歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が8日、自身のブログを更新し、生まれて初めて自分のことを「かわいい」と言ってくれたのは、先月22日に亡くなった妻の小林麻央さんだったと明かした。海老蔵は「麻央と純大さんの共通点」と題して更新し、「私の人生で生まれて初めて私のことをかわいい。と言ってくれた人物は麻央でした」と告白。「え?最初は耳を疑った!?このおれが可愛い?!と」と驚いたというが、「しかし麻央からみると可愛いようでした」とつづった。そして、「数年間 麻央に可愛いと言われつづけ麻央からだけは可愛いと言われることが嬉しかった。大の男が可愛いなんて言われて嬉しいのは近年の草食系ぐらいかなーと勝手に思ってましたから」と懐かしそうに振り返り、「しかし麻央から可愛いとはもう二度言われない、かなしい」と吐露した。さらに、俳優の山田純大について、「純大さんとは初めて会った時から私のこと可愛いと言ってくれてました、、なぜか?不思議と嫌でなかった」と明かした海老蔵。「私の事を目の前で可愛いと言ってくれる麻央と純大さんの共通点」と記し、最後に「しかし麻央からもう一度可愛いと言われたい」と思いを馳せた。
2017年07月08日昨年のスクープラッシュの勢いもそのまま、SMAPや小林麻央さん(享年34)、東京都議選など、日本が揺れたニュースが多かった’17年上半期。「WEB女性自身」ではいったいどの記事が最も読まれたのか。恒例のアクセスランキングを集計してみたところ、TOP3には意外な人物たちが――。 参考:1位はあの人!2016年下半期「女性自身」アクセスランキング10 【第10位】満島ひかり 交際1年の危機!恋人・永山絢斗と亀裂の大喧嘩【第9位】愛川欽也さんが贈った家で…“元愛人”が60代新恋人と半同棲【第8位】狩野英孝の淫行疑惑に元カノ・加藤紗里が涙で「また便乗」と逆効果!?【第7位】安達祐実のセーラー服姿に「35歳?うそだ…」と話題【第6位】オリラジ中田のブログが「あまりにも分かりやすい」と感動の声 第10位の満島ひかり(31)と永山絢斗(28)の“大喧嘩”は6月27日にアップされた記事。わずか4日でアクセスを集め、TOP10にランクイン!そのほか、オリラジ中田(34)や加藤紗里(27)など、ネットで話題を呼び続ける面々も並ぶ。そして注目のTOP5は……。 【第5位】西山茉希 涙の告白!所属事務所に強いられた“奴隷契約13年”第5位にランクインした西山茉希(31)の“奴隷契約13年”は、本誌が掴んだスクープ。「仕事のオファーを出したくても、事務所の電話に誰も出ず、所属事務所がすでに機能していない」と語った関係者。その真相を確かめるべく西山を直撃すると、インタビューの最後で「とにかくお仕事をさせてほしい」と熱く本誌に訴えた。 【第4位】小林麻央さん 愛する夫・海老蔵とスピード婚した感動の理由6月22日、34歳という若さで亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さん。夫で歌舞伎役者の市川海老蔵(39)が行った23日の記者会見は、日本中が涙した。そんな彼らは、交際6カ月でゴールインした夫婦。“スピード婚”の理由を、麻央さんはかつて出演した『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で語っていた。 【第3位】SMAPがいた楽屋、継いだのは? TVが報じない紅白舞台裏SMAP不在で視聴率が心配された’16年のNHK紅白歌合戦。フタを開けてみれば、後半の第2部が40.2%の“大台”を回復する、上出来の結果に。いつも彼らが使っていた“伝説の楽屋”は、本来TOKIOが使用するはずだったが、そこにいたのは、“アノ2人組”だった……! 【第2位】『路線バス旅』卒業の蛭子能収 「太川さんが大嫌いでした!」本誌で連載中の「ゆるゆる人生相談」が大人気の蛭子さん(69)。しっかり者の太川陽介(57)と、マイペースな蛭子さんのやり取りが視聴者の心をつかんだ『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)は、同局の看板番組のひとつだったが、番組を支えた蛭子さんと太川が、1月2日に放映された第25弾をもって“卒業”。もしかして太川との確執が……? 卒業の理由を探るべく、蛭子さんに直撃インタビューを敢行!番組の舞台裏、思い出を振り返ってもらった。 そして第1位に輝いたのは、婚姻届を提出したばかりのこの人! 【第1位】陣内智則 父が涙の告白!元日旅行でフジ松村アナとの結婚宣言6月30日、お笑いタレントの陣内智則(43)とフジテレビの松村未央アナウンサー(31)が都内区役所に婚姻届を提出。元日には互いの両親を連れ、熱海へ1泊2日の婚前旅行に出かけたという報道も。実はこの旅行、陣内にとっては“ただの旅行”ではなかった。本誌はその旅行の直後、兵庫県加古川市に住む陣内の父・功壱さん(取材当時75)に話を聞いていた――。 下半期のTOP10は、いったいどんな人が名前を連ねている!?
