荻野目洋子の新曲「Let’s Shake」が、本日4月3日(水) のデビュー40周年記念日に配信リリースされた。「Let’s Shake」は、代表曲「ダンシング・ヒーロー」以来のダンスチューンで、作詞作曲は所ジョージ、プロデュースは木梨憲武が担当している。併せて公開された同曲のMVは、“ネオ・カントリーステップ”を取り入れたダンスの振付けが見どころとなっている。荻野目洋子「Let’s Shake」MV<リリース情報>荻野目洋子「Let’s Shake」配信中荻野目洋子「Let’s Shake」ジャケット作詞作曲:所ジョージプロデュース:木梨憲武編曲:大平勉<ライブ情報>荻野目洋子『Yoko Oginome LIVE Tour 2024 〜The 40th Anniversary〜』4月3日(水) 大阪・Billboard Live OSAKA開演:17:30 / 20:304月13日(土) 福岡・福岡border開演:14:30 / 17:304月21日(日) 宮城・誰も知らない劇場開演:14:00 / 17:004月28日(日) 北海道・札幌Cube garden開演:14:30 / 17:30荻野目洋子 40th Anniversary Special Live in 森町6月16日(日) 静岡・森町文化会館大ホール開演:15:00チケット情報:()公式サイト:
2024年04月03日演歌歌手の藤あや子が3日に自身のアメブロを更新。演歌歌手の長山洋子から60本差し入れされた初日祝いの品を公開した。この日、藤は「本日の別腹」というタイトルでブログを更新し「みたらし団子」と写真とともにコメント。「長山洋子ちゃんから初日祝いになんと60本のみたらし団子の差し入れが!!」と長山からの差し入れの品であることを報告し「出演者の皆さんもスタッフさんも大喜び」とつづった。続けて「甘すぎずつきたてのお餅のような弾力で美味しかったぁ」と述べ「最高でーーーす」と大満足の様子でコメント。最後に「洋子ちゃん ありがとうございます ごちそうさまでした」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「差し入れは嬉しいですよね」「さすがですね」「美味しそう」などのコメントが寄せられている。
2024年03月04日《まだ剥がさないのか》《桐島聡の指名手配ポスターまだ貼ってあった…》《桐島聡のポスター、あんまり剥がされてないけど×打たないのかな?》重要指名手配されていた「桐島聡」を名乗る男が、1月29日に神奈川県鎌倉市の病院で死亡してから1週間あまりが経過。’74年4月に東京・銀座のビルに入っていた韓国産業経済研究所を爆発させたとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた桐島容疑者。死亡した男が本人であると確認された場合、49年にもわたって潜伏生活を送っていたことになる。いっぽう桐島容疑者を名乗る男は、「内田洋(うちだ ひろし)」の名前で生活を続けていたという。神奈川県藤沢市内の工務店に住み込みで働き、自宅近所のバーに常連客として通っていたことも報じられた。男は「うっちー」「うーやん」の愛称で親しまれ、音楽に合わせて踊っている映像も一部メディアで公開されている。いっぽう2月2日には、亡くなった男と桐島容疑者の親族とのDNA型鑑定で「親族関係に矛盾はない」とする結果が出たと報じられた。男が桐島容疑者である可能性が高まり、本人だと特定できれば公安部は書類送検する方針だという。捜査が進むなか、桐島容疑者の写真や情報が掲示された指定重要指名手配被疑者ポスターの取り扱いにも注目が集まっている。SNSでは冒頭のように、ポスターの行方を気に掛ける声が。街中では現在もポスターが掲示されており、警察庁及び警視庁の公式サイトでも桐島容疑者の写真や情報は公開されたままだ。そこで本誌は2月2日、桐島容疑者が写っているポスターの取り扱いについて警察庁に問い合わせた。7日に刑事局刑事企画課警備局公安課より、文書で次のような回答があった。「桐島聡被疑者を名乗った男性が本人と判明し、指名手配の必要がないと認めた場合には、警察庁指定重要指名手配を解除します。警察庁指定重要指名手配を解除した場合には、各都道府県警察等に対して、『警察庁指定重要指名手配』ポスターのうち、桐島聡被疑者の掲載部分に『手配を解除しました。』という用紙を貼り付け、指名手配を解除した旨を周知するよう連絡します。また、同人に係る他のポスターについては、同じタイミングで取り外すように対応する方針です」“最古参”となる指名手配被疑者の写真が消える日は、果たして――。
2024年02月07日1月29日、重要指名手配されていた「桐島聡」とみられる男が神奈川県鎌倉市の病院で死亡した。1975年4月19日に東京都中央区で発生した連続企業爆破事件の犯人として、爆発物取締罰則違反で指名手配されていた桐島聡容疑者。死亡した男が本人であることが確認された場合、49年にもわたる逃亡生活を送っていたことになる。桐島容疑者は警察庁が発表している「警察庁指定重要指名手配被疑者」のひとりだった。警察担当記者はこう語る。「警察は、毎年11月を『指名手配被疑者捜査強化月間』として、指名手配犯の捜査に力を入れていますが、そのタイミングで毎年、更新されているのが『重要指名手配被疑者』です。これは凶悪犯罪のうち、全国の警察が総力でもって捜査する必要のある容疑者を指定する制度です。現在、14人の名前が載っていますが、桐島はそのなかでも、“最古”の指名手配犯でした」■次に古い事件は2名の警察官の射殺事件死亡した男が桐島容疑者と確認された場合、もっとも昔の事件での重要指名手配は、1990年11月に沖縄県沖縄市で2人の警察官を射殺した容疑で手配されている又吉建男容疑者(74)となる。「暴力団同士の抗争時に、暴力団組員だった又吉容疑者らが、警戒に当たっていた2名の私服警官を対立組織の構成員と間違え、射殺した事件です。共犯の組員は逮捕され、裁判で無期懲役の判決が下っていますが、又吉容疑者は逃走を続けています。しかし、1990年に京都府内の病院を受診し、がんが脊髄に転移していることが確認されており、死亡説も根強い。過去には、沖縄県警が被疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検することを検討しているとも報じられました」(同前・警察担当記者)かつては、2001年に徳島市父子殺害事件の容疑者で、「おい、小池!」の手配ポスターで有名だった小池俊一容疑者も重要指名手配されていたが、2012年に病気での死亡が確認されている。重要指名手配されながら、一般市民に紛れて生活し、49年にわたる逃亡生活を送っていたという今回の事例がいかに異常なことか、ここからも見て取れる。■昨年には道交法違反で初の重要指名手配も重要指名手配されているもっとも最近の事件での容疑者は、大分県別府市で起きたひき逃げ死亡事件で指名手配されている八田與一容疑者(27)。昨年に重要指名手配に指定されたが、道路交通法違反での指定は全国初のことだった。八田容疑者は故意に衝突をおこしたとも見られており、事件の凶悪性が考慮された形だ。他にも、関東連合の元リーダーで、六本木のクラブでおきた襲撃殺人事件の容疑者である見立真一容疑者(44)などが重要指名手配されている。49年の潜伏を経て、容疑者が姿を現したとみられる今回の事例のようなことはある。私たちも交番前のポスターを今一度、注視してみてもいいかもしれない。
2024年02月01日1970年代に起きた連続企業爆破事件に関与していたとして指名手配されていた桐島聡容疑者(70)を名乗る男が1月29日、入院先の神奈川県鎌倉市の病院で死亡した。桐島容疑者は、明治学院大学在学中に過激派「東アジア反日武装戦線」の「さそり」というグループに所属。’75年4月に東京都銀座の韓国産業経済研究所を爆発させ、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた。警視庁公安部はDNA型鑑定で死亡した男が桐島容疑者なのか特定を進めていて、本人と確認されれば容疑者死亡のまま書類送検する方針だという。指名手配から50年近い逃亡生活だった。「男は“内田洋”と名乗り、80年代から神奈川県藤沢市内の工務店で住み込みで働き、銀行口座などは持っておらず、現金で給料をもらっていたそうです。長年住んだ藤沢では、近所のバーに通ったりもしていて、“うっちー”と親しまれていたそうです。入院当初は、保険証などの身分を証明する物は持っておらず、“内田”を名乗っていましたが、“最期は本名で迎えたい”と、医療関係者に突然“桐島聡”を名乗ったそうです。末期の胃がんで、重篤な状態だったため、事件や逃亡生活の全容解明には至らなかったそうです」(全国紙社会部記者)被害者や遺族を思うと無念としか言いようのない結末となった今回の事件。逃亡せず罪を償っていたら、別の人生があったのだろうか。仮に逮捕されていた場合の量刑についてある弁護士は次のように話す。「現在指名手配されている直接の容疑の“爆発物取締罰則違反”を犯した場合、死刑又は無期、もしくは7年以上の懲役または禁固と規定されています。桐島容疑者が共謀・実行で関与したことが認定されているほとんどの事件で行動を共にしたとされる人物の1人は無期懲役、もう1人は懲役18年が確定してるので、同程度の懲役刑になった可能性はあると思います。量刑に差があるのは、主犯かどうか、どれくらい事件に関わったか、関わった事件で死者が出たかなどで変わるからです」懲役18年が確定した元メンバーは現在すでに出所している。桐島容疑者の場合、逃亡したことで罪は重くなったのだろうか。「自分が容疑者だとわかる前に自首した場合と、ずっと逃げていた場合では自首した方が情状酌量という点で刑が軽くなることはあるかもしれませんが、逃げたことによって罪が重くなるということにはなりません。ただし、逃げている間に、たとえば、戸籍を買うとか、誰かになりすますとか、盗みを働くなど、プラスアルファで罪を重ねていれば、それも罪に問われることになると思います」(前出の弁護士)共同通信によると、桐島容疑者は一連の事件について「後悔している」と語っていたという。逃げ続ける以外の道はなかったのかーー。
2024年01月30日1970年代に起きた連続企業爆破事件の重要指名手配犯で、「東アジア反日武装戦線」のメンバーである桐島聡容疑者(70)を名乗る男性が亡くなった。桐島容疑者は’74年4月に、東京・銀座のビルに入っていた韓国産業経済研究所に手製爆弾を仕掛けて爆発させたとして爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた。しかし約50年にわたって逃亡し、一度も逮捕されることはなかった。警視庁公安部が桐島容疑者を名乗る男性の身柄を確保したことを、各メディアが一斉に報じたのは1月26日。だがわずか3日で男性が死亡し、事件の全容解明が困難となってしまった。桐島容疑者といえば肩まで伸びた七三分けのヘアスタイルで、黒縁メガネをかけて笑っている姿を掲載した重要指名手配犯のポスターやチラシで知られていた。しかし確保された男性には、そうした面影はなかったという。「男性は今月上旬に救急搬送され、末期の胃がんで重篤な状態でした。入院中の25日に自ら『桐島聡』だと打ち明け、『最期は本名で迎えたかった』という趣旨の話をしていたそうです。男性は『内田洋(ウチダヒロシ)』の名前で、神奈川県藤沢市内の土木会社に約40年間にわたって住み込みで勤務していたとのこと。いっぽうで健康保険証や運転免許証は所持しておらず、自費診療で治療を受けていたようです。搬送された際はかなり弱っていて、体もガリガリにやせ細っていたと聞いています」(全国紙記者)警視庁公安部が身元確認を急ぐなか、29日朝に容態が急変して帰らぬ人に……。男性の口から“真相”を聞き出すことが叶わなくなったことに、ニュースサイトのコメント欄やSNSでは絶句する声が相次いでいる。《結局逮捕は出来なかったので、公安の完全敗北やね》《死人に口なし。事件に関しては全て闇の中か…》《本当に。え?!の一言しかありません。ポカンとするばかり。狐につままれた様な話とは、このことです》《病気で死にそうになったところで、自ら名乗り出る。警察への最後の挑戦ですね。 本人と確認できても捕まえる事も取り調べる事も出来ない、罰を与える事も出来ない、捜査関係者としては最高に悔しい状況になっているんじゃないかと思いますね》死の間際に“本名”を明かした男性の思惑は、闇に葬られてしまったーー。
2024年01月29日1月26日、74年から75年におきた連続企業爆破事件の重要指名手配犯で、「東アジア反日武装戦線」のメンバーの桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄を警視庁公安部が確保していることがわかった。男は神奈川県内の病院に入院しており、自ら「桐島聡」と名乗っているという。桐島容疑者は、75年4月18日に東京・銀座の韓国産業経済研究所の入り口ドアに手製爆弾を仕掛け、翌19日午前1時頃に爆発させた疑いで全国に指名手配されていた。その後、桐島容疑者は一度も逮捕されることなく、約50年間近く逃亡を続けていた。桐島容疑者は警察庁が指定する重要指名手配犯として、長年顔写真入りのポスターやチラシが掲示されていたこともあり、Xでは驚きの声が多くあがっている。《桐島聡が50年も逃げてたことより事件から50年も経過した桐島聡を桐島聡だと認識して逮捕できた方がすごい》《見つけたのすごいし偽名で入院て出来るんだ..。よくここまで逃げてこられたね。日本の警察の執念..》《桐島聡確保マジかよ!!!!!!!昔重要指名手配のポスターで見てから一時期探してたけどようやく見つかったのか!見つけた人凄すぎんか》
