「橋田文化財団」により1993年に創設された第32回『橋田賞』が発表された。橋田賞大賞は該当なし、橋田賞として日本テレビ系連続ドラマ『ブラッシュアップライフ』、TBS系単発ドラマ『ひとりぼっち―人と人をつなぐ愛の物語―』、連続テレビ小説『らんまん』 (NHK)のほか、個人として相葉雅紀、神木隆之介、北川景子、バカリズム、大下容子らが選出された。同賞は、日本人の心や人と人のふれあいを温かく取り上げてきた番組と人に対して顕彰助成するもの。作品名と受賞理由は以下の通り。■橋田賞『ブラッシュアップライフ』 (日本テレビ)緻密に練られた伏線と、軽妙なセリフの会話劇で、ドラマの面白さを再認識させた。俳優陣の演技も見事で、視聴者から熱い共感を呼ぶドラマに仕上がっていた。『ひとりぼっち―人と人をつなぐ愛の物語―』 (TBS)大切な人を失い、心を閉ざして生きていた青年が、人との出会いで人生に前向きになることができるという温かいテーマは、テレビドラマの原点を思い起こさせた。連続テレビ小説『らんまん』 (NHK)植物学者・牧野富太郎をモデルとした主人公とその妻の波乱万丈の生涯と、その周りに集まる人々を丁寧に描き、多くの人の心を動かした。相葉雅紀『ひとりぼっち―人と人をつなぐ愛の物語―』と『今日からヒットマン』(テレビ朝日)での熱演と、音楽番組やバラエティ番組での幅広い活躍が評価された。神木隆之介『らんまん』での植物学者・牧野富太郎をモデルとした魅力的な主人公の造形が見事だった。その演技力および長年の功績に対して。北川景子大河ドラマ『どうする家康』(NHK)でお市とその娘茶々の二役を見事に演じ分けた演技力、また『女神(テミス)の教室~リーガル青春白書~』(フジテレビ)で見せた演技の幅広さと、長年にわたる活躍に対して。バカリズム『ブラッシュアップライフ』でのアイデアにあふれたオリジナル脚本が見事。自然なセリフや巧みな構成で多くの視聴者の心をつかんだ。大下容子報道・情報番組に長年携わり、常に公正な姿勢で自身の名を冠した番組のメインキャスターを務めると共に、バラエティや特別番組へも出演し、放送業界へ貢献してきたことに対して。■橋田賞新人賞浜辺美波『らんまん』で主人公の妻役を健気に凛々しく好演。安定感のある落ち着いた演技で、明治の女性を青年期から壮年期まで見事に演じきった。趣里連続テレビ小説『ブギウギ』(NHK)での体当たりの演技に対して。歌も踊りも一生懸命に演じている姿は視聴者に感動を与えた。■橋田賞特別賞井上順音楽、ドラマ、バラエティと様々な分野で芸能活動を精力的にこなし、長年放送業界に貢献してきた功績に対して。■野村昭子賞2022年に亡くなった野村昭子さんのご遺族より当財団へいただいたご寄付をもとに設立された特別賞で、長いキャリアと確かな演技力で存在感を示す俳優を顕彰するもの。大方 斐紗子長年にわたり放送業界で幅広く活躍。バイプレーヤーとして映像作品には欠かせない存在であることに対して。■令和5年度橋田賞新人脚本賞入選作 長編、短編とも該当なし佳作 『嘘つきリーさん』安達あづさ『あなたに花が咲くように』平木健典『ニンベンに憂う』三谷武史
2024年03月31日松岡茉優主演、芦田愛菜、加藤清史郎ら共演のドラマ「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」第9話が9月16日放送。事件の真相を知った吉田羊演じる鵜久森の母・美雪の言葉に「涙腺崩壊」「息するの忘れる」という声が上がっている。本作は、卒業式の日に生徒と思しき人物に突き落されるも、気がつくと始業式の日の教室に戻っていた教師・九条里奈(松岡さん)を主人公に描く、1年後の死を避けるべく命がけで生徒に向きあう新時代の学園ドラマ。松岡さん演じる九条の夫・蓮役に松下洸平、3年D組の生徒に芦田愛菜、加藤清史郎、山時聡真、詩羽、當真あみ、奥平大兼、窪塚愛流、本田仁美(AKB48)ら旬の若手キャストが集結しているほか、鵜久森の母親役で吉田羊、江波の幼馴染で相楽との繋がりも明らかになった浜岡役で青木柚が出演している。主題歌は菅田将暉の本ドラマの為の書き下ろし楽曲「ユアーズ」で、衝撃的なストーリー展開が話題となっている。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。鵜久森(芦田愛菜)の事件の後で雲隠れしていた浜岡(青木柚)を、迫田(橘優輝)たちが発見。「事件の日、なんで学校にいたんだ?」と問い詰める迫田に、浜岡は3年D組のある生徒に頼まれたからだと答える。迫田らの報告を受けた九条(松岡茉優)は、学校に忍び込んだ浜岡が鵜久森にとって“誰にも知られたくない何か”を見つけたのではないかと推察。鵜久森が命を燃やして守ろうとしたのは、一体何だったのかと頭を巡らせる。翌日、九条と3年D組はその「ある生徒」から直接話を聞こうとするが、その人物は登校をしなかった。その時、九条の頭を“最悪”の状況がよぎる。もしもその人物が罪の意識に苦しめられ、絶望していたとしたら。慌てて教室を飛び出し、捜索に走る九条。生徒に“最悪の終わり”を選ばせては、絶対にいけない! 九条と同じ思いのD組全員も教室を飛び出し…というのが9話のストーリー。西野美月(茅島みずき)、野辺桐子(田牧そら)、金澤優芽(田鍋梨々花)は、鵜久森の事件の日に浜岡が学校に来ていたことがクラスメイトに伝わっていること、浜岡をキッカケに自分達が鵜久森の事件に関わっていたことが明らかになることを悟っていた。そして、カラオケやボーリング、自分たちの行きたい所に行きつくしたのち「ケリつけよう」と3人でビルの屋上に立つ。警察に話し、指をさされ、親にも迷惑をかける、そんな未来が怖いという3人の元に月野春香(柿原りんか)らが駆けつけ引き留める。「あなたたちのことを一生なんて気にできない」と告げる一方で「何があっても一生は捨てないで欲しい」と訴える。そこへ東風谷たちも駆けつけ「こんな終わり方にはしないで」と教室に帰る。柿原さん演じる月野の言葉に「その通りだ」「響いた」「今日のMVP」と絶賛する声が上がった。教室に戻り、西野が鵜久森の事件の真相を打ち明ける。浜岡に「最近学校楽しくないんだろ?」と突然声をかけられ「金さえ払えば俺がひっくり返してやる」といわれ、何かにすがるように浜岡にお願いしたこと、浜岡が化学準備室にカメラを仕掛け、鵜久森と東風谷が話していたことを録画していたこと、「これ使ってひっくり返してこいよ」と言われ、鵜久森を呼び出すために手紙を入れたこと、鵜久森が1人であの場所に来たことを打ち明けた。「私のせいで…」という東風谷に対し、キッカケはそうだったが、鵜久森は西野らを変えるためにあの場所に来たことを伝える。そして、録画したSDを取り返そうとした鵜久森ともみ合いになり、鵜久森が落ちてしまったことを話した。しかし「そんなつもりはなかった」と一言も謝罪や反省の言葉がないことに里奈が怒りをあらわにして「そんなつもりじゃなかった。その一言で逃げられる訳がない」と告げる。SNSでは「九条が感情的になった」「私ならもっと感情的になってしまう」という声も…。そこへ一部始終を聞いていた鵜久森の母・美雪(吉田羊)が教室に来て3年D組の生徒たちと向き合う。涙ながらに「ごめんなさい」と謝る西野らに対し、「私はこの出来事を許すことはできない」と伝える一方で、最悪の終わりを選ぶことはしないで欲しいこと、最後まで生き抜いた娘・叶のことを「一生懸命忘れないで欲しい」こと伝える。これに対し「こんな冷静に話せない」「お母さん強すぎる」「涙腺崩壊」という声や、美雪を演じる吉田さんに対し「凄すぎて息するの忘れる」「吉田羊さんさすが」と絶賛する投稿が相次いだ。9話のラストでは、逃げ続けていた浜岡を相楽が見つけ出し「西野が困った状況だってお前に話したの誰だ」と問い詰める。毎話気になる行動をする星崎(奥平大兼)に対し、SNSでは「星崎が静かで怖い」「やっぱり星崎?」という声が上がっている。里奈が「あの人であることは間違いない」「これからの半年間、あの人のことを考え続けることになる」と語る「あの人」とは一体誰なのか。いよいよ迎える最終話への期待が高まる。第10話(最終話)あらすじ1年前、突如与えられた2周目の人生。生徒に突き落とされた自らの死の未来を変えるため、“何でもする”覚悟を決めた九条(松岡茉優)は、ただひたすらに駆け抜けた。この世界を「変えよう」と。その思いに、これまで無自覚に人を傷つけ、無自覚に我慢をし、無自覚に見過ごしてきた3年D組の生徒たちも一人、また一人とその「本気」を解放してきた。そして再び迎える、“あの卒業式の日”。九条は1年前と同じ場所で、“あの人物”と対峙する。果たして九条の前に現れるのは誰なのか。その「運命」の結末は…。「変わらない」と諦める貴方へ、九条が贈る最後の授業 。言葉の1つ1つを貴方に目掛けて懸命に送り出す、魂込めた最終回!「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」は、毎週土曜日22時~日本テレビにて放送。(シネマカフェ編集部)
