元TBSのアナウンサーで美容サロン経営者の林みなほ(34)が15日、自身のインスタグラムを更新し、芸能事務所「sai & co.」を立ち上げたことを報告した。林は「この度、芸能事務所 sai & co.を立ち上げました」と伝え「愛と情熱、全身全霊をかけて所属タレントの才能、魅力を引き出し、花咲かせます」と決意を新たにした。続けて「持ち前の猪突猛進、暴走列車力で多くの方を巻き込みながら、皆んなから愛され、応援してもらえる彩り豊かなコレクティブ(集団)となります」とし「詳細はまた後日改めて発表致します」と記した。最後は「まずは、新規事業を始めたことを今日という日にご報告したく、ここに記します」とつづり「サイアンドカンパニー、最&高で覚えてください。sai & co. 代表 林みなほ」と結んだ。林氏は2012年にTBSに入社。『ひるおび!』や『白熱ライブ ビビット』に出演していた。2016年7月にはブログを通じて、橋本氏との結婚を発表し、翌17年11月に第1子となる男児を出産。19年9月にTBSを退社し、現在はフリーアナウンサーとして活動しながら、美容サロンを経営している。22年7月に10歳年上のTBSラジオプロデューサーとの離婚を公表した。
2024年03月16日瀬尾まいこの同名小説を映画化した『夜明けのすべて』より原作者と主演の松村北斗と上白石萌音よりコメントが届いた。また瀬尾まいこ原作映画の魅力についても明かしている。「そして、バトンは渡された」で2019年本屋大賞を受賞した瀬尾まいこの原作小説を、『ケイコ 目を澄ませて』の三宅唱監督が映画化した本作。松村北斗と上白石萌音が映画初共演&W主演を務め、お互いに最高の理解者となる特別な関係性を演じる。瀬尾まいこの作品は家庭や学校など身近な舞台で、人と人の繋がりや絆を題材に優しい物語を紡ぐことで多くの読者の心を掴んでおり、第16回本屋大賞を受賞した「そして、バトンは渡された」(2019)をはじめ、吉川英治文学新人賞を受賞した「幸福な食卓」(2004)、「僕らのごはんは明日で待ってる」(2012)など、数多くの著書が映像化されている。これまでの映画化作品の紹介とともに、映画化にあたり表現の変化もあった映画『夜明けのすべて』が織りなす“瀬尾まいこならではの世界観”の魅力について、原作者の瀬尾氏をはじめ松村北斗・上白石萌音のコメントで紐解く。『僕らのごはんは明日で待ってる』(2017)“食”を通して描かれる正反対のふたりの7年間。平凡だけど温かいかけがえのない日常に瀬尾氏らしさが溢れる。「Hey! Say! JUMP」の中島裕翔が主演、新木優子がヒロインを演じ、『箱入り息子の恋』の市井昌秀が監督・脚本を務めた。無口な高校生・葉山亮太(中島裕翔)は、明るく思ったことを何でも言ってしまう自分とは正反対のクラスメイト・上村小春(新木優子)から突然告白をされる。次第に彼女の明るさに惹かれて付き合い始め、そんなふうに始まった恋は、2人が大学生になっても続いていたが、ある日突然小春から別れを切り出される…。瀬尾作品には、登場人物たちの“生活”を連想させる“食”が多く登場するのだが、本作でも、運動後のスポーツ飲料、2人がデートするファミレス、手作りのフライドチキンなど、亮太と小春の周りには身近な“ごはん”がたくさん登場する。“食”を通して丁寧に描かれる2人の平凡だけどあたたかい日常のかけがえのなさが、原作・映画ともに多くの人から支持されており、瀬尾作品らしさに溢れた作品となっている。『そして、バトンは渡された』(2021)血のつながらない家族を通して描かれる、人と人とのあたたかな繫がりと多幸感に優しい涙がこぼれ出す。永野芽郁、田中圭、石原さとみの共演で『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』の前田哲が映画化。優子(永野芽郁)は血のつながらない親の間をリレーされ、これまで4回も苗字が変わった。いまはわけあって、料理上手な義理の父・森宮さん(田中圭)と2人で暮らしている。一方、何度も夫を変えながら自由奔放に生きている梨花(石原さとみ)は、泣き虫な娘みぃたんのママになり精いっぱいの愛情を注いでいたが、突然愛娘を残して姿を消してしまう…。家族をテーマにした作品が多い瀬尾作品の中でも、本作では血のつながらない子への無償の愛が描かれており、命をかけた切ない嘘と秘密がとにかく泣けると話題に。瀬尾まいこファンである上白石萌音は文庫版「そして、バトンは渡された」の解説で、「作品を読み終えた後の多幸感は、家族揃って『ごちそうさま』をするときの気持ちとどこか似ている」とコメントを寄せており、瀬尾作品が多くの人々に愛される理由は、人と人の繋がりをあたたかく描きながら読者や観客に優しく寄り添うことで生まれる、この多幸感にきっとあるのだろう。『夜明けのすべて』(2024年2月9日公開)映画完成前には「映画化され、物語の世界に触れられることをうれしく思います。また、見ていただいた方にとってほのかな光がちりばめられた温かいものになればいいなと楽しみです」と期待のコメントを寄せていた瀬尾氏から、完成した映画についての新規コメントが到着した。「何よりも温かな心地のいい作品だと思いました。無理に盛り上げたような大げさな部分が一切なくそっと心に寄り添ってくれるような映画で、それでいてひきつけられる作品でした。そばに置いておいて、いつでも手に取りたくなる。そんな映画でした」と本作を絶賛。自身の実体験を重ね合わせて執筆した原作の映画化だが「主人公たちの真面目でひたむきなのにどうにもできない気持ちがあり、それなのに、その二人のやり取りがどこかおもしろくいつまでも聞いていたくなる雰囲気は原作と似ていると思いました」と、松村さんと上白石さんが演じる山添くんと藤沢さんの姿を小説のキャラクターたちと重ねながら、あたたかく見守っている。また、映画化にあたり小説にはない映画オリジナルの表現を取り入れた本作。「原作と違う場面も、話をより深く、より温かくするためのもので、とても素敵だと思いました」と瀬尾氏は語り、山添くんを演じる松村さんは「小説からいろいろ変更した点も多く驚きましたが、今思うと、大胆に変えた部分があったからこそ、小説で届けたかったものが全部伝わってきたのかもしれませんね」と好意的にふり返る。