歌舞伎座新開場十周年「秀山祭九月大歌舞伎」が、9月2日(土) に東京・歌舞伎座で開幕。その初日レポートが到着した。初世中村吉右衛門の俳名を冠し、その功績を讃える「秀山祭」。今年は二世中村吉右衛門三回忌追善公演として、名優を偲ぶ所縁の演目を上演する。昼の部は、『祇園祭礼信仰記 金閣寺(ぎおんさいれいしんこうき きんかくじ)』から。二世吉右衛門は昭和41(1966)年の吉右衛門襲名披露で東吉を勤めたほか、大膳や正清も勤めてきた時代物の傑作。舞台は春爛漫の京都、金閣寺。天下をもくろむ松永大膳(中村歌六)は、将軍の母・慶寿院尼(中村福助)を幽閉、思いを寄せる雪姫(中村米吉)も我が物にしようと画策している。大膳は「国崩し」と呼ばれるスケールの大きな敵役。初役で勤める大膳について「大きさと色気が必要な役」と語る歌六は、ゆるぎない存在感の中に気品も感じるその姿で空間を支配。やがて颯爽とした二枚目の武将・此下東吉(中村勘九郎)が現れると、才知に富んだ振る舞い、すっきりとしたその姿で人々の心を奪う。物語の後半では、降りしきる桜の中、雪姫が花びらを集め足先で鼠を描きある奇跡を起こす、通称“爪先鼠”と呼ばれる場面もみどころ。歌舞伎の「三姫」と呼ばれる代表的なお姫様でもある雪姫を、中村米吉(2~6日、13~18日出演)と中村児太郎(7~12日、20~25日出演)がダブルキャストで勤める。2日の初日は初役となる米吉が可憐な中にも強い信念を感じる雪姫で観客を魅了し、慶寿院尼を勤める福助も元気な姿を見せた。歌舞伎の様々な役柄が登場し、煌びやかな金閣寺や美しい桜の花、セリを使った演出も楽しい豪華絢爛なひと時となった。続いては、新古演劇十種の内『土蜘(つちぐも)』。能舞台を模した松羽目の舞台で演じられる“松羽目物”の大曲のひとつ。二世中村吉右衛門も得意とした叡山の僧智籌実は土蜘の精を、二世吉右衛門の甥である松本幸四郎が初役で勤める。幕が開くとそこは源頼光(中村又五郎)の館。病に伏せる頼光の見舞いの者たちに続き、忽然と現れたのは智籌と名乗る叡山の僧。音もなく登場するその様子は、実は土蜘の精という不気味さや異様さを際立たせる。さらに数珠を用いた“畜生口の見得”に土蜘の精の本性が垣間見えゾクッとする瞬間も。番卒と巫女との滑稽み溢れる間狂言を挟み、土蜘の本性を現してからの後半の立廻りも圧巻で、勢いよく解き放たれる千筋の蜘蛛の糸はまるで糸一本一本までを操っているかのよう。昨年の「秀山祭九月大歌舞伎」が初舞台となった中村歌昇の長男・中村種太郎、次男・中村秀乃介も出演し、観客も播磨屋の若き俳優たちを笑顔で見守る。「叔父の『土蜘』にすごく憧れていた。怪しさというか、土蜘の精の匂いや色が痛烈に感じられて、怖い分魅力的に感じた。今回は叔父の台本をお借りして、お守り代わりに使わせてもらっています」と公演に先駆け行われた取材会で語った幸四郎は、静けさの中に内から漂う妖しさをまとった智籌から迫力溢れる土蜘の精まで気合十分に勤めあげた。昼の部を締めくくるのは『二條城の清正(にじょうじょうのきよまさ)』。“清正役者”とも呼ばれ様々な作品での清正役で好評を得ていた初代中村吉右衛門が、自分のための“清正もの”を、と懇願し書き下ろされたという本作は、昭和8(1933)年に初代吉右衛門の加藤清正で初演された。初代吉右衛門の当り役を集めた「秀山十種」のひとつでもあり、加藤清正の秀吉への忠義を貫く姿、秀吉の子である秀頼との主従を超えた絆が印象的な新歌舞伎の名作だ。今回は豊臣家滅亡をもくろむ徳川家康との二條城での対面を無事に終えた帰途の船上の様子を描く、「淀川御座船の場」を上演。幕が開くと夜の淀川を下る「御座船」に佇む加藤清正(松本白鸚)の姿が。清正の第一声が劇場の空気を震わすと一瞬にして作品世界に引き込まれる。やがて船上には聡明さと気品溢れる豊臣秀頼(市川染五郎)が登場。清正を演じる松本白鸚は、孫・染五郎の秀頼との二度目となる共演について「大きくなってびっくりしています」と驚きを見せ、秀頼の成長を見守る清正の深い愛情、清正を“爺”と慕う秀頼の様子が、祖父と孫の共演となる白鸚と染五郎の姿にも重なる場面に、観客からはすすり泣く声も。清正の「今宵ばかりは命惜しうなった」と吐露するセリフがより一層心を打つ。白鸚は、芝居の間中一度も引っ込むことなく、終始熱のこもったセリフを披露し、客席からは鳴りやまない大きな拍手が送られた。親子初共演にも注目の夜の部三演目夜の部は、歌舞伎の様式美を凝縮した『菅原伝授手習鑑 車引(すがわらでんじゅてならいかがみ くるまびき)』で幕を開ける。歌舞伎三大名作のひとつである『菅原伝授手習鑑』の三段目にあたる本作。それぞれ異なる主人に奉公する三つ子の兄弟、松王丸、梅王丸、桜丸の三人は主人たちの対立により、今は敵味方に。今回は中村又五郎の松王丸、中村歌昇の梅王丸、中村種之助の桜丸と、親子三人で初めて三兄弟を勤める。幕が開くと、都にある吉田神社の近く。梅王丸と桜丸は主人の無念を晴らそうと、敵である時平が乗る牛車の行く手を阻むと松王丸が止めに入るが……。今回演じる松王丸を、初演時に二世吉右衛門から稽古を受けたと話す又五郎は、「梅王と桜丸を押さえつける大きさがある」と語った通り、松王丸の大きさを見せる。歌昇の梅王丸の勇壮な荒事の演技と、種之助の桜丸の和事味ある柔らかな演技の対比も面白く、藤原時平を勤める中村歌六もどっしりとした姿で作品に奥行きを加える。梅王丸の豪快な飛び六方、三兄弟が揃って見せる錦絵から飛び出してきたかのような様々な見得など、歌舞伎の醍醐味を凝縮したかのようなひと時となった。夜の部ふたつ目の演目は『連獅子(れんじし)』。獅子の親子の厳しくも温かい情愛が描かれる、能の「石橋」をもとにした長唄の舞踊だ。今回は、尾上菊之助が狂言師右近後に親獅子の精を、尾上丑之助が初役で狂言師左近後に仔獅子の精を勤め、菊之助と丑之助の親子による、初めての『連獅子』の上演となる。文殊菩薩が住むという霊地清涼山。その麓の石橋に、菊之助勤める狂言師右近と、丑之助勤める狂言師左近が手獅子を携えて現れる。親獅子が仔獅子を谷底へと蹴落とし、自力で這い上がってきた子だけを育てるという故事を丁寧な踊りで表現する様子に、観客は目が釘付けに。仔獅子を思う親心、親獅子を慕う仔獅子の健気さが菊之助、丑之助親子の姿と重なる。ユーモラスな間狂言を挟み、獅子の親子が花道に現れると、勇壮な毛振りを見せていく。公演に向けて「ふたりで全身全霊で勤めたい。作品の魅力に私たち親子がどこまで迫れるか、岳父(二世中村吉右衛門)に捧げつつ、お客様にも届くように」と話した菊之助。その真摯な思いを感じる舞台に、客席から熱い視線が注がれる。親子のひたむきな姿を食い入るように見つめる客席からは、ふたりを応援するかのような割れんばかりの大きな拍手が巻き起こった。続いて、横綱を夢見た男の一途な恩義を描く『一本刀土俵入(いっぽんがたなどひょういり)』。今回の上演では二世吉右衛門が当り役とした駒形茂兵衛を松本幸四郎が勤める。公演に先駆けた取材会では「叔父の茂兵衛は、純粋で、純朴。普通の人しか出てこないお芝居だからこそ、心に響く言葉や、行動があると思う」と、二世吉右衛門の茂兵衛を振り返りつつ、今回の公演への意気込みを語った幸四郎。これまで二世吉右衛門の茂兵衛と共演してきたお蔦役の中村雀右衛門も「相手役を勤めさせていただいたお芝居では、常にお顔が思い浮かびます」と懐かしむ。幕が開くと舞台は取手の旅籠安孫子屋の前。相撲取りの駒形茂兵衛(松本幸四郎)は、通りがかりに喧嘩を収める。その様子を宿の二階から見ていた酌婦のお蔦(中村雀右衛門)は一文無しの茂兵衛に櫛、かんざしに有り金すべてを与え、立派な横綱になるよう励ます。茂兵衛とお蔦のどこか悲しい身の上も感じさせる一つひとつのセリフが静かに響く、叙情的な場面です。やがて茂兵衛はお蔦に何度も礼を言いながら立ち去っていく。それから10年後――。娘と侘しく暮らすお蔦のもとに今は渡世人となった茂兵衛が現れ、物語は展開していく。前半とは打って変わった姿で登場する茂兵衛だが、その根底に流れる人間性が変わらないことが振る舞い一つひとつから感じ取れる。お蔦が茂兵衛を思い出す件で、ドラマは最高潮に。お蔦たちを見送る茂兵衛の幕切れの哀愁漂う長セリフが見る者の心に深い余韻を残し、劇場はさわやかな感動に包まれた。上演にあたり、二世吉右衛門の実兄である松本白鸚は「たったひとりの弟なので、是非出演させていただきたいと思いました。今でも、口三味線で『野崎村』や久松の送りの駕籠舁の真似や、『盛綱陣屋』の首実検の真似をして、ふたりで遊んだ子供の頃をよく思い出します」と二世中村吉右衛門三回忌追善となる今回の公演への想いを語った。 また、劇場1階の大間(ロビー)には二世中村吉右衛門三回忌追善の祭壇が飾られ、2階にはこれまでに「秀山祭」で二世吉右衛門が勤めた思い出の舞台の特別ポスターも展示。懐かしそうに祭壇に手を合わせる様子や、じっくりとポスターを見つめる観客の姿も見られた。「秀山祭九月大歌舞伎」は9月25日(月) まで歌舞伎座で上演される。<公演情報>歌舞伎座新開場十周年「秀山祭九月大歌舞伎」二世中村吉右衛門三回忌追善【昼の部】11:00~一、祇園祭礼信仰記金閣寺二、土蜘三、二條城の清正【夜の部】16:30~一、菅原伝授手習鑑車引二、連獅子三、一本刀土俵入2023年9月2日(土)~9月25日(月) ※11日(月)、19日(火)休演会場:東京・歌舞伎座公式サイト※公演期間が終了したため、舞台写真は取り下げました。
