阪神大震災被災体験とアウトドアの知識を生かして、防災に関する情報を発信するあんどうりす氏がSurfvoteで課題提起。災害に備えるため今私たちができることはなにか?多くのコメントが集まりました。SNSとテクノロジーで社会課題の発見・解決をサポートするPolimill株式会社(ポリミル、本社:東京都港区、代表取締役:横田えり、以下Polimill社)はこのたび、「地震で倒壊し、死者を出す危険なブロック塀。どうすれば減らせると思いますか?」というイシュー(課題)について2月29日に投票が終了しましたので結果をお知らせします。地震で倒壊し、死者を出す危険なブロック塀。どうすれば減らせると思いますか?2016年の熊本地震、2018年の大阪北部地震など、大地震により引き起こされたブロック塀の崩落で亡くなった方々います。ブロック塀の倒壊は年齢に関わらず、その場を通りかかったことで人の命を奪ってしまいます。またブロック塀の倒壊により津波や火災からの避難が困難となり、死者を増やす原因にもなっています。 このように人々にとって凶器となるブロック塀をどうすべきか?という課題について、Surfvoteを通じてひろく意見を募集しました。イシューはこちら: 投票の詳細イシュー(課題):地震で倒壊し、死者を出す危険なブロック塀。どうすれば減らせると思いますか? 調査主体:社会デザインプラットフォーム Surfvote(Webサービス)調査対象:Surfvote上でアカウントを持つユーザー調査方法:Surfvote上でアカウントを持つユーザーが投票投票期間:2024年1月17日〜2024年2月29日有効票数:55票投票結果とコメントの紹介(一部抜粋・原文ママ)点検よりも高さがあるブロック塀を全て撤去することを優先すべきで法整備や財源も確保する 27.3%最終的に目指されるべきはここなのかなと思いました。外出時に地震が起きたら、心理としては寄りかかれる壁の近くに行きたくなってしまう気がします。ブロック塀が危険なのだという認識を持っていない人も多いでしょうから、まずはその危険性を周知徹底し、世論に問うてみることが必要でしょうね。自治体任せでは限界がありますから、法整備や財源の確保が前提です。義務化された避難経路のブロック塀診断で、危険と診断されれば撤去することを優先し、その財源を確保する 40%避難経路の確保を妨げる危険なブロック塀をリストアップし、そこについてのみ撤去を優先していくのがベストだと思った。補助金を出せば頷く所有者も多いのではないか。点群データで効率的に危険性を解析する方法が開発されているのだから実施する自治体を増やすべき 10.9%串本町のように申請権者を増やし、所有者に資金力がなくても助成金の自己負担分が支払えるようにするべき 1.8%危険性がこれだけわかっているのであれば、助成金を出してでも撤去すべき。そもそも国民全体がブロック塀が危険だと理解されていないので、助成金などを出さないとみな動かないと思う。すぐにブロック塀の撤去につながらなくても全国のハザードマップでブロック塀の位置を記載すべき 5.5%撤去は金銭面や個人の資産である以上、なかなかハードルが高いと感じる。ただ危険であると言う事実は変わらないため、比較的安価で作れるハザードマップなどを使用し危険を避けていくしかないと考える。上記のすべての政策をすべて実施して、ブロック塀の撤去を進めるべき 1.8%時間はかかったとしても少しずつ実施していき、いざという時に備えるべきだと思います。上記のいずれかの政策を複数実施してブロック塀の撤去を進めるべき 5.5%何かの災害の際のリスクは出来る限り減らすべきだと思う。また新たに増やさないことも大事。ブロック塀は個人の財産なので、危険でも放置するしかない 7.3%莫大な費用がかかり、税金では無理なので個人的な対応しか難しいと思います。その他 0% わからない 0%このイシューを執筆した あんどうりす氏アウトドア防災ガイド FM西東京&山口放送防災パーソナリティ Yahooエキスパートオーサー・コメンテーター佐久市医師会教えて!ドクタープロジェクトチーム 女性防災ネットワーク東京呼びかけ人 リスク対策.com名誉顧問 兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科博士課程在籍2003年から「子育てバックをそのまま防災バックに」「LEDヘッドライトを子育てにも防災にも使う技」などアウトドア&防災スキルをいち早く紹介。防災講演は毎年100回以上。あなたの意見・投票を社会のために活用しますSurfvoteでは社会におけるさまざまな課題や困りごとを「イシュー」として掲載し、どなたでもすべてのイシューを読むことができますが、アカウント登録をすると各イシューに投票したりコメントを書いたりできるようになります。私たちは、みんながさまざまな社会課題を知り、安心して自分の意見を言える場を提供したいと考えています。また、そこで集められた意見は、イシューの内容に応じて提言書に纏め関係省庁や政治家へ提出することもあります。 Polimill株式会社Polimill社は社会デザインプラットフォーム【Surfvote】を運営・提供するICTスタートアップ企業です。Surfvoteは現在、一般社会についての社会課題と各地方自治体の抱える社会課題(Surfvoteローカル)を掲載。ひろくみんなが意見を言える場を提供しています。あらゆる人がルール作りに参加し、価値観の変化やテクノロジーの進化に合わせた柔軟でスピーディーな制度改革ができるような社会を、SNSとテクノロジーで実現させたいと考えています。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年03月29日今年で東日本大震災から13年が経ち、3月11日当日には各地で追悼の行事が。東京都・港区にあるサントリーホールでもチャリティコンサートが行われたのだが――。そこに姿を現したのは林芳正官房長官(63)。実は今回、出演者として同コンサートに参加した林官房長官。客席から小泉純一郎元総理(82)や鳩山由紀夫元総理(77)らが見守り、五木ひろし(75)や坂本冬美(56)、さだまさし(71)といった錚々たるミュージシャンが出演するなか、林官房長官はピアノの弾き語りでThe Beatlesの名曲「Let It Be」を披露した。「林官房長官は楽器演奏が得意で、外務大臣時代の’21年12月にはG7外相会合でJohn Lennonの『Imagine』をピアノで演奏しました。自民党の浜田靖一国対委員長(68)らとともに『Gi!nz(ギインズ)』というバンドも結成しています」(全国紙記者)チャリティコンサートの翌日に行われた会見で、林官房長官は「昨日の演奏にあたりましては、東日本大震災により犠牲になられた皆様への哀悼、また被害に遭われた方々へのお見舞い、そして被災者の力になりたい、そうした思いを込めて精一杯演奏させていただきました」とコメント。さらに「音楽には人と人を繋ぐ力や、人を元気にしたり寄り添ったりする力があると感じております」と言い、「音楽は私が子供の頃から続けております。私の人生の大切な一部でありまして、Gi!nzの活動を含めて、公務や議員活動と両立しながら続けていきたいという風に考えております」と述べた。「被災地の力になりたい」という思いを込めて弾き語りを披露した林官房長官だが、X上では、林氏の選曲に対し批判の声が相次ぐことに……。《演奏するのは良いと思うけど、被災地に向けて“Let It Be”はどうなのさ…。仮にも官房長官が、被災者に「Let it be(あるがままに/なんとかなる)」は…》《林官房長官、被災地に向けて “Let it be”はないだろう。歌詞の意味分かってる?》いったいなぜか?その原因は、披露した楽曲である「Let It Be」の歌詞にあるようだ。「Let It Be」というフレーズが繰り返される同曲。しかし「Let It Be」とはそもそも「そのままでよい」といった意味である。「本作は、ビートルズの中で分裂が起こっているときにつくられた曲として有名です。作詞・作曲をしたポール・マッカートニーは、バンドのごたごたで自暴自棄になっているときに亡くなった母が夢に出てきて、『きっとうまくいくわ、あるがままに(Let It Be)』と語りかけたことが作曲のきっかけになったと明かしています。曲の意味としては、困難があってもどうにかなるよ、と励ますようなもので、ポール自身もチャリティコンサートで歌うことがありました」(音楽誌ライター)物議を醸しているのは、この歌を歌ったのが“復興を進めていく”当事者である政治家だという点。「東日本大震災の復興は確実に進んできているものの、いまだに帰宅困難区域があったり人口が戻らなかったりなど課題もあります。また、能登半島地震による被災地の復興がすすんでないことを想起した人も多いよう。そのため、復興を率いていく立場である政治家が”あるがままで大丈夫”と歌ったことに無責任さを感じたようです」(前出・全国紙記者)被災地のために歌以外でも尽力してほしい!
2024年03月14日第11回「全音楽界による音楽会」が2024年3月11日(月)に開催される。「全音楽界による音楽界」は、2011年3月11日に東北地方を襲った未曾有の大震災の現状を見た、様々な音楽ジャンルを代表し、音楽に深く関わるメンバーが発起人となって、東日本大震災直後の同年4月20日にチャリティコンサートを開始したのが始まりだった。趣旨に賛同し、ボランティアで出演するアーティストやオーケストラの有志メンバーや、開場であるサントリーホールなど、多方面からの協力を得て成立している本コンサートも、今回で11回目を迎える。掛かった費用以外の寄付金の全てが「公益社団法人3.11震災孤児遺児文化・スポーツ支援機構(3.11塾)」を通じて、東日本大震災で被災した子供たちを支援するための資金に充てられている。「3.11塾」の基本理念は、子供自らが選択した進路や希望を実現できるように継続的な支援を行うこと。支援を希望する子供は3.11塾の塾生として基礎学力の強化、進学や就職の相談、音楽やスポーツなどに興味のある子には、必要な様々なサポートを行う。また、将来は外国で勉強したいという夢を持っている子供たちにも、置かれた状況や希望に出来る限り寄り添える支援活動を目指している。第11回「全音楽界による音楽会」開催にあたり、発起人の三枝成彰、湯川れい子からのコメントが到着した。■三枝成彰 コメント毎回、開催のたびに多くの方からご寄付をいただき、感謝申し上げます。ノーギャラでご出演してくださるアーティストの方々をはじめ、サントリーホールの多大なるご協力があって11回目の公演ができることを嬉しく思います。東日本大震災の遺児孤児の継続的な支援とともに、震災のことを忘れないよう次の世代にしっかり引き継いでいきたいと思います。■湯川れい子(3.11顧問)コメント今年も多くの皆様のご協力で、素晴らしい音楽をプレゼントして頂けることになりました。こんなひとときを共に楽しめる幸運に心から感謝申し上げます。ご出演下さる皆様、お越し下さる皆様、ありがとうございます!!さらに、和楽器アーティストの麻生花帆・榎戸二幸が出演することが決定。第11回「全音楽界による音楽会」3.11チャリティコンサートのチケット事前予約は12月14日(木)より開始。<公演概要>ジャンルを越えた音楽のチカラを!第11回「全音楽界による音楽会」3.11チャリティコンサート開催日時:2024年3月11日(月)17:30開場・18:00開演(終演予定時間 21:30)会場:サントリーホール大ホール(東京都港区赤坂1-13-1)出演者(五十音順):麻生花帆・榎戸二幸、市原愛、五木ひろし、上野耕平、大谷康子、神楽坂女声合唱団、クミコ、紅林弥生、coba、小林沙羅、坂本冬美、桜井万祐子、さだまさし、島田歌穂、ジョン・健・ヌッツォ、東京女声合唱団、TOKU、仲道郁代、服部百音、林芳正、樋口達哉、笛田博昭、Maria Seiren、宮田大、横山幸雄、LE VELVETS、六本木男声合唱団ZIG-ZAG他指揮者: 初谷敬史、渡辺俊幸管弦楽: 3.11チャリティコンサート有志オーケストラ総合司会:露木茂、永井美奈子入場料:全席指定0円(ただし、ご入場時にお一人様1万円以上の寄付金を申し受けます)チケットは事前予約が必要。未就学児入場不可。お一人様4枚まで予約可能。車椅子席 0円(サントリーチケットセンター〈電話〉のみで受付)■チケット一般発売:2023年12月14日(木)第11回「全音楽界による音楽会」3.11チャリティコンサートチケット販売サイト: サントリーホールチケットセンター:0570-55-0017(オペレーター対応・10:00~18:00)サントリーホールメンバーズクラブWEB: サントリーホール窓口:10:00~18:00/休館日・年末年始は休業主催:第11回「全音楽界による音楽会」3.11チャリティコンサート実行委員会(公益社団法人3.11震災孤児遺児文化・スポーツ支援機構、エンジン01文化戦略会議)公式ホームページ: 公演に関するお問い合わせ:公益社団法人3.11震災孤児遺児文化・スポーツ支援機構03-3584-1608 (10:00~18:00、平日のみ) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年12月05日一般社団法人 日本損害保険協会では、関東大震災100年を契機に、地震への備えについて今一度見直すためのコンテンツとして、地震発生時の住まいの推定被害状況を確認できる新デジタルコンテンツ「地震被害チェッカー」を2023年8月30日(水)より特設サイトで公開します。■画面上の住まいに「地震」を疑似演出。震度別の被害状況を可視化!「地震被害チェッカー」は、地震が起こった場合に、自分や家族の暮らしを支える「住まい」がどの程度被害を受ける可能性があるのかを可視化するデジタルコンテンツです。「地震被害チェッカー」では、建物の構造や耐震性をもとに区分した4つのパターンから建物を選択した後、スマートフォンの加速度センサーを活用して実際にスマートフォンを揺らすことで、推定被害がチェックできます。加速度センサーによってスマートフォンの揺れを感知し、画面上に表示された建物が壊れ、「震度5弱~5強」「震度6弱~6強」「震度7」の3段階で、選択した建物の屋外/屋内双方の具体的な被害内容が提示されるため、震災後の住まいの状況をリアルに感じ取ることができます。関東大震災100年を契機として防災意識が高まるなか、より具体的に地震の被害想定をイメージできるようにすることで、地震への備えについてさらなる意識向上を図るとともに、地震保険の必要性を呼びかけるコンテンツとなっています。「地震被害チェッカー」(マイナビウーマン編集部)
