子どもや家族のために日々頑張るママ。とっておきのご褒美を自分にプレゼントするのはいかが? 今回、美容情報に日々アンテナを張っているHugMugフレンズにご褒美美容を教えてもらいました! おすすめのサロンも教えてもらったので要チェック。自分のための贅沢な時間をつくってパワーチャージしよう!CONTENTSリフトアップ効果が見込める! <美容鍼>極上の癒し時間を<ヘッドスパ>デトックスして代謝アップ! <よもぎ蒸し>化粧ノリが断然よくなる! <ピーリング>紫外線を浴びたお肌に<シミ取り>ご褒美美容 #01リフトアップ効果が見込める!美容鍼HugMugフレンズ相澤利佳さんitti販売「1年くらい前からほうれい線が気になり始めました。ハイフもしていましたが、美容鍼が気になり、友人に紹介してもらった『ハリーベージュ』に月1で通い始めました。リフトアップ効果があり、目元や口元のたるみがすっきりします! 担当してくださっている方のマッサージも最高に気持ちがいいです。東洋医学を専門的に学んだ鍼灸師さんも在籍しています」ひとり時間のつくり方「夫と同じ職場なのでGoogleカレンダーで細かくスケジュールを入れて共有。予定や優先させたいことなどは早めに共有するようにしています」HugMugフレンズ高橋唯子さん美容師「月3〜4回ほど、リフトアップに特化した低周波電流鍼を受けられる『シーバイカリスタ』に通っています。即効性があるのですぐに顔が引き上がった感じを実感。お客さんからも『顔がシュッとした』と言われました! 血流もよくなるので肌質もアップした気がします。肩や背中にも打ってくれるコースがあるので、顔だけでなく肩こりなどにもおすすめです」ひとり時間のつくり方「毎週土曜は夜まで仕事をしているので、旦那さんが保育園のお迎えへ。仕事終わりは私のフリーに使える時間で、鍼や友達とディナーなどに行っています。週末は仕事も忙しくヘトヘトなので、自分の体力との勝負ですが……!」ご褒美美容 #02極上の癒し時間をヘッドスパHugMugフレンズ河原井美幸さん会社員「半年に1回程度、本当にご褒美の日にだけ行っています。極度の肩凝りかつ、頭も凝り固まっているのですが、施術を受けると血流がよくなり頭も首&肩も楽になります。頭皮も驚くほどすっきり! さらに髪のダメージとも一気におさらばできます。以前は友人が働いていた恵比寿の『ひとときのしずく』、今は国家資格を持つ方が在籍する『ヘッドコンシェルジュ』に通っています」ひとり時間のつくり方「ルールを一切決めないことがルールかもしれません。自分の時間をもらったら『その分パパも自分時間をどうぞ』という感じで、お互い過ごしてます。自然な思いやりと平等で成り立っています」HugMugフレンズ佐々木香奈さん美容師「2年ほど前から、1.5ヵ月に1回くらいの頻度で通っています。施術を受けると目が開き、頭が軽くなります。さらに顔のむくみも取れて肌もトーンアップ。最近は妊娠・出産のため、なかなか行けていないのですが、『SOKI(ソキ)』は技術力がとても高くリラックスできてよかったです」ひとり時間のつくり方「共有のスケジュールアプリを使っています。週2回あるお休みは、1日は家族で楽しめる予定、1日は自分のための予定(子どもは保育園の日)にしています」ご褒美美容 #03デトックスして代謝アップ!よもぎ蒸しHugMugフレンズ蓮間衣里さん美容師「『fuca(フカ)』というお店に2回ほど行きました。施術後は本当にすっきりして、体も心もリフレッシュできました。さらに代謝がよくなり、冷え症が改善され、お風呂に入っても全く汗をかかなかったのに、汗が出るようになりました。店内は清潔感があり、おしゃれで居心地がいいです。デトックスしたあとのハーブをこして、家で入浴剤として持ち帰れるところも嬉しいです」ひとり時間のつくり方「夫が仕事で、子どもたちが学校や幼稚園の時間を自分の時間にしています。仕事の帰り道に行くひとりランチもご褒美タイムです」ご褒美美容 #04化粧ノリが断然よくなる!ピーリングHugMugフレンズkanokoさん元マスコミ「『表参道美容皮膚科』に2年くらい通っています。昔ニキビで悩んでいたときに、いろんな皮膚科に行っても治らず、こちらの院長先生が勤めていたクリニックに通ってようやく改善した経緯があります。院長先生を信頼しているので、ピーリングもこちらでお願いしています。施術後はお化粧ノリがよく、化粧水などもぐんぐん浸透!」ひとり時間のつくり方「夫と共有のスケジュールアプリを使っています。約束しているわけではありませんが、ふたりで休みが合えばご褒美ランチにいったり、それぞれの時間に使ったり、なるべくコミュニケーションを取ってお互いの希望を相談しています」ご褒美美容 #05紫外線を浴びたお肌にシミ取りHugMugフレンズゆいなさんアパレル販売員「『シミケア専門サロン ティエル』に通っています。合計5回の施術のうち、2回完了しました。初回施術後の1週間後、ターンオーバーが促進されて垢としてポロリと取れ、いちばん濃いシミが明らかに薄くなったように実感しました。医療レーザーは高熱のレーザーでほかの肌を傷つけたり、ダウンタイムのテープ張りが大変ですが、こちらで受けられる低周波のシミ取りの場合はほとんどダウンタイムがなく、施術後すぐに化粧をしてもOK。痛みも全くないです。施術の都度、美容液を美顔器で浸透させてくれるので、肌荒れしている部分も翌日に治りました」ひとり時間のつくり方「お互い平等な頻度で美容院や遊びの予定を入れるようにしています。スケジュールアプリを利用していますが、1ヵ月前にはそれぞれ事前に予定の共有をしています」