2023年09月17日橋本環奈と重岡大毅(ジャニーズWEST)のW主演で贈る現在公開中の映画『禁じられた遊び』より、美雪誕生の瞬間を収めた主題歌スペシャル映像が到着した。初共演となる橋本さんと重岡さんが、映像ディレクター・倉沢比呂子、比呂子の元同僚であり、優しいながらもどこか頼りない父親・伊原直人をそれぞれ演じている本作。ほかにも、堀田真由、倉悠貴、長谷川忍(シソンヌ)、猪塚健太、MEGUMI、清水ミチコ、新納慎也らが一癖も二癖もあるキャラクターを演じ、最凶蘇り怨霊モンスター“美雪”役としてファーストサマーウイカが出演している。鑑賞者の中で特に、美雪への反響が大きく、「映画観ると回り回って美雪好きになる」「時間が経てばじわじわと美雪の気持ちもわかる…と共感してくる作品」と美雪ファンが続出。そこで今回、バーチャルシンガー・理芽による主題歌「えろいむ」に乗せて、怨念にまみれた美雪が迫りくる、戦慄の映像が公開。怨霊モンスターに変わり果てる前の“生霊”の美雪が映り、生前から直人と比呂子へ執念深く疑いの目を向けていたことが分かる、恐ろしいシーンも登場。心霊・生霊・超能力・憑依という様々な念が渦巻き、直人と比呂子を襲い続ける。土の中から純白な姿で蘇る誕生の瞬間から、凄まじい怨念で襲いかかってくる最終形態へと変貌を遂げた美雪の、美しい姿・醜い嫉妬・狂気が収められている。『禁じられた遊び』は全国にて公開中。(シネマカフェ編集部)■関連作品:禁じられた遊び(2023) 2023年9月8日より全国にて公開©2023映画『禁じられた遊び』製作委員会
2023年09月16日橋本環奈と重岡大毅(ジャニーズWEST)のW主演で贈る映画『禁じられた遊び』より、じっとりと迫りくる恐怖に凍りつく第2弾美雪ビジュアルが公開された。美雪は、重岡さん演じる直人の愛する妻であり、春翔の優しい母親。亡くなったはずの彼女が、春翔の純粋無垢な想いとともに唱えられた“エロイムエッサイム”という呪文によって、蘇ってしまう。怨念にまみれ、嫉妬に狂い、どこまでも追いかけてくる美雪からは、絶対に逃げられない。そんな怪異として蘇る美雪は、誰が演じているのか明らかになっていないが、今回公開されたビジュアルにて、ついにその容姿の一部が明らかに。先日は“目”が公開されたが、今回は土山に指を埋める春翔の背後に、暗闇から浮き出てくるかのような美雪の姿が。美雪の青白い肌には、植物のような黒い管が不気味に這っており、爪には黄色いマニキュアが施され、一部、生前の姿をも彷彿とさせる。『禁じられた遊び』は9月8日(金)より全国にて公開。(cinemacafe.net)■関連作品:禁じられた遊び(2023) 2023年9月8日より全国にて公開©2023映画『禁じられた遊び』製作委員会
2023年05月04日女優の橋本環奈とジャニーズWESTの重岡大毅がW主演を務める、映画『禁じられた遊び』(9月8日公開)の美雪ビジュアル第1弾が6日、公開された。同作は清水カルマによる同名小説の実写化作。映像ディレクター・倉沢比呂子(橋本環奈)は、かつての同僚である伊原直人(重岡大毅)の家で、庭の盛り土に向かい、不可解なおまじないを唱え続ける直人の息子・春翔を目撃する。謎の呪文、トカゲの尻尾、指、白い影、蠢く盛り土、封印された家……そして彼女の身に異常な現象が起こりはじめる。それは、子どもの純粋な願いによって解き放たれた災いだった。今回公開されたのは、人とは思えない恐ろしい“何か”の目を映したビジュアル。特報ではうごめく土山と土の中から出てくる手が映し出されていたが、今回は地面の下から覗く恐ろしい目が解禁された。トラウマ級のその目は、直人の愛する妻であり春翔の母である「美雪」であり、全貌は明らかになっていないが、予想だにしないおぞましい姿となってお目見えとなった。亡くなったはずの彼女が、春翔の純粋な想いとともに唱えられた魔法の呪文“エロイムエッサイム”によって蘇り、直人や比呂子に襲い掛かるのは何故なのか、彼女を駆り立てる怨念の正体とは何なのか、怪異として蘇る「美雪」を演じているのは誰なのか。まだ明かされていないそのキャストは撮影後、本作について「未解の恐怖。まだ、誰も見たことのない、今までになかったジャパニーズホラー。新しい恐怖を感じてほしいです」とコメントしている。(C)2023映画『禁じられた遊び』製作委員会
2023年04月06日染色加工業大手セイショク株式会社は、布のアップサイクルプロジェクトNUNOUS[ニューノス]と、2名のデザイナー(橋田 規子、大木 陽平)とのコラボレーションアイテムをインテリアライフスタイル2022(期間:2022年6月1日~6月3日、於:東京ビッグサイト西ホール E002)にて発表。デザイナーのアイディアの詰まったアイテム群「Morph into a cat & kitties」「Life with a bird」「Basket」「Book cover」「necklace」「pierced earring」「Bangle」を2022年8月5日(金)より順次、NUNOUSオンラインショップにて発売いたしました。活用されていない布をアップサイクルNUNOUS(R)[ニューノス]は、活用されていない布を、アップサイクルするプロジェクト。綿、麻、毛、ポリエステルなど様々な繊維が混ざった布に、サトウキビの非可食成分から抽出したバイオポリマーを含侵させる独自の特許製法(※)で、布素材の美しさを引き出しました。柔らかな表面ながら堅牢な「STONE」。丈夫でしなやかな「SKIN」。布らしい質感と、布にはない特性を合わせもつ素材です。社会問題ともなっている、大量に発生する繊維廃材を「美しく見える化」。持続可能な社会に向けて、建築、木工、ファッション、印刷等の様々な分野に、新しい価値を提供します。■コラボレーションデザイナープロフィール<橋田 規子>芝浦工業大学 デザイン工学部 デザイン工学科 プロダクトデザイン領域 教授 博士(工学)プロダクトデザイナー/NORIKO HASHIDA DESIGN 主宰/グッドデザイン賞審査委員iF DESIGN AWARD、Red Dot Design Award等、受賞歴多数。<大木 陽平>デザインオフィスnendoを経て、idとして活動した後、2019年にsideを設立。様々なカテゴリーのデザインを手がける。The Design Plus Award、Red Dot Design Award等、受賞歴多数。 (画像はプレスリリースより)【参考】※公式サイト
2022年08月03日「橋田先生の臨終の場から、その後の葬儀、骨上げにも立ち会って、ずっと泣きっぱなしの私だったけど、最も悲しみを痛感したのは、一周忌から2カ月ほどした今年の6月半ばに、先生の遺骨を持って客船の『飛鳥II』に乗ったとき。もう、船へのタラップを上るところからダメだった。何度も歩いた通路を過ぎて、懐かしい客室にたどり着くまでずっと涙が止まらない。思い返せば、私、一人でこの船に乗ったことがないのよ。いつも橋田先生と一緒だった。それから先生の写真を、思い出の客室に飾って眺めていたら、『ピン子。今日は、揺れそうじゃない?』どこからか、そんな声が聞こえてきそうで。実はあの人、揺れるの大好きだったの。そんな、私だけに見せていた少女みたいな姿を思い出したら、また泣けてきて。それが、“美談の裏側”だって?ふざけるんじゃないわよ。私は何を言われてもいい。でも、生前から『葬儀は簡素に』と言い続けてきた先生の遺志まで汚すのは絶対に許せない」インタビューは、思いがけず、怒りの言葉から始まった。8月4日に主演を務める朗読劇『すぐ死ぬんだから』を控える泉ピン子(74)。ピン子の育ての親であり、代表作でもある『おしん』(NHK)や『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)などで知られる脚本家の橋田壽賀子さんが95歳で天寿を全うしたのが昨年4月4日。女優と脚本家の関係を超え、同じ熱海に住んで「ママ」「ピン子」と呼び合う2人の交流ぶりは、周知のとおり。ところが、この飛鳥乗船前に出た「『泉ピン子』ご乱心『橋田壽賀子の遺骨を海に』美談の裏側」(『週刊新潮』6月23日号)という記事では、橋田さん側の関係者の言葉として、葬儀はけっして簡素ではなかったことや、《そもそもピン子さんは壽賀子さんの遺骨を持っていません。なにをまくつもりなのか。魚の骨でもまくのでしょうか》《世間の注目を集めて、自分を売り込みたいのでしょうか》といった証言が綴られていた。「飛鳥に先生の遺骨を持って乗ったのは、私と先生とのケジメ。恩師であり、数少ない芸能界の味方であった人との決別の思いでした。『ママ、これで悔いないよね』というのと、私自身、いつまでも泣いてるんじゃなくて、前に進まなきゃいけない。だから本来なら、自分の中だけで済ませればよかったものでした。ただ、先生の骨と魚の骨を一緒にしたあの記事はあんまりだと思って、苦慮した末に飛鳥の映像も公開したんです。私が骨を持っていない!?誰が言ってるの。だって葬儀後のお骨上げの場で、私、みんなの前で承諾を得ていただいたんですから。橋田壽賀子で売名!?もう十分売れてるし(笑)、今度の朗読劇の舞台で、それこそ仕事でも終活に入ろうという私が、なんでいまさら名前を売らなきゃいけないのよ。そうそう。お骨上げの場には、TBSの人間もいたから、話を聞くといいわよ」言うや、その場で自身のスマホを取り出し連絡先をタップする。電話越しに『渡る世間は鬼ばかり』のディレクターでもあった荒井光明さんは語り始めた。「まず、橋田先生のお亡くなりになった日にピン子さんから連絡をいただき、先生のご自宅にも伺いましたし、その後の葬儀やお骨上げにも参列いたしました。お骨上げでは、30人弱の方がいらしたでしょうか。ピン子さんが泣きながら、大きな声で『私、先生のお骨をいただきたいんです』と満座の前で言うと、全員がうなずかれるのを確認してから、先生のお骨を少しばかり持っていかれました。その場で、お口に入れたりもされていましたよ」ピン子は言う。「ママの骨を食べたのは、自分の体の一部になってもらいたかった。そしたら、うちの夫が言うのよ。『骨はカルシウムだから、食べても尿になって排出されるだけ』医者って、空気読めないというか、なんだかなぁ(笑)。私、両親とも早くに死に別れてます。でも、やっぱり、橋田先生との別れが親とのときよりきつかったのは、長く仕事を一緒にしてきたからだと、改めて思いました。一人の作家の作品に1千本以上出演ですからね。だから、あの記事は悔しかった。だって、日本中の人が、私とママが北極まで一緒に行ったのを見てるんだから。でも、私がひどく憤っていると、上(天国)から、『ピン子。こんなもんだよ』と、また、あのいつものママの声が聞こえてくるのよ」【中編】泉ピン子語ったえなりかずきの“共演拒否”騒動への思い「悪口を言われても気にしない」へ続く