2017年07月07日6月22日に亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が7日、自身のブログを更新。麻央さんとの七夕の思い出を明かし、麻央さんのことを感じる時間がより濃く「息ができない」とつらい心境を吐露した。海老蔵は「今日は七夕実は麻央と付き合いだしたのは六月でした、六月で最初のイベントが七夕でした」と書き出し、「わざわざ私のために仮装してくれて、涙、写真を送ってくれた」と当時のエピソードを披露。「互いに恋い焦がれて恋い焦がれて、時を過ごした、七夕でした。ですので今日はいつもよりも一層 朝から水が流れます」と記した。その後、「息ができない」と題したブログで、「今日はなぜか朝から麻央のことを感じる時間がより濃く、なぜか息ができない」と吐露。「16日たってこうなるのか、、とおもう歌舞伎座での時間です」と続け、「救いをつい求めて倅を見に行ったら寝てました」と長男・勸玄くんの寝ている写真をアップした。さらに、「七夕の思い出が多すぎて、、久しぶりに今宵飲みに出ようかな、麻央と2人で七夕過ごした所へ」と麻央さんへのあふれる思いを記した。
2017年07月07日女優の藤原紀香が5日、都内で行われた「デイリーズ トータル ワン 遠近両用」新製品発表会に出席した。先日亡くなった小林麻央さんについてコメントを求められた藤原は「私の立場ではちょっと。それは市川海老蔵さんにもご迷惑がかかりますからごめんなさい。もう泣いちゃうからごめんなさい」と市川を気遣い言及を避けた。アイケアメーカーの日本アルコンは、1日中快適なつけ心地を実現する40代以降の大人向けコンタクトレンズ「デイリーズ トータル ワン 遠近両用」を7月11日より全国発売。そんな同商品の発表会にスペシャルゲストとして藤原紀香が登場し、眼の悩みや瞳のエイジングケアなどについて眼科医とトークした。藤原は「若い頃は視力がめちゃくちゃ良かったんです。アフリカのケニアに行った時、日本人スタッフが見えない遠くのライオンが見えて、ケニアのスタッフに驚かれました」と視力の良さが自慢だったようだが、今は老眼傾向にあるといい、「今は薄暗いと本当に見えないし、遠くの方も全然見えなくなってきたので、瞳のエイジングケアをしなくてはと思っていました。40を過ぎたあたりから視力の悪さを感じていたんですけど、気づかないフリをしてたらくすみが出てきたり肩こりがひどくなりました(笑)」と苦笑い。老眼傾向の藤原だが、老眼にピッタリの同商品を1週間つけていると明かして「目の疲れが気になっていましたが、1週間顔色がいいし暗いところでも読めるようになりました。もう少し早くやっていればと思いましたね」とすっかり気に入った様子だった。藤原は、歌舞伎役者の片岡愛之助を夫に持つ梨園の妻だが、同じ梨園の妻で6月22日に亡くなった小林麻央さんの質問が飛ぶと「私の立場ではちょっと。それは市川海老蔵さんにもご迷惑がかかりますからごめんなさい。もう泣いちゃうからごめんなさい」と回答を避けるなど、妻を亡くした市川を気にかけているようだった。
2017年07月05日6月22日に亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が5日、自身のブログを更新。長女の麗禾ちゃんが「妹が欲しい」と希望していることを明かした。海老蔵は、ソファーに座っている麗禾ちゃんの写真をアップし、「支度してるそうですが、支度してません、、そんな日もあるね」とコメント。続けて、「そして、最近、困ったことに妹が欲しい…と言ってるそうです」と明かし、「私には言わないのでどうにもならないのこと分かっているでしょうがこまりました」と記した。その後、再びブログを更新し、幼稚園へ出発する麗禾ちゃんと手をつないだ写真をアップ。「気持ちわかるな」と麗禾ちゃんの気持ちに理解を示し、「共感できる家族の女の子が麗禾には必要なのだと感じます」とつづった。
2017年07月05日7月3日に初日を迎えた東京・歌舞伎座「七月大歌舞伎」。なんといっても最大の見せ場は、先月22日に妻・小林麻央さん(享年34歳)を亡くした市川海老蔵(39)と長男・堀越勸玄くん(4)の宙乗り。見事に成功させ、勸玄くんは史上最年少で宙乗りを成功させた。 「宙乗りのおかげで夜公演のチケットはほぼ完売。最大到達点は高さ10メートルで約20メートルの移動。いくらしっかり装置を装着しているとはいえ、海老蔵は片手で勸玄くんを抱える形。関係者からは心配の声があがっていましたが、無事成功したことで、安堵の声があがっていました」(歌舞伎座関係者) 初日の午前中、海老蔵は勸玄くんが出演を渋って悩んでいることをブログに書き込んでいた。大の大人でも尻込みしそうな宙づり。4歳の子供がそうなるのも十分に納得できるが、演劇関係者は勸玄くんがノビノビ演技できるように最大限の配慮を重ねたという。 「事前に主催者の松竹と一般紙・スポーツ紙などで構成する演劇記者会の間で、当日の取材体制について話し合いが行われました。各社としては自前の写真や映像がほしいところ。しかし、見ず知らずの大人たちが大勢カメラを構えていては勸玄くんが萎縮してしまいます。そこでスチール・ムービーともに、オフィシャル対応に決定。さらには歌舞伎の“黒子”のようにカメラを“暗幕”で隠し、勸玄くんの目には客席のお客さんしか入らないようにしていました」(演劇担当記者) きっと天国の麻央さんは、千秋楽まで宙乗りの“安全祈願”をしてくれているはずだ。
2017年07月04日フリーアナウンサーの小林麻耶が3日、自身のブログを更新。6月22日に乳がんで亡くなった妹・小林麻央さんとのエピソードを明かした。麻耶は、義弟で歌舞伎俳優の市川海老蔵と甥の勸玄くんがこの日、「七月大歌舞伎」の初日を迎えたことを報告し、「今日から27日まで、祈ります」とコメント。そして、「母の友人と旦那様から素晴らしい胡蝶蘭が届きました」と、「御祝堀越勸玄さま」と記された胡蝶蘭の写真をアップし、「樋熊夫妻の愛とともにお部屋が華やかになりました。ありがとうございます。妹もすごく喜んでいるように感じます」と感謝した。続けて、「樋熊哲也さんには妹の婚約会見の時のお着物を作っていただきました」と説明し、婚約会見時の海老蔵と麻央さんの2ショット写真をアップ。「妹の婚約会見を見に、こっそり会場に行ったことを思い出しました。『おねーちゃん、心配しすぎだよ~』幸せそうな笑顔で言っていました」と会場にいたことを明かし、「いつだって一緒にいたくて、いつだって気になる存在です」とつづった。