2023年09月28日皆さんは、ママ友とのお悩みはありますか?今回は同級生ママがしつこくSNSでつながろうとする話を紹介します。(イラスト/@23ca)娘と同じクラスの子のママ友が投稿者さんの娘が入園して少し経ったある日。同じクラスのママ友に声をかけられた投稿者さん。ママ友は投稿者さんがSNSをやっているか聞いてきました。投稿者さんはSNSは苦手で今後もやるつもりはないと答えたのです。それでもママ友は会うたびにSNSをやらないかと誘ってくるのでした…。しつこいママ友出典:CoordiSnap顔を見ればSNSをやるように勧めてくるママ友。毎回断っているのにも関わらず、しつこく誘ってくるママ友に困惑する投稿者さんなのでした。何度も誘ってくるのは…SNSをやらないと断っているのに、何度も誘われ続ける投稿者さん。あまりきつく言えない関係だと悩んでしまいますよね。ママ友とは程よく距離をとって良好な関係を築きたいですね。※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。
2023年05月02日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。埼玉の夫の実家に居候して約1週間。義母の疲労が目立ってきました。慣れない息子一家(私たち)との生活が、頑張り屋の義母の負担になっているように見受けられました。 夫の会社は震災で建物自体が立ち入り禁止になっており休業中。私も仕事を休んでいたのですぐに帰る必要はなかったのですが、義実家への負担を減らすためにも、そろそろ茨城の自宅へ帰ることにしました。これから私にできること 余震によるダメージや火災、泥棒などの心配もしていましたが、自宅は無事でした。水道の漏水が見つかって数万円の出費があったものの、大ごとにはならずに済みました。そして今度は、まだ被災地で困っている人たちのために自分にできることはないのか、考え始めました。 ここまでが2011年当時に私が描いた漫画です。 あれから、10年。復興へ向けての支援をどれだけできてきただろかと、自問せずにはいられません。また、自分の漫画を読み返し、いろいろなことを忘れていることに驚きました。 今の私にできること。そしてこれからの私にできること。あの時の気持ちと体験を忘れることなく、自分にできる備えや支援を真剣に考えること。それが私にとって一番必要なことだと、今、強く思っています。 震災から10年を振り返って、自分は何ができたかを自問自答された和田さん。10年たった今もなお、大変な思いをされている方もいる、そしてこれからも震災は起こる、そのことを胸に私たち一人ひとりも今一度しっかりと受け止め考え、自分ができることをおこなうことが大切だと痛感しました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月08日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。食料がなくて冷凍庫にある物で何とか耐えている母、水をもらうために何時間も並んでいる妊婦の友だち、私の大切な人たちが食料や水に困りながらも、黙々と頑張っていました。 原発事故の収束の見通しは立たず、いつ何があってもおかしくない状態。自分で助けに行くことはできない。「助けて」と言いたいけど、誰に言えばいいのかわからない。そんな追い詰められた気持ちが続いていました。 避難したのに、気持ちは落ち込みがちに… 私の故郷は海が近いので津波の被害がありました。実家は海から少し離れているものの、ほんの数百離れたところまで海水が押し寄せたそうです。 住めなくなった家や施設があったり、景観が変わってしまったり。見慣れたはずの場所が、まったく違う場所のようになって、テレビに映っていました。 このころSNSには心ない中傷やデマ、憶測もたくさんあふれていて、誰かを傷つけたりパニックを引き起こしたりすることもよくありました。でももしツイッターなどのSNSがなかったら、そしてたくさんの人が拡散してくれなかったら、福島県、茨城県の困っている人たちの声は届かなかったかもしれない、と個人的には感じていました。 原発事故収束のため日夜必死で頑張ってくれていた方々、まだ高速道路はあちこちガタガタで、鉄道も復旧しないなか、物資の輸送を再開してくれた物流関係の方々、本当にたくさんの人の並々ならぬ努力のおかげで、一番深刻な局面を乗り切ることができたんだと、今改めて思います。 自分にできることを探して動き始めた和田さん。前に向かって和田さんが感じ、決意したこととは…。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月07日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。ガタガタの高速道路を高速バスで走って上野につき、そこから電車に乗って埼玉にある夫の実家へ移動しました。 避難生活で感じたことは? 義実家についてすぐ、夫は病院を受診し、薬を手に入れることができました。 一見普段通りの生活を送っているように見える義実家でしたが、原発事故の影響による計画停電で不便な思いをしていました。1日2回計画停電が実施されると合計8時間の停電。水道に電気ポンプを使用していたため、その間は水道も使えなくなってしまいます。