2023年09月07日東日本大震災から12年を迎えた今年。復興庁が4月に公表した資料によれば、震災関連死を含む死者は1万9765人、行方不明者は2553名。そして現在もなお、3万1000人が避難生活を続けている。震災のあった3月11日は全国各地で犠牲者に哀悼の意が捧げられ、日本中が鎮魂の祈りに包まれた。そんななか、SNSに投稿された“ある不適切動画”が物議を醸したのだった。少年が笑いを堪えながら、「東日本大震災のこれを観て生きている方、とても嬉しいです。また死んでしまった人はお墓で聞こえないと思うがwwほんとに悔しいです」とカメラに向けて語る。動画には「3.11」のテキストが添えられ、少年は合掌のポーズで締めくくった。もとはInstagramのストーリーズに投稿された動画だが、11日深夜にTwitterでインフルエンサーが取り上げると瞬く間に拡散。“被災者や犠牲者を侮辱している”といった批判の声が、ネット上で相次ぐ事態となった。すると翌12日、この少年が通う埼玉栄高校は「本校生徒による不適切動画掲載に関するお詫び」と題する謝罪文を公式サイトに掲出。そこには、お詫びの文章が次のように綴られていた。《このようなことが二度とおこらないように、当該生徒も含め、全校生徒に対してよりきめ細かな心の教育による道徳心の向上を図ると共に、ネット社会、特にSNSに対するリテラシー教育を更に充実させていく所存です》当時、本誌の取材に応じた埼玉栄高校の教頭は、謝罪文を出した経緯をこう説明していた。「本来であれば、生徒のSNS上のトラブルについて学校側がコメントすることはほとんどありません。ですが、今回は内容が社会的な問題であり、3月11日付近にこうした不適切動画を投稿してしまいました。生徒を預かっている学校として、ちゃんとした教育を施せていなかったことに対して大変申し訳なかったとの意味合いで、お詫びを掲載させていただきました」また、不適切動画に関わった生徒の処分について問うと、「現在、学内で聞き取りの調査をしたり、色々と会議を持ったりして検討している最中で、まだ具体的には決まっていません」とのことだった。あれから1カ月。世間では新学期が始まったが、件の生徒はどうなったのか――。改めて4月7日に教頭に問い合わせると、「処分については部外秘ということで、外には申し上げる予定はございません」と回答。生徒の様子については、「十分に反省していると思います。ここ最近は直接その生徒と会っているわけではないので、状況は正確には掴んでおりませんが」との返答があった。一方で、現在までに学校でどのような指導を実施したのかと問うと、「これからになりますが、今月にSNS教育の授業を行う予定です。先だって3月には、東日本大震災で被災した人のお話などをビデオで視聴したりする教育も行いました」と教えてくれた。ただ、東日本大震災を伝えるビデオ授業において、不適切動画に関わった生徒は自宅待機中だったため欠席していたという。まだ先の長い人生。今回の失敗を教訓に、少年の行動が変わることを願うばかりだ。
2023年04月07日「東日本大震災のこれを観て生きている方、とても嬉しいです。また死んでしまった人はお墓で聞こえないと思うがwwほんとに悔しいです」少年が笑いを堪えながら、カメラに向かってこう語りかける。最後は合掌のポーズをとり、動画には「3.11」のテキストが添えられている。東日本大地震が発生して今年で12年。震災のあった3月11日は日本中が鎮魂の祈りに包まれたが、SNSでは冒頭の動画が物議を醸していた。もとはInstagramのストーリーに投稿された動画だが、11日深夜にTwitterでインフルエンサーが取り上げると瞬く間に拡散。震災の犠牲者を侮辱する不適切動画だとして批判が殺到し、少年のInstagramアカウントや学校、部活動などを特定する動きが広まった。炎上騒動を受けて、少年が通う埼玉栄高等学校は12日に公式サイトで「本校生徒による不適切動画掲載に関するお詫び」と題するコメントを発表。謝罪の言葉とともに、《まだまだ心の教育が生徒個々に行き渡っていなかったことを深く反省しますと共に、このような事態を防げなかったことに対し、大変悔しい思いをしております》と記している。本誌が13日に高校へ取材を申し込むと、教頭が応じた(以下、カッコ内は教頭)。学校側が生徒の不適切動画を把握したのは、12日の早朝。生徒が所属する部活動の顧問から炎上していると校長の方に連絡があり、その後、学校側で対応したという。「本来であれば、生徒のSNS上のトラブルについて学校側がコメントすることはほとんどありません。ですが、今回は内容が社会的な問題であり、3月11日付近にこうした不適切動画を投稿してしまいました。生徒を預かっている学校として、ちゃんとした教育を施せていなかったことに対して大変申し訳なかったとの意味合いで、お詫びを掲載させていただきました」現在、学校にどのような声が届いているか問うと、「学校に寄せられた全てのご意見を確認できているわけではありませんが、生徒の発言内容に非常に憤りを覚えられている方からの苦情や、『学校は悪くないから謝る必要はない』とおっしゃられる方など様々なお声をいただいております」とのこと。一方で、学校内部の保護者からは特にお叱りの声などは寄せられていないという。不適切動画を投稿した生徒たちの様子を聞くと、「こんなにも大事になるとは本人たちも思っていなかったようで、ショックを受けており、非常に落ち込んでおります。『大変なことをしてしまった』ということで、深く反省をしております」とのこと。また、生徒の処分については、「現在、学内で聞き取りの調査をしたり、色々と会議を持ったりして検討している最中で、まだ具体的には決まっていません」という。今後、学校としてどのような指導をしていくのかと質問すると、次のような回答があった。「ネットリテラシーの教育をより細かく指導することはもちろんですが、今回の件はネットリテラシー以前の問題です。人の気持ちに寄り添う思いやりの心など、道徳面でまだ足りない部分がございました。道徳心の向上を中心に、担任が細かく子供たちと向き合いながら話を進めていけるような生徒指導を今後も続けていきたいと思います」SNSで拡散され続ける不適切動画は、もはや“悪ふざけ”だけでは済まなくなってきている。
2023年03月13日尾西食品株式会社(本社:東京都港区 代表取締役社長 古澤紳一 ※以下、尾西食品)は、防災食・備蓄のリーディングカンパニーとして、”アルファ米”をはじめとする非常食を製造・販売。専門家のアドバイス、被災者の声を通して日常の防災意識を高める活動を進め、2021 年3月より、公式サイトにて防災コラムの発信をしております。12年目の3月11日が近づいてきた今回は、福島県浪江町のなみえ創成小学校の佐藤信一先生に東日本大震災発生時のお話しを伺いました。浪江町は、東日本大震災による津波被害とその後の原発事故で全町民が避難を余儀なくされました。佐藤先生は、現在震災遺構となっている浪江町立請戸小学校で、当時教員をされており、教員方の迅速な判断と、多くの地域の人々の協力により、93名もの児童全員が無事避難することができました。「奇跡の避難」とも言われる当日のご経験を詳しくお話し下さいました。なみえ創成小学校 教諭佐藤信一先生■ 〜その時何が起こったのか〜――地震が起きた時の様子を教えてください当時私は教務主任でしたので、担任を持っていませんでした。あの日は1年生は既に下校していましたが、2年生以上は帰りの会の時間で、それぞれの教室にいました。私は1週間後に控えた卒業式の準備で5年生と一緒に体育館にいました。地震が起きると余りの強い揺れで立っているのがやっとでした。私は子供たちには「座りなさい!」「体を伏せなさい!」と叫び、出口を確保するために体育館の扉を両手で掴んだのですが、そのまま左右に1mくらい振られ、飛ばされないようにするのに必死でした。強い揺れは1分以上続いたでしょうか。ようやく揺れが治まったと思ったところで、もう一回ドーンときて、また飛ばされないようするのが精いっぱいでした。地震が起きた時には、子ども達も悲鳴を上げていましたが、揺れている最中は皆冷静に座って我慢してくれていました。揺れが治まった時には怖さの余りに涙を流す子もいたと思います。私は一緒にいた先生に子ども達を任せ、避難体制を整えるため、すぐに職員室へ戻りました。――想定通り避難はできましたか職員室に戻ると、教頭から「校庭へ避難させよう」と指示が出ましたので、すぐ各教室を回って声を掛けていきました。1階に教室がある2年生3年生は既に教室の窓から校庭に逃げていましたが、2階の教室や体育館から校庭への避難経路として想定していた通路が、地震の揺れでプールから水が溢れてしまっていて、通れなくなってしまっていました。これは想定外の状況でしたが、急遽、1階の保健室の窓から抜けて校庭に逃げる事に決めました。請戸小学校には、当時車椅子に乗っている児童がおり、車椅子に対応できる設備がありました。車椅子が通る事ができるスロープがあったのが、保健室の前だったのです。とっさの判断でしたが、避難ルートを変更する事で車椅子の児童も含めて子ども達全員をスムーズに校庭へ避難させることができました。――学校から避難した方が良いという判断はいつされたのでしょうか「学校から離れよう!」という判断をしたのは校長でした。私は教頭と一緒に取り残された子どもがいないか、学校の中を確認していましたが、子ども達の人数を数え終えるとすぐに、校庭から逃げ出す様子が校舎の中から見えました。避難所として指定している裏山の大平山へ逃げていったのです。実は震災の当日、たまたま教頭と「この学校の避難所は大平山でしたよね」と話をしていたこともあり、大平山への避難に迷いはありませんでした。このことは今から思うと幸運でした。■ 〜避難の道のり〜――大平山への避難は順調だったのでしょうか学校の西側の県道まで行くとまた想定外のことが起こっていました。左右から車が数珠つなぎになっていて、とても横断できる状況ではありませんでした。普段は子どもが待っていると停まってくれるのですが、皆急いで逃げようとしているわけですから、停まってくれません。たまたま停まってくれたタイミングで、数人単位で子ども達を横断させることを何回か繰返して、何とか全員を横断させることができました。ところが、車の中から子ども達を見つけた保護者の車が停まってしまい、それが原因で大渋滞になったのです。ここで子ども達を保護者の車に戻してしまうと更に混乱を招くと思い、保護者の車に戻さずにそのまま太平山へ避難を続けるように指示をしました。――保護者の方々の理解は得られたのでしょうか保護者の方には、「これから子ども達は役場まで避難させるので、役場に迎えに来てください」と声を掛けました。この時子供たちが逃げていたのは、車が停まっている県道とは少し離れた太平山へとつながる細いあぜ道でしたので、保護者の方も連れていく事を諦めたようで、理解をしてくれました。もし県道近くの道を逃げていたら、保護者の方は子どもを連れて行ったかもしれません。これも幸運でした。――車椅子のお子さんの避難はどのようにされたのでしょうか最初は車椅子を支援員の方が押して逃げていたのですが、そのうち道が悪くなり、担任の男の先生がおんぶして、支援員の方が車椅子をたたんで避難しました。足に装具を入れている女の子もいたのですが、その子は列の最後尾に付いて逃げる形になりました。早歩きに近いスピードで逃げていたのですが、どうしても体力的についていけない子どもはずるずると後ろに落ちてくるので、列がとても長くなってしまいました。一番後ろには我々教員がいましたが、教員だけでは対応できないくらいに長い列の中で、高学年の子ども達が自分達の判断で低学年をうまく挟んでくれて、全員で一緒に逃げることができたのでした。――避難場所の大平山はよく行く場所だったのでしょうか実際に訓練で登ったことはありませんでしたし、子ども達も普段遊びに入るような場所ではありませんでした。この時もどこから山に入れば良いのか、山の入口は知りませんでした。ところが、野球のトレーニングで入ったことがあった男子児童が入口を知っていて、その子に付いて山に登っていくことができたのです。もしその子がいなかったら、迷わずに山に登ることはできなかったと思います。また、山を登っている途中は後ろを振り返っても、木が生い茂っている山道でしたので、町の様子が見えなかったのも良かったと思います。もし町が津波で水没し、家や車が流されている様子を子ども達が見てしまっていたら、きっとパニックになっていたと思います。大平山の頂上からも町の様子は見えず、子ども達は津波の被害の状況を一切知らずに避難することができたのです。いくつもの幸運が重なって頂上まで逃げることができたと思います。頂上では一緒に避難していた地域の方が、「ここから反対側に下りると国道に通じているから、暗くなる前に子ども達を山から下ろした方が良い」とアドバイスして下さり、国道まで子ども達を下ろすことにしました。※いそげ!大平山へ 請戸小学校避難経路図 NPO法人 段階のノーブレス・オブリージュ発行 より――国道に出てからはどう避難するお考えでしたか国道まで下りれば何とかなるだろうと思っていましたが、知らない道でしたので一体、国道のどの場所に下りられるのかも正直分かっていませんでした。国道に着いてからは、とにかく役場まで逃げようと考えていた所に、最後の幸運がありました。大きな荷台があるトラックがたまたまそこを通り、その運転手さんが子ども達全員を荷台に乗せて役場まで連れて行ってくれたのです。こうして子ども達全員が怪我もすることなく、役場まで無事避難することができたのでした。■ 〜あの日を振り返って〜―― 全員が無事に避難できた要因は何だったのでしょうかお話したように、いくつもの幸運が重なったのは事実です。しかし、それ以上に地域の方々が気にかけてくれて、一緒に動いてくれたのは大きかったと思います。どこかでタイミングが狂えば命を落としたかもしれず、ある意味救われた命だったと感じています。