『高須クリニック』の院長である高須克弥さんが、2023年10月18日にX(Twitter)を更新。ゴルフ場での人助けについて、笑顔の写真とともに投稿し、注目を集めました。ゴルフ場に救急車が来た時の高須克弥その日、高須さんの前の組にいたゴルファーが倒れたため、ゴルフ場に救急車が到着。どうやら救急隊は、救急搬送病院の問い合わせに手間取っているようでした。様子を見ていた高須さんが、すぐに救急車に乗り込み、自身にできる手助けをしたところ、ゴルファーの体調は回復しつつある状態に。その後、無事に救急車が出発するのを確認し、「とりあえずよかった」と思ったのでした。前の組のゴルファーが倒れて救急車が来てる。救急搬送病院の問い合わせに手間どっているそうな。かっちゃん。すぐに救急車に乗り込みお手伝い。回復しつつある。救急車出発。とりあえずよかった。なう。 pic.twitter.com/WNeSUokOdE — 高須克弥 (@katsuyatakasu) October 18, 2023 緊急時に駆け付ける高須さんの姿勢は、ネット上でたびたび話題になっており、過去に新幹線など別の場所でも人助けをしています。新幹線に乗車していた高須院長アナウンスを聞き取った行動に「さすが!」今回の人助けにも「かっこいい」「控えめにいって神」など、称賛の声が多数上がりました。・高須さん、心強い!・ゴルフ場にこんな頼りになる人がいること、めったにない。・いったいどれだけの命を救うのか…。居合わせたのが奇跡。・すぐに行動できるところ、素晴らしいです!周囲の人がどのような行動を取るかで、命が左右される重大な局面はあちこちにあります。そんな時に、迷わず行動できる人は素晴らしいですね![文・構成/grape編集部]
2023年10月18日株式会社すばる舎(本社:東京都豊島区、代表取締役社長:徳留慶太郎)は【すばるーむ!田中克成さんゲスト3万部突破『自分をよろこばせる習慣』出版記念】を3月30日(木)20時より開催します。詳細ページ : すばる舎の公式Peatixイベントに「中の人」がノープランで登場し、意外にも大好評だった「すばるーーーーーむ!」のVol.2が開催決定!【主な内容】 今回はゲストに2月刊『自分をよろこばせる習慣』が早くも3万部のベストセラーになっている田中克成先生をお招きし、編集部の上江洲安成&小寺裕樹と、営業部の原口大輔が、お酒を片手に田中先生を質問攻めにします!*事前に田中先生、すばる舎に関するご質問があれば受け付けます!(申し込みフォームに記載してください、イベント中もZOOM内にて受け付けます)▼こんな人におすすめ▼・本が好き、読書が好き、書店さんが好きな人・すばる舎の本を読んだことがある人・『自分をよろこばせる習慣』を読んだ&興味がある人・出版の仕事について知りたい人・いつか本を書いてみたい人・ベストセラーの裏話を聞きたい人…etc.【タイムスケジュール】・20:00〜20:05 イベントの趣旨ご説明・20:05〜21:00 フリートーク【イベント概要】・日時:2023年3月30日(木)20:00-21:00(受付開始時間19:55~)・参加条件:特になし、無料ご招待・開催形態:オンライン配信・参加特典:すばる舎発行の書籍下記15点の中から抽選で書籍1点を3名様にプレゼント(イベント終了後のアンケート内にて詳細記載)・申込方法URL: より申し込み可能・チケット申し込み:peatixからのお申込みになります。(初期登録は無料です)・主催:すばる舎【講師プロフィール】◆田中克成(たなか・かつなり)コミュニティマーケッター。講演家。カードゲームGIFT考案者。株式会社ANDRYU代表取締役。一般社団法人GIFT WORLD代表理事。わらしべ商人倶楽部理事。ANDBOOKS CEO。2009年、プロフィールライターとして独立。34名の新人著者をプロデュースし、累計発行部数は41万部にのぼる。2013年、現ANDBOOKSの前身となる立志出版社創業。リヤカーで日本一周行商をおこない1万3447冊を販売。その活動がテレビや新聞などで取り上げられ「リヤカー出版社」として話題を呼ぶ。上場企業をはじめ多くの企業やスポーツチームが導入するカードゲーム「GIFT」の考案者としても知られ、同ゲームはボードゲームメッカのヨーロッパでも話題となる。現在は、自分をよろこばせる習慣コミュニティ「悦コミュ!」