二階のベランダにかかっている物干し竿は錆びついており、窓の奥に見えるふすまには穴が開いている。千葉県内にある小保方晴子さん(35)の実家には、人が住んでいる気配はまったくなかった。’14年1月に小保方さんが発表した「STAP細胞」は世界的に注目され、彼女は“リケジョの星”ともてはやされた。しかし、その数カ月後に研究に関する不正疑惑が浮上し、最終的には理化学研究所も退職することになったのだ。「’16年に上梓した手記『あの日』はベストセラーになり、印税は3千500万円以上とも報じられています。その後、’17年1月からは1年以上にわたり『婦人公論』で『小保方晴子日記―「あの日」からの記録』を連載し、注目を集め続けました。しかし『婦人公論』連載終了後は消息も途絶え、どこかの研究機関に再就職や研究再開をもちかけているという話も聞いたことがありません」(科学ジャーナリスト)STAP騒動から1年後ごろまでは、千葉県内の実家で家族も生活していたようだった。「しかし、この2~3年は小保方さんのご家族にはまったくお会いしておらず、家も“まるで廃墟のよう”と言われています」(近隣住民)ついに“平成のコペルニクス”にはなれなかった小保方さん。1年前のインタビューではこんな前向きな思いも明かしていた。《研究をしていた時から根底にあった思いは、社会の役に立ちたいということ。どんな形であっても、これからもそのために生きていきたい。この人生でもう一度、その夢を追い続けたいと思っています》(『婦人公論』’18年4月10日)いまも彼女はどこかで、著書の印税生活を送りながら、夢を追い続けているのだろうか。
2019年05月08日12月4日発売号で、ついに創刊60周年を迎えた「女性自身」。誌面を色とりどりに飾った有名人たちは何をしている?気になるあの人の今を徹底追跡!■小保方晴子(35)手記『あの日』(講談社)以降2冊目となる『小保方晴子日記』(中央公論社)を今年3月年に出版。21万円のグッチのワンピース姿が話題に。■田島寧子(37)シドニー五輪銀メダリスト。競技生活を引退後、5年ほど女優を目指したが断念。いまは講演で小中学生たちに“努力の大切さ”を説く日々。■吉川ひなの(38)今年9月にハワイからLAに移住。2児の子育てをしながらウェディングドレスや化粧品のプロデュースなどを行う。セレブ生活をインスタで報告。■HITOE(37)NYでヨガ講師の資格を取得しヨガ本を出版。13年に一般男性と結婚し表舞台から姿を消す。’16年に上原多香子のブログに登場したことも。■坂本一生(47)新加勢大周の芸名でデビューから25年、トレーニングジムをオープンしたり、ラーメン店をプロデュースするなど、実業家として活躍中。■川越達也(45)現在、レストランは全店閉店。出身地である宮崎県の農家とコラボし野菜を販売する事業やレストランプロデュースのイベント、料理教室を開催。■裕木奈江(48)今年10月には30周年ライブも開催。ブログによれば、最近はダライ・ラマに傾倒しているもよう。インスタでは割れた腹筋も披露している。■加勢大周(48)元所属事務所と、芸名使用を巡ってトラブルに。薬物事件を機に芸能界を引退した後は、バーテンダーとして働く姿が目撃されている。■千堂あきほ(49)00年の結婚後、北海道札幌市に移住。北海道文化放送などに出演し、北海道を拠点に活動中。義母の助けを借りながら女児2人の育児と仕事を両立。■長崎宏子(50)“元祖”天才美女スイマーも現在は3女の母。’98年から千葉で乳児水泳教室「ベビーアクアティクス」を主宰。長女は芸能プロに所属している。
2018年12月09日STAP細胞発見の報道から、気づけば4年。最近はニュースでも見かけなくなった元理化学研究所(以下理研)研究員の小保方晴子さんですが、3月25日に処女作から約2年ぶりの手記を出版。今回は理研でのSTAP細胞騒動終焉後の、2014年12月以降の小保方女史の日常が、日記として綴られています。 騒動後も彼女の生活は“平穏な日々”ではなく心身を崩し、マスコミに追われ、刑事告発があり、また在学していた早稲田大学からは博士号を剥奪。その際の苦しい心中が、表現力豊かに語られています。 本作の内容はSTAP細胞騒動後に起きた出来事に関する記述も多いのですが、主だった内容は彼女の生活からの視点。傷つきながらも立ち向かおうとして、心を折り、また立ち直ろうとする。まさに三歩進んで二歩下がる姿が描かれています。 センセーショナルな割烹着姿の女性がさまざまな“進化”を遂げたのも衝撃ですが、今思えば彼女はなぜ彼女はスターとなってしまったのか。本書を読みすすめながら、研究者としての側面以外の彼女の顔を考えてみたいと思います。 ■精神疾患者の日常と回復状況としての有用性 読み進めていちばん最初に感じたことは意外にも彼女の素顔ではなく、本書の有効性です。本書は”STAP細胞の騒動後に起きたことを当事者が語る”という特筆性を脇に置けば、精神疾患を患った女性の”ある程度の回復”までの記録として読むことができます。 2015年の1月はマスコミからの逃亡劇のなかひたすら泣き、絶望し続けている。と思ったら2月にはクスリの効果なのか食欲に振り回される記述が増え、勉学への意欲をほんの少し取り戻します。そして3月になると涙し絶望しながらも、パン作りや料理にいそしんだ記録が目に入ってきます。 その後は出来事とあわせてまた絶望の淵に立たされたり、少し回復したり、パニックが起きたりと状態に波があります。診断による鬱とPTSDがどのような事象によってどう変化を遂げるのか、そして後半の回復がどんなキッカケから生まれたかがよく理解できます。 当事者としてはどれも絶望や混乱に変わりないのかもしれません。ただ鬱や精神疾患を体験したことのない人にとっては、心の変化と心身の変化が比較的わかりやすく書かれているので理解の深まる内容かもしれません。 ■強い「わかってほしい」が原動力でありトラブルの元凶か STAP細胞騒動の中心人物とはいえ、彼女がなぜここまで“渦中のスター”として扱われたのか。そこには若い女性研究者だったからということ以外にも、注目されるべき理由があったように思います。1つは多くの人が感じているであろうビジュアル面での異質さです。 STAP細胞での釈明会見では、7万6,000円のバーバリーのワンピースを着用し、その後の対談では11万6,000円のレッドヴァレンティノのワンピース。そして週刊誌のグラビアに登場した際はグッチの21万3,840円のワンピースと、衣装も見た目もランクアップして私たちの前に現れました。 研究者という立場よりも感じる“オンナ”の側面は、間接的に研究者としての説得力を減退させ不謹慎な側面にばかり注目を集めるような作用がありました。 