猟奇的な事件を扱う本格ミステリー〈屍人荘の殺人〉シリーズとは違う、暗いものを突破するようなエネルギーに満ちた小説を書いてみたいと思った、と語る今村昌弘さん。できあがったのが小学6年生の少年少女が探偵団的な役割を果たし、オカルトめいた謎に挑んでいく『でぃすぺる』だ。子ども時代の懐かしい記憶をくすぐられる無二の面白さがある。マリ姉の死の謎を、“掲示係”になった少年少女は解き明かせるか。「本格ミステリーで大事にしているロジックは誰にでも等しく扱える力のはずで、極端に力を持たない存在である小学生でも同じようにロジックで事件を解き明かすことはできるのではないか。また、小学生だからこそオカルトに対してもはなから否定せず、思い切った発想ができるのではないかと思ったのです」夏休み明けの新学期、壁新聞を作る掲示係になったユースケ、サツキ、ミナ。サツキは、1年前の地域の大祭〈奥神祭り〉の前日に亡くなった従姉のマリ姉の死の真相が〈奥郷町の七不思議〉と関わっているのではないかと考えていた。マリ姉の死と彼女のパソコンに遺されていた6つの怪談話には、どんなつながりがあるのか。7つめを知ると死ぬという噂は本当なのか。3人は壁新聞記事のために調べ始めるが、少しずつ、町を覆う重苦しい秘密が見えてきて…。探偵役は子どもといえども、謎解き部分の難易度は極めて高い。「ユースケを視点人物に据えたことで、子どもが見える範囲、できる範囲のバランスを塩梅しなければいけなかったのは難しかったですね。今回は怪談と謎解きを一つ一つ進めていく形にしたので、序盤でこういう伏線を張っておくべきだったとか、最後のほうになると悩む場面が増えてきたんですね。6つのホラーに対して、ユースケがオカルト的な、サツキが論理的な、それぞれの推理を展開し、欠点をミナが指摘する。ミナはミステリー好きで、推理小説のルールや約束事を解説する立場も担っています。6×3のロジックに加えてさらに全体の種明かしのロジックも用意しなくてはいけなかったので、非常に燃費の悪い作品になりました(笑)」だが、本書で忘れてならないのは、子どもたちが謎解きのために行動し、考え、気づきを得て大きく成長していく描写が活き活きとしている点。ジュブナイルとしての完成度も圧巻で、長く読まれてほしい一冊だ。今村昌弘『でぃすぺる』ザ・小学生男子的なユースケ、優等生のサツキ、シングルファーザーに育てられている転校生のミナ。3人の絆や運動会の場面は感動的だ。文藝春秋1980円いまむら・まさひろ作家。1985年、長崎県生まれ。2017年、鮎川哲也賞受賞デビュー作『屍人荘の殺人』が各ミステリーランキングを総なめし、大ブームを巻き起こす。同作は’19年に映画化も。©文藝春秋※『anan』2023年11月8日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・三浦天紗子(by anan編集部)
2023年11月07日ギャルリー・ヴィー(GALERIE VIE)は、スタイリストの小暮美奈子が運営するオンラインストア「days」の期間限定ショップを、自由が丘店を皮切りに、丸の内店、グランフロント大阪店の3店舗でオープンする。会期スタートは3月2日から。シンプルで心地よく、気持ちが高揚するアイテムの数々。ポップアップでは、小暮が手掛けるオリジナルブランド「-M- medium」や「100% handknit」のバック、各地でセレクトした雑貨「good things」から、“something pink”をテーマに、ピンク色のアイテムを中心に展開する。【イベント情報】days POP UP STORE “something pink” at GALERIE VIE会期:3月2日〜10日場所:ギャルリー・ヴィー 自由が丘店住所:目黒区自由が丘2-9-23電話:03-3725-2577会期:3月14日〜25日場所:ギャルリー・ヴィー 丸の内店住所:千代田区丸の内1-5-1 新丸の内ビルディング2F電話:03-5224-8677会期:3月29日〜4月7日場所:ギャルリー・ヴィー グランフロント大阪店住所:大阪市北区大深町 4-20 グランフロント大阪ショップ&レストラン南館 2F電話:06-6359-2886