2017年07月04日「麻央さんは病気発覚以降、常に成田屋の行く末を心配していました。自分に万が一のことがあったときを考えて、複数の手紙をしたため遺していたそうです」(歌舞伎関係者) 小林麻央さん(享年34)の“覚悟の手紙”があった――。悲しみの死から1週間、手紙の存在が知られるにつれ、改めて周囲に驚きと感動の思いが広がっている。 「海老蔵さんがかつて指導を受けた中村吉右衛門さんをはじめ、歌舞伎の重鎮の方々に宛てたものと聞いています。手紙には『私の亡き後も夫と息子の勸玄のことを末永くよろしく頼みます』という趣旨のことが書かれているようです。麻央さんは“梨園の妻としての役目”を最期まで立派に勤め上げようとしていたんだと思います」(前出・歌舞伎関係者) 麻央さんには忸怩たる思いがあった。がんの告知は14年10月。前年に市川團十郎さん(享年66)が亡くなり、市川海老蔵(39)が成田屋の重責を担うようになった矢先だった。 「麻央さんはがんがわかってからも、海老蔵の母・希実子さん(64)について“おかみさん修行”を続けていました。周囲に明かさず、麻央さんは涼しい顔をして歌舞伎座のロビーに立ち、お客様をお迎えしていました。だが16年1月、海老蔵が座頭を務めた『初春花形歌舞伎』に麻央さんの姿はありませんでした。麻央さんがいらっしゃらないことに、ごひいきのみならず、梨園の関係者も不思議に思っていました」(前出・歌舞伎関係者) このとき、麻央さんは歌舞伎座のロビーに立ちたくても立てない状態だった。それから5カ月後の6月9日、海老蔵は麻央さんががんを患っていることを明らかにした。 「もちろん、麻央さんは再び梨園の妻として復帰することを信じて闘病していました。だが万一のことも考え、筆をとったそうです。一点一画おろそかにせず、手紙をしたためたと聞いています」(松竹関係者) 夫とわが子のために全身全霊で書いた麻央さんの手紙。 「すでに、海老蔵さんはお父さまを亡くされています。海老蔵さんと勸玄くんの活躍のためには歌舞伎界の重鎮の後ろ盾が不可欠ですが、本来、ほかの家とのお付き合いは妻の役目です。自分がいなくなった後も、変わらぬお付き合いをしてほしい。そんな願いも込められた手紙だったそうです」(前出・歌舞伎関係者) そして梨園の妻としての最後の仕事を立派に果たした。 「麻央さんは希実子さんに思いを告げ、手紙を託したそうです。しかるべきタイミングで希実子さんからそれぞれの方に直接手渡されるのでしょう。手紙には封がしてあるので、海老蔵さんも詳しい文面は知らないはずです。もし海老蔵さんがこの先、それを読む機会があったら、麻央さんの深い愛情に、泣いてしまうと思います」(前出・歌舞伎関係者) 「七月大歌舞伎」で勸玄くんは父・海老蔵と親子宙乗りに挑む。――これからも2人のことをよろしくお願いいたします。麻央さんの深い愛情はいつまでもそこにある。
2017年07月04日6月22日に逝去した小林麻央さん(享年34)。その壮絶な死から約1週間後の6月28日、驚きのニュースが飛び込んできた。他人のさい帯血を投与する医療を無届けで行ったとして、全国11のクリニックに業務停止命令が下った。そのうちの1施設が、麻央さんの昨年から何度も通っていたAクリニックだったのだ。 「11カ所の民間クリニックではがん治療などの目的で、妊婦さんのへその緒の中にある血液、いわゆるさい帯血を投与していました。’14年11月に施行された再生医療法ではさい帯血など他人の幹細胞を使った医療を行う場合、専門委員会に計画書を提出し、安全性などの審査を受ける必要があります。しかしAクリニックは届け出を出しておらず、厚生労働省から再生医療を一時停止せよという命令をうけたのです」(医療関係者) さかのぼること5カ月前。今年2月上旬の朝10時半、ショートのウイッグに顔の半分を覆うマスクとファー付きのコートで“厳重装備”をした麻央さんが向かったのがAクリニックだ。タクシーでクリニック前に降りた麻央さん。姉の小林麻耶(37)も一緒だった。 麻央さんがAクリニックで受けていたというのは「水素温熱免疫療法」。業務停止命令の原因となったさい帯血治療とは別の治療法だ。だが水素温熱免疫療法にはこんな指摘もある。 「この療法はまだ10年ほどの歴史しかない、医学的な根拠が乏しいものです。あと10年、20年たたないと、有用性はわかりません」(別の医療関係者) この療法は保険のきかない自由診療。1回数万円になる。少しでも効果が期待できるならと、麻央さんはわらにもすがる思いで他にもさまざまな民間療法を試していた。 「食事の代わりにオーガニックの野菜や果物のみを使ったジュースを飲む『ジュースクレンズ』や、酵素を加えたヒノキのおがくずや米ぬかに体を埋める『酵素風呂』も試していました。夫の市川海老蔵さん(39)がさまざまな人に相談し、この治療法がよいと聞くとすぐに連絡をとっていました」(歌舞伎関係者) 鹿児島のがん専門医院や、ニューヨーク在住の日本人医師にも相談したという。 「先進医療も民間療法も、保険適用外です。海老蔵さんが負担した治療費の総額は1億円を超えていると聞いています」(別の歌舞伎関係者) 愛する妻のためにありとあらゆる手を尽くした海老蔵。家族のために“わずかな希望”にかけた麻央さん。Aクリニックの業務停止令のニュースを聞いた家族の“無念”はどれほどだったろうか――。
2017年07月04日サイバーエージェントが運営する「Ameba」は3日、6月22日に乳がんで亡くなった小林麻央さんを最も価値のあるブロガー「MVB(Most Valuable Blogger)」に認定したことを発表した。夫である歌舞伎俳優の市川海老蔵さんに続き2人目となる。麻央さんは昨年9月1日に「ブログという手段で 陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」という強い意志のもと、ブログ「KOKORO.」を開設。約10カ月間で352記事をつづり、1記事1記事に込められたメッセージは多くの共感を呼び、ブログ読者をはじめ、日本だけではなく世界中の人々を勇気づけ、大きな影響を与えた。ブログ開設以来、10カ月連続で「Ameba芸能人・有名人ブログ」の月間アクセスランキングが1位となり、読者数は270万人を超えるなど、多くの方からの圧倒的な支持と影響力を称えて、このたび「MVB(Most Valuable Blogger)」として認定された。6月20日に更新された記事「オレンジジュース」には、7月3日現在、7万1,000件を超えるコメントが寄せられており、訃報が伝えられた6月23日からの10日間で、約1,000万人もの人が麻央さんのブログを訪れており、世界中の人がブログを通して麻央さんが発信してきたメッセージを見ている。なお、ブログ「KOKORO.」は、遺族との相談のもと、現在の形のままで継続公開することが決定。海老蔵は「麻央の愛がブログというかたちで永遠に記録されること、大変ありがたいです。残された私たちは、ただただ頑張るのみです」とコメントを寄せている。
2017年07月03日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が2日、自身のブログを更新。6月22日に乳がんで亡くなった妻・小林麻央さん(享年34)の写真をアップし、「アイシテル」と思いをつづった。この日のブログでは、あす3日より東京・歌舞伎座で行われる「七月大歌舞伎」の稽古の様子を紹介。「みてて」と題した投稿では、夜の部の演目「駄右衛門花御所異聞」にて歌舞伎史上最年少で宙乗りに挑戦する長男の勸玄くんの写真をアップし、「こんな感じでやるかな?カンカンなりのこだわりで」と白ギツネ役の衣装&メイクについて記した。そして、「みてるかな、明日からだよまお」と天国の麻央さんへメッセージ。麻央さんが自宅で日光浴している写真もアップし、「アイシテル」とつづった。その後、「初日の前の日の夜」と題したブログでは、「終わりのない一日を毎日過ごす精神力と体力が今の私にあるのか?ないのか?私自身も見物の気分です、もし倒れたらまぁそうだよね、しかたないよね、という具合に考えてくださいませ、、宜しくお願い致します、そういう覚悟です」と心境を説明。「これから麻央と相談してきます」と締めくくった。
