東京の新しい結界を形作るといわれる5つの神社。反時計回りにお参りすることで、悪運を除けて良縁を結ぶという、島田秀平さん流「逆さ詣で」のやり方とは?都内のパワースポットを結ぶことで円=縁が強まる!?「原宿の母」に才能を見出され「代々木の甥」の名を与えられた手相芸人の島田さんは、東京の神社の新しい巡り方を提唱している。「陰陽五行説に基づいて選ばれた『新東京五社』といわれる、東京大神宮・神田明神・水天宮・金刀比羅宮・日枝神社。この5社を地図上で繋ぐとできる円が、皇居、そして東京の新たな結界を形作っているといわれています。どこも近年パワースポットとして人気の場所ですが、よりパワーを強めるためにおすすめしたいのが、島田流・新東京五社逆さ詣で。時間に逆行するように反時計回りにお参りすることで“永遠・若返り”などの効果が。縁結びの神社である東京大神宮を拠点にスタートするのがいいでしょう。人が集う寺社にはパワーが集まり、その場所に行き人の流れを作ることで結界の力を強化するので、コロナ禍の日本を守るのに繋がることも期待できます」逆さ詣でを強化するポイントは?「午前中に寄り道せず一気に回ること。公共交通機関を使ってOK。天赦日、一粒万倍日などの吉日を選ぶのも。来年の初詣なら、そのふたつが重なる1月16日にさらなるご利益が」島田流・新東京五社逆さ詣で「スタート&ゴール地点のおすすめは、恋愛のパワースポットとして有名な東京大神宮。恋愛以外の縁結びにも強力なご利益が。ここの恋みくじは出会う相手の干支や星座まで細かく書いてあるので、恋に迷ったときの強い味方。日枝神社は江戸城の裏鬼門を守るため、江戸時代に現在の場所に移転。恋愛で相手との仲を深めたいときや、家庭円満などのご利益に霊験あらたかな神様です。金刀比羅宮は香川県にある金刀比羅宮の分社ですが、高層ビルと一体化している都会的な神社。夜はゴールドにライトアップされるなど“金”の気を強く感じるパワースポットです。水天宮は安産&子宝の神様。ここの子宝いぬを撫でると安産や子授け、成長のご利益が。人気アニメの聖地でもある神田明神は、商売繁盛や仕事運向上を願う参拝者が多く、大企業の重役などの初詣スポットとして賑わいます」木:東京大神宮東京都千代田区富士見2‐4‐1土:日枝神社東京都千代田区永田町2‐10‐5金:金刀比羅宮東京都港区虎ノ門1‐2‐7水:水天宮東京都中央区日本橋蛎殻町2‐4‐1火:神田明神東京都千代田区外神田2‐16‐2しまだ・しゅうへい2002年に「原宿の母」に弟子入りし、芸人の傍ら手相を学ぶ。現在は手相芸人としても活躍。新東京五社に触れた近著に『島田秀平のニッポン開運ライン』(神宮館)。※『anan』2020年12月16日号より。取材、文・さかいもゆる(by anan編集部)
2020年12月13日スターバックス(Starbucks)は、御所人形の老舗として知られる島田耕園人形工房とコラボレーションした招き猫など7種の商品を、スターバックス リザーブ ロースタリー 東京にて2020年12月14日(月)から数量限定発売する。京都の地で日本の人形の伝統を創りつづけてきた島田耕園人形工房。中でも御所人形は、江戸時代に作られ、参勤交代の大名に返礼品として贈られたものだ。スターバックスとのコラボレーションでは、「日ごろより健康でいることの大切さ」や「大切な人と一緒に過ごすことが出来ることのへ幸せ」への願いを込めた御所人形や招き猫などを用意する。御所人形の瓢箪持「六瓢息災」は“無病”とかけて六つの瓢箪を装飾。招き猫は、京都東山地区の店舗で販売されている JIMOTO made Series「縁起物チャーム」にもある招き猫三毛をモチーフにして制作された。いずれもよく見ると、スターモチーフや茶色のエプロンなど、ロースタリー 東京らしいディテールがあしらわれている。その他、2021年の干支である“丑(うし)”を象った土鈴も販売。“魔除け”や“縁起物”として作られてきた土鈴に、幸せを象徴するとも言われる黒い牛のモチーフを採用。さらに、“浄化”を意味する麻の緒の持ち手を加え、縁起の良いアイテムに仕上げた。土鈴の他、白丑、赤丑の置物も登場する。【詳細】スターバックス リザーブ ロースタリー 東京×島田耕園人形工房発売日:2020年12月14日(月)~ ※なくなり次第終了場所:スターバックス リザーブ ロースタリー 東京住所:東京都目黒区青葉台2-19-23※購入数制限あり。販売開始初日は、1人1商品につき1点まで。翌日以降は、1人1商品につき10点まで。・島田耕園人形工房 瓢箪持「六瓢息災」 70,000円+税・島田耕園人形工房 「三福」 60,000円+税・島田耕園人形工房 招き猫「三毛」 30,000円+税・島田耕園人形工房 干支(丑)土鈴 4,000円+税・島田耕園人形工房 小御所人形「瓢箪持 三拍子」 3,500円+税・島田耕園人形工房 干支(丑)置物 白丑/赤丑 各3,000円+税【問い合わせ先】TEL:0120-336-388(10:00~18:00 年中無休、国際電話、IP 電話からは 03-5745-5890)
2020年12月10日スターバックスは、1859年(安政6年)創業「島田耕園人形工房」とのコラボレーションを昨年に続き今年も発表。12月14日より、スターバックス リザーブ® ロースタリー東京にて、7種のコラボアイテムが発売される。スターバックス リザーブ® ロースタリー 東京×島田耕園人形工房未来への想いが重なるコラボレーションスターバックスと島田耕園人形工房との縁は、京都二寧坂の“畳のあるスタバ”でも知られる、「スターバックスコーヒー京都二寧坂ヤサカ茶屋店」の向かいに工房があることから始まった。このスターバックスコーヒー京都二寧坂ヤサカ茶屋店には、五世島田耕園氏作のグリーンエプロンをした招き猫が飾られている。御所人形の老舗として知られる島田耕園人形工房は、京都の地で日本の人形の伝統を創りつづけてきた工房。この“御所人形”というのは、ぽっちゃりした肉付き、真白な肌、小さな手足に大きな顔、ちんまりとした目鼻立ちのかわいらしい幼児の姿そのままに作られている人形で、江戸時代に創作され、大名が参勤交代のおりに京都の御所や公卿達に贈り物をした返礼に贈られたもの。御所人形そのものがおめでたいものであり、吉祥感を感じるつくりを大切にしているが、今回の人形は、特に、“日ごろより健康でいることの大切さ”や、“大切な人と一緒に過ごすことが出来ることのへ幸せ”への願いを込めて制作されている。コラボ商品7種のラインアップ新たな年も健康で、幸せの多い年となることを願い制作されたコラボアイテム。スターバックス リザーブ® ロースタリー 東京らしいスターモチーフや茶色のエプロンを付けた招き猫などを含む7種のラインアップをご紹介。島田耕園人形工房 招き猫「三毛」(3万円)昨年に続き登場した“招き猫”は京都東山地区の店舗で販売されているJIMOTO made Series『縁起物チャーム』にもある招き猫三毛をモチーフとして制作された。商売繁盛の縁起物として有名な「招き猫」。右手を挙げると金運を、左手を挙げると人を招き「千客万来」の御利益があるとされている。島田耕園人形工房 瓢箪持「六瓢息災」(7万円)「御所人形」を象徴するぽっちゃりした肉付き、真っ白い肌、小さな手足に大きな顔の人形は、瓢箪をもっている。2020年未曾有の病が流行し、今まで以上に健康であることを強く意識した年。六つの瓢箪=無病とかけて、人々が健康に過ごすことのできる日常を願い、御所人形に想いが込められている。島田耕園人形工房「干支(丑)土鈴」(4,000円)2021年の干支である“丑(うし)”のかたちをしたコロコロという心地よい音色の土鈴。土鈴は古より“魔除け”や“縁起物”として作られていたもの。黒い牛は天神様の使いとされており、幸せの象徴とも言われている。また、持ち手の麻の緒は古来より“浄化”を意味しており、家庭の安全と幸せな時間を願うアイテムとなっている。島田耕園人形工房「三福」(6万円)桐の台座に並んだ3体の御所人形をセットに。左:笠を被った笠童子は病や怪我から身を守ることを願う人形。中央:頭に金色の牛を乗せた人形は牛頭(ごず)天王で、牛頭天王は、疫病退散を願う人形。右:福の前掛けをかけた福童子は、人々の家庭に多くの幸せがもたらされることを願う人形。島田耕園人形工房 小御所人形「瓢箪持 三拍子」(3,500円)3つの瓢箪を下げた小さな御所人形。古来は水や薬を入れて使っていた瓢箪は末広がりの形をしていることからも健康を守り、縁起のよいものとして考えられている。「三拍子そろった」という言葉は、かつて、おめでたいときや神事に演奏される小づつみ、大づつみ、太鼓の三つの楽器拍子を指しており、三拍子と同じ響きであることから瓢箪を三つそろえると縁起がよいものとされている。島田耕園人形工房 干支(丑)置物「赤丑」(3,000円)島田耕園人形工房 干支(丑)置物「白丑」(3,000円) 2021年の干支・丑(うし)の置物。幸せな一年になるように願いをこめ、人形が制作されたた。白い丑は富の象徴とされ、ご家庭へ多くの福がもたらされるよう願いが込められています。赤い丑は魔を払う色とされ、疫病退散と健康への願いが込められています。その年の干支を家やオフィスなどいつも自分が過ごす場所に置くと一年が幸せになるといわれているので、ぜひ、インテリアの一つして取り入れてみては。販売開始初日は、1人1商品につき1点までの販売制限が設けられる。翌日以降、1人1商品につき10点まで購入可能に。スターバックス リザーブ® ロースタリー 東京のコーヒーとともに、愛くるしい人形をめでる豊かなひとときを。【店舗情報】スターバックス リザーブ® ロースタリー 東京住所:東京都目黒区青葉台2-19-23営業時間:7:00〜23:00定休日なし>>その他のスターバックスの記事はこちらから
2020年12月07日ファッションモデルやタレントとして活躍している神戸蘭子(かんべ・らんこ)さん。そのかわいらしさで、多くの人から支持されています。そんな神戸蘭子さんの現在の姿や、結婚・出産についてなど、さまざまな情報をご紹介します!神戸蘭子の『今』の姿に驚き!神戸蘭子さんは大学2年生の時に、ファッション雑誌『JJ』にスカウトされ、読者モデルとしてモデル活動をスタートしました。そして2006年に、同誌のモデルとしてデビュー。同誌では、『Sサイズモデル』として活躍しました。2008年には芸能事務所にスカウトされ、タレント活動もスタート。かつてお笑いタレントとして活躍していた島田紳助さんが司会を務めていたクイズバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)にレギュラー出演するなど、数々の番組に登場しました。ちなみに、神戸蘭子さんは同番組内で結成されたユニット『里田まい with 合田家族』のメンバーとしてCDデビューを果たしています。その後、2013年7月発売の『JJ』9月号をもって同誌のモデルを卒業しました。そんな神戸蘭子さんはインスタグラムを頻繁に更新しており、現在の姿を見ることができます。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 神戸 蘭子(@ranran0414)がシェアした投稿 - 2020年 8月月18日午後6時57分PDT この投稿をInstagramで見る 神戸 蘭子(@ranran0414)がシェアした投稿 - 2020年 5月月23日午前4時13分PDT この投稿をInstagramで見る 神戸 蘭子(@ranran0414)がシェアした投稿 - 2020年 1月月11日午前1時04分PST2020年8月現在、神戸蘭子さんの年齢は38歳。現在も昔と変わらぬかわいらしさを見せており、ファンからは「かわいい!」「ずっときれい」といったコメントが寄せられています。神戸蘭子が結婚した旦那は?ブログで出産を報告神戸蘭子さんは、2014年5月15日に更新したブログで、結婚したことを報告しました。私、結婚しましたっ!!特に隠してはないですが、最近の生活の穏やかさが心地よくて6月にハワイで挙式をするので、準備してますっその時にまたお写真とか紹介しますねっここ1年くらい、体調を整えたり結婚の準備などしてきましたお仕事も私生活もマイペースで頑張っていきますのでそっと見守って頂けると嬉しいです神戸蘭子オフィシャルブログーより引用報道によると、相手はスタイリストとして働く男性だといいます。その後、2016年3月3日に更新したブログで、第1子を妊娠したことを報告。