2022年07月31日「なにわ男子」道枝駿佑が金田一一を演じる「金田一少年の事件簿」第3話が5月15日オンエア。上白石萌歌演じる美雪に「美雪ちゃんの片思い感いいですね」などの声が寄せられるとともに、生田絵梨花演じるあかねの“再登場”を予想する声も上がっている。本作は世界(12か国)累計1億部超えという大人気コミックが原作。1995年に初ドラマ化されて以来、堂本剛、松本潤、亀梨和也、山田涼介と演じ継がれてきた“金田一一”を今回は道枝さんが引き継ぎ、8年ぶりの新シリーズとして放送されている。キャストは名探偵・金田一耕助を祖父に持つIQ180超え天才高校生探偵・一役の道枝さんのほか、一の幼馴染で成績優秀、生徒会長も務めるなど学園きっての優等生・七瀬美雪に上白石さん。一を趣味の釣りツアーに連れていく警視庁捜査一課の警部・剣持勇に沢村一樹。美雪が所属するミステリー研究会の1年生で動画撮影が趣味の佐木竜太に岩崎大昇(美 少年/ジャニーズJr.)。フィッシングツアーに参加した帝王大学医学部教授の影尾風彦に佃典彦。接待で影尾たちについてきた医療機器メーカー営業の伊豆丸険に小市慢太郎。聖恋島の秘密を調べている「アスタニッシュ出版」記者・右竜あかね役で生田さん。過去に看護師をしていたツアーガイド・凡田夏見役で吉谷彩子。聖恋島唯一の住人でコテージ管理人の霧声昼子役で余貴美子といった顔ぶれも出演する。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。連続殺人事件が起きた聖恋島で医師仲間を二人失っていた影尾教授(佃典彦)が行方不明になる。捜索に出た一達は舟着小屋の明かりに気づき駆けつける。開いてるはずのドアには鍵がかかっていて中で誰かが倒れていた。反対側のドアから逃げていく光を追いかけるとその先で影尾教授の遺体が発見される。移動した死体…その時、一は島にいる者がその場に揃っていることに気づく。これまでも事件発生時のアリバイが全員にあったことを不自然に感じるが、佐木が撮影した現場の映像に何かを発見する。美雪のマジックがヒントになって一は影尾殺しのトリックの謎を解き、伊豆丸が犯人だと突き止める。伊豆丸は小児がんの娘が影尾たちの治験の犠牲になったことを知って、復讐のため殺害した…というのが3話のストーリー。事件の謎を解こうと思いを巡らせる一に「ちょっと一息つかない?お菓子持ってきてるんだ」と声をかけるも「ちょっと黙っててくれる」とあしらわれ、その後徹夜でトリックの謎を解いていた一のもとにお菓子を振る舞うも、部屋にいることに気付いてもらえない…。そんな美雪に「この美雪ちゃんの片思い感いいですね…」「美雪ちゃんの片思い?度がすごいな」といった感想が上がる。ラストではあかねが「今度ゆっくり君の経験談聴かせてくれない?」と一にインタビューを申し込み、一も嬉しそうに「ゆっくり、ですか…」とニヤニヤする…という場面が。このシーンに「生田さんが演じてる雨竜あかね。道枝さんver.の金田一で、いつきさんポジになったりしないかなんて思ってる」「右竜あかねがドラマ版でライターになってることで、原作におけるいつきさんの代理ポジになるのではという考察に納得」など、あかねの再登場を予測するツイートも多数投稿されている。【第4話あらすじ】家族で旅行中の一と美雪は、とある殺人事件の犯人を追う剣持と遭遇。合流した3人は怪しげな男が隣接する酒造に入っていくのを目撃、そこは白神家が代々営む造り酒屋「白蛇酒造」で、男は酒造の社長・音松(小野武彦)の二男・蓮月。5年前の火事で行方不明になるも、失った記憶が戻り2か月前に帰宅。火事の後遺症で顔や声は変わったがDNA鑑定で血縁関係は証明済みらしい。その後一達が鷺森(岡山天音)の案内で職人の黒鷹(寺島進)達が作業する酒蔵を見学すると、樽の中に蓮月の死体が浮かんでいて…。「金田一少年の事件簿」は毎週日曜22:30~日本テレビ系にて放送。(笠緒)
2022年05月16日俳優の東山紀之が、「第30回橋田賞」で橋田賞を受賞し10日、都内で行われた授賞式に登壇した。脚本家・橋田壽賀子さんが理事を務めていた橋田文化財団が主催し、日本人の心や人と人とのふれあいを温かくとりあげてきた番組と人に贈られる同賞。東山は、テレビ朝日『刑事7人』、『サンデーLIVE!!』などドラマ・MCと長年にわたって幅広く活躍し、橋田作品(TBS『御いのち』『源氏物語』など)の心の中のヒーローとしても活躍してきたとして受賞した。東山は「先生にさまざまな出会いを作っていただきました」と橋田さんに感謝し、「今日お会いできなくて本当に残念です」と心境を吐露した。そして、「『源氏物語』では、正直言いますと、脚本を初めて読んだときにこれはヤバいなと。あまりの長台詞に逃げ出そうと思って旅先まで考えていたんですけど、逃げたら橋田先生、石井ふく子先生、メリーさんにこっぴどく怒られるなと思ってその恐怖に耐えることができずとどまった次第です」と優しい笑顔を見せながら振り返り、「あのときに逃げ出さなかったから今ここに立てている。今後もさまざまなことがあると思いますが、逃げ出さずに頑張っていきたいと思います」と決意を語った。○「第30回橋田賞」受賞一覧■橋田賞大賞該当なし■橋田賞『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』(NHK)『日本沈没-希望のひと-』(TBS)橋本裕志(脚本家)東山紀之(俳優)中田喜子(俳優)仲野太賀(俳優)井上貴博(アナウンサー)■橋田賞新人賞杉咲花(俳優)吉沢亮(俳優)
2022年05月10日「『渡鬼』が終わってからも、橋田先生とは毎年、橋田賞のたびにお会いしていました。新型コロナの影響で会えなくなりましたが、『渡鬼』のスタッフさんたちも『先生は元気だから。また会えるよ』ってみんな話していました。先生はいつもパワフルだったので……。『こんなに早く亡くなるとは』というのが本音です」こう語るのは、橋田壽賀子さん(享年95)脚本の大人気ドラマシリーズ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で、野々下加津を演じた宇野なおみ(32)だ。『渡鬼』は岡倉大吉(第8シリーズまでは藤岡琢也、以降は宇津井健)と節子(山岡久乃)夫婦、そして彼らの愛娘5人を中心にした家族の物語。’90年から’11年までの21年間で10シリーズ、全500話を放映。1シーズンの放送期間は1年という長いスパンにもかかわらず、全話を通した平均視聴率は20.6%を記録した、まさしく国民的ドラマだ。また『渡鬼』はシリーズ終了後もスペシャル版が製作され、現在も『TBSチャンネル』で『スカパー!』や全国のケーブルテレビで過去シリーズが放映中。今なお愛される、ファミリードラマの傑作だ。そんな同シリーズで宇野が演じたのは、実の両親に捨てられ、岡倉家の次女・五月(泉ピン子)と勇(角野卓造)夫婦に引き取られた少女・加津。初登場は第4シリーズの第38話で当時、宇野は若干10歳だった。しかし複雑な役どころを好演し、長台詞をものともしない役者ぶりから“名子役”として広く知られることとなった。宇野の代表作ともいえる『渡鬼』。その生みの親である橋田さんが亡くなったのは、昨年4月4日のこと。一周忌を前に、宇野はありし日の橋田さんについてこう語る。「もともと加津は、1シーズンのみの出演だったそうです。でも、橋田先生が『面白い役!』と思ってくださって、次からも使ってくださることになったと聞いています。当時は子供でしたから、『日に日に台本のセリフが長くなっていくなぁ』と思っていましたけど(笑)。私が小さい頃、先生は『加津は私の分身』と何度もおっしゃっていました。大人になってからも、手紙や年賀状をお送りしたり……。先生が亡くなったことで、改めて『自分は恵まれていたんだな』と思いますね」■名子役から物書きに転身!キッカケは橋田さん宇野が子役デビューを果たしたのは6歳の頃。デビューしてすぐの舞台『放浪記』で、森光子さん(享年92)との共演を経験している。さらに『渡鬼』では前述の俳優陣だけでなく、赤木春恵さん(享年94)や池内淳子さん(享年76)といった大御所女優たちとも共演することに。“名子役・宇野なおみ”は、多くの名優たちに囲まれて育った。そんな宇野だが、現在は役者業を一旦休止。そして、ライター業を軸にして生計を立てているのだ。しかも扱う内容は、芝居に伝統文化にスポーツにと実に様々。“名子役から物書きに”とは意外に思えるが、実はこの転身、橋田さんの言葉がきっかけだという。「13歳の頃、先生がふと『あなたはいつか書くわよ』とおっしゃったんです。昔から読書が好きで、感想文や物語を書くことも大好きでした。でも、書いたものを人に見せたことはありませんでした。だから当時、とても驚いてしまって。それ以降、先生の言葉がずっと胸の中に残っていたんです」芝居が好きな気持ちは変わらないという宇野。いっぽうで、こう明かす。