2017年07月02日6月22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)のブログ「KOKORO.」が英訳されることが30日、明らかになった。夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵が自身のブログで発表し、同日、麻央さんのブログで英訳版が初投稿された。初投稿は、「Being myself」というタイトルで、昨年9月1日に麻央さんが初めて投稿した「なりたい自分になる」というタイトルの投稿を英訳したもの。「私は力強く人生を歩んだ女性でありたいから子供たちにとって強い母でありたいからブログという手段で陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」などとブログを始める決意をした理由などをつづった内容になっている。冒頭には、「(originally posted on 2016.9.1 | 12:12:01)」と記されている。海老蔵は「まおのことやブログに、日本だけでなく海外の方も関心を持っていただいていると聞きました。世界中の私たちと同じように乳がんで苦しんでいらっしゃる方やそのご家族の力に少しでもなれたらとまおが綴った日々のブログを英語に訳して世界中の方に読んでいただければと思いました」と説明。「これもブログを通してまおがやりたかったことかなと思ってます」とつづった。そして、「まずは毎日すこしづつまおのブログにあげていきます。新しいブログを準備していますので、それができたらそちらにうつします」と伝え、「病でありながら世界中の方の心を動かす。本当に偉大な妻です」としみじみ。「今夜から頑張ってみます。世界の方々へ麻央の想いが届きますように…」と思いを込めた。
2017年07月01日女優の藤原紀香さんが6月28日にブログを更新し、自身が46歳の誕生日を迎えたことを報告しました。紀香さんは、両親やファン、仕事仲間など周囲の人々に感謝の気持ちを述べつつ、これからも公私ともに頑張っていきたいと決意表明。記事の最後には『おっちょこちょいでドジで、なんだかんだあほな私ですが』という言葉とともに、ブログを読んでくれている読者に向けて感謝の言葉を伝えています。普段であればおめでたい話題となっていたかもしれないこの報告。しかし、同じく自身が身を置く歌舞伎界では、市川海老蔵さんの妻・小林麻央さんの訃報が報じられたばかり。梨園の妻という立場でありながら、自らの誕生日を祝うブログ記事をアップしたことに対し、批判の声が集まっています。●藤原紀香はあいかわらず自分大好き?小林麻央さんの訃報があったばかりにも関わらず誕生日の報告をした紀香さんに対しネット上では、『こんな記事をこの時期にアップするとか神経疑う。やっぱりこの人のことは好きになれない』『いくらなんでも今言うことじゃないだろ。身内と言ってもいい人が亡くなったばかりだというのに…。麻央さんへの配慮はないのか』『「おっちょこちょいでドジであほなわたし」と言えば何でも許されると思ってるのか?』『空気読め。暗くなりすぎる必要はないけど、今じゃないことぐらい分かるだろ』『このタイミングで誕生日アピールとかなに考えてるの?おかしいでしょ!』『46歳にもなって周りのことを見ることができないなんて恥ずかしいにもほどがある』『無神経すぎる…。最後に添えた自虐セリフもただただイタい』『こんな時期ですら「私を見て!」がとまらないとか呆れてモノも言えない。周りに配慮するということを知らないのでしょうか』『ホントもう…なんと言っていいか…この人は…』『梨園の中でも失笑ものだろうね。自分の立場がわかってないにもほどがある』『ドジとあほに加えて、KY、自己中、非常識も入れてください』『そもそも、46にもなっていまだに「誕生日です!」とか言ってるのが嫌だ』など、自分のことしか考えていないという声が多く見られました。日頃から奔放な言動が取り沙汰される紀香さんですが、今回はあまりの非常識さに哀れみの声すら聞こえてきます。結婚当初から「梨園の妻失格」という声が少なくなかったものの、この一件で再び評価を下げてしまうことになりそうです。※画像はイメージです。●文/ぶるーす(芸能ライター)
2017年06月29日フリーアナウンサーの小林麻耶(37)が29日、自身のブログを更新。妹の小林麻央さん(享年34)が亡くなって1週間たった今の心境を明かした。麻耶は「おはようございます!」というタイトルで更新。「たくさんのコメントありがとうございます。ブログの存在に支えられています。ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えた。そして、「新しい一日が始まりました。時が過ぎていく実感はないのに、確実に日は進んでいるんですよね」としみじみ。「妹はどこか遠くの病院に入院していて、今は会えない... そんな感覚になっています」と自身の心境を表現し、「私のことが心配で、そばにいてくれているのかな。ありがとう」とつづった。
2017年06月29日「最後の最後まであきらめない麻央さんの強い気持ちに、私はいつも支えられました」と語るのは、自身もステージIIaのがん闘病を経験したAさん(43)だ。 亡くなる2日前まで352回も更新し、闘病の様子を自身のブログ「KOKORO.」に綴り続けた麻央さん。母親が絞ってくれたオレンジジュースを飲んだという、6月20日の投稿が最後になった。 《朝から笑顔になれます。皆様にも、今日笑顔になれることがありますように》 苦しさをおして、こう感謝の気持ちを記していた。彼女が「KOKORO.」を開設したのは昨年9月1日。 《ブログという手段で、陰に隠れている自分とお別れしようと決めました》 乳がんという病の重みに負けそうだった麻央さんが、はじめての投稿で示した決意。するとまたたく間に共感の声が広がり、フォロワー数は100万人を突破した。前出のAさんも、彼女のブログに励まされた1人だ。 「私が入院していた病院にはいろんながん患者さんがいらっしゃいました。その中で再発した方や亡くなった方がいると、私はそれだけでパニックを起こしそうになりました。そんな弱い自分を包み込むやさしさが、麻央さんのブログにはあるんです」 堂々とウィッグ姿を披露したり、ときおりユーモアを交えながら、麻央さんはがんという病と向き合っていた。ステージIの状態から寛解した、40歳の女性もこう語る。 「どう見ても苦しいはずなのに余裕があって、すごいです。その気持ちの強さを、私も真似したいなと感じました」 姉である麻耶さんの存在を《本当にかけがえのない愛そのもの》と記していた麻央さん。いつも見守ってくれる家族への、感謝の言葉を忘れなかった。ステージIIbのがんと闘う46歳の女性は言う。 「私はそんな考え方にとても感心したんです。私も感謝の気持ちは持っているだけじゃなくて、ちゃんと伝えなきゃいけないと思いました」 《暗いことや悲しいことだって、誰かの心にプラスでつながれる瞬間がある》と綴っていた麻央さん。彼女の言葉は、大勢のがん患者の心に響いたはずだ。