2023年09月06日歌舞伎座新開場十周年「『秀山祭九月大歌舞伎』二世 中村吉右衛門三回忌追善」が、9月2日から25日まで東京・歌舞伎座で上演される。2021年に逝去した中村吉右衛門の三回忌追善として行われ、数々の当り役を持ち、多くの人々を魅了してきた歌舞伎界屈指の名立役をゆかりの演目、出演者で偲ぶ。夜の部では、歌舞伎三大名作のひとつ、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』より、原作の三段目にあたる『車引』が上演されることになり、中村又五郎、歌昇、種之助が出演する。松王丸、梅王丸、桜丸という三つ子の兄弟の争いを描き、歌舞伎の様式美を凝縮した華やかな演目。又五郎の松王丸、歌昇の梅王丸、種之助の桜丸という配役で、豪快な荒事の魅力を披露する。『菅原伝授手習鑑 車引』平成30(2018)年7月大阪松竹座公演より、松王丸=中村又五郎(c)松竹『菅原伝授手習鑑車引』平成26(2014)年4月金丸座より、梅王丸=中村歌昇(c)松竹『菅原伝授手習鑑車引』2023年「秀山祭九月大歌舞伎」オフィシャルビジュアルより、桜丸=中村種之助(c)松竹又五郎、歌昇、種之助の親子3人で『車引』の三兄弟を勤めるのは、今回が初めて。このたび、都内で行われた取材会に顔を揃え、それぞれの意気込みを語るとともに、在りし日の吉右衛門の思い出話も披露した。「古典中の古典ですし、播磨屋の一員として、お兄さんにお稽古で教えていただいた“核の部分”をしっかり噛みしめながら、舞台に挑めたら」。そう語る又五郎は、「大きなお役を、ここにいる3人で勤められるのは、なかなかない機会で親としてはとてもうれしいこと。子どもたちは嫌だと言うかもしれませんが(笑)」と親子共演に喜びを示し、演じる松王丸については「梅王丸、桜丸を痛めつけるのではなく、体から出てくるパワーで抑えつける感じが出せれば」と語った。梅王丸を勤める歌昇は「播磨屋として、おじさまの舞台に対する姿勢を近くで見てきました。教えていただいたことをしっかりと継承し、おじさまに近づけるように精進することで恩返ししたい。親子3人での共演もうれしいですし、梅王丸は金丸座以来、だいぶ時間が経っているので、成長した姿をお見せしなければ」と決意表明。桜丸を勤める種之助は初役となり、「(尾上)菊之助のお兄さんに教えていただきます。教えをしっかりと自分のものにして、歌舞伎座という舞台に見合う桜丸を目指していければと思います」とこちらも闘志を燃やした。吉右衛門との思い出を問われると、又五郎は「スパルタという意味ではなく、『あそこはこう』とお厳しい指導をいただいた。こちらが進歩をすれば、『そうだ、あれでいいんだよ』と褒めてくださった」としみじみ。「お言葉すべてが財産。舞台に対する姿勢の厳しさは常々でしたが、映画を観たり、絵画を鑑賞したり、そういった体験や経験が自分の豊かさにつながるとも教えていただいた」(歌昇)、「とにかく死ぬ気でやれと言われました。生前には『これからの歌舞伎はどうなるんだろうね』とも。時代が変わり、お客様の求めるものも変わるなかで、古典以外に新作や昔の古典の再演など、工夫をこらしているが、それには驚いていると思うし、どんな歌舞伎を望んでいらっしゃったのか分かりませんが、私たちが教わったことを守っていきたい」(種之助)と話していた。<『菅原伝授手習鑑 車引』あらすじ>三つ子の兄弟、松王丸(又五郎)、梅王丸(歌昇)、桜丸(種之助)は、それぞれ藤原時平、菅丞相、斎世親王に奉公しています。主人たちの対立により、今は敵味方となった三人。ある日、梅王丸と桜丸は主人の無念を晴らそうと、敵である時平が乗る牛車の行く手を阻みます。それを止めに入ったのが松王丸。三人が争う内に牛車より時平(中村歌六)が現れ……。取材・文:内田涼<公演情報>歌舞伎座新開場十周年「秀山祭九月大歌舞伎」二世中村吉右衛門三回忌追善【昼の部】11:00~一、祇園祭礼信仰記金閣寺二、土蜘三、二條城の清正【夜の部】16:30~一、菅原伝授手習鑑車引二、連獅子三、一本刀土俵入取手宿安孫子屋よりお蔦の家 軒の山桜まで2023年9月2日(土)~9月25日(月) ※11日(月)、19日(火) 休演会場:東京:歌舞伎座
2023年08月22日歌舞伎界にまたも激震が走った。5代目・尾上菊之助(45)に不倫疑惑が報じられたのだ。この報道に、’21年に亡くなった義父で人間国宝の二代目中村吉右衛門さん(享年77)は何を思うのか――。7月26日、「文春オンライン」で報じられた菊之助の不倫報道。記事によると、菊之助は7月21日の午前1時から朝8時半まで、妻とは異なる女性と高級ホテルに滞在。「週刊文春」の取材に対し、部屋に滞在していたことは認めるも、不倫関係にあることは否定したという。父は人間国宝の七代目・尾上菊五郎(80)で母は女優の富司純子(77)、姉は女優の寺島しのぶ(50)という芸能一家に生まれ育った菊之助。’13年に吉右衛門さんの娘・瓔子さんと結婚した。吉右衛門さんは二人の結婚について会見で「梨園に嫁がせようとか思ってなかった。一般の家庭でもらってくれるかなあ……って思っていたから」と語るなど、菊之助と瓔子さんの結婚は意外なものだったことを明かしている。それまでは共演することがほとんどなかったという菊之助と吉右衛門さん。しかし結婚後は吉右衛門さんの「秀山祭九月大歌舞伎」に菊之助さんが出演するようになるなど、関係は次第に濃厚なものとなっていった。’19年の秀山祭では『寺子屋』で、菊之助は義父・吉右衛門さん演じる松王丸の妻役を演じることに。同部隊では、5歳になった息子の丑之助も菅秀才として出演している。当時、菊之助は「毎年、岳父のそばに出させていただき、一つ一つご指導いただいて、財産をいただいている気持ち」と、義父と共演する喜びや学びの多さを語っていた。吉右衛門さんにとっても、娘婿、そして孫との共演はこのうえない喜びだった。《孫が出て、義理の倅と一緒にやるというのは、その芝居をする情のうえにおいてやりやすいことは確かですね。(略)伝統というものがあるからこそ、誰それの倅で何代目だとかっていう、そういう目を通して芝居をご覧くださる。それも伝統歌舞伎のひとつの面白さじゃないかなと思います》(『演劇界』’20年10月号)「吉右衛門さんは、菊之助さんに『僕にわかることだったら、全部、教えるよ』と、共演を通してたくさんのことを教えてくれたそうです。菊之助さんが稽古をお願いすると丁寧につきあってくれて、台詞の言い回しなど、できるようになるまで何度も何度も聞いてくれるのだとか。吉右衛門さんには跡取りとなる息子がいませんでした。熱心な指導には、娘婿の菊之助さんに、初代・吉右衛門の芸を受け継がせたいという思いもあったのではないでしょうか。菊之助さんも吉右衛門さんのことをとても尊敬していて、それは単なる娘婿と義父の関係を超えたものでした」(歌舞伎関係者)‘21年11月に吉右衛門さんが亡くなった際には、菊之助は会見で同年3月のやりとりを振り返り「倒れる2日前だったのできっとつらかったと思う。ご自分のことより肘を折って手術した私のことを心配してくださって『あと千秋楽まで2日だから頑張るぞ』って強い言葉をかけてもらった。尊敬する、とても優しい父でした…すみません」と号泣。「初代吉右衛門さんの芸を守り、全身全霊をかけて芝居に打ち込まれた。そして、先人たちの教えを守って、血と汗と涙の結晶をさらに良いものにして歌舞伎を進化させてくださった」と吉右衛門さんをたたえ、「その思いを後世に伝えられるようにわれわれも研鑽していきたい」と、自身も歌舞伎界を背負い盛り上げていくことを誓っていた。実の息子のように菊之助をかわいがっていた吉右衛門さん。その大切な娘を裏切る不倫報道は、吉右衛門さんの心をも傷つけることにならないか。歌舞伎界の印象を悪化させることにつながらないか。SNS上では吉右衛門さんの心情をおもんぱかる声が相次いでいる。《吉右衛門さんが亡くなって、タガが外れたのか》《吉右衛門さんの大切なお嬢さん泣かせないで下さい》《吉右衛門さんが泣くよ。どうなってんの歌舞伎界?吉右衛門さんが亡くなってから滅茶苦茶になってしまったな》《亡くなられた叔父吉右衛門は天国でどれだけ悲しまれてるか》
2023年07月28日「京都編が始まって、吉右衛門が初めて登場した日、友人から『朝ドラ、すごい話題になっているね!』とメールが来ていてビックリしました」そううれしそうに笑うのは、NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の第3部京都編で、荒物屋「あかにし」の店主・赤螺吉右衛門を演じている堀部圭亮(55)。吉右衛門は、店の壁に「買わぬなら帰らせるのが吉右衛門」という標語を貼るほどのケチな性格から「けちえもん」と呼ばれる個性的なキャラクターだ。堀部は『カムカム』第1部の岡山編では、吉右衛門の父である吉兵衛を演じていた。すなわち、父子の一人二役。吉兵衛もまた、「けちべえ」と呼ばれるケチなところや、息子の溺愛っぷりが印象的なキャラクターだった。物語中で、吉兵衛は空襲に遭い、吉右衛門をかばって命を落とすことに。その後、成長した吉右衛門を演じるのが堀部だと判明すると、たちまちネット上で「吉右衛門」のワードが検索トレンド1位になるほどの大反響となったのだ。「商店街のケチなおじさんが、ここまで注目してもらえるとは。たくさんの人に見てもらえていると実感できてうれしかったですね」父子の二役の演じ分けにあたって、苦労はないのだろうか。「脚本のト書きや台詞が素晴らしいので、流れのままに自然に演じています。岡山ことばで頑固なイメージの吉兵衛に比べ、吉右衛門は母(清子=松原智恵子)と一緒にいるので『お母ちゃん~』と京都ことばで話すし、松原さんの空気もとても柔らかいので、吉右衛門のほうがやや丸い性格かもしれません」こまかい設定が施された登場人物たちや、そこに張り巡らされた伏線が人気を支える『カムカム』。“赤螺家3代の100年”にまつわるトリビアも多いという。「まず、赤螺家の子どもはオカッパ頭が定番ですね。吉右衛門の息子・吉之丞もそう。それから、吉右衛門はシャツのボタンをいちばん上までキチッと留めます。これは、子役さんが演じていた時代の吉右衛門をずっと見ていて、そのまま僕も受け継いでいるんです。また『あかにし』店内には吉右衛門のケチな性格が現れた標語が貼られていますが、標語の字体は、岡山の店にあったものと一緒。僕はすべて母の清子さんが書いているんじゃないかとにらんでいます。赤螺家を締めてるのは、意外と母なんでしょうね(笑)」最終回まで、赤螺家から目が離せない――。
2022年03月03日11月28日、日本を代表する歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門さん(享年77)が心不全で亡くなった。「幼いころ、波野の家に養子となり、祖父の芸を一生かけて成し遂げました」実の兄・松本白鸚(79)がそう追悼コメントで語ったように、中村吉右衛門さんは八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の次男として生まれ、すぐに母方の祖父、初代中村吉右衛門の養子となった。小学生のころから日舞、長唄、三味線、義太夫、狂言とひととおりの芸を始め、’66年10月、22歳で二代目吉右衛門を襲名。当時の本誌は《自称“縁の下のモヤシ”。兄、染五郎にくらべてハデさはないが、じっくりと芸を深める人柄で、歌舞伎味(肌にカブキの味がしみこんでいるさま)は兄以上だ》と伝えている。
