上皇ご夫妻のお住まい・仙洞御所の食堂でのこと。夕食のテーブルにお着きになろうとした上皇陛下が、苦悶の表情を浮かべる。そして、しゃがみこんで床に手を着かれた。「その姿勢さえもおつらいようで、お体を床の上に横たえられてしまわれたのです。すぐに美智子さまが連絡ボタンを押され、侍医と看護師が駆けつけました。緊急の手当てで、なんとかことなきを得ました」(宮内庁関係者)上皇陛下は、一時的に強い脳貧血の症状が出たものと診断された。7月11日のことだった。ISM(イムス)グループ 高島平中央総合病院の福島崇夫脳神経外科部長が解説する。「脳貧血というのは、血圧の低下によって脳にじゅうぶんな血液が届かない状態です。原因としては心臓の病気や脱水症状、加齢などで自律神経系の調整がうまくいかないことなどが考えられます」上皇陛下は昨年7月2日の未明にも、めまいや吐き気など脳貧血の症状があり、3日間にわたり静養されている。「それからというもの、美智子さまは毎日の運動や食事のことなどを考え、上皇陛下の健康維持に努めてこられたのです。退位後は外出されない日も多い上皇陛下ですが、今も美智子さまとお二人そろって、毎朝の散策を続けていらっしゃいます」(前出・宮内庁関係者)
2019年07月26日夢占いには、恋愛に関する夢とその意味について書かれていることも多いですよね。ただ夢で見た内容と結果が全く違うこともあるため、いい内容や悪い内容も必ずそのような結果になるとは限らないようです。そこで今回は、恋愛に関する夢占いの中で「相手と両想いになる夢」の結果を紹介します。両想いになる夢は実はあまりよくない?好きな人と夢の中ででも両想いになれれば、とても嬉しいですよね。そのため好きな人と両想いになれる夢なら、気持ちとしてはいい夢だと思いたいという人は少なくありません。ただ残念ながら、夢占いの面ではあまり意味を持っていないことが多いようです。ただシチュエーションによっては良い夢であることもあるため、夢の内容を覚えている人は具体的なシチュエーションを当てはめながら夢占いの内容を確認してみるといいかもしれません。好きな人から告白されるのは願望の表れ例えば好きな人から告白された、という夢の場合、自分がそうであってほしいという願望が夢に出てきていることを意味しています。それだけならいいのですが、実は深層心理で「こんなことが起きるはずがない」「現実では起きない」という諦めの気持ちが夢に出てきてしまっているということもあります。つまり告白されるだけの夢は、そうであってほしいけれどもそうならないと思い込んでしまっている自分の気持ちを表しているわけです。自分から告白してOKをもらった場合は要注意では自分から告白してOKをもらった場合はどうなのかというと、こちらも自分の願望が夢に出てきてしまっているという可能性があります。ただ願望が出てきてしまっているだけではなくて、相手を好きだという気持ちが前のめりになり過ぎて周りが見えていないという意味にもなっているようです。このような夢を見た人は好きな人のことばかりで仕事や勉強に身が入っていないなんてことも考えられるので、一度冷静に自分の精神状態を振り返ってみるといいでしょう。
2019年07月12日相手のことが好きで追いかけていたはずなのに、好意を向けられると急に冷めてしまう。思い当たる人は、「蛙化現象」を起こしてしまっているのかも。そんな「蛙化現象」とは一体どういうものなのでしょうか?蛙化現象とは蛙化現象とは、はじめは好意や憧れを持っていた異性が自分に好意を持っているとわかった瞬間、相手に生理的な嫌悪感を感じてしまう心理現象のことを言います。名前の元となっているのはグリム童話の「カエルの王様」で、童話では気持ち悪いカエルがかっこいい王子様に変化するのに対し、蛙化現象はその逆でかっこいいと思っていた相手(王子様)が気持ち悪い対象(カエル)になってしまうのです。実は女性の恋愛過程の中ではそんな蛙化現象は決して珍しくはないのです。蛙化現象が起きる原因蛙化現象が起きる原因は、一つではありません。例えば自分に自信がない人は、駄目な自分を意識することで安心している人も少なくありません。常に自分のことは駄目だと自己否定しているので、そんな自分を誰かが好きになるわけがないと思いがちです。なのに憧れていたはずの相手が自分を好きだとわかると、「こんな自分を好きになるあの人はおかしい」と思ってしまうわけです。ほかにも性的な事柄が受け入れられない純粋な人が男性に恋人として迫られることで嫌悪感を持ってしまったり、好きだと思っていたけれども実は異性として好きなわけではなかったというただの勘違いだったケースもあります。この現象を克服するためにはそんな蛙化現象は一種の心理現象なので、なかなか克服できないのではないかと諦めている人も多いようです。しかし実は蛙化現象は、考え方一つ変えるだけで克服することができます。自分に自信がない人は、むしろ「自分は駄目だ」と思い込むことで自信を保っている人が少なくありません。そんな人が蛙化現象を克服するためには、一度自分の良くないところを書き出してポジティブになるように考えてみるという方法がおすすめです。そうしていくと自分は駄目だという思い込みが切り崩されるため、蛙化現象が起きにくくなります。また性的な事柄が受け入れられない人は、リアルな大人の男性に見慣れるようになると現実と理想のギャップに戸惑うことも少なくなってきます。その結果自然と性的な事柄も受け入れやすくなり、蛙化現象を解消できると言われています。このように、蛙化現象は徐々に解決していけるもの。あまり悩みすぎずまずは自分を見直してみて、恋愛ができる心の状態を整えていきましょう。
2019年07月06日車から降りたマクロン仏大統領が、笑顔で天皇皇后両陛下のもとに歩み寄る。陛下と固い握手を交わしたあと、さらに雅子さまの右手を両手で包み込んだマクロン大統領。30秒もの、長い握手だった。6月27日、両陛下はG20大阪サミットのために来日したマクロン大統領夫妻と皇居で会見。続いて宮殿で昼食会が催された。「昨年10月には天皇陛下がフランスを訪問されましたが、雅子さまはご体調が万全ではなく、訪問を断念されました。マクロン大統領も、皇后となられた雅子さまにお会いすることを心待ちにされていたのでしょう」(宮内庁関係者)この日、雅子さまの“おもてなし”が光る場面があったという。「雅子さまは今回もほとんど通訳に頼ることはなく、昼食会ではマクロン大統領と英語で会話されました。その一方で、ブリジット夫人とは英語とフランス語を交えて話されていたのです。実はブリジット夫人はあまり英語が流暢ではありません。雅子さまはお相手が話しやすいように、言語を使い分けされていたのです」(皇室担当記者)7月1日にはトルコのエルドアン大統領とも会見され、G20で各国首脳が集まる中、存在感を発揮されていた天皇皇后両陛下。11月下旬にはローマ法王が訪日し、さらに来春には中国の習近平国家主席が国賓として招かれる見通し。いずれも両陛下と会見することになる見込みだ。宮内庁関係者が言う。「御代替わりを機に、天皇皇后両陛下のもとに世界のリーダーから会見のオファーが殺到している状況です。とりわけ海外の政府関係者は、雅子さまの人気に関心を示しているようです」5月、国賓として訪日したトランプ米大統領をもてなした雅子さま。『ニューヨーク・タイムズ』は、「雅子皇后はスター」と絶賛した。海外王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんは、雅子さまが脚光を浴びる一因に、皇太子妃時代の苦難への共感があると語る。「15年以上にわたり雅子さまが療養されていたことは、海外でも知られています。ハーバードやオックスフォードに留学され、外交官として活躍したキャリアウーマンが、皇太子妃となってから思うように活躍できなかったことに、海外メディアは非常に同情的なのです」それゆえに今、皇后になられていきいきとされた雅子さまに大きな注目が集まっているというのだ。「マクロン大統領と通訳を介さずに会話し、笑い合う雅子さまのお姿は、“時代が変わった”と実感させるものでした。今後来日する各国の首脳たちも、その光景を目にする相手国の国民も、同じように感じることでしょう」(多賀さん)再び輝いた雅子さまの笑顔が、日本と世界の懸け橋になる――。
2019年07月04日片思いをしたなら、絶対に両想いになって、恋を実らせたいですよね。相手の心次第なところもありますが、片思い中にどう過ごすかで、その結果が変わってくることも!?そこで今回は、チャンスを掴むためにできることを紹介します。自分の恋の仕方と、答え合わせしてみましょう。■ 不安になることを受け入れる片思いは、相手がどう思っているのか、不安で不安で仕方ないもの。でも、その不安ばかりに目を向けたり、勝手に不安を大きくしたりせず、受け入れることが、両想いになるために必要です。自分自身に相談し、もうひとりの自分が、相談相手になってあげるイメージを作ってみましょう。相談相手になる自分は、客観的な目線から、恋している自分を見てあげるのです。いくら不安に思ったところで、相手の気持ちは変わりません。客観的に自分を見て、不安を受け入れることができれば、前向きに恋の戦略を考えられるようになるはずです。■ 寂しい・不安は会って伝える付き合ってもいないのに、「なんだか寂しくなっちゃって……。会ってくれない?」なんていわれても、正直、重たい印象しか与えません。もちろん、「会いたい」と思われること自体は、男性も嬉しいものですが、重くなるか可愛く見えるかはその理由にかかっています。LINEなどで伝えると、暗い意味にとられかねません。「この前遊んだときすごく楽しかったからさー! 早く会いたいなって思ってたの!」と、会って可愛く伝えるほうが、断然ウケがいいのです。