フジテレビは、米・スカイバウンド×フジテレビ共同制作ドラマ『HEART ATTACK』の主演に寛一郎さん、三浦透子さんが決定したことを発表しました。■スカイバウンド×フジテレビ共同制作ドラマ第1弾フジテレビは2023年9月、スカイバウンドエンターテインメント(以下、スカイバウンド)とパートナーシップを構築し、その第1弾として、スカイバウンドオリジナルのグラフィックノベルシリーズ『HEART ATTACK』を共同制作でドラマ化することを発表しました。スカイバウンドは、ドラマが120ヶ国以上で視聴されるなど世界的に画期的で魅力的なコンテンツを生み出し、コミック、ゲーム、テレビ、映画、デジタルメディアなどあらゆる分野のコンテンツを多角的に制作しているマルチプラットフォームエンターテインメント企業です。■近未来の日本を舞台に、迫害される超能力者たちをスリリングに描く同作は、『インビンシブル』や『ウォーキング・デッド』などの大ヒット・フランチャイズを手がけるクリエイター主導の米国マルチプラットフォーム・エンターテインメント企業のスカイバウンドと共同で制作するドラマ。原作となる『Heart Attack』は、政府が人権を否定するほどの特殊な力を持つ“ヴァリアント”と呼ばれる人々が存在するパンデミック後の世界が舞台のSF作品です。異なる背景を持つ若い男女二人の出会い、不条理な世界の中で自由を求める戦い、そこで育まれる愛情を描く原作『Heart Attack』。『インジャスティス2』や『モータルコンバット』などのゲームで知られるスカイバウンドのクリエイター、ショーン・キッテルセンと、『ハウス・オブ・エル』の画家として高い評価を得るイラストレーター、エリック・ザヴァツキが共同執筆した作品で、世界的に大ヒットしています。今回制作するドラマでは、近未来の日本を舞台としてヴァリアントが抑圧、権力と闘い、運命的な愛情をスリリングな展開と刺激的な映像演出で描きます。超常的な能力を持ち世間から迫害されているヴァリアントの人々は、“奈落”の集落に隔離され、その奈落をVCU(ヴァリアント犯罪課)という組織が常に監視しています。寛一郎さんが演じる主人公・ウミン(21歳)はヴァリアントですが、VCUのスパイとして活動しています。もう一人の主人公・三浦透子さん演じるエマ(23歳)は、インフルエンサーユニット“L”のメンバーとして、日々Makumaという動画配信プラットフォームでヴァリアントに自由と権利を求め動画を配信しています。二人は共に少し物が動かせる、手が温かくなるといった微々たる特殊能力しかありませんが、あるチャリティーイベントで出会い、偶然二人の手が触れると……。同ドラマは、フジテレビが制作を主導し、スカイバウンドが全世界に配給します。■主演・寛一郎×三浦透子、監督・丸山健志ウミン役を務める寛一郎さんは、2017年に俳優デビュー。以来、第27回日本映画批評家大賞の新人男優賞、第33回高崎映画祭の最優秀新進俳優賞など数多くのを受賞歴があり、2024年夏に公開される映画『プロミスト・ランド』での主演が決定しています。エマ役を演じるのは、三浦透子さん。2002年6歳で子役デビューし、第45回日本アカデミー賞 新人俳優賞などの授賞歴があり、俳優業だけではなく歌手としても活躍中です。演技派の2人の主演が、真に迫る演技とアクションでドラマをより一層盛り上げます。◇【コメント】<寛一郎さん>「この作品は僕含め、色々な方々のチャレンジや、新しいことが詰まった作品となっています。そしてその全てを合わせて、素晴らしい映像を作り出しています。この作品が世界に飛び立ってくれることに心を躍らせています」<三浦透子さん>「アメリカンコミックスの実写化を日本で、という、とても挑戦的な作品です。頭も身体もいっぱい使って、新しい世界観に必死で食らいついたつもりです。はじめて現場に立った時のような、ひりひりする感覚や、ドキドキする瞬間を沢山味わえた、そんな新鮮な現場でした。自由を奪われた生活の中でも、自分らしく生きる方法を模索し、声を上げ続ける登場人物たちのエネルギーを、皆様にも是非体験していただきたいです」<丸山健志監督>「アメコミ原作を日本が舞台でドラマ化しグローバル展開する!そんな新しい座組にワクワクしました。最高のスタッフとキャストが集い、現在撮影中です。寛一郎/三浦透子と共に、強くて新しいものが撮れています。ご期待ください!」■ドラマ概要●タイトル:『HEART ATTACK』●出演:寛一郎、三浦透子他●原作:Skybound Comic Book 『Heart Attack』 by Shawn Kittelson and Eric Zawadski●スタッフ:<監督>丸山健志、八神隆治<脚本>大浦光太、高徳宥介<エグゼクティブプロデューサー>石井浩二、下川猛<プロデューサー>加藤裕将、鹿内植、ビョン ハジョン、梶原富治(ロボット)<SKYBOUND>・Executive Producer Robert Kirkman, Chairman – Skybound Entertainment・Executive Producer David Alpert, CEO – Skybound Entertainment・Executive Producer Rick Jacobs, Managing Partner, Linear – Skybound Entertainment・Executive Producer Glenn Geller, President, TV – Skybound Entertainment・Executive Producer Ash Nukui, COO – Skybound Japan・Co-Producer Wes Mazda, Sr. Manager, TV – Skybound Entertainment●制作プロダクション:ロボット●制作著作:フジテレビSKYBOUND(エボル)
2024年03月25日グラフィックデザイナー・永井一正とアートディレクター・永井一史による初の二人展「LIFEとlife」を、2024年4月18日(木)~5月12日(日)までOFS GALLERY(東京都世田谷区)にて開催します。異なったアプローチでクリエイティブを行ってきたデザイナー2人が、同じテーマで創作をする本展示では、新作ポスターに加え、映像作品の展示や会場限定のグッズも販売します。二人展「LIFEとlife」●二人展「LIFEとlife」親子で「デザイン」という大きなフィールドに立ちながら、全く異なったアプローチでクリエイティブの解釈を広げ続けてきた2人。永井一正は、幾何学的な表現からグラフィックデザイナーとしてのキャリアをスタートさせ、具象的な動物を描いたことをきっかけに作風を大きく転換させた。いのちを追求するLIFEシリーズは既に40年近く続くライフワークとなっている。一方、永井一史は、広告会社を経て2003年にHAKUHODO DESIGNを設立。概念をデザインすることに価値と面白さを見出し、ブランディングを中心に仕事をしている。それぞれの道に大きく関わってきたであろう、時代とともに流れる価値観の変化、そして親子としての関係性。「昔、田中一光氏から親子企画をやりたいという打診があったのだが、自分に実績もなく断ったことがずっと心に残っていた。長くLIFEシリーズを見てきて、自分だったらどう表現するだろうと思った。」と今回の企画が生まれた経緯を永井一史は語る。今だからこそ開催が実現した本展では、普遍的なモチーフをテーマに、新作ポスターや映像作品、対話のテキストなども通じて、解釈の相違点と共通点、二人の関係性をあぶり出していく。それぞれの文脈で紐解かれる「LIFEとlife」をどうぞお楽しみください。●開催概要企画名 :「LIFEとlife」永井一正と永井一史の二人展会期 :2024年4月18日(木)~5月12日(日)会場 :OFS GALLERY (OFS.TOKYO 内)〒154-0001 東京都世田谷区池尻3-7-3・TEL 03-6677-0575・URL ・Instagram @ofs_tokyoアクセス:田園都市線池尻大橋駅〈西口〉 から徒歩4分0PEN :12:00~20:00(最終入場は18:00まで)CLOSE :火曜日.水曜日入場料 :無料●展示に向けてのコメントとプロフィール【永井一正 ながいかずまさ グラフィックデザイナー】<展示に向けてのコメント>私は1951年からグラフィックデザインをはじめ、抽象的で宇宙を感じさせる空間を表現した制作を続けることで自分のスタイルを追求していった。しかし1986年に、生き物たちを登場させた。これまでの自分の積み重ねを捨て去るぐらいの大きな決断であった。それが今回の展示しているポスターである。今回発表の最新作まで、動物を描くLIFEシリーズは40年近く続くライフワークとなっている。LIFEというテーマを突き詰めてきたのは、幼少のころから体が弱かった自分自身を鼓舞するためであり、命の不思議さに魅せられたからである。また地球環境の悪化によって、生き物の生命が脅かされている現在、共生の大切さを感じてもらえばという願いを込めている。動物たちは、リアルな姿としてではない生命の象徴として、自由にプリミティブに描くことで、生きることを直截に訴えられないかと思い制作している。今回、貴重な機会をいただき、ありがたく思っている。<プロフィール>1929年大阪に生まれる。1951年東京藝術大学彫刻科中退。1960年日本デザインセンター創設に田中 一光らと共に大阪から参加。1975年に代表取締役社長就任、現在は最高顧問。JAGDA特別顧問。札幌冬季オリンピツク、沖縄海洋博、茨城県、新潟県、JA、アサヒビール、三菱UFJフイナンシヤルグループなどをはじめとしたマーク、CI、ポスターを多数手がける。80年代後半より、動植物をモチーフとした「LIFE」シリーズをつくりはじめ、2003年より銅版画へと展開する。東京ADCグランプリ、亀倉雄策賞、毎日デザイン賞、毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、旭日小綬賞、姫路市文化芸術大賞、ワルシャワ国際 ポスタービエンナーレ金賞、ブルノ国際グラフィックビエンナーレグランプリなど 国内外での受賞多数。また作品は、東京国立近代美術館、富山県立近代美術館、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館など世界二十力国以上の美術館に所蔵されている。永井 一正【永井一史 ながいかずふみ アートディレクター】<展示に向けてのコメント>最初にデザインを意識したのは、5-6歳の頃だと思う。父の仕事を見て楽しそうだしこれなら自分もできると思って、紙にデザインを描いたことを憶えている。しかしそれ以降は、デザインとはまったく疎遠になった。再びデザインに目覚めたのは、高校3年のときであるから、デザイナーの中では、かなり遅い方である。広告会社に入り、2003年に会社を立ち上げ現在はブランディングを中心に仕事をしている。会社に入って少しして、田中一光氏から、親子の展示企画の打診がきたことがあった。その時は、自分に実績もなく、お断りしてしまった。ただ、そのことが今に至るまで、心に残っていた。世界的なグラフィックデザイナーである父とLIFEというテーマのポスター制作で向き合うのは、無謀な試みかもしれないが、ひとつのチャレンジとして見ていただければと思う。<プロフィール>HAKUHODO DESIGN代表取締役社長、多摩美術大学教授。多摩美術大学美術学部卒業後、博報堂に入社。2003年、デザインによるブランディングの会社HAKUHODO DESIGNを設立。様々な企業・行政の経営改革支援や、事業、商品・サービスのブランディング、VIデザイン、プロジェクトデザインを手掛けている。また2012年より、多摩美術大学において、領域を横断するデザインを教える統合デザイン学科にて教えている。2015年から東京都「東京ブランド」クリエイティブディレクター、2015年から2017年までグッドデザイン賞審査委員長を務める。経済産業省・特許庁「産業競争力とデザインを考える研究会」委員も努めた。代表作に、ヘルプマーク、サントリー伊右衛門、TOKYOTOKYO、森ビル、ユーハイムの仕事がある。クリエイター・オブ・ザ・イヤー、ADC賞グランプリ、毎日デザイン賞など国内外受賞歴多数。著書に『博報堂デザインのブランディング』『これからのデザイン経営』など永井 一史●永井一正と永井一史の同一テーマによる最新作ポスター永井一正は、最初に動物を登場させた、1986年のシリーズと、最新作のLIFEを展示する。グラフィックの時代、手描きの時代、銅版画を用いた時代など、抽象的なグラフィックの時代から、身体性を伴った表現としてLIFEの世界を40年近くの間突き詰めてきた。新作では震える線で描かれた、生き物に加えて命や、魂のような新しいモチーフを取り入れた新しい表現に挑戦している。永井一史は今回、LIFEをテーマとしてうけとりつつ、グラフィックデザインとして、生き物をどう解釈していくかに挑戦、テクノロジーの進化とともに、自然の身体だけではなく、テクノロジーと共存、共生していく世界観を描いている。※ 展示会場では新作の原寸ポスターを販売しております。KAZUMASA NAGAI〈 LIFE 〉2024KAZUFUMI NAGAI〈 life 〉2024KAZUMASA NAGAI〈 JAPAN 〉1986KAZUFUMI NAGAI〈 life 〉2024●「原研哉× 永井一史」 トークセッション現在日本デザインセンターの社長である原研哉氏は、日本デザインセンターの創業メンバーである永井一正と長い時間を共にしてきました。ある意味、最も永井一正を直近で見てきたデザイナーです。