「なぜわざわざ自分から話題を振りまくのか」と思う人も多いかと思いますが、本書を手にとるとその理由が少しわかる気がします。彼女の原動力は研究したい学びたいという気持ちの前に「私をわかってほしい」という気持ちが強くあり、同時に“行動のちぐはぐさ”があるのです。 たとえば通院している病院の先生に「本が出たら大きな反響がある」としてしばらく病院に来ないで欲しいと告げられた際、彼女は本書に「見放されたような気がいて、すごく寂しかったのに、また笑ってしまった」と綴っています。通院し続けたいという気持ちを明確に持っているのに、先生の指示に素直に従ったような記述がありました。 他にも出版にあたり打ち合わせをした際、同席者が世間の悪口や業界の噂話を“笑い話”として出した際、彼女は心の中で「慣れていない」と感じまた疲労感を覚えていたようです。ただこれも本人に伝えることはなかったようです。 こういった我慢してその場をやりすごしたという記述が、本書では散見しています。主にその対象は心を許していない相手に対して行うようですが、ちょっとした本音を我慢して裏で辛くなるのは“本音が伝わらないことによる状況悪化”を起こしかねません。見方によっては被害者意識が強い人とも捉えられます。 思ったことを何でも伝えるのも問題ですが、こうして文字として改めて綴るところからも「本心をわかってほしい」という気持ちの強さがあるのでしょう。研究者として理解されるよりも、自分をわかってもらうことを優先した結果が、ふるまいや見た目の異質さに、つながっているのかもしれません。 「シャッター音がなるたびに、自分の(命の)ロウソクに火を分けられているように感じた。(中略)もう私の火は揺らいでいない、そう思った時に、最後のシャッター音が聞こえた。写真にうつる女性を見て、この人の火はきっとドラマティックに燃え続ける、ロウソクが尽きるまで火が消えることはないと信じることができた(中略)。私は分けられた火をまた誰かに分けながら生きていく」 本書出版の際に撮影に望んだときのことを、あとがきにかえた日記として、彼女はこう綴っています。 前作では今でも実験をしている夢を見る。涙が勝手に込み上げてくる。と書いた彼女が、2年の時を経てどう変化し、そしてどう進化していくのか。“ドラマティックに燃える火”が彼女の身を焦がさず、幸せの炎であることをまずは願いたいです。
2018年04月11日3月22日に『小保方晴子日記』(中央公論新社)を出版した小保方晴子さん(34)。STAP細胞騒動から4年。今回の著書には、論文ねつ造を指摘されて“どん底”に落ちた日々から、彼女がどうやってここまで這い上がってきたかが、克明に描かれている。 日記は、理研を依願退職した直後の14年12月31日から始まるが、当時は一歩も外に出ず引きこもる生活だったという。 《一日に何度も死にたいと思って、気が付けば真剣に方法を考えてしまう日々が続いている(15年1月24日)》(『小保方晴子日記』より・以下同) こうして絶望の淵に追いやられた彼女は、16年1月に手記『あの日』(講談社)を出版。何を言っても世間が聞く耳を持ってくれなかったと感じていた彼女は、本を書くことで、初めて鬱屈した思いを活字の形で吐き出すことができたようだ。このころから、彼女の生活に変化が現れていく。 STAP騒動の渦中には、スエットにパーカー姿で、髪の毛を振り乱して理研に出勤していた彼女の姿を本誌も目撃していた。だが2年前の手記出版をきっかけに、彼女は次第に化粧品やファッションへの関心を取り戻していったのだ。 《白いワンピースを友人が代わりに買って、郵送してくれた。私にウェディングドレスを着る日は来ないと思うから、奮発してこの白いワンピースを買うと決めたのだ(16年4月9日)》 ただ騒動のなかで、犠牲者も出た。14年8月、自ら命を絶った小保方さんの元上司、笹井芳樹さん(享年52)。一時はノーベル賞候補とまで言われた笹井さんの妻・A子さんに、本誌は2年前にも取材したが、今回あらためて話を聞かせてもらった。 前回の取材は、小保方さんが初の手記を出した直後のこと。A子さんは「小保方さん個人の気持ちを綴った内容なら読みたくありません」と終始、硬い表情だった。 しかし、あれから流れた2年の歳月がA子さんの心を融かしたのだろう。今回は、柔らかい表情で記者の質問に答えてくれた。 「小保方さんからの連絡は、まだありません。ただ、(小保方さんが自分に)連絡することは大変なことだとは思います。たとえば、交通事故で人の命を奪ってしまった人が遺族に謝罪に行くのはすごく勇気がいること。それと同じような大変さはあるので……」 A子さんは、そう彼女を思いやってみせた。 「じつは主人が、小保方さんについて『研究者には向いていない』と言っていたことがあったんです。でも、彼女にはこうして文章を書く才能があったということなんでしょう。私も、なんとか前を向いて生きていきたいと思います」 そう言って微笑んでいた、A子さん。その瞳は、小保方さんの行く末をどこか危ぶんでいるようにも見えたーー。
2018年04月05日《えっ、小保方さん、めっちゃ綺麗になってない!?》《別人ですよ!》 3月22日に『小保方晴子日記』(中央公論新社)を出版した小保方晴子さん(34)。STAP細胞騒動から4年。小保方さんは今回の自著発売にあたって、雑誌『婦人公論』4月10日号のインタビューに登場した。そこで披露したグラビア写真での変貌ぶりに、ネットには驚きの声が殺到しているのだ。 小保方さんといえば、かねてからそのファッションが注目されてきた。STAP細胞を“発見”して一躍、時代の寵児となった当初は、研究室で白衣代わりに着ていた“白のかっぽう着”が注目を集めた。ベテランスタイリストはこう語る。 「今回の『婦人公論』グラビアで着用していた白のワンピースは、グッチの春の新作で21万3千円。これは、論文ねつ造を指摘された14年4月の反論会見で彼女が着ていた7万6千円のバーバリーのワンピース、さらには16年6月の雑誌対談で着ていた11万6千円のレッドヴァレンティノのドレスをも上回る“過去最高額”ですね」 着ている洋服の値段は右肩上がりだが、彼女の服の好み自体は、以前からあまり変わっていないという。 「世の中から姿を消していた2年前、瀬戸内寂聴さん(95)との対談で久しぶりに姿を見せた際のドレスも、今回と同じ白色。自分は潔白ーーそう訴えるかのような、クリーンで無垢な雰囲気のデザインでした。でも、今回のグッチのワンピースは胸元にフリルやリボンがあしらわれた派手なデザイン。“勝負服”というか、『返り咲いてやる!』といった意欲が見えます。