デートのお誘いは、いつも明るく! 寂しい・会いたいなどは、実際に会ってから、「楽しい」「嬉しい」という気持ちとセットで伝えましょう。■ 楽しいことを考えてそれでも、不安の波が休むことなく押し寄せてくる「片思い」。そんなときには、彼にどう思われるかではなく、「彼をどう楽しませるか」を考えてみてください。どうせ彼のことを考えるなら、楽しい時間にするのが正解!次に会ったら、どんなふうに彼に接しますか? 付き合えたら、どこで、どんなデートをして、どんな会話をしたいですか? 妄想は自由です。脳内では遠慮なく、彼としたいことを思い浮かべてください。これを繰り返すだけでも、不安な気持ちが小さくなっているはずです。■ 自分自身をよくする努力を片思いは、自身が成長するチャンスでもあります。そして、こうしたチャンスを利用できれば、たとえ今回の恋が実らずとも、次の恋を掴む可能性をグッとアップできるもの。外見やスタイルを磨いたりすることも大切ですが、内面の自分を磨くなら、人間的な成長にもつながります。気遣いの仕方や、言葉の選び方。コミュニケーションスキルを伴った優しさを磨けば、彼以外の人への接し方にも反映されるでしょう。そうすれば、たとえフラれたとしても、自慢の片思いができたと思えるもの。悲しい・寂しいという思いに襲われることはあっても、復活は早く、次の恋は、成長した自分で挑めるはずです。■ おわりにどんな片思いをするかで、その恋の可能性はもちろん、次の恋で幸せになれるかどうかも変わってきます。自分の気持ちを上手にコントロールし、常に幸せになりたい! という気持ちが大切。すべてを自分の糧にするような恋をしたいものです。(橘 遥祐/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2019年07月01日子どもたちの「いらっしゃいませー!」の声に、にっこりとほほ笑まれた雅子さま。天皇皇后両陛下は6月21日、東京都港区の「麻布幼稚園」を訪問。お店屋さんごっこで交流された。「きゅうりを1つお願いできますか」と、明るくお客さん役をなさった雅子さま。しかしその心中には、非常に気がかりなことが――。皇室担当記者が話す。「6月18日の夜、震度6強の地震に襲われた新潟県村上市は、雅子さまの“故郷”なのです」死者こそ出なかったものの、けが人は5県で計28人にのぼったこの震災。津波注意報が発令され、一時は6千人以上が避難する事態になった。最大震度を記録した村上市は、さらなる災難に見舞われていると地元市民は言う。「村上市は、海水浴などで年間200万人以上が訪れる観光地でもあるのですが、市内の宿泊施設ではキャンセルが相次いでいるのです。実際には被害のない施設がほとんどなので、心配せずに足を運んでいただきたいのですが……」村上市は、雅子さまの曾祖父の生家もある、小和田家ゆかりの地。ご成婚まで、雅子さまの本籍も置かれていた。「市の北を流れる三面川の塩引き鮭が名物なのですが、東京に越してからも、小和田家の年越しの食卓には並んでいたそうです。また、雅子さまのご成婚時に定められた“お印”のハマナスは、村上市の市の花でもあるのです。そんな縁の深い土地ですから、雅子さまは今回の震災に心を痛められていることでしょう」(前出・皇室担当記者)宮内庁関係者が明かす。「両陛下は、今年9月に新潟県で開催される国民文化祭にいらっしゃるご予定です。実は新潟県からは、小和田家のゆかりの地である村上市にも足を運んでいただきたいとの申し入れがあったのですが、宮内庁側はその申し出を断っていました。御代替わりの今年は過密スケジュールとなっており、9月には地方ご公務が重なっていたからです。しかし今回の震災で、両陛下の村上市ご訪問が再検討される可能性が出てくると思います。実現すれば、両陛下の即位後初の被災地ご訪問となります。村上市の人々も、とても勇気づけられることでしょう」村上市はこれまで、陛下と雅子さまのご成婚、愛子さまのご誕生、そして今年の改元に際しても、街を上げてお祝いしてきた。祭りの山車・おしゃぎりを繰り出し、提灯行列が街中を練り歩いたのだ。「雅子さまをお招きすることは、村上市民の悲願ともいえます。ご成婚後、まだ公式に村上市を訪問されたことのない雅子さまも、今こそ“故郷の地”に恩返しをするときと思われているはずです」(前出・宮内庁関係者)3カ月後、地震で傷ついた村上の街に笑顔が咲くかもしれない。
2019年06月28日夢の中で好きな男性が出てくると嬉しいですよね。そんな夢の中には実は、両思いを暗示する夢があることをご存知でしたか?ピックアップしてご紹介します!お菓子をもらう!?甘い夢キャンディーやチョコレートなどの甘いお菓子をもらう夢は、とても素敵な恋になる暗示と言われています。特に、自分が好きな甘いお菓子であればあるほど、恋愛運が急上昇している証なんだとか!また、お菓子を一緒に食べているならば、両思いかもしれませんよ♡素敵!指輪をプレゼントされる夢男性からアクセサリーをプレゼントされる夢は、告白を暗示している夢と言われています。特に、アクセサリーが指輪だと縁の強さを暗示しているため、両思いの可能性が高いかもしれません♡飾らない姿!お互いパジャマを着ている夢夢の中で、自分と好きな男性がパジャマを着ている。ちょっとおかしな夢ですが、実は両思いになる可能性が高い夢と言われているのです。パジャマは普通、家の中でしか着ませんよね。つまり、パジャマを着ている時間はオシャレに気を遣っていない非常に無防備な姿です。そんなありのままの姿は、飾らない気持ちを表しています。パジャマを着ている夢は、現実の二人の距離がとても近くなっているという暗示になっています。まるで童話のよう!鳥にモテる夢!?童話に出てくるようなたくさんの鳥に囲まれたメルヘンチックな夢は、素敵な恋が始まる暗示です。その鳥たちの中に1羽だけ大きな鳥がいたら、その大きな鳥が好きな男性であることを表しています。大きな鳥が鳴いていたり自分の周りを飛んでいたら、両思いの可能性大。アプローチされる日も近いかもしれません!ロマンチック!夜空の星が輝く夢夢の中で、星空を見上げている夢。星の中に一際大きく輝く星は運命の人を表しています。もし目立つ星を見つけた場合、両思いであることを暗示しているかもしれません。どの帽子を選ぶ?帽子を被る夢夢の中で帽子屋さんに行き、たくさんの帽子の中から試しに被ってみた帽子が運命の人であることを象徴しています。大きすぎず派手すぎない、自分にフィットした帽子であるほど、両思いの可能性が高いと言われています。太陽とヒマワリのコラボレーション!たくさんのヒマワリが咲くヒマワリ畑と、ヒマワリ畑を照らす太陽。この美しい景色が広がる夢は、両思いである可能性が高いかもしれません♡太陽は自分を見守ってくれる男性を表し、ヒマワリは願いを叶えてくれることを象徴しています。
2019年06月25日《いまだに、どこで亡くなったのかわからない友達が大勢いるんです。ひめゆり学徒隊として出発するときは、『生きるも死ぬも一緒よ』と言っていたのに……。水が欲しくても、一滴も飲めずに一人で死んでいったんじゃないかと思うと、何年たっても辛い。だから、戦争はどんなことがあっても絶対ダメなんです》太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の若い命が奪われた“ひめゆり学徒隊”。その学徒たちの遺品や資料を集めた『ひめゆり平和祈念資料館』は、いまから30年前の’89年に設立された。全国でも珍しい、戦争関連の民間による博物館だ。戦争体験を語っているのは、資料館の前館長で学徒隊の生き残りの一人、島袋淑子さん(91)。現在、自らの体験を語る“証言員(戦争体験者の語り手。資料館では戦後生まれの語り手のことは説明員という)”は6人しかいない。全員が90歳を超えている。’18年までの7年間、資料館の館長を務め、自らの戦争体験を語ることで、戦争を知らない世代に平和のバトンをつないできた。《自分たちの味方でさえも見殺しにする、それが戦争です。私自身も、目の前に転がっている死体をまたいで水をくみに行きました。よけようとして回り道すると、弾が飛んできて当たるかもしれないからです。戦争は、人間を人間でなくします。だから、みなさんは、戦争は絶対ダメ!と言える大人になってください》この日も、島袋さんの74年前の悲惨な光景が目に浮かぶような語りに、平和学習のため資料館を訪れた宮古島市立下地小学校の児童は、ぐんぐん引き込まれていった。今年、退位された上皇上皇后両陛下はこれまで内外の戦地を巡り、「平和への祈り」をささげてきた。その中でも沖縄は、強い思い入れを持たれてきた場所のひとつだ。’75年7月、初訪問の際には、ひめゆりの塔で、過激派がお二人に火炎瓶を投げつけるという“ひめゆりの塔事件”があった。しかし上皇陛下(当時は皇太子殿下)は、その晩すぐに次のような談話を発表。「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく(中略)この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」このお言葉どおり、お二人は計11度も沖縄を訪問され、この地に寄り添ってこられた。「両陛下のそのお気持ちだけでもありがたいと思っています。この資料館も“平和の砦”としてあり続けなくてはなりません」そう話す島袋さん――。開館当初からの職員で、’18年から島袋さんの後を継ぎ、館長に就任した普天間朝佳さん(59)。上皇上皇后両陛下が、天皇皇后として戦後初めて、沖縄を訪れたときのエピソードを明かしてくれた。「’93年に上皇上皇后両陛下が、当資料館にお越しくださったとき、美智子さまが、当時館長だった本村つるさん(93)に、こうおっしゃったんです。『陛下は、(ひめゆり学徒隊を引率した教師の)仲宗根政善さんの手記「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」を子どもたちに読ませています。子どもたちにもまた勉強させます。子らが今度来るときには、よろしくお願いします』。そのあと実際に、秋篠宮さまと黒田清子さんは、ご来館されました。今上天皇は、まだご来館されていませんが、“平和”への思いは、受け継がれているはず」島袋さんも、こう思いを託す。「いちばん大切なのは“命”です。この資料館は、それを伝え続ける存在であってほしい。もし、戦争を勝手に起こしてしまう人が出てきたら困るので、そういうことにならないためにも陛下には、いつまでも平和の象徴でいらしてほしい」
