするわけですが、その後、ショップの世界観を形作るために、什器のデザインや女の子をモチーフにしたショップディスプレイ用のボードを作ったりしています。――コレクションの幅が広がりましたね。今シーズンのテーマは?いくつかあるんですが、ワンちゃんを散歩させるように、ペットを抱っこするようにバッグを持つというのがテーマの一つです。バッグを持つのって、犬を抱っこするような感覚と似ているでしょう?そんな風に、バッグを自分のペットみたいに抱っこして旅行に連れて行くシーンをイメージしています。――バッグを製作する上でのこだわりは?作り方というよりも作る場所、つまりフランス国内で作るということにこだわっています。私には、パリでのファッションデザイナーとしての長年の経験があり、様々な技法を知っているつもりですが、やはりフランス国内で作る方がその技法を活かすことができます。もう一つ、パリやフランスで出合う食べ物からインスピレーションを受けることもありますし、カラーリングやディテールのデザインなどには、建築、コンテンポラリーアートから影響を受けているものもありますね。――日本は何回目ですか?ええと、20回目くらい!(笑)。日本が大好きなんです。非常に創造性の豊かな国だと思います。日本人は遊びが好きで、明るいし、クリエーティブなものが好きだから、私と相性が良いんです。特に日本の女性はクリエーティビティーに対して非常にオープンという印象を受けますね。――これから世界中にどんどんショップが広がりますね。シンガポールや韓国などの主要なショップでコーナーを持つことになっていますし、日本でも、コーナーで展開していきたいと思います。
2013年09月20日