2011年3月11日に起きた『東日本大震災』。多くの尊い命が奪われ、各地に甚大な被害をもたらしました。震災から11年が経った、2022年3月11日に、有働由美子アナウンサーがInstagramを更新。有働アナウンサーといえば、Instagramで『うどばあちゃん』という独自のキャラクターを使い、さまざまな情報を発信しています。緊急事態宣言の一部解除に有働由美子アナ「違いが出る時には…」続く言葉に、絶賛の声有働アナウンサーは、岩手県の鵜住居(うのすまい)町にある民宿を訪れたことを明かしました。震災時の津波で娘さんを亡くした、前川さんという被災者が営む民宿で、おいしい魚をたくさん食べてきたという有働さん。そこで、被災者と交わした会話を振り返りました。 この投稿をInstagramで見る 有働由美子(@udoyumiko)がシェアした投稿 その鵜住居で、今日青色と黄色の風船があがる。「ウクライナの人たちを励ましてぇ」という想いだ。前川さんがいうんだ。おらたちは人間の手でどうにもなんねぇ津波で亡くしちまったのに。11年経ってもさ、こんなに悔しくてつれぇのに、ウクライナの人たちの気持ち考えっと、かわいそうでなんねえ。すごく心が痛む、って。できることはなんでもしてあげてぇって。udoyumikoーより引用有働アナウンサーが訪れた鵜住居町では、3月11日に青色と黄色の風船が上がったのだそうです。黄色と青色といえば、ウクライナの国旗。同月12日現在、ロシアから侵攻を受けているウクライナの情勢が、連日のように報道されています。有働アナウンサーは、訪れた被災地で、多くの犠牲者のことを想って心を痛める被災者の姿を目の当たりにしたのです。動画とともに、有働アナウンサーは「傷みを知っている人たちが、誰より一番、今痛んでいる人たちを想っている。それを感じた11年目の現地でした」と、つづっています。【ネットの声】・うどばあちゃんの声を聞いたら、涙が止まらなくなった。・被災地の人が、ウクライナを想う気持ちに感動した。想いが届いてほしい。・有働さん、ありがとうございます。1日でも早く世界に平和が戻りますように。・震災から11年が経っても、まだ痛みは消えません。今はニュースを見るたびに、心が締め付けられます。災害や戦争は、私たちの日常や大切なものを奪い去ります。痛ましい現状から目を背けず、「自分たちに今できることは何か」を考えさせられますね。[文・構成/grape編集部]
2022年03月12日東日本大震災から11年が経ちました。東日本大震災をきっかけに、季節の変わり目である3月、6月、9月、12月の1日は、“防災品点検の日”とされています。非常食などの点検は行っていても、“生理用品の防災点検”は、意識していない人がいるかもしれません。しかし、月経中に災害が起きてしまったら、生理用品が無いと困ってしまいますよね。そこで今回は整理収納アドバイザーの筆者が、災害に備えて用意しておくべき生理用品&便利アイテムをご紹介します。1.生理用品も1か月分多く用意しよう!災害が起こると、不安やストレスなども影響し、月経がきてしまうこともあります。突然、月経が来ても安心なように、日常使い分に加え少なくとも1か月分は生理用品をストックしておくといいでしょう。ストックする場所は、普段、生理用品を収納しているスペースでOK。生理用品メーカーが定める消費期限は、未開封で3年程度であることが多いですが、非常用バッグに入れっぱなしにすると、テープの劣化や変色、ニオイの付着など、いつのまにか品質が悪化しているケースもあるため、普段から使う収納スペースの方がベター。普段使いと非常用ストックを分けず、一緒に管理しておくことで、常に新しい生理用品が準備できます。わざわざ「防災用に揃えなくては」と思わなくても自然に備えられる点もいいでしょう。筆者の場合は、中学生の娘がいるので、常に2人分の量をストックしています。1か月分の目安は、昼用22枚×1.5袋(33枚)+多い日用16枚+夜用11枚=60枚分。3種類をそれぞれ1袋ずつ、必ず置いています。女性1人の場合は、半分の約30枚が最低限の数と考えて、普段使用しているサイズ別にそれぞれ揃えておくと安心です。2.生理用品のニオイが気にならない捨て方は?災害発生後、避難所でしばらく過ごす場合、生理用品の捨て方も悩んでしまいますよね。筆者宅では、使用済みナプキンが溜まったら袋ごと処分できる、使い捨てのサニタリーチャック袋を使用しています。真っ白で目立ちにくく、中身がまったく見えません。しっかりチャックが閉まるので、ニオイも気にならないですよ。避難所で使用済みナプキンが捨てにくい場合も、サニタリーチャック袋に入れれば、周りの目を気にせずに捨てやすくなるはず。おむつ用防臭袋も、同じように活用できます。白だけでなく、黒や柄付きなどバリエーションも豊富。口元を数回ねじってしっかり結べばニオイが気にならず、とてもコンパクトに捨てられます。また、防臭袋は、生ごみを捨てる際にも大活躍!災害時、生ごみをしばらく家に置いておかなくてはならないときなど、防臭袋に入れておけば嫌なニオイとともに、コバエの発生も抑えてくれます。一箱持っていると、とても便利なのでおすすめです。3.非常用に予備の下着も用意しておこう災害時には、下着の交換が思うようにできないかもしれないので、予備の下着も必ず用意しておきましょう。筆者も、家族分の下着を上下1セットずつ、非常用バッグに入れています。避難所で洗濯して干すことを考えると、レースが付いていないスポーツタイプのようなシンプルなデザインのショーツがおすすめです。生理で下着が汚れても目立たないよう、黒や紺色など濃い色を選ぶとよいでしょう。水道が止まって、ショーツをこまめに洗濯できない場合に備え、おりもの専用シートであるパンティライナーも用意しておくと安心です。肌にやさしいコットンタイプを選べば、通気性がよく下着と同じように使用できるはず。下着の汚れを少なくしてくれる上にニオイも抑えてくれるなど、不快感を軽減できますよ。4.月経が辛いときに活躍するグッズも月経中のツラさを和らげられるよう、月経痛の薬やお腹周りを温めるグッズもあると安心ですよね。鎮痛剤やホッカイロ、腹巻を用意しておくといいかもしれません。災害時に入浴できなくなる場合には、デリケートゾーン用ウェットシートを使って、デリケートな部分を清潔に保つのも手です。デリケートゾーン用と赤ちゃん用のウェットシートについて、メーカーによってはほとんど似たような成分を使っているので、赤ちゃん用でも代用できそうです。デリケートゾーン用は、かわいらしいデザインやフローラル系の香り付きのものがあります。携帯しやすいサイズで、使用後はトイレに流せて普段使いしやすく便利。どちらもデリケートな肌にやさしいウェットシートなので、お好みに合わせて用意しておくといいですね。防災用品の備えは、日ごろから使っているものと一緒に約1か月分のストックを意識しましょう。ローリングストックを心掛ければ、思ったよりも難しいことではありません。災害時に急に月経がきても安心して対応できるよう、生理用品のストックだけでなく、ショーツや防臭袋、薬やホッカイロなども備えられると安心です。いつも使い慣れているものを使用することで、災害で不安なときでも、ストレスを軽減し快適に過ごせるかもしれません。ぜひ、参考にしてみてくださいね。みやがわのぞみシンプル志向の整理収納アドバイザー・ライター。「暮らしもこころもかろやかに」をテーマに、ものとじぶんとゆっくり向き合える、続けやすい暮らしのちいさな仕組みを提案しています。Instagram@non.karoyakani文/みやがわのぞみ
2022年03月11日東日本大震災からもうすぐ11年が経ちます。公益社団法人Civic Force(東京都渋谷区、根木佳織代表理事)は、本日3月4日、東北の被災地で復興支援活動に尽力する有志団体と連携し、被災地で実施される11年目の追悼行事を支えるクラウドファンディングを開始しました。▼東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」目標金額 1,000,000円 東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」 - クラウドファンディング READYFOR : 追悼行事の継続を支えるクラウドファンディングについて3月11日14時46分。今年も3月11日の地震が発生した時刻に、東北沿岸の各地で追悼の祈りが捧げられます。犠牲者を悼む追悼式典の多くは、国や被災自治体によって運営されてきましたが、10年の節目を機に政府主催の追悼式は終了し、新型コロナウイルス感染症の影響も相まって開催を取りやめる自治体も出てきています。新型コロナウイルス感染症の影響で東北の地域経済が低迷する中、なんとか今年の追悼行事を存続させて来年につなげていくために、Civic Forceは東北の有志団体が実施する追悼の祈りの行事を支えるために、READYFORにてクラウドファンディングを開始しました。ご寄付は、コロナ禍での感染対策にかかる経費やオンライン配信のための運営費など、11年目の「追悼の祈り」を存続させ、次の10年につなげるために活用させていただきます。拡散のご協力をお願いします。<概要>・タイトル「東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」」・URL: ・目標金額:100万円・募集期間:2022年3月4日(金)~3月31日(木)・資金使途:東北各地で実施される追悼イベントの会場費や通信費、コロナ禍での開催にかかる経費や運営費などもサポートします。・形式:通常型 / All-in形式 ※目標金額の達成の有無に関わらず、集まった支援金を受け取ることができる形式クラウドファンディング立ち上げの背景について2011年3月に緊急支援活動を開始して以降、東北での被災地支援活動を続けてきたCivic Forceは、現在、独自の復興支援プログラム「NPOパートナー協働事業」を通じて、地域の復興の動きを後押ししています。2021年からは、新型コロナウイルス感染症の影響で、存続が危ぶまれていた団体の追悼行事の開催をサポートしてきました。Civic Forceが支援する有志団体主催の追悼行事は、これまで地元企業からの寄付や外からのボランティアのサポートによって成り立っていましたが、2020年以降コロナ禍で地域経済が低迷し、また感染拡大を防ぐために、地元企業や県外のボランティアに頼りづらい状況が生まれています。また震災から10年が過ぎ、国や行政、企業などからの助成金がなくなり、追悼行事を続けていくための資金調達や人手不足が大きな課題となっています。他方、これからは誰かに頼るばかりでなく、地域の人が自分たちで祈りの形を考え、次世代へとバトンをつないでいこうという機運が生まれています。当日打ち上げる花火や風船、灯すあかりには、犠牲者への思いや防災の大切さ、そして真の復興に向けたメッセージなどが書かれます。2022年3月、地域の有志によって続く「追悼」の時間を守るために、以下の2団体ほか東北被災地で追悼行事を実施する団体をサポートします。11年目の「追悼」の時間は、犠牲者を悼むだけでなく、あの日の記憶を振り返り教訓を後世に伝えていくための「伝承」の取り組みでもあります。2021 3.11 祈りの花火白菊 希望未来大切な人を想う日に : 閖上の記憶 : 【公益社団法人Civic Forceについて】国内外の大規模災害時に企業、NPO、行政などが対等なパートナーシップのもとに協働し、迅速で効果的な支援を行うための連携組織です。発災直後から復旧・復興まで、個々の強みを最大限に生かすことで、被災地のニーズに即した支援を目指している。被災地と被災地をつないで教訓を共有することで、災害に強い地域づくりのサポートも続けている。2019年からは空飛ぶ捜索医療団ARROWSに参画し、捜索救助や救急医療、空からの支援体制の強化をはかっています。<緊急支援実績>・2011年3月:東日本大震災支援・2012年7月:九州北部豪雨支援・2014年8月:広島土砂災害支援・2015年9月:関東大雨災害支援・2016年4月:熊本地震支援・2017年7月:九州北部豪雨支援・2018年7月:西日本豪雨支援、9月:北海道胆振東部地震支援・2019年10月:台風19号支援(継続中)・2020年7月:九州豪雨支援(継続中)・2021年1月:新型コロナウイルス緊急支援(継続中)、7-8月:熱海・佐賀豪雨支援(継続中)【問い合わせ先】公益社団法人 Civic Force代表理事 根木佳織本部事務所〒151-0063東京都渋谷区富ヶ谷2-41-12富ヶ谷小川ビル2階TEL:03-5790-9366FAX: 03-5790-9368佐賀事務所〒840-0831佐賀県佐賀市松原1-3-5 まるなかビル6階TEL:0952-20-2900FAX:0952-20-1608URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月04日東日本大震災からもうすぐ11年が経ちます。公益社団法人Civic Force(東京都渋谷区、根木佳織代表理事)は、本日3月4日、東北の被災地で復興支援活動に尽力する有志団体と連携し、被災地で実際される11年目の追悼行事を支えるクラウドファンディングを開始しました。▼東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」目標金額 1,000,000円 東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」 - クラウドファンディング READYFOR : 追悼行事の継続を支えるクラウドファンディングについて3月11日14時46分。今年も3月11日の地震が発生した時刻に、東北沿岸の各地で追悼の祈りが捧げられます。犠牲者を悼む追悼式典の多くは、国や被災自治体によって運営されてきましたが、10年の節目を機に政府主催の追悼式は終了し、新型コロナウイルス感染症の影響も相まって開催を取りやめる自治体も出てきています。新型コロナウイルス感染症の影響で東北の地域経済が低迷する中、なんとか今年の追悼行事を存続させて来年につなげていくために、Civic Forceは東北の有志団体が実施する追悼の祈りの行事を支えるために、READYFORにてクラウドファンディングを開始しました。ご寄付は、コロナ禍での感染対策にかかる経費やオンライン配信のための運営費など、11年目の「追悼の祈り」を存続させ、次の10年につなげるために活用させていただきます。拡散のご協力をお願いします。<概要>・タイトル「東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」」・URL: ・目標金額:100万円・募集期間:2022年3月4日(金)~3月31日(木)・資金使途:東北各地で実施される追悼イベントの会場費や通信費、コロナ禍での開催にかかる経費や運営費などもサポートします。・形式:通常型 / All-in形式 ※目標金額の達成の有無に関わらず、集まった支援金を受け取ることができる形式クラウドファンディング立ち上げの背景について2011年3月に緊急支援活動を開始して以降、東北での被災地支援活動を続けてきたCivic Forceは、現在、独自の復興支援プログラム「NPOパートナー協働事業」を通じて、地域の復興の動きを後押ししています。2021年からは、新型コロナウイルス感染症の影響で、存続が危ぶまれていた団体の追悼行事の開催をサポートしてきました。Civic Forceが支援する有志団体主催の追悼行事は、これまで地元企業からの寄付や外からのボランティアのサポートによって成り立っていましたが、2020年以降コロナ禍で地域経済が低迷し、また感染拡大を防ぐために、地元企業や県外のボランティアに頼りづらい状況が生まれています。また震災から10年が過ぎ、国や行政、企業などからの助成金がなくなり、追悼行事を続けていくための資金調達や人手不足が大きな課題となっています。他方、これからは誰かに頼るばかりでなく、地域の人が自分たちで祈りの形を考え、次世代へとバトンをつないでいこうという機運が生まれています。当日打ち上げる花火や風船、灯すあかりには、犠牲者への思いや防災の大切さ、そして真の復興に向けたメッセージなどが書かれます。2022年3月、地域の有志によって続く「追悼」の時間を守るために、以下の2団体ほか東北被災地で追悼行事を実施する団体をサポートします。11年目の「追悼」の時間は、犠牲者を悼むだけでなく、あの日の記憶を振り返り教訓を後世に伝えていくための「伝承」の取り組みでもあります。2021 3.11 祈りの花火白菊 希望未来大切な人を想う日に : 閖上の記憶 : 【公益社団法人Civic Forceについて】国内外の大規模災害時に企業、NPO、行政などが対等なパートナーシップのもとに協働し、迅速で効果的な支援を行うための連携組織です。発災直後から復旧・復興まで、個々の強みを最大限に生かすことで、被災地のニーズに即した支援を目指している。被災地と被災地をつないで教訓を共有することで、災害に強い地域づくりのサポートも続けている。