神戸蘭子さんは『多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)』を患っていたといい、30歳ぐらいから体質や生活を整えるようにしていたといいます。私事ですが、ご報告があります。この度、新しい生命を授かりました。今は体調も安定しており、穏やかなマタニティライフを過ごしてます思い返すと。10年くらい前から子供が出来にくい体質だとは聞いていて。30歳ぐらいからその体質や生活を整えるようにしていました。しかし、体調を悪くして救急病院に行ったり、仕事の行く先々で病院ハシゴしたり。このままじゃ、子供というより自分の身体をちゃんと健康にしないと‼︎その時はお仕事を優先した生活だったので、この先の結婚・出産を意識して、自分の身体を考えてゆっくりとお仕事が出来る環境を整えました。お休みしたり、マイペースなお仕事のいい環境作りは出来たのですが。多嚢胞性卵巣症候群という妊娠出来にくい体質だそうで病院にもたくさん通って、簡単に結果が出る事では無いのは分かってるのですが。正直自分の中で、子供欲しさに勝手に焦ってしまう時もあったり。妊娠が分かった時は、涙が出ました‼︎この日を迎えるためには色々ありましたが、この日をずっと望んで来たので嬉しくて嬉しくて。今は、後期に差し掛かり胎動も感じる事が多く、母親になるんだと実感する事が多いです。夫婦共に、新しい命が宿っている奇跡に感謝をし、1日1日大切に、元気に産まれてくるように願っています。初めての経験なので、私も探り探りですが。勉強しながら成長しながら、私らしくいつも笑顔でハッピーな母親になりたいです!神戸蘭子オフィシャルブログーより引用そして、同年5月14日に更新したブログで出産したことを報告。神戸蘭子さんは「すぐに胸の上で抱いた時の、初めての感覚。感動や安堵感、喜びや幸せで力が抜ける感じ。たくさんの感情で、涙があふれ出てきました」と喜びをつづりました。2018年11月18日には、ブログで第2子を妊娠したことを発表。その後、2019年3月20日に更新したブログで、出産したことを報告しました。神戸蘭子さんのインスタグラムには、子供たちの写真が多く投稿されており、幸せな結婚生活を送っていることがうかがえます。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 神戸 蘭子(@ranran0414)がシェアした投稿 - 2020年 7月月16日午後9時35分PDT この投稿をInstagramで見る 神戸 蘭子(@ranran0414)がシェアした投稿 - 2020年 5月月9日午前3時29分PDT この投稿をInstagramで見る 神戸 蘭子(@ranran0414)がシェアした投稿 - 2020年 8月月27日午後5時50分PDT神戸蘭子はゴルフが趣味!ゴルフが趣味だという、神戸蘭子さん。出産した後もゴルフを楽しんでいるようで、インスタグラムではその様子を見ることができます。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 神戸 蘭子(@ranran0414)がシェアした投稿 - 2020年 8月月1日午前1時57分PDT この投稿をInstagramで見る 神戸 蘭子(@ranran0414)がシェアした投稿 - 2019年12月月11日午前5時11分PST2018年7月23日に更新したブログでは、ゴルフについてこんなことをつづっていました。気付いたら、7.8年くらいやってるのかな、ゴルフ。初心者の頃から、5年ほどゴルフ番組をやらせてもらって、そこそこには上達しました!でも100を切ってからずっと成長してませんその間に妊娠出産もあるんですが、妊娠中もスコアは変わらず。産後、またゴルフに行くようになってから。といより、なかなかコースいけないのでレッスンに通って1年弱。先日のコースで。ドライバーが下りもあって、200ヤード平均は、170ヤードくらい。急な成長に自分で驚きました最近まで、不調で120ヤードくらいだったのに。(中略)先日のコースでは。だいたいボギー。最後、ショートホール。パーを取ればスコアは90!ゆるゆるの目標で6打で終わってもベストスコア。結果、7打でベストならず忘れもしないホールになりましたこれまで飛ばない私が当たり前。飛ぶようになった今も、どうしてもそんな自分を信じれなく大きいクラブを持ってしまいます。それが原因。後、パターで緊張しましたでも、少し新しい世界が見えた気がします後、半年弱で80台目指したいです神戸蘭子オフィシャルブログーより引用神戸蘭子さんの今後の活躍も応援しています!神戸蘭子 プロフィール生年月日:1982年4月14日出身地:宮崎県(出生は長崎県)血液型:O型身長:154cm大学2年生の時に、ファッション雑誌『JJ』にスカウトされ、読者モデルとしてモデル活動をスタート。2006年に同誌のモデルとしてデビューし、『Sサイズモデル』として活躍する。2008年には芸能事務所にスカウトされ、タレント活動もスタート。クイズバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)にレギュラー出演するなど、数々の番組に登場した。2013年7月発売の『JJ』9月号をもって同誌のモデルを卒業した。[文・構成/grape編集部]
2020年08月28日タレントの木下優樹菜(32)が芸能界を引退すると7月6日に発表された。所属事務所は公式サイトで、「今後の活動に向け慎重に協議を続ける中で、当社として今後同人との信頼関係を維持することが著しく困難であると判断」とコメントしている。06年、芸能界デビューを果たした木下。07年2月に初出演した「クイズ!ヘキサゴンII」(フジテレビ系)がキッカケとなり、元ヤンキャラで人気を博した。木下は08年12月、「第59回 NHK紅白歌合戦」にも出演している。ヘキサゴンファミリーの里田まい(36)やスザンヌ(33)とともに「Pabo」を結成した彼女は、つるの剛士(45)、上地雄輔(41)、野久保直樹(39)からなる「羞恥心」と合体したユニット「羞恥心 with Pabo」として紅白に参加。会見では「まさかの紅白出場ということで、ヤンキー出身の優樹菜としては『ちょろいな~』って思いました」と発言し、話題となった。元ヤンキャラの木下は、共演者にとって心強い存在でもあった。08年7月、本誌は彼女の出演ドラマ「ハチワンダイバー」(同局系)の打ち上げの様子を報じている。その二次会で木下は主演を務めた溝端淳平(31)が感極まって涙する姿に「オメー、泣くんじゃねーよ!」「またやろうぜ!」と豪快にエール。溝端は感激しきりで、大粒の涙をこぼしていた。そんな彼女だが09年10月、本誌で“キャラに悩んでいた時期があった”と告白している。その際、「ヘキサゴン」の司会であり“お父ちゃん”と慕われていた島田紳助さん(64)は彼女にこんなメールを送ったという。「お前と俺は不良やけど、不良品じゃないぞ。ガムシャラに頑張る優樹菜でいい」その言葉に感激した木下は「『ユキナらしくいこう』って吹っ切れたんです!」と述べていた。歯に絹着せぬ物言いで人気を獲得していった木下は10年8月、「ヘキサゴン」で共演していたFUJIWARA・藤本敏史(49)と結婚。11年2月の披露宴ではヘキサゴンファミリーを筆頭に、多数のモデル仲間や吉本芸人が参加。12年8月と15年11月には、それぞれ女児を出産している。「近年は人気ママタレランキングの常連で、結婚や子育てに関するエッセイ本も出版。12年にはファッションブランドのプロデューサーにも就任しました。また東京都交通局のイメージキャラクターだけでなく、大手企業のPRキャラクターにも起用されました」(スポーツ紙記者)そのいっぽうで、“木下らしさ”が物議を醸してきた。「結婚して以降、鬼嫁ぶりが注目を集めることに。しかし藤本さんへの『口臭がドブの臭い』『何やってもブサイク』などの言動が問題視され、次第に『笑えない』『モラハラ』といった指摘も相次ぐことに。元ヤンキャラに暗雲が立ち込めていきました」(前出・スポーツ紙記者)そして昨年10月、実姉が働いていたタピオカ店への恫喝DMが報じられた。活動自粛となり、同年末には離婚を発表。今年1月にはプロサッカー選手・乾貴士(32)との不倫疑惑も伝えられた。7月1日には「私らしく頑張っていきたい」と復帰宣言をしたものの、《私らしくしていたから問題を起こしたのに》などの厳しい声が多数。6日に引退となった。14年の芸能活動を終えた木下。今後、どんな道を歩むだろうか。
2020年07月08日お笑い芸人の東野幸治が14日、自身のYouTubeチャンネル「東野幸治の幻ラジオ」を更新。複数の女性との不倫が報じられ、芸能活動自粛を発表したお笑いコンビ・アンジャッシュの渡部建について言及した。『行列のできる法律相談所』(日本テレビ)で渡部と共演している東野は、「『行列』のメンバー、アンジャッシュの渡部くんが文春砲を食らいまして、木っ端微塵に吹っ飛びました。現在すべての活動を自粛中でございます」と切り出し、「びっくりしたねえ」と率直な感想をコメント。「びっくりしたら笑ってまう性格ですけれども、その笑ってまう、また上行きましたね。めちゃくちゃでしたね、渡部さん」と続け、「憧れの家族みたいな風にやっていたんですけど、まさかまさか浮気しまくっていたとは、私も全くわからず」と話した。渡部の出演シーンをカットした14日放送の『行列のできる法律相談所』3時間スペシャルについても言及。「渡部くんの文春砲でスタッフさんに聞いたら、『編集やり直してる』って言ってました。それの迷惑もかけましたし…」と明かした。また、「ネット見てたら『行列の呪い』みたいな言葉が躍っていて、『行列のできる法律相談所』に出演した人は次から次へと番組を去る、芸能界を去る、何か問題を起こすって言われていて」とネット上の噂にも言及。初代司会者だった島田紳助さんや、雨上がり決死隊の宮迫博之などを挙げつつ、「ネットでは、次は東野か後藤(輝基)かどっちかだって。絶対後藤であってくれ。後藤すまん」と冗談交じりに話した。さらに、「僕と後藤くんはどうスタンバイすればいいのか。渡部が帰って来た時に、『何かあったんですか?』って言っても、世の女性は笑わないでしょう」と予想し、「困ったもんですよね」と吐露。「僕も大至急やることはお祓い。効き目のある神社探してお祓い行って清めて…」と語った。
2020年06月15日お笑いコンビ・次長課長の河本準一が23日、オフィシャルブログを更新し、2011年に芸能界を引退した島田紳助さんと8年ぶりに再会したことを明かした。河本は「紳助さんと8年ぶりに会いました」と報告し、「会う前までドキドキしましたが、紳助さんお店入って来たらおう、河本!って」「あれ? 昨日会ったかなぁ? と思うぐらいニコニコして入って来ました」と当時の状況を振り返った。8年間会わなかったのは、「何か報告する事がないと自分が恥ずかしい」から。「他の芸人さんは紳助さんと会って来た!! と言う話聞いてましたがそれは何か報告出来る事があるから良いなぁと羨ましい気持ちで聞いてました。ゴールデンのMCを取れました!! とか、言いたかったから。ずーっとお世話になってる人に嬉しい報告がしたいじゃないですか?」と内心複雑だったようだが、ある日紳助さんから知り合いにかかってきた電話をかわった時に「おう、河本ー。たまには会いに来いよ」と言われたことから、再会を決意する。そして、「6時間ノンストップで喋ってました!! もう、ずーっとみんなで笑ってました!! しかも、紳助さん僕との思い出ぜーんぶ覚えてました!! 仕事の事もプライベートの事もぜーんぶ覚えてました!! プライベートでドッキリかけた話なんかほんとに、昨日なぁ!こんな事あってなぁ!と言ってもなんら不思議ではないくらい10年前のお話鮮明に覚えてましたっ!!」と興奮を伝える一方、「あのお方!! 戻る気はサラサラございません!! 断言出来ます」「今が最高に楽しいと言われてましたしあんなにずーっと笑ってる紳助さん初めて見ました」「底から笑ってました」と紳助さんの復帰説は否定した。「みんなお酒が入ってそれぞれが話してる時に紳助さんが僕に最近どうや? と聞いてくれました」「僕は少しずつですが番組に呼ばれるようになりましたと報告したらニコッとして良かったなぁと言うてくれました」と思い返す河本。その言葉に胸を打たれたようで、「こんなみんないる所で泣いたらあかん!! と思いながらもグッと来るものがありトイレに逃げました」と赤裸々につづった。8年ぶりの再会でツーショット写真を撮ったが、「この写真は2人だけの写真にさせてください」とブログにはアップせず。最後に紳助さんに向けて、「僕はもう少し東京で頑張ってみます」と決意のメッセージを送っている。
