初詣に行くと長蛇の列、後ろの人が気になってゆっくりお参りできなかった……そんな経験はありませんか。「1年の締めくくりは、神さまにゆっくり感謝したい」そんな方にぴったりなのが「年末詣」です!年末詣は、1年の感謝を込めて、年末に神社へとお参りする風習。初詣のように混雑していない時期なので家族で行くのもおすすめです!今回は年末詣にぴったりの神社をご紹介します。ご利益のある年末詣ってご存じですか?「年末詣」という言葉をご存じでしょうか?お正月、神社へ初詣に行くのは定着した習慣ですよね。年末詣は1年の締めくくりに無事過ごせたことを神さまに感謝する行事です。初詣よりも年末詣の方が願い事が叶いやすいと言われることも。旧暦では冬至の前後が元旦だったので、この時期の前後に参拝することが昔の初詣にあたるからだそう。もともと日本の暦は二十四節気で区切られており、諸説ありますがこの節目の時期にあたる冬至には神さまのエネルギーも強くなるといわれてるんです。人の多い初詣より、比較的空いている場合が多いので迷子にならず家族で行きやすいのも特徴です。今年の感謝は今年のうちに!年末詣にオススメの神社をご紹介します。【京都】気品あふれる境内〔平安神宮〕1年の締めくくりを祈るなら古都、京都はいかがでしょうか?静かで伝統ある雰囲気が京都らしい〔平安神宮〕をご紹介します。落ち着いた雰囲気の神社内には桓武天皇と孝明天皇が主祭神として祀られています。また併設された日本庭園〔平安神宮神苑〕は国の名勝にも指定されている素晴らしい庭園です。〔平安神宮〕の周辺は文化施設の集まるエリアになっており、美術館や動物園があるのも見どころ。家族で年末詣をした後は古都の文化に触れてみるのもおすすめです!【島根】かわいいうさぎがいっぱい!〔出雲大社〕神話の宝庫として有名な島根県。「いなばのしろうさぎ」でも有名な〔出雲大社〕は主祭神として大国主大神を祀っています。普通の神社とは違い、二拝"四拍手"一拝の作法で拝礼するのがポイント。初詣の人が殺到する時期と違い、年末に訪れることで静かに、神々の存在を感じながら参拝できます。境内には「いなばのしろうさぎ」のモチーフであるうさぎの石像がたくさんあります!あらかじめ神話を予習したり、石像と写真を撮ったりすると参拝の楽しみが増えますよ。【大阪】海の守り神〔住吉大社〕大阪の守り神として有名な〔住吉大社〕。主祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后です。境内には願い事が叶うか否かを占う「おもかる石」や童話で有名な「一寸法師のお椀」などがあります。またお守りの種類も豊富です。災難除けや病気平癒、子どもの成長祈願や学力向上。そして、海の神さまを祀る神社らしく水難除守やルアー型の釣人守護、大漁祈願のお守りがあるのも特徴です。新しい年への願掛けに家族それぞれの願い事に合わせたお守りを授かるのもいいですね。新しい年に向けて、家族みんなの幸せを祈願厄除け、健康、金運、学業など……新しい年に向けて家族の願い事はいろいろあると思います。ぜひ年末の静かな時期に年末詣をして、神さまに祈願してみてください。神社のルーツや祀っている神さまについて調べていくと、より心のこもった参拝が行えます。家族みんなで神社の起源について調べたり、神さまの話をしてみるのも心やすらぐ時間になるかもしれません。年末詣は初詣と違って人が少ないので神さまも耳を傾けやすいとも言われているそうですよ。新年にむけてぜひ年末詣に行ってみましょう。※掲載している情報は2019年12月時点の内容です。〔楽天トラベル〕でお得な宿泊先をもっと見る!
