曙太郎さんが心不全で死去した。享年54。11日、全日本プロレスが公式ホームページで伝えた。全日本プロレスは、公式ホームページで「【お悔やみ】曙太郎さんの訃報について」と題し、「全日本プロレスでも活躍された曙太郎さんが、心不全のため享年54歳でご逝去されました」と発表した。続けて曙さんの活躍について「曙さんは大相撲で外国出身初の横綱となり、2001年に引退、2003年3月日本相撲協会を退職後、格闘家に転身。2005年からプロレスに本格参戦し、全日本プロレスにもフリーとして参戦しました。2009年には浜亮太とのタッグでアジアタッグ王座を獲得、同年の東京スポーツ新聞社制定 プロレス大賞『最優秀タッグチーム賞』を受賞しました」と説明。「2013年9月からは全日本所属となり、三冠ヘビー級王座を2度戴冠したほか吉江豊とのタッグで第69代世界タッグ王座を獲得するなど活躍。2015年11月に全日本プロレスを退団しました」とつづった。最後に「曙さんのファイトや人柄は多くのファンを魅了してきました。曙さんの訃報に接し、全日本プロレス所属選手・スタッフ一同は、謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします」と締めくくった。曙さんは1969年5月8日生まれ、米・ハワイ州出身。元大相撲力士。93年横綱に昇進、93年と00年の2回、年間最多優勝を獲得。96年には日本に帰化し、日本国籍を取得した。01年の引退後はK-1デビューし、プロレスラーに転向するなど格闘家として活躍した。
2024年04月11日2024年4月11日、元横綱の曙太郎(あけぼの・たろう)さんが亡くなったことが分かりました。54歳でした。サンケイスポーツによると、同月上旬、心不全により息を引き取ったとのことです。曙太郎さんは、2017年に体調不良のため病院へ緊急搬送され、東京近郊の病院に入院し、闘病生活を送っていました。アメリカ合衆国ハワイ州出身の曙太郎さんは、迫力のある相撲で大相撲ブームの立役者となり、1993年に第64第横綱になっています。引退後は、プロレスラーや総合格闘技、タレントとして活躍していました。これまでたくさんの感動を与えてきた曙太郎さんに、ネットからは悲しみの声が多数寄せられています。・あまりにも早すぎる…。本当に残念。・ハワイから来た横綱として、一時代を築いた名力士でした。感動をありがとう。・闘病されていたのですね。ご冥福をお祈りいたします。大相撲をはじめ、格闘技界を盛り上げ、多くの人に感動を与えた曙太郎さん。心よりご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月11日『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などの作者としておなじみの漫画家、鳥山明さんが3月1日、68歳で亡くなった。死因は“急性硬膜下血腫”。急性硬膜下血腫とは、脳を覆っている硬膜と脳表との間に起きる急性出血のこと。さがみ生協病院内科部長の牛山元美さんが原因について解説する。「一般的には、転倒や転落、交通事故などによって強く頭を打ちつけた場合、その衝撃で硬膜と脳表の間の血管が切れて出血が起きることで発症します」衝撃を受けた直後、あるいは少し時間を置いてから、激しい頭痛や意識障害、嘔吐、麻痺などの症状が現れる。「こうした症状が出た場合、緊急手術で頭部の血腫を取り除かないと命に危険が及びます」(牛山さん)ただし、頭部にそれほど強い衝撃を受けなくても次のような人は要注意。「過去に脳梗塞や心筋梗塞を起こした人、狭心症など心疾患をお持ちの人、さらには、脊柱管狭窄症などの治療で整形外科に通っている人などはリスクが高まります。血管がもろくなっているうえに、“血液をサラサラ”にする薬を服用している場合が多いので、つまずいた拍子に軽く頭を打ったくらいでも、脳の血管が切れて血腫ができることもあるのです」(牛山さん)つまり、血液サラサラの薬を服用している場合は、ちょっとした“つまずき”による頭部の打撲でも、急性硬膜下血腫になる可能性があるということなのだ。■自宅内転倒が多い高齢者が見落としやすい盲点は?日本理学療法士協会の副会長で、理学療法士の佐々木嘉光さんは、「自宅内にも転倒のリスクが潜んでいます」と話し、警鐘を鳴らす。「年齢とともに“視覚”や“バランス感覚”“筋力”などが落ちてくるので、ちょっとしたモノにつまずきやすくなるからです」東京消防庁の統計(令和元年)では、住居内で高齢者の転倒事故が発生する場所として多いのは、1位:居室・寝室、2位:玄関・勝手口、3位:廊下・縁側・通路、4位:トイレ・洗面所、5位:台所・ダイニングと続く。「大前提として、室内のどこであっても〈室内や足元を明るくする〉〈動線上にモノを置かない〉〈滑りやすいマットはできるだけ敷かない〉が基本。さらに、足のサイズに合っていないスリッパも事故の原因になります」(佐々木さん)こうしたポイントを押さえたうえで、自宅内で転倒しやすい場所と回避する方法を見ていこう。【1】リビングや和室「リビングは電源コードが多くなりがちなので、足をとられます。壁にはわせるなどして引っかからない対策を。特に携帯の充電コードにご用心。ラグマットも、つまずきの原因に。読みかけの新聞やチラシも、床に置いておくと踏んで滑ってしまいます」和室にも、こんな危険が潜む。「座布団や座椅子に足を引っかけて転倒するケースが目立ちます。畳から立ち上がる際は、慌てずゆっくりと動きましょう。置きっぱなしの健康器具にも気をつけて」【2】キッチン「床に敷いているキッチンマットに引っかかって転倒する、あるいは足元のゴミ箱につまずいて転倒する、といったケースが見られます。マットを敷くなら滑り止めが付いているもので、ふかふかしていない毛足が短いタイプを。また、ゴミ箱を明るい目立つ色に替えることもつまずき対策のひとつです」加えて、脚立の使用時も要注意。「よく使用する食器類は高い場所にしまわないこと。脚立を使用する場合は、踏み台の部分が広く安定したものを選びましょう」【3】浴室・脱衣所「転倒しやすいのは、脱衣所から浴室へ入る際の段差や、浴室に足を踏み入れた直後です。浴室がぬれていたり、床に残った石けんなどのぬめりがあると滑りやすくなります」日ごろから浴室の掃除や乾燥を心がけよう。脱衣所から浴室へ入る段差が高い場合は、踏み台などを設置してもよい。「浴槽に入った瞬間、足を滑らすこともあります。足元が不安な方は、浴槽内に滑り止めシートの設置も検討を。また、低い風呂用の椅子から立ち上がる際のふらつきにも注意」【4】トイレ「トイレは狭いので、大きな転倒事故につながることは少ないですが、トイレマットに引っかかったり、便座から立ち上がる際のふらつきに注意して」【5】玄関モノが散乱しがちな玄関も危険が多く潜んでいる。「履いていない靴はしまうようにして玄関はスッキリと。また、置きっぱなしのゴルフバッグや届いた宅急便の箱に足を引っかけることもあるので、できるだけ早く片付けるように。エントランスまわりの砂利やブロックにも注意したいところです。そして、靴を履くときによろめいて転倒しやすいので、段差部分に座るなどして慌てず着脱を」これ以外にも注意したいのが、寝室での転倒だ。多いのが、夜間にトイレに立ったときだという。「真っ暗にしていると足元が見えにくい。常夜灯などを寝室や廊下に設置して」また、起き上がったときのふらつきも転倒の原因に。「まわりの壁につかまって、ゆっくり体を起こすように。不安な方はベッドガードなどを付けるのもひとつの方法です」庭も転倒事故が多い場所。「雨が降ったり、コケがついていたりすると、庭の砂利や石が滑りやすくなっています。不安定なサンダルで庭に出る方も多いので、靴選びにも注意して」こうした点を注意して、自宅でも安全に過ごそう!