の主宰、若い起業家を支援するエンジェル投資のほか、オーダースーツブランドのプロデュース、日本最大級の読書術コミュニティ「わらしべ商人の読書術」、数百数千人規模のビジネスコミュニティの企画・立ち上げを次々と手掛ける。また、プライベートではK-1世界王者のメンタルコーチ、セコンドとしても幅広く活躍中。◆上江洲安成(うえず・やすなり)編集部次長兼編集長沖縄県生まれ。五木寛之さんの『青春の門』の世界に憧れ上京。1999年早稲田大学第一文学部に入学。2004年に卒業後、フリーター期間を経て、2007年すばる舎に入社。2020年編集部次長兼編集長に就任。個性的な著者と個性的な上司、個性的な部下に恵まれ、『がんばれ!ベアーズ』さながらの日替わりヒーローが生まれる編集部で、「面倒くさがりで人見知りな自分でも動きたくなるような1冊」をつくるべく、日々奮闘。『人は話し方が9割』などのビジネス書をはじめ、幅広いジャンルの本を手掛けている。本作りのモットーは「正しいより楽しく」。◆原口大輔(はらぐち・だいすけ)営業部副部長1982年生まれ。千葉県出身。出版営業歴16年。現在までに6社の出版社を経験。すばる舎では『死んでも床にモノを置かない』『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』などに企画段階から携わり、2022年には『人は話し方が9割』が110万部を突破し、ミリオンセラーに。営業としてベストセラーを生み出し続けている。◆小寺裕樹(こでら・ゆうき)編集部編集長ビジネス書系の版元2社を経て、2021年10月にすばる舎にジョイン。直近の担当作は『「ありがとう」の教科書』『朝1分間、30の習慣。』など。本以外にも、さまざまなカタチでの「価値」を日々模索しており、DMMオンラインサロンアワード2019入賞「編集者の部屋(旧:小寺メディア戦略室)」オーナーでもある。基本スタンスは「最終的にはなんとかなるから大丈夫」。筋トレと芋焼酎が好き。▼田中克成氏の新刊『自分をよろこばせる習慣』2月7日発売重版3万部突破!すばるーーーーーむ!3万部突破『自分をよろこばせる習慣』出版記念 Guest:田中克成先生!! : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年03月09日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー光武克さん予備校講師、家庭教師、「発達障害BAR The BRATs」のオーナー(現在は休業中)とYouTubeチャンネル運営、医療系アプリのコンテンツ開発と、いくつもの仕事を掛け持ちしている光武克さん。それだけ聞くと「なんでそんなに大量の仕事をこなせるの!?」と驚く人もいると思いますが、その背景には自身のADHDとASDの特性をつかみ、サバイブするためのたくさんの工夫がありました。光武さんに、現在の働き方に至るまでの経緯を聞きました。通知簿ではいつも「生活態度」を指摘される子どもだった。成績を上げることで特性をカモフラージュする生存戦略――光武さんは小さいころ、どんなお子さんだったのですか?光武克さん(以下、光武):あまり覚えていないのですが、不器用な子だったんだろうなと思います。幼少期から交流のある友人によれば、出会いは遊具から落ちて大泣きしている僕を助けたことだったそうなので(笑)、不注意かなにかで、よく怪我はしていたんでしょうね。Upload By 姫野桂光武:小学生のころは落ち着きがなく、宿題などの提出期限を守れないことも多々ありました。小学校の通知表って、学習面と生活態度の評価があるじゃないですか。生活態度の中の「基本的な生活習慣」の項目は、毎回「努力しましょう」に印がつけられていました。当時、僕はすごく動物が好きで、どうしても犬を飼いたかったんです。そうしたら、親から犬を飼う条件として「基本的な生活習慣」の改善を言い渡されて。結局犬は飼ってもらえなかったので、小学校6年間では改善できなかったんでしょうね。――勉強面はいかがでしたか?光武さんは予備校の講師もされていますし、小学生のころから勉強が得意だったのでしょうか。光武:それが、小学生のときは中の上ぐらいで、ずば抜けて成績が良いわけではなかったんです。中学校に上がってから、成績が良い方がいろいろとメリットが大きいというか…自分の不注意など、周囲から変に思われる部分が目立ちにくくなることに気づいて。