2019年12月09日小雨が降るなか、傘を手にしたグレーのロングドレス姿の雅子さまは、玉砂利が敷かれた明治天皇陵の参道をゆっくりと歩まれる。そして木立に囲まれた天皇陵の前へ。雅子さまは玉串を供えて深々と礼拝された――。天皇皇后両陛下は、11月26日から28日にかけて奈良県と京都府を訪問された。神武天皇陵と孝明天皇陵、明治天皇陵に、即位の礼と大嘗祭を終えたことを報告する「親謁の儀」に臨まれたのだ。「本当に両陛下とも、にこやかでいらっしゃいました。皇后さまは、ご結婚されたころにお会いした印象と比べても、いまのお立場にふさわしい雰囲気を感じました」そう語るのは、藤原俊成・定家を祖とする冷泉家25代目当主夫人・冷泉貴実子さん。「公家の末裔の方々と一緒に、京都御所で両陛下をお出迎え、お見送りいたしました。主人(当主の為人さん)が『皇后陛下はいつも笑顔で、国民もたいへん喜んでいます』とお伝えすると、うなずいてくださいました」沿道には大勢の市民がつめかけた奈良・京都ご訪問だったが、これに先立って25日にも注目を集める出来事があった。天皇陛下とローマ教皇フランシスコの会談が実現したのだ。ローマ教皇の来日は、ヨハネ・パウロ2世以来、実に38年ぶり。陛下は教皇とどういった会話を交わされたのだろうか。「教皇は最初の挨拶で、幼少のころから日本の天皇家に尊敬の念を抱いていたと話しました。陛下は、教皇が被爆地である広島と長崎を訪れたことに感謝し、『人々の幸福と世界の平和のために精力的に活動されていることに深い敬意を表します』とお伝えになりました」(宮内庁関係者)さらに陛下がライフワークの水問題について話題にされると、教皇は強い関心を示し、こう答えた。「水問題については、次の戦争は水を巡る戦争であるともいわれています。重要なことは人々が環境問題に強い問題意識をもつこと」「若い人たちも施政者たちも、ともに行動する必要があります」約20分という限られた時間で、心を通じ合わせた天皇陛下と教皇。しかし、雅子さまはなぜ同席されなかったのだろうか?「あくまで儀礼上のルールにのっとった決定です。賓客に配偶者がいない場合、天皇陛下は原則として一対一でお会いになります。ただ、雅子さまは以前から難民問題や環境問題に非常に強い関心をお持ちでした。ローマ教皇とお会いになれば、きっと意気投合されたはずです」(前出・宮内庁関係者)雅子さまは、昨年の誕生日にあたっての文書でも《内戦や紛争の影響が、特に子供をはじめとする弱い立場の人々に大きく及んでいる現状を深く憂慮しております》と、世界の子供の人権問題に言及。さらに《地球温暖化や環境汚染など、国際社会が一致して取り組む必要のある課題が多岐にわたっています》と、環境問題への対応を強く訴えられていた。これらの問題意識は、フランシスコ教皇の活動ともぴったりと重なるのだ。今回の訪問にあたっての面会はかなわなかった。しかし、教皇からは雅子さまへの熱烈な“ラブコール”があったという。「天皇陛下は、’84年にバチカンを訪問され、ヨハネ・パウロ2世と面会した思い出を語られました。すると教皇は『私は3年ほど前、バチカンに秋篠宮ご夫妻をお迎えいたしました。次回は両陛下をお迎えできれば光栄です』と、両陛下をバチカンに招きたいとの意向を示したのです」さらに教皇は「皇后陛下にもよろしくお伝えください」と、会見の終わりと、南車寄せでの挨拶の2回にわたって雅子さまへのメッセージを託されたという。皇室ジャーナリストは、こうした気づかいに教皇の雅子さまへの思いが表れていると語る。「フランシスコ教皇は、雅子さまが長年にわたり適応障害に苦しまれてきたことも当然知っています。むしろ、そういったつらい経験をされた雅子さまだからこそ、世界中の人々に“勇気と希望”を届けられる――。教皇は、そういった思いで、雅子さまとのバチカンでの会見を希望したのでしょう」