2019年からは空飛ぶ捜索医療団ARROWSに参画し、捜索救助や救急医療、空からの支援体制の強化をはかっています。<緊急支援実績>・2011年3月:東日本大震災支援・2012年7月:九州北部豪雨支援・2014年8月:広島土砂災害支援・2015年9月:関東大雨災害支援・2016年4月:熊本地震支援・2017年7月:九州北部豪雨支援・2018年7月:西日本豪雨支援、9月:北海道胆振東部地震支援・2019年10月:台風19号支援(継続中)・2020年7月:九州豪雨支援(継続中)・2021年1月:新型コロナウイルス緊急支援(継続中)、7-8月:熱海・佐賀豪雨支援(継続中)【問い合わせ先】公益社団法人 Civic Force代表理事 根木佳織本部事務所〒151-0063東京都渋谷区富ヶ谷2-41-12富ヶ谷小川ビル2階TEL:03-5790-9366FAX: 03-5790-9368佐賀事務所〒840-0831佐賀県佐賀市松原1-3-5 まるなかビル6階TEL:0952-20-2900FAX:0952-20-1608URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月04日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。2011年に起きた東日本大震災から、早くも12年が経とうとしています。あの震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。また、被害にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。 震災当時、私は茨城県に住んでいました。家がなくなったわけでも、家族を失ったわけでもありません。被害の程度は軽いものだと言えます。これは、そんなわが家から見た東日本大震災の記録です。何が起きた…!? 夫は?子どもたちは…? 自宅にいた夫と再会し、保育園に子どもたちを迎えに行きました。当時、長女は4歳、次女は1歳5カ月。保育園の園庭に避難している子どもたちを見たときは、本当にホッとしました。このとき、携帯電話は通話できず、メールやネットもつながったりつながらなかったり。かろうじて「岩手・宮城・茨城で次々に地震が起きたこと」「余震が多いので建物の中では寝ないほうがいい(という意見)」をネットで見ることができました。離れて暮らす親兄弟や友だちとは連絡が取れず、安否の確認はできませんでした。私たち夫婦の携帯電話も電池が切れ、電気も水道も復旧しないまま。私たちは自宅の倒壊を恐れて、車で眠ることにしました。そして、最初の夜がやってきました。 震災発生当初の感覚をまだ覚えています。それまでにも、突然の不幸などで日常が急に崩れてしまったように感じた経験はありました。でも、周囲の人たちも皆同じように「非日常」に入り込んでしまうというのは初めての経験でした。誰もが不安な顔をしていたし、何かしら困っていたと思います。それでも私は心のどこかで、こんなことは長く続かないだろう、きっとなんとかなるだろう、と思っていました。このときはまだ、この非日常が何日も続くとは思っていなかったのです。 ※本記事は2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月04日街や人々に甚大な被害を及ぼす震災。直接被害を受けていないように見える人も、あまりの事態にショックを受け、心を砕かれていることがあります。お笑いコンビ『インパルス』の板倉俊之さんも、東日本大震災が発生した当時、打撃を受けた1人。東日本大震災の後にライブが控えていたため、ネタを考える必要があったのですが、「こんな時に、自分は一体何をやっているんだ?」という思いが浮かんだそうです。その時の苦悩をnoteにつづり、反響が上がっています。仕事の意義が揺らいだ板倉俊之テレビを通して、救助活動を続ける自衛隊員や消防隊員などの姿を見た板倉さんは、ある思いに取りつかれてしまいます。無意識にテレビ画面を見つめているとき、僕は気づいてしまった。自分は、必要のない仕事をしている。ずっと、人が生きていく上で必要のない仕事をしていたのだ。早くして結果を出せたことで、自分はネタをつくる力を持っているのだと思っていた。だがそんなものに、価値などなかったのだ。芸人を目指すと告げたとき、「売れるわけない」と表情で言ってきた奴らに勝ったつもりでいた。だがそんな勝負など、ただの一人相撲だったのだ。自分は、必要のない仕事をしているのだから。itakuratoshiyukiーより引用人を笑わせる仕事は、人命救助をしている人たちと比べたら、直接生命に関わらない仕事のように思えます。その点から、自分の仕事に誇りを持っていた板倉さんも、自信を喪失してしまったのです。ライブが無事に終わった後も、板倉さんの心には暗い影が残りました。しかし、数年後に再開した、高校時代の友人の言葉に救われるのです。消火活動をするポンプ隊員だけではなく、救急車で出動する救急隊員や、『オレンジ』と呼ばれるレスキュー隊員の仕事も行っている友人。話をしているうちに、東日本大震災の時の体験談になったので、板倉さんは「すごい仕事だな。俺なんかとは違う」とこぼします。すると、友人は即座に否定して、こう続けました。「あのときマジで精神的にきつかったから、俺もう関係ないものが見たくて、よくツタヤでお笑いのDVDを借りてきて観てたよ。笑ってだいぶ楽になったんだ」その言葉を聞いたとたん、あの時期にネタを考えて一人笑っていたことが、許された気がした。そして頭の中にあるあの問題が、みるみる小さくなっていく感覚をおぼえた。お笑いが、困った人を直接的に助ける男の救いになっていたなんて思わなかった。itakuratoshiyukiーより引用板倉さんは、友人の言葉を聞いて「ただやっている本人に自覚がないだけで、きっとどんな仕事も、見知らぬ誰かの救いになっている」と思えるようになったそうです。投稿を読んだ人たちは、板倉さんの苦悩に共感しつつ、たくさんのエールを送っています。・エンタメは心を救ってくれる仕事です。・直接、人命を救助する仕事は大切ですが、誰かの生きるモチベーションとなる仕事も大切。・不安に襲われた時、板倉さんのお笑いに救われました。感謝しております!・人の心に寄り添う仕事は、素晴らしいものですよ。直接命にかかわらない仕事をしている人はたくさんいます。けれど、その仕事が誰かの心を救っていることもあるでしょう。自身の仕事に誇りを持っていきたいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年12月23日Songs from Singapore to Tohoku 実行委員会は、東日本大震災復興支援コンサート「Songs from Singapore to Tohoku 2021」を、宮城県名取市閖上の会場に向けてオンライン配信にて2021年10月16日(土)に開催することを発表いたします。本公演は、シンガポール在住日本人シンガーソングライター「Sachiyo」とシンガポールのトップミュージシャンが、音楽を通して東北とシンガポールとの絆を繋ぐという趣旨で、2011年の東日本大震災発生直後から被災地で開催している東北復興支援コンサートです。今年で11年目の公演になり、未だ様々な問題を抱える被災者の方々の心の復興の一助になりますよう、昨年に続き、本年もオンライン配信にて公演を開催いたします。無料配信にてどなたでも視聴することが可能です。また、Sachiyoは同趣旨で、12/4(土)岩手県陸前高田市にて開催される東京2020オリンピックパラリンピックホストタウン事業「シンガポールフェア in 陸前高田」にもリモート出演する予定です。Songs from Singapore to Tohoku 2021 フライヤー【日程】2021年10月16日(土) 日本時間14:00開演【配信リンク】 (Facebookライブにて視聴無料)【出演】Sachiyo(Vocal)/Mei Sheum(Keyboard)2020年の復興支援コンサートの動画: 2019年の復興支援コンサートの動画: 2018年の復興支援コンサートの動画: 2017年の復興支援コンサートの動画: 2016年の復興支援コンサートの動画: 2015年の復興支援コンサートの動画: 2014年の復興支援コンサートの動画: 2013年の復興支援コンサートの動画: 2012年の復興支援コンサートの動画: 2011年の復興支援コンサートの動画: Sachiyo オリジナル復興支援ソング“A Song of Life”動画: 【コンサート概要】<主催>Songs from Singapore to Tohoku 実行委員会<協賛>三菱電機アジア、明治屋シンガポール有限公司<後援>在シンガポール日本国大使館ジャパン・クリエイティブ・センター、シンガポール政府観光局、日本政府観光局(JNTO)、在京シンガポール共和国大使館、シンガポール日本人会、一般社団法人 東北観光推進機構、一般社団法人 日本シンガポール協会、GAMBATTE! JAPAN from SINGAPORE<Sachiyo 公式サイト> 【Sachiyo プロフィール】1972年シンガポール移住、シンガポールで最も活躍する日本人シンガーソングライター。多民族の国で培われたグローバルな感性を持ち、英・日・中・マレーの4カ国語でジャズ・ボサノバ・ポップス・エスニックなどの広いジャンルの音楽を歌い上げ、人種や年齢を問わず幅広い層の人々に支持されています。日本とシンガポールの音楽親善大使としての活動を積極的に行っています。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年10月08日『ゼライスのキセキ』書影株式会社みらいパブリッシング(所在地:東京都杉並区高円寺、代表取締役:松崎義行)は、新刊『ゼライスのキセキ〜未来に引き継ぐ117年の軌跡と東日本大震災からの復興の奇跡』(著者:稲井謙一、『ゼライスのキセキ』製作委員会) を2021年10月15日に発売いたします。詳細 URL: 内容紹介東日本大震災からの復活劇!「運」「縁」「恩」を味方に、被害を跳ね返したゼライスの真実⎯⎯⎯⎯⎯⎯117年の軌跡を持つ老舗ゼラチンメーカー「ゼライス」。家庭用ゼラチンパウダーのパイオニアが、ずっとやってきたこと、これからもやっていくこと⎯⎯⎯⎯⎯⎯さまざまな年代から愛される、ゼラチンパウダーの「ゼライス」。「ゼライス」のことは知っていても、ゼライスを製造する「ゼライス社」のことは、よく知らないという方もいらっしゃるかもしれません。ゼライス社は、117年の軌跡を持つ老舗ゼラチンメーカー。宮城県に本社を置き、東日本大震災で甚大な被害を受け大幅減収したものの、7年後には奇跡の「レ」字型回復で創業以来最高の経常利益を達成しています。地域の小学校へ理科の実験授業を出前したり、地元自治体や企業と連携して宮城県ならではの商品をつくり出したりするなど、愛する宮城の地を中心に社会貢献活動を続け、「すべての人々の幸せづくりに貢献する」ことを誇りにしている会社なのです。本書は、そんなゼライス社の、ゼラチンを愛しゼラチンと共に歩んできた「軌跡」と、東日本大震災の被害から大幅回復を果たした「奇跡」にスポットを当てています。さらに、ゼラチン、コラーゲンの基礎知識や、意外な使われ方などについても解説。・ゼラチンあれこれQ&A・ゼライスパウダーマル秘活用術・「ゼライスでつくろう! 」レシピなど日常に役に立つ情報も収録し、ゼラチンのすべてを網羅しています。江戸時代から続く「モノ作りのこだわり」を礎に躍進し続けるゼラチンメーカーの、揺るぎない覚悟と見据える未来を、知ることができる一冊です。【目次】・こんなところにゼライス・「ゼライス」でつくろう! あんなレシピ、こんなレシピ・地元・宮城の皆様と生きる 地域貢献活動プロローグ第1章 社会貢献活動とゼライス第2章 21世紀と人の体をつくるゼライス第3章 宮城の海と土地の恵みに育まれたゼライスその1 創業から太平洋戦争までその2 戦後の成長と発展の軌跡第4章 人に支えられてゼライスの「今」がある第5章 ゼライスが見据える、健康、医療、環境の未来エピローグおわりに・ゼラチンあれこれQ&A・ゼライスパウダー マル秘活用術出版社よりゼラチンパウダーの「ゼライス」。特にお菓子作りをしたことがある方には馴染みがある名前ではないでしょうか。本書は、「ゼライス」を製造する老舗ゼラチンメーカー・ゼライス社の歴史と、ゼラチンのすべてがぎっしりつまった一冊。本書を読めば、きっとゼラチンとゼライス社が好きになるでしょう!著者プロフィール稲井謙一(いない・けんいち)ゼライス株式会社取締役社長1964年宮城県仙台市生まれ。慶応大学法学部卒業後、東京ガス(株)入社。1991年に同社を退職した後は、塩釜ケーブルテレビ(現宮城ケーブルテレビ(株))立ち上げに携わったのを皮切りに、稲井善八商店(現株式会社稲井)社長、宮城化学工業株式会社(現ゼライス株式会社)社長、塩釜ガス株式会社社長、宮城ケーブルテレビ株式会社社長に就任。持ち前の決断力と積極性、東北人ならではの忍耐力を発揮して、東日本大震災後の大幅減収から、2018年には奇跡の「レ」字型回復を果たし、創業以来最高の経常利益を達成した。趣味は読書、ゴルフなど。『ゼライスのキセキ』製作委員会ゼライス株式会社従業員、OBを中心として構成される本書籍制作チーム。本来業務の傍らフォトコンテスト実行委員会の立ち上げや、OBへのインタビュー、記録写真の撮影、デザートレシピの考案・調理、撮影の立ち合いなどを担当。Zoomを駆使して八面六臂の活躍を果たした。また、原稿のファクトチェックや校正、イラストチェックなど書籍づくりに必要な工程にひと通り携わり、心も体もひとまわり大きくなった強者集団。書籍概要書籍名 :ゼライスのキセキ〜未来に引き継ぐ117年の軌跡と東日本大震災からの復興の奇跡著者 :稲井謙一、『ゼライスのキセキ』製作委員会定価 :本体1650円(税込)体裁 :四六判/248ページ/ソフトカバー/8ページカラーISBN:978-4-434-29432-7URL : 会社概要商号 : 株式会社みらいパブリッシング代表者 : 代表取締役松崎義行所在地 : 〒166-0003東京都杉並区高円寺南4-26-12 福丸ビル6階設立 : 2014年5月事業内容 : 図書出版全般URL : 本件に関する報道関係のお問い合わせ先株式会社みらいパブリッシング担当:安達電話番号:03-5913-8611 Email: adachi@publishers.jp 関連書籍音楽は名医 : 周りの9割が味方に変わる話し方 : 居酒屋プレゼンしたら夢が叶った件 : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年10月07日皇族方は、映画の試写会などで芸能人とお会いになることも。とくに美智子さまは、いくつもの試写会にお出ましになるなど、芸能人と対面される機会が多かった。’07年5月、さだまさしの小説を映画化した『眉山』をご覧に。美智子さまは主演の松嶋菜々子に「素晴らしかった」と何度もおっしゃったという。’09年11月にご覧になったのはミュージカルを映画化した『マンマ・ミーア!』。美智子さまはアメリカの大女優メリル・ストリープと仲睦まじく談笑されていた。ストリープは「とても優雅で、本当に本当にお美しい方でした。終わったあと、良かったとおっしゃってくださり、記念すべき夜になりました」と話していた。皇后時代、日本赤十字社の名誉総裁を務められていた美智子さま。’09年5月の全国赤十字大会では、日本赤十字社の「初代広報特使」としてアフリカ・ケニアで活動してきた藤原紀香に声をおかけになった。’11年1月には映画『僕と妻の1778の物語』の試写会に。草なぎ剛はのちに、美智子さまからのお言葉は「人から褒められた中で一番うれしかった」と話している。’13年11月、101歳で他界した詩人・柴田トヨさんを描いた映画『くじけないで』の試写会へ。美智子さまは八千草薫さん、武田鉄矢と鑑賞された。美智子さまは八千草さんに「とても良いものを見させていただいた」と感想をお伝えになったという。’14年9月映画『蜩ノ記』の東日本大震災復興支援チャリティ試写会にご出席の美智子さま。主演の役所広司と並んで映画をご覧になった。役所は「こんなに不動の姿勢で映画を観たのは初めてです」と緊張した様子だった。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年06月18日私は第一子長女を出産したあと、産後ブルーで苦しみましたが、思い返してみると、長女誕生当時の夫も「産後ブルーだったのでは……?」と思い当たるフシがあります。夫のおかしいと感じた行動や様子についてお伝えします。 パパの産後ブルーその1「家に帰ってこない」夫は、私が長女を保育園に送り届けたあとに出勤し、家族が寝静まってから帰宅。金曜と土曜の夜は毎週クラブで朝まで騒ぐようになりました。 周囲から「よく我慢してるね」と心配され、私自身も「離婚する!」と本気で考えていました。あとで当時の気持ちをパパに聞いたら「ママと長女が親密すぎて、家に居場所がなかった」と教えてくれました。 パパの産後ブルーその2「金使いが荒い」長女が生まれてから、夫は金使いがかなり荒くなりました。以前にも増して趣味に使うお金が増え、カードの請求額は毎月10万円以上。お金の使い道のことで夫婦喧嘩ばかりしていました。 赤ちゃんが生まれたことで生じた責任や、漠然とした不安を買い物することで紛らわせていたようで、「買っちゃいけない」と思うと、それもストレスになって余計買い物をしてしまう……という悪循環に陥っていたようでした。 パパの産後ブルーその3「食事をしない」夫は、朝はギリギリまで寝ていて朝食抜き、夜は残業や夜遊びで食べるタイミングがなく、1日の食事は昼食のみという状態が長く続きました。夕食を準備しても食べないことが多く、徐々に「おなかが空いたら自分で作る」という習慣に変わっていきました。 当時、私は初めての赤ちゃんのお世話で手一杯。夫の変化に無頓着でしたが、子どもが生まれて急激な環境の変化に戸惑いの多かった夫に対して、思いやりが足りなかったと思っています。 振り返ると、産後は私だけでなく、パパも産後ブルーだったのではないかと思います。こんなわが家の状況が一変したきっかけは、東日本大震災でした。震災を機に、パパは産後ブルーから立ち直っていき、今ではそのころの行動はほとんど見られなくなりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:伊川 遥女の子と男の子の二児の母。家事や子育てのかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は読書、音楽、料理、ボルダリング、絵を描くこと。