2019年02月26日昨年一年間、FASHION HEADLINEでは、デザイナー、クリエーター、女優からアイドルなど様々な方へ、インタビューを通じて熱意や想い、人生観から哲学、未来のことまで、直に伺う貴重な機会が多くありました。そこで、お正月三が日最終日だからこそ、ゆっくり時間をとって読んでほしいインタビューを厳選しまとめてみました。是非、ご一読ください。■二階堂ふみ×キャンディストリッパー板橋よしえが語る「私のルーツ。私のときめき」2015年に20周年を迎えたファッションブランド・キャンディストリッパーと、二階堂ふみさんのコラボレーションにより、新ブランド・FUMI NIKAIDO “Roots” Candy Stripperが発表された。二階堂さんが「これが私のルーツ。これが私のときめき」と語る、このスペシャルコラボレーションについて、キャンディストリッパーのデザイナー・板橋よしえさんとのダブルトークをお届け。■ザ・プール青山をなぜ新宿伊勢丹に? 藤原ヒロシの頭の中6月、伊勢丹新宿店で藤原ヒロシがディレクションを手掛ける「ザ・プール」のポップアップストアが行われた。わずか2年間だけの営業として来年春に終了を宣言し、まさに東京を体現する限定コンセプトスペース「ザ・プール青山」の、最初で最後のポップアップストア。ザ・プール青山のスタートから1年、藤原ヒロシの今の頭の中をのぞき見した。■ファッションのももクロが生まれるまで--アイドルも時代を映すファッションが時代を映し出すように、アイドルもまたその時代を物語るのではないだろうか。15年1月某日、都内のスタジオに現れたのはももいろクローバーZのメンバーたちは「ピンクハウス(PINK HOUSE)」の15年春夏のイメージビジュアルを撮影するためにスタジオ入りした。30周年を迎えた同ブランドが伊勢丹新宿店本館2階TOKYO解放区で2月、「PINK HOUSE―flower shower・永遠の少女性―」と題したポップアップショップの開催にあたり、ももクロメンバーが春を告げるミューズとして選ばれたのだ。ももクロが映し出す、今の時代のファッションとは?■フードエッセイスト平野紗季子×DJみそしるとMCごはんが語る「新宿の食にまつわるエトセトラ」国際色豊かな都市、東京。こと新宿は、バラエティに富んだ街のひとつ。とりわけ食においては、おすすめの一軒を聞かれても、一つに絞るのが困難なほど、多くの飲食店がひしめく新宿。そこで今回は、食を愛して止まない平野紗季子さんと、DJみそしるとMCごはんさんに、歌舞伎町随一のディープスポット・上海小吃(シャンハイシャオツー)で「新宿の食にまつわるエトセトラ」を語ってもらった。■ライゾマティクス真鍋大度が語る「テクノロジーと表現の融合」現代において、アーティストが生み出すのは、形や素材、色彩を美のよりどころにしたモノだけではない。例えば、インタラクティブな体験型の作品やテクノロジーを駆使した新しい表現メディア、それによるコミュニケーションやコミュニティの再創造も表現者の役割になっている。テクノロジー分野の第一線で、アート・広告・エンターテインメントの分野で世界的に活躍する真鍋大度さんに、テクノロジーと表現の可能性について話を聞いた。■エルメス「プティアッシュ」--創造とは、夢を見ながら夢を与えること。パスカル・ミュサール京都・渉成園で10月、エルメスのオブジェコレクション「プティ アッシュ」の展示販売会が開催された。これに際して来日した、プティアッシュのアーティステック・ディレクターのパスカル・ミュサールに、彼女が愛する街・京都で話を聞く機会を得た。アーティストやデザイナーと、職人の対話から生まれたユニークなオブジェに込められた思いとは?■なぜ東信は新宿伊勢丹に花屋を出店したのか。世界に広げる“花の価値”「狙いなんかないよ。ただ花の価値を高めて広げたい。伊勢丹だけでなく世界中に」3月、東信にとって初の百貨店への出店となったフラワー オブ ロマンス(FLOWER OF ROMANCE)が伊勢丹新宿店の5階にオープンした。