2年前よりも自信が回復したのか、“野望”すら感じられますね」 プロの目にも過去との違いがはっきり見てとれるようだ。今回の著書には、論文ねつ造を指摘されて“どん底”に落ちた日々から、彼女がどうやってここまで這い上がってきたかが、克明に描かれている。日記は、理研を依願退職した直後の14年12月31日から始まるが、当時は一歩も外に出ず引きこもる生活だったという。 《一日に何度も死にたいと思って、気が付けば真剣に方法を考えてしまう日々が続いている(15年1月24日)》(『小保方晴子日記』より・以下同) 絶望の淵に追いやられた彼女は、16年1月に手記『あの日』(講談社)を出版。何を言っても世間が聞く耳を持ってくれなかったと感じていた彼女は、本を書くことで、初めて鬱屈した思いを活字の形で吐き出すことができたようだ。このころから、彼女の生活に変化が現れていく。 《新作の化粧品でテンションアップ(16年1月3日)》 STAP騒動の渦中には、スエットにパーカー姿で、髪の毛を振り乱して理研に出勤していた彼女を本誌も目撃していた。2年前の手記出版をきっかけに、彼女は次第に化粧品やファッションへの関心を取り戻していく。 《白いワンピースを友人が代わりに買って、郵送してくれた。私にウェディングドレスを着る日は来ないと思うから、奮発してこの白いワンピースを買うと決めたのだ(16年4月9日)》 STAP騒動から4年。彼女は、美しい“鎧”をまとうことで、世の中と再び対峙する勇気を得たのだろう。
2018年04月05日早稲田大学は11月4日、11月2日に行われた小保方晴子氏の博士学位の取消しに関する記者会見の直前に代理人を通じて発表された小保方氏のコメントを受けて、同大学としての見解を文書にて示した。1.「前回の学位は正式な審査過程を経たうえで授与されたもので、今回の訂正論文が博士に値しないとされたことは、前回の授与時判断と大きくかい離する結論である」という小保方氏の主張に対して同大学は、2014年10月6日付で小保方氏に授与された学位を取り消したが、同大学先進理工学研究科側にも不備・欠陥があったとして、猶予期間を設け、再度の論文指導などを行ったうえで、本来提出されるべきであった論文になるよう訂正を求めていた。文書において同大学は「2011年に実施された学位審査の基準と今回の決定に至る論文訂正の水準は、本質において何ら変わることなく、ただ『博士学位にふさわしい』論理的説明が科学的根拠に基づいて行われているかという点に尽きる。今回の論文指導は、小保方氏の事情によって十分な時間を取ることができず、指示された訂正作業を完了できないままに猶予期間が満了するに至ったということであり、本学として審査の基準を変えたわけではない」という見解を示している。2.「担当教官によって『今回は合格する可能性はとても低い』と伝えられ、不合格の理由においても審査教官から『博士として認めることのできないのは一連の業界の反応を見ても自明なのではないか』とのコメントがあり、学術的な理由ではなく社会風潮を重視して結論を導いた」という小保方氏の主張に対してこれらのコメントについて、同大学は「前後の文脈を無視した引用である」と主張。「前者は、指導教員が最初の面談で、『提出すれば必ず合格するというわけではないので、合格できるよう修正していきましょう』と言ったことを指していると推定される。後者は、『不明瞭な疑惑がひとつでもある場合、またそれを解消する姿勢が著者に見られない場合、信頼できる博士および論文として認めるのは難しいことは、昨年の一連の業界の反応を見ても自明なのではないか』という改訂稿に対する指摘の一部だと思われる」としている。3.「入院中、加療中で思考力・集中力などが低下している状態での修正作業となり、博士論文に能力を発揮できる健康状態ではないとの診断書を大学に提出。心身への状況配慮などは一切なされなかった」という小保方氏の主張に対して同大学は、小保方氏より診断書が2回提出されたことを認めたうえで、「論文指導が小保方氏の健康状態に大きな影響を与え、取り返しのつかない状況に至ることを慮り、それゆえに医師の診断結果を考慮しながら対応することを常に心がけてきた」とコメントしている。なお、2回目の提出は同大学より依頼されたものだという。4.「修正論文提出後、一回のやり取りだけで不合格の判定をされ、それに対する意見も聞く耳を全く持たない状況であり、当初から不合格を前提とした手続きであった」という小保方氏の主張に対して記者会見において同大学は、「メール、電話などで本人の体調を考慮しながら十分な指導を行った。また、2名の教員が3度直接訪問し面談を実施するなど、できることは十分にやってきた」としている。なお、小保方氏からは最初の草稿以降に3回改訂稿が提出されたという。***同大学は文書において、「両者の努力が十分な結果を得るに至らないまま猶予期間が満了してしまった。それは、教育の場としての本学にとっても辛い結果ではあるが、これは学問の府として揺るぎない基準をもって博士学位にふさわしい論文を評価するとの姿勢の帰結でもある」と、再度今回の学位取り消しの決定についての見解を示した。なお、小保方氏と争うことは考えていないとしている。
2015年11月04日早稲田大学は11月2日、小保方晴子氏に授与した博士学位について、猶予期間が満了し学位の取り消しが確定したことを受けて、同大学における博士学位論文の取り扱いに関する記者会見を開催した。今回の取り消し理由について同大学は、「一定の猶予期間に行われることを想定していた論文訂正と再度の論文指導について、研究倫理教育および不適切な引用などの論文訂正は終了したと認められるが、結果に至る科学的根拠の記述、あるいは記述の論理性など先進理工学研究科による指導に応えて、なされるべき訂正作業が終了しないまま、猶予期間が満了したため」であるとしている。同大学は2014年10月6日付で「本大学において博士、修士または専門職学位を授与された者につき、不正の方法により学位の授与を受けた事実が判明したときは、総長は、当該研究科運営委員会委員会および研究科長会の議を経て、既に授与した学位を取り消し、学位記を返還させ、かつ、その旨を公表するものとする」という同学学位規則23条に則って小保方氏に授与された学位を取り消した。一方で、学位を授与した先進理工学研究科側にも指導・審査過程に重大な不備、欠陥があったとして、2014年11月に新たに小保方氏の指導教員を選出。一定の猶予期間を設け、再度の博士論文指導、研究倫理の再教育を行い、博士論文を訂正させ、これが適切に履行された場合は学位を維持できるとしていた。