「あいつは成績がいいから」と言われるキャラクターでいたほうが安全だろうということで、勉強するようになったのかもしれません。中学生のときには、親も昔通っていた、地元で有名なスパルタ英語塾にも通っていました。教科書の例文を20ページ分、つまらずに読めないと帰れないような塾だったのですが、そこで勉強したおかげで語学の道が少し開けた部分があります。高校でも英語の勉強には力を入れ、留学も経験しました。――当時、光武さん自身も、「自分は変わったところがある」という認識だったのですか?光武:自分が変わっているという自覚はたしかにありました(笑)。僕の出身地は田舎ということもあり、なかなか閉鎖的な環境だったので、自分の言動が目立ちやすい部分はあったと思います。でも、それと同時に、「周りの方がおかしい」という感覚もありましたね。なんでそんなに合理性のないことを、みんなが口を揃えて言うのかがわからない。それでも、ここは言ったらいけない場面だから言わない、といった対処をしていました。Upload By 姫野桂考古学者を目指すも、自分の特性との合わなさに挫折。予備校講師のアルバイトで見つけた適性――子どものころ、将来なりたい職業などはありましたか?光武:歴史、特に古代史が好きで、考古学者になりたいと思っていました。中高生のころは、吉村作治先生の本をよく読んでいましたね。2歳ぐらいのころ、奈良の親戚を訪ねた際にも大仏を30分ほどひたすら見つめていたそうなので、昔から古いものが好きだったようです。具体的に研究したい内容までは見えていませんでしたが、「研究」への憧れを持って大学にも進学しました。大学入学後は、古代史の研究をしたいなあと思い勉強していたのですが、やればやるほど歴史の研究に向いていないとわかってきました。歴史学の研究は緻密さが必要で、1つの資料にじっくり向き合い続けることになるんですが、それがもうしんどくて。僕のADHD特性との相性がすごく悪かったんですよね。飽きちゃうんですよ(笑)。なりたいと思っていたものに、絶望的に自分が合っていないと気づいたのが、大学2年生か3年生のときでした。これが初めての大きな挫折だったかもしれません。それから他にやりたいこともなく、このままだと就職もできそうにないしどうしようと悩んでいたのですが、当時していた予備校講師のアルバイトで、自分に向いていそうなことも見つかりました。教育の仕事って、ある面では仮説検証のような部分があると思うんです。学んだことをもとに、自分の中で仮説を立てて実践して、それがうまくいくか、つまり生徒にとって学びやすいかどうか確かめる。その一つである予備校講師の仕事は、歴史学で扱う資料と違い、生徒からすぐに反応が返ってくるじゃないですか(笑)。それがすごく面白かったし、目の前で反応を見られる環境では集中しやすくて。やったことのフィードバックがすぐに返ってくる、具体的な社会現象や人間を相手にするほうが僕には向いているのだと気づきました。そこから、社会学や教育学の本を読むようになりましたね。大学3、4年生ぐらいのことでした。Upload By 姫野桂悩んだ末、内定を辞退しフリーランスの予備校講師へ――光武さんはその後、就職活動もされていますよね。わたし自身もそうでしたが、発達障害のある方からは、「自分をよく見せなければいけない就活が苦しかった」という話を聞くことが多いです。光武さんの場合はいかがでしたかか?光武:もう、めっちゃ苦しかったです。ルールを説明してもらえれば、そのルールに従って動けるんですが、就活って「ルールは自分で考えなさい」みたいなゲームじゃないですか。エントリーシートで暗に求められていることなど、明確な指示がないものについては、要領をつかむまで苦労しました。結局、「どんなに社会が変わっても食いっぱぐれないだろう」と思った教育と医療の業界に絞って、当たり障りのないエピソードや、ウケのいい話を自分でつくり、組み合わせながら就活をしていました。でも、そもそも就職したくないという気持ちがあったので、「なぜうちの会社を受けようと思ったんですか?」と聞かれたら「そこに応募ボタンがあったから」という感じですし(笑)、「同業他社の中でなぜうちを選んだのですか?」と聞かれて、変に正直に「うーん、特に理由はないですね」と言ってしまったこともあります。そんなわけですから、最後に奇跡的に1社だけ、製薬会社から内定をもらうことしかできませんでした。――しかし、光武さんはその内定を辞退して、フリーランスの予備校講師になったんですよね。