2024年03月25日新型コロナウイルスの変異株JN.1による感染急増が懸念されるなか、新型コロナの感染で心不全リスクが高まる可能性を示唆した論文が、昨年12月23日(日本時間)に科学雑誌『iScience』オンライン版に掲載された。研究チームの理化学研究所上級研究員で医師の升本英利さんが、解説する。「新型コロナは、多くの人が肺炎を引き起こす病気として捉えていると思いますが、実はほかの臓器にも影響があると考えられています。なかでも心臓には、新型コロナウイルスの表面にある突起にくっつきやすい、ACE2というタンパク質が多く存在しているのです」そこで研究チームは、iPS細胞でヒトの心臓に近いものを作り、実験を行った。「新型コロナに感染し、回り回ってウイルスが心臓に到達した場合、心臓にも感染し細胞に入り込み、ダメージを与える可能性があることがわかりました」強い感染(高力価感染)を起こした場合、感染からの日数を追うごとに心臓の機能が落ちていった。一方、軽い感染(低力価感染)や中程度の感染(中力価感染)などの場合は、一時的に心臓の機能が落ちたものの、その後、心臓の機能は回復したという。「ところが心臓には増殖可能なコロナウイルスが残ったのです。表面上は元気な心臓ですが、じつはウイルスが潜んでいる持続感染という状態だったのです」こうして持続感染した心臓を低酸素状態にした実験も行ったところ、心臓の細かい血管にダメージを与える結果も得られたという。「この実験で、新型コロナが心臓に持続感染した人が動脈硬化を原因とする狭心症や心筋梗塞を起こした場合、通常では助かるようなレベルの症状であっても、リカバリーできないほど重症化してしまいかねないということがわかりました」■リスクがあることに留意することが重要健康に見える心臓でも、将来的に強いストレスがかかった場合、心不全を起こすなど、心臓病が重症化する可能性があるのだ。「もちろん“新型コロナ感染=心臓に持続感染”というわけではありませんが、心臓に持続感染する可能性が仮に1%の確率としても、その数は少なくありません」新型コロナは、今後も流行を繰り返すと予想される。日本ではすでに4千万人以上が感染していると思われ、そのすべてがリスク対象者となるはずだ。「日常生活のなかで、過度に恐れる必要はありませんが、心臓にリスクがあることに留意することは重要だと考えます。新型コロナに感染したらこじらせないようにする、感染歴がある人で、足がむくんだり息切れするなど心不全の初期症状があれば医療機関を受診するなど、心がけましょう」新型コロナウイルスを甘く見てはいけないのだ。
2024年01月18日2023年12月7日に、お笑いタレントの島崎俊郎さんが急性心不全で亡くなっていたことが分かりました。68歳でした。サンケイスポーツによると、同月6日に東京都内の自宅で倒れ、救急搬送されましたが、病院で息を引き取ったとのこと。島崎さんは、音楽バンド『クレイジーキャッツ』の付き人を経て、お笑いトリオ『ヒップアップ』のメンバーとして芸能界デビュー。1980年代には、バラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)で『アダモちゃん』の愛称で知られるキャラクターにふんし、人気を博してきました。『天才たけしの元気がでるテレビ』 (日本テレビ系)や『笑っていいとも』(フジテレビ)など、時代を象徴する数々の人気のバラエティ番組にも出演。訃報を受けて、人々からは「お笑いファンにとって大きな悲しみです」「とても悲しい…。どうぞ、天国も笑いでわかせてください」「『ひょうきん族』での登場がいつも楽しみでした」など、悲しみの声が続出しています。島崎俊郎さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年12月07日日ごろから塩辛い食べ物とお酒が欠かせない夫が、心不全で倒れて病院に担ぎ込まれるという騒動を経験しました。退院後に心臓病のための食事制限をしてから、検査数値も正常になり、私自身も中性脂肪値がグンと下がったという体験談を紹介します。夫が胸の苦しみを訴えて救急搬送33年の結婚生活で救急車を呼んだのは、次男が目をけがしたときと夫が苦しそうに倒れたときだけです。夫の家系はもともと心臓病が多い家系で、夫の母親は50歳のときに脳梗塞で倒れ、それから左半身不随になっています。そして、彼自身も若いころから高血圧の薬を飲んでいました。ある朝、仕事に出かけようとしていた夫が、急に苦しみ始めたのです。胸が締め付けられるようだと言って倒れてしまいました。これは尋常ではないと感じ、すぐに119に電話して救急車を呼びました。病院に搬送されて1時間ほど応急処置をし、ICUに移されました。新型コロナが蔓延している時期で、付き添っていた私も問診され、ICUに行くことができたのは搬送から2時間後のこと。意識はありましたが、「暑い、寒い」と繰り返しつぶやいていたような気がします。10分もしないうちに面会は終わり、必要なものを売店で揃え、そのまま帰宅させられました。心不全と診断される夫の故郷は雪国で、隣近所の皆さんはお酒が大好きで塩辛い食べ物も大好きな人たち。私はあまり塩辛い食べ物が好きではないので、常日ごろから醤油をかけ過ぎないようにとか、味も薄めに料理を作るほうです。 しかし夫は、私の作った料理が「味がない」と言っては醤油をたっぷりかけてしまうし、お酒も寝る直前まで飲んでいるという悪い習慣が身に付いていました。「いつかこの人倒れるかも」と思っていたのですが、実際にその日がやってきました。いつも喧嘩ばかりしている夫婦なので、そのときは「早く死んじまえ!」と心の中で思っていたのですが、いざこうなってしまうと涙があふれてくるのが不思議でした。入院中は面会もままならない状況でしたが、途中経過を伝える先生からの連絡があり、2週間ほどで退院できるということでひと安心。夫の病名は「心不全」で、原因は塩分のとり過ぎによって体内に水分がたまり、心臓が溺れている状態だったということ。そのため、顔も浮腫んでパンパンに腫れ上がっていたのです。 まず、食生活の改善が一番大切だと言われ、ネットで検索してみると心臓病には塩分制限が欠かせないという内容が多く出現。なんと、1日の塩分は6g程度しかとれないことがわかりました。塩分1日6gで野菜中心のメニューに改善退院してからの節制生活が始まりました。まず、0.1㎎単位のスケールを購入。今までなら肉や魚が中心のメニューでしたが、野菜中心にするため、何種類もの野菜を購入しました。肝心のメニューは、病人食をメインに紹介しているサイトに、月額料金が課金されるプランで会員登録をしました。バラエティに富んだメニューがあり、しかも短時間でできる手軽さです。最初はあまりの薄味に、私も物足りなさを感じましたが、慣れてくると外食の料理がいかに塩分豊富だったかを実感しました。塩を使わなくても、酢やカレー粉などを使って味わい深い料理ができることも学びました。 夫も慣れるまで大変でしたが、あのときの苦しさがよほど身に染みたのでしょう。この食生活になってから醤油をかけることもなくなりました。また、85kgあった体重が、今では8㎏減少して77㎏になり、検査でも良い数値が出ています。実は私も中性脂肪値が400mg/dL以上あったのが、今は200mg/dLまでに下がっています。若いときは少々の無理も体が調整してくれましたが、50歳を超えた今は素朴な食事がとても体に良いことを実感しています。まとめ普段から喧嘩ばかりしている夫婦ですが、いざ倒れてしまうと悲しいものだと思い知らされました。幸いにも命を取りとめた現在、私にできることは食事に気を付けることぐらいです。夫婦共々体質改善をするために、夫の退院後、減塩食に没頭。子どもたちからは「頑張り過ぎると長続きしないよ」と言われましたが、お互いの健康のため! と毎日孤軍奮闘しています。いつまで続くのかわかりませんが、健康食のメニューも増えて楽しくなってきたところ。さらに、結果が出ているので、やる気はいまだに持続しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouTuberとしての情報発信もおこなっている。イラスト/おんたま著者/Mrsjunko(55歳)結婚した当初から建築関係の会社を営み、2人の男の子と1人の女の子を授かる。45歳で子宮筋腫から子宮と卵巣を全摘、その後更年期が始まることに。体調の変化に四苦八苦しながらも、夫との2人暮らしを満喫している。趣味はおいしいものを食べて海外ドラマを見ること。