同時に、永井一史とは、同時代のデザイナーであり、プライベートにおいては、10年来の茶道の仲間でもあるといいます。このトークでは、永井一正の本質は何なのか?永井一正、永井一史の違いは何か?果たして共通するものはあるのか?など、時代背景や、仕事のフィールド、価値観の違いなどを中心に、原研哉氏に永井一史が尋ねていきます。日時:2024年4月22日(月)18:30~会場:OFS GALLERY出演:原研哉、永井一史料金:無料定員:30名(ご予約制)※3月14日(木)よりご予約開始予定原研哉※ご予約方法はOFS.TOKYOのホームページ、SNSにてご確認ください。その他、関連イベントの開催を予定しております。詳細が決まり次第、OFS.TOKYOのSNSにてお知らせいたします。※展示の最新情報は公式WebサイトとSNSで随時更新いたします。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年03月12日宝塚市立文化芸術センター(所在地:兵庫県宝塚市/館長:加藤義夫)は、鉛筆などで描かれた3Dアートをお楽しみいただける展覧会、「特別展 永井秀幸 とびだす!ふしぎな3Dアートの世界」の開催が2024年2月3日(土)に迫りましたのでご案内いたします。本展覧会は2月25日(日)まで開催いたします。本展では、絵本作家でもある永井秀幸が創り出す3Dアートを、平面作品・L字作品・大型作品の3つに分けて紹介します。作品を通じて「平面から飛び出して見える」不思議な体験や視覚的な演出を体感することで、世代を超えて共感できる「驚きを味わう」展覧会です。詳細WEBページ: 上:《飛び出す恐竜》2015年、左下:《手のひらを貫通する矢印 No.2》2017年、右下:《小人とねずみ》2017年■開催概要【会期】 2024年2月3日(土)~25日(日)10:00~18:00(最終入場17:30)※毎週水曜休館【会場】 宝塚市立文化芸術センター 2F メインギャラリー【観覧料】 一般 1,000円※中学生以下無料、障がい者手帳ご提示の方と付添1名まで無料【主催】 宝塚市立文化芸術センター[指定管理者:宝塚みらい創造ファクトリー]【後援】 神戸新聞社【企画制作】東映株式会社■企画概要3Dアーティスト・絵本作家として活躍する永井秀幸の不思議な世界が宝塚に登場!スケッチブックに描かれた絵を、身体や視点を動かして見てみたり、カメラを通して覗いてみたりすると……あれ?!絵が飛び出して見える!壁や手のひらを突き抜けて見える?!子どもから大人まで、不思議な視覚のマジックを楽しめる展覧会です。作品約90点はすべて撮影OK!スマートフォンやカメラを用意して、ぜひお越しください。■出品アーティスト プロフィール永井 秀幸(ながいひでゆき)3Dアーティスト/絵本作家1991年生まれ。2010年大学中退後に自らサイトを立ち上げ、2012年よりスケッチブックから飛び出して見える3Dアート作品を中心に制作開始。以降各地で展覧会を開催し、企業やメディアとのコラボ作品や絵本での表現に挑戦するなど様々なスタイルで活動を続けている。永井秀幸■関連イベント◆ライブドローイング「3Dアート誕生の瞬間!」出品アーティスト・永井秀幸による展示室内でのライブドローイングを実施いたします。「平面から飛び出して見える!」3Dアートが生まれる瞬間をぜひご覧ください。【日時】 2024年2月17日(土)13:00~14:00【会場】 展覧会場(2階メインギャラリー)内【参加費】 展覧会入場者は無料※参加には展覧会への入場が必要です。【参加方法】参加自由、事前予約不要※開催時間に会場にお越しください。※入場には展覧会入場料、または2023年度パートナーカードの提示が必要です。◆ワークショップ「3Dアートに挑戦!」 ※【満枠】となりました(1月15日(月))出品アーティスト・永井秀幸と一緒に飛び出す3Dアートを描くワークショップです。お子様から大人の方まで、3Dアートの秘密に触れながら自分だけの作品を制作します。【日時】 2024年2月17日(土)15:00~16:30【会場】 宝塚市立文化芸術センター 1階サブギャラリー【定員】 20名 ※【満枠】となりました(1月15日(月))【参加費】 500円※参加には展覧会入場券、または2023年度パートナーカードの提示が必要です。【参加方法】事前申込制【注意事項】小学生以下のお客様は保護者の方と一緒にお申込みください。付き添いの方もお申込みが必要です。展覧会入場券、または2023年度パートナーカードのご提示も必要です。■展覧会を楽しむポイント1. 視覚のマジックを体感!飛び出す作品を楽しむ!スケッチブックに描かれた絵を、身体や視点を動かして“ある方向”から見てみたり、カメラを通して覗いてみたりすると……なんと、絵が飛び出して見える!他にも、壁や手のひらを突き抜けて見える作品も展示。不思議な視覚のマジックを全身で体感できます。2. 友達とも家族とも!世代を超えてみんなで楽しむ!平面の絵が3Dに立ち上がって見える驚きは、ひとりでじっくり楽しんでも良し、友達と面白さを語りながら楽しんでも良し。何より、子どもから大人まで共感できる驚きと不思議は、世代を超えたコミュニケーションのきっかけにぴったりです。3. 自分だけの3Dアートに挑戦!作って楽しむ!展覧会の関連事業として、ライブドローイング「3Dアート誕生の瞬間!」と、ワークショップ「3Dアートに挑戦!」を開催します。ワークショップでは3Dアートの描き方を出品アーティストから直接教わり、自分だけの作品を作ります。鑑賞するだけではなく、“飛び出して見える”秘密を学びながら制作することで、3Dアートの世界をより楽しむことができます。■会場施設情報【所在地】 兵庫県宝塚市武庫川町7-64【電話】 0797-62-6800(開館日の10:00~18:00)【休館日】 毎週水曜日(祝日は開館)※年末年始(12月29日~1月3日)は休館いたします。※その他設備点検などにより、臨時休館する場合があります。【開館時間】センター・屋上庭園/10:00~18:00、メインガーデン/10:00~17:00【入館料】 ・宝塚市立文化芸術センターへの入館は基本無料です。・展覧会や催しによっては、一部会場が有料となります。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年01月30日宝塚市立文化芸術センター(所在地:兵庫県宝塚市/館長:加藤義夫)は、鉛筆などで描かれた3Dアートをお楽しみいただける展覧会、「特別展 永井秀幸 とびだす!ふしぎな3Dアートの世界」を2024年2月3日(土)から25日(日)の会期で開催いたします。本展では、絵本作家でもある永井秀幸が創り出す3Dアートを、平面作品・L字作品・大型作品の3つに分けて紹介します。作品を通じて「平面から飛び出して見える」不思議な体験や視覚的な演出を体感することで、世代を超えて共感できる「驚きを味わう」展覧会です。詳細WEBページ: 上:《飛び出す恐竜》2015年、左下:《手のひらを貫通する矢印 No.2》2017年、右下:《小人とねずみ》2017年■開催概要【会期】 2024年2月3日(土)~25日(日)10:00~18:00(最終入場17:30)※毎週水曜休館【会場】 宝塚市立文化芸術センター 2F メインギャラリー【観覧料】 一般 1,000円※中学生以下無料、障がい者手帳ご提示の方と付添1名まで無料【主催】 宝塚市立文化芸術センター[指定管理者:宝塚みらい創造ファクトリー]【後援】 神戸新聞社【企画制作】東映株式会社■企画概要3Dアーティスト・絵本作家として活躍する永井秀幸の不思議な世界が宝塚に登場!スケッチブックに描かれた絵を、身体や視点を動かして見てみたり、カメラを通して覗いてみたりすると……あれ?!絵が飛び出して見える!壁や手のひらを突き抜けて見える?!子どもから大人まで、不思議な視覚のマジックを楽しめる展覧会です。作品約90点はすべて撮影OK!スマートフォンやカメラを用意して、ぜひお越しください。■出品アーティスト プロフィール永井 秀幸(ながいひでゆき)3Dアーティスト/絵本作家1991年生まれ。2010年大学中退後に自らサイトを立ち上げ、2012年よりスケッチブックから飛び出して見える3Dアート作品を中心に制作開始。以降各地で展覧会を開催し、企業やメディアとのコラボ作品や絵本での表現に挑戦するなど様々なスタイルで活動を続けている。永井秀幸■関連イベント◆ライブドローイング「3Dアート誕生の瞬間!」出品アーティスト・永井秀幸による展示室内でのライブドローイングを実施いたします。「平面から飛び出して見える!」3Dアートが生まれる瞬間をぜひご覧ください。【日時】 2024年2月17日(土)13:00~14:00【会場】 展覧会場(2階メインギャラリー)内【参加費】 展覧会入場者は無料※参加には展覧会への入場が必要です。【参加方法】参加自由、事前予約不要※開催時間に会場にお越しください。※入場には展覧会入場料、または2023年度パートナーカードの提示が必要です。◆ワークショップ「3Dアートに挑戦!」出品アーティスト・永井秀幸と一緒に飛び出す3Dアートを描くワークショップです。お子様から大人の方まで、3Dアートの秘密に触れながら自分だけの作品を制作します。【日時】 2024年2月17日(土)15:00~16:30【会場】 宝塚市立文化芸術センター 1階サブギャラリー【定員】 20名【参加費】 500円※参加には展覧会入場券、または2023年度パートナーカードの提示が必要です。【参加方法】事前申込制【申込方法】2024年1月6日(土)10:00より宝塚市立文化芸術センターの公式WEBサイト内、専用フォームで受付開始。公式WEBサイトよりお申込みください。※お電話での申込み不可、空き状況の確認は可能です。【注意事項】小学生以下のお客様は保護者の方と一緒にお申込みください。付き添いの方もお申込みが必要です。展覧会入場券、または2023年度パートナーカードのご提示も必要です。■展覧会を楽しむポイント1. 視覚のマジックを体感!飛び出す作品を楽しむ!スケッチブックに描かれた絵を、身体や視点を動かして“ある方向”から見てみたり、カメラを通して覗いてみたりすると……なんと、絵が飛び出して見える!他にも、壁や手のひらを突き抜けて見える作品も展示。不思議な視覚のマジックを全身で体感できます。2. 友達とも家族とも!世代を超えてみんなで楽しむ!平面の絵が3Dに立ち上がって見える驚きは、ひとりでじっくり楽しんでも良し、友達と面白さを語りながら楽しんでも良し。何より、子どもから大人まで共感できる驚きと不思議は、世代を超えたコミュニケーションのきっかけにぴったりです。3. 自分だけの3Dアートに挑戦!作って楽しむ!展覧会の関連事業として、ライブドローイング「3Dアート誕生の瞬間!」と、ワークショップ「3Dアートに挑戦!」を開催します。ワークショップでは3Dアートの描き方を出品アーティストから直接教わり、自分だけの作品を作ります。鑑賞するだけではなく、“飛び出して見える”秘密を学びながら制作することで、3Dアートの世界をより楽しむことができます。■会場施設情報【所在地】 兵庫県宝塚市武庫川町7-64【電話】 0797-62-6800(開館日の10:00~18:00)【休館日】 毎週水曜日(祝日は開館)※年末年始(12月29日~1月3日)は休館いたします。※その他設備点検などにより、臨時休館する場合があります。【開館時間】センター・屋上庭園/10:00~18:00、メインガーデン/10:00~17:00【入館料】 ・宝塚市立文化芸術センターへの入館は基本無料です。・展覧会や催しによっては、一部会場が有料となります。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年01月09日2024年1月1日、TBSの安住紳一郎アナウンサーが結婚することが報じられました。産経ニュースによると、お相手は元タレントの一般女性。この日、婚姻届を提出する予定とのことです。まぶしい笑顔がチャームポイントで、仕事に対する真摯な姿勢や、人情味あふれるコメントが多くの人から人気を集める、安住アナ。情報番組『THE TIME,』やバラエティ番組『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』をはじめ、TBS系列の番組を中心に、幅広く活躍しています。そんな安住アナのおめでたい報道に、ネットからは多くの人が「自分のことのように嬉しい」「ついに安住アナが結婚か…!」といった喜ぶ声が続出しました。安住紳一郎アナ、結婚相手と出会いのきっかけを明かすこの日放送された特別番組『羽鳥慎一モーニングショー新春特大スペシャル』(テレビ朝日系)では、MCを務める羽鳥慎一アナウンサーが安住アナとのLINEのやり取りを紹介。結婚をしたことに自分でも驚きを隠せないという安住アナは、「今回の件については、好き勝手にしゃべってくださいね」と述べ、笑いを取りました。番組では、お相手が元アナウンサーの西島まどかさんであることも発表。羽鳥アナへのメッセージで、お相手についてこのようにつづっています。今は生活のフォローをしてくれることが嬉しいです。ネットの時代で確実に特定されるので、先にいっておきます。でも深堀しないでくださいね。名前は「西島まどか」さんです。羽鳥慎一モーニングショー新春特大スペシャルーより引用出会ったのは、15年ほど前。空港で長時間弁当を物色している姿を見て、「面白い人だ」と思い、声をかけたのがきっかけなのだそうです。安住アナの結婚発表は、またたく間に話題に。多くの人から祝福の声が寄せられました。・なんて素敵なカップル!お幸せに!・お弁当を長時間物色って、出会いのきっかけがかわいすぎる。・「好き勝手にしゃべってください」のひと言で笑いを取るところが、さすがは安住アナ。番組を見た人からも反響が上がった、ほほ笑ましい結婚発表。こんなにも祝福されているのは、安住アナの人望あってのものといえるでしょう![文・構成/grape編集部]