小保方氏の学位論文について具体的には、「論文中にコピー&ペーストした箇所があったこと、企業Webサイトからの写真の盗用があったこと、参考文献情報が適切に掲載されていないこと、科学的根拠・論理性に乏しかったこと、以上の4点に問題があった」とし、再指導によって改訂稿ではコピー&ペーストや写真の盗用が行われている箇所の修正・差し替えが行われたというが、やはり「科学的根拠、および論理性が不十分」であったという。その詳細について同大学は「現在提出されている博士論文自体は途中稿なので、コメントは差し控える」としたが、博士論文のもととなった米国雑誌「Tissue Engineering Part A」に掲載された論文の内容との不一致があったこと、実験手順などの記述が不足していることなどがあったとした。また、再指導については、「メール、電話などで本人の体調を考慮しながら十分な指導を行った。また、2名の教員が3度直接訪問し面談を実施するなど、できることは十分にやってきた」としている。なお、指導教員と審査員は学位論文審査時からすべて入れ替えたという。早稲田大学総長 鎌田薫氏は今回の決定について、「最大1年間でこの問題を解決するというのは、社会に対するお約束だと思っていた。また、学位のない博士論文が1年存在するというのは異常。あと1カ月、2カ月というならわかるが、延期の希望について具体的な日程が示されていない。いつになるかわからないまま放置するわけにはいかない」と説明した。また、この問題を受けて同大学は、小保方氏以外の博士学位論文について2014年3月および10月にすべての研究科に対して不適切な博士学位論文の有無に関する調査を指示。同大学図書館が博士学位論文をリポジトリに掲載するサービスを本格的に開始した2006年度から2014年9月までに学位が授与された論文について調査を行うこととした。また、これ以後に学位が授与された論文についてもリポジトリ掲載前に確認を行っている。現時点では2006年度以降に学位が授与された約2700本の論文についての調査はほぼ完了しており、その結果、学位取り消しの対象となる「不正の方法により学位の授与を受けた事実が判明した」論文は発見されていないとしている。しかしながら、研究の本質に関わらない部分において、引用不備などの訂正を要する博士学位論文が89本発見され、これらの論文のうち48本についてはすでに訂正作業が終了し、研究科運営委員会で訂正確認がなされている。訂正された論文は同大学のリポジトリで閲覧可能。国会図書館には、訂正報告書が納入されるという。同大学では再発防止策として2014年10月6日に、「課程博士における博士学位および博士学位論文の質向上のためのガイドライン」を策定し、新たな研究指導および博士学位論文審査を実施している。鎌田総長は「学問の府として不適切な論文を放置しないということで、これまではいわば例外的な措置をとってきたが、残念ながら本来なされるべき訂正作業が終了しなかったため今回の決定に至った。今後は基本的な考え方に則り、博士課程における論文審査をより一層改善させることによって本学の教育の質の向上・信頼回復に努めていく所存である」とコメントした。
2015年11月03日理化学研究所(理研)は12月19日、7月より行っていたSTAP細胞が存在するかどうかの検証実験の結果を公表した。理研は8月の中間報告でもSTAP細胞を作ることはできなかったと発表していたが、実験には熟練した技術が必要な可能性があるとして、11月末まで小保方晴子氏が参加するかたちで検証が続けられていた。検証は小保方氏による実験と、相澤慎一リーダーと丹羽仁史副チームリーダーらの検証実験チームによるものが行われた。小保方氏による検証では、論文にあったように、脾臓由来のリンパ球からのSTAP現象の検証に集中して実験を行った。一方、丹羽氏らの検証実験チームでは、脾臓以外に肝臓と心臓についても検証を実験したが、どちらもSTAP細胞の存在を確認することができなかった。相澤氏は「これ以上は検証実験の範疇を超えるもの」と語り、当初3月末までを期限としていた同検証を打ち切るとした。なお、検証終了をもって小保方氏は理研に退職願を提出し、承認された。同氏は「予想をはるかに超えた制約の中での作業となり、細かな条件を検討できなかった事などが悔やまれますが、与えられた環境の中では魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り、このような結果に留まってしまったことに大変困惑しております。私の未熟さゆえに論文発表・撤回に際し、理化学研究所を始め多くの皆様にご迷惑をおかけしてしまったことの責任を痛感しておりお詫びの言葉もありません。検証終了を以て退職願を提出させていただきました」とのコメントを発表している。
2014年12月19日早稲田大学は10月7日、都内で会見を開き、小保方晴子氏の博士認定論文に関する研究不正問題について、同氏および関係者への処分を発表した。会見には同大学の鎌田薫 総長、橋本周二 副総長・学事統括、大野高裕 教務部長の3名が出席した。この問題は2011年に小保方氏が博士認定論文として提出した論文において、他の論文からの盗用など、数々の致命的な問題があったにもかかわらず、同氏に博士号が授与されてしまったというもの。小保方氏だけでなく、論文の問題を見抜けなかった大学側の責任も問われていた。小保方氏に対しては、7月17日に提出された調査委員会による調査報告書などに基づいて、10月3日の早稲田大学研究科長会を経て、10月6日付けで、同氏に授与された博士論文の取り消しを決定した。しかし、同大学は自分たちの側にも多大なるミスがあったことを理由に1年間程度の猶予期間を設け、その間に論文指導と研究倫理の再教育を行い、適切に論文が修正された場合は学位を維持できるものとし、これがなされなかった場合に学位を取り消すとのこと。また、関係職員に対しては、小保方氏の指導および論文の主査を担当した教員に定職1カ月、副査を担当した同大学職員に訓戒処分を下し、総長は役職手当の20%を5カ月分返上するとした。なお、同大学では現在も不適切な博士学位論文の調査を継続しており、これまでに約700件の確認が終了し、研究の本質的な部分以外での不適切とみなされる箇所のある論文を複数発見した。何年前までの論文を対象としているかと、対象論文の総数については明言を避けた。鎌田総長によれば、今回の決定は10月6日に弁護士を通して小保方氏に伝えたが、同氏からは現時点で何も聞いていないという。調査委員会は今回の問題は学位取り消しには当たらないとの見解を7月に発表していたが、同大学はこれを覆す結論を出したことになる。