2021年06月13日野球場に足を運んだ、まな(@ron_lily0126)さん。宮城県に住むまなさんは、『東北楽天ゴールデンイーグルス』のファンだといいます。2021年6月8~10日には、『中日ドラゴンズ』との交流戦がありました。そこで、思わず涙するようなファン同士の温かい交流があったようです。試合の7回表の前に、球団の応援歌が流れます。そこでは、自分の応援している選手の名前入りタオルなどを掲げてげきを飛ばすのですが、この日は違いました。こちらの動画をご覧ください。3日間ありがとうございます!!中日ドラゴンズファンに感謝10年前に配布したボードだから、ありがたみが違いますね #がんばろう東北 pic.twitter.com/Ox1MNxvZGb — まな@6/18.19.25.26.29.30.7/10楽パ (@ron_lily0126) June 10, 2021 なんと、中日ドラゴンズのファンたちは10年前に配布された『がんばろう東北』と書かれたボードを長年保存。宮城県仙台市を拠点にする、東北楽天ゴールデンイーグルスに向けてメッセージを送ったのです。動画では、「復興祈願がんばれ東北」と書かれたメッセージボードも確認できます。中日ドラゴンズのファンは、毎回交流戦のたびにボードを掲示してくれるのだとか。まなさんは、「久しぶりの交流戦でも掲げてくれた中日ドラゴンズファンには感謝しかありません。応援している選手のタオルよりも、『がんばろう東北』を優先してくれた姿は涙が出ました」とコメントしています。【ネットの声】・プロ野球のファンとして嬉しいです。・素晴らしい!じーんときた!・感動した。素敵な交流ですね。東日本大震災から10年が経つも、いまだ復興が進んでいない場所もあります。復興を祈願し、風化させないという中日ドラゴンズファンのメッセージはプロ野球ファン以外の人の心にも響いたことでしょう。東北楽天ゴールデンイーグルスのTwitterでも、感謝の言葉がつづられていました。7回表の前に「 #がんばろう東北 」のボードを掲げてくださった中日ドラゴンズファンのみなさま、ありがとうございました✨震災から10年。楽天生命パーク宮城の試合ではいつも掲げていただき、とても嬉しく思います。スタジアムをたくさん楽しんでいってくださいね! #dragons #RakutenEagles pic.twitter.com/wIKMFG4KUT — 東北楽天ゴールデンイーグルス (@Rakuten__Eagles) June 8, 2021 10年経ってもなお、相手チームのことを想ってボードを掲げる素敵な交流に心が温まりますね。[文・構成/grape編集部]
2021年06月12日第二次世界大戦後から現在までのファッションの歴史をたどる展覧会、『ファッション イン ジャパン 1945-2020-流行と社会』が、6月9日(水)より国立新美術館で開催されている。世界でも注目されている日本のファッションについて包括的に紹介する大規模なものだ。本展は日本の洋装文化を紐解く大展覧会。洋服を基本とした歴史について、衣服はもちろんのこと写真や雑誌、映像などを通して検証していく。従来のファッション展はデザイナーやメーカーの視点に立つことが多かったが、本展は実際に衣服を着用し、ときには流行を自ら作り出していった消費者の視点でもファッションを俯瞰することも試みている。展示風景第8章 未来へ「未来へ向けられたファッション」より第二次世界大戦が終わり、国民はもんぺや国民服以外の服も自由に身に纏えることとなった。そのため、戦後日本は洋裁学校で仕立てた自前の服を着ることが大流行。『装苑』や『私のきもの』、『ソレイユ』、『スタイルブック』に『ドレスメーキング』など、型紙が掲載された洋裁雑誌は大人気となる。また、文化服装学院やドレスメーカー女学院をはじめ、全国に多くの洋裁学校が設立されていく。展示風景第1章 1945〜1950年代「花開く洋裁文化と若者の台頭」より展示風景第1章 1945〜1950年代「花開く洋裁文化と若者の台頭」より高度経済成長に入り、既製服が大量生産されるようになっていくと、洋服は仕立てるものから、購入するものへと人々の意識は変わっていく。また、ロンドンやアメリカの若者文化の流行が日本にも伝播し、戦後から僅かな時間で日本人の服装はまたたく間に多様化されていった。展示風景 第2章 1960年代「消費拡大!モーレツ社員たちによる高度経済成長はとまらない」より展示風景 第2章 1960年代「消費拡大!モーレツ社員たちによる高度経済成長はとまらない」よりそして、1970年代に入ると、KENZOやISSEY MIYAKE、山本寛斎など日本人デザイナーたちが海外で活躍し始め、日本のファッション全体が注目されるようになっていく。その一方、大川ひとみの「MILK」や、菊池武夫、稲葉賀恵による「BIGI」、荒牧太郎の「マドモアゼルノンノン」など若者を引きつけるファッションブランドが原宿に誕生、流行の発信地となっていく。展示風景 第3章 1970年代「カジュアルウエアのひろがりと価値観の多様化、個性豊かな日本人デザイナーの躍進」より展示風景 第3章 1970年代「カジュアルウエアのひろがりと価値観の多様化、個性豊かな日本人デザイナーの躍進」より1980年代に入ると、川久保玲や山本耀司が海外で活躍。「黒の衝撃」とも呼ばれるデザインはそれまでのファッションの価値観を揺るがす大胆なものであった。いっぽう、デザイナーの個性をより強調した「DCブランド」も流行した。第4章 1980年代「DCブランドの流星とバブルの時代」より左 トップ、ドレス 川久保玲 コム デギャルソン 1983年春夏 京都服飾文化研究財団(株式会社コム デギャルソン寄贈)右 コート、トップ、パンツ川久保玲 コム デギャルソン 1983年春夏 京都服飾文化研究財団(株式会社コム デギャルソン寄贈)展示風景第4章 1980年代「DCブランドの流星とバブルの時代」よりしかし、1991年のバブル崩壊後、ファッションの表舞台は裏原宿や渋谷などの「街」に移っていく。ギャルや渋谷系、裏原系など流行は細分化し、等身大の着こなしをする読者モデルたちがファッションリーダーとして憧れの対象となっていく。展示風景第5章 1990年代「都市から発信されるスタイル、ストリートファッションの時代へ」より展示風景第5章 1990年代「都市から発信されるスタイル、ストリートファッションの時代へ」よりそして、ファッションの歴史は2000年代から現在、未来へと続いている。「kawaii」という日本語が万国共通語として広く認知され、ゴシック系やロリータなどが人気に。また、2011年の東日本大震災以後は、サステナブル(持続可能)な社会のあり方が、ファッションにも影響を及ぼすようになっていった。シンプルで無理なく生活をできるスタイルを目指す服、暮らし方に共感が集まるようになっていく。展示風景第6章 2000年代「ンターネットで繋がる社会と『kawaii』ファッションの台頭」より展示風景第6章 2000年代「インターネットで繋がる社会と『kawaii』ファッションの台頭」より展示風景第8章 未来へ「未来へ向けられたファッション」より1945年から70年強にわたり、変化し続ける日本のファッション。作る側、着る側の双方向の視点で長い歴史を見つめることで、過去と現在、未来に思いを馳せることができる刺激にあふれる展覧会だ。構成・文:浦島茂世【開催情報】『ファッション イン ジャパン 1945-2020-流行と社会』6月9日(水)~9月6日(月)、国立新美術館にて開催
2021年06月09日東京都写真美術館で開催中の「新・晴れた日篠山紀信」の会場の模様が6月10日(木)、『篠山紀信本人とめぐる大回顧展 「新・晴れた日」東京都写真美術館』として、ニコニコ美術館で生中継される。「ニコニコ美術館」は博物館 / 美術館の特別展・常設展を専門家の解説つきで巡る番組。視聴者がPCの前にいながら、展覧会場を巡っているような感覚で「インターネット生放送ならでは」の体験を楽しむことが可能だ。篠山紀信は時代の熱量を捉えた写真によって1960年代から活躍。数多くの雑誌の表紙やグラビアを手がけ、写真家として時代をつくり出してきた彼の、60年間にわたる116作品を2部構成で展覧している。第1部は写真界で注目を集めた1960年代の初期から『晴れた日』や1976年のヴェネチア・ビエンナーレでも出品された『家』ほか、その後の幅広い活躍の原点となる1970年代までの主要作品で構成。第2部は1980年代以降の作品を中心に、バブル経済による変貌から、2011年の東日本大震災を経て、2021年に向かい再構築される東京の姿まで。創造と破壊、欲望と不安が相即不離な変化の時代をとらえた作品を紹介する。番組では篠山とキュレーションを担当しれた東京都写真美術館学芸員の関昭郎が主演。篠山自身が「最初で最後」、「写真家人生を代表するような展覧会」と語る大回顧展の魅力を、時間が許す限り解説していく予定だ。■番組情報『篠山紀信本人とめぐる大回顧展 「新・晴れた日」東京都写真美術館』6月10日19時、ニコニコ生放送にて開始予定URL: 展示詳細:
2021年06月09日・これぞ本物のヒーロー。・なぜだか、涙が出てきた。・この場ですぐに、こうした言葉が出るっていうのが素晴らしい。東京ドームで、セ・リーグとパ・リーグの交流戦『巨人×日本ハム』が行われた2021年6月5日。試合後、日本ハム・王柏融(ワン・ボーロン)選手のヒーローインタビューに、野球ファンはもちろん、日本国内から称賛と感動の声が寄せられました。日ハム・王柏融「日本に感謝しないといけないことがあります」ファンに向けてのコメントを求められた王選手は、「この場を借りて、日本に感謝しないといけないことがある」とし、同月4日に日本から台湾に対して、新型コロナウイルス感染症のワクチンが無償提供された件に対して思いを語りました。ヒーローインタビューでは、出身地の台湾に日本政府から新型コロナウイルスワクチンを無償提供されたことに触れ「本当にありがとうございます。日本と台湾だけでなく、世界中が一日でも早くコロナが収まるように祈ります」と感謝の言葉を述べた。産経新聞ーより引用王選手のコメントに、会場中から大きな拍手が。また、王選手のヒーローインタビューはネット上でも公開され、さらに注目を集めています。・東日本大震災の時の恩は日本人として一生忘れません。台湾と日本は永遠に友達です。・非常に嬉しいね。日本も台湾から震災の時支援してもらったり去年もマスクを送ってもらったりしてるし、これからも互いに協力し合えるといいですね。・王選手のコメントは日本人としてとても誇らしいです。ヒーローインタビューという注目を集める場で、感謝のコメントを発表した王選手。その想いは、多くの日本国民に届いたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年06月06日2021年6月現在も、世界中で流行している新型コロナウイルス感染症。徐々に世界各国でワクチンの接種が進んでいますが、ワクチンの確保に苦しむ国や地域も存在します。日本が台湾に『友好のワクチン寄付』同月4日、茂木敏充外務大臣は記者会見で、国内で製造したワクチンを台湾に無償提供することを発表しました。提供されるのは、日本国内で製造した英アストラゼネカ製のワクチン約124万回分。ワクチン確保に苦しむ台湾のため、支援することになったといいます。これまで、日本で大きな災害が起こるたびに義援金を送ってくれた台湾。2011年に発生した東日本大震災の際は、およそ250億円という大金の寄付に加え、災害救援物資の提供と緊急救援チームの派遣を行っています。産経ニュースによると、茂木外務大臣は今回の支援について「台湾との重要なパートナーシップ、友情を踏まえた提供になる」とコメントしたそうです。台湾では同年5月中旬から新規感染者数が急増し、ワクチンの迅速な確保が課題になっています。しかし茂木外務大臣によると、台湾ではワクチンの確保が非常に難しい状況とのこと。そういった情報を踏まえ、ワクチンを支援することになったそうです。心より日本の人々に感謝します。無事に日本からのワクチンが到着しました。桃園は台湾の空の玄関口だけでなく、コロナ禍を一緒にたたかう台日の窓口でもあることを誇りにおもいます!引き続き頑張りましょう! #台日友好 pic.twitter.com/Z1VeVfUi0d — 鄭文燦 Cheng Wen-Tsan (@ChengWenTsan) June 4, 2021 今回のニュースは台湾でも広まり、ネットでは多くの人から「日本のみなさん、ありがとう!」「日台友好、永遠なれ」など感謝する声が上がっています。これまで自然災害に襲われた時、お互いに支えあってきた日本と台湾。きっと日本が提供した友好のワクチンは、多くの人を救うことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年06月04日●「エンタメは不朽不滅」コロナ禍の舞台で改めて実感北海道を拠点に活躍する5人組演劇ユニット・TEAM NACS(森崎博之、安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真)。結成25周年を迎えた今年、全国11都市を回る第17回公演『マスターピース~傑作を君に~』を上演、6月6日に北海道・札幌のカナモトホール(札幌市民ホール)で千秋楽を迎える。「コロナのストレスを忘れるくらい最高に楽しい舞台を届けたい」という強い気持ちで舞台に立ち続けてきた5人にインタビューし、ここまで駆け抜けてきた中で感じた思いや、5人の掛け合いの楽しさなど、話を聞いた。『マスターピース~傑作を君に~』は、昭和中期の日本を舞台に新作映画の脚本執筆のため、泊まり込みで原稿と向き合う5人の男たちの物語。まだ見ぬ傑作“マスターピース”を求め、5人の侍が刀をペンに持ち変え、時々温泉に浸かりながら未踏の軌跡を描き切る。6月6日の千秋楽公演は、全国の映画館(1万席限定)でライブ・ビューイングが実施されるほか、特典映像付きストリーミング配信も行われる。――3年に1度、そして今回は25周年という節目の公演。ここまで公演を重ねてきて、今どのような心境でしょうか。森崎:こういう情勢でありながら、25周年を記念する全国ツアーができて、ファンの皆さんと一緒に楽しめているという一年。いつもと違う縛りがあるのはやむを得ないことですが、エンターテインメントというものがしっかりとみなさんに寄り添い、わずかでもみなさんを照らし、わずかでも背中を押せるような存在になれたらなという思いを強く感じています。やはりエンタメは不朽不滅であるし、私たちのやっている仕事は、この時代こそ大事に、大切に輝くのだと信じているところです。戸次:「舞台はお客さんと演者と一緒に作る」という言葉がありますが、コロナ禍でその言葉の意味を体現しているなと感じています。分散入退場をお客さんにお願いするなど、いつもに増してお客様に舞台成立のためのご協力をいただいている。コロナ禍で果たして公演ができるのか、演者もスタッフも不安な気持ちがあり、逆の意味ですごく一体感のある公演に。コロナ流行前には抱けなかった一体感を抱き、悪いことばかりではないなと感じています。――コロナ禍だからこそ感じられる思いがあったということですが、この経験を生かしてTEAM NACSとして今後挑戦していきたいことなど、新たに芽生えた思いがありましたら教えてください。森崎:今は『マスターピース』を最後までやりきるんだという航海の途中で、次の船をどこに出すのか、まだ先は考えられていません。