それはなぜだったのでしょうか?光武:就活の段階からグダグダで、まともに社会生活を送れる自信もなく、その会社でうまく働いていくイメージができなかったんです。そこで正社員になるという選択肢しか当時はなかったんですが、「これはベストではない、選んじゃダメなやつだ」という確信があって。かといって代替案もなく、悩むうちに時間だけが過ぎていました。そんなときに、個人事業主(フリーランス)として予備校講師をやっていくという方法もあると教えてもらったんですよ。これは乗るしかないと思い、そちらの道を選びました。――そのときのことについて、ぜひ詳しくお聞きしたいです。光武:その働き方を聞いたのは、アルバイト先の社員の方とお酒を飲んでいたときでした。ちょうど悩んでいたころ、勤めていた予備校で講師の授業力コンテストの第1回が開催されて、僕は東京都で1位を取ったんです。そこで教える力を認めてもらえたのか、部長クラスの方に、「君はプロとして、十分それで食っていけるよ」「個人事業主でやるという道があるよ」と言っていただけて。「ああ、そういう道があるんだなあ」とそこで初めて知りました。その話をきっかけに、大学生講師である「学生コーチ」から「プロコーチ」という枠に契約を切り替えてもらったのが、大学4年生の12月前後でした。一応「プロ」と名乗れるようになったことで、「これでなんとか食べていけるようになるんじゃないか」と思いましたね。あれは一つの転機だったかもしれません。だから、決して「フリーランスになりたい!」と思ってなったわけではないんです。当時はフリーランスという言葉も知りませんでしたし。今振り返ると、ずっと上司がいない状態で働いてきたのは、失敗だったなと思います。「こうすればうまくいく」という仕事のノウハウや、働く上でのメンタリティまで教えてくれる人が身近にいなかったので。20代のころの自分に、そういった「ロールモデル」になる人を、きちんと見つけたほうがいいよと言いたいですね。Upload By 姫野桂自助会での経験をきっかけに、「発達障害バー」という形態を選ぶ――フリーランスの講師として働き始めた光武さんが、その仕事を続けながらも、2018年、33歳で「発達障害BAR The BRATs」を開くまでに、仕事面ではどんなことがありましたか?光武:20代のころは、理想に燃えて講師の仕事を頑張っていました。しかし、教える仕事自体は楽しかったのですが、自分がやりたいことや興味があるものと、教育ビジネスの世界で展開されるものに、すごくギャップを感じるようになってしまい…。今はそのあたりのバランスがうまく取れるようになりましたが、当時は何よりもスコアアップが求められる受験指導に対して、嫌悪感がとても強くなってしまったんです。「予備校講師の仕事が嫌だ。一刻も早く辞めたい」とまで思っていた時期もありました。Upload By 姫野桂――それが「発達障害バー」という新たな仕事のスタートにもつながったのでしょうか。光武さんは、大人になってから発達障害の診断を受けたのですよね?光武:はい。31歳か32歳のときに、ADHD、ASDという診断を受けました。心境としては、これでようやくいろんなことの説明がつくんだなと腑に落ちた感じでした。当時、妻との関係がうまくいっていなかったので、この診断が関係改善の糸口になるかもしれないという安心が一番大きかった気がします。今ならわかりますが、なんらかの形で理由が説明できようとできまいと、嫌なものは嫌ですよね(笑)。結局、妻とは離婚に至りましたが、それも発達障害バーを始める一つのきっかけにはなりました。――人が集まる開けた場をつくることは、なかなかエネルギーが必要だと思うのですが、なぜ「バー」という形式を選んだのですか?光武:それまで、既存の発達障害当事者の自助会にも参加したことがあるんですが、自分にはちょっと肌に合わないなと感じて。そのときの経験を踏まえて考えた結果です。行ったタイミングの問題や、自助会ごとの違いもあるとは思うのですが、以前ある自助会に参加したときは、僕が求めていたような内容、例えば「プライベートの人間関係で、こんなときはどうしたらうまくいく?」「仕事のこんな場面でつまずいたときはどうしたらよかった?」といった話をする雰囲気ではなかったんです。そういった具体的なハックやプライベートな話を、もうちょっと気軽な空気で話せる場所があるといいなと思ったのが、大きなきっかけですね。