2024年01月01日岸谷香のデビュー40周年のタイミングで開催される主催イベント『岸谷香感謝祭2024』のゲストは、トータス松本と永井真理子というバラエティーに富んだ組み合わせとなった。3人とも同学年という共通点がある。今回も、このイベントでしか観られないスペシャルな共演が実現するだろう。ここでは、岸谷と永井との対談をお届けする。このふたりは同学年である以外にも、いくつかの共通点がある。80年代末から90年代前半にかけての大きなムーブメントを乗り越えてきたこと、子育てのために約10年にわたる休止期間を経て、音楽活動を再開していること、『ポップン・ルージュ』というラジオ番組で、それぞれ曜日違いのパーソナリティーを務めていたことなどだ。当時の懐かしい話、音楽の再開の仕方、さらには『感謝祭』のアイデアまで、さまざまな話題に話が及んだ。――おふたりは同学年なんですね。永井そう、同学年なんですよ。生まれた年は私のほうが1年早いんですけどね。岸谷えっ、そうなの?ごめんなさい(笑)。私、ずっと自分が年上だと思ってた。80年代の時のイメージがあったから。永井私、あの頃って、子供みたいだったもんね。岸谷そう(笑)。ショートカットで、いつもタートルでジーンズで。そのイメージが強かったからね。そうか、同学年なんだ。永井そうなの。一緒なんですよ。――2024年の「感謝際」のもうひとりのゲストであるトータス松本さんも同学年なんですよね。永井そうか。岸谷この学年って、「ROOT 66」にちなんで、「66年の会」というのがあって、みんなで集まって、ライブをやっているんだけど、私は67年生まれだから、入ってないのね。永井私、66年生まれだけど、呼ばれたことがないよ。――ほぼ男性ミュージシャンの集まりのようです。岸谷66年生まれのミュージシャン、たくさんいるのよ。永井でも丙午(ひのえうま)だから、女性の人口は少ないんだよね。“この年に生まれた女が強い”と言われている世代だから、産むのを控える傾向があったから。でも実は女性アーティストは、多いんですよ。渡辺美里さん、中村あゆみさん、みんな一緒だよ。岸谷そうか、でもみんな、強そうだよね(笑)。――おふたりは同学年という以外にも、いろいろな共通点があります。80年代末から90年代にかけての大きなムーブメントを経験し、ともに武道館など大きなステージに数多く立っています。また、子育てもあり、10年ほどブランクがあったうえで、音楽活動を再開していることも共通します。岸谷ラジオも共通点ですね。『ポップン・ルージュ』という同じ番組をやっていて、真理ちゃんが月曜日、私が水曜日だったんですよ。永井そうそう。――まず、永井さんを『感謝祭』に誘った経緯を教えていただけますか?岸谷ふたりの共通の友人であるチエちゃん(長井千恵子さん)というギタリストがいて、昔から真理ちゃんと一緒にやっていたんだよね。永井やってた。20年くらい前からかな。岸谷それで、チエちゃんに会うと、いつも「真理ちゃんがね」という話はよくしていました。だから私もつい、「真理ちゃん」ってなれなれしく言っちゃうんだけど。チエちゃんを通してのつきあいで、真理ちゃんとは個人的に遊んだりはしてなかったけれど、同じラジオ番組だったから、横のつながりはあったんですよ。たまに特番があって、月曜から金曜までのパーソナリティーが全員集まったりしていたのね。永井そうそう。岸谷当時のラジオ番組は活気があったから、どこかで飲んでいて、「今日って、月曜日だから真理ちゃんの日じゃない?」って言って、酔っ払ったまま菓子折りを持って、真理ちゃんの番組に顔を出したり(笑)。そんなことができる番組だったんですよ。それで89年から90年まで一緒にすごしてきて、久しぶりに再会したのも、チエちゃんを通じてだったよね。永井そう。岸谷「真理ちゃんがオーストラリアに移住して、日本に戻ってきて、音楽を再開するにあたって、聞きたいことがあるみたいよ」「香ちゃんがボイトレどうやっているのか、知りたいみたいよ」って、チエちゃんが話していたのね。それで、3人で会ったんだよね。永井それがもう6年前のことだよね。私が復帰したころのことです。岸谷その時は、「イベントやフェスで会ったら楽しいよね。じゃあまたどこかで」って、バイバイしました。『感謝祭』が恒例になってきて、ふたりゲストがいるなら、ひとりは女性がいいなあと思っていたのね。それも一緒にいろいろやってくれる人が良くて、「ここをこう変えてもいい?」って言ったときに、一緒に楽しんでくれる人がいいなあって。それで温めていた隠し球にお願いしました(笑)。――永井さんは岸谷さんの誘いをどう感じましたか?永井とてもうれしくて。最初、チエちゃんを通じて聞いたんですよ。それでチエちゃんのLINEに、「うれしい!」「めちゃくゃ光栄!」って書きこみました。逆に、「こっちこそお願いします」って返事したのかな。岸谷いいお返事をいただけて、こちらこそ、ありがたかったです。私たちのファンって、長年応援してくだっている方も結構いらっしゃるので、そういう方にはツボなんじゃないかな。永井私も発表したときに、ファンの方が大喜びで。“あのラジオが流れていた頃の青春が蘇ってくる”そんな気持ちになったみたいなのね。岸谷私はその『ポップン・ルージュ』の時の作家の方ともまたご縁もあって、『オールナイト・ニッポン』の作家もやってもらっているのね。だから新しい試みとして、ラジオ的な演出をやるのもおもしろいかなって考えています。会話だけ、当時のラジオ風にしてみるとか。一瞬、観に来た人たちが、ラジオを聞いている感覚になるのもありかなって。永井それはおもしろそう!――当時のラジオを聞いていた人にも感涙のイベントになりそうです。永井きっと喜び、そして泣いちゃうと思います(笑)。岸谷もしかしたら、スタッフが当時のジングル音源とか、持っているかもしれない。「月曜日の永井真理子です」「水曜日の奥居香です」って、そんなことを言いながら、ジングルを使ってもいいし。永井それは最高にいい!(笑)岸谷曲紹介をラジオ風にやるのもおもしろいかも。話をしていると、いろいろアイデアが湧いてきます。やっぱり、当時の本物がふたりいるって素晴らしい!(笑)『感謝祭』って、お招きするアーティストの方にも楽しんでもらうのが大きなテーマなので、気楽に楽しんでください。永井良かった!おおいに楽しませてもらいます。うれしいです。――話が戻ってしまいますが、80年代にそういう形で出会って、お互いについて、どんな印象を持っていたのですか?岸谷しつこいようだけど、真理ちゃんと言えば、ショートカットで黒いタートル、ジーンズのイメージ(笑)。白いTシャツもあったね。黒いタートルか白いTシャツ。永井そうそう、あれは全部自前なの(笑)。――永井さんから見た岸谷さんは?永井もうピカピカしていましたね。そして、プリプリしていました(笑)。忘れられないのは、テレビで共演させていただいたことがあって、大きな楽屋で一緒になったときのこと。香ちゃんは覚えてないと思うけれど、「あっ、プリプリさんがいる!」と思って、楽屋のすみっこのほうで固まっていました。面と向かっては見られないんですが、鏡越しに見えちゃうわけですよ、そのピカピカが(笑)。ドキドキしちゃって、挨拶もうまくできなかった。岸谷えー、なんで?同い年でしょう。永井いやいやいや、先輩です。だって1年、プリプリのほうがデビューも早かったしね。で、鏡越しに見ていると、「なんだか、テレビを観ているみたいだぞ」って、「ダイアモンドだね~♪」ってつい口ずさみそうになって、ダメだ、今は本人がいるぞって(笑)。岸谷真理ちゃんはヨーグルトのCMやってたでしょ。永井やってた(笑)。岸谷そういうのを断片的に覚えているんだよね。――80年代末から90年代前半には、それぞれ大きなムーブメントを体験された共通点もあります。“ガールポップ”という言葉も生まれました。当時のそうした流れをどう感じていましたか?岸谷“ガールポップ”という言葉は強烈に覚えていますね。私たちはバンドだったから、その“ガールポップ”の仲間に入っていたのか、入れてもらってなかったのか、ちょっとイメージはわからないんだけど、真理ちゃんとか、あと、千里ちゃん(森高千里さん)とか、谷村有美ちゃんとか、女性アーティストがたくさん出てきた時代でもあったよね。永井そうだね。わりとソロの人が多かったのかな。岸谷華やかな時代というか、“ガールポップ”のイベントもあったよね。永井イベントもあったし、雑誌もあった。私としては、かなりボーイッシュだったので、「“ガールポップ”に入っていいんですか」みたいな感覚だったんだけどね。岸谷確かに髪は短かったけど、そこまでボーイッシュでもなかったというか、そんなに強そうでもなかったよね。永井うん。ちっちゃかったしね(笑)。岸谷真理ちゃんは、“ガールポップ”の象徴みたいなイメージがあるよね。私たちは、バンドのイメージが強かったんだと思うけど。あと、当時はイカ天から始まって、バンドブームもあったから。永井いろいろなブームが入り混じっていたと思います。――そうしたムーブメントの中で、おふたりともとても忙しいハードな日々を送っていたと思います。どのようにして、自分のペースを作り、乗り越えてきたのでしょうか?永井忙しかったでしょう?岸谷忙しかったと思うけど、若かったし、どっちかというと、“やった~! お客さんが増えたぞ”みたいな気持ちのほうが強かった気がする。会場がどんどん大きくなっていったことについても、まだ子供だし、怖い物知らずなところがあった気がする。不安もそんなになかったんじゃないかな。今とは時代が違うし。今は忙しくなると、メンタルが辛くなって、お休みするアーティストもたくさんいると聞くけれど、私たちの時代って、そっちに行かなかったんですよ。むしろ、「忙しくなってきた。やったぜ!」みたいな。永井それはバンドだからというのはあると思う。岸谷真理ちゃん、しんどかった?永井私はソロだから、まわりから、「もっとこっちがいいんじゃないか」「いや、あっちがいいんじゃないか」っていろいろと言われることがたくさんあるわけ。岸谷そうなんだ。永井そう。バンドは全部自分たちで作品を作るじゃない?で、「これしかないし」って言えるじゃない。でもソロだと、いくらでも味付けの仕方はあるわけで。だから、気がつくと、“えっ、こんな番組、私できないよ”みたいなことがあふれてしまって、気持ちがバーンと落ちてしまう時があったのね。“私は本当に自分を出せているのかな。苦しい苦しい苦しい”って。岸谷そっか。そこはやっぱりソロとバンドの違いなのかもしれないね。バンドだと、5人一緒になって、誰かの悪口を言って、発散することもできたしね。「なんだよ、アレ!」みたいな(笑)。永井私の場合は、そういうことを言ったら、逆に「いや、今は頑張りなさい」「走りながら悩みなさい」みたいな。岸谷ええっ!そうだったんだ。永井当時は葛藤があったけれど、そういう時があったから、今は何がやりたいとかやりたくないとか、しっかり選択できるようになったんだよね。あの時は若かったがゆえの苦しさでもあったし、今はそうした経験も良かったのかなと思っている。岸谷真理ちゃんにとってはハードな時代だったかもしれないけれど、当時は世の中もバブルだったし、なんでもかんでもキラキラしていた気がする。番組に出れば、誰か知っている人がいて、気安くしゃべっていたし。私としてつらい時があったとしたら、バンド内で、音楽の方向性について意見の違いが出た時かな。永井バンドはそこは難しいところだね。岸谷一長一短なんだよね。外部に対しては、みんなで一緒になって、悪口も言えるけれど、バンドの内部で意見が割れたときは、深刻だったし、解散することになったわけだし。そういう意味では、真理ちゃんは今も昔も永井真理子だよね。私の場合は、バンドだったのがひとりになり、休憩があって、またひとりだし、名前も変えちゃったしね。だから“ゼロから再出発”という感覚があった気がする。永井私はハタから見ていて、そういうところがかっこいいなと思っていた。ちゃんと名前も変えて、新しくゼロからスタートしているんだな、素敵だなって。岸谷あまり深く考えずに、子供ができた時に、名前も変えちゃったのね。離婚したらどうするんだろうと、ふと思ったんだけど、どうせプリンセス プリンセスじゃないんだったら、奥居香じゃなくたっていいやぐらいに考えていたというか。それはそれで良かったのかなと思いながら、今に至っています。永井ふたつ違う形で音楽ができるってことだしね。岸谷求められるものはそんなに変わらないというか、昔のものを求められることも多いんだよね。とは言え、やりたいことはぶっちぎってやっていこうと思っている。母親になると、少し視点が変わってくるから、昔のようなラブソングは書けなくなるのね。 書いてるつもりでも愛情の対象がずれてきたりするし、描くものが変化してきているし。でもそれは自分の中の自然の変化だからね。もう前とは名前も違うし、許してね、みたいな。そこは楽だったかもしれない。逆に真理ちゃんはずっと永井真理子だから、大変なところもあったんじゃない?永井いや、そんなにはないかな。――おふたりとも、子育てで10年ほど音楽活動を休止していたという共通点もあります。以前、岸谷さんが「自分の中からドレミファソラシドが消えた気がする」とおっしゃっていました。永井さんはお休みの間、音楽との関係は、どんな感じでしたか?永井私は真っ白になりました(笑)。とくに私はオーストラリアに行っちゃったし、子育てもしたかったし、1回真っ白になって、今までのことを見つめ直そうかなと思ったんですね。