東日本大震災のときもそうでしたが、早く立ち上がった人が、音楽を作ってくれたり、懐かしのバンドを再結成してくれたり、私たちを鼓舞してくれた。僕もそのおかげで立ち上がることができましたし、今度は僕が誰かを立ち上がらせることができたら。僕たちは今、コロナの中でエンタメができているので、みんなの気持ちを少しでも上げたい。そして、上がった人はまた、何らかの形で誰かの心を響かせる。そうやって支え合っているのだと思います。私たちもそのサイクルに入れている今がうれしく、幸せなことです。――25周年という節目の公演でもありますが、5人での舞台のやりがいや面白さなど、改めて感じている思いをお聞かせください。森崎:楽しいですよ! よく知っている仲間たちですし、お客さんの前に5人で立てることが、まずうれしいです。自分たちの場所に3年ぶりに立てている、25年間立てていることが、うれしいし楽しいことです。安田:各都市に5人を求めて待ってくださっている方がいる。そういった方たちの前でお芝居という好きなことができている環境に感謝しています。●増していく掛け合いの楽しさ「相手のことを思って」――ネタバレで言えないシーンもありますが、お気に入りのシーンを教えてください。森崎:みんなで一気にテンションを上げて矢継ぎ早にセリフを重ねていくシーンがあるのですが、その呼吸はやっていてたまらないものがあります。それぞれの呼吸で、今来るってわかるんです。卓球のラリーのようなものを毎日舞台でやるのは大変ですが、爽快でもあります。安田:全部がお気に入りですが、5人の侍のシーンは映像を駆使していて、素敵なものに仕上がっていると思います。大泉:ネタバレになるので言えないシーンが、一番の見どころで、面白いと思います(笑)。また、ドリフ(ザ・ドリフターズ)的なシーンもあり、みなさん大いに笑っていただいているので、そこは楽しいものになっていると思います。戸次:大泉と同じです!音尾:冒頭、私が1人でしゃべっているシーンがあり、口上を述べるというような、唯一お客さんに話しかけるものになっています。芝居がこれから始まるんだなと、お客さんと一体になるための準備をしている感じがすごく気に入っていて、そこから楽しみどころは始まっているぞと感じながら、導入部を楽しんでもらいたいです。――5人での掛け合いがたまらないと森崎さんがおっしゃっていましたが、その面白さは年々増していますか?森崎:そうですね。僕らの本公演は3年に1回しかありませんが、3年ぶりに舞台で会話すると、「うわ~すごい!」と楽器の腕が上がったみたいな感じがあり、みんなすごいなと思っています。――アドリブのシーンなどは、お互いに仕掛けていき、反応を楽しむような感覚なのでしょうか。音尾:お芝居は仕掛けるというより、調和です。1つの目標に向かって調和を求めていく。相手のことを考えながらやるのが楽しいですし、昔よりも年々、TEAM NACSのもとでそれぞれのことを思ってお芝居ができるようになっているなと感じています。大泉:今回のお芝居では、アドリブの多いシーンもありますが、こう見えてTEAM NACSはそんなにアドリブがないんです。なので、何かを仕掛けて何かが返ってくるというのは少ないですが、初めて会ったカンパニーだと稽古が必要でも、僕たちには必要ない部分があるかもしれないですね。ドドンといけるのは、長くやっている良さだと思います。――今回の公演だと、枕投げのシーンはアドリブだそうですね。大泉:あそこはオールアドリブなので、僕らもどうなるかわからないんです(笑)――見ていてとても楽しいシーンですが、演じているみなさんにとってもやはり楽しいシーンになっていますか?戸次:僕に関しては、あそこで無理しすぎるとそのあと支障が出てしまうので、あまり楽しみ過ぎないようにしています。体がおっさんなので、昔できたことが全然できない。それを感じる数年で、あそこで無理な動きをするとなんなら骨折してしまうと思いながらやっています。もちろん楽しんでいますが、やりたいことに自分でかなりブレーキをかけていて、そうしないと長丁場を乗り切れないと注意している自分がいます。大泉:みんなたぶんそうですね。ケガが怖い。楽しませたいという気持ちを持ちながら、ケガはできないぞという思いで、気をつけながらやっています。――長年やってきたからこそ気づけたことなどはありますか?戸次:声を枯らさなくなりましたね。小さいことかもしれませんがけっこう大事なことで、本番をやりながら調整できるようになってきたのは自分の中で気づきですね。●初のストリーミング配信で「みなさんと時間を共有したい」――6月6日の千秋楽公演はライブ・ビューイング、そして初めての試みとなるストリーミング配信が決定しています。配信ならではの魅力をどのように考えていますか?安田:生の1度しかないライブの楽しさもありますが、その余韻を違う角度から見ることができる。そうやって楽しんでいただけたら幸いです。大泉:たくさんのカメラでいろんなところを撮ってくれるので、劇場で見た方も今度は我々の近くで、顔の表情も見られますし、配信の良さはたくさんあると思います。僕らの場合、アドリブ性の多いシーンもあるので、一度見た方も違う展開が楽しめるし、一度も見ていない方ももちろん楽しめる。今のこの時代だからこその楽しみ方だなと思います。また、配信の特典映像も楽しめるものになっていると思います。我々はそういうところもどうしても頑張っちゃうので(笑)、絶対面白いと思います。音尾:特典映像には、お芝居の時間だけでなく、このツアーの間に撮ったいろんな映像も入るので、そういうところも楽しみにしていただけたら。そして、場所は違っても同じ時間を共有できるというのは、僕たちとファンのみなさんがつながるものなのではないかなと。僕はみなさんと時間を共有したい、それが願いです!――最後に、千秋楽に向けてファンのみなさんにメッセージをお願いします。森崎:私たちは稽古のときからPCR検査で陰性を確認しながら、綱渡りの状態ではありますが、なんとかエンタメを成立させようと必死になってゴールに向かって頑張っているところです。この状況でも舞台に上がれる、その幸せをしっかりかみしめ、ともに喜びを分かち合うことが難しい状況ですが、その分、舞台の上でお客様に最上の喜びをお伝えしたいと思っています。お客様も、行くべきか行かないべきか大変迷われながら、しっかりと感染対策をしてお越しくださっている。これはもう団体戦。なので、最後の最後まで気を抜かずに務めたい。それが唯一であり、最上の願いです。■TEAM NACS(チーム・ナックス)北海学園大学演劇研究会出身の森崎博之・安田顕・戸次重幸・大泉洋・音尾琢真により結成された演劇ユニット。1996年に初めて作品を上演し、2004年に初の東京公演を敢行。以降、公演を重ねるごとに着実に動員数を増やし、2021年の第17回公演『マスターピース~傑作を君に~』は全57ステージで約7万人動員予定。メンバー個々でも俳優としてドラマや映画、バラエティ番組など、幅広く活躍している。■TEAM NACS第17回公演「マスターピース~傑作を君に~」〈ストリーミング配信~特典映像も君に~〉(アーカイブ配信有り、特典映像有り)【配信日】2021年6月6日13:00 OPEN特典映像:13:25頃~配信開始公演本編:14:00頃~配信開始【チケット料金】4,000円(税込) ※別途、視聴サービスごとに異なる手数料が必要
2021年06月04日5月13日配信の『FRIDAY デジタル』で、ラブホテル密会が報じられた映画コメンテーターの有村昆(44)。記事によると「キミの彼氏になりたいな」などと相手女性に積極的にアプローチしていたという。同誌の取材に対して、「軽率な行動をとったことに対し反省しております」と認めた有村。翌14日には所属事務所を通じて、芸能活動を自粛すると発表された。各メディアによると、レギュラーである『地方創生プログラム ONE-J』(TBSラジオ)と水曜コメンテーターを担当する『内山絵里加のふくわうち』(静岡・SBSラジオ)の降板も決定したという。有村は、フリーアナウンサーの丸岡いずみ(49)と’12年8月に結婚。互いに「いずみん」「こんちゃん」と呼び合うなど、仲睦まじい夫婦として知られている。だが有村の予期せぬ“裏切り”に、SNSでは《精神的に大丈夫なのかな》《可哀想すぎ》と丸岡を心配する声が広がっている。「丸岡さんは’11年に発生した東日本大震災の現地取材の影響もあり、重度のうつ病を患っていました。そんな彼女を結婚前から支えてきたのが、有村さんでした。2人は’11年4月に知人を介して知り合い、有村さんが丸岡さんに一目ぼれ。いっぽう丸岡さんは当初、有村さんを男性として意識していなかったそうです。ですが有村さんは、東京から丸岡さんの暮らす徳島まで何度も通ったのです。丸岡さんは結婚式で、有村さんのことを『苦しい時に隣にいてもらいたい人と結婚したかった。彼がまさにそうだった』と嬉しそうにしていました」(芸能関係者)■夫婦で苦難を乗り越えたのに…’18年1月に長男をもうけた夫妻だが、そこに辿り着くまでには並々ならぬ苦労を重ねていた。「丸岡さんは結婚直後に自然妊娠したのですが、流産してしまいました。その後も不妊治療に励みましたが、再び流産に……。強いショックを受けた丸岡さんですが、諦めきれず代理母出産に踏み切ったのです。有村さんも妻の決断を尊重し、積極的に知識を深めるなどしたといいます」(丸岡の知人)海外での代理母出産によって、念願の我が子に恵まれた2人。強い結束力で苦難を乗り越えたいっぽうで、経済的には厳しい状況に陥ってしまったという。「丸岡さんが不妊治療などに費やした費用の総額は、3~4千万円にのぼると言われています。また結婚してからの6年半で、夫妻の貯金は底をついてしまったそうです。そのことについて、有村さんもワイドショーで認めていました。それでも子供を授かった喜びのほうが大きく、『夫婦二人三脚で生きていく』と決意。都内に購入したマンションも、有村さん名義でローンを組んだといいます。息子さんは今年、3歳になったばかり。ますます育児費用もかかってきますし、有村さんが仕事を失うのは大きな痛手でしょう」(前出・芸能関係者)自らの過ちによって“無職”となった有村は、どのように家族と向き合っていくのだろうか。
2021年05月16日2018年にナイスコンプレックス初のオリジナル音楽劇としてスタートしたフリーカル『YAhHoo!!!!』の再々演が6月に東京と福島で上演される。本作は東日本大震災の原発被害により強制退去させられた福島県浪江町を舞台に、残された動物たちと故郷に戻れない人間たちの葛藤と未来への希望を“歌”“祭り”“演劇”で描くエンターテイメント作品。主人公の犬の妖怪・ヤンスケを演じる柏木佑介は「僕の記念すべき初主演舞台です。今回も信頼するメンバーや新たな仲間と共に“お祭り”が出来ることが嬉しい!」と笑顔を見せる。ヤンスケの飼い主・浜花優治役はプライベートでも柏木と親交のある浅倉一男。「前回、酸欠で危うく足がつりそうになったので、今年は体力面を強化して臨みます!」と意気込みを語ると、優治の婚約者・西洋木蔦を演じる富田麻帆が「優治さんは私がしっかり支えますから頑張って!」と力強いコメントで場を和ませる。「報道では伝えられない被災地の人々が抱える真実を知ってほしい」「浪江を知り、訪れるきっかけに」というメッセージを込めて宮城県出身の演出家・キムラ真が書き下ろしたリアルファンタジー。10年経ってもなお人々の心に影を落とす悲しい記憶も丁寧に描きつつ、鎮魂の祈りを最後に“祭り”という形で未来への希望へと繋ぎ昇華させていく。「ゆくゆくは物語の舞台である浪江町での上演が目標ですが、実現にはまだまだ時間がかかる。それでも『ヤンスケ役、若いヤツに交代ね』って言われるまでは頑張りたいです(笑)」と茶目っ気たっぷりに語る柏木だが、その表情からは本作にかける覚悟が伝わってきた。浅倉「コロナ禍のこのご時世に、板の上に立てる幸せを噛みしめながら、去年上演出来なかった分も気持ちを込めて演じます。僕らの熱い想いを受け止めてください!」富田「エンターテイメントを楽しんでいる間だけでも辛いことを忘れられるように、笑顔で皆様をお待ちしています」柏木「舞台は役者と観客との気持ちが交流する場所。必ず楽しんでいただける作品だと胸を張って言えます。ぜひ楽しみに劇場にお越しください。ヤッホー!!」文:近藤明子
2021年05月14日東北を中心に活動する劇団 短距離男道ミサイルによる『みちのく超人伝説「北天鬼神譚アクロオー阿弖流爲Z」Episode Final さらば愛しき人よ』が2021年5月27日から宮城・せんだい演劇工房10-BOX box-1で上演される。劇団 短距離男道ミサイルは、東日本大震災直後の2011年4月に「仙台、東北、そして日本を笑顔にしたい」「なにか自分たちにできることはないだろうか」という想いのもと、仙台の若手男優によって結成された劇団。本作は、同劇団の「36発目」の作品となる。舞台は、核戦争が勃発した西暦700年代の東北。みちのくのヒーローである阿弖流爲(あてるい)がその戦禍に巻き込まれながらも、敵対するはずの相手と友情を築き、東北で生きる術を見い出そうとするストーリー。ちなみにタイトルに「Episode Final」とあるが、作・演出を務める本田椋によれば「スター・ウォーズのような展開を考えていて、本作は1作目」とのことだ。開幕前の5月5日、オンライン上で配信された製作発表会見と公開稽古を見た。会見で、本田は本作に込めた想いについて「劇団結成10周年、震災から10年目。みなさんに喜んでいただけるようなエンターテイメント作品を作りたい、そして、豊かな伝統芸能や文化がある東北に根ざした作品を作りたいという思いがあった」と語る。現在のコロナ禍との状況も絡め、「震災の時とある種近いような、息苦しい空気感を感じているが、そんな中だからこそ、阿弖流爲というヒーローに会いにきてくれたら。皆さんの背中を押せるように、一生懸命、作品を作っている。ぜひご期待いただきたい」と話していた。約20分間、行われた公開稽古。正直で冷静な感想を言えば「大の大人がバカなことをやっている」と思う。でも、きっと、それがいい。彼らが一生懸命に汗水流しながら役を演じ、観客はそれを生で見て、何も考えずにげらげらと笑う。それが劇団 短距離男道ミサイルらしさなのだろう。現に、同劇団員の武長慧介は「劇場で見て楽しいと思える作品を作りたい。映像で見ていても伝わらないもの、観客と一緒に楽しめるものを作りたい」と話しているし、同じく劇団員の小濱昭博は「旗揚げ公演を見たときに、震災の1ヶ月後だったけれど、周りの観客と一緒に笑った。そこで気づけた感動と幸せがあった」と振り返っている。劇団10周年という節目の年。これから10年後をどう考えるかという質問に、劇団員の武者匠は「演劇界に革命を起こす」、小濱は「劇団員が1000人」、本田は「みちのく文学堂に改名して、服は脱がない」、武長は「世界ツアーを開催」と、それぞれが大きな夢を描いている。公演は6月7日までの全16公演。出演は、小濱、武長、武者、本田のほか、斎藤拓海、神﨑祐輝、三澤一弥。一般前売3500円、学生前売2500円。チケット発売中。※写真は、撮影のためマスクを外しています。取材・文:五月女菜穂
2021年05月07日ペ・ヨンジュンさん、イ・ビョンホンさん、チャン・ドンゴンさんとともに、元祖『韓流四天王』と呼ばれた、韓国の俳優、ウォンビンさん。テレビドラマ『秋の童話』でブレイクしたウォンビンさんは日本でも高い人気を誇り、2002年には深田恭子さん出演の日韓共同制作ドラマ『フレンズ』(TBS系)にも出演しました。日本でブレイク時、20代半ばだったウォンビンさんも、2021年で44歳に。しかし、現在のウォンビンさんが「日本で活躍していた頃とまったく変わっていない」としてウォンビンの現在に驚きの声本当に40代!?韓国のファッションブランド『OLZEN』の広告モデルを務めているウォンビンさん。2021年4月現在、43歳のウォンビンさんですが、まるで青年のような幼さとさわやかさを漂わせています…!※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 올젠 공식 인스타그램(@olzen_official)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る 올젠 공식 인스타그램(@olzen_official)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る 올젠 공식 인스타그램(@olzen_official)がシェアした投稿 2011年の東日本大震災発生時、「日本のファンから多くの応援を受けただけに、恩返しをしたい」と、日本円で千万円超の義援金をしたことでも知られているウォンビンさん。日本とのかかわりも深いウォンビンさんの現在に、ファンからは驚きのコメントが寄せられています。・ウォンビンさん、ずっとかっこいいけど、年を取らない薬でも持っているのだろうか。・本当に43歳?いまだにめちゃくちゃかっこいいんですけど。・ウォンビン、懐かしい!なのに見た目20代で、ヤバい。2015年に韓国の女優と結婚し、今や1児の父親となったウォンビンさん。俳優として新たな出演作の情報は長い間なく、もしかしたら子育てを優先していたのかもしれません。しかし、こうしていまだに反響を呼ぶあたり、日本での人気は健在。ぜひまた映画やドラマで活躍するウォンビンさんを見たいですね![文・構成/grape編集部]