僕の場合は、お酒が好きなこともあり、そういった話を友達や同僚とするときはお酒の席が多かったんです。だから、バーという形態なら、ふらっと気軽に立ち寄れて、気軽に話ができるんじゃないかと思い、発達障害バーをオープンさせました。――お店を持つことに不安はありませんでしたか?光武:めっちゃありましたよ。そもそも僕、お店を持つつもりはなかったんです。最初オープンさせたのも一時的な店舗でしたし、当初はイベント的に開催して、終わらせるつもりでした。ところが、思いのほか、お店を残してほしいという声が大きかったので。何らかの形で続けられないかと模索した結果、場所を渋谷に移して営業することになりました。(※現在は新型コロナウイルス感染症の影響で休業中)自分の特性を把握し、チームでトライアンドエラーを繰り返す――昼間は講師の仕事、夜はバーに立ちつつ、2019年からはYouTuberとしての活動も始めていますよね。最近は、さらに医療系アプリのコンテンツ開発もされていると聞きました。それだけいくつもお仕事をしていても、混乱しませんか?光武:「何曜日の何時から何時までは、どこで働く」というように、曜日や時間帯でやりことを区切った働き方をしているので、自分のADHD特性にはむしろ合っているのではないかと思いますね。適度に力が分散されて、適度に違う刺激を受けられるので。僕がこうやって働いている姿を見て、不登校だった子の大学受験の家庭教師を依頼されるなど、1つの仕事が他の仕事につながることもありますし。Upload By 姫野桂――さまざまな種類の仕事を複数並行して進めていくにあたり、何か気をつけていることがあれば教えてください。光武:僕の場合、何か作業をするときにマニュアルなどをもらっても、その中の重要なポイントがわからないとミスがすごく起きやすいんですよね。逆に言えば、作業する上での最低ラインが、要点の箇条書きでいいので示されていれば問題なくできる。齟齬が生まれるとすれば、要点の解釈ミスでしょうか。今取り組んでいるアプリのコンテンツ開発では、そのあたりがうまくクリアできています。上司となるプロジェクトマネージャーの方が、「自分も指示出しが雑になってしまうから、毎日15分、絶対にミーティングで話しましょう」と提案してくれたんです。ミーティングの場では、その都度できあがったコンテンツのよかったポイントをフィードバックしてもらったり、「この点とこの点が満たせていればOKという認識で大丈夫ですか?」とこちらから確認したりしています。おかげで、作業がすごく楽にできていますね。あとは、僕は今通院も服薬もしていなくて、どうしても脳の調子に波があるんですよ。それこそコンテンツ開発でも、まったくアイデアが浮かばず、「今日は全然書けない日だな」というときもある。それでも、「次は何時にミーティングだから、それまでにこの条件さえ満たして、何本出せればいい」というのがわかっていれば、そのときは難しかったとしても、合間の時間でパパパパッと書くこともできますよね。脳の波に乗れないときはいくら考えてもダメなので(笑)、そこで悩んでもしょうがない。書けるときに書くしかないと考えて、例えば夜中の3時とかでも、「あ、今いける」と思ったら書くようにしています。そうやって、うまーくうまーくやっていますね。――たしかに、わたしも「いける!」と思ったタイミングで書くことはありますね。光武さんの場合、講師などの1人で取り組むお仕事をされている一方で、YouTube含むバー関連のお仕事はチームで取り組んでいらっしゃいますよね。そちらの働き方についてもお聞きしたいです。光武:今一緒に働いているのは、「一緒にやりたい」と言ってくれた中から最終的にチームとして残った人たちです。「協力したい」と言ってくれる人は多かったのですが、実際にチームとしてうまく機能するかどうかは、さまざまな要素や相性がかかわってきます。その人たちとは、一緒にやる中でお互い特性を探り合っていって、「ここが嫌なのか」「こういうときはこうすれば良いのか」と、トライアンドエラーを繰り返しながら、ようやくまとまってきたところです。YouTubeの仕事は、僕は現場に行って撮影される担当で、撮影や編集などの作業は別のメンバーがやっています。僕はログインパスワードすら知らないレベルの分業体制です。――そういえば、光武さんにご連絡したときも、光武さん専用の連絡フォームから担当者の方に返信をいただきました。光武:組織として、役割がかなりきっちりと分かれているんです。