2019年12月06日グレーのロングドレスをお召しになった美智子さまが、手すりを頼りに、明治天皇陵への階段を一段一段、慎重な足取りで上られていく――。上皇ご夫妻は、6月11日から2泊3日の日程で京都を訪問された。孝明天皇陵と明治天皇陵に退位の報告をされ、平成の御代から続けられていた上皇陛下の退位に伴う儀式をすべて終えられたのだ。「12日の午前に参拝された孝明天皇陵では、女性皇宮護衛官の腕におつかまりになって、約120mの長い坂道をゆっくりと上られました。今回ばかりは美智子さまのご様子が心配でなりませんでした」(皇室担当記者)美智子さまは京都ご訪問直前の8日、心臓の検査をお受けになっていた。宮内庁は、血液の一部が逆流する中等度の三尖弁逆流症、軽度の僧帽弁逆流症および不整脈の所見が認められると発表。心臓への負荷の増大が疑われるものの、すぐに手術はせずに経過観察をしていくという方針を示した。昭和大学横浜市北部病院循環器センターの南淵明宏教授は言う。「経過観察というのは単に放置するわけではありません。症状を見ながら検査を重ねて、慎重にデータを比較していきます。手術による身体への負担は考慮しなければなりませんが、80歳以上でも心臓の大手術を受ける方はいらっしゃいます。高齢を理由に手術ができないということは決してないのですが……」16日、美智子さまは都内の病院で右目の白内障手術を受けられた。23日には左目の手術を受けられる。医師は「もう少し遅れれば難しい手術になった」と話していたという。退位を控えた時期に両眼の手術を行うとなると、3週間はご公務を離れなければならない。しばらくは外出の際には濃いサングラスのご着用が必要になる。そのため日程が確保できず、手術も、そして病名の公表も、上皇陛下のご退位後まで延期されていたのだ。上皇陛下のご退位から1カ月がたち、次々と明かされた美智子さまのお体の異変。ただ、美智子さまが心臓に異変を感じられたのは今回が初めてではない。’15年6月、美智子さまは1日に何度も重く、ずんと来るような胸の痛みがあると訴えられた。検査をすると、心臓の冠動脈に比較的軽度の狭窄が明らかになったのだ。このときも宮内庁は「心身に強いストレスを与えることがないような配慮が望まれる」としたうえで、手術はせずに経過観察を続ける方針をとった。4年前に判明した冠動脈の狭窄は、新たに発表された疾患にも影響していたのだろうか――。今回のご病状である「三尖弁逆流症」について、前出の南淵教授はこう解説する。「一般的に三尖弁逆流症は、ほかの心疾患が原因になっています。何らかの原因で右心室の容積が拡大して弁が引き延ばされ、その機能が低下し、逆流が起こるのです。三尖弁逆流症と冠動脈の狭窄に関連性がある場合もあります。冠動脈の狭窄は治療をしなければ自然に治るということはありませんから、むしろ三尖弁逆流症よりこちらに着目すべきでしょう。冠動脈の狭窄が進むと狭心症や心筋梗塞を引き起こします。心臓が止まり、死に至る危険性もあるのです」美智子さまは深刻なリスクを抱えながら、満身創痍で4年間を過ごされてきた。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは言う。「高齢のお体にメスを入れると、傷の回復やリハビリに長期間かかってしまいます。美智子さまは60年前のご成婚当時から、命がけで陛下をお支えするという強いお気持ちを抱いていらっしゃいました。最後のお務めを果たすまでは……と、かなり我慢をされていたのだと思います」
2019年06月19日赤地に菊の紋章があしらわれた「上皇旗」を翻して、上皇陛下と美智子さまを乗せた車が東京都八王子市の大正天皇陵へ向かった。6月6日、退位後1カ月以上が経過し、初めてご公務でお出ましになったご夫妻を一目見ようと、沿道には多くの人が集まった。車内の美智子さまは、皇后時代と変わらぬやさしいご表情で、沿道の一人ひとりにお気持ちを届けるように手を振られていた。この日、天皇陵などを参拝して上皇陛下の退位を奉告する「親謁の儀」に臨まれた上皇ご夫妻。さらに6月11~13日の日程で京都に足を運ばれ、孝明天皇陵、明治天皇陵を参拝し、ご退位に伴う一連の儀式をすべて終えられる。「ご多忙を極めた在位中には都合がつかず、退位後に持ち越された“最後のご公務”です。これ以降のお出かけは、基本的にはすべて私的行事となりますので、ご予定が公表されるのか、取材の設定がされるのか、今のところまったく決まっていません」(皇室担当記者)御代替わり後、新皇后である雅子さまに大きな注目が集まっている。皇室担当記者は、その陰に美智子さまのご配慮を感じると話す。「上皇ご夫妻はご退位後、マスコミの前にお出ましになる機会を減らし、そのぶん天皇皇后両陛下にスポットライトが当たるようにされているのではないでしょうか。