2020年02月23日アイドルグループ・吉本坂46において、若手メンバー中心のチーム・REDの存在感が増している。昨年12月25日に発売された3rdシングル「不能ではいられない」では、REDが初めて表題曲を担当。“時間を止めるキス”というテーマのもと、激しくダンスを繰り広げるMVも話題となっている。イケメン&美女ぞろいというのもREDの魅力だが、その中でも、榊原徹士のイケメンぶりは際立っている。アイドルユニット・新選組リアンとして活躍したキャリアを誇る榊原は、激しくキレのあるダンスが持ち味のREDにおいて、特技のダンスと歌を生かして精力的にパフォーマンスをこなしており、グループの屋台骨と言っても過言ではない。自身を「僕は顔面担当です(笑)」と謙虚に自己分析しつつも、元アイドルだった経歴を経て、吉本坂46に並々ならぬ思いで注力しているという。現在の手応えや今後の抱負、さらにデビューのきっかけとなった島田紳助さんとのエピソードなどを聞いた。――吉本坂46のデビューから1年経ちましたが、吉本坂46としての活動はいかがですか?僕はもともとの自分のスタートがアイドルで、役者をやって特撮を経験してからの吉本坂46なんです。吉本の役者って意外と芸人さんとの絡みがないので、吉本坂46に入ってからそれがめちゃくちゃ楽しいしうれしい。芸人さんといると元気になるし、そこはすごく僕にとっては大きな変化です。芸人さんが多く、「どこまで本気なの?」「吉本だからお笑いでしょ?」とも思われがちですが、そこはみんなガチでやっています。――榊原さん自身が考える吉本坂46でのご自身の立ち位置とは?僕は顔面担当です(笑)。――“顔面担当”として努力していることはありますか?アイクリームと目の下の保湿は時間があればやってます。――肉体磨きも努力されていますか?自分の身体のことをよく知る努力をこれからしていこうと、ちょうど決意したところです。30歳にもなると筋肉は劣化すると思うので、思い通りに身体を動かせるように筋トレを始めました。――ところで榊原さんは、『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ)の中で誕生した新選組リアンとして2009年にCDデビューしたのが、芸能活動のスタートでしたよね?そうですね。あれもオーディションで、本格デビューでした。――芸能界を引退された島田紳助さんプロデュースでしたが、紳助さんへの感謝は強いのでは?そうなんです。そうなんですけど、すごく貴重な機会だと当時わかっていなかったことが最大の失敗でした。当時はまだ大学生で、島田紳助さんという人がすごい人だということは理解していましたが、世間のことはよく知らなかった。だからすごい人ということはわかるけれど、恐れ多くてなかなか話しかけることができず、頑張って話そうとしても言葉に詰まる。それまで大人と接する機会がなかったので、ちゃんと接することができなくて、いまだに反省しています。――紳助さんからの教えで印象に残っていることはありますか?基本的に紳助さんは、「絶対に遅刻をしないこと」とか、「何があってもあいさつは絶対や。先輩を立てろ」とおっしゃっていました。吉本をずっと支えていた方の言葉なので、それは大切にしていきたいと思っています。――そのほか、先輩からのアドバイスで大切にしていることはありますか?吉本にはジャンルさまざまな方がいるので楽しい。教えてもらうというより、日々気づかされている感じですね。自分自身、吉本坂46で心がけていることは、めちゃくちゃ素の自分でいること。アイドルをしているつもりはないんです。役者をやっている部分では、人前に出ることは演じることだと思っていて、アイドルもアイドル演じることは大切ですが、アイドルをやりすぎてしまうと疲労することも知っている。だから、自分に近いアイドルを作ったほういいし、無理がない。これだけ面白い人がいて、素晴らしい人たちがいるわけだから、自分の個性を最大限に見てもらわないと意味がないなと。ここにいる人たち全員の個性が強いので、張り合うわけではないですけど負けないようにしたいと思っています。――今後の抱負は?朝ドラに出たいですね。5回くらい受けましたが、余裕で落ちました。特撮を経験しているので、朝ドラもそうですが、一年単位でドラマに出たいですね。映画なり映像に必ず出ていたい。それが目標です。吉本坂46としては、僕らはダンス選抜と謳っているので、三浦大知さんを超えるくらいのダンスをしてみたい。それが16人だったら圧巻だと思うんです。――ご自身のダンスの武器や特徴をどのように分析していますか? また、ダンスのパフォーマンス向上のために努力していることは?歌詞と音に合わせて作られた振り付けに対してハメこめるところが武器だと思ってます。速いダンスの動きはけっこう自信があります。当たり前のことかもしれませんが、舞台やMVの振り付けの予習は欠かさずにやってます!――顔面担当プラス、その技術で超えていきたいということですね!顔面はどこにいても目立つので、それは大丈夫です(笑)!■プロフィール榊原徹士1989年12月6日生まれ。愛知県出身。2009年、バラエティー番組初の島田紳助プロデュースによるアイドルユニット・新選組リアンとして芸能界デビュー。解散後は俳優としてテレビや舞台を中心に活動の場を広げ、映画『オー!ファーザー』、ドラマ『新選組PEACE MAKER』(2010年)、『明日の光をつかめ』(2010年)、『名探偵コナンドラマスペシャル 工藤新一への挑戦状』(2011年)、『五つ星ツーリスト』(2015年)、『朝が来る』(2016年)、『宇宙戦隊キュウレンジャー』など数々の作品に出演。2018年12月に吉本坂46としてデビューし、アイドル活動を再開。特技のダンスと歌を生かして、精力的にパフォーマンスしている。
2020年02月13日タレントのつるの剛士(44)が1月29日に、インスタグラムを更新。通信制の短大に進学するために、母校の都立大泉桜高校から入学願書を発行してもらったことを明かした。インスタでつるのは、《希望短大の入学願書に添付する高校卒業証明書を発行してもらいに母校に来た》と報告。そして、《こんな用事で母校を訪れるとは27年前の僕は全く想像してなかった。笑これだから人生はオモシロイんぞ!?》とつづった。13日にTwitterで保育士免許の取得に向けて意気込んでいたつるのだが、14日には《受験資格をみて愕然…高卒1994年組。。》とツイート。平成6年に高校を卒業したつるのには、受験資格がなかったというのだ。一般社団法人全国保育士養成協議会によると、高等学校卒業者の受験資格は、平成3年3月31日以前の卒業者。もしくは、平成8年3月31日以前に高等学校で保育科を卒業した人。どちらにも該当しない場合は、2年以上かつ2,880時間以上、児童などの保護または援護に従事した経験者が対象となっている。どの条件にも当てはまらないつるのは、免許取得のハードルについてTwitterでこう不満を漏らしていた。《ホントに…保育士受験資格、1991年3月31日以降の受験資格変更が極端過ぎて…。ただでさえ保育士不足なのに人生100歳時代が謳われるこのご時世、年齢関係なくもっともっと個々のスキルを活かせて皆んなが幅広く活躍できる社会が理想だなあ》(1月14日)こうしたつるのの反応には、《自分が受験資格ないからって文句言うのは筋違い》や《それでも必死に資格取ろうとしてる人はたくさんいますよ》といった厳しい意見も。しかし、17日には受験資格獲得のため《4月から通信制短大生になる予定です》とTwitterにつづり、目標に向けて歩み出していた。「『クイズ!ヘキサゴン』(フジテレビ系)の“おばかキャラ”としてブレークしたつるのさんですが、『勉強はしてこなかった』と公言していました。しかし、ヘキサンゴンでは漢字の読み方を島田紳助さん(63)に教わったり、長男と一緒に学習塾に通ったりと、少しでも周りとの差を埋めようとしてきました。44歳で通信大学進学を決断できたのも、努力家な性格ゆえでしょう」(テレビ局関係者)有言実行なつるのの姿に、ファンからはエールが送られている。《つるのさんの新しい挑戦に、頭が下がる思いです。お仕事、子育てとお忙しい毎日だと思いますが、頑張ってください》《凄い!私も、つるのさん見習って、保育士資格とりたいです!!》
2020年01月31日1月13日、島田紳助(63)がmisono(35)のYouTubeチャンネルに動画出演した。’11年に芸能界を引退してから8年半での再登場とあって、話題を集めている。メディア露出の理由は、misonoの夫・Nosuke(30)が精巣がんで闘病していることだった。紳助は「misonoは自分の体調のこともあるのに夫の高額の治療費もかかるし、大変そうなんだ。そんな話を聞いたら、自分も何かできることはないかってなるじゃない」と語っていたという。だが、理由はほかにもあるようだ。紳助は63歳になった今、“ある心変わり”が芽生えてきているという。知人がこう続ける。「最近、紳助さんはあまり海外旅行にも出かけなくなってきたそうです。以前は奥さまとハワイなどにもよく行っていたんですけど、飛行機の長時間移動がたいへんだと思うようになったみたいで。『もう、現地のコンドミニアムを売ってしまおうかな』とも話していました。遠くまで旅行するよりも、近場の友達との付き合いを大事にしているようですね」さらには、この8年で“老いへの恐怖”も出てきたようだ。「昨夏には友達の前でシャツを脱いで、『俺、鍛えてんねんで!』と引き締まった体を見せたりしていました。というのも最近、紳助さんは『周囲から健康的で若く見られたい』という思いが日に日に強くなっているみたいです。同級生は髪が薄くなってきたり、おなかが出てきたりしていますからね……。今回の動画出演も、健康的なルックスに自信があったからこそできたことだと思いますよ」(前出・紳助の知人)misono動画の反響で、さらなるオファーが舞い込むかも!?「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月24日歌手・misono(35)のYouTubeチャンネルに1月13日、元タレントの島田紳助さん(63)が出演した。11年8月に芸能界を引退した島田さん。久しぶりに元気な姿を見せたため、動画は大反響。だが、misonoの選択は波紋も呼んでいる。12日、自身のブログで「ヘキサゴンが終わってから 初めて紳助さんと会えました!」と明かしたmisono。さらに紳助さんが「YouTube撮ろうぜ」と声をかけてくれたと明かし、「自分は、何回も止めたのですが(笑)misonoチャンネルで 40分間も語って下さいました!」と報告した。また紳助さんが「ノーカットでアップして良いから」「誰かに何かを言われたとしても大丈夫」と話してくれたともつづったmisono。「変わらない愛に感動しました!相変わらず皆の事を考え下さってました…」と感激の様子だった。そして13日、ついに動画は公開された。その中で紳助さんは「釣りしたり、ゴルフしたり、筋トレしたり、健全な日々を過ごしています」と述べ、動画出演のキッカケについて「来る者は拒まずで『会いたいです』と言ってくれる人は拒否しない」と語っている。動画は2時間で4万近い再生回数を記録しただけでなく、Twitterでは《ヘキサゴン大好きだったし紳助さんも大好き!久しぶりに元気な姿見れてよかった~》《待って!紳助さんやん!めっちゃ感動した トークを聞いてると、9年前に引退したとは思えない!》と紳助さんの出演を喜ぶ声が寄せられていた。しかし、いっぽうでは否定的な意見も。島田さんは11年8月に暴力団関係者との付き合いを認め、引退を発表していたからだ。そのため、misonoを心配の声が上がっている。「misonoさんに対しては一部で『再生回数を増やしたいのが見え見え』と勘ぐる意見や、『反社と関わって引退した人を出演させるとは……』という厳しい声も上がっています。島田さんは批判を覚悟して出演しているはずですし、彼女も島田さんを慕っているのはわかります。今回の選択がmisonoさんにとって悪影響にならなければいいのですが……」(テレビ局スタッフ)昨年12月、本誌の取材に対し「去年の10月末にエイベックスを円満退社して、11月以降は施設や小学校で歌ったり」「ボランティアやチャリティーだけでなく災害の復興支援活動などを主にやってきました」と奔走ぶりを明かしていたmisono。「ゆくゆくは私の個人事務所をキャスティング会社にもしていきたい」とも語っていたが、その夢の道のりは果たして――。
