心の不調に繋がる最大の敵であるストレス。社会との関わりが増えて、人間関係が広くなればなるほど、外部からの刺激は大きなものに。しかしストレスに対する自分自身の感じ方や捉え方を変えて、セルフマネジメントできれば、ストレスとうまく付き合えるようになる!ストレスは溜め込まず、上手に受け流すこと。環境の変化や仕事が忙しいなど、様々な要因により日常の中で感じるストレス。身近な人間関係はもちろん、最近はSNSの繋がりにより、多くの人とコミュニケーションをとる機会が増え、ストレスを感じる機会も増え続けている。「ストレスとは、外部からの刺激などによって体の内部に生じる反応のこと。その原因となる外的刺激のことを『ストレッサー』と呼びます。ストレッサーには、天候などによる環境要因、睡眠不足や病気による身体的要因、人間関係、仕事などによる社会的要因が挙げられます。これらは生きていれば必然的に生まれるので、ストレッサーを完全に避けることはできません。しかし自分が感じるストレス反応は、適応力を身につけることで、うまくコントロールすることができるのです」(脳神経外科医・奥村歩さん)だからこそまずは自分のストレス反応に気づくことが重要。ストレスが溜まると、脳の前頭葉の働きが過剰になり、心身に様々な不調が現れる。心身の不調のサインを感じたら、そのきっかけとなる出来事やストレッサーが背後に潜んでいるということなので、早めに対処するようにしたい。「自分に生じやすいストレス反応を知り、ストレッサーの受け止め方や捉え方を変えれば、自分の中でうまく受け流すことができるようになる。また脳の疲れを癒す習慣を身につけることで、ストレス反応が起きにくくなるので、自分の身を守ることができます」ストレスから身を守るライフハックストレスをストレスと意識すればするほど、メンタルヘルスに悪影響を及ぼす。そこでストレスを過度に溜めないための心構えと、脳を心地よく癒す方法を伝授。どれもすぐできるものばかりなので、ストレスフリーな毎日を送るためにレッツトライ!【ライフハック1】八方美人にならない。人間関係や周囲のことに気を配りすぎるとストレスが増幅する。「真面目で気配り上手な日本人は、何事にも全力で立ち向かえるのが取り柄ですが、人間が使えるエネルギーには限度がある。だからこそ自分にとって何が大切か、人や仕事に対して優先順位をつけることで、負担を減らすことができます」【ライフハック2】自分でコントロールできない情報はできるだけ遮断する。他人の行動や世間の動向を過度に気にしすぎないように、ネットの情報は必要最低限に。「人間は強い不安から、知れば知るほどさらに知りたくなるという性質が。ならば初めから必要以上の情報を自分の中に入れないようにしてみては。世の中の全てのことを知ることはできないと開き直ると、できる気がしませんか」【ライフハック3】体を動かしたり、アウトプットを増やす。大量の情報をインプットし続けると、脳の機能が低下し、ストレスは溜まる一方。「だから意識的にアウトプットすること。たとえば趣味活、運動など、カロリーを消費できるようなアクションがベスト。するとストレスに打ち勝とうとする時に働く脳内物質『ノルアドレナリン』が分泌され、心のバランスが整います」【ライフハック4】マルチタスクは優先順位をつけて行う。人間の脳はマルチタスクが苦手。あれもこれもと手を出すとストレス反応を引き起こし、脳の情報処理能力が低下。「だから優先順位をつけて、脳に負担の少ないものから取り掛かると、集中力がアップします。また5つあるタスクのうちたとえ3つしかできなかったとしても、3つもできたと割り切ることも大切」【ライフハック5】一日一善を心がける。人の役に立つような行動を起こすと、脳と体が健康になり、自分のためにもなる。「人に感謝されることや、自分が満足するパフォーマンスをすると、交感神経が刺激され、脳内物質『ドーパミン』が分泌され、やる気や幸福感を得ることができます」。また自律神経のバランスが整い、入眠しやすくなるというメリットも。【ライフハック6】気の置けない仲間とおでかけする。大好きな人と一緒に公園などにおでかけしてストレス発散。「好きな人と触れ合ったり、楽しく会話したりすることで、多幸感を与えてくれる『オキシトシン』が分泌されます。また緑に囲まれ、四季の移り変わりを実感することでセロトニンが活性化され、さらに脳を癒すことができるので、ストレス解消に一石二鳥」【ライフハック7】ぼんやりタイムで脳内を省エネモードに。「何もしていない時に活発になるニュートラルな脳のことを『デフォルトモード・ネットワーク』といいます。この大きな働きのひとつが、自分という人間を見失わないためのシステムなので、ぼんやりタイムを設けると、不安やストレス解消の近道になります」。日中に行う30分以内のパワーナップ(仮眠)も効果的。【ライフハック8】ストレス反応を感じたら3つに分類する。ストレッサーを認知したら、3つの対処法のどれかに仕分けする癖をつけて。「その1、逃げられるなら逃げる。その2、自分が変わることで適応してみる。その3、適応することができない場合は逃げることも諦めてストレスを受け入れる。冷静に分類することで、ストレス反応に客観的に対処できるようになります」奥村 歩さん日本脳神経外科学会認定専門医、おくむらメモリークリニック理事長。認知症やうつ病に関する診察も多く経験し、これまでに10万人以上の患者の脳を診断。『スマホ脳の処方箋 10の生活改善テクニックで脳の疲れがみるみるとれる!』(あさ出版)など、著書多数。※『anan』2024年4月10日号より。イラスト・黒猫まな子取材、文・鈴木恵美(by anan編集部)
2024年04月07日心の不調のメカニズムや、現代人が置かれている状況についてお勉強。「自分はメンタルが強いから大丈夫!」という過信は禁物。生活習慣がメンタルヘルスに影響を与えるので、今の自分の状態を心の不調チェックで確認して。心の不調の原因は、脳の使いすぎ!シリーズ累計100万部を突破しているスウェーデン出身の精神科医アンデシュ・ハンセン氏の最新刊『メンタル脳』(新潮新書)によると、現代人は“史上最悪のメンタル”といわれ、とりわけ若年層の心の不調は世界的に広まっているそう。なかでも日本は特に深刻で、高校生の30%、中学生の24%、小学4~6年生の15%が中等度以上のうつ症状を訴えているとの調査結果も。そこで心の不調はなぜ起こるのか、脳神経外科医の奥村歩さんが解説。「そもそも私たちの体や心をコントロールしているのは脳。“脳を使いすぎている”ことが、心の不調を引き起こしています。昔に比べて生活そのものは便利になりましたが、現代人はマルチタスクで、毎日やることがたくさんあり、人間関係も複雑で不安や心配事を多く抱えているため、日々脳を酷使しています。脳を使いすぎると、脳の機能が低下します。脳には、人の感情をコントロールし、不安を鎮めるシステムがありますが、その中心を担っているのが、大脳の前部分に位置し、人間の運動、言語、感情を司る『前頭葉』です。ところが脳の使いすぎでその前頭葉の機能が低下すると、不安を過剰に感じるようになり、これが心の不調に繋がるのです」また、もともと日本人は遺伝子的に不安を感じやすい民族で、空気を読んだり、周囲に気を配って人間関係を良くしようとする特質があるため、脳に負担がかかり、メンタルも不安定になりやすい。「日本人は、幸せホルモンと呼ばれる脳内の神経伝達物質のひとつ『セロトニン』が枯渇しやすい遺伝子を持っています。セロトニンは心身の健康の安定に深く関係しているのですが、人間関係の悩みや生活への不安を抱えるとセロトニンが分泌されにくくなり、脳は疲労困憊状態になります。そして脳を使いすぎている日本人に、さらに追い打ちをかけているのが、現代のデジタル社会やテレワークの定着による運動不足です。特にスマホ依存は情報過多になりすぎて脳を刺激し、大きなダメージを与えます。また働き方の多様化で、出勤しなくても働けるようになり体を動かすことが減ったことで脳はリフレッシュできず、脳を酷使し続ける結果に。そんな疲れすぎた脳を効率よくメンテナンスできるのが実は睡眠。良い睡眠は、外部の刺激(ストレス)から身を守り、脳の健康を保ち、心身を整えてくれるとても大切な時間です。しかし、日本は世界ワーストレベルの睡眠負債大国で、睡眠時間は年々短くなっている傾向にあり、脳の機能を回復できず、心の不調に陥る人が増加しているのです。この状態を放置していると、メンタルがさらに深刻な状態になり、若年層もまた将来認知症になる可能性が高くなるので、今のうちからメンタルヘルス対策をしっかり行うことが大切です」また新生活が始まる春は、新しい変化にワクワクする一方で、新たな人間関係の構築などにより過度な緊張やストレスを感じやすい季節。知らず知らずのうちに心身に負担がかかっている場合があるため、下記の心の不調チェックで今の自分の状態を確認しよう。その上で、ストレスから身を守る方法を身につけたり、睡眠不足解消など、生活習慣を見直して。心の不調チェック最近の自分の状態を振り返りながら、当てはまる項目にチェックしてください。チェックのついた項目が3つ以上だった場合、いま心の不調を感じている可能性があります。5つ以上の場合は心の不調が健康を害し始めている可能性があるので早めの対処を。頭と体が重い感じがする疲れやすい朝ヤル気が出ないイライラしがち頭痛・目まい・肩こり・胃のもたれを感じる嫌なことが頭から離れない物忘れやうっかりミスが多い仕事・家事の段取りが悪い以前好きだったことやものに興味が持てなくなった四季の移り変わりや旬の食べ物に鈍感心の不調を招く主な原因日常生活の中で何気なく行っているアクションが、脳にダメージを与えて心の不調を招くので、因果関係をしっかり把握しておくことがメンタルヘルス対策には有効。知ることで自分ごと化でき、意識も変わるので行動にも変化が表れるはず。スマホ依存SNSによる不特定多数の人との繋がりが脳の使いすぎを加速。いつでも気軽に使える便利なツールゆえに、現代人の生活になくてはならないものとなったスマートフォン。「だからこそスマホ依存に陥る人が続出中。しかしネットにあふれる多くの情報を処理できずに、脳の機能が低下。またSNSの普及で、気を使わなければならない相手が膨大に増えたために、脳が疲弊することに。スマホとの付き合い方が現代人の課題。スマホ依存を低減するおすすめの方法が『スマホレコーディングダイエット』です。1日の中でスマホを使った時間と目的をノートに記録し、客観的に認識することでスマホに触れる時間を減らす効果が期待でき、使用時間を見つめ直すきっかけになります」人間関係日本人は空気を読むのが得意。だからこそ気の使いすぎに注意。脳にダメージを与える一番の要因が人間関係。「もともと人間の脳は、自分が安全に豊かに楽しく生きるために働くもの。しかし争いを回避するための知恵として、他人の顔色を窺うことに脳のエネルギーをたくさん使うように進化してきました。なかでも日本人はストレスに対して過剰に反応してしまう傾向が。それは島国という閉鎖的な社会環境において、人に嫌われないよう、仲間はずれにならないようにと、周りに気を使いすぎてしまうため、それがストレスになっています。しかしストレスこそ心の不調の最大の敵なので、ストレスに対する適応力を身につけることが大切です」。睡眠不足睡眠は脳の疲労を飛躍的に軽減!睡眠不足は脳の大敵と心得て。複雑な人間関係、スマホ依存、運動不足の三重苦により非常に疲れている脳。その脳の機能をリセットし、最適化してくれるのが睡眠。しかし、日本は他の先進国と比べ1時間も平均睡眠時間が短く、睡眠不足は若い世代ほど強い傾向に。「広島大学が最近実施した生活習慣調査によると、高校3年生の1週間の平均睡眠時間が、日本人全体の平均より短く、高校生のうちから睡眠不足が習慣になっていることが明らかに。しかし質の良い睡眠が取れると脳が整理整頓されるだけでなく、不安も解消してくれるので、熟睡こそが心の不調とサヨナラする最強の解決策です」。運動不足体を動かすと脳の疲れを癒せる!現代人の運動習慣が大きな課題。日本では約3人に1人の成人が運動不足というデータがあり、コロナ禍以降はさらに増加傾向に。「現代人は多くのワーキングメモリーを駆使して、日々目の前の作業に追われています。特にテレワークが定着したことで、働く・休むの切り替えができなくなってしまい、脳は緊張しっぱなしに。そのため脳に疲労が蓄積し、心の不調を招きやすくなっています。体を動かすことは、眠ることと同様、脳にとって非常に良い疲労回復法。もし運動ができる環境になければ、仕事中に定期的に立ち上がり、周りを少し歩くだけでもOK。体を動かし脳の疲労を解消することで、パフォーマンスが高まるため、仕事の効率も良くなります」奥村 歩さん日本脳神経外科学会認定専門医、おくむらメモリークリニック理事長。認知症やうつ病に関する診察も多く経験し、これまでに10万人以上の患者の脳を診断。『スマホ脳の処方箋 10の生活改善テクニックで脳の疲れがみるみるとれる!』(あさ出版)など、著書多数。※『anan』2024年4月10日号より。イラスト・黒猫まな子取材、文・鈴木恵美(by anan編集部)
2024年04月07日PMS原因のトラブル、最も多いのは「パートナーとのけんか」はじめに、PMSの症状に何年ほど悩んでいるか尋ねたところ、「1年以上5年未満」(39.1%)が最も多く、「10年以上」(28.6%)と続きました。当てはまるPMSの症状は、「イライラする」(73.5%)が最も多く、次いで「情緒が安定しない」(55.8%)、「腹痛・腰痛」(53.8%)となっています。PMSの症状が原因で人間関係のトラブルが生じたことはあるか尋ねると、45.1%と約半数が「ある」と答えました。トラブルの内容について聞くと、「パートナーとの喧嘩・関係悪化」(60.4%)が最も多く、「家族に当たってしまう」(53.0%)と続いています。具体的なトラブルについて聞くと、下記のような回答が集まりました。●生理前になるとイライラが止まらないので義母や旦那さんに暴言を吐いてしまった。 そのせいで現在別居中です(40代/福島県/パート・アルバイト)●家族に、私が無気力であることを責められた(20代/神奈川県/会社員)●パートナーに当たってしまい、喧嘩が増えた(20代/広島県/公務員)●情緒不安定になり、何気ないことで泣いて心配させる(20代/福岡県/自営業・自由業)続いて、PMSの症状に対し、行っている対処方法として当てはまるものを聞いてみると、最も多い回答は「痛み止めを服用する」(37.0%)で、「身体を温める」(35.4%)、「リラックスして過ごすよう心がける(アロマ・音楽・好きなことをするなど)」(34.4%)と続きました。PMSの症状緩和に対し、低用量ピルや漢方薬を服用していると回答した人に、「低用量ピルや漢方薬使用での副作用」について聞くと、50.2%が「ある」と回答しました。現在の対処方法に対して満足できていないことを尋ねると、「根本的な改善ができない」(40.1%)が最も多く、次いで「効果がない・少ない」(33.7%)となりました。PMS改善のためのサプリメントに期待したいことを尋ねたところ、48.7%が「副作用がない」、48.1%が「効果が高い」、45.9%が「コストパフォーマンスがいい」と答えました。PSM改善のためにサプリメントと処方薬であれば、どちらを選びたいかという質問に対しては、55.4%が「サプリメント」と回答しています。調査概要調査名:「月経とメンタルヘルス」に関する調査調査期間:2024年1月17日(水)~2024年1月18日(木)調査方法:リンクアンドパートナーズが提供する調査PR「PRIZMA」によるインターネット調査調査人数:1,013人調査対象:調査回答時にPMSに悩む女性であると回答したモニター調査元:ジャパンローヤルゼリーモニター提供元:ゼネラルリサーチジャパンローヤルゼリー(マイナビ子育て編集部)