でも、海外に行くと、まったく日本の音楽を聴かなくなるから、自分は何者だったのかもわからなくなっちゃうの。岸谷そうだったんだ。永井立ち位置もわからなくなるし、自分なんか全然必要がないものなのかな、本当にステージに立っていた人間なのかなってところまで、いっちゃった。岸谷へぇー。永井気持ちが離れすぎちゃって。だから、そこからまた音楽に戻るエネルギーがなかなか湧いてこなかった。岸谷確かにエネルギーがいるよね。永井すごいいるでしょ。特にお休みした後なんかは、なかなか戻れない。だから、10年以上あいちゃった。――その間は、音楽を聴いたり、楽器にふれたりというのは?永井普通に一般人として、ラジオから聴こえる音楽にふれたりはしてました。洋楽だけですけど。これ、かっこいいなとか、そういう感じ。岸谷なぜオーストラリアだったの?永井本当はアメリカとかイギリスとか、音楽がいっぱいあるところに行きたかったんだけど、子供を抱えていくから、子供のいちばん過ごしやすいところがいいわけで、オーストラリアがいちばん受け入れ体制があったの。子供に優しくて、教育もとても良かったから。岸谷言葉は?永井言葉は全然わからなかったので、辞書を抱えて勉強した。岸谷学校に行ったの?永井子供はオーストラリアの地元に学校に行って、私も英語学校に通ったよ。全然うまくならなかったけどね。向こうで英語で仕事をしていれば、うまくなるけど、家の中では日本語を話しているから、一向にうまくならない(笑)。――休止期間があったことについて、岸谷さんはどう思っていますか?岸谷子育てをして、音楽から丸々離れちゃったことを、私は良かったなと思っています。1回違うことをすることで、リフレッシュするというか。私たちって、さんざん子育てやったわけじゃない?永井やったやった(笑)。お弁当を作って、学校に送ってね。岸谷“もう後悔はない”“うんざりしたよ”“疲れたよ”っていうくらい、子育てしたじゃない?そうやって子育てをやりきって、“はい、もうお終い!”ってとこまでやったから、「そろそろお母さんも好きなことをやっていい?」ってことで、音楽に戻ってこれたところはあるのね。永井それはとてもいいね。だったら、迷いなんてないよね。岸谷だから逆に、子供を産んですぐ仕事をしている子を見ると、“もったいないなあ”と思うことがあります。“初めて子供が立った瞬間を見逃しちゃうじゃん”って。永井私も休んでいる間は、完全におかあさんだけやっている日々でした。学校の送り迎えをしたり、お弁当を作ったり、子供のスポーツの試合に行って応援したり。――それぞれ音楽活動を再開するきっかけを教えてください。岸谷大きなきっかけになったのは、プリンセス プリンセスの再結成ですけど、その前に、夫が年に1回、AAAというエイズチャリティーのコンサートを武道館でやっていて、そこに参加していたことも大きかったと思っています。子育て中とはいえ、チャリティーだし、1日ぐらい出かけてもいいのかなって、年一だけで武道館に歌いにいってたのね。その時にイントロを聴いても、普通に歌い出せない瞬間があったの。ドレミファソラシドを確認したいなって。それまでは“パブロフの犬”じゃないけど、イントロが鳴ったら、黙っていても、歌が勝手に出てくるみたいな感じだったのね。それがシンガーだと思っていたんだけど、ドレミファソラシドを探さなきゃって思ったときに、私は本当に音楽家じゃなくなったんだなって悲しくなっちゃって。それで、リハビリみたいなことをバンドと始めたのが、音楽を再開するきっかけ。永井ああ、そうなんだ。震災がきっかけなのかと思っていた。岸谷震災がきっかけでもあるんだけどね。年1くらいで集まって、リハビリと称してライブをやっていたからこそ、震災が起こったときに、“自分たちのできることをやるために、プリンセス プリンセスを再結成しよう”って、決断できたんだと思う。真っ白なままだったら、あんなふうにはやれてなかったと思う。だって、かつてやったことのなかった東京ドームまでやったんだから、すごい道のりじゃない?永井そうだね。少しずつやることって大切だね。岸谷本当にそうなの。“3歩進んで2歩下がる”を繰り返して、“気づいたら5歩ぐらいは進んでた”っていうところで再結成を決めたのね。で、再結成して活動していったら、やっぱり音楽って楽しいなあって、改めて感じたのね。永井音楽を休んでた時間があるから、余計にやりたくなったんだよね、きっと。だから、休んでいた間もすごくいい時間だったんだと思う。岸谷真理ちゃんは再結成とか、そういうことではないじゃない?ボイストレーナーの先生を紹介した時が、音楽を再会する時期だったと思うけれど、なんでまたやろうと思ったの?永井あの時はちょうどデビュー30周年を迎える年で、年齢も50歳になる年だったのね。かと言って、声も体力も、今まで休んでいたところから、急にやれるようになるわけはないじゃない?岸谷どちらかというと、あちこちガタがくる年頃だしね(笑)。永井そうそう。でもそのタイミングで不思議と、今までお付き合いのあったミュージシャンとかファンの人が、“なにかまた始まるんじゃないか”って、私の背中をワイワイ押してくれたのね。私はそういうつもりじゃなかったんだけど、まわりが私の気持ちを底上げしてくれて、だんだんその気になってきたんだよ。逆にこれが最後のジャンプなのかもしれない、もしかしたらエネルギーが吹き上がるかもしれないと思って、香ちゃんにボイトレの先生を紹介してもらったの。でも、紹介してもらって良かった。岸谷本当に?永井本当に良かった。私、女性が年齢とともに高い音域が出なくなることを知らなくて、自分の声がちゃんと出なくなって、もう終わったと思っていたのね。発声を変えていかなきゃいけないということも知らなかったから、すごく悩んだんだけど、ボイトレの先生から喉の筋肉を鍛えることを教えていただいて、半年かけて、ライブをやったのね。岸谷オーストラリアは引き払ったの?永井そう。岸谷じゃあ行くのも転機だけど、引き払って戻って来るのも転機だね。永井そうなの。日本に帰ってきてから、2、3年あってから、音楽活動を再開したんだけど、自分でもよく始めたなと思う。10年休んでいたから、復帰するのに10年かかると思っていた。休んでいる期間が長ければ長いほど、若い時とは違うから、リハビリも長くかかるかなって。岸谷私も同じボイトレの先生に習っていて、最近も結構かよっているんだけど、我々の年代、女性は更年期もあるし、いろんなことが変わるじゃない。だから昔に戻ろうとしなくなったかな。永井あ、そうそう。それはある。岸谷だから、新しいプチシニア世代の自分になればいい、みたいなことは思った。永井それは私も思っている。岸谷昔のようにはできないわけだし、昔のようにやれたところで、やりたいことはそれじゃないかもしれないなって思う。休んでいた分、変身していいんだよねって。永井そう。私もまた新しく始められる気がした。声もやっぱり、少し下に下がったのね。でも上が減った分、下が広がったので、音域の広さ自体はそんなに変わっていないの。今の声って、嫌いじゃなくて。今の自分の言いたいことには、そっちの声のほうが合ってるっていうか。若い時にはピーピーした声が若い時の気持ちに合うのかなって。だったら、逆もいいのかもって思う。岸谷コンスタントに続けている人も、それなりにつらい時もいっぱいあるだろうしね。私たちはたまたま与えられた“子育て”という最高の理由があったから、気分を変えて、また戻ってこれたところはあるかもしれない。永井そういうところはあるね。岸谷私は子育て中は、外国のアーティストをまったく聴かなかったのね。来日しても観にいく時間がないから、2000年から10年、15年は洋楽の知識もぽっかり空いている。『感謝祭』で一緒にやるバンド、Unlock the girlsの若い子たちに教えてもらって、新たに今いろいろ聴いているところなの。それはそれでとてもいいものだなって。永井そうなんだ、すごい!しかもまた下の世代から教わるのが新鮮だね。岸谷バンドの子たちって、みんな89年生まれだから、私たちの当時の活動なんて、知らないのよ。だから曲の解釈も全然違うし、そこがおもしろいなって感じている。真理ちゃんの「ミラクル・ガール」もあの子たちだったら、全然違う解釈になるし、楽しくできたらいいなって思っています。永井あっ、それは私も楽しい。一緒に何か新鮮なものを作っていきたいな。岸谷結構極端にやるかもよ。永井極端にやってほしい(笑)。きっと観ている方も楽しいと思う。岸谷『感謝祭』はいつも、バンドの子たちとみんなで練りに練って、「これ、イエスと言ってもらえるかなあ」っていいながら、あれこれアレンジするのが楽しいんだよ。永井楽しみ。なんだかうれしいプレゼントみたい(笑)。――永井さんは久々に音楽活動を再開して、日本の音楽シーンについて感じたことはありますか?永井もう完全に浦島太郎状態ですね。全然わかりません。音楽のことも芸能界のこともわからないので、ポカーンです(笑)。岸谷日本のJ-POPだって独特の発展の仕方だしね。浦島太郎、わかる。日本に住んでいたって浦島太郎だよ。永井音楽は変わったと思いました。配信が主になったしね。私たちのころはCDしかなくて、下手したらアナログの時代だから。岸谷『感謝祭』の時にいつも思うのは、私たちの世代を知っていて、しかもこの世代を観ることをうれしく思ってくれる人が観にくるわけじゃない?今って、個人でチョイスする時代だから、こういう音楽が好き、ああいう音楽が好きって、チョイスして、そのグループの中ではよく知っているけれど、他のグループに行くと、誰もしらないという時代でしょ。だから『感謝祭』も、80年代の匂いやラジオを一緒に楽しくやっていた時代の匂いを楽しみたい人が来ると思うのね。そういう人たちに喜んでもらえるように、しっかり考えたい。永井そこにバンドのメンバーの若い子たちも入ってくるから、おもしろいよね。岸谷しかも、そこにトータス松本さんも参加するんだから、楽しいよね。トータスさんは、同学年だけど、デビューした時期が遅いから、私たちの世代のアーティストではないわけじゃない?――ウルフルズの「バンザイ」がヒットした頃って、おふたりとも活動を休止する時期ですもんね。永井そうなの。だから私は共演したことがないです。岸谷トータスさんとイベントで一緒になった時に、「『Diamonds』をバイトで皿洗いしながら、聴いていた」って言うから、「えっ、年は一緒じゃない?」って言ったら、「デビューが遅かったんだよ」って。あ、そうなんだと思ったことを覚えている。永井私は初めてお会いするんですよね。岸谷私もそんなに共演したことはないんだけど、トータスさんって、存在感があるし、私がやっている音楽とはちょっとジャンルも違うし、そういうところも楽しみ。あと、同い年でありながら、先輩風も吹かせられるしね(笑)。永井そっか。それは楽しみすぎる。――トータスさんが今回の『感謝祭』に参加される経緯は?岸谷トータスさんとは、今年3月に両国国技館で開催されたギターの弾き語りのイベント『J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2023 supported by 奥村組』で一緒になったのね。参加者全員が土俵のあるセンターステージで弾き語りをするイベントで、出番が最初のほうだったの。自分のステージが終わって、メイクも落として帰ろうかなという時に、トータスさんがやってきたので、「久しぶり~」って挨拶したんですね。その時に、「私はこういうイベントをやっているんだけど、良かったら出てよ?」って言ったら、「えっ、なんか目が怖いな」って。「怖くないよ、優しいよ。出てよ」って言ったら、「いいよ」って言ったんですよ。「今、いいよって言ったよね」って。それで本当に出てもらうことになりました。いい男だな、素敵な人だなと思って感激しました。同級生だけど、同級生じゃないみたいな不思議な感じ。――先ほどもラジオの話が出ましたが、『感謝祭』について、現時点で考えていることはありますか?岸谷今考え中ですね。真理ちゃんは女の子バンドとやったことはあるの?永井女の子バンドでは3年前くらいに『女祭』という企画イベントでやったことがある。若い子たちと一緒に。岸谷そっか。とにかく女の子バンドで一緒にやったら楽しいこと、考えます。まずともかくラジオがらみだね。永井懐かしいものとか、歌おうかな。岸谷曲に関してはご相談だけど、みんなが知っている曲は盛り上がるから、それもやって、一緒にやったら楽しい曲とか、考えます。――最後に観にくる人にメッセージをいただけますか?岸谷2020年からだから、『感謝祭』も5年目になるのかな。毎年、「今年は最高だったな。これ以上おもしろいことできるかな?」って思うんですけど、やりたいこと、やれることって、アーティストの数だけあって、ゲストが違うと、毎回カラーも変わるから、その中に入っていくのがすごく楽しいんですよね。今回は本当に同世代で、一緒に時代を駆け抜けた真理ちゃんだから、そこにヒントがある気がします。こうやって会って話しているだけで、どんどんアイデアが出てきているし。今後、ある時からちょっと気持ち悪いファンみたいに、ずっと真理ちゃんのことを考えるモードに入る予定です。寝ても覚めても、夢の中でも、ずっと真理ちゃんのことを考えて、アイデアを練ると思います。永井そうかそうか。私はまず、その仲間に入れていただけて、うれしいな。だから、できることはなんでもやります。岸谷言ったな(笑)。永井言ったよ。でも大丈夫(笑)。岸谷じゃあ、当時の私物のTシャツとジーンズ、持ってきてください(笑)。永井入るかな。っていうか、もう持ってないし(笑)。岸谷でも真理ちゃんはルックスの強烈な印象もあるし、例えば、みんなで真似したらおもしろいよね(笑)。みんなでお揃いのデニムとか、何か考えよう。私も衣装、探さなきゃ(笑)。Text:長谷川誠Photo:吉田圭子<公演情報>『岸谷香感謝祭2024』公演日:2024年2月23日(金・祝) 16:45開場/17:30開演会場:EX THEATER ROPPONGI出演:岸谷香/Unlock the girls/トータス松本(ウルフルズ) /永井真理子料金:全席指定9,000円※ドリンク代別途必要★チケット情報はこちら()関連リンク岸谷香 オフィシャルサイト:永井真理子 オフィシャルサイト:
2023年12月23日俳優・歌手として活躍した財津一郎が1989年にリリースした楽曲「手酌酒」(c/w 男の人生)が、各種音楽配信サービスで解禁となった。同曲はお茶の間で知られているようなコミカルなイメージとは真逆の王道演歌になっており、心地よい低音ボイスがより一層、男の哀愁を際立たせている。そしてテイチクレコードYouTubeチャンネルでは、歌詞とあわせて楽しめるオフィシャルオーディオも公開中。◆財津一郎「手酌酒」手酌酒作詞:石坂ゆたか 作曲:三佳令二 編曲:竜崎孝路男の人生作詞:石坂ゆたか 作曲:三佳令二 編曲:竜崎孝路各種音楽配信サイトはこちら ◆財津一郎「手酌酒」(Official Audio)テイチクからのお知らせ / TEICHIKU ENTERTAINMENT(テイチクエンタテインメント) : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年11月30日リサイクル商品を開発・販売する「マテックプロダクツ」(所在地:北海道帯広市西22条南3丁目34-1)は、イラストレーター永井博氏 北海道2024カレンダーを2023年11月13日より限定で販売します。カレンダー表紙80年代に大瀧詠一の『A LONG VACATION』などのレコードジャケットに代表される国内外から多くの支持を受けている永井博氏。1998年より現在に至るまで、マテックグループのイメージイラストを手がけていただいております。トロピカルでクリアな風景イラストレーションをメインとしている永井博氏が北海道の雄大な自然にインスピレーションされ、独自の雰囲気で描き上げた作品をカレンダーにしました。北海道の春は桜で満ち溢れ、夏は葉の緑に目が洗われ、秋は紅葉に目が釘付けになり、冬は息も凍りつく厳しく美しいひと時があります。永井博氏の北海道2024カレンダーとともに北海道の四季を満喫していただきたいと思います。美しい北海道と素敵な1年をお過ごしください。■商品概要サイズ :ヨコ364mm×タテ450mm 7ページ販売価格:2,750円(税込)北海道の冬の大自然画【マテックプロダクツとは】マテックプロダクツは、リサイクル商品はもちろんのこと環境にやさしい商品を展示し販売しています。自動車の窓ガラスやシートを再利用して商品を開発しています。小樽市に本社を構える株式会社深川硝子工芸様と、自動車の窓ガラスを利用してリサイクルグラスや皿、花瓶を作製。また、滝川市に本社を構える株式会社レザースタジオKAZU様と自動車の革シートを利用して名刺ケースを作製。新たな取り組みとして、マテックのリサイクル鉄を使った南部鉄器を盛岡市の伝統工芸士 佐々木和夫氏と作製しました。今後、SDGsの取り組みとして多種多様なアップサイクル商品を開発、販売を検討中です。皆様にリサイクルを身近に感じていただけるよう努めていきます。【マテックとは】株式会社マテック(本社:帯広市)は、創業80年を超える総合リサイクル企業です。北海道内に9支店を構えています。建築物の解体に伴う金属スクラップや小型家電に含まれる基盤、プラスチックなど、リサイクル可能なすべての物質・廃棄物を第三の資源と考え、あらゆる資源を再生・創造・開発しています。最近では、24時間無人で古紙や金属製品などの資源物を回収するサービス「じゅんかんコンビニ24」を北海道内に24店舗を開設。「じゅんかんコンビニ24」は、これまで廃棄物として処理されていた資源物のリサイクル率を高めています。マテックはさまざまな視点からリサイクルを見つめ、取り扱い品目の拡大はもちろんのこと環境の未来を見据え新しいことに取り組んでいます。■販売店舗概要マテックプロダクツストア Yahoo!ショッピング店 マテックプロダクツストア所在地 : 〒080-2472 北海道帯広市西22条南3丁目34-1電話 : 0155-35-7711FAX : 0155-35-9911営業時間: 9時から17時(月曜日~土曜日、日曜日・祝日休み)公式HP : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年11月13日1987年、1stシングル「Oh, ムーンライト」でデビューした永井真理子の30年ぶりとなる写真集「Meteor Shower 2017~2023」の発売が開始された。2006年に活動を休止。本格的に活動を再開した2017年から現在までの思い出が詰まった写真集だ。また、11月12日(日)まで新代田POOTLEにて『大人の学園祭』と題したイベントを開催中。12月9日(土)にはワンマンライブ『永井真理子ファン感謝祭2023』の開催も予定されている。<永井真理子コメント>6年分の思い出をこの写真集に詰めました。オフショットも多数、当時の思いやメッセージも掲載しました。たくさんの方に届きますように……。表紙画像購入はライブ会場、オフィシャル通販サイト「M’s STORE」にて。A4サイズ/168ページ(本文164ページ)/ソフトカバー3,800円(税込)【M’s STORE】<ライブ情報>永井真理子ファン感謝祭20232023年12月9日(土)【1st Stage】 OPEN 15:30 / START 16:00【2nd Stage】OPEN 18:30 / START 19:00出演:永井真理子 with HYSTERIC MAMA(林真史/Key、松本淳/Ds、エンリケ/Ba、COZZi/Gt)会場:Veats Shibuya(東京都渋谷区宇田川町33‐1 グランド東京渋谷ビル)チケット料金:6,000円(税込/ドリンク代別/オールスタンディング/整理番号付)※参加者全員に「2024年カレンダー」プレゼント※1st Stage と 2nd Stage のセットリストは多少変わります★チケット一般発売は11月11日(土)11:00より<イベント情報>永井真理子「大人の学園祭」会期:2023年11月12日(日)まで会場:新代田POOTLE(新代田 LIVEHOUSE FEVER内)内容:写真展示、動画投影、グッズ販売、永井真理子考案のフード、スイーツ、ドリンクなど販売関連リンク永井真理子オフィシャルサイト:永井真理子X(旧Twitter):永井真理子オフィシャル通販サイト:永井真理子YouTube:
2023年11月07日俳優の財津一郎さんが亡くなっていたことが10月19日にわかった。89歳だった。熊本県出身の財津さんは高校を卒業後に上京。帝劇ミュージカルで初舞台を踏むと、’66年からテレビ番組『てなもんや三度笠』に出演し「ヒジョーニ、サミシーイ!」「してチョーダイッ」などのセリフで一躍人気者となった。そんな財津さんといえば、中古ピアノの買取・販売を行う企業「タケモトピアノ」のテレビCMが長らくお茶の間で親しまれてきた。全身タイツの女性たちがタキシード姿の財津さんを囲んで踊るこのテレビCMは、財津さんの「モットモットタケモット」「ピアノ売ってチョーダイッ!」といったフレーズが印象的。また『探偵ナイトスクープ』(ABCテレビ)では“赤ちゃんが泣き止む曲”として紹介されるなど、“老若男女”問わずさまざまな視聴者に愛されてきた。それほどの人気CMだけに、訃報の直後SNS上には“CMは今後も続くのだろうか……?”との声が相次いだ。そこでタケモトピアノに取材を申し込むと、タケモトピアノの竹本功一会長は涙ながらに財津さんとのこれまでを語ってくれた。「実はCM契約は9月で終了しているんです。弊社としましても『20年以上も本当にお世話になったなぁ』という気持ちが強く、事務所さんとやり取りをして、挨拶に伺おうとしていました。訃報は、その矢先のことで……。報道で財津さんが亡くなったと知り、社内でも動揺が広がりました。6月も山でゴルフしたとお聞きしましたから、最初は『事故か何かに遭ったのでは』と思ったほど。ちょうどこのCMの撮影中に、お孫さんで現在俳優として活躍されている財津優太郎さん(24)が誕生して、大変喜ばれていたことが今でも思い出されます」(以下、カッコ内は竹本会長)孫の優太郎さんは、昨年春にドラマデビュー。10月15日に第1話が放送された日曜劇場『下剋上球児』(TBS系)に出演しているが、その晴れ姿を見る前の逝去となった。■取材同行をお願いすると「銭金で仕事をやっているんじゃないから!」と近年も同社と財津さんの交流は続いていたという。「生前、財津さんに取材した雑誌の方からしょっちゅう連絡がありました。『財津さんに取材したら、タケモトさんのことばかりお話されたので』と掲載の確認を尋ねる連絡があって、ですから、こちらも『いいですよ、財津さんが喋られたことなら』と。財津さんは本当にいつも、弊社を気にかけてくださっていました。また『探偵ナイトスクープ』の取材のときは、こちらから『撮影しますから、ちょっと来ていただけませんか』とお願いをしました。すると、『銭金で仕事をやっているんじゃないから!そういうので引き受けてる仕事じゃないから、大丈夫だよ』って。いつも、そうおっしゃっていただいていて……」また竹本会長は「10年くらい前まではしょっちゅう連絡をとっていた」と言い、「『どこにいるの?』というので『どこどこです』と伝えると、『お茶でも飲むか』とおっしゃって」と仕事を超えた付き合いをしていたことも明かしてくれた。財津さんは’11年以降体調を崩し芸能活動を休止していたが、’19年に「NEWS ポストセブン」で配信されたインタビュー記事で、《いま僕は仕事していないので、僕の最低限の生活を守ってくれているのは、あのCMなんです》と話している。このことについて、竹本会長はこう語る。「出演料はずっとお支払いしていました。奥さんの看病をされているということも記事になる前から知っていましたが、『財津さんの生活を支えよう!』という気持ちではありませんでした。そんな考え、とんでもないです。いつも気づかいしていただきますし、何より『CMが皆さんに愛されているから』というのがずっとCMが放映されてきた理由です。途中でCMの内容を変えたことがあるのですが、本当にたくさんのご意見をお電話でいただきました。『CMを変えるんじゃない』『赤ちゃんが泣き止むような良いCMをどうして変えようとしているんだ』と。そういうご意見は本当にありがたいんで、『そのままやれということだからやろうよ』と。会社ですのでCMを放映するようになって10年経ったくらいから、制作費の予算の計上をしていました。でも、途中で『もういいか』となりましたね」今後のCMついては「現在制作中です。財津さんが亡くなる前から制作していたもので、雰囲気もガラッと変わるかもしれません」とのこと。どんなCMが完成するか、天国の財津さんも楽しみにしているはずだ。
2023年10月20日2023年10月19日、俳優、お笑いタレント、歌手など幅広く活躍していた財津一郎さんが、89歳で亡くなっていたことが分かりました。訃報を受けて、芸能界をはじめ多くの人々から追悼のコメントが寄せられています。財津さんが20年以上出演していた、中古ピアノの買い取りや販売を行う、タケモトピアノ株式会社(以下、タケモトピアノ)は、同月20日、ウェブサイトにて追悼文を公開しました。このたび、弊社タケモトピアノのCMに長らくご出演いただいておりました財津一郎さんの訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。財津さんの素晴らしい演技やご協力によって、弊社のCMは小さなお子様からお年寄りまで多くの人に愛していただけるCMとなりました。それに伴い、弊社も皆様から愛される企業に成長することができました。心から感謝の気持ちを捧げ、財津さんのご冥福をお祈りいたします。タケモトピアノーより引用財津さんといえば、「ピアノ売ってちょ~だい」という印象的なセリフで歌って踊る、タケモトピアノのCMを思い浮かべる人は多いことでしょう。サンケイスポーツによると、タケモトピアノの創業者である竹本功一会長は、取材に対し「本当に優しい方でした」と涙ながらに感謝の言葉を述べたといいます。また、同社はCMの契約更新を同年9月に終了していたそうです。ネット上では「タケモトピアノといえば、財津さんでした。さびしくなります」「タケモトピアノのCMで赤ちゃんが泣き止んだ。本当にお世話になりました」などの声が寄せられていました。23年に渡るCMの終了を見届けるようにして、天国に旅立った財津さん。財津さんが出演した数々の作品は、これから先も人々の心の中に生き続けていくことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年10月20日2023年10月19日、俳優やお笑いタレントなど幅広く活躍していた財津一郎さんが、89歳で亡くなっていたことが分かりました。『タケモトピアノ』のCMでの、「ピアノ売ってちょーだい!」や「もっと、もーっとタケモット!」といった掛け声が印象的な、財津さん。1995年に脳内出血を発症し、2011年に放送されたテレビドラマ『3年B組金八先生ファイナル』(TBS系)以降は活動を休止していましたが、同CMによって幅広い世代に親しまれていました。逝去が明かされた日、財津さんと共演経験のある俳優の鈴木亮平さんは、文書でコメントを発表。冥福を祈るとともに、想いを明かしました。財津一郎さんは、生意気だった26歳の自分を温かく包みこみ、同じ目線に立って一緒に歩いてくれました。