藤沢さんを演じる上白石さんは原作の大ファンでもあるが、「あの展開には驚きました。でもできあがった映画を見たら、このラストシーンでよかったと心から思いました」と三宅唱監督の決断に心服した様子で映画についてコメントしている。それぞれの生きづらさを抱える山添くん(松村北斗)と藤沢さん(上白石萌音)が、「簡単に分かり合うことはできないけれど、救い合うことはできる」という関係を築いていく本作。瀬尾氏は「『それでも私たちは救いあえる』と言う表現はとても素敵だと思います。友情や恋愛などという言葉をつけなくても、そばにいる人を救えることはたくさんあるし、そばにいる人に救われることもたくさんあると思います」とコメントを寄せている。『夜明けのすべて』は2024年2月9日(金)より全国にて公開。(シネマカフェ編集部)■関連作品:僕らのごはんは明日で待ってる 2017年1月7日より全国にて公開©そして、バトンは渡された 2021年10月29日より全国にて公開©2021 映画「そして、バトンは渡された」製作委員会夜明けのすべて 2024年2月9日より全国にて公開©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会
2023年12月10日山からの清流が流れる大川温泉でみる神秘的なほたるの舞、幻想的な提燈の灯火。都会の喧騒を離れ、幽玄なひとときをお過ごしください。第21回ほたる観賞の夕べ2023年も開催します!一般社団法人東伊豆町観光協会(所在地:静岡県賀茂郡東伊豆町:代表理事 加藤昌利)は2023年5月26日(金)~6月4日(日)の10日間、わさび育つほたるの町、大川温泉にて第21回を数える「ほたる観賞の夕べ」を今年も開催します。イベント会場の大川温泉・竹ヶ沢公園は「静岡県のみずべ100選」にも選ばれ池の水面に光が映り込み揺れる蛍火の光景に癒されます。期間中は公園の入り口で提灯をお貸出しております。和装に似合い蛍に優しい灯りを持ち散策をお楽しみ下さい。散策路の最後には昔ながらの縁日風に「ほたる市」が開催されます。特産品や屋台も同時にお楽しみいただけます。第21回ほたる観賞の夕べチラシほたる観賞の夕べ23表_merged.pdf : イベント概要◆イベント名第21回 ほたる観賞の夕べ◆イベントの内容竹ヶ沢公園やわさび田のある散策路(約800m)でのほたるの観賞がメインとなります。散策路の各所にほたるが生息していますので、自由にご観賞ください。*ご散策の流れ無料シャトルバスで竹ヶ沢公園入り口へ移動➡公園入口で降車➡公園内やわさび田を経由する散策路(約800m)にて自由観賞➡散策路を下りきるとほたる市(夜店広場)&帰りのシャトルバス乗り場へ到着➡無料シャトルバスに乗車し駅や駐車場まで移動(徒歩でのお帰りも可能)◆開催日2023年5月26日(金)~6月4日(日)19:30 ~ 21:00(雨天中止)◆開催場所静岡県 賀茂郡 東伊豆町 大川846-9大川竹ヶ沢公園◆ご参加どなたさまでもご入場頂けます。ただし散策路が800mほどございますのでご了承ください。◆ほたる育成金ご来場のお客様に、育成環境維持のため「ほたる育成金」へのご協力をお願いしております。おひとり様 / 300円~ほたる舞う清流の景色を一緒に守ってくださると嬉しいです。◆公式HP以下のリンクをご参照ください。Home | E-izu : 地図 : ほたる観賞の歴史「ほたる観賞の夕べ」は、大川温泉でのはじめての開催から30年以上が経ちます。当時からほたるが定着するほど水質が綺麗で天城山脈の麓であり光害も少ない土地です。伊豆大川は山葵栽培もできる場所であり、観光のお客様と一緒にこの土地の環境を味わい守っていくことを目指しイベントとしてご案内を始めました。会場ではほたる育成のための協力金を募っており、環境整備を行っています。大川に住むゲンジボタル大川竹ヶ沢公園大川のほたる観賞の特徴1 大川竹ヶ沢公園竹ヶ沢公園のほたる観賞の特徴は、何と言っても池の水面にもホタルの光が映り込むことで、水面に気ままに揺れる蛍火の美しい光景に癒されます。2. ちょうちんウォーク竹ヶ沢公園の入り口で提灯をお貸出ししております。提灯をさげてほたるを探してみましょう。幻想的な蛍火と提灯の柔らかい光が心地良いです。清流のせせらぎで和装に似合う風情豊かな日本の夏を五感で堪能してください。3. ほたる市(夜店広場)散策路の出口には昔懐かしい夜店が並びます。・大川特産のわさび漬け・お子様に大人気のおもちゃ屋・特産品の柑橘の販売などお楽しみください。4. ほたるシャトルバス運行会場は混雑防止とほたるのストレス軽減のため車両通行制限をしています。臨時駐車場や伊豆大川駅前を経由するシャトルバスを無料で運行しておりますので是非ご利用ください。ちょうちんウォークシャトルバス運行ご宿泊のお薦め東伊豆町観光協会加盟施設&イベント協賛施設の送迎について加盟施設では旅館の送迎車で散策路の入り口まで送迎可能な場合がございます。加盟施設の確認や送迎の可否はお泊りの施設にご確認ください。宿泊施設➡送迎車へ乗車➡散策路入り口(徒歩)➡夜店広場➡広場から送迎車乗車➡宿泊施設交通・アクセス◆お車でお越しの場合「海駐車場(35台)」 にお停めください。海駐車場➡シャトルバス乗車➡散策路入り口(徒歩)➡夜店広場➡広場からシャトルバス乗車➡海駐車場*イベント用臨時駐車場について「海駐車場」が満車になった場合その他の臨時駐車場を開放してご案内いたしますので海駐車場のスタッフにお声がけください。◆公共交通機関のご利用伊豆急行線「伊豆大川駅」で降車してください。改札出口の前からシャトルバスに乗車してください。シャトルバス乗車➡散策路入り口(徒歩)➡夜店広場➡広場からシャトルバス乗車➡「伊豆大川駅」前*なお、タクシーは散策路までの進入はできません。「海駐車場」で降車してください。またタクシーは各所で待機することもできませんので、お帰りの際は改めてタクシー会社へご連絡ください。