2021年12月13日都内の屈指の名刹で、祭壇には大きな遺影が飾られていた。棺の両脇には約50人の列席者が居並び、霊柩車へ運び込まれる様子を見守っている。 人間国宝・中村吉右衛門さん(享年77)が11月28日、心不全のため逝去。その4日後、冬晴れのもと親族葬が厳かに営まれていた。憔悴した表情の兄・松本白鸚(79)、泣き崩れる吉右衛門さんの四女・瓔子さんを支える夫・尾上菊之助(44)と3人の子供たち。最期の別れに、皆で手を合わせる。奥歯をかんで悔しがる尾上菊五郎(79)の横で妻・富司純子(76)は目を閉じ、頬を濡らしていた。吉右衛門さんが倒れたのは、今年3月28日のことだった。「歌舞伎座の出演を終えた吉右衛門さんは知佐夫人と都内ホテル内のレストランで食事中に心臓発作で倒れ、緊急搬送されました。すでに心肺停止に近い状態で、意識は一度も戻ることなく8カ月後に帰らぬ人となったのです」そう語るのは、歌舞伎関係者。「コロナ禍のため、知佐夫人や4人の娘さんも週に1度の面会しかかなわなかったそうです。 昨年から体調を崩し、エレベーターのないビルの2階に上がるのに、お弟子さんにお尻を押してもらわないと上がれないほどでした。最後の舞台となった日の石川五右衛門役を見たある歌舞伎役者も『覇気がなかった……』と口惜しそうでした。肉体的にすでに限界だったのでしょう」(歌舞伎関係者)喪主を務めた12歳年下の知佐夫人の目は泣き腫らしていた。「4歳で初舞台を踏み、22歳で祖父・初代吉右衛門の名跡を継承した吉右衛門さんでしたが、青年時代は初代との芸の差に悩み、精神安定剤をジンで飲み、吐血して救急車で運ばれたこともありました。そんな彼を全力で支えたのが、30歳のときに結婚した知佐夫人でした。以来、梨園でも愛妻家として知られ、晩年も夫人とよく近所の散歩に出かけていました。絵画が趣味だった吉右衛門さんは知佐夫人の寝顔を自ら描いたデッサン画をとても気に入り、枕元に飾っていたほどです。火葬場では棺を炉に収めた後、皆さん座敷で待っていたのですが、知佐夫人は最後まで炉の前を離れることはなかったといいます。2人は最後まで相思相愛でした」(前出・歌舞伎関係者)■吉右衛門さんの最大の楽しみは、初孫・丑之助と過ごす時間親族葬から数時間後。娘婿の菊之助が歌舞伎座で会見を行った。近年の吉右衛門さんの最大の楽しみは初孫・尾上丑之助(8)と一緒に過ごす時間だったと語った。「ふだんは強面で威厳があって近寄れないのですが、孫のことになるとかわいがってくれまして。ディズニーが大好きで、プーさんが大好きだったんです。休みの日になると、ディズニーランドに連れていってくださって、『プーさんのハニーハント』に孫たちと乗るのがとても楽しくしてらっしゃいまして。孫たちをとてもかわいがってくれました」“厳格でありながら優しい、尊敬する父でした”と振り返ると、思いがあふれ、号泣した――。’18年6月に孫の和史くん(丑之助)と初共演した吉右衛門さんは、孫をおぶって花道から退場。「『じいじは汗かくからイヤ!』と言われて困りましたが、彼を励みにして私も舞台を務めました」と目尻を下げていた。実際に娘婿、孫との共演に至上の喜びを感じていたことを昨年のインタビューで明かしている。《孫が出て、義理の倅と一緒にやるというのは、その芝居をする情のうえにおいてやりやすいことは確かですね。(略)伝統というものがあるからこそ、誰それの倅で何代目だとかっていう、そういう目を通して芝居をご覧くださる。それも伝統歌舞伎のひとつの面白さじゃないかなと思います》(『演劇界』’20年10月号)■生前、「80歳で『勧進帳』の弁慶を務めたい」と…吉右衛門さんの唯一にして最大の心残りは三代目中村吉右衛門となる跡継ぎがいなかったことだった、と語るのは後援会関係者だ。「菊之助夫妻にもし2人目の男の子ができたら播磨屋の養子に……という話は、和史くんが生まれてからすぐくらいからあったと聞いています。吉右衛門さん本人がいちばんつらかったと思います。吉右衛門さんご自身が、吉右衛門の大名跡を途絶えさせないため“先代白鸚さんに2人男の子が生まれたら、次男は養子に出す”と、生前からの約束事で二代目吉右衛門を継いだ身。娘さん4人に恵まれましたが、四女・瓔子さんが産んだ丑之助さんは誰よりも溺愛していました」娘婿・菊之助も同じく人間国宝・菊五郎を父に持つ。「和史くんは丑之助を名乗っている以上、将来は大名跡・尾上菊五郎を襲名する身。播磨屋にはなりえません。吉右衛門は長期の空位となる可能性があります。しかし、吉右衛門の血を継いでいる歌舞伎役者は丑之助しかいない。菊之助さんが懊悩して考え抜いた結論が、義父の芸の継承。音羽屋を礎にしたうえで、播磨屋流も学ばせていくのではないでしょうか」(前出・後援会関係者)吉右衛門さんは生前、「80歳で『勧進帳』の弁慶を務めたい」と丑之助のためにも自身の長寿を願っていた。「もっと舞台に立ちたかったでしょうし、もっと教えていただきたいことがありました」(菊之助)生前、吉右衛門さんは『文藝春秋』’20年10月号で歌舞伎界の未来について、こう寄稿していた。《コロナの後、世の中がどう変わるのか。我々はもういなくなっているかもしれませんけども(笑)。孫の丑之助たちがその中でどう歌舞伎役者として生きていくかが、心配してもしょうがないんですけど、気になっております。(略)私は幸せな時代に生きまして、先人から受け継いだものを、そのままやれば皆さん喜んでくださったんですが、さあ、孫の丑之助の時代はどうなるか》歌舞伎界をけん引してきた吉右衛門さんの“芸の魂”は菊之助、そして丑之助へと脈々と受け継がれ、磨かれていくことだろう――。
2021年12月08日2021年11月28日、77歳でこの世を去った、歌舞伎俳優の中村吉右衛門さん。数多くのテレビドラマにも出演していた中村さんの突然の訃報に、同じ俳優仲間から追悼の声が寄せられています。『鬼平犯科帳』で共演していた勝野洋がコメントテレビ時代劇『鬼平犯科帳』シリーズ(テレビ朝日系)で、中村さんと共演していた俳優の勝野洋さんも、同年12月2日、FAXを通じて追悼のコメントを出しました。吉右衛門さんが亡くなったニュースを聞いた時、初めてお会いした日を思い出しました。所作からすべて、心の動きまで、たくさんのことを教わりました。お芝居に対する吉右衛門さんの熱意と優しさ、そして大きさ。それをたくさん学ぶことができました。そのことを思いながらただただ今、ご冥福をお祈りするばかりです。本当に素晴らしい、素晴らしい方でした。ありがとうございました。1991年の同シリーズ3作目から、2016年まで、長年にわたり中村さんと共演していた勝野さん。コメントは、中村さんに対する尊敬の念にあふれたものでした。改めて、中村さんが残した功績の偉大さが伝わります。[文・構成/grape編集部]
2021年12月02日2021年12月1日、歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんが、同年11月28日に亡くなっていたことが報じられました。77歳でした。中村さんは、文化功労者、人間国宝としても知られています。テレビ時代劇「鬼平犯科帳」でも人気を博した歌舞伎俳優の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名・波野辰次郎=なみの・たつじろう)さんが11月28日、死去した。77歳。産経新聞ーより引用中村さんは、同年1月に東京・歌舞伎座で上演されていた『寿初春大歌舞伎』を体調不良で休演していました。多くの人に愛され、尊敬されていた中村さん。ネットからは、中村さんの旅立ちを惜しむ声が上がっています。・歌舞伎に興味を持ったきっかけをくれたのが、中村さんでした。お悔やみ申し上げます。・『鬼平犯科帳』を楽しく観ていました。さびしいな。・テレビ番組や歌舞伎など、たくさん楽しませてくれてありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2021年12月01日「僕にとってヒーローは人生そのもの」こう話すのは4人組エンターテインメント集団「祭nine.」の寺坂頼我。幼少期からヒーローを愛し憧れ続け、ヒーローになることを目標にしてきた。そして、ついに夢を叶えることにーー。今年25周年を迎える『ウルトラマン』シリーズ最新作『ウルトラマントリガー』の主演・マナカ ケンゴ役へ抜擢されたのだ。今回は、元気いっぱい、笑顔いっぱいの寺坂から、ヒーローに対する積年の思いや自身が目指すヒーロー像について語ってもらった。夏の暑さにも負けない寺坂のヒーローへの情熱に注目!「夢を追いかけ続けてきて良かった」ーー「ヒーローになることが一番の夢だった」という寺坂さん。『ウルトラマントリガー』の主演が決まった時の率直なお気持ちを、改めてお聞かせください。率直に、めっっっちゃ嬉しかった……!ずっと思い続けていた夢が念願叶ったことは、すごく幸せで泣くくらい嬉しくて。夢を追いかけ続けてきて良かったです。また、俳優の活動をしていく中で特撮の撮影にすごく興味があって挑戦してみたいと思っていました。ウルトラマンはヒーローであり特撮作品でもあるので、より感激しました。ただ、初めて主演が決まったと聞いた時は、「信じられない!」という気持ちが強かったです。今回はオーディションだったのですが、事務所の社長からサプライズ発表される形で結果を知って。選ばれたと言われた時は、第一声が「嘘じゃないっすよね!?」でした(笑)。ーー嬉しさ以上に驚きがあったんですね(笑)。プレッシャーみたいなものはなかったのでしょうか。最初はプレッシャーより驚きと嬉しさが勝っていたのですが、時間が経つにつれてジワジワと……。『ウルトラマン』は基本的に一人で敵と戦うヒーローだから、演じることへ責任の大きさを感じました。4月に僕がトリガーを演じると発表があった際、『ウルトラマン』ファンの方々から声をいただくこともあって。長い歴史を感じ、その歴史も背負って頑張らなければいけないと強く感じました。責任を果たすためにもプレッシャーは必要な気持ちだと思うので、プレッシャーもプラスに変えて撮影に取り組んでいます。ーー『ウルトラマントリガー』は『ウルトラマンティガ』(1996年放送)の原点を踏襲しているとのことですが、1999年生まれの寺坂さんは『ウルトラマンティガ』をご存知でしたか?知っていました。というのも、初めてアイドルグループの活動をしながら特撮ヒーローになったのが、ティガの主演を務めたV6の長野(博)さんだったので。自分もそうなりたい!と一目置いていました。だから、トリガーが『ウルトラマンティガ』の系譜作品であることも嬉しかったです。ヒーローは僕の原動力ーーヒーロー作品は子どもの頃から見ていたんですか?見ていました!7歳の時、いとこと一緒に『ウルトラマンメビウス』を見ていたのを覚えています。「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」はもちろん、歳を重ねてからは「マーベル」など海外のヒーローも見ていますし、ずっとヒーローに憧れていました。僕にとってヒーローはすごく夢を与えてくれた存在であり「人生そのもの」なんですよ。僕が活動を続けていく原動力にもなっています。ーー寺坂さんの考える理想の「ヒーロー像」とは?「誰かのために行動する」だと思いますね。ーーそういう意味では寺坂さんの芸能活動も「ファンのために行動する」なので、ヒーローと繋がっている部分もありますよね。めちゃめちゃ繋がっていると感じます。特にトリガーで僕が演じるケンゴは、リンクするところがすごく多くて。いつも明るく笑顔で、優しさを持っていて、キラキラ感の強いヒーローなんですよ。