停電の間は店舗が閉まるため買い物の時間も限られ、仕事もできなくなります。食事のときはロウソクを点灯。被害が少ない地域でも普段通りに暮らせているというわけではないことを、このとき知りました。 私の実家は津波の被害もあった地域。当時予断を許さない深刻な状況だった福島原発からも近く、また母は手をけがしていたため、とにかく心配でした。 思い返すと、10年前のあのときは本当にたくさんの人が「私の大変さなんて大したことはない」と言って、じっと不便さに耐えていました。それだけ東北地方沿岸部の被害が凄まじかったからだと思います。パニックにならず、大人も子どももきちんと列に並び、協力しあう日本の様子は、当時海外のニュースでも取り上げられていました。 もちろんパニックになっている人もいたし、理不尽なことや、腹立たしいこともたくさんあったけれど、あのとき必死に頑張っていたたくさんの人たちの態度は、本当に誇るべきものだったと、今でも思います。 夫の実家で生活し始めた和田さんですが、実家の状況を聞いて和田さんの心に異変が…。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月06日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。夫の持病の薬が切れたことをきっかけに、茨城から夫の実家のある埼玉に避難することを決めた私たち。というのも、ネットで高速バスについての情報を得たばかりでした。 避難することを決めるも複雑な気持ちに…出発の前夜は落ち込みました。実家の家族や友だちを残して避難すること。夫の実家まで無事たどり着けるかわからないこと。いつ戻ってこられるのか、元の生活に戻れるのかわからないこと。余震や原発の状況。いろんな不安がありすぎて、自分でも何にヘコんでいるのかよくわからないなあ、と思いながら荷造りをしました。 このときは、まるで違う世界に突然来てしまったような衝撃で、しばらく呆然と雑踏を見つめてしまいました。被災地以外の場所では、計画停電などの不便はあるとはいえ、普段と変わらずに生活できている。そのギャップを目の当たりにして、何とも言えない気持ちになりました。 あれから10年。今送れている「普通の生活」が、決して当たり前のものではないことを忘れてはいけない。あのときの自分の気持ちを思い出して、改めてそう思いました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月05日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。おふろの残り湯、友だちからもらった井戸水、かろうじて買うことができたペットボトルの水……。水道が復旧する気配はなく、あちこちからかき集めたわずかな水でやりくりする中、ふいに夫が重大なことに気がつきました。 一難去ってまた一難 食料の確保はすぐに難しくなりました。1日中自転車であちこちかけまわっても、手に入るのは子どもが食べられないような激辛ラーメンや甘いジュースなど。たまたま炊き出しをやっているところを見つけて、列に並んだこともありましたが、並んでいる人数分しかもらえず、また紙皿なので、家族全員分の食事を持ち帰ることはできませんでした。 そんな中、予想外の物資がわが家に到着しました。 食料と水の問題が一応解決した途端、新たな問題が発生。「一難去ってまた一難」がエンドレスに続いている感じでした……。いつも優柔不断な私ですが、このときはすぐに避難することを決断しました。というのも、前日にある情報を入手していたのです。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月04日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。震災直後、物流がストップし、他県の親族から物資を送ってもらうことができなくなってしまいました。電気は復旧したものの、水道は止まったまま。少し離れた場所に給水車が来ていると聞いて向かったのですが……。 近所で家事が発生!? 水がなかなか手に入らず、途方に暮れていたところ…… 友人からもらった井戸水は、一滴も無駄にしないよう、大切に大切に使った覚えがあります。あれから10年、今はジャージャー雑に使ってしまっている水道水。当時の私が見たら、きっと怒るだろうなあ……とふと思います。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月03日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。東日本大震災が発生し、私の住むエリアでは電気と水の供給がストップ。翌朝手に入れた号外で、想像以上に深刻な規模の地震と津波が発生したことはわかったものの、家族4人で1日1日をなんとか乗り切るしかありませんでした。 電気も水もない生活は……? ※断水、停電など非常時に、トイレのタンクに水を入れると製品によっては水が流れなくなる可能性がありますので、ご注意ください。 トイレは大きな問題でした。臭いがひどいだけでなく、電気がつかないので夜は子どもたちが怖がって入れず、おむつをつけて寝かせるようにしていました。せっかくはずれた長女のおむつが復活。おむつもたくさんストックしているわけではなかったので、いつまでもつか不安でした。 電気がついて、やっと情報収集できるように。