2021年04月28日2020年7月にTikTokのフォロワー数が女性日本一となった景井ひなが21日、「デジタル・コンテンツ・オブ・ジ・イヤー’20/第26回AMDアワード」の「江並直美賞(新人賞)」を受賞し、都内で行われた授賞式に出席した。新たな才能に与えられる賞。景井は「そうそうたる方と一緒に選んでいただけてうれしい。友達がきっかけで初めたTikTokでしたが、まさかここに立っているとは。毎日動画を見てくれている方、反対しながらも最後は背中を押してくれた方に感謝したい」と喜びをかみしめた。TikTokのフォロワー数は現時点で620万人以上。国内女性でNo.1となる。ただ「あんまり日本一という自覚がない。フォロワー数が増えたからといって生活が変わったこともあまりなくて実感もないです」と苦笑しながら“日本一”の称号について思いを語った。もともと負けず嫌いな性格で「やるんだったら極めたい。一番になりたい」と思い、毎日投稿を続けて多くのフォロワーを獲得してきた景井。TikTokを始めてから「継続力はつきましたね。どんなに忙しくても動画は録らないといけない。楽しみにしている人を裏切ってはいけない。いまは毎日投稿することは当たり前で、辛いとかはありません」とほほ笑んだ。自身アカウントの強みは「1つのジャンルに絞らず、幅広いジャンルをやっていること」とし、「なので今後やりたいことというか、全部やれることはやりたい」と意欲的に話した。同アワードはデジタルコンテンツの年間表彰式。「優秀賞」は、『あつまれ どうぶつの森』、「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』、「劇団ノーミーツ」、小惑星探査機「はやぶさ2」、「Zoom」、日曜劇場『半沢直樹』、「ポカリNEO合唱2020」、YOASOBI、radikoの10コンテンツが受賞。その中から選出される「大賞/総務大臣賞」は『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』、「AMD理事長賞」は『あつまれ どうぶつの森』と『半沢直樹』の2つに決まった。また「功労賞」を人気YouTuberのHIKAKIN、「リージョナル賞」を東日本大震災の記憶をデジタル化して風化させないことを目的とした「碑の記憶プロジェクト」が選ばれた。
2021年04月21日4月20日、政府が3度目となる緊急事態宣言を決めたと報じられた。産経新聞によると、発出対象となるのは東京都・大阪府・兵庫県。23日に発令が決定される見通しだという。そんななか、20日の衆院本会議での菅義偉首相(72)の発言が物議を醸している。今年1月8日に開かれた国会では、東京五輪を「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会」と位置付けてきた菅首相。ところが17日(米国時間16日)に行われたバイデン大統領との日米首脳会談では、「世界の団結の象徴」と変えて説明したと報じられている。この意図について、立憲民主党の緑川貴士議員(36)が菅首相に質問。すると菅首相は、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして東京大会を実現する決意に何ら変わりはない」と強調。また「復興五輪」については、触れることがなかったという。さらに同日夜、記者団から宣言を発出した場合の影響を問われると「五輪に影響はないと思っている。安全・安心な大会になるよう政府として全力を挙げていきたい」とコメントしたというのだ。頑なに方針を固持しようとする菅首相の態度に、SNSでは批判が殺到している。《よく言うよ!ボロ負けじゃん。恥ずかしくないの?》《どうして影響がないと言い切れるのでしょうか?こういう時こそ、総合的・俯瞰的に判断すべきではないでしょうか》《ただの願望でしょう。影響がないと言い切れる根拠を示してほしい》■全国民へのワクチン供給は大会終了後大会開催まで残すところ3カ月と迫っているが、国内の感染状況は深刻化している。「3月21日に2度目の宣言が解除されてから、わずか1カ月で再発出される運びとなりました。4月には関西や関東地方に『まん延防止』が適用されましたが、大阪府では連日1,000人を越す新規感染者が確認されています。飲食店の時短営業は、さほど効果を発揮しなかったようです。感染力の強い変異株の拡大や、病床逼迫への対応が迫られています」(全国紙記者)また2月17日に始まった医療従事者ら約480万人を対象としたワクチン接種も、さほど進んでいない模様だ。首相官邸ホームページによると、16日現在で1回目の接種を終えた人は119万8,346人で対象者の約25%程度。2回目の接種を終えた人は、71万8,396人と約15%にあたる。いっぽう高齢者は18日現在で、13,369人が1回目の接種を終えている状況だという。全国民への供給も不安視されるなか、菅首相は米国滞在中にアメリカ製薬大手ファイザーのCEOと電話会談を実施。その内容について、「今年9月までにわが国の対象者に対して確実にワクチンを供給できるよう、追加供給を要請した」「9月までに供給される目処が立ったと考えている」と報告。つまり、“大会終了後”になる見通しだというのだ。産経新聞が19日に発表した国内世論調査では、大会について「中止もやむを得ない」との回答が56.8%で、「再延期せざるを得ない」との回答は17.6%。「予定通り開催できる」との回答は24.3%にとどまり、開催を懸念する声は根強いという。国民が安心するような方策は、菅首相には期待できないのだろうかーー。
2021年04月21日本作は、NHK仙台放送局が東日本大震災から10年が経過する今年、時間と共に一体何が変わったのか、ドラマという形で揺れ動いてきた被災者の心のリアリティを見つめたいと企画・制作。映画『病院へ行こう』『僕らはみんな生きている』などで知られる一色伸幸による群像劇で、主人公の夫婦を大河ドラマ「青天を衝け」でも話題の草彅剛、「生きるとか死ぬとか父親とか」(テレビ東京)に出演する吉田羊が演じるほか、國村隼、矢田亜希子、富田望生らが出演。音楽は連続テレビ小説「べっぴんさん」や映画『リバーズ・エッジ』『日日是好日』世武裕子が担当した。営んでいたイタリアンレストランを津波で失い、失意のなかアルコールに溺れたオーナーシェフの小野寺潔。その後、潔は新しく店を建て直し、震災から10年の3月11日に友人を招き、ある宴席を企画する。潔は突然の招待に戸惑う友人たちに、その意図を語り始める。そして、宴会が進むなか、発災から10年間のそれぞれの秘めた物語が浮かび上がってくる…。草彅さんは「被災した人物を演じることは、すごく難しかったです。プレッシャーもありました」と語りながら、「今でも心に傷を負って治っていない方もたくさんいらっしゃると思うんですけど、心の役に立てるようなキャラクターがたくさん出てきます。それぞれの役者さんが本当に真心を込めて演じているので、伝わるかなと思っています」と語る。「クランクアップしたとき、最後のあいさつでちょっと涙が出てきて、ドラマの撮影が終わったときに泣いたのは何年ぶりかなと。羊さんもあいさつされているときちょっとほろっとされていて何かお互いの夫婦間がもうすごいできあがったんだなと思って」と打ち明けた。また、吉田さんも「俳優は、ミュージシャンやお笑い芸人さんと違って、ぱっと行って人を笑顔にしたり、癒やしたり、笑わせたりすることができる職業ではない、一人では何もできなくて。この10年間も決して胸を張って被災地支援をやってきたとは言えるものではなかったので、今回、俳優として必要としていただいて、今、持てる限りを注ぎ込んで、しっかりと務めあげたいなという気持ちでした」と並々ならぬ思いを明かす。「草彅さんが演じた潔さんと、私の演じた灯里さんは、おしどり夫婦。草彅さん演じる潔さんが温かいまなざしで灯里さんを見てくださると本当にいとおしくて、胸がキュッとなって幸せな気持ちになりました」と言い、「今回、意識して笑顔の灯里さんを演じるようにしました」と語っている。宮城発地域ドラマ「ペペロンチーノ」は4月17日(土)17時~NHK総合テレビにて全国放送。(text:cinemacafe.net)
2021年04月14日「今回政府の機関が発表した最新版の地震予測地図は、北海道南東部から首都圏〜東海〜近畿地方を通って四国地方まで、“太平洋側に”高い確率で巨大地震が発生する危険性を指摘しています。今後もその周辺海域を震源として巨大地震が発生する可能性は十分に考えられますが、危険エリアは太平洋側だけではないのです」こう警鐘を鳴らすのは、地震や水害など過去に起きたさまざまな災害のデータをもとに分析を行っている、災害危機コンサルタントの堀越謙一さん。3月26日、政府の地震調査委員会は、’20年版「全国地震動予測地図」を公表した。同委員会は、全国を250メートル四方の区画に分け、約600万地点の地震リスクを評価。地図上で、「30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率」を色別で詳しく示している。今回の発表では、太平洋側の広い地域において、「26%」以上の確率で巨大地震が30年以内に発生するということがわかった。これらの地域は、とくに「海溝型地震」(陸側のプレートと海側のプレートの境界である海溝やトラフ付近で発生する地震)が懸念されている。さらに同地図では、都道府県ごとの特定の地点(県庁所在地の市役所や振興局)を揺れが襲う確率も発表している。「この数値は、“この場所で地震が発生する”という確率を表しているわけではありません。周辺域で発生した地震によって、市役所や振興局周辺の地域が、30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を掲載しているのです」(堀越さん・以下同)前回政府から発表された「’18年版」と今回を比べてみると、和歌山市役所は10%上昇しているのに対し、千葉市役所は23%も下がっている。「これほど変動が大きいのは、今回から地盤や地形調査、計算方法などが変更されたためです。“千葉市役所付近は大きな揺れに見舞われる確率が下がった”という解釈は誤りです」じっさい、堀越さんは太平洋側で“とくに注視すべきポイント”として、千葉市周辺を挙げている。「茨城県水戸市から千葉県沖にかけての周辺域は、日本海溝から沈み込む太平洋プレートと、相模トラフから沈み込むフィリピン海プレートがぶつかっているため、これまでにも多くの地震が発生しています。とくに、マグニチュード9を記録した’11年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降、太平洋プレートが緩んでおり、茨城県・千葉県東方沖はその南端地域であることから、プレートの跳ね返りによる巨大地震がいつ起きても不思議ではない状態です」そして、「北海道南東部も危険性は非常に高い」と続ける。「北海道南東部の太平洋沖には千島海溝があり、それに沿ってマグニチュード8級の巨大地震が過去に頻発しています。また色丹島、択捉島の東方沖で巨大地震が発生した場合、根室市や釧路市では津波被害も予測されるため、甚大な被害が懸念されます」「女性自身」2021年4月20日号 掲載
2021年04月14日東京・新橋は、サラリーマンの聖地として知られる。その象徴でもある駅前「SL広場」の一角の路上で、50年前から靴を磨き続けてきたのが中村幸子さん(89)。この街で最後の靴磨き職人で、5人の子と8人の孫を育て上げた。「こんにちは。さっ、片方ずつ、足をこの台に乗せてね」寒風吹きすさぶ日も、猛暑の日も、少々の雨や雪だって、朝9時半から午後7時まで、じっと座って、お客を待つ。「足を骨折してからは、私も両足を投げ出した格好でやらせてもらっています。ごめんなさいね」中村さんの周囲には、6種類ほどの靴墨や大小のブラシなどの道具類。背後には、道路占用許可の写真入り証書と、「500円」という手書きの価格も掲げられている。中村さんの靴磨きは、実に個性的だ。ブラシで汚れを落としたあとは、靴墨を自分の指につけて直接、靴に塗っていく。「いや、ただ塗るんじゃないのよ。指でこすりながら靴墨を塗り込むのが、私のやり方。それで色落ちしにくくなるし、小さなキズも見つけられるでしょう」先がカットされた手袋からのぞく指先を見せてもらうと、長い間の摩擦で指紋は薄くなり、爪の中まで真っ黒に。「指の汚れは、もう気にならない。洗えば、けっこう落ちるし。指紋も、50年もやってれば、消えても仕方ないわね(笑)」かつては、戦災孤児たちが生き延びる手段として、銀座、新宿、池袋などの路上で靴磨きを始め、終戦から10年後には、『ガード下の靴みがき』なる大ヒット曲もあった。中村さんもまた「生きるため」に始めた靴磨きだったが、彼女が新橋にやってきた’71年といえば、前年に大阪万博も催され、日本が戦後の復興を、しっかり形にしつつあったころ。以来、半世紀にわたり、バブルも、バブル崩壊も、東日本大震災のときも、路上から、ニッポンが変わっていくさまを見続けてきた。「震災のときでさえ、汚れた靴を磨いてほしいという人がけっこういましたから。とにかく広場から人の姿がすっかり消えたというのは、今度のコロナの緊急事態宣言の期間が初めて。でも私は、一人でもお客さんがいる限り、ここに座り続けるだけ。さっ、終わりました、おつかれさま。これで、大丈夫!」シュッシュッと小気味よい音を立てながら最後の仕上げで靴を磨き終えるまで、ざっと20分。お代は500円ポッキリの、明朗会計だ。「お客さんは、多い日は30人くらいで、平均すると20人前後。それがコロナの緊急事態宣言で、ガクンと減っちゃった。1日5人という日も。今日は……6千円だから、12人。金曜日にしては、まあまあだね。金曜は、皆さん、土日にお金を使うから、財布のヒモも固くなるもの。だって500円あれば、ビール1杯飲めるでしょう。それを思うと、この500円玉1枚の重みを感じるの」中村さんの1日は、ガラケーの目ざましの音から始まる。「6時半に起きて、コンビニでおにぎりと新聞とコーヒーを買って、新橋まで電車を乗り継いで約1時間。昼食も夕食も、近くのラーメン屋さんが多いわね」店じまいすると、148cmの小柄な体で、重たい道具の入ったカートを引き、着替えの詰まったリュックを背負って、同居する三男の家に帰宅する。「夜の9時からは、たいていテレビ。相撲があれば見るし、あとはマツコさんの番組が好き。週末の土曜は終日寝て過ごし、日曜は息抜きのカラオケ。だけど、このコロナで歌いに行けないのは本当に残念。だから、今の楽しみは、この6月にひ孫が生まれること。女の子らしいの」このごろ、つくづく感じることがあるという。「最近の人は、ずいぶんとせわしなくなったわね。靴磨きが終わると、サーッと行っちゃう。昔は世間話が続いて、そこに次のお客さんも来て3人でお喋りしてたり。今の人は、気持ちにゆとりが足りないように感じます。女の人も増えました。革の長いブーツも同じ500円。私も働いた経験があって女性の職場での大変さはわかるから、頑張ってる人から多くは取りたくないのよ。ここで靴を磨いたあとに宝くじが当たったと言って、お礼を持ってきた人もいたけど、私は受け取らなかった。自分が食べていく分とネコの餌代があれば十分。靴磨きで頑張ったおかげで、もうお墓も買ったから」この7月で90歳。3年前の自転車事故で右足には人工骨も入っており、座るのもラクではないが、仕事は続けるときっぱり言う。「母が102歳まで長生きしたの。だから私も、まずは100歳を目標に靴磨きを続けます」道路使用許可などの制限もあり、消えゆく運命にあるという路上の靴磨き。新橋に行けば、まるで街の景色の一部のようにして、わが国最後の女性靴磨き職人が、疲れたサラリーマンやОLを迎えてくれる――。(撮影:田山達之)「女性自身」2021年4月20日号 掲載