2017年06月29日22日に妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を乳がんで亡くした歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が29日、自身のブログを更新し、癒えることのない悲しみをつづった。海老蔵は「おはようございます」と題して更新。「胸がしめつけられ目覚め胸を抑えると大きな大きな穴が空いている言葉に文字に出来ない喪失感、あの日から涙のでない日がないです、、」とつらい思いを吐露した。そして、「おはようございます。今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。朝からごめんなさい」とお詫び。「全ての方を愛しています。全ての方が幸せになることを願います」とつづった。
2017年06月29日6月22日に亡くなった小林麻央さん(享年34)。夫・市川海老蔵は23日の会見で「麗禾はずっと麻央のそばを離れませんでした。勸玄は今日の朝も麻央の横になっているところに立って、麻央の顔を触ったり、足をさすったり……」と残された子供たちについて語っていた。 勸玄くん(4)にはこれから、数々の試練が待ち受けている。来月には七月大歌舞伎で史上最年少の宙乗りに挑戦、またその後は数十億円規模ともいわれる襲名披露興行が控えているのだ。 母亡きなかで背負う“梨園の宿命”。だが勸玄くんはすでに、梨園入りのための修行を開始。周囲も驚くほどの“歌舞伎役者としての覚悟”をみせているという。 そして長女の麗禾ちゃん(5)もまた、周囲も驚くほどの成長ぶりを見せている。 「麗禾ちゃんは6月中旬、七夕の短冊に『早くママがよくなりますように』と願いごとを書いたといいます。優しさは麻央さん譲りですね」(歌舞伎関係者) さらに麗禾ちゃんは、すでに成田屋の“型”も体得し始めているという。 「彼女は海老蔵さんを真似て見得を切ったりもしています。麗禾ちゃんが望めば、海老蔵さんの妹・市川ぼたんさん(38)のように日本舞踊の道に進むこともできます。また寺島しのぶさん(44)のように、女優として活躍する道もあります。今から『将来が楽しみだ』と期待する声も出てきています」(前出・歌舞伎関係者) 亡き母が安心できるほど、しっかりと育っている子どもたち。家族もそれを支えていくつもりだ。 「麻央さんの闘病中、海老蔵さんの“梨園妻”としての代役は母親の希実子さん(64)が勤めてきました。今後も親子襲名披露までは、希実子さんがサポートしていくつもりだといいます。また麻耶さんもこれまで、妹の代わりになって子供たちの世話をしてきました。今では2人とも彼女にすっかり懐いています。今後もきっと、彼らの“母代わり”として精神的な支えになってくれると思います」(前出・歌舞伎関係者) 麻央さんが見守る天国まで届く名声を――。海老蔵と子供たちの奮闘は続く。
2017年06月29日「勸玄はまだわかっているんですけど、わかっていないところもあって。今日の朝も麻央の横になっているところに立って、麻央の顔を触ったり、足をさすったり……」 23日の会見でそう語った市川海老蔵(39)。小林麻央さん(享年34)の訃報に大人たちが悲しみにくれるなか、まだ4歳の勸玄くんはその意味を完全には理解できていないという。だがそんな勸玄くんにはこれから、数々の試練が――。まず来月、勸玄くんはさっそく七月大歌舞伎で“史上最年少の宙乗りに挑む”という大役が待ち受けている。 「勸玄くんはしっかりしていても、まだ子ども。母の死を本当に実感したとき、舞台に立てなくなるかもしれません。それを周囲は心配しています。しかし、公演に穴をあけることはできない。幼いながらも彼は“梨園の宿命”を背負っているのです」(舞台関係者) 彼が背負うのは、それだけにとどまらない。実は早くも名門「成田屋」を背負う一大興行が目前まで迫っているというのだ。 「海老蔵さんは、2020年の東京五輪委員を務めます。そこで松竹サイドはオリンピックイヤーに華を添えるべく“ある計画”を考えています。それは海老蔵さんが十三代目・市川團十郎を、勸玄くんが八代目・市川新之助を襲名する“親子同時襲名興行”です。『団菊祭』を皮切りに、全国を回る超目玉興行になるでしょう。通常、襲名披露の発表は1年以上前。つまり19年初めごろまでには詳細を決めなければなりません」(歌舞伎関係者) 実現すれば、おそらく数十年に一度の規模になるであろうこのイベント。当然、そこにはとてつもない額のお金が動くことになる。 「前回の東京五輪2年前の62年4月に十一代目・市川團十郎の襲名披露公演が行われました。当時も松竹が全面バックアップ態勢をとって、『世紀の大興行』『1億円襲名』などと言われるほどの大成功を収めました。それから約半世紀、今回は親子同時のイベントですからね。規模はさらに大きなものとなるはずです。チケット代だけでも10億円、グッズの売上も合わせれば数十億ものお金が動くともいわれています」(前出・舞台関係者) その重責を、父子で担っていく――。麻央さんがいないなか、勸玄くんはあまりに大きな重圧と闘っていかなくてはならないのだ。 「勸玄くんの修業は、すでに始まっています。本来6歳からスタートするものですが、勸玄くんの場合は4歳から日本舞踊などを始めています。習いごとは今後も増えていくことでしょう。それでも彼ならきっと乗り越えてくれるはず。今回の七月大歌舞伎で勸玄くんが宙乗りに挑戦するのも、麻央さんを元気づけるために企画されたものでした。麻央さんは『危ないから』と息子の出演に反対しましたが、彼自らが『出たい』と申し出たそうです。勸玄くんには歌舞伎役者としての心構えができていますよ」(前出・歌舞伎関係者)
2017年06月29日22日に妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を乳がんで亡くした歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が28日、自身のブログを更新。長女の麗禾ちゃんの遊び相手をしてくれた俳優の山田純大(44)に感謝した。海老蔵と長男の勸玄くんはこの日、7月3日より東京・歌舞伎座で行われる「七月大歌舞伎」の稽古へ。家を留守にしている間、『第四回 自主公演 ABKAI 2017~石川五右衛門 外伝~』で共演した山田が、麗禾ちゃんの相手をしてくれたという。海老蔵は、「麗禾」と題した投稿で、麗禾ちゃんと山田がブランコを楽しんでいる写真をアップし、「お願いしました。純大さん。ありがとう涙」と感謝。「すごく嬉しいがってると、本当に優しい方です」とつづった。また、稽古に参加した勸玄くんの写真もアップし、「稽古はまだまだ終わりませんが、今日はカンカンよくやってくれた涙、お疲れ様」と勸玄くんへのねぎらいの言葉も記した。