状況はますます深刻になっていましたが、私と夫の実家と連絡が取れ、ひとまずみんな無事なことがわかりました。 地震とそのあとの原発事故の影響で、宅配便や郵便などの物流が止まってしまい、ほかの地域から必要なものを送ってもらうことができなくなりました。電気は復旧したものの、水道は使えないまま。食料と飲料水の確保が最優先事項になり、「次の食事に子どもたちに何を食べさせるか」に頭を悩ませる日々が続きました。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月02日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。2011年に起きた東日本大震災から、早くも12年が経とうとしています。あの震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。また、被害にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。 震災当時、私は茨城県に住んでいました。家がなくなったわけでも、家族を失ったわけでもありません。被害の程度は軽いものだと言えます。これは、そんなわが家から見た東日本大震災の記録です。何が起きた…!? 夫は?子どもたちは…? 自宅にいた夫と再会し、保育園に子どもたちを迎えに行きました。当時、長女は4歳、次女は1歳5カ月。保育園の園庭に避難している子どもたちを見たときは、本当にホッとしました。このとき、携帯電話は通話できず、メールやネットもつながったりつながらなかったり。かろうじて「岩手・宮城・茨城で次々に地震が起きたこと」「余震が多いので建物の中では寝ないほうがいい(という意見)」をネットで見ることができました。離れて暮らす親兄弟や友だちとは連絡が取れず、安否の確認はできませんでした。私たち夫婦の携帯電話も電池が切れ、電気も水道も復旧しないまま。私たちは自宅の倒壊を恐れて、車で眠ることにしました。そして、最初の夜がやってきました。 震災発生当初の感覚をまだ覚えています。それまでにも、突然の不幸などで日常が急に崩れてしまったように感じた経験はありました。でも、周囲の人たちも皆同じように「非日常」に入り込んでしまうというのは初めての経験でした。誰もが不安な顔をしていたし、何かしら困っていたと思います。それでも私は心のどこかで、こんなことは長く続かないだろう、きっとなんとかなるだろう、と思っていました。このときはまだ、この非日常が何日も続くとは思っていなかったのです。 ※本記事は2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月01日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。2011年に起きた東日本大震災から、早くも12年が経とうとしています。あの震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。また、被害にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。 震災当時、私は茨城県に住んでいました。家がなくなったわけでも、家族を失ったわけでもありません。被害の程度は軽いものだと言えます。これは、そんなわが家から見た東日本大震災の記録です。何が起きた…!? 夫は?子どもたちは…? 自宅にいた夫と再会し、保育園に子どもたちを迎えに行きました。当時、長女は4歳、次女は1歳5カ月。保育園の園庭に避難している子どもたちを見たときは、本当にホッとしました。このとき、携帯電話は通話できず、メールやネットもつながったりつながらなかったり。かろうじて「岩手・宮城・茨城で次々に地震が起きたこと」「余震が多いので建物の中では寝ないほうがいい(という意見)」をネットで見ることができました。離れて暮らす親兄弟や友だちとは連絡が取れず、安否の確認はできませんでした。私たち夫婦の携帯電話も電池が切れ、電気も水道も復旧しないまま。私たちは自宅の倒壊を恐れて、車で眠ることにしました。そして、最初の夜がやってきました。 震災発生当初の感覚をまだ覚えています。それまでにも、突然の不幸などで日常が急に崩れてしまったように感じた経験はありました。でも、周囲の人たちも皆同じように「非日常」に入り込んでしまうというのは初めての経験でした。誰もが不安な顔をしていたし、何かしら困っていたと思います。それでも私は心のどこかで、こんなことは長く続かないだろう、きっとなんとかなるだろう、と思っていました。このときはまだ、この非日常が何日も続くとは思っていなかったのです。 ※本記事は2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年02月01日「ママカースト」など、「ママ友」というとネガティブな印象やトラブルを想像される方もいらっしゃるかもしれません。でも、ママ友って素敵な存在でもあります。今回は、私のほろ苦い失敗から学んだことをお伝えしたいと思います。 意気込みすぎ?! ママ友デビュー大失敗ようやく育児にも慣れてきた、1人目が生後3カ月のころ。「この子にも友だちをつくってあげたい! 私もママ友つくりたい」という思いで地域の子育てイベントに参加しました。 しかし、毎月開催されているそのイベント、すでに仲良しのママ同士ばかりで、新参者の私は空回りするばかり……。