初詣での混雑を避けるため、年内に参拝する「師走詣で」。2020年の干支は子(ねずみ)のため、ねずみにゆかりのある神社をお参りするのも運気アップに効果的だという。京都を中心に年間100件以上の神社ツアーでガイドを務める神社探究家の浜田浩太郎さんに、注目の「子神社」を解説してもらった。■ねずみは縁起のいい生き物?古来より干支のねずみは、五穀豊穣や商売繁盛の神で、多産であることから子孫繁栄を願う縁起のいい生き物です。火事や天変地異が起こる前に、安全なところへ移動する習性から、中国では「未来を知る神獣」としても崇められています。お伽噺「おむすびころりん」にもねずみが登場しますが、働き者のやさしいおじいさんとおばあさんには財宝を与えたことから、お金をもたらす財力の象徴とも言われています。■そもそも、ねずみにゆかりのある神社とは?ねずみにゆかりのある神社は、実は全国的には少ないんですよ。ねずみと関連する神様は、因幡の白兎で有名な大国主命(オオクニヌシノミコト)です。大国主命は須佐之男命(スサノオノミコト)の娘を娶るために、3つの試練を与えられますが、2つの試練をクリアして、「野に放たれた鏑矢をとってくる」という最後の試練に挑んだ時、ねずみが現れ、洞穴に逃げるよう伝えてくれます。さらに、ねずみは鏑矢も探してきてくれたのです。そうした縁から、大国主命の像にねずみがよくみられるようになりました。大国主命をお祭りしている神社として、以下の6カ所をピックアップします。【日光二荒山神社】栃木県日光市二荒山(男体山)を御神体とし、古来より修験道の霊場として崇敬されてきた由緒ある神社。東照宮、輪王寺とともに、境内は「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。二荒山神社の主祭神・大己貴命(オオナムチノミコト)は大国主命の別名。子年の今年は境内に黄金に輝く“開運のねずみ像”が設置されている。【駒繁神社】東京都世田谷区1056年に前九年の役に出征する源頼義・義家父子が、この神社で祭られている「子の神=大国主命」に武運を祈ったとされている。奥州合戦に出征する源頼朝が、先祖の戦勝祈願を思い出し、愛馬(駒)を松に繋いで参拝したところから、駒繁神社と呼ばれるようになった。【気多大社】石川県羽昨市能登半島の付け根、日本海に面して鎮座する北陸の大社。祭神は大己貴命(=大国主命)で、出雲から船で能登に入り、国土を開拓して、守護神としてこの地に鎮まったと伝わる。中世・近世の間は歴代領主から手厚い保護を受けた。国の天然記念物の社叢(鎮守の森)「入らずの森」でも知られている。【大豊神社】京都市左京区平安時代初期に宇多天皇の病気平癒を祈って、藤原淑子が創建したと伝えられている。祭神として祭られている大国主命を守護するように、希少な“狛ねずみ”が2体鎮座している。1体は学問を象徴する巻物を持ち、もう1体は長寿を象徴する水玉を抱えている。【出雲大社】島根県出雲市日本神話などで創建の伝承が語られるほど由緒のある大社。祭神は大国主命。神有月(神無月=10月)には全国から八百万の神が集まり、神議が行われるとされる。縁結びの神・福の神としても名高く人気で、全国から参拝者が訪れる。ここでは多くの神社での作法・二拝二拍手一拝ではなく、二拝四拍手一拝で拝礼する。【大国主神社】大阪市浪速区敷津松之宮とも言われ、地元では「木津の大国さん」とも呼ばれ親しまれている。付近の町名(浪速区大国町)や駅名(大黒町駅)の由来にもなっている。主祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と大国主命。打ち出の小槌と米俵を持った希少な“狛ねずみ”が2体鎮座している。“3密”を避けるためにも、縁起のいい生き物であるねずみの開運パワーにあやかるためにも、「師走詣で」に出かけてみては?