それぞれが得意なことやできることをなるべく多く行い、苦手なことはなるべくそれが得意な人やできる人に任せるといったような体制になっています。Upload By 姫野桂セルフモニタリングを通して、自分の「反応」を客観的に捉えると解決策が見えてくる――紆余曲折を経て現在の働き方をされている光武さんですが、進路に悩んでいる人へ向けて、何かアドバイスがあればお願いします。光武:発達障害などの特性があると、どうしても働きにくい部分はあると思うんですよ。とくに、僕にもあるような脳の波の問題は大きいのかなと。そこに関しては、「うまくいかないときもある」という、ある程度の割り切りは必要なのかなと、個人的には思います。一番大事なのは、自分がどんな場面で、どんな「反応」をするかということを、客観的に捉えることだと思うんですよね。Upload By 姫野桂光武:僕は昔から楽器を演奏するのが好きで、トランペットとピアノを長く趣味として続けています。でも僕の場合、パニック障害のような傾向があり、特定の場面で著しく緊張して音を出せなくなることがあるんです。それがなぜ起こるのか原因がわからず、苦手意識をずっと持っていたんですが、ゆっくりセルフモニタリングをして紐解くことで、そのとき自分に何が起きているか、少しずつわかってきました。例えば、「人からどう思われるかを意識して、『ここでこういうアクションをとって、こんな風に思われたら嫌だ』という考えが起こると、肩がすごく固くなるんだ」とか。そうやって自分の状態を確認していくと、悪い流れの兆候が出始めた段階で自覚ができるので、1回楽器を置いてみたり、「今はちょっとダメです」と伝えたりして、悪化を防ぐことができるようになったんです。何かあったら一旦止まって、調子が戻ったらまた練習に参加するというプレーの仕方に変わりました。そういったセルフモニタリングと、それを受けての行動の変化は、仕事の場面でも活きる部分があると思うんです。仕事でも、ある特定の場面で同じ反応が起きるようなら、セルフモニタリングをしてみて「こうやったらうまくいった」「こういうときはこんな身体の反応がある」「こんなことが頭に浮かぶと、こんな身体の反応がある」と確かめていく。大体、仕事などで失敗しやすいケースは、どこかで考え方のクセが出ていたり、失敗するようなイメージが出てしまったりしていると思うので、そこを自覚できるようになるだけでも、かなり変わってくるのではないでしょうか。そこからさらに、「前回はこうしたらこうなったから、今度はこうしてみたらどうだろう」等と、試行錯誤し、わかったことをリスト化していくと、自分の取扱説明書になると思います。――最後に、光武さんの今後の目標を教えてください。光武:ベースにあるのは、「自分自身の生活を、できる限り、もうちょっと生きやすくしたいな」ということですね。そして、自分が生きやすくなれば、多分同じようなタイプの人が生きやすくなるとも思うんです。自分より若い人に「光武ってやつがこうやってなんとなく生き延びたんだな」というのが伝わって一つのロールモデルになれば、そこを目標に頑張る人も出てくると思います。そんな人が増えれば、ちょっとずつ社会の仕組みも変わっていくかもしれません。まずは地道にコツコツ、近い感覚や考え方を持つ人を増やすのが大事なのかなと思っています。また、自分にとっての仕事は、ご飯を食べるためのツールという側面の他に、他者と関わる中で自分がやったことを残すものという側面も持つものです。「人に知られたい」というよりは、もっと自己満足に近いものなのですが、「俺はこういうことをやったんだなあ」と納得できる、形になるようなものが残せたらいいなあと思いますね。Upload By 姫野桂一見するとスーパーマンのように数々の仕事をこなしているように見える光武さんですが、その根底には発達障害ならではの特性との合致と、チームで動く仲間たちとの協力がありました。人間関係を構築することに苦手意識がある人もいるかもしれませんが、光武さんのようにトライアンドエラーを繰り返していけば、チームで動くことも可能になるのではないでしょうか。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月24日写真家・蓮井元彦の写真集『for tomorrow』の刊行にあわせた写真展「明日へ」が、東京・池ノ上のQUIET NOISE arts and breakにて2月22日から3月15日まで開催される。