交通・アクセス(チラシ裏面)会社概要社名:一般社団法人 東伊豆町観光協会代表者:代表理事加藤昌利所在地:静岡県賀茂郡東伊豆町稲取33541F設立:2015年3月URL : お問い合わせ先一般社団法人 東伊豆町観光協会営業:9:00~17:00(祝日休業)TEL:0557-95-0700Mail : info@e-izu.org 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年04月25日瀬尾まいこ原作『夜明けのすべて』が映画化。松村北斗、上白石萌音W主演で2024年2月9日(金)より公開される。瀬尾まいこのロングセラー原作小説を映画化原作小説『夜明けのすべて』は、瀬尾まいこによる小説。映画化もされた『そして、バトンは渡された』で2019年本屋大賞を受賞後第1作目として発表された作品で、ロングセラーとして支持を集め、累計発行部数は9刷5万2千部を突破している。瀬尾まいこ自身のパニック障害の経験をモチーフにしつつ、人には理解されにくい症状を抱え、生きづらさを感じながら社会生活を送る山添と美紗の物語を優しくほっこりとした文章で綴った作品だ。松村北斗&上白石萌音がW主演映画『夜明けのすべて』では、人から悩みを理解されず生きづらさを抱える山添と美紗を、SixTONESの松村北斗、上白石萌音がW主演で演じる。松村北斗、上白石萌音は、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で夫婦役を演じて以来、再共演。互いの事情と孤独を知り、素の自分で関わり合うことで、少しずつ希望を見出していく2人の奮闘ぶりに注目だ。山添孝俊役…松村北斗以前は仕事も恋も順調だったが、パニック障害を患ったことで人生が一変。生きがいも気力も失い、電車や美容室など逃げ場がない場所に行けなくなってしまった。山添を演じるのは、SixTONESのメンバーとして活躍する一方、俳優として映画『ホリック xxxHOLiC』など話題作に出演が続く松村北斗。『すずめの戸締まり』では声優に初挑戦し、話題を呼んだ。藤沢美紗役…上白石萌音普段はおおらかな性格であるが、PMS(月経前症候群)によって月に一度、イライラが抑えられず、怒りを爆発させてしまう。転職してきた同僚・山添に対し、怒りを爆発させてしまうが、実は山添がパニック障害を患っていたことを知る。美紗を演じるのは、橋本環奈とW主演を務めた舞台『千と千尋の神隠し』をはじめ、映画・ドラマ・舞台、そして歌手としても精力的に活動する上白石萌音。栗田和夫…光石研山添くんと藤沢さんが勤める栗田科学の社長。藤沢倫子…りょう藤沢さんの母。辻本憲彦…渋川清彦山添くんの前の職場の上司。大島千尋…芋生悠山添くんの恋人。岩田真奈美…藤間爽子藤沢さんの友人。監督は三宅唱映画『夜明けのすべて』の監督・共同脚本を手掛けるのは、三宅唱。映画『ケイコ 目を澄ませて』が第72回ベルリン国際映画祭ほか21の映画祭に出品されるなど、国内外で絶賛を浴びた三宅唱が、16mmフィルムを駆使して『夜明けのすべて』を映像化。原作にオリジナルの要素を加えつつ、生きづらさを抱えながらも少しずつお互いの殻を溶かし合っていく2人の姿を温かく、リアルに、ときにユーモラスに映し出す。映画『夜明けのすべて』あらすじ月に一度、PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなくなる藤沢美紗は、転職してきたばかりなのにやる気がなさそうな同僚・山添孝俊の些細な行動によって、怒りを爆発させてしまう。自己嫌悪に陥る美紗だったが、実は山添がパニック障害を患い、様々なことをあきらめていたことを知る。職場の人たちの理解に支えられながら、友達でも恋人でもない、どこか同志のような特別な気持ちが芽生えていく二人。いつしか、自分の症状は改善されなくても、相手を助けることはできるのではないかと思うようになる。【作品詳細】映画『夜明けのすべて』公開時期:2024年2月9日(金)出演:松村北斗、上白石萌音、渋川清彦、芋生悠、藤間爽子、久保田磨希、足立智充、りょう、光石研原作:瀬尾まいこ『夜明けのすべて』(水鈴社 刊)監督:三宅唱脚本:和田清人、三宅唱製作:『夜明けのすべて』 製作委員会企画・制作:ホリプロ制作プロダクション:ザフール配給:バンダイナムコフィルムワークス=アスミック・エース
2023年02月16日2021年に亡くなった尼僧で小説家の瀬戸内寂聴さんの秘書、瀬尾まなほさんは、2023年2月6日にInstagramを更新。瀬尾さんは、寂聴さんの関係者を語った詐欺への注意を呼び掛けました。投稿によると、寂聴さんの関係者や後継者を名乗り、投資話を持ち掛けたり、瀬尾さんの名前を使い、金銭の授受を要求したりする詐欺行為の相談が寄せられているといいます。 この投稿をInstagramで見る 瀬尾まなほ(@manaho_seo)がシェアした投稿 多くの人の悩みに寄り添い、その発言にも影響力があった、寂聴さん。著名人の名前を聞くことで相手を信頼し、詐欺の被害に遭ってしまうケースは少なくありません。瀬尾さんは「実際の関係者、また、私瀬尾まなほが、金銭の授受に関係するお話を持ちかけたり、メールや電話をすることは絶対にありません」とつづっています。著名人の肩書きを悪用する詐欺は後を絶ちません。もし、少しでも違和感を抱くような連絡があったら、まずは警察に相談をしたほうがいいでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年02月06日瀬尾タクヤプロデュース『ニュー熱海国際ホテル2022』が2022年12月24日(土)~12月31日(土)にシアターサンモール(東京都新宿区新宿 1-19-10 サンモールクレスト B1)にて上演されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて10月29日(土)12:00より先行発売開始です。カンフェティにて10月29日(土)12:00よりチケット先行発売開始 舞台特設サイト 瀬尾タクヤプロデュースTwitter(@seopuro_info) 瀬尾タクヤプロデュース 第三弾! 