私も気合いを入れすぎて参加していたので、余計にうまくいかなかったんだと、今となっては反省しています。しばらくの間は、そんな自分を責め続ける日々でした。 無理にママ友をつくる必要はないかも?そんなことがトラウマになりつつも、「なんとかしなきゃ!」と焦っていた私。必死になりすぎて自分を偽ることで、周りとさらに距離ができてしまったのかもしれません。 そのため、ママ友と会っても今ひとつ盛り上がらず、息抜きどころかさらにストレスがたまるばかりでした。今思えば、遊んでくれたママ友に申し訳なく思っています。無理ばかりしてしまうのなら、ママ友をつくる必要はなかったのではないかとも思います。 大丈夫! 子どもが橋渡しをしてくれる!しかし幸いなことに、子どもが友だちと関わるようになった2歳ごろから、子どもを介して自然なお付き合いができるママ友ができました。 子どもが成長するにつれて、私にとってのママ友の存在もかけがえのないものになってきています。同年代の子どもを育てる同志として悩みも喜びも共有できる、そんな素敵なママ友に出会うことができました。けれど、ここまでの道のりは長く、失敗もたくさんしました。 仲良くなるにつれ、ママ友ゆえにうまくいかないという人もいるかもしれません。でも、進学や習いごとなどで子どもの所属が変われば、ママ友の状況も変わることが多いということに気付きました。私自身、これからはあまり悩みすぎずに、ママ友たちとお付き合いをしていきたいと思います。 監修/助産師REIKOイラストレーター/ムチコ著者:東慶子三児の母。育児のかたわら、アンガーマネジメントキッズインストラクターの資格を取得。自身の育児経験に生かすとともに、将来的には子ども向けの講座を開催したいと考えている。
2022年06月20日ママならぬことの連続である育児。和田さんも日々育児に奮闘していましたが、次女が誕生しますますママならぬ日々に突入! でも、子どものころ憧れたアニメヒロインになれるという特典が!? 果たしてその理由とは??だいぶ端折ってしまいますが、二女が無事誕生し、二児の子育てが始まりました。二女ハッパは生まれたときからあまり泣かずよく寝てくれる子で、同じ母から生まれた子でもこうも違うものかと思うくらいラクでした。とはいえ、夫がほぼ不在の中、2人の子を抱えて右往左往のワンオペ育児。毎日ママならぬことばかりでした。 母がアニメになるとき このシリーズは今回で最終回です。今まで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました! 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月15日長女もいよいよ2歳になってすぐ、下の子の妊娠が判明した和田さん。喜んだのも束の間、「男の子」を期待する周囲のプレッシャーがハンパなかったそうです。ドタバタと子育てする中で、2人目の妊娠が判明しました。夫も私も性別についてはさほどこだわりがなく、「1人目が女の子だったから、どちらかといえば男の子のほうがいいかなあ?」くらいのゆるい希望でした。が、周りの反応は結構極端なもので……。 プレッシャーの中、娘の放ったひと言とは? とにかく事あるごとに周りの人たちから「男の子!」と言われ続けました。超音波健査で「女の子っぽい」と言われたことを告げたときは、あからさまにがっかりされ、なんだかとても悲しい気持ちに……。悶々としながら、ついハナに性別を聞いてみたところ、上記のような神回答をいただきました(笑)。「まな板が生まれるくらいなら、男の子だって女の子だってどっちだっていいよ!」と思い、なんだか気が抜けてしまって、それからは性別についてはあまり気にしなくなりました。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月14日娘さんが歩き始めてしばらく経ったころ、大阪に遊びに行くことにした和田さん。出かけた先で娘さんが放った衝撃的なひと言に絶句してしまったとか。その内容とは?初めての遠出、しかも電車利用とあって、念入りに準備したつもりだったのですが、いろいろ大失敗。ベビーカーをホテルに送ってしまったところ、ハナがほとんど歩いてくれず、肩と腰が砕けそうになりながら抱っこで移動。新幹線の中では用意しておいた絵本やシールブックには秒で飽き、ぐずるたびに荷物を持ってデッキへ行くハメに。駅や観光地でもエスカレーターが見つからず必死で階段を上り下り。翌日夫と合流するまで、本当に大変でした。 それはどっちのこと!? 以前USJにあったE・●のアトラクションへ行ったところ、娘がE・●の絵を指差して「ばあば!」。どちらのばあばを言っているのか気になりましたが、そこは確認してはいけないような気がして、そっとしておきました。いったいどっちだったんだろう……。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月13日和田さんが家事をしている最中などに、ある行動をするようになった娘さんですが、あまりにこっそり過ぎて突っ込まずにはいられなかったそうです。一時期、娘があるいたずらをするようになりました。それはどんなものだったかと言うと……。 いつのまに…!? 掃除機の上にそっと置かれたクマのぬいぐるみ。別の日は歯磨きをするからベビーチェアに座って待っていてと言ったあと、振り返ったら娘の姿はなく、代わりにベビーチェアにクマがねじこまれていました。 