これまでの15年間近く、オートクチュールとしての花をストイックに追求してきた東が、なぜ百貨店への出店に踏み切ったのかと疑問に思う人もいるかもしれない。しかし今回の出店は東信にとって次なるステップへの序章を意味している事が、彼へのインタビューを通して見えてきた。■吉田羊のこれまでとこれから--「ファッションで役は8割完成する」数々の女性の生き様を演じてきた女優・吉田羊。「演じることが何より好き」と語る女優・吉田羊の周りには、凛とした気配が漂う。とはいえ、周囲へ心を配り、相手の目を見て語りかける優しい声からは、人としての味わい深さも感じられる。そんな彼女が憧れる女性とは?そして、来年の目標とは?■テックとアルチザンが織りなす美は、日本の職人技なしでは生まれない--アーティスト舘鼻則孝3Dプリントを採用した舘鼻のヒールレスシューズが、寒空に突き刺さる氷河のようランウェイのモデルの足元を彩る。15秋冬パリコレクションで、最先端テクノロジーをファッションに昇華させるデザイナー、イリス・ヴァン・ヘルペンが選んだのが舘鼻則孝のヒールレスシューズだ。舘鼻が語る、日本の職人技と最先端テクノロジーの融合とは?■過去20年間のポスター作品からゲームのように紐解く、M/M(Paris)の軌跡フランスを拠点に活動するクリエイティブデュオ、M/M(Paris)のポスター展が4月、渋谷で開催された。2008年に行われた展覧会「The Theatre Posters」以来となる本展だが、どうしてこのようなポスター展を日本で行うことに決めたのか?今回、本展の開催に合わせて来日していたM/M(Paris)のマティアス・オグスティニアックに話を聞いた。■シモーネ・ロシャ“花はまるでファッション”年々存在感を高めているアイルランド出身のデザイナー、シモーネ・ロシャ。15SSシーズンで発表した、シノワズリのように瑞々しい赤いフラワーをモチーフとしたコレクションが印象的だ。そんなシモーネのクリエーションで度々主役となる「花」と本人の関係性を紐解くインタビューを行った。■アーネスト・ヘミングウェイがもし今生きていたら--山下裕文×小暮昌弘原宿のストリートカルチャーにおいて、もはや“伝説”といえるショップ「プロペラ」で、バイヤー・プレスを務めた男・山下裕文。彼は、2010年に自身のブランド・モヒート(MOJITO)を立ち上げた。今回、『メンズクラブ(MEN’S CLUB)』の元編集長・小暮昌弘を聞き手に、ブランドについて熱く語る。
2016年01月03日“伝説”といえるショップ「プロペラ」で、バイヤー・プレスを担当し、現在は自身のブランド・モヒート(MOJITO)のデザイナーを務める山下裕文が、『メンズクラブ(MEN’S CLUB)』の元編集長・小暮昌弘を聞き手にブランドルーツを語る。小暮:山下さんは熊本ご出身ですよね。東京にはいつ出られたんですか。山下:高校卒業して、服飾の専門学校に行ったのが、18歳のときです。小暮:最初に勤められたのが「プロペラ」?山下:いえ、東京に出てきて服飾の専門学校に3年通い、その後半年間、スタイリストのアシスタントをして…。小暮:「プロペラ」に入ろうと思ったのはどういう理由なんですか。山下:当然僕も服好きの男だから、洋服のルーツを、横に広げるんじゃなくて、下へ下へと、掘り下げていくわけです。熊本や東京で、僕が見たり、買ったり、触ったりしたものって、ほとんどアメリカの服なんです。「プロペラ」に入ったのもそういった理由から。当時「プロペラ」は、ほぼ全部がMade In U.S.Aで。僕らにとっては、宝石箱みたいな店でしたからね。ここに1日中居られればいいなと、思っていましたから(笑)。小暮:その後はいくつかのショップやブランドのコンサルティングなどを経験し、フリーランスになって、2010年にモヒート(MOJITO)を作ったわけですね、ヘミングウェイをテーマに。僕らの世代だったらヘミングウェイは、すぐイメージ出来るんですけれど、若い人には、ヘミングウェイという存在は、もう昔に亡くなっているし、遠いじゃないですか?今山下さんの服を買ってくれる人たちは「モヒート=ヘミングウェイ」と意識してくれますか?