もちろん学校の教員も日頃から一人が動くとそれに合わせて動けるような、横のつながりがしっかりしている職場であった事も、混乱せずに無事に避難ができた要因の一つである事は間違いありません。但し、何より子ども達が大人たちの指示をよく聞いてくれましたし、上級生は先生に言われなくても「下級生の手をつないであげる」「上級生が下級生の間に入って一緒に逃げてあげる」といったことを、自然にやってくれたのはとても頼もしかったです。今振り返ると、お父さん・お母さんの代からの先輩・後輩の関係が続いていることや、地域の一体感がある土地柄も、「奇跡の避難」を生んだ要因だったと思います。―― 震災から12年が経ち、震災を知らない子ども達が増えてきました。今の子ども達に伝えたい事は何でしょうか震災直後は「また来るかもしれない」と、準備したり構えたりしていたと思うのですが、だんだん感覚が薄れてきて、「大丈夫だろう、来ないだろう」という感覚が出てきていると思います。子ども達には「来るかもしれない」と常に意識して、選択肢をたくさん持つように話をしています。例えば、2つの選択肢よりは選択肢は5つあったほうが良い、その中でどれが正しいかは結果論であって、ダメな場合もあるけれど、二者択一よりは5つの中からベストなものをその時に選ぶ。自分なりに情報を集めて準備しておくことが生存率を高くすると思っています。岩手県には「津波てんでんこ」という言い伝えがあり、「とにかく津波が来る前に逃げろ」ということですが、浪江町にはそうした言い伝えはありませんでした。浪江の海は遠浅で「津波は来ない、来たとしても大したことはない」と殆どの人が思っていました。学校の中にいても、ずっと先生と一緒にいられるわけではない。最後に自分の命を守るためには、自分で動かなければならない。自分で考えて行動できるよう、避難訓練をやるのです。そして家にいる時や家の人が留守の場合はどうするのか、ということも話し合って欲しいと思います。自分の命を守るためには、自分で選択して行動できることが大切だと思っています。本文はこちら: ■尾西食品株式会社・事業内容:長期保存食の製造と販売・代表取締役社長:古澤 紳一・所 在 地:〒108-0073東京都三田3-4-2いちご聖坂ビル3階・URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年03月07日東日本大震災追悼~祈りの花火in竹岡~実行委員会は、2023年3月11日(土)に東日本大震災犠牲者の慰霊と復興への思いを込めて「東日本大震災追悼~祈りの花火in竹岡~」を開催します。追悼行事として黙祷、追悼の音楽、花火打ち上げを行います。あれから12年、今年も富津市にて追悼を捧げます。ポスター【開催概要】日時 :2023年3月11日(土)18:00~19:15 (花火打ち揚げは19:00~)主催者挨拶・黙祷・追悼の音楽・花火打ち揚げ会場 :・主催者挨拶・黙祷竹岡コミュニティセンター(千葉県富津市竹岡473-1)・追悼の音楽(NPO法人ひこうき雲)・花火打ち上げ(約100発 約5分間)竹岡漁港※竹岡漁港は竹岡コミュニティセンターから徒歩2分程※追悼の音楽は2部構成((1)18:10~18:25 (2)18:40~18:55)駐車場:なし JR竹岡駅をご利用ください。荒天時:3月12日(日)に順延東日本大震災から12年を迎える2023年3月11日(土)、富津市竹岡地区にて「東日本大震災追悼~祈りの花火in竹岡~実行委員会」主催の追悼行事を開催いたします。私たちは震災によって亡くなられた人々と、その遺族に対して深く哀悼の意を表します。また、被災された全ての人々に、心からお見舞い申し上げます。大きな災害はいつでもどこでも、誰にでも、起こりうることを知るとともに、家族や友人たちと災害に対する備えと災害が起こった時にどうするべきかを考えていく事は必要だと思います。東日本大震災の記憶を風化させることなく、震災を体験していない世代やこれから生まれてくる子どもたちにもあの日の悲しみと教訓を伝承していく事は必要ではないでしょうか。今後も大災害の発生が想定されており、改めて、東日本大震災の経験と教訓を活用することが重要だと思います。これからも東日本大震災の記憶を決して忘れることなく、甚大な被害を受けた被災地の人達を忘れずに思い続けていく事が大切だと思います。過去の花火主催:東日本大震災追悼~祈りの花火in竹岡~実行委員会(実行委員長 千倉 淳子) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年02月20日1995年1月17日に発生した、兵庫県淡路島北部を震源とする、『阪神・淡路大震災』。最大震度7の大きな揺れにより、街のいたるところで建物の倒壊や火災などが発生し、人々の生活に大きな影響をおよぼしました。多くの尊い命が失われた災害は、2023年現在になっても語り継がれています。震災から28年が経過した2023年1月17日、タレントの榊原郁恵さんがInstagramにつづったのは、夫で俳優の渡辺徹さんが震災時に体験した出来事。震災発生当時、渡辺さんは仕事のため、兵庫県神戸市のホテルに滞在していたといいます。早朝、渡辺さんから1本の電話が自宅にかかってきました。「今、大きな地震があってさ…」「え?気が付かなかった…!」「窓から外見えるんだけど、あちらこちら煙が見える、もしかして火事かも…」「え!大丈夫?」「うん、又電話する」数分後「いやー…これ…大変なことになったのかも…」「えー⁈」それから連絡が取れず、5〜6日して足に血まめ、ボロボロになって東京に帰って来た。sakakibara.ikueーより引用目の前で起きた災害の惨状を榊原さんに語った渡辺さん。当時、通信などにも大きな影響が出たことで、連絡がつながりづらくなったのでしょう。連絡が途絶えて6日程度が経過した頃、動いている電車の駅まで歩き続けていたという渡辺さんは、命からがら戻ってきたそうです。そんな大変な思いをしたあの日から28年後。家族が、愛犬であるコーンちゃんを長年大切に世話をし続けたことが、愛犬家の模範として表彰されたことを榊原さんは明かしました。※写真は複数枚あります。左右にスライドしてご覧ください。 この投稿をInstagramで見る 榊原郁恵(@sakakibara.ikue)がシェアした投稿 渡辺さんは2022年12月、病気のため逝去。生前、大震災に見舞われた渡辺さんの出来事に、多くのファンが想いを寄せています。・「なんとかして家族のもとに戻りたい」という一心があったのだろうと思うと、泣けてきますね。・慣れない場所で被災をして、帰るのに渡辺さんは大変だったろうと思います。・渡辺さんは疲労困ぱいで、榊原さんも心配でたまらなかったのではないでしょうか…。『阪神・淡路大震災』以降も、『東日本大震災』など各地で大きな地震が起きています。災害が起きても、家族や自分の身を守れるようにしたいですね。[文・構成/grape編集部]
2023年01月18日業界初の個人向け不動産コンサルティング・ホームインスペクション(住宅診断)、マンション管理組合向けコンサルティングを行う"不動産の達人"株式会社さくら事務所(東京都渋谷区/社長:大西倫加)が運営するシンクタンク「だいち災害リスク研究所」では、東北地方太平洋沖地震から11年を機に、地震の際に得られた教訓を洗い出し、今後懸念される海溝型地震に備えるためのコラムを、2022年3月11日(金)にサイト内にて公開致しました。下記をご覧いただき、本件に関する取材やお問い合わせがございましたら、お気軽にご連絡ください。東北地方太平洋沖地震における特徴的な被害東北地方太平洋沖地震(災害名:東日本大震災、以下「3.11」)は、観測史上4番目に大きな海溝型の巨大地震でした。特徴的な被害として、①海溝型地震特有の巨大な津波の襲来②長周期地震動による被害③都心部では500万人以上の帰宅困難者が発生などがみられました。3.11の津波による被害は、被災3県で亡くなった方の死因の9割が津波による溺死とされるほど甚大。平時に津波による浸水が想定される範囲、浸水する深さ、安全な避難先を確認して、防寒具等を含めた持ち出し袋の準備について備えをしておくことが求められます。寒冷地や冬季では雪や凍結などで避難開始や移動が遅れること、水に濡れることで低体温症への注意が必要です。出典:首都直下地震(都心南部直下、冬夕、風速8m/s)により想定される全壊・焼失棟数(内閣府HP)都市部における3.11の負の教訓都市部における3.11の負の教訓は「帰宅できてしまったこと」。大地震時は帰宅してはいけない、首都直下地震等では、都市周縁部の木造密集地域の火災、一時滞在施設が開設されないリスクがある。高層ビルやタワーマンションなどでは、ユッサユッサとゆっくりした揺れ方で、周期が数秒?10秒以上でゆっくりと長く揺れる、「長周期地震動」の発生が懸念されます。3.11では震源から遠く離れた大阪市内の高層ビルで、10分以上の間揺れが続き、1m以上の揺れ幅の揺れでエレベータの閉じ込めや内装材の破損などの事例もありました。高層建物の利用者・入居者は、長周期地震動で家具や什器が大きく移動してくることや、転倒することに備えて、据え付けや固定を確実にすることが求められます。3.11の際では多数の帰宅困難者も発生しました。都心近辺に居た方で、帰宅に苦労された方は少なくないでしょう。しかし、3.11は都心での大規模な火災や家屋倒壊はなく、「帰宅できてしまった」負の教訓となりました。今後懸念される首都直下地震では、時期や風向きなどによっては木造住宅密集地域などで火災が発生、また家屋の倒壊などが懸念されます。帰宅を開始することで大被害のある地域に向かってしまい、被災する懸念や群衆なだれの発生も危惧されます。3.11を超えるような地震に見舞われた際には、一斉に帰宅を開始しないこと、安全に帰宅できることが確認されてから徒歩で帰宅を開始することが求められています。だいち災害リスク研究所・所長 横山芳春によるコラム : 個人向け災害リスク診断サービス「災害リスクカルテ」さくら事務所の「災害リスクカルテ(面談アドバイスつき)」 : ■不動産の達人株式会社さくら事務所■東京都渋谷区/代表取締役社長:大西倫加 株式会社さくら事務所は「人と不動産のより幸せな関係を追求し、豊かで美しい社会を次世代に手渡すこと」を理念として活動する、業界初の個人向け総合不動産コンサルティング企業です。1999年、不動産コンサルタント長嶋修が設立。第三者性を堅持した立場から、利害にとらわれない住宅診断(ホームインスペクション)やマンション管理組合向けコンサルティング、不動産購入に関する様々なアドバイスを行う「不動産の達人サービス」を提供、2022年2月末日現在で55,000組を超える実績を誇る。本件に関するお問い合わせは、お気軽に下記までご連絡ください。株式会社さくら事務所東京都渋谷区桜丘町29-24桜丘リージェンシー101広報室:石原・堤 TEL:03-6455-0726FAX:03-6455-0022Email: press@sakurajimusyo.com 0311_東日本大震災リリース.pdf : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月11日東日本大震災からもうすぐ11年が経ちます。公益社団法人Civic Force(東京都渋谷区、根木佳織代表理事)は、本日3月4日、東北の被災地で復興支援活動に尽力する有志団体と連携し、被災地で実施される11年目の追悼行事を支えるクラウドファンディングを開始しました。▼東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」目標金額 1,000,000円 東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」 - クラウドファンディング READYFOR : 追悼行事の継続を支えるクラウドファンディングについて3月11日14時46分。今年も3月11日の地震が発生した時刻に、東北沿岸の各地で追悼の祈りが捧げられます。犠牲者を悼む追悼式典の多くは、国や被災自治体によって運営されてきましたが、10年の節目を機に政府主催の追悼式は終了し、新型コロナウイルス感染症の影響も相まって開催を取りやめる自治体も出てきています。新型コロナウイルス感染症の影響で東北の地域経済が低迷する中、なんとか今年の追悼行事を存続させて来年につなげていくために、Civic Forceは東北の有志団体が実施する追悼の祈りの行事を支えるために、READYFORにてクラウドファンディングを開始しました。ご寄付は、コロナ禍での感染対策にかかる経費やオンライン配信のための運営費など、11年目の「追悼の祈り」を存続させ、次の10年につなげるために活用させていただきます。拡散のご協力をお願いします。<概要>・タイトル「東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」」・URL: ・目標金額:100万円・募集期間:2022年3月4日(金)~3月31日(木)・資金使途:東北各地で実施される追悼イベントの会場費や通信費、コロナ禍での開催にかかる経費や運営費などもサポートします。・形式:通常型 / All-in形式 ※目標金額の達成の有無に関わらず、集まった支援金を受け取ることができる形式クラウドファンディング立ち上げの背景について2011年3月に緊急支援活動を開始して以降、東北での被災地支援活動を続けてきたCivic Forceは、現在、独自の復興支援プログラム「NPOパートナー協働事業」を通じて、地域の復興の動きを後押ししています。2021年からは、新型コロナウイルス感染症の影響で、存続が危ぶまれていた団体の追悼行事の開催をサポートしてきました。Civic Forceが支援する有志団体主催の追悼行事は、これまで地元企業からの寄付や外からのボランティアのサポートによって成り立っていましたが、2020年以降コロナ禍で地域経済が低迷し、また感染拡大を防ぐために、地元企業や県外のボランティアに頼りづらい状況が生まれています。また震災から10年が過ぎ、国や行政、企業などからの助成金がなくなり、追悼行事を続けていくための資金調達や人手不足が大きな課題となっています。他方、これからは誰かに頼るばかりでなく、地域の人が自分たちで祈りの形を考え、次世代へとバトンをつないでいこうという機運が生まれています。