2024年02月08日株式会社NTTデータ経営研究所(所在地:東京都千代田区、代表取締役社長:山口 重樹、以下 当社)は、メンタルヘルス関連の課題を抱える当事者(以下 当事者)が製品・サービス開発に参画する「当事者参画型製品・サービス開発プログラム(以下 本プログラム)」を実施します。本プログラムは、当事者の日常生活や職場における課題・ニーズに対応する製品・サービスの開発プロセスに、当事者自身が主体的な協力の意思をもって参画することで、共生社会実現に資する質の高いソリューションの創出を目指すものです。本プログラムを通じて当事者の課題・ニーズに対応する製品・サービスを生み出し、当事者が自分らしく生活することができる社会にしていくこと、そして、当事者の具体的な声をより重視したインクルーシブデザイン(*1)を取り入れた製品・サービスへの発展を通じた新たな市場を創出していくことを目指します。なお、本取り組みは経済産業省「令和5年度ヘルスケア産業基盤高度化推進事業(サステナブルな高齢化社会実現及び当事者参画型開発普及に向けた関連事業)」の一環として実施するものです。1. 背景と目的我が国においては少子高齢化とともに人手不足が深刻化する中、メンタルヘルスの影響により仕事や社会参加ができなくなることは社会的な損失であり、働く世代のメンタルヘルスを支えることが重要です。一方、メンタルヘルスの課題を抱える当事者は自身の不調や不安等についての声を挙げにくく、生活や仕事における具体的な支障やニーズの内容が見えにくいことが課題となっています。そこで、当事者が製品・サービス開発のプロセスに参画し、生活・仕事における障壁や課題・ニーズに対応する製品・サービスを創出することで、当事者の生活・仕事における課題・ニーズを解決し、仕事や社会への参加などの本人の希望の実現につなげていくことを目指します。2. 当事者参画型開発とは当事者参画型開発とは、製品やサービスの開発において、直接的な利用者や影響を受けるものの、積極的に声をあげづらい人々、すなわち当事者が主体的に参加し、意見や経験を反映させながら共同でプロジェクトを進める手法です。当事者参画型開発は、製品の使いやすさを向上させるだけでなく、様々なバックグランドや経験をもつ当事者の参加によって、多様なニーズを尊重した社会的包摂が促進されること、当事者の体験や視点が取り込まれることにより、従来の枠を越えた解決策が生まれることが期待されます。また、当事者が製品開発のプロセスに主体的に参画することで、当事者の社会参加や復帰につながることが期待されます。なお、認知症領域で行った先行事例では、当事者の声を踏まえたサービス開発につながることに加え、当事者本人の社会とのつながりの実感や自己肯定感を高める効果が見られています(*2)。3. 具体的な取り組み方法本プログラムの実施にあたり、当社は複数の当事者コミュニティや当事者研究の専門家と連携して当事者参画の環境を構築し、今後、製品・サービスを開発したい企業とともに本プログラムを実施します。図1. メンタルヘルス領域における当事者参画型開発のイメージ<連携する当事者コミュニティの例>現時点で連携している当事者コミュニティは以下の通りです。表1. 連携する当事者コミュニティ<想定される当事者と課題・ニーズの例>メンタルヘルス領域の当事者としては、うつや不安障害、統合失調症、また発達障害を持つ人などを主な対象者と想定しています。発達障害を持つ人は、タスク整理の困難さ、特定の言葉に囚われる、感情理解や共感的コミュニケーションが難しい、得意と不得意の差が大きく周囲の理解や支援が重要などといった課題やニーズがあると想定されます。また、うつや不安症状がある人は、パニック症状や予期不安により外出が困難、動きたくても家から出られない、日常生活の行動(例:入浴、メイク、調理、掃除)へのやる気が起きないなどの課題があると想定されます。また双極性障害がある人は、躁うつの症状で休職や転職を繰り返す、躁状態のイライラや怒りで周囲との関係が悪化しやすい、うつ状態になると仕事を休みがちになる、といった課題があると想定されます。統合失調症の人々は、社会的な孤立感や幻覚や妄想の出現、情緒のコントロールが難しくなることもあり、社会とのつながりが損なわれる課題があると想定されます。こうした課題やニーズを支援する具体的なプロダクト開発を当事者と開発企業が共同で実施します。<開発企業について>当事者の課題やニーズに対応する業種例として、生活用品メーカー、IT企業(ソフトウェア開発など)、寝具メーカーなどが想定されます。当社では、開発企業が当事者と円滑に連携し、開発を進めるための伴走支援を実施します。主な支援内容は(1)当事者および当事者コミュニティのコーディネート、(2)有識者との連携支援、(3)当事者参画の場づくり、(4)開発プロセスへの伴走、(5)取り組み・成果のとりまとめ・発信となります。<有識者について>本プログラムにおける意見収集手法や、当事者との関わり方に関しては有識者の監修を受けます。東京大学先端科学技術研究センター熊谷 晋一郎准教授とは、当事者研究の観点から、学術的手法にのっとった当事者の意見や価値観の収集手法、また当事者の参画促進方法などについて連携して取り組む予定です。また、日本医療政策機構(HGPI)メンタルヘルス政策PJTチームからは、これまでの当事者とのネットワーク構築における知見や、本領域の政策提言経験を踏まえ、当事者の体験や生活に基づくプロダクト開発のあり方について連携して取り組む予定です。4. 令和5年度のスケジュール令和5年度は、経済産業省が実施してきた認知症分野の先行取組も踏まえ、メンタルヘルス分野(発達障害を含む)において当事者が参画することにより生活・仕事面での具体的な障壁やニーズを顕在化させられる可能性、およびそれに対応する製品・サービスの開発に寄与する可能性を検証することを目的として、以下のとおり当事者参画型開発の実証を通じた調査を行います。2023年9月 :本プログラムに参加する開発企業を決定2023年10月~11月 :連携する当事者コミュニティとプログラムの詳細を検討2023年12月~2024年2月上旬:プログラムを実施し、検証5. 今後について当社では、本年度の取り組みの成果を踏まえ、本プログラムに関わる当事者コミュニティや開発企業を増やし、当事者参画型開発の更なる普及を通じた共生社会の実現に寄与してまいります。*1 インクルーシブデザイン:実際に利用するユーザ側の意見が反映された製品・サービスを指す。参照:University of Cambridge: What is inclusive design ? *2 経済産業省:認知症イノベーションアライアンスWG令和4年度第1回事務局資料より。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年09月13日東京都社会保険労務士会(会長:寺田 晃)は、令和5年3月7日(火)15時~17時に「令和4年度メンタルヘルス対策セミナー」をオンラインで開催します。コロナ禍により働き方や雇用の在り様が激変した一方で、働く人の意識や価値観も大きく変化しています。厚生労働省が令和4年7月に公表した「令和3年労働安全衛生調査(実態調査)結果の概況」によれば、休業者は年々増加傾向にあり、メンタルヘルス不調を訴える従業員は増加の傾向にあるようです。メンタル不調の未然防止や不調が出た場合の対応、あるいはハラスメントに起因するメンタル不調などの局面で、従業員とのトラブルを招かないよう悩む人事担当者の方も多いのではないでしょうか。そこで、本セミナーでは、企業の人事担当者、あるいは経営者が対応する際の留意点を社労士がわかりやすく解説するとともに、ロールプレイを用いた事例紹介も行う予定です。無料セミナーとなっておりますので、是非この機会にご受講ください。メンタルヘルスセミナー_表面■「メンタルヘルス対策セミナー」開催概要対象 : 中小企業事業主、人事労務ご担当者開催日時: 令和5年3月7日(火)15:00~17:00開催方法: オンライン配信講師 : 長部 ひろみ氏(東京都社会保険労務士会所属)ソーシャルサポートオフィス シトラス 代表東京都社会保険労務士会 働き方改革・健康経営特別委員会 委員開催形式: オンライン配信のみ受講費用: 無料申込方法: web申込のみ【申込締切:令和5年3月3日(金)】申込URL : 【東京都社会保険労務士会 概要】社会保険労務士法に基づき東京都に設立された法定団体。社会保険労務士会は各都道府県に設置されている。都内で活動する会員社会保険労務士の資質の向上と業務の改善進歩を図るため、会員の指導及び連絡に関する事務を行うことを目的としている。所属会員は、開業、法人社員、勤務などの個人会員と社会保険労務士法人の法人会員で構成されており、令和5年1月31日時点の会員数は、個人会員11,672名、法人会員806法人。代表 : 会長 寺田 晃所在地: 東京都千代田区神田駿河台4-6 御茶ノ水ソラシティアカデミア4階URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年02月09日NPO法人インビジブル(本社:東京都中央区、理事長:山本 曉甫)は、メンタルヘルスとは何か、そして、その今後について考えるためのイベント『MINDSCAPES TOKYO WEEK ー アートと文化的な視点から考えるメンタルヘルスとは? ー』を2023年2月20日(月)に、有楽町駅前にあるYAU STUDIOにて開催します。MINDSCAPES TOKYO ロゴあらゆる災禍に見舞われ、不安定になってしまった世界を生きざるを得ないわたしたちは、<心の健康=メンタルヘルス>をどうやって維持すればいいのでしょうか。メンタルヘルスのケア、という重責を、医療機関だけに強いるわけにはいかない現状については、みなさんもご存知でしょう。そんななかで、芸術文化的側面から<メンタルヘルス>に何ら寄与する方途があるのでは、という直観がわたしたちのなかに生まれました。医療という行為によって、こころをケアするための手がかりになる<症状>。アートという行為によって、こころの響きをカタチにした<作品>。どちらもこころの所産であるとするならば、アートという行為による、こころのケアも可能なのではないでしょうか。この直観を可視化し、日本国内におけるメンタルヘルスの向上を目指してスタートしたのが、英国を拠点にウェルビーイングの発見的研究を支援する公益信託団体ウェルカム・トラスト、日本を拠点にアートの創造性を社会に還元すべく活動するNPO法人インビジブルの両団体によるプロジェクト「MINDSCAPES TOKYO」です。その母体となる「Mindscapes」は、東京だけでなく、ニューヨーク、ベンガルール、ベルリンの各都市で、ウェルカム・トラストが各地のパートナーと連携して、各都市独自のプロジェクトを進める、国際的な文化プログラムです。MINDSCAPES TOKYOは、2022年の発足以来、アート/文化的観点、日本という文脈から改めて<メンタルヘルス>へのアプローチ方法を探求すべく、あらゆるジャンルのスペシャリスト、多世代にわたる参加者とともに、「学び合う」をキーワードに、継続的な対話集会<コンビーニング(CONVENING)>を開催し、都市におけるメンタルヘルスのあり方を調査するアートプロジェクト<UI都市調査プロジェクト(URBAN INVESTIGATION)>を実施しました。いずれも、こころ、という果てしなくひろがるフィールドを探求するプロジェクトだけに、誰しもが納得するような明確な答えを得たわけではありません。しかし、<症状>ではなく<作品>を生みだすアートという行為には、メンタルヘルスケアのためのヒントが溢れていました。MINDSCAPES TOKYO がいかにして、感性という言葉で覆い隠されてしまった、こころの響きをカタチにする<アートという行為>を紐解き、メンタルヘルスケアに貢献すべきかを模索しているのか、そのプロセスをみなさまと共有するために、来たる2月20日(月)から28日(火)まで8日間、『MINDSCAPES TOKYO WEEK』を有楽町、YAU STUDIO にて開催いたします。“科学だけではこの仕事はできません。アーティスト、作家、キュレーター、デザイナー、映画制作者など、文化的実践者と密接に協力し、幅広い分野や専門的背景を持つ人々を集め、一人ではできないことを一緒に実現していきたいと思います。”ダニエラ・オルセン(ウェルカム・トラスト 文化パートナーシップ責任者) ■MINDSCAPES TOKYO WEEK @ YAU STUIO、有楽町2月20日から2月28日までの8日間にわたりMINDSCAPES TOKYOが主催する『MINDSCAPES TOKYO WEEK』は、<UI都市調査プロジェクト><コンビーニング>の活動報告、<雑感/ZATTKAN><サロンZ>などの交流イベントからなるプログラムです。【活動報告:UI都市調査プロジェクトOPEN STUDIO】マインドスケープス(Mindscapes)の一環である<UI都市調査プロジェクト>は、都市における<メンタルヘルス(Mental Health)>のあり方について、アーティストとユースがクリエイティブなアプローチから共同で調査に取り組む実験的なアート・プロジェクトです。自らのメンタルの不調を他者に伝えにくい現代社会において、本プロジェクトでは多世代交流や対話を重視した体験型の学びから、都市部におけるメンタルヘルスについて根本的に考える機会をつくりだすことを目指します。3名のアーティストがリード調査員(Lead Investigator)を務め、学校法人角川ドワンゴ学園N高等学校・S高等学校から募ったユース調査員と共に<都市と心/精神の健康>の結びつきを探求するプロジェクトを展開しながら、活動を通じて発見した気づきや学びをプロジェクトの発展に還元することで、都市におけるメンタルヘルスを考える思考と行動の切り口を生み出す取組みです。各調査は、調査でありつつアート・プロジェクトです。報告の形態は、調査内容の報告に適したアウトプットを調査員たちが設定しました。通り一遍のテキスト、数値だけでは表現できないメンタルヘルスの側面を感じていただけるはずです。同時に、活動を通して「メンタルヘルス」というカタカナで表される言葉に対する理解を深め、日本語を母語とするものにとってこの言葉が内包する本質的な意味を問い、捉え直していくことも本活動の目的になります。【対話集会:コンビーニング】<コンビーニング(Convening)>は、マインドスケープスの活動に賛同する様々なバックグラウンドを参加メンバーとともに、アート/文化の視点からメンタルヘルスについて対話を重ね、学び合うことを目的とした対話集会です。