「でも今は、書くことを通じて芝居を紹介することが楽しくて。“芸能界引退”というのも、少し違うんですね。『渡鬼』のモバイルサイトで1年間連載していましたし、『渡鬼』時代からブログも書いています。私の中では役者業もライター業も“地続き”というイメージです」■物書き仕事と役者業の“意外な共通点”また宇野は早稲田大学を卒業したのち、バンクーバーでの留学を経験。英語能力テスト『TOEIC』では990点満点中910点と、実力は折り紙付き。その英語力を活かして、通訳や翻訳の仕事も行っているという。「コロナ禍の前は、テレビの現場で通訳をしていましたよ(笑)。来日した海外の方に突撃取材するような番組ですね。こういった仕事は英語力ももちろん必要ですが、忍耐力が何よりも肝心。撮れ高が良くないと、ディレクターさんが『帰れない!』っていいますしね。いわば半分ADさん(笑)。でもテレビのことがよくわかっていないと、できない仕事です。役者時代のことも活かされていると思います」仕事の多くは、自ら掴んできたものだという。「ライターや通訳を仕事に選んだものの、軌道に乗せる方法がわかりませんでした。ですから、企画書を作って自分から売り込んだり。慣れないうちは派遣に登録したり。大変ではありますが、一から自分で道を切り拓くのはやっぱり面白い。それに、“自分の歪な部分とバランスが取れる”といいますか……」“歪な部分”というのは?「子役という仕事を通して、幼い頃から、人生の修羅場を潜り抜けてきた人たちばかり見てきたんですよね(笑)。すでに老成した方々と接して、みなさんの経験談を聞くにつれ、なるべく失敗を避けるようになりました。すると、大人になってから『頭でっかちだな自分』と気づいて。ですから、今は仕事を通して『色々試してみよう』という気持ち。近々、YouTubeにも挑戦しようと思っています」また、宇野は「役者と物書き仕事には共通点がある」と明かす。「ライター業を始めてから、橋渡し役が好きだと気づきました。サッカーでいうとキーパーではなく、パスをする人です。ライターは自分が素敵だと思うものを『ほら面白いでしょ!』と紹介する仕事。いっぽう、役者も台本を読んで『こういう世界があるよ!』と伝える仕事ですから」■橋田さんに憧れて…“脚本を書く”という夢を抱くことに現在の仕事について「やりがいもあるし、順調です。趣味も勉強も楽しめていて、充実しています」と笑顔で語る宇野。そこで「芝居はもうしないんですか?」と尋ねると、「うーん」と少し考え込んだのち、静かに口を開いた。「実は私には一つ、夢があるんですね。それは脚本を書くということです。やっぱり橋田先生は憧れの人。私の人生は、先生からの影響を強く受けています。もちろん先生のような、歴史に残る作品を書けるという自信があるわけではないのですが……」宇野は「自分を育てたのは、やっぱり芝居の世界なんです」といい、こう続ける「その芝居の世界に恩返しがしたい。そう考えたとき、ふと『日本の芝居文化を応援できたら』と思いました。ライターとして芝居を紹介するのも、応援手段の一つ。それにプラスして、『脚本が書けたらいいな』と今は思っています。本当は先生の生前に、自分の書いたシナリオをお見せしたかったんです。でも、間に合いませんでした。ですから今は、シナリオを先生の墓前にたむけることを目標にしています」■理想の女性像は橋田さんと加津宇野には、目標がもう一つある。それは「加津を演じた女性として、恥ずかしくない生き方をする」ということだ。「子供の頃から、加津ちゃんはずっと目標でした。彼女は複雑な境遇にあっても、たくましく生きていました。もちろん弱さもある。でも、とっても優秀な女の子なんですね。物事がうまく進まないこともあったけど、全部それを糧にして突き進んで。やっぱり、かっこいいですよね」宇野は子役だったこともあり、「周囲との違いに焦りを感じたこともありました」と明かす。しかし、こう語る。「でも冷静に考えれば22歳になるまでずっと芝居をしてきましたし、違っていて当たり前。それに橋田先生は90歳になってもバリバリ現役でしたから。私なんてまだ人生の3分の1、だから次の3分の2を頑張ります(笑)。仕事でいい結果が出なくても、納得のいく脚本ができなくても、その道筋を楽しめたらいいなと思っています。だって、加津ちゃんがそういう女性でしたからね」憧れは、橋田さんと加津。2人の“理想の女性”を胸に、宇野は描いた夢へと歩き続けるーー。
2022年04月03日’64年のドラマ版『愛と死をみつめて』(TBS系)に始まり、数々の名作ドラマを残して、この世を去った脚本家の橋田壽賀子さん(享年95)。生涯“女性”を描き続けた姿を本誌秘蔵写真で振り返るーー。【’68年】朝ドラ初のカラー作品『あしたこそ』主演の藤田弓子と43歳の橋田さん。【’81年】大河ドラマ『おんな太閤記』放送を機に、橋田さんを本誌が密着取材。【’83年】国民的ドラマ『おしん』はアニメ版も制作。泉ピン子、小林綾子と。【’84年】『大家族』(TBS系)では3世代で同居する家族の嫁姑問題を描いた。【’85年】大河ドラマ『いのち』の制作発表会で主演の三田佳子と仲よく歩く姿。【’88年】大河ドラマ『春日局』の撮影現場で佐久間良子と語らう橋田さん。【’90年】この年から始まった『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)は’19年まで新作を放送。【’93年】『渡る世間は鬼ばかり』のメンバーで「橋田ファミリーの会」を開催。【’93年】第1回橋田賞の受賞パーティで“両手に少年隊”の橋田さん。【’10年】『渡る世間は鬼ばかり』の最終シリーズの制作発表会。【’18年】第26回橋田賞の授賞式にて。新人賞の有村架純、竹内涼真の姿も。「『なんで“うちの家”のことをそんなによく知っているんですか?』と、(視聴者から)よく言われるの」と、テレビ番組のインタビューで語っていた橋田さん。「それはひとえに、ご自身の日常や経験、思いをドラマに込められてきたからでしょう。毎朝、新聞の投稿欄をじっくり読み、庶民の暮らしを脚本に生かすことでも知られていました。有名な長ゼリフは、家事に勤しむ女性たちにも、ドラマを耳で理解してもらうため。『二流で結構!』との自負もおありだったと聞きます」そう、ドラマウオッチャーの田幸和歌子さんは語る。社会情勢をドラマに反映しながら、その時代時代を生きる女性のリアルな姿を描いてきた。「女性脚本家の先駆者である橋田さんが、草分けとなったことも多いんです。たとえば大河ドラマ『おんな太閤記』では、戦国ものを女性、庶民の視点で描き“戦国ホームドラマ”と呼ばれました。“嫁姑問題”や“夫がマザコン”という設定を取り入れたのも橋田さんが元祖。そこには“妻”としての経験が投影されています。『おしん』の嫁いびりは、おのおのの世代の正義と正義の衝突として、また『渡る世間は鬼ばかり』では、岡倉家の5人の女性を通して、家庭の崩壊や、さまざまな結婚のあり方が、描かれました。つねに、命の尊さと、女性の強さ、自立を描いてきた橋田さんは、まさに日本のドラマの母といえます」コロナ禍の今を生きる女性たちを、橋田さんなら、どのように描いたであろう。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月16日「橋田さんの納骨式は4月9日に、愛媛県今治市内のお寺で執り行われました。このお寺には彼女のご両親も眠っています。遺骨は熱海の自宅からバスで現地に向かったのです。橋田文化財団のスタッフ、地元で交流のあった人たち、そして泉ピン子らが付き添いました……」そう語るのは、テレビプロデューサーの石井ふく子さん(94)。石井さんは4月4日に急性リンパ腫で逝去した橋田壽賀子さん(享年95)とは、公私にわたり親しく交流してきた“盟友”だ。橋田さんの逝去は多くの人々に衝撃を与えた。彼女を“ママ”と慕い続けた泉ピン子(73)は本誌にこう語っている。「ママはたった一人の恩師であり、泉ピン子を見いだしてくれた恩人です。いまは何だか夢の中にいるみたいです。気も張っていて、ママがいなくなったなんて思えない。しばらくは何げなく電話をかけようとして、ふといないことに気づく、そんな日々が続くと思います」石井ふく子さんも毎日1時間以上、橋田さんと電話をするのが日課になっていたという。「秋には『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)の新作も放送予定で、7月には稽古に入ることになっていました。病院にお見舞いに行ったときや電話で、橋田さんは新作の構想を話してくれました。コロナ禍のためにストレスがたまった家族たちの物語です。軋轢がありながらも、『結末はハッピーエンドになる構成にしましょう』と、橋田さんは言っていたのです。最後の電話でも『渡鬼(の脚本)は大丈夫だから』と……」■「不倫と殺しだけは書くな」生涯守った夫の教え70年以上に及ぶ脚本家生活の中で多くの名作を遺した橋田さん。石井さんは、そのなかでも“最高傑作”は、’79年に放送されたスペシャルドラマ『女たちの忠臣蔵「いのち燃ゆる時」』(TBS系)だと考えている。「TBSから『戦争ドラマを作ってほしい』という依頼があったのですが、私も橋田さんも戦争を体験しているので、『戦争をテーマにしたドラマを作るのは耐えられない』と、お断りし、その代わりのように2人で作ったのが『女たちの忠臣蔵』です。赤穂四十七士の討ち入りの陰には、女性たちの犠牲があったことを描いています。当時の資料も乏しいなか、橋田さんはそれぞれ境遇や家庭環境が異なる女性たちの視点からなるドラマを書き上げたのです」戦国時代が舞台となったNHK大河ドラマ『おんな太閤記』でさえ、合戦シーンを脚本に書こうとしなかったという橋田さん。