2023年11月28日生理が不順になり、そろそろ更年期だなと思ってくると、いろいろな症状を「更年期だから」と思うことに慣れてしまっていました。そのため不眠、下痢、1回当たりの尿量がたらっと出るぐらいでトイレが近いなど、あとから思えば更年期以外の理由も考えられる症状を見逃してしまいました。そしてある日、急性心不全と診断されてしまったのです。「更年期だから」と症状を見逃していて…結婚と同時に、ほぼ寝た切りの義母の介護が始まりました。介護は覚悟していましたが、41歳という年齢的に子どもはできないと思っていたのに突然の妊娠。ありがたいことですが、人生設計の立て直しを余儀なくされました。義母の介護をしながら仕事に行っていたら切迫流産になり、安静が必要になりました。その後、無事出産。仕事は出産のタイミングで退職したものの、40代での育児は大変でした。出産して4、5年たったころから、ひとり暮らしをしていた足の悪い実母に認知症の症状が現れて実母の介護も加わり、自分のことなど考える暇がありませんでした。更年期症状と思っていたら急性心不全だった50歳で閉経を迎え、不眠、下痢、トイレが近いなどの症状が見られるようになりました。子どものことや義母と実母のことなど自分以外の人に対しては、目配り気配りするけれども、自分の症状は全部更年期のせいだと自分を納得させていました。しかし、ちょっと動くと下痢しやすく、横になっていることが多くなり、咳をしていることが気になった夫がこのままじゃいけないと近所の病院に連れて行ってくれました。自分では気付かなかったのですが、不整脈の1つである心房細動が見られ、血圧が測れない状態に。酸素マスクをして、近所の病院から救急車で救急病院へ搬送され、急性心不全との診断がおりました。命に関わる経験をして思ったことその後入院して、カテーテルという細長い器具を心臓内に挿入する検査をおこない、心房細動を引き起こす部分を高周波電流で焼き切るアブレーションという治療をするなど、合計で25日間入院しました。突然命に関わる状態になったことで、驚きのあまり現実なんだろうかと思いましたが、これまでに思い当たる症状がいくつもありました。医師によると横になって眠れないのは、心臓のポンプ機能がうまく働かないと肺の中に水がたまってしまい、溺れているのと同じ状態になるためで、咳もそのせいだったそうです。下痢も心臓のポンプ作用がうまく働かず腸に水がたまったからで、尿量が少ないのも腎臓にうまく血液が運ばれていないからとのこと。全部更年期のせいだと思い込んでいた自分が今思うと怖いです。退院後は、安静にする時間を設けたりして無理をしないように過ごし、通院をして内服薬と定期的な検査のおかげで、3年後にはパートですが仕事に行くことができました。まとめ私は更年期だからと自分の不調に気付かない振りをしていました。その中に大きな病気が隠れているかもしれないと思いながら、こういう状態になるまで放置してしまいました。もし病院に行くのが何日か遅ければ、今この世に存在していない可能性もあります。安易に更年期だからと思わず、定期健診をしっかり受けて自分自身の体と付き合っていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。マンガ/あさり著者/ほのぼの(55歳)41歳のときに初産。見た目若い格好しているつもりだけど子どもといるとおばあさんに間違えられる。50才で閉経。義母と実母の介護を経験。看護師やケアマネのは資格あるものの今後10年のことを考え国家資格をもう一つ取得しようと思ってた矢先に入院。人生100年と思い模索中。
2023年10月24日まさか自分の身に、「夫の急死」などという事態が降りかかってくるとは思いませんでした。いつもどおり仕事に行って帰って来た夫が、その夜トイレで倒れて亡くなってしまうという突然過ぎる展開。心の準備も何もあったものではありません。一夜にして大黒柱を失い、高校生の息子たちとの母子3人家庭になってしまったのです。お気楽な専業主婦だったのが…独身のころから会社を経営していた夫が、私より5歳年下の49歳という若さで急性心不全のため亡くなりました。それまで夫の会社の事務をちょこっと手伝うだけのお気楽な専業主婦だった私が突然、会社の整理、死亡による手続きなどいろいろおこなわなければならなくなったのです。急にのしかかってきたプレッシャーにあたふたするとともに、これからは私が息子たちの日常を守っていかなきゃいけないんだという現実を前に、どう考えても夫の死を悲しんでばかりはいられない状況でした。会社の整理が終わったら、私も新たに収入を得る道を探さないと! でも、20年近く実務から遠ざかっている更年期女子を誰が率先して雇ってくれる? すぐに職を得るのは難しいかもしれない。では、今後の生活をどう変えていくべきかを考えてみました。まずは節約、今までの無駄づかいを見直しとりあえずの収入が見込めないのだから、これはもう支出を抑えるしか道はない。まずは現状を分析してみて、すぐに減らせそうな支出を洗い直しました。◎定期購入しているサプリや化粧品を解約40代に突入してからエイジングケアが気になり、ついついエイジングケア用の商品を試してみては定期購入を続けていた私。「これだけは手放せない!!」というサプリ1種類だけ残して、他はすべて解約したら月額約10,000円の支出減。◎携帯電話のプランを見直し夫の携帯電話には仕事の相手先から連絡があるため、すぐには解約が難しいので、名義変更のついでにプランを見直しました。高校生の息子2人とタブレットの分もプランを見直して月々のデータ量を減らしたところ、これまた約10,000円お安くなりました。今までなんてもったいないことを!他にも、洗濯機や食器洗浄機は電気代の安い深夜に使ったり、調味料など使い切れなさそうな食材は買わないようにしたり。日々の生活を見直してみると、節約できるポイントが山ほどありました。大反省です。人生を楽しみつつ収入を得る方法を模索夫が突然亡くなってしまったことで今後の生活が不安なのは当然ですが、その一方で「人生こんなに急に終わっちゃうのね……」という現実を目の当たりにすると、さすがに人間あれこれ考えました。55歳になった今「何かやり残したことはないか」とか、自分は「本当は何がやりたいのか」とか。実は今こうやって記事を書いているように、私は文章を書くことが大好きで、現在WEBライティングを勉強中です。自分のブログを立ち上げて、それで収入を得られるようになるのが理想ですが、現実はそんなに甘くないはず。思うように収入につながらない場合は、別のアクションを起こす必要も出てくるでしょう。ですが、とりあえず夫の会社の整理が終わるまでしばらくかかるので、その間は好きなことを仕事にできるようにチャレンジしていくつもりです。まとめ夫が突然亡くなってしまって母子家庭になり、最初は不安しかありませんでした。今ももちろん不安のほうが大きいですが、とにかく今できることをするしかありません。息子たちとのこれからの生活を守るために、大々的な節約と新たな収入源を模索しながら、人生の後半を充実させたいと思っています。最後に、「人生いつ終わるかわからない」という現実に改めて気付かせてくれた、そして今まで仕事一筋で頑張ってくれた夫に心からの感謝を。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/こふじ(55歳)2020年2月に夫が急死して、高校生の息子2人との母子3人家庭に。大黒柱を失ってアタフタしながらも、節約や新たな収入源を模索中。
2023年10月18日2023年6月29日に、急性腎障害で入院が伝えられていた俳優の佐野史郎さんが、SNSを介して退院を報告しました。同年7月8日には、佐野さんが自身のTwitterを更新し、「日々、快方に向かっております」とファンに向けてメッセージをつづっています。ご心配をおかけしましたが、急性腎障害による検査入院を終え、無事、退院いたしました。腎機能が悲鳴をあげてはおりましたが、日々、快方に向かっております。これからは、もっともっと体調に気をつけなきゃ‼︎です。熱中症など大敵‼︎みなさまも水分補給、しっかりと!侮ると大変なことに— 佐野史郎 (@shiro_sano) July 8, 2023 佐野さんは、2021年にも、テレビドラマ『リコカツ』(TBS系)の出演中、腎臓機能障害で入院をしています。そのため、今回入院が伝えられた際には、ファンから心配の声があがっていましたが、佐野さんの元気なメッセージに安堵の声が寄せられました。・水分補給、大事ですね!自分も気を付けたいです。・ご無事でよかった!夏本番なので、くれぐれもご自愛ください。・安心しました。無理は禁物ですね。また、Instagramでは長文のメッセージを投稿し、終わりに「今しばらく、この世界で、よりよい時間が過ごせるよう、もがいていかなきゃならいとも思うのでした」ともつづっていた、佐野さん。健康面の不安は誰もが抱くからこそ、その言葉に意識を改めた人は多くいたようです。[文・構成/grape編集部]
2023年07月08日2023年6月29日、俳優の佐野史郎さんがInstagramを更新。急性腎障害で入院になったことを明かしました。佐野史郎、急性腎障害で入院に2021年にも、テレビドラマ『リコカツ』(TBS系)の出演中、腎臓機能障害で入院をした、佐野さん。佐野史郎が体調不良によりドラマの降板を発表ネットで「ショックすぎる」の声その際、多発性骨髄腫が発覚するも、維持療法を続けて寛解していたそうです。今回の急性腎障害では、10日ほどの入院になるのだとか。再発の可能性は考えにくいとのことですが、今回の入院について次のように明かしています。一昨年入院した時も腎機能障害から多発性骨髄腫が発覚し、ですが、そちらは現在は寛解し、維持療法を続けて順調に過ごしていたところでした。今回は再発の可能性は考えにくいとのこと。再発予防の維持療法の薬剤の副作用の可能性などを詳しく検査するための検査入院です。その間のお仕事をお断りしなければならず、各方面に多大なるご迷惑をおかけいたしますが、何卒、ご理解とご容赦のほど、よろしくお願いいたします。sanovabitchーより引用 この投稿をInstagramで見る 佐野史郎(@sanovabitch)がシェアした投稿 入院の期間中は、ラジオ番組などの出演を見送るとのこと。「臓器、腎臓には負担をかけないよう、今後、気を付けて過ごさねばなりません」と、佐野さんは今後に対する思いを次のようにつづりました。これから先、仕事に支障が出ないよう、心して臨み、体をいたわりつつ、着実に取り組んで参りたいと存じます。sanovabitchーより引用佐野さんの投稿には、ファンから「お大事になさってください」「ゆっくりと休んで」などのコメントが寄せられています。佐野さんが再び元気に活動する姿を心待ちにしたいですね。[文・構成/grape編集部]