2020年12月21日楽しいお正月を過ごし、新年気分を味わった1月がまもなく終わり、2月を迎えようという頃。この時期に気になり始めるのは、2月3日、節分の豆まきのことではないでしょうか。もうすぐやってくる“怖~い鬼さん”に戦々恐々としているお子さんもいるかもしれませんね。節分には、「鬼は外、福は内」と言いながら家族で豆をまく。そんなご家庭は多いと思います。そこで今回のコラムでは、節分の由来が学べて、豆まきが待ち遠しくなる絵本をピックアップ!親御さんのための「節分の基礎知識」もご紹介しますよ。節分の由来がわかる絵本『おにはそと!ふくはうち!』いもとようこ 文・絵中央鬼のお嫁さんにされてしまったおふくは、菜の花をたよりに村へ逃げ帰ります。追いかけてきた鬼に、おふくの母親は炒り豆をぶつけて「この豆から花が咲いたらおふくを返す」と言いました。鬼は今日も、花が咲くのを待っています。【広報担当より】子どもといっしょに、豆まきのお話が楽しめます。怖い鬼も、いもとようこさんの優しい貼り絵になると、ユーモラスで可愛らしささえ感じます。各シーンの鬼の表情も、じっくりお楽しみください。そもそも「節分」って何?知っておきたい「節分の基礎知識」2月3日の節分は、立春の前日。本来、「季節を分ける」ことを意味する節分は1年に4回あるのですが、新しい年が始まる立春の前日の節分が古くから重視されてきました。今の暦で言う2月3日は、旧暦で言うとだいたい大晦日。節分の風習は、新しい年を無病息災で迎えられるよう邪気を払うためのものとして、今日にまで受け継がれています。節分の風習の起源は、疫病をもたらす悪い鬼を追い払う「追儺」(ついな)という儀式。平安時代ごろから宮廷行事として、旧暦の大晦日に行なわれていました。では、節分に「炒った豆をまく」のはなぜなのでしょう。平安文学が専門の同志社女子大学・吉海直人教授が、次のように解説しています。現在のように豆撒きが行われるようになったのは、宇多天皇(※)の時代とされています。鞍馬山の鬼が都に出没した時、鬼の目(魔目)に豆を投げつけて退治した故事に由来するとのことです。最初は「豆撒き」ではなく「豆打ち」でした。(中略)そもそも何故豆を撒くのかというと、語呂合わせで「豆」が「魔を滅する」ものだからです。なお撒いた豆から芽が出るのは縁起が悪いとされているため、必ず炒った豆を使うことになっています。(引用元:同志社女子大学|教員によるコラム 「節分」について)※宇多天皇……平安時代の天皇(在位887年~897年)。太字は引用にあたり施したまた、豆は子孫繁栄にご利益がある、豆に宿る穀物の力には鬼を退治するパワーがある、などとして信じられているとも言われるそう。節分に行なう習慣としては、豆まきのほかにも、「豆を年齢の数だけ(あるいは1つ足して)食べる」「ヒイラギの枝に焼いたイワシの頭を刺したものを玄関などに飾る」「縁起のよい方角を向いて恵方巻にかぶりつく」といったものがありますよね。これらはどれも、旧年への感謝を表したり、新年を健康に無事に過ごせるよう祈ったりするための儀式です。このことを心に留め、子どもと一緒に、節分の習慣をより大事にしたいですね。節分が楽しみになる、3冊の絵本をご紹介節分の豆まきの起源を歴史的に遡ってきましたが、子どもにこれをそのまま説明しても分かりにくいでしょう。「節分では『泣き虫鬼』や『ヤダヤダ鬼』を追い払おうね」と言うのはよくある方法ですが、絵本を使ってみるのもいいですよ。いくつかある“節分の由来にまつわる物語”のひとつが、冒頭でご紹介した『おにはそと!ふくはうち!』です。さらに、次にご紹介するような絵本を読み聞かせて、節分の習わしに親しんだり、「鬼」というものについてお子さんと一緒に考えてみたりしてはいかがでしょうか。『おにはそと』せなけいこ 作・絵豆まきで鬼たちは逃げだしますが、残された可愛いちび鬼は人間の子どもたちと仲良く遊びます。鬼の親分がちび鬼を連れ戻しに、よろいを着て来ますが、豆まきに降参。親分はちび鬼のお父さんでした。心が和む楽しい絵本。