当日打ち上げる花火や風船、灯すあかりには、犠牲者への思いや防災の大切さ、そして真の復興に向けたメッセージなどが書かれます。2022年3月、地域の有志によって続く「追悼」の時間を守るために、以下の2団体ほか東北被災地で追悼行事を実施する団体をサポートします。11年目の「追悼」の時間は、犠牲者を悼むだけでなく、あの日の記憶を振り返り教訓を後世に伝えていくための「伝承」の取り組みでもあります。2021 3.11 祈りの花火白菊 希望未来大切な人を想う日に : 閖上の記憶 : 【公益社団法人Civic Forceについて】国内外の大規模災害時に企業、NPO、行政などが対等なパートナーシップのもとに協働し、迅速で効果的な支援を行うための連携組織です。発災直後から復旧・復興まで、個々の強みを最大限に生かすことで、被災地のニーズに即した支援を目指している。被災地と被災地をつないで教訓を共有することで、災害に強い地域づくりのサポートも続けている。2019年からは空飛ぶ捜索医療団ARROWSに参画し、捜索救助や救急医療、空からの支援体制の強化をはかっています。<緊急支援実績>・2011年3月:東日本大震災支援・2012年7月:九州北部豪雨支援・2014年8月:広島土砂災害支援・2015年9月:関東大雨災害支援・2016年4月:熊本地震支援・2017年7月:九州北部豪雨支援・2018年7月:西日本豪雨支援、9月:北海道胆振東部地震支援・2019年10月:台風19号支援(継続中)・2020年7月:九州豪雨支援(継続中)・2021年1月:新型コロナウイルス緊急支援(継続中)、7-8月:熱海・佐賀豪雨支援(継続中)【問い合わせ先】公益社団法人 Civic Force代表理事 根木佳織本部事務所〒151-0063東京都渋谷区富ヶ谷2-41-12富ヶ谷小川ビル2階TEL:03-5790-9366FAX: 03-5790-9368佐賀事務所〒840-0831佐賀県佐賀市松原1-3-5 まるなかビル6階TEL:0952-20-2900FAX:0952-20-1608URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月04日東日本大震災からもうすぐ11年が経ちます。公益社団法人Civic Force(東京都渋谷区、根木佳織代表理事)は、本日3月4日、東北の被災地で復興支援活動に尽力する有志団体と連携し、被災地で実際される11年目の追悼行事を支えるクラウドファンディングを開始しました。▼東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」目標金額 1,000,000円 東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」 - クラウドファンディング READYFOR : 追悼行事の継続を支えるクラウドファンディングについて3月11日14時46分。今年も3月11日の地震が発生した時刻に、東北沿岸の各地で追悼の祈りが捧げられます。犠牲者を悼む追悼式典の多くは、国や被災自治体によって運営されてきましたが、10年の節目を機に政府主催の追悼式は終了し、新型コロナウイルス感染症の影響も相まって開催を取りやめる自治体も出てきています。新型コロナウイルス感染症の影響で東北の地域経済が低迷する中、なんとか今年の追悼行事を存続させて来年につなげていくために、Civic Forceは東北の有志団体が実施する追悼の祈りの行事を支えるために、READYFORにてクラウドファンディングを開始しました。ご寄付は、コロナ禍での感染対策にかかる経費やオンライン配信のための運営費など、11年目の「追悼の祈り」を存続させ、次の10年につなげるために活用させていただきます。拡散のご協力をお願いします。<概要>・タイトル「東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」」・URL: ・目標金額:100万円・募集期間:2022年3月4日(金)~3月31日(木)・資金使途:東北各地で実施される追悼イベントの会場費や通信費、コロナ禍での開催にかかる経費や運営費などもサポートします。・形式:通常型 / All-in形式 ※目標金額の達成の有無に関わらず、集まった支援金を受け取ることができる形式クラウドファンディング立ち上げの背景について2011年3月に緊急支援活動を開始して以降、東北での被災地支援活動を続けてきたCivic Forceは、現在、独自の復興支援プログラム「NPOパートナー協働事業」を通じて、地域の復興の動きを後押ししています。2021年からは、新型コロナウイルス感染症の影響で、存続が危ぶまれていた団体の追悼行事の開催をサポートしてきました。Civic Forceが支援する有志団体主催の追悼行事は、これまで地元企業からの寄付や外からのボランティアのサポートによって成り立っていましたが、2020年以降コロナ禍で地域経済が低迷し、また感染拡大を防ぐために、地元企業や県外のボランティアに頼りづらい状況が生まれています。また震災から10年が過ぎ、国や行政、企業などからの助成金がなくなり、追悼行事を続けていくための資金調達や人手不足が大きな課題となっています。他方、これからは誰かに頼るばかりでなく、地域の人が自分たちで祈りの形を考え、次世代へとバトンをつないでいこうという機運が生まれています。当日打ち上げる花火や風船、灯すあかりには、犠牲者への思いや防災の大切さ、そして真の復興に向けたメッセージなどが書かれます。2022年3月、地域の有志によって続く「追悼」の時間を守るために、以下の2団体ほか東北被災地で追悼行事を実施する団体をサポートします。11年目の「追悼」の時間は、犠牲者を悼むだけでなく、あの日の記憶を振り返り教訓を後世に伝えていくための「伝承」の取り組みでもあります。2021 3.11 祈りの花火白菊 希望未来大切な人を想う日に : 閖上の記憶 : 【公益社団法人Civic Forceについて】国内外の大規模災害時に企業、NPO、行政などが対等なパートナーシップのもとに協働し、迅速で効果的な支援を行うための連携組織です。発災直後から復旧・復興まで、個々の強みを最大限に生かすことで、被災地のニーズに即した支援を目指している。被災地と被災地をつないで教訓を共有することで、災害に強い地域づくりのサポートも続けている。2019年からは空飛ぶ捜索医療団ARROWSに参画し、捜索救助や救急医療、空からの支援体制の強化をはかっています。<緊急支援実績>・2011年3月:東日本大震災支援・2012年7月:九州北部豪雨支援・2014年8月:広島土砂災害支援・2015年9月:関東大雨災害支援・2016年4月:熊本地震支援・2017年7月:九州北部豪雨支援・2018年7月:西日本豪雨支援、9月:北海道胆振東部地震支援・2019年10月:台風19号支援(継続中)・2020年7月:九州豪雨支援(継続中)・2021年1月:新型コロナウイルス緊急支援(継続中)、7-8月:熱海・佐賀豪雨支援(継続中)【問い合わせ先】公益社団法人 Civic Force代表理事 根木佳織本部事務所〒151-0063東京都渋谷区富ヶ谷2-41-12富ヶ谷小川ビル2階TEL:03-5790-9366FAX: 03-5790-9368佐賀事務所〒840-0831佐賀県佐賀市松原1-3-5 まるなかビル6階TEL:0952-20-2900FAX:0952-20-1608URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月04日【おとな向け映画ガイド】不可解で残虐な連続殺人の背後に大震災の傷痕ー『護られなかった者たちへ』ぴあ編集部 坂口英明21/9/26(日)中川右介さんの水先案内をもっと見る()(C)2021映画『護られなかった者たちへ』製作委員会
2021年09月26日野球場に足を運んだ、まな(@ron_lily0126)さん。宮城県に住むまなさんは、『東北楽天ゴールデンイーグルス』のファンだといいます。2021年6月8~10日には、『中日ドラゴンズ』との交流戦がありました。そこで、思わず涙するようなファン同士の温かい交流があったようです。試合の7回表の前に、球団の応援歌が流れます。そこでは、自分の応援している選手の名前入りタオルなどを掲げてげきを飛ばすのですが、この日は違いました。こちらの動画をご覧ください。3日間ありがとうございます!!中日ドラゴンズファンに感謝10年前に配布したボードだから、ありがたみが違いますね #がんばろう東北 pic.twitter.com/Ox1MNxvZGb — まな@6/18.19.25.26.29.30.7/10楽パ (@ron_lily0126) June 10, 2021 なんと、中日ドラゴンズのファンたちは10年前に配布された『がんばろう東北』と書かれたボードを長年保存。宮城県仙台市を拠点にする、東北楽天ゴールデンイーグルスに向けてメッセージを送ったのです。動画では、「復興祈願がんばれ東北」と書かれたメッセージボードも確認できます。中日ドラゴンズのファンは、毎回交流戦のたびにボードを掲示してくれるのだとか。まなさんは、「久しぶりの交流戦でも掲げてくれた中日ドラゴンズファンには感謝しかありません。応援している選手のタオルよりも、『がんばろう東北』を優先してくれた姿は涙が出ました」とコメントしています。【ネットの声】・プロ野球のファンとして嬉しいです。・素晴らしい!じーんときた!・感動した。素敵な交流ですね。東日本大震災から10年が経つも、いまだ復興が進んでいない場所もあります。復興を祈願し、風化させないという中日ドラゴンズファンのメッセージはプロ野球ファン以外の人の心にも響いたことでしょう。東北楽天ゴールデンイーグルスのTwitterでも、感謝の言葉がつづられていました。7回表の前に「 #がんばろう東北 」のボードを掲げてくださった中日ドラゴンズファンのみなさま、ありがとうございました✨震災から10年。楽天生命パーク宮城の試合ではいつも掲げていただき、とても嬉しく思います。スタジアムをたくさん楽しんでいってくださいね! #dragons #RakutenEagles pic.twitter.com/wIKMFG4KUT — 東北楽天ゴールデンイーグルス (@Rakuten__Eagles) June 8, 2021 10年経ってもなお、相手チームのことを想ってボードを掲げる素敵な交流に心が温まりますね。[文・構成/grape編集部]
2021年06月12日【今週の悩めるマダム】10年前の東日本大震災で家族を亡くしたものです。先日、また大きな地震が東北を襲いました。今回の地震では、食器などが割れてしまったものの、幸いけがなどの被害はありませんでした。しかし嫌な記憶がよみがえってきて、また眠れなくなってしまいました。やっと乗り越えられてきた矢先に、心が潰されそうです。(宮城県在住・50代主婦)あれから10年の月日が流れましたが、つらい記憶にいまだ多くの方が苦しんでいらっしゃると思います。しかし、このような自然災害は、残念ながら地球が続く限り、繰り返し起こるものです。人間の力ではどうすることもできないこのような不条理なことが、皮肉にも人生にはたくさんふりかかってきます。その都度、人間は立ち止まり、吹き飛ばされないように、心を必死で保たないとならないのです。そうしたことも含めて“生きていく”ということなのでしょう。もちろん自然災害だけではありません。交通事故もあれば、癌などの重たい病気もありますし、まさにコロナのような感染症のパンデミックもあります。私たちに悲しい記憶を思い起こさせるような出来事は、今後も形をかえ、次々と私たちに襲い掛かってくることでしょう。さて、僕はあるときから、心の片隅に“ある種の覚悟”というものを常に用意するようになりました。これを皆さんに真似してください、というつもりはないのですが、とりあえずちょっと読んでみてください。僕は61年生きてきましたが、結局のところ、人生とか運命というものは、実はどんなに拝んでもどんなに頑張っても、もうどうすることもできないものだと悟ったのです。なぜならば、人間は遅かれ早かれ、いつかは死ぬことになるのです。ご存知のとおり、この運命から脱出できた人間はいまだかつて一人もおりません。地震も起こるでしょうし、交通事故に不意に遭遇することもあるかもしれない。コロナにかかって、死にそうになるかもしれない。あるいは、死ぬかもしれない。人間が自分でどうすることもできないことを“不条理”というのですが、実際のところ人生のほぼすべてが不条理だと考えていた方がいいでしょう。免れない死を覚悟してみると、不安はほんの少しマシになります。いつか終わりがくることを怯えて生きることも、苦しい過去を背負い続けて生きることも、人間にはできます。でも、「いつかは自分もこの世を去らないとならない」と覚悟する境地が、逆に僕を楽にしてくれることがあるのです。諦めではありません。境地です。人間がどんなに考えても、死の先にあるものは見えません。見た者もいません。しかし、終わりのある人生の本質と向き合い、そして理解することはできます。死を悟り、今を一生懸命生きることで、僕はつらい過去と和解してきました。そして、いつも月を見上げながら、「いつか、そちらに帰ります。それまであと少し、精一杯生きさせてください」と祈るのです。天に召されるという言葉がありますが、その免れない最期に、「素晴らしい人生だった」と思えることが天国なのだと信じたいですね。つらいこともありますが、今生を共に生きてまいりましょう。【JINSEIの格言】免れない死を覚悟してみると、不安はほんの少しマシになります。「いつかは自分もこの世を去らないとならない」と覚悟する境地が、逆に僕を楽にしてくれることがあるのです。この連載では辻さんが恋愛から家事・育児、夫への愚痴まで、みなさんの日ごろの悩みにお答えします!お悩みは、メール(jinseinospice@gmail.com)、Twitter(女性自身連載「JINSEIのスパイス!」お悩み募集係【公式】(@jinseinospice)、またはお便り(〒112-0811 東京都文京区音羽1-16-6「女性自身」編集部宛)にて絶賛募集中。※性別と年齢を明記のうえ、お送りください。以前の連載「ムスコ飯」はこちらで写真付きレシピ公開中!