2014年10月07日先日、仕事関係で知り合った女性とお茶をしていたときのことです。仕事の話から恋バナに発展し(女史はいくつになっても恋の話が好きですよね)、彼女が「お菓子作りする人って、男性に気に入られたいからだと思うんだよね」と、ポツリ。えええ!単純にお菓子作りが好きな人もたくさんいると思うんだけどなぁ。でも、たしかに「男性受けするお菓子」を紹介した方が、世の中の需要はありそうです。そんなわけで、今回はオトコ受け間違いなし!シックで大人味のスイーツレシピをご紹介してみたいと思います。その名も、ラズベリー・シーソルト・ブラウニー定番の焼菓子「ブラウニー」 に海塩とラズベリーを加えた「ラズベリー・シーソルト・ブラウニー」。 なんだか美味しそうな響きではありませんか?材料(20cmのスクエア型1台分)ダークチョコレート・・・約200gミルクチョコレート・・・約100g無塩バター・・・約225gライトブラウンシュガー・・・2カップ卵(Lサイズ)・・・3コ薄力粉・・・1カップ海塩・・・小さじ1/2ココアパウダー・・・1/2カップラズベリー・・・約170gフレーク状の海塩・・・小さじ1/2(トッピング用)HOW TO COOK下準備:オーブンは170~180℃に予熱をしておきます。スクエア型には無塩バター(分量外)を薄く塗り、オーブンシートを型に沿うように敷いておきます(ブラウニーを取り出しやすくするための作業です)。1. 耐熱性のボウルに粗く刻んだダーク&ミルクチョコとバターと砂糖を入れ、500Wのレンジで2分加熱。20~30秒ごとに容器を取り出しては、スプーンで混ぜて、また加熱という作業を繰り返します。2. 1のボウルに卵をひとつずつ加え、そのつど泡立て器でよく混ぜます。塩も加えます。薄力粉とココアパウダーを合わせてふるっておいたものを加え、ゴムベラでさっくり混ぜましょう。3. 型に生地を流し入れて表面を整えたら、ラズベリーとトッピング用の海塩を散らして65~75分間かけてじっくり焼き上げましょう。竹串を刺してみて、生地が少しくっつく程度が焼き上がりの目安です。そのまま冷まし、冷蔵庫で2時間から一晩かけて冷ませばできあがり!まるでパティスリーのデザートのように変身!誰もが知っているブラウニーにひと手間加えるだけで、まるでパティスリーのデザートのように変身!湯煎など面倒な作業はないので「にわかお菓子作り女史」のみなさんにも気軽にチャレンジしていただけるのでは?また、私のようにお菓子作りが大好きな方には、素材の組み合わせの意外性を再発見していただけるレシピだと思います。白ワインを加えると華やかな香りがプラスされそうですね。「スイーツ×塩」の組み合わせは、日本のみならず海外でも人気。そういった小ネタも披露しつつ、気になる彼にプレゼントしてみてはいかが?※参考: love & olive oilImage photo by Pinterest
2014年07月22日欲望渦巻く女史の世界。そして、自己顕示欲が渦巻くSNSの世界……。連休明け、Facebookやツイッターをのぞくと、そこはもうリア充たちの巣窟で、これでもか!というほど、彼氏や友達と楽しそうにしている写真がアップされていることってありますよね。「なんでみんなこんなに完璧で、幸せな人生を送っているのだろう……」ネガティブで下ばかりむいている非リア充な私は、SNSにあふれる「幸せです!」アピールにわりと本気でヘコみます。しかし今回、「負け美女研究家」として有名な犬山紙子さんのアニメ新書“犬山紙子のキレイごとじゃ終わらない!” を見て、リア充っぽく見えている人も、意外と大変な思いをしていることがわかりました。スタイル抜群で、ファッションも攻め系!SNSには生活臭のカケラもなく、お高いシャンパンで乾杯して騒いでいても、「スッピンは地味」というコンプレックスをもっていたのです。リア充女史もアゲていこうと思えば、バッチリメイクで武装して、服もビシッと決めて、ヒールを履いてネイルもして、果てはお口のエチケットにいたるまで、すみずみまで気を配っているし、他力本願ではなく、自分の力で強くなっていこうとしていることを教えられました。考えてみると、リア充も非リア充も、同じ女史であり人間なので、コンプレックスがあって当然です。それに人って、得てして「悪い状態の時の自分」を周りに見せないものなので、SNSが「隣の芝生は青い」状態になっているのは、普通のことなのかもしれませんね。歯ブラシのブランドである「リーチ®」の新キャンペーンでは、“女性の自信”をテーマにしたデジタルアニメーション「大人女子のためのアニメ新書」シリーズを展開しています。ネガティブで下を向いてばかりいる私に力をくれた第1回目の“女の自信は顔に出る?”篇は、以下で観ることができます。よかったらひとの「コンプレックス」とやらをのぞいてみてはいかがでしょうか。「リーチ®」のブランドコンセプトは女性なら誰もが意識しておきたいこと、つまり「口元の自信があなたを変える」です。口元のケアをしっかりすることで、自信が持てるようになり、明るく快活な印象を与えることができますよね。動画を観終わった後、お口のケアをしたら、「今日も“いい女”で元気にいこう!」と思えてくるから不思議です。動画は今後も更新されて行くようですので、次作もどうぞご期待ください!※参考: リーチ®(ジョンソン・エンド・ジョンソン)「大人女子のためのアニメ新書」Photo by Pinterest
2014年07月04日嗚呼、いつの頃からでしょう。私たち女史は、牛乳の入ったカフェオレよりも豆乳でできた味の薄いソイラテなんかを飲むようになりました。あげく、「牛乳なんて久しく見てない」とまで言い放ち、牛乳は「あの人(牛?)は今」状態に……。これは私の周りに限った話ではないようで、事実、森永乳業(株)の調査によると、牛乳の消費量は年々減ってきているそうです。なぜ牛乳離れが進んでいるの?牛乳以外にも多くの健康飲料や健康食品が出てきたこともありますが、女史の牛乳離れの理由として挙げられるのが、「太りそう」、「お腹がゆるくなりそう」といった健康や美容面での不安。とくに、ダイエット中などは気になってしまいますよね~。少量で高栄養♪低脂肪なのに美味しいミルク「PREMiL」誕生!それならば、みんなの不満を改善した “大人のためのミルク”を作ってあげる!と立ち上がったのが、大手乳製品メーカーの森永乳業株式会社。すでに4月8日より関東甲信越で発売されている、栄養にこだわった低脂肪タイプのミルクシリーズ「PREMiL」。CMでは、女優の真矢みきさんが“ミルク会議”なるもので司会役に挑戦しており、その新鮮な姿に目を止めた人も多いのではないでしょうか?そんなPREMiLの新CM完成記念イベントが先日都内で行われました。CMと同じファッションで登場した真矢さん。