舞台「ニュー熱海国際ホテル 2022」演劇界に激震を与えたあの話題作『ニュー熱海国際ホテル 2022』が帰ってくる!脚本の北野貴章氏とタッグを組み、昨年上演した作品を、一部キャストを新たに再演が決定!俳優瀬尾タクヤが主宰・演出・出演を兼ねる瀬尾タクヤプロデュース第三弾!主演には『DARKNESS HEELS~THE LIVE~2022』、『音楽劇ジェイド・バイン』等、話題の舞台に数々出演している谷佳樹を迎え、ヒロインには HKT 卒業後初舞台である松本日向。仮面ライダーリバイスへ出演中の実力派俳優高橋良輔、声優界からは赤尾ひかる、小原莉子がダブルキャストで参戦し、演技に定評のある木﨑ゆりあ、一世を風靡した芸人アンゴラ村長、動物電気の看板俳優小林けんいちと、個性が強すぎるメンバーでお送りするハプニングコメディ!<あらすじ>今年創業 50 年を迎える「ニュー熱海国際ホテル」。しかし、今やバブルの頃に見せた活気はなくコロナの影響もあって 2022年をもってその歴史に幕を閉じることになった。広報担当・本田(谷佳樹)は、最後にイベントを開催してホテルの最後を盛り上げようと奮闘するが、事態はとんでもない方向に向かってしまう・・・!これはリアルか演劇か?!昨年大反響を呼んだあの伝説のハプニング演劇が再び幕を開ける!脚本に北野貴章氏を迎えお届けする瀬尾タクヤプロデュース第三弾!乞うご期待!コメント【谷佳樹】2022 年は過去を振り返ってみても、濃いニュースが飛び交う年だったなと感じる年でした。毎日のように慌しく飛び込んでくるニュースを目にし耳にした年の最後にパニックコメディー化学反応なのか闇鍋なのかカオスなのか一切予想出来ないですが、あらゆるジャンルのキャストの方々が集まるのだから他には無いパニックコメディーをお届け出来たらと思います。2022 年の締めくくりにピッタリのような作品になるように、そして笑って年を越せるように、皆さんと一丸となって挑めたらと思います。【松本日向】初めまして松本日向です!私はこの作品で舞台初挑戦になるのですが、出演が決まった時からドキドキが止まりませんでした。しかも“パニックコメディ”という一風変わった新しいジャンルへの挑戦ということで、舞台上で何が起こるのか常にハラハラしながらお客さんと一緒に楽しみたいと思います!そして、大先輩の共演者の皆様からたくさん学ばせていただき、皆様と一丸となって素敵な作品を作り上げられるように精一杯頑張ります!公演概要瀬尾タクヤプロデュース『ニュー熱海国際ホテル2022』公演期間:2022年12月24日(土)~12月31日(土)会場:シアターサンモール(東京都新宿区新宿 1-19-10 サンモールクレスト B1)■出演者谷佳樹松本日向高橋良輔赤尾ひかる(W キャスト)小原莉子(W キャスト)木﨑ゆりあアンゴラ村長(にゃんこスター)瀬尾タクヤ小林けんいち(動物電気)■スタッフ脚本:北野貴章演出:瀬尾タクヤ音楽:西山宏幸美術:多賀慧照明:野口りさ(アルティプラノ)音響:中島有城(mintAvenue inc.)舞台監督:角田晃一(カラスカ)宣伝美術:松谷ヒロキ宣伝衣装:吉川佑香ヘアメイク:aico特殊造形:宮崎宏康演出助手:平井隆也(吉祥寺 GORILLA)制作:瀬尾里奈企画・製作:瀬尾タクヤプロデュース協力(敬称略・50 音順)株式会社アイムエンタープライズ、株式会社アーチザン、アルティプラノ、株式会社ウェーブマスター、カラスカ、吉祥寺 GORILLA 、krei 株式会社、THECOO 株式会社、株式会社 G-STAR.PRO、TWO-FACE、株式会社 TRUSTAR、有限会社ノックス、mintAvenue inc.、株式会社ワタナベエンターテインメント■公演スケジュール12/24(土) 19:00☆12/25(日) 13:00☆ 18:00☆12/26(月) 19:00☆12/27(火) 19:00★12/28(水) 19:00★12/29(木) 19:00☆12/30(金) 19:00★12/31(土) 13:00 ★ 17:00★☆小原莉子 ★赤尾ひかる■チケット料金先行販売 8,500 円一般前売り 8,500 円※全席指定・税込み☆イベント割チケット8,500 円→6,800 円(イベント割引価格・定価から 20%引き) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年10月27日瀬尾一三「ほぼ日の學校」で、中島みゆきの名曲「糸」の編曲(アレンジ)が生まれるまでを語る!今月2日に発売した大ヒット中の中島みゆきの最新アルバム『中島みゆき 2020ラスト・ツアー「結果オーライ」』には13年ぶりに披露された「糸」が収録されている。2004年のBank Bandのカバーから話題となり、これまでAimer、EXILE ATSUSHI、クリス・ハート、JUJU、福山雅治、平原綾香、他100を超えるアーティストがカバーしている名曲だ。動画サービス「ほぼ日の學校」では「糸」のアレンジが生まれるまでの全貌を、本家、中島みゆきの音楽プロデューサー瀬尾一三が語った授業が本日公開された。「ほぼ日の學校」は、「人に会おう、話を聞こう。」をコンセプトに、谷川俊太郎をはじめ、林真理子、三谷幸喜、笑福亭鶴瓶、など作家や芸能の文化人からスポーツ選手、料理人他、様々な分野の方が講師として登場する「人から学ぶ場」だ(有料サイト*1か月の無料体験有)。本日と3月4日、前後編の2回に分けて、『中島みゆき「糸」のアレンジが生まれるまでー裸の曲に服を着せる瀬尾一三の仕事とは』と題して授業が公開されることとなった。本日公開された授業では「糸」のアレンジだけに話は留まらず、今まで語られることがなかった中島みゆきの超絶な一発同録レコーディングについて克明に語られている。また自身の体験を通して語られる編曲家、音楽プロデューサーについて、さらには「不完全なもの」が心をゆさぶるヒットの神髄にまで話が及んでいて実に濃い内容となっている。中島みゆきのファンだけでなく、音楽ファンもぜひチェックしてもらいたい。有料サイトではあるが、1か月の無料体験もあるので興味が沸いた方はぜひ「ほぼ日の學校」を覗いてみてほしい。