2023年06月29日『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』などで知られる漫画家・松本零士さんが、13日午前11時に急性心不全のため都内の病院で亡くなっていたことが20日、東映の発表により明らかになった。85歳だった。告別式は近親者のみで既に執り行われ、喪主は妻で漫画家の牧美也子さんが務めた。「恐れ入りますが香典・供花・弔電はご遠慮させていただき、供花・弔電については後日開催予定のお別れの会にてお受けします」とし、お別れの会の詳細は今のところ未定となっている。松本零士さんが所属する零時社の代表取締役・松本摩紀子氏は訃報を受け、「漫画家松本零士が、星の海に旅立ちました。漫画家として物語を描き続けることに思いを馳せ駆け抜けた、幸せな人生だったと思います。『遠く時の輪の接する処で、また巡り会える』と松本は常々申しておりました。私たちもその言葉を信じ、その日を楽しみにしています。これまで応援くださいましたファンの皆様、作品を世に送り出してくださいました関係各社の皆様、お世話になりました各自治体ならびに各団体の皆様、若かりし頃から共に切磋琢磨してくださった漫画家の先生方、そして旅立ちにあたりサポートしてくださいました病院の皆様、心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました」とコメントを発表した。1938年1月25日生まれ、福岡県久留米市出身。6歳の頃から絵を描き始め、9歳で運命的な本(『新寶島』『月世界紳士』いずれも著者は手塚治虫氏)との出会いをきっかけに漫画を描き始める。15歳の時に投稿作「蜜蜂の冒険」が『漫画少年』にて受賞掲載され商業誌デビュー。実質的な漫画家デビューは1957年『少女』掲載の「黒い花びら」。しばらくは少女漫画誌での執筆が続いた。1968年代に入り青年漫画誌が誕生し始めた頃、『漫画ゴラク』に「セクサロイド」を発表。以降、青年漫画誌での執筆が増え、少年・青年漫画のジャンルで活躍するようになった。代表作は、『男おいどん』『ガンフロンティア』『宇宙戦艦ヤマト』『クイーンエメラルダス』『ザ・コックピットシリーズ』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』『新竹取物語1000年女王』ほか。
2023年02月20日ザ・ドリフターズの仲本工事(本名=仲本興喜)さんが19日、急性硬膜下血腫のため亡くなった。81歳。同日、所属事務所のイザワオフィスが発表した。仲本さんは18日午前中、交通事故に遭い、神奈川県内の病院で治療を受けていたが、19日22時22分に死去した。所属事務所は「ここに生前のご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます。なお、葬儀等の対応については、ご親族を含めた関係各所と協議した上で後日ご報告をいたします」としている。
2022年10月19日弦楽の生演奏で奏でられていたのは、『あの鐘を鳴らすのはあなた』、そして『横須賀ストーリー』『プレイバックpart2』――。4月30日に急性心不全で亡くなったホリプロの前会長・小田信吾さん(享年83)。そのお別れの会が6月21日に行われた。小田さんは、和田アキ子(72)や山口百恵さん(63)にとっての芸能界の育ての親。マネージャーとして彼女らを支えた人物だ。しかしこの日、お別れの会の会場に百恵さんの姿はなく――。「百恵ちゃんは、小田さんが亡くなった直後に、弔問に行っていると聞いています」本誌にそう教えてくれたのは、山口百恵の引退コンサートの構成を手掛けた演出家の宮下康仁さん(71)だ。「生前からのご遺志で、葬儀は身内のごくわずかな方で行われたそうです。亡くなったことも伏せられていたのですが、和田アキ子さんや百恵ちゃんには訃報が伝えられて駆けつけることができたようですね」(以下、「 」は宮下さん)人目につかないところで、“芸能界の父”への哀哭の弔問を済ませていた百恵さん――。宮下さんは「百恵ちゃんは本当に小田さんを信頼していたと思う」とその心中をおもんぱかる。「僕も、小田さんが亡くなる1カ月前にお電話をもらって『宮ちゃん、コロナが落ち着いたら会おうよ。またご飯食べようよ』って。その矢先に亡くなられて……」宮下さんが、百恵さん、小田さんと出会ったきっかけは、’75年に新宿コマ劇場で行われた『百恵ちゃん祭り』というステージ。当時、百恵さんはデビュー3年目、16歳。「その制作担当が小田さんで、僕は縁あって脚本を任されることになったんです」そのときに小田さんと“山口百恵をこれからどうしていこうか”とさまざまな話をしたという。「当時、森昌子、桜田淳子のほうが人気があったわけです。それを超えるためにはどうしたらいいかと、すごく話し合いました。そこで清純な桜田淳子に対抗するために考えたのが、『黒い天使』。『百恵ちゃん祭り』でそのタイトルのミュージカルをつくって、ちょっと不良っぽい、けれど心は純粋な少女という設定で百恵ちゃんを登場させたんです。そのどこか陰のあるイメージというのが、その後もずっと“山口百恵”の大きな魅力のひとつとなっていったのかなと思います。それを小田さんと一緒に作れたのは僕の誇りでもありますね」■百恵さんが売れてもうれしそうな顔をしなかったその後、『百恵ちゃん祭り』は毎夏の恒例となり、百恵さんが引退する’80年まで開催された。「最初のときの彼女は、どこにでもいそうなかわいいコという感じで、特別に輝きがあるとは思っていなかったんですよ。ただ、毎年やっていくなかで、1年目は僕が言うとおりにやっていたのに、翌年からは『こっちのほうがいいんじゃないですか』なんて、提案をするようになって。どんどん輝いてくるので、本当に驚きましたね」代表曲の一つ『横須賀ストーリー』(’76年)ができたときの彼女の様子を、宮下さんはよく覚えているという。「僕にうれしそうに報告してくれましたよ。『宮さん、すごい歌ができたから絶対に聴いて!』って」この曲は百恵さん本人が阿木燿子&宇崎竜童夫妻に作詞作曲を希望したもの。そのことについて宇崎は過去に本誌にこう語っている。《当時17歳ですよ。セルフプロデュース力がただ者ではない。提案をレコード会社に伝えたチーフマネージャーの小田信吾さんもすごい。普通のスタッフなら受け流しますよ(笑)》小田さんがしっかりと百恵さんの言葉に耳を傾けていたからこそ、あの名曲が生まれたのだ。小田さんの人柄を宮下さんはこう懐かしむ。「すごくシャイな人で、百恵ちゃんが売れても『ああそう、よかったな』って感じでうれしそうな顔ひとつしませんでしたよ。『百恵ちゃん祭り』が成功しても、ちょっと右手を上げて『ご苦労さん』って。それが褒め言葉だったんでしょう。それでもマネージャーとしてあらゆる問題をきっちり処理して、だからこそ百恵ちゃんやみんなから信頼されていたんです。変に入れ込まず、顔に出さず、あれだけ真摯に仕事ができるんだから、本当にすごい人でしたよ」表には出さなくとも、小田さんが百恵さんを大切にしていたのがわかる逸話がある。「百恵ちゃんがどんどん世間からクローズアップされて、大スターになる時代が来るわけです。そのころに新宿コマ劇場側から『もうタイトルの“百恵ちゃん祭り”をやめたほうがいいんじゃないか』という話が出たんです。『いまやもう“百恵さん”でしょう。だから“山口百恵さん○○”みたいなタイトルに変えましょう』と。それに頑強に反対したのが小田さんでした。『絶対に“百恵ちゃん”でいく。百恵ちゃんはいつまでたっても百恵ちゃんでいいんだ。みんなから好かれる百恵ちゃん、これでいくから』と一歩も引かなかったのをよく覚えています。そこに小田さんなりの哲学を感じますね。『山口百恵はみんなから愛されるアイドルでいてほしい。みんながずっと百恵ちゃんと呼べる存在でいてほしい』って。彼女に対して、『どんなに大スターになっても決して驕るな』と伝えたい気持ちもあったんじゃないでしょうか」百恵さんは’80年に引退、結婚。「百恵ちゃんが引退したときの小田さんの気持ちは一度も聞いたことがありません。やっぱりショックだったんじゃないかと思うんですけれどね。でも、そういうことは決して話さない人でした。百恵ちゃんは引退後もずっと“山口百恵”に関する許可のやりとりは、小田さんにパイプ役になってもらっていたんですよね。僕も本物のプロのマネージャーと仕事できて、山口百恵という時代を表す人とも出会えた。本当に“ありがとう”と伝えたいです」“芸能界の父”の遺命を守るかのように、引退後も百恵さんは驕ることなく、専業主婦として堅実に夫・三浦友和(70)を支え続けた。“百恵ちゃん”の生き方そのものが伝説となったことを天国の小田さんは誇らしく思っているはずだ。