2019年06月24日御代替わり以降、皇嗣殿下となられた秋篠宮さまと紀子さまのハードスケジュールが続いている。これまでのご公務に加え、天皇皇后両陛下が皇太子ご夫妻時代に受け持たれていたご公務のかなりの数を引き継がれたためだ。「特に秋篠宮さまは、地方へのお成りも多く、5月中旬以降はわずか1カ月で5回という過密ぶり。紀子さまを同伴されたものが5回、単独でのご出張は3回です。秋篠宮さまも50代半ば。宮内庁内では『このままのペースでお仕事を続けていくと、過労でお倒れになってしまうのではないか』という心配の声も上がっています」(皇室担当記者)ちなみに秋篠宮さま単独ご出張の内訳は下記の通り。・5月23~24日 宮城県『日本植物園協会第54回大会』ご臨席など・5月28~29日 愛知県『日本動物園水族館協会2019年度通常総会』ご臨席など・5月13~14日 滋賀県『第44回全日本愛瓢会総会・展示会』ご臨席などいずれの会も秋篠宮さまは総裁や名誉総裁を務められている。実は前出の皇室担当記者は“ある懸念”を抱いているという。「御代替わり後の、秋篠宮さまの激務は予想されていました。もちろん皇嗣殿下になられたからといって、すぐに数々の総裁職をお辞めにならなくてもよいでしょう。それにしても、このお忙しい時期に次々とお一人での“地方出張ご公務”の予定を入れていらっしゃるのは、現在の秋篠宮家のご家族事情が影響しているように思われてならないのです。宮邸でご家族といっしょに過ごすよりも、一人でいるほうがリラックスできるという、いわば“帰宅恐怖症”のようなご心境にあるのではないでしょうか」小室圭さんとの結婚問題を巡る、眞子さまと秋篠宮ご夫妻の深刻不和は依然として続いている。秋篠宮家の関係者は嘆息する。「よほど小室圭さんの話題にふれられたくないのか、眞子さまがご両親との会話を拒絶されている状態です。食事の席をともにされることを嫌がられることもあるそうです」そんな状況のなかで、紀子さまは一歩一歩、眞子さまの“心の雪解け”を求め続けられている。「最近では、紀子さまは眞子さまとの二人きりのご公務を増やしながら、冷え切った親子関係の修復を図ろうとされています。眞子さまは、小室さんの話題になると、すぐに口を閉ざされますが、ご公務についてなら会話もされるからです。宮邸では母娘で打ち合わせをされることもありますし、ご公務の場では、お二人で談笑されることもあります。しかし紀子さまと眞子さまの距離がわずかずつ縮まっているいっぽう、距離を縮める機会を持たない秋篠宮さまは孤立感をさらに深めていらっしゃるようです」(前出・皇室担当記者)東京農業大学客員教授として定期的に講義もされている秋篠宮さま。最近では研究室や大学の近くの店で大学関係者とお酒を飲まれる機会も以前より増えているという。
2019年06月21日6月9日、天皇皇后両陛下が26回目の結婚記念日を迎えられた。「上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さんがお集まりになって、ご即位後初となる両陛下のご成婚記念日をお祝いされたようです。令和の御代になって40日、皇后となられた雅子さまがしっかりとご公務をお務めになっていらっしゃるので、より明るい祝福ムードに包まれていたといいます」(宮内庁関係者)皇室ジャーナリストは雅子さまのご活躍ぶりを「療養中なのを忘れてしまうほど」だと語る。「5月下旬に来日したトランプ米大統領夫妻への接遇が、国内外で絶賛されたのは記憶に新しいところです。『ニューヨーク・タイムズ』は、『雅子皇后はスターだった』と大々的に報じました」直後の6月1~2日には、初の地方ご公務となる「全国植樹祭」ご臨席のために愛知県を訪問。「名古屋駅で大勢の人々の歓声に迎えられた雅子さまは、疲れた様子もお見せにならず、明るいご表情で手を振られていました。これまでは欠席も多かった式典後のレセプションでも、陛下とご一緒に参加者たちの中に入っていかれ、予定時間を延長して歓談されました」6月4日には、皇居・宮殿にクロアチア議会のヤンドロコビッチ議長夫妻をお招きになり懇談。「議長夫人とすぐに打ち解けたご様子の雅子さまは、天皇陛下と議長が着席された後も立ったままお話を続けられました。そのため陛下が笑顔で着席を促される、ほほえましい場面もありました。当初、この懇談に雅子さまが出席される予定はなかったのです。かなり体調がよろしかったのだと思われます」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう言う。「雅子さまはようやく、ご結婚当初から望まれていた“皇室外交”が実現できるようになって、実力を発揮されているのです。それもご結婚にあたって『一生お守りします』と述べられた陛下の存在があったからこそだと思います」陛下は今年2月の記者会見でも《できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております》と述べられている。陛下のぶれない“夫婦愛”が大きな支えとなって、雅子さまは新しい時代の皇后として一躍脚光を浴びられている。
2019年06月12日1974年(昭和49年)8月、天皇陛下は2週間にわたってオーストラリアを旅行された。14歳にして初めての、お一人での海外旅行だった。メルボルンの民家にホームステイされて各地を訪問された陛下だったが、とりわけ楽しみにされていたのがエアーズロック登頂だ。本誌は「浩宮さまオーストラリア体験旅行現地取材第2報」(’74年9月12日号)にて、その模様を報じている(以下、《》内は同記事より)。巨大な一枚岩に挑まれる陛下のいでたちは、水色のシャツに濃紺のセーターとスラックス。黒のカーボーイハットを被り、サングラスをかけていらした。急な岩の斜面を登る陛下のお姿を上から撮影するため、まっさきにカメラマンが登り始める。《岩の上に寝ころがって、ハアハアあえいでいると、早くも追いつかれた浩宮さまが、「あれッ、もうダメなの?」そういって、お笑いになった》いまでは登山家で知られる陛下は、このときも涼しい顔。息をつきながら登る報道陣や随行の侍従たちを見かねて、陛下が「それでは、ここらで小休止にしましょうか」と提案される場面もあった。頂上に着くと、陛下は登頂記念のサイン帳に“Naruhito”と署名された。報道陣に「どうぞ、みなさん、いっしょに撮りましょう!」と気さくに呼びかけられるなど、終始ニコニコ笑顔。下山の途中には、侍従が缶入りの飲み物を陛下に差し出した。《「殿下、ビアーをどうぞ」「えっ、ビールですかあ?」》驚かれる陛下。しかし、缶の英文字を読んで気づかれる。《缶のラベルを見つめて、「なんだ、ジンジャーだ」と一気にゴクゴク。こちらでは、その飲料を”ジンジャビア”という》念願のエアーズロック登頂を遂げられた陛下にとって、至福の一杯であったに違いない。
2019年06月11日「同年代の僕たちが、そろそろ引退を考え始めるときに、陛下は天皇に即位された。それは、とても感慨深いこと。僕ら学友がこれまでそばにいて、話し相手になったり、ときには一緒にお酒を飲んだりバーベキューをしたり。そうした陛下のリラックスした時間をともに過ごしてきたことも、すべては陛下が陛下になる、今日という日を迎えるためだったのかなと。陛下のお姿を見ていたら、そんな思いがこみ上げてきました」令和元年5月1日。この日、執り行われた「即位後朝見の儀」の生中継を真剣なまなざしで見つめる1人のオーストラリア人男性がいた。アンドルー・B・アークリーさん(60)。高校2年生のとき、交換留学生としてオーストラリアから来日し、学習院高等科に。彼は陛下の“ご学友”で、先月、青春時代の思い出を綴った『陛下、今日は何を話しましょう』(すばる舎)を出版した。アンドルーさんは1958年、オーストラリアのメルボルンに生まれた。国連関係の仕事をしていた父の赴任に伴い、10代前半をスリランカやジャマイカで暮らした。ジャマイカからの帰国途中に初来日。つかの間の滞在だったが、15歳のアンドルーさんは「きれい好きで、安全な国」と、日本に好印象を抱いた。そして1年後の’75年、交換留学生として再来日。学習院高等科のオーストラリア人留学生第1号として、2年A組に配属された。陛下も、時を同じくして高等科に進学されていた。「学校に日本のプリンスがいることは知っていました。たしかに校内にSPの姿はありました。でも、特別待遇を受けている生徒はいないし、全員が同じ詰め襟の制服ですし。どなたが陛下なのか、まったくわからなかった」第二外国語のドイツ語の授業で、偶然隣り合った生徒が、陛下の学友の1人だった。「厚かましくも僕は『ぜひ、陛下に会わせてください』とお願いした。当時の僕の夢は外交官。日豪親善のためにも、ごあいさつ申し上げたかった。すると、彼は快く引き受けてくれた。校舎は学年ごとにフロアが別なので、休み時間に彼が陛下と一緒に僕のいる2階にまで来てくれて、僕を紹介してくれたんです」陛下の柔和な笑顔に引き込まれるように、覚えたての日本語で自己紹介。