2024年01月26日毎年恒例になっている岸谷香主催イベントの4回目となる『岸谷香感謝祭2023』のゲストは荻野目洋子と藤巻亮太のふたり。合計4回にわたってお届けしている記事、今回は岸谷×荻野目対談の後編だ。 前編() では、ふたりがいかに母親であることとミュージシャンであることを両立しているか、踏み込んだ話となった。今回は楽器、曲作り、バンド、さらにイベントに向けての思いなど、音楽に関するさまざまな話題について、話が広がった。――活動休止期間を経たことで、練習に対する意識が変わってきたとのことですが、ライブに対する意識で変わってきたところはありますか?岸谷ありますね。“ライブの出来”はもちろん重視しますが、自分が満足するだけじゃなくて、みんなに楽しんでもらいたいという思いが、より強くなってきました。大事にしているものも、少し変わってきた気がします。荻野目どう変わってきたんですか?岸谷子供がいなかった頃は、“音楽が私のすべて”という意識でやっていたのね。ところが練習はそんなにしませんでした。「練習通りに本番ができるわけないじゃない?」みたいな。当時の自分を叩きたくなりますけど(笑)。今はできるかぎり練習しないと、気が済まなくなりました。子供が熱を出して、「リハに行けないけど、本番は行きます」みたいな状況になったとしても、“これまでしっかり練習してきたから大丈夫”って、練習した事実が自分を支えてくれると、ステージに立てるんですよ。以前は怠け者でしたが、勤勉になりました(笑)。岸谷香荻野目そうなんですね。私は昔から練習は好きだったんですよ。ただ、若い頃はドラマの仕事など掛け持ちがあるので、思うようにいかないことが多々ありました。20歳のころに1度だけ武道館をやらせてもらったんですが、振り付けとか、覚えることがいっぱいあるのに、練習時間が限られていて。時間が全然足りなくて、“もっともっと練習をしなきゃ”ってところで本番を迎えたんです。不安とプレッシャーとの戦いがすごすぎて、自分が辛すぎる、みたいな。今の自分からすると、「そんなに力を入れなくていいよ」って声をかけてあげたいくらいでした。岸谷以前の自分を叩きたい私とは大違いですね。荻野目今も練習は好きなので、やりたいと思ったらとことん、ご飯も作らずにやりたくなります。さすがにそれは無理だから、今日は何時までって決めて、練習部屋で練習して、時間が来たら、家に帰り、母としてやるべきことをやっています。そういう意味では、切り替えがうまくなったのかもしれません。今日はここまでしか出来なかったけど、納得はしているということですね。荻野目洋子岸谷私が練習をよくするようになったのは、時間が限られていることも大きいと思いますね。今は子供たちが大きくなって、解放されましたが、ある時期は、限られた時間だからこそ、余計に大事というか、“練習をやりたい”という気持ちが強くなってました。荻野目確かに時間が限られていると、尊いものに感じますよね。練習している時間すらもキラキラしているなって(笑)。岸谷そうそう。以前は「練習、えーっ!」って言ってたのに、今は「みんな、練習しようよ」って率先してやっているという(笑)。――しばらく音楽から離れていたから、余計にそう感じるのではないですか?岸谷あとは、やっぱり家に帰ったら、やらなきゃいけない家事があるからじゃない?シンデレラの屋根裏部屋が待ってるからこそ、それまではキラキラしていたいということですね(笑)。――音楽の練習はどのようにやっているのですか?荻野目私はその時によって、今日は歌だけ、今日はウクレレだけって決めて、練習しています。サザンオールスターズの関口和之さんに声を掛けていただいて、一緒にウクレレバンドをやらせてもらっているので、ウクレレバンドの活動の前は、ウクレレの練習をしています。岸谷ウクレレ、難しくないですか?荻野目ギターよりも簡単だと思います。ギターよりもすぐに音が出るので。岸谷そっか。私、実はハワイで調子に乗って、割といいウクレレを買ったんですよ。でもギターを先に始めちゃってると、「なんでこれでDが出るんだろう?」って、違和感満載で馴染めませんでした。結局、ウクレレを始めたばかりのスタッフに、「貸してあげるね」って言って、結果あげたみたいな(笑)。荻野目えー、あげたんですか。ギターを弾くのが上手すぎるから、そうなるんでしょうね。岸谷弦の数も違うし、並びも違うでしょ。ミラレソシミ以外には弦が並んじゃいけないと思っているから。荻野目私はそういう覚え方をしてなくて、手でなんとなく弾いてます。岸谷そのほうがいいのかも。音で考えちゃうと、馴染めない。荻野目ウクレレバンドのライブが近づいてきたら、そっちに集中して、新鮮な気持ちで、高木ブーさんやよっちゃん(野村義男)たちと一緒に演奏させてもらっています。バンド活動って、楽しいですね。岸谷楽しいよねえ。――久々に音楽活動を再開して、時代の空気の違いを感じた部分はありましたか?岸谷今って、なんでもありだな、こうじゃなきゃいけないという枠がなくなってきたんだなと感じています。80年代の頃は“バンドはこう”、“アイドルはこう”というように型にはめる風潮があったじゃない?荻野目そうですね。岸谷今はみんなが自由に発信していますよね。ただし、この世代は知ってるけど、この世代は知らないみたいに、音楽を聴く層が細分化している難しさもあると思いますけど、自由なところはいいですよね。デビューした頃、「楽器なんか持ってないで、踊りなさい」と言われましたから。荻野目つい最近まで、アイドルと呼ばれる人たちは、「こうしたほうが売れるよ」って、型にはめられる傾向がありましたよね。でも最近は、わかりやすいところでは、BTSさんもある時から自分たちで楽曲を作り始めていますし、それぞれが自分たちのやりたいことをやれるようになってきたんだなと感じています。娘がその世代なので、全部教えてもらっています。「苦しいときは苦しさを歌詞に込めているんだよ」って娘が熱く語ってくれて(笑)。楽曲にその時の心情が反映されているから、お客さんも応援したくなるんだろうな、私も自分から発信しないといけないなあと思いました。香さんのように自分で曲を作ってやってこられている方とは違って、私は“作られる側”というところが最初にあって、その中でもがいてきたので、これからはもっと自分から発信しないといけないなって痛感しています。上手い下手じゃなく、発信したいことを形にしていくことが大事だなって。――荻野目さんの作ったNHKみんなの歌の「虫のつぶやき」、いい曲ですよね。岸谷虫の歌、作ったんですか?荻野目作ったんですよ。子供のころから虫が好きで。珍しいと言われるんですけど、虫の気持ちになると、言いたいことが出てくるんです。たとえば、蛾の気持ちになったら、“なんで蝶に似ているのに、蝶と違って嫌われるんだろう”みたいなことが出てくるので、そういうことを歌にしました。岸谷確かに蝶だと、急にかわいいイメージになるもんね。荻野目そういうことを人間界に置き換えてみると、共通項があるなって。あの曲を自分で作ったときに、言いたいことを言えた気がして、充実感がありました。多分、香さんはそういう充実感をいっぱい経験されていると思いますけど。岸谷歌詞はすごく時間がかかるし、言葉は果てしなくあるので、私にとっては、作詞を書くほうが大変ですね。作曲はドレミファソラシドの中で作るから、ひらめきとアイデアでの勝負みたいなところはあるんだけど、歌詞はどうにでも変えられるし、何でもいいから、逆にとても難しいです。だから、歌詞ができた時の充実感はよくわかります。“やっと生まれた~!”みたいな。あの感覚があるからこそ、次に向かえるんですよ。私の場合は、だいたい曲が先なんだけど、白紙の歌詞カードを見ると、先が遠すぎて、やる気が起きません(笑)。なんとか書かずにすませられないかって毎回考えるんですが、書かなければ終わらないので、頑張って書いています。荻野目同時に作ることはないんですか?岸谷ほとんどないかな。私はメロディや和声のジャンルのミュージシャンなので、本当は歌詞を書きたくないのね。PRINCESS PRINCESSの時は、作詞にこだわりのあるメンバーがいたので、「そっちは任す。私はこっち」という感じで分担作業をしてました。「たまには香が書きなよ」と言われて、「えーっ」って言いながら書くこともありましたけど。きちんとした内容の歌詞は、他のメンバーが書いてくれるから、私は「彼氏がほしい」とか、どうでもいい歌詞を書いたほうが、それぞれの違いが出て、おもしろいかなって、気楽に書いていました。でもひとりになったら、きちんとした歌詞も書かなきゃいけなくなったんですね。「ラララでいい」と言われたら、「ラララ」で出したいくらい。だから苦痛ですけれど、できた時の喜びが大きいので、頑張れるという。白紙の歌詞カードを見ると、気が遠くなるけれど、早くあの喜びにたどり着きたいと思って頑張っています(笑)。荻野目同時はないんですね。私は「虫のつぶやき」を書いた時は詞と曲が同時だったんですよ。できあがった時は、本当に言いたいことを言えたので、うれしかった。岸谷それは先に言いたいことを書いて、そこにメロディを付けるということではなくて?荻野目じゃなくて、ウクレレを弾きながら同時に作りました。――岸谷さんが荻野目さんを『感謝祭』に誘った経緯を教えていただけますか?岸谷『感謝祭』、コラボが楽しいからで始めたところがあります。バンドも楽しいんだけど、バンドだけだと、一緒にやる人が限られてしまうので、いろいろな人とコラボをしたくなるんですね。他の人のイベントに呼ばれるうちに、私もやってみたいと思うようになりました。自分が知らない世界を見たいという思いもあるので、自分の友達、好きな人、憧れた人などて、頭の中で思い浮かべて、この人と一緒にやったら、何か楽しいことができるんじゃないかなって感じた人をお誘いしています。2022年は根本要さんと和田唱くんという男性ミュージシャンをゲストとしてお招きしたから、2023年は女子がいいなあ、パフォーマンスとしても華やかなものにしたいなあと考えていたので、洋子ちゃんがぴったりだな、適任者だなって(笑)。荻野目ありがとうございます!岸谷洋子ちゃんとは前から接点はありましたけれど、最近になって赤い糸がより太くなってつながってきたので、いい機会だなと思い、お誘いしました。洋子ちゃんの曲は、ダンスビートのものもあるので、ダンスビートをやるのも楽しいですしね。それでスタッフを通じてお願いしたら、洋子ちゃんからすぐに、「声をかけていただいてありがとうございます」というメールをいただいて、「いえ、こちらこそ。楽しいことをやりましょう」って。荻野目以前からちょこちょこつながりそうで、でも仕事ではそこまでしっかりとつながれていなかったので、とてもうれしかったです。香さんとどういう曲をやったらいいかなって、ずっと考えていたんですよ。岸谷今朝もメールをいただいて、「今日は何を着ますか?」という流れから、「リンダ・ロンシュタットのカバーをしたら楽しいかなあと考えています」といったことも書かれていて。私からも、「ダンシング・ヒーロー」という曲から、バナナラマの「ヴィーナス」に通じるものを感じていたので、「『ダンシング・ヒーロー』と『ヴィーナス』をアレンジしてくっつけたら楽しいんじゃないかなって思うんですけど、どうですか?」って電話をしたんですね。そうしたら、「『ヴィーナス』、昔アルバムでカバーしてました」って。会話をしている段階からすでに楽しいですね。――第1回目の『感謝祭』では、岸谷さんが森高千里さんと一緒に「十七才」を歌って踊ったのは素晴らしいサプライズでした。会場内もとても盛り上がりました。荻野目それは楽しそうですね。岸谷いろいろな楽しみ方があると思うんですけど、観に来ている人たちも80年代を知っている人たちが多かったんです。ある程度、年を重ねてきている人たちが、少年少女の顔になって、うれしそうな表情を浮かべているのを見ると、やっぱり音楽って素晴らしいなあって思うんですよ(笑)。洋子ちゃんもヒット曲を持ってますし、やりたいこともたくさんありますね。『感謝祭』に来る方々が知ってる曲がいいだろうな、みんなが楽しめるのがいいだろうなということは考えています。うちのバンドは30代の女の子3人なので、女の園という感じになると思いますよ。――荻野目さんは女性バンドの中で歌った経験は?荻野目SHOW-YAさんと共演させていただいたことがあります。岸谷SHOW-YAは友達だから言うけど、今やっているUnlock the girlsは、SHOW-YAと真逆という感じですね。SHOW-YAはみんな、私よりもお姉さんだし、タイプがちょっと違いますよね。ああいう大人の感じはなくて、かわいい感じなんだけど、女の子のグルーヴがすごいんですよ。荻野目バンドはどういう風に結成したんですか?岸谷50歳になったときに、「よし!」って気合いを入れて新たにスタートを切れる最後のタイミングかもしれないなと思ったんですね。これはネガティブな意味ではないんですけど、長い年月をかけて熟成させていくものに挑戦するのは、気力的にも体力的にも50歳が最後かもしれないと考えたときに、やりたいなと思ったのが女の子バンドだったんですよ。荻野目そうなんですね!岸谷PRINCESS PRINCESSを解散した時には、“一生、女の子バンドはやらない”って思ったんですが、またやりたくなりました。まわりから反対されるかと思ったら、「いいじゃないですか」ってことになり、信用できる音響や楽器のスタッフから「香さんに紹介したいと思っていた子たちがいるんです」と言われて会ってみたら、この子たちとだったら楽しいことがやれそうだなと感じて、今に至っています。荻野目私は今、バンド編成でステージに立つ時は、ドラムはGRACE(ex.麝香猫)にお願いしています。ベースが御供(信弘)さんなんですよ。香さんの話をしたら、「えー!」って驚いてました。岸谷御供さんとは『Mt.FUJIMAKI』でもご一緒しましたね。GRACEは元気ですか?荻野目元気ですよ。実は20代でツアーを回った時に組んだバンドのドラムがGRACEだったんです。岸谷あっ、そうなんだ。やっぱり縁のある人って、どこかでつながりがあるんですね。大先輩のSHOW-YAもそうですが、GRACEがいた麝香猫、ノーマ・ジーン、Reg-Winkなど、女の子バンドのメンバーと、当時、家で飲んだりしていました。いろいろつながりがあって、おもしろいですね。荻野目私もバンドが大好きなので、『感謝祭』、とても楽しみにしています。岸谷ギターも弾くとのことですから、せっかくだからギターも持ってきてください。女の子全員でやるのも楽しそうなので。荻野目ギターは技術的には全然なのですが、簡単なものだったら弾かせていただきます。岸谷せっかくだから、「ここじゃなきゃ、こんなことはしないよ」みたいなことがあると、おもしろいですよね。ここじゃなきゃできないことをやれたらと思っています。荻野目踊りますか?岸谷死ぬほど恥ずかしかったけれど、「17才」も全力で踊ったんですよ。今回も何か、洋子ちゃんと一緒にやれたらいいな。荻野目じゃあ、ぜひ(笑)。岸谷「ダンシング・ヒーロー」のYouTubeを見たんですが、これは難しいなあ、「17才」のフリとはちょっと違うなあって、ひるんでますけど(笑)。でも、女の子たちだから、ステップだけでも一緒に踏んだら、楽しいと思うし、女の子らしい衣装を着たいですね。そういうことが好きなんでしょうね。荻野目香さんは、きっと私よりもそういうことが好きなんじゃないですか。岸谷そうだと思う。だからバンドの子たちにも、「足をこうやって、ステップを踏むんだよ」って言ったら、「弾きながら、やるのは無理です」「ダメダメ、練習してやるの」って(笑)。だんだん馴染んできてます。彼女たちも自分たちがやったことのないことを楽しんでくれているし、ダンスビートをやるとなったら、最高に盛り上がると思います。荻野目藤巻さんも参加されるんですよね。藤巻さんはどんな感じで?岸谷藤巻くんは対極の感じになると思います。こっちは“華やか”で、藤巻くんと一緒にやるのは“ストイック”な感じ。私がピアノを弾いて、藤巻くんがアコギを弾いて、ふたりだけでやるのも楽しいかなって考えてます。女の子だけでやるところでは、女の子の持っている魅力を最大限に発揮して、華やかにパフォーマンスをやるのが好きなんですよ。千里ちゃんのときも「絶対にミニスカートをはこう!」って言ってたのね。だって男の子にはできないんだよ(笑)。荻野目確かに。岸谷「千里ちゃんの衣装、借りていいですか?」ってお願いして借りて、ふたりでおそろいの衣装を着て、踊ったんですよ(笑)。一生のなかで恥ずかしい瞬間のランキングの上位何個かの中に確実に入るんですが、恥ずかしがっているよりも、楽しもうと思ったし、実際にとても楽しかったんですよ。女性としてパフォーマンスをやるのは、なんて楽しいんだろうと思いました。荻野目私も華やかな衣装も好きなんですけど、同じミニスカートでもティナ・ターナーみたいな感じ、ちょっとロックな感じが好きなんですよ。岸谷わかるわかる。洋子ちゃん、タイトなミニで、スパンコールのスカートとか、はいていましたよね。荻野目今、話をしていて、『感謝祭』で何を着ようかなって、いろいろイメージが広がりました(笑)。色でカラフルさを出そうかなとか(笑)。岸谷ゲストの方がステージに上がるだけで、色がパッと変わるんです。これは、自分がゲストをお招きする立場になって、初めて気づいたことなんですが、そこも楽しいところですね。みんな、存分にやって、という感じです。アレンジに関しては、Unlock the girls風に変えさせてもらいたいなと考えています。もし、いやだと思うところがあったら、はっきり言ってね。荻野目まったく大丈夫です。私もバンドでアレンジしてやるのは好きだし、そういうことも含めて、楽しみにしています。せっかくだから香さんと一緒に、普段はやれないコラボレーションをするのが楽しみです。――観にくる人に向けて、メッセージをいただけますか?岸谷こうやって話をすると、私と洋子ちゃんって、共通することもあるし、つながっているところもたくさんあることがわかるんですよ。でもふたりの名前をパッと言われた時には、“どこにつながりがあるの?”って思われる方もたくさんいらっしゃると思います。だからこそ、何をするんだろうというワクワク感が高いだろうし、おもしろいコラボをできる気がします。荻野目香さんが毎年やられているイベントに出させていただけることは光栄ですし、藤巻さんも同じ日に出られるということで、そちらも観たくなりますし、とても楽しみにしています。せっかくだから、意外性があったほうが楽しいだろうし、来て下さったお客さまに「おもしろかった」って思ってもらえるような選曲をしたいですね。ファンの方からのコメントで、「香さんが書いた『ラストダンスは私に』はやるんですか?」と書いてくれている人もいるんです。やるかやらないかはわかりませんが、香さんと一緒にやるからこそ、みたいなところも出せたらとも思います。岸谷5人のバンドだったら、どうやるか、みたいなことでアレンジを変えてやるのもおもしろいかもしれないですね。で、洋子ちゃんにもギターを弾いてもらって。荻野目いいですね!その時はコードと譜面をよろしくお願いします。早めにいただけたら、練習します!岸谷洋子ちゃんのファンの方々にも、「おもしろかった。かわいかった。楽しかった」って感じていただけるように全力でやります。Text:長谷川誠Photo:吉田圭子<公演情報>『岸谷香 感謝祭2023』2023年2月23日(木・祝) OPEN 16:45 / START 17:30会場:EX THEATER ROPPONGI出演:岸谷香 / Unlock the girlsゲスト:荻野目洋子 / 藤巻亮太チケット料金:全席指定9,000円(ドリンク代別、税込)発売中:関連リンク岸谷香 公式サイト:荻野目洋子 Twitter:
2023年01月26日毎年恒例になっている岸谷香主催イベントの4回目となる『岸谷香感謝祭2023』のゲストは荻野目洋子と藤巻亮太のふたり。イベント開催に先駆けて、岸谷×藤巻、岸谷×荻野目という2組の対談を前編後編に分けて、合計4回にわたってお届けしている。今回は岸谷×荻野目対談の前編。岸谷香と荻野目洋子には、80年代にデビューしたこと、2000年代に結婚、育児によって活動を中断した時期があることなど、さまざまな共通点がある。共演することで、華やかなキラキラしたステージのイメージも浮かんでくる。今回はふたりの出会いから、いかにしてブランクを経て音楽活動を再開したのか、母親であることとミュージシャンであることをどう両立しているかなどにも話題が及んだ。――荻野目さんのデビューは1984年で、岸谷さんのPRINCESS PRINCESSでのデビューは1986年です。しかし、岸谷さんは赤坂小町としては1984年デビューとなるため、同期という言い方もできます。岸谷同期と言っても、私たちはアイドルの端くれというか、イベントに出演する場合でも、人数合わせみたいな感じがあったので、洋子ちゃんとは全然状況が違いました。洋子ちゃんはすごかったもの。岸谷香荻野目いえいえ、全然、そんなことはないですよ。――そもそも初めての出会いは?岸谷同じテレビ番組に出演していたことはあったので、挨拶くらいはしたかもしれませんが、あれは出会いとは言わないと思うんですよ。となると、当時の洋子ちゃんのプロデューサーから、「荻野目さんの曲を書いて下さい」と依頼があって、楽曲提供させていただいたのが最初の接点ということになりますね。――その曲が「ラストダンスは私に」です。1992年11月21日リリースの荻野目さんの15枚目のアルバム『NUDIST』収録曲で、躍動感あふれるポップなナンバーです。荻野目あの時は直接、お会いしてないのですが、素敵な曲を提供してもらい、ありがとうございました。その時点で話したことはなかったけど、先にLINDBERGの渡瀬マキちゃんとは同い年ということもあって、仲良くさせてもらってて……。岸谷マキちゃんと一緒ということは、学年で私の2個下ですね。荻野目はい、マキちゃんから香さんの話はよく聞いていたので、お会いする前から、知ってます、みたいな感じでした(笑)。岸谷だからなのかもしれないですね。初めて会ったときも初めてという気がしませんでした。荻野目同じです!香さんとは最初から自然に話せる感じがしていました。荻野目洋子――おふたりが最初に話をされたのはいつ頃ですか?荻野目多分初めて話をしたのは、PRINCESS PRINCESSが震災の復興支援で再結成されて、音楽番組に出演された時なので、2012年くらいだったと思います。岸谷そのちょっと前、私が準備体操のライブをやっている時にも赤坂BLITZに観に来てくれたんですよね。その時は会えませんでしたけど。荻野目そうですね。その後、テレビの歌番組でお会いしたときも本当に自然な感じで、「あ、こんにちは」みたいな。岸谷確かに「ああ、どうも」という感じでした。荻野目プライベートではテニスの接点もありましたしね。岸谷そうなんですよ。洋子ちゃんから、「お子さん、○○テニススクールに行ってないですか?」って。「なんで知っているの?」と聞いたら、洋子ちゃんのご主人が関係しているスクールだったんですよ。そのご縁で、テニスの試合を観させていただいたり、スーパーでばったり会ったり(笑)。荻野目気がついたら、結構会ってますね(笑)。――おふたりは、もともとご縁があるんですね。荻野目香さんのアメブロも読んでました!私もアメブロをやっていた時期があって。子育てをするようになってからは、活動を休止していたので、せめて応援してくださっている方々とブログでつながれたらいいかなって。岸谷私もまわりのスタッフから、「せめてアメブロをやって、世間とつながっていたほうがいいよ。唯一、応援してくれる人とのダイレクトにつながるものなんだから」と勧められたことがきっかけで、アメブロを始めました。荻野目先輩の主婦の方のブログを読み始めて、とても参考になるなーと思っていて。香さんのブログを読んだら、読者数がすごくて、香さんの人柄が文章に表れていて、おもしろいし、楽しいし、お弁当のことやお子さんの話など、参考になりました。お子さんもほぼ同世代だけど、香さんのお子さんのほうがちょっとだけ年上で。だから先に受験の話をされてて、とても勉強になるなあと思って、ずっと読ませていただいてました。岸谷そうですか。あのブログはめんどうくさくなって、書かなくなったわけじゃないんですよ。上の子が男の子なんだけど、思春期になって、「ブログに書くな」って言い出したの(笑)。荻野目あーなるほど(笑)。岸谷ママ友たちが見るでしょ、そして自分の子供に言うでしょ。そうすると、子供同士で「お前のこと、書いてあったぞ」って言われるみたいで、だんだん嫌になってきたんだと思います。以前、母の日に息子からカードをもらったんですが、最後に「これをブログに載せるな」って書いてあったんですよ。この文章を載せたいんだけどなって(笑)。でもプライバシーの問題もあるので、中学にあがるころから、子供たちのことは書かなくなって。そうしたら、とたんにネタがなくなっちゃって。子育てブログとしては終わってしまったんです。荻野目男の子はそうなのかもしれないですね。うちは娘が3人なので、子供からのクレームはあまりなかったんですけど、ツールが増えてきて、Twitterとインスタもあるし、レコード会社から「インスタをやってもらったほうがありがたいです」という話もあって、私が不器用で同時にできないということもあり、文字数の多いブログをやめてしまいました(現在も閲覧は可能)。岸谷なるほど。同じような状況ですね。今やっているUnlock the girlsというバンドのメンバーは30代前半なんですが、その子たちに「香さん、今の時代はインスタですよ」って言われました。バンドでアカウントを作ってくれたので、だんだんインスタが多くなってきました(笑)。――それぞれインスタ配信やYouTube配信もやられていますね。荻野目私はコロナ禍になってから、インスタ配信を毎月1回やっています。岸谷私はコロナ禍の影響がとくに大きかった時期は、週1でYouTubeで配信していました。今はほぼやっていませんが、その時は1年くらい毎週やっていました。荻野目毎週って!すごい!1カ月に1回でも、「あ、もう来ちゃった」って思うのに……。岸谷やり疲れたところはありました。いい音でいい演奏でお届けしたいと思えば思うほど、やるべきことも増えてきて。自分のスタジオがあって、リハーサルができるようになっているんですが、PA卓を通して、ピアノにもマイクを立てて取ると、音がきれいすぎるというか。ライブとほとんど一緒だから、上手くいかなかったところが気になってしまうんですよ。「もう1回、やっていい?」みたいな感覚になってしまって、これは違うんじゃないかなって。最終的には、私もiPhoneで撮るようなったんですが、「音が割れている」とか、いろいろと言われることもあり、1年くらいで力つきました(笑)。荻野目私は香さんのように、今はまだライブで全国を回れていなくて、今後はライブハウスをもっと多く回れるようになりたいと思っているんですね。そのためにも、ウクレレを弾きながらカバーや童謡など思いつくままに配信で歌っています。ウクレレって、気楽にできるのが良さなので、ユルイ感じでやっています。毎月新たにウクレレで弾ける曲も限られているので、しっかりやるには練習する必要があるんですが、それでヘロヘロになったら、本末転倒じゃないですか。岸谷そうですね。荻野目なので、最近はポッドキャスト気分で、みなさんからテーマや質問を集めて、お答えしながらゆるいスタンスでやっています岸谷私たちって、“力尽きやすい世代”だから、ペース配分を考えることが大切ですよね。――おふたりとも音楽と真摯に向き合っているからこそ、頑張りすぎて、力尽きそうになるんだろうなと感じます。それぞれ、子育て中は音楽活動を中断されていましたが、その間、音楽との距離はどのような感じだったのですか?荻野目香さんはどれくらい休んでたんですか?岸谷私は10年くらいかな。荻野目えっ、そんなに!?岸谷子供が生まれたのが2001年で、2011年の震災のあとのPRINCESS PRINCESSの再結成まで、ほとんど公の活動はしていませんでした。夫が毎年12月1日に行われる『Act Against AIDS』というチャリティイベントに関わっていたので、5年すぎたあたりから、そのイベントだけはやることにしていました。直前まで子供の世話をし、ステージに上がって、「Diamonds<ダイアモンド>」1曲だけ歌って、すぐに子供の世話に戻るみたいな。ステージに立った直後は「音楽って、やっぱりいいよね。またやろうかな」って言ってるんだけど、次の日になると、育児の日々で、それどころではなくなるという。毎年12月1日以外は、屋根裏部屋に戻ったシンデレラみたいでした(笑)。子供たちが小学校にあがった頃に、それまでは自分の体の中にあった“ドレミファソラシドみたいなもの”がなくなってきたと感じたことがあったんですよ。常にあるもの、絶対に薄れないものだと思っていたのに、薄れてきたかなって。荻野目それはショックですよね。岸谷さびしくなっちゃって、「リハビリに付き合ってくれない?」って友達のミュージシャンにお願いしました。みんなにスタジオに集まってもらって、音を出すようになって、その流れの中で「リハビリのライブをやりませんか」という話が出てきたんですよ。それで、「もし直前に、子供が熱を出したりインフルになったりしたら、私、ライブに行けないからね。みんなに土下座して謝ってくれる覚悟があるなら、スケジュール切っていいよ」ってマネージャーに言ったら、「わかりました。そうなったら私が謝りますから」って。荻野目そう言えるのも、すごい!岸谷それで最初の年に1日だけやりました。翌年は東京と大阪もやろうということになり、その次の年は5本くらいやろうということになり、その後、震災が起こって、PRINCESS PRINCESSの再結成という流れになったんですよ。で、再結成して活動したら、“音楽をもっとやりたい!”と思うようになり、今に至っています。荻野目『Act Against AIDS』のとき、1年に1回だけ歌うことになって、「Diamonds<ダイアモンド>」をすぐに歌えたんですか?私だったら、「ダンシング・ヒーロー」は歌えないですよ。岸谷えっ、どういう理由で?荻野目テンションが上がらないから(笑)。岸谷そういうことね。私はそういう意味では、得な性格なのかもしれません。イントロを聴いた瞬間に、スイッチが入っちゃって、なんだったら「ギター貸してよ」って、昨日までやっていたような顔になるタイプなの(笑)。荻野目それはすごい!向いていますね。岸谷でも次の日になると、「また来年」という感じで、日常に戻ってしまうんですけどね。でもステージに立ったら歌えていました。洋子ちゃんはどういうふうに復活したの?荻野目私は4年間くらい完全になにもやってなかったんですね。子育て中は自分の歌も一切聴かないですし。岸谷私もそうだった。荻野目音楽に関しては、ポップスも流さず、子守唄系・教育テレビ系の音楽だけの生活でした。さびしいという感覚もとくになくて、子育て生活にどっぷり漬かっていたんですね。デビュー25周年になる時に、ありがたいことに、ビクターさんから「レコーディングしませんか」というお話をいただいて、「えっ、やっていいんですか?」という感じで始めました。でも、いきなりアップテンポの曲は歌えない気分で。ボサノバタッチの歌だったら、家でも聴いていたので、その流れで作らせてもらいました。岸谷そうなんだ。荻野目でもそうはいっても荻野目洋子とボサノバって、イメージ的には結びつかなかったと思うし、セールス的にも伸びなかったんですが(笑)、自分の中ではいきなりアッパーな曲に行けませんでした。で、その後くらいから、たまにテレビのオファーをいただくようになっていったんです。アイドルと呼ばれていた方たちが、子育てをしながら仕事を両立させていく時代へと、世の中が変わってきていたから、そういうスタンスでの活動が受け入れられるようになったのかもしれません。それで、単発の歌番組で80年代の歌を歌わせていただいたりしていました。30周年を迎える少し前、28周年くらいの頃に、“当時の曲を歌うからにはもっとトレーニングをしないと、無理だな”と思って、デビュー前に通っていた腹式呼吸の先生のところに本格的に通うことにしました。岸谷ボイストレーニングってことですか?荻野目いえ、歌は一切やらないんですよ。体育会系の先生で、もうおじいちゃん先生なんですが、ひたすら走らされて、呼吸だけ教えてくれるんです。岸谷えっ?走るの?荻野目そう。体育館が教室で。晴れの日は体育館の周りを走って、雨の日は体育館の中を走って、とにかくひたすら走って、ハアハア息が上がっている時に、跳び箱の一番上の部分みたいなものをお腹に乗せて、先生が押すんですよ。「息をお腹から出すんだよ」って言われて、頭で考えても、できないじゃないですか。でもそこでお腹をグッと押されるから、ワーッって声が出ちゃう(笑)。呼吸の仕方を体で覚えさせる教え方。岸谷へえ~。荻野目その先生のところに行くと、かなりキツいトレーニングだけど本当に声が出るようになるんですよ。久しぶりに先生のところに行ったときは、「完全に主婦の体になっている」って言われましたけど。岸谷だって、主婦なんだから、しょうがないよね(笑)。荻野目そうですよね(笑)。でもそこから、2年くらいかけて毎週通って、ひたすら走って、鍛えられて、ようやく歌える身体に戻って、デビュー30周年を迎えた2014年には、2時間のワンマンライブができるようになりました。2017年頃に、「ダンシング・ヒーロー」で再ブレイクした時には歌える状態になっていたので、すんなり対応できたのだと思います。岸谷それは良かったですね。私も同じで、リハビリライブをやって、年1回でも歌うことを続けていたので、震災後の再結成の時も、自然に入っていけたんだと思います。“おかあさんモード”のままだと、“歌うモード”に急に切り替えるのは難しいですよね。洋子ちゃんの「『Diamonds<ダイアモンド>』を歌えたんですか?」という質問も、1曲だから歌えたんであって、ワンマンのステージ2時間はできなかったと思います。1曲と2時間のライブは全然違うから。荻野目全然違いますね。