特に美智子さまは、雅子さまがご自分と比べられないように、気を使われているようです」実は上皇ご夫妻は、あるご予定を直前になって中止されていたのだ。「葉山へのご静養が、突然取りやめになってしまったのです」と語るのは葉山御用邸近くの地元住民。「5月10日ごろからの予定だったと思いますが、上皇陛下と美智子さまが葉山にいらっしゃるというので地元の者はたいへん楽しみにお待ちしていたのです。私自身もお会いできることを心待ちにしていました。ところが、直前になってご静養はお取りやめになったのです。理由がわからないために、どうされたのかとみんな心配しています」上皇ご夫妻は5月5日のこどもの日に、港区の「東京ローンテニスクラブ」を訪問されている。皇室ジャーナリストが言う。「宮内庁の発表もない私的なご訪問だったのですが、ご退位後初めての外出に取材が殺到し、大々的に報道されてしまいました。そのすぐ後に予定されていたご静養でしたので、この状況ではまた大騒ぎになってしまうと心配されたお二人が葉山行きをキャンセルされたと聞いています。上皇ご夫妻はこれまで、葉山の自然の中を散策されたり、ご友人宅をお訪ねになったりしていました。それらが報じられるのを避けるためには、ご静養自体を取りやめるしかなかったのでしょう」宮内庁によると、上皇陛下と美智子さまはこれまでどおり早朝の散策を欠かさず、健康維持に努められているという。しかし、美智子さまは今年に入ってから散策後に息が切れる症状が目立つようになり、6月8日に宮内庁病院で心臓の検査をお受けになった。これからは、もう目立たない――。令和の皇后となった雅子さまのために「隠棲の決断」をされた美智子さま。その姿をお目にかかれる機会は、今後ますます減っていくのだろうか。「ただ、上皇陛下も美智子さまも、国民にお元気な姿を伝えることは大切だとお考えです。月1回ほどは、コンサートなどにお出かけになる上皇ご夫妻のお姿を拝見することができると思います」(前出・皇室担当記者)
2019年06月12日「5月10日に、美智子さまは宮内庁病院を訪れ、首のレントゲン写真を撮られていたのです。持病の再発が疑われたので、緊急検査となったようです」(宮内庁関係者)3月から4月にかけて上皇ご夫妻は、通常のご公務に加えて退位に向けた行事が目白押しで、ギリギリまで心身を酷使されてそれらに臨まれていた。「美智子さまはどのような公務に際しても、また人々にお手振りされるときでも、避難所をお見舞いされるときも、背筋を伸ばされて姿勢を保たれています。人目につかないところで椅子に座られても、背もたれに寄り掛かるようなことはありません。ただ、そのお心がけが持病の『頸椎症性神経根症』を悪化させてしまうこともあったようなのです」(前出・宮内庁関係者)宮内庁は上皇ご夫妻が「お引っ越しへ向けて、身近な物から整理を始められている」と公表したが、前出の宮内庁関係者は、引っ越しの準備が「気の遠くなるような作業」なのだと明かす。「退位の当日まで上皇ご夫妻は“全身全霊”で公務に臨まれました。引っ越しの準備ができる余裕などまったくなかったのです。プライベートな品々に関しては職員が手を付けるわけにもいきません。長女の黒田清子さんにもお手伝いしていただくようですが、まだ仕分けが始まったばかりで、遅々として進んでいません。荷造りはだいぶ先になりそうです」’93年に赤坂御所から吹上御苑に新築された御所(現在の吹上仙洞御所)に移り住まれたときは、荷物が2トントラック延べ100台分にも及んだ。「ご家族の思い出の品は前回より増えているはずです。陛下の魚類の研究資料も大量にあります。絵本、児童書はもちろん、退位後に読んでみたいとおっしゃった探偵小説など、美智子さまの蔵書だけでも膨大な量ですので、整理はとても大変だと思います」(前出・宮内庁関係者)新居となる仙洞仮御所の改修工事は3月末に完了しており、引っ越しの作業を始められる状態だ。しかし、上皇ご夫妻にはまだなさらなければならないことがある。「近いうちに、退位の報告のために京都の孝明天皇陵・明治天皇陵へ参拝することが決まっています。その前には東京都八王子市にある大正天皇陵にも参拝しなくてはならないのです」(前出・宮内庁関係者)ご結婚以来60年にわたり、全身全霊で公務に臨まれてきた美智子さまの“後遺症”が軽度で済むことを切に祈るばかりだ――。