2020年01月13日元タレントの島田紳助さん(63)が出演した動画が13日午後5時、歌手のmisono(35)のYouTube公式チャンネルで公開された。紳助さんの出演はmisonoが12日に更新した自身のブログで明かされた。彼女によると、夫・Nosuke(30)とともに友人の山田親太朗(33)がいる大阪のバーにいったところ、偶然、居合わせた紳助さんから「YouTube撮ろうぜ」と提案されたという。紳助さんが映像に出演するのは、11年に芸能界引退後初めてとなるだけに、misonoは断ったのだとか。にもかかわらず、紳助さんはmisonoを「俺が怒られるし、俺が全責任とるから」などと説き伏せたそう。紳助さんは途中からキャップをかぶって登場し、「引退して8年半。昔、島田紳助という名前で仕事してました」と挨拶。動画出演のきっかけについて、「来る者は拒まずで『会いたいです』と言ってくれる人は拒否しない。自分は一般人だから。今日は、親太朗が大阪に来るっていうから、闇営業で」と笑わせた。misonoも山田もご存知、島田さんが司会を務めていた人気番組『クイズ!ヘキサゴン』(フジテレビ)ファミリー。「お姉ちゃんがすごい2人が集まった」と切り出した島田さんは、その後の動画で、引退後の悠々自適な生活について「釣りしたり、ゴルフしたり、筋トレしたり、健全な日々を過ごしています」と笑顔で明かしながら「フジモンも離婚したし、(『ヘキサゴン』ファミリーは)不幸率8割や」と語るなど、相当なブランクにもかかわらず、相変わらずのトーク力を披露。ネット上では《紳助さんいなくなってテレビがつまらなくなりました》、《話すスピードが衰えてなさすぎて》、《テレビ界が衰えてきてるけど、紳助さんの存在はデカかった》などと、たちまち一大ブームを起こした“ヘキサゴン・ロス”が巻き起こった。紳助さんによれば、テレビ復帰はないと強調するが、時折、misonoのYouTubeにご意見番として“降臨”するかもしれない。
2020年01月13日「『反社会的勢力』は様々な場面で使われ、定義は一義的に定まっているわけではないと承知しています」日夜、「反社会的勢力」排除のために奮闘する、全国の民間企業の法務部の方々はあ然とさせられたのではないだろうか。自らの保身のために、こんなトンデモない言い訳をしたのは、内閣官房長官である菅義偉氏(70)だ。総理大臣が主催する「桜を見る会」に、反社会的勢力とみられる人物が参加していた問題。11月26日の会見で菅氏は「結果的には入ったのだろう」と語り、反社会的勢力の出席を認めたかに見えた。菅氏は招待者の取りまとめの責任者でもある。税金を使った公的行事への反社会的勢力の参加が許されるはずはなく、当然、話は菅氏の進退問題に及ぶことになる。すると翌27日の会見では一転、冒頭のように定義は定まっていないとしたうえで、前日の発言で自分は“反社会的勢力が参加したことを認めたわけではない”と強弁したのだ。だが、じつは「反社会的勢力」の定義は、安倍政権が定めているのだ。第1次安倍政権下の2007年6月19日、「犯罪対策閣僚会議」が示した「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針について」で、「反社会的勢力」はこのように定義された。《暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人である「反社会的勢力」をとらえるに際しては、暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団等といった属性要件に着目するとともに、暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求といった行為要件にも着目することが重要である》「犯罪対策閣僚会議」は内閣総理大臣主宰で、会議の構成員は「全閣僚」と定められている。この指針が示された当時、総務大臣を務めていた菅氏も構成員の一員だったことになる。だが、28日の会見で、この定義について問われた菅氏はこのように答弁した。「犯罪対策閣僚会議ではその通りにしています。ただ、さまざまな場面で使われることがあり、(反社会的勢力の)定義が一義的に定まっているわけではない」2007年に「犯罪対策閣僚会議」が示したこの指針は、企業がどのように反社会的勢力に備え、被害を防ぐべきかを明示したものだ。当然、多くの民間企業は、この指針で示された定義を根拠に、反社会勢力を認識し、戦ってきた。また、交流を持った従業員や所属人員を処分してきたことは、島田紳助氏の引退や、芸人の闇営業問題などでも記憶にあるだろう。この指針のなかに、「関係府省においては、今後、企業において、本指針に示す事項が実施され、その実効が上がるよう、普及啓発に努めることとする」という一文があるように、行政と企業がこの指針を共有することが前提だったはずだ。自らの進退問題から逃れるため、行政の重職にある内閣官房長官が、自分たちで定めた「反社会的勢力」の定義の存在を否定してしまう。これまでの行政と民間企業の努力を愚弄するようなこの発言によって、日本の「反社会的勢力」との戦いが後退させられたことは間違いない。
2019年11月28日――朝5時ごろ、目を覚ました恵俊彰(54)はテレビをつけると、チャンネルをニュース番組にあわせ、一般紙2紙とスポーツ紙1紙に目を通す。気になるニュースがあったら、いつの間にか起きていた妻(52)に声をかける。「ねぇ、この事件ってどう思う」4人の子どもの通学の準備に忙しい妻は、しばし手を止めて、夫の質問に答えてくれる。8時過ぎにはTBSに入り、10時25分から始まる『ひるおび!』の放送に備える。もう、こんな生活を10年続けてきた。「これほど長く情報番組のMCを任せてもらえたのも、妻のおかげでしょうね」「ひるおび!」放送後の打ち合わせを終えて、本誌のインタビューに応じた恵は、相好を崩してそう断言する。いまでこそ、午前の部(11時〜11時55分)と午後の部(11時55分〜13時55分)を合わせた平均視聴率で7年半連続トップを誇る『ひるおび!』。しかし、番組開始当初は波乱含みだった――。「当時、日本のお昼の番組といえば『笑っていいとも!』(フジテレビ系)でしたから、裏番組を引き受けるというのは、玉砕覚悟の“赤紙”を受け取る気持ちでした」迷いはあったが、芸能界の先輩たちが背中を押してくれた。「関口宏さんからは『なんか面白そうだと思うことは、やったほうがいい』、島田紳助さんからは『(低迷していた)横浜ベイスターズの監督をやるようなもん。だけど、監督をやっているということで目立つのは、得やないか』と言ってくれました(笑)」第1回の放送では、安倍晋三官房副長官(当時)を大物ゲストとして引っ張り出したが、視聴率はわずか3%。その後も2〜3%と低迷が続いた。大きな転機は’11年の東日本大震災の報道だ。ドラマやバラエティ番組は自粛されたが、報道を扱う『ひるおび!』は通常どおり続いた。「未曾有の大惨事に自分がどう向き合って生放送をやればいいのか迷いがあったんです。それで妻に『どんな顔してテレビに出ればいいんだろう?』と話したら、『お願いだから、日本中の不幸を背負ったみたいな顔をしてテレビに出るのはやめてね』って言ってくれたんです。それで“あっ”と気づいた。特別な感情ではなく、今、起きていることを、とにかくちゃんと伝えることが仕事なんだと」恵の真摯な姿に、視聴者が信頼を寄せ、徐々に視聴率が上がっていった。これまでも妻の一言に助けられることがあったという。「僕はサラリーマン経験がなく、芸能界しか知らない偏った人間です。だから、世の中の人が何に興味があるのか、どう思うのか、わからなくなるときがある。たとえば、誰かと誰かが対立しているようなニュースがありますよね。そのときに、奥さんに『どちらのほうが悪い人だと思う?』って聞くようにしている。妻は、僕にとって“世の中を映す鏡”なんです」
2019年10月16日「今でも月に1、2回はうちに来てくれます。ただ、今は淡路島での庭いじりが忙しいみたいで……」そう語るのは、島田紳助(62)の実母だ。11年に芸能界を引退。現在はたまに週刊誌で報じられる以外、ほとんど動向が伝わってこない紳助。そんな彼の現在について、親友の1人はこう語る。「引退後はヨーロッパやハワイなど、世界各地へ旅行に出かけていました。大好きな沖縄にも、何度も行っていました。しかしそんな生活にも飽きたみたいです。今は淡路島に別荘を買って、そこの庭を仲間たちとイチから作り直しています」芸能界引退から7年。悠々自適な放浪生活を送ってきていた紳助だが、ここへきて変化があったよう。“別宅建築”に精を出しているという。「真っ黒に日焼けしながら、買ってきた石やレンガを並べたりして……。それが、何より楽しいようです。どこに行くかより、誰といるかが大事だと気づいたのでしょう」(前出・親友の1人)世界放浪の末にたどり着いたのは、「仲間たちとすごす楽園」だった!
2018年12月08日本誌ではこれまでさまざまな角度で「億招き」の秘訣を紹介してきたが、今回は占い芸人として大ブレーク中の島田秀平(40)が登場。全国1万店以上ある宝くじ売り場から、今年の年末ジャンボ1等・前後賞合わせて10億円に向け、ここぞという「全国推し売り場10」を選んでもらった。そのポイントは、“億名”だ。「売り場名を言葉にしたときの音は、言霊といって非常にパワーがあるんです。億を招く音を持つ売り場名であること。そこに運気のいい販売員がいて、地元の神様ゆかりの品があれば最高です」(島田)【岩手県】宝くじ神社一戸イコオチャンスセンター最新「億」実績:’13年宝くじの日記念1等と前賞2億7,500万円強運売り場名ポイント:一等行こうは全国ここだけ【岩手県】ジョイス久慈チャンスセンター最新「億」実績:’17年サマー1等・前後賞7億円強運売り場名ポイント:ジョイ(喜び)のくじ【栃木県】宝積寺バイパスチャンスセンター最新「億」実績:’14年サマー1等・前後賞6億円強運売り場名ポイント:文字どおり宝を積む【東京都】池袋西口地下街東武ホープセンター最新「億」実績:’16年オータム1等・前後賞5億円強運売り場名ポイント:東武=当富のホープ(希望)【大阪府】大阪駅前4ビル特設売場最新「億」実績:’18年サマー1等と後賞6億円強運売り場名ポイント:大きな特=得がある【岡山県】大安寺宝くじ売場最新「億」実績:’17年ハロウィン1等と後賞4億円強運売り場名ポイント:文字どおり大安【岡山県】藤田ダイキチャンスセンター最新「億」実績:’16年サマー1等・前後賞7億円強運売り場名ポイント:まさかのダイキチ【広島県】吉川たばこ店最新「億」実績:’13年年末1等7億円強運売り場名ポイント:吉がたばと読める【長崎県】ゆめタウン夢彩都チャンスセンター最新「億」実績:’17年サマーミニ1等2本合計2億円強運売り場名ポイント:夢がダブル【鹿児島県】新栄サンキューチャンスセンター最新「億」実績:’12年ドリーム1等1億円強運売り場名ポイント:栄えてサンキューと読める“億名”の代表格が大阪府「大阪駅前第4ビル特設売場」だ。「宝くじファンは売り場名を縮めて『大阪4特』と呼ぶ。ここに大きな特(得)というパワーが言霊として秘められているんです」(島田)しかもこの売り場には岡根真弓さん(通称おかねさん)という“吉名”販売員が存在。しかも店頭には、地元氏神様である「お初天神」で当せん祈願した10億円分の札束(見本)がディスプレーされている。「先日も一度購入して帰ろうとした女性が、この札束ディスプレーの前でふと立ち止まって、また追加で連番10枚を買いに来たんです。そしたらそれが1等・前後賞の大当たり。その女性いわく『ディスプレーが何か私にささやいている気がして、追加で買ったのよ』とおっしゃっていました」(岡根さん)まさにトリプル運気アップパワー全開だ。東京都「池袋西口地下街東武ホープセンター」もトリプル運気アップパワー売り場。「東武は当富と同じ音。それに希望(ホープ)が加わった“億名”」(島田)ここには通称「イットー幸子」でおなじみの吉名販売員・伊藤幸子さんが在籍。またジャンボ時には、板橋区双葉町の氷川神社で当せん祈願した太鼓を店頭に飾って、ゲン担ぎにも抜かりはない。「サッカーくじBIG1等を全国ダントツで6本出している強運も見逃せない。だてに『当富の希望』ではないですよ」(島田)奇跡の大当たりを呼ぶ「億名」売り場。あなたもあやかってみてはいかが?