さらに続けて、自分でも驚くようなことを口走っていた。「僕とお友達になっていただけますか?」陛下はより一層の笑みを浮かべて、こうお答えになったという。「喜んで」この出会いが、アンドルーさんの、先の人生を大きく変えることになった。「まっすぐ目を見て話される陛下から、優しいオーラを感じました。近くにいるだけで、こちらまで心が温かくなってくるんです」’76年1月4日。アンドルーさんは東宮御所にいた。留学期間を間もなく終える彼を、陛下が御所にお招きになったのだ。「それが初の御所訪問。『ここは日本のパレスだ!』と、すごく緊張した。御所の玄関を入ってすぐの待合室にいると、5分とたたずに陛下がお見えになって。『今日は来てくれてありがとう』と英語でごあいさつをいただきました。それから、居間に案内され、楽しく会話をしていたのですが……」しばらくすると、そこに上皇陛下に美智子さま、それに秋篠宮さまに黒田清子さんと、ご一家がおそろいでお見えになられた。「美智子さまの英語はネーティブの人のようにお上手でした。『日本での学生生活はどうですか』などのご質問を受けましたが、お言葉の端々に、息子の友人である僕への気遣いや思いやりが感じられて、僕は素晴らしい友人、素晴らしいファミリーと知り合えたという喜びでいっぱいでした」御所訪問の6日後、アンドルーさんは帰国の途に。友人たちから贈られた寄せ書きには、陛下、上皇陛下、美智子さま、お三方も直筆のお言葉を寄せてくださっていた。「感動しました。機内で寄せ書きを拝見しながら『帰ったら必ず陛下に手紙を書こう』と誓いました」帰国後、アンドルーさんと陛下の文通が始まった。「印象に残っているのが、登山合宿の思い出を陛下がうたわれた和歌、それに陛下お手製の版画で富士山が描かれた年賀状。細やかな工夫が細部にまで見られて、次のお手紙が待ち遠しくなりました」アンドルーさんはメルボルンでも日本語の勉強を続けた。日本領事館主催の日本語弁論大会にも出場し見事、3位入賞を果たした。「日本への思いは募るばかりでした。そして、もう一度日本へ留学することを決意しました」’77年4月。アンドルーさんは東京外国語大学へ留学するため、再び日本の地に降り立った。再来日を報告すべく、すぐに御所にも足を運んだ。「このとき、面白半分で陛下に英語で話しかけてみたんです。すると陛下も英語で答えてくださって。英語での会話はとても弾みました。陛下の高い英語力もさることながら、日本語でお話しされているときよりも、どこかリラックスした陛下のご様子が印象的でした」もしかしたら、陛下は外国人のアンドルーさんとの英語によるやり取りの中で、ほかの学友の前でも出すことの少ない“等身大のご自分”を、お見せになっていたのかもしれない。後日、アンドルーさんのこんな申し出を、陛下はご快諾された。「よろしければ、僕に英語のお話し相手をさせてください」以後、月に2回ほど、御所に招かれるように。それは高等科時代以上に濃密な、陛下との日々だった。「英会話以外にも、御所内を一緒に歩いたり、音楽室で楽器を弾いたりもしました」御所に招かれるときは、いつも当日の昼ごろに、侍従を通して連絡がきた。急いで支度して、午後2時には御所に。陛下と一緒に午後のお茶を楽しみ、ときに夕食まで。陛下が成人されて以降は、ともにお酒も楽しんだ。「その間は陛下も自由時間です。だから、僕を呼んでくださるわけです。自由時間ならば、たまには外で会ってもいいのでは、と疑問に思うことも当時はありました。でも、そういうわけにはいかないんですよね。ほかの学友も、僕ほど頻繁に遊びに来てはいなかったようですから……御所のなかで、もしかしたら陛下は孤独を感じていらしたかもしれません」しみじみとこう語りながら「でも」と言葉を継いだ。「でも、陛下は『寂しい』だとか『忙しくて大変』というような、不満やネガティブなお言葉を漏らされることは一切、ありません。酒席のジョークとして『今度は六本木に飲みに行きましょう』と話されることはありました。けれど、そんなことは許されない、実現できるはずもないことは、陛下も僕もよくわかっています。あくまで冗談としておっしゃる。そのお言葉に、僕も相づちを打ちながら、2人で笑いあったものでした」アンドルーさんは、ご公務に励まれている陛下と、自由時間の陛下に共通するものを「100%以上」という言葉で表現した。「ご公務のときの陛下は100%以上のお気持ちで頑張っていらっしゃる、それはテレビで拝見していてもよくわかります。でも、自由時間の陛下も、私たちと会うと100%以上のお気持ちで語らい、笑い、そして、私たちをもてなしてくださるんです」それは、夏の午後に開かれた御所のバーベキューパーティ。椅子が足りないことに気づかれた陛下は、誰よりも早く立ち上がり、椅子を運んでこられたという。「この日は焼きそばが大人気で、皆のおかわりの分がなくなってしまったんです。すると陛下が『今度は僕が焼きましょう!』とおっしゃって、鉄板の前に立たれたんです。学友たちは『陛下、できるんですか?』なんて言いながら、ここでも皆で笑いあって」アンドルーさんは外語大卒業後、オーストラリアの商社の東京支社に就職。その後は知人と立ち上げた貿易会社を経て、現在は友人の医師とクリニックを共同経営している。「外交官になる夢は諦めました。陛下がいらっしゃる大好きな日本で、ずっと暮らしたかったからです。あの日『お友達になって』という私のずうずうしいお願いに、陛下が笑顔で『喜んで』と答えてくださったことで、僕の人生は決まってしまったんですね」
2019年06月10日即位後初の地方訪問として天皇皇后両陛下は愛知県を訪れ、約1万5,000人が駅前や沿道で歓迎した。一方で、皇嗣家となった秋篠宮家への風当たりが強くなっている。「天皇皇后両陛下に比べると秋篠宮家のご活動は報道されることも少なく、あまり注目が集まっていない状態です。数年前とは一転して秋篠宮家への支持が急落している原因には、一向に解決の糸口すら見えてこない“小室さん問題”があるとみて間違いないでしょう」(皇室担当記者)そんな中で最近目立ち始めたのが、紀子さまと眞子さま“母子同伴”でのご公務の増加だ。6月2日、横浜能楽堂で開催された特別企画公演「大典奉祝の芸能」に、紀子さまと眞子さまがおそろいでお出ましになった。お二人だけでカメラの前に姿を現されたのは、’18年4月以来だった。「5月11日から12日にも、お二人は京都を訪れ『大聖寺文化・護友会』の総会に出席されました。‘15年から会の名誉総裁をお務めの紀子さまは、毎年総会に出席されています。京都への“二人旅”では、ゆくゆくは眞子さまに名誉総裁職をお譲りになりたいといったお話もされたことでしょう」(宮内庁関係者)また、4月から5月にかけて秋篠宮ご夫妻と眞子さま、佳子さまは展覧会やコンサートに何度もそろってお出ましになっている。こうした母娘二人でのお出かけの増加こそが、紀子さまによる小室さん問題の解決、すなわち秋篠宮家の“窮地回復”への一手なのだと前出の宮内庁関係者は言う。「眞子さまと小室さんのご結婚は一刻もはやく破談にしたい――。それが秋篠宮ご夫妻のご本心でしょう。しかし令和となった現在、秋篠宮ご夫妻は“長期戦”を覚悟され、戦術変更をされたようです」小室さんはロースクールでの1年目を終え夏休みに入ったが、帰国の予定はないという。留学を終えるのは早くても2年後の予定だ。金銭トラブルの解決どころか、5月11日には「文春オンライン」で、小室さんによる“いじめ”の過去を小学校時代の同級生が告発。いまだに謝罪の言葉はないという。時間がたつにつれて、小室さんが解決すべき問題はむしろ増えていっているのが現状だが、秋篠宮家と親しい知人はこう話す。「それでも秋篠宮ご夫妻は、眞子さまのお気持ちを無視して破談にはできないとお考えなのです。今年3月、佳子さまは大学卒業にあたっての文書で《結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています》と、眞子さまの結婚を後押しされました。憲法に明記された“婚姻の自由”は侵せない――。秋篠宮ご夫妻も当然、その認識はお持ちです」つまり、眞子さまに小室さんと結婚する意思がある限り、破談にすることはできないというのだ。はたして紀子さまは、どうやってこの現状を打開するおつもりなのか。前出の皇室担当記者は言う。「紀子さまは、眞子さまと二人きりでの公務を増やされながら、まずは冷え切った親子関係の修復を図ろうとされているのです。眞子さまは小室さんについての話題になると、いっさい口を開こうとされないものの、ご公務についてならば素直に会話をされるといいます。本番に向けて打ち合わせを重ね、ご公務の場で談笑される中で、紀子さまは眞子さまと心を通わせたいとお考えなのでしょう」小室さんが渡米してから1年近く、眞子さまは直接会われる機会はないものの、スマートフォンで連絡を取り合っているという。「周囲の声に耳を傾けず、ひたすら自分の夢を追い続ける小室さんの価値観は、公を大切にする皇室の価値観とはまったく相いれないものです。眞子さまがひたむきに公務に取り組まれていくなかで小室さんの自分勝手な姿勢にきっと違和感を抱き“覚醒”してくれるはず――。紀子さまはそういった希望を胸に、眞子さまに連日の嘆願を続けていらっしゃるのでしょう」(前出・皇室担当記者)上皇さまは美智子さまとのご成婚に際し《お立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの》と話されたという。能楽堂で上皇ご夫妻が作られた『歌声の響』をお聴きになりながら、眞子さまもそのお言葉を思い出されたのだろうか。