2022年5月~2023年2月、全4回のコンビーニングは、東京と富岡町(福島県) を会場に、森美術館とNPO法人インビジブルが企画協力し、「ミュージアムやアートプロジェクトは、メンタルヘルスクリニックになりえるのか?」という問いをテーマに取り組んできました。そして、MINDSCAPES TOKYO WEEKでは、わたしたちの掲げたテーマについて、今後の方向性やあり方をまとめながら、より具体的に次なるフェーズについて、活動報告と共に意見を交換します。【交流会:スナック雑感】MINDSCAPES TOKYOの活動のキーワードとなった、日本語特有の表現でもある<雑感/ZATTKAN>。わたしたちは、雑感を重視することで、文化的な視点からの本活動についての考察を深め、また、一人ひとりが気を張らず発言ができる環境づくりへの足がかりを築きました。その結果、アジェンダありきの堅苦しい議論では浮かばなかったであろうアイデアも生まれました。<スナック雑感>は、来場者がメンタルヘルスについて、思い想いの<雑感>を共有するための交流イベントです。そこは、日々の疲れから解放される癒しの時間です。ホストには、SSS(社会彫刻家)、磯谷・エリザベステ・香代子、MTWスタッフなど、多彩な顔ぶれが名を連ねております。【交流会:サロンZ】サロンZは、ゲストを囲み、さまざまな角度からMINDSCAPES TOKYOの活動について考えるための、交流型トークセッションです。■イベント開催概要会期 : 2023年2月20日(月)~28日(火)*休館日なし時間 : 12:00~19:00(19:00以降プログラムあり)会場 : YAU STUDIO所在地 : 東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビル10F入場料 : 無料参加方法: 事前申込制( )問合せ : 主催 : ウェルカム・トラスト、NPO法人インビジブル会場協力: 有楽町アートアーバニズム YAU構成 : 【コンビーニング】企画協力:森美術館、一般財団法人小峰研究所【UI都市調査プロジェクト】企画協力:学校法人角川ドワンゴ学園N高等学校・S高等学校、東京ガレージ、塩野香料株式会社、株式会社キチベエ機材協力:富士フイルムイメージングシステムズ株式会社■Wellcome Trust | ウェルカム・トラスト誰もが直面する緊急の健康課題の解決を目指す医療財団で、世界で2番目の規模を誇ります。生命、健康、ウェルビーイングに関する先進的な研究を支援し、メンタルヘルス、気候変動、感染症という3つの世界的な健康課題に取り組んでいます。 ■NPO法人インビジブル「invisible to visible(見えないものを可視化する)」をコンセプトに、アート、文化、クリエイティブの力を活用した地域再生、コミュニティ開発、教育など領域を横断したプロジェクトに取組んでいます。2015年の設立時より、時代や状況に合ったカタチで、持続可能な豊かな社会を創ることを目指し国内各地で活動を展開してきました。インビジブルは、ウェルカム・トラストとの共同主催者として、MINDSCAPES(マインド・スケープス)の一環である「コンビーニング」と「UI都市調査プロジェクト」の両事業の企画運営を担っています。 ■MINDSCAPES TOKYO|マインドスケープス東京ウェルカム財団が主催する<MINDSCAPES>は、メンタルヘルスを理解するあり方やそれらの語り方、メンタルヘルスに関わる問題の対処の仕方等について、今までとは異なった方法を見つけだすことを目的とした国際的な文化プログラムであり、ベルリン、ニューヨーク、ベンガルール、東京の4都市を中心に展覧会やワークショップ等さまざまなイベントが企画されています。 ■有楽町アートアーバニズム YAU「有楽町アートアーバニズム YAU」は、有楽町ビル10階にある約1200m2のスタジオを拠点に、映像・写真などのメディアアートからパフォーミングアーツまで、幅広いアーティストの活動を街に呼び込み、ワーカーとの交流を誘発する実証プログラムです。2022年2月から活動を開始し、約28万人が働くビジネス街、大手町・丸の内・有楽町地区にどのような変化やイノベーションを起こせるか検証を行いながら、共創的なコミュニティを育んでいます。アートアーバニズムとは、「アート」という共感的で感性的な価値創造のアプローチが都市生活様式に共存すること。都市の“作り手”と“暮し手”の境界を越えた相互活動を引き起こす、探求・実践の取り組みです。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年02月08日ドウェイン・ジョンソンが「E!News」のインタビューで、「男性は、メンタルヘルスの問題を抱えていてもオープンに話すことができない傾向にある」と問題提起。自らの経験を語った。「私は一人っ子で、男として育った。男というのは、もともとそういうこと(メンタルヘルス)について語らないような性質がある。話すことで、傷つくような気がするからだ。誰だって傷つきたくない。メンタルヘルスについて話すことで、弱さを見せるような気になるんだ」と指摘した。ドウェインは1990年代から90年代半ばに、アメフトがらみのけがや不調で「うつ」を経験。初めて「うつ」を患ったときは「それがなんだかわからなかった。とにかく最悪な気分で、なにもしたくなかった」という。どん底から抜け出すために必要だったことは、人と話し、助けを求めることだった。この経験をもとに、自身の伝記ドラマ「Young Rock」で視聴者に「助けを求めるのは弱さを見せるんじゃない。助けを求めるのは、私たちのスーパーパワーなんだ」と呼びかけたことも。「最高に感動する視聴者からの感想は、メンタルヘルスについて語る開放性に関してのことなんだ」と話し、ドラマがメンタルヘルスについて考えるための手助けとなっていると、手ごたえ感じていることを明かした。(Hiromi Kaku)
2022年03月15日メンタルが激弱ながらもどうにかこうにかやってきて、子どもの手が離れ始めた矢先のコロナ禍。悪い意味で自分と向き合う時間が多くなり、メンタルがさらに悪化。特に大きな出来事があったわけでもないのに、不安定になることが多くなりました。自分と向き合う時間が増えたことで、しまい込んでいたはずの嫌だった記憶が、芋づる式に溢れ出てきてしまうようになりました。それは自分の意志とは関係なく、しかも鮮明だったりするのでとっても厄介。ひどい時は勝手に涙が出てきてしまったりして『あ~、これはやべえな…』と。そんな時は、できるだけ早めにデトックスするようにしています。コロナ禍であっても、この2つの方法だと実行しやすく、定期的におこなっています。自分でも気づかないうちにため込んでしまっていることも多いので、爆発してしまう前に意識してデトックス。両方短時間で意外とスッキリします(笑)私は特に感情が表情にモロに出てしまうタイプなので、自分自身で上手にコントロールしていかなきゃなと思います。
2022年01月19日メンタルヘルス対策サービス『KIRIHARE EAP』を提供するKIRIHARE株式会社(所在地:東京都墨田区、代表取締役:佐藤 元輝)は、1ユーザーあたり月額300円と低価格で利用できる「ライトプラン」を2021年10月1日より提供開始しました。詳細URL: プラン■提供背景リモートワークが主流となり、今までの方法ではメンタルヘルスケアが行き届かないことがあります。対面では発見できた従業員の不調も、リモートでは状態を把握しきれない場合があるからです。コロナ禍の今、リモートワークに合わせて、従業員が在宅で気軽に利用できるメンタルヘルスケアが必要とされています。今回追加した「ライトプラン」は、低価格で導入しやすく、リモートワークでも気軽に従業員のメンタルヘルスケアを実施できるサービスです。■「ライトプラン」の特徴ライトプランは、従業員あたり月額300円と導入しやすい価格設定です。『KIRIHARE EAP』が提供する全てのプランの中で最も低コストで利用できます。【KIRIHARE EAPの料金プラン】・ゴールドプラン(1,280円/月)・シルバープラン( 980円/月)・ライトプラン ( 300円/月)従業員は、LINEを通して在宅で気軽にストレスチェックや心理テスト、セルフケアを利用できます。また、データの集計や分析はシステムが自動で行います。メンタルヘルス担当者は、集計や分析作業をする必要なく、結果をいつでも確認できるようになっています。≪ライトプランで利用できるサービス≫・ストレスチェックシステム法律に基づいたストレスチェックに対応しています。ストレスチェックの実施と結果閲覧、産業医面談を受ける労働者の把握、高いストレスを抱える属性の分析などが可能です。・心理テスト法対応のストレスチェックで最も使われている質問票(厚生労働省が推奨する57項目)を採用しています。・セルフケア週に1回のコラム配信です。認知心理学による思い込みやマイナス思考を改めるプログラムを搭載しています。プラン料金とは別に、ポイントやオプションの利用により、カウンセリングやハラスメント対応を受けることも可能です。■『KIRIHARE EAP』の概要『KIRIHARE EAP』は、KIRIHARE株式会社が提供するEAP(従業員支援プログラム)です。EAPとは、主に企業からの相談を受けて、ストレス診断・カウンセリング・医療勧奨などを行うプログラムを指します。『KIRIHARE EAP』の特徴は、「予防」と「発見」に注力している点です。LINEを活用した双方向コミュニケーションで不調になる前にアプローチし、重症化を防ぎます。■会社概要KIRIHARE株式会社所在地: 〒131-0032 東京都墨田区東向島2-9-3-201代表 : 佐藤 元輝設立 : 2015年12月17日URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年10月29日メンタルヘルス対策サービス『KIRIHARE EAP』を提供するKIRIHARE株式会社(所在地:東京都墨田区、代表取締役:佐藤 元輝)は、メンタル不調の予防と発見に特化し、1ユーザーあたり月額980円で利用できる「シルバープラン」を2021年10月1日より提供開始しました。料金プラン概要■シルバープランの特徴シルバープランは、ゴールドプラン(1,280円/月)より低価格で、ライトプラン(300円/月)より充実したサービスを利用できるバランスの取れたプランです。今回、従業員あたり月額1,000円で利用したいというご要望にお応えし、月額980円のプランをご用意しました。シルバープランでは、心の不調の「予防」と「発見」に特化したサービスプランを提供します。■心の不調の「予防」と「発見」とはメンタルヘルス対策は、不調者だけでなく健康な人にも必要です。ひとりひとりの状態に合わせて次の4つの対策を行います。1. 予防 :健康管理により、メンタルヘルスの悪化を防ぐ。2. 発見 :定期チェックで、自身のストレスに気づく。3. 早期介入:高ストレス状態になった場合、第三者が次の段階へアプローチ。4. 早期回復:個別のカウンセリングなどを行う。従来のEAP(従業員支援プログラム)サービスは、高ストレス状態の人にアプローチする早期回復がメインでした。一度重症化すると、長期にわたる休業が必要となることも多く、本人や家族、企業にとっても負担が重くなります。そこで、KIRIHARE株式会社では、LINEを活用した双方向コミュニケーションで「予防」と「発見」に注力し、不調になる前に介入することで、重症化を防ぎます。今回、新たに追加された「シルバープラン」は、最も利用ニーズが高い予防と発見に特化したプランです。不調者だけでなく「心の不調予備軍」にまでアプローチし、状態が悪化する前に従業員のメンタルヘルスを改善します。サービス■KIRIHARE EAPの特徴●従業員に利用される仕組み従業員はLINEやWebなど、会社から切り離された場所でサービスの提供を受けることが可能です。相談内容や個人ごとの利用状況は、管理者に通知されません。「人事評価に影響するのでは」などの不安があると、サービスを利用できなくなる例があります。『KIRIHARE EAP』は、従業員の心理的安全性を保つ仕組みで、安心して利用できるサービスになっています。●人事が対応しやすい情報・サービスの提供人事は、従業員のメンタルヘルス状況を統計情報として閲覧できるほか、カウンセリングの利用歴などを匿名情報として参照することができます。《 提供コンテンツの例 》●心理テスト労働安全衛生法に対応するストレスチェックなど、専門的な4種類の心理テストが受検可能です。LINEから手軽に受検でき、従業員の利用状況に合わせて適切な心理テストが通知されます。●セルフコンテンツマインドフルネスを実践するコラムなど、エビデンスに基づいたセルフケアコンテンツを配信します。●オンライン配信心身の調子を整えるおうちヨガやマインドフルネス関連のセルフケア法など、Zoomを使って定期配信します。プラン比較一覧表■会社概要KIRIHARE株式会社所在地: 〒131-0032 東京都墨田区東向島2-9-3代表 : 佐藤 元輝設立 : 2015年12月17日URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年10月18日デジタルメンタルヘルス事業を展開するKIRIHARE株式会社(所在地:東京都墨田区、ホームページ: )が企業向けに提供する、採用ブランディングにもつながるメンタルヘルスケアサービス『KIRIHARE EAP』は、9月末までのキャンペーンとして、トライアルモニターを募集いたします。採用ブランディングは、採用において自社をブランド化し、求職者からの魅力を高めることを指します。現在、採用活動をする中で、希望する人材が採用できなかったり、他社との比較で、思うような成果が上がらない…等のお悩みはございませんか?採用において自社を「ブランド化」し、魅力を高めたいとお考えの会社は、一度、採用ブランディングを考えると良いかもしれません。今回は、採用ブランディングの基礎知識と、求職者へのアピールにもつながる法定外の福利厚生サービス『KIRIHARE EAP』について解説していきます。最後に、9月末までのキャンペーンとして、トライアルモニターのお知らせをいたします。KIRIHARE EAP(従業員支援プログラム)採用ブランディングには、以下のメリットがあります。■応募者の質と向上転職、就職活動において、同業種の中から1社を選ぶのは至難の業です。その時、参考にするのは、風通しの良さや企業イメージになるのではないでしょうか。明確なブランドや他にはない自社の働きやすさをアピールできると、会社を決める最後の決め手となることが多いです。また、魅力を発信すると、その価値観に惹かれた人が多く面接に来ます。応募者数の増加も期待できるでしょう。■人材の定着と採用コストの削減この企業で働きたいというイメージが大きくなると、会社のファンが増えていきます。現在、情報化社会により、入社した後の口コミや社内の雰囲気等は、すぐに情報として全世界に発信されてしまいます。これは、一見悪いようにも聞こえますが、良い採用ブランディングを行い、実際に入社した従業員のエンゲージメントが高ければ、その評判は自然と向上していくでしょう。