2021年03月16日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「東日本大震災から10年」です。震災に終わりなし。この先も風化させてはならない。東日本大震災から10年が経ちます。福島第一原発事故により帰宅困難区域に指定されていたところも、2023年までに全面解除・帰還を目指すことになりました。大きな被害にあった南相馬市と浪江町では、ロボット開発をする企業が誘致されたり、浪江町では民間の新しい電力会社も太陽光エネルギーの拠点として立ち上がるなど、新しい街づくりが進んでいます。復興の明るいニュースがある一方で、故郷を追われ、いまなお避難生活を強いられている方が東北だけで3600人おられます。石巻では復興計画が進まないまま、移動困難な地域に住む高齢者が孤独死するケースが増えています。長引く避難生活でコミュニティを再生できず、日常を取り戻せないまま亡くなってしまう。共同通信によると、避難を余儀なくされた福島県の7町村で、震災関連死と認定された人は、1月現在、それぞれ人口の1%以上にのぼることが判明しました。災害で亡くなった直接死よりも、震災関連死のほうが多く、これまでに2313人が亡くなり、その9割が南相馬市など避難指示区域に設定された市町村でした。原発事故で故郷を失い、住まいを転々とする避難生活が心身にダメージを与えたことが顕著になっています。自殺者数も被災3県(岩手、宮城、福島)のなかで福島県が最も多く118人。なかでも男性が多く、働く場や生活を根こそぎ奪われてしまったことが要因と考えられます。生業を奪われた人々が、国と東電相手に訴訟(生業訴訟)を起こし、昨年9月に仙台高裁では勝訴しました。しかし、この10年の間に100人以上の方が亡くなり、原告の数は年々減ってしまっています。震災から10年。復興庁は継続しますが、様々な支援は次第に打ち切られます。世間的に忘れられていくなかで、いまだに十分な補償ももらえず国とも争わなければならない。地域のコミュニティは分断され、疎外感を抱きながら暮らす人々。一概に「東北では」「福島では」と大きな主語では語れません。今年2月、福島県沖で再び大きな地震が起きました。読者の方々には、現地を訪れるなど、ぜひ今後も東北と関わり続けてほしいなと思います。堀 潤ジャーナリスト。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。『モーニングCROSS』(TOKYO MX 平日7:00~8:00)にメインキャスターとして出演中。※『anan』2021年3月17日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2021年03月13日2011年3月11日に発生した東日本大震災。当時私は、東京都中央区のオフィスビルの11階に勤務していました。翌年に結婚を控え、現在の夫と2人暮らし。会社からドアtoドアで1時間程度の場所に住んでいました。震災で電車が止まり、帰宅困難者になった経験を踏まえて、震災後に意識するようになったことをご紹介します。 オフィスで何時間も電車の復旧を待つ震災当時、私のいたビルの11階もかなり揺れを感じ、デスクが乱れたり、本棚から書類が落ちたりといった状況。相当な恐怖を感じたものの、周りにケガをした人などはおらずホッとしたのですが、大変なのはそのあとでした。電車がすべて止まってしまい、普段だったらもう誰もオフィスにいない午後10時を回っても、自宅に帰れない人たちがずっと会社に残っていました。 このまま会社に泊まることになるのかなあと不安になり始めた深夜0時近くになってようやく普段通勤に使っていた地下鉄が動き出し、自宅が同じ方面にある同僚と恐る恐る地下鉄に乗って帰ったのを覚えています。 子どもの安否確認に奔走するママたち当時私はまだ未婚で子どももいなかったため、地震発生後、夫の安否が確認できたあとは不安ながらも仕事をして地下鉄が動き出すまでの時間をつぶしていました。しかし、同じ部署には子育て中のママもたくさんいて、子どもの安否確認とお迎えの段取りに奔走する様子を間近で見ていて、本当に大変そうだなあと思いました。 そして、子どもがいるママたちは、震災後数時間で蜘蛛の子を散らすようにオフィスを去っていきました。幸いママたちは皆オフィスから近い場所に住んでいる人ばかりで、帰宅困難で子どものお迎えに行けないという人はいなかったようです。 どんなときでもすぐお迎えに行けるようにその後、私は結婚して子どもにも恵まれましたが、折に触れて震災の日の体験を思い出し、今あのときと同じ状況になったらどうなるかというのを何度となく考えてきました。自宅から遠い場所に勤務していて電車が止まってしまったら、お迎えにいけるのが何時間後になるかわからないという不安がまずあります。 確固たる信念があってそうしたわけではありませんが、「何かがあったときにすぐお迎えに行けるように」という思いはずっと心の中にあり、子どもが生まれてからは在宅でできる仕事のスタイルに切り替えて現在に至ります。 地震はいつ起こるかわかりません。私が普段は在宅で仕事をしていても、たまたま打ち合わせ等で自宅から離れた場所にいる日に地震が起きる可能性も十分にあります。いつも子どもの近くにいられれば安心ですが難しい場合もあるので、どこにいても大丈夫なように、いざというときの連絡方法や、帰宅手段など、日ごろからの備えをしっかりしておきたいです。 監修/助産師REIKO著者:澤崎 凪1男1女の母。パーソナルカラーコーディネーターの資格を持ち、色彩関係、ファッション関係のほか、自身の体験をもとにした子育て関係のジャンルを中心にライターとして活動中。
2021年03月13日GReeeeNがTBSの報道プロジェクト『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』のテーマソングに書き下ろした新曲「蕾」の初解禁が決定した。「蕾」は、3月6日から始まる『東日本大震災10年プロジェクト』に参加する7番組全てで、テーマソングとして使用されることがすでに発表されている。本日、TBSテレビ系列『ひるおび!』内ニュースで放送される、プロジェクトのスポットで楽曲の一部が使用されることになった。GReeeeNは本楽曲の制作にあたって、リーダーHIDEと内堀福島県知事の対談や、東北の人々の声を聞いて作り上げたという。なお今回の発表と合わせて、「蕾」がデジタル配信シングルとして3月4日にリリースされることも発表された。【放送概要】東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」TBS『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』ロゴ参加番組:特別番組『つなぐ、つながるSP』『Nスタスペシャル・東日本大震災10年~つなぐ、つながる~』『Nスタ』『NEWS23』『報道特集』『サンデーモーニング』公式サイト:【リリース情報】TBSテレビ系列『東日本大震災 10 年プロジェクト「つなぐ、つながる」』テーマソング「蕾」2021年3月4日配信
2021年02月26日コスメブランド『SHIRO』から、東日本大震災の復興支援として限定で発売していた『ハッピーヴァーベナ』が、限定フレグランスとして再登場します。コロナ禍でも「ハッピーヴァーベナ」で笑顔に2011年3月11日の東日本大震災の際、『SHIRO』は「香りの力で笑顔を」「少しでも多くの方に元気とパワーを」という想いから、同年5月に『ハッピーヴァーベナ』を発売しました。そして10年後の現在、コロナ禍で緊張の続く日々でも『ハッピーヴァーベナ』で笑顔になってほしいという想いから、オンライン限定で今回の再登場が決定しました。『ハッピーヴァーベナ』は、シトラスがはじけるフレッシュなフレグランスで、もぎたて果実のようなみずみずしいフルーティな香りから、グリーンを感じられるさっぱりとした柑橘系の香りへとうつります。『ハッピーヴァーベナ オードパルファン』¥4,055(税込)約2時間香りが続く、オードパルファンはお出かけ前や気分がリフレッシュさせたいときにひと吹き。手首や首筋、耳の後ろなどにつけて、爽やかでフレッシュな香りを楽しんでくださいね。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ オードパルファン』価格:エシカル割¥4,055(税込)『ハッピーヴァーベナ ルームフレグランス』¥4,481(税込)ルームフレグランスは約2か月半香りが続くので、おうち時間がより幸せになりそう。スティックの本数によって香りの強さを調節できるので、好みの香り方や部屋の広さに合わせてアレンジが可能。リビングやベッドルームなど、様々なスペースに使えます。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ ルームフレグランス』価格:エシカル割¥4,481(税込)『ハッピーヴァーベナ ハンド美容液』¥2,988(税込)手指消毒などで、いつも以上に乾燥が気になるこの季節におすすめなハンド美容液です。アロエや酒粕、シアバターが配合され、すっとなじみなめらかな手肌へと導きます。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ ハンド美容液』価格:エシカル割¥2,988(税込)『ハッピーヴァーベナ オイルインハンドスプレー』¥2,200(税込)アルコールで手荒れしてしまう方のために誕生したハンドスプレーも今の時期は必見。手肌をやさしくいたわるひまわり油を配合し、潤いを与えながら除菌をしてくれるアルコール入りハンドスプレーです。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ オイルインハンドスプレー』価格:エシカル割¥2,200(税込)※いずれも2021年2月25日(木)午前10時~、SHIROオンラインストア限定で予約開始※2021年3月11日(木)頃よりお届け予定オンラインストア限定で完売も予想されるアイテムなので、気になる方は予約時間もチェックしておいてください。『ハッピーヴァーベナ』の利益は現在も、東北地方の復興支援のために寄付されています。気になるアイテムがあれば、商品を購入して、東日本大震災の復興サポートに携わってみてはいかがでしょうか。【参考】世界中がハッピーな香りにつつまれますように 東日本大震災の復興支援として発売した『ハッピーヴァーベナ』が限定フレグランスから再登場-PR TIMES©︎SHIRO文/RKRK
2021年02月23日GReeeeNが、TBSの報道プロジェクト『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』のテーマソングを担当する。3月6日から11日にかけて行われるこのプロジェクトは、東日本大震災から10年の節目に各報道番組や報道特別番組で、被災地のさまざまな想いや教訓を未来につないでいくというもの。参加番組は、特別番組『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」スペシャル』(仮)を始め、『報道特集』『サンデーモーニング』『JNNニュース』『Nスタ』『NEWS23』、そして『東日本大震災10年 Nスタスペシャル』(仮)の全7番組。これら全てにGReeeeNによる書き下ろしテーマソングが使用される。今回のテーマソング提供にあたり彼らは、「震災当時、福島で過ごしていた僕たちから、未来に向かって、『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」プロジェクト テーマソング』をお届けできればと思っています。」とコメントを寄せている。なお、このテーマソングは3月上旬にリリースされる予定。GReeeeNコメント全文あの震災から10年という時が経とうとしています。復興へと続くこれまでの道程の中で、一日一日を過ごされた方々の想いに心を寄せ、震災当時、福島で過ごしていた僕たちから、未来に向かって、『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」プロジェクト テーマソング』をお届けできればと思っています。厳しい冬を越えて、百の花が芽吹く。百花繚乱。いくとせかの日、春の訪れを待ちわびて、やがてひらく蕾のように。【放送概要】東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」TBS『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』ロゴ参加番組:特別番組『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」スペシャル』(仮)『東日本大震災10年 Nスタスペシャル』(仮)『Nスタ』『NEWS23』『報道特集』『サンデーモーニング』公式サイト:
2021年02月22日東日本大震災から10年という節目の年となる2021年。震災の教訓を未来へ伝えるために、“震災の記憶”、“その後の人々が生んだ絆”、 “未来への課題”の3つをテーマに掲げた特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』が日本科学未来館にて開催される。展示は3つのゾーンによって構成。まず「ZONE1」では、地震発生から72時間のNHKニュース映像を時間を追って公開。さらに、震災で失われた街や集落を全国の建築学生の協力により1/500サイズの模型で復元するプロジェクトの紹介や、東京電力福島第一原子力発電所の事故の記録とその影響を、避難者の証言などを交えて紹介するコーナーなどで、震災発生当時の状況を追体験し、あのとき、何が、どのように起こったのかを見つめ直す。地震発生から72時間©NHK東日本大震災復興支援「失われた街」模型復元プロジェクト「ZONE2」では、NHK復興支援ソング「花は咲く」や「SEIMEI」の演技で着用した羽生結弦選手の衣装や、復興支援チャリティーの一環としてネットオークションに出品されたレディー・ガガの直筆サインとメッセージが記されたティーカップといった復興にまつわるストーリーをもった品々や、復興のあゆみを社会の出来事を交えたニュース映像で東北の10年におよぶ復興のあゆみを振り返る。羽生結弦選手©NHKレディー・ガガさんのティーカップ最後の「ZONE3」では、毎年のように国内各地で頻発する自然災害や、それに伴う複合災害時に迫られる様々な選択を仮想空間で体験できるコーナーや、新たな避難所の形など、これからの防災について考えていく。防災クロスロード(イメージ)監修:矢守克也(京都大学防災研究所) ※「クロスロード」はチーム・クロスロードの著作物で登録商標です。飛沫感染防止用テント提供:流山市大きな自然災害が頻発し、首都直下地震などの発生も懸念され、さらにコロナ禍により避難行動の変容も迫られている昨今。東日本大震災の記憶と改めて向き合い、今、私たちに必要な防災や減災について考え直す好機となるだろう。【開催概要】特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』会期:3月6日(土)~3月28日(日)※3月9日(火)、3月16日(火)は休館時間:10:00~17:00(入場は閉館30分前まで) ※入場無料・事前予約制会場:日本科学未来館 1階 企画展示ゾーン公式HP: www.nhk.or.jp/event/art2020/
2021年02月18日RADWIMPSが、東日本大震災から10年目となる2021年3月11日にコンセプトアルバム『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』をリリースする。2011年3月11日に東日本大震災が発生した直後に、義援金プロジェクト「糸色」を立ち上げたRADWIMPS。その後ほぼ毎年3月11日に被災地へ想いを馳せた新曲を、映像作家・島田大介が制作した映像と共にYouTubeで発表してきた。アルバムにはこれまで発表した楽曲8曲に、新たに新曲2曲を加えた全10曲を発表順に収録。Blu-rayとDVDには、島田による映像作品も収録される。アートワークも同じく島田が手掛け、島田自ら被災地に赴き撮影した震災当時と10年後の今を鮮明に切り取った写真の数々が収められている。なお、このアルバムの利益は日本赤十字社、自治体などに全額寄付され、日本全国で起こる自然災害などの支援活動に充てられる。(2021年12月31日までの売上金額が寄付の対象となる。)アルバム特設サイト:リリース情報RADWIMPS『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』(読み:テンイヤーズテンソングス)2021年3月11日(木) 発売●CD+BD:4,000円(税抜)●CD+DVD:3,500円(税抜)●CD:2,800円(税抜)<CD収録曲>「白日 -10 years ver.-」「ブリキ」「カイコ」「あいとわ」「春灯」「空窓」「夜の淵」「世界の果て」ほか新曲2曲を含む全10曲を収録。<BD / DVD収録曲>「白日」「ブリキ」「カイコ」「あいとわ」「春灯」「空窓」「夜の淵」「世界の果て」ほか新曲を含む全9曲を収録。書籍情報『あんときの RADWIMPS 「人生 出会い」編』著者:渡辺雅敏出版社:小学館定価:1,700円(税抜)四六判簡易フランス装・320ページ(予定)2021年2月15日(月)刊行予定小学館WEBサイト: Official HP:
2021年02月05日11月13日(金)に公開されるアニメーション映画『日本沈没2020 劇場編集版 -シズマヌキボウ-』の本予告が公開された。小松左京の大ヒット小説『日本沈没』を初めてアニメ化し、突然の大震災に襲われる日本の姿を描いた本作。『夜は短し歩けよ乙女』『DEVILMAN crybaby』で知られる湯浅政明監督が挑んだ『日本沈没2020』は今年7月にNetflixで配信され、世間の注目を浴びた。配信版では、“国が失われゆく人々のアイデンティティ”という1973年に刊行された原作のテーマを残しながらも、2020年現在の日本を舞台に、ごく普通の家族の目線で未曾有の事態を描く設定を採用。アニメならではのファンタジー性と冷静な視点を交えた本作は、コロナ禍の今にも繋がる内容で連日更新される国内視聴ランキングのNo.1を記録した。そして、全10話の配信版のストーリーを湯浅監督の手による編集で再構築し、1本の映画作品にテーマを凝縮して描き出した『日本沈没2020 劇場編集版 -シズマヌキボウ-』が11月13日に公開される。配信版の予告では、大災害に巻き込まれる主人公の武藤家を中心としたサバイバルが描かれていたが、劇場編集版の公開に向けて新たに編集された今回の予告では、湯浅監督が本作を通じて真に描きたかったという“祖国が沈んだ後の日本人の心”というテーマを凝縮した映像となっている。日本が沈んだ後の物語に焦点を当て、前半では危機に直面した衝撃的な日本の姿や、目を覆いたくなる“恐怖と脅威”の数々を目の当たりに。後半にかけては一転、絶望的な状況の中、それでも立ち上がり、再生に向かって進もうとする人々の姿から“生きる”という力強いメッセージが伝わってくる。配信時、ハードな内容ゆえにSNSを中心に議論が巻き起こった本作。今回の予告の中にも視聴者の様々なコメントがちりばめられ、最後に「貴方はこの作品をどう受け止めるか?自分の目で確かめて欲しい」と問いかけてくる。湯浅監督が「意図した所へたどり着かない視聴者の方も多く見受けられました」と語る『日本沈没2020』の劇場編集版を自身の目で確かめてほしい。『日本沈没2020 劇場編集版 -シズマヌキボウ-』本予告『日本沈没2020 劇場編集版 -シズマヌキボウ-』11月13日(金)全国ロードショー
2020年08月27日お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおが10日深夜、オフィシャルブログを更新し、東日本大震災の発生から9年を迎える心境をつづった。2011年3月11日、サンドウィッチマンは東北でのレギュラー番組のロケで宮城・気仙沼市を訪れ、撮影の合間に被災。以来、募金や復興支援活動を積極的に行ってきた。伊達は「9年。そして10年目へ」と題し、「3月11日がまたやってきた。あの日から丸9年か」と感慨深げに「全国からのご支援やご協力、応援により、東北の沿岸は元気に絶賛復興中です!」と呼びかけ、9年の歩みを振り返った。「震災直後にボランティアで被災地に入って下さった方が、そのまま移住して新しい街作りに携わってくれたり、被災地に住む地元の方の人柄に惚れ、移住したり…そんな話をよく聞きます。沢山の人や建物、沢山の思い出を失った出来事でしたが、震災をきっかけに、様々な人生が新しく生まれてもいるんですね。9年経った被災地…ある地域では、今や被災地とは思えない程に整備がされ、震災前の町並みを忘れるくらい復活を遂げている所もあります。勿論、内情は色々とまだ問題があるでしょうけど」毎年、この時期に震災についての思いをブログにつづってきた伊達。「年月が経つにつれ、地域の格差が出てきており、復興のスピードやその町に対する期待感というのか、住んでる方々の『この町を元気にして全国からお客さんを呼ぶぞ!』という気持ちの格差が出てきている様な感じもします」「震災後、仕方なく町を離れてしまった方が多い地域等は特に。故郷を建て直すには、やっぱり地元民の力強い意志や行動力がないと難しい」と吐露し、「今週の、フジテレビ『バイキング』の中で、坂上忍さんと我々が一緒に宮城県へロケに行ったVTRが流れています。こうゆうのが本当に有り難いです。こうして、東北の元気や笑顔、美味しいもの、そして感謝を伝えられる番組や企画はこれからも続いて欲しいです」と番組などで取り上げられることに感謝した。そして、「3月11日。9年にもなると、震災直後には防災グッズを購入したり、お水や食料を備蓄したり…そんな事も今ではすっかり忘れてしまってる方もいると思います。毎年、この日は改めて襟を正す1日になれば良いですね」と期待を寄せ、「では、東松島市から、気仙沼へ向かいます。11日は、震災から9年の気仙沼を色々と回ります」と報告。「いつも東北の被災地を気に掛けて頂きありがとうございます」と結んでいる。
2020年03月11日東日本大震災から9年が経った。痛ましい記憶を風化させないことが課題となるなかで、皇室は被災者の心に寄り添い続けている。雅子さまも、天皇陛下とご一緒に、被災者のもとを繰り返し訪問されてきた。2017年11月には、東日本大震で甚大な津波被害に見舞われた宮城県・閖上地区へ。復興公営住宅「名取市閖上中央第一団地」の被災者と懇談された際には、一人ひとり丁寧にお声がけされたために、15分の予定が25分と大幅に延びてしまった。その後、団地から車で2分の東日本大震災慰霊碑に供花する際には、あるサプライズが。団地では動きやすいパンツスーツだった雅子さまが、慰霊碑の前に立たれた際にはお帽子をかぶり、スカート姿に着替えられていたのだ。そこには、限られた時間の中でも場にふさわしい装いを、という最大限の心遣いが表れていた。翌年の歌会始で、雅子さまは《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》とこのときの喜びを詠んだ歌を披露された。この歌を刻まれた歌碑が、昨年3月に閖上地区の「震災メモリアル公園」に建立されている。「雅子さまは、過去の誕生日の際のご回答でも、折に触れて繰り返し《被災地に永く心を寄せていきたい》と東日本大震災の被災者を思いやられてきました。皇后となられても、そのお気持ちは変わっていません」(皇室担当記者)昨年12月、皇后として迎えられた初めての誕生日に際しても、《東日本大震災で被災した釜石市でこの大会の試合が行われたことも喜ばしいことでした》と岩手県・釜石鵜住居復興スタジアムで開催されたラグビーワールドカップの試合を振り返られた。時が経っても忘れない――。雅子さまの愛のメッセージが、被災者の心を照らし続ける。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日東日本大震災から8年。「あの日」を忘れないために、改めて大地震への備えをしましょう。自宅でくつろいでいる時、街を歩いている時、地下鉄に乗っている時…もしも地震が起こったらどうしますか? 想像はしたことあるけど実際にどうするべきか知らない人が多いのではないでしょうか。防災の専門家の方のお話をまとめてみました。まとめ構成・小田原みみいつ起こってもおかしくないと言われている大地震。