2019年06月05日「徳仁」と書かれた水泳帽をかぶって胸を張るのは、当時中学1年生の天皇陛下。「赤フンドシ」姿で水泳の鍛錬に臨まれたのだ。《乃木将軍が学習院院長だったころからの伝統の赤フンドシ日やけした肌にきりりとしめて、いかにもたくましい浩宮さま》(『女性自身』1972年8月26日号「伝統の赤フンドシ」より)天皇陛下はこの年の8月、静岡県沼津市の学習院遊泳場で1週間にわたる水泳合宿に参加されていた。男子は赤フンドシ、女子は水着に赤い帯を巻いて臨むこの合宿。上皇さまも経験され、現在まで続いている伝統行事だ。《自習のための勉強道具もたくさんもちこんで、訓練につぐ訓練のきびしい毎日だ。いま水泳の腕は4級だが、合宿の終わるころには、西郷島まで4キロの遠泳に挑戦!3級に進級なさるのを楽しみに、カッと照る夏の日を浴びておいでだ》(前出記事より)陛下はこの合宿の成果か、学習院伝統の古式泳法である平泳ぎが得意になられた。トライアスロンに挑戦し、スピードアップのためクロールのマスターに力を入れられたこともあったそうだ。
2019年05月31日どれだけ両思いだと感じていても、男性にとって告白は勇気が必要です。そんな時は女性から告白を引き出すようなムードを作ってあげるのが大切です。静かな場所に誘うどれだけ良い関係でも、人で混雑している中で告白はできません。夜景の見える場所や静かなバーなどに誘い出すと、自然に告白しやすいムードが生まれます。基本的に告白は本人以外に聞かれたくないものなので、可能であれば二人だけの空間が望ましいです。静かな場所に誘うということは、もっと二人で会話したいという意思表示でもあります。女性の前向きな態度が垣間見えると男性も喜ぶので、告白の可能性が高まります。彼氏が欲しいと言う彼氏が欲しいアピールも忘れてはいけません。彼氏が欲しいと言うことで、今現在フリーであることを明確に伝えられますし男性もその気になります。普段から口癖のように言うと余裕がないと思われるかもしれないので、頻繁に言うべきではありません。二人で過ごしていて、少し良いムードになった時に言うと効果的です。とにかく褒める男性は、とにかく褒められると嬉しい生き物です。特に女性から褒められると、気があるのかと舞い上がることもあります。褒める内容も、簡単なことで良いです。例えば並んで歩いている時に車道側に寄ってくれたなど、些細なことで褒めてあげると喜びます。頻繁に褒めたり感謝の言葉を伝えると、気を良くして更に好意的になってくれる可能性があります。無言で寄りかかる無言で寄りかかるのは、男性にとって強烈なインパクトです。交際しているカップルなら日常茶飯事ですが、交際前の男女ではなかなか見られません。女性にとっても勇気が必要なので、十中八九両思いだと判断してから実行します。無言で寄りかかると、男性は何らかのリアクションをする必要があります。戸惑ってしまう可能性もありますが、勢いで告白してくれるかもしれません。好きだと伝える好きだと伝えると、後は男性の告白を待つだけです。男性は告白が成功すると思い、気持ちを伝えてくれるはずです。こちらも女性は勇気が必要ですが、恋人という新たなステージに進む為には有効です。
2019年05月29日御代替わりで皇嗣になられた秋篠宮さま。『女性自身』ではその幼少期から取材を続けている。この写真で当時7歳の天皇陛下に支えられている秋篠宮さまは、まだ1歳5カ月。どうして大号泣されているのか――。《さっきまで、自動車をさして、“ブーブー”とごきげんだったのに。南米へと出発なさるお母さまの姿が車の中に消えたとたん、淋しくてたまらなくなってしまったのだ。》(『女性自身』1977年5月22日号「おたたちゃま、行っちゃイヤ!」より)この日、上皇さま(当時は皇太子)と美智子さまは、22日間にわたる南米ご訪問へ出発された。ご両親が地球の裏側に国際親善へと向かわれるあいだ、兄弟でのお留守番となったのだ。陛下はお兄さまとして、ご両親の代わりにしっかりお世話をされた。陛下が日本橋高島屋へ買い物に出かけた日には、秋篠宮さまのおみやげにブリキの機関車を買って帰られた。東宮御所に着くとまっさきに動かしてお見せになったという。長いお留守番を終え、ご両親がお帰りになる日。東宮御所の玄関で待っていた秋篠宮さまは、車のドアが開かないうちに走りより、飛び立つように降りた美智子さまは、抱き上げてほおずりをされたのだった。
2019年05月25日陛下が即位された5月1日以降の行事には“フル出席”。ここまで、あふれる自信、堂々たる皇后ぶりで陛下をお支えになっている雅子さまだが、今後は立て続けに大きなご公務に臨まれる。5月22日には皇后となられて初の全国赤十字大会が、5月25日~28日には、国賓として来日するトランプ米大統領の接遇が予定されている。さらに6月1~2日には全国植樹祭ご出席のため愛知県へ。両陛下にとって初の地方行幸啓だ。「非常にハードなスケジュールですが、このところのご体調のよさからすると、雅子さまはすべてに出席されようとするのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)しかし、精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「まだ雅子さまはご療養中であり、回復の途中なのです。たしかに、家族の力になる経験はとても大切で、回復にも繋がります。ただ、すべてのご公務にそろって臨まれなくても、雅子さまの知識を生かしてアドバイスされることも、陛下の支えになるはずです。無理をされずにしっかりとお休みになることも大切です」陛下は今年2月の記者会見でこう述べられた。《雅子にはこれまで、私や愛子のことにもいろいろと良く心を配り、私の活動を支えてきてくれています。私も、できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております》お二人が支え合っていかれるのが“令和流”の天皇皇后スタイル。26年にわたり培われた絆は、いっそう強くなっていくことだろう。
2019年05月17日5月1日、「即位後朝見の儀」に臨まれた陛下は、天皇として最初のお言葉を述べられた。《常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓います》そのとき、お言葉の書かれた紙を持つお手元が、映像で見てもわかるほど小刻みに震えていた。「59歳にして天皇となられる重みを、お感じになったのでしょう。お小さいころから帝王教育を受けてこられた陛下でも、想像をはるかに超えるプレッシャーがおありだったのかもしれません」(宮内庁関係者)その3日後、5月4日には令和初の一般参賀が皇居で行われた。参賀者の列は東京駅まで伸び、14万1千人が即位を祝福した。長和殿ベランダでの陛下は、傍らの雅子さまとにこやかに声を掛け合われ、高円宮妃久子さまや寛仁親王妃信子さまとも和やかにコミュニケーションをとられていた。朝見の儀とは一変して、とてもリラックスしたご様子だったのだ。陛下が心に余裕を持って一般参賀に臨まれたのは、雅子さまからの助言があったのではないかと話すのは皇室担当記者だ。「陛下は、天皇になるためのご努力を欠かすことはありませんでした。ご成婚後の26年間、そのお姿を最も近くで見つめ続けてきたのは、雅子さまです。ずっと研鑽を積まれてきたのですから、ご心配はいりません――。雅子さまは、そういったお言葉をかけられたかもしれません」それはまさに、緊張されていた陛下のお心をほぐした“親愛の助言”と言えるだろう。この日は、陛下が参賀者にお気遣いを見せる場面もあった。東京の最高気温は24.8度まで上がり、5月としてはかなり汗ばむ気候となっていた。すると5回目のお出ましから、陛下のお言葉の中に《暑い中、来ていただいたことに感謝いたします》という一文が加えられたのだ。そして、最後となる6回目のお出ましは午後3時からの予定だったのだが、急きょ10分間早められた。直前には雷鳴が轟いており、雲も厚くなってきていたのだ。「集まった参賀者の体調、安全を第一に気遣ったご対応でした。こうしたお気遣いも、両陛下がお二人でご相談されたことかもしれません」(前出・皇室担当記者)
2019年05月16日片思いの彼の気持ちが知りたいけどどうすればいいのかわからないと悩んでいる女性は多いかもしれません。実は、毎日見ている夢の中で両想いを暗示しているものがあるんですよ。太陽とヒマワリが出てくる夢をみたらもし夢の中に太陽とヒマワリがセットになって出て来たら、それは彼のあなたに対する思いを暗示しています。彼の恋心が大きくなりすぎてあなたの夢の中にまで出てきたのです。植物が夢の中に出てくると願いが叶うと言われていますが、ヒマワリは特に明るく力強い花であるため、大きな願い事が叶うと言われています。そして、太陽は男性を表しており、熱く燃える彼の思いが夢の中にまで溢れて来ています。そろそろ彼の思いを受け止める覚悟をした方がいいかもしれませんね。彼に振られる夢をみたら彼に告白して振られる夢を見たら正夢だと思って落ち込む人は多いことでしょう。ですが、これは実は逆で、夢の中で振られた場合現実ではさらに彼との仲が深まって両想いになることを暗示しているのです。ですので、彼に振られる夢を見たらさらに自分に自信を持って彼にどんどん話しかけていくことが大切です。手乗り文鳥が出てくる夢を見たら手乗り文鳥が象徴しているのは、あなたの意中の彼です。夢に中に手乗り文鳥が出てきた場合、様子をよく見てみましょう。もしあなたになついており、手の上に乗ったりする場合は、彼もあなたに好意を抱いています。もし手乗り文鳥が飛んで行ってしまっても戻ってくれば問題ありません。二人の関係は良好であると暗示しているのです。反対に文鳥がずっと籠の中にいる場合はあなたの彼に対する執着が強くなりすぎていることを暗示しています。束縛を好む男性はあまりいませんので、彼の気持ちを尊重してそっと側に寄り添うことが大切です。帽子を選ぶ夢をみたら夢の中で帽子が出て来たら、それは世の男性を象徴しています。そして、その中から好きな帽子を選んでかぶると、好きな男性と両想いになることを暗示しているのです。特に帽子がたくさん並んでいて、どれにしようか迷い最後にこれだ!と選んだものは、運命の人に出会ったということでもあります。ただし、結局自分のサイズに合わなかったり、デザインがあまり似合っていなかった場合は両想いになっても最終的に別れることになるかもしれません。