2021年04月12日秋篠宮家の長女・眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんが4月8日、金銭トラブルについて説明する文書を公表した。文書は小室さん自身の名前で書かれており、「文書の概略」が4ページ、「文書本体」が8章構成で24ページという長文。概略と本体、36個の脚注を合わせて、文量は約4万字というボリュームになっている。本記事では、「文書本体」のうち「5 金銭トラブルと言われている事柄に対する私と母の認識について」の全文と、その注釈を公開する。なお、原文中の脚注表記などについてもそのまま記載している。◆5 金銭トラブルと言われている事柄に対する私と母の認識について「4」で説明したとおり、平成31年(2019年)の文書では、母と元婚約者の方の間に起こった金銭トラブルと言われている事柄の経緯を詳しく説明することはしませんでした。ここでは、令和元年(2019年)5月以降、母が元婚約者の方とどのようなことを話し合ってきたのかを理解していただくためにも、改めて、金銭トラブルと言われている事柄に対する私と母の認識を可能かつ必要と思われる範囲で説明します。(1)母と元婚約者の方は平成22年(2010年)9月初めに婚約しました。婚約するにあたって2人が交わしたやり取りを以下に説明します。元婚約者の方は当時私や母と同じ集合住宅に住んでいらっしゃった方で、一時期は私の亡き父と共に集合住宅の役員をされていた方でもありました。母とのお付き合いが始まったのは平成22年(2010年)の春頃からでしたが、それは、上のような経緯から母も私も元婚約者の方を以前から存じていたということと同時に、元婚約者の方が優しくて紳士的な方だという印象を持っていたということも理由でした。しかし、元婚約者の方がお食事に連れて行ってくださるお店が応分の負担を求められる母にとっては金額の高いお店であることが続いたため、ある時期から母は困難を感じ始め、今後もそのような状態が続くのであれば家計に支障をきたす心配があると思い悩むようになりました。一方で、母は元婚約者の方のお人柄に好感を持っていましたので、元婚約者の方が真剣にお付き合いをしてくださっているのであればお付き合いを続けたいという気持ちがありました。そこで、この交際が真剣なものなのかについて元婚約者の方にお尋ねしたところ、元婚約者の方は、母さえ良ければ結婚を前提としていますとおっしゃってくださいました。母は、結婚を前提にするのであれば自分達が決して余裕のある状況ではないことを正直にお伝えすべきだと考え、そのことを元婚約者の方にお伝えしたところ、元婚約者の方はそのことを受け入れてくださり、そのうえで、婚約に向けての話し合いが発展していきました。■元婚約者から「全面的にバックアップ」の言葉結婚に向けて話し合うなかで、元婚約者の方は、家族になるのだからこれからは金銭面も含めて全面的にバックアップします、保険に入っているので自分に何かあっても当面は路頭に迷うようなことはありません、安心してください等とおっしゃってくださいました。母は、元婚約者の方のこれらの言葉に思いやりを感じて信頼し、結婚のお申し出を受け入れました。元婚約者の方は、私の学費を出してくださるというお話もしてくださいました。また、時期が婚約前だったか後だったかについては明確ではありませんが、元婚約者の方が、家族も同然と思っているので圭くんの学費も出しますよ、父親ならば息子の学費を出すのは当然です等とおっしゃってくださったこともありました。私は学費については奨学金を利用するつもりで母もそのことを知っていたため、母は元婚約者の方に、なるべく奨学金で支払うので、とお伝えしました(「5」注11【1】も参照してください)が、母も私も何か困ったことがあったら頼れる方がいるのだという安心感を持つことができありがたい思いでした。婚約にあたり、元婚約者の方は母に、お互いの友人を呼んでクルージング婚約パーティーを開きましょうかという提案や婚約指輪を贈りたいという提案をしてくださいました。母は有り難く思いつつも、次第に、元婚約者の方も母も決して若くはなくお互いに初めての結婚ではないので、豪華なパーティーを開いたり高価な指輪をいただくよりも他の使い道を考えた方がよいのではないかと思うようになり、元婚約者の方にそう提案しました。元婚約者の方は母の提案を快く受け入れてくださり、家族になる3人にとってよりよい使い方をしましょうという結論に落ち着きました。このとき元婚約者の方は母に、金銭面で困ったことがあれば遠慮なくいつでも言ってくださいとおっしゃってくださいました。(2)翌年の平成23年(2011年)3月に発生した東日本大震災の影響を受けて、当時は時給制のパート従業員として働いていた母の出勤日が少なくなり、収入も激減することになりました。そのことを知った元婚約者の方は、困っているのに知らぬふりなどできません、家族になるのですから当然です、こういうときこそ協力し合わねば、婚約者という立場で良かった、頼られて嬉しいです等とおっしゃってくださり、実際に金銭の支援をしてくださるようになりました[注10]。母は、元婚約者の方が婚約する際に金銭面も全面的にバックアップしてくださるとおっしゃってくださったことがあるとは言え、助けていただきたいとお願いすることに躊躇もあったため、お借りできますかとお願いしたこともありました。また、元婚約者の方が支援をしてくださる際には、本当に(お金を出していただいて)よろしいのですか?、ご無理ではないですか?、大丈夫ですか?と度々お聞きしていました。その度に元婚約者の方は、家族になるのですから当然です、頼られるのは嬉しいです、心配には及びません、男に二言はありません等とおっしゃってくださいました。家族になるのですから当然ですと度々おっしゃってくださり親身になってくださったことで既に3人家族になっている心持ちでいた母は、元婚約者の方の言葉を信じて支援を受けるようになりました。このとき以降平成24年(2012年)9月に元婚約者の方のご意向で婚約を破棄されるまでの間、私と母は元婚約者の方から支援をいただきました[注11]。当時の私は、元婚約者の方が常に母に気を遣わせないようにご配慮くださるのを見て尊敬していましたし、母との間で、元婚約者の方が素敵な方だということや、助けてくださって本当にありがたいという話題が出ることもしばしばありました。元婚約者の方が母との婚約を破棄するまでの間支援してくださったことへの感謝の気持ちは当時も元婚約者の方に繰り返しお伝えしていましたが、今も大変ありがたく思っています。■元婚約者は「返してもらうつもりはなかった」の言葉を翻した(3)平成24年(2012年)9月13日午後11時15分、母は元婚約者の方から、婚約を解消したいという一方的な申し入れを突然受けました[注12]。理由について尋ねても元婚約者の方からの説明はなく、理由が明らかにされないまま[注13]母は婚約解消を受け入れざるを得ませんでした。このとき母が、婚約期間中に受けた支援について清算させていただきたいとお伝えしたところ、元婚約者から「返してもらうつもりはなかった」というお返事が返ってきました[注14]。以上のような理由から、母は、婚約解消にあたって2人の間でお金をやり取りする必要はなくなったと理解しました(「4」注9を参照してください)。この婚約破棄の話し合いは、留学へ行く私を支援してくださるという話が元婚約者の方から出るほどで、刺々しい雰囲気もなく円満に終わったと私も母も思いました。(4)婚約破棄から11ヵ月経った平成25(2013年)年8月、母は突然元婚約者の方から手紙を受け取りました。その内容は、「返してもらうつもりはなかった」という言葉を翻し、交際していた期間に負担した費用の返済を求めるものでした。母はあまりのことに驚き、どうすればよいのか自分では判断ができなかったため、弁護士に相談したうえで同月6日[注15]にご要望には応じかねることとその理由を(「返してもらうつもりはなかった」という元婚約者の方の言葉を信用していたことも含めて)お伝えしたところ[注16]、元婚約者の方は私も弁護士に相談して何かあればこちらから連絡しますとおっしゃいました[注17]。このとき元婚約者の方が「返してもらうつもりはなかった」という発言はしていないとおっしゃることはありませんでしたし、婚約を破棄した理由や母に対する慰謝料について何かおっしゃることもありませんでした。(5)元婚約者の方は「何かあればこちらから連絡します」とおっしゃったものの、その後に連絡が来ることはなく、偶然お会いすることがあっても金銭の話題が出たことはありませんでした[注18]。それから数年が経っても何のお話もなかったことから、私も母も元婚約者の方に納得していただけていたものと理解していました。このような経緯でしたので、私も母も元婚約者の方から婚約期間中に受けた支援については解決済みの事柄であると思っていました。(6)ところが、私と眞子様の婚約内定が平成29年(2017年)9月に発表されると、その後の平成29年(2017年)12月12日の週刊女性に元婚約者の方の友人のコメントだとされるものが掲載されました。その時点では、内容が事実とかけ離れていて驚きはしたものの、元婚約者の方ご本人のお話ではないようでしたし、報道が過熱するとは思いませんでした。しかし、平成30年(2018年)2月16日の週刊現代に元婚約者の方ご本人のコメントだとされるものが掲載され、一方的な話があたかも事実であるかのように取り上げられ連日報道される事態となり、私も母もたいへん驚き困惑しました。最初の報道の時点で平成25年(2013年)8月のやり取りから4年4カ月が経過していました。返金を求めるのであればなぜ直接請求をしないのか、なぜ週刊誌を利用する必要があったのか、なぜ事実と異なる内容が真実であるかのように報じ続けられているのか等々疑問点は多くありましたし、恐怖も感じました。それでも、「3」にも書いたように、元婚約者の方とお互いの認識についてきちんと話し合い、ご理解を得た上で解決するためにはどうすればよいかを考えながら対応することを決めました。■「元婚約者の方の負担になっていたとは…」佳代さんの反省(7)これまでの報道に接してこられた方のなかには、母が元婚約者の方をただ金銭のための存在と見なしていたのではないかと思われている方が多いかもしれません。実際には違いますが、母を直接知らない方や事情をご存知ではない方からはそう見えるかもしれません。当時のことを振り返り実際の経緯を整理するなかで改めて感じたのは、母は元婚約者の方のおっしゃることを言葉のままに受け止め過ぎていたのではないかということです。多くの方には理解し難いことかもしれませんが、私も母も元婚約者の方は結婚を前提として善意で支援してくださっているのだと思っていたため、婚約破棄の理由が、支援が増えすぎて元婚約者の方の負担になっていたことだとは思いもしませんでした。母が支援を清算させていただきたいと元婚約者の方にお伝えした(「5」(3)を参照してください)のは、結婚を前提としていただいている支援だと認識していたことから、結婚がなくなるのだとしたらどうするべきなのかきちんと確認しておかなくてはならないと考えたためです。それに対して元婚約者の方は「返してもらうつもりはなかったんだ」とおっしゃり(「5」(3)及び「5」注14を参照してください)、私も母もその言葉をそのまま受け取りました。だからこそ、平成25年(2013年)に元婚約者の方からいただいた手紙を読んだときには、理由を教えていただけずに突然婚約破棄をされたことの衝撃を引きずっていたことに加え、婚約破棄の段階で支援を清算させていただきたいと申し上げたうえで「返してもらうつもりはなかったんだ」というお返事をいただいたはずなのに、という気持ちも強くありました。その際のやり取りは、元婚約者の方の、私も弁護士に相談して何かあればこちらから連絡しますという言葉で終わり(「5」(4)を参照してください)、私や母はその言葉をそのまま受け取りました。だからこそ、報道が出たときに驚きました。一連のことを振り返ると、元婚約者の方との間に起こったことについて、私や母は、終始、あの時元婚約者の方はこうおっしゃったのに、という気持ちがあったと思います。では、元婚約者の方がおっしゃったのだからそれをそのまま受け取って問題ないという気持ちでいて良かったのかというと、そうでなかったからこそ現在のような状況になっているのだろうと思います。支援を申し出てくださった数々の言葉も、「返してもらうつもりはなかったんだ」という言葉も、私も弁護士に相談して何かあればこちらから連絡しますという言葉も、本心というよりその場の空気からそうおっしゃったということがあったのかもしれません。しかし、私も母もそういった想像を全くしませんでした。それは、無意識のうちに、元婚約者の方のおっしゃることをそのまま受け止めたいという気持ちがあったからなのかもしれません。このように当時のことを振り返る一方で、現在に至るまで報道されてきた内容の多くが事実でないことに関しては、受け入れることが難しいと感じています。■入学金と授業料「すべて私の貯金と奨学金で賄った」【脚注】[注10]このような経緯だったため、母が元婚約者の方から生活費等の支援を定期的に受けるようになったのは、東日本大震災の影響を受けた平成23年(2011年)4月以降のことでした。東日本大震災以前については、「5」注11の【1】で説明しているような出来事がありました。[注11]元婚約者の方からの支援について、「本人たちの認識が食い違っているもの」(「5」注9の【1】も併せて見てください)を以下に挙げます。元婚約者の方のお話として報道されている情報のなかから、私と母の認識と元婚約者の方の発信されている認識とが著しく異なっているもの、そして繰り返し目立つ形で報道されてきたものを選びました(これがすべてではないことについては「1」注1を参照してください)。【1】元婚約者の方が私の大学の入学金や授業料を支払うために母に金銭を貸し付けたという報道がありますが、入学金と授業料についてはすべて私の貯金と奨学金で賄っています。週刊現代の記事では、元婚約者の方は平成22年(2010年)11月1日に私に入学金を貸し付け、入学した翌年の春には授業料を貸し付けたとおっしゃっているようですが、それは正確な情報ではありません。まず、私が入学したのは平成22年(2010年)9月2日ですし、そのことは元婚約者の方もご存知のことですから、既に入学している11月に入学金を貸し付けるというのは辻褄が合いません。実際には以下のような経緯がありました。まず、入学金は私が自分の貯金(アルバイト代)から納付しましたから、入学金について元婚約者の方から貸し付けを受けた事実はありません。入学して最初の学期(秋学期)の授業料も同様に私の貯金から納付しました。第二学期(冬学期)以降の授業料については奨学金で賄いたいと考えていたので、私は入学した後の9月21日に大学に奨学融資制度の利用申請をしました。この制度を利用できることが決まったので、同年10月12日に金融機関と契約を締結したところ、11月4日に奨学金45万3000円が振り込まれ、これを11月26日に第二学期分の授業料として納付しました。それ以降(初年度第三学期から卒業まで)の授業料については、すべて融資型の奨学金と給付型の奨学金の両方を利用して納付しました。ですので、入学した翌年の春に授業料について元婚約者の方から貸し付けを受けた事実もありません。「5」(1)で書いているように、母と元婚約者の方が婚約に向けてした話し合いのなかで、元婚約者の方は、私の学費を出すとおっしゃってくださいました。婚約前か婚約後かは明確ではありませんが、家族なので圭くんの学費も出しますよ等とおっしゃってくださったこともありました。■「明治大学を受験したことはありません」母は元婚約者の方に、なるべく奨学金で支払うので、とお伝えしてはいたものの、婚約前から学費に関するやり取りがあったことから、奨学金が出ない場合は元婚約者の方が学費を出してくださるということで、安心感を持つことができありがたい気持ちでした。特に、私が入学して初めて奨学金を申請する学期(冬学期)の授業料に関しては、元婚約者の方の言葉を頼りにさせていただきたい気持ちでいました。母は、私の奨学金が受給できても年内には支給されないと思い込んでしまっていた(私が奨学金制度の内容をきちんと説明していなかったことと私が母の勘違いに気がついていなかったことが原因だと思います)ためです。また別のとき(時期は明確ではありませんが、元婚約者の方の車の中で2人で会話をしていたときのことで、元婚約者の方が上に挙げた発言をされたときよりは後です)に、母と元婚約者の方との間で私の大学について話題になりました。会話のなかで母が元婚約者の方に、私が入学金等をアルバイト代で賄ったことや第二学期(冬学期)の授業料については奨学金を申請することをお伝えしたところ、元婚約者の方が、それは感心だ、ぜひその分の授業料は私から入学祝いとさせて欲しい、父親の気持ちで渡したい、とおっしゃってくださいました。母は、やはり元婚約者の方は私の大学生活を応援してくださっているのだと感じ、ありがたく入学祝いをいただくことにしました。母は、上に書いたような事情から、入学祝いのお話があって安堵の気持ちもありました。これで万が一のことがあっても授業料を支払うことができると思ったためです。ところが、その後すぐには元婚約者の方から入学祝いをいただくことができなかったので、授業料の納付時期が近づいてくるにつれ、母のなかで授業料に関する心配が大きくなっていきました。母は、元婚約者の方が入学祝いのことを忘れていらっしゃるのではと思い始め、授業料の納付が間に合わなくなると困ると思いながらもどう言えばよいものかあれこれ悩んだ末、はっきりと送金をお願いするしかないという追い詰められた気持ちで、第二学期(冬学期)分の授業料分の送金をお願いしました。そして、元婚約者の方は11月1日に45万3,000円を母の口座へ送金してくださいました。このような経緯がありましたが、今になって当時を振り返って母の行動について考えると、明らかに冷静さを欠いていたと思います。上に書きましたように、私の奨学金は10月12日に受給が決定し、11月24日に支給され、11月26日にそのお金で第二学期(冬学期)の授業料を納付しました(母は実際に奨学金が支給されるまで自分の勘違いに気が付いていませんでした)。