その「いつか」の時、自分の命は自分で守らなければいけません。地震が起こった場合に慌てず、どのような行動をとるべきかさまざまなケースを想定して専門家の方々に聞いてみました。その前に、「備えておきたい防災グッズ」記事もぜひご参考に!寝ている時に地震が起こった場合揺れたときは、布団をかぶってじっと待つ。揺れている間に起き出そうとすると、ベッドから転げ落ちたり落下物でケガをする恐れが。揺れがおさまるまでは、布団を頭からかぶって無事を祈るべし。「揺れている間は、できることがほぼありません。物がぶつかる衝撃を少しでも軽減するために、布団をかぶります」(国崎さん)おさまったら外へ出られるように準備を。「床に散ったガラスなどを踏まないようスリッパを履き、外へ避難する動線を確保。停電で真っ暗なときは、スマホ画面の灯りを頼りに動くとよいでしょう。テレビやラジオで避難指示などが出ていれば、速やかに従って」(田中さん)。すっぴんを気にする猶予はナシ。そのままGO!田中美咲さん 「一般社団法人 防災ガール」代表理事。“防災をこれからのフェーズへ”をモットーに全国の仲間と活動。国崎信江さん 危機管理アドバイザー。「危機管理教育研究所」代表。女性の視点で防災・防犯対策を提唱。防災にまつわる著書も多数。※2017年2月作成。『anan』2017年2月8日号より。イラスト・深川 優 文・風間裕美子入浴中に地震が起こった場合お風呂やトイレに入っているときに揺れたら、転ばないようにバスタブを掴む。「バスタブの中でも洗い場にいても、すぐ浴槽をつかんで体を安定させてください。トイレでは、タンクのフタが鈍器に変身。飛んでこないように、押さえます」(国崎さん)ドアが歪むと、閉じ込められる恐れも。最中であっても乙女の恥じらいを捨て、ドアを開けて逃げ道を守ろう。揺れがおさまったら、すぐに着替えて外へダッシュ。お風呂の場合、揺れがおさまったら外へ出てすぐに着替える。浴槽のお湯は、断水に備えて残しておく。「普段から、脱衣所に着替えを用意しておくこと。裸のままでは救助を求めるのも恥ずかしいし、寒い季節だと体が冷えて、低体温症になる恐れがあります」(国崎さん)田中美咲さん 「一般社団法人 防災ガール」代表理事。“防災をこれからのフェーズへ”をモットーに全国の仲間と活動。国崎信江さん 危機管理アドバイザー。「危機管理教育研究所」代表。女性の視点で防災・防犯対策を提唱。防災にまつわる著書も多数。※2017年2月5日作成。『anan』2017年2月8日号より。イラスト・深川 優 文・風間裕美子街中など外出先で地震が起こった場合路上を歩いているときに揺れたら、塀や電柱のないところへ。カバンで頭を守りながら、電柱、看板、ガラスなどから離れる。住宅街では、ブロック塀が崩れてくるかも。「車が走っていなければ、ひかれないよう手を振りながら車道中央へ逃げてもよいでしょう」(田中さん)揺れがおさまったら、公園など、広い場所へ移動。「人の流れに乗って駅などへ向かうと、帰宅困難に陥る可能性大。まずは広い公園などへ移動を」(田中さん)スマホなどで情報を集め、帰宅困難な状況が発生しているなら、開いてるカフェで待つくらいの余裕を持って。田中美咲さん 「一般社団法人 防災ガール」代表理事。“防災をこれからのフェーズへ”をモットーに全国の仲間と活動。国崎信江さん 危機管理アドバイザー。「危機管理教育研究所」代表。女性の視点で防災・防犯対策を提唱。防災にまつわる著書も多数。※2017年2月作成。『anan』2017年2月8日号より。イラスト・深川 優 文・風間裕美子会社で仕事中に地震が起こった場合エレベーターの中にいるときに揺れたら、すかさずフロアボタンを押す。停電して閉じ込められる恐れがあるので、全階のボタンをプッシュ。止まった階で、すかさず降りるべし。「新しいエレベーターなら、地震で揺れると最寄り階に停止します。けれど万一閉じ込められた場合のことを想定し、バッグには必要最低限の備えを」(国崎さん)揺れがおさまったら、その後は階段で。「下の階へは階段を使います。たとえ動いていたとしても、いつ停電して止まるかわからないエレベーターは使わないこと」(国崎さん)階段では余震に備え、手すりにつかまって。女子たるもの、社内でもヒールでキメたい気分だけど、可能ならフラットな靴に履き替えて社内移動を。田中美咲さん 「一般社団法人 防災ガール」代表理事。“防災をこれからのフェーズへ”をモットーに全国の仲間と活動。国崎信江さん 危機管理アドバイザー。「危機管理教育研究所」代表。女性の視点で防災・防犯対策を提唱。防災にまつわる著書も多数。※2017年2月作成。『anan』2017年2月8日号より。イラスト・深川 優 文・風間裕美子乗り物に乗っている時に地震が起こった場合地下街、地下鉄車内にいるときに揺れたら、壊れそうなものから離れる。「地下鉄に乗っているときは、窓から離れて手すりやつり革につかまって。地下街ではガラスから離れ、倒れてくるもののない通路の中央で待機します」(田中さん)両手に買い物袋を持っていたとしても手放す勇気を。揺れがおさまったら、出口付近でしばし待機。地下で恐ろしいのは揺れではなく、水という説も。「壊れた壁から地下水が漏れたり、津波で浸水する恐れも。いざとなったらすぐに地上に出るべく、出口の階段から地上の様子を見て、どちらか判断を」(国崎さん)田中美咲さん 「一般社団法人 防災ガール」代表理事。“防災をこれからのフェーズへ”をモットーに全国の仲間と活動。国崎信江さん 危機管理アドバイザー。「危機管理教育研究所」代表。女性の視点で防災・防犯対策を提唱。防災にまつわる著書も多数。※2017年2月作成。『anan』2017年2月8日号より。イラスト・深川 優 文・風間裕美子災害時の情報収集方法についてもう一度確認災害時、真っ先に知りたいのが家族や知人の安否。逆に、自分の無事を知らせたり、最新の災害情報を入手したいときも。「電話もSNSも必ず使えると断言できないので、連絡手段は多く持っておくこと。そして、事前に使い慣れておきましょう。家族や友人と災害時の連絡方法を共有しておくことも大切。なかでも一番重要なのは、お互いの安否確認は避難が終わってからするということ。連絡中に二次被害に巻き込まれるケースもあるからです」(危機管理アドバイザー・国崎信江さん)充電切れなどが原因で、スマホが使えない場合も考えて、「家族や知人の電話番号や住所をまとめた紙など、アナログな対応が重宝することも。自宅から徒歩圏内の知り合いを作るのも手です」(小誌編集部・中島千恵)防災上手たるもの、どんなときも“想定外に強い”状態で備えましょう。以下のような、無事を知らせる、確認するサービスなども積極的に利用を! 被災したら、まず自分の安否を各サービスに登録して。体験利用もあるので、事前に使い慣れよう。災害用伝言ダイヤル 「171」でおなじみのボイスメール。NTTが運営し、被災後すぐにサービス開始。「171」にダイヤル後、安否を知りたい人の電話番号を入力すると、その人に関する伝言を録音・再生できる。登録は1件につき30秒で、登録可能な件数は災害規模によって変化する。災害用伝言板web171 ネット回線を通じて、安否確認を発信。インターネットの回線で安否情報を登録・確認するサービス。事前に家族などのメールアドレスを登録しておけば、災害時に伝言板に入力すると、登録者にその情報を一斉に通知してくれる。災害用伝言ダイヤルとも連携している。各携帯キャリアの災害用伝言板(専用アプリ) アプリならすぐに起動でき、操作も安心。各携帯キャリアにも、災害用伝言サービスがある。専用アプリも登場し、どんな場所で被災してもすぐに登録できる利点が。事前に安否を知らせたい相手のメールアドレスも登録できるため、一度に多くの人へ通知が可能に。国崎信江さん 危機管理アドバイザー。「危機管理教育研究所」代表。女性の視点で防災・防犯対策を提唱。防災にまつわる著書も多数。田中美咲さん 「一般社団法人 防災ガール」代表理事。“防災をこれからのフェーズへ”をモットーに全国の仲間と活動。中島千恵 小誌編集部。3.11の被災後、女性が本当に必要だったものを取材し、『anan特別編集 女性のための防災BOOK』を手掛ける。※2017年2月作成。『anan』2017年2月8日号より。イラスト・徳丸ゆう 文・野村紀沙枝頭ではわかっていても、緊急事態時はどうすればよいのかパニックになりがち。自分の命を自分で守るために、いざという時にどういう行動をとるべきか、どうやって情報を集めるか今一度確認しておきましょう。
2019年03月11日女優の戸田恵梨香と大原櫻子、平松恵美子監督が19日、東京・練馬の日本大学芸術学部江古田校舎で行われた映画『あの日のオルガン』(2月22日公開)試写会イベントに出席。その中で、戸田が阪神淡路大震災で被災した当時を振り返る場面があった。本作は、戦時下の日本を舞台に、子どもたちの命を守るために日本で初めて保育園を疎開させることに挑んだ保母たちの実話を描く。保母たちのリーダーで責任感の強い板倉楓役を戸田が、天真爛漫で音楽好きの保母・野々宮光枝役を大原が演じ、山田洋次監督のもとで助監督・脚本を務めながら2012年公開の『ひまわりと子犬の7日間』で監督デビューを果たした平松恵美子氏がメガホンを握る。保育士を目指す学生らを招いたこの日のイベント。実際に保育所を訪れて子どもたちと接する中でも、戸田は「とにかく体力のいる仕事」であると肌で感じ、命を預かる仕事としても責任と共に体力的、精神的な負担の大きさを想像したという。「保育士さんが不足していて、なかなか難しい現実があるというのを何度か耳にしたことがあったので、一人でも多くの保育士さんが増えるのを祈っていますし、楽しみながら自分の生きがいを見つけて励んでいってほしいなと思います」と学生たちにエールを送った。戦争に対する怒りや苦しみがあふれ出るシーンでは、戸田の演技を見ていた子どもが別の出演者に「なんで戦争なんかやるの?」と素朴な疑問を投げかけていたこともあった。そのことを思い出し、「すごく純粋な心で、純粋な目で聞いていたので、それにハッとさせられるというか」とその印象に触れ、「この子たちの未来を私たちがつないでいかなければならないという責任があると実感させられました」と胸の内を明かす。ある学生からの「この作品を通して命の重さ、大切さについてどのように思いましたか」という質問には、「この作品をやるにあたってずっと思い返していたこと」と前置きし、「兵庫県出身なんですけど、当時6歳の時に阪神淡路大震災を経験しました」と返答。「近所のおじちゃんやおばちゃんが亡くなりましたし、街が突然無くなってしまって」とつらい記憶をたどり、被災したことによって「今の日常は当たり前じゃない」と痛感したという。また、「死を初めて目の当たりにしましたが、その恐怖がいまいち分からなかった。けど、少しずつ自分がいろんなものを理解していく中で、『なんで! なんで!』という気持ちが生まれました」と自身の成長による変化に触れ、「その当時の気持ちや大人になったからこそ考えること」を胸に今回の撮影に挑んだという。イベントの最後にマイクを託されると、「映画やドラマは感動を与えるだけではなくて、こうやって一緒にみんなが同じ空間で観て、語り合うのが映画やドラマの良さだと思います」とした上で、「これから制作する人、お芝居をはじめる人、たくさんいると思うんですけど、やる意義はすごく大きいですし、『感動を与える』『感動をもらう』のがすべてじゃないと思います」と一役者としての熱い思いを伝えた戸田。「震災の話をしましたけど、重い話ではなくて。しんどい話でもなくて、同情してほしいとかそういうことではなくて、ただ事実を知ってほしいという思いで伝えました」と丁寧に意図を明かし、「これがどういうふうに皆さんにとってもらえるか分かりませんが、ここで見たこと感じたことがこの先ずっと残ってくれたらいいなと思います」と締めくくっていた。