2022年06月28日生理が不順になり、そろそろ更年期だなと思ってくると、いろいろな症状を「更年期だから」と思うことに慣れてしまっていました。そのため不眠、下痢、1回当たりの尿量がたらっと出るぐらいでトイレが近いなど、あとから思えば更年期以外の理由も考えられる症状を見逃してしまいました。そしてある日、急性心不全と診断されてしまったのです。「更年期だから」と症状を見逃していて…育児と介護で自分のことを考える時間がない結婚と同時に、ほぼ寝た切りの義母の介護が始まりました。介護は覚悟していましたが、41歳という年齢的に子どもはできないと思っていたのに突然の妊娠。ありがたいことですが、人生設計の立て直しを余儀なくされました。義母の介護をしながら仕事に行っていたら切迫流産になり、安静が必要になりました。その後、無事出産。仕事は出産のタイミングで退職したものの、40代での育児は大変でした。出産して4、5年たったころから、ひとり暮らしをしていた足の悪い実母に認知症の症状が現れて実母の介護も加わり、自分のことなど考える暇がありませんでした。更年期症状と思っていたら急性心不全だった50歳で閉経を迎え、不眠、下痢、トイレが近いなどの症状が見られるようになりました。子どものことや義母と実母のことなど自分以外の人に対しては、目配り気配りするけれども、自分の症状は全部更年期のせいだと自分を納得させていました。しかし、ちょっと動くと下痢しやすく、横になっていることが多くなり、咳をしていることが気になった夫がこのままじゃいけないと近所の病院に連れて行ってくれました。自分では気付かなかったのですが、不整脈の1つである心房細動が見られ、血圧が測れない状態に。酸素マスクをして、近所の病院から救急車で救急病院へ搬送され、急性心不全との診断がおりました。命に関わる経験をして思ったことその後入院して、カテーテルという細長い器具を心臓内に挿入する検査をおこない、心房細動を引き起こす部分を高周波電流で焼き切るアブレーションという治療をするなど、合計で25日間入院しました。突然命に関わる状態になったことで、驚きのあまり現実なんだろうかと思いましたが、これまでに思い当たる症状がいくつもありました。医師によると横になって眠れないのは、心臓のポンプ機能がうまく働かないと肺の中に水がたまってしまい、溺れているのと同じ状態になるためで、咳もそのせいだったそうです。下痢も心臓のポンプ作用がうまく働かず腸に水がたまったからで、尿量が少ないのも腎臓にうまく血液が運ばれていないからとのこと。全部更年期のせいだと思い込んでいた自分が今思うと怖いです。退院後は、安静にする時間を設けたりして無理をしないように過ごし、通院をして内服薬と定期的な検査のおかげで、3年後にはパートですが仕事に行くことができました。まとめ私は更年期だからと自分の不調に気付かない振りをしていました。その中に大きな病気が隠れているかもしれないと思いながら、こういう状態になるまで放置してしまいました。もし病院に行くのが何日か遅ければ、今この世に存在していない可能性もあります。安易に更年期だからと思わず、定期健診をしっかり受けて自分自身の体と付き合っていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。マンガ/あさり著者/ほのぼの(55歳)41歳のときに初産。見た目若い格好しているつもりだけど子どもといるとおばあさんに間違えられる。50才で閉経。義母と実母の介護を経験。看護師やケアマネのは資格あるものの今後10年のことを考え国家資格をもう一つ取得しようと思ってた矢先に入院。人生100年と思い模索中。
2022年06月18日保育園で恐ろしいプリントが回ってきた。このように切り出し、Twitterで注意を呼び掛けたのは、保育士の、のりせんせい(@Norisensei_)さん。ある日、ほかの園で『急性アルコール中毒』により緊急搬送された子がいることを知らされました。主に大量の飲酒などにより引き起こされる急性アルコール中毒。なぜ幼い子供がかかってしまったのでしょうか。なんと原因は、子供が担任に隠れて消毒用のアルコールスプレーを手に吹きかけ、それを舐めてしまったからだったのです。保育園で恐ろしいプリントが回ってきた。急性アルコール中毒で救急搬送された子がいるって。初めは血液検査しても原因が分からなかったみたい。よく話を聞いたら、担任に隠れてアルコールスプレーを手にふきかけて舐めていたらしい。今の時代だからこそ気を付けなきゃいけない事故だよね。— のりせんせい (@Norisensei_) May 28, 2022 血中アルコール濃度が急上昇して、脳内の神経細胞を麻痺させてしまう急性アルコール中毒。最悪の場合、死亡してしまうケースもある危険な中毒症状です。投稿を見た人からは、事故に驚く声や、「気を付けたい」というコメントが続出しています。・これは怖い。子供の手の届くところに置かないように気を付けないと。・高齢者施設でも起こりうるケースです。「注意しないといけない」と、再認識させられる事例ですね。・怖いですよね…。家庭内でも今一度、アルコールの管理を見直します。新型コロナウイルス感染症の発生以降、感染予防対策として各地にアルコール消毒液が設置されています。店舗などに入る際、消毒をしてから入店することも多いでしょう。今や日常的な行動ともいえるからこそ、思いがけない事故につながらないよう、細心の注意を払いたいですね。[文・構成/grape編集部]
2022年06月10日元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさん(享年52)の元夫で、同局解説委員だった和田圭さんが6月26日に亡くなっていたと発表された。死因は急性心不全。68歳だった。有賀さんは’88年、フジテレビに入社。八木亜希子アナ(56)や河野景子アナ(56)とともに“3人娘”として女子アナブームを牽引した。彼女が’02年に結婚したのが、上司である和田さんだった。2人の間には長女のA子さんが誕生したものの、’06年に離婚。そして有賀さんは’18年1月に急逝。実父によれば、卵巣がんだったという。元夫・和田さんの訃報は3ヵ月もの間、伝えられなかった。『FRIDAYデジタル』によると、フジテレビ広報部は「ご遺族のご意向により、公表を控えさせていただいておりました」と答えたという。「有賀さんが亡くなってから3年ばかり、和田さんは一人娘のA子さんと一緒に暮らしていました。父娘水入らず、幸せそうでした」(和田さんの知人)和田さんに訪れた“最期のとき”。近所の住民はこう語る。「6月のある深夜、和田さんは救急車で運ばれたそうです。てっきり入院されたと思っていたのですが……。あの時、そのまま亡くなったということでしょうか。A子さんは家を出入りしていますが、ここ数ヵ月、住んでいる様子はありません」本誌は和田さんの邸宅を訪ねた。家主のいない夏の間に、庭の草は生い茂り鬱蒼としている。「和田さんがこの家を買ったのは30年ほど前のこと。その後、有賀さんと結婚して一緒に住んで、A子さんが生まれて。近くの人が『和田さん夫婦が赤ちゃんをお風呂に入れている、楽しそうな話し声が外まで聞こえてくるんですよ』と教えてくれたこともありますね。その後、離婚されて有賀さんもA子さんも出ていって、和田さんはまた一人になってしまった。でも有賀さんが亡くなった後、A子さんは戻ってきました。父娘で楽しそうに歩いているのを見かけたこともあります」(前出・住民)■有賀さんの実父が、和田さんにA子さんとの同居を勧めた68歳で逝去した和田さん。「亡くなるにはまだ早い」ともいえるが、そのいっぽう、ある“異変”も起こっていたという。「亡くなる少し前、和田さんが話しかけてくれたんです。自慢したいことがあったみたいですが、ただ言葉がはっきりしなくて聞き取れなくて……。『ご病気なのかな?』と思い、相槌だけ打って聞いている風にしてしまいました。今思えば、申し訳ないことをしました。でも最期はA子さんと一緒に過ごすことができて、和田さんも安息の時間を持てたのではないかと思います」(前出・住民)実は和田さんのもとでA子さんが暮らすようになったのは、有賀さんの実父・洋さんの計らいだったという。有賀さんの一周忌を控えた’19年1月、洋さんは和田さんとA子さんを同居させた理由について「2人は8年ほども会っていませんでしたが、これから何年生きられるかわからない私と暮らすよりかは、和田さんと暮らすほうがA子のためになると思ったのです」と本誌に説明している。さらに当時、洋さんの考えを受け入れた和田さんに「逡巡しながらも承諾してくださったことは、本当にありがたかったです」と感謝の言葉も口にしていた。洋さんは妻に先立たれており、娘の有賀さんも逝ってしまった。それでも取材時、80歳を超えてもなお一人で生活し元気な姿を見せていた。しかし、今は介護施設に入居しているという。「一人の生活が大変とのことで施設に入られました。とはいえお元気そうで、近所で見かけることもあります。洋さんは、和田さんが亡くなったことも知っています」(洋さんの知人)そこで施設のスタッフに取材の意思を伝えると、こう返ってきた。「『孫娘が元気なことだけを頼りにしていますよ』と洋さんは言っています」和田さんと有賀さんも、愛娘の成長を空から笑顔で見守っていることだろう。