岸谷あと、私は“おかあさんモード”になっている時は曲が書けませんでした。集中力がないというか、“曲を書こうかな”と一瞬思っても、子供たちギャーッって言ってると、今はそれどころじゃないなって。なかなかそういうモードにはなりませんでした。人間って、モードで生きている生き物なんだなって痛感した。荻野目わかります。部屋を変えたり、家から出たりしないと、なかなか切り替えられないですよね。岸谷“家を出たら奥居香になる”みたいなことをすると、つらくなると思ったので、名前も普段通りにしているし、日常の中で歯を磨くように自然体で音楽をしたいと思っていて、特別なことをしないようにしていたのね。でもさすがに子育てが大変だった時期に、ライブが連続してあったときは、都内でもホテルに泊まっていました。ライブが終わって、家に帰って、「お帰り~!」って言われると、モードが変わってしまうから。荻野目うん、うん、わかります、その気持ち(笑)。岸谷本当に不思議なもので、子供の顔を見ただけで、一瞬でガラガラッって、“おかあさんモード”に切り替わっちゃう(笑)。荻野目私はむしろ独身時代は意識的に切り替えていたんですよ。普段の自分はおっとりしていて、でも楽曲はダンスビートを求められることが多くて、テンションを上げる必要があったので、朝起きたら、走りに行ってテンションを上げて、なんとかスイッチを入れていました。それなりに準備が必要だったんです。でも結婚してからは、またちょっと変わって。子供が生まれてからは、自分がたくましくならなきゃいけないという意識が強くなっていたんですね。でもある時、主人に、「そんなに構えなくてもいいじゃない?自然体でやった方がいいよ」って言われたんです。自分ではピリピリしているつもりはなかったんだけど、ライブ前はやっぱり構えたところがあったんだなって。岸谷ピリピリするのは、わかりますよ。荻野目「ピリピリするんだったら、やめたほうがいいよ」と言われたことがあって、それは自分にとってはショッキングでした。でも香さんがおっしゃったように、ミュージシャンとして自然体でやることが理想だなって。主人がそう仕向けてくれて。岸谷うちでも、再結成の時には、家族にお伺いを立てました。「おかあさんは昔、PRINCESS PRINCESSというバンドをやっていたことがあってね」って、子供にゼロから話したんですよ。「あなたたちが自分のことを自分でやってくれないと、いろいろ大変なんだよね。やってもいいかな?」って。その時に夫に、「自分が困らなきゃいいけど、子供のこともある、仕事もある、ライブもある。テンパらずにできるの?」って言われました。母親とミュージシャンを両立するのは簡単ではないですよね。荻野目ほんっとに、そうです。――お互いにそういう状況があっても、音楽活動のペースを確立されてきたんですよね。荻野目私はようやくこの何年間かで、自然体で音楽ができるようになってきたので、続けられるようになったんだと思います。岸谷私も同じですね。以前はライブもレコーディングも120%の力を出さないと、やり切った感がなくて、とくにライブは“すごく良くないとダメ”という気持ちでやっていたんですね。でも今は肩の力が抜けてきたところがあって、完璧なんてもともとあり得ないのだから、その日できることのベストをできたら御の字だなって思えるようになってきました。荻野目まったく一緒です。その日できるベストを尽くすしかないですよね。岸谷一番いけないのとは、焦っちゃって、できることまでできなくなってしまうこと。そういう意味では、やっと音楽を楽しめるようになってきたのかなと思います。前も楽しかったのですが、さらに楽しくなっています。Text:長谷川誠Photo:吉田圭子(後編に続く)<公演情報>『岸谷香 感謝祭2023』2023年2月23日(木・祝) OPEN 16:45 / START 17:30会場:EX THEATER ROPPONGI出演:岸谷香 / Unlock the girlsゲスト:荻野目洋子 / 藤巻亮太チケット料金:全席指定9,000円(ドリンク代別、税込)発売中:関連リンク岸谷香 公式サイト:荻野目洋子 Twitter:
2023年01月25日LURU HALL(山田産業株式会社)は7月31日(日) 14時より、日本人として初めてモーツァルト国際コンクールで優勝し、国内外で活躍する人気のピアニスト菊池洋子による「バッハ ゴルトベルク変奏曲」ピアノリサイタルを開催し、その模様を「Live Extreme」によるロスレス・ハイレゾ音声にてバイノーラル配信いたします。Live Extremeは株式会社コルグが開発した業界史上最高音質のインタネット配信技術であり、LURU HALLは2022年6月より、KORG系列スタジオ以外では初めてLive Extremeを常設導入しています。(プレスリリース )高い演奏技術が求められる作品でありながら、その心地よさから「眠るための音楽」とも評されるリラクゼーション・クラシックの名曲「ゴルトベルク変奏曲」。耳に心地よく自然な広がりのハイレゾ×バイノーラル配信で、菊池洋子さんの演奏を心ゆくまでお楽しみください。▼コンサート開催に寄せてゴルトベルク変奏曲はいつか私の大切なレパートリーにしたいと思い続けてきた念願の作品です。以前から自分の楽しみとして家で少しずつ弾いていましたが2020年3月、コロナ禍に入り演奏会が中止や延期になってしまった時に、このままずっと落ち込んでいる訳にはいかない、時間がある今だからこそ出来る事を!と取り組み始め毎日の私の心の支えと希望になったのがこのゴルトベルク変奏曲です。素敵な空間のLURU HALLで1時間20分の旅を皆さまとご一緒できます事を楽しみにしています。菊池洋子<イベント概要>名称 : 菊池洋子 ピアノ・リサイタル J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲配信チケット価格: 3,000円(税込)配信品質 : [音声]96kHz24bit or 48kHz24bit (lossless)/[映像]1920x1080p (FullHD)視聴可能期間 : チケット購入から1週間販売期間 : 2022年8月7日 23:59までチケットURL : 菊池洋子 バッハ ゴルトベルク変奏曲▼菊池洋子プロフィール菊池洋子 Yoko Kikuchi2002年モーツァルト国際コンクールにおいて日本人として初めて優勝、一躍注目を集めた。その後、ザルツブルク音楽祭に出演するなど国内外で活発に活動を展開し、いまや実力・人気ともに日本を代表するピアニストの一人である。前橋市生まれ。故田中希代子、故林秀光の各氏に師事。桐朋学園女子高等学校音楽科卒業後、イタリアのイモラ音楽院に留学、フランコ・スカラ、フォルテピアノをステファノ・フィウッツィに師事。国内主要オーケストラとの共演をはじめ、ザルツブルク・モーツァルテウム管、ハノーファー北ドイツ放送フィル、南西ドイツ・フィル、ベルリン響等と共演。ザルツブルク音楽祭、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭、プラハの春音楽祭等にも度々招かれる。2009、2018~19年にモーツァルトのピアノ・ソナタ全曲をフォルテピアノとモダンピアノを用いて演奏するといった意欲的な企画に取り組み好評を得た。2021年3月にはJ.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲」を初披露するなど、挑戦を続けている。最近ではバレエとのコラボレーション公演にも出演。CD録音も活発に行い、ソロのほか、ホルンの世界的名手ラデク・バボラークと共演したアルバムもリリースしている。前橋市Presents 舞台芸術祭芸術監督。第1回上毛芸術文化賞(音楽部門)受賞。2007年出光音楽賞受賞。菊池洋子オフィシャルホームページ: ▼業界史上最高音質のインターネット動画配信システム「Live Extreme」従来の動画配信プラットフォームは映像が高解像度であっても、音声はAACなどで不可逆圧縮されている場合が多く、音質面で十分満足できるものではありませんでした。コルグが開発した「Live Extreme」は、コルグがこれまで培ってきたオーディオ技術やインターネット・ストリーミング技術を活かし、最大4Kの高解像度映像とともに、ロスレス・オーディオやハイレゾ・オーディオ(最大 PCM 384kHz/24bit および DSD 5.6MHz)をライブ配信できる世界初(※1)の画期的なシステムです。※1 サンプリング周波数96kHzを超えるハイレゾ・オーディオに対応した動画配信システムとして(コルグ調べ) ▼Binaural LIVEとはBinaural LIVEは、バイノーラル録音による高音質・高画質のライブストリーミングサービスです。ライブ会場で生の耳で聞くような自然な音そのままに、全方向立体的に広がるリアルなライブ空間をお楽しみいただけます。イヤホンまたはヘッドフォンで視聴いただくことで会場にいるような臨場感、例えばアーティストの息づかいや、客席の気配まで、360度から音を感じる体験ができます。LURU HALLのバイノーラル録音システムは、サザン音響製 SAMREC 2700Proのダミーヘッドをベースに内部を医療用の特殊なジェルで充填する事でさらに生身に近づけ、収音マイクにドイツの名門SCHOEPS製マイクカプセルを搭載した、音楽をバイノーラル録音するための世界に1体だけのカスタムバイノーラルマイクです。音楽のダイナミズムを繊細かつ緻密に、しっとりと密度の高い音で立体的に収録可能なライブ配信システムを実現しています。 Binaural LIVE × Live Extreme▼配信プラットフォーム「eContent」最高品質の映像と音楽を届ける。高度な技術でアーティストを支える配信サービス。 LURU HALL 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年07月25日芥川賞作家・小川洋子の原作小説を映画化した日・台合作映画『ホテルアイリス』が、2022年2月18日(金)公開決定。愛と死の香りが漂うティザーポスターと場面写真が解禁となった。寂れた海沿いのリゾート地で、日本人の母親が経営するホテル・アイリスを手伝うマリ。嵐の夜、階上に響き渡る悲鳴を聞く。女に暴力と罵声を浴びせ立ち去る男に衝撃をうけながらも、激しく惹かれていく彼女は、やがて男が住む離れ小島へ導かれ、ふたりだけの世界にのめり込んでいく…。主演は、ジム・ジャームッシュや相米慎二はじめ数々の名匠の作品に出演してきた日本を代表する国際的俳優・永瀬正敏。本作では大人の色気を纏うミステリアスなロシア文学翻訳者を演じる。一方マリ役には、本国でモデルとして活躍、テレビCMにも出演している台湾のアップカミングスター・陸夏(ルシア)が、映画初出演にして主演という大役を射止めた。複雑なヒロインを可憐に、そして大胆に演じた彼女は、台北映画祭にて次代を担う期待の新人に贈られる「超新人賞」にも選ばれている。また、本作の中で異様な存在感を示しているのは、台湾の鬼才ツァイ・ミンリャン監督作品の常連主演俳優で知られるリー・カンション。売店小屋の男役を圧倒的な存在感で演じている。さらに、マリの母親役に『赤い雪』『夕方のおともだち』の菜 葉 菜、翻訳者の甥役に『菊とギロチン』の寛 一 郎、マリの父親役に永瀬さん主演の台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』の監督でもあるマー・ジーシャンなど、日台の実力派俳優たちが集結している。監督は、ロッテルダムや釡山などの国際映画祭で数々の冠に輝き、国内外で高い評価のある『波』『黒四角』の奥原浩志。台湾・金門島オールロケを敢行し、小川洋子の残酷で甘美な世界感を忠実に再現しながらも、奥原監督が大胆な解釈も加味しながら完全映画化。愛と死のイメージを、圧倒的な美しさで描きあげた。また『ソウルメイト/七月と安生』『少年の君』などデレク・ツァン監督作品で脚光を浴びている女性撮影監督ユー・ジンピンが参加している。ティザーポスターには、主演の永瀬さんと陸夏(ルシア)の愛のシーンがフィーチャーされ、繊細な映像美を感じさせる。そのデザインは『戦場のメリークリスマス(リバイバル版)』『黒衣の刺客』などを手掛けている成田慧が担当した。『ホテルアイリス』は2022年2月18日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ホテルアイリス 2022年2月18日より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋ほかにて公開
2021年12月10日歌手の高橋洋子が6月5日(19:00〜)、東京・日清食品 POWER STATION [REBOOT]にて、初の配信単独公演ライブ「『新世紀エヴァンゲリオン』主題歌『残酷な天使のテーゼ』高橋洋子スペシャルライブ【Refrain】」を開催する。TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』主題歌「残酷な天使のテーゼ」や『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』主題歌「魂のルフラン」などで知られ、『エヴァンゲリオン』シリーズ公式アンバサダーも務める高橋。今回のライブでは、ダンサー4名との5人編成で臨むスペシャルバージョンで、エヴァに関するトラックを中心に、レアな曲、特別バージョンの曲など多彩なパフォーマンスを展開する。またゲストには、数々の国際コンクールに入賞し、「心よ原始に戻れ 2020」 に参加したサックス奏者・松下洋氏、BEATBOX世界大会に日本人で初めて日本代表として出場を果たしたBEATBOXER・HIRONA氏が参加する。○■高橋洋子コメント高橋洋子です! こんなご時世だからこそ「奇跡は起こるよ何度でも〜」と意気込み満点! 初単独配信ライブが決定しました! レコーディングメンバーが初めてゲスト参加してくれたり! さらには、いつもの仲間たちとも愉快でパワフルなステージを計画中! あんな曲も、こんな曲も? 色々歌わせていただきます! ぜひご覧くださいませ。
2021年05月24日Y’s(ワイズ)は、フォトグラファー・桐島ローランドとタッグを組んだアートプロジェクト「WOMEN’S EMPOWERMENT Autonomy / Heteronomy」を実施。限定アイテムがY’s 表参道にて2019年9月14日(土)から先行発売され、追ってY’s 大丸神戸店、松坂屋名古屋店、阪急うめだ本店でも展開される。「WOMEN’S EMPOWERMENT Autonomy / Heteronomy」は、Y’sの根幹にある「男性の服を女性が着る」というコンセプトをアートビジュアルで表現するプロジェクト。自らの意思や欲求に基づいて独立、行動し、自由な選択をする“自律性”=Autonomyと、意志によらず命令、強制によって行動する“他律性”=Heteronomyの中で生きる人々へのテーゼを投げかける。「WOMEN’S EMPOWERMENT Autonomy / Heteronomy」の限定アイテムとして、Y’sのロゴとプロジェクトのロゴを印象的に配した、ユニセックスのオリジナルフーディーを用意する。また、ニューエラ(NEW ERA)とコラボレーションした「9THIRTY」の限定キャップも登場。ネイビーカラーに白のロゴを配したシンプルなデザインに仕上げており、同様のデザインのキャップキーホルダーも発売される。Y’s 表参道店では、2019年4月にスタートしたプロジェクトにおいて、桐島ローランドによって撮影された作品の一部を展示。2019年9月14日(土)からインスタレーション形式で展開され、初日には、ダンサー・アオイヤマダによるダンスパフォーマンスも行われる。【詳細】Y’s 「WOMEN’S EMPOWERMENT Autonomy / Heteronomy」限定アイテム先行発売日:2019年9月14日(土) 展開場所:Y’s 表参道※後日、Y’s 大丸神戸店、松坂屋名古屋店、阪急うめだ本店でも展開。・オリジナルフーディー 18,000円+税・Y’s×ニューエラ 9THIRTY 8,500円+税・Y’s×ニューエラ キャップキーホルダー 3,000円+税※9月14日(土)17:00以降にY’s 表参道に来場すると、「YOHJI YAMAMOTO COLLECTION TRACKS by JIRO AMIMOTO」のCDを先着順でプレゼント。■インスタレーション会期:2019年9月14日(土)~10月13日(日) 11:00~21:00場所:Y’s 表参道住所:東京都渋谷区神宮前4-12-10 表参道ヒルズ1F/B1F※エントランスは1F表参道沿い※インスタレーションは会期終了後、Y’s 大丸神戸店に巡回。・オープニングイベント日時:9月14日(土) 17:00~22:00※ダンスパフォーマンスは18:00~/20:00~ ※各回15分程度※先着順、無料で入場可能。収容人数の都合上入場規制の場合あり。