2017年06月28日歌手のGACKT(43)が自身の公式ブログを更新し、MALICE MIZER(マリス・ミゼル)のメンバーで1999年にくも膜下出血で亡くなったKami(享年26)のお墓参りに訪れたと明かした。 GACKTは『アイツがいなくなってもう18年…』と題したブログを更新し、「1999年当時、MALICE MIZERのメンバーと絶縁状態にあったボクに、彼が亡くなった報せがその直後に届くことは当然のことながらなかった。その報せを受けたのはスタジオでVANILLAのレコーディングをしているときのことだった。」と振り返った。 その後、居ても立っても居られなくなったというGACKTは、「彼の実家の場所も墓の場所も知りもしないのに早朝にたたただクルマを走らせ茨城に向かった。」とし、「彼の実家の玄関先でご両親が出て来て顔を見た時、何も言葉が出て来ず、急に涙が止まらなくなったことを鮮明に覚えている。」と当時の状況を明かした。その後、Kamiさんの誕生日と命日には実家を訪れ、両親へ現状報告をしているという。 また、「麻央さんのことがあったからか【人との別れ】についてこの数日ずっと頭の中をグルグルと回るまとまらない思考。」と22日に亡くなった小林麻央(享年34)についてもふれ、「どれだけ考えても今のボクに出来ることは、そんな人たちをけっして忘れないこと、そして、『今日もしっかり頑張ってるよ』と、胸を張って言える生き方を自分がしっかりすること。」と想いをつづった。 これに対しファンは「もう18年も経つんですね…」「温かくて優しいGACKTさん。素敵です」「心に染みました」「ありがとうGACKTさん!」「今もファンです。お父さん、そっくりで泣けました。」などコメントが寄せられている。
2017年06月28日22日に妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を乳がんで亡くした歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が28日、自身のブログを更新。7月3日より東京・歌舞伎座で行われる「七月大歌舞伎」の稽古がこの日から始まることを明かした。同公演には、長男の勸玄くんも出演する。海老蔵は「おはようございます」という題して更新し、「今日から七月大歌舞伎の稽古になります」と説明。「倅との時間が多くなると思います。逆に麗禾との時間がすくなくなる。そこら辺よく考えないとならないと思ってます」と長女の麗禾ちゃんを気遣った。そして、「今日からまた七月公演休みなく、そのままエビ森。六本木歌舞伎とつづきます」と今後の公演について記し、「心折れぬように、自分も大切にしなければならぬ。と思ってます」とつづった。また、「カンカンは今日から」と題したブログでは、「お稽古です」と後ろ姿の勸玄くんの写真を掲載。「互いに頑張ろうね。ママが見守ってくれてるから一緒に頑張ろう」と呼びかけ、「お空から見ててくれるはず、私もシッカリしなくては、麻央に かっこ悪いところ見せられないですからね、踏ん張ります」と気合を入れた。
2017年06月28日22日に乳がんで亡くなった小林麻央さん(享年34)の姉でフリーアナウンサーの小林麻耶(37)が27日、自身のブログを更新。妹がいない喪失感や悲しみを打ち明け、「不思議と今まで以上に妹を感じています」という感覚も明かした。麻耶は「はじまり。」というタイトルで更新し、励ましの声に感謝。「昨日で執り行わなくてはならないこと終え、今日から日常が始まっています」と報告するも、「寝ているのか、寝ていないのか、よく分からない状態の夜が続いていますが、妹がいないという喪失感で目が覚めるのは耐え難いものです」と悲しみが消えることはない。そして、「不思議と今まで以上に妹を感じていますし、そばにいるのかもと思える瞬間も数々あるのですが、もう... 目を合わせて話せないし、声も聴けないし、触れることができない。悲しいです。寂しいです。辛いです」と吐露。「一日一日悔いなく過ごせるようにしてたけれど、でも、もっともっともっと... ... という想いが出てきてしまいます」と打ち明けた。また、「子供たちは、大丈夫かな、、、。大丈夫ではないですよね。私の出来る限り、寄り添いたいと思います」と麻央さんと歌舞伎俳優・市川海老蔵の子供である麗禾ちゃんと勸玄くんを心配。海老蔵とドラマや舞台で共演した俳優の山田純大が連日家に来て子供たちと遊んでくれていることも明かし、「どれほど救われているか分かりません」と感謝した。さらに、「姪っ子甥っ子2人とも純大さんが大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで、純大さんの話しをするだけで、顔色も声色も変わるくらいそんな純大さんが遊んでくださるので、それはそれは楽しそうで嬉しそう。大はしゃぎタイムです」と2人の様子をつづり、「純大さんという存在が現れてくれたこと、奇跡だと思います。それくらい有り難いです。人は人に救われますね。山田純大さん、本当にありがとうございます。心から感謝いたします」と感謝の言葉を重ねた。
2017年06月27日6月22日に逝去した小林麻央さん(享年34)。悲しみに沈む家族を、支え続ける男がいる。俳優の山田純大(44)だ。 《ありがとう!純大さん。純大さんとはなんか一昨年の冬に初めてお会いしたのですが、あっという間に深い絆が人は共にした時間も大切ですが、時間を越えて深くなる絆もある。そんな事を感じさせてくれました》 6月27日、市川海老蔵(39)はブログを更新し感謝を綴った。いっぽう麻央さんの姉の麻耶(37)も、6月27日のブログでこう綴った。 《テレビ東京のドラマ、舞台で海老蔵さんと共演されていた俳優の山田純大さんが、連日、大変お忙しい中、家に来てくださり、子供たちと遊んでくださっています。どれほど救われているか分かりません...姪っ子甥っ子2人とも純大さんが大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで、純大さんの話しをするだけで、顔色も声色も変わるくらい(≧∀≦)》 市川家に寄り添う山田純大は歌手で俳優の杉良太郎(72)の息子だ。杉は1999年に演歌歌手の伍代夏子(55)と再婚したが、純大は前妻との子。1997年に映画『CUTE』で俳優デビューした純大は、12歳から約10年間米国に留学していた異色の経歴を持つ。 「名門ペパーダイン大学でアジアについての研究をしていました。父の杉さんは、卒業後は国際弁護士になってほしかったそうですが、本人は芸能界入りを強く希望。大学時代にサークルを立ち上げ、芝居や歌の勉強もしていたそうです。そんな息子の熱意に折れて、杉さんも芸能界入りを後押ししました」(芸能プロ関係者) デビュー年には『毛利元就』で大河ドラマへの出演も果たした。主役ではないが、ドラマや映画を支える名脇役としてキャリアを積んできた。さらに、純大はノンフィクション作家の顔を持っている。13年には『命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民』(NHK出版)を上梓している。 