「地球を守ることで、みんなを笑顔にする」という目標にすごく共感ができました。だからこそ、絶対に演じたい!と思っていましたね。マナカ ケンゴとの共通点は「抜けているところ」ーーケンゴの「いつも明るく笑顔で」という点は寺坂さんのイメージそのものだと感じたのですが、ご自身の中でケンゴと共通していると感じる部分はありますか?まず年齢が一緒ですし、笑顔と優しさをモットーにしているところ、ケンゴは植物が好きで僕は生き物が好きなところなど、共通していることがたくさんあります。中でも、ケンゴのキャラクター紹介に書かれていた「時々抜けているところがある」「お茶目な一面がある」は、周りから「まんま!そっくり!」と言われましたね(笑)。なので、ケンゴはほぼ僕だと思っています(笑)。ーー抜けているんですか?よく「抜けている」と言われるんですよね。変なところで躓いたり、すぐ物を失くしたり。特に切符を失くしがちで、人の倍は交通費を払って生きています(笑)。仕舞う場所を決めても失くすんですよね……。ーーそこまで頻繁に失くしてしまうのも不思議ですね……。そうなんですよ……落としているのかなぁ?でも、ICカードに変えてスマホケースに入れるようになってからは減りました!ただこの前、スマホケースと間違えて、ずっとキーケースを改札機にタッチしていて……全く気付かずに通れないな~とタッチし続けていた時はめっちゃ恥ずかしかったです(笑)。そんな感じで普段から抜けているところがあります(笑)。ーーあはは(笑)。そこまで共通点が多いと、自然体で演じることができそうですね。そうかもしれません。性格面は一緒なので、僕のベースを活かしながら、役づくりはしていますね。とはいえ、ケンゴは「スマイル、スマイル♪」が口癖だったり仕草に可愛らしさがあったりと、僕とはまた少し違った面もあるので、ケンゴの持つキャラクター性を強めて演じています。(c)円谷プロ(c)ウルトラマントリガー製作委員会・テレビ東京(c)円谷プロ (c)ウルトラマントリガー製作委員会・テレビ東京『ワッショイダー』の経験が活かされたアクション面ーー2018年には『ボイメン新世紀 祭戦士ワッショイダー』でヒーローのご経験がありますが、『ウルトラマントリガー』に経験が活かされていると感じますか?オーディションで特に感じましたね。変身口上(変身の際の決め台詞)を言った時に監督から「変身したね!」と言っていただけて。経験があって良かったなと思いました。あと、アクション面での経験が活きていると感じています。オーディションで「受け身をしてください」と言われて臆せず受け身をしたら「慣れているね」と言われることも。もちろんまだまだ下手くそですけど、『ワッショイダー』で度胸はすごく備わったなと。オーディションの時から「君をそういう面では心配していない。大丈夫だね」と言っていただけました。ーーでは、『ウルトラマントリガー』でのアクションシーンも期待大ですね。ケンゴは新人隊員でそこまで実力がないから、最初はアクションシーンも少なめかと思います。でも、徐々にアクションが増えていくので、毎話見ていただき、ケンゴの成長とともに僕の成長も楽しんでいただきたいですね!ーーということは、絶賛、体づくり中ということでしょうか。絶賛!そこまでムキムキになる予定はないですけど!(笑) 僕の所属する祭nine.がもともとアクロバットを得意とするグループで、筋肉量は割と多いタイプだったから、体型を維持しながら体づくりしている感じです。ーー寺坂さんは『ウルトラマントリガー』で、どんなヒーローを目指したいと考えていますか?僕の理想のヒーロー像である「誰かのために行動する」はもちろんなのですが、『ウルトラマントリガー』を演じていて「歴代のヒーローの中で最も愛される存在になりたい」と思いました。まずは愛してもらえるような、思わず応援したくなるようなヒーローを目指します。もちろんそれだけでなく、憧れてほしいし「ヒーローになりたい」とも思ってほしいです。小さい頃から目標だったヒーローになる夢を、僕は『ウルトラマントリガー』で叶えられたので、今度は僕が「ヒーローになりたい」と夢を見てもらえるような、ヒーローの夢を見ていた子が「絶対にヒーローになる!」と思ってもらえるような存在になりたいです。そして、歳を重ねて現実を見るようになった人たちにも、「子どもの頃ヒーローに憧れた」という気持ちを思い出してもらいたい。次世代のヒーローたちに向けて、エネルギーを発信したいと強く思っています。「役者としての経験値が一気に上がるかも」ーー主演、さらには歴史ある『ウルトラマン』を演じるにあたり、自身の成長に期待することがあれば教えてください。今回、いろんな監督さんが毎話演出を担当してくださるので、いろんな現場にいるような感覚になれるんですよ。それぞれの撮り方を学んだり、それぞれのイメージを表現できたり。役者としての経験値が一気に増えるのではないか、成長できる!と期待しています。また、『ウルトラマントリガー』に出ることで、僕自身のヒーローっぽさをどんどん強めていきたいと思っています。最終話にはみんなに認めてもらえるようなヒーローになっていると自分でも期待しているので、みなさんにも期待していただきたいです。体の動かし方、表情の見せ方、一つひとつに期待していただきたいなと思っています!(キメ顔)ーーキメ顔ありがとうございます!また、寺坂さんが「役者として活躍するために、この世界(芸能界)に入ってきました」とコメントしているのを拝見しました。『ウルトラマントリガー』への出演が役者としてのキャリアにどのような影響があると感じているか、最後にお聞かせください。いい影響しかないと思っています。アクションや銃の使い方など知らなかったことをたくさん学べているので、全部が今後のキャリアに繋がるし、絶対に繋げていきます。そして、「ウルトラマン俳優」として一生認知されると思うので、僕自身もそれをベースに活動していきたいです。『ウルトラマントリガー』では「スマイル、スマイル♪」なケンゴのイメージが定着すると思いますが、今後全く違う雰囲気の作品に出演した時は、イメージを覆すようなお芝居をしていきたいです!【『ウルトラマントリガー』 作品概要】◆放送開始日:2021年7月10日(土)◆放送時間:毎週土曜日 午前9:00~9:30◆放送局:テレビ東京系6局ネット 他]◆製作:円谷プロダクション・テレビ東京・電通◆番組公式サイト: ◆作品公式サイト: ◆作品公式Twitter: ◆公式ハッシュタグ:#ウルトラマントリガー◆出演:寺坂頼我、豊田ルナ、金子隼也、水野直、春川芽生、高木勝也、宅麻伸ほか◆メイン監督:坂本浩一(c)円谷プロ (c)ウルトラマントリガー製作委員会・テレビ東京寺坂頼我さんのサイン入りポラを1名様にプレゼント!ぴあアプリを ダウンロード(dpia-app://contentAll?contentId=cc35cca1-f8c1-448b-8245-22dcd51c321b&contentTypeId=2) すると、この記事内に応募ボタンがあります。撮影/友野雄、取材・文/阿部裕華
2021年07月07日毎年、年末に明治座で開催される“祭”シリーズが今年も上演される。今回のタイトルは、チャオ!明治座祭 10 周年記念特別公演『忠臣蔵 討入・る祭』(通称:忠る(ちゅーる)/演出:板垣恭一)。W主演を務める平野良と小林且弥に話を聞いた。本作は、2011年より演劇製作会社る・ひまわりと明治座がタッグを組み、歴史ものをテーマに上演してきたシリーズの最新作。伝統ある商業演劇スタイルに則り、第一部はお芝居、第二部はショーの2部構成で行われ、今年の第一部は『O-ICCEAN’S11(オーイッシャンズイレブン)~謎のプリンス~』と題し「忠臣蔵」をテーマにした作品を、第二部は『煮汁プロジェクト』と題し、旨味と出汁の利いた世界一の“側用人”グループを作るための側用人公開オーディションを開催する。今年1月にも二人芝居『ウエアハウス-double-』でタッグを組み、取材でも絶妙なやり取りを見せたふたり。W主演を務めることについて「嬉しい」と口を揃えるが、小林にとっては新型コロナウィルスの影響を受けていなかった1月ぶりの舞台出演となるため、「嬉しい半面、こういう状況だからこそいいものをつくらないとというプレッシャーもあります。客席が半分になったり、いつもと違う状況でどんなパフォーマンスができるのか」と不安も明かす。すると平野は「僕はコロナ禍での舞台にも出演しましたが、客席が半分とは思えない拍手をいただいたりして感動しました。届ける側、観る側、みんなで演劇を守っているんだなと感じました」と話し、小林も「想像してぞくっとした!」と感じることがあった様子。毎年恒例の本シリーズが今年も無事に上演されることについては、「『1年の終わりはこの作品で締める』というお客様も多い。2020年は特にいろいろあったからこそ、年末に思いきり笑えるこの作品をやることが、僕の役者としての責務のようにも感じています。この作品で笑って今年を終われたら」と平野。小林も「このシリーズはいつも、その年のメンバーでしかできないことをやらなければと思っています。今回も僕らでそれができれば、素敵な作品になるはず」と意気込んだ。第一部の「忠臣蔵」をテーマにした作品では、平野は寺坂吉右衛門、小林は大石内蔵助を演じる。「このシリーズは“(史実をふまえた)もしも”がキーポイントになるのですが、『忠臣蔵』で大石と……寺坂なんだ!?というところも面白い。寺坂は謎多き人物なので、そこをどう解釈するかは見どころになると思います」(平野)。笑って、泣いて、最後は笑える本作は、12月28日(月)から31日(木)まで東京・明治座にて上演。チケットぴあでは11月29日(日)よりチケット先行先着を実施。文:中川實穂