ホームドラマ一筋を通した理由については、インタビューでこう語っている。《亡くなった夫(元TBSプロデューサーの岩崎嘉一氏)にも、「不倫と殺しだけは書くな」と言われていたんです。それで仕事ができなくなったら脚本家を辞めろとまで。現代のドラマは、不倫と人殺しを封じられたら、なかなか書けませんよね。でも、夫の遺言だからしょうがないんです(笑)》(『家の光』’15年5月号)橋田さんは「松竹」社員時代の習慣で、いつもできあがった脚本に赤いリボンを巻いて愛用のデスクの上に置いていた。毎回締切りに遅れたことがなかったが、石井さんによれば、たった一度だけ弱音をもらしたという。それは夫となった岩崎嘉一さんへの“恋煩い”だったのだ。「『私、シナリオが書けなくなった。まだ一行も書いていない』と、言うのです。理由を尋ねると、『好きな人ができて、その人のことが頭にチラチラして、書くことに身が入らない』と……。相手を尋ねると、私の(TBSでの)同僚の岩崎さんでした。仲を取り持ってあげたいと考え、岩崎さんに『橋田壽賀子というシナリオライターのこと知ってる?』と、聞くと、『そういえば、そんな名前聞いたことあるなぁ』と言うので、橋田さんの気持ちと電話番号を伝えたのです。後日、交際がスタートしたと聞いたときは、うれしかったですね」(石井さん)橋田さんは両親を早く亡くし、兄弟姉妹もおらず、家族というものに憧れていたという。だが、新婚生活はけっして甘いものではなかったようだ。橋田さんは当時の思い出を本誌に冗談交じりにこう語っていた。《結婚してお姑さんや小姑たち――“家族”ができたときに、つくづく「家族というのは気を使わなければいけないし大変だ」と思いました。こうした思いはすべてドラマになって、しっかり儲けさせていただきました(笑)》(本誌’15年7月7・14日合併号)慣れない人間関係に悩みながらも、家族に尽くそうと努めていた橋田さん。その在りし日の姿について、泉ピン子は次のように語った。「私がママからよく言われたのは『一に家庭、二に仕事』。かいがいしく家事をこなす姿が印象的でした。まだご主人がご存命のとき、自宅に伺うと、『ピン子にうまいものを食わしてやれ』『布団をしいてやれ』……、何を言われても返事は『はい』だけ。それでもいつもママは家庭のことをいちばんに考えていましたね」■死別後は、夫の写真とおしゃべりしていた超売れっ子作家でありながらも“仕事より家族”というモットーを貫いたのは、夫への深い感謝があったからだという。《天涯孤独で家族を知らなかった私がホームドラマ作家といわれる作品を書けるようになったのも、嘉一と結婚したおかげであった。また、嘉一は優秀なテレビ人間で、嘉一のテレビに対する感覚を、私はいつの間にか門前の小僧のように、覚えていった》(自伝『夫婦は一生懸命』光文社)夫が肺がんのために逝去したのは’89年。だがそれから30年余り、嘉一さんは遺された橋田さんの心の支えであり続けたのだ。《私は、よく壁にかけてある嘉一の写真とおしゃべりする。嘉一が気に入らないとわかっているようなことをしてしまった日は、笑顔のはずの嘉一が、ムッとしていたり……(中略)今夜もまたおしゃべりをしよう。嘉一は、ほんとうに、まだ生きているのである。私が生きている限り、私のそばで生き続けてくれるだろう》(『夫婦は一生懸命』)“こういう話を書いたら彼が褒めてくれるかな”、そんな自問は創作意欲の原動力だった。「橋田さんは東京の病院に入院していたときも、ずっと『熱海の家に帰りたい』と、言っていました。きっと岩崎さんとの思い出がたくさん残る場所に早く戻りたかったのでしょう」(石井さん)体調が一時安定し、橋田さんが亡き夫が待つわが家へようやく帰宅できたのは、逝去の前日。脚本家として、そして妻として全力を尽くしきった生涯だった。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月14日「今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました」こうコメントしたのは泉ピン子(73)だ。4月5日、公私共に交流のあった橋田壽賀子さん(享年95)が熱海市内の自宅で死去。冒頭のコメントは橋田さんを追悼するものだ。さらにピン子は「思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました」とも明かしている。’78年のドラマ『夫婦』(NHK総合)で出会い、43年来の仲だった2人。以降’83年の連続テレビ小説『おしん』(NHK総合)や’90年にスタートした『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)など、名作ドラマでタッグを組んできた。「橋田さんの脚本はセリフが長いため、ピン子さんは四苦八苦することもあったそうです。また橋田さんは簡単には褒めません。そのため、緊張が続いたピン子さんは激痩せしたこともあったといいます。しかし’13年に公開された『おしん』の映画版で加賀屋の大奥様役を演じた際、『温かい演技だった』と橋田さんは絶賛。そのことを、ピン子さんはとても喜んでいました」(映画関係者)プライベートでも縁を深め、一緒に何十カ国も旅してきたという2人。そうするうちに、あるターニングポイントがピン子に訪れたようだ。「もともとブランド好きだったピン子さんはサハラ砂漠に行ったり北極でシロクマを見たりと、普段とは違う環境に身を置くことに。そうして『もっと軽やかに生きよう』と考えるようになったそうです。橋田さんの大らかな性格の影響もあったそうで、『先生と出会ったことで人間が変わった』とも話していました」(スポーツ紙記者)ピン子は、橋田さんの影響で熱海へ移住もしている。そんな彼女に、橋田さんも母のように愛を注いだという。「ピン子さんはたとえ監督であっても、ときにはぶつかることがあったそうです。しかし、橋田さんは『あの子のキャラクターだから』とあえて注意しなかったといいます。“彼女の個性を伸ばしてあげたい。それを演技に活かしてほしい”という気持ちだったのでしょう。橋田さんは“女優・泉ピン子”の演技が好きで、あてがきの台本を書くこともあったといいます」(テレビ局関係者)13年4月、本誌で「私にとって『おしん』は、30年前から特別なドラマでした。いまでも当時の撮影のことや、セリフや方言も覚えています」と語っていたピン子。染み付いた“橋田節”はこれからも、彼女の糧となるだろう。
2021年04月06日「橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと『どうしたの?』と心配されることもありました」「思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません」こうコメントを発表したのはTBSのプロデューサー・石井ふく子氏(94)だ。4月5日、脚本家の橋田壽賀子さん(享年95)が亡くなったと発表された。そこで橋田さんと深く親交のあった彼女は、冒頭のようにコメントした。2人は’64年のドラマ『愛と死をみつめて』や’79年の『女たちの忠臣蔵』、そして’90年にスタートした国民的ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(すべてTBS系)など数々の名作ドラマを世に送り出してきた。「出会いは橋田さんが34歳で、石井さんが33歳の頃。橋田さんは年下の石井さんに叱られてばかりだったそうですが、その心配りやユニークさに心を許していたといいます。また同年代の女性同士だからこそ、言いたいことも言える仲でした。石井さんは原稿を受け取る際、必ず熱海にある橋田さんの自宅にまで出向いたそうです。橋田さんは原稿を鉛筆で書くのですが、石井さんは『ここで休憩を入れたな』と文字を見てたびたび気づいたといいます。それほど橋田さんのことを理解していました」(スポーツ紙記者)橋田さんは’66年5月、当時TBSのプロデューサーだった岩崎嘉一さんと結婚した。実は、仲人は石井氏だったという。「ある時、橋田さんが『脚本を書けない』というので、石井さんが話を聞くと『好きな人ができた』と。それが岩崎さんでした。岩崎さんはTBSの局員だったため、石井さんは2人の仲を取り持つことに。すると、それから10日後に2人は結婚したのです」(TBS局関係者)スピード婚だったが、橋田さんは89年9月に岩崎さんが亡くなるまで添い遂げた。「橋田さんはその後、自伝的ドラマ『妻が夫をおくるとき』(同局系)を製作しました。岩崎さんとの別れを描いており、石井さんはそのリアリティあふれる脚本に『読むのも辛かった』と話していました」(前出・TBS局関係者)■「夫が亡くなった時も、辛い気持ちを一緒に背負ってくれた」そして、’90年に『渡鬼』がスタートした。ドラマが10周年を迎えた00年10月、本誌に登場した2人。そこでこう語っている。石井「トレンディ・ドラマが隆盛のころでしたから『2人で何か作ってくれ』と言われた時、『家族のドラマしかできないな。それで、もしダメだったら、もうお呼びじゃないということだから“放送界”をやめよう』と言って、スタートしましたね」橋田「『当たらなかったら、老兵は消えてゆくのみだね』と言って(笑)」“去り際も一緒”。そう決意し『渡鬼』に臨んだ2人は、まさに戦友同士だったのだ。「橋田さんは’64年の『袋を渡せば』(同局系)で石井さんに評価してもらったことで、テレビの仕事が舞い込むように。さらに岩崎さんとの仲人を務めてもらっただけでなく、『夫が亡くなった時も、辛い気持ちを一緒に背負ってくれた』とも。そうした友情に感謝していました」(テレビ局関係者)また石井は、橋田さんを尊敬する気持ちも欠かさなかったという。「石井さんは橋田さんの脚本に心底惚れていました。『愛と死を見つめて』の脚本が素晴らしかったものの、当初予定していた1時間では到底収まり切れない。そこで石井さんは『どうしても全部放送したい』と、スポンサーにお願いするため奔走しました。そうして、前後編に分けて2回にわたっての放送が実現したんです。『渡鬼』は新型コロナの影響で製作が延期になったものの、今年撮影に入る予定だったと聞いていました。石井さんは、橋田さんと一緒に完成を見届けたかったでしょうね」(前出・スポーツ紙記者)60年の友情を築いてきた2人。その思い出は永遠だ。