このような良いサイクルが循環していくことで、人材が定着し、採用コストの削減にもつながっていきます。採用ブランディングは、今後の会社の発展を考えたときに、とても必要なマーケティング手法です。大事なことは…・どのような人を雇いたいかの明確化・法定外の福利厚生の充実・風通しの良い、健康的な会社経営の実現上記にあげたポイントを、どれだけ対外的にアピールできるかです。また、外部のプログラムを取り入れることで、自社の負担を増やさず、ブランド化を図ることもできます。それらのポイントを踏まえた上で、ぜひ当社が提供する従業員のメンタルヘルスケアサービス『KIRIHARE EAP』をご検討していただけますと幸いです。当社サービスのご紹介【KIRIHARE EAPの概要】KIRIHARE EAPでは、「予防→発見→早期介入→早期回復」のサイクルを迅速に回すことで、従業員のメンタル不調の悪化を防ぎます。KIRIHARE EAPの特徴▼予防既存のEAPサービスは、「従業員がメンタル不調に陥った後に、フォローする」というフローが一般的でしたが、KIRIHAREが提案するEAPサービスでは、不調にならないための「予防」を何よりも重視します。従業員自らが、日常的に「セルフケア」に取り組めるよう、LINEのプッシュ通知機能を使って、メニューの中にあるセルフケアコンテンツの利用を促すメッセージを定期的に配信します。▼発見従業員は、メニューの中にある専門の心理テストを受検することで、手軽にメンタルヘルスの自己チェックが行えます。ストレス状態への気づきや意識を促すことで、早期発見に繋げます。▼早期介入高ストレス状態であることを従業員自身が自覚できず、自ら対処できない場合KIRIHAREのシステムがメンタル不調者を検知します。その後、KIRIHAREスタッフがメンタル不調者に対し、セルフケアの促進やカウンセリング利用を提案するメッセージをLINEで送ります。このように、第三者が早期に介入することで、従業員のメンタルヘルスの悪化を防ぎます。▼早期回復メンタル不調の予防・早期発見・介入のサイクルを迅速に回すことで、従業員がメンタル不調を引き起こした場合も、早期回復を実現し、企業全体の生産性・パフォーマンスの向上に寄与します。採用ブランディングは、外部のサポートを導入することで、同企業との差別化やブランド化がしやすくなります。働き方改革が騒がれている現在、メンタルヘルスケアに力を入れる企業も多く、GoogleやFacebook、メルカリやYahooでも、メンタルヘルスケアが導入されています。職場のメンタルヘルスケアは、会社内の悩みだけに限らず、プライベートな悩みと複合しているケースも少なくないため、内部の人には話しづらい感じる従業員が一定数います。こういった理由から、外部サービスを導入するメリットは大きいです。メンタルヘルスという一人一人の状態に合わせた細やかなサポートが必要となるからこそ、心理学などの知識や関連資格を持つKIRIHAREスタッフのサポートが受けられる『KIRIHARE EAP』の導入をご検討ください。【キャンペーンについて】今回のご案内を見て、ご連絡いただいた企業様は、有料プランが1ヵ月無料でご利用いただけます!「まずは話だけでも聞いてみたい」「とりあえず資料が欲しい」などのご希望があれば、以下に記載のURLより、お問い合わせください。▽KIRIHARE EAPの詳細 ▽資料請求 ▽新規登録(人事ご担当者様向け) ▽貴社の状況に合わせたサービス内容をご提案します。無料相談はこちらから 【会社概要】名称 :KIRIHARE株式会社代表者:佐藤 元輝(さとう げんき)所在地:〒131-0032 東京都墨田区東向島2-9-3設立 :2015年12月17日 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年09月08日漫画家の、あららぎ菜名(@Araragi_Nana_23)さんがTwitterに投稿した、創作漫画をご紹介します。架空の未来を描いた物語に登場するのは、上司とその部下です。メンタルが崩れ、ベッドから起き上がることができなくなった部下は、電話で上司に欠勤の連絡を入れました。『メンタル代行人』「メンタル代行人」(2/2) #仕事探しはスタンバイ #漫画が読めるハッシュタグ pic.twitter.com/yJAfvWie9r — あららぎ菜名/漫画家@書籍発売中! (@Araragi_Nana_23) July 23, 2021 『メンタル代行人』と呼ばれる女性は、部下の今の状況を超能力でコピーし、上司に伝えたのです。部下の不調を身をもって体験した上司。この時初めて、部下が精神的に追い込まれていたことに気付けたのでしょう。部下の体調を気遣った上司は、「栄養のあるものを買って渡してほしい」と女性にお金を渡し、謝罪の意思を示したのでした。作品には、さまざまな感想が寄せられています。・口下手なだけだったんだろうな。理解のある上司でよかった。・ジーンとした。心の状態をうまく伝えられる未来がきてほしい。・こういう職業があったらいいなあ。外傷と違い、心の傷は目に見えないもの。何気なく発した言葉は、時として相手の心を深く傷付けたり、追い込んだりする場合があります。他人を思いやる言動の大切さに、改めて気付かされますね。[文・構成/grape編集部]
2021年07月29日「幸福になるために必要不可欠なものは、なんだと思う?」そう聞かれたら、あなたならどのように答えますか。漫画家の竹内絢香(@ayakatakeuchi56)さんは、イギリスのマナー講師からこの質問を投げかけられたといいます。愛、家族、友達、お金…すべて「違う」という講師。答えを聞くと…。突然「幸福になるために必要不可欠なものは❓️」と聞かれて考えたことです pic.twitter.com/bLYPEPkDrx — 竹内絢香 (@ayakatakeuchi56) January 15, 2021 幸福になるために必要不可欠なもの、それは『健康』。竹内さんは、当時「気付かなかった」と笑う程度だったというものの、心身の健康を崩してその言葉の意味を理解したそうです。確かに、健康でなければ幸せを感じることはできないでしょう。身体や心の不調を見て見ぬふりや、ごまかすことで健康はすぐに失ってしまいます。竹内さんは、自分の体調にウソをつかず疲れていたらすぐに休むよう意識するようになったのだとか。漫画を読んだ人たちからは、共感の声が寄せられていました。・自分に優しくしたいと思いました。・健康であることが幸福なのかもしれない…。・健康は大事。早めにケアしないとね。新型コロナウイルス感染症が流行する中では、より健康でいられることが幸せと実感する機会が多いかもしれません。自分の体調の変化を見落とさないよう、身体を大切に健康に気を付けて過ごしたいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年01月16日過去にメンタルの不調で治療を受けた経験を告白し、メンタルヘルスに関心の高いジャスティン・ビーバーが、あるファンにとっておきのサプライズをした。メンタルヘルス活動家で、ジャスティンの大ファンであるジュリー・コーカー(22)さんに、約1100万円(10万ドル)の小切手を贈ったのだ。「Billboard」誌が報じた。ジュリーさんは13歳のときからジャスティンの「スーパーファン」。大学生のメンタルヘルスの認知度を向上させるNPO団体「アクティヴ・マインズ」の、ストックトン大学支部の会長を務めている。自殺願望、うつ、摂食障害で悩む3700人の学生を救ってきた。先日、「アクティヴ・マインズ」のプロモーション活動のために、MTVの番組に招かれたジュリーさん。収録中にジャスティンが突然登場し、ジュリーさんはステージに呼ばれてハグを交わした。これだけでもファンなら舞い上がってしまうところだが、さらなるサプライズが。ジャスティンがステージの上で10万ドルの小切手にサインし、プレゼント。一瞬何が起きたのか分からず固まってしまったジュリーさんだが、「すごくうれしかった」と大喜び。贈られたお金は、大学院への進学に使い、残りは「アクティヴ・マインズ」に寄付するという。(Hiromi Kaku)
2020年02月10日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。突然プロポーズをしてきた彼から教えてもらった、忘れていた家族への愛情——。現状の打開策と兄への最善のサポートについて考え直すきっかけになりました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 23閉鎖的だった私たちに新しい風聞いてほしくなかったこと、話題にだしてほしくなかったことだと思っていた、兄の話。しかし、本当は誰かと支え合って理解したかったのかもしれない……そう、今なら感じます。両親の陰から見ていただけだった私は、兄の相談を誰にしたら良いのかわからず過ごしてきましたが、彼の親身なメッセージを見てからは大きく気持ちが変化しました。両親も、兄に理解を示してくれる彼に、“家族” として心を開くことができ、長年閉鎖的だった我が家に新しい風が吹き始めたのです。現状を打破するには……?兄は、一時期の暴力的な状態に比べると、本当に穏やかになりました。精神安定剤を飲んではいるものの、病院の回数も格段に減りましたし、テレビを見たり、パソコンで音楽を聴いたりと、何かに集中することができるようになったことも大きな前進です。しかし、今の暮らしを続けるとなると、診断書を提出して障害者手帳の更新をしながら、障害者年金(または、生活保護)を受け取ることになります。医療費のサポートや、交通機関の補助などは大変ありがたいことですが、それが兄の「生きること」に楽しさや嬉しさをもたらすのかといったらそれはまた別の話になるでしょう。私たちは、兄に「生きがい」を持ってほしいと願いました。役割を持つことで “生きがい” を見つけるそこで、彼を含めた私たち “家族” のアイデアは、「人は社会の役割を持つことで生きがいを得る。金銭的なサポートも大切だけど、社会との関わりを少しずつ増やし、精神的な自立を支援することにも注力したほうが良いのではないか?」というものでした。思い返せば、両親は兄が精神安定剤を飲んだり、病院を探したりすることに夢中になるばかりで、社会との関わりに対してサポートすることを忘れていた気がします。閉鎖的になっていたことを反省し、障害を持つ人への雇用があるのか探してみることに……。すると、どうでしょう。例えば、父の知り合いには、大人になってから喉の手術をして声帯を摘出した人がいました。声が出なくなってしまったのですが、パソコンを使った仕事に就くことができて明るく生活されているそうです。また、私の友人の仕事先にも精神的な障害を持つ方がいるけれど、コミュニケーションが必要な接客業ではなく、裏方として荷物を整理する役割についているとのことだったのです。今までは、社会復帰をするなんてまだまだ先……と思っていた両親も、兄ができることから始めてみようと背中を押すことに。そして、兄が働ける雇用先を探し、工場で働くという試みをしました。結果は、1か月という短い期間しか続かなかったのですが、それでも兄にとっては大きな社会的役割を果たせたと思います。すぐに、完全な社会復帰ができなくても、少しずつ自分でお金を稼ぐ能力を身につけることができれば、行動範囲や視野も広がると共に自分に自信がつくのではないか。これからも、チャンスがあれば積極的に探していきたいと思っています。世界でたった一つの “家族” だから大人になるにつれてできる人間関係は、幅広いものです。しかし、本当に自分が困ったときに助け合える関係や、時には言いたくないことも指摘してくれる関係、そして自分の背中を押してくれる関係、心の中に入り込んでくれる関係は、世界でたった一つの “家族” だと私は思います。その “家族” というのは、血が繋がっている・いないではなく、包み隠さず人生を共に歩む「絆」のこと——。それに気づくことができたのは、彼、両親、そして兄のおかげです。©gyro/Gettyimages©ipopba/Gettyimages©Chalabala/Gettyimages©BrianAJackson/Gettyimages
2018年08月07日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。自分の境遇を知られたくない思いから、恋愛どころか男性が苦手になっていったアラサー手前のこと。突然のプロポーズを受け動揺を隠せない私がいました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.22「君を妻にしたい」——。その男性は出会ってすぐ私に好意を寄せてくれましたが、私は心を開くことはできませんでした。それなのに彼は、突然「君を妻にしたい」とプロポーズしてきたのです。初めは、冗談だと思っていました。出会って早々、まだデートの回数もままならないのに、なぜ急に……? 私のことを何も知らないのに、何を根拠に言っているのか理解できませんでした。おまけに、男性が苦手な私にとって、交際を飛び越えていきなり “結婚” はどう考えても難しい。とはいっても、どうにかしてこの男性不信から逃れたいと答えを探していたのは本当なのですが……。彼の言動は超ストレート。「君は、彼女じゃない。一生のパートナー、妻だと思う」と、本来なら少しずつ意識するであろう “妻” スタートで私のことを考えてくれたのです。毎日届く「人生プラン」に、驚きを隠せなかったその本気さが一番伝わってきたのは、毎日届く長文のメッセージでした。コミュニケーションや気持ちの共有を一番大切にしてくれるのですが、LINEのような短い文章を伝えるツールではなく、パソコンのメールアドレスに「これからの私たちについて」「今後の人生のプラン」「僕の今までの生き方」「心音の好きなところ」など、自分の人生観や仕事のこと、今までの恋愛について、私のどこが好きなのか、そして私たち二人でどんな人生を歩みたいのか。時には、PDFで自己紹介を添付してくれたり、過去にしていた仕事の様子や将来のビジョンをまとめた資料を送ってくれたり……。ここまで、自己開示をしてくれる人がいるんだと思うくらい、包み隠さずに自分のことを話してくれたのです。自分の話をするより、人の話を聞くことで相手は安心するといわれることがありますが、私は逆だと思っています。人の話を聞くより、自分の本音を相手に包み隠さず話すことは、相槌を打つよりエネルギーを必要としますし、話したくないことまで自分を開示することは時として辛いからです。彼は、良い情報だけではなく、自分の人生においての失敗や挫折もたくさん教えてくれました。本当に大切に思っている人にしか話さないような、“辛い経験” をまだ出会ったばかりの私に話し続けてくれました。出張で会えない時でも、毎日長文を送り続けてくれるその行動。「今日はもう帰る」と冷たくあしらっても、「なぜひとりになろうとするの?」と言いながら手を取ってくれたその優しさ——。少しずつ「私を理解してくれるのは、この人かもしれない」という気持ちが出てくるものの、それでも不安はいっぱいありました。曇り顔を察したのか、彼は、私が不安に思っていることや心の内で感じていることを、話してほしいと言ってきたのです。私以上に、私の家族を大切にしてくれた彼おそらく、中途半端に気持ちを探られたり、曖昧なアピールをされたりしていたら、絶対に言わなかったと思います。しかし、あまりにも真剣だということが伝わってきたので、私自身も心を開かなければ彼に申し訳ないと感じ、正直に思っていることをすべて話したのです。「一生支え合えるパートナーができるか不安」「私には、障害を持つ兄がいる」「男性を心から信用することができない」……など、包み隠さずそのまま話しました。そして後日、またいつものように朝起きたら長文のメッセージが届いていたのですが、内容に驚きました。「この前は、たくさん話してくれてありがとう。家族のことだけど、お兄さんはどんな状況なの? コミュニケーションは取れますか? 手話はできますか? 車椅子ですか? ……それとも、ベッドから動けない状態ですか?」そして、障害者施設のことや斡旋サポートのページなど参考になりそうなリンクが貼られていました。彼なりに兄のことを考えてくれたメッセージだったのです。引っかかっていた心のわだかまりが溶けた瞬間このメッセージを見た時、心臓の奥を強く握られたような痛みと共に感じたことは、「ああ、血の繋がっている私よりも、兄に対して真剣に考えてくれている」という現実を直視する彼の強さです。そのメッセージは「私には、障害を持つ兄がいる」ということだけを頼りに情報を探してきてくれた内容で、“手話” や、下半身が不自由な人のための “車椅子” など、精神障害ではなく身体障害についてだったのですが、それでも時間をかけて調べてきてくれたことに胸がいっぱいになりました。気づけば誰にも言うこともなく、心にしまいこんでいた感情——。兄のことを避けるようにしていたことを、血の繋がっていない彼に教えてもらうとは……。恥ずかしさと情けなさと、そして彼の大きな愛が混じり合って、スーッと心の詰まりが溶けていったのです。©andrej_k/Gettyimages©Geber86/Gettyimages©metamorworks/Gettyimages©123ducu/Gettyimages
