■前回までのあらすじ彼の転勤先についていくために仕事を辞めたことを伝えると、「泣くほど嫌なら辞めなければよかったのに…」と言われて…。■私は彼に母の時と同じことをしている…!?私は、自分の心の声というものがもうずっと聞こえなくなっていました。最後に聞いたのは、過食症に陥る直前の高校生の頃でした。そしてその自分の心の声が、今回の出来事を境に、また少しずつ聞こえるようになってきました。心の声――それは「とりつくろわない本心」。私が自分よりも人の希望を尊重してしまうのは、それが幼少期に培った『自分が愛されるための手段』だったことに気付き始めていました。そして、同時に、とても弱い自分が心の中にいることに気付きます。「自分の判断で失敗したら嫌われた上に、さらに責められ見下され続けてしまう。そんなの私には耐えられない」と、弱い私は責任から逃れて、判断を誰かに委ね依存しようとしてしまう。実際には、自分の希望を尊重しても嫌われることはないし、一度や二度の失敗で、責められ続けたり見下され続けたりもしない。もし仮に失敗してつらい事態に陥ったとしても、人は耐えられるし、立ち直ることができる。しかし子どもの頃に形成された思考はなかなか変えられないのです。でも、何かきっかけがあれば変えることは可能。そのきっかけさえ掴むことができれば────…→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月05日■前回までのあらすじ小さい頃から母の顔色を伺ってきたので、自分の気持ちを封じ込めればうまくいくと信じていた私は、彼のの望み通り退職届を出すことに…。■母は喜んでくれなくても彼が望むなら…誰かに仕事を辞める理由を話すときのために、『他にやりたいことができた』というセリフを用意していました。上司には正直な「恋人の希望」などは伝える必要がないでしょうし、同僚に話してもこじれることが予想できたからです。しかし、母は辞める理由を聞いてくることもなかったので、用意していたセリフも必要ありませんでした。聞いてこないのは、おそらく母にとって私が辞める理由には興味がなかったからでしょう。昔からずっとそうでした。私が何かをやりたい理由も、やりたくない理由も、母に聞かれたことはありません。母にとって重要だったのは、「結果として人にどう思われるか」だけで、「私がどう思うか」ではなかったんだと思います。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月04日