2019年09月16日かの桐島洋子女史が「聡明な女は料理がうまい」と名著に題したように、料理への姿勢とはたくましさや美しさ、その人の生き方に通じると言っていいはず。普段お料理をする方もそうでない方も、新しい調理器具を新調して新しいレシピに挑戦してみてはいかが?今回は、「食卓からココロ豊かに」をミッションに掲げる和平フレイズの機能性・デザイン性が高く調理が楽しくなるキッチンアイテムをご紹介します。 1台7役の万能ポットTo May マルチポット Mサイズ ¥2,500前後(税抜)/ Lサイズ ¥3,000前後(税抜)茹でる・沸かす・炒める・煮る・揚げる・炊く・和えるの7役調理が1台でできるTo May(トゥーマイ)のマルチポット。収納スペースが少なかったり、狭いキッチンで料理をしやすくしたいという声から生まれました。深さがあるので油はねがしづらく、対流が起きやすい形状なので麺を茹でるのにも最適です。内面はふっ素樹脂塗膜加工で落ちにくいこびりつきも簡単に落とせるのが嬉しいですね。MとLの2サイズがあり、Mサイズはイエローとライトブルー、Lサイズはレッドとネイビーと目を引くカラーのポットはキッチンが華やぎますよ。また、忙しい現代女性にもっと簡単に料理をしてインナービューティーを磨いてほしいという想いから、ホームページには旬の野菜を使ったインナービューティーレシピが掲載されています。野菜をたっぷり使ったスープや鍋、スムージーなど豊富なレシピを見ながら、身も心も温まるお料理を作ってみてはいかがでしょうか。 収納力の高い水切りカゴYOHAKU コンパクトにまとまる大容量水切りセット ピュアホワイト/ライトグレー 各¥8,000(税抜)大容量なのにスッキリ収納できるよう、本体の中に全ての部品(8個)を納めました。この部品を組み合わせると6通りの使い方ができ、キッチンの形に合わせ自由に拡張、配置できます。蓋をして中身を隠すこともできるので、生活感が出やすいキッチン周りをスッキリ見せられますよ。また、漂白剤をつけ置きするだけでヌメリが取れてお手入れが簡単なのもポイントです。ピュアホワイトとライトグレーの2カラーあり、2018年度の「GOOD DESIGN AWARD 2018」を受賞したシンプルでクリーンなデザインと機能性の高さは、キッチン周りのお片づけが苦手な方におすすめですよ。 銅ならではの魅力がたっぷり匠弥純銅ミルクパン12㎝(ミラー仕上)¥5,000(税抜)江戸時代から新潟県燕市に300年以上も受け継がれる鎚器銅器(ついきどうき)。熱伝導率が高い銅のミルクパンは、火の通りにムラが出ず具材の芯までしっかりと火が通ってまろやかな味わいを生み出します。変色しやすい銅は通常外側にクリア塗装加工がされるのですが、匠弥の銅器は使い込むほどに味が出る銅の魅力を伝えるため、あえて塗装はせずアンティークのように変化を楽しめます。丸みのある本体と木製の取っ手がぬくもりを感じるデザインで、夜にスープやホットミルクなどをコトコト煮詰めるとホッとするひと時が訪れそうです。 大人数で楽しみたいなら元祖ヤキヤキ屋台 はっぴーお好みメーカー ¥7,000(税抜)近頃は内食化が進み、ホットプレートに注目が集まっているのだそう。ホームパーティで友人のお宅にお呼ばれすることも多いのでは?そんな大人数で食卓を楽しく囲むなら、元祖ヤキヤキ屋台のお好み焼きプレートがおすすめです。ホットサンドのように具を入れて火にかけるだけなので、崩れる心配なく簡単にキレイにお好み焼きが焼けるのです。片手で食べられるサイズのお好み焼きを同時に4つ焼くことができ、プレートは着脱できるので洗い物も簡単。お好み焼き以外にもパンケーキなども楽しめますよ。 楽しく美味しく簡単にクッキングを長期休暇でゆっくりお料理をする時も、普段の忙しい日々のお料理も、楽しい気持ちで作るお料理は心の栄養になります。年末に長年使い古した調理器具を整理しながら、新年に向けて新しいキッチン道具を新調してみてはいかがでしょうか。 和平フレイズwww.wahei.co.jp text:和田典子
2018年12月26日3月18日放送の「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)に出演した荻野目洋子(49)。“ダンシング・ヒーロー”のイメージからは想像できない、衝撃的な発言をした。 「イモ虫の幼虫って緑地に目がカワイイんですよ」 子どものころから「昆虫が大好きだった」という荻野目。しかしその“昆虫愛”は並々ならぬもののようだ。イモ虫を愛でるほかにも「ナナフシはロマンですね」といった熱弁も。さらに周囲が唖然としたのは“あの虫”を荻野目が慕っているからだ——。 「これは大事なんですけど、ゴキブリの方が人間より長く生きてるんで、先輩って呼んでるんですよ。先輩出たよー、みたいな」 荻野目が育ったのは、埼玉県嵐山町。大自然に囲まれた地域で、いつも野山を駆け回っていたと昨年5月のインタビューで明かしている。養鶏所では生みたての卵を買い「卵はこうやってできるんだ」と肌で感じることができたそうだ。 さらに家では猫を7、8匹と犬1匹を飼っていたとも。荻野目にとって自然や動物と戯れるのは当たり前のことであり、昆虫との距離が近いのも環境のお陰のようだ。また荻野目のブログには「自然」というカテゴリーがあり、出会った虫を紹介することもある。 同番組の放送終了後、荻野目は自身のTwitterにこう投稿している。 ≪ようやく自分らしい話ができるようになりました。アラフィフにして、天命を知る(自分の生涯における使命を見極める)という孔子の言葉に納得≫ そんな“自然体”な姿を見せる荻野目だが、Twitterではファンから好意的な反応が上がっている。 ≪今の荻野目ちゃんの自然体なところがいいじゃないですかね。それでそんだけ煌めいてますので≫≪自分の言葉でテレビで居られるってすごいです。たくさんの人にキャラクターが知ってもらえるといいですね≫≪テレビに映る「荻野目洋子」は昔以上の輝きがあります≫ 年齢を重ねますます輝きを増す荻野目。これからもファンを魅了し続けてほしい。
2018年03月22日昨年、登美丘高校ダンス部から火がついた、『ダンシング・ヒーロー』のリバイバルブーム。’80年代にその曲を歌っていたのが荻野目洋子さん。時を超えて今再び輝く、魅力の秘密に迫ります。――自分にとって大事な曲が、バラエティ的な“ネタ”になることに抵抗はないのですか?荻野目:抵抗感?全然ないです(笑)。――なんとおおらかな…。荻野目:もちろん私自身は真面目にやってるんですよ。でも、どうしてだかネタにされやすいんですよね(笑)。当時もとんねるずさんが番組のコントで使ってくださいましたし、ナインティナインの岡村さんが『めちゃイケ』で、「俺はダンシング・ヒーローになりたいんや!」とか叫んで下さったり。なんでしょう、いじりやすいんですかね。でも基本的には、楽しければいいんじゃないかと思うんです。――エンターテインメントになっていればいいということですか?荻野目:そうですね。私の中では、エンターテインメントって、楽しいものなんです。演る側はもちろん、見ている方に楽しんでもらうのが基本だと思っていて。そういう意味で言うと、人を笑わせることができる芸人さんという仕事は、本当にすごいですよね。そんななかで、人を楽しませる材料の一つとしてこの曲を取り上げてくれたのは、本当に嬉しかったんですよ。登美丘高校と共有し合えた、“熱い部活魂”とは。――登美丘高校ダンス部の生徒さんたちは、荻野目さんのお嬢さんと同世代くらいかと思うんですが、共演はいかがでしたか?荻野目:パフォーマンスはもう、プロ顔負け…というか、プロも見惚れる。年末にレコード大賞で共演したんですが、大勢のタレントさんから「一緒に写真を」と言われてて、それを見て、「分かる、分かる!」って思ってました。――年齢を超えた共通点的なものはありましたか?荻野目:あの部活は、OBのakaneコーチという方が指導をされているんですが、それはそれは厳しいんです。ただ、だからこそのあの高いパフォーマンスが完成するわけで。コーチと生徒の間には、大きな信頼があるのを感じます。今の学生に、こんな熱い気持ちの人たちがいることには、すごく驚かされました。実は私は中学のときに卓球部で、そこのコーチも、それはそれは厳しい人だったので、akaneコーチのビシバシ言うあの感じ、すごく分かるんです(笑)。“これこれ~!私もそういうなかで卓球やってた~!”って、部活魂に火がついてしまった。――そんな熱い部活魂に囲まれてパフォーマンスするのは…。荻野目:全然違和感なく(笑)。懐かしくて嬉しくて。本当に楽しかった。うちの娘も部活をやってるんですが、ああいう気持ちを持ってくれないかなぁって思いました。おぎのめ・ようこ1968年生まれ、千葉県出身。小学生時代に素人のど自慢番組に出演し、それをきっかけにスカウトされ、芸能界に。’84年にソロ歌手としてデビュー。翌年7枚目のシングルとしてリリースした『ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)』が大ヒット。’01年に高校時代の同級生、元プロテニスプレーヤーの辻野隆三氏と結婚。3女の母。※『anan』2018年3月21日号より。写真・内田紘倫(The VOICE)ヘア&メイク・くや ちひろ(SAYA LABO)(by anan編集部)
2018年03月15日バレンタインデーのその日、『HOUSE OF LOTUS』のプレス向け春夏コレクションのプレビューがあるというので、行ってきました。『HOUSE OF LOTUS』は、桐島かれんさんがプロデユースするブランドです。桐島かれんさんといえば、20代の頃はモデルや歌手をしていらっしゃって、メディアで見かけることも多く、お母様は作家の桐島洋子さん、妹さんはエッセイストのノエルさん、弟さんは写真家のローランドさんという、インターナショナルでアーティスティックな環境で生活してきた方だな、という華やかなイメージを抱くと思います。30代になってからあまり表舞台で見かけることはなくなり、結婚されて子育てを一生懸命していらっしゃるんだな、と勝手に思い込んでいました。ちょうどそんな折に、新聞で桐島かれんさんについての記事を読んで今回の『HOUSE OF LOTUS』の春夏コレクションを知ることとなり、興味津々で青山にあるプレスルームへ伺いました。 青山にあるお店は、おしゃれな住居です、という感じの外観で、中は暖かな雰囲気が漂っています。ドアを開けて中に入ると、一階は小物やアクセサリーが並んでいて、スタッフが着ている洋服も上品で素敵。店内は時間がゆっくり流れているようにすら思えてしまう優雅さです。今回の目的の春夏コレクションのある3階のプレスルームへ向かいます。 まず目に飛び込んで着たのは、写真(左)の薄いサーモンピンクのワンピース。絞りのような生地をふんだんに使ったロング丈のワンピースは、暑い夏でも涼しそうです。よく見るとラメのステッチが入っていて、パールのネックレスと合わせると、上品に着こなせそうです。スタッフの方に伺うと、桐島さんと同じ年代(つまり、50代)から30代くらいのお客様が多いということでした。どんな体型でも似合うデザイン、ディテールにこだわって作らた上質なアイテムが豊富。このワンピースは、他に白や黒などの色違いもあり、大人買いしそうなくらい、気に入りました。 そして、隣のテーブルの上のアクセサリー。大きめのコットンパール、コロンとしていてかなりの存在感です。髪を束ねてつけると素敵そうですね。桐島さんのイメージに近づけそう。そして、こちらは、ゴールドです。エスニックなアクセサリーは欲しいけど、選ぶのはなかなか難しいもの。ぶら下がるタイプのイヤリングも、大ぶりなものは、目立ちすぎたり派手になりすぎて、大人の女性としては躊躇することもあります。でも、これなら、派手すぎる金色ではなく、シンプルなデザインなので、大丈夫。夏に向けて、大ぶりなアクセサリーが欲しくなってしまいますね。続いて、洋服へ。ピンク、黄色・オレンジ、ブルー、白、というように色別に並んでいます。このピンクのボレロ、胸の切り替えから下は、生地をたくさん使っているので、柔らかい素材でも、重さでストン、と下がって、なんとなく安心感があります。切り替えが胸の上の方なので、バストが大きくても小さくても、それが欠点にならない工夫を感じます。凝った模様をビーズで縫い込んだ、丁寧な作りが美しい! そして、上の写真の後ろの方にあるレースのワンピース。ピンクのデイジーが青い空に飛んでいるような、とても綺麗な色合いのワンピース。袖口は広めですが、青い縁取りにすることで、引き締まった印象になりますね。こちらは、ラフに羽織るだけでオシャレに見えるターコイズブルーのガウンドレス。胸のVラインが顔を小さく見せてくれて、エアコンが効いている夏に、とても重宝しそう。切り返しから下の生地の分量がとても多いから、ひらひらした感じではなく、それでいて軽いのも◎。パンツと合わせてもいいし、ワンピースにさらりと羽織っても、エレガントな雰囲気です。黄色のスエードのバブーシュ。ちょこんと付いたタッセルが可愛い。結構サイズが大きいのも嬉しいポイント。スエードなので肌触りもよく、素肌に馴染んで、夏に履いても気持ち良さそうです。コーディネートの差し色に、欲しくなる一足。そして、賑やかな雰囲気のインドのサンダル。華やかなのに、派手ではない、そういう絶妙なセンスが魅力。エスニックな雰囲気を洋服で着こなすのが難しそうという方は、まずはサンダルから取り入れてみては? 夏のバカンスに持って行くのもオススメ。そして、レースにビーズの刺繍がほどこされたベトナムのサンダル。涼しそうなデザインと、シースルーの透け感が可愛い。真っ赤なペディキュアをした素足で履きたくなります。2色とも、欲しい!最後に、「キジマタカユキ」さんに別注されている帽子。ツバの広い帽子はちょっと苦手なので、このくらいがちょうどいい。クラウンの部分が高いと、上下の方向に視線を向ける効果があるので、背を高く見せてくれそうです。夏も帽子が欠かせない世代には、こういうシンプルでおしゃれな帽子は手放せないですね。桐島かれんさんは背が高いから、長めのスカートや、背が高い人が似合いそうなデザインが多いと思っていたのですが、実際、どんな体型でも似合うデザインが豊富でした。派手だな、と思う色も、デザインが落ち着いた感じだったり、丁寧な刺繍やプリントが施されているので、シックに着こなせそうです。桐島かれんさんの世界観を満喫できるショップ、オススメです。 2月21日に新宿伊勢丹に新ショップがオープンし、3月16日には大阪の阪急うめだ本店、3月末からオンラインショップがオープンするとのこと。一度手を通したら、病みつきになりそうな、綺麗な色、柔らかな素材、着やすさが魅力の『HOUSE OF LOTUS』に、足を運んでみてはいかがでしょうか?