山下:それがイメージしてくれているようです。北海道とか京都とか、同じ場所に毎年2回トランクショーに行くのですが、僕の洋服をきっかけにしてアーネスト・ヘミングウェイに興味を持ってくれたという話をよく耳にします。「この間(山下さんが)話されていた、あの本を読みました!」とかお客さんが言ってくれるんです。小暮:「アルズコート」だったら、モデル名の由来になったアルが登場する『殺し屋』(1927年発表)を読んでくれるわけだ。それは素晴らしい!ここ数10年くらい、洋服は消費されていく傾向が強いですね。次々と流行が変わったりして。でも男の服は、そうじゃなくてもいいような、気がします。もしかしたら買う側は普遍性みたいなものをモヒートに見ているのかも。そういえば、身幅が大きくて、着丈が短めの変わったセーターを作っていますね。山下:「ウィズバンビニット」ですね。小暮:あのセーター、意外に若い人とか、女性までも反応してくださったんでしょ。若い人が飛びついてくれて、それをきっかけに、「ウィズバンビ」(ヘミングウェイの息子ジャックの愛称がバンビで、最初の妻ハドリーと3人で撮った写真が有名)って何だろう、と興味を持ってくれたらいいですよね。山下:もう、最高です!小暮:最初の頃、カタログというか、小冊子作っていたじゃないですか。(『ヘミングウェイの流儀』を書いた)山口淳さんが文章を書かれていて。モヒートの品名にまつわるストーリーが描かれている、素敵な作りでした。山下:それが悪いという意味ではなく、カタログなどを見ていると「顔料染めのクルーネック天竺」という商品名が書いてあるじゃないですか。僕、そういうのが嫌いなんですよ。Tシャツを、天竺という素材で、顔料染めにしました…。そういうのは、洋服を着るお客さまにはあまり関係ないわけで。小冊子を作ろうと思ったときに、山口淳さんに、洋服の細かいところは一切書かないでくれっていいました。淳さんもはじめキョトンとした顔をされて。小暮:普通だったら服のスペックなど、詳しさを求めますもんね、カタログだから。山下:山口淳さんが「僕にそんなことを言ってきたのは山下さんくらい」と。写真も白黒でいいし、サイズも書かない。値段も書かない。生地とか、縫い方っていうのは必要最低限に、と言ったら「面白いね、じゃあやろうよ」と引き受けてくださったんです。小暮:それはある意味、モヒートを山下さんがひとりでデザインして、製品まですべて係わっているから、決断出来るということでは。普通の会社の発想では、そこまで大胆なことはできない。で、山下さんは作るだけでなく、日本全国を廻り、ときには店頭に立ち接客までされるわけじゃないですか。山下:(店頭に立つことは)自分自身の勉強にもなるし、着る人ってこう考えるんだ、私の服をこんな風に着てくれるんだ、と直接感じることができます。でも僕の服に限らず、メンズの服って、なかなか手強い。誰でもなんでも似合うわけじゃない。じゃあ似合うためにはどう着こなせばいいか、それを僕なりの提案でお客様に直接話せる、これも嬉しいです。小暮:えっ、モヒートを似合うようにするには、どうしたらいいんですか?山下:そうですね、まずは堂々と着ることですね。やっぱりこれがいちばんかな。僕がフィッティングに付くと、若い人が緊張したり、ちょっと恥ずかしそうに着てくれるんですが、やはり堂々と着るっていうのが、いちばん肝心です。小暮:なるほどね。山下:僕らの若い頃と違って、今はみんなスタイリッシュでしょ。なぜならば、洗練されたものが多く売られているから。だから何を着てもカッコいいんですけれど。昔は、ちょっと変な洋服でも堂々と着ていたのが、逆にカッコ良かったんです。半分糊が落ちてないようなジーンズに、ブカブカのMA-1着ているんですけど、堂々着ているからカッコよかった。なぜなら(服を選ぶ)選択肢があまりなくて。これが欲しい、これが着たいという強い思いと目的が着る側にあったからなんです。僕が作るような無骨な服を着る秘訣がこれです。小暮:これを着るためだったら、着倒すみたいな迫力ですね。昔はありましたね。山下:そこが大きく違うと思います。小暮:そうか、堂々と着る。