そういう人間でありたいと、自分も今思うようになりました。財津さんの歩んできた道のりは、きっと新しい世代に引き継がれていきます。心から、ご冥福をお祈りいたします。初の主演作である映画『ふたたび swing me again』にて、財津さんの孫の役として共演を果たした、鈴木さん。コメントからは、俳優としてだけでなく、人として財津さんを尊敬していたことが伝わってきます。きっと、2人しか知らない共演時の思い出がたくさんあるのでしょう。26歳だった鈴木さんにとって、財津さんは本物の祖父のような頼れる存在だったのかもしれません。共演から月日が経ち、今や鈴木さんは、多くの作品で活躍する大人気俳優。きっと『祖父』である財津さんも、その成長を喜んでいたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年10月19日2023年10月19日、俳優、お笑いタレント、歌手など幅広く活躍していた財津一郎さんが、亡くなっていたことが分かりました。89歳でした。サンケイスポーツによると、葬儀はすでに済ませたといいます。「タケモトピアノ」や「こてっちゃん」のCMなどでも知られる俳優で歌手、財津一郎さんが亡くなっていたことが19日、分かった。89歳だった。関係者によると、すでに葬儀は済ませたという。サンケイスポーツーより引用1962~1968年に放送されたコメディ番組『てなもんや三度笠』(TBS系)に蛇口一角役で出演し、「〇〇してちょーだい!」というギャグが話題になった、財津さん。そのほか、タケモトピアノ株式会社(以下、タケモトピアノ)や、エスフーズ株式会社が販売している『こてっちゃん』のテレビコマーシャルなどにも出演し、人気を博しました。財津さんは1995年に脳内出血を発症し、以降は芸能活動をセーブ。2011年に放送されたテレビドラマ『3年B組金八先生ファイナル』(TBS系)に出演した後、活動休止状態にあったといいます。ネット上では「体調を理由に休んでいたことは知っていたけど、残念」「タケモトピアノのCMが好きでした!」「うちの娘も、財津さんが出ていたCMにはお世話になりました」などのコメントが投稿されています。財津さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年10月19日歌手の永井みゆき(48)が2023年9月23日、岐阜県・津屋川のひがん花まつりに出演し、「津屋川のひがん花PR大使」に任命され、自身の誕生日を祝うサプライズに笑顔を見せた。イベントでは、ひがん花祭り実行委員会実行委員長の藤田重紀さんと海津市商工会会長の岡田均さんから、PR大使のタスキの贈呈があった。また、踊リッチかいづの皆さんとの歌と踊りのコラボもあり祭りは大盛況だった。また、前日に48歳の誕生日を迎え、サプライズで海津市議会橋本武夫議長から花束とケーキのプレゼントがあり「本当にうれしい!」と笑顔を見せながら感涙する場面も。2023年6月に発売された新曲「津屋川みれん」(作詞 麻こよみ、作曲 宮下健治、編曲 南郷達也)の歌の舞台となった海津市には、四季折々の美しい花が楽しめるスポットがたくさんあり、津屋川堤の彼岸花は、津屋川堤防沿い3kmを10万本ともいわれる彼岸花が咲きほこる。イベントを終えた永井は、「津屋川の彼岸花のように真っ赤に燃えながら、新曲の大ヒットに向けて頑張りたい!」と意気込んだ。永井みゆき永井みゆきは大阪府・岸和田市出身。1989年に関西演歌大賞でグランプリを獲得したのをきっかけに、92年、高校1年生の時に「大阪すずめ」でデビュー。一昨年、デビュー30年周年を迎え旅情演歌の旗手として活躍中。商品情報永井みゆき「津屋川(つやがわ)みれん」永井みゆき「津屋川(つやがわ)みれん」TECA-23040定価:¥1,400(税抜価格 ¥1,273)シングルCD1.津屋川(つやがわ)みれん作詞 麻こよみ、作曲 宮下健治、編曲 南郷達也2.金木犀(きんもくせい)作詞 保岡直樹、作曲 桧原さとし、編曲 南郷達也3.津屋川(つやがわ)みれん(オリジナル・カラオケ)4.津屋川(つやがわ)みれん(メロ入りカラオケ)5.金木犀(きんもくせい)(オリジナル・カラオケ)【各音楽配信サービスにて配信中】 永井みゆき「津屋川みれん」Music Videoinstagram投稿 : 永井みゆき / TEICHIKU RECORDS : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年09月25日オーディオテクニカ(audio-technica)から、イラストレーター・永井博とのコラボレーションによるレコードプレイヤー「サウンドバーガー」が登場。2023年8月2日(水)より、永井博の個展「Palm Street Songs」の会場となるイセタン ザ・スペースなどで予約販売される。オーディオテクニカ×永井博の「サウンドバーガー」2023年5月に復刻発売した「サウンドバーガー」は、文字通りレコードをハンバーガーのように挟んで使用するポータブルタイプのレコードプレーヤー。1982年の発売当時、斬新な発想とスタイリッシュなデザインにより国内外で人気を博した商品だ。プールサイドをデザインした限定ブルーカラー今回のコラボレーションでは、永井博のシグネチャーモチーフであるプールサイドの作品をトップパネルに落とし込んだ、限定のブルーカラーモデルを製作。スリップマットには、現在もアナログDJプレイを行う永井がレコードスタビライザーとして使用しているペンギンのモチーフと本人のサインをプリントした、特別仕様となっている。ベースとなっている「サウンドバーガー」は、33/45回転に対応可能なベルトドライブ方式、特別なアーム、交換可能な針を採用するなど、コンパクトながら本格的な再生品質を実現。本体自体にスピーカーは備えていないため、Bluetooth対応のワイヤレススピーカーやヘッドホン、AUXなどライン接続できるステレオシステムが必要となる。商品情報オーディオテクニカ×永井博 サウンドバーガー「AT-SB727 HN」コラボレーションモデル予約受付開始日:2023年8月2日(水)10:00〜受付場所:・永井博の個展「Palm Street Songs」会場「イセタン ザ・スペース(伊勢丹新宿店本館2F)」・三越伊勢丹オンラインストア※限定数量に達し次第、受付を終了する。価格:39,600円@ 2023 Audio-Technica Corporation. All rights reserved.
2023年08月05日7月11日、立憲民主党の小沢一郎衆院議員(81)が、自身のツイッターを更新。岸田政権への憤りをあらわにした。小沢議員は、《日本の平均年収は「443万円」、国民負担率46.8…もはや罰ゲーム!普通の生活が厳しすぎる日本人に増税を企てる鬼の岸田政権》と題されたネットニュースを引用すると、《物価はこの夏の暑さのように家計を苦しめ、そこへミサイル増税やサラリーマン増税が待ち構える。進む生活破壊。破壊されるべきは岸田政権。刮目を。》と岸田政権を痛烈に批判したのだ。引用した記事は、6月21日の記者会見で30年ぶりの高水準の賃上げだとアピールする岸田首相を批判するもの。賃上げがなされても、物価高の影響を加味した実質賃金は前年同月比1.2%減であり、2月に財務省が発表した国民負担率(租税負担率と社会保障負担率を合計したもの)が2023年度は46.8%に上るとの見通しを紹介。一方で、日本の平均年収は443万円にとどまっており、この水準では二人暮らし以上世帯の暮らしはままならないとした。あらゆる分野で値上げがなされる昨今。総務省が6月23日に公表した消費者物価指数では、今年5月の消費者物価は前年比3.2%上昇。6月には大手電力会社7社の家庭向け規制料金の値上げが実施され、家計にはさらなる追い打ちとなっている。そんななか、岸田政権の政策は家計にさらなる負担を強いかねないという。「6月16日には、防衛費増額の財源を確保するための特別措置法が成立。税外収入を積み立てて防衛費にあてる『防衛力強化資金』が新設されました。さらに今後、法人税と所得税、たばこ税を対象に増税も行われるということが示されています。また、6月30日には政府税制調査会が、サラリーマンの給与所得控除が比較的手厚いつくりになっていると指摘したことがニュースに。給与所得控除はこれまで段階的に引き下げられており、この動きが加速するのではないかとの懸念も広まっているのです。給与所得控除の引き下げは、実質にはサラリーマンを対象とした増税になります」(政治部記者)次の衆議院選挙にむけ、小選挙区で野党候補の一本化を目指す「有志の会」を立ち上げた小沢議員。果たして、有言実行し、国民の生活を改善することはできるのだろうか。
2023年07月12日マンハッタンポーテージ(Manhattan Portage)の2023年春夏コレクションから、イラストレーター・永井博とのコラボレーションバッグが登場。2023年7月8日(土)より全国のマンハッタンポーテージストアなどにて数量限定で販売される。マンハッタンポーテージ×永井博のコラボバッグ永井博は、シンガーソングライター・大瀧詠一のアルバム「ア ロングバケーション」や「ナイアガラ ソングブック」などのジャケットデザインで知られるイラストレーター。トロピカルかつクリアな風景作品を得意としており、アート界のみならず、ファッション・音楽界にも多大な影響を与える“シティポップの立役者”だ。そんな永井博とマンハッタンポーテージによるコラボレーションバッグが登場。今回のために特別に準備したオリジナル・アートワークを2パターン用意し、ナチュラルなキャンバス地のバッグへ落とし込んだ。新型のサコッシュ&ショルダーバッグ注目は、永井博の世界観をもとに製作した新型2モデル。7インチレコードをイメージしたサイズ感のショルダーバッグと、フェスなどのイベントに活躍するサコッシュバッグを取り揃えている。A4ファイルの収納が可能なショルダーバッグなどまた、A4ファイルがすっぽり入るトートバッグやショルダーバッグ、ジッパー付き内ポケットを装備したメッセンジャーバッグなども揃う。高い機能性もポイントデザイン性だけでなく、機能性を兼ね備えているのもポイントだ。生地の表面には撥水、裏面にはPUコーディングを施し、耐久・耐水性を確保した。ショルダーストラップにはコットンテープを採用し、肌にも服にも優しい仕様となっている。【詳細】マンハッタンポーテージ×永井博発売日:2023年7月8日(土)取扱店舗:全国のマンハッタンポーテージストア、一部を除く正規取り扱い店舗、マンハッタンポーテージ公式オンラインストア※オフィシャルオンラインストアでは7月7日(金)より先行販売。アイテム:・サコッシュ 5,940円・ショルダーバッグ 7,480円・トートバッグ 9,680円・ショルダーバッグ 13,200円・メッセンジャーバッグ 12,100円【問い合わせ先】マンハッタンポーテージ ショールームTEL:03-3746-0528
2023年07月06日2023年6月22日の早朝、長崎県松浦市のコンビニに強盗が押しかけ、犯人が逃走する事件が発生。この日、情報番組『THE TIME,』(TBS系)では、事件が発生した松浦市から安住紳一郎アナウンサーが生中継を行いました。番組のテロップには「安住アナ出張中に…」の文字が。そう、実はこの現地中継は、偶然によって生じたものだったのです。安住紳一郎アナのかけた言葉に「神対応!」の声この日、同番組は松浦市で食べられる『日本一のアジフライ』について特集する予定だったのだとか。しかし、奇遇にもロケ先の地で強盗事件が発生。中継を急きょ変更し、安住アナやスタッフは事件について中継をすることになったのです。安住アナの姿が番組に映ると、その隣には、本来ならば今日紹介予定だった取材先の相手が。番組視聴者に向けて放送内容に変更が生じた事情を説明すると、安住アナはこのように呼びかけました。いや、なんかね、普段は静かでいい街なんですけど、今日ちょっとなんか残念なことになりましたね。ぜひね、アジがおいしいし、青魚がおいしいところなので、ぜひ遊びに来てほしいと思います。また、よろしくお願いします。THE TIME,ーより引用ちょっとね、今日は予定外のことだったんですけどね、ぜひちょっとね、興味ある方は松浦のアジフライ、アジについて調べてみてください。とっても面白い情報がいろいろ載っています。そして必ずここから、アジフライの中継をしたいと思います番組がそれまであればいいけど…ね?THE TIME,ーより引用きっと取材先の相手も、テレビ番組を通して自慢のアジフライが紹介されることを楽しみにしていたはず。そんな相手方の気持ちを汲み取ったのか、後日改めて紹介する約束を交わすと、安住アナは全国の視聴者に向けて『松浦市のおいしいアジ』をアピールしたのでした。安住アナの真摯な気持ちは、相手方にも伝わった模様。「大変な事態だから仕方がないね」「また会える機会が増えて、嬉しい」と、安住アナに笑顔で返答しました。最後のちょっとしたブラックジョークからも、安住アナの人柄が伝わってくる、素敵な対応。番組放送後、ネットでは安住アナの行動を称賛する声が相次いでいます。・取材先への気遣いも忘れない。これぞプロのアナウンサーの仕事だ!・お相手の「また会える機会が増えて、嬉しい」という言葉も素敵。放送される日を楽しみにしています!・事件の発生現場へ中継に行く判断も、取材席への対応も、まさに『神対応』。取材先の相手を含む多くの人が、今回の事件が無事に解決し、松浦市の誇る『日本一のアジフライ』が紹介される日を、心待ちにしていることでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年06月22日・学校へ行く前に見てしまってガチで笑った。リアクションが見事。・このコンビ、大好き。どっちもかわいすぎる。・娘と爆笑しました。朝から元気がもらえてよかったです。・最後で「フフン」って笑うところまでツボ。情報番組『THE TIME,』(TBS系)のTikTokアカウントが投稿した動画に、そんな声が上がっています。注目を集めたのは、2023年6月8日の放送で起きた、ちょっとしたトラブル。安住紳一郎アナウンサーがMCを務める同番組には、オリジナルキャラクターである、鳥のシマエナガちゃんが出演しています。ドアからハトの人形が飛び出して時間を教える『ハト時計』のように、用意されたセットの中からシマエナガちゃんが登場して、安住さんとおしゃべりをしたのですが…。@thetime_tbs♬ オリジナル楽曲 - thetime_tbsシマエナガちゃんが戻った時、扉が半開き状態に!どうやら、セットに不具合があったようです。扉を閉じてあげようと思った安住さんが、手を伸ばすと…同じタイミングで、再びシマエナガちゃんがシュッと出てきたではありませんか!これには安住さんもビックリ。きっとシマエナガちゃんは、反動で扉が正常に閉じることを期待したのでしょう。しかし、その後も扉は半開きのまま。安住さんは、思わず笑みをこぼしながら扉を閉めてあげたのでした。安住さんの優しさや、コントのようなリアクションは、朝から多くの視聴者を笑顔にしたようです。こんなほほ笑ましいプチハプニングなら、たまに見たいですね![文・構成/grape編集部]