2018年11月29日筆者が奈良を訪れたのは、人生で2回。初回は中学時代の修学旅行で、京都・奈良をベタに廻る旅程で、JR奈良駅に降り立った。本当に、鹿がいた。しかも沢山。想像以上の大規模な群れで、「こんなにもワイルドルッキングな生き物がこんな至近距離で生活する世界が、まだこの現代日本にあったのか」と衝撃を受けたものだった。 逆に言えば、「鹿」。そう、鹿の群れしかいなかったとも言える。奈良駅の周囲は、山々が見渡せるほど低層の建物がぽつぽつとあるだけで(一応もう平成だった気がするが)、周囲には人の数よりも多い、鹿……。ティッシュを出そうものなら、エサだと思い手に鼻を近づけてきた。鹿リテラシー激低の筆者たちはうろたえ、最後は(なんだか鹿に悪い気がしながらも)ガチで怖がり全力で声をあげて逃げまどう始末だった。しかし、なんでまたこんなに鹿がタウンに溢れているのか気になって、修学旅行の課題論文テーマには奈良の鹿の生態を題材に選んだ。(内容は忘れた)人生で二度目の奈良は、30歳になったかならないかのとき、当時付き合っていた遠距離恋愛の彼氏に会うために訪れた。筆者の当時の彼氏は、奈良県で内装工事の事業を営む家業を継いだ2代目社長で、遠距離恋愛の末、お酒のうえでの口論で別れを迎えた。そんな彼との恋愛中に、彼に会うために関西を訪れ、彼の地元である奈良駅に再び降り立った。宵闇の奈良駅……。鹿はチラホラと道に寝そべっていたが、明らかにかつて私たちを襲った大群より少なく、数が減っていたのを寂しく思った。島田紳助が経営しているという焼肉屋の内装を手掛けたというので、奈良県にあるその店に行って焼肉を食べた。しかし、それ以外に奈良という土地で何かをした記憶はなく。なぜか大阪で「社会勉強だ」と言って連れまわされた飛田新地(置屋街)の印象の方が強い。飛び飛びに建つ置屋の座敷に佇む、造花に囲まれ置屋のおかみに売り出されている“一億総浜崎あゆみ”のようなお嬢さんたちのことしか思い出せない。 ■何が言いたいかというと、奈良って…「奈良って、そういえば鹿以外の印象がないな」ってことです。冷静に考えると、「三輪そうめん」「柿の葉寿司」などの名物も聞いたことがありますが……。ですが「大阪、京都、神戸に比して、やはりメジャーなものはない」ということに異論がある方も、そう多くはないでしょう。そんな状況を奈良県民の皆様もご認識されているとよく聞きますが、奈良名物を作るべく立ち上がった1人の名物カフェのマスターが産み出したのがこの『奈良鹿ないカレー』なのです。 ルーをお皿によそった第一印象は、「肉がデカい!リッチ~!っていうか、えっ、コレ、鹿なんだっけ??えっ、えっ、ジビエ的な?」と焦ってパッケージを確認するに、どうやら「鹿は入っていない」ようで、奈良県産豚トロ肉使用、とあります。食べた感触は、重さのあるカレールーというよりは、ハヤシルーのようにサラサラとしたスープ感のほうが強く、とはいえ、ハヤシっぽいトマト感ありありというよりは、カレー感がある。生クリームとかふわっと載せて、ホテルカレー風に楽しみたいお味です。開発者の意向としても、高級ホテルのカレーを目指したということ。 このカレーの生みの親は、奈良県大和郡山市にあるショットバー『Bar Sally』オーナー・新田さん。土日限定のランチメニューとして、2016年2月にスタートしたそう。「こってりした味の濃いものが苦手」と、カレー嫌いを公言する新田さんが試行錯誤の末に生み出した、カレー好きもカレー嫌いもおいしく食べられる『サリーズ・カレー』は、5年ほど前から店の隠れた名物となり、県内のカレーコンテスト『奈良カレー1グランプリ2015』でも優勝を飾りました。バーのお客さんでもあった食品卸売会社『泉屋』さんの「レトルトにしてみたら?」のアドバイスをきっかけに、クラウドファンディングを実施。あっさりと目標金額を達成し、開発・販売に漕ぎ着けたという実力派です。サリーズ・カレーの特徴は、ふんだんに使用した県産食材のバランスのよさ。かたまりで入っているのは、ほろほろと口の中で崩れるほど柔らかい県産の豚トロ。赤ワインで煮込まれたトマトとたっぷりのタマネギをベースに、すり下ろしたリンゴなどのフルーツが甘みを引き出しています。商品名の由来は奈良の代名詞でもある鹿と、ご当地カレーの意味をかけて『奈良鹿ないカレー』と名付けたそうで、シリーズ化も着々と進行中の模様です。 ■総評カレーの味★★★★★辛さ★★☆☆☆本格度★★★★☆パッケージのキャラクター『ぶ~しか』は、おそらく、豚と鹿の掛け合わせでしょうか?「鹿・シカ・ない奈良県」に、「奈良・鹿・ないカレー」というネーミングもキュート☆なんだか「スキトキメトキス♪」(アニメ『さすがの猿飛』テーマソングで、1982年に発売された伊藤さやかの作品。昭和っ子なら誰でも知っている歌詞)な気分になるこのネーミングも幻想的だ。「スキトキメトキス♪」とか口ずさむと、不思議とわけもなく飛田新地の残影がシンクロする。……。ご当地カレーにシンクロする残影すら奈良じゃない奈良鹿ないカレー……。応援しています。【筆者略歴】Makolovesyou♡
2018年09月09日手相芸人として知られる一方で、都市伝説や怪談でも注目を集める島田秀平が、7月21日(土)より単独怪談ツアー『島田秀平のお怪談巡り』を5都市で行う。公演を前に島田に意気込みを聞いた。島田秀平 単独怪談ツアー「島田秀平のお怪談巡り」チケット情報手相占いのイメージが強い島田だが、怪談や都市伝説については小学生の頃から興味があり、ネタを集めていたという。「小学校時代に担任の先生から聞いた怪談にすごく興味を持って。怖いのはもちろんなんですけど、しゃべりだけでこんなに人の心を揺さぶるのってすごくエンタテインメントだなって感銘を受けたんです。そこからはもう怪談少年で、人に会っては怪談を聞いて書きためたり、稲川淳二さんの本を読んだり、CDを聴いたり。だから数え切れないくらいのレパートリーがあるんです。今回はその中から、皆さんに喜んでいただけそうなものを厳選してお話するので、自分の怪談人生の一回目の集大成になるんじゃないかなと思います」。数あるレパートリーの中でも、さまざまなタイプの怖い話を用意。さらに写真や動画などあらゆる角度から感情を揺さぶりたいと意気込む。「幽霊の怖い話もあれば、都市伝説もありますし、人間だって怖いじゃないですか。僕自身、実は幽霊の話よりも人間の怖い話とか、都市伝説のような世の中にある不思議な話のほうが好きなんですよ。あと、テレビで話すときは割とソフトに話しているところがあるので、テレビでは話せなかった話とか、その後日談とかも話したいと思っています。来ていただいた人だけが楽しめる内容にしたいですね」。島田の地元・長野県にある善光寺の「お戒壇巡り」に掛けて付けられた“お怪談巡り”。善光寺本堂の地下にある真っ暗闇の通路を手探りで進む「お戒壇巡り」にならって、真っ暗闇の感覚を体感してほしいと語る。「本当の暗闇って、そんなに経験することがないですよね。「お戒壇巡り」で歩いていると、上下左右が分からなくなるような、変な感じになってすごく怖いんですよ。そして出口の明かりが見えた瞬間に“帰ってきた!”っていう感覚を味わえるんです。その本当の暗闇の感覚を味わってほしいので、途中、僕の声だけしか聞こえない真っ暗闇の中で、怪談を楽しんでいただく時間を作りたいなと思っています」。公演は7月21日(土)東京・新宿シアターモリエール、7月29日(日)大阪・関西テレビ なんでもアリーナ、その後、名古屋、仙台、長野を巡演。チケットは発売中。取材・文:黒石悦子
2018年07月13日●『その男、凶暴につき』からのアウトロー役『アウトレイジ ビヨンド』『アウトレイジ 最終章』で、日韓に影響力を持つフィクサー・張会長の側近・李を演じた白竜(65)。“非道な行為”を意味する「アウトレイジ」を地で行く男……というと誤解を招きそうだが、北野監督作の『その男、凶暴につき』(89)で演じた殺し屋・清弘の凶暴性は鮮烈で、その後もアウトロー役が続々と舞い込んだことからも、「アウトレイジ」が白竜にとって親和性の高い言葉であることが分かる。2017年10月から11月にかけて、映画『アウトレイジ 最終章』のスタッフ5名に接触したインタビュー連載「暴走の黒幕」(第1回:監督・北野武第2回:プロデューサー・森昌行第3回:音楽・鈴木慶一第4回:美術・磯田典宏第5回:チーフ助監督・稲葉博文)では、北野組の深部に迫ったが、今回はDVD・Blu-ray発売に合わせて新たに3人を取材した。録音・久連石由文氏、編集・太田義則氏に続いてラストを飾る白竜は、「アウトレイジ」シリーズ最後の番人ともいえるのではないか。張会長の側近・李は、ビートたけし演じる大友を見守り続け、ある決断をする。インタビューでは、北野武との奇縁から島田紳助さんの言葉を経て、やがては俳優として覚醒していく過程が見て取れる。なお、今回の取材は白竜の自宅で行われた。中田(塩見三省)と花田(ピエール瀧)もきっとこんな気持ちだったのでは……そんな緊張や不安は、「アウトレイジ」とはかけ離れた笑顔で程なく吹き飛ぶことになる。○『その男、凶暴につき』警察署長役から殺し屋役に――最初の北野組は『その男、凶暴につき』の殺し屋・清弘。当初の予定とは全く違う役になったそうですね。ええ、もう時効だと思って、いろんなところで話しています(笑)。最初は警察署長の役でした。渋谷のスタジオでドラマを撮っていた当時、マネージャーから「北野監督がオーディションをやってるそうですよ」と聞いて。その少し前に六本木で一緒に飲んだこともあって、そのオーディション会場までご挨拶に伺いました。オールバックでロングコートを着ていたんですが、そこにいる人たちにジーッと見られてしまって。次の日に電話があって、役が代わったと。セリフが少なくなったとも聞いたので、まぁいいかなと(笑)。――警察署長役は、どのようなきっかけだったんですか?どういう経緯かあまり覚えていないのですが……台本をいただいた時点では警察署長役でした。役者経験なんて、ほとんどない頃です。たけしさんと初めてお会いしたのは……内田裕也さん主催の「NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL」だったと思います。たけしさんがバンドをやっていらっしゃって、「曲を作ってほしい」みたいなオーダーがあったんですよね。お互い忙しくてなかなか進めることができなかったんですが、ある日、六本木で飲むことになって、そこで映画の話を伺いました。――警察署長と殺し屋。だいぶ違いますね(笑)。本当にね(笑)。どうしていいのか分からなかったので、素のままでやりました。監督からも、あまり具体的な指示もなく。「これでいいのかな」と思っているうちにどんどん撮影が進んでいきました。役者経験が豊富な方ですごく作り込んでいる方には、「普通にしてくれ」とおっしゃっていたので、自分はこのままでいいのかなと(笑)。――『その男~』がきっかけでアウトローの役が増えていったと聞きました。そうですね。音楽に関してはプロ意識があったんですが、映画は「手伝い」というか。役者をやったのも、さっき言ったような流れなので。たけしさんとのご縁も1度きりだと思っていました。ある映画では、酒ばっかり飲んでるような監督がいたり、毎日セリフが変わって新しいセリフがペライチで届いてきたり。台本があるのに、全く違う内容になるんですよ。当時は、映画界っていい加減だなぁと感じました。○『みんな~やってるか!』『HANA-BI』抜てき秘話――その後、『みんな~やってるか!』(95)に出演。これも同じような流れなんですか?どうだったかなぁ。当時、滝田洋二郎監督の『熱帯楽園倶楽部』(94)という映画でタイで撮影してたんですが、すごく真っ黒に日焼けてしまいまして。帰国してから、北野監督の陣中見舞いで撮影所に行ったんですよ。たしかその時に、「出てくれ」と言われたんじゃなかったかなぁ……。『HANA-BI』(97)は、監督から「今度白竜さんにやってもらわなきゃいけない役がある」とおっしゃっていただいて。『その男~』と同じようなアウトロー系で出たのは久しぶりでしたね。けど、監督はキャスティングの時点でプランが固まっていると思いますので、素のままでいけば監督が料理してくれるという安心感があります(笑)。●「自分はロックミュージシャン」の逃げ道――演出面で変化を感じることはないんですか?ええ、基本的には(笑)。映画の作り方も、基本的な部分では変わってないんじゃないですかね? もちろん、18本も撮っているわけですから、テクニックの部分では進化しているところも必ずあると思いますが。精神的な面は変わらないです。――その後は、『アウトレイジ ビヨンド』(12)に出演。