「ほぼ日の學校」瀬尾一三の授業(前編) 『中島みゆきの「糸」のアレンジが生まれるまで』自伝的書籍『音楽と契約した男瀬尾一三』の重版も決定! 瀬尾一三を知らずに、日本の音楽シーンは語れない音楽と契約した男瀬尾一三中島みゆきをはじめ、吉田拓郎、長渕 剛、德永英明 等を手がけた伝説の音楽プロデューサー瀬尾一三の自伝的書籍『音楽と契約した男瀬尾一三』は2020年コロナ禍の直前に発売。以降、重版を重ね4刷目と好評。今回も約2900曲に及ぶ作、編曲リストも更新された。本書では1969年から音楽活動をはじめ「22才の別れ」(かぐや姫/1974)「「いちご白書」をもう一度」(バンバン/1975)「オリビアを聴きながら」(杏里/1978)「とんぼ」(長渕剛/1988)「壊れかけのRadio」(德永英明/1990)「糸」(中島みゆき/1992)「泣いてもいいんだよ」(ももいろクローバーZ/2014)等々、時代を創った数々のヒット曲を生み続けた瀬尾が対談を軸に語られる「編曲手法」や「アーティストコミュニケーション」。そして「音楽」に身を捧げることで近づくことができた「真(ほんとう)の音楽プロデュース」と、その結果として生まれたヒット曲の秘密に迫っている。瀬尾一三×萩田光雄、松任谷正隆、山下達郎、亀田誠治とのスペシャル対談を収録!『音楽と契約した男 瀬尾一三』では、日本を代表する現役の作・編曲家の萩田光雄、音楽プロデューサーで、松任谷由実のプロデューサー松任谷正隆、竹内まりやのプロデューサー山下達郎、椎名林檎、他のプロデューサー亀田誠治、4名との貴重なレジェンド・スペシャル対談が収録されている。J-POPシーンの黎明期から活躍する瀬尾がどのように彼らと関わり、瀬尾を含め現在も一線で活躍する各々がどのようなプロデュースをしてきたのか、リアルな声を通して日本の音楽プロデュースの「現在(いま)」を浮き彫りにしている。この書籍がほぼ日のプロデュサーの目に留まり、「ほぼ日の學校」の企画へと発展、授業の実現へとつながっている。是非、「ほぼ日の學校」の授業をきっかけに、書籍にも手を伸ばしてほしい。■ほぼ日「學校」『中島みゆきの「糸」のアレンジが生まれるまで』URL 『中島みゆきの「糸」のアレンジが生まれるまで』【その他作品概要】■瀬尾一三書籍タイトル:「音楽と契約した男瀬尾一三」仕様:A5判/340ページ定価:2,750円(10%税込)発売日:2020年2月10日商品コード:GTB0196305ISBN:978-4-636-96305-2・書籍:『音楽と契約した男 瀬尾一三』特設ページ ■瀬尾一三関連CD『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』 『時代を創った名曲たち~瀬尾一三作品集SUPER digest~』1~3 【瀬尾一三プロフィール】瀬尾一三/せおいちぞう作曲家、編曲家(アレンジャー)、音楽プロデューサー、音楽監督今までの作・編曲は約2,900曲。1947年9月30日生。兵庫県出身。1969年フォークグループ「愚」として活動。1973年ソロシンガーとしてアルバム『獏』を発売。同年に『LIVE`73』を吉田拓郎と共同プロデュース。その後、中島みゆきをはじめ、吉田拓郎、長渕 剛、德永英明他、100をゆうに越えるアーティストたちの作品のアレンジ(編曲)やプロデュースを手掛け、34年目の音楽パートナー中島みゆきにおいては楽曲制作のみならずコンサート、『夜会』、『夜会工場』の音楽プロデュースも務めている。2017年、自身初の作品集第1弾『「時代を創った名曲たち」~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』を発売し、コンピレーションとしては異例の1万枚出荷と好評を博す。2019年に第2弾、2020年に第3弾が発売。2020年自伝的書籍『音楽と契約した男瀬尾一三』を出版。お求めは、全国ヤマハ特約楽器店・書店または弊社オンラインショップ >まで。【本商品に関するお問い合わせ】(株)ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス ミュージックメディア部問い合わせフォーム: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年02月28日100歳の夢も語っていた瀬戸内寂聴さんの逝去は多くの人を驚かせた。寂聴さんの身に何が起こったのか。秘書・瀬尾まなほさんによれば、始まりは9月の肺炎による入院だったという。「何か腹が立つことがあって、『絶対に先生に言おう!』と思ったとき、書斎を整理していて、原稿やゲラに書いてある先生の字を見たとき……、『ああ、もう先生はいないんだな』と、思い出してしまって、無性に悲しくなります。車を運転しているとき、夜中に目が覚めたとき……、『先生に会いたい』と、思わずつぶやき、涙があふれます。いまも先生が遠くに行ってしまったという実感が湧きません。心をどこか遠くに置いてきたような、体だけ機械的に動いているような、そんな感覚で日々を生きています。なぜか私は瀬戸内先生が103歳ぐらいまで生きると勝手に信じ込んでいて、先生も『103までは生きそうだね』と、そんなことを言っていました。だから私もこんなに突然お別れがやってくるとは考えていなかったのです」11月9日に瀬戸内寂聴さん(享年99)が逝去してから10日ほどたったころ、“66歳年下の秘書”として知られる瀬尾まなほさん(33)が本誌の取材に初めて応じてくれた。寂聴さんの大往生は多くの人々に衝撃を与えたが、いちばん喪失感にさいなまれているのは瀬尾さんだろう。瀬尾さんが大学を卒業してすぐに寂聴さんの秘書となってから10年。2人は、小説家と秘書という言葉だけでは言い表すことができない強い信頼関係を築きあげてきたからだ。寂聴さんの知人のなかには、「90歳を超えた寂聴さんがあれだけ元気に活動しているのは、若い秘書さんといつも笑いあっているからだ」と、語る者もいた。そんな瀬尾さんが“先生との最後の日々”を初めて語る――。