娘はというと、私の様子を観察したり、くすくす笑ったりすることもなく、本当に音もなくぬいぐるみを置いて去っていくのです。あまりにも手際がいいので笑ってしまいました。忍者かよ! 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月12日1歳半をすぎて歩き始めたり、言葉に興味を持つようになった娘さん。そんな娘さんに思わず激しめのツッコミをしてしまったことがあったとか。その内容とは……!?どんどん新しい言葉を覚えていく娘。特にオノマトペや動物の名前をよく大きな声で連呼していました。そんな様子を微笑ましく見ていたのですが……。 そこひっくり返す!? わざとかと思ってしまうほどハッキリと「バーカ」と言われたので、つい声を荒げてしまいました。大人げない……! このあとも絵本を広げては、本に登場する動物や食べ物の名前をよく大声で言っていました。ちょっと前までは絵本自体に興味を示さなかったのに、すごい進歩。子どもってこうやって言葉を覚えていくんだなあと、しみじみ思いました。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月11日ようやく歩けるようになった娘さんですが、今度は歩けるようになったがゆえの、新たな問題が勃発!とある方法で、無事に切り抜けた和田さんですが、その作戦とは一体……。娘のよちよち歩きはかわいいものの、移動にはものすごく時間がかかりました。アパートの目の前にあるコンビニに行くだけでも数十分。ちょっと行って帰ってくるだけでも、結構疲れます。ましてやショッピングモールのような広い場所を歩き回るときは、できるだけベビーカーに乗っていてほしかったのですが……。 歩けるようになったものの…! 母の勘とでも言うのでしょうか。娘の様子から、自力で歩きたいだけでなく、「ベビーカーはもうダサい! 私はもう赤ちゃんではない!」と思っているような気がしていました。そこでベビーカーに乗ることは恥ずかしくないことをアピール。使っているベビーカーがいかにかっこいいかを説明をしてみました。 こんなこと長々言われても理解できないかも、と思ったのですが、これがバッチリ通じたので驚きました。もちろん歩きたがることもありましたが、素直に乗ってくれることが増え、長時間の移動時にはだいぶ助かりました!監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月10日保育園に通い始めたころ、ママと離れたくない娘さんと朝のルーティンがあったという和田さんですが、衝撃な結末を迎えてしまったそう。その内容とは?娘が一時保育で通っていた保育園で、忘れられない思い出があります。それは…… 親子のいい思い出になるはずが…!? めちゃくちゃあっけらかんと言った先生。金魚が急にいなくなったので、先生はこの質問を何度もされていたのかもしれません。私たち親子のなかで勝手に「いい話」っぽくなっていた金魚との交流は、こうして突然終わりました。 天国へ旅立ってしまった金魚はかわいそうでしたが、金魚がいてくれたおかげで娘はわりとすぐに保育園に行くのを嫌がらないようになりました。ありがとう、金魚さん。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月09日まだ歩かないの?と娘のあんよの遅さを周囲に言われ、イライラしていた和田さん。1歳6カ月にしてついに歩き始めてホッとしたそうですが、娘の歩き方にビックリしたそうです。ついによちよち歩きを始めた娘・ハナ。「歩き始めたら、あっという間に走るようになるわよ」とよく母や先輩ママから聞いていたのですが、娘の場合はそんな感じではありませんでした。 歩き始めたのはいいけれど… 歩く前と変わらず、怖がりな娘。安全を確認するまでは壁から離れず、1〜2cmくらいのほんのわずかな段差も四つん這いで登り下り。まるで、生まれて初めてスケートリンクに立たされたときや、少ししか泳げないのに深いプールに入ったときのような感じでした。 この子はいつになったら走り回るんだろう……?と思いつつ、娘なりに少しずつチャレンジしている様子に、うれしくなりました。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月08日1歳半近くになっても歩かない娘。に心配していた和田さんでしたが、思わぬことが起こったそう。そろそろ病院で診察してもらうか……と思っていたある日、外出先で思いがけないことが起こりました。 ハイハイのし過ぎで… 公園のじゃぶじゃぶ池の中と周囲はコンクリート。その外周は広い芝生になっていました。今まで屋外でも常にハイハイしていたハナ。しかし、これまでと違って水着を着ていたため、膝と足の甲をひどくすりむいてしまいました。 しかしそれをきっかけに、膝の傷が痛かったためか、ハナは勝手によちよち歩き始めました。私は今までの様子を見ていたので、「やったー!」というよりは、「やっぱり歩けるんかーい!」という感じでした。 おそらくハナは、歩けなかったわけではなく、立って歩くことが怖かったんだと思います。それがケガしたことで、「ハイハイも危険だ!」と思い、歩くことに決めたように見えました。 この怖がりで頑固な性格はその後もずっと変わらず、子どもの性格ってうんと早いうちに決まるものだなあと、しみじみ思ったのでした。 監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月07日「まだ歩かないの?」