2003年に渡英し、Central Saint Martins College of Art and Designを経てLondon College of Communicationで写真を専攻後、2007年より東京を拠点に国内外の雑誌や広告で活動する写真家・蓮井元彦。これまでの主な写真集に『10FACES』、『10FACES 02』、『Personal Matters』、『Personal Matters Vol.2』、『Yume wo Miru』がある。写真展「明日へ」は、Libro Arteから出版される写真集『for tomorrow』の刊行にあわせた展覧会となり、会場では写真集・プリントも販売される。また、CANDLE CAFE △ll内に併設した実験スペースLaboratory △llにて、サテライト展示が同時開催される。【書籍情報】蓮井元彦『for tomorrow』出版社:Libro Arte80ページ/225×267mm/上製本価格:税込4,950円【イベント情報】写真展「明日へ」会期:2月22日〜3月15日の土日祝日のみ(平日はアポイントメント制)会場:QUIET NOISE arts and break住所:東京都世田谷区代沢2-45-2 1F時間:11:00〜20:00入場無料写真展「明日へ」サテライト展示会期:2月22日〜3月15日会場:CANDLE CAFE & Laboratory △ll住所:東京都世田谷区北沢2-37-3-2A時間:11:00~5:00(日・月・祝は18:00~)※飲食店のため1ドリンクオーダー制
2020年02月13日賀来賢人、広末涼子、井浦新らが出演する「ニッポンノワール ―刑事Yの反乱―」の6話が11月17日放送。今回は克喜の“秘密”に衝撃を受ける視聴者の声や、「3年A組」からゲスト出演した片寄涼太演じる甲斐の“その後”に安堵する反応などがSNSに上がっている。賀来さんが目的のためには手段を選ばない超エキセントリックな刑事・遊佐清春を演じる本作。10億強奪に関わったと告白した今は亡き女性刑事・碓氷薫に広末さん。清春を助ける公安部の超有能刑事・才門要に井浦さん。捜査一課長の南武修介に北村一輝。清春と薫の息子だという克喜に田野井健。清春の同僚刑事に工藤阿須加、立花恵理、杉本哲太らといった面々が共演する。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。警察署がベルムズに襲撃され、混乱の中、喜志が死亡し、殺害の疑いをかけられた清春は才門の手引きで逃走する。薫殺害の真相とニッポンノワールの拠点を探る清春は、ベルムズメンバーたちが警察病院で相次ぎ失踪しているとの情報を得て才門と共に潜入を試みる。一方、克喜が服用している薬が未認可の劇薬だと判明する。警察病院の地下に潜入、無表情で襲いかかってくる若者たちとの格闘に続きガスマスクの男を死闘の末、取り押さえる清春だが、再びニッポンノワールのマークが点滅。また記憶が蘇る。それは“克喜が人体実験に利用されていた”という衝撃的な事実だった。気がつくと才門は血だらけで瀕死の姿となっていた…というのが今回のストーリー。1話で拳銃を発砲しても平然としていた克喜。その後も暴れると驚異的な怪力を見せるその姿が様々な憶測を呼んでいたが、ここに来てそれがニッポンノワールによる人体実験のためと判明。視聴者からは「発砲に耐えたの伏線かよ」「馬鹿力ちゃんと関係あったんだ」など驚きの声が上がるとともに「これは薬で体が小さくなってる可能性が」「碓井克喜は改造人間であるという展開に…?」など克喜の正体を巡っても様々な憶測が飛ぶ。一方、ガスマスクの男との死闘で力尽きた才門には「才門さん早すぎるだろ…」「ぎゃぁああ才門さん生きてぇえええ」などの声が。また世界観を共有する「3年A組」キャストのゲスト出演も話題の本作、今回は片寄さんが登場。清春の聞き込み現場に現れた片寄さん演じる甲斐隼人は、おびえる克喜の様子を見てダンスの練習に誘い、追っ手の警官から匿う…そんな甲斐の姿に「ダンスまた始めたんか」「甲斐くんがダンス続けられててよかった」と安堵の声も上がっている。(笠緒)