2021年04月06日4月5日、脚本家の橋田壽賀子さんが亡くなったと発表された。95歳だった。各メディアによると急性リンパ腫治療のため、東京都内の病院に入院していた橋田さん。熱海市内の自宅に戻った後、4日に息を引き取ったという。橋田さんは、脚本担当した’83年の連続テレビ小説『おしん』(NHK総合)が最高視聴率62.9%という驚異的な数字を記録。さらに’90年にスタートした人気ドラマシリーズ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)は、20年にわたってお茶の間で愛される作品となった。15年には文化功労者に選ばれ、昨年には文化勲章を受章している。そんな橋田さんは生前、本誌にたびたび登場していた。’10年10月、『渡鬼』の新シリーズを控えていた橋田さんは当時85歳。「元気でいなきゃいけないから、毎週4日間泳いで、3日間トレーニングジムに通っています」と元気の秘訣を明かし、“まだまだ現役”と奮起していた。しかし、その4年後となる14年6月。ドラマ『なるようになるさ。』(TBS系)の視聴率不振から「絶筆するのでは」との情報が。そこで本誌が取材を申し込んだところ、橋田さんはこう明かした。「引退は、したいですよ。でも、させてもらえないでしょうね。シリーズものはやりたくない?はい、そうですね」そのいっぽうで「『やれ』と言われたら、やりますよ。『渡鬼』スペシャルも年内には仕上げなければなりません」ともコメント。絶筆願望を抱えながらも、“周囲の期待になんとか応えなければ……”という葛藤がうかがえた。さらに’15年7月には、終活を始めたとも明かしていた。’89年に夫と死別して以降、1人で過ごしてきた橋田さん。本を熱海市の図書館に、そして「山のようにあった」というメガネは発展途上国を送る団体に寄付。洋服やアクセサリーもリサイクルショップに持っていったといい、終活ノートをしたためているとも明かした。当時、橋田さんはこれまでの人生を回想し「本当に恵まれていたと思います」と感慨深げ。そして、こう続けていた。「日本がいちばんいい時代にテレビの仕事をさせていただいて、その時代、その時代に自分が書きたいと思ったものを存分に書かせていただきました」「私生活もそれはありがたい人生でした。『あれがあったらよかった』『あの人と結婚すればよかった』ということは皆無です」思う存分生き、この世を去った橋田さん。今は、安らかに眠っていることだろう。
2021年04月05日脚本家・橋田壽賀子さんが、急性リンパ腫のため4日、熱海市内の自宅で亡くなったことが5日、わかった。95歳だった。TBS系ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』でタッグを組んだ石井ふく子プロデューサーがコメントを寄せ、悲痛な思いを明かした。■石井ふく子プロデューサーコメント全文橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと「どうしたの?」と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません。「あなた一人でどこに行ったのよ」という思いでいっぱいです。橋田さんは現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました。同時に「私はいつも一人だと思っていたけれど、あなたたちがそばにいてくれたのね」とおっしゃって。私は「今更、なにを言ってるのよ」と返しましたけれど。お互いに元気でいようねって話していたところでした。今、私の隣りに笑って私を見ている遺影があります。まだ、橋田さんがこの世からいなくなったなんて考えられません。
2021年04月05日2021年4月4日、脚本家の橋田壽賀子さんが急性リンパ腫のため、亡くなりました。橋田さんが脚本を手掛けたテレビドラマ『おしん』(NHK)、『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)などに出演した、俳優の泉ピン子さんが追悼コメントを発表。昨日意識がなくなったとき、「ママ」って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。サンケイスポーツーより引用橋田さんは生前、泉さんに「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」と語っていたといいます。そのため、最期は『千の風になって』の曲をかけて橋田さんを送り出したそうです。また、泉さんは長年親交の深かった橋田さんへの感謝の想いをつづっています。今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います。サンケイスポーツーより引用ネット上では「泉さんショックだろうな。ドラマ大好きでした」「2人の掛け合いが見られないと思うとさびしい」などの声が寄せられています。泉さんの橋田さんへの深い尊敬と愛情が込められた追悼文は、きっと天国にも届いていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年04月05日脚本家の橋田壽賀子(本名:岩崎壽賀子)さんが2021年4月4日、午前9時13分、急性リンパ腫により亡くなっていたことが分かった。享年95歳。1964年、TBS東芝日曜劇場「袋を渡せば」の脚本でデビューし、以来、今日まで55年以上にわたり、テレビドラマの脚本家として、数々の名作・ヒット作を生み出してきた橋田さん。中でも連続テレビ小説第31作「おしん」は、テレビドラマ史上最高視聴率を記録。また、石井ふく子プロデューサーと共に100作以上を描き上げた東芝日曜劇場で“ホームドラマ”のジャンルを確立し、「ただいま11人」、「つくし誰の子」、「おんなは一生懸命」など多くの連続ドラマを執筆。「渡る世間は鬼ばかり」は1990年のスタートから2011年までの20年に亘り、10シリーズ・511話という歴史に残る連続ドラマとなり、現在もスペシャルドラマとして「家族」の物語が続いている。テレビ文化全般に対する関心も高く、1993年、自身が設立した橋田文化財団による「橋田賞」を創設し、「日本人の心や人の触れ合いを取り上げ、放送文化に大きく貢献した番組や人物」を毎年表彰。また「新人脚本賞」を通じて、新たな才能の発掘にも取り組んできた。そんな一般財団法人橋田文化財団は、「今年2月下旬、都内の病院に入院し、治療に専念してまいりました。3月中旬、熱海市内の病院に転院。4月3日、熱海市内の自宅に戻り、翌4日、静かに息を引き取りました。ここに生前のご厚誼に深く感謝いたしますと共に謹んでご報告申し上げます」と発表。なお、故人の遺志により、お通夜・告別式は執り行わず、本日5日、荼毘に付された。お別れの会等についても遺志により行う予定はないとのこと。今回の訃報を受けて、石井プロデューサーは「橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと『どうしたの?』と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません。『あなた一人でどこに行ったのよ』という思いでいっぱいです」と思いを明かす。「おしん」ではおしんの母・ふじ役、「渡る世間は鬼ばかり」では次女・五月役で出演した泉ピン子は「昨日意識がなくなったとき、『ママ』って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました」とふり返り、「今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました」とコメントしている。(cinemacafe.net)
2021年04月05日脚本家・橋田壽賀子さんが、急性リンパ腫のため4日、熱海市内の自宅で亡くなったことが5日、わかった。95歳だった。橋田さんが脚本を手掛けたドラマ『渡る世間は鬼ばかり』『おしん』に出演した女優・泉ピン子が追悼コメントを寄せた。■泉ピン子コメント全文昨日意識がなくなったとき、「ママ」って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。橋田さんは「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」といつも言っていました。「でも、私が先に逝くとは限らないけど」と茶目っ気たっぷりで付け加えたりして。ですから最後は「千の風になって」をかけて送りました。今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います。