2018年08月05日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。年齢を重ねるほど、素直な恋愛ができなくなっていった私——。「婚活」という言葉を知りながらも、結婚に対して前向きになれませんでした。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 21家庭を持つ責任と、結婚の重み結婚することが女性の幸せである、好きな男性と結ばれて出産し子育てをすることが素晴らしい……。友人の結婚式に出席したり、子ども連れの夫婦を見たりすると、“幸せ” なのは頭で理解できるけれど、いざ自分に置き換えてみると一歩踏み出せない。どこか他人ごととして遠くから眺めている状態が、アラサー近くになっても続いていました。その理由は、小さい頃から繰り広げられていた、“荒れた家庭” が目に焼き付いているからです。高校を退学した兄の担任の先生に深く頭を下げる両親、夜中に帰ってきて騒ぎ立てる兄、精神障害者となった兄に安定剤を飲ませるためにタイマーをかけている母、仕事で疲れているのに休日は兄の病院の送り迎えをする父——。兄のことが疎ましいわけではなく、大事な家族のひとりだと思っています。でも、それらの光景は、私にとって良いイメージではありません。表立っていないだけで、家庭環境に苦労している家族も多いかもしれませんが、私が小学生、中学生だった幼い頃の我が家はとにかく悲惨でした。大人になった今は、自分の家庭は少しだけ稀だっただけ。そう、解釈できているのですが……。本当に、一生寄り添えるパートナーって?私は、両親をとても尊敬しています。元気な自分を保つことができたのは、両親がいつも力を合わせて家庭を守ろうとしていたからでした。もし、あの幼い時に、両親の意見が合わずに離婚していたら、もっと自分の居場所を無くしていたと思いますが、両親はいつも前向きでした。「心音は自分の人生を明るく生きなさい。お兄ちゃんは、お母さんとお父さんの子どもです。何を言われても、怖くなんかないよ。だってお母さんのお腹から出てきたんだから」と、私が想像しているよりも大きな愛で兄を育てていました。そんな両親を見ていると、果たして自分にそんな責任を負えるのか? 何があっても、一緒に助け合えるパートナーが見つかるのかと不安ばかり募ります。学生の時のように、自然体でありのまま恋愛できれば良いのですが、年齢を重ねるほど “傷つきたくない” 気持ちが大きく膨らんでいくばかりだったのです。また、「できちゃった婚」のように、もし、予想しないタイミングで子どもができたらどうやって責任をとったら良いのかわからない、一生のパートナーと確信していない人とは絶対に子どもは作れない。家庭や出産に対して、“幸せ” のイメージより先に “恐れ” が先行している状態に、世間とのズレを自分でも感じていました。男性を避け、「女性専用」を選ぶほどだった大人の恋愛になれば、学生の頃とは違い、明確な告白がなくても良い雰囲気になって関係をスタートすることもあると思います。しかし、曖昧にスタートさせようとする男性に対して、どこまで本気なのか試したり、わざと怒らせるようなことを言ったりして「石橋を叩いて渡る」領域を超えて、叩きすぎて壊してしまうことも多々ありました。そんな、“疲れる恋愛” しかしていなかった私は、「恋愛はめんどくさいし、疲れるだけ」「そんなことなら自分の時間を大切に過ごしていたほうがいい」と深く恋愛をすることを忘れていったのです。両親からも、「心音は、結婚しないかもしれないね」「正解はないから、自由に生きなさい」と私の心情を知ってか知らずか、結婚をすすめることはありませんでした。恋愛に対してひねくれていた私は、男性が言い寄ってきても、「どうせまたこの人もすぐにいなくなる」「好きって言うけど、本当は一瞬だけでしょ?」と勝手に不信感をもって斜めから見ていた気がします。女子大を卒業した後は、気づけば男性がどんどん苦手になっていました。電車やバス、ジムなどはなるべく「女性専用」を選んだり、休日も女友だちと過ごすことが多かったり。または、本当は嬉しいはずなのに、デートで男性に荷物をもってもらうことすら抵抗がありましたし、帰りも家まで送っていくと言われても、「大丈夫、ひとりで帰れるから」と突き放すこともあったのです。私のプライベートを知る親しい人からは、「心音ちゃんって、もしかして男性嫌い?」と核心をついた質問をされることもありました。“嫌いではないけれど、避けてしまう” 自分でも分からないこの男性への接し方は、答えがあるなら教えてほしいと願うばかりでした。心の奥に入ってきた、たった一人の男性そんな男性への不信が強くなるアラサー手前のこと。出会ってすぐに、好意を示してくれた男性がいました。「彼氏はいないの?」「このままずっと一緒にいたい」と。軽い気持ちで声をかけてくるだけの男性に違いないと思った私は、冷たくあしらって社交辞令ですませていました。この人も、きっとすぐにいなくなるだろう。「好き」と簡単に言ってくる男性が信用できなかったので「彼氏はいないけど、もう恋愛をするつもりはない」とまで言って、突き放していた矢先——。なんとその男性は、彼氏彼女を飛び越えて「君を妻にしたい」とプロポーズしてきたのです。©martin-dm/Gettyimages©fizkes/Gettyimages©Mixmike/Gettyimages©flukyfluky/Gettyimages
2018年07月28日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神障害者となった兄を献身的に世話してきた両親は、長い年月をかけて現実を受け入れ、ようやく前向きに人生を歩みだしました。いっぽうで私は、人間関係に悩むようになっていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 20人と人との “距離”ってなんだろう……?精神を病んだ兄に全てを注いできた両親ですが、祖父母の言葉でありのままの現実を受け入れることができ、心にゆとりを持ち始めました。そのことをとても嬉しく思った私ですが、私自身は人間関係に悩むようになっていました。地元にいる時は、自分の意図と関係なく作られる人間関係も、地元を離れると良くも悪くも関係づくりは「自由」です。仕事で出会った人、飲み会で出会った人、友人の紹介で出会った人——。自分のことを正直に話す必要もなければ、相手のことを深く知ることも「自由」。その場限りの人間関係に対して、兄の話をすることは基本的にはなく、「兄弟っているの?」と家族の話題になれば、笑顔で「ひとりっ子だよ〜」と言ったり、「兄がいるけど遠くに住んでいて、まったく会っていない」と言ったりして適当に流していました。小学生、中学生と幼いときの私は、兄に対して「自業自得だ」と酷く不満を感じていましたが、年齢を重ねるにつれて精神的にも少しずつ大人になり、兄のことを責める気持ちは消えていました。しかし、障害を持つ兄の話題をあえて膨らませる必要はないと思っています。それは今でも変わりません。これらの言動は、相手に対して変な心配をかけないための返答であり、“良い嘘” だと感じていただけると幸いです。心の壁が顕著に出るのは、恋愛だった兄の話を具体的に知っている人は、私の周りに今でも少ないです。本当に気心しれた数人のみ。……良くも悪くも、悩んでいたり落ち込んでいたりする姿を極力見せないようにしてきたおかげで、「いつも笑顔で元気な子」「悩みがなさそう」というイメージで生きてこれたと思っています。仕事の人間関係や女友だちの間柄では、そこまで深く悩むことがなかった私ですが、顕著に心の壁が出てしまう時がありました。それは、大学を卒業しても克服しきれなかった、恋愛——。飲み会やデートはたまにすることはあっても、生涯を一緒に歩むことができる男性をイメージすることは、20代後半になってもできませんでした。学生時代の彼以降、何人かとは恋愛関係にありましたが、今振り返っても “作り物の私”。仕事の合間に時々会って、デート。笑顔で写真を撮っては、「また会おうね」と元気にメッセージを送るだけ。彼から距離を詰められると、「最近は忙しいから」「今週は、予定があるから」など、会う頻度をわざと減らすこともありました。「なんか心音って、心を開いてくれないよね」数年一緒にいた彼からは、同棲の話が出たこともありますが「私は、まだ結婚は考えていない」「一緒に住むのは、まだいいや」「自分の時間を大切にしたい」と、言われたら相手が傷つくであろう言葉をわざと言っている自分に薄々気づきながら、素直に恋愛することを避けていました。「なんでそんなに強がるの?」「もう少し、心を開いてほしい」「悩みがあるなら言ってよ」と言われるほど、私の心は殻に閉じこもっていったのです。その時は、ただ強がることしかできなかったけれど、わざと突き放していた本当の理由は、すべてを知られるのが怖かったから。私が兄の立場だったら、家族にこんなふうに思われるのはとても苦痛です。そんな気持ちを抱いてしまうのはよくないことだと思うけれど、相手がどんな反応を見せるのか……。もしかしたら、嫌われるかもしれない。オブラートに包んではっきりとは言わなくても、距離を置かれるかもしれない。自分には、背負いきれないと思われるかもしれない——。誰からもそんなことを言われていないのに、なぜか私は勝手に不安を感じていました。加えて、悩みや弱い部分を知られたら、自分を保てなくなるのではないか? と崩れる精神状態を恐れて、ある一定の人間関係より深くなる瞬間を感じると、突き放す癖が治らなくなっていきました。結婚や子育てのイメージ世の中では、「婚活」がブームになりましたが、幼い頃から兄の世話で苦労していた両親を見ていた私は、「家庭=大変」というイメージがどうしても拭いきれませんでした。もちろん、最愛の人と結ばれて子どもができて、新しい家族とともに幸せな家庭を作ることは、素晴らしいと頭では理解しています。理屈では消化できていても、心がついていかなかったのです。ずっと、ずっと——。©gilaxia/Gettyimages©ljubaphoto/Gettyimages©fizkes/Gettyimages
2018年07月26日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神を患った兄につきっきりになってから、気づけば早10年。走り続けた両親に安堵を与えたのは、祖母や祖父の言葉でした。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 19“頑張る気持ち” は、どんどん首を締めるばかり兄の状態が変化し始めてから、気づけば10年近くが過ぎていました。母は仕事をやめて、平日は仕事の父も休日は病院に同行。薬の飲み忘れがないようにフォローしたり、病院や薬に頼ることなく模索したり……。それを、10年も続けたのです。「頑張れ」「精一杯行動すれば、なんとかなる」「道は開けるに違いない」——。それらの言葉は、時として本人たちの首を締める言葉にもなります。私は、両親の “頑張り” に誇りを持っていましたが、それ以上頑張り続けたら両親のほうが疲れ果ててしまうと感じたので、これらの励ましの言葉は一切口にすることはありませんでした。まだできる、もっとできる……。この10年の間、私はプライベートを優先する両親の姿を見たことがありません。旅行や遠出の移動は、兄を連れて行くと周囲に迷惑がかかるため極力避けていましたし、兄は当然自炊ができないので、母や父のどちらかがご飯と薬の用意をしなければならず、夫婦でのんびり過ごすということもしなかったのです。また、病院に行くときはオシャレな格好が似つかわしくないからと、地味な服装で医師や看護師に頭を下げる日々……。たまには、好きな服を着て息抜きに旅行をしたって、罰は当たらないのではないか? と思うほど、両親は自分たちの人生すべてを兄に注いでいました。兄のためにも、「前を向いて生活しなさい」そんな時に支えてくれたのは、祖母と祖父の存在です。祖父母の家には、兄を連れていくこともあり、彼らは実際に兄の様子を目の当たりにしていました。そして、両親が思い悩む気持ちを汲み取りながら、親身に相談に乗ってくれることも……。唯一、兄の状況を知っていた祖母や祖父から言われた助言。それは、「お兄ちゃんは、病気です。前を向いて生活すれば良い」という、励ましでもなく応援でもない言葉でした。兄の状況を過度に悲観するのではなく、受け入れてあげること。そして、両親は自分たちの人生を明るく生きなさいという指針だったのです。兄の状況がよくなることを願う気持ちはみんな同じでしたが、“良い意味” で兄を受け入れることが、両親にとって大切なターニングポイントになったと言います。本来なら、仕事をしてやりがいを得ているかもしれないし、最愛の人を見つけて家庭を持っているかもしれない。そんな期待を抱えていたから、大人になった兄の “今の姿” をちゃんと受け止めることができなかった。それが、両親の本音だったのかもしれません。現状をふまえ、少しずつ気持ちを楽にすることで、張り詰めていた “何か” がほぐれていったのがこの時期でした。おそらく、娘の私が同じ言葉を言っても、両親の心境を変えることは難しかったと思います。祖父母だから言える、“本物の助言”。苦しい時に染み入る言葉は、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」が大切だと学びました。以前通っていた病院へ戻ることにそして、両親は高額な自費診療をやめて、2つめに訪れた一番兄が落ち着いていた病院へ兄を再び通わせることにしました。いろいろと問題はありましたが、薬の量や体との相性、処方の方向性などを総合し、最も兄に合っていると判断。毎日思いつめていた気持ちが少しずつ穏やかになっていったのです。母は、パートタイムで仕事に復帰。仕事をする意味は、「お金を稼ぐ」ことだけではありません。仕事をすることで、いろいろな人とコミュニケーションが取れ、たわいのない世間話や趣味の会話をする時間を持てるようになりました。植物が好きな母は、花いじりをしたり、休日はガーデニングのワークショップに出かけたり。父は仕事漬けの毎日を少しずつ改めて、休日は早く起きてゴルフをしたり、ピアノを習い始めたりとアクティブに行動し始めました。“自分の時間” が、両親の毎日にやりがいと楽しみを見出すきっかけに繋がったのです。そんな両親の姿をみて、私は嬉しさを感じていました。いっぽうの私は、進路だけでなく、恋愛に対しても悩みを抱えていました。——。明るく振舞うことは得意だけれど、弱さや悩みをさらけ出せる、深い関係を築くことがうまくできなかったのです。©Zinkevych/Gettyimages©CaoChunhai/Gettyimages©AH86/Gettyimages©Ulianna/Gettyimages