う、美しい……。普段から牛乳はよく飲まれるそうで、「仕事で遅くなった日はシリアルにかけて食べたり、寝る前に飲んだりします。ゆったりと眠りにつけるんですよ」とのこと。この透明感のある凛としたオーラの秘密は、ミルクなのかもしれません。真矢さんもハマり中!「PREMiL」の大人の魅力とは?PREMiLは全部で2種類。120mlで200mlと同等のカルシウム、たんぱく質が摂取できる「PREMiLカラダしっかり」と、牛乳と同等のカルシウム、たんぱく質に加え、生きたまま腸まで届く“ビフィズス菌 BB536”や食物繊維も摂取できる「PREMiLカラダ美しく」があります。私が一番良いなと思った点は、少量で栄養が摂れるところ。この写真を見てください。実際に1日に飲む量はたったこれだけ。今までみたいにガブガブ飲まなくても、たっぷり栄養が摂れちゃうんです。しかも、低脂肪なのに美味しい!ほら、低脂肪ってな~んか味が薄いってイメージありませんか?それも牛乳から遠ざかる原因のひとつだったのですが、こちらは濃厚でしっかり味。これなら、体重を気にしながら飲むという罪悪感から解放されますね!まだまだある!「PREMiL」の嬉しいポイント・飲みきりサイズだから一人暮らしに嬉しい!(強がりなんかじゃない)・注ぎ口が広いから注ぎやすい!(もう、ドボボッ!と出る心配なし)・キャップで開閉だから衛生的!(紙パックの口のしなしな感から解放)いかがでしたか?私たち大人世代に向けて作られたミルク「PREMiL」。これを知れば、もう牛乳を飲まない理由が見つからないかも!?私も、早速生活習慣のひとつに仲間入りしそうな予感です♪【参考】※ 「PREMiL」公式サイト
2014年05月13日「派遣っていつ切られるかわかんないしなー」「私の人生、この会社でなんとなく終わるとか嫌だなー」なんて思っているANGIE女史のみなさん!フリーランスという働き方はいかがでしょうか?「ひとりで働くなんて、私にはムリムリ!」そんな声が聞こえてきそうですが、実はそんなに難しくありません。かくいう私も、派遣社員からフリーのライターになった口ですから。でも、最近思うんです。この働き方には“向き不向き”がある、と。 今日はそんな、フリーランスという働き方を選択しても生活できる、いわば「フリーに向いている人はこんな人!」というお話をしたいと思います。まずは、私のお話を少々。リアルに派遣社員からフリーランスになった経緯をお話することで、みなさんが独立した時のイメージを膨らませてもらえたら嬉しいです。私がフリーランスとして働いている職種は、ライターと呼ばれるもの。ライターになろうと思ったのは、“文章を書くのが上手いと褒められたから”。たったこれだけの理由で、働きながら学校まで行って就いたweb制作の道をあっさりと捨て、大手出版社に潜り込みました。いや、正確にはweb制作の道は捨ててはいません。大手出版社には、web制作で潜り込んだのですから。そして面接の時にこう言いました。「私、ライターになりたいんです。制作もするんで、ライター的な仕事もさせてもらえませんか?」後に上司となる女性は、「……慣れてきたらそういうことも頼みたい……かな。でも今は、webの制作を募集してるから。ほら、ね?」と引きつった表情で答えたのでした。今になってわかります。その時の私は、なんて怖いもの知らずだったか、と。怖いもの知らずはフリーランス向き!?>>>ライターとひと言で言いますが、じつはとっても奥が深くて、とくに雑誌のライターなんて「やってみたいんすよね。」と鼻をほじりながら言ってやらせてくれるものではありません。学生の頃から編集アルバイトで下積みをして、10年経ってもなれない人だっているほどです。しかし、そんな怖いもの知らずで大胆な性格の人は、フリーになるには向いていると思います。ひとつ目の向いてるポイントが出たところで、ここからは、私が実感しているフリーランス向きの人の特徴を5つに絞って説明していきますね!1:いい意味で神経が図太い人当然、収入は不安定になることが予想されます。そんな時でも「なんとかなるさ~」と思える楽天的な人はフリーに向いています。私の場合は、派遣で働いていた時、連休が続いたりすると収入が少なくなるというのを経験していたので、むしろフリーになるほうが収入が増えると思っていました。派遣はどれだけ働いても時間で給料が決まってしまいますが、フリーは自分次第でいくらでも収入を増やせる点が魅力的です。それに、この仕事がなくなっても、他にできることはたくさんあります。だって、世の中にはたくさんの仕事があるんですよ~。そう考えるとワクワクしませんか?極端ですが、このように物事の良い面ばかりを見てしまう、ある意味“おめでたい”性格なら、満を持してフリーに転向しましょう。いかがでしたか?後編では、残り4つの「フリーランス向きな人の特徴」をお話します。悩んでいる人は、ぜひ自分にとってリスクの高いほうを選択することをおすすめします。たとえリスクの少ない道に甘んじても、そこではもうあなたは成長できません。悩んでいる時点で、あなたにとってその道は、魅力的ではなくなっているはずなのですから……。photo by Pinterest
2013年11月19日「ぴあ」調査による7月21日公開の映画・満足度ランキングは、アウンサン・スーチー女史の半生を描いた『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』がトップに輝いた。2位に『時をかける少女』『サマーウォーズ』の細田守監督の最新作『おおかみこどもの雨と雪』が、3位にフランスで大ヒットを記録したヒューマンドラマ『屋根裏部屋のマリアたち』が入った。その他の写真1位の『The Lady…』は、ビルマの民主化運動指導者スーチー氏の激動の半生を描いた作品。監督はリュック・ベッソン。劇場には、幅広い世代の観客が足を運び「政治的な背景を含め、親として妻として、ひとりの女性としての力強さを感じた」「伝記映画は多いが、現代に生きている人物を映画にすることでリアルさが生まれ、凄みを感じた」「ビルマの現状がよくわかり、政治的な側面だけでなく家族との関係も描いてるところが印象的だった」「歴史から目をそらさずに、自分たちの立場を理解するという意味で、多くの人に観てほしい」などのコメントが寄せられた。2位の『おおかみこどもの雨と雪』は、“おおかみおとこ”と結婚した女性とその子どもの成長を描いた物語。出口調査では「前作よりも家族という面を描いている。母親の育て方が印象的。自分の親に観てほしい」「映像が美しい。自然や風景の描写に魅せられた」「じんわりと心に染みる作品」「序盤から涙が出た。台詞や映像に優しさがあり、何でもない日常を観ているのが心地よかった」など、10代から30代を中心に好評だった。(本ランキングは、2012年7月21日(土)に公開された新作映画10本を対象に、ぴあ編集部による映画館前での出口調査によるもの)