2021年04月05日TBS系ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』などで知られる脚本家・橋田壽賀子さんが、急性リンパ腫のため4日、熱海市内の自宅で亡くなったことが5日、わかった。95歳だった。橋田文化財団によると、橋田さんは2月下旬、都内の病院に入院し、治療に専念。3月中旬、静岡県熱海市内の病院に転院し、今月3日、熱海市内の自宅に戻り、4日に息を引き取ったという。なお、故人の遺志により、通夜、告別式は執り行わず、本日5日、茶毘(だび)に付された。お別れの会などについても、遺志に従い、行う予定はないとのこと。(C)TBS
2021年04月05日2021年4月5日16時50分、脚本家である橋田壽賀子(はしだ・すがこ)さんが亡くなったことが報じられました。95歳でした。テレビドラマを中心に、『おんな太閤記』『春日局』『渡る世間は鬼ばかり』など、数えきれないほどの名作を生み出してきた橋田さん。その功績を称え、これまで紫綬褒章や文化勲章などを受章し、文化功労者として選定されました。橋田さんの作品には、泉ピン子さんをはじめとするお馴染みの役者が出演することから、通称『橋田ファミリー』と呼ばれています。作品に関わってきた人だけでなく、橋田さんの作品に勇気付けられてきた多くの視聴者から悲しむ声が上がりました。今後も橋田さんの作品は、映像を通して人々に笑顔を与えてくれることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2021年04月05日日本人の心や人と人とのふれあいを温かくとりあげてきた番組と人に贈られる「第27回橋田賞」の受賞作品および受賞者が31日、発表された。脚本家・橋田壽賀子が理事を務める橋田文化財団が主催している同賞。今回、橋田賞大賞は該当者なし。橋田賞は、山田洋次監督、松坂慶子、内藤剛志、大泉洋、宮崎あおい、岡田将生、菅田将暉、安住紳一郎アナに決定した。また、橋田賞新人賞は、NHK連続テレビ小説『半分、青い。』での演技が評価され、永野芽郁が受賞した。それぞれの受賞理由は以下の通り。○橋田賞■山田洋次(脚本家・映画監督)本年度の『あにいもうと』(TBS)の脚本に対して。兄と妹の複雑な情愛を軸に、相手を思うが故の厳しさや、家族だからこその甘えの美しさ、難しさを温かくユーモラスに映し出しながら、兄妹が新たな人生を歩んでいけるという新たな結末を描き、多くの視聴者の共感を得た。■松坂慶子(俳優)本年度の『西郷どん』(NHK)での隆盛の母親役や、『まんぷく』(NHK)における主人公の母親役の圧倒的な存在感と魅力的なキャラクターが、多くの視聴者の支持を得た。■内藤剛志(俳優)『警視庁捜査一課長』や『科捜研の女』シリーズ等において、誠実で正義感が強く人情味あふれる刑事役をそれぞれ見事に演じ分け、安定した人気を獲得し多くの視聴者の支持を得た。■大泉洋(俳優)本年度の『あにいもうと』の演技に対して。妹への過剰な愛情からつい衝突してしまう、家族思いの昔ながらの大工という役柄を、丁寧にまた時にはコミカルに生き生きと演じて多くの視聴者の共感を得た。■宮崎あおい(俳優)本年度の『あにいもうと』の演技に対して。役柄のために大型免許を取得したり、本気で兄とぶつかりあったり徹底した迫真の演技で多くの視聴者に感動を与えた。■岡田将生(俳優)本年度の『昭和元禄落語心中』(NHK)の演技に対して。落語を語るばかりでなく、若い頃から幽玄な老年までを熱意と努力で演じ切り、有楽亭八雲の生きざまを見事に表現して高い評価を得た。■菅田将暉(俳優)本年度の『トドメの接吻』(日本テレビ)、『dele』(テレビ朝日)等における才気にあふれた演技は群を抜いており、多くの視聴者の支持を得た。■安住紳一郎(TBSアナウンサー)『ぴったんこカン・カン』などのバラエティから『新・情報7daysニュースキャスター』等の報道番組まで幅広く活躍し、人と人とのつながりを大事にしながら自分の言葉で情報を発信する姿勢が多くの視聴者の支持を得た。○橋田賞新人賞■永野芽郁(俳優)本年度の『半分、青い。』(NHK)の演技に対して。ハンディキャップを背負いながら、失敗を恐れないバイタリティで挫折と回り道を重ねながら懸命に生きるヒロインの40年に及ぶ人生を類いまれなる表現力で演じきった。
2019年03月31日俳優の竹内涼真が、「第26回橋田賞」で橋田賞新人賞を受賞し18日、都内ホテルで行われた授賞式に出席した。脚本家・橋田壽賀子が理事を務める橋田文化財団が主催し、日本人の心や人と人とのふれあいを温かくとりあげてきた番組と人に贈られる同賞。竹内は、『陸王』(TBS)、『ひよっこ』(NHK)などでの演技を評価され、新人賞に輝いた。壇上で竹内は、橋田氏に向かって「橋田さん、初めまして。竹内涼真と言います。たぶん知らないですよね?」とさわやかに自己紹介。「今、録画とかで名前を打つとその人の作品が勝手に録画されるようになっているので、ぜひ“竹内涼真”と打ってください」とアピールした。竹内に対し、橋田氏は「楽しみに期待している」とコメント。最近の作品は見ていないそうで、竹内に関しても「これから拝見します」とのこと。そして、録画について「ビデオの使い方がわからないんです。ビデオをもらっても見たことないんです。ダメなんです機械」と打ち明け、最後に「素敵な坊やです」と言葉をかけて笑いを誘った。竹内はまた、「このような光栄な賞をいただけてうれしいです」と喜び、「この仕事を始めて5年ですが、芸能界に入ってよかったなと思っています。ドラマや映画を見て『感動した』『元気になった』という声をいただける仕事って本当に素晴らしいなと思っています」としみじみ。さらに、『ひよっこ』『陸王』を振り返って「視聴者の方々のために寝る間を惜しんで頑張り続ける監督やスタッフのみなさんの姿に本当に感動して、命をかけて僕らは役作りをして演じなきゃいけないなと思います」と語り、「これからまだ先が長い仕事だと思いますので、見ている方々に新しいエンターテインメントを楽しんでいただけるように日々努力し続けたいと思います」とさらなる活躍を誓った。今回、橋田賞は、NHKスペシャル『戦慄の記憶 インパール』(NHK)、『コウノドリ』(TBS)、岡田惠和(脚本家)、松たか子(俳優)、阿川佐和子(エッセイスト・タレント)、桂文珍(落語家)が受賞。橋田賞大賞は該当なし。新人賞は有村架純(女優)と竹内涼真(俳優)。そして、特別賞に石坂浩二(俳優)と大杉漣さん(故人・俳優)が選出された。
2018年07月18日11月15日(水)放送のフジテレビ系番組「おじゃMAP!!」では、香取慎吾と山崎弘也が「渡る世間は鬼ばかり」シリーズの脚本家としてお馴染みの橋田壽賀子の自宅を訪問。92歳にして現役で執筆活動を続けている橋田さんの元気と若さの秘訣に迫る。過去に番組共演して以来、公私ともに交流を深めていたという本番組MCの香取さんとゲストの橋田さん。しかし、最近は手紙のやりとりが中心でなかなか会えなかったそうで、今回は久々の感動の再会。番組では、“10個の元気ポイント”を見つけながら、自宅をまわっていく。また、定期的に体を動かしているという橋田さんのマル秘トレーニングを調査!実際に香取さんが挑戦するも、「運動不足だから結構キツい」と早々に音を上げてしまう場面も…。そして、楽しみや生きがいをみつけることが大切と語る橋田さん。「このために働いているようなもの」と語る豪華客船での世界一周旅行のエピソードが披露されたり、香取さんがスマートフォンの使い方を指南し、初めてのTwitter・Instagramを体験したり。さらに、「大阪で食べたお好み焼きが大好きだったけど、最近おいしいお好み焼きを食べていない」という橋田さんのために、香取さん自ら腕を振るう!野菜が苦手だという橋田さん。香取さんならではの愛情と工夫が詰まった特製お好み焼きとは…?また、人気シリーズ「渡る世間は鬼ばかり」の誕生秘話も語られる。ロケをふり返って山崎さんは、「最高のロケでした。橋田先生くらいになると、もういろんなものを突き抜けていらっしゃいますね」とコメント。香取さんも「早くその(橋田先生の)境地に達したい」と感想を語っている。橋田壽賀子がゲストの「おじゃMAP!!」は11月15日(水)19時~フジテレビにて放送。(cinemacafe.net)
2017年11月14日芝浦工業大学デザイン工学科の橋田規子教授が、コンパクトで軽い「ミニマルチェアENOTSエノッツ」(岩谷マテリアルより販売中)をデザインし、そのコンセプトおよびデザイン性が評価され、ドイツの『レッドドットデザイン賞2017』を受賞しました。コンパクトであらゆる生活空間にフィットする樹脂製の椅子ミニマルチェアENOTSエノッツは、コンパクトであらゆる生活空間にフィットする樹脂製の椅子を目指し、デザインされました。小さいながら、安定した座り心地を実現。背もたれのカーブが腰の低い位置をしっかりとホールドするため、疲れにくく、小さい座面を感じさせません(座面の高さは、座りやすい約40cm。身長の低い人や、くつを脱ぐ習慣にちょうど良い高さです)。重さは2.1kg。片手で持ち運びできる軽さのため、気軽に出したりしまったり、置き場所の移動もラクにできます(積み重ねられるため、パーティーなどの来客用ストック椅子として収納場所をとりません)。世界3大デザイン賞『レッドドットデザイン賞2017』を受賞同賞はドイツの「iFデザイン賞」やアメリカの「IDEA賞」と並び、世界3大デザイン賞として世界的に最も権威のある賞の一つです。なお、本ミニマルチェアは2015年にグッドデザイン賞を、2016年に公益社団法人日本インテリアデザイナー協会のJIDAWARD(インテリアプロダクト部門・部門賞)も受賞しています。下記リンクでは、橋田教授が今までにデザインしたプロダクトの写真が見られます。エモーショナルデザイン研究室ホームページ製品情報価格:8,000円(税別)サイズ:幅36cm×奥行き33cm×高さ56cm(座面高さ40.5cm)重量:2.1kg(垂直耐荷重100kg)(8脚まで積み重ね可)カラー:ホワイト、グレー、オレンジ、グリーン(4色)材質:本体/ポリプロピレン・ガラス繊維、脚キャップ/ポリエチレン製品ページ