2021年09月15日最後まで、スターの姿勢を崩さなかったーー。4月3日、急性心不全のため亡くなった田村正和さん(享年77)。その訃報は、葬儀をすべて終えてから公表され、田村さんの旅立ちは静かなものだった。日本映画界創成期の名優・阪東妻三郎の三男として生まれ、兄弟とともに俳優として活躍した。ダンディーを絵に描いたような人なのに、ドラマ『古畑任三郎』シリーズではちゃめっ気たっぷりな警部補を演じ、10年以上続く大ヒット作に。年を重ねるほどに魅力も増していったが、プライベートは一切公表せず、鉄壁のガードを貫いた。本誌では、田村さんの当たり役だったドラマ『眠狂四郎』の撮影現場に、’72年、’89年と2度にわたり密着。黒のロングコートにスカーフを合わせたおしゃれな私服姿で撮影所に入ってきたり、撮影の合間も物憂げな表情で椅子に座っていたりと、大人の男の色気を感じさせる人だった。【’72年】ドラマ『眠狂四郎』京都ロケ初めて眠狂四郎を演じたのは29歳のとき。当時その美しさが話題に。【’89年】ドラマ『眠狂四郎』撮影密着45歳で2度目の『眠狂四郎』を演じる現場に密着。撮影所へ笑顔で入っていく田村さん。現場にケーキを差し入れるなどの心配りも。【’93年】ドラマ『ローマの休日』イタリアロケあの名作のリメークドラマ撮影のためローマへ。安田成美(54)演じるヒロインとバイクに乗って。田村さんと共演した女優は、こう思い出を振り返る。「一緒に焼き肉屋さんに行っても、私の分ばかり焼いて食べさせてくれて、自分の分は後回し。レディファーストで優しくて、ふだんでも『田村正和』していてカッコよかったです」また、ドラマ関係者は次のように語る。「地方ロケだと、田村さんから『ホテルのカーペットやバスタブを赤にしてほしい』、と要望があったりして、作品はもちろん、現場への気持ちの持っていき方にまでこだわる完璧な人でしたね」俳優の美学を体現したスター・田村正和さんの姿は、私たちの中に輝き続けている。
2021年05月30日俳優の志尊淳(26)が、急性心筋炎のため約3週間休養することが26日、所属事務所・ワタナベエンターテインメントの発表により明らかになった。現在の容体は安定しているという。同社は公式サイトを通じて、「2021年3月23日に体調不良を訴え、かかりつけの医療機関を受診したところ、急性心筋炎と診断を受けました」と明かし、「容体は安定しており、担当医の処置により病状は改善傾向ですが、入院治療のため3週間程度の休養をいただくことをご報告申し上げます」と発表。「完治に向けて今後も医師の指導に従いながら、皆様にまた元気な姿をお見せできるよう、本人の体調を最優先して治療に専念いたします」とし、「関係者の皆様にはご迷惑をおかけいたしますこと、またいつもご支援下さっているファンの皆様には多大なるご心配をおかけいたしますこと、心よりお詫び申し上げます。今後とも志尊淳への変わらぬご声援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」と記した。また、マスコミに向けては「休養期間中は医療機関、親族、自宅周辺への取材は御遠慮いただき、温かく見守って下さいますよう何卒ご理解の程よろしくお願いいたします」と呼びかけている。
2021年03月26日生理が不順になり、そろそろ更年期だなと思ってくると、いろいろな症状を更年期だからと思うことに慣れてしまっていました。そのため不眠、下痢、1回当たりの尿量がたらっと出るぐらいでトイレが近いなど、あとから思えば更年期以外の理由も考えられる症状を見逃してしまいました。そしてある日、急性心不全と診断されてしまったのです。育児と介護で自分のことを考える時間がない結婚と同時に、ほぼ寝た切りの義母の介護が始まりました。介護は覚悟していましたが、41歳という年齢的に子どもはできないと思っていたのに突然の妊娠。ありがたいことですが、人生設計の立て直しを余儀なくされました。義母の介護をしながら仕事に行っていたら切迫流産になり、安静が必要になりました。その後、無事出産。仕事は出産のタイミングで退職したものの、40代での育児は大変でした。出産して4、5年たったころから、ひとり暮らしをしていた足の悪い実母に認知症の症状が現れて実母の介護も加わり、自分のことなど考える暇がありませんでした。更年期症状と思っていたら急性心不全だった50歳で閉経を迎え、不眠、下痢、トイレが近いなどの症状が見られるようになりました。子どものことや義母と実母のことなど自分以外の人に対しては、目配り気配りするけれども、自分の症状は全部更年期のせいだと自分を納得させていました。しかし、ちょっと動くと下痢しやすく、横になっていることが多くなり、咳をしていることが気になった夫がこのままじゃいけないと近所の病院に連れて行ってくれました。自分では気付かなかったのですが、不整脈の1つである心房細動が見られ、血圧が測れない状態に。酸素マスクをして、近所の病院から救急車で救急病院へ搬送され、急性心不全との診断がおりました。命に関わる経験をして思ったことその後入院して、カテーテルという細長い器具を心臓内に挿入する検査をおこない、心房細動を引き起こす部分を高周波電流で焼き切るアブレーションという治療をするなど、合計で25日間入院しました。突然命に関わる状態になったことで、驚きのあまり現実なんだろうかと思いましたが、これまでに思い当たる症状がいくつもありました。医師によると横になって眠れないのは、心臓のポンプ機能がうまく働かないと肺の中に水がたまってしまい、溺れているのと同じ状態になるためで、咳もそのせいだったそうです。下痢も心臓のポンプ作用がうまく働かず腸に水がたまったからで、尿量が少ないのも腎臓にうまく血液が運ばれていないからとのこと。全部更年期のせいだと思い込んでいた自分が今思うと怖いです。退院後は、安静にする時間を設けたりして無理をしないように過ごし、通院をして内服薬と定期的な検査のおかげで、3年後にはパートですが仕事に行くことができました。まとめ私は更年期だからと自分の不調に気付かない振りをしていました。そのなかに大きな病気が隠れているかもしれないと思いながら、こういう状態になるまで放置してしまいました。もし病院に行くのが何日か遅ければ、今この世に存在していない可能性もあります。安易に更年期だからと思わず、定期健診をしっかり受けて自分自身の体と付き合っていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2020年12月20日東映会長の岡田裕介(本名:岡田剛=おかだつよし)さんが、18日22時58分に急性大動脈解離により都内の病院で亡くなったことが20日、同社の発表により分かった。71歳だった。通夜・告別式は、近親者のみで執り行い、お別れ会は後日開催される予定。岡田さんは、1970年に映画『赤頭巾ちゃん気をつけて』で俳優デビュー。その後、『実録三億円事件 時効』(75)、『吶喊』(76)、『火宅の人』(86)などに出演し、プロデューサー業でも手腕を発揮しながら、1988年に東映に入社。東京撮影所長兼第一企画部長を経て、2002年に代表取締役社長に就任。2014年からは東映グループ会長を務めていた。
2020年11月20日タレントで俳優の岸部四郎さんが亡くなっていたと9月15日に発表された。71歳だった。各メディアによると、死因は拡張型心筋症による急性心不全だという。岸部さんは沢田研二(72)がボーカルを務めるバンド「ザ・タイガース」にギタリストとして参加。78年のドラマ「西遊記」(日本テレビ系)での沙悟浄役など俳優としても活躍し、84年からは朝のワイドショー「ルックルックこんにちは」(同局系)の司会になった。しかし活躍が続くなか、一転する。「『ルックルック』に出演していたころの岸部さんは日本で一番高い家賃として話題になった高層マンションに住み、愛車はベンツ。年収2億円ともいわれていました。しかし、98年に借金が膨らんで自己破産。負債額は4億2000万。一時は電気やガス、水道も止められたそうです」(スポーツ紙記者)13年も続いた「ルックルック」を降板し、所属事務所も解雇された岸部さん。のちに仕事面では挽回し始めたが、その矢先の03年に脳溢血に。そして後遺症の残る身体となった。そんな岸部さんのことを支えたのは、94年に結婚した14歳年下の妻・小緒理さんだった。岸部さんのマネジメントも引き受け、まさに公私ともにパートナーだった小緒理さん。しかし07年4月、43回目の誕生日を目前に心不全で急死した。07年6月、本誌で13年間の夫婦生活を回想した岸部さん。小緒理さんはマネージャーでありスタイリスト、運転手でもあったと告白。その苦労についてこう語っている。「食事の管理から栄養、糖尿にならないようにとか、彼女は熱心でしたね。特別のおにぎりを作って楽屋弁当とかいっさい食べさせない」「本番中は、ずっとスタジオのかたわらで僕の様子を見ているんです。僕が、具合が悪くなったら、ちょっと手を挙げることになっていたんです」「彼女はずっと休まらない。『あなたに付くというのは大変なのよ。普通の人ではできない』って、言ってました」そのため「僕が幸せにできなかったというのは、ものすごく悪い気がしてきてね。そういう思いばっかりなんですよ。嫌な思いをさんざんさせて……」と悔やんだ。08年2月にも再び本誌に登場した岸部さんだったが、傷心のさなかだった。小緒理さんの笑っている写真に話しかける日々だといい、「情けない話だけど、いまのぼくには仏壇を買うお金がないんですよ」と話してくれた。そして、こんな懺悔の言葉を口にしていた。「(「ルックルック」の司会を務めていたころに)きちんと蓄えとけば、こんなことにはならなかった。女房に苦労をかけることもなかったと、いまさら後悔しても遅いんだけど……」08年4月、小緒理さんの一周忌を迎えた。当時の岸部さんは仕事の激減ぶりをつづるなど、その自虐的なブログが話題に。そうしてバラエティ番組を中心に声がかかるようになっていた。その1カ月後。岸部さんは本誌インタビューで仕事が忙しくなってきた半面、小緒理さんの遺影に向かって「逝くのが早すぎたよ」と“文句”を言っていると語った。さらに、こんな展望も明かしていた。「僕がやらなきゃいけないのは、女房のお墓を建てることですよ。岸部家のお墓の敷地内に、僕が死んだら、女房と並んで入れてもらえるようなお墓をなんとか今年中に建てたいと思っています。早くお墓を建ててあげないと、女房がかわいそうやからね」13年12月に行われたザ・タイガースの再結成ライブが最後の公の場となった岸部さん。15年8月には「週刊女性」で、老人ホーム生活を送りリハビリに励んでいるとも報じていた。71年にわたる波乱万丈な生涯を終えたいま、天国で小緒理さんとの再会を喜んでいることだろう。