2019年05月12日アカデミー賞受賞のオリヴィア・コールマン、レイチェル・ワイズ、エマ・ストーンの競演で贈る『女王陛下のお気に入り』。そのブルーレイ&DVDリリースに先駆け、豪華女優陣に負けず劣らずの装いを披露しているニコラス・ホルトに注目した特別映像がシネマカフェに到着した。豪華絢爛の英国王室に渦巻く、女性たちの愛と嫉妬、裏切り、野心を描いた本作。ニコラスが演じたのは、病気がちで気まぐれなアン女王(オリヴィア)に代わって権力をふるうレディ・サラ(レイチェル)と対立するロバート・ハーリー。国内経済のためフランスとの戦争には反対しており、戦争推進派のレディ・サラの動向を探るべく、又従兄妹であるアビゲイル(エマ)を利用しようとする横柄で傲慢な政治家だ。3人の女性たちに絡むキャラクターであり、出番も多めだが、劇場公開時から「TLがニコラスホルトでざわざわしっぱなし」と話題を呼んでいたのは、やりすぎともいえるハーリーのいでたち。「なんだこの愛着しかわかないビジュアルは?合格」「また白塗りになってる!!!!似合うな!!!」「ばっちり化粧でキメてるニコラスホルトが可愛くて可愛くて」「ニコラスホルトの『男は美しくなくては』がキいてました」「それにしてもニコラスホルトが可愛いかった」などなど、SNS上にはニコラスも強烈な印象を放っていたという声が続々とアップ、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』以来の白塗りメイクも注目を集めていた。白塗り+カツラ+ハイヒールのニコラス・ホルトは必見!今回の映像では、「18世紀の男性の装いは女性よりもはるかに派手だった」と語るヨルゴス・ランティモス監督や、本作の衣装デザインを担当しアカデミー賞にノミネートされたサンディ・パウエルほか、ニコラス本人らキャストたちもド派手な衣装やメイクについてコメント。188cmのニコラスが8センチヒールを履きこなし、白塗りメイクにカツラ、大げさなレースだらけの衣装を着けた姿を「最高だったわ」とエマが語れば、「まるでスーパーモデルよ」とレイチェル。「思わずとろけそうになった」と打ち明けている。『女王陛下のお気に入り』は5月24日(金)より2枚組ブルーレイ&DVDリリース、5月15日(水)より先行デジタル配信。(text:cinemacafe.net)■関連作品:女王陛下のお気に入り 2019年2月15日より全国にて公開(C)2018 Twentieth Century Fox
2019年05月10日オリヴィア・コールマンの第91回アカデミー賞主演女優賞受賞など、賞レースを賑わせた『女王陛下のお気に入り』が早くもリリース。5月15日(水)より先行デジタル配信、5月24日(金)より2枚組ブルーレイ&DVDが発売されることになった。18世紀初頭のイングランドの宮廷を舞台に、17人もの我が子を亡くした孤独な女王と、その寵愛を奪い合う女官と侍女を描いた禁断の歴史絵巻。気まぐれで孤独なアン女王を演じるのは、本作でアカデミー賞ほか各国の主演女優賞を総なめにしたオリヴィア・コールマン。人間の弱さと脆さ、そして愚かさを表す迫真の演技が世界を魅了した。また、没落した貴族で上流階級への返り咲きを狙う侍女アビゲイルを演じたのは、『ラ・ラ・ランド』でアカデミー賞を受賞したエマ・ストーン。本作で初のヌードシーンに挑んだ。さらに、女王の心を支配し絶大な権力を振るうレディ・サラに『ナイロビの蜂』でアカデミー賞を受賞したレイチェル・ワイズと、実力派が集結。三大アカデミー賞女優による火花散る演技合戦を、ぜひ目撃して。(text:cinemacafe.net)■関連作品:女王陛下のお気に入り 2019年2月15日より全国にて公開(C)2018 Twentieth Century Fox
2019年05月10日ハーバード大学卒、元外務省職員――と、輝かしい経歴をお持ちの新皇后陛下、雅子さま。その背景には、多感な幼少期を世界各地で過ごされたご経験があった――。父・小和田恒さん(86)は外交官。そのため、雅子さまは1才8カ月のときにはモスクワに移住。4才のときにニューヨークへと引っ越された。現地では、すぐにロシア語や英語をマスターされるなど、語学的な才能を発揮された。明るいご性格でお友達にも恵まれ、日本、米国で学ばれた中学高校時代は、ソフトボールに熱中。成績も大変優秀で、ベルモントハイスクール時代のニックネームは“頭脳”を意味する「ブレイン」だった。一方、中学の卒業文集では夏目雅子さん(享年・27)をもじって「芸名・脱目雅子」と自己紹介するお茶目な一面も。好きな曲は「浪曲、民ようならなんでも!自分で三味線を弾きながら歌うのが最高ヨ!」とも書かれていた。ハーバード大学進学後も、寮のパーティでマイケル・ジャクソンの曲に合わせディスコダンスを披露されるなど、学生生活を謳歌された。真面目なストイックさと、お茶目な一面を持たれる雅子さま。皇后となられた今、国際親善の場で、そのお人柄がより輝かれるに違いない――。
2019年05月07日苦悩の日々を乗り越え、新皇后となる日を迎えられる雅子さま。宮内庁関係者は、新時代に臨まれるお気持ちは明るいと断言する。「26年前、外務省職員から皇太子妃へ“転身”された雅子さまは、新たなステージで国際親善に取り組むことに大きな使命感を感じていらっしゃいました。最近の雅子さまからは、ご成婚当時と同じくらいポジティブなお気持ちが感じられます。もともと雅子さまは、一度目標を定めると、実現のために努力を惜しまない方。すでに新時代の皇室に向けて思い描いている目標もいくつかお持ちのようです。それを一言で言い表すなら“愛される皇后”を目指すことだと言えるでしょう」この15年あまりはご療養のために公務を休まざるをえず、雅子さま本来の人間性が発揮される場面はあまりなかった。しかし、皇室担当記者はこう説明する。「実は雅子さまはお話し好きでユーモアもお持ちなのです。海外生活が長く語学も堪能でいらっしゃいますから、ご成婚直後に臨まれた宮中晩餐会では、フランス語、英語、ドイツ語を駆使して招待客に話しかけられて海外マスコミの注目も集めました」皇太子さまも一昨年、マレーシアの首相とセルフィー(自撮り)を撮影されるなど、フランクな一面をお見せになっている。「かねてから皇太子さまは会見で、理想の皇室像を“国民の中に入っていく皇室”と表現されていました。天皇皇后両陛下が平成を通じて示された“国民と共にある皇室”よりもさらに一歩国民に近づき、多くの声を聞きたいという思いが感じられます。国民に親しまれ、愛される天皇皇后像へ――。その目標はご夫妻で話し合われたものでしょう」(皇室担当記者)雅子さまの目標とする“愛される皇后”への思いの根底には、ご自身が苦しまれた経験があると、精神科医で立教大学教授の香山リカさんは語る。「ご出産と子育てで悩まれ、適応障害で長期療養されてきた経験があるからこそ、災害の被災者や障害のある方など様々な立場の人々の苦難にも深く共感できるはずです。そういった方々にお会いになることで、社会問題に光を当て国民の関心を生むことも、皇后として大切なお務めだと思います」
2019年04月30日平成の即位の礼での装束を身にまとわれた、天皇陛下と美智子さま。そのお写真を、雅子さまはじっと見つめられていた――。5月1日の新天皇即位を間近に控え、皇太子ご夫妻は4月24日、東京・上野の東京国立博物館で開催されていた天皇陛下の即位30年を記念した特別展「両陛下と文化交流―平成の日本美を伝える―」を鑑賞されていた。「展覧会で、陛下、そして美智子さまの足跡をご覧になり、雅子さまもいよいよ新皇后になられる実感を抱かれたことでしょう。クリーム色のスーツをお召しになった雅子さまは、報道陣の前でも堂々とされていると感じました。皇后になる日が近づくにつれ、雅子さまのご表情は日に日に明るくなっています」(皇室担当記者)ご体調が劇的に上向いた理由として「愛子さまのご成長が大きい」と語るのは宮内庁関係者。「雅子さまの適応障害の根本には“お世継ぎ”の問題がありました。不妊治療と流産を乗り越え、’01年12月に愛子さまが誕生されたことは皇太子ご夫妻にとって至上の喜びでした。しかし’03年6月、当時の宮内庁長官は定例会見で『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』と発言。雅子さまにとっては、愛子さまの存在までも否定されたように感じられたことでしょう。半年後に帯状疱疹で入院され長期にわたるご療養に入り、その後、適応障害と診断されたのです」雅子さまはたっぷりと愛情を注ぎ愛子さまを育てられたが、学習院初等科2年生のときにはほとんど登校ができない状態になってしまう。その後も愛子さまの不規則な登校は続いた。実は、愛子さまが小学4年生だった’11年の秋ごろ、雅子さまは親しい知人にこう語っていた。「愛子には愛子の人生があり、皇室に生まれた運命、持って生まれた運命というものがあります。もちろん親としての娘の人生への希望はありますが、私どもの気持ちだけで、あの子の運命を、どうこうするわけにはいかないのです」逡巡する口ぶりから、愛娘の未来を憂う雅子さまの苦悩が伝わってくる。「いずれは“天皇の娘”となられるお立場なのに、皇位継承権を持たない愛子さま。