2020年11月20日11月の歌舞伎座での「吉例顔見世大歌舞伎」が開幕。尾上菊五郎、中村吉右衛門の大看板も揃う、充実の演目立てとなっている。【チケット情報はこちら】このふたりが昼の部で共演したのは、『十六夜清心』。女犯の罪を犯して遊女・十六夜(中村時蔵)と恋仲になった所化・清心(菊五郎)は、廓を抜け出した十六夜から、清心の子を身ごもっていることを告げられ、一緒に川に身を投げる。しかし、十六夜は俳諧師・白蓮(中村吉右衛門)に引き揚げられ、水練に長けていた清心も死ねずに浮かび上がってしまう。互いに相手は死んだと思ったまま、一命を取り留めたふたり。やがて、雲間から月が現れるのと同時に迷いが晴れた清心は、悪の道へと進んでいく……。しっとりとした清元に乗せ、黙阿弥調を存分に聴かせる菊五郎の清心、はかなげな美しさを見せる時蔵の十六夜、そして、豪胆な吉右衛門の白蓮。なお、本作で尾上右近が、七代目清元栄寿太夫として歌舞伎座に初お目見得。よく通る美声を響かせた。また、夜の部の『楼門五三桐』では、吉右衛門が石川五右衛門を豪快に体現。南禅寺の楼門の上で煙管をくゆらせ、満開の桜を悠然と眺める名場面に続いて、菊五郎演じる巡礼姿の真柴久吉が門の下から五右衛門と対峙し、華やかな絵を作った。一方、昼の部の『お江戸みやげ』は川口松太郎らしい人情味あふれる芝居だ。呉服の行商をしているお辻(時蔵)は、気のいい行商仲間のおゆう(中村又五郎)に芝居見物に誘われ、そこでひと目惚れした役者の栄紫(中村梅枝)と面会。栄紫が恋人のお紺(尾上右近)と結ばれるために、金が必要だと知ったお辻が取った行動とは?田舎の女が江戸で知った一生に一度の恋を、時蔵が情感豊かに造形。お辻の情愛を受けるにふさわしい魅力を放った梅枝の栄紫も印象深い。夜の部の『隅田川続俤』は、吉田家の重宝“鯉魚の一軸”を巡って、乞食坊主・法界坊(市川猿之助)、吉田家の嫡男・松若丸(中村隼人)、松若の許嫁・野分姫(中村種之助)、松若と恋仲である永楽屋の娘・おくみ(尾上右近)、道具屋甚三(中村歌六)ほか様々な人物の思惑と行動が交錯する作品。猿之助は強欲な鼻つまみ者だがどこか憎めない法界坊を、アドリブに宙乗りにと大車輪で、ユーモアたっぷりに熱演。大喜利では、共にこの世に未練を残して死んだ野分姫と法界坊が合体した怨霊に。野分姫の恋敵であり、かつ法界坊にとっては思いを寄せる相手であるおくみにそっくりの姿となって、踊りながらおくみを追い詰めるなど、猿之助ならではの見応えある舞台となった。このほか、昼の部では、太郎冠者(尾上松緑)が姫御寮(市川笑也)の前で巧みに舞い、褒美にもらった素襖を巡って主人の大名某(市川團蔵)らと愉快な攻防を繰り広げる『素襖落』、夜の部では、文売りお京(中村雀右衛門)がひとりで様々な景色を踊っていく『文売り』を上演。吉例顔見世大歌舞伎は東京・歌舞伎座にて、11月26日(月)まで。取材・文:高橋彩子
2018年11月07日初代中村吉右衛門の芸と精神を受け継ぐべく、2006年に始まった「秀山祭」が今年も開催される。初代の孫で養子でもある二代目吉右衛門を囲む合同取材会が開かれた。歌舞伎座秀山祭九月大歌舞伎 チケット情報「今回で秀山祭は11回目。初心に戻って1から始めようという気持ちで、播磨屋ゆかりの『俊寛』と『天衣紛上野初花』を選ばせていただきました」と吉右衛門は語る。『俊寛』は、鬼界ヶ島に流された僧都・俊寛の物語。都から赦免船が来て、俊寛、康頼、成経ら流人は船に乗るが、成経の恋人である島の娘・千鳥だけ乗船を許されない。俊寛は罪人として島に残る道を選んで千鳥を船に乗せ、去っていく彼らを見送る……。吉右衛門にとって「初代が練り上げ、魂を込めた作品。もしスポンサーが出てくだされば、パリ、ローマ、ロンドンなどにもって行きたい。いずれも流刑地がありますから、よく分かっていただけることでしょう」と語るほど思い入れの深い作品だ。「近松の名作だと私は思います。播磨屋は(原作である)文楽も竹本(義太夫節)も大事にしておりますが、竹本に乗って、踊りではないけれども踊りのように体を動かさねばならないところが多いお芝居です。その一方で、心理描写は現代的。島に残って千鳥を乗せるために上使を殺さなければならない場面などは、その心理を竹本や三味線と息が合わせて表現する型になっております。今回、(竹本)葵太夫さんが通して語ってくださるので、とても有難く嬉しい気持ちです」本作に主演し、これまで数々の名演を見せている吉右衛門だが、20年ほど前、演じながら特別な体験をしたという。「最後、船を見送っていると、上の方から(仏・菩薩が人々を苦役から救って彼岸に送る)弘誓の船のようなものが降りてくるのが見えたんです。弘誓の船が来るということは、そのまま死んでいくこと。私は、この芝居での俊寛は息絶え、解脱して昇天していくのではないかと思いました。以来、幕が閉まる寸前に上方を見上げるようにしています」一方、『河内山』は、松江侯に妾となるよう強要され、屋敷から帰してもらえずにいる質店上州屋の娘のお藤を、お数寄屋坊主の河内山宗俊が見事に奪還するまでを描く、爽快な物語だ。「庶民の味方である悪人の、巨悪に対する生き様を描いたお芝居でです。お客様に喜んでいただいて、最後は溜飲を下げていただく。講談だったものを舞台として立体的にお見せするわけですから、それでつまらないものになるなら私は役者としてやっていけません(笑)。初代がもっと面白くやっていたのは分かっているのですが、少しでも近づけたらと。楽しんで演じたいですね」他にも魅力ある演目が並ぶ秀山祭を「多彩な顔ぶれ、多彩な狂言」と表現した吉右衛門。中村福助の5年ぶりの舞台復帰についても、「誠に慶事」と喜びを表した。「秀山祭は私が生きている理由。今後20回、30回と続けていけたらと思っています」9月2日(日)から26日(水)まで東京・歌舞伎座にて。取材・文:高橋彩子
2018年08月22日6月の歌舞伎座では、梅雨の鬱陶しさを忘れさせる舞台を上演中。必見は、共に大阪の住吉鳥居前から始まる、尾上菊五郎主演の昼の部『野晒悟助』と、中村吉右衛門主演の夜の部『夏祭浪花鑑』だ。【チケット情報はこちら】『野晒悟助』は、河竹黙阿弥が五世尾上菊五郎に書き下ろした世話物狂言。侠客・野晒悟助(菊五郎)は、剣学指南の提婆仁三郎(市川左團次)を頭とする提婆組の狼藉から、土器売の詫助(市村家橘)と、扇屋の娘・小田井(中村米吉)を救い、侘助の娘・お賤(中村児太郎)と小田井から惚れられる。翌日、仁三郎が現れ、百両出すか命を賭けた勝負をするかと無理難題をふっかけるが、悟助は母の命日ゆえ喧嘩を買うことができない。そこへ侘助が、お賤が身売りして作った百両を持参。折しも命日も過ぎ、悟助は四天王寺へ仁三郎を討ちに行く。とにかく見ものは、菊五郎のいなせな悟助。ふたりの娘から思いを寄せられるのも納得の男ぶりだ。荒唐無稽な話だが、黙阿弥らしい華麗な台詞や、他作品を想起させる趣向が楽しい。さらに四天王寺山門の場では、菊五郎劇団ならではの見応えある大立廻りが展開。『夏祭浪花鑑』は、並木千柳、三好松洛、竹田小出雲の義太夫狂言。団七九郎兵衛(吉右衛門)は、恩義ある玉島兵太夫の息子・磯之丞(中村種之助)の恋人・琴浦(米吉)が大島佐賀右衛門(中村吉之丞)に言い寄られているのを助け、妨害しようとする佐賀右衛門の一味・一寸徳兵衛(中村錦之助)とは、団七の女房・お梶(菊之助)の仲裁をきっかけに義兄弟の契りを結ぶ。その後、釣船三婦(中村歌六)のもとに身を寄せる磯之丞と琴浦。高津神社の夏祭りの日、三婦の女房おつぎ(中村東蔵)は徳兵衛の女房・お辰(中村雀右衛門)に磯之丞を託そうとするが、三婦はお辰に色気があるからと反対。するとお辰は焼けた鉄弓を顔に押し当てて傷をこしらえ、磯之丞を預かる。一方、琴浦は、佐賀右衛門から大金を得ようとする団七の舅・義平次(市村橘三郎)にさらわれてしまう。団七は義平次を追いかけ、祭り囃子が響く中、ついに彼を殺めてしまう。声にも姿にも大きさと若々しさが光る、吉右衛門の団七。義平次を殺す長町裏の場は様式とリアルがないまぜになって凄絶だ。登場人物達がそれぞれ、男/女が、立つ/立たないと、意地・名誉を重んじる本作。歌六の三婦も雀右衛門のお辰も、品を損なうことなく、各々のプライドを描き出した。なお、菊之助の長男・寺嶋和史は団七倅・市松役。菊五郎と吉右衛門の血を受け継ぐその雄姿に客席から大きな拍手が。この他、中村芝翫、尾上松緑、中村雀右衛門が演技合戦を繰り広げる夜の部の『巷談宵宮雨』は、夏の祭り、当てが外れた30両、肉親殺しなどが『夏祭浪花鑑』と符合。中村時蔵が健気なヒロインを好演した昼の部の『妹背山女庭訓』と菊之助が文屋康秀を軽妙に踊った『文屋』では共に官女が登場。随所に繋がりを感じさせる演目立ても面白い。歌舞伎座六月大歌舞伎は6月26日(火)まで、東京・歌舞伎座で上演。取材・文:高橋彩子
2018年06月12日当代(二代目)中村吉右衛門が、祖父で養父でもある初代吉右衛門の功績を讃え、その芸を継承すべく始まった“秀山祭”が、今年も開かれる。12年目、10回目の記念すべき公演に先立ち、吉右衛門の取材会が行われた。秀山祭九月大歌舞伎 チケット情報今年の秀山祭九月大歌舞伎では、『極付幡随長兵衛』幡随長兵衛と『ひらかな盛衰記』船頭松右衛門実は樋口次郎兼光を演じる吉右衛門。どちらも先代が演じて大当りし、当代の初舞台とも関わりのある演目だ。『極付幡随長兵衛』を「黙阿弥の名作で、初代の長兵衛を相手に私が長松で初舞台を勤めた演目でもあります。初代が私を見下ろして涙を流す子別れの場面では、本当に涙と唾がかかってきたのを覚えています」と振り返る吉右衛門。『逆櫓』については「木曽義仲の四天王のひとりである樋口が漁師に化け、逆櫓をネタに義経を船に乗せて討とうとする奇想天外な話。実はこちらも初代の樋口で私が槌松を演じて初舞台を踏む予定でしたが、顔(化粧)をすると泣き出すのでとりやめになりまして。初舞台としてふたつの芝居に出るのも珍しいですが、それをやめさせられた役者は前代未聞」と笑いつつ、「子供だったので覚えてはおりませんけれども、『逆櫓』に必要な、世話と時代、漁師と侍の使い分けが、初代は素晴らしかっただろうと思います。その芸を伝えていけたら」と意気込んだ。また、初代と当代の当たり役である『彦山権現誓助剱 毛谷村』六助と、当代が松貫四の名で書き下ろし、二役早替りで演じた『再桜遇清水』清玄と浪平には、染五郎が挑む。初代の芸風を「江戸っ子で、でも体には上方の血が入っており、それらが混じり合って醸し出す役なり役者なりの雰囲気が、お客様にとって心地よく、受けたのではないかと思います。そしてそこには江戸の香りがありました」と分析する吉右衛門。「伝統歌舞伎の使命は、江戸の文化を伝えること」とも語るが、そうした江戸の香りは、若い世代はどう伝承し得るだろうか?「私が若いころにはまだ江戸の匂いをもつ役者さんがいましたから、そういう方達を見て学ぼうとしてきましたし、着物が似合うようにと何年間か着物だけで過ごしたこともあります。今はそうしたものが失われつつありますが、どんな世の中になっても、稽古は一生懸命やって、先人から教わり、人の芝居をよく見て、(出演する芝居の)番数も多くこなすことが大切。演出家がいない歌舞伎では、自分の引き出しから色々なものを出しながら、主役を見て合わせます。芝居をたくさん観たり経験したりしていないと、立ち位置がわからず、全体の構図が崩れてしまいます」。その言葉からは、現代劇とは異なる手法と美学でもって育まれてきた歌舞伎の奥深さもうかがえる。「名優だった初代の型や演出の優れたところをお伝えするため、私は命を懸けてきましたし、これから先もそうしていきたい。それが私の天命だと思っております」と吉右衛門は言う。先人の芸を継承し、次世代へと繋ぐ秀山祭の開幕はまもなくだ。取材・文:高橋彩子