2018年03月04日2010年代を代表する青春映画の金字塔『桐島、部活やめるってよ』から、早5年。あの『アベンジャーズ』と同時期公開だったこともあり、その宣伝コピー「日本よ、これが映画だ。」の向こうを張って「ハリウッドよ、これが日本映画だ。」と謳った新聞広告なども話題を呼び、日本アカデミー賞をはじめ各賞を総なめにした。主人公の映画部・前田涼也を演じた神木隆之介は、その後も『バクマン。』『君の名は。』『3月のライオン』『メアリと魔女の花』などで改めて抜群の演技力を示し、また、リア充のはずが“何も持っていなかった”菊池宏樹役に「メンノン」モデルから抜擢された東出昌大は、同作を機に演技の道へ。今年は特に、ドラマ「あなたのことはそれほど」や『関ヶ原』でこれまでにない役どころを演じたことが絶賛された。そしていま、話題作のキーパーソンに次々抜擢されたり、満を持しての初主演映画が完成したりと、何気にエンタメ界を席巻しているのが、この『桐島、部活やめるってよ』で神木さんや東出さんらの周りにいた若手俳優たち。その中でも活躍著しい太賀、松岡茉優、鈴木伸之の3人に注目した。■“ゆとりモンスター”で認知度アップ!『南瓜とマヨネーズ』で女心を鷲づかみ!?“桐島”と同じバレー部でサブメンバーの小泉風助を演じていた太賀さん。そのほか、野球部を描いた『バッテリー』『ひゃくはち』などで活躍し、「天地人」などNHK大河ドラマにも出演。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の審査員賞を受賞した『淵に立つ』などでも印象深い演技を披露した。そして昨年、宮藤官九郎脚本「ゆとりですがなにか」で演じた“ゆとりモンスター”ぶりが話題となり、今年は彼を主人公にしたスピンオフ「山岸ですがなにか」が制作されたことも記憶に新しい。現在は、中村蒼、矢本悠馬、染谷将太とともに高校3年生を演じた、早見和真の青春小説の映画化『ポンチョに夜明けの風はらませて』、臼田あさ美、オダギリジョーとの競演で魚喃キリコの原作コミックを映画化した『南瓜とマヨネーズ』が相次いで公開中。特に後者では、「私、何やってんだろう…」と思うほど“ダメなことをしている”自覚があるヒロイン・ツチダ(臼田さん)が惚れ込んだミュージシャンの卵・せいいちを好演。オダギリさんが最強モテ男のダメな大人・ハギオを演じて(これがハマリ役)女性をドキドキさせる一方、せいいちの音楽に対する思いやひたむきさに心をつかまれる人たちも続出中。何より、ツチダが惚れ込んだ彼の才能が、ラストに絶妙な形で披露されるシーンは、太賀さんの優しい歌声も相まってキュン死寸前…。恋敵のオダギリさんも「役者にしとくのはもったいない」と絶賛を贈るほどだ。ちなみに同作には、『桐島』でバドミントン部員・実果を演じていた清水くるみがツチダのキャバ嬢仲間、帰宅部・友弘を演じていた浅香航大がせいいちの元バンド仲間として出演している。■若き演技派・松岡茉優が初主演!東京国際映画祭で2冠『桐島』では、校内一の人気女子で“桐島”の彼女・梨紗(山本美月)とつるんでいることがステータスで、宏樹(東出さん)の彼女でもある沙奈役にオーディションから選ばれた松岡さん。“ヒール”ともいえる役回りは強烈な印象を与えた。子役から活動していた松岡さんは「おはスタ」のおはガールを務め、その卒業とともに女優業を本格化。「鈴木先生」「GTO」『悪の教典』などで生徒役を演じ、バドミントン部・東原かすみ役の橋本愛とは「あまちゃん」や『リトル・フォレスト』で再共演した。今年は『カーズ/クロスロード』でディズニー/ピクサー作品の声優に初挑戦し、現在は綾野剛主演「コウノドリ」の続編に出演中、大ヒット作の続編『ちはやふる ー結びー』でも競技かるたクイーン・若宮詩暢を続投する。そんな松岡さんが、満を持して初主演を務めた映画『勝手にふるえてろ』が12月23日(木・祝)より公開される。映画初主演は遅すぎるくらいかもしれないが、この紛れもない傑作に出会うためだったと思えば納得だ。芥川賞作家・綿矢りさの同名小説を大九明子監督が実写化した同作は、中学の同級生で10年間片想い中の「イチ」(北村匠海)と、人生で初めて告られた会社の同期「ニ」(渡辺大知)の間で揺れる妄想女子・ヨシカが主人公。劇中、彼女の妄想具合が露呈するシーンでは、その転調に一瞬あっけに取られながらも、ヨシカへの愛情が盛り盛りと増していく。“脳内片想い”と“リアル恋愛”を行ったり来たりするヨシカや、彼女の得意ワザ“視野見”に、「あれは私だ」と共感する人は結構多いかも!?また、同作は、先日の第30回東京国際映画祭でコンペティション部門にて上映され、観客投票で選ばれる観客賞を受賞、松岡さん自身も、今年から新設された全作品対象の新進若手俳優に贈られる「東京ジェムストーン賞」の1人に見事選ばれている。■東出昌大と共演「あなそれ」の煮え切らない“クズ夫”でブレイク『桐島』では太賀さんと同じくバレー部で、部活をやめるキャプテン・桐島に翻弄された副キャプテン・久保を演じていた鈴木さん。「EXILE」のボーカルオーディションをきっかけに「劇団EXILE」に加入、同作では映画初出演とは思えない熱演を見せていた。その後は、オーディションで受かるのは主人公と敵対する悪役やクズな役が多かったという鈴木さん。確かに、「ルーズヴェルト・ゲーム」「水球ヤンキース」で演じたヒール役は印象深く、『オオカミ少女と黒王子』では茶髪で学校イチのモテ男子に扮したが、やはりイイ奴とはとても言えないキャラだった。そして、いくえみ綾の人気コミックをドラマ化した「あなたのことはそれほど」では、波瑠演じるヒロイン・美都の初恋相手で妻子がいながら不倫関係に陥る有島役に。美都もさることながら、有島の身勝手すぎるチャラめの言動は視聴者の反響を呼び、鈴木さん自身にも注目が集まった。かと思えば、『東京喰種 トーキョーグール』では、正義感あふれる対喰種捜査官・亜門に扮し、鍛え上げられた肉体美や長身を生かしたアクションという彼の真骨頂を披露。『桐島』では直接の絡みは少なかった前野朋哉(映画部員役)とも再共演した。そんな鈴木さんの次回作は、桐谷美玲が東大卒のミスキャンパスながら極度の性格ブスのヒロインに扮し、大失恋した相手を見返すために女性初の総理大臣を目指すという『リベンジgirl』(12月23日公開)!鈴木さんは生真面目で無愛想で毒舌、桐谷さん演じる美輝の選挙秘書という硬派なインテリ役に挑戦する。スマッシュヒットした桐谷さんの先の主演作『ヒロイン失格』では、相手役の山崎賢人や坂口健太郎もいっそう人気を高めることになっただけに、同作でも鈴木さんの新たな魅力が注目を浴びるはず。彼らの大躍進は、そのまま2018年も続いていくことになりそうだ。(text:cinemacafe.net)
2017年11月19日「3月上旬、安倍首相の母・洋子さんが、2階で暮らす昭恵夫人を3階に呼び出したそうです。そこで『首相夫人という立場にいながら、得体のしれない人物にはもう会わないように……』と、面と向かって厳しく叱咤したと聞いています」(政治部記者) 安倍晋三首相(62)の私邸で再燃した嫁姑バトル。姑の洋子さん(88)が危機感を募らせたのは、森友学園の国有地払い下げ問題で自分ばかりか、夫まで窮地に追い込まれる局面を作った、昭恵夫人(54)の“言動”だった。 2月9日に国有地が格安で森友学園に払い下げられた件が報道されたことに端を発し、建設予定だった小学校の名誉校長に昭恵夫人が就任している(のちに辞任)など学園と夫人の“近しい関係”が次々と明るみになった。前出・政治部記者はこう語る。 「23日に行われた学園の前理事長、籠池泰典氏(64)の証人喚問で昭恵夫人の“疑惑”がさらに強まった。問題の国有地の定期借地契約の期限を探るため、昭恵夫人付きの職員が財務省に“働きかけ”をしたファクスの存在まで明るみになりました。それに加えて、昭恵夫人を通じて安倍首相から100万円の寄附金を受け取ったとも証言したのです」 森友学園問題の“主役”として昭恵夫人がクローズアップされ、洋子さんが怖れていた事態が現実になりつつある。洋子さんは故・岸信介元首相の長女。安倍首相の父で元外相の故・晋太郎氏と結婚し、夫が亡くなった後も長男一家と次男・晋三夫妻と同じ邸宅に住んでいる。安倍家に隠然たる力を持つ彼女のを、政界関係者は“ゴッドマザー”と呼ぶ。 「洋子さんは以前から昭恵さんの自由奔放な振る舞いが気になっていたようです。首相に返り咲いた12年からは、特にその思いを強くしていたようで……」と語るのは政府関係者。それでも洋子さんは直接文句をつけることは避けて、古くからのスタッフを通じて次のような苦言を昭恵夫人に伝えたという。 「首相が公務を終えて帰宅するまでに帰宅すること。彼女が経営する居酒屋で酒を飲まないこと。最低限の家事をすること。山口にたびたび帰って選挙の手伝いなど地元周りをマメにすることなどでした。しかし山口に帰ること以外はほとんど守られなかったそうです」 昭恵夫人は、東京・神田で12年から経営する居酒屋『UZU』で“人脈作り”に励んできたという。安倍首相が帰宅しても、彼女が不在のことも多かったそう。政治部記者が言う。 「そんなとき首相は3階の洋子さんのところに行って、母の晩酌に付き合いながらDVDを観て過ごすこともあるようです。いまはお手伝いさんが作ることが多いそうなんですが、朝食も洋子さんが用意することがあるとか。私邸では自然と母子2人で過ごすことが多くなるようです」(前出・政府関係者) 洋子さんは折に触れ注意していたようだが、昭恵夫人も頑として言うことを聞かなかったという。そんな昭恵夫人に、洋子さんもさじを投げた状態が続いていた。しかし森友学園問題は日に日に大きくなり、行方によっては安倍首相の政治生命にも影響を及ぼしかねない。思いつめた洋子さんがついに面罵したのが冒頭のシーンだった。その続きにはこんな決定的な言葉が昭恵夫人に投げかけられていたという。 「『あなたの不知な行動でどれほど首相が苦しんでいると思っていますか』と昭恵夫人に話し聞かせたそうです。そして『政治家・安倍晋三にもしものことがあったら、しっかりケジメをとってもらいますからね』と付け加えたとも聞いています」(前出・政府関係者) このときはさすがの昭恵夫人も反論することもなく、黙って洋子さんの話を聞いていたという。内閣支持率も目に見えて低下。昭恵夫人だけではなく危機はついに安倍首相も追い込みつつある。洋子さんの懸念どおり、夫妻が“ケジメ”をつける日が来るかもしれない。
2017年03月28日●観客の喜びが佐藤プロデューサーへの恩返し藤原竜也のキラ・夜神月、そして松山ケンイチのL。名前を書いた人間を殺すことができるという死神のノート"デスノート"を巡って2人は頭脳戦を繰り広げ、命と引き換えに互いの正義を守り抜いた。今でこそ当たり前となっている2部作連続公開の先駆けともいえる実写映画。『デスノート』(06年6月)は28.5億円、『デスノート the Last name』(06年11月)は52億円の興行収入を記録し、漫画原作映画の成功例としてもその後の邦画界に影響を与えたと言われている。それから10年後、「新世界の神」は息を吹き返す。続編となる『デスノート Light up the NEW world』が公開されると発表されたのは、昨年9月のこと(当時の仮題は『デスノート2016』)。ドラマ版の最終回終了後に告知され、わが耳を疑った。舞台は月とLの死から10年後の世界。6冊のノートの存在が判明し、3人の天才が三つ巴の戦いを繰り広げる。その中心に立つのが、デスノート対策本部捜査官・三島創を演じる東出昌大(28)だ。Lの遺伝子を継ぐ世界的名探偵・竜崎(池松壮亮)、キラ信奉者でサイバーテロリスト・紫苑優輝(菅田将暉)。 役者としても手強い2人を脇に従え、"デスノートオタク"は人気シリーズを背負うプレッシャーを吹き飛ばすように熱のこもった演技を披露する。演じるのは天才。しかし、彼は自身を「凡才」と言い切る。俳優デビュー作『桐島、部活やめるってよ』(12年 以下『桐島』)で学んだ「逃げない心」が、インタビューの言葉からも伝わってくる。――映画化されると聞いて、本当に驚きました。同じです(笑)。えっ? 何やるの!? と。僕も多くの方と同じように前作のファン。そして、リアルタイムで観ていた世代。まさか、Lと月のどちらかをやるなんてないよな……。ファンの方が「え? マジで?」の後と同じようなことを、僕も考えました。その後、大場つぐみさんがアイディアを考えてくださって新しいストーリーになっているというのを聞いて、それならぜひと。台本が楽しみになりました。ただ、前作までがかなりの完成度で、マンガも完結している上に支持している方も多い。10年後……まさかニア、メロの10年後ではないよな……。そんなことも頭をよぎりました(笑)。――実際に上がってきた脚本を読んで、その心配の種は無くなりましたか(笑)?台本をいただてからは楽しみでしょうがなかったです。何よりもうれしかったのは、『桐島、部活やめるってよ』(12年)でもお世話になった佐藤貴博プロデューサーが10年前から手がけているシリーズに加わらせていただけること。外さないものは作らない方だとわかっているので、その指揮の下でやれる喜びもありました。佐藤プロデューサーは、ものすごい熱い方なんです。『デスノート』に対しての思いが、人一倍強く、生粋の『デスノート』ファンでもある。ファン10人分ぐらいの熱量でやっている方なので、大船に乗ったような気持ちというと失礼かもしれませんが、一緒に情熱を注ぎたいと思いました。僕が出させていただいた舞台『夜想曲集』で、終演後に楽屋あいさつに来てくださって。「よかったよ」と褒めていただいた後に、「ちょっとデカイ作品がある。お前でいくから」と言われたんです。その時は何のことか分からなかったんですが、それが去年の夏前ごろ。秋口にお話をいただいて、その時の言葉がピンと来ました。楽屋に来てくださったときの目つきが本当に真剣な目つきで、大きな期待と同時に、「覚悟しろよ」と言われている気がしました。『デスノート』は、佐藤さんにとっての宝。真正面から向き合わなきゃいけないと思いました。――東出さん、池松壮亮さん、菅田将暉さんの共通点が、日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞したこと。東出さんは壇上のスピーチで、「『桐島』のスタッフと俳優として再会したい」とおっしゃっていました。こうしてご一緒できるのはもちろんうれしいことですが、出演が決まったときは、プレッシャーとも違って……もっともっと考えないといけないことが先々に山積みになっています。映画が完成して、たくさんの方に観ていただいて「よかったよ」と言われた時に、ようやく"恩返し"になるのかなと思います。出演が決まった段階では、まだ恩返しではない。400メートル走であれば、「再会」はほんの2~3メートル程度と思っています。●「夜神総一郎に引き抜かれた」を捨てない――公開間近の今、400メートル走も佳境だと思います。現時点ではどのような思いですか。そうですね……。あっ! 映画、いかがでしたか?――10年後の続編と聞いて勝手に心配していたのですが(笑)、デスノートをうまく活用した物語に仕上がっていると感じました。良い意味で裏切られてしまった。あとは東出さんの演技が凄まじかった(笑)。ありがとうございます。今おっしゃったことをそのままを記事にしていただけると、最大のウリ文句になると思います(笑)。――でも、ネタばれになるから多くを語れないんですよね。そうなんですよ。僕らは劇場さえ来てくださったら、逆転に次ぐ逆転を楽しんでいただける絶対的な自信を持っているんです。ただ、いかんせんネタバレが多い(笑)。もし、一緒にご覧になっている方がいたら、答え合わせを絶対にするじゃないですか? これは『デスノート』シリーズが受け継いでいる魅力そのもの。