と親や親戚、友だちから言われるたびに、必要以上にストレスを感じていたという和田さんでしたが……。当時参考にしていた育児書やネット記事には「歩く練習をさせる必要はない」とあったのですが、つい娘に練習させようとしてしまったことがありました。 本当は歩ける…!? おでこをつけて「たっち!」。いや、もうそれほとんど立ってるじゃん!と言いたくなりました。 なんだかおかしくなってしまい、同時にまだひとりで立ったり歩いたりするのが怖い娘の気もちもよくわかって、このあとは放っておくことにしました。 とはいえ、もう1歳半。そろそろ一度病院で診てもらおうか……と思っていたある日、思いがけないことが起こったのでした。 ※立っちやあんよの練習をするときは、周囲に危ない物がないかなどを確認し、お子さんから目を離さないようにしましょう。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月06日1歳半近くになっても、なかなか歩き始めない娘でしたが、つかまり立ちは1歳前にマスター(?)していました。フラフラすることもなく、机に手を軽く添えるだけでしっかりと立っているその様子に、私は内心「この子、実は歩けるんじゃないの? 少なくとも、立てるんじゃないの……?」と思っていました。ある日、テーブルにつかまり立ちをしている娘を見て、ふと「テーブルをどかしてみよう」と思い立ち……。 もしかしてできてる? 空中に手を伸ばしたまま静止する娘。自分が何もつかんでないことに気づいて慌てる姿に、「コントか!」と心の中でツッコミを入れずにはいられませんでした。(※危ないのでまねしないでください) どうやら娘は決して立てないわけではない様子。かといって無理矢理歩かせるわけにもいかず、モヤモヤとしながら時間だけが過ぎていくのでした……。 ※立っちやあんよの練習をするときは、周囲に危ない物がないかなどを確認し、お子さんから目を離さないようにしましょう。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月05日新しいマンションに引っ越したことがキッカケで、息子の友だちのママからマルチ勧誘を受けることになってしまった私さん。誘いを断るも、しつこいママにうんざりしていました。そんなある日、インターホンが鳴りモニターを見ると、見知らぬ女性が映っていました。(誰だろう?)と思いながらも、ドアを開けてしまった私さん。すると、女性は最初は控えめだったものの段々と本性を現し、私さんに勧誘を始めたのです。不審に思った私さんは、A子さんと知り合いなのかを聞いてみると、「あの人は命の恩人よ」という答えが!しかし、話が一向に止まらないB代さん。 一瞬の隙をついて、玄関のドアを閉めることに成功するものの、ドア越しで勧誘を続けます。 そんなB代さんに困った私さんは、とっさに嘘をつくことに。 すると、退散してくれたのですが、手元にはB代さんからもらった洗剤セットが残ってしまって……!? マルチ勧誘の人からもらった洗剤セット、どうしよう… B代さんからもらってしまった洗剤セットに頭を悩ませる私さん。 なかなかB代さんが帰ってくれなかったので、仕方なくとっさに噓をついたのですが、そのことを激しく後悔するのでした。 B代さんがいなくなったのはいいものの、彼女からもらった洗剤が残ってしまうことに……。 (もし2人で押し売りに来たら、今度こそ負けてしまう……) 危機感を覚えた私さんは、急きょ家族会議を開くことを決意するのでした。 度重なるしつこい勧誘に頭を悩ませる私さん。家族会議を開くことで、何か解決策が出てくるといいですね。皆さんだったら、終わりの見えないしつこい勧誘に対して、どのように対処しますか?作画:藤森咲著者:ライター 私ママ友からのお誘い、断れますか? 引越し先のマンションがマルチの巣窟だったときのトラブルを綴っています。
2022年06月04日おしゃべりは順調に上達していった娘でしたが、運動能力の成長はかなりスローペースでした。寝返り、ハイハイ、つかまり立ちまでは遅めながらもできるようになっていったものの……。 いつまでも歩けない娘に… 1歳半近くになっても、何にもつかまらずに立ったり、歩いたりしなかった娘。「まあそのうちするでしょ」とのんきに構えていた私でしたが、月齢の近い子をもつママ友と出かけると違いが顕著になってきました。以前は一緒に寝ていたり、ハイハイしていたのに、今ではほかの子たちは走り回っているというのに、娘は屋内でも屋外でもハイハイ。 少し前までは「歩き出すのは遅いほうが大変じゃなくていいよ!」なんて笑っていた親やまわりの人たちからも、「え? まだ歩いてないの?」「病院へ行ったほうがいいんじゃないの?」とことあるごとに言われるように。 「いいから放っておいてよ!」という気持ちと「そんなに心配されるほどのことなのか。病院に行ったほうがいいのかな?」という気持ちが両方あって、結局何もできないまま、娘は1歳半になりました。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月04日ボキャブラリーが急激に増えたという娘さんと遊んでいた和田さんですが、思わぬ悲劇に見舞われてしまい……。おしゃべりから得意になるタイプの赤ちゃんと、運動から得意になるタイプの赤ちゃんがいると思いますが、うちの娘は完全に前者でした。 ボキャブラ増えたのはいいことだけど… 娘の人差し指が私の眼球を直撃。鋭い突きをくらって、片目を押さえながら「そ、それは聞いてないから!」