2019年05月24日東京都目黒区下目黒の目黒雅叙園で、九州全県から時代雛が集まる「百段雛まつり~九州ひな紀行~」が開催される。開催日は2014年1月24日~3月3日、10時~18時(最終入館17時30分)。入場料は1,500円(前売券1,200円、学生800円、小学生以下無料)。○松平定信の娘、蓁(しん)姫の古今雛も展示同イベントは、日本各地の時代雛が目黒の地に集結する企画で今回で5回目。文化財「百段階段」を舞台に、九州全県(福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島)に息づく雛文化が一堂に会する。展示される雛人形は、九州の諸大名・天皇家ゆかりの名品をはじめ、庶民に愛された信仰雛など、約1,000点におよぶ。平戸藩主松浦家に嫁いだ、松平定信の娘、蓁(しん)姫の古今雛や、熊本八代城主・松井家ゆかりの雛と雛道具、明治天皇の后(のちの昭憲皇太后)ゆかりの檜扇(ひおうぎ)や、孝明天皇から下賜された十二支の御所人形など、天皇家ゆかりの品々も登場。さらに、庶民が育んだ郷土玩具のお雛さまや、伝統工芸品の博多人形、有田焼で作られたお雛さまなど、九州の歴史・文化の厚みを物語る貴重な品々も展示される。
2013年11月25日綾瀬はるか主演による来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の新たなキャストが7月19日(木)に発表。物語の重要な舞台となる福島県出身の秋吉久美子、芦名星、白羽ゆりのほか、「利家とまつ」以来の大河となる反町隆史、小泉孝太郎、村上弘明、生瀬勝久、小堺一機、加藤雅也、吉川晃司が出演することが明らかになり、綾瀬さんと共に記者会見に臨んだ。幕末の戊辰戦争で“賊軍”である会津出身であり、同志社を創設した新島襄の妻となった新島八重。男尊女卑の社会風潮の中を「天下の悪妻」と呼ばれながらも生き生きと時代を駆け抜けた彼女の生涯を描く。6歳から18歳までを福島で過ごした秋吉さんは、女でありながらも八重らと共に会津戦争を戦い抜く山川艶を演じるが「『福島の人はこうなんだよ』ということ、そしてそれは日本全体と同じなんだということを前向きに伝えたい」と意気込みを明かす。反町さんは会津とは対立する薩摩の人間で、会津戦争では八重の銃弾を受けたとも言われる大山巌を演じる。久々の大河となるが「台本が感動できる内容だったので、台本、そして素晴らしいキャストに負けないように頑張りたい」と気合い十分の様子。小泉さんは、最後の将軍・徳川慶喜役だが、いまで言う総理大臣とも言える武家のトップにのぼりつめた気持ちは?という問いに「身近にトップにのぼりつめた人がいるので聞いてみたい」と父で元首相の小泉純一郎氏を役づくりの参考に?吉川さんが演じるのは西郷隆盛。役柄について聞かないままにオファーを受けたそうで、「そんなムチャぶりあるかよ!って思いました。いろいろ似てないところがあるので…」と現代に伝わる西郷像とのギャップに困惑気味。「どうすればいいかみなさん教えてください、というのが本音」と苦笑を浮かべていた。加藤さんは土佐藩士で明治以降は自由民権運動を指揮する板垣退助を演じるが、物語で描かれる時代について「絶対に崩れないという神話が崩れた時代」と現代との相似を指摘。「そういう時代を生きなくてはならなかった人を演じることは意味があることだと感じています」と静かながら意気込みを感じさせた。白羽さんは秋吉さん演じる艶の娘・登勢、芦名さんも艶や登勢と同様に八重と共に会津戦争を戦う雪子を演じるほか、生瀬さんは勝海舟、小堺さんは岩倉具視、村上さんは“幕末の賢侯”と称された松平春嶽に扮する。また、この日の会見には出席しなかったが、市川染五郎が孝明天皇役を、貫地谷しほりが八重の幼なじみの高木時尾を、その夫で元新撰組の斎藤一を降谷建志(Dragon Ash)が演じることも新たに発表された。NHK大河ドラマ「八重の桜」は8月末よりロケ撮影が開始される予定。■関連作品:リアル~完全なる首長竜の日~ 2013年初夏、全国東宝系にて公開映画 ひみつのアッコちゃん 2012年9月1日より全国にて公開© 赤塚不二夫/2012「映画 ひみつのアッコちゃん」製作委員会
2012年07月19日