一方で女性宮家創設案も浮上しており、どう育てていくべきか思い悩んでいらしたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)しかし、一昨年に学習院女子高等科に進学されてからの愛子さまは、雅子さまを驚かせるほどの急成長を見せられた。「学校では社交的になられ、昨年の文化祭ではご友人たちとチームを組んでダンスを披露されました。さらにステージの司会もお務めになって会場を盛り上げたのです。東宮御所を訪れた外国の要人との懇談に参加され、英語でお話しされたこともあります。昨年の夏には英イートン校への短期留学も経験されています」(前出・宮内庁関係者)4月14日の「オール学習院の集い」でも、皇太子ご一家の仲睦まじいご様子が目撃されている。「盲導犬協会のブースで、雅子さまは愛子さまを促され、募金やお声がけのアドバイスをされていました。積極的に公の場でのなさりようを“特訓”されているようでした」(学習院関係者)雅子さまと愛子さまのまなざしは、新しい時代を見据えている。「娘に皇室に生きる運命を背負わせてしまったことに、ご体調が悪いころの雅子さまは自責の念を抱かれていたと思います。しかし愛子さまは皇族としての役割を受け止め、お立場を自覚されたのです。雅子さまはその成長に驚き、涙されたことでしょう。皇室に嫁ぎ、愛子さまを産んでよかった……。心からそう思えるようになったことで、雅子さまは笑顔を取り戻されたのです」(皇室ジャーナリスト)
2019年04月30日4月18日、天皇皇后両陛下が伊勢神宮を訪れ、ご退位に向けた儀式「親謁の儀」に臨まれた。親謁の儀を終えられた両陛下は18日の夜、志摩観光ホテル・ザ・クラシックにご宿泊。両陛下は清子さんや伊勢神宮の関係者をお招きになり、夕食をともにされた。「今年の4月18日は、清子さんの50歳の誕生日でした。そして60年前の4月18日は、ご成婚8日目の両陛下が伊勢神宮に結婚のご報告をされた日。そんな由縁のある日、夕食後も清子さんはホテルに残って、両陛下と一緒に泊まったそうです。親子ご一緒に旅先でお泊りになるのは、御用邸や軽井沢でのご静養に清子さんが合流することを除けば、清子さんが結婚してから初めてのこと。14年前の’05年8月に長野県・山梨県を訪れて以来です。退位を前に久しぶりに娘と一夜をともにされて、両陛下にとっても感慨深かったことでしょう」(宮内庁関係者)また伊勢神宮は41年前の’78年11月、美智子さまと当時9歳の清子さんが2人旅で訪れた思い出の場所でもある。「そのときは老舗の旅館にお泊りになりました。8畳の和室にお布団を2つ並べてお休みになったそうです。東宮御所には和室がなく、普段はベッドで眠っていた清子さんは興味津々だったそうです」(前出・宮内庁関係者)旅館では、伊勢神宮ご参拝のリハーサルも行われた。仲居さんたちを下がらせて、お座敷でお辞儀の作法などを、美智子さまがマンツーマンで細かくお教えになったという。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんが当時を懐かしむ。「美智子さまは、清子さんが学習院の初等科に進学してから、皇室に縁のある神社や陵墓などをめぐる“母娘旅”を10年間にわたって続けられました。それは皇族としての教育であると同時に、いつの日か皇族の身分を離れる清子さんとの思い出作りだったのではないでしょうか」清子さんが幼いころから、いずれ皇室を離れることを覚悟されていた美智子さまは、そうして母娘の時間を大切にされ、宮中の外の世界についてお教えになっていた。そして、美智子さまの愛情に包まれて育った清子さんは、’92年、学習院大学を卒業するにあたっての記者会見でこう述べた。《たくさんの公務をお果たしになりながら、いつも温かく見守って育ててくださいました皇后さまが、やはり理想の、理想という言葉は少しきついかもしれませんけれど、そのような女性になれたらと思います》親子水入らずで過ごされた伊勢の夜、美智子さまが清子さんと語り合ったのは「追憶と労い」、そして「令和の願い」……。「陛下が退位されると、皇后としてのお務めを終えられる美智子さまも今までより余裕のある生活をお送りになられるでしょう。これまではお控えになってきた“母娘旅行”も、きっとまた実現するはずです。その日を待ちわびていると、美智子さまもお伝えになったことでしょう」(渡邉さん)また、母娘一緒に――。美智子さまが訴えられた「願い」に、清子さんも笑顔で頷かれたはずだ。
2019年04月26日快晴に恵まれた境内には、優しい風が吹き、ときおり小鳥のさえずりが聞こえていた。モーニング姿の天皇陛下が皇室の祖とされる天照大神に譲位を報告されたのに続き、パールカラーのロングドレスに身を包まれた美智子さまも参拝された。4月18日、両陛下が伊勢神宮を訪れ、ご退位に向けた儀式「親謁の儀」に臨まれた。当日、伊勢神宮周辺の沿道には、ご在位中最後の旅となる天皇陛下と美智子さまをお迎えするために約4万3千人の人々が集まった。伊勢神宮に詳しい文筆家で皇學館大学非常勤講師の千種清美さんが語る。「これまで神宮で何度も両陛下をはじめとする皇族方のご参拝を取材してきましたが、今回は本当にすごい歓迎ぶりで驚きました。全国から集まったみなさんから、平成の御代を惜しむ気持ちや、両陛下への感謝が伝わってくるようでした」神宮の関係者によると、両陛下は外宮参拝のとき、いつもより緊張されているご様子だったという。「伊勢神宮の祭主を務める黒田清子さんとご一緒に昼食をお召し上がりになったそうですが、それでリラックスされたのか、午後の内宮ご参拝のときには両陛下とも表情が和らいでいらっしゃいました」’05年11月、東京都職員の黒田慶樹さんと結婚した清子さんは、’13年に伊勢神宮の式年遷宮で臨時祭主として儀式に臨んだ。そして’17年6月、正式に伊勢神宮祭主に就任した。「天皇陛下の代理として祭祀をつかさどる祭主は、皇室を離れた内親王として“最も重いお務め”といえます。両陛下は清子さんに祭主をお任せになることで、これからも皇室を支えてほしいという思いがあったのでしょう。それほど両陛下は、清子さんを信頼されているのです」(前出・皇室担当記者)‘93年、美智子さまが、59歳の誕生日に赤坂御所で突然お倒れになった。陛下と清子さんとご歓談中の出来事だった。一時意識を失われた美智子さまは、言葉を発することができなくなってしまった。その背景には、美智子さまに対するあまりに激しいバッシング報道があったと、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは語る。「そのとき清子さまはずっと美智子さまのおそばに寄り添われて、ご快復に力を尽くしました。また、’11年に東日本大震災が起こったときには、黒田さんの運転する車で、誰よりも早く皇居に駆けつけたそうです。結婚後もプライベートな部分で両陛下を支えてきた清子さんは、やはり美智子さまにとって特別な存在なのです」祭主になって以降も頻繁に御所を訪れる清子さんは、美智子さまのご相談相手となっている。「今回の神宮ご参拝で美智子さまのお足元が気になりました。足にご負担がかかるのか、御垣内の白石の上は歩きにくいようで、女官長さんの手を取られて歩かれる場面もありました。退位後に両陛下は御所から高輪皇族邸へ引っ越されます。ご高齢のお二人にとっては準備も大変であまり進んでいないようです。身の回りのことで頼りになるのは清子さんですから、美智子さまはすでに引っ越しについても相談されているそうです」(前出・宮内庁関係者)
2019年04月25日「平成の御代は、現在の天皇皇后陛下による日々の祈りのおかげで、この国を守る“結界”が各所に張られていると私は感じていました。けれど、御代替わりによって一時的にこの結界が揺らぐ可能性があります。新たな御代が安定するまでは、悪しき力が渦巻きやすく、怪しい誘いも発生しやすいので、注意が必要です」新たな御代・令和を目前に、こう警鐘を鳴らすのは、霊視カウンセラーとして活躍中の尚さん。今、日本人にとって大切なのは、一人ひとりが本来の目的に向かってブレずに生きることだと続ける。「今こそ魂が求めるもの、自分にとって真に必要なものは何かを見極める力を持つべきです」しかし、建て前ばかりのご時世、自分が何を欲しているのかさえ見失いがちなのが現実だ。そこで、尚さんが注目するのが、欲望のままにわが道を突き進む天才、安田大サーカス・クロちゃん(42)。言わずもがなのクズっぷりで一挙手一投足が炎上のネタになるクロちゃんだが、「実は彼の持つ“邪な力”こそが新時代を生きるエネルギーになる」と尚さんは霊視する。ということで、さっそくこの話をクロちゃんにぶつけてみた。「霊視カウンセラー?実は僕、叔母が病気などで悩む人を祈祷で治癒させることを生業としていましたから、いつも霊の存在を身近に感じているんです。だからその話、すごくわかりますね」そうサラリと語るクロちゃんのブレないものとは。「僕は何をするにも『トクするかどうか』が判断基準。そう考えれば、どんな困難も乗り越えられると思いますよ。たとえば、いま僕がツイッターで一言つぶやくと100~200の罵詈雑言が跳ね返ってくる。友人たちからは「よく耐えられるね」って同情されるけど、嫌なことを言われたら、正面からではなく、角度を変えて受け止めればいいんです。だって、正面から受け止めると、正面衝突で大事故になるじゃないですか。それは大いなるソン。でも、起こる物事にはすべて裏表があるのだから、自分にとって都合の悪いことを言われたら、トクするほうへ転がせばいい。炎上だって『こんなアドバイスもあるのか。気づけてよかった』と感謝すればいいんです」子どものころから「受け止める角度を変えるのはうまかった」というクロちゃん。「というか、ごまかすことは得意でしたね。