「99年の生涯で、いろいろなことに挑戦してきた先生ですが、いま振り返ると、最後の最後、ぎりぎりまで作家として生きたのだな、と思います。朝日新聞のエッセイの連載や、『週刊朝日』の横尾忠則さんとの往復書簡の連載も楽しんで書いていました。でも特に、文芸誌の2本の連載について語るときは目が輝いていました。『群像』(講談社)の『その日まで』と『新潮』(新潮社)の『あこがれ』です。99歳でも文芸誌2誌に連載を持っているということは先生にとって誇りだったのでしょう。“その日まで”とは、文字どおり先生の“最後の日まで”という意味で、1月には単行本が発売されることになっています。そんな先生が楽しみにしていたのは、ご自身の文学全集の刊行でした。20年ほど前に新潮社から『瀬戸内寂聴全集』として20巻が刊行されたのですが、来年からその続きが出ることが決まっていたのです。実は7月ごろに私が聞き手になって、先生に質問をした内容をまとめた『今を生きるあなたへ』(SBクリエイティブ)が12月中旬ごろに出版される予定です。それに私が共同通信で連載しているエッセイ(※「まなほの寂庵日記」)も『寂聴先生に教わったこと』(講談社)として一冊にまとまることになっています。『来年は先生も私も忙しくなりますよ!なにせ先生が(5月に)100歳になる年ですから。コロナ禍がおさまっていたら、盛大に100歳のお祝いもしましょうね。新潮社から全集も出ますし、(宣伝も)がんばりましょうね。あっ、私の本もいっしょに宣伝してくださいね(笑)』そうお願いしたら、先生が『あとがきでも何でも書いてあげるよ!』と、言ってくださったことも、思い出になってしまいました。増補された立派な文学全集が、書店の棚に並んでいる光景を先生には見てもらいたかったです」■9月に風邪をこじらせて肺炎で入院今年5月に掲載された本誌のインタビューでも、新しい長編小説の構想を温めていることなど、100歳への意気込みを語っていた寂聴さん。だが体調に異変が生じ始めたのはこの9月だったという。「風邪をこじらせた肺炎で入院したのです。以前の元気な先生であれば風邪をひいても、風邪のままで治っていたものが、入院という事態になったことに少し不安を感じたことは確かです。『これからは熱が出たり、ちょっとした体調不良があったりしたら、いままで以上に注意しなければいけないな。先生もそういった年齢になったのだな』と、さらに気を引き締めました。それでも9月の入院は、これまで経験してきた入院と同じような感じで、特に緊迫感はありませんでした。先生は大のコーヒー党で、『飲みたい、飲みたい』と言いますから、病院に行くと必ずコーヒーを入れていました。それにシュークリームを添えて出すと、喜んでくれたのです」人に会うのが大好きだった寂聴さんだが、コロナ禍のなかで、人と会うことも2年間控えていた。そんな寂聴さんを楽しませていたのが、瀬尾さんの長男の成長だったという。「今年12月に2歳になるのですが、息子はしっかり意思表示をするタイプのようです。最近の先生はリハビリで廊下を歩くのも面倒くさがるほどでした。でも息子は寂庵に遊びに行くと、そんな先生を小さな手で引いて連れ回していました。台所にある椅子に座っていた先生を、応接の和室に連れていったり、先生の寝室に連れていったり……。いつもだったら『もうしんどいよ~』と言って嫌がったでしょう。でも先生は息子といっしょだと、お互いを支えるようにしながらうれしそうによく歩いていましたね。先生は『この子、私に命令してくるんだよね』と、言いながらも、『すごく意思がはっきりしている』『この子は生きぬく力を持っている』と、いっぱい褒めてくれたのです。だから9月に入院したときも、よく息子のことが話題になっていました。毎日話すのは、息子がいつしゃべり始めるかということ。先生は息子とおしゃべりすることも楽しみにしてくれていたと思います。これは先生が一度退院したときの話なのですが、息子にこんなふうに話しかけていました。『ママが早く2人目の赤ちゃんを産んでくれて、あなたがお兄ちゃんになるといいね』と――」■「病院で死ぬのは嫌だ。寂庵で死にたい」9月末に退院した寂聴さん。しかし5日後には再入院することになった。「10月に5日間だけ寂庵に帰ってきたとき、いつもの台所の椅子から庭を眺めながら、『やっぱり病院で死ぬのは嫌だ。寂庵で死にたいね』などと言っていましたが、本人もそれほど真剣に考えていたわけではなかったと思います。確かに先生はこれまで何度も入院していますが、そのたびに不死鳥のように回復し、仕事を続けてきました。ですから再入院でも私たちスタッフは、『今回は、いつごろ退院できるかな』ぐらいに考えていたのです。先生も退院に向けての歩行のリハビリを続けながら、『早く、寂庵に帰りたいねぇ』と、繰り返し話していました。あまり帰りたいと言い続けるものですから、お医者さんも『じゃあ、もう退院しましょうか』と、おっしゃっていたほどです。いまも不思議に鮮明に覚えている会話があります。『マスクの上の、目からおでこがすごくきれいだね』、そう先生が何度も言ってくださったのです。それで私も『先生、マスクで見えないですけれど、口角の上がっている唇もいいんですよ(笑)』、そうお返事しました」退院を希望し続けていた寂聴さんの体調が急激に悪化したのは10月末だった。「急変する前日まではふつうにお話ししていたのです。夜になって私が病院を出るとき、『明日また来ますね』とご挨拶して、先生が『ありがとう』と……。先生と私は2人ともおしゃべりですから、この10年間ですごい数の会話をしてきたと思います。ですが、このやりとりが私と先生の“最後の会話”となってしまいました。翌日からは、しゃべるのもしんどそうで、意思表示も私が話しかけたことに、うなずいたり首を振ったりということになりました。入院中はひまなので、ご友人たちとは病室でスマホでおしゃべりしていたのです。それもできなくなり、『寂聴さんの携帯電話が通じないのですが……』と、心配したご友人たちから、寂庵に問い合わせのお電話がかかってくるようになりました。電話の呼出し音が聞こえなかったのか、私がかけてもそうでした。容体がよくならないため、先生の娘さんも駆けつけてきて、いつも誰かが、ベッドのそばに付き添うようになったのです。