2020年09月16日元気に見える人を襲う「急性心臓死」。手遅れになる前に、予兆に気づけば一命をとりとめることができる。そうなる前の、日ごろからの予防も大事になるが……。「現代は飽食の時代ですから、昭和のころに比べて、肥満や高血圧、糖尿病の女性は増えています。とくに女性ホルモンの分泌が低下する50代以上は動脈硬化が進みやすいので、心不全による突然死、『急性心臓死』に注意が必要です」そう話すのは、心臓血管研究所所長で医学博士の山下武志さん。急性心臓死とはどんなものなのか。山下医師はこう語る。「症状が出てから24時間以内に亡くなることを突然死と言いますが、病院に着いたときには、だいたい亡くなっています。診たところ、くも膜下出血などの脳の病気ではないので、原因は心臓にあると判断することが多いのです。そんな急性心臓死につながる不全の原因は、不整脈や弁膜症、狭心症などいろいろ。なかでも、50代以上で多いのは心筋梗塞です」心筋梗塞は、初期の段階で心臓の冠動脈が詰まったり硬くなったりして、心臓のポンプ機能が低下する。そうすると必要な酸素や血液が心臓の筋肉に送られにくくなり、心筋の一部が壊死して発症する。「水道管が少しずつ錆びついていくように、動脈硬化も加齢とともに20~30年かけて徐々に進行していきます。しかし、目立った症状がないことも多く、気づきにくいのです」怖いのは心筋梗塞のリスクが高まっていても、自覚しにくいことだ。そのなかでもわかりやすい予兆を、山下医師が教えてくれた。「心筋梗塞を起こす直前の心臓は、だんだんパワーが落ちてくるんです。そうすると息切れしやすい、歩くスピードが落ちてきた、などの症状が出てきます。これは、心臓の冠動脈が詰まって、十分に酸素や血液が送り込まれなくなっているからですが、『年をとったからだろう』と気に留めない人が多い」さらに心臓の動脈硬化が進むと、血流が悪くなることでむくみを生じたりして、横になるだけで息苦しさを感じたりするようになったりする。尿が出にくくなることもあるという。50代以上で、次のチェックリストにあげたような症状が1つでも当てはまる人は病院で検査を。【1】今まで平気だった階段や坂などを上るときに胸が苦しくなる【2】風邪でもないのに、歩く速度が遅くなった【3】アルコールを飲むと胸が苦しくなることがある【4】足のむくみがある【5】尿がでにくくなった【6】横になると息苦しい【7】これまで感じたことのないような肩の痛みがある【8】押されるような胸の痛み【9】虫歯でもないのに歯に(浮くような)激痛がある【7】~【9】は心筋梗塞の初期症状の可能性もあるので、とくに要注意。「もし、これまで感じたことがないような激しい肩の痛みや、歯や顎が浮くような強い痛みなどがある場合は、すでに心筋梗塞になっている可能性が高い。すぐに病院へ」心筋梗塞を予防する方法はないのだろうか。「心筋梗塞になるリスクが高い人は、心臓の動脈硬化を促進する肥満、高血圧、糖尿病、高コレステロールなどがある人です。こうした要因が1つでも当てはまれば、動脈硬化は進行していきます」このほか、遺伝的な要素も関係しているという。「両親のいずれかが心疾患だったり、それが原因でなくなったりしている人は注意が必要です」大事に至らないためには、日々の暮らしで次のようなことを心がけるとよいそう。「太っている人は体重を減らす。ちょっと息が切れるくらいの運動を週に3回はして、しっかり睡眠をとる。食事は塩分を控えて、お酒は適量に」山下医師は、予防として必ず実践してほしいのが、体重と血圧の管理だという。「毎日測っていれば変化がわかります。ちょっと体重が増えたとしても、次の日に食べる量を減らせば、すぐに元に戻せます。血圧が高めの人は、血圧計を手に入れて1日1回でも、時間帯を決めて自宅で血圧を測定して記録すること。『最近、血圧や脈拍が上がってきたな』と思ったら、その記録を持って医師に相談しましょう」これくらいならいいかと、放置しておかないことが大事だ。「毎年、せっかく健康診断を受けても〈血圧が高めだけど、まだ大丈夫だろう〉〈ちょっと太ったけど、まあいいか〉などと言って、生活習慣を変えようとしない人が多い。これが積み重なると、動脈硬化で心臓が弱っていき、突然死を招きかねません」いつ襲ってくるかわからない心疾患による突然死。手遅れになる前に、ライフスタイルを見直すことから始めよう。「女性自身」2019年12月24日号 掲載
2019年12月16日6月11日、歌手の松山千春(63)が急性喉頭炎の悪化によりグランドキューブ大阪メインホール(大阪府)で予定していたコンサートを中止。所属レコード会社がその旨を発表したことを複数メディアが報じている。前日10日の大阪公演は無事終えた松山だが、その後に悪化の症状がみられ、プロダクションおよび主催者の判断で11日の公演中止を決めたようだ。また松山は、6日にも急性喉頭炎の発症により、いわき芸術文化交流館(福島県)での公演を中止していたという。これを受け、ファンからは「初めてチケット取ったのに。残念」「楽しみにしていたのだけど、こればっかりは仕方ない」と公演中止を残念がる声が上がるいっぽう、「1日も早い回復を祈っています」「本当に心配…」「ゆっくり治して戻ってきてください」と松山の体を心配し回復を願う温かい声も多数集まった。「松山千春コンサートツアー2019」は6月17、18日の名古屋国際会議場(愛知県)と6月26、27日の札幌市民ホール(北海道)での4公演を残している。
2019年06月11日バンド・ヒトリエのメンバーであり、ボカロPとしても活躍したwowakaさんが4月5日急性心不全のため亡くなったと発表された。31歳だった。その早すぎる死を、米津玄師(28)も無言で報告した。ヒトリエの公式サイトはwowakaさんの死を伝え、「これまでwowaka、ヒトリエを応援してくださった方々に深く感謝申し上げます」とつづった。またwowakaさんが亡くなったことにより、現在発表しているヒトリエの全国ツアーの中止を発表。「バンドの今後の活動については現在未定ですが、イガラシ、シノダ、ゆーまおの各メンバーは、これからも音楽活動を続けてまいります」と明かした。米津は同日Twitterで、ヒトリエの公式アカウントによるwowakaさんの訃報をリツイート。言葉もなく報告する米津に、《米津さんのリツがつらいよね。今日はwowakaさんの曲を聴く》《米津さんは、わたしがwowakaさんを知るずっと前からwowakaさんのことを知っていて友人でもあり尊敬していたのだからその辛さは相当なものだと思う》と慮る声が上がった。米津とwowakaさんはかねてから親交があり、SNSでツーショット写真をアップするなどたびたび仲睦まじい様子をファンに報告していた。「米津さんとwowakaさんはボーカロイドを使って曲を作り始めた時期や、自身で歌い始めた時期が近かったのでお互いに“縁”を感じていたそうです。米津さんは楽曲制作の面でwowakaさんからの影響を大きく受けたそうで、『最大級の敬意を感じてる』と語っていたほど。さらにwowakaさんの楽曲『ワールズエンド・ダンスホール』について『引っくり返るぐらいの衝撃を受けた』と絶賛していました。ボカロが今ほど浸透していないころから、2人はともに切磋琢磨してきました。互いを戦友として、よきライバルとして認め合っていたのです」(音楽関係者)米津の心痛は計り知れない。
2019年04月08日お笑いコンビ・東京ダイナマイトのハチミツ二郎(43)が、急性心不全と肺炎のため、16日に大阪市内の病院に入院したことが17日、明らかになった。入院期間は約1週間から2週間の予定。当面の仕事、復帰時期に関しては医師の診断、関係各位と相談の上で調整するという。所属事務所によると、ハチミツは16日、大阪・なんばグランド花月の3回目の公演出演後に体調不良を訴えて入院。数日前からの高熱が原因で肺炎を発症し、心臓に負荷がかかって肺に水が溜まり、急性心不全と呼吸不全を引き起こしたという。ハチミツは自身のツイッターでも「昨日40度の高熱で三日間仕事してたら肺炎→急性心不全に。NGKからタクシーでひとりで病院へ。救急治療室で、死ぬかもしれないと東京から家族とマネージャーも呼ばれましたが、嫁と子供が着いた頃には奇跡的に正常値近くまで戻ってました。NGKから病院行かずに新幹線に乗ってたら死んでたそうです」と報告。「救急治療室では体内酸素数が67でした。通常は95~97、90を切ると重症。67とゆうのは水の中で溺れてるくらいの酸素量。その状態でひとりで病院へなんとか駆け込む。NGKが最期で死ぬんならいいかな?と思ったけど、娘の顔を思い浮かべたら器械を付けてもなかなか上がらなかった数値が95まで上がった」と緊迫した状況を伝え、ファンからは心配と回復を願う声が寄せられている。