2012年07月23日ノーベル平和賞を受賞したビルマ民主化運動のリーダー、アウンサン・スーチー女史の半生を描いた『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』が21日(土)から公開される。映画化を熱望したヨーと、その熱意に応えたベッソン監督が公開前に本作への想いを語った。その他の写真日本でも多くの報道映像が流れ、ニュースにその名があがることが多いスーチー女史だが、彼女の“素顔”は多くの人に知られているとは言いがたい。本作は、軍事政権が続くビルマ(現ミャンマー)で、政権に危険視されながらも自らの信念を貫いて民主化への道を邁進したスーチー女史の戦いと、愛する夫と子をもつ“ひとりの女性”としての彼女の姿を描いている。ヨーは彼女の記録映像や資料を何度もチェックし、外見だけでなく、スーチーの話し方やちょっとしたアクセントのクセまでも再現しようとしたという。「外見についてはリュックのチームが集めてくれた資料の力を借りました。耳の形も特殊メイクで変えましたし、衣装も地元で買い付けた素材を使っています。でも、私は彼女の“内面”を知り、彼女のかもし出す“オーラ”を体現しなければならないと思いました」。さらに本作ではスーチーだけでなく、彼女の夫の英国人マイケルの物語を描くことで、単なる伝記映画ではない“普遍的なラブ・ストーリー”に仕上がった。ヨーは「この映画はピュアなラブ・ストーリーでもあります」と言い、ベッソン監督は「かつてビルマは英国の植民地だったがスーチーの父であるアウンサン将軍が解放した。しかし、将軍の娘であるスーチーと英国人のマイケルは恋に落ちたんだ。これはビルマ版“ロミオとジュリエット”でもあるんだ」という。しかし、本作は架空の物語ではない。スーチー女史は現在も民主化のための活動を続けており、ここで描かれているのは“現在も続いている物語”だ。「だからこそ、スーチーさんを裏切るようなことだけは絶対にしたくなかった」と力強く語るベッソン監督は「情報が完全ではない中での映画作りだったので、“彼女を助けるため”に描いたことが、結果として裏目に出てしまうかもしれないという恐怖をずっと感じていた」と振り返り、ヨーも「記憶というのはどこまで行っても曖昧なものです。だから、私たちは集めることができたパズルのピースを最善を尽くしてあわせていきました」と語る。ヨーが「私たちの根本にあったものは“愛”と“尊敬”です」と説明する通り、本作は史実を題材にしながら、そこに息づく人々の“精神”を描き出した普遍的な人間ドラマに仕上がっている。『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』7月21日(土)公開
2012年07月19日軍事政権が猛威を振るう中、国民の先頭に立ち、非暴力による民主化と人権回復のために闘い続け、1991年にノーベル平和賞を受賞したビルマのアウンサンスーチー女史。断続的に続いた20年以上もの自宅軟禁の間、不屈の意志を貫いた彼女の半生を、『SAYURI』、『ハムナプトラ3呪われた皇帝の秘密』などハリウッドでも活躍する国際女優、ミシェル・ヨーが演じた『The Ladyアウンサンスーチー引き裂かれた愛』。2007年に脚本と出会ったミシェルは友人であるリュック・ベッソンを監督に迎え、映画化が実現した。ジャパン・プレミアのために来日した2人に話を聞いた。スーチー本人が軟禁状態での映画撮影前日開催のプレミアをふり返るうち、「政治家は自分たちを選んでくれた国民のことを知ろうともしない。自分たちに一番近い彼らの声を聞こうとしない」と問わず語りで話し始めるベッソン監督に、ミシェルも「残念ながら、世界中で起きてることじゃないかしら」と応える。「18世紀のフランス革命がそうだった。マリー・アントワネットが『パンがないなら、お菓子を食べればいいじゃない?』と言ったのと同じだよ」とベッソンが言うと、ミシェルは目を見開き、呆れたように笑い出す。「うそ!本当にそんなこと言ったの?人々が苦しみ、死んでいくのに」。本作はまさに、政治家と国民の乖離を描くもの。同時に、政治と愛を結びつける感動作でもある。こうした題材をドキュメンタリーではなく、劇映画として作るのは、ある意味より困難な手法でもある。「最大の難問は、主人公であるアウンサンスーチーさん本人と直接会うことが叶わないまま撮影しなければならかったことだ。彼女は自宅軟禁状態だったし、彼女の友人の多くも投獄されているか、もう亡くなっているかだった。情報収集のために4年間、自分たちでリサーチした。出来るだけ情報を集めて、可能な限り真実に近づけようとした。少しでも真実があれば、物語を作り上げることができる。それが無ければ、何も作ることはできない。たとえば、軟禁されている家。色々な情報を基に完璧に再現したし、ノーベル平和賞授賞式の様子も記録映像を基に再現した」(ベッソン)。軟禁状態で出席できなかった「彼女が授賞式をラジオで聴いていたのも事実なのよ」(ミシェル)ビルマ語の敬称“ドー”をつけ、尊敬を込めて“ドー・スー”と女史を呼ぶミシェルは、女史の知人たちに可能な限り面会し、話を聞いたという。「研究者であるイギリス人の夫と2人の息子とオックスフォードで幸せに暮らしていた主婦としての彼女を知る人たちとかね。でも、彼らが言うことは大体、関連書籍に書かれているのと同じことだった。だって20数年前のことですもの。30年、40年近くも彼女と会っていない人たちもいる。彼らに向かって『知り合いなら、もっといろんなこと知ってるでしょう』と詰め寄るのはフェアじゃないと思ったの。彼女の次男のキムにしても、そう。シュエダゴン・パゴタ広場でドー・スーが初めて演説を行うシーンがあるけど、キムは実際に家族と一緒にあの場にいたの。劇中で夫のマイケル(デヴィッド・シューリス)のそばには野球帽を被った少年のキムがいる。でも、本人は『あんまり覚えてない』と言うのよ。全てがあまりにも過去の話で、全てを立証できる唯一の人であるドー・スーは軟禁されている。私たちが彼女の映画を作っている事実さえ、なかなか公表できなかった。彼女を危険にさらすことになるからよ。映画のために私たちと接触した疑いをもたれたら、5年間軟禁が延長されるかもしれない」。「以前、アメリカ人が川を泳いで渡って彼女の家まで行ったことがあるんだ。ジャーナリストでもない、彼女と面識もない男だったのに、それがアメリカ人だというだけで、彼女の自宅軟禁は3年間延長されたんだ」とベッソンは付け加える。