11月8日の夕方、先生と私が病室で2人きりになったことがあります。そのときはベッドで横になっている先生にいろいろなご報告をしました。先生がお留守の寂庵で起こったできごと、先生がかわいがってくれた私の息子のその日の様子……」寂聴さんが旅立ったのは、それからおよそ半日後の、11月9日6時3分だった。「連絡があって、いま寂庵に勤めているスタッフ全員が病院に駆けつけ、娘さんとともに看取らせていただきました。苦しまなかったので、まるで眠っているような、いまにも起きてきてくれそうな、本当にいいお顔でした。いま考えても、あの日の夕方に先生と2人だけの時間が持てたことは本当によかったと思います」■最後まで遺言を書かなかった寂聴さん寂聴さんが名誉住職を務めていた岩手県・天台寺には記帳のために大勢の人が訪れた。また12月9日(木)13~16時、京都の曼陀羅山寂庵では「偲ぶ会」が開催される。式典はなく、寂聴さんを慕う人たちが焼香をするための会だという。寂聴さんと瀬尾さんの対談集『命の限り、笑って生きたい』(光文社)のあとがきには、寂聴さんのこんな言葉も掲載されている。《「周りが迷惑するから、早く遺言を書いてください」、会計士の先生と顔を合わせるたびに、そうせっつかれているんですけれど、いざ遺言を書こうとすると次々と事件が起こるから、全然書く暇がない。結局、書けないんじゃないかしら》「法話の会でも遺言についてお話ししていましたが、先生は正式な遺言も覚書も残してくれなかったので、今後のことを決めるのは大変です。密葬は身内だけで寂庵で済ませました。お骨は、お墓を作った天台寺には納めると思いますし、故郷の徳島にも分骨することになると思います。決まっていないのは私自身の今後も同じです。先生が、『まなほには才能があるのだから、(文章を)書いていく覚悟を決めなさい』と、真剣な表情でおっしゃってくださったことを昨日のことのように覚えています。しかし、ものを書いて生きていくことの厳しさは、先生のそばにいたからこそ、身に染みてわかっています。それに私を励まし続けてくれた先生はいなくなってしまいました……。笑わせたい、喜んでもらいたい相手を失って、何もやる気が起きません。私の人生は瀬戸内寂聴という人に出会って大きく変わりました。先生はたくさんのことを教えてくれましたし、私にチャンスをくれました。いっしょに過ごしたこの10年間がどれほど尊く、どれだけ先生が私に与え続けてくれたことかもわかっています。先生がいたからこそ私は前へ進んでこられました。後ろを向くと、そこには必ず先生がいて、『あなたなら大丈夫』と言ってくださったから、何でも挑戦できたのです。最後までそんな先生のおそばにいられたことも感謝しています。……それでもやっぱり、もっと一日でも長く、先生といっしょに過ごしたかったという気持ちを消すことはできません。心をどこか遠くに置いてきてしまったような感覚のまま、それでも私が秘書として業務をこなしているのは、“先生に褒めてほしい”という思いがあるからです。先生の秘書として役目を全うしたいと強く思います。先生の納骨、たくさんの方が集まることになる『お別れ会』、お寺関係のことなど、落ち着くまでは膨大な仕事があると思います。正直、すでにキャパオーバーで、10年間のなかで、いちばんきつい日々です。でも私がそれらをがんばれば、『ああ、まなほはよくがんばったね、よく働いたね、お疲れさま』と、先生があの笑顔でねぎらってくれるのではないかと……。いまはそんな思いが私の支えになっているのです――」
2021年12月05日昨年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞した瀬尾まいこさん。受賞後第一作『夜明けのすべて』は優しさの詰まった作品だ。きっと、人のことなら助けられる。小さな親切に心温まる待望の新作。普段はのんびりした性格の美紗は月に一度、PMS(月経前症候群)による苛立ちが抑えられずにいる。彼女の勤務先に転職してきた山添君は気力がない青年だが、実はパニック障害を抱えている。互いの事情を知った二人は少しずつ相手を気遣うように…。瀬尾さん自身、2年ほど前パニック障害と診断されたという。「山添君と同じで突然気分が悪くなって救急病院に行って検査したら、そう診断されました。今は薬にも慣れて元気にしています」その前からめまいに襲われることがあり、周囲からPMSではないかと言われていた。「それで、PMSで婦人科に通っているママ友から、イライラを抑えられずに夫に物をぶつけたりするなどと、大変そうな話を聞いてたんです」恋愛も友情もないけれど、助け合う二人。といっても、素人の美紗が理容店に行けない山添君の髪を切ってビミョーな髪型にしてしまうことも。彼らのどの行動も押しつけがましくなく、マイペースで、だから相手も気が楽なのだろう。思わず笑ってしまうのがローソンのおにぎりのエピソード(どの場面で出てくるかはお楽しみに)だが、「ワクワクしませんか?コンビニのおにぎりって、チェーンによって全然味が違うと思うんです!」美紗のおおらかさと優しさは、著者自身が内包するものだと実感。「自分のことは助けられなくても、人のことは助けられると思う。空回りすることもあるだろうけれど」よく「自分を愛せない人は他人を愛せない」という文言も耳にするが、「それって不思議なんです。私は自分に興味はないけれど好きな人はたくさんいる。人助けも、私はつまらないことしかできないけれど何かしたいし、します」読めばきっとあなたもこの本に助けられ、誰かを助けたくなるはず。「いつも小説は、ただ楽しんでほしいという気持ちで書いています。でも本屋大賞の後みなさんからたくさん感想をもらって、私にも何かできることがあるのかな、という気がして。読んでちょっとでも明るい気持ちになってもらえたら、嬉しいです」『夜明けのすべて』PMSの美紗とパニック障害の山添。同じ職場の二人は、ささやかな親切で助け合うようになる。二人を見守る周囲の人(特に社長)も魅力的。水鈴社1500円せお・まいこ2001年「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本でデビュー。’