【広報担当より】オバケがお得意な、せなけいこさん。本作はめずらしく“おに”です!「おにさんこちら、てのなるほうへ」……オニのちびちゃんと人間の子どもたちの楽しそうなこと。幼稚園や保育園の読み聞かせにも、ぴったりです。『ないた赤おに』浜田廣介 作/いもとようこ 絵人間と仲良くしたい赤おにのために、自ら悪役を買ってでる青おに。青おにのおかげでたくさんの友だちを得た赤おにでしたが、青おにがどうなったのか気になって訪ねてみると……。友情の美しさと孤独の哀しみを描いた童話の傑作。最後の「アカオニクンニンゲンタチトハドコマデモナカヨクマジメニツキアッテタノシククラシテイッテクダサイ。ボクハシバラクキミニハオメニカカリマセン。」で始まる青おにの言葉!この青おにの言葉は、友だちのすばらしい愛と勇気がいっぱい、いっぱいです。「ドコマデモキミノトモダチアオオニ」と書いているところは、なんという深い深い愛の言葉でしょう。何度読んでも感激がうすれることはありません。(いもとようこさんより)『オニたいじ』森 絵都 作/竹内 通雅 絵直木賞作家・森絵都さん&竹内通雅さんによるユーモア絵本。小さなまめたちの大きな冒険!~みんなの幸せを祈って まめたちはきょうも行く~節分の日の豆まき。今年の豆たちは、オニのお面をつけたおじさんではなくて、世界にいる本物のオニを退治したいと考えた。豆たちは、自転車泥棒、銀行強盗、密猟者、地球の侵略者を撃退。痛快で楽しいオニ退治の絵本。【広報担当より】豆まきの本は数あれど、たいがい主役はオニ。このお話は、なんと「豆」が主役という斬新さ。竹内通雅さんのカラフルで迫力ある絵と、森絵都さんの壮大な宇宙規模!?のストーリーがクセになります。***豆まきの由来が学べて、節分を様々な角度から楽しめる絵本をご紹介しました。ぜひこの機会に、親子で一緒に節分を味わい尽くしてくださいね。(参考)同志社女子大学|教員によるコラム 「節分」についていこーよ|節分の意味って?子どもに教えたい豆まきの由来ヨミドクター|豆まき楽しい思い出にNIKKEI STYLE|日本人はなぜ豆を投げるのか「節分」民俗学
2019年01月28日門跡寺院として栄え、応仁の乱で焼失した「仁和寺」光孝天皇の発願によって創建され、次代の宇多天皇が意思を引き継ぎ完成した「仁和寺」は、当時の元号「仁和」から命名されました。皇室出身者が住職を務める門跡寺院として平安~鎌倉期にかけて隆盛し、その後応仁の乱で焼失するも1646年に再建が完了したという歴史があります。近年では1994年には古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録された、格式高い寺院です。威風堂々とした二王像が圧巻の「二王門」金閣寺から仁和寺までの寺院や、名勝を巡る観光ルートとして知られる「きぬかけの路」から望む豪壮な雰囲気の二王門は、京都の三大門のひとつにも数えられており、「仁和寺」境内への入口でもあります。重々しく左右に立つ金剛力士像は圧巻の存在感で人々を迎え、重厚なつくりの門は重要文化財にも指定されています。「仁和寺」へ訪れたら、まずはその壮麗な佇まいを余すことなく堪能しましょう。天高くそびえ立つ京都のシンボル「五重塔」京都と聞いて五重塔を思い浮かべる人も多いと思いますが、京都市内に現存する五重塔は4基ほど。「仁和寺」にはそのひとつがあり、遅咲きで知られる御室桜と共に、寺院のシンボルとなっています。二王門と同様に重要文化財になっているこの塔は、御室桜の咲く時期には桜の木々越しに、まるで桜の雲海の上に浮かんでいるように見え、その秀美な姿に魅了されるでしょう。天高く伸びるその姿は「仁和寺」を語る上で欠かせない存在です。「仁和寺」には二王門、五重塔の他にも国宝の「金堂」など数々の重要文化財が多く集まっています。桜や紅葉の名所としても知られ、境内は時期ごとに四季折々の風景が楽しめます。京都へ足を運ぶ際には、ぜひ世界遺産「仁和寺」に訪れてみてください。スポット情報スポット名:仁和寺住所:京都府京都市右京区御室大内33電話番号:075-461-1155