2017年08月16日歌舞伎俳優の中村吉右衛門が25日、東京・帝国ホテルで行われたフジテレビ系時代劇『鬼平犯科帳 THE FINAL』(前編12月2日21:00~22:52、後編3日21:00~23:10)の記者会見に出席。28年の長期シリーズが最後を迎えることに「半分だけボーッとしています」と心境を語った。同作が、国民的時代劇として愛されてきたことに、中村は「ひとえに、(原作の)池波正太郎先生のお力に頼ってまいりました」と謙そんしながら、「周りの方々、レギュラーだった方々も、鬼籍に入られる方が随分と増えてきました」としみじみ。最後の立ち回りのシーンが終わった際、殺陣師が「これで終わっちゃうんですね」と泣いてくれたエピソードを明かし、「そういうすばらしい人たちに囲まれてくれました28年間、本当に感謝のほかはございません」と思いを語った。印象に残っているシーンを聞かれると「忙しく撮ったものですから、ほとんど印象に残ってないです(笑)」と冗談めかしながら、第1話「暗剣白梅香」を挙げた。その撮影は「まだまだ若かったものですから、監督にやたらめったら走らされまして…」と肉体的に疲弊したそう。他にも、真冬の雪上や灼熱の暑さでの待ち時間という、京都ならでは撮影の苦労も「今は懐かしく思い出しますね」と目を細めた。そんな思い出深い作品が終了することに、中村は「ああ、終わったんだなという感じがして、テレビについてはボーッとしておりますけど、舞台もやっているものですから、半分だけボーッとしてます(笑)」と独特の表現で心境を吐露。今回は、婿・尾上菊之助との1対1の立ち回りもあるそうだが、「親が斬られちゃどうしようもないんですけど、せがれを斬ることになりましたんで、良かったなと思いました(笑)」と、ホッとした表情を浮かべていた。中村吉右衛門が主演を務めるシリーズは1989年7月にスタート。連続ドラマ137本、単発のスペシャルドラマとして12本の計149本を放送してきたが、今回の『FINAL』で全150本を数えてフォナーレを迎える。
2016年10月25日3月30日、新橋演舞場で開催される『四月花形歌舞伎』で、『仮名手本忠臣蔵』の通し上演を行うにあたり、出演俳優らが忠臣蔵にゆかりの深い東京・泉岳寺を訪れ、舞台の成功祈願を行った。『四月花形歌舞伎』チケット情報歌舞伎俳優の中村福助、市川染五郎、尾上松緑、市川亀治郎、尾上菊之助、中村獅童は、泉岳寺境内にある浅野内匠頭の墓前での成功祈願の後、四十七士の墓所にもお参りし、公演への思いを新たにしたようだ。参詣後行われた会見では、それぞれ役や公演への思いを語った。「若手の皆さんと忠臣蔵ができて幸せ。良いメンバーで良いチームが出来そうです。忠臣蔵という大きな芝居にみんなでぶつかっていきたい」(福助)。「(自分が演じる)由良之助は忠臣蔵の物語の要となる人物なので、大人の芝居をしたいです」(染五郎)。「目の前に与えられた課題を、自分の中で消化していきたいと思っています」(松緑)。「忠臣蔵は役者にとって基本となる芝居。先輩方の教えを忠実に守って、大切に演じていきたい」(亀治郎)。「日本人の心をとらえて離さない大切な演目なので、大事に務めたいです」(菊之助)。「大先輩が演じてきた大きな役で、それだけの歳になったのかと思う。先輩にご指導いただきたいです」(獅童)。『仮名手本忠臣蔵』は元禄14年(1701年)、江戸城松の廊下で、播州赤穂藩主の浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及び、浅野家は領地没収の上、お家断絶となった。しかし、国家老の大石内蔵助を含む47人の浪士たちが吉良邸に討ち入りし、主君の仇を討った赤穂事件を題材にした人気狂言のひとつ。歌舞伎での上演回数も多く、赤穂事件の47年後に上演されて以来、歴代の名優たちが父から子、子から孫へと伝承してきた本作。歌舞伎界の次代を担う若手花形俳優たちがどのような芸と技を見せるのか、注目したい。公演は4月1日(日)から25日(水)まで東京・新橋演舞場にて上演。チケットは発売中。尚、チケットぴあではおトクな特典付きチケットも販売している。【配役】中村福助:おかる市川染五郎:大星由良之(大石内蔵助)尾上松緑:高師直(吉良上野介)、寺岡平右衛門(寺坂吉右衛門)市川亀治郎:早野勘平(萱野三平)尾上菊之助:塩冶判官(浅野内匠頭)中村獅童:桃井若挟之助、斧定九郎※()は歴史上の人物で、それぞれの役のモデル
2012年03月30日今年9月、東京・新橋演舞場『秀山祭九月大歌舞伎』興行で、三代目中村又五郎、四代目中村歌昇をそれぞれ襲名する歌舞伎俳優の中村歌昇と長男の中村種太郎が、中村吉右衛門、中村歌六らとともに8月22日、東京・浅草寺で「お練り」を行った。チケット情報鳴物の山車と木遣り(きやり)に先導され、雷門を盛大に出発。1万人の人で賑わう仲見世を経て、「播磨屋!」、「又播磨!」などの掛け声が飛び交う中、本堂に向かい成功を祈願した。朝から激しく降っていた雨も「お練り」が始まるとすっかり止み、天さえも味方につけているかのよう。なお、浅草寺での「お練り」は2005年1月の中村勘三郎以来6年7か月ぶり。三代目又五郎を襲名する中村歌昇は、「本日は本当にありがとうございます。お天気の悪い中、木遣りの方々、お囃子のあやめ連の方々、浅草の芸子の皆様、ありがとうございます。皆様のご声援に応えるべく、この道一層の精進をいたし、ひとかどの役者になることが、皆様へのご恩返しだと思っております」とコメント。また、四代目歌昇を襲名する中村種太郎は「このようにお練りをさせていただくことは、色々な方々のお力があってのことだと思っております。感謝の気持ちを持って、一所懸命舞台を勤めることが一番の恩返しだと思ってております」と抱負を語った。播磨屋一門の長である中村吉右衛門は「本日はお足元の悪いなか、かくも賑々しくお運びいただき誠にありがとうございます。皆様方のお力によって、舞台で力を発揮できることと思います。ぜひとも又五郎、歌昇をどうぞ宜しくお願いいたします」と締めた。公演は同劇場にて9月1日(木)から25日(日)まで上演。チケットは発売中。
2011年08月23日少しだけ気だるそうに、そして時折、辛辣で毒っぽさを含んだ言葉を交えつつ、映画について語る佐藤浩市の口調からは、映画という仕事への確かな愛情と情熱がひしひしと伝わってくる。つい先日、50歳の誕生日を迎えたばかりの彼の最新作『最後の忠臣蔵』が公開となった。佐藤さんが演じたのは、四十七士のひとりとして吉良邸討ち入りに参加しつつも、最後に同志たちと共に死ぬことを許されなかった寺坂吉右衛門。作品について、映画という仕事について、そして俳優人生について――佐藤浩市が、語りつくす。寺坂吉右衛門が“生”を感じる瞬間に興味を感じた「僕自身、きちっとした『忠臣蔵』には興味がない」と佐藤さん。今回の“後日譚”とも言うべき物語について「日本人に愛され続けてきたあの『忠臣蔵』の世界とは違ったところの面白さがある」と語る。「これまで僕がやって来た『忠臣蔵』は、『忠臣蔵外伝四谷怪談』であれ、TVドラマの『1/47』にしろ、言葉は悪いけどある意味“なんちゃって忠臣蔵”なんです。日本人が愛し続けてきた忠臣蔵というのは、忠義や組織論、自分の生とは別のところに価値を置くという美徳といった部分なんですけど、今回の映画も含めて、僕が演ってきたのは人間くささや生々しい人間の姿に焦点を当てた物語なんです。それは『新選組!』(NHK)で芹沢鴨を演じたことにも繋がってくるんだけど…。例えば『土方歳三をやらないか?』という話はこれまでもあったけど、正統的な『忠臣蔵』と同じで僕はそこ(=正統的な『新撰組』)には全く興味がない。だけど芹沢鴨の、己の器を知る哀しさとかそういう部分を演じるのには惹かれる。“埋没感”っていうのかな…」。では今回演じた寺坂吉右衛門については?大石内蔵助から、志士たちの遺族の今後を託されて“生かされた”吉右衛門という男のどの部分に共感や面白さを抱き、役を作り上げていったのだろうか?「この男が自分の“生”を感じる瞬間ですね。彼の中で、唯一楽しみにしていたのが、(遺族のために)お金を届けた先々で必ず尋ねられる『なぜあなたは生き残ったのか?』という質問に答えることなんではないか、と。『これはお話せねばなりませんが…』と自分の人生を否定的に語り出すときに、アイロニカルに自分の“生”というものを感じているんだろう、と。それを(観客に)分かってもらう必要はないんだけれど、そういう部分を自分で作っていきながら吉右衛門になっていくわけですね。それは“共感”というのとは違うかもしれないですが僕なりのやり方なんです」。本作に続き、来年も『のぼうの城』が公開されるなど時代劇への出演が続く。時代劇に出演するということにはやはり特別な感慨が?そう尋ねても「いや、別に」とそっけない反応…と思いきや、「ただ、こないだね…」と言葉を繋げる。「『のぼうの城』で京都にいたとき、小林正樹監督の『切腹』(’62)をフィルムで観る機会があったんです。いま観ると、それほどでもないところはあるんだけど、でもやはり“なんちゃって”時代劇ではないんですよ。役者さんも時代劇から入られた方ばかりで、腰の落ち着き方とか違うんですよ。それを観て『あぁ、もう少しちゃんと時代劇に向き合いたいな』と思ったのは事実ですね」。「節目で良い作品に出会う“ツキ”があるんですよ」時代劇に限らず、現代劇、コメディと数々の作品で存在感を示しつつ、50歳を迎えた。40代をふり返っての感想は?「ソツがなかった、という感じかな…。それなりにこなしてきたという(苦笑)。50代に向けては…また『切腹』の話になるんですが、あの当時、出ている方はほとんど40代半ばで、(主演の)仲代達矢さんに至っては30代ですよ。ところが明らかに、僕と同じくらいか僕よりも年をとって見える。それは、日本人の平均年齢が関係しているんでしょうが、50年前の人たちは明らかに我々より大人だったということなんですよね。10年くらい違いがあるんじゃないかってくらい年を取ることが先送りされてる。実際、『50歳って何だろう?』という感じで50代を迎えてみると『こんなに小僧なのか?』と思うくらい成熟してない(苦笑)。ちゃんと大人になっているはずなのに、大人になりきれていないって焦りを感じてます」。とは言うものの俳優としては、これ以上ないと言っていい着実なキャリアを積んできたのでは…?「ツキはあるんですよ。節目で良い作品に出会えてる。30代の頭に『トカレフ』に出会って、そこから確実にキャリアが変わっていったし、その後も石井隆と出会って『GONIN』をやったり。40代で守りに入りそうなときには、三谷(幸喜)さんから『マジックアワー』のような作品をいただけた。節目でチャレンジさせていただけるのは幸せな商売ですね」。息子の謝恩会で父・三國連太郎と三谷幸喜の本で“共演”三谷監督の名前が出たついでに、50代を機に舞台も進出する気は?と向けてみるとやはりというべきか「うん、ないね」とツレない返答。「まあここまでやらないのも意地かな(笑)。でも、息子の学校の卒業式の謝恩会で、三國(連太郎)と一緒に朗読劇をやったんですよ、三谷さんに本書かせて。まあそこで(三國さんと)同じ舞台にいられたというのは良かったですね。