「第二次世界大戦中、ナチスドイツに迫害されたユダヤ人らのために、リトアニアの領事館にいた杉原千畝が大量のビザを発行したことは知られていますが、訪日したユダヤ人の保護に奔走したのがユダヤ研究者だった小辻節三です。現在、小辻の墓はエルサレムにあります」(大学講師) 純大は米国で出版されていた小辻節三の自伝に衝撃を受け、300ページあまりの本をわずか2週間で翻訳した。出版社に持ち込むが“まず小辻のことを紹介する本を出したい”という言葉を受け、自ら取材を開始。イスラエルや米国に飛び、5年の歳月をかけ本を出した。弱者に寄り添う小辻の姿に純大は心を揺さぶられ、その偉業を多くの人に知ってほしいと思ったからだ。 「お父さんの杉さんは100人以上のベトナムの子供たちの里親になっています。東日本大震災でも大量の支援物資を被災地に届けた。これまで慈善活動に数十億の私財をつぎ込んだといわれています。純大さんのやさしさもお父さん譲りでしょう。特に海老蔵さんとは同じ2世俳優として、シンパシーを感じているのだと思う。そんな友とその家族が悲しみに打ちひしがれているとき、純大さんは動かずにはいられなかったのでしょう」(前出・芸能プロ関係者) 山田純大はこれからも海老蔵と子供たちの心の傷を癒すために、市川家のインターフォンを押すのだろう。
2017年06月27日22日に妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を乳がんで亡くした歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が27日、自身のブログを更新。ブログを更新しすぎとの批判があることを明かした上で、「ブログが1つの支えになってます」と理解を求めた。海老蔵は「朝の一服とお許しを」と題して更新し、「朝の一服私は今こころの頼りはこうしてブログでも皆様も繋がっている事も私の支えになっています。ありがとうございます」と読者に感謝。「更新しすぎという意見もあるとか、確かにその通りです」としながらも、「ごめんなさい御理解してくださいとは言いません。居ても立っても居られないとき、私はブログが1つの支えになってます」とつづった。そして、「皆様のコメントやこころの在りようを表す事で少しだけ気を取り戻せるような気もするのです」と続け、「お許しくださいね。人それぞれですから、私は私のやり方で許してください」と理解を求めた海老蔵。最後に、長男・勸玄くんの写真もアップし、「倅は朝から花と対話してます」と様子を記した。
2017年06月27日「6月21日の朝までは話せていたのが、夜には痛がって、22日の朝には話せなくなってしまったそうです。それまでずっと麻央さんのお母さんと姉の麻耶さん(37)が看病していましたが、お医者さんを呼んで痛み止めを入れてもらうことにしました。少し落ち着いて眠ったのか、夕方に意識がなくなって。子どもたち2人もずっと横にいて、励まし続けていたそうです」(医療関係者) 「愛している」――。6月22日夜、市川海老蔵(39)にそう言い残して小林麻央さん(享年34)が亡くなった。 「子どもたちはずっと麻央さんのそばを離れようとしませんでした。特に麗禾ちゃん(5)は亡くなってからも一緒に寝ると言い張って、横に布団を敷いてもらって一緒に寝ていました」(前出・知人) 翌23日の朝、勸玄くん(4)はいつものように、麻央さんの足をさすっていたという。父はそんな子供たちの姿を見て涙した。――だが、それから数時間後の昼、歌舞伎役者・市川海老蔵は舞台上にいた。 《こういう時だからこそ、より厳しく、より深く己に喝を私が役者として良くなる事を誰よりもまおがよろこぶから、私はやる》(6月22日の海老蔵のブログより) 「満員御礼を申し上げます」 東京・シアターコクーンでの主催舞台『ABKAI』は、この日も海老蔵のアナウンスで幕が開いた。 「絶景かな、絶景かな」 石川五右衛門に扮した海老蔵は名文句を発しながら、華々しく登場する。いつもと変わらない舞台に見えた。だが、観客の多くは、報道で麻央さんが亡くなったことを知っていた。この日はコミカルなシーンでも観客たちの笑い声は遠慮がちだ。 すると海老蔵が「(客が)静かだなぁ、今日は」と笑みを浮かべて言う。それにつられて観客も笑い始めた。舞台がクライマックスを迎えるころ、観客はみな大声で笑っていた。 「絶景かな、絶景かーなー」 冒頭と同じセリフを海老蔵は息が続く限り伸ばしていう。海老蔵の高笑いで幕が下りるなか、両目には涙が溜まっていた。終幕後、会見を開き海老蔵は麻央さんの逝去を伝えた。 《まおの思い元気になったらこうありたい!という気持ちを私も引き継ぎ。生きます。私では力不足ですが、私はまおの生きたかった 行いたかった事をしていきます。まおと私は共に生きます。私の中にいつもある》 6月24日、海老蔵は子供たちと相撲をとる写真とともにブログにそう綴っている。「まおがよろこぶから」。市川海老蔵はこれからも舞台に立ち続ける。
2017年06月27日「私は父を病院で亡くしてるので。病院のときとは違う、家族の中で、家族と共に一緒に居られた時間というのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います」 会見で夫の市川海老蔵(39)は涙ながらにそう語った。 小林麻央さんが逝ってしまった。まだ34歳。7月21日の誕生日は目前だった。6月22日夜、海老蔵に、長女・麗禾ちゃん(5)と長男・勸玄くん(4)。そして麻央さんの両親と姉・麻耶(37)。愛する人たちに見守られて、麻央さんは静かに息を引き取った。 今年1月に一度は退院するものの、4月22日に容体が悪化し、緊急入院した麻央さん。市川家に近い知人は「こどもの日までには退院したいというのが麻央さんの希望でした」と言う。だが、容体は日に日に悪くなった。 「ゴールデンウィーク中にも、麻央さんは危篤状態に陥ったそうです。すぐに、家族全員が病院に呼び出されました。呼ばれるということは“最悪”を覚悟せよということです。團菊祭の真っ最中だった海老蔵さんも飛んできたそうです」(前出・知人) “ママ”“麻央”。それぞれの言い方で、家族は麻央さんを呼び続けた。そして、呼びかけに応えるように彼女は再び目覚めた。 「麻央さんの容体が安定し始めたんです。もう一度、海老蔵さんや子供たちと一緒に暮らいて、生きていきたい。そんな強い思いで、麻央さんは持ち直したに違いありません」(前出・知人) 「家に帰りたい」。意識を回復した麻央さんは強くそう希望していた。快適でも病室にはない家族の温もりが自宅にはあった。 「いつ危篤になってもおかしくない状態でしたが、麻央さんは懸命に耐えた。比較的容体が安定し、5月29日に帰宅することがかないました。海老蔵さんが迎えにきて、仲よく帰っていったと聞いています」(医療関係者) 「家族といたい!」。麻央さんの強い思いが奇跡を生んだ。退院して1カ月、麻央さんにとって、苦しくとも幸せな日々だった。子供たちにとっても夢のような時間だった。遠くから子供たちの声が聞こえてくる。部屋にやって来ては、新しい宝物を見せてくれたり、足をさすったりしてくれる。朝、麻央さんの容体を主治医に報告するのは海老蔵の仕事だ。舞台や稽古を終えて帰宅すると、真っ先に麻央さんの顔を見に来る。はかなくも幸せな時間だった。 「がんの顎への転移のために、しゃべることがつらく、筆談をしなければならないことも多かったそうです。自宅の中を移動するときも車椅子に頼っていました。想像を絶するような苦しい闘病でしたが、家族の側にいれて、麻央さんは本当に幸せだったそうです」(歌舞伎関係者) だが、6月22日の夕方に容体が急変する。義母は海老蔵に連絡するが、稽古の真っ最中だった。稽古後に連絡に気付いた海老蔵は家に急いで飛んで帰ると、麻央さんは帰りを待っていた。 「愛している」 いまわのきわ、麻央さんは海老蔵にそう伝え、旅立っていった。麻央さんの家族愛が生んだ奇跡の1カ月は子供たちにとってかけがえのない宝になった。