そのポイントは外していません。――終わって、誰かと一旦整理してみたくなるあの感じですね。そういえば、東出さんが演じた三島。彼の正義感の背景などは、描かれていませんでしたね。準備稿の段階ではありました。「上司を殴って窓際部署の対策本部に配属された」という設定でしたが、「実は夜神総一郎に引き抜かれた」という裏の設定も。夜神総一郎はいずれまたデスノートを巡る事件が起こると予感していて、有能な三島を引き入れたんです。これらは台本から削られましたが、僕にとっては捨ててはいけないこと。佐藤(信介)監督からも、「頭のなかに残しといて」と言われていました。――佐藤プロデューサーは、「内面を表現してもらうように、試行錯誤してもらった」と。具体的にどのような試行錯誤だったのですか。デスノートには、単純に人を殺せるということだけではなくて、独特の魔力があります。あの世界に身を投じて、デスノートの怖さをさらに知っていくことが大切でした。手に入れると人格が変わってしまう。それが『デスノート』。三島、竜崎、紫苑はそれぞれの正義感があったはずなのに、その正義感が歪んでしまう。月だってあんなに爽やかな青年だったのに、一歩道を踏み外すとそれがどんどん加速していく。そういう心情を、台本を読み込みながらどんどん掘り下げて、感情を追うだけではなくて、そこにはデスノートの何が作用したのかも考えるようにしました。――デスノートのルールはとても複雑です。三島の部屋に積まれたノートには実際にそれらが書き込まれているそうですね。細かいルールも頭に入れていたんですか?僕も原作ファンなので、原作ファンの裏切られたくない気持ちがすごく分かります。だから、仮に「ルールを無視」と言われたら、「それはファンとしてできません」と断っていたと思います。そういう共通認識をこの作品に関わる人はみんな持っていて。台本が改訂していく中でも、どのルールが作用しているのか、確認し合いながら進めました。――デスノート対策チームの現場では、撮影後に酒盛りが行われていたそうですね。どなたのアイデア?たぶん、池松くんだったと思います。毎晩(笑)。ロケ地の神戸に入って、監督、プロデューサーさん、美術部さん、俳優部で焼肉食べに行った後は、連日デスノート対策チームで酒盛りです(笑)。深夜2~3時までかかることのほうが少なくて、22時ぐらいには終わって。家族と談笑するように、自然とみんな部屋に集まって語り合い、そうやって役の皮を一旦剥がして寝ていました。――その目的は? 相手を知るため?それもありましたね。子どもの会話みたいなんですが、「デスノートを手に入れたらどうする?」とか。ある時に、「電車の中で嘔吐した人がいたら?」という話になって。そこはそれぞれの人間性が出るというか、みんなディベートのように自分の考えを真剣に話していました。翌日、池松くんが「昨日のように、人の核となるような話をしたかった。お互い話せないこともなくなるから」と言っていたのが印象的で。確かにそうだなと。それからは、お互い遠慮することもなく、思っていることを確認し合えました。あの時間があるのとないのでは、演じる上でも大きく違っていたと思います。●『桐島』ラストの葛藤「泣けるのか?」「泣けない!」――以前からお酒がお好きとおっしゃっていましたね。東出さんにとって「お酒」はどのような役割がありますか。緊張感がある中で、副交感神経を和らげる効果があります(笑)。リラックスできるので、人と話す時は本当に便利ですね。お酒を理由に暴れたりするのはちょっと違うと思うんですけど、「お酒を飲んでるから何でも話していいよね?」みたいな方向に持って行けるのがありがたい(笑)。そういう力を借りて、みんな腹割って話すのが好きですね。――だいたい共演される方と飲みに行かれるんですか?作品によって異なります。今回は「デスノートを敵」として集まった対策本部の面々だったので。でも、役者でもいろいろなタイプがあると思いますが、仮に思いっきり敵対して憎しみ合う役だったら、一緒に飲みたいとは思わない。そういう気持ちで、現場で顔を合わせないようにすることもあります。――俳優デビューとなった『桐島』の時と比較して、現場の人や作品との向き合い方は変わりましたか?ちょっとずつ、逃げなくなってきたのかなと思います。ちょっとずつですが。まだ、自分は弱くて、もっともっと深く突き詰めなければいけない。言い訳せず肩の力を抜いて楽になれば、より良くできるのかなと思う時もあるんですが。いかんせん、それに気づかなかったり、挑戦する勇気が出なかったり……その時は、意外と精一杯だったり。終わってみて、もっとこうすればよかったと思うことばかりです。――数年前を振り返ると、自分は逃げていたと。それは思います。『桐島』のとき、ラストで泣きの芝居があったんですが、あの時、余計なことばかり考えていて。「泣けるのか?」「泣けない!」とか。役の感情になればいいんだからと言われても、「そんなこと言われても!」と受け入れられなかった(笑)。でも、そこで逃げないで向き合っていれば、もっと素直に演じられたはず……。役者として駆け出しだったのもありますが、ほかの役者さんだったら僕よりも間違いなくうまくやっていた。今振り返ってみても、本当にご迷惑をかけたなと思います。――逃げない心。鍛えるにはやはり場数ですか?そうですね。天才と言われる人たちは、そこに「素直さ」があるんだと思います。お芝居というものを瞬間的に信じる力が強かったり。僕は凡才だし、不器用だし、ガチガチに理詰めで考えたりするので、もっと素直になりたいなと思うこともあります。でも、恐怖もあったりして……。――最近では『聖の青春』(11月19日公開)で演じた、羽生善治さんが話題になっています。「役者・東出昌大」としての周囲の目が最近変わりつつあるような気がするのですが、ご自身としては?うーん……変化はあるのかもしれません。ただ、人は頑張っている姿を見たいのではなくて、良いものを見たい。だから、僕は一生懸命頑張っていても、「頑張っているつもり」になったら絶対にダメなんです。だから、もっと楽にやってみよう。そう思ったのが半年ほど前のこと。でもそれはもともとあった感情でした。『桐島』のころにはあった感情だったのに、いつの間にか損なわれていた。今、『桐島』を観ると、「これはできないかも」と思ったりして。ただ、「楽にやる」というのが間違った方向に行き過ぎると、「お前、楽するなよ」という"小さな東出"が騒ぎ出す。周囲の方からも、そう思われているかもしれない。でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ。成長しているとは絶対に思う。思わないとやっていけないんです(笑)。役者として、これからもまだまだ考えることが山積みです。■プロフィール東出昌大1988年2月1日生まれ。埼玉県出身。身長189センチ。A型。高校時代にメンズノンノ専属モデルオーディションでグランプリを獲得し、モデルとしてパリコレのステージも経験。2012年、映画『桐島、部活やめるってよ』で俳優デビューを果たし、第36回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』『ごちそうさん』で多くの人に知られる存在となり、『クローズ EXPLODE』(14年)、『寄生獣』(14年・15年)、『アオハライド』(14年)、『GONINサーガ』(15年)、『ヒーローマニア』(16年)『クリーピー偽りの隣人』など映画に多数出演。現在の公開待機作は、本作のほか『聖の青春』(16年11月19日公開)、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(16年12月17日公開)。(C)大場つぐみ・小畑健/集英社(C)2016「DEATH NOTE」FILM PARTNERS
2016年10月28日人間国宝・染織家の志村ふくみとその長女で染織家の志村洋子の芸術精神を継承する、新ブランド「アトリエシムラ(atelier shimura)」が、2016年11月3日(木・祝)よりスタートする。志村の芸術精神を広く次世代に伝えたいという想いから「アトリエシムラ(atelier shimura)」を誕生させた。商品は着物を中心とし、ストール、茶道具、額装、名刺入れ、書籍など幅広く展開。どれも世界にひとつだけの一点もので、作り手の想いが込められている。京都・嵯峨の工房で作られた着物は、蚕の繭から得た絹を植物で染め、人の手によって織り上げたもの。植物の命が感じられる色味は、自然の深さを体感させてくれる。合わせる帯締め・帯揚げも同様に植物染料で仕上げた。ストールは、無農薬・有機農法にこだわり、最高級のオーガニックコットンと絹を用いている。和装だけでなく、デイリーウェアとも相性がよく、男性・女性問わず纏えるのがポイントだ。展開は、ブランドローンチの2016年11月3日(木・祝)よりオンラインショップをスタート。翌2017年には、京都・岡崎にショップをオープンする予定だ。【詳細】アトリエシムラ(atelier shimura)ブランドオープン日:2016年11月3日(木・祝)取り扱い店舗:オンラインショップ(2016年11月3日オープン)※2017年、京都・岡崎にショップオープン予定。<全商品展示販売会 @ifs未来研究所 WORK WORK SHOP>※着物をはじめとする全商品を紹介。開催日時:2016年11月3日(木・祝) 14:00〜18:002016年11月4日(金)〜6日(日) 11:00〜18:00<新ブランド販売イベント @TOBICHI②>ストールなどの販売、ワークショップ、トークショー。開催日時:2016年11月3日(木・祝)〜6日(日) 11:00〜18:30<企画販売@代官山蔦屋書店>志村ふみと志村洋子の作品集やエッセイ、アトリエシムラ(atelier shimura)の小裂の画帖や小裂の額装を販売。開催日時:11月7日(月)~18日(金)7:00~26:00【問い合わせ先】アトリエシムラ(atelier shimura)TEL:075-762-2500
2016年10月17日“ひと昔前”であるはずの昭和。それでもその時代の女性たちに今なお私たちが引きつけられるのはなぜ?その理由を、彼女たちの生き方や人となりに色濃く影響を受けてきた、エッセイストとしても活躍中の女優・ミムラさんが解き明かします。***■「いつか世間話を」文・ミムラ(一部抜粋)「料理、あまりしないんです」身近な女性達の口からそう聞く度に、ソワソワする自分が居る。私の役者業を応援・家事も全面的に分担してくれる夫に、どうしても料理だけは任せる気になれず、多忙中も出来る限り自炊している。一人暮らしの自炊は相対的に高くつくというデータは知っているし、男女同等に働き家事の分担も平等化していく、そんな世の中になればと願っている。それなのに“忙しくても料理する女性”に固執しているのだ。現代の風潮から少し昭和に偏った、このブレない私の基準。一体どこから来たものか……。四年前、書店で桐島洋子さんの『聡明な女は料理がうまい』を目にして、そうだ、これだ!という納得の思いが胸の内を駆け抜けた。そしてその納得の真中に、向田邦子さんが涼しい顔で立っていた。ずばり彼女こそ、私にとって憧れの“料理が上手い聡明な女”なのだ。向田さんとの出逢いは中学生、国語の教科書の中だった。毎年配布されたその日に全編読む習慣だったが、向田さんのエッセイ「安全ピン」だけは三度も読んだ。題材とされている日米安全保障条約は、平成の日常には滑らかに組み込まれきっており、“一昔前の昭和的な内容”と言えた。なのにどうして、この文章はこんなにも面白く読めるのか?不思議な満足感で眠りに落ちた春の夜が懐かしい。その後、二十代頭にかけて向田さん関連の主だった出版物はほぼ読み、一冊読み終える度、ファンになっていった。そうして自分でも執筆するようになったある日、前述の「安全ピン」を何気なく再読し、その凄さに打ちのめされたのだ。居並ぶ言葉達は高級な寄木細工のようであり、固すぎず丸すぎず、丁度良い大きさでぴたりと居場所を得て、重みをもって収まっていた。これがつまり「文章がうまい」ということだと、まだ気づけなかった十代。知って衝撃を受けた二十代。その強烈な感慨を今なお噛み締めている、三十二歳の現在なのである。◇むこうだ・くにこ1929年、東京都生まれ。実践女子専門学校卒。映画雑誌編集を経て放送作家に。ラジオ番組『森繁の重役読本』、テレビドラマ『寺内貫太郎一家』など、脚本を1万本以上手がけ、次々とヒットさせる。'78年に初のエッセイ『父の詫び状』を、'80年には直木賞小説を含む『思い出トランプ』を刊行。小説家としても活躍しはじめた'81年、台湾旅行中に航空事故に遭い、帰らぬ人となる。◇ミムラ女優、エッセイスト。NHKドラマ『トットてれび』に、向田邦子役で出演。本人の筆跡を猛練習して原稿シーンに臨むなど、渾身の演技が話題に。最新出演作『カノン』が、10/1より全国公開。※『anan』2016年10月5日号より。写真・柴田博司写真提供:NHK文・新田草子
2016年10月01日戦争を経験したり、物がない苦労を味わったり、なによりも女として今より格段に制約の多い生き方を強いられていた昭和の女性たち。“昔の人”という色眼鏡を外して、彼女たちの行動に触れてみれば、若々しい感性に驚くと同時に、その豪胆さに勇気づけられもする。空気を読んで、上手に失敗を避けて、いつも誰かとつながって…現代の私たちの生き方の方が、なんだか息苦しく思えてくるのが不思議。もっと思い通りに、もっと自分らしく生きたいと憧れる人のため、人生の先輩の、凛と筋の通った生き方をご紹介します。■仕事に生きつつ、暮らしを愛おしむ。女ひとりで身を立てていくのは今よりも大きな困難を伴うことでした。向田邦子や森茉莉、桐島洋子など、仕事に打ち込みながらも、自らの美意識を大切に、暮らしを整えていた人のしなやかなこと!慌ただしい毎日をもう少し丁寧に、と力づけられる思いです。■誰かのためにまごころを尽くす。他人に尽くすなんて、自分を犠牲にするようで古くさい?でも、そこに確かな喜びがあるなら、人として本当に尊い生き方かもしれません。武田百合子や幸田文のように、夫や父を思って過ごす日々が後年、文筆家としてものの見方に奥行きを与えたのもその証拠。■新天地へ飛び出す勇気。海外旅行など夢のまた夢だった時代に、大胆にも遠い外国へ飛び出していった女性たちがいました。高峰秀子や兼高かおる、石井好子などの冒険譚を読めば、縮こまった背中を押されるかのよう。現状に満足せず、何かをつかみとろうとする“貪欲さ”を見習いたい。■心のままに恋をする。恋する気持ちは人間の本能。男性と自由に交際することがままならなかった時代でも、胸を焦がす激しい思いは、今と何ら変わりなどなかったはず。恋多き女として知られる宇野千代や瀬戸内寂聴などの姿に、自分の情熱や欲望に素直に従う大切さを教えられます。※『anan』2016年10月5日号より。イラスト・村上テツヤ
2016年10月01日イラストレーター長谷川洋子の個展「金色のノクターン」が、2016年4月15日(金)から27日(水)まで、東京・代官山のGALLERY SPEAK FORで開催される。雑誌『SPUR』『VOCE』『日経WOMAN』などを手がける長谷川は、コラージュ技法を用いて、たくさんのロマンティックな作品を世に送り出している。素材となるのは、フランスのアンティークレースやスパンコール、大正着物の生地など、多種多様。そこに、アクリルガッシュやマニキュアなどをミックスして、独創的に仕上げていく。作品の題材となるのは、バレリーナや遊園地、星座など、女性なら誰もが憧れる夢物語のワンシーン。それを、個々の素材が持ちうる希少な色と光彩を活かして、リッチで華やかな作品へと昇華させている。約3年ぶりとなる今回の個展は、「幻想的でプライベート感のある世界」をテーマに創作を行った。近年のアーカイブと新作を合わせ、大小約60点の原画を展示・販売する。さらに、ヴィンテージ素材を使ったグラスペイント作品や、トートバッグやマグネットなどのオリジナル雑貨も発売する予定だ。【イベント詳細】長谷川洋子 金色のノクターン開催期間:2016年4月15日(金)~27日(水)開館時間:11:00~19:00 ※最終日のみ18:00まで。休館日:木曜会場:GALLERY SPEAK FOR住所:東京都渋谷区猿楽町28-2 SPEAKFOR2FTEL:03-5459-6385■ギャラリートーク開催日時:2016年4月15日(金) 18:30~19:00作品解説:長谷川洋子、聞き手:加藤千恵