あとは別にやりたいと思わない(笑)。やっぱり、自分の中で“好き”と“嫌い”は大きくあるんだけれど、自分を客観視できるものがいいんですね。出来上がったものを自分で見られないと…。19か20で(デビュー作の)『青春の門』に出たんだけど、それまで、映画は好きだったけど、生業としてやっていけるなんて思ってなかった。『どうしていこうか?』って思ってたときに、その映画の最後で(自身が演じた)信介がバイクで去るところの自分の顔のどアップを映画館で見たんです。そのときに、何だろう?感動でもないし…『あ、これを続けたい』って思ったんです。自分のアップを見て自分なんだけど自分じゃないような感覚を感じてこれが続けられたら、と思った。そのときに改めて、映画だなって本当に思えたんです。それから30年、よく続けてこれたよね」。「舞台に出るでも自分で撮るでもなく、でも映画に関わってあと15年くらいやれたらいいね」と言って、唇の端を曲げてニヤリ。いやいや、15年じゃ周囲がほっといてくれないだろう。まだまだこれまで見たことのない佐藤浩市を見せてほしい。■関連作品:最後の忠臣蔵 2010年12月18日より丸の内ピカデリーほか全国にて公開© 2010「最後の忠臣蔵」製作委員会■関連記事:桜庭ななみが号泣初日挨拶杉田監督に「このヤローって思った」桜庭ななみクリスマスは「友達と集まろうとか話してます(笑)」『最後の忠臣蔵』役所広司インタビュー“生かされた男”の矜持を語る『最後の忠臣蔵』リアリティを追及し世界文化遺産でも撮影敢行!役所広司&佐藤浩市で描かれる“その後”『最後の忠臣蔵』試写会に50組100名様ご招待
2010年12月22日よきパパにヤクザに刑事…と「ありとあらゆる」という言葉が決して大げさではないほど様々な役柄を演じてきた役所広司。現代劇のみならず、時代劇でも数多の時代の歴史上の人物を演じてきたが、不思議なことに「忠臣蔵」に関してはこれまでほとんど縁がなかったそう。以前、正月のドラマ(「大忠臣蔵」)で堀部安兵衛を演じたことがあったきり。そんな役所さんがついに映画で「忠臣蔵」に関わることになったが、今回の『最後の忠臣蔵』はただの「忠臣蔵」にあらず!赤穂浪士の討ち入りからから16年もの歳月が過ぎたのちの、いわゆる“後日談”を描いたものなのだ。誰もが知っている事件の誰も知らなかった真相――役所さんはどのようにこの物語、役柄に向き合ったのか?「足軽だったからこそ、“本物の侍”の心を持ち続けることができた」役所さんが演じるのは、討ち入りの前日に姿をくらました瀬尾孫左衛門。命惜しさに逃げ出した裏切り者という汚名を背負って生きる孫佐衛門だが、実は大石内蔵助から直々に、これから生まれてくる彼の娘を育て上げるという密命を受けていたのだ。役所さんは孫左衛門を「生かされてしまった男」と表現し、出演を決めたいきさつをこう説明する。「『忠臣蔵』に関してはもう十分やってるだろう、という気がしてましたが、その後にこんな話があったなんて知らなかったです。これだけ『忠臣蔵』が日本人に浸透し、誰もがその背景や、志士たちの苦労まで知っている。ならば、この“生かされた男たち”の物語も理解してくれるだろう、と思いました」。これまでに演じてきた信長や家康、信玄といった歴史上の人物とは全く異なる武士…いや、武士の身分さえも捨てて、遺された内蔵助の娘のために生きる男。役所さんはどのような思いで孫左衛門という男を演じたのだろうか?「元々、足軽の男ですからね。座敷にも上げてもらえない身分。討ち入りに参加して華々しく活躍して、来世は士分に生まれ変わろうと誓う。それなのに生かされてしまった…。かわいそうだなと思いつつも、そうやって来世での生まれ変わりを誓うような低い身分の男だったからこそ、侍の“心”を太平の世でも持ち続けられたんじゃないか、と。侍の端くれとして生きてきて、『もっといい侍になりたい』という思いを持っていた。それがかえってこの男を“武士”として生きさせた部分なのかと思いました」。使命を帯びて生き残ったのは孫左衛門だけではない。無二の親友で、華々しく討ち入りを果たすことを誓い合った寺坂吉右衛門もまた、生き証人として討ち入りの真実を後世に伝え、志士たちの遺族を援助するという命令を帯びて生き残った男であり、この2人の再会が物語を大きく動かしていく。この吉右衛門を演じるのは佐藤浩市。これまた意外なことに、本格的に共演するのは、これがほぼ初めてとなる。「佐藤さんが登場したときは頼もしかったですよ。『来た来た!』って感じで(笑)。映画を撮ってる、時代劇を撮ってるという感じがしましたね。討ち入りから16年を経て再会するわけですが…やはり、その間の苦労を一番分かるのは彼(吉右衛門)なんですよ。そのシーンで対峙した瞬間に『分かってくれる男がいま、目の前にいるんだ』というのを実際に強く感じましたね。まあ空き時間は(佐藤さんは)競馬の話しかしてないんだけど(笑)」。監督という立場を経験して変わったこと役所さん自身は昨年公開された『ガマの油』で、初めてメガホンを握った。“監督”という立場を一度経験して、その後、俳優として現場に立ったとき、心境や臨み方に変化はあったのだろうか?「はい。手を抜いちゃいけないなって(笑)。実際そうなんですよ。スタッフの側で初めて現場に立って、俳優さんが現場に来たとき、凄い期待するんですよ。自分たちが準備した場所をどう使ってどんな物語を語ってくれるのか?どんな芝居を見せてくれるんだろう?って。だから自分が俳優として呼ばれたときには、スタッフから期待されているんだから、下手でもいいから一生懸命やろう、それが大事なんだって思いましたね」。孫左衛門の生き方、彼が下す決断を「理解する、というよりも男にとっては憧れです」と役所さん。「まず、大石内蔵助という男には魅力があるんでしょうね。いまの時代、自分の会社の重役の愛人の子供を自分の人生を懸けて育てようとは思わないでしょう?この男の頼みだからこそ、この男の愛人への思いを知っているからこそ自分は討ち入らずに『分かりました』と言える。この関係を美しいと思うし、男として男らしさを感じます」。本物の侍ではないがゆえ、侍であろうと己を捨てて生きることを選んだ男。その姿は侍なき時代に生きる役所広司という俳優そのものなのかもしれない。■関連作品:最後の忠臣蔵 2010年12月18日より丸の内ピカデリーほか全国にて公開© 2010「最後の忠臣蔵」製作委員会■関連記事:『最後の忠臣蔵』リアリティを追及し世界文化遺産でも撮影敢行!役所広司&佐藤浩市で描かれる“その後”『最後の忠臣蔵』試写会に50組100名様ご招待役所広司&桜庭ななみ、『最後の忠臣蔵』ハリウッド試写盛況で笑顔マシ・オカも出席岡ちゃん“サムライシネマ”応援団長就任「まさかこんな風になっちゃうとは」シネマカフェ読者ゴコロなんでもベスト5(第6回)ちょんまげが似合う“まげメン”俳優といえば?
2010年12月10日役所広司、佐藤浩市を主演に迎え、誰もが知っている「忠臣蔵」の知られざる“その後”を描いた『最後の忠臣蔵』。ドラマ「北の国から」の杉田成道がメガホンを握っている本作だが、杉田作品であるがゆえの見どころ――歴史的な建造物や景勝地、さらには世界文化遺産で行われた撮影、そのリアリティと映像の美しさが大きな話題を呼んでいる。そのいくつかのポイントをご紹介!赤穂浪士による吉良邸討ち入りから16年後。大石内蔵助の密命を受けて、討ち入りを果たした後、ひそかに生き延びた寺坂吉右衛門(佐藤さん)と、同じく大石の命で討ち入り直前に脱盟した瀬尾孫左衛門と(役所さん)、そして大石の隠し子・可音(桜庭ななみ)による後日談が展開される。「北の国から」シリーズで北海道の雄大な大自然をカメラに収めてきた杉田監督とあって、本作でも映像美は大きな見どころ。ほぼ全編が京都の撮影所および京都近辺で撮影された。嵐山・大覚寺孫左衛門の家へと至る美しい竹林は、撮影所に近い嵐山の大覚寺のもの。1,000本以上の竹の間から陽の光が差し込む、幻想的な光景がスクリーンに広がる。時に帰宅を急ぎ、時に呆然と立ちすくむ――竹林でのシーンは孫左衛門のその時々の微妙な心情を表現していると言える。香川県琴平町・金丸座京を離れて香川県の琴平町にある、1835年に建てられた現存する日本最古の芝居小屋「金丸座」では、天下の豪商・茶屋四郎次郎の息子が可音にひと目惚れするシーンが撮影された。国の重要文化財に指定されているこちらの芝居小屋だが、毎年「四国こんぴら歌舞伎大芝居」の公演が行われる。これまでにも映画の撮影に使われたことはあるが、本格的に金丸座の中にカメラが入って撮影が行われるのは初めてのこと。約200人の地元の人々が参加し、江戸時代のにぎやかな芝居小屋「竹本座」に変身を遂げた。滋賀県・伊香保ここで撮影されたのは赤子の可音を抱いて孫左衛門が歩くシーン。監督の「どうしても本物の雪山で撮りたい!」という要望に応え、急遽、伊香保郡余呉町の雪山がロケ地に選ばれた。役所さんは太ももまで積もる雪の中を、可音を抱いて何度も歩いたという。東近江・五個荘、亀岡市・桂川沿い、京都市・下鴨神社可音の輿入れのシーンは多くの名所で撮影。近江商人発祥の地として知られる東近江の五個荘の街並みに、亀岡市宇津根町の桂川沿い。そして、京都市左京区の下鴨神社――正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の境内、糺の森(ただすのもり)は、紀元前から祀られていたとあって、世界文化遺産としてユネスコにも登録されている。こうした名所を背景に、荘厳に輿入れが行われるさまは必見!ほかにもいくつもの名所、景勝地で撮影が!実力派の俳優たちの掛け合いはもちろん注目だが、シーンを彩る風景にも目を向けてみては?ちなみに「忠臣蔵」に関係するある場所についてのトリビアを最後にひとつ。本作の撮影とは関係ないが、討ち入り後の浪士たちのうち10名が元禄16年(1703年)の2月4日に切腹して果てたのが毛利家下屋敷。いま、この跡地に現在、建っているのが六本木ヒルズ。かつては赤穂浪士の切腹の碑が毛利庭園内の池の端にあったそうだが、いまは取り払われているとか。インターネット上では、このことと絡めて、“六本木ヒルズの祟り”として様々な憶測が飛び交っているとか…。『最後の忠臣蔵』は12月18日(土)より丸の内ピカデリーほか全国にて公開。■関連作品:最後の忠臣蔵 2010年12月18日より丸の内ピカデリーほか全国にて公開© 2010「最後の忠臣蔵」製作委員会■関連記事:役所広司&佐藤浩市で描かれる“その後”『最後の忠臣蔵』試写会に50組100名様ご招待役所広司&桜庭ななみ、『最後の忠臣蔵』ハリウッド試写盛況で笑顔マシ・オカも出席岡ちゃん“サムライシネマ”応援団長就任「まさかこんな風になっちゃうとは」シネマカフェ読者ゴコロなんでもベスト5(第6回)ちょんまげが似合う“まげメン”俳優といえば?「社長になってほしい俳優」ランキング接戦を制したのは奮闘中のあの社長!