2019年02月19日東日本大震災のときに、我が家には3匹の犬がいました。住んでいた群馬県は、建物の倒壊は少なく、死者は出なかったものの、揺れはかつて経験したことのない大きなものでした。驚いたのは人間だけではありません。犬も震えてうずくまってしまったり、机の下にもぐりこんでしまったり。パニックになっていました。東日本大震災は、大きな地震や風水害が起こったとき、ペットを飼っている家庭はどのように対処したらよいかを考えさせられる機会となりました。今回は、ペットを多頭飼いしている家の避難対策についてのお話です。■ 国はペットと同行して避難することを推奨している!東日本大震災をはじめとする過去の災害の教訓から、環境省がペットとどのように避難したらよいかの方針を平成25年6月に「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」として発表しました。環境省では、ペットとの同行避難を推奨しています。飼い主と離れ離れになったペットを捜索・保護することは、多大な労力と時間を要します。また、ペットが負傷や衰弱、死亡することも考えられます。飼い主にとってペットは家族も同然ですし、環境保全の立場からもペットと一緒に避難することが必要と国は考えたようです。■ 避難時、犬のために持っていくものとは?地震が起こったとき、筆者がとっさに用意したのは、水、エサ、ペットシーツだけでした。antpkr / PIXTA(ピクスタ)white_blue / PIXTA(ピクスタ)後で考えたら、これでは1週間もたなかったでしょう。以下のものがあれば、1週間くらいなら避難所生活が可能です。療養食や薬ドッグフードと水(1週間以上の量)食器予備の首輪トリード(伸びないもの)ガムテープ飼い主または、飼い主に連絡がつかない時の連絡先ペットの写真ワクチン接種状況、既往症、かかりつけ医の情報ペットシーツ排泄物の処理道具トイレ用品タオル、ブラシペット用のおもちゃガムテープはケージの補修をはじめ、様々な用途に使え、便利です。masa / PIXTA(ピクスタ)ペットの写真や飼い主の情報は、家族だけで対処できない時に必要です。忘れがちですが大変役に立ちます。必ず用意するようにしましょう。CORA / PIXTA(ピクスタ)■ 車での避難は危険だからNG!我が家の大型犬3匹は、パニック状態になっていたので、避難所まではとても連れていけないと判断し、車に乗せて移動しようと考えていました。実際には避難しませんでしたが、もし長期間に渡り車の中で避難生活することになれば、人間もペットも大変危険な状態になっていたに違いありません。TuelekZa / PIXTA(ピクスタ)これまでの災害では、ペットを避難所に入れることはできませんでした。ペットと避難所に来た人は、自家用車の中で人とペットが一緒に生活するケースが多かったようです。狭い空間で長時間じっとしていると、人間は「エコノミークラス症候群」になる危険性がありますし、ペットは夏ならば熱中症になる恐れがあります。車に乗っていれば大丈夫という考えは間違っているのです。現在は、避難所や仮設所によって条件は違いますが、避難所の屋内または屋外にペットを係留することができます。■ 災害に備えて、普段からできる対策法とは?災害のときに一番怖いのは、「ペットが迷子になること」と「ペットが衰弱してしまうこと」です。hashisatochan / PIXTA(ピクスタ)日常から災害に対する準備をしておくことで、いざというときに対応することができます。詳細は以下のようになります。住まいの防災対策をするペットのしつけと健康管理ペットが迷子になった時のための対策ペット用の避難と用品、備蓄品の確保避難所や避難ルートの確認等の準備犬は、普段からしつけを行っていても、パニック状態になったときや、慣れない環境の中で過ごさなくてはならないときは、無駄吠えをしたり、過度に徘徊したりします。キャリーバッグに入るサイズの犬なら、バッグの中でおとなしく過ごせるよう、普段からバッグに慣れさせておくことも大切です。sasakura_yoshimichi / PIXTA(ピクスタ)いかがでしたか?普段は飼い主のそばから離れない犬も、緊急事態の際は、恐怖と驚きで暴れてしまうこともあります。「自分たちの犬は大丈夫だ」と決して過信せず、普段から準備を心掛けましょう。【参考】※環境省災害時におけるペットの救護対策ガイドライン
2018年11月28日防災グッズは、市販されている物を購入することである程度をカバーすることができます。しかし、東日本大震災を体験した筆者は、それだけではカバーできない部分もあるということを、身をもって体験しました。今回は、防災グッズとして必要なものを迷わず準備できるように「衣食住」の3つに分けて用意する方法を書きます。■ 最初の避難時に持ち運ぶ防災グッズの準備基本は、市販されているものを使ってもいいです。ただ、不足部分を補うために準備しておきたい(持って出た方が良い)ものを「衣食住」に分けて準備することをおすすします。ポイントは、いかにコンパクトにまとめて背負えるかです(両手が使えることが大切です)。「衣」の準備ここは、衣類など身につける物と考えてください。雨風に強い上着(季節を問わずウィンドブレーカーのような上着は重宝します。)タオルと大きめバスタオルなど(拭くことも掛けることもできます)生理用品(1日分は試供品などで補えます)「食」の準備缶詰(カンパンやパンなど、開けたらすぐ食べられる物)飲料水(長期保存水がオススメです)甘い物(すぐに口に入れられるアメなど)「住」(生活必需品)の準備レジ袋(ゴミ袋だけでなく三角巾などにも使えます)携帯トイレ懐中電灯(予備の電池も一緒に)スマホを電池で充電できる物軍手(家族分)応急処置用品(薬や絆創膏などの衛生用品)重要書類などのコピー(保険証・保険関係書類・口座番号などをケースにひとまとめに)母子手帳のコピー(子どもの病歴や出産時、予防接種の有無のページ)小銭ポケットティッシュ(いくつか)アルミのブランケットこれらをリュックに入れていきますが、重さに注意しましょう。実際に背負って避難をしたときは、詰め込みすぎていたせいもありますが、重くて大変でした。そこに幼児を抱えていましたので、余計に大変だったのを覚えています。入れる物は厳選し、できるだけ軽くしましょう。■ 災害がおさまってからの「第2の防災グッズ」災害がある程度おさまり、日中に自宅に戻れることがあるかと思います。その時は、ライフラインが止まっていることも十分にあります。また、買い出しに行っても買えないこともあります。その時のために2つ目の防災グッズが必要なのです。その中身をご紹介します。「衣」の準備家族全員分の着替え1日分(ジャージなど長袖長ズボンで動きやすい服)トラベル・サウナ用の紙の下着(使い捨てができるので便利です)体ふき用シート除菌用シートコンパクトタオル(水で戻すことができるものが便利)マスク「食」の準備温めなくても食べられるもの(ご飯に味がついておかずがいらない物がオススメ)飲料水入れ(折りたためる容器がオススメです。給水が始まったらすぐに用意できます)割り箸プラスティックコップ(おわんの代わりになります)今回は一部しかお見せしていませんが、最低でも家族が2日程度食べられる分を用意しておきましょう。「住」(生活必需品)の準備ライターやマッチ(火を起こせる物)ランタン(予備の電池も)カイロ(暖を取れるように用意しておきましょう)レジ袋箱ティッシュ歯磨きシート(水を節約できます)丈夫なカバン(物の運搬など多岐に亘って使えます)物を入れるものはリュックでなくても大丈夫ですが、運びやすい容器やカバンを用意してください。ちなみに筆者宅はボストンバッグです。■ 乳幼児がいる場合は中身に工夫を子どもを抱いて避難ができるようにしなければならないのですが、できるだけ軽い物を中心に用意することをオススメします。防災グッズに用意しておくといい子ども用品ベビーフードスティックシュガーおしりふきだーちゃん / PIXTA(ピクスタ)使い捨てほ乳瓶粉ミルク(スティックタイプ)おむつ(圧縮袋で小さくすると少しでも多く用意できます)歯磨きシート抱っこヒモやスリングなど赤ちゃんの薬着替えネームタグ(子どもと親の氏名・携帯番号など)母子手帳Graphs / PIXTA(ピクスタ)子どもが安心できるおもちゃ(これは必須です)JanPietruszka / PIXTA(ピクスタ)子どもの成長によって変わってきます。ですから、「サイズが変わったとき」や「衣替えのとき」などに見直しをすることをオススメします。EKAKI / PIXTA(ピクスタ)いかがでしたか。災害で避難を余儀なくされる状態になって時は、意外とパニックになってしまうものです。「これだけ持って、さっと避難できる」ようにしましょう。避難先では不安を感じてしまうことが多いですが、2つ目の防災グッズがあるだけでその不安もかなり和らぎます。筆者の経験が、今後少しでもみなさんのお役に立てたら嬉しいです。
2018年11月09日山田太一×渡辺謙のタッグで“東日本大震災”をテーマに描くドラマスペシャル「五年目のひとり」。この度脇を固める俳優陣に、市原悦子、高橋克実、柳葉敏郎を始め、ベテラン&フレッシュなキャスト陣が発表された。中学生の松永亜美(蒔田彩珠)は文化祭からの帰り道、歩道橋で見知らぬ中年男(渡辺謙)に呼び止められる。男は、文化祭でダンスのステージに立った亜美を見たといい、「キレイだった。いちばんだった」と称賛の言葉を贈り、立ち去っていく。思いがけない褒め言葉に亜美は有頂天になるが、その話を聞いた母・晶江(板谷由夏)が心配のあまり、自宅に警察を呼ぶ騒ぎにまでなってしまった。数日後、亜美は偶然街で男を見かけ、彼が小さなベーカリー「ここだけのパン屋」で働いていることを知る。その男、木崎秀次は半年間ほど複雑骨折で入院していたという話で、知人・花宮京子(市原悦子)の誘いを受けて故郷からこの町に移住し、社会復帰のリハビリとして無給で働いているようだった。母が疑うほど、木崎のことを悪い人間には思えない亜美。会話を重ねるうち、次第に秀次と打ち解けていく。そんなある日、亜美はそのパン屋の主人・上野弘志(高橋克実)から、秀次の本当の身の上を聞く。実は秀次は、東日本大震災の津波で一度に8人もの家族を失ったという、あまりに壮絶な過去を秘めていた…。稀代の脚本家・山田太一が今回手掛けるのは、東日本大震災から5年が経過した東京のとある町を舞台に、孤独な中年男と少女の不思議な交流を通じて、震災の“その後”と“再生”を描く物語。主人公・木崎秀次役には、数々の山田作品で味わい深い演技を披露してきた渡辺さんが演じる。さらに今回、そんな秀次のことを気にかけ、働き先を紹介する同郷の女性・花宮京子役として、名女優・市原さんの出演が決定。市原さんも数々の山田作品に参加しており、山田氏が高い信頼を寄せる女優のひとりで、今回の出演も山田氏の強い希望で実現。そして、渡辺さんと市原さんは今回が初共演となる。渡辺さんは「まさに“怪物”のような方ですね!こちらの予想をいとも軽々と超えてくるような、素晴らしいお芝居をされるんです。山田太一先生から託された際どいセリフも嫌味なく乗り越え、人間として強く投げかけてくださるところに、懐の深さを感じました」と市原さんについて話し、一方市原さんは「よく気のついてくださる、やさしい方ですね。人間的にはもちろんですが、ハリウッド、舞台、映画、ドラマ…と俳優としてさまざまな“場”を知っている分、視野が広くて…。それが、とても頼りになりました」と共演の喜びを語った。そして、秀次が出会った少女・松永亜美役には、現在14歳の新鋭・蒔田彩珠。7歳で子役デビュー後、是枝裕和監督が演出を手がけた連続ドラマ「ゴーイング マイ ホーム」に出演し注目を集める若手女優だ。出演決定時は、とにかく不安な気持ちが大きかったと話す松永さん。主演の渡辺さんに関しても、セリフを間違えたりしたら怒られてしまうのではないかと思っていたそうだが、「実際は私がミスしたら、ギャグのアドリブで返してくださるような面白い方で、現場の明るいムードを作って下さいました。それでいてカメラがまわると目や雰囲気がガラっと変わるんです!渡辺さんは本当にスゴイ!と改めて感じて…引き込まれてしまいました」と現場でのエピソードを明かした。渡辺さんも飄々としていた印象があったと話し、「彼女はとてもいい意味で、人間的に“太い”のかもしれません。これからも自分の思うように進んでいってほしいなと願っています」とコメントしている。さらに、「ここだけのパン屋」店主・上野弘志役に高橋さん、弘志の妻・春奈役に木村多江、美術教師・西沢いずみ役に山田優、亜美の父・満役に柳葉さん、その妻・晶江役に板谷由夏ら演技巧者たちが集結。また、亜美の兄・晋也役には関西ジャニーズJr.の西畑大吾が出演する。山田太一ドラマスペシャル「五年目のひとり」は11月19日(土)21時~テレビ朝日にて放送。(cinemacafe.net)
2016年10月19日