北野組常連の役者さんは、あまり出ていない作品ですね。そうですね。北野監督の映画は、俳優さんであればどんな役でも出たいと思うんですけど、僕はなぜこのポジションに呼んでくれるのか、いつも不思議なんです。よく分からない。そういう縁があるんだろうなとは思いますが。張会長役の金田(時男)さんともご縁がありまして。実は、僕の友人の先輩なんです。――金田さんは、演技経験がない中での抜てきでしたね。横浜でお食事させていただいた時に、きっかけをお聞きしました。一人で家に帰ったら誰もいなくて、テレビをつけたら松田優作さんのドキュメンタリー番組をやっていたそうです。それをずっと見ていたら、ふと「映画俳優をやってみたい」と。それで、監督に連絡をしてみたそうです。僕はそんな金田さんのナンバー2みたいな役。不思議な縁を感じますよね。――『アウトレイジ 最終章』(17)では、すっかり名コンビの印象でした。中田(塩見三省)と花田(ピエール瀧)から慰謝料として渡された3,000万円を受け取らず、合計6,000万円にして突き返して。はははっ! Vシネマでそういうシーンを撮って来ましたが、全然パンチきいてますよね(笑)。セリフにしても、監督は一体どこで勉強されているんだろうかと。シナリオライターも優秀な人はたくさんいるんですけど、やっぱりみんながイメージするような“ヤクザ”っぽく書こうとしちゃう。けど監督はそうではなくて、「得体の知れない人間」の描き方が本当にうまいですよ。○継続が実った俳優業――先ほど、仕事に対する「プロ意識」の話がありましたが、俳優業はどのあたりで「プロ意識」を実感するようになったのでしょうか。島田紳助さん(2011年に引退)と2時間ぐらいのトーク番組でご一緒したことがあって、紳助さんから「白竜さんは歌手ですか? 役者ですか?」と聞かれた時に、「よく分からなくなっちゃって」と答えたんです。すると、紳助さんが「簡単ですよ。今、収入が多い方が本業ですよ」と。「自分はロックミュージシャン」そんな逃げ道を作っていました。でも、これだけやってきたんだから、もう逃げられない。紳助さんとお話した時にそう思いました。僕はせっかちなタイプで、進行が遅い監督だとたぶんイライラしてしまうと思うんです。でも、僕を使ってくださる監督はみんな早いんですよね。だから、良い監督は早いと僕は勝手に思ってます(笑)。たまにたくさん撮る方もいますけど、だいたい使うカットは決まってるんですよね。――俳優業との向き合い方も変わっていったんですか?ありがたいことに……といっていいのか分かりませんが、同じようなキャラクターが多いんですよ。北野監督のおかげで、これまでVシネマは300本ぐらいやらせていただきました。半分ぐらいは主演です。その世界のシリーズものをずっとやっていくと、そっちの時間にかまけてしまう。脚本を読んで現場に行って、また次を読んで。それを十何年も繰り返して来たので……特別努力をしたような感覚はないんですよね。継続してきたものが今につながったというか。――継続の先にあった北野映画。以前の3作と「アウトレイジ」シリーズで監督に変化はありましたか?『その男~』で僕が遠藤憲一くんを刺すシーンは、実は雨の中での撮影でした。雨が降ったらだいたい映画はストップですよ。音の問題もありますから。でも監督は、「上にビニール張ってアフレコでいこう」とおっしゃったんですよね。セリフが変わっても、口の動きは分からないから大丈夫だと。普通の映画監督はそういうことやりません。たけしさんは、「せっかくみんな集まってるから、やっちゃおう」みたいな考えなんです。たけしさんの映画は、歩くシーンがすごく多いでしょ? ヨーロッパあたりではそれが主流らしくて。「尺が短くて歩くシーンを増やしちゃった」とか冗談をおっしゃっていましたけど(笑)、きっとそこも監督ならではのこだわりなんだと思います。たけしさんが言うには、『血と骨』(04)。あれに出演されて以降、監督をする際少しだけカットを粘るようになったそうです。監督にとっては、崔洋一さんの丁寧な撮り方がきっと参考になったんでしょうね。『ビヨンド』や『最終章』でもそういうことを感じる場面がありました。丁寧というか、より深みが増したというか。カメラワークまで指示されているので、きっと脚本を書く時に自動的に頭の中で映像化されているんだと思います。だからその脚本に対して、「俺はこうやりたい」というような役者さんはきっと苦手なんじゃないですかね(笑)。僕らは、「駒」なんです。監督はその「駒」を扱う人。キャスティングによって、自分は「歩」や「飛車」になります。いろんな監督がいると思いますが、たけしさんの場合はそんな感じです。――以前、北野監督は「役者さんには委ねている部分が大きい」ともおっしゃっていたのですが、そんなことを感じるシーンは?キャスティングでほぼ映画が決まるという監督もいらっしゃいますよね。特に北野監督の場合は名があってもなくても、自分のセンスを頼りに物事をお決めになる。起用される側は、撮影が進むにつれて自分の役がどんな役であるかを徐々に知って行くことになります。最初の作品から、監督はそういうことを全部分かって、撮っていらっしゃる。撮り方も、普通の映画監督が思いつかないような発想の持ち主です。北野組がここまで評価されるのは、今までの通念をくつがえして来た結果なのかもしれません。※以下は映画の結末などネタバレを含んだ内容です。これから視聴予定の方はご注意ください。●『アウトレイジ 最終章』ラストシーンの変更秘話――監督で主演というのも、すごいことですよね。そうですね。『その男~』は順撮りだったんですが、プロデューサーから体重を落とすように言われていました。終わったときには14キロ落ちていたんですが、たけしさんもそのぐらい落ちていたと思いますよ。撮影が夜に終わったら、「白竜さん、一杯行こうか」となるわけですよ。観察していると、日本酒は飲まれるんですが、ツマミはほんの少しだけ。その時も「この映画はラストシーンが決まれば成功する」とおっしゃっていました。最後に工場でドンパチするシーンを2~3日ぐらい撮ったんですが、ある時からあいさつも返されなくなりました。「粗相でもしたかな」と心配になったんですが、それだけラストシーンに懸けていらっしゃるんだと気づきました。――『最終章』ではたけしさん演じる大友と、より密接な関係になります。ラストシーンが変更になったことはご存知でしょ?――そうなんですか!?こんなことしゃべったらマズイかもしれないけど、最初は僕が大友を殺すことになっていたんですよ。変更になってホッとしました(笑)。俯瞰でカメラが上がっていって、大友が倒れる。その後、僕は車に乗って事務所に戻り、張会長に「大友さん、死にました」と報告します。そこは珍しく、3~4回ぐらいNGになったんですよ。僕が何かやらなきゃいけないのかなと思って、間が悪いのかなとか考えたりもしましたが、1度、たけしさんが倒れた時に拝んでみたんですよ。すると、チーフ助監督が「拝まないでください!」と慌てて走って来て、思わず笑っちゃいました。自分でも何でそんなことしちゃったんだろうと(笑)。監督やスタッフもモニター見ながら、ゲラゲラ笑っていましたね。何かやらなきゃ。そんな緊張感があるんです。――NGの理由は何だったんですか?「会長に迷惑かけないでください」というセリフの微妙な優しさや冷たさ、死んでいく者に対しての温かみ……だと思います。僕の最初の言い方がちょっと強めだったんでしょうね。監督はやるせない感情を表現するのが本当にうまいと思いますね。撮影中、監督は現場でほとんどしゃべらないんです。だから役者は「NGが出ないということは良かったのかな?」みたいな感じで。次の日現場に来て、みんな様子をうかがいながら演技をしてるわけじゃないですか。でも、そのあたりはみんなプロですね。大友と李がスクラップ工場に行くシーンがあって、僕がベンツを運転していて、そこに乗り込んで来た監督が「参ったわ……」とボヤいていた時があったんです。「何かありましたか?」と聞くと、「西田さんや塩見さんがあまりにうまくて、編集をどうしようか」と。最初の頃から一緒にやっているので、僕には言いやすかったんでしょうね(笑)。○心優しい俳優・大杉漣さんの思い出――そして、今年2月、大杉漣さんが亡くなられました。『最終章』での共演シーンはありませんでしたが、思い出はありますか?本当にね……。漣さんとは下北沢・本多劇場前の飲み屋での思い出がありますね。小沢仁志とある監督が2人ほどいて、僕が遅れて行ったんです。漣さんは高橋伴明さんの現場とかで、何回か会ってまして。みんなで普通に飲んでいたんですが、小沢が僕にケンカを売ってきたんですよね。あいつ、昔から喧嘩っ早かったので。――まさかの展開です(笑)。そうなんです(笑)。小沢の弟・和義は北野監督の映画に出ていて(『その男~』に出演)、僕にそのことを訴えて来て。適当に流しながら普通に話してました(笑)。やっぱり小沢も、監督の映画にすごい熱い思いがあったみたいで(その後『3-4X10月』に出演)。漣さんはすごく穏やかな方なんですが、見守ってくださっていました(笑)。漣さんとは、高橋伴明組とかTVのシリーズものでも一緒になったなぁ。漣さん、サッカーが大好きなんですよね。ある作品でアクションシーンがあって、漣さんに蹴られるシーンがあったんですよね。「加減しないでください」とお願いしても、「僕、サッカーやってるからなぁ」と心配してくれて。「大丈夫ですよ」と説得して思いっきりやってもらったんですけど、そういう心優しい方なんです。世代的に1つぐらいしか変わらないからこそ思うのは……やっぱり、みんな働きすぎですよね。どこかで加減していかないと。僕も具合が悪い時があったんですけど、やっぱり頭の中は若いイメージのままだったりします。でもね、休む時は休まないと。しかし、監督は元気ですよね。『最終章』は真夏の炎天下の撮影もあったんですが、お付きの人がご飯を食べてる中、もう次のシーンの準備をしていましたからね。映画の現場には一番早く来ることにお付きの人も驚いていて。「こんなに楽しい現場はない」と僕にもおっしゃっていました。○ジャパンプレミアでの涙――昨年9月に開催されたジャパンプレミアで、白竜さんが感極まっている姿に胸を打たれました。『HANA-BI』でベネチア金獅子賞を受賞した時、監督から「北野組やってきてよかったね」と声を掛けられたと。監督も波乱万丈ですからね。『HANA-BI』の打ち上げの時、「ベネチアで賞なんか獲っちゃったりして」みたいに冗談半分におっしゃっていたんです。それで本当に獲っちゃうわけでしょ。ベネチアでその言葉をかけられて……いやぁ、ジーンと来ましたね。たけしさん、監督として思った以上に評価されない時代もあったんです。『HANA-BI』は監督自身が願っていたことが現実化したんじゃないか、そう思えた瞬間でした。そして、「俺も北野組の一員なんだ」と実感した瞬間でもありました。監督と数本ご一緒していましたが、当時全くそういう意識はなかったので、心に残っています。――ベンツ内での密談エピソードからも、すごく距離の近さを感じます。白竜さんにとって北野監督はどのような存在ですか?貴重なご縁をいただいているとは思うんですけど、実は携帯番号も知らないんです。撮影現場でお会いするぐらいで。ところが『その男~』が終わった頃、六本木で何度もばったり会ったんですよね。一度も電話したことないのに、会うと「おー! 一緒に飲もうよ」と誘ってくださって。そういう磁力みたいな結びつきを感じます。監督と一緒にやってらっしゃる役者さんは、そういうご縁の方が多いんじゃないですかね?■プロフィール白竜1952年10月3日生まれ。佐賀県出身。1978年に白竜バンドを結成、翌年に「アリランの唄」でデビューを果たす。1984年公開の映画『いつか誰かが殺される』で俳優業をスタートし、北野武監督の『その男、凶暴につき』(89)で殺し屋を演じたことがきっかけで、以後も数多くのアウトロー役が続々舞い込む。北野監督作はこれまで5作に出演している。(C)2017『アウトレイジ 最終章』製作委員会