2017年07月26日俳優・鈴木亮平が、5月10日(火)に行われた「第24回橋田賞」に出席。ドラマ「天皇の料理番」秋山周太郎役で個人賞を受賞した報告と、弟を演じた佐藤健との“兄弟”受賞の喜びを自身のブログで語った。TBSドラマ「天皇の料理番」は、大正・昭和時代に宮内省厨司長を務めた秋山徳蔵氏の人生を描いた直木賞作家・杉森久英の小説が原作。妻と家族と師と仲間に支えられ、夢を信じ、料理を愛しぬき、天皇の料理番まで上り詰めた男の生き様が描かれ、涙と感動を誘うとともに大人気に。昨年開催された「東京ドラマアウォード2015」でも作品賞・主演男優賞を含む4部門制覇という快挙を成し遂げたことが記憶に新しい。そんな話題作で、役作りのために20キロの減量を行い、ひときわ注目を集めた鈴木さん。今回の受賞について「映画の賞というのは大々的に行われるものも多いですが、テレビドラマの賞というのはそれほど多くはないので、こんなに栄誉ある賞をいただけて、素直にとっても嬉しいです」と喜びを述べ、「それもこれも、『天皇の料理番』を愛してくださった皆さんのお陰です」と感謝。さらに「個人的には、何よりも、弟を演じた健と同時に受賞できたというのが本当に嬉しかった。あのお互い大変だった撮影の日々を思うと、こうして素晴らしい賞までいただいているいまが夢のようです」と、弟・篤蔵を演じた佐藤さんとの“兄弟”受賞に感動しているよう。同時に個人賞を受賞するというコンビネーションを見せた2人だが、実は今週の5月14日(土)には、互いの主演作が同時に公開日を迎える!佐藤さんは、宮崎あおい、濱田岳らと共演した『世界から猫が消えたなら』。鈴木さんは、監督・福田雄一によるファン待望の続編にして、柳楽優弥ら新キャストが加わってパワーアップした『HK/変態仮面アブノーマル・クライシス』が公開と…何かと縁が深い。「兄弟揃って14日公開!いやもちろん、並べて語るのもおこがましいくらい規模もジャンルも大違いの映画ですけどね(笑)でも、なんだか不思議な縁という気がして嬉しいです」と想いを明かし、「というわけで、今日もカウントダウン行きますよ。世界から猫とパンティーが消えるまで、あと4日!!」と、両作品に熱い気持ちを込めたコメントでブログを締めくくった。『世界から猫が消えたなら』は5月14日(土)より全国にて公開『HK/変態仮面アブノーマル・クライシス』は5月14日(土)より新宿バルト9ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年05月10日俳優の佐藤健と鈴木亮平が10日、都内ホテルで行われた「第24回橋田賞」の授賞式に出席し、受賞の喜びを語った。2人は、TBSテレビ60周年特別企画『天皇の料理番』での演技を認められ、橋田賞を受賞。ドラマ自体も、「夢を掴み取るために試練に立ち向かう主人公と、それを支える者たちの愛の物語は、多くの視聴者の共感と感動を呼んだ」と評価され、同賞を受賞した。主人公・秋山篤蔵を演じた佐藤は「このような素敵な賞をいただいて大変光栄です」と感激。「『天皇の料理番』という作品に出演できたことを大変うれしく思います。と共に、今後も見てくださる方々の心に深く残り続ける作品作りを目指して、精進していきたいと思っています」と語った。篤蔵の兄を演じた鈴木も「主役を演じた佐藤健と一緒にこのような賞をいただけてうれしい限り」と喜びを表現。「僕の役は自分の夢をあきらめて弟に夢を託すという役で、弟に対して手紙を書くシーンが多かったのですが、手紙の中での『夢に向かって努力して苦しめることは幸せなことなのだ』というセリフが今でも忘れられない。苦しいことがあるたびにそのセリフを思い出します」と言い、「自分の中でとても大切な作品になっています」と感慨深げに話した。「『天皇の料理番』だけは見ていた」という脚本家・橋田壽賀子氏は、佐藤に対し、「若い時から年寄りまで一生懸命なさっていたのがすごい好感が持てて、ファンになりました」と告白。鈴木に対しても、「役のためにお痩せになったんですって? そんなこと私できない。なんて真面目な人が世の中にいるんだろうと感動した」と同ドラマのために20キロ減量した役者魂をたたえた。脚本家・橋田壽賀子が理事を務める橋田文化財団主催の橋田賞は、日本人の心や人と人とのふれあいを温かくとりあげてきた番組と人に贈られる賞。今回、橋田賞は、『天皇の料理番』、佐藤、鈴木のほか、『あさが来た』(NHK)、脚本家の大森美香氏、古沢良太氏、女優の岸本加世子、新人賞は女優の吉田羊、特別賞は女優の三田佳子が受賞し、大賞は該当者なしだった。
2016年05月10日女優の小芝風花が10日、都内ホテルで行われた「第24回橋田賞」の授賞式に出席。橋田賞を受賞したNHK連続テレビ小説『あさが来た』の代表として、受賞の喜びを語った。『あさが来た』は、実業家であり女子教育にも尽力したヒロイン・あさを丁寧かつ魅力的に描き、「多くの視聴者の関心を集めた」と評価され、橋田賞を受賞。あさの娘・千代を演じた小芝は「お母ちゃんじゃなくてごめんなさい。娘の千代ですいません。波瑠さんじゃなくてごめんなさい」と謙虚にあいさつした上で、「台本をもらうたびにワクワクしていたので、素敵な賞をいただけて本当にうれしく思っています。これからも頑張ります」と述べた。同ドラマのオリジナル脚本を手掛けた大森美香氏も同賞を受賞。「スタッフ、キャストのみなさんと共に、日本の朝を明るくする話をどうにか毎日届けたいという気持ちで書かせていただきました」と思いを伝え、「スタッフ、キャストのみなさん全員と一緒にいただけた賞だと思っています。うれしくて今も胸がドキドキしています」と喜びを爆発させた。脚本家・橋田壽賀子氏が理事を務める橋田文化財団主催の橋田賞は、日本人の心や人と人とのふれあいを温かくとりあげてきた番組と人に贈られる賞。今回、橋田賞は、『あさが来た』、大森氏のほか、『天皇の料理番』(TBS)、俳優の佐藤健、鈴木亮平、女優の岸本加世子、脚本家の古沢良太氏、新人賞は女優の吉田羊、特別賞は女優の三田佳子が受賞し、大賞は該当者なしだった。
2016年05月10日女優の吉田羊が10日、都内ホテルで行われた「第24回橋田賞」の授賞式に出席。先月11日発売の『週刊ポスト』でHey!Say!JUMP・中島裕翔との"推定20歳差熱愛"が報じられて以来、初の公の場となったが、交際報道には言及しなかった。吉田は、2015年10月期のドラマ『コウノドリ』(TBS)での演技をはじめとする本年度の活躍を評価され、橋田賞新人賞を受賞。「身に余る素晴らしい賞をいただき、ありがとうございます」と喜び、演じた小松留美子役について「幸せを感じる役。そんな役はほかにはありませんでした。私がこの役を演じて感じた幸せが見ている方にも伝わって賞につながったのかなと思っています」と感慨深げに語った。また、授賞式の中で脚本家・橋田壽賀子氏が「『天皇の料理番』以外、テレビを見ていない」と暴露したことから、「ちょっと複雑な気持ちではありますが」と笑いを誘い、「橋田先生に見ていただける作品に出られるよう邁進していきたいと思います」と決意を伝えた。授賞式終了後、熱愛について質問しようと報道陣が詰め寄るも、関係者に囲まれながら、ほかの受賞者とは違う出口へ。厳重警戒の中、無言のまま会場を立ち去った。脚本家・橋田壽賀子が理事を務める橋田文化財団主催の橋田賞は、日本人の心や人と人とのふれあいを温かくとりあげてきた番組と人に贈られる賞。受賞者には置時計と賞金100万円が贈られた。
2016年05月10日「第24回橋田賞」が3月31日に発表され、連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)、TBSテレビ60周年特別企画『天皇の料理番』(TBS)などが受賞した。脚本家・橋田壽賀子が理事を務める橋田文化財団主催の橋田賞は、日本人の心や人と人とのふれあいを温かくとりあげてきた番組と人に贈られる賞。『あさが来た』は、実業家であり女子教育にも尽力したヒロイン・あさを「丁寧かつ魅力的に描き多くの視聴者の関心を集めた」と評価され、同作の脚本家・大森美香氏も受賞。『天皇の料理番』は、「夢をつかみ取るために試練に立ち向かう主人公と、それを支える者たちの愛の物語は、多くの視聴者の共感と感動を呼んだ」と認められ、主人公・秋山篤蔵役の佐藤健、篤蔵の兄役の鈴木亮平も受賞となった。そのほか、『居酒屋もへじ』(TBS)などで活躍する女優の岸本加世子、『デート~恋とはどんなものかしら~』(フジテレビ)などの脚本家・古沢良太氏も選ばれた。最高賞の橋田賞大賞は該当者なし。橋田賞新人賞は女優の吉田羊、橋田賞特別賞は女優の三田佳子に決定。吉田は『コウノドリ』(TBS)での演技をはじめとする2015年度の活躍、三田は長年にわたってテレビドラマに貢献してきた功績が認められた。授賞式は、5月10日に都内で行われ、受賞者には置時計と賞金100万円が贈られる。
2016年04月01日