2023年06月14日永井豪・石川賢原作の『ゲッターロボ』が初の実写映画化。2025年春に公開予定だ。永井豪・石川賢の“元祖”巨大ロボット作品『ゲッターロボ』『ゲッターロボ』は、永井豪と石川賢により『週刊少年サンデー』に連載された漫画であり、1974年から1975年にかけてフジテレビ系で放送されたアニメ作品。変形や合体といった要素を組み込んだ、巨大ロボット作品の“元祖”であり金字塔ともいえるシリーズだ。尚、テレビアニメ版では低年齢層も鑑賞できる、勧善懲悪のストーリーをメインとしていたが、石川賢の連載では、バイオレンスでハードな展開となっているのが特徴で、アニメ・マンガともに現在も熱狂的ファンに支持されている。漫画版をベースに初の実写映画化そんな『ゲッターロボ』が、50周年の節目に際し初の実写映画化。実写映画『ゲッターロボ』では、永井豪・石川賢が手がけた漫画版『ゲッターロボ』の持つアウトロー、バイオレンス、アクション満載のストーリーを、現代的にアレンジしたストーリーが展開される。プロデューサー・監督・脚本は『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』『キャット・シット・ワン』『ブレイブストーム』『ZVP (座頭市 VS プレデター)』等を手掛けた岡部淳也が担当する。【作品詳細】実写映画『ゲッターロボ』公開時期:2025年春 予定原作:永井豪・石川賢プロデューサー:岡部淳也監督:岡部淳也脚本:岡部淳也、太田垣康男、田畑由秋脚本協力:田畑由秋撮影:古谷巧メカデザイン&イメージボード:Skan Srisuwanサウンド:Michael Verta※パイロット映像&映画完成までの過程で、デザイン、ストーリーの方向性、スタッフは、修正、変更が行われる場合有り。
2023年04月07日リサイクル商品を開発・販売する「マテックプロダクツ」(所在地:北海道帯広市西22条南3丁目34-1)は、イラストレーター永井博氏作品「北海道三部作」公式ハイエンドレプリカを限定販売します。北海道三部作80年代に大瀧詠一の『A LONG VACATION』などのレコードジャケットに代表される国内外から多くの支持を受けている永井博氏。1998年より現在に至るまで、マテックグループのイメージイラストを手がけて頂いております。トロピカルでクリアな風景イラストレーションをメインとしている永井氏が北海道の雄大自然にインスピレーションされ、独自の雰囲気で描き上げた非常に珍しい作品「北海道三部作」です。永井博氏直筆サインとエディションナンバー付き(背面)■原画の美しさを再現するジークレー版画印刷ジークレーとは、インクジェットプリンターで印刷された限定版画作品のことです。株式会社アイワードによる高精細7色プリンターで再現した本作品は、色彩から質感までこだわりぬいたレプリカ作品です。すべての作品に永井博の直筆サインとエディションナンバー付きとなります。永井博「北海道三部作」公式ハイエンドレプリカ/雪道●永井博「北海道三部作」公式ハイエンドレプリカ/雪道息も凍りつくような冬の日。宇宙まで届きそうな蒼い空。耳を澄ましても風の音すら聞こえない静まり返った真っ白な大地。凍れた雪道、踏みしめるとキュッキュッと雪が鳴く。北海道の厳しくも美しい冬のひと時。プリントサイズ:W530×H454mm 額装サイズ:W675×H600mm エディション:30販売価格165,000円(税込)●額装込み(アルミフレーム、ブラック)●直筆サイン、エディションナンバー付(ナンバーは選べません)永井博「北海道三部作」公式ハイエンドレプリカ/針葉樹の森●永井博「北海道三部作」 公式ハイエンドレプリカ/針葉樹の森どこまでも続く白銀の大平原と遥かなる山々。風雪にも負けることなく緑をたたえながら天に伸びる針葉樹たち。眩しく輝く冬の光と青く伸びる影。冬の日の美しく優しい時間。永井博が描く北海道をテーマにした三部作。プリントサイズ:W530×H454mm 額装サイズ:W675×H600mm エディション:30販売価格165,000円(税込)●額装込み(アルミフレーム、ブラック)●直筆サイン、エディションナンバー付(ナンバーは選べません)永井博「北海道三部作」公式ハイエンドレプリカ/ポプラ●永井博「北海道三部作」 公式ハイエンドレプリカ/ポプラ果てしない大空と悠々と流れていく雲。まるでパッチワークのように美しく咲き誇る北の花たち。どこまでも続くただ1本の道。透明な光の中、風に揺らぐポプラの葉音が優しく聞こえてくる。プリントサイズ:W530×H454mm額装サイズ:W675×H600mm エディション:30販売価格165,000円(税込)●額装込み(アルミフレーム、ブラック)●直筆サイン、エディションナンバー付(ナンバーは選べません)【マテックプロダクツとは】マテックプロダクツは、リサイクル商品はもちろんのこと環境にやさしい商品を展示し販売しています。自動車の窓ガラスやシートを再利用して商品を開発しています。小樽市に本社を構える株式会社深川硝子工芸様と、自動車の窓ガラスを利用してリサイクルグラスや皿、花瓶を作製しました。また、滝川市に本社を構える株式会社レザースタジオKAZU様と自動車の革シートを利用して名刺ケースを作製しました。今後、SDGsの取り組みとして多種多様なアップサイクル商品を数十種類開発、販売を検討中です。皆様にリサイクルを身近に感じていただけるよう努めていきます。【マテックとは】株式会社マテック(本社:帯広市)は、創業80年を超える総合リサイクル企業です。北海道内に9支店を構えています。建築物の解体に伴う金属スクラップや小型家電に含まれる基盤、プラスチックなど、リサイクル可能なすべての物質・廃棄物を第三の資源と考え、あらゆる資源を再生・創造・開発しています。最近では、24時間無人で古紙や金属製品などの資源物を回収するサービス「じゅんかんコンビニ24」を北海道内に24店舗を開設。「じゅんかんコンビニ24」は、これまで廃棄物として処理されていた資源物のリサイクル率を高めています。マテックはさまざまな視点からリサイクルを見つめ、取り扱い品目の拡大はもちろんのこと環境の未来を見据え新しいことに取り組んでいます。■店舗概要マテックプロダクツストアYAHOOショップ店永井博「北海道三部作」 公式ハイエンドレプリカ マテックプロダクツストア所在地 : 〒080-2472 北海道帯広市西22条南3丁目34-1電話 : 0155-35-7711FAX : 0155-35-9911営業時間: 9時から17時(月曜日~土曜日、日曜日・祝日休み)公式HP : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年03月01日2023年2月20日、漫画家の松本零士さんが、85歳で亡くなったことが分かりました。松本さんのプロダクションである株式会社零時社によると、亡くなったのは同月13日とのこと。病院で息を引き取ったとのことです。SF作品を中心に、『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『クイーン・エメラルダス』などの名作を描いてきた、松本さん。同社は、松本さんの逝去について「星の海に旅立った」とコメントしています。故・水木一郎さんスタッフ、松本零士さんに感謝の別れ松本さんの旅立ちが明かされた同月20日、ミュージシャンの水木一郎さんのTwitterアカウントが更新。水木さんは、1978年に放送されたテレビアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』(テレビ朝日系)の主題歌とエンディングテーマを担当しています。2022年12月に旅立った、水木さん。『アニメソングの帝王』と呼ばれており、これまで何度も松本さんと顔を合わせていました。同作の生みの親である松本さんの旅立ちを受け、水木さんのTwitterアカウントを運営するスタッフは感謝の気持ちをつづっています。【水木一郎スタッフより】松本零士先生が旅立たれました。今頃、星の海の彼方で再会しているでしょうか。水木とハーロックを巡り合わせていただき、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/6ADSDuaqhT — Ichiro Mizuki (@aniki_z) February 20, 2023 投稿に添付されているのは、生前の松本さんと水木さんが写った、思い出の写真。お互いのサインを交換するツーショットもあり、これらの写真からは、松本さんと水木さんの強い絆が伝わってきます。『宇宙海賊キャプテンハーロック』の世界をともに作ってきた仲間として、きっと2人の間にはたくさんの思い出があったのでしょう。水木さんのスタッフからのメッセージと、ツーショットはまたたく間に拡散され、同作のファンを中心に多くの人から反響が上がっています。・子供の頃からの『レジェンド』が次々と旅立たれてしまった。さびしいです。・この写真のお2人が、もうこの世に存在しないだなんて…。まだ信じられません。・メッセージに泣いた。2人が笑顔で再会できているといいな…。漫画やアニメの魅力を世の中に発信してくれた2人のクリエイターに、ネットからは感謝の声が寄せられました。スタッフがいうように、星の海に旅立った松本さんは、ひと足早く旅立った水木さんと再会を果たしているのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2023年02月20日2023年2月9日、作家の永井路子さんが亡くなったことが分かりました。97歳でした。サンケイスポーツによると、永井さんが亡くなったのは同年1月27日。老衰のため、東京都内の病院で息を引き取ったとのことです。歴史小説を中心に、『炎環』など多くの作品を生み出してきた、永井さん。NHKの大河ドラマである『草燃える』や『毛利元就』の原作者としても知られています。また、直木賞や女流文学賞、毎日芸術賞といった、優れた作家が選出されるさまざまな賞を受賞してきました。永井さんの作品をきっかけに歴史小説の魅力を知った人は少なくない様子。訃報に対し「素晴らしい作品をありがとうございました」と感謝する声が相次いでいます。きっと今後も、永井さんの本は多くの人の手に渡り、物語の世界へいざなってくれるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年02月09日中日ドラゴンズの2022年シーズンを振り返る球団史上初のドキュメンタリームービー『Truth of Dragons 2022』のナレーションをサカナクションの山口一郎が務めることが決定した。本作は、1月21日(土)から29日(日)まで配信される球団史上初の長編ドキュメンタリー。球団オフィシャルカメラだからこそ記録することができた貴重な映像を積み重ねて、中日ドラゴンズの激動の1年を振り返る。山口は自身を「相当なドラゴンズフリーク」と語るほどのドラゴンズファンで、ナレーション担当に際し「来年も、その先も続くシリーズになってもらいたいですね」とコメントを寄せた。また、本作の視聴終了後にアンケートに回答すると、抽選で山口一郎直筆サイン入り特製ポストガードがプレゼントされることも発表になった。【山口一郎コメント】ドラゴンズの動画でナレーションを担当させてもらうことに対して、大変光栄に思います。僕は相当なドラゴンズフリークでいろいろな動画をチェックしてきたつもりですが、見たことない映像がたくさん入っていて、「あの時こんなことが裏で起こっていたんだ!」というのが分ったりして、ドラゴンズのことがより好きになりました。来年も、その先も続くシリーズになってもらいたいですね。『Truth of Dragons 2022』配信:PIA LIVE STREAM公開時期:1月21日(土)~29日(日)視聴券販売期間:1月16日(月)~29日(日)視聴券:1500円グッズ付き視聴券:2700円(オリジナルマグカップ&キーホルダー付き)■チケット情報