いや、なかなかできないですからね。でも山下さんはいつも堂々とモヒートを着ていますね。山下さんをお手本に着ればいいんですね。では、山下さん、最後に、今後はモヒートをどうしていきたいですか。山下:もう少しモヒートを「面」的に見せていくことを意識しようかと思っています。単品で「アルズコート」や「ガルフストリームパンツ」などの「物語」を紡いでいくこと、それはそれで僕は好きなんですが、もう少しコーディネートというか、ブランド全体のイメージを構築することもしていきたいですね。ファッションなので、10年前と今のものは、違わなきゃおかしい。でないと自分がやっていることを否定することになる。しかし「父親が愛用していたブランドなんだ」といわれるくらい、次の世代までこのブランドを継続できたら最高だと思います。先日、札幌イベントの打ち上げで飲んでいたら、僕の前に(お酒の)モヒートが出てきたんですよ。カウンター端に座っていた人が「うちの子供、山下さんに抱っこしてもらったんです」とモヒートを勧めてくれたんです。その人は3年前に札幌のイベントで接客させていただいた人だったんですね。すぐにお子さんを抱っこしたのを思い出しました。例えばですが、その息子さんがお父様に買っていただいたモヒートを着てくれたら、デザイナー冥利に尽きますね。自分が作った服が古着屋さんに並ぶ……。そうなったらもう最高じゃないですか。小暮:そうですね。モヒートの服はその素質、普遍性を持った希少なブランドだと思います、絶対。これからも頑張ってください。今日は、貴重なお話、ありがとうございました。【プロフィール】山下裕文(Hirofumi Yamashita):1968年熊本生まれ。原宿の伝説ショップ「プロペラ」でバイイング、プレスを担当。その後フリーランスに転身し企業のコンサルティングなども務め2010年、自身のブランド・モヒート()をスタート。小暮昌弘(Masahiro Kogure):1957年埼玉生まれ。法政大学社会学部卒業。学生時代よりアパレル会社で働き、卒業後は婦人画報社に入社。『25ans』編集部を経て『Men’s Club』編集部へ。2005から07年まで編集長を務める。その後、フリー編集者に。雑誌『Pen』『Men’s Precious』『サライ』などを中心に活躍。1/2に戻る。-- 「アーネスト・ヘミングウェイがもし今生きていたら」
2015年10月24日原宿のストリートカルチャーにおいて、もはや“伝説”といえるショップ「プロペラ」で、バイヤー・プレスを務めた男・山下裕文。彼が2010年に立ち上げたブランド・モヒート(MOJITO)が、10月30日から11月15日の期間、名古屋のラシックにてポップアップイベント「Inter View 02」に参加する。これに先駆け、『メンズクラブ(MEN’S CLUB)』の元編集長・小暮昌弘を聞き手に、ブランドについて熱く語る。小暮昌弘(以下、小暮):モヒート(MOJITO)を始めたのはいつからですか?山下裕文(以下、山下):2010年からです。ずっと自分の意志で洋服が作れるブランドをやりたいという思いはあったのです。やはり「MOJITO」の商標を検索したことがきっかけだと思います。ブランドを作る上で必要な衣類と衣類小物という分類で、「MOJITO」の商標が空いていることにたまたま気付き、特許庁に行って、「MOJITO」という商標を申請したんです。小暮:自分のブランドをやろうと思った時に、モヒート(MOJITO)というブランドの名前がポッと浮かんだんですか?山下:そうですね。もともとお酒の「モヒート」が好きで。アーネスト・ヘミングウェイにまつわるお酒の逸話はたくさんあるのですが、なかでも代表が、「ダイキリ」と「モヒート」。但し「モヒート」に関しては、実はヘミングウェイは実は飲んでいなかったという説もありますが…。小暮:そもそも山下さんはヘミングウェイの服というか、彼自身に興味を持っていたのでは?山下:ヘミングウェイは「アメリカンマッチョの象徴」といわれるくらいで、男性としてはほとんど全部の欲望を叶えた人だと僕は思うのです。まず、スポーツができて、酒が強くて、結婚も4度もして。