元婚約者の方が振り込んでくださった分は、入学祝いをくださったことのお礼を元婚約者の方にお伝えし、ありがたくいただきました。入学祝いというところから元婚約者の方は11月1日のお金を入学金だと勘違いなさったのかもしれませんが、これは入学祝いとして一学期分の授業料に相当する額をいただいたものであって貸し付けではありませんでした。週刊現代の記事には、国際基督教大学と明治大学に合格し前者の方が授業料が高いのにも関わらずそちらに進学したいということで入学金などの学費支援を頼まれたと元婚約者の方がおっしゃっているといった内容もありましたが、入学金は私が自分で支払っていますし事実と異なります。学費支援については「5」(1)でも書いているように元婚約者の方からの言葉がありましたが、結果的には学費は全て私が自分の貯金と奨学金で賄っています。ちなみに、私が明治大学を受験したことはありません。【2】平成24年(2012年)9月に私は大学の交換留学制度を用いて1年間カリフォルニア大学ロサンゼルス校へ留学しましたが、そのために十分な預金残高が必要であったことから、母が元婚約者の方にお願いをして一時的に200万円を送金していただいたことがありました。無事にビザを取得することができたのでお返ししたいと母がお伝えしたところ、元婚約者の方が、いちいち振り込むのも面倒なので当面の生活費に充ててくださいとおっしゃってくださり、生活費に充てることになりました。いちいち振り込むのも面倒なのでというのは、これから支援が必要になるときが来るだろうからまとめて取っておいてくださいという意味でおっしゃってくださったのだと思います。週刊現代の記事では、元婚約者の方が留学費用として200万円を振り込んだとされていますが、事実と異なります。留学費用に関しては、留学を支援する奨学金と大学の奨学金、私の貯金(アルバイト代)で賄いました。母から生活費として使いたいと申し出たとする報道もありましたが事実ではありません。■「返してもらうつもりはなかった」決定的な録音データ[注12]婚約破棄は母が申し入れたものだとする報道がありますが、まったくの誤りです。元婚約者の方がそのような発言をしたものは見当たらないようですから、このような報道がされているのは不可思議です。[注13]経済的な問題について話し合ったうえで婚約したという経緯がありましたし、元婚約者の方が婚約した際におっしゃった、家族になるのだからこれからは金銭面も含めて全面的にバックアップします、金銭面で困ったことがあれば遠慮なくいつでも言ってくださいという言葉や、震災発生後の、困っているのに知らぬふりなどできません、家族になるのですから当然です、こういうときこそ協力し合わねば、婚約者という立場で良かった、頼られて嬉しいですといった言葉を信じていた母は、婚約解消の理由を想像して、自分への気持ちがなくなったということなのではないかと思ったものの、金銭の問題だとは思いませんでした。[注14]このやりとりについては私自身も同席していて聞いています。又、録音が存在しているので、元婚約者の方が「返してもらうつもりはなかった」とおっしゃったことは確認できています。この録音については、平成25年(2013年)8月頃に元婚約者の方から突然手紙を受け取った際に相談した弁護士、これまでに相談した複数の弁護士、母の代理人の弁護士の全員に確認してもらっています(「3」注4を参照してください)。この録音の該当箇所を抜粋すると次のようなやり取りがされています。母が支援を清算させていただきたいと言い始め、それに対して元婚約者の方が、差し上げたものだ、当初より返済を求めるつもりはありませんでしたという趣旨のことをおっしゃった時点で、私が録音をしておいた方がよいのではと考え咄嗟に録音したものだったため、母の質問や元婚約者の方のお返事の一部は録音できていません。このやり取りの後に婚約期間中の支援とは関係ない話題に移り、再び婚約期間中の支援についての話が出ることは最後までありませんでした。元婚約者「返してもらうつもりはなかったんだ」母「そんなのってあるの?」元婚約者「いやあ、あるんですかねって、だって、その時はだって…」母「だってあるんですかねってそんなの私不思議。そういう方と出会ったことがないから。そう。」元婚約者「うん。返してもらうつもりは全くなく…お金出してましたよ」この録音の存在については、母の代理人から元婚約者の方の窓口となった記者の方(詳しくは後出の「6」(1)で説明します)に伝えていますが、記者から元婚約者の方に伝えられているのかどうかについては確認が取れていません。■眞子さまと結婚に元婚約者は「私も応援しています」[注15]週刊現代の記事では、8月に手紙を受け取った母がすぐには返答をしなかったとされていますが、直ちに返答していますので事実は異なります。ただ、あまりにも急いでお返事をしようとしたためか、婚約破棄の日付が間違っている(手紙には婚約解消日について9月14日だと記載していますが、「5」(3)に書いてあるように実際には9月13日が婚約解消日でした)ほか、大変申し訳ないことに失礼にも元婚約者の方のお名前まで間違って記載しています。また、何故か、きちんと録音されている「返してもらうつもりはなかった」というご発言ではなく、母の記憶に基づく、差し上げたものだ、当初より返済を求めるつもりはありませんでした(「5」注14を参照してください)、というご発言の方を記載しています。いずれも後から見ると非常に理解しがたいことですが、元婚約者の方がご自分でおっしゃっていたことと正反対のことを書いた手紙を送ってこられたことに驚き気が動転していたことから、当時の私も母もこれらのことに全く気がつきませんでした。お渡しした後も、「5」(5)でも書いているように元婚約者の方に納得していただけたと思っていたため、報道が出た後に改めて手紙を確認して、初めて上記のことに気がつきました。[注16]週刊現代の記事では、母が「400万円は借りたわけではなく、贈与である」という返答のみをしたとされていますが、これは事実と異なります。「4」注9で説明しているように、母は婚約破棄理由の説明や慰謝料の手当てがないことを伝えています。これに対して元婚約者が何もおっしゃらなかったことについては「5」(4)のとおりです。なお、贈与税を負担しているのかという報道がありますが、母は贈与税を納付しています。それまでは贈与税を納付する必要があると思っていなかったのですが、報道の後に知人から贈与税は納付しているのかと聞かれたことがきっかけで、念のためにということで納付しました。[注17]元婚約者の方はこのときのやり取りを録音して週刊誌等に提供していらっしゃるようです。過去の週刊誌報道にはこの録音を私によるものだとするものがありましたが、元婚約者の方が録音したものです。私と母は報道で見るまで録音の存在を知りませんでした。[注18]私と母と元婚約者の方は同じマンションの住人でしたから、お会いすれば挨拶を交わす間柄でしたし、平成29年(2017年)7月から平成30年(2018年)6月の期間は私がマンションの理事長となったことで、定期的に開催されるマンション管理組合や管理組合と管理会社との会議で元婚約者の方と度々顔を合わせています。平成29年(2017年)5月に眞子様との報道が出た後には、元婚約者の方から「私も応援しています」との言葉をいただいたほどでした。問題が解決していないと思われていたのであればお話をする機会はたくさんあったように思うのですが、婚約期間中の支援について話題になったことは一度もありませんでした。
2021年04月08日秋篠宮家の長女・眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんが4月8日、金銭トラブルについて説明する文書を公表した。文書は小室さん自身の名前で書かれており、「文書の概要」が4ページ、「文書本体」が24ページという長文。概要と本体、36個の注釈を合わせて、文量は約4万字というボリュームになっている。本記事では、「文書の概要」の全文を公開する。なお、原文中の注釈表記などについてもそのまま記載している。◆文書の概要この文書は、私、小室圭が、私の母と母の元婚約者の方(以下「元婚約者の方」とします)との金銭トラブルと言われている事柄について書いたものです。文書の内容は本文と脚注に分かれています。本文は「1」から「8」までに項目分けしており、その後に本文の内容等を補足するための脚注をまとめています([注1]~[注36])。文書中の特定の箇所を別の箇所において引用するもしくは参照を促す場合には、本文については「項目番号」を示し、脚注については注番号を示しています。内容は必要かつ可能と思われるものに絞って書きましたが、それでも全体の分量や情報量は決して少なくないものとなっています。そのため、本文書を読んでいただきやすくするために文書の概要があった方がよいのではないかと考えました。そこで、以下に項目ごとに大まかな内容を示しますが、これだけで内容を十分にご理解いただくことは出来ませんので、文書の概要はあくまで本文書への導入となる案内のようなものに過ぎないものと捉え、本文と脚注あわせてすべてをお読みいただきますようお願い申し上げます。■「誤った情報をできる範囲で訂正する」「1」はじめに(p.1)この文書の目的について説明します。この文書の目的は、「私や母と元婚約者の方との間にこれまであったやり取り等について実際の経緯をある程度明らかにすることを通じて、これまで世の中に出回ってきた金銭トラブルと言われている事柄に関する誤った情報をできる範囲で訂正する」ことにあります。これまで出回ってきた誤った情報の訂正については、文書全体を通して行っており、本文内で訂正している場合もありますし、脚注内で訂正している場合もあります。なお、全ての誤った情報を対象とするのは到底不可能であること、元婚約者の方のプライバシー等にできる限り配慮をする必要があることから、特に重要と思われる事柄を選別し、必要な限度で言及しました。「2」この文書を作成し公表することにした理由について(p.1)前提として、母が令和元年(2019年)5月から昨年(令和2年、2020年)11月まで元婚約者の方との話し合いを続けてきたことを記したうえで、私が、金銭トラブルと言われている事柄を巡る報道に関して、なぜこれまで、一部の例外を除いて、「積極的に世の中に出回っている誤った情報を否定したりそれに積極的に反論したりしない」という対応を続けてきたのかを説明します。そのうえで、その対応を変えて本文書を作成し公表するに至った理由を説明します。「積極的に世の中に出回っている誤った情報を否定したりそれに積極的に反論したりしない」という対応については、元婚約者の方のプライバシーを必要以上に晒すことになる可能性があると考えたことに加え、「元婚約者の方とお互いの認識についてきちんと話し合い、ご理解を得たうえで解決したい」という考え(その考えに至るまでの詳しい経緯については「3」に書いています)を優先するために色々と考えて上記の対応をするのが最も適当と判断したことが主な理由でした。上記の対応に関連して、一部の例外が何であったのかについて言及している箇所もあります。本文書を作成し公表するに至ったことについては、秋篠宮皇嗣殿下の令和2年(2020年)11月30日のお誕生日に際しての会見をうけて、私や母がどのような対応をしてきたのかを一定の範囲で「見える形」にするべきだと判断したことと、同日に元婚約者の方が独占取材に答えたとされる記事が発売されたことが理由でした。上記のとおり母と元婚約者の方は話し合いを続けていましたが、元婚約者の方の一方的なお話が記事になり、更にその内容の多くが事実ではなかったことから、このまま否定や反論を一切することなく話し合いを続けることは困難であると判断しました。■「返してもらうつもりはなかった」録音データが存在「3」基本的な方針について(p.1~p.3)平成29年(2017年)に報道が出た後、私と母が、基本的にどのような方針に基づいて金銭トラブルと言われている事柄に対応してきたのかを説明します。これは、借りたお金であろうがなかろうが一括でお金を渡せば済むのになぜそうしないのか、といった今まで何度も報道されてきた疑問への答えにもなります。報道が過熱していくなかで、元婚約者の方には過去にお世話になったこと、早期に解決すること等を考えると、たとえ報道されている内容の多くが事実でないとしても、解決金をお渡しするのが最もよいのではないかと考えたこともありました。しかし、あらゆる可能性を考えたうえで、「何の話し合いもせずにお金をお渡しする」ことは選択せず、「元婚約者の方とお互いの認識についてきちんと話し合い、ご理解を得たうえで解決する」ことを選択し方針とすることにしました。それからは、「2」に書いてあることとも重なりますが、一貫して、「元婚約者の方とお互いの認識についてきちんと話し合い、ご理解を得たうえで解決するためにはどうすればよいか」を優先し対応を考えてきました。具体的にどのような考え方によってその方針に至ったかについては、とりわけ簡略が困難であるため、本文書には書いてありますが、この文書概略には記しません。なお、元婚約者の方が婚約を破棄なさった際に母に対しておっしゃった「返してもらうつもりはなかった」との言葉について、それを録音した音声データが存在することに言及している箇所もあります。■「解決済みの事柄」とは主張していない「4」平成31年(2019年)1月22日に文書を公表した理由及び同文書の誤解されている点について(p.3)「3」で述べた方針を前提として、「積極的に世の中に出回っている誤った情報を否定したりそれに積極的に反論したりしない」という対応をする中で、その例外と言える、平成31年(2019年)1月22日に文書(以下「平成31年(2019年)の文書」とします)を公表するという対応をした理由を説明します。また、平成31年(2019年)の文書に書いている経緯説明がなぜ十分に具体的ではないのかを説明するとともに、同文書の誤解されている点について説明します。平成31年(2019年)の文書は、母と元婚約者の方という一般人同士の事柄が私と眞子様の結婚というより大きな話題に発展してしまっている状況においては、何の発信もしないまま話し合いを始めて沈黙し続けるわけにはいかなかったため、私と母の認識を一定の範囲で説明せざるを得ない状況にあると判断して公表したものでした。しかし、同文書の内容が誤解されて報道されることが多いため、同文書の意図を改めて説明したうえで、私が同文書で金銭に関することは「解決済みの事柄である」、「贈与を受けたのだから返さなくてよい」、「もらったものだから返済しなくてよい」といった主張をしているという報道は誤解であると説明するとともに、そのような誤解を招くことになった原因を推測し書いています。「5」金銭トラブルと言われている事柄に対する私と母の認識について(p.4~p.6)平成31年(2019年)の文書では触れなかった事柄を含めて、平成22年(2010年)9月に私の母と元婚約者の方が婚約するにあたって、また婚約して以降、さらには元婚約者の方が婚約を破棄なさった際やその後に、私や母が元婚約者の方とどのようなやり取りをしてきたのか、そしてその結果、私と母が金銭トラブルと言われている事柄に対してどのような認識を持ったのかについて、できる範囲で具体的に説明します。「5」では全体を(1)から(6)に分けて時系列順に当時の出来事を書いています。(1)平成22年(2010年)9月初めに婚約するにあたって、母と元婚約者の方がどのようなやり取りを交わしたのかについて、(2)平成23年(2011年)3月に発生した東日本大震災をきっかけに、元婚約者の方が金銭の支援をしてくださるようになったことについて、(3)平成24年(2012年)9月13日に母が元婚約者の方から婚約を解消された際に2人が交わしたやり取りについて、特に、このとき母が元婚約者の方に支援を清算させていただきたいとお伝えしたところ、元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」という言葉をいただいたこと/そのため、母は婚約解消にあたって2人の間でお金をやり取りする必要はなくなったと理解したことについて、(4)平成25年(2013年)8月、突然、母が元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」という言葉を翻して交際していた期間に負担した費用の返済を求める手紙を受け取ったことと、これに母が回答した際に交わしたやり取りについて、(5)その後は元婚約者の方から連絡が来ることはなく、偶然お会いすることがあっても金銭の話題が出ることのないまま数年が経ったことから、私も母も元婚約者の方から交際期間中に受けた支援については解決済みの事柄であると思っていたことについて、(6)同年12月12日以降、週刊誌の記事をきっかけに、一方的な話があたかも事実であるかのように連日報道される事態となり、私も母もたいへん驚き困惑したものの「3」で書いた方針に従って対応すると決めたことについて、(7)当時を振り返って思うことについて、というのが主な流れです。