2018年06月23日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神疾患の兄は薬の量も半分に減り、落ち着きを取り戻したかと思った矢先。両親は、新聞に大きく載っていた自費診療の病院を発見しました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 18両親は、誰よりも兄の回復を待っていた兄がお世話になった病院は、今まで2か所。両方とも、保険が適応される精神科でした。高校のある時期から激変した彼の状況に戸惑いながらも、やっと慣れてきた生活でしたが、両親は障害者手帳を発行された後も、兄の回復を諦めませんでした。「お兄ちゃんは、どこも悪くない」「また何かの拍子できっと、よくなる」と……。もちろん、自分の子どものことですから、両親が兄を良くしたいと思う気持ちは痛いほどわかります。しかし、妹の私からすると、当初に比べれば兄の状態はだいぶ落ち着いてきたように思えました。暴力的な言動や、過度の引きこもり生活を抜け、薬の量が半分に減り、入院ではなく通院に変わり病院に行く頻度もかなり落ちている。また、障害者手帳の申請や、障害者年金の受理までしているのだから、両親はもう少し気持ちを楽にしてはどうかと客観的に見ていました。世の中にあふれている「広告」そんなある日、「お兄ちゃんの病院を変えようと思う」と母から連絡がありました。なぜいきなりそんなことを言い出したのだろうか……?と考えていたのですが、よく聞けば新聞に大きく載っていた精神科に最後の望みをかけて診てもらいたいとのこと(当時は、藁をも掴む思いだったので深く考えていなかったけれど、その新聞掲載は記事ではなく広告だったそうです)。私は実家から離れて暮らしていたので、どんな状況だったかはわかりませんが、「都会に有名な精神科があるらしい」と田舎生まれの両親が言うのです。内容を詳しく聞いてみると、その病院は保険がきかない自費診療。実家から電車と新幹線、そして診察代や薬代を合わせたら1回行くだけでも約5万円くらいはかかります。正直、心の病気で悩んでいる人が一向に減らない現代で、自費診療を受けたから何かが急激に変わるとは思えず、私は半信半疑でした。しかし、基本的に、病院のことや薬については両親が決めていることなので、「興味があるなら、行ってみても良いんじゃない?」と反対はしませんでした。診断結果と処方薬が変化し、さらに悪化父が休みのときは一緒に行くこともありましたが、基本的に母と兄の2人で都会の病院へ通うようになりました。2年半近くそこの病院にお世話になりました。病名は、統合失調症ではなく「高次能機能障害」と診断があり、処方内容も異なりました。1回の診察で約5万円かかるので、総合的にみるとかなり高額な費用だったと言えます。結論からいうと、その病院に通って兄の病状は悪化してしまいました。高額な費用がかかったにも関わらず、兄はいつも興奮している状態で、当初の荒々しい兄に戻ってしまったかのよう……。両親が当時を振り返ると、「ビジネスとして成り立っている病院もあると思う」とのこと。もちろん、私たち以外の家族では成功した例もあるかもしれませんし、兄とは診察内容が合わず無念な結果になっただけ。そう思いたいのですが……。夢中になっている両親を救った言葉しかし、働くことができない状況の精神障害患者を対象に、自費診療を家族が長らく続けることは現実的に考えると難しい計画です。また、個人的な意見では、新聞に広告を出す予算があるならば、診察料をもっと良心的な値段に落としてもいいのではないでしょうか。とはいえ、「精神障害」患者を抱える家族にとっては、どんな手段でもいいから改善したい、社会復帰のためになんとかしたい、と辛抱強く頑張るケースは少なくありません。そんな藁をも掴む想いで頑張り続けた、両親を救った言葉。それは、祖母や祖父からの助言でした。©Geber86/Gettyimages©Daniela Jovanovska-Hristovska/Gettyimages©kieferpix/Gettyimages©AH86/Gettyimages
2018年06月07日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。大学を卒業したのち、私は初めてのひとり暮らしを経験。「自分の空間」を作ったことで、ストレスが軽減されていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.17自分を高める時間が、心を強くしていった大学時代の私は、ほとんど家には寝るためだけに帰る生活でした。音大だったので日中の授業はもちろんのこと、放課後や夏休み、GWなどもすべて練習しているか演奏の本番が入っているハードなスケジュール。そして、空いた時間を利用してアルバイト。始発と終電の繰り返しの大学生活では、高校の頃ように、家族や兄について深く考えることも減っていきました。周りの友人は、個性があって自分の関心ごとを極めたい気持ちを持った人々ばかり。先輩や後輩または、外部から派遣されたレッスンの先生も、専門分野のことを中心に生活しています。地元で生活していた時に感じた、人の噂話で井戸端会議をする人たちも少ない。他人の生活を詮索したり比較したりする暇があるならば、自分の技量を高めるためにに時間を費やしていると表現したほうが正しいかもしれません。人は、何かにか夢中になっていたり、関心の高いことがあったりすると、他人に干渉しなくなるのかもしれません。自由な生き方を認めてくれる、両親理解ある両親のもと、大学卒業後の進路は……ずばり「未定」。とはいっても、音楽や芸術の大学を卒業した後に、私のようになるケースは少なくありません。薄々気づいてはいたけれど、楽器を仕事に結びつけることは現実的ではありませんでした。しかし、小学生の頃から身近だった音楽。形にならないからといって、すぐにきっぱりと切り捨てることもできない。また、“趣味” のようにたまに触れるだけというのは、少しずつ技量が落ちている自分を再確認するだけの虚しい時間でした。そして、私は大学卒業後も、生活費を稼ぎながら、細々とレッスンに通ったり演奏したりしていました。良く言えば、“夢見る音楽家”。悪く言えば、“ただのフリーター”。そんな状況でも、両親は「心音の人生だから、好きに生きなさい」「健康でいてくれるなら、それでいい」といつも認めてくれました。「うちは、お兄ちゃんがこんなふうだから、心音が頑張っていることが、お父さんとお母さんの支えだ」と言われたこともあります。実家を離れて、ひとり暮らしをスタートしかし、20歳を超えて、いつまでも甘えているわけにもいけない。大学時代はずっと実家にいましたが、特にあてもないまま大学卒業後にひとり暮らしを始めました。初めての家賃、初めての光熱費。今までは全部両親が支払っていてくれた生活費や、細かい生活用品なども “当たり前” ではなかったんだとひとり暮らしをしてから、やっと気づくことができたのです。ひとり暮らしは大変なこともありましたが、良いことも多くありました。それは、「自分の空間」ができたこと。小学校の時から、朝の目覚めは大抵が兄の騒ぎ声。学校から家に帰ってきても、「薬は飲み終わったのか」「洋服をちゃんと着替えなさい」「お風呂に入りなさい」……そんな、毎日繰り広げられる両親と兄のやり取りは、「自分の空間」をなくすばかりでした。学生時代の醍醐味であろう、友だち同士の “お泊まり会” を経験したこともなかったですし、「うちに遊びにきていいよ」と声をかけることすらできませんでした。高校時代の彼も、「なぜ心音の実家に行ってはいけないのか」と悩んでいたことが、頭をよぎります——。「自分の空間」は、心の負担を減らす私のひとり暮らしは、プライベートを充実させることができたのはもちろんのこと、心の負担がかなり減りました。借りた部屋は、実家から電車で20分程度離れた場所。両親はいつでも来られる距離でしたし、私も帰ろうと思えばいつでも帰れる距離。この “適度な距離” が、私にとって自分を見つめ直す良い機会になったのです。朝は自分の決めた時間に起きることができて、キッチンで料理をしていても危なっかしい兄の姿はない。夜中にお風呂に急に入ったり突然騒ぎ出したりすることもない……。兄から離れて自分の時間を大切にする、という選択をとった私の行動が、「逃げ」「現実逃避」だと感じる人もいるかもしれません。しかし、兄を客観的に見ることができてストレスが減ったのは事実です。両親に余計な心配をかけてはいけない。兄のことは、私から口出ししないほうが良い。そんな暗黙のルールが漂うなか、ひとり暮らしを始めたことで少しずつ自分の居場所を作ることできるようになっていきました。そんな、落ち着きを取り戻したある日、両親は新聞に大きく載っていた高額な自費診療の病院を発見。実家からは電車と新幹線を乗り継ぐ距離の、都心にある精神科でした。©cirano83/Gettyimages©ipopba/Gettyimages©Eva-Katalin/Gettyimages©monkeybusinessimages/Gettyimages
2018年06月01日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。女子大へ進学した私は、自分の関心があることに夢中になる日々。恋愛からどんどん遠ざかっていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.16深くなる関係を恐れて、恋愛を避けていたバイト先が同じで、毎日のようにバイクで送り迎えをしてくれた元彼の前では、素直な自分でした。いつも私のことをサポートしてくれていた、頼れる年上彼氏。しかし、支えてくれることが、少しずつ大人になる私にとって逆に辛いことでもありました。彼のことが、嫌いになって別れたわけではありません。「もう、これ以上踏み込んで欲しくなかった」。これが、本音です。恋愛は、絆が深まるほど、お互いの生活に溶け込むことになります。家が近いから、一緒にいて楽しいから、見た目がかっこいいから。そんな小さなきっかけで始まった幼い恋は、月日が経つにつれて妙なプレッシャーへと変わっていったのです。両親の理解から、好きな分野を学ぶ……地元での青春はそろそろ終わり。自分の進路に向き合って、大学を選ぶ時期には、すっかり彼のことは頭からなくなっていました。両親に進学の相談を持ちかけたときのこと。「就職先は安定したところに」「将来性のある大学を」「結婚をして早く家庭を持ったほうがいい」など、子どもの将来を応援したい気持ちから出てくる言葉を親が子どもに言うことはよくあります。しかし、私の両親は、一度もそういったことを言いませんでした。背景には、心の病を抱えた兄の存在があります。毎日元気で笑顔に過ごしてくれたら、お母さんとお父さんはそれだけで嬉しい。いつもそう言いながら、「心音の好きなように生きなさい」と、私の気持ちを大切にしてくれたのです。私は大好きな音楽を専攻することにしました。一般的に、音楽や芸術関係の大学に進もうとすると、両親から止められるケースが多いのです。なぜなら、将来それを生かした仕事に就きにくいから。音楽や芸術は、目指してもゴールがある世界ではありませんし、学校で専門的に学んでも道が開けるかどうかはまったくの別問題。たとえ技術が高くても、周囲の評価が低ければ仕事にはなりません。当事者は、一生懸命勉強していても「趣味の世界」「お金がかかる遊び」だと、言われることもありました。興味関心が同じ、女友だちが心地よかった音楽という、不安定で先の見えないといわれがちな分野にも関わらず、私の両親は「やりたいことをやりなさい」と背中を押してくれました。それこそ、兄の時と同様に、世間の目はさまざまだったと思いますが、それでも私の味方でいてくれたのです。私は、県外に通う女子大生になりました。その大学は演奏だけでなく、楽器を修理したり、指導したりするなどのユニークな授業が評判で、遠方から学生たちが集まっていました。私は、その新しい環境に出会えたことで、居心地の悪い地元の生活から解き放たれていったのです。学校にいる男性といえば、先生のみ。同級生、後輩、先輩とすべて女子だったので、意識的に男性と交流しなければ恋愛に発展することもない環境は、私にとっては気持ちが楽でした。恋愛? めんどくさい……。たまにご飯くらいなら大学の進路が決まったと同時ぐらいにお別れした彼とは、2年近くはまじめに交際していたと思います。しかし、心の距離が近くなるにつれて苦しくなっていきました。好きな人だからこそ、家族のことが言えない。それを経験した私は、“うわべの恋” が得意になっていきました。合コン? デート? たまに、ご飯……。「華の大学生」とも言いますが、出会いや誘いも多くあるなか、特に本気になることもなく、たまに息抜き程度に遊ぶだけ。早い同級生は、大学在籍中から付き合っていた彼氏と、そのまま結婚というパターンもありましたが、兄のことが心に引っかかっている私にとって、恋人に自分の境遇を理解してもらって “結婚” するなんてことは、想像すらできなかったのです。©PeopleImages/Gettyimages©Professor25/Gettyimages©Bojan89/Gettyimages©skyneshe/Gettyimages