2010年11月27日ワーナー・ブラザース製作による時代劇『最後の忠臣蔵』のハリウッド・プレミア試写会が10月11日(現地時間)、L.A.のワーナー本社にある「スティーヴン・ジョン・ロス・シアター」にて行われ、主演の役所広司、共演の桜庭ななみがレッドカーペット・イベント、舞台挨拶に参加した。赤穂浪士の吉良邸討ち入りから16年後、討ち入りに参加した四十七士のうち、大石内蔵助の密命を受けて唯一生き残った寺坂吉右衛門(佐藤浩市)と討ち入り直前に一味から逃走したと思われていたが、実は同じく大石からある使命を授かっていた瀬尾孫左衛門(役所さん)が再会。名誉の死を許されなかった2人がそれぞれに使命を果たそうとする姿が描かれる。会場には「THE LAST RONIN U.S. PREMIERE」という看板が掲げられ、役所さんはスーツ、桜庭さんは赤い着物姿で登場。レッドカーペット上で報道陣の取材に対し「アメリカのお客様が日本の時代劇をどう観てくださるか、楽しんでくださるかが楽しみです」(役所さん)、「ずっとこの日を楽しみにしていました。どう反応してもらえるか知りたかったので楽しみです」(桜庭さん)とそれぞれ期待を口にした。今回のプレミア試写会にはハリウッドの映画関係者が多数訪れており、女優の桃井かおりやマシ・オカも来場。500席を超えるシアターがほぼ満席の状態となった。上映中には笑い声やすすり泣きがあちこちで聞こえ、終了と共に大きな拍手と共にスタンディングオベーションが起こった。本編上映後、役所さんは「一緒に製作に参加した身内(=ワーナー・ブラザースの関係者)に楽しんでいただけたので嬉しかったです。普通だったらエンドロールで帰ってもいいところで、最後まで観てもらってありがたいですね。今日の反応で日本の公開に向けて勇気が沸いてきました」と自信を深めた様子。桜庭さんも「自分の作品が海外で上映される現場に初めて立ち会えて、観客の反応がよくて嬉しかったです」と笑顔を見せた。『最後の忠臣蔵』は12月18日(土)より丸の内ピカデリーほか全国にて公開。■関連作品:最後の忠臣蔵 2010年12月18日より丸の内ピカデリーほか全国にて公開© 2010「最後の忠臣蔵」製作委員会■関連記事:岡ちゃん“サムライシネマ”応援団長就任「まさかこんな風になっちゃうとは」シネマカフェ読者ゴコロなんでもベスト5(第6回)ちょんまげが似合う“まげメン”俳優といえば?「社長になってほしい俳優」ランキング接戦を制したのは奮闘中のあの社長!役所&浩市『忠臣蔵』ヴェネチアのコンペ目指す役所広司×佐藤浩市“討ち入り後”を描いた『最後の忠臣蔵』で世界へ!
2010年10月15日映画『最後の忠臣蔵』の完成報告会見が6月17日(木)、東京・内幸町の帝国ホテルで行われ、主演の役所広司、共演の佐藤浩市が、開催中のFIFAワールドカップに参戦中の日本代表にエールを送った。本作は、赤穂浪士四十七士の討ち入りと切腹後、大石内蔵助の命により生き残った瀬尾孫左衛門(役所さん)、寺坂吉右衛門(佐藤さん)が葛藤を抱えながら使命を全うする年月を描く物語。大石の娘・可音(桜庭ななみ)を育てる使命を受けた孫左衛門の生きざまに、役所さんは「上司の娘を育てる使命をサムライとして全うしようとして、自分が育てた娘に女性を感じたかもしれない。男の強さと弱さを持っていたところが面白い」と感慨深げ。劇中、無二の親友となる4歳年上の役所さんへのライバル心を聞く質問に、佐藤さんは「4歳って結構デカいんですよ、僕からしたら役所さんは大先輩。これまで1シーン、2シーンご一緒させてもらったり、でしたが、今回ガッツリやらせていただけるのがとても嬉しくて楽しみに撮影に通っていました」と恐縮しきり。会場の笑いを誘った。一方、サムライ繋がりで、初戦を突破し19日(土)に第2戦のオランダ戦を迎えるサッカー日本代表の話題になると、役所さんは「(初戦は)もちろん見ました。次も期待しています。サムライジャパンに押されて『忠臣蔵』の記事が小さくなるんじゃないか不安もありますが。でもジャパン、ずっと応援していきます」と苦笑い交じり。佐藤さんは「僕は逆に、サムライジャパンのお陰で『忠臣蔵』の記事が大きくなるんじゃないかと期待しています。野球でもそうですが、こういうときにみんなが高揚して一体になる共有意識を持つっていいことだと思う。そういう意味でも次戦突破を期待しています」と先輩と上手く息を合わせて、エールを送った。本作は、ワーナー・ブラザース映画が製作委員会の幹事社として製作する作品の第1弾。製作総指揮を務める同社社長のウィリアム・アイアトン氏は「世界の映画祭への出品や海外の国への配給を考えている。いま、英語字幕版が完成したばかりの段階で、これから映画祭はまずヴェネチア、ローマにコンタクトをとります。ヴェネチアのコンペに持って行ければ」と明かした。ヴェネチアの審査委員長は今年、ジョン・ウー監督。男の美学を語る“巨匠”だけに、本作がコンペに選出されれば、快挙のひと波乱があるかも!?『最後の忠臣蔵』は12月18日(土)より丸の内ピカデリーほか全国にて公開(photo:O.NAOYA/text:Yoko Saito)■関連作品:最後の忠臣蔵 2010年12月18日より丸の内ピカデリーほか全国にて公開© 2010「最後の忠臣蔵」製作委員会■関連記事:役所広司×佐藤浩市“討ち入り後”を描いた『最後の忠臣蔵』で世界へ!
2010年06月17日ただただデパートが好きという一心で全国各地のデパートを行脚したと言う人物、寺坂直毅さんがその集大成となる『胸騒ぎのデパート』(東京書籍)を発表したと聞いて、大慌てで本人にアポイントをとってお話を伺った。僕もエレベーターだけを取材した『エレベスト』という著書を持ち、一応はマニア心の分かるつもりなのだが、『デパート』というのはどの辺を見るべきなのか。お話を伺った。――今回の本の中で、北は北海道・帯広の藤丸から南は鹿児島の山形屋まで全国31ヶ所のデパートと、1ヶ所の資料館を回っていますね。実際に取材に行かれたお店などで、本になったときの反響などはありましたか?「さまざまな反響でしたが、特にうれしかったのが鹿児島の山形屋さんに喜んでいただいたことです。知人からの反響が大きかったのは、72年の歴史に幕をとじた福岡・久留米の井筒屋さんを取材したページがありました」(寺坂さん、以下同)――僕もデパートは好きか嫌いかと言えば好きですが、デパートのために全国各地を回るというモチベーションはよく分からない人も多いのではないかと思います。率直に言って、デパートの魅力って何だと思います?「うーん、一言では表しづらいのですが……。デパートってその町のシンボルだと思うんですよ。必ず中心部にあって郊外にはないんです。今回久留米の井筒屋の閉店の日に立ち会ったんですが、デパートがなくなるということは町の文化がなくなるということでもあると思うんです」――郊外のショッピングモール的なものには文化がないと。「ショッピングモールはどこも同じような雰囲気なんですね。全国どこに行っても同じで個性がない」(寺坂さん)――ふむふむ。寺坂さんの中で、良いデパートと、そうじゃないデパートがあるようですが、寺坂さんの思う良いデパートって何ですか?「デパート用語で"VP"と呼ぶようですが、正面玄関の入り口がしっかりしていて、華やかな印象があるデパートがやはり好きですね。季節にあった装飾が施されていたり清潔だったり豪華な印象だったり。デパートには装飾を担当する専門の店員さんが居るようですが、その仕事がしっかりしているところはやっぱり入った瞬間に楽しいです」――なるほど!なんとなく鑑賞ポイントが分かってきた気がしました。「ほかにも、"隠し絶景"があります。たとえば、『丸井今井札幌本店』の10階エスカレーターからは、隣のビル(事務所棟)に創業者の今井藤七さんの銅像がちらっと見えるんです。あとは、閉店後の夜のデパートの外観も僕は好きなんですよ。たとえば、ネオンが美しい『松屋銀座』や、重厚感のある『伊勢丹新宿店』なんかは閉店後に見ても素晴らしい気がするんです」――あー、それは何となく分かります。僕も夜のひっそりした伊勢丹新宿店は好きですね。では、あえて外観だけで、全国のデパートベスト5を選ぶとしたら?第5位中三弘前店(青森県弘前市)すごくインパクトのある外観で、すり鉢状です。らせん階段があってたり、フロアの名前が「流行町(ヤングファッション)」、「美装町(ミッシー&ミセス)」、「粋装町(メンズフロア)」といった具合に詩的な表現が多いのもポイントです。第4位井筒屋本店(福岡県北九州市)小倉の百貨店ですが、いかにもな地方のデパートの外観ですね。ただ、一つ違うところは、川のほとりにあるということだと思います。川とデパートという組み合わせが僕は好きです。最近エスカレーターがリニューアルされて、中間に吹き抜けができました。隠し絶景ポイントですね。第3位水戸京成百貨店(茨城県水戸市)お店の歴史は古いですが、店舗は平成18年に移転オープンしたばかりなので、新しい。蛍光灯が一切なくて、間接照明ばかりなのですごくやさしい雰囲気です。フロア構成も秀逸で、このデパートを作る際に全国のデパートを回って良いところを集めたそうですよ。第2位そごう広島店(広島県広島市)広島はコイの町らしいんですよ(注:広島城がコイ城と呼ばれており、広島カープのカープも英語でコイを意味する)。で、コイのうろこをモチーフにした外観なのです。デパートの前に路面電車が走っていて、どこか昔っぽい雰囲気が僕は好きなんですね。と、いうわけで1位はコチラ!!第1位山形屋(鹿児島県鹿児島市)隣県の宮崎出身の僕にとって特別な思い入れがあります。山形屋という名前だけでもう故郷を思い出しますね。外観もきれいでしょ。地元民に愛されているデパートで、僕にとって、良いデパートかどうかの基準が山形屋になっています。近代的なデパート館ができたのは関西以西では初めてと言われています。寺坂さん、ありがとうございました!デパートっていう言葉の響きそのものが、どこか郷愁とつながっているような気がしませんか?気になった方はぜひ寺坂さんの著書『胸騒ぎのデパート』を参考にしながら、近所のデパートに繰りだそう!(梅田カズヒコ/プレスラボ)【関連リンク】デパートと紅白バカの生活今回お話をお伺いしたデパートマニア寺坂さんのブログ胸騒ぎのデパート(Amazon)寺坂さんの著書。装丁もオシャレでおでかけするときに持って行きたいです女子が喜ぶサプライズなプレゼントって何!?今週末は、彼女とデパートに行こう。彼女が居ない人は……妄想の彼女と一緒に……今年の春はスーツでオシャレしませんか?今週末は、デパートでスーツを新調しよう
2009年09月09日