2023年01月21日2023年1月8日、ミュージシャンでロックバンド『サカナクション』のボーカリスト兼ギタリストの、山口一郎さんがTwitterを更新。公開された1枚の写真に、称賛の声が上がっています。山口一郎「頑張れ受験生」2022年7月1日、体調不良により一定期間の休養を発表していた、山口さん。体調不良は続いているものの、語呂合わせである同年11月16日『いい一郎の日』に、SNS周りでの復活を報告しました。年が明けた2023年1月1日には、「今年も狂気の沙汰で音楽と向き合っていきますゆえ、何卒よろしくお願いいたします」と、袴にウサ耳を着けた姿を公開しています。明けましておめでとうございます。今年も狂気の沙汰で音楽と向き合っていきます故、何卒宜しくお願い致します。 pic.twitter.com/uWLmhm7Lmk — 山口 一郎 (@SAKANAICHIRO) December 31, 2022 同月8日に山口さんが公開したのは、神社や寺に奉納したと思われる、絵馬の写真。祈願した内容が分かる1枚がこちら。頑張れ受験生。 pic.twitter.com/8nl2IsnEHn — 山口 一郎 (@SAKANAICHIRO) January 7, 2023 毎年1月下旬から3月上旬は受験シーズン。同日は、高校や大学受験を控えた人たちが、受験勉強の追い込みに入っている時期でしょう。自分の体調ではなく、全国の受験生のために祈願した山口さん。思いやりにあふれた行動に、感謝や称賛の声が上がっています。・中学3年生の息子が、今年受験を控えているので嬉しいです。私まで励みになりました。・心強い応援ですね。山口さんの優しさに癒されました。受験、頑張ります!・受験ではありませんが、明日大事な試験を控えていたので、勇気をもらいました。ありがとうございます!他人の幸せを願える山口さんだからこそ、人々の心に響く歌を、世の中に発信できるのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2023年01月08日栃木県小山市出身の版画家・小口一郎(こぐち・いちろう/1914-1979)の全貌を紹介する展覧会が、2023年1月21日(土)から3月26日(日)まで、宇都宮市の栃木県立美術館で開催される。小口のライフワークとなった足尾鉱毒事件を主題とした作品群の全点が一堂に会する貴重な機会だ。1946年に日本美術会の北関東支部の活動に参加し、本格的に木版画を手がけるようになった小口は、足尾鉱毒事件とその問題を追及し続けた政治家・田中正造(1841-1913)の存在を知って大きな衝撃を受け、広く世に伝える方法を模索し始めたという。足尾鉱毒事件とは、明治初期から足尾銅山の開発が急激に進められた結果、周囲の環境と住民の健康に多大な被害を及ぼした公害事件。田中正造は、明治天皇に直訴を試みるなど、生涯を鉱毒反対運動に捧げたが、当時は加害者決定には至らなかった。一方、鉱毒が流出した渡良瀬川に遊水池を造営するために強制廃村となった谷中村や流域の農民たちは、北海道開拓移民として佐呂間の原野にわたり、その地で「栃木集落」を形成することになる。展覧会タイトルの『二つの栃木』は、栃木県と北海道の栃木集落を意味する。この事件を丹念に取材した小口は、鉱毒被害に苦悩する旧谷中村の農民たちと田中正造を主題とした《野に叫ぶ人々》(1969年)、厳寒の佐呂間へ移住した人々の生活と帰郷への思いを描いた《鉱毒に追われて》(1974年)、足尾銅山の坑夫たちの労働問題を取り上げた《盤圧に耐えて》(1976年)を、3部作の連作版画としてまとめ上げた。今回の展覧会の大きな見どころは、小口の代表作となったその連作がすべて並ぶことにある。栃木集落の住民の希望者が栃木県への帰郷をはたしたのは、50年前の1972年のこと。小口自らが帰郷運動の世話役を務め、架け橋となったという。1972年はまた、栃木県立美術館の開館年でもあり、同展は開館50周年を記念して企画された。小口一郎研究会の全面的な協力を得て、油彩画や他の版画作品も合わせた約300点で、小口一郎の生涯に光を当てる意義深い展観となる。小口一郎《大樹》1948年小口一郎研究会蔵小口一郎《海の声》1976年小口一郎研究会蔵小口一郎《「鉱毒に追われて」より35.帰郷》1971-73年小口一郎研究会蔵小口一郎《「野に叫ぶ人々」より不滅の余光(その二)》1970年頃小口一郎研究会蔵小口一郎《谷中一景》1959年栃木県立美術館蔵小口一郎《坂道》1954年栃木県立美術館蔵小口一郎《ねこ》1954年栃木県立美術館蔵<開催情報>『「二つの栃木」の架け橋小口一郎展 足尾鉱毒事件を描く』会期:2023年1月21日(土)~3月26日(日)会場:栃木県立美術館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)休館日:月曜料金:一般900円、大高600円公式サイト:
2023年01月06日2022年12月12日に所属事務所が明かした、歌手である水木一郎さんの逝去。所属事務所の発表によると、肺がんで闘病していた水木さんは、同月6日に74歳で人生の幕を下ろしたといいます。アニメ『マジンガーZ』『キャプテンハーロック』をはじめ、数多くのアニメ楽曲を歌唱したことから『アニメソングの帝王』と呼ばれてきた、水木さん。およそ1か月前に行われたイベントでは、車いすに腰掛けながら出演する姿を見せていたこともあり、訃報に驚く声や悲しむ声が上がりました。水木一郎の旅立ちに、中川翔子「信じたくない」水木さんの逝去が報じられた同月12日、タレントの中川翔子さんがTwitterを更新。中川さんはマルチタレントとして活動する中、アニメソングを歌唱する『アニソンシンガー』としても活躍しており、水木さんとも共演を果たしています。水木さんを『アニキ』の愛称で呼びながら、中川さんは生前に撮影した水木さんとの思い出の写真を公開し、胸の内を明かしました。水木一郎アニキがいない世界なんて信じたくない、アニキはまるで眠っているようでした。一緒にゲームしたりご飯を食べたり公私共に本当に娘のように可愛がっていただきました。アニソンで笑顔で繋がる未来にしてくれたのはアニキです。生涯現役で歌い続け愛と勇気を世界に照らしてくれた唯一無二の太陽 pic.twitter.com/Xpzx8ZPNUJ — 20周年の中川翔子⬛ (@shoko55mmts) December 12, 2022 力強い歌声や明るい人柄、パワフルなビジュアルなどから、水木さんに『太陽』という印象を持っている人は少なくないといいます。中川さんも、共演者として水木さんのそばで接し、その姿を「唯一無二の太陽のようだ」と感じたようです。毎日、空の上で光り輝き、地球を照らしてくれる太陽。だからこそ、中川さんは『太陽』が見えなくなってしまうことが受け入れられないのでしょう。同じ『アニソンシンガー』として、そして1人の人間として水木さんを慕う中川さんの想いに、多くの人がコメントを寄せています。・太陽という例えが、まさにそう!いつも元気でパワフルな方でしたね。・病気と闘い続けたアニキは本当にかっこいい!素晴らしい歌をありがとう。・いろんな人の追悼のメッセージから、アニキの人柄が伝わってきて涙が出る。今や1つのジャンルを築き、有名になったアニメソング。それも、水木さんといった偉大な先人がいたからこそでしょう。その熱い想いは、中川さんをはじめとする多くのアーティストに受け継がれているはずです。[文・構成/grape編集部]
2022年12月12日アニメ『マジンガーZ』『キャプテンハーロック』など多くのアニメ楽曲を歌唱し、『アニメソングの帝王』として知られる、歌手の水木一郎さん。2022年12月12日、水木さんが同月6日に亡くなったことが、所属事務所によって明かされました。74歳でした。2021年4月に肺がんが発覚し、2022年には新たな肺がんが発見されたことを公表。手術後はリハビリに励んでいました。心配するファンに向けて「これからも生涯現役を目指します」と前向きなメッセージを発信するなど、歌や行動で多くの人に元気を届けてきた、水木さん。だからこそ、旅立ちに対し世界中のファンから悲しむことが上がっているのです。森口博子、『アニキ』水木一郎に追悼のメッセージ水木さんの旅立ちを惜しんでいるのは、ファンだけではありません。逝去が報じられた日、これまで水木さんと交友があった人が追悼をしています。歌手の森口博子さんも、自身のTwitterアカウントを更新し、『アニキ』と慕っていた水木さんへのメッセージをつづった1人。過去に撮影した思い出の写真とともに、水木さんへの想いを明かしています。アニキの存在が大きすぎて、旅立った事が信じられません。プライベートでも、身内の様に可愛いがってくれたアニキとの時間や歌声は、自分の存在意義に自信を持たせてくれる、エネルギーと愛に満ちていました。一緒にコラボした最後のテレビ出演、生涯現役を貫き通し歌い続けたアニキは世界の誇りです。 pic.twitter.com/MrEWcA6T5t — 森口博子 (@hiloko_m) December 12, 2022 森口さんも、アニメ『機動戦士ガンダム』シリーズなどで、長年アニメソングに携わってきました。アニメソングの番組やコンサートで共演する機会が多かったことに加え、親身に接してくれた水木さんは本当の『アニキ』のように近しい存在だったのでしょう。水木さんは同年11月に行われた日本歌手協会のイベント『第49回 歌謡祭』に車いすに腰掛けた状態で出演しており、森口さんは同イベントの司会を務めていました。つい最近顔を合わせたばかりの人の旅立ちは、つらいもの。森口さんの投稿からは別れの悲しさと、水木さんへの愛が伝わってきます。森口さんの追悼のメッセージは拡散され、多くの人がその内容や温かさのあふれる写真に心打たれたようです。・森口さんの心の痛みが伝わってきた。本当に、水木さんは素敵な人でしたね。・『第49回 歌謡祭』で、お2人を見ていました。先月会ったばかりなのに…つらいですよね。・楽しそうな写真を見ていたら、涙が出た。アニキの歌は不滅ですよ!力強い歌声から、「聴いているだけで元気が出る」と人気を博していた、水木さんの歌。今後、どれだけ時が流れても、歌に詰まった水木さんのパワーはたくさんの人に元気と笑顔をくれるに違いありません。[文・構成/grape編集部]
2022年12月12日2022年12月12日、『アニソンの帝王』の異名を持つ、歌手の水木一郎さんが同月6日、肺がんのため亡くなっていたことを、所属事務所が発表しました。水木さんの訃報を受け、『マジンガーZ』の作者である永井豪さんが、所属事務所を通じて追悼のコメントを発表。同作の主題歌は、水木さんの代表曲でもあり、永井さんは「『マジンガーZ』のテーマソングを大ヒットに導いてくれた恩人」と、その功績をたたえています。水木さんは、「マジンガーZ」のテーマソングを大ヒットに導いてくれた恩人です。マジンガーZが、50年もの長きにわたって、人気を保ち続けることができたのは、水木さんのおかげです。毎回、歌うたび、決して気を抜かず、愛と魂をこめてテーマを歌い続けた水木さんの力です。いつも全力で元気さをアピールする方でした。ステージパフォーマンスはもちろんのこと、普段のお付き合いでも、明るく楽しい人でした。ファンを大切にする姿勢に、いつも頭が下がる思いでした。有難う!水木一郎さん。心から、ご冥福をお祈りいたします。Dynamicpro_infoーより引用水木一郎さんのご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。株式会社ダイナミックプロダクション 一同 pic.twitter.com/cdiTR1Jxh7 — ダイナミックプロ【公式】 (@Dynamicpro_info) December 12, 2022 同年11月に日本歌手協会が開催した『第49回 歌謡祭』でも、『マジンガーZ』を披露していた水木さん。その歌声を通して、これからも多くの人に水木さんの愛と魂は受け継がれていくはずです。[文・構成/grape編集部]
2022年12月12日2022年12月12日、『アニメソングの帝王』として知られる、歌手の水木一郎さんが亡くなったことを、所属事務所が発表しました。享年74歳でした。所属事務所によると、水木さんが亡くなったのは同月6日。死因は、肺がんだったといいます。弊社所属の歌手・水木一郎が令和4年12月6日 午後6時50分、肺がんのため永眠いたしました。ここにみなさまからの生前のご厚誼に深謝し、心から哀悼の意を表しますとともに、謹んでご報告申し上げます。昭和23年1月7日生まれ享年74昨年4月末に肺がんが発覚し、入退院を繰り返しながら放射線治療や薬物療法を行い、1年7か月あまり闘病生活を続けておりましたが、去る12月6日に救急搬送先の病院にて息を引き取りました。脳転移、リンパ節転移、髄膜播種を伴う厳しい病状ではありましたが、「生涯現役」を目標に、治療とリハビリに励み、活動を続けてきました。水木一郎オフィシャルサイトーより引用2021年4月、肺がんを患っていることが発覚した水木さん。闘病を続けながら、2022年7月には『生涯現役』を宣言するなど、多くのファンから回復を期待されていました。水木一郎が新たな肺がん手術を発表『生涯現役宣言』に「パワーアップしたアニキに会いたい!」それだけに、水木さんが亡くなったことに対しファンから悲しみの声が上がっています。・また元気な姿を見せてくれると願っていました…。きっと、天国では元気いっぱいに活動してくれているはずです。・突然の訃報に驚いています。またお目にかかりたかった。・もう水木さんの姿が見られないなんて、ショックすぎる。『アニメソングの帝王』として、『マジンガーZ』『キャプテンハーロック』などの数々の曲を歌ってきた水木さん。その歌声は、きっと人々の心に残り続けることでしょう。水木さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2022年12月12日