2018年05月22日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。通い慣れた精神科で、まさかの出入り禁止になった兄。バスに揺られて新しい病院へ向かいました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.15誰にも相談できずに通い続けていた他の患者さんへ迷惑行為を重ねたために「出入り禁止」となった精神科は、兄が初めてお世話になった病院。入院と通院を始めてから、気づけば5年の月日が過ぎていました。その間に前進したことは、病名が統合失調症と判明したことや薬を毎日23錠飲むこと。そして、長らく通った病院から診断書を書いてもらうことで障害者手帳を申請し、重ねて書類の内容から障害者年金(※)を受け取れるようになったことです。※障害者年金は、診断書の内容や生活状況などで国から降りる金額が異なります。身内や近しい人たちにこのような経験をしている人はおらず、相談する先はいつも病院か市役所でした。兄がこのような状態になってからは、誰に相談したらよいのか? 正解はどこにあるのか? と、両親は日々模索したといいます。しかし、兄の病気のことは公にはできないため、家族間で内密にしながら改善方法を探すのは困難を極めました。インターネットやスマホの普及に伴って、たくさんのweb情報が公開されている現代にも関わらず、「精神障害」については触れにくくセンシティブな問題。信頼できる情報を探すことは、非常に難しいことでした。そして、「精神障害」に関する本を読んでも参考にはなるけれど、気軽に相談できるような相手ではなかったり情報元が古かったり……。ましてや同じ病院に通っている家族に聞いても、お互いに悩んでいることは同じなので、解決策はありません。そんな出口のないトンネルを、両親はひたすら彷徨い続けていました。「出入り禁止」が、逆転の発想に繋がる当時は、この「出入り禁止」を言い渡されたことはショックでしたが、今思えば違う医師の意見を聞く良い機会だったと思っています。相談する先がないため、両親は常に病院の方針と医師の言葉に従うだけの日々。「薬を◯錠飲んでください」と言われたら、疑いの余地もなく飲むしか選択肢がありませんでした。しかし、新しく訪ねた精神科で初診を受けたときのこと。病名は同じ統合失調症でしたが、薬の量がなんと1日12錠になったのです。嘔吐や気性の激しいアップダウンに耐えながら、23錠を5年間飲んでいたのにも関わらず、違う医師に診てもらったら半分近くまで薬の量が減少……!母に当時のことを聞いたら、「初めの病院は、薬が強いものが多く出されていた」「その時は相談する相手がおらず、医師の指示に従うしかないと思って鵜呑みにしていた」といいます。セカンドオピニオンの大切さを感じた出来事に変化したのです。病院によって方針がまったく異なるもし、あの「出入り禁止」がなければ、今も診察内容を疑わずに大量の薬を飲み続けていたかもしれない……そう思うと、不安がよぎります。もちろん、右も左もわからない状況の中、病院や医師のサポートのおかげで、いろいろなことが前進しました。しかし、二つ目の病院では薬の量が半分近くになった。これは、兄の体への負担を考えると、減らしたほうが良かったと素人の私たちには思えました。もし、同じように精神科の薬で悩んでいる方がいたら、腰が重たくても違う病院の診察を受けたり、違う医師の言葉に耳を傾けてみたりすることを強くオススメしたいと思います。外科のように、目に見えて切り傷が治っていく様子がわかれば良いのですが、“心の病気はその治っていく様子が見えない” のが難点です。診察後は基本的に、「飲み薬」が出されるのみ。症状が悪化したことを報告しても、また違う薬を重ねて出すだけ。その繰り返しで、どんどん薬の量が増えていくのです。初めての経験で、周囲に相談ができない状況のなか、見たこともない薬の名前をただひたすら飲む……。もちろん、それらが体に合っていて、症状が良くなっている兆しがあれば良いのですが、疑わずに副作用の強い薬を飲み続けるのは、私たちの経験からも一度見直したほうが良いと感じています。大学へ進学した私は、彼への壁が厚くなり……。その頃、高校を卒業した私は、県外にある女子大へ進みました。専攻は、幼い頃から心の支えだった音楽。「家族のことを教えて欲しい」と踏み込んでくる彼氏の言葉に耐えられず、私は彼とお別れを告げて自分のやりたいことに専念し始めます。今思えば、あの彼が唯一 “自然体な私” を知る男性でした。そこから私は、女子ばかりの大学生活を送り、男性と深い距離になることが難しくなっていきましたーー。©AngiePhotos/Gettyimages©Doucefleur/Gettyimages©tommaso79/Gettyimages©tommaso79/Gettyimages
2018年05月16日言葉がその人の姿を左右する!?家に帰った途端、「あ~疲れた」なんてため息をつくこと、ありませんか?でも、そんな口癖が自分を老けさせるとしたら?…実は、無意識に発する言葉はそのまま脳に跳ね返り、その人自身の姿や人生を、知らないうちに変えているというのです。国内外の学者が「言葉と脳の関係」を研究しまとめた本も一時期話題になりました。ここでは「自分を磨きより美しく演出する言葉」について大追及!どんなコスメよりスキンケア効果ありの言葉のチカラを身につけましょう。発した言葉が自分に跳ね返るメカニズム日本の某・医学博士の著書によれば、無意識に発する言葉、いわゆる”口癖”はひとつの習慣であり、やがて無意識のうちに行動を支配するとされています。普段から「私ってバカなの…」などと言っていると、その言葉はやがて口癖となり、果ては脳に「私はバカなのだ」とインプット。自律神経に影響して何度もミスを連発するようになる…それが、言葉が自分に跳ね返るメカニズム。言葉が自分の姿に影響するなんて、ちょっとこわい。今までの自分を反省したくなりませんか?綺麗への近道は「自己催眠」綺麗になるのも老けるのも言葉次第。今から即!自分に言葉の栄養を与えてあげて。その最良策が「自己催眠=イメージトレーニング」。ダイエットだって成功間違いなしです。■言葉で綺麗になるトレーニング1.毎朝、鏡に向かって自分を褒めよう2.「疲れた」→「よく頑張った」に。「何も上手くいかない」→「今度こそ上手くいく」の要領で口癖をポジティブに変える3.化粧品は「本当に効果あるの?」と思いながら使うより「絶対綺麗になる」と念じて使う方が数倍効果的4.「太ったからこの服は着られない」と思わず「来月には着るぞ!」と強く思うことで、体は活性化するのだそう何気なく発するネガティブな言葉も、ポジティブな言葉も、私たちの脳に跳ね返ります。人を褒めるほど「美オーラ」が身につく次は自分自身に発する言葉ではなく、他人に向けて発する言葉のチカラで綺麗になる、魅力UPテクをご紹介します。言葉と脳の関係について研究していた、あるアメリカの医学博士は「美しい人や輝いている人ほど、人を褒めるのが上手い」と気づいたそうです。”どんなに些細なことでも相手の魅力を褒めることで、その感情や言葉は同じく自分に返る”というメカニズム。まさに他人は自分の鏡というわけですね。■褒めると綺麗になるメカニズム人を褒めると、なんだか相手だけが得をするような気がしてしまいがちですが、実は逆!他人に向けた言葉であっても、自分の脳や自律神経系は”自分への言葉”として受け取るのだそうです。例えば、友人に「いつもステキね」と褒めた場合。その”いつもステキ”は自律神経系が自分への言葉として判断し、脳が”快”を意味するホルモンや成長ホルモンなどを分泌して綺麗になれるという仕組みです。もちろん、他人を褒めるということは”いつも褒めてくれる優しい女性”というイメージUPにも繋がるわけで、「他人を褒めると綺麗になる」と言われるのもうなずけますね。言葉とともに笑う努力を言葉の力をご覧いただいてきたところで、もうワンランクUPする綺麗テクニックをマスターしましょう。それは、"人と話すときにできるだけよく笑うこと!"■笑うことがもたらす効果・脳内ホルモンの分泌が盛んになりストレスや痛みを緩和する・内臓機能が向上する・血流が促進される・脳内にα波が増えてリラックスできる・相手の笑顔を見ることで、より効果が倍増する…など、沢山あると言われています。人をhappyにして自分も綺麗になれてしまうだなんて、いいことづくめだと思いませんか?まとめ自分を上げるも下げるも言葉次第。普段から何気なく発する言葉の怖さを知ると同時に、その美容効果にもビックリですね。”言葉のチカラ”を使いこなして、コスメにもオシャレにも負けない、その美的パワーを実感しましょう!wellfyより
2018年05月14日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。お世話になっていた近所の病院へ勝手に出入りする兄は、気づけば迷惑行為をするようになっていました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 14「家からすぐそこ」が逆効果だった田舎だった私の実家は、スーパーに行くのもコンビニに行くのも、徒歩30分はかかりました。近くにあるものといえば、自動販売機と雑貨洋品店くらい。ですから、車がないと生活ができません。そんな環境ではありましたが、母は車を運転できなかったので、遠出をするときや買い物をするときは、いつも父が出向いていました。困ったのは兄の通院です。平日、父は仕事で朝から晩までいないため車を出すことはできません。すなわち、病院はなるべく近い場所が好ましかったのです。幸運にも、近所の精神科は徒歩10分程度。自動販売機の次に近い場所にあったと言ってもいいくらいの距離でした。つまり、兄の通院は「すぐそこ」に行くだけ。これが、母にとってメリットだったのですが、兄にとってはデメリットでもありました。ひとりで勝手に病院に行く兄骨折や切り傷は、「治療が終わればまた元の生活ができる」というゴールがありますが、兄の病気はそういうものではありません。ですから、正直なところ精神科病棟は患者もその家族も、どんよりとしています。私がこうして綴っているように、精神的な病気を持つ人が家族にいると、終わりのないマラソンを走り続けているようなもので、基本的に顔は曇り空。明るく病院内で過ごすのは、難しいことでもありました。さまざまなタイプの精神的な治療を受ける患者がいるなか、兄は必要以上に人に話しかける性格でした。もちろん、精神安定剤を飲んでいるため、本来の兄の性格や本望だったかと聞かれたら答えはわかりません。母が目を離した隙に勝手にひとりで病院へ行き、患者さんに声をかけたり、見ず知らずの女性に電話番号を聞いたり、「たばこをちょうだい」と言ったり。そうしたことが続き、ついに医師からの呼び出しを受け「診察中止と病院の出入り禁止」を言い渡されてしまったのです。飲み込むしかない医師の言葉実家の周りには、もちろん他に精神科はありませんでした。母は、バスや電車を使って兄の通院をサポートしなければならない。どんよりとした空気で居心地は決してよくないけれど、やっと通い慣れた病院。そんな頼みの綱から、まさかお断りをもらうとは……。もちろん、病院側の立場になれば無理もない話で、多くいる他の患者やその家族たちに迷惑がかかるのは好ましくありません。医師からの宣告に、反論する余地はありませんでした。一から病院を探し直すことにそこで長らく通った近所の精神科を横目に、バスや電車でなるべく通いやすくて兄に合うような精神科を紹介してもらうため、県内で有名な大学病院に相談しに行きました。そして、利便性、評判、入院施設の有無などトータルで好印象だった病院を紹介してもらい、切り替えることになったのです。兄と母はバスに揺られて初めての診察へ。新しい病院で緊張しながら状況を話すと、医師の口から思いがけない診察結果が返ってきましたーー。©jsmith/Gettyimages©Михаил Руденко/Gettyimages©tuaindeed/Gettyimages©Milos-Muller/Gettyimages
2018年05月05日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。初めてできた彼氏に家のことを聞かれた私は、いつもの笑顔が消えて言葉が詰まってしまいました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 13彼と過ごす時間は特別同じバイト先で働く、4つほど歳の離れた定時制に通う彼。大きなバイクで学校まで迎えに来てくれて、そのまま彼の家で過ごしたり、バイト先のお店まで送ってもらったり。自宅からすぐの距離に住んでいたこともあり、私たちは毎日のように会っていました。彼は、校内の様子は知らないし、私の同級生とも特に接点はない。この距離感が、私にとっては気が楽だったので、普段学校の友人や家庭内では見せることのない、素直に甘えられる “本当の自分” に戻ることができていました。「家族について教えてよ」しかし、行く場所といえば常に彼の実家。私の実家は、友だちですらあがったことがありませんでした。兄が家にいるので、むやみに人を連れていって兄が安易に話しかけたりすることがイヤだったからです。高校生にもなれば、友だちと “お泊まり会” もよくあると思いますが、私の家には1回も呼んだことはありませんし、来て欲しくもありませんでした。とはいえ、1年以上も交際していれば、彼は「なぜ心音は自分を実家に招くことを嫌がるのか」、知りたがるようになったのです。「俺は実家に呼んでいるし、両親や兄弟にも心音のことを紹介してるのに……」と不満そうな顔を見せては、「まあ、いいけどさ」と半分諦めモード。「お父さんが厳しいから、彼氏がいるのは秘密にしたいんだ〜」と、適当に理由を言っては心の中で「お願い、触れないで」と叫んでいました。「俺の兄も、精神安定剤飲んでたよ」けれども、なんで私がそんなに実家がイヤなのか、ふとしたタイミングで言ったことがありました。「実は、私のお兄ちゃんずっと家にいるの」と。詳しくは告げず、「心の病気があって、家にいるんだ」とだけ説明したのです。彼の反応は、「そうなんだ、もっと早く話してよ〜。そんな気にすることじゃないよ。俺の兄も、前精神安定剤飲んでたし」という言葉。少しだけ安心したと同時に、「でも彼のお兄さんは、ちゃんと働いてるじゃん」。正直、精神安定剤を飲んでいたり、精神科にカウンセリングを受けたりという人は、表立って言わないだけで、多くいると思います。障害者手帳を持つまでは至らなくても、心のバランスを保つことが難しく、仕事をしながら精神科に通っている人は決して珍しい話ではありません。でも、私の兄は、働くなんて到底無理。会話でさえも成立させるのが難しいのですから。同じように心の病を抱えていても、彼の兄と私の兄では、雲泥の差がある……。彼との認識のズレに心がチクチク痛みました。……「やっぱり、実家に来ることはやめて欲しいな」という言葉しか出てきませんでした。通院していた病院先でその頃、近所の精神科に通院していた兄は、病院で開かれるデイサービスやイベントにも参加していました。病院に通っている患者はもちろん他にもいます。気さくに人とコミュニケーションしたがる人、自分の殻にこもって人とは接したくない人、家族とは話すけど医師には口を閉ざす人。さまざまな人々がいました。兄は、家から歩いてすぐだったその精神科に、診察やデイサービス以外にも勝手に足を運ぶようになっていきました。そこで、“ある問題”を起こしてしまいます。©petrenkod/Gettyimages©PeopleImages/Gettyimages©kitzcorner/Gettyimages©sudok1/Gettyimages