2019年11月18日東京・池ノ上駅至近の線路沿いに位置するアートギャラリー&コーヒースタンド「クワイエット ノイズ アーツ アンド ブレイク(QUIET NOISE arts and break)」で、7月7日から気鋭の作家10人によるグループ展「dix vol.3」がスタートする。QUIET NOISEと、フロットサムブックス(flotsam books)の企画による「ディス(dix)」は、2016年秋に初開催され今回で3回目。本展では、オンラインブックショップflotsam booksと、アートフォトブック専門ディストリビューターのトゥエルブブックス(twelvebooks)によるポップアップショップと、小見山峻や佐藤麻優子といったフォトグラファーら10人の作品が展示される。集められた10人の作家は与えられたテーマ、“モノクローム”に沿った作品を出展。参加メンバーは、悳祐介、石井正信、井上光太郎、小見山峻、佐藤麻優子、Joji Nakamura、Norma Aratani、FACE、三吉ツカサ、吉本真大。【イベント情報】dix vol.3会期:7月7日〜29日会場:QUIET NOISE arts and break住所:東京都世田谷区代沢2-45-2 1F時間:11:00〜20:00(※土日祝のみ営業)平日アポイント制
2018年07月05日脳リンパ腫のため21日に死去した俳優・松方弘樹さんの息子で俳優の仁科克基が24日、自身のブログを更新し、松方さんへの思いをつづった。仁科は、「偉大なる役者 そして父」というタイトルで更新。「1月21日に父である松方弘樹が旅立ちました」とあらためて松方さんの訃報を報告した。続けて、「突然の事で、本当に残念で仕方ありません」と胸中を吐露。「15年以上も、会えないままの 別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです」と残念がり、「僕にとって、偉大で、大変 尊敬する 役者でした」とつづった。そして、「心から 御冥福を お祈り致します。親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と感謝と決意を記した。
2017年01月25日高橋ジョージ、仁科克基、中村昌也のバツイチ男3人が、きょう20日(19:56~22:54)に放送される読売テレビ・日本テレビ系バラエティ番組『ダウンタウンDX』の3時間スペシャルに出演。SNSで元妻の動向を知るという"バツイチあるある"を語りだす。三船美佳と離婚した高橋は「子供の日々の成長を見たいからブログをチェックしている」と告白。それで「相手(三船)が何をやっているか分かるんです」といい、ダウンタウンの松本人志は「大きめのハンカチないですか?」と、切ない話を茶化す。また、多岐川華子と離婚した仁科も「レストランに行ってるのを見て、こんなオシャレな所、デートで行ってるわって…。見て傷つく。でも気になっちゃうんですよ」と、後悔しながらチェックしてしまうことを告白。一方、矢口真里と離婚した中村だけは「絶対に見ないので…」とアピールする。
2016年10月20日静寂と喧噪が交わる東京・世田谷区の池ノ上駅至近の線路沿いに3月19日、様々なアート文化を発信するギャラリー「クワイエット ノイズ アーツ アンド ブレイク(QUIET NOISE arts and break)」(東京都世田谷区代沢2-45-2 1階)がオープンする。同ギャラリーのチーフキュレーターを務めるのは代官山 蔦屋書店のアートコンシェルジュである秀熊麻衣。東京・下北沢のカフェバー兼ギャラリー「CANDLE CAFE △II」のオーナーでもあるディレクターの井上竜介とともに、趣向を凝らしたカッティングエッジなアート展を企画していく。また、ギャラリー内にはコーヒースタンドを常設。東京・三軒茶屋のOBSCURA COFFEE ROASTERSと山梨県・韮崎にあるコクテル堂で焙煎した豆を使用したコーヒーを飲みながらアートを鑑賞することもできる。オープン第1弾企画展として3月19日から4月17日まで、水墨画家の柏原晋平による個展「灰の夢」を開催。京都・本能寺のふすま絵の制作や早乙女太一の公演「影絵」の作画など多方面で活躍する柏原晋平の最新作を一堂に堪能することができる機会となっている。【展覧会情報】「異彩の画家が描くモノクロームと春の情景 ― 柏原晋平 個展 『灰の夢』」会場:QUIET NOISE arts and break住所:東京都世田谷区代沢2-45-2 1階会期:3月19日~4月17日時間:11:00~20:00休館日:不定休
2016年03月16日