母親の『50万円貯まる貯金箱』からこっそり500円玉を抜きとって、1円玉や5円玉に替えておく。バレそうになったら『僕じゃない、妹!』ってなすりつける。心の中で『盗んだんじゃない。取り替えたんだ』って角度を変えると、100の罪悪感が30くらいになるんです。要するに大切なのは、どんなことが起きても、そのベクトルを自分のトクする方向に向けること。これ、僕的には「ベクトルを変える」って言ってるんですけど、これが上手にできるようになれば、迷いもなくなると思いますよ」クロちゃんの話のなかで印象的だった「ベクトルを変える」という言葉。実は、尚さんも同様に“魂のベクトル”の向きを意識しながら霊視カウンセリングを行っているそう。「誰しも生きていると、あれこれ批判されたり忠告されたり、さまざまな方向から雑音が聞こえてきます。でも、自分と合わない意見にまで耳を傾けていると魂レベルで疲弊してしまいます。ですから、魂のベクトルをプラスの方向に向けるために、ときには“スルー”したり、“自己中”になったりするのはとても大切なことです。ただし、相手がいるときは思いやりは大切にしてください」他人からの忠告は、しょせん他人の視点からのもの。腑に落ちれば参考にすればいいし、的外れだと感じたらスルーすればいいという尚さん。「無理に迎合すると、自分の魂のレベルで望んでいる生き方ができなくなってしまいます。そういった意味では、私もクロちゃんと同じように、自分が本当に望んでいるものを見極めつつ生きることを大事にしています」また、クロちゃんが「トクするかどうか」で物事を判断することについてはこう分析する。「興味深いのは『自分にとって都合が悪いことが起きたら、受け止める角度を変える』という話。彼がトクだと言っていることは、金銭的な打算ではなく、精神的な打算を基準として判断しているといえます。このときのトクは、実は魂のレベルでは“徳を積む”ほうのトクを意味してもいるんです。これはご自身でも気づいていないかもしれませんが」終始、クロちゃんへの深い理解を示す尚さん。「人はそれぞれ生まれる前から、現世での役目や目標が決まっています。当然、進む道も人それぞれ違うので、他人に惑わされず、自分を信じることが必要です」
2019年04月21日毎月1回開かれてきた天皇陛下、皇太子さま、秋篠宮さまの「三者会談」も、4月24日が最後になる。「三者会談」が行われる以前には、皇太子さまと秋篠宮さまの“対立関係”が表面化したことがあった。’04年5月の会見で皇太子さまは、適応障害で療養に入られた雅子さまについて《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》と言及された。この「人格否定発言」は、雅子さまを守るための悲痛な訴えだった。しかし、秋篠宮さまは同じ年の誕生日会見で《記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったか》と、皇太子さまに苦言を呈されたのだった。「その後、秋篠宮さまは皇室が抱える問題について積極的に発言され、存在感を増していきました。一方で、ご公務への出席が途絶えた雅子さまを庇い続ける皇太子さまへの風当たりは強くなっていきました。その状況は長く続き、’09年ごろには、皇太子さまは秋篠宮さまに皇太子の位を譲るべきという“廃太子論”まで言論誌に掲載される事態になったのです」(前出・皇室ジャーナリスト)その3年後に「三者会談」が始まるのだが、美智子さまのご提案の背景には皇位継承の準備だけではなく、もう一つ大切な理由があったと言うのは前出の宮内庁関係者だ。「’08年2月、当時の羽毛田宮内庁長官が、公式の場である定例記者会見で『愛子さまが両陛下を訪問なさる回数が少ない』などと発言。長官がマスコミの前で皇太子さまへ苦言を呈するという前代未聞の出来事でした。両陛下と皇太子ご一家、秋篠宮家は当時、そういった事態を招くほどコミュニケーションが取れていなかったのです。この状況を憂慮されていた美智子さまはが『三者会談』という場を設けることで、意思の疎通を図ろうとお考えになったのです」御代替わりを前に、秋篠宮家には眞子さまとの婚約が延期となっている“小室圭さん問題”が持ち上がった。バッシングは小室さんだけでなく、秋篠宮家全体にまで及んでいる。「美智子さまもこうした報道はつぶさにチェックされ、遺憾に思われているそうです。このままでは10年前とは逆に、秋篠宮さまが孤立してしまうことも危惧されます。だからこそ発案者の美智子さまは、令和の時代になっても新しい皇室の団結を示すために、新天皇と皇嗣による『頂上会議の継続を!』と望まれているのです。美智子さまが参加されていた昼食会には、新皇后となられる雅子さまが出席されることになると思われます」(皇室担当記者)兄弟が胸襟を開いて協力する姿を見せられれば、美智子さまの「母の不安」も杞憂に終わるはずだ。
2019年04月19日「4月30日まで、天皇皇后両陛下は多忙な日々を送られます。今月18日には三重県の伊勢神宮を参拝し、退位を報告される『神宮親謁の儀』。23日にも昭和天皇陵を参拝されます。26日に憲政記念館で開かれる『みどりの式典』を終えると、30日の『退位礼正殿の儀』を待たれるのみとなります」(皇室担当記者)お代替わり、そして「令和」の新時代が刻一刻と近づいている。5月1日には皇太子さまが新天皇に即位されるが、宮内庁関係者はこう明かす。「上皇・上皇后となられる両陛下は、ご家族の誕生日や結婚記念日以外では、皇太子さまや秋篠宮さまとお会いになることはほとんどなくなると思います。新天皇となられる皇太子さまはご即位後、自らの責任で判断を下さなければなりません。陛下にご意見をうかがえば、上皇と新天皇の“二重権威”が問題となる可能性があるからです。毎月1回開かれてきた陛下、皇太子さま、秋篠宮さまの『三者会談』も、4月24日が最後になります」この「三者会談」は、陛下が心臓のバイパス手術を受けられた’12年春から始まった。「この月1回の“頂上会議”は、美智子さまのご提案で始まったものなのです。陛下が象徴天皇としての体験や考えを、皇位の継承に連なる2人のお子さまにお伝えになり、率直な意見が交わされてきました。会談後は昼食会が開かれ、そこには美智子さまも参加されるのが恒例となったのです。何度もお会いになって議論を重ね、天皇陛下の思いが皇太子さまと秋篠宮さまにも共有されました。陛下が’16年8月8日にご退位のお気持ちを表明すると決断された陰にも、この重要な会談があったといえます」(皇室ジャーナリスト)ただ、発案者の美智子さまは、平成とともに「家族会談」にも終止符が打たれることに少なからず不安を抱かれていたという。「美智子さまは、皇太子さまと秋篠宮さまの間で、意思の疎通が図れなくなっていくことを心配されていました。現在の皇室は、天皇陛下のご長男である皇太子さまが、皇位継承順位第1位という構図です。しかし令和の皇室は、兄の皇太子さまが新天皇に、弟の秋篠宮さまが皇嗣となられます。親子ではなく兄弟が支え合っていくという、これまでとは異なる関係になるのです」さらに、皇嗣家には皇位継承順位2位の悠仁さまもいらっしゃる。「“将来の天皇”である悠仁さまが成長されるにつれ、その父である秋篠宮さまの存在感が大きくなっていくことも予想されます。真面目で慎重な皇太子さまと、活発で率直な秋篠宮さま――。ご兄弟の正反対な性格を誰よりもご存じの“母”美智子さまだからこそ今後の“兄弟確執”を不安に思われていたのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
2019年04月18日新元号「令和」も決定し、天皇陛下が退位される4月30日まで2週間あまりとなった。退位後の約1年半は品川区の高輪皇族邸に仮住まいされることになっている。高輪皇族邸は’73年に高松宮邸として建てられた。鉄筋コンクリート造りの地下1階、地上1階建て。高松宮妃喜久子さまが’04年に亡くなられるまで住まわれていたが、その後は空き家になっていた。「仮住まいの期間に、現在は皇太子ご夫妻がお住まいになっている赤坂御用地の東宮御所が改修されます。両陛下は’20年末までにその東宮御所に引っ越しされる予定です。改修後の東宮御所は、退位した天皇の住居として『仙洞御所』と改称されます」(宮内庁関係者)高輪皇族邸では改修工事が進むが、両陛下は「リフォームは最小限に」と希望されていた。「両陛下はできるだけ現状のままお住まいになりたいとおっしゃったそうです。国民の負担を極力少なくしたいというお考えなのでしょう。計画されていた運動場や陛下の魚類研究施設も、両陛下のご意向で取りやめになりました」(皇室ジャーナリスト・山下晋司さん)両陛下は引っ越されてから、運動のために皇居の多目的ホールに通われる予定だという。高輪皇族邸は高いビルに囲まれた土地なので、目隠しのための植林が進められている。ほかに邸内の空調設備の取り換えや屋根の防水などが主な改修工事だ。当初約8億4千万円だった予算は、5億円台半ばまで縮小された。「ご退位までお忙しい日々が続きますが、両陛下はお時間を見つけられては私物を確認されているそうです」(宮内庁関係者)皇居からのお引っ越しは大規模なものになるようだ。両陛下の前回のお引っ越しは’93年12月。赤坂御所(現在の東宮御所)から吹上御苑に新築された御所に移り住まれたが、その際に運び出された荷物は2トントラック延べ約100台分。引っ越し全体の予算は約4千万円だった。「陛下のご研究関係の資料や両陛下の蔵書、ご家族の思い出の品など、かなりの量になるはずです。最終的なお住まいとなる現在の東宮御所に倉庫が新設されます。そちらに直接運び込むもの、仮住まいの高輪皇族邸に運び込むもの、この仕分けなどもされているでしょう」(山下さん)
2019年04月13日