「彼女は、ビルマという国の母親になったのよ」それにしても、なぜアウンサンスーチー女史はここまで強くいられるのだろう。元々彼女は病に倒れた母の看病ために帰国し、そこから全てが始まった。確かに彼女の父は“ビルマ建国の父”として国民から敬愛されながら、非業の死を遂げたアウンサン将軍だ。だとしても、最愛の家族と引き離され、死の床にある夫との再会も果たせない、そんな苛酷な状況に耐えられるものだろうか?「彼女の強さはどこから生まれるのか、私も知りたかった。彼女は『これは犠牲じゃなく、自分で選んだこと』と語っているの。これに大きな意味がある。父親の死後、母親から大きな義務というものを学んでいたんです。大学で政治学、経済学を学んでいるけど、政治家には必須のもの。論文のテーマも母国で起こりうる改革についてだった。彼女はいつの日か帰国して、母国の変化に何らかの形で手を貸したいと思っていたんじゃないかしら。まさか大統領になるかもしれない日が来るとまでは思っていなかったかもしれないけど。でも、夫と子供たちの愛があったからこそ、一歩踏み出せたと思う。彼女は子供たちを見捨てたんじゃない。現在の彼女と子供たちの関係を見れば、それは明白よ。ミャンマー政府は家族が離ればなれの状況を利用して、彼女の心を折ろうとしたけど、彼女は決して屈しなかった。2人の子供の母親だった彼女は、ビルマという国の母親になったのよ」。ミシェルは現在内戦状態のシリアで虐殺が起きていることを挙げ、「自分たちの国民を殺すなんて、家族を殺しているのと同じことよ!歴史上、何度も繰り返されてきたのに人間は何も学ばない。未だに同じことをしている」と嘆く。「でも、正しいことをする勇気は誰の心にもあるはず。誰だって、そういう状況に置かれたら、家族のためにも立ち上がるんじゃないかしら」。「ラングーンから知識人たちが彼女を訪ねて『あなたが必要です』と説得したからこそ、彼女は一歩踏み出したんだ」と言うベッソンは「政府と国民と距離が広がりすぎると、ちょっとした火花がきっかけで大きな炎が燃え上がる」と語る。「非暴力で民主化を目指したネルソン・マンデラ、ガンジー、そしてアウンサンスーチーも、その火花なんだ」。(text:Yuki Tominaga)■関連作品:The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛 2012年7月21日より角川シネマ有楽町ほか全国にて公開© 2011 EuropaCorp - Left Bank Pictures - France 2 Cinema
2012年07月18日リュック・ベッソン監督がビルマ(現ミャンマー)民主化のリーダー、アウン・サン・スー・チー女史の半生を映画化した『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』のジャパン・プレミアが6月26日(火)に開催され、ベッソン監督と主演のミシェル・ヨーが舞台挨拶に登壇した。軍幹部に危険視されていることから国民が気軽にその名を呼ぶことができず“The Lady”と呼ばれたスーチー女史。15年にわたって自宅軟禁を強いられた彼女の戦い、家族との絆や悲しい別れ、深い愛を描き出す。ミシェルの来日は『ハムナプトラ3/呪われた皇帝の秘宝』以来4年ぶり。「これは“愛”だけで作った映画です」と語り、「苦労はありましたが、ビルマのみなさんが味わった苦境とは比べものになりません。この映画に参加し、周囲の人々に優しく接すること、良い人間であろうとすることを学ぶことができました。10キロ体重を落とすことは大変でしたが、監督との仕事は喜びであり、最高の自分を引き出していただけたと思います」と笑顔を浮かべた。ミシェルが話し終えると、監督は覚えたての日本語で「ソウデスカー?」と応答し、会場は笑いに包まれた。本作のメガホンを握ることになった経緯について、監督が「ミシェルが脚本を持って僕に“プロポーズ”してくれたんだ」と語ると、すかさずミシェルは監督に求婚のポーズをとって会場を沸かす。当初、ベッソン監督はプロデューサーを務める予定だったそうだが「脚本にあまりに心を揺さぶられて『監督がしたい』と言ったら、心優しいミシェルが『いいですよ』と言ってくれたんだ」とユーモアたっぷりに明かした。バンコクで撮影が行われている最中にスーチー女史の解放が報じられ、ミシェルはスーチー女史の元を訪れた。「飛行機で45分ほどの距離だったので、みんなで行こうということになったんですが、ビザが下りたのが私だけだったんです。自分が4か月間にわたって(映画の中で)生きてきた人物に会えるということで興奮し、ナーバスになっていました。彼女の家は監督が作ったセットと全く同じで、彼女を支えるNLD(国民民主連盟)の人々も映画と同じで、勝手知ったる家に入るようでシュールな気持ちでした。『ハロー』と声を掛けられ、ふり向くと彼女がいたんです。どうしていいか分からない私を彼女は手を広げてギュッと抱きしめてくださいました」と謁見の様子を明かした。その数週間後に監督もスーチー女史と顔を合わせたが、「家も映画と同じで“The Lady”も映画と同じ(笑)。現実と夢を同時に体験してるような気分でした。人生のことや子供たちのこと、あの国の未来について話しましたが、肝心の映画のことで聞きたかったことを聞き忘れてしまいました」と本物のスーチー女史を目の前にした興奮をふり返った。会場には多くの報道陣が訪れており、そのうちのひとりで、ビルマから政治亡命し現在は都内の大学院で学んでいるというジャーナリストが、スーチー女史とビルマの人々へのメッセージを求めると、監督は「私のメッセージは2時間あり、いまから始まります」とこの映画自体がビルマの人々へのメッセージであることを強調。ミシェルも「私たちが伝えたい思いは全て、この映画に込められています」とうなずき、「みなさんのことを決して忘れず、常に関心を持ち続けていきたいと思います。多大な努力が必要ですが、外側からみなさんにスポットライトを当て続けていきたい」と心の内の思いを語り、会場は温かい拍手に包まれた。『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』は7月21日(土)より角川シネマ有楽町ほか全国にて公開。■関連作品:The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛 2012年7月21日より角川シネマ有楽町ほか全国にて公開© 2011 EuropaCorp - Left Bank Pictures - France 2 Cinema
2012年06月26日