2016年04月09日日本橋三越本館1階中央ホールにて、「おへそ的、買い物のすすめ展」が開催中だ。同展は、雑誌『暮らしのおへそ』(主婦と生活社)の創刊10周年を記念して開催されたもの。これに伴い、9月23日に記念レセプションパーティーが行われた。同誌における「暮らしのおへそ」とは、“その人だけが持つ習慣、その人の根っこをつくるもの”。例えば「散歩する」「パンを焼く」「週末は湖畔で過ごす」など、一人ひとりの特有の習慣やもの、およびそれぞれがその対象とどのように向き合っているかを紹介することで、豊かな人生を生きるためのヒントを提示している。開催中のイベントにおけるテーマもこれと同様で、食品から衣料品、雑貨まで、それがあることによって心の豊かさが増し、いつもとは違った喜びで心を満たすことができるものを選りすぐって紹介する。出展者は『暮らしのおへそ』バックナンバーにも登場したことがある面々で、雑誌掲載時からファンだという客も数多く会場に運んでいる形だ。無論、出展者たちも自らの作品ファンに会えるのを心待ちにしていた。リネン製品を中心に扱うブランド、オールドマンズテーラー(R&D M.Co-)のデザイナー、しむら祐次・とく夫妻は「雑誌を見て、今回の展示のために地方から日本橋まで足を運んでくださった方もいる」と明かし、アクセサリーブランド、ヒーミー(himie)のデザイナー下川宏道は、「目の肥えたお客さんが多いのは日本橋ならでは」と客層の違いを楽しんでいる様子。また、トラム(TRAM)のデザイナー水上真由美は、自身のブランドでは「使えば使うほど味が出ること」や「日本の暮らしになじむこと」を意識して集めた家具や雑貨をセレクトしていると話すが、そうした考え方もまた、その人なりの“おへそ”を形作っているのかもしれない。開催初日に開かれたレセプションでは、『暮らしのおへそ』ディレクターの一田憲子が挨拶。「10周年を迎えることができたのは、私に自分の“おへそ”のことを話してくれたみなさんのおかげ」と感謝の言葉を述べ、スペシャルゲストとして、過去に同誌に登場した作家の桐島洋子を紹介した。桐島は「おへそは私にとって“中心にあるもの”。(原稿の)依頼をいただいたとき、自分の中心にドンッときたような感覚を覚えてうれしかったです」と微笑みを見せた。同展の開催は9月29日まで。担当バイヤーは、「男女の枠や世代を超えて、誰もが“これが好きだから”という理由で手に取りたくなるものを集めている。それぞれの商品に共感してくれる人に楽しんでもらいたい」と来場を呼び掛けている。
2015年09月26日吉田大八の『桐島、部活やめるってよ』、呉美保の『そこのみにて光輝く』、熊切和嘉の『私の男』、そして石井裕也の『バンクーバーの朝日』など、現在の邦画界をけん引する監督から多大なる信頼を寄せられ、国内外から注目を集める数々の名作の撮影を手掛けるカメラマン・近藤龍人。そんな近藤さんの魅力に迫る特集上映が、4月11日(土)に開催されることが分かった。近藤さんは1976年、愛知県生まれ。大阪芸術大学在学中に熊切監督の卒業制作『鬼畜大宴会』にスタッフとして参加、その後、大学同期である山下敦弘監督らと多くの作品を制作。その撮影作品は、『私の男』から『四十九日のレシピ』『夏の終り』『横道世之介』など、話題作ばかり。2010年には『パーマネント野ばら』で第54回日本映画撮影監督協会「新人賞(三浦賞)」、今年『そこのみにて光輝く』で第36回ヨコハマ映画祭「撮影賞」を受賞し、公開待機作品には、岡田将生主演・瀬々敬久監督の『ストレイヤーズ・クロニクル』も控えている。今回、4月11日(土)にオールナイト上映される今回の特集では、近藤さんが自ら選んだ、山下監督、岡田さん&夏帆出演、くらもちふさこ原作の『天然コケッコー』(’07)、近藤さんと親交の深い松江哲明監督がシンガーソングライター・前野健太を追ったドキュメンタリー『ライブテープ』(’09)などを上映。縁のあるゲストを招いたトークイベントも行われる。松江監督は、製作当時をふり返り、こうコメントを寄せている。「『ライブテープ』の撮影を決めて、最初に声を掛けたのは近藤君だ。前野さんはライブで2時間以上、歌っているのを見たことがあったけど、ワンカットで映画が撮れるかは僕には分からなかったからだ。近藤君は『ゲリラで撮るってことは周囲に人が映っても大丈夫ですか』とだけ聞き、僕は『これは僕の自主制作だから責任は取るよ』と答えた。そして『分かりました』と言って引き受けてくれた」。「最初に完成したバージョンでは“演出・構成”といういつも使っていたクレジットを入れていたが、違和感があったので“監督”に変えた。僕がした仕事はスタッフに『スタート』と言って『カット』と締めることだったからだ。あのとき、近藤君が了解してくれたお陰で、僕は映画監督になれた」。松江監督を始め、厚い信頼を寄せられる日本映画界の先端を活写するカメラマンが映し出す、光と影、ひらめきと計算。その魅力を堪能できるイベントとなりそうだ。「カメラマン 近藤龍人、オールナイト特集上映」は4月11日(土)、テアトル新宿にてオールナイト上映。(text:cinemacafe.net)
2015年03月13日インテリアショップ「House of Lotus」手掛ける女優・桐島かれんがサントリーのノンアルコールビール「サントリー オールフリー」の新テレビCMに黒木華と母娘役で出演している。このCM「母と空とワタシ」篇にこめられたメッセージは“自由って、おいしい”。桐島演じる母親の元に、娘役の黒木が訪れるところから物語は始まる。空と海を望む解放感溢れるテラスで、昼間からオールフリーを飲む桐島。そんな彼女の姿に「あー、まだ昼なのに」と微笑む黒木に、桐島は笑顔でグラスを手渡す。何事にも縛られず自由に過ごす母と、彼女の生き方にあこがれる娘。そんな2人の飾らない関係を、桐島と黒木が自然体のままに演じている。空と海を背景に、 まるで本当の母娘のようにグラスをあおる2ショットは、見ているだけで心が温かくなる光景だ。黒木の可愛らしい表情にも注目で、桐島から「飲む?」と誘われて、一言「うん」とうなずいた顔がなんとも愛らしい。CMソングには松田聖子の名曲『渚のバルコニー』を男性ボーカルでリメイク。2人のファッションも、ホワイトとネイビーを用いたリラックススタイルが印象的だ。優しい温もりにあふれる音楽と景色と、それに負けない親子のホッとするような一幕に、疲れた心も解き放たれそうだ。
2015年02月09日モデル、女優、ラジオパーソナリティーなどマルチに活動する桐島かれんは、自らが手掛けるセレクトショップ「ハウスオブロータス(House of Lotus)」の期間限定ショップを伊勢丹新宿店本館5階センターパーク/ザ・ステージ#5で7月23日から8月12日までオープンする。同氏は昨年、東京・広尾にアジア・アフリカ雑貨を中心に扱うセレクトショップ「ハウスオブロータス」をオープン。同ショップでは世界各国を旅しながら育んできた彼女独自のセンスによってセレクトした手工芸品や民具、雑貨などライフスタイルアイテムを紹介する。今回のテーマは、“My Room(私の部屋)”“My Closet(私のクローゼット)”“My Favorite(私のお気に入り)”。これらをそれぞれ3ゾーンに分けて提案する。桐島が自宅でインテリアとして使用している北欧やヨーロッパの家具、アートなど、ハウスオブロータスでは通常紹介されていないアイテムを集積し、会場に“自宅部屋”を再現した。“My Room”コーナーは、同氏が好む北欧家具やビンテージ食器、アジアやアフリカの雑貨やアートなど、時代と国境を越えたミックスカルチャーのインテリアを提案。今回のイベントのために初紹介としてブータン製バスケット(1万2,000円から)を用意。また、『暮らしの手帖』編集長であり「カウブックス(COW BOOKS)」店主の松浦弥太郎がセレクトした和洋古書の書棚も展示。“My Closet”コーナーは、岡山県のアパレルメーカー「キャピタル(KAPITAL)」とコラボレーションしたデニム地のサルエルパンツ(2万4,000円)が登場。 その他、「ミナクシ(Minakusi)」「村澤麻由美」「キジマタカユキ(KIJIMATAKAYUKI)」の個性あふれるブランドも紹介する。“My Favorite”からは、タイで古くから好まれている「青花」の染め付け技法を使った焼き物を使用したキャンドル(2,000円から)を紹介する。担当バイヤーは「桐島さんのお店では、アジア系雑貨の取り扱いが中心だが、今回は特別にご自宅からヨーロッパ系アイテムをお持ち頂いたり、伊勢丹としても彼女の世界観に合うように、入念に相談しながら北欧インテリアや雑貨を買い付けた。会場では、普段見ることのできない桐島さんの(アジアではない)ヨーロッパに対する価値観や思い入れを新たに発見できる貴重な場となる」と語る。
2014年07月22日『桐島、部活やめるってよ』で日本映画界に新たな風を吹きこんだ吉田大八監督が、舞台演出に初挑戦!夏菜と池松壮亮という映像の世界で引っ張りだこの旬な2人を主演に迎え挑む舞台の名は、「ぬるい毒」――その稽古現場に潜入した。原作は吉田監督の長編映画デビュー作『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の原作者でもある劇作家・本谷有希子の小説。本谷さん本人が「舞台化不可能」として戯曲ではなく、あくまで小説として発表した作品を“あえて”選び、吉田監督自ら脚本化した。23歳で自分の人生が決すると頑なに信じる自意識過剰の少女・熊田が、彼女に突然、電話をかけてきた向伊という謎めいた男を胡散臭く思いつつも惹かれていく、19歳からの数年間を描き出す。この日、稽古が行われていたのは熊田(夏菜)が彼女に好意を持つ年上男性・原(板橋駿谷)の部屋を訪れるシーン。ミエミエの原の誘いに対し、気のないフリをしつつ乗る熊田。ここで原を相手に人生初のキスを交わすというシーンだが、吉田監督からは時折、もっとぎこちなく、自意識過剰な女子を意識してという意味を込めて「もっと熊田っぽく」という指示が飛ぶ。続いて、東京の大学から帰省した向伊に誘われ、その友人たちも一緒に盛り上がっている居酒屋へと赴くシーン、同じく帰省した向伊と2人きりで心霊スポットである廃墟にドライブに行くシーンの稽古が進められた。ここでも吉田監督は、夏菜さんに対したびたび“熊田らしい”動きや表情、受け答えを要求。稽古を通じて熊田という主人公が形成されていくのが見て取れる。ちなみに、先のキスシーンに続き、この廃墟では熊田がかなり大胆な姿も見せており、夏菜さんの体当たりの演技に注目だ。そんな夏菜さん、池松さん、吉田監督が稽古の合間に取材に応じてくれた。本谷作品ではおなじみとも言える“自意識過剰でプライドの高いヒロイン”を演じる夏菜さんだが、「私は『ああいう時期って私にもあったよな』と思うんです」と意外や共感を口にする。具体的には?という問いに「そこ掘り下げますか…」と苦笑しつつ、「若い頃って無駄にプライドが高かったり、それでいて傷つくのも嫌で背伸びしたり、自分の周りを一枚、殻で覆ってみたり、いろんなことをして大人っぽく見せようとするものだと思う。(熊田の持つ)世間に怒っているような感じは、若かりし頃は私にもありましたよ。最近になって消えましたが(笑)」と明かす。一方、池松さんが演じる向伊もなかなかの曲者。この日の居酒屋のシーンでもそうだが、「バカにしてるのか?」と怒りたくなるギリギリ少し手前のラインを絶妙に行き来し、熊田をイラつかせながらもつかず離れずで、心に引っ掻き傷を残すようないやらしさをも感じさせるが、池松さんは決して彼に対して嫌悪感を持っているわけではなさそう。「みんな、こういうところあるんじゃないですか?こっちが意識するでもなくサラッと言ったことがトゲになることってあるでしょ。そういう積み重ねなのかなと」と語る。一方で、熊田の心理についても「ものすごくよく分かる」とのこと。「本谷さんの書く女の人って男の人の方が分かるんじゃないかなと勝手に思ってます。男の方が弱いですから(笑)」。吉田監督は「僕もまだ手探り」と言いつつも、「毎日、更新されていく感じで、それを見るのが楽しくてしょうがない」と映像とはまた違った楽しみを感じているよう。脚本だけ読んでみると、この癖のある熊田と向伊という役になぜ夏菜さんと池松さんを?とも思ってしまうが、吉田さんは「そういう意外な接点を見つけた気になるのがキャスティングの醍醐味」と、してやったりの様子。「いまのところ、キャスティングで失敗した経験はないので大丈夫。絶対にできる!(この役の要素が2人に)あると思うから」と自信を覗かせる。初日まで1か月を切っているが、夏菜さんは「確実にこれまでと違うキャラ。手応えはまだ分からないけどこれから頑張ります」と意気込み。池松さんも手応えは「まだない(笑)」と言い切るも「これだけ準備したんだから、いつも以上のことができるだろうと信じてます。いま、手応えはなくとも、それは稽古前に脚本を読んだときに確実にあったのでそれを信じてやっていきます」と淡々と意気込みを口にした。舞台「ぬるい毒」は9月13日(金)~26日(木)まで紀伊國屋ホールにて上演。(黒豆直樹(cinema名義))
2013年09月04日小説すばる新人賞を受賞した朝井リョウ氏のベストセラー小説を映画化し、昨年一大センセーションを巻き起こした『桐島、部活やめるってよ』が16日、東京・中目黒で月1回開催されている映画の無料上映イベント「ナカメキノ」第2回作品として登場。上映後には本作のメガホンを執った吉田大八監督をはじめ、この日18歳の誕生日を迎えた松岡茉優、東出昌大、落合モトキ、浅香航大がトークショーを行った。その他の写真映画は地方都市の高校を舞台に、バレー部キャプテンの“桐島”が突然部活を辞めたことで、他の生徒たちが途方に暮れる数日間を描いた青春群像劇。1つの出来事を、伏線を散りばめながら複数の視点で描く構成は公開時、多くのリピーターを生んだ。吉田監督によると「2回目が一番面白いという人が多いみたい」。キャスト陣も「観たのは3回」(落合)、「4回観ました」(浅香)、「私は3回目が一番面白かった」(松岡)とやはり複数回、本作を鑑賞していると明かした。さらに吉田監督は「東京でいえば池袋、渋谷、有楽町と場所によってお客さんの雰囲気や笑いのツボが違う」と分析。客席を見渡しながら「きっと、中目黒のツボというものがあったんじゃないでしょうか」と本作がもたらす“地域差”に関心を寄せていた。『クヒオ大佐』『パーマネント野ばら』など大人の男女が織りなす作品を手掛けてきた吉田監督にとって、高校生を主人公に据えるのは本作が初めて。それだけに「キャスト側のほうが、実際の高校生に近いし、一緒に考えないと答えが出ないので『まずはやってみて』と伝えた」と振り返る。一方、松岡は「演技を否定されることがなかった」と言い、本作が本格的な演技デビューとなった東出は「人前で泣くのも初めて。監督から『キャラクターの気持ちでやればいいから』と背中を押してもらった」と吉田監督の現場を語っていた。『桐島、部活やめるってよ』ブルーレイ&DVD発売中
2013年02月18日