2018年04月25日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神障害者保健福祉手帳の2級を発行された、兄。両親でさえ、この状況を受け入れることに時間がかかりました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 12直視できないのは、私だけではなかったこの連載を読んで、兄の凄まじい変化に胸が痛んでいる方もいらっしゃると思います。その胸の痛みは、当時の私たち家族が感じていた紛れもない事実。妹である私ですら、この現実を直視することができずに心をかたく閉ざしていったことを今でも覚えています。そして、両親はさらに苦しい気持ちだったと私は想像しています。なぜなら、障害者手帳が発行された後も両親は、兄のことを周囲に言わなかったからです。この事実を隠していました。冷たく鋭い世間の目唯一両親がこの事実を話していたのは、祖父母と両親の兄弟のみ。本当に近い身内だけが知っていました。両親が仲良くしている古くからの友だちや知り合い、近所の人などは兄がこのような経緯を辿ったことは知りません。「世間体なんて気にしなくても良いじゃん」という意見もあると思いますが、この話をしたことで私たちが得るのは、多くの人からの「かわいそうだね」「大変だったね」と哀れみや同情の言葉だけ。兄が良くなるわけではありません。たとえ遠い身内だったとしても必要以上に兄の話をするのは、余計に私たちがストレスを抱える原因にもなったので、両親もなるべく内密にするようになったのだと察しています。また、よくある “親戚の集まり” のようなものも、兄が迷惑をかける可能性があるため、ほとんどうちにはありません。物心ついた時から結婚式やお葬式、法事などは両親のみが参加。兄は参加しないのが家族のなかでの暗黙の了解でした。“諦めと守り” の意味を理解する兄の回復を切に願っていた両親ですが、明るい兆しは一向に訪れる気配がなく、苦渋の決断をして、障害者保健福祉手帳を申請しました。これは、仕方のない選択でした。しかし、この決断は、デメリットだけではありませんでした。精神障害者保健福祉手帳の2級を発行された兄は、障害者年金として2か月に1回、国から13万円の援助金をもらえることになり、病院の診断や薬代の負担が軽くなったのです。また、交通機関が無料になるなど、地域によって異なるものの、待遇を受けられることに。こうして時間はかかったものの、「障害者」になることを選んだことで、兄を守ることができた。そう考えると、非常に前向きな選択だったと言えることでしょう。今となっては “生活の一部” となっているこの状況も、当時の両親からすると “ギリギリまで諦めたくなかった” というのが本心だと思います。なぜなら、もっと早い段階で障害者手帳を手にすることができたから。8年粘り続けてやっとの思いで申請した。これが、両親の決断だったと思うと、私は深い拍手を送りたいと心から感じています。その頃、私は初めて彼氏ができたこの頃、私は高校生。地元の飲食店でアルバイトを始めた私は、同じバイト先の年上男性と距離が近くなっていました。高校2年生から付き合い始めて、1年半か2年近く一緒にいました。第一希望の高校を落ちた私は、特に楽しみを見いだすことができずにただ通っていた高校生活と、冴えない家庭の間に挟まれて、バイトで元気に働くことが唯一楽しい時間でもありました。家も自転車ですぐ近くの彼。一緒にいる時間が長くなるにつれて、言葉が詰まる質問。それは、「心音の家族って、どんな感じなの?」という話題でした。好きな人に一番聞かれたくないことだったのです……。©laflor/Gettyimages©c11yg/Gettyimages©undefined undefined/Gettyimages©Toru-Sanogawa/Gettyimages
2018年04月18日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。病院通いと大量の薬を飲み始めて、4年近くが経とうとしていました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 11他人事のような発言に虚しさを覚える通っていた精神科の先生は、毎日心の病を抱える人たちと接して仕事をしているからか、先の見えない闘病生活に慣れている印象。「ご両親も、あまり肩に力を入れずに過ごしてくださいね」と、言われることもありました。正直、他人と身内では兄の病気に対する思いは雲泥の差です。「『あまり肩に力を入れずに』なんてよく言えたものだな」と、両親が呆れて帰宅することもありました。かつては学校で人気者だった兄が、たまたまこうなってしまっただけ。すぐに良くなる。そう願って両親は、兄に良い影響を与えると聞いたことは全て挑戦していました。薬と病院 “だけ” を頼りにしていても解決する見込みがないので、デトックス効果があると言われる話題のジュース、パワースポットでお参り、サプリメントや料理方法など、とにかく “なんでも” 良いと聞いたことは兄に試す。そんな日々だったのです。「病気」と認めたくない葛藤兄は、高校をやめてから3年間引きこもり、そこから病院に通いだしてもうすぐ5年目に差しかかろうとしていました。気づけば、25歳。周りの同級生は大学に進学したり、就職したり、早ければ結婚して家庭ができていたりと充実している様子です。そんななか、先の見えないトンネルをひたすら歩き続ける兄は、大人になるどころかひとりでは何もできない状態にどんどんなるばかり。薬と母親の付き添いがなければ、何もできません。それでも、「まだ治る」と信じていた両親は、兄に大量の薬を飲ませ、看病をします。「まだ治る」「肩の力を抜いてください」という、両親と医師の相反する言葉は、両者の葛藤を表している言葉だと私は感じます。8年を経て、両親が出した答え入院してすぐに兄の病名はわかったものの、それでもまだ「病気を抱える健常者」。このまま粘っていても、先は見えない。高額な医療費をいつまで払い続けるかもわからない……。治ると信じて戦い続けた結果、両親が下した決断は「障害者手帳」の申請に踏み切るということでした。障害者手帳を発行する手順は、通院していた病院に診断書を書いてもらい、住んでいる市役所に申請。診断書が全てで審査などははありませんでした。兄は、障害者になった障害者手帳には、大きくわけて、身体障害者手帳・療育手帳(知的障害者用)・精神障害者保健福祉手帳の3種類があり、さらに階級が分類されます。私の兄は、統合失調症の診断から「精神障害者保健福祉手帳」に当てはまり、1級〜3級まであるなかの2級。1級から順番に重度の障害と見なされ、国から降りる金額や待遇、保護などが異なりました。今までの入院や通院の様子、飲んだ薬などの診断書から判断されたのですが、兄は一番重度ではないものの、社会の適応が難しく両親のサポートが必要。そして、部屋のなかでは身動きができるが、自己判断できる精神状態ではない。そんな状況からこの結果になりました。自分の子どもがついに「障害者」になった瞬間。この選択をするまでに、8年かかったのです。©wutwhanfoto/Gettyimages©ClarkandCompany/Gettyimages©BrianAJackson/Gettyimages©kaipong/Gettyimages
2018年04月10日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。大量の薬に不信感を抱いた母は医師に相談すると、思いがけない辛い言葉が返ってきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 10母は精神的な病気について勉強する日々自宅で療養していても、兄は一向に良くならず、費用はかかるけれど、定期的な検査入院を繰り返していました。嘔吐がどうしてもひどい薬についてお医者さんに相談したり、大量に飲む水の対策を考えたり。検査入院をすると、兄の行動を医師が観察することができるので、良い方法だと考えたからです。そして母は、病院や薬、医師だけに頼ることなく、精神的な病気に関して自ら調べるようになっていきました。同じような境遇にいる家族が出している書籍を読んだり、セミナーに参加したり。全く知識がないところから、心の病気がどのように作られるのか、自律神経とは何か、薬の飲み方は本当に正しいのか。気づけばいろいろな精神障害について詳しくなっていきました。頭が真っ白になった言葉しかし、改善が見られない兄を心配して、診察の時に「どのくらい薬を飲み続けたら治るのでしょうか?」と母が聞いたところ、返ってきた医師の答えは「精神的な病気はなぜこうなるのか、今の医学でははっきりわからない」という言葉。母は、その回答に頭が真っ白になったと言います。なぜならその言葉の裏返しは、「治る見込みは今のところない」という意味だからです。あの大量の薬を飲み続けても、どれだけ入院しても、どれだけ勉強しても。いつ、どのタイミングで、どうしたら治るのか? まったく予想ができない人生がこれから始まろうとしている。そんな、ゴールのないマラソンがスタートしたのです。費用を考えると入院は高額だった定期的に検査入院をしていた兄ですが、保険が効くとはいえ、10日の入院で15万の費用がかかりました。食事や検査、薬などを全て診てもらえる代わりに、出費はどんどんかさみます。しかし、母は兄が高校をやめてから付きっきりでお世話をしていたので、仕事もできない状態です。復帰しても良いけれど、突然またどこで何をするかわからない兄をひとりにすることはできません。おまけに、「今の医学では原因がわからない」と言われてしまっては、右も左も選択の余地がなかったのです。そうしているうちにもお金はどんどん出ていきます。そこで入院から通院に変更し、定期的な検診と薬の処方をしてもらい、自宅で面倒をみるように切り替えていきました。精神科に通いだして、はや4年“神頼み” のように駆け込んだ精神科で、恐る恐る飲み始めた大量の薬の効き目は、4年めに入っても改善の方向性が見えませんでした。できるようになったことと言えば、「薬を決まった時間に飲むこと」だけ。アラームとカレンダーが増えて、薬の飲み方が上手になった。たった、それだけでした。体は健康だけど、心は病気。どうしようもならない兄に対して、両親はいつも怒るか泣くかのどちらかでした。夜な夜な「こんなふうになるはずじゃなかったのに」「どこで子育てを間違えてしまったのだろうか」と、互いに自分を責めあう両親の声は、私にとって痛み以外の何ものでもありませんでした。「別に、パパとママは悪くないよ」と言いたかったけれど、ただ遠くで聞いているだけだった当時の記憶。そこから両親は、ある決断に出ますーー。©demaerre/Gettyimages©atbaei/Gettyimages©elenaleonova/Gettyimages©KatarzynaBialasiewicz/Gettyimages
2018年04月05日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。検査入院の結果から、「統合失調症」と診断された兄は大量の薬を服用するようになりました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 9飲み始めた “大量の薬”病院で渡された大きな袋と紙の束は、大量の薬と、それぞれの薬に対しての作用と副作用が書かれたものでした。怒りを抑える薬や夜眠りにつくための薬、意欲を出す薬など……。こんなに大量の薬を飲んだこともなければ、いつまで継続するかもわかりません。「とりあえず、様子を見ましょう」という医師の言葉だけが頼りだった両親は、毎食、どのタイミングで飲むのか、指示書を丁寧に読み始めます。飲み忘れがないようにタイマーをかけたり、カレンダーに印をつけるなど、今までしたことがない習慣を作ることからスタート。毎日大量の薬を飲むことは、飲ませる両親も飲み込む兄も大変なことでした。兄は、自分から薬を管理して飲めるような精神状態ではありませんし、ましてや「なんでこんな薬飲まないといけないの?」と時折薬を嫌がることもありました。その気持ちは、家族全員同じ。誰もこんな大量の薬、兄に飲ませたくはなかったですし、これを飲んで良くなる保証はどこにもありません。薬で感情をコントロールする意味私は、自分自身で喜怒哀楽を持つことがもっとも素敵で、健康的だと思っています。そのことを実感するようになったのは、兄がこの大量の薬を飲むことを、目の当たりにするようになってからでした。3年間引きこもりで次第に人とのコミュニケーションが難しくなっていった兄ですが、それでもまだ “自分の意思” で行動したり発言したりすることが微かにあったと記憶しています。大量の薬を飲むことで、“自分の意思” ではない感情になっていった兄の姿は、周りから見ても明らかでした。突然ハイテンションになり笑い出したり大声を上げたりしたら「お兄ちゃん、お薬の時間だよ」と母は丁寧に袋分けした薬を取り出し、兄に飲ませる。そうすると、次第にテンションが下がりじっと椅子に座ることができるようになります。また、急に悲観的な気分になったのか部屋から出なくなった兄を見て、母は「今度はこっちの薬を飲もうね」とお水と薬を差し出します。そうすると、集中力が少し出てテレビを見始めたり顔を洗ったりする “行動” に出ます。これらはすべて、薬が兄の感情をコントロールしているのです。そう、まるでロボットか操り人間のように……。“作用” が強ければ “副作用” も強かったもちろん薬を飲んだおかげで、兄の不規則な生活スタイルは改善し、感情の起伏を制御することはできました。しかし、メリットだけではありません。作用があれば副作用もあるといいますが、まさにその通り。大量の薬を日々飲むことは、いろいろな副作用が伴ったのです。筋肉質でスポーツマンだった兄は、体脂肪も少なく55〜60キロ前後の締まった体でしたが、薬の副作用で25キロも増加。そして、喉が異常に乾くようになり、炭酸ソーダやジュースをがぶ飲みしてしまう癖ができ、トイレの回数も異常に増えました。トイレでしてくれたらまだしも、寝ている間にそのまま自分の布団で……ということも日常茶飯事。成人を迎えようとしている兄が、どんどん幼くなるばかりで何度布団を買い換えたかわかりません。また、薬との相性がどうしても悪い時には嘔吐がひどく、食べては吐いて、食べては吐いて。でも喉が乾くからたくさん水分補給はするけれど、また吐いてしまう。そんな、見るに耐えない状況だったのです。しかし、痩せ細るわけではなく薬の副作用で、どんどん太っていきます。この不思議な現象に薬の怖さを知りました。薬が病気を悪化させている?疑いたくはないけれど、この “大量の薬” がさらに兄の体を痛めつけているのではないか? と感じるほど、薬のパワーは強く現れていました。そのことから母は、1日23錠の薬を自己判断で減らし、医師に内緒で少しずつ調節するようになっていきました。「とりあえず、様子を見ましょう」という言葉通りに飲んでいたら、兄はこのままどうなってしまうかわからない。不安にかられた母が悩んだ末にとった選択でしたーー。©stock_colors/Gettyimages©SvetaZi/Gettyimages©SasinParaksa/Gettyimages©bernie_photo/Gettyimages
2018年04月01日