2018年05月18日「ふじのくに茶の都ミュージアム」が、2018年3月24日(土)に静岡・島田にオープンする。「ふじのくに茶の都ミュージアム」は、日本一の大茶園である牧之原台地に位置し、博物館、茶室、庭園、商業館から成る「旧島田市お茶の郷」を整備して、新たに作り上げた本格的なお茶の博物館。茶産業や歴史、文化を紹介する展示のほか、茶摘みや手もみ茶体験など、五感を使って楽しく学べる講座を用意している。館内の施設は、「日本庭園」や「茶室」、3階建ての「博物館」、カフェレストランが併設された「商業館」で構成される。「日本庭園」や「茶室」は、江戸初期の大名茶人・小堀遠州によって手掛けられたものを復元。美しく蘇った「茶室」では、実際に抹茶や煎茶を点てる茶事などの本格的な体験をすることも可能だ。「博物館」では、茶の起源や世界への普及、そして静岡の茶について展示を行う。実際に茶葉に触れたり、香りを嗅ぐがことができるだけでなく、併設されたウェルカムティーコーナーで世界のお茶を試飲することも可能だ。さらに、「商業館」では、茶を使用したフード&スイーツメニューをカフェレストランで提供するほか、国内外のバリエーション豊富な茶葉の販売を行う。子供から大人まで楽しめる"お茶尽くし"のミュージアムに是非足を運んでみてはいかが。【詳細】ふじのくに茶の都ミュージアムオープン日:2018年3月24日(土)開館時間:9:00~17:00(入館は、16:30まで)休館日:毎週火曜日 ※ただし、火曜日が祝日の場合は開館し、翌日を休館日とする住所:静岡県島田市金谷富士見町3053-2TEL:0547-46-5588観覧料:個人 300円/団体 200円※大学生以下、70歳以上、障害者手帳等を持参した人およびその付添人は無料。※大学生以下、および70歳以上の人は年齢のわかる証明書を要持参。※体験に参加する場合、別途料金発生。
2018年03月15日歴史的出来事も占いで決められていた?そんな世界に残る伝説を、手相占い芸人の島田秀平さんに聞きました。信じるか信じないかは、あなた次第。実は、偉人たちは占い好きだった!?「昔から、大きな決断を迫られる人は占いに頼りがちでした」と、島田さん。権力者と占いにまつわる逸話は、数々あるそう。「そもそも政治のことを『政(まつりごと)』といいますが、その中には占いという意味も含まれています。邪馬台国の女王・卑弥呼も、占いなど呪術を使って国を治めていたといわれていますよね。秦の始皇帝は、占いで旅先を決めていたとも。歴史の一部は、こうして占いによって作られているんです」さっそく島田さんのナビゲートのもと、偉人にまつわる占い世界史を見ていきましょう!紀元前300年代:アレクサンドロス大王は“夢占い”で敵地攻略を予知!?「ギリシャの英雄・アレクサンドロス大王は、父親譲りの夢占い信者。そもそも父のフィリッポス2世が見た夢を、お抱え夢占い師のアリスタンドロスが『獅子のように勇ましい子が生まれる』と解釈し、誕生したのがアレクサンドロス大王だったといわれています。そんな大王が、テュロス(現レバノン)を攻略しようとしてなかなかできず、数か月過ぎたある夜、夢に見たのがギリシャ神話の半神半獣・サテュロス。これをアリスタンドロスはテュロス陥落の前兆とし、その直後に実現したとか」1500年代:武田信玄には敵を欺くための“手相影武者”がいた!?「その時代、風水や陰陽五行説が流行っていた中、武田信玄が注目していたのは手相占い。証文に使われる敵将の手形を取り寄せて、手相が観られる軍師に線の様子を読み解かせ、『この相手は運が強いから味方につけましょう』『こっちは弱っているので今が攻め時です』と助言を受けていたよう。また、信玄に仕える武将の中から一番手相のいい者を呼んで、自分の“手相影武者”にしていたという話もあります。そうやって敵を牽制したり、混乱させたりして情報戦を制していたんでしょうね」1600年代:徳川家康は“陰陽道”を駆使して江戸の町を作っていた!「徳川家康が江戸の町を守るため、北東の鬼門に寛永寺と神田神社を、南西の裏鬼門に増上寺と日枝神社を建てたというのは有名な話。その根拠とされたのが、陰陽道です。ただ、これは家康のアイデアではなく、南光坊天海というお坊さんの進言によるもの。この人は、武田信玄などにも仕えた実績の持ち主だったんですね。そもそも江戸の土地を風水の観点から『アリ』と判断したのも天海。江戸城設計の仕掛け人なんていわれますが、長年続いた江戸時代の泰平の立役者ともいえるのでは?」1800年代:ナポレオンは“ファラオの占い”で連戦連勝を達成!?「フランス革命後の混乱を収めて、軍人からフランス帝国の皇帝にまで上り詰めたナポレオン。その躍進の陰に、ある占いの書があったといわれていることをご存じですか?その書とは、古代ファラオの占いを伝えるパピルスの書で、ナポレオンのエジプト遠征の際に、同行した学術調査団が発見したとされています。のちにこれは『運命の書』と呼ばれ、人生を左右する大きな決断を下すときに、彼は必ずこの書を用いたとか。ところが戦いのどさくさで失くしてしまい、その後、失脚しています」島田秀平さん手相占い芸人。これまで1000人以上の芸能人の手相を鑑定。新書『島田秀平が3万人の手相を見てわかった!「ご縁」のつかみ方』(SB新書)が2018年1月6日に発売!※『anan』2017年12月27日号より。写真・土佐麻理子イラスト・沼田光太郎取材、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2017年12月23日俳優の菅田将暉が11月23日(木・祝)、TOHOシネマズスカラ座にて行われた映画『火花』初日舞台挨拶に、桐谷健太、川谷修士(2丁拳銃)、三浦誠己、板尾創路監督、原作者の又吉直樹と共に登壇した。菅田さんは先輩芸人との交流を描いた本作と「11月23日=いい兄さんの日」にちなんで、自身にとって、いい兄さんは誰かと聞かれると「桐谷さんも含め、もう少し下の世代だと小栗(旬)さんとか山田孝之さんなどは兄さんという感じですね」と語った。■菅田将暉「忘れちゃいけないし、忘れたくない役柄」本作は、お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹が執筆し、第153回芥川賞を受賞した同名小説を映画化。売れない若手芸人・徳永(菅田さん)が、営業先の熱海で出会った型破りなスタイルを貫く先輩芸人・神谷(桐谷さん)に感化され、弟子入りすることによって巻き起こる出来事を描いた芸人青春ストーリー。菅田さんは「大好きな芸人さんたちに囲まれた現場は楽しかった」と撮影をふり返ると「僕が徳永として過ごした日々は忘れちゃいけないと思うし、忘れたくないです」と公開初日に思い入れがある様子。一方の桐谷さんも「公開を迎えて嬉しい気持ちと、もうあまり集まることがないんだなという寂しい気持ちもあります」と複雑な胸の内を明かしていた。■ピース又吉、映画化に感謝!この日は原作者の又吉さんも登壇。「(映画化されたことに)嬉しかったですし、自分で書いたものですが、作品を観ながら『心当たりがあるな』と思う部分も多く、場面場面や風景、セリフに共感できました」と映像化されたことへの感謝を述べると、「『このシーンはあってくれ』と思っていた部分が、映像化されていなかったり、原作モノといっても、そのまま映画にするんじゃないんだなということを学べました」と書き手ならではの感想を述べていた。又吉さんの発言に板尾監督は「俺は小説10回は読んだぞ」と語ると「すごい原作だけれど、俳優と芸人のコラボで本当の芸人コンビが作り上げられたら、この映画は成功すると思った。でも又吉の書いたネタを俺が漫才するみたいな不思議な感覚だった」と映画化への感想を述べていた。そんな板尾監督は「いい兄さんは?」という質問に「ダウンタウンの松本さんや浜田さん、島田紳助さんなどたくさんいますが、いまはアホの坂田師匠です。この映画の打ち上げも最初の挨拶だけで、わざわざ大阪から新幹線で来てくれたんです。僕にとっては神様。死んだらはく製にしたいぐらい」と坂田師匠愛を爆発させていた。■桐谷健太、大ヒット御礼舞台挨拶を3回はやりたい!また菅田さんと20歳近い年の差がありながら、同級生コンビを演じた川谷さんは「『誰かが見てくれているから大丈夫』という言葉ってよく聞くけれど、僕はうそだと思っていたんです。でも板尾さんが『お前らの漫才を見ていたら、突っ込み役はお前しかいない』って言ってくださったのを聞いて、初めて『見てくれている人っているんだな』って思ったんです」と感慨深い表情で語ると、板尾監督は「真面目な話、2丁拳銃はデビューから見ていて、東京で苦戦しているのも知っていました。ちょっとした運のなさで伸び悩んでいましたが、漫才はすごい。突っ込み役として修士がしっかりいてくれたから、芸人の芝居やコンビの雰囲気が出せた」と賞賛。スタッフ・キャストが誠心誠意臨んで出来上がった『火花』。桐谷さんは「先ほども話しましたが、公開を迎えて寂しい気持ちが大きいので、3回ぐらいは“大ヒット御礼”舞台挨拶をやりたい」と客席を煽ると、菅田さんも「正面切った青春ドラマになっています。まっすぐ熱いものが伝わってくれれば」と作品に込めた思いを語った。『火花』は全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)
2017年11月23日「珍しいねえ。最近は雑誌に載ることもなかったのに」と語るのは、島田紳助(61)の母(90)。見ていたのは10月26日発売の週刊文春に掲載された「島田紳助独白4時間」という記事だ。 11年に芸能界を引退してから何度も芸能界復帰が囁かれてきた紳助だが、取材に対してカムバックを完全否定。「老後に必要なのは『お金と仲間と筋肉』」として、友人たちとの悠々自適な生活を告白。さらには妻や3人の娘、5人の孫たちとの仲睦まじい様子も明かしたのだ。 ただ唯一触れられていなかったのが実母のこと。そこで記者が京都の実家を訪ねたところ、紳助の母は取材を快諾。自宅に招き入れてくれた。実は、紳助は今でも実家を訪問。折に触れて母親孝行を続けているという。 「月に1〜2回は来てくれます。『元気か?』と言いながら、お惣菜を持ってきてくれてね。でもお便所で用をたしたら、すぐ友達のところに行ってしまうんです。それで帰りウチに寄って『ほな、またくるわ』って。そのときもお便所を借りていきます(笑)。まあ引退して友達が増えたようやし、ええことですけど。先日は村上ショージくん(62)も来てくれました」 まるで漫才ネタのようなエピソードを語る母。息子と会うのがやはり嬉しいようだ。そんな彼女も、12年に本誌がインタビューした際は「あのままでもうちょっとおってほしかった」と吐露。息子の芸能界引退を残念がっていた。だが今回改めて復帰について聞くと、こう答えた。 「もう、いいんじゃないですかね。あの子は芸能界で充分にやりきったし、あとは好きなように生きればいい。友達もたくさんおって、子供と孫に囲まれて。いつも嬉しそうにしていますから。それにあのとき引退したからこそ、お父さんを看取ることができたんです。だから今はこれでよかったのかなと思います」 引退から約2カ月後、紳助の父親(享年87)は亡くなっている。人気司会者として東京にいれば、父の最期に駆けつけることができなかったかもしれない。そして引退して大阪に戻ったからこそ、今も母親孝行ができているのだろう。隠居生活を送る息子について、母はこう語る。 「あの子は『オカさんがボケないのはええこと』って言うんです。でも私も息子にはボケないでほしいと思っています。あの子ももう61歳。このままのんびりしすぎて、ボケんようにしないとね(笑)」 最後まで記者を笑わせてくれた紳助の母。引退した彼のまわりには、今も笑顔が溢れているようだーー。