2017年06月27日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が26日、自身のブログを更新。22日に乳がんで亡くなった妻でフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の追悼特番『小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~』(日本テレビ系 21:00~22:54)を見ていることを明かし、「まお、…あいたい、あいたいよ」と悲痛な思いを吐露した。海老蔵は「テレビ拝見してます、」と題して更新し、「涙」と告白。「そして私は完全にまおがくっついた食欲がおかしい」とテーブルに複数並ぶピザの写真をアップし、「ダメです…私こういうのたべないので笑まおは大好きでした!」と記した。そして、長男の勸玄くんに加え、長女の麗禾ちゃんも写り込んだ写真をアップ。「起きて見てます」と2人の子供も番組を見ていることを明かし、「今日もありがとう純大さん、ありがとう」と、前日に続き自宅に来てくれた俳優・山田純大に感謝した。その後、「まお、」というタイトルで更新し、「まお、…あいたい、あいたいよ、」と麻央さんへの思いを吐露。「人生は転んだかどうかが重要ではないどうやって立ち上がったかが重要だ」という言葉が映った画面を添えて、「おれ、がんばるよ、」と天国の妻へ誓った。
2017年06月26日22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の姉でフリーアナウンサーの小林麻耶(37)が26日、麻央さんが亡くなってから初めて自身のブログを更新し、現在の心境をつづった。麻耶は「たくさんのコメントありがとうございます。ゆっくり読ませて頂きます。本当にありがとうございます。ご心配していただいたのにもかかわらず、今日までブログの更新できず、申し訳ありません」と感謝とお詫びを伝えた上で、「6月22日最愛の妹が旅立ちました」とあらためて報告。「生まれた時から可愛くて可愛くて、どうしてこんなに妹が好きなんだろうと自分でも不思議に思ってしまうくらい心の底から大好きでした。世界一愛しい存在です」と麻央さんへの思いを明かした。続けて、「いつも優しくて、穏やかで、あたたかくて、自分のことより人を気遣う妹。私の絶対的な味方で、一番の理解者。そんな存在がこの世からいなくなってしまった寂しさ、悲しさは計り知れません。正直、この現実を私は受け止めることができずにいます」とつらい胸中を吐露。「もっと一緒にいたかったもっと一緒に話したかったもっと一緒に笑い合いたかったもっと一緒に...もっと一緒に...いろんな思い出を作りたかった一緒に、生きていきたかった」と無念さをにじませつつ、「これまで妹が教えてくれた...当たり前のことなど何ひとつない日常の有り難さ命の輝き、尊さ愛に生きるということひとつひとつ噛み締めながら妹がいない現実とともに生きていきたいと思います」と前を向いた。そして、「妹は、ブログを始めたことで多くの方々と繋がらせていただき、たくさんの励まし、勇気、力をいただきました。本当に本当に本当にありがとうございました。心から感謝しています。ブログの写真を楽しそうに撮る妹の姿が私は好きでした」と麻耶。「これまで妹を応援してくだった皆様妹が力強く前向きに生きた証のブログ、これからも時々訪れていただけたら幸いです」と呼びかけ、「本当に本当にありがとうございました」と締めくくった。
2017年06月26日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が26日、自身のブログを更新。乳がん闘病の末、22日に亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さんと最後のお別れをしたことを明かした。海老蔵は「本日は様々な行事を」というタイトルで更新し、「滞りなく終える事が出来ました。まおとの最後のお別れでした」と報告。「子供達も全て立会いました」と長女の麗禾ちゃんと長男の勸玄くんも立ち会ったことを明かし、両手に白い花を持った勸玄くんの写真をアップした。そして、「2人がどう感じたのか…わかりません。が、、常に2人に愛を注ぎたいと思います」と決意を記した。25日には、仏式の通夜で行われる儀式「みたまうつしの儀」を終えたことを報告していた。
2017年06月26日乳がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日、34歳の若さで亡くなった。 夫で歌舞伎役者の市川海老蔵(39)は23日記者会見を行い、麻央さんが最期の瞬間に「愛してる」と言って旅立っていったことを明かした。さらに闘病中の麻央さんとはプロポーズの言葉通り「来世も一緒にいよう」と話したという。その深い夫婦愛に多くの人が感銘を受けている。 しかしそんな彼らが交際6カ月でゴールインした、いわゆる“スピード婚”だったことはあまり知られていない。 2人の出会いは08年12月。麻央さんがキャスターを務める『NEWS ZERO』(日本テレビ系)でのインタビューでのことだった。その後、麻央さんが海老蔵の出演する歌舞伎の観劇に赴くなどのデートを重ね、09年11月に交際が発覚。10年3月に入籍した。 “慎重派”なイメージの麻央さんが出会いからすぐに結婚を決めた理由について、彼女が語っていたことがあった――。 10年4月放送の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)に姉の小林麻耶(37)と出演。番組放送の1カ月前に海老蔵と入籍したばかりの麻央さんは、出会いから結婚にいたるまでのエピソードを告白していた。 中居正広(44)が「お付き合いしてどのくらいでしたっけ?」と訊ねると、麻央さんは照れくさそうに「半年くらい」と答えた。この“スピード婚”には麻耶も驚いたようで、「びっくりしました。そんなに早く決めちゃっていいのかなって思ったんですけど」と語った。 すると麻央さんは結婚の決め手について「4カ月でも、ぴたっと合えば運命の人で、結婚できるって聞いたんです」と説明。中居は「でも、4カ月って怖くない?」と話していた。 当時麻央さんが語っていたように、一緒に過ごした時間の長さと愛情は必ずしも比例しないのかもしれない――。
2017年06月26日