2017年07月19日1月25~29日は「沢水腹堅める(さわみずこおりつめる)」。沢の水さえ凍ってしまうような、まさに絶頂の寒さを迎える時季です。ところで、1月25日は「初天神」の日。学問の神様・菅原道真公を祀る、全国の天満宮の縁日です。道真公は6月25日に生まれ、2月25日に亡くなられたことから、毎月25日は「天神さんの日」と呼ばれています。なかでも1月は新年最初の天神さんの縁日ということで、受験生をはじめ、多くの参拝客が訪れるんですよ。年明けから3月までの受験シーズン、受験生にとってはまさに凍りつくような緊張の時季かも知れませんが、天満宮の御利益は学問だけではありません!今回は、天満宮のもうひとつのすばらしいご利益をご紹介しましょう。七十二候とは?時間に追われて生きることに疲れたら、ひと休みしませんか?流れゆく季節の「気配」や「きざし」を感じて、自然とつながりましょう。自然はすべての人に贈られた「宝物」。季節を感じる暮らしは、あなたの心を癒し、元気にしてくれるでしょう。季節は「春夏秋冬」の4つだけではありません。日本には旧暦で72もの豊かな季節があります。およそ15日ごとに「立夏(りっか)」「小満(しょうまん)」と、季節の名前がつけられた「二十四節気」。それをさらに5日ごとに区切ったのが「七十二候」です。「蛙始めて鳴く(かえるはじめてなく)」「蚯蚓出ずる(みみずいずる)」……七十二候の呼び名は、まるでひと言で書かれた日記のよう。そこに込められた思いに耳を澄ませてみると、聴こえてくるさまざまな声がありますよ。菅原道真公ってどんな人?まずは、人間から神様となられた菅原道真公の人生をご紹介しましょう。学問の名家に生まれた道真公は、幼少の頃より文章・詩歌に優れ、“平安朝きっての秀才”と謳われていました。宇多天皇の代にはその才を見込まれ、右大臣(今でいう副総理)にまで出世。ですがその才能を恐れた他の公家たちにより、無実の罪に問われ、都から遠く離れた九州太宰府に左遷されたのです。道真公は太宰府の地で身の潔白を訴えながら、59歳で亡くなりました。ところが道真公の死後、敵対関係にあった公家や、それに加担した者たちが次々と怪死。さらには御所が落雷に見舞われるなどの大事件もあり、祟りを恐れた朝廷は、道真公の位階を右大臣に戻し、全国に道真公を祀る天満宮を創建しました。こうして、道真公は畏(おそ)れと敬意を込めて「御霊(ごりょう)」と呼ばれ、神様として祀られるようになったのです。誠の道を貫いた「まごころの神様」菅原道真公といえば、やはり「学問の神様」と思っている方が圧倒的に多いでしょう。でも、道真公は「至誠の神」「正直の神」ともいわれているんですよ。京都・北野天満宮の門柱には、道真公が詠まれた歌が飾られています。心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん(心にまごころをもち、誠の道を生きれば、ことさらに祈らなくとも、神は守ってくださるだろう)幼い子どもたちと共に、太宰府の地へ追われた道真公。食べるものにも事欠き、我が子をも喪うという絶望の日々を送ります。しかし、いつかは自分のまごころが伝わり、罪が晴れると信じ、誠の道を貫いたのです。他にも、自分を取り立ててくれた帝への感謝の歌などが数多く残されており、道真公の誠実なお人柄が偲ばれますね。道真公はその生き様から、「冤罪(えんざい)を晴らす神様」とも呼ばれています。日々の生活のなかで、「ひどい」と感じる理不尽な扱いを受けたり、腹立たしいと感じたりすることも、ときにはあるもの。そんなとき、天満宮でお祈りをすれば、逆境に負けず、どんなときもまごころをもって、自分が信じる道をしっかりと生きる力を与えていただけるかもしれません。いかがでしたか?どんなときでも、まごころは大切にしたいもの。至誠の神様、菅原道真公の人生に思いを馳せながら、天満宮へ出かけてみませんか?【参考】『くらしを楽しむ七十二候』広田千悦子/泰文堂、『神社のいろは』/扶桑社
2017年01月24日