小暮:女好きだからね、彼(笑)。山下:本をたくさん書き、世界中を旅して、最後はノーベル文学賞まで受賞する。地位も、名誉も、欲求もすべて満たされた、タフガイの象徴だと。彼が着ていた服や身の廻りのものを自分のビジネスと絡めて見るようになったときに、「あぁ、やっぱりこの人は只者じゃないな」とずっと感じたのです。小暮:山下さんと初めて会ったのは、モヒートをまだ始める前でしたよね。下町の呑み屋さんで(笑)。こんな服を作ろうと思っていると、大きなバッグからスエードのジャケットとショーツを出してきて。「今時こんな男っぽい服作る人、いるんだ」と思ったくらい。革のサファリジャケットを見たときに、ヘミングウェイの着ていた服そのまま作るんだと思っていたら、いざコレクションを見させてもらったら、そうじゃなかった。山下:そうですね。小暮:山下さん自身が、ヘミングウェイの写真、本、たくさんの資料を読み解いて、そこからインスパイアを受けて、自分なりに(ヘミングウェイらしい)服を作っているわけじゃないですか。(故)山口淳さんの書いた『ヘミングウェイの流儀』(今村楯夫共著 日本経済新聞社刊)。これはアーネスト・ヘミングウェイが着たものなどを一冊にまとめた本。ここに書かれているように、ヘミングウェイが着ていたものをそのままトレースするのなら簡単じゃないですか。例えば(彼が行きつけだった店)「アバークロンビー&フィッチ」風の服を作って、彼がよく巻いていたベルトをそのまま作って、みたいな発想だったら割と僕は簡単だと思います。例えばリーバイス(LEVI’S)の「501」が好きだったら、昔の「501」をそのまま作り直すことがデニム好きの頂点みたいなところがあったのを、山下さんはそうはしなかった。山下:たぶんヘミングウェイをアイコンにしたブランドって、僕らが知る以上にたくさんあると思います。テーマとして、ヘミングウェイを扱うこともファッションブランドでは多いのでは。でも僕としては、ヘミングウェイはあくまで目標にすべきもの、憧れでもあります。いわば、神的な存在なわけです。ヘミングウェイが着ているものをまんまやるのであれば、「ウィルス&ガイガー」に行って、「これを同じものを作ってください」みたいにやるでしょう。それだったら僕がやる意味がない。ヘミングウェイがもし今生きていたら、どういう服を着るだろうか?そんなことを考えて服を作ってみたかったのです。小暮:もしヘミングウェイが生きていたら、どんな服を今着るのでしょうか?山下:この「アブサンシャツ」(長年モヒートで作り続けているシャツ品番)という開襟シャツ。おそらく彼はお金も名誉も手に入れた人だから、あまりネクタイをしめなくてもいい。スティーブ・ジョブズもそうですし、こういう人たちって、もう誰に気を使う必要もなくて、自由で開放的。でもどこか知的。それをイメージしてこの開襟シャツをデザインしました。「ヘミングウェイで最高の作品は自分自身」と言われる人物でしょ。彼と同じ服を作っても、もしかしたら彼にしか似合わないのでは。着せられているという感じになってしまう。だから小説のなかから気になるキーワードを拾い上げるかとか、住んでいた街だとか、家だとか、その周りの人をヒントに、それを服に落とし込み、あるいは空想して、時代性に合った服に仕上げる。それがモヒートの服をディレクションする醍醐味だと感じています。小暮:例えばモヒートに「アルズコート」という名品があるでしょ。今季で、バージョンいくつ?今7作目くらいですか?山下:16SSのコレクションで、10作目ですね。小暮:もう10作目か(笑)。 モヒートは、そんな風に、何度も(同じ品番の服を)バージョンアップするわけですよね。男は定番好きといわれながらも、意外と世の中に定番って少ないじゃないですか。定番風のものはあってもね。しかも同じ品番を毎年ちょっとずつ進化させて行っているのがモヒートですね。山下:産み出す側としては、全部を新しくするよりも、同じものを2回発表する方が、勇気がいりますね。例えば「アルズコート」など、展示会に出す前に自分で十分煮詰めて作り上げ、ほぼ変えようがないくらいのものを世に出しているつもりです。