と心の中でつっこんでました。痛かった……。 スポンジが水を吸い込むようにいろいろな言葉を覚えていく娘の様子には驚きました。と、同時に何回聞いてもなんのことを言っているのかわからない謎の単語もいくつかありました。 その1つが「コービキボイ」。いまだに何だったのかわかりません。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月03日妊娠中やお子さんが生まれてからの珍事件!?を赤裸々にマンガ化。今回は急に夫の休みがとれ、娘を預かってもらって、2人でフレンチレストランへ行こう!ということになったお話です。2人でゆっくり外食するなんて1年以上ぶり。とても楽しみにしてお気に入りのレストランへ行ったのですが……。 店員さんのひと言 満面の笑みで自分のおなかをさすり、「もしかして……!?」と私に問いかけてきた店員さん。 私はショックすぎて、0.5秒くらいの間に私「いや、妊娠してないんですよ〜」店員さん「え!? す、すみません。私ったら……!」というやりとりを脳内で展開してしまい、「だ、大丈夫です」と意味不明な回答をしてしまいました。 出産から1年経ってもおなかのあたりはプヨっとしたままだった私。そこへきて、ごはんもおやつも遠慮なくもりもり食べていたので、おなかがぽっこりとしていたのは事実です。しかしまさかこんな形で現実を突きつけられるとは……!(涙) 食事はおいしかったけれど、パンのおかわりはやめておいたのは言うまでもありません。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月02日断乳に成功した和田さん。ホッとしたのも束の間、2日目になんとおっぱいが岩のようにカッチカチになってしまったとか。そんな痛みに耐える和田さんを襲った悲劇とは……!?断乳開始初日は娘の号泣に手こずりましたが、次の日からは娘は少しあきらめた様子でした。そして、それより困ったことが始まりました。それは……。 ただでさえ痛いのに! さらに追い討ち!? 出産と産後以来、大きな痛みを感じる出来事はなかったので、こんなことがあるとは予想外でした。 授乳をやめてから、おっぱいは岩のようにカチコチに変形し、悪寒を感じるほどの痛みがずっと続きました。痛みに耐えきれずほんの少ししぼったり、保冷剤で冷やしたり、湯船には入らないようにして、なんとかやり過ごしました。断乳後3〜4日は本当にしんどかった気がします。 それに追い討ちをかけたのが娘のスキンシップ!授乳がなくなって寂しくなったのか、やけにベタベタしてくるのです。ちょっと胸に触れられただけでも「ギャーッ!」と叫んでしまうような状態だったので、これがまたしんどかったです。 ひたすら耐える日々でしたが、1週間ほど経つと、おっぱいの状態も落ち着き、痛みはほぼなくなりました。 ※断乳時にトラブルが生じたときは、断乳を自己判断で進めたりせずに、母乳外来や助産師に相談しましょう。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年06月01日娘が夜中の授乳で遊び飲みするようになり、いよいよ断乳を決意したそう。泣いてすがる娘の様子をみて思わず小芝居をしてしまったという和田さん。その内容とは?母乳については「飲まなくなるまでずっとあげ続けてればいいかな」と、おおらかに(適当に)考えていたのですが、乳首をかまれたり引っ張られたりすることが増えて、断乳を決意しました。 ついに断乳を決意したものの… 最後におっぱいをあげたときは、なんとなくしんみり。ハナにも「おっぱい、バイバイだよ」などと言って聞かせ、おっぱいなしで大人しく眠ったと思ったら……夜中に大号泣!抱っこしても、トントンしても、まるでダメ。とにかく乳をよこせ!みたいな感じで泣き続け、私もだんだん疲れてきて「いやー、お客さん、もううち閉店したんでねー。ダメなんですよー」などと、謎の小芝居をしていました。 気がつけば、朝。「ああ、断乳が大変って、こういうことだったんだなあ」としみじみ思いましたが、本当に大変なのは子どもの夜泣きなどではないのだと、このあと思い知ることになるのでした……。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年05月31日同じ歳くらいの子どもを持つ友人からの電話で盛り上がった和田さん。話しているとお互い「大丈夫?」と思えるような会話になっていったとか。その内容とは……?ある日、遠方に住む友人から電話がかかってきました。彼女も子どもが保育園に入園したばかり。保育園生活に関するあれやこれやで盛り上がったのですが……。 ママ友の会話で お互い「ちょっと大丈夫……?」と思ってしまうくらい「坐薬」と「下剤」を間違え続けていました。これは加齢のせいなのか、おっちょこちょいなせいなのか……。薬のこと以外でも、「持ち物にいちいち名前を書くのが大変」とか「服を汚してくることが多くて、手持ちの服がなくなってしまい困った」とか、あるあるポイントが一緒でおもしろかったです。 このころ、集団生活を始めて娘が頻繁に熱を出していたので、娘に申し訳ないような、後ろめたいような気持ちになっていました。同じように子どもを保育園に預け始め、同じように仕事と育児の両立に試行錯誤している友人の話を聞くことは、とても励みになりました。 監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年05月30日