2017年11月02日「メイプル超合金のカズレーザーさんは、いわゆる“事故物件”に引っ越してから急に運が上向き、仕事が一気に増えたんです」 こう話すのは、占い芸人の島田秀平(39)。カズレーザー(33)によると、それはJR新宿駅から歩いて15分ほどにある物件だったという。6畳間で相場では家賃7万円程度の部屋が3万7,000円と格安で貸し出されており、さっそく部屋を見に行くことに。だが畳の中央が黒くシミになっていたことを不審に思い、不動産業者に尋ねたところ、「実は……」と、前の住人が自殺したことを知らされた。 「畳ぐらい替えておいてほしいところですが、カズさんは『安いし、いいか』と即決し、そこで暮らし始めたそうです。すると’15年に漫才新人大賞とM-1グランプリで決勝進出と大ブレーク!」(以下・解説コメントはすべて島田秀平) なぜ事故物件に引っ越したことで運が開けたのか? 「一般的にはこうした事故物件は運気を下げるといわれているので、お勧めしません。ただお笑い芸人の場合は、自分の不幸をネタにしてまで笑いをとる特殊な仕事です。運で大事なのはバランスです。カズさんの場合はとんでもなく運気の悪い場所に住み始めたことが、“売れない芸人人生”を転換するきっかけになったのでしょう」 島田は、運気にまつわるエピソードを耳にするたびに、当事者たちに詳細を聞いているという。今回はそんな強運伝説を紹介するとともに、“運をつかむ人”の共通点を教えてくれた。 「運は“はこぶ”とも読みます。読んで字のごとく、幸運は人から人に運ばれるもの。運がよい人になりたければ、強運の人から授かるのがいちばんの早道です」 島田が例に挙げるのが「運をもたらす家具」の存在だ。 「アンタッチャブルの山崎弘也さん(41)は、M-1グランプリで優勝するなどして大ブレーク直後に、白いテーブルを買っていたんです」 収入も増え、転居を決めたザキヤマ。引っ越しの手伝いに来ていた後輩・ゆってぃ(40)に『このテーブルいるか?』と、譲ったという。 「すると今度はゆってぃさんがR-1ぐらんぷりサバイバルステージで入賞したんです。その後もテーブルの持ち主になった鬼ヶ島の和田貴志さん(39)がキングオブコントの決勝に進出しました。いまや“ブレークを呼ぶテーブル” として若手芸人たちの垂ぜんの的になっています。ちなみに現在の所有者はHi-Hiの上田浩二郎さん(43)で、『誰にも渡さない』と言っているそう(笑)」 また、占い芸人として島田がもっとも得意とする手相だが、強運な人たちは特別な手相を持っていた。 「生命線というと長さを気にする人が多いのですが、実は本数が大事なんです。先日、米国のトランプ大統領の手のひらを写真鑑定することになりました。調べてみると、大統領は生命線が縦に2本ある“二重生命線”だったのです。これは一般の人より生命力が2倍の相です。その上をいくのが黒柳徹子さん(84)。なんと生命線が3本!『すごいですよ』というと『あらそう』と笑ってらっしゃいました。私はこれまで3万人以上の手相を見てきましたが、ただ1人だけ生命線が4本あったのがレスリングの吉田沙保里さん(34)。さすが霊長類最強女子の手相です」 お笑いレジェンド・萩本欽一(76)が実践するのが、運気コントロール術だ。 「萩本さんとは何度かお会いしているのですが、運に対して、独特の考えをお持ちです」 半世紀以上にわたり、芸能界で活躍してきた萩本だが、たとえば新しいレギュラー番組を持つことが決まると、競馬で絶対に来ないと予想される馬券を購入していたという。 「運というものはバランスであり、よいことが起これば、悪いことも起きる。だから先に損をしておいて、仕事では成功しようという発想です」 そんな萩本の前で「最近ツイてないんですよ」と、ボヤく人がいた。彼は「イヤなことがあった日付にちなんだ宝くじを買うといいよ」と、アドバイスしたのだが……。 「その人が半信半疑だったので、イヤなことがあった日付を聞いた萩本さんが、その数字にちなんだ宝くじを買ったところ、1等の組違い賞10万円が当たったのです。最初に言ったように、運とは運ばれ動くもの。それをつかまえるのにはなにより行動力が大事で、強運の人たちは、みんなフットワークが軽いです。それにどんなときでも自分の運を信じていますね。誰かに勧められたことを素直に実行してみるのも、運をつかまえる秘訣です」
2017年08月23日お笑い芸人の太平サブローとオール阪神が、22日に放送されたMBSラジオの番組『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』(毎週月~金曜12:30~)で、漫才ブーム当時の島田紳助さんの武勇伝を明かした。サブローは、紳助・竜介が当時出演していた漫才番組『名人劇場』(カンテレ・フジ系)について、紳助さんが「あの番組出たないねん。『THE MANZAI』だけでええねん。作り方が気に入らん」と嫌がっていたことを暴露。事前にスタッフにネタを見せるのが納得行かなかったそうで、「見せたら新鮮味が無くなるから」と理由を語っていたという。そして紳助さんは、どうやったら出演しなくて済むのかを真剣に考えていたそうだが、その後すぐ行われた生放送で、一社提供のスポンサー・花王をイジるネタを披露。「竜介知ってるか? ここ(スポンサー)のマーク。昔は満月やったらしいけど、なんで三日月になったのか。あれはライオンに食われたんや」と、競合企業の名前を出して、会場は爆笑に包まれた。紳助さんはネタを終えると、ニヤっと笑い「これでしばらく出ませーん」と言い残して舞台を降りたが、吉本の関係者や番組スタッフは当然真っ青。サブローは「それから二度と出なかったわ(笑)」と振り返った。それを聞いた阪神は、漫才のコンテストで2位に終わったことに納得行かなかった紳助さんが、目録を破って中身の賞金だけ取り出し、副賞の盾も蹴飛ばして帰っていったというエピソードを披露。サブローは「時効やから言える話やな」と懐かしんでいた。
2017年05月24日AKB48の島田晴香がこのほど、東京・ディファ有明で行われた、テレビ朝日系深夜ドラマ『豆腐プロレス』(21日スタート、毎週土曜24:35~25:00)の取材会に出席し、役づくりのために体重を5kg増量したことを明かした。このドラマは、現役女子高生だけで構成されるプロレスリーグが舞台。出演メンバーは演技を超えたガチンコ勝負を繰り広げ、この取材会には島田のほか、宮脇咲良(HKT48/AKB48)、向井地美音(AKB48)、横山由依(AKB48)、松井珠理奈(SKE48)、兒玉遥(HKT48/AKB48)、松村香織(SKE48)、白間美瑠(NMB48/AKB48)が出席した。島田は松村とともに、ジャイアントスイングや、ブレインバスターを繰り出すヒール役を演じ、第一線で活躍したプロレスラーのコーチのもと、厳しいトレーニングを受けながら撮影中。12kgのダイエットに成功した島田だが、今回の役のために5kg増量し、現在の体重は約51kgになったと報告した。さらに、「もう少し増やそうかなと思ってまして、ヒール役に合う体づくりをして、プロレスのファンの皆さんにもっとAKB48を好きになってもらって、AKBファンもプロレスを好きになってもらえるように、一生懸命頑張っていきたいと思います」と意気込み。悪役を演じるにあたり、「今、AKBでもアンチは多いので変わらないかなと思いながら、プロレスをやるんだったらもっとアンチを増やしていきたいです」と、嫌われ役を徹底していく姿勢を示した。一方で、このメンバーの中で最も体が小さい向井地は「子供の頃から運動神経が本当になかったので、プロレスをやるというのはすごく不安なんです」と、少し声が小さめ。握手会では多くのファンから「島田さんに踏み潰されないように気をつけてね」と心配されていることを明かしたが、「私もやれば強いんだぞ!ってところを、このドラマを通して見せていけたら」と、力強く宣言した。横山は、そんな向井地がトレーニングで泣いてしまったことを暴露し、「私と島田と美音の3人で慰め合いながら帰ったのがいい思い出。そういう感じで、メンバーの絆も深まってきてるかなと思うので、AKB48の活動の何かにプロレスがつながればなと思います」と、総監督の視点で期待を込めた。取材会を終えると、島田は松井とガチンコの試技を披露。鬼気迫る表情で本格的に組み合い、リングサイドのメンバーも真剣に見守っていた。
2017年01月13日お笑いタレントの明石家さんま(61)が、26日に放送された日本テレビ系バラエティ特番『誰も知らない明石家さんま 初のロングインタビューで解禁!』(19:00~20:54)で、2011年に芸能界を引退した島田紳助さんの復帰を待つため、関西テレビ・フジテレビ系トーク番組『さんまのまんま』の番組終了を2年延期したことを明かした。さんまは、吉本興業の同期である島田紳助さんへの思いを聞かれ、「芸能界に帰る気ないんだなと思ってますけど、今は」と返答。「1年くらいしたら帰ってくるだろうと思ったんだけど」と加えた。そして、「『さんまのまんま』を2年延ばしたのは、紳助が帰ってくると思って…。『まんま』からだと思って…。紳助が帰るところ、最初はここやと思ったから」と、今年9月に31年半の歴史に幕を閉じた『さんまのまんま』に迎えるつもりだったことを告白。共演者から「えー!」「鳥肌立つ」と驚きの声が上がった。そしてさんまは、「2年頑張ってやりましたけど、もう紳助は帰ってこないだろうし、紳助とも意見が違うと思ったので」と続け、「今は紳助は帰ってこないんだな」とコメント。現在は「全然会ってない」と言うも、「同期でいてくれて、お互い認め合いながら、けなし合いながらこれたのが、非常に幸せだったと思いますね」としみじみ語った。
2016年11月26日タレントの島田洋七が、18日(19:00~21:48)に放送されるテレビ朝日系バラエティ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(レギュラーは毎週月曜20:00~20:54)の3時間スペシャルに出演し、「コンビ解散6回」「副業失敗8回」などの失敗談を明かす。今回、洋七は「人の話を聞かずに思いつきで行動して何度も同じ失敗を繰り返さないための授業」を展開。漫才コンビ・B&Bで漫才ブームをけん引し、19本のレギュラー番組を抱えていたが、ブームが去るとほとんど姿を消してしまう。この理由について、洋七は「人のアドバイスに耳を貸さず、何でも思いつきでやってしまう自身の性格」に原因があると分析。その性格から、波乱万丈の半生を送ることになってしまったといい、「コンビ解散6回」「副業失敗8回」、さらに「事務所移籍4回」「選挙落選」といったしくじり体験を語っていく。さらに、漫才ブーム当時の驚きのエピソードや、自らを救った大物芸人との友情秘話も告白。最後には男泣きを披露する。
2016年07月04日お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志(52)が、9日に放送されたTBS系バラエティ特番『鶴瓶&松本の怪人図鑑』(24:10~25:25)で、明石家さんま、笑福亭鶴瓶、島田紳助さんの芸人スタイルの違いについて語った。松本と鶴瓶がMCとして初タッグを組み、街中で異彩を放つ"怪人"にスポットを当てる同番組。本題に入る前の番組冒頭、自身が遅刻してきたことをイジられた松本は「こういう手口に出るわけや!」「僕が物心ついた時にはテレビに出ている人なんですよ」と反撃に転じ、鶴瓶の"怪人ぶり"を伝えるべく、「この人ってね、こんな話していいのか分からないけど」と語りはじめた。比較対象として、まず名前を挙げたのが明石家さんまで、「さんまさんはアウトボクシングというか、あの人特有のフットワークがあるんです。つかませてくれへんし、独特の距離感なんです」。2人目の島田紳助さんについては、「紳助さんは"首相撲"。お互い、『もうええやんけ!』みたいな感じになる」とそれぞれ独特の表現で鶴瓶を笑わせた。そして、締めくくりとなる鶴瓶に対して言い放ったのは、「『どついて来い!』って言うんです。『好きにやれ』『お前の好きにやってくれてええわ』と。ホンマにどつかせてくれるんですよ」。寛容な一面を褒めながらも、「でも、家に帰ったらね。なんか勝った気がせえへん……」と首をかしげて笑いを誘い、「本当、不思議な人やわ」と正直な印象を打ち明けていた。
2016年06月10日俳優の石坂浩二が、29日のテレビ東京系バラエティ番組『開運! なんでも鑑定団』(毎週火曜20:54~21:54)で、22年にわたって司会を務めてきた同番組に感謝の言葉を語った。石坂は、1994年の番組スタート以来、司会を務めてきたが、この日の放送で降板。4月7日にスタートするBSジャパンの兄弟番組『開運! なんでも鑑定団 極上! お宝サロン』(毎週木曜21:00~21:54)の司会に"異動"することになっている。今回の降板の背景には、番組プロデューサーとの確執があり、発言が意図的にカットされているという報道もあったが、この日の放送では、ゲストの作家・山口恵以子が「(番組を)初回からずっと見ていたんです!」と話すも、オープニングから特に降板について触れず、その後も石坂の発言はほとんどなかった。そして、エンディングで、石坂から「長い間ありがとうございました」とあいさつ。これまでの22年間の出演シーンが映し出される中で、「いやぁ、色んな物を見せていただいて大変うれしかったです。ひどいものを見たときにも、その陰に面白い話があったりして、やっぱり物を集める方の力というものを感じましたね」と振り返った。また、この日の放送で、2代目アシスタントとして21年半にわたって出演してきた吉田真由子も卒業。吉田は涙を見せながら「始めた時は10代だったので、司会の(石坂と島田紳助)の2人があまりにも先輩で緊張して何も話せなかったら、(紳助に)"日本一やる気のないアシスタント"と言われまして…。あれは緊張して黙ってたんです」と弁解したが、司会の今田耕司から「やる気だけは僕、いまだに感じませんからね」とひと言。あらためて、「これまでも私はマイペースで頑張っていきたいと思います」とあいさつし、最後に今田から石坂と吉田に花束が贈呈された。4月からは、新たにフリーアナウンサーの福澤朗が加入し、引き続き司会を務める今田とのタッグで、新生『鑑定団』がスタートする。
2016年03月29日