なお、(3)の言葉が録音された音声があることとその内容について説明している箇所や、元婚約者の方からの支援について、報道されている内容が私と母の認識と著しく食い違っているかつ目立つ形で報道されてきたものを選び、それがどのように食い違っているのかを説明している箇所もあります。■元婚約者との話し合いは「交渉」の前段階で頓挫「6」元婚約者の方との話し合いについて(令和元年(2019年)5月~令和2年(2020年)11月)(p.6~p.10)平成31年(2019年)の文書を公表した後、令和元年(2019年)5月から令和2年(2020年)11月までに、母と元婚約者の方との間で母の代理人を通じて行われた話し合いとその現状について説明します。令和元年(2019年)5 月から元婚約者の方との話し合いが始まりましたが、実際にどのようなことを話し合ってきたのか、可能かつ必要と思われる範囲で具体的に説明します。話し合いは、「交渉」の前段階に当たる、双方の認識の食い違いがどこにあるのかという点の整理・精査の段階で、元婚約者の方よりもう金銭を求めることはしないというご連絡があったことから「認識の食い違いの整理」段階で話し合いが途切れてしまっています。「6」では、話し合いが始まりそこに至るまでの経緯を(1)から(6)に分けて時系列順に書いています。(1)平成31年(2019年)の文書を公表した同年1月22日、元婚約者の方に対して、過去の経緯等について認識に食い違いがあるのであれば、これを精査して食い違いを解消したいというお願いをしたこと/それに対する元婚約者の方からの応答が同年4月26日にあってから話し合いが始まったことについて、(2)令和元年5月の2度にわたる記者(元婚約者の方との話し合いをするにあたって元婚約者の方の窓口を務めた記者)との面談の内容と、元婚約者の方との間にある認識の食い違いを解消させることを目的として3点のお願いをしたこと及びその理由について、(3)令和元年(2019年)7月11日に行われた元婚約者の方との面談の内容、特に、そのときに元婚約者の方がおっしゃったこと/上記3点について順に整理していくことが確認されたことについて、(4)令和元年(2019年)8月8日に行われた元婚約者の方との2回目の面談の内容、特に、そのときに元婚約者の方がおっしゃったことと上記3点を整理することがあらためて確認されたこと/その後は元婚約者の方から3点に対する回答をいただけない状況が続いたことについて、(5)令和元年(2019年)9月26日に、上記3点のうち、「解決するまでは母との話し合い内容を途中で公にはしないことを確約していただきたい」というお願いに応じるつもりはないという回答があったことについて、(6)令和元年(2019年)10月30日、元婚約者の方から、上記3点のうち、「金銭のやり取りがいずれも貸付けであったということであれば、その日付及び金額並びにそれぞれどのような理由での貸付けであったと認識されているのか説明していただきたい」というお願いに回答があったこと/それに対してこちらの認識と異なる認識が含まれていること及びその理由を元婚約者の方にお伝えしたことについて、(7)令和元年(2019年)11月13日、元婚約者の方から、その認識についてはご自身の勘違いであったという回答があり、加えて、もはや金銭の請求はしないし、そのための話し合いは不要なのでやめたいとご連絡があったこと/とはいえ、決して解決したとは思っていないということであったので、それでは解決するために、何を、どうしたらよいのかと1年以上にわたり投げかけ続けたことについて、(8)その後の1年余りの間、先に「3」で書いた方針を変えることはせず、元婚約者の方に、双方が十分に納得した形で解決する、あるいはそれに近づけるための方法を提示していただきたいと繰り返しお願いをし続けたことについて、(9)令和2年6月に元婚約者の方が母と話し合いたいとおっしゃっているという話が出てきたので、元婚約者の方のご要望にできるだけ添うことが解決へ近づくのであればと考え、同年9月、会う用意があることをお伝えするともに、そのために、上記3点のうちいまだ対応をして頂いていなかった「私が平成31年(2019年)の文書で説明した私と母の認識について、元婚約者の方のご認識と異なる点があるのかどうか確認し、あるのであれば指摘していただきたい」というお願いについての回答をあらためてお願いしたところ、同年10月に元婚約者の方から回答することはできないというお返事が来たため、元婚約者の「返してもらうつもりはなかった」等の言葉について元婚約者の方がどのようなご認識を持っていらっしゃるのかいまだにわからないままであること、そして、同年11月1日に単なる顔合わせであれば意味のないことなので会う必要もないという元婚約者の方からの回答があったことについて、(10)(9)のやり取りと並行して、令和2年(2020年)2月以降、元婚約者の方から、お金の請求はしないことと話し合いが終了したことを世間に公表したいというご連絡が繰り返しあったこと/同年10月に入ると同月末までには何らかのコメントを出す予定だというご連絡があったこと/それに対して、公表にあたって内容のすり合わせをしてこちらの了解を取っていただきたいと投げかけをしたところ、元婚約者の方からそれらが必要だとは思わない旨の回答があったこと/そして11月30日に週刊現代の記事が掲載されたことについて、というのが主な流れです。■「理解してくださる方が1人でもいらっしゃいましたら幸い」「7」11月30日に発売された週刊現代の記事について(p.10~p.11)「2」で述べた、本文書を作成し公表する動機ともなった令和2年(2020年)11月30日発売の週刊現代の記事及び12月11日に発売された同週刊誌の記事に多くの事実ではない内容が含まれていたことについて、具体的に説明します。主に、記事では元婚約者の方が金銭の支払いを求めないと話されていると掲載されている一方で、解決したとは思っていないとおっしゃっていたことについては一切触れられていないこと/令和2年(2020年)11月13日に眞子様が公表された文書がきっかけで支払いを求めないことを公表しようと考えるようになったという趣旨のことが書かれているが、実際には支払いを求めないというご意向は既に1年以上前から示されており、公表したいというご意向も11月13日よりも前の10月には既に明確に伝えられていたこと/そして、母と元婚約者の方との話し合いにおいて、小室家が一貫して元婚約者の方から受け取った金銭は借金ではなく贈与であるとし金銭問題は解決済みと主張してきた、という内容は事実とまったく異なることに言及しています。「8」おわりに(p.11)この文書を読んでくださった方は、様々な印象や感想をお持ちになると思います。元婚約者の方との話し合いのなかで行われたやり取りについては、母の代理人である上芝弁護士が担当したため客観的に整理した情報として受け止めていただけると思いますが、平成31年(2019年)の文書を公表するまでの経緯として書いている内容は、録音をはじめとする記録はあるものの、多くは私や母の認識に基づいています。そのため、この文書は私と母の一方的な言い分を記したものだと思われる方もいらっしゃるかもしれません。それでも、色々な事情があったのだということを理解してくださる方が1人でもいらっしゃいましたら幸いです。
2021年04月08日東北地方を中心に大きな被害をもたらした東日本大震災から10年。その後も日本各地で大きな地震があり、つい先日も東日本大震災の余震とみられる最大震度6強の地震がありました。世界中で新型コロナウイルスが猛威を奮っている現在、また大きな地震が襲ってきたら……。大切なわが子を守るためにも、慌てずに適切な対応を取りたいですよね。今回は、食事に関することをまとめました。 食中毒をおこさないために手洗いは必須食中毒予防の基本は、手洗いです。流水が使える場合は、こまめにせっけんを使って手を洗いましょう(特に、トイレ後、調理前、食前)。水が使えない場合は、ウエットティッシュで汚れを拭き取り、アルコール手指用消毒液を使いましょう。指先、親指の付け根などは汚れが残りやすいので注意しましょう。 食事をする時に気をつけたいこと●食べる前に色や臭いを確認して、異常がないか確認しましょう。●賞味・消費期限や容器・包装に破損がないか注意しましょう。●避難所で出された食事は、できるだけ早く食べましょう。長時間、常温で放置していると、食中毒のリスクが高まります。●一度開封したものは保存せずにその場で食べましょう。どうしても食べきれないときは、思い切って捨てましょう。 参考:国立健康・栄養研究所「避難生活で生じる健康問題を予防するための栄養・食生活について「2.衛生管理リーフレット」の解説資料」 パッククッキングをやってみようパッククッキングとは、ポリ袋に食材と調味料・食材を入れ、鍋に沸かしたお湯で加熱する調理方法です。災害時には、ひとつの鍋で同時に複数の料理が作れて、なおかつお湯は再利用できるというメリットがあります。直接袋から食べることで食器も使わずにすみます。味付けや柔らかさの調整もしやすいため、離乳食を作ることもできます。 【用意するもの】・ポリ袋☆半透明のシャカシャカしている袋(高密度ポリエチレン)☆食品包装用でマチがなく、耐熱温度130度程度のもの・深めの鍋、または電気ポット・水 【調理の手順】1.ポリ袋に材料と調味料を入れ、袋の上から揉んで混ぜ合わせます。2.水圧を利用して、ポリ袋の空気を抜きます。3.上のほうで口をしばり、材料を平たくします。4.お湯を沸騰させたあと、弱火にしてポリ袋を入れます*。*鍋の場合は、鍋底に皿やシリコン製の落とし蓋など置きましょう。袋をしっかり鍋の中に入れて、吹きこぼれ防止のため蓋はしません。ポットの場合は、一度沸騰させたあと保温の状態になったら袋を入れましょう。 【ご飯を炊いてみよう】材料(1人分)・無洗米60g(ペットボトルキャップ8杯分)・水90ml(ペットボトルキャップ12杯分) 作り方1.ポリ袋に米と水を入れて、1時間浸水させます。2.鍋またはポット(98℃設定)に入れ、約25分加温します。3.湯から取り出し、10分蒸らします。 【さばと大根の味噌煮を作ってみよう】材料(1人分)・さば味噌煮缶80g・だいこん50g(中央部分なら2cmの輪切りの1/2、先端に近い部分なら3~6cmの輪切りの1/2)・しょうが1g(ひとつまみ程度) 作り方1.だいこんを1cm幅のいちょう切り、しょうがをせん切りにします。2.ポリ袋にさばの味噌煮缶の中身とだいこんを入れ、約20分加温します。3.湯から取り出し、しょうがをのせます。 参考:兵庫県栄養士会「災害時に役立つパッククッキング」 食器がないときのライフハック■ペットボトルや牛乳パック・新聞紙などを活用ペットボトルや牛乳パックを切って、お皿の代わりにできます。食べ物を入れる前にラップを敷いておけば、洗い物が少なくてすみます。▶︎左)新聞紙などで器を作り、上からビニール袋をかぶせた器右)牛乳パックの側面を切ってスプーンに ▶︎左)ペットボトルを半分に切ればコップ代わりに右)四角いペットボトルを切ってお皿代わりに 参考:東京都総務局総合防災部防災管理課「東京防災」 手指を清潔に保つことで、食中毒以外の感染予防にもつながります。もう一度正しい手洗いの方法を確認しておきましょう。また、日頃の防災対策の一つとして、被災時の調理方法を実際に試してみるのもいいかもしれませんね。 6回に渡り、災害時に役立つ情報を紹介させていただきました。コロナ禍ということもあり、感染対策とともに、非常時の備えもしっかりして少しでも安心して過ごせると良いですね。 監修者:管理栄養士 医療社団法人愛弘会 みらいウィメンズクリニック 越坂(平野) 美由紀
2021年03月30日東北地方を中心に大きな被害をもたらした東日本大震災から10年。その後も日本各地で大きな地震があり、つい先日も東日本大震災の余震とみられる最大震度6強の地震がありました。世界中で新型コロナウイルスが猛威を奮っている現在、また大きな地震が襲ってきたら……。大切なわが子を守るためにも、慌てずに適切な対応を取りたいですよね。今回は、紙おむつや生理用ナプキンが不足したときに身近にあるもので代用する方法をご紹介します。 紙おむつの作り方【材料】・大きめの手持ちつきビニール袋・さらし(またはタオル、綿素材のTシャツなどの古着)・はさみ 【作り方】1.ビニール袋の持ち手の端と両脇を切って開き、その上に清潔な布をたたんで置きます。2.布の上に赤ちゃんを寝かせ、おなか側の持ち手部分を赤ちゃんのおへその前で結びます。3.下側の持ち手部分をおなかのほうにもってきて、結んである持ち手に入れ込みます。4.余った部分を下に折り返します。ナプキンの作り方【材料】・タオルハンカチ(バンダナ)・ティッシュペーパーや余っている布 【作り方】1.タオルハンカチを用意し、下着の幅に合わせて両側を折り込みます。 2.その中に折り重ねたティッシュペーパーや、余り布たたんで入れましょう。残っているナプキンがあれば、その上にトイレットペーパーを重ねて、繰り返し使うこともできます。使い捨てできるタオルも使えます。 参考:東京都総務局総合防災部防災管理課「東京防災」 十分な量を備蓄していたつもりでも、災害の規模によっては流通が止まり備蓄が足りなくなってしまうかもしれません。そのようなときに備えて、簡単に作れるおむつ・ナプキンの代用品について知っておくと安心ですね。 監修者:管理栄養士 医療社団法人愛弘会 みらいウィメンズクリニック 越坂(平野) 美由紀
2021年03月29日東北地方を中心に大きな被害をもたらした東日本大震災から10年。その後も日本各地で大きな地震があり、つい先日も東日本大震災の余震とみられる最大震度6強の地震がありました。世界中で新型コロナウイルスが猛威を奮っている現在、また大きな地震が襲ってきたら……。大切なわが子を守るためにも、慌てずに適切な対応を取りたいですよね。今回は、気をつけたい脱水症状についてまとめました。 被災した場合、脱水症に注意が必要災害時は、さまざまなストレスやトイレが整備されないことが原因で、水分をとる量が減りがちになります。さらに、断水等によって水の供給が断たれると、飲料水や生活水が十分に確保できない状況も考えられます。 赤ちゃんは新陳代謝が活発なため、大人よりも多くの水分を必要としています。特に乳幼児は、必要な水分量や水分不足を感じにくく、発汗機能や腎機能が未発達なため、注意が必要です。 脱水症になると、おしっこの回数や量が減る・色が濃くなる、舌・唇・口の中や皮膚が乾燥する、呼吸が早くなるなどの症状が出るほか、重症になると意識障害やけいれんを起こしうとうとする、皮膚が青みがかるなど、赤ちゃんの命を脅かすような症状に発展する場合があります。 赤ちゃんはどうしたらいいの? 基本の水分補給■欲しがったときに母乳・育児用ミルクを生後0〜5カ月くらいまでの水分補給は、母乳・育児用ミルクが基本です。生後6カ月以降は麦茶や湯冷ましをプラスしてもOK。母乳や育児用ミルクを欲しがったときに、与えましょう。 ■暑い日はいつもより2〜3回授乳をプラスいつもより暑い日や赤ちゃんが汗をたくさんかいているときは、2〜3回授乳を増やすと良いでしょう。タイミングは、遊んだあと、お昼寝のあと、おむつ替えのあとなどお世話の節目に与えるとスムーズに増やせます。 ■回数よりも総量でチェック!1日何回水分補給したかよりも、1日合計でどのくらい飲んでいるかが重要です。まずは、1日どのくらい飲めたかチェックしてみましょう。 ■1歳を過ぎたら麦茶などを取り入れて1歳を過ぎたら、日中は母乳・育児用ミルクより、麦茶やおやつの牛乳など他の飲み物で水分補給をします。 【関連記事】・脱水症状から死亡も!赤ちゃんの熱中症、水分は何を・いつ・どのくらい? 大人はどうしたらいいの? 脱水予防に「経口補水液」を水分補給の際、水やお茶ばかり飲んでいると、血液が薄まり、体内の電解質の濃度が下がってしまうため、脱水症状が改善しません。水分補給の際には電解質と糖分の補給が重要です。経口補水液は、ナトリウムなどの電解質や糖分がバランスよく含まれているため、脱水状態に必要な水分と電解質を速やかに補給することができます。 災害時は感染症のリスクが高く、食事や水分摂取不足から脱水状態に陥りやすいと言われています。いざというときのために、経口補水液の作り方を覚えておきましょう。 【材料】・水1リットル・砂糖約40g(大さじ4 or ペットボトルのキャップ8杯)・塩約4g(小さじ0.5 or ペットボトルのキャップ1/3杯) 【作り方】水に砂糖と塩を加え、よく混ぜます。 経口補水液は母乳や育児用ミルクが飲めていれば、飲用できると思われますが、赤ちゃんに飲ませる場合は医師に相談することをおすすめします。 脱水は、水分補給がうまくできないときだけでなく、過度な発汗、下痢などでも起こりえます。赤ちゃんの衣類や掛け物を調節したり、赤ちゃんの口に入れるものを扱うときは十分に手指を消毒することが大切です。不安な症状があるときは、早めに医師・保健師などに相談しましょう。 監修者:管理栄養士 医療社団法人愛弘会 みらいウィメンズクリニック 越坂(平野) 美由紀
2021年03月28日