でもずっと買い続けてくれるエンドユーザー(お客さま)の方々には、常に進化の姿を見せないと。それで毎年新しい要素を加えてバージョンアップさせるのです。小暮:同じ「アルズコート」でも、新作が出ると、またお客様は買ってくれるんですか?山下:「アルズコート」は8枚とか9枚持っている人、いらっしゃいますね。「ガルフストリームパンツ」もそうです。小暮:「ガルフストリームパンツ」、僕も2本買いました。山下:11本とか持っている人も。「アブサンシャツ」だったら20数枚持っているとか。そういう方が普通にいらっしゃるんです。小暮:なるほど。山下:リーバイスの「501」は、世界で山のようにあるブランドの中で唯一、品番が品名になったアイテムです。僕らぐらいの歳になると、リーバイスを今まで10本履いたとか、毎年(同じ)ホワイトリーバイスを穿き替えるとかという人もけっこういらっしゃいます。そうなると僕らが「リーバイス」と同じことをやってもまず通用しないんです。だから「バージョンアップ」というテクニックが必要なんです。小暮:モヒートは、いわば、スモールコレクションですよね。必要なものを必要なだけ作っているという感じを受けます。山下:展示会にたくさんの品番を並べたり、同じような服をたくさん作り、バイヤーさんに「さぁどうぞ、選んでください」という見せ方よりも、僕は「これだけ選びました」という、ちょっと違うアプローチにしたいんです。僕がよく使う言葉ですけれど、「背骨をブラさない」。毎シーズン、コレクションが、何かガラッと変わるようなことは、僕好みではないんです。小暮:展示会に出す前から、山下さん自身が吟味しているわけですね。削ぎ落としている。それって、もしかしたらハードボイルド。ヘミングウェイの生き方に通じますね。山下:そうですね。そういう部分をヘミングウェイはすごく持っていた人ですし、モヒートもそうありたいんですね。2/2に続く。-- 「洋服のルーツを、横に広げるんじゃなくて、下へ下へと、掘り下げていく」
2015年10月24日オスカー監督のロン・ハワードが、実話をもとに天才F1ドライバーの死闘を描いた『ラッシュ/プライドと友情』のBlu-ray&DVD発売記念イベントが4日、都内で行われ、映画の舞台にもなった1976年の日本GP(正式名称は1976年F1世界選手権in Japan)に出場した経験をもつ元レーシングドライバーの長谷見昌弘氏(68歳)が出席した。その他の写真本作は直感型の天才レーサーであるジェームス・ハント(クリス・ヘムズワース)と、冷静な判断力を武器に活躍するニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)の火花散るレース争いと、ふたりの絆を描いたヒューマンドラマ。永遠のライバルであるふたりのチャンピオンシップをかけた戦いは、富士スピードウェイで行われる日本での最終戦にもつれ込む…。長谷見氏は当時、1回目の予選でいきなり4位に浮上し、ハントやラウダらとポールポジションを争ったが、予選2回目で大クラッシュに巻き込まれた。「事故の瞬間は、もう死んだなと思った。時速220キロ~230キロで激突するんですから」(長谷見氏)。幸い、本人は「ほぼ無傷だった」そうで、全損したマシンは修理され、決勝では11位完走の記録をマークし「やる以上は勝つという気持ち。マシンも素晴らしかったが、僕自身の経験が足りなかった」と振り返った。映画については「よくこれだけ、当時のマシンを揃えたなと思いました。演じるふたりも本人そっくり。それに、ラウダがクラッシュするシーンは、何回見ても、本物なのかCGなのか見分けがつかないほど、よくできている」とプロ目線で太鼓判を押していた。イベントには「ポニーキャニオン グラドル映画宣伝部」として活動している高崎聖子、倉持友香、鈴木咲が出席。3人は『ラッシュ/プライドと友情』をはじめ、ポニーキャニオンが発売する『大脱出』(発売中)、9月にリリースされる『ローン・サバイバー』をアピールしている。『大脱出』発売中『ラッシュ/プライドと友情』発売中『ローン・サバイバー』9月2日(火)発売取材・文・写真:内田 涼
2014年08月04日