2018年07月18日急性心不全のために亡くなった西城秀樹さん(享年63)の楽曲が、5月28日付オリコン週間デジタルシングルランキングで急上昇したと23日にわかった。 最上位は、「ブルースカイブルー」の8位。他にも「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が21位に「ターンAターン」が47位と合計5曲がTOP100入りしている。 また音楽配信サイト・iTunesのシングルランキングでもTOP100中、西城さんの楽曲が6曲ランクイン。オリコン同様、「ブルースカイブルー」が最上位で16位を記録している。 「ブルースカイブルー」は78年8月にリリースされた、西城さんにとって26枚目のシングル。作詞を阿久悠さん(享年70)が、作曲を馬飼野康二(70)が務めるという“黄金コンビ”による楽曲。同楽曲により、「第20回日本レコード大賞」の金賞を受賞している。 ネットでは「ブルースカイブルー」を絶賛する声が上がっている。 《YMCAよりも『ブルースカイブルー』が好き。秀樹の伸びきった歌声、素晴らしいです》《この曲の時の秀樹さんは20代前半でしたよね?あれだけの声量で歌い上げる歌唱力は、今聴いても鳥肌がたちます》《やっぱりブルースカイブルーなんだ。西城秀樹の本当の歌唱力を堪能するのにこれ以上の曲はないと思うので、納得》 また改めて西城さんの歌声を讃える声も。 《西城秀樹さんの曲を何曲かダウンロードした。今は寂しい気持ちで切なくなるけど、歌を聴いてると元気になる曲ばかり》《子供の時、毎日当たり前の様にTVで聴いていた秀樹の歌。大人になり、そして秀樹が亡くなった今、また改めて素晴らしい曲の数々に驚いています》《秀樹の歌唱は誰にもマネ出来ない 西城秀樹は唯一無二の存在 やっぱ天才だよ これからも聴き続けるよ ありがとう秀樹さん》 WOWWOWプラスは27日、歌謡ポップスチャンネルで西城さんが過去出演した番組を追悼特集として放送すると発表。NHKで77年に放送された「ビッグショー西城秀樹」や82年の「レッツゴーヤング」(NHK総合)などを放送するという。
2018年05月23日5月16日に急性心不全で永眠した歌手・西城秀樹さん(享年63)は、最期まで歌への情熱を失わなかった。 彼が知人に紹介され東京・台東区にあるリハビリ施設『ジェイアール ワークアウト』を訪れたのは、還暦ライブで話題になった直後の’15年5月ごろだったという。院長を務める大明龍八さんは言う。 「秀樹さんは、『身体のしびれがひどくて、夜も眠れない』と訴えていました。うちのメニューは、本当にハードです。特に足を地上から離して身体を宙に浮かせた状態にする『空中トレーニング』というプログラムもあるのですが、秀樹さんは苦しさのあまり、悲鳴やうめき声を上げることもありました。しかし半年ほどたって、めまいやしびれが緩和してくると、ここのトレーニングに夢中になってくれるようになりました」 横浜市の自宅から施設までは1時間半もかかる。だが西城さんは、週に4~5日も通い続けたのだ。 「リハビリの時間は決まっていて、午後2時から5時までの3時間です。マネージャーさんが付き添うこともあれば、ご家族がいっしょに来ることもありました。特に今年に入ってからは、ご家族がいっしょのことが増えましたね。奥さんが来ると秀樹さんはいつもより頑張る、お子さんがいっしょだと、もっともっと頑張る(笑)。だから、私たちもご家族には『ぜひいっしょにいらしてください』と、お願いしていたのです」 西城さんがリハビリに励んでいるときは、妻の美紀さん(45)は自分もストレッチをしてみたり、夫を応援したりしていたという。 「『パパ、もうちょっと!』とか、『頑張れ!頑張れ!』って。お嬢さんは秀樹さんに似た美人で、ものすごく性格が明るい。ここでダンスをしていることもありました。将来の夢はダンサーだそうです。秀樹さんが、よく話していたのは家族のこと、そして歌のことです。『私が仕事をしないと、子供たちの将来が心配だ』と言っていたこともありました。また『傷だらけのローラ』を全部振り付きで歌うことも目標にしていました」 西城さんは倒れた4月25日も、夕方までこの施設でリハビリに励んでいたという。
2018年05月23日5月16日に西城秀樹さん(享年63)が急性心不全で亡くなったことを受けて、翌17日に西城さんの自宅へと弔問した小川知子(69)。西城さんとの“対面”を果たした後、取材陣からコメントを求められた。 西城さんとは家族ぐるみの付き合いだったという小川。関係者に支えられ大粒の涙を溜めながらも、美紀夫人から託されたメッセージがあると明かした。そして、美紀夫人の“胸中”をこう代読した。 「倒れて入院してから2、3週間、毎日病院で看病できたことがすごく幸せだった。子供たちも最期に立ち会えたことが良かったと思います。(亡くなった実感がなく)まだ夢のようです」 西城さんは01年5月、当時会社員だった18歳年下の美紀さんと結婚。1女2男に恵まれた。2度の脳梗塞で身体には麻痺が残ったが、西城さんは「(子供たちを)追っかけていけるように、走れるようになりたい」と話していたという。 小川は西城さん夫婦の闘病と看護の日々を回想し、こらえきれず涙。言葉に詰まりながらも「愛してるよ……。かっこいいよ、秀樹。あの世でもモテるだろうから気をつけなさい」と空を仰いだ。 ネットでは小川の回想を受け、美紀さんの家族愛に感動する声があふれている。 《結婚生活の大半が看病と介護だったでしょうに、最期の時を幸せ、と言える奥様は素晴らしいと思います》《3人の子宝にも恵まれて、年齢の近い子供3人の育児と秀樹さんのお世話を最後まで両立されるなんて、すごく立派だと思う》《秀樹さんも家族を愛していたから辛いリハビリに耐えて、ありのままの姿を見せてきたんだろうなぁ》
2018年05月18日西城秀樹さんが急性心不全のため63歳で死去していたことが5月17日、明らかになった。親交のあった著名人らは続々と追悼のコメントを発表。各スポーツ紙やワイドショーは大々的に訃報を報じ、故人を偲んだ。 そんな西城さんの代名詞とも言える曲といえば、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」。一昨年には「ワイモバイル」のCM曲としても使用され、お茶の間にも改めて浸透していた。 「78年に渡米した西城さんは現地で人気ディスコミュージック・グループのヴィレッジ・ピープルの『Y.M.C.A.』を気に入り、カバーを決意。歌謡曲風にアレンジしました。『Y』『M』『C』『A』の4文字を全身で表現するダンスで、観客参加型のパフォーマンスがブームとなる要因となりました」(ベテラン芸能記者) そんな同曲だが、今後も多くの歌手たちによって歌い継がれていくことになりそうだ。実際、すでにカバーもされているという。 「名古屋が拠点のグループ・BOYS AND MEN(以下ボイメン)は、16年発売のアルバム『威風堂々~B.M.C.A.~』に収録。タイトルは『ヤングマン~B.M.C.A.~』で、ボイメンのテーマ曲的なアレンジになっています。またGENERATIONS from EXILE TRIBEは、17年発売のアルバム『涙を流せないピエロは太陽も月もない空を見上げた』に収録。キレキレのダンスを披露し、MV動画が公開されるや大人気でした」(レコード会社関係者) 西城さんが天国へと旅立った後も、名曲はファンに届き続ける――。
2018年05月18日5月17日に西城秀樹さん(享年63)が急性心不全で亡くなったとの報道を受け、西城さんと同じく“新御三家”として活躍した郷ひろみ(62)と野口五郎(62)らがコメントを発表した。 郷は“新御三家”の関係性について「長男は五郎、次男は秀樹、末っ子が僕でした」とコメント。「秀樹が先に逝ってしまったこと、とても悲しい気持ちでいっぱいです」と心境を明かし、こう思い出を回想した。 「デビュー当時、右も左も分からなかったぼくに『ひろみ、何か分からないことがあったら、俺に聞いてくれる?』と親身になってくれたこと、一生忘れません。心からお悔やみ申し上げます」 いっぽう野口はショックのあまり、直接対応することは難しい状態だという。事務所を通じ、「あまりにも突然で今は言葉が見つかりません。気持ちの整理がつくまで、少し時間を下さい。申し訳ございません」と動揺がうかがえるコメントを発表した。 野口は西城さんが15年に行った還暦コンサートにサプライズで登場し、ケーキをプレゼント。熱い抱擁を交わし、「何か一緒にやろう」と約束をしていた。 ネットでは西城さんの訃報を受け、“新御三家”についてのコメントが溢れている。 《御三家にとっては心をもがれる思いでしょうね……何時もライバルとして歌を競い合って来たのだから》《この3人は同い年でコントや歌を一緒にやることも多かったので、同志との思いが強く、ひろみさんと五郎さんの悲しみは尽きないと思う》《新御三家の三人が同じ舞台に立っている姿をもう一度見たかったなぁ》
2018年05月17日