05年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、’19年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞。©文藝春秋※『anan』2020年12月16日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2020年12月15日瀬戸内寂聴さん(97)の66歳年下の秘書・瀬尾まなほさん(31)が、5月15日に入籍し、6月8日に京都市内で披露宴を行った。本誌は、披露宴の数日前に2人の“結婚記念対談”を取材していた。瀬尾さんのお相手は関西在住の年下の男性。交際期間は1年ほどだという。披露宴前日には、瀬尾さんの2冊目のエッセイ『寂聴先生、ありがとう!』(朝日新聞出版)が発売。出席者には“引き出物”としてプレゼントされた。その帯には《私、ついに結婚します!》というキャッチが入っている。寂聴「《結婚します!》って文字が私の写真にかかっているけど、私が結婚するって勘違いする人もいるんじゃないかしら?」まなほ「ありえません!そんなこと考える人誰もいませんよ(笑)」寂聴「はいはい(笑)。これからは主婦兼秘書兼作家ということになるけど、彼は家事も手伝ってくれるの?」まなほ「1カ月ほど前からいっしょに暮らし始めていて、掃除と洗濯は分担してくれています。料理はもっぱら私の担当です」寂聴「えっ、彼はあなたの作ったご飯を食べてくれるの?」まなほ「いつも『おいしい』って言ってくれます」寂聴「へぇ、信じられない(笑)」まなほ「いつもそんなこと言ってからかいますよね」まなほさんが寂庵にやってきてから8年。“嫁ぐ愛弟子”に寂聴さんがアドバイスを――。寂聴「私はこんなに長生きして、いろいろなご夫婦を見てきましたけれど、うまくいっている夫婦というのは、お互いにユーモアがある夫婦ね。自分が笑ったときに相手が笑わなかったらつまらないじゃない。いまの世の中は暗いし、人生だっていいときばかりは続かない。夫婦でいっしょに笑えなければやっていけません」まなほ「私も、ずっと笑いあえる夫婦でいたいです」寂聴「夫婦円満のためにもう一つ必要なのは『許すこと』。『愛』とは『許す』ことなの。完全な人間なんていません。みんな許されて生きている。自分が許されている分、相手も許さないとね」まなほ「……頑張ります」寂聴「ケンカをしたときは、どちらが先に謝るの?」まなほ「いまは彼ですね。私はけっこうずっと怒っているほうなので。でも努力して許せるようになります!」寂聴「笑うことと許すことを忘れなければ、きっと幸せになれます!」
2019年06月16日瀬戸内寂聴さん(97)の66歳年下の秘書・瀬尾まなほさん(31)が、5月15日に入籍し、6月8日に京都市内で披露宴を行った。本誌は、披露宴の数日前に2人の“結婚記念対談”を取材していた。瀬尾さんのお相手は関西在住の年下の男性。交際期間は1年ほどだという。寂聴「それにしても、見た目と全然違って、恋に臆病だったまなほが、“電撃結婚”ですからね(笑)」まなほ「臆病というより、私の場合は“恋愛イコール結婚”でしたから、なかなか踏み出せなかったんです。でも彼がとても積極的だったので、だんだん私も気持ちが固まってきました」寂聴「去年話したとき、まなほは、結婚相手の条件をいろいろ挙げていたけど。(1)優しい人、(2)仕事を楽しんでいて、かつ仕事に対して情熱を持っている人……」まなほ「……(3)食べることが好きな人、(4)子供と犬が好きな人、でした」寂聴「話している間に、条件も増えていって(笑)。彼は、その条件に当てはまっていたの?」まなほ「ほぼ、ぴったりなんです。(笑)先生を笑わせるために、私がヘンテコなダンスをしていたことがありますよね。彼にそれを見せたら、道端なのにいっしょに踊りだしたんです」寂聴「あいさつに来たときに、2人で踊ってくれたアレね」まなほ「先生が笑ってくれるかと思ったら、大真面目な顔で『(ダンスは)彼のほうが上手ね』って」寂聴「アハハハ。そんなこと言った?あんなのを自分の恋人が道端で踊りだしたら、ふつうは止めるでしょう。それなのに彼はいっしょになって踊ってくれるなんて、相当変わった人じゃない。これならまなほとお似合いだ、と思った(爆笑)」まなほ「ずっと結婚しろ、結婚しろとおっしゃっていましたけど、いざ結婚してしまうと、ちょっぴり寂しいのではないですか?」寂聴「寂しさなんて全然感じていない(笑)。だって秘書の仕事も続けるし、これからも寂庵に通ってくるでしょう」まなほ「引き続きお世話になります!」寂聴「今年で決まって本当に良かった。来年だったら私は98歳。たとえ生きていても披露宴に出られるかわからないからね」まなほ「実は少し焦っていました。先生がお元気なうちに披露宴ができるのと、そうでないのとでは、私にとって全然違いますから。先生に来ていただけるように急いで結婚式場を探したら、6月は人気で、仏滅の日しかなくって(笑)」寂聴「だって大安で空いている式場を探したら、ずいぶん先になってしまうのでしょう?」まなほ「先生に『仏滅の日に披露宴って大丈夫でしょうか?』と、お尋ねしたら『仏様は滅びない!』って」寂聴「位の高いお坊さんの私が出席するのだから大丈夫!(笑)」披露宴前日の7日には、瀬尾さんの2冊目のエッセイ『寂聴先生、ありがとう!』(朝日新聞出版)が発売。出席者には“引き出物”としてプレゼントされた。その帯には《私、ついに結婚します!》というキャッチが入っている。寂聴「《結婚します!》って文字が私の写真にかかっているけど、私が結婚するって勘違いする人もいるんじゃないかしら?」まなほ「ありえません!そんなこと考える人誰もいませんよ(笑)」寂聴「はいはい(笑)」
2019年06月15日瀬戸内寂聴さん(97)の66歳年下の“美人秘書”として知られる瀬尾まなほさん(31)が、結婚したことがわかった。6月8日に京都市内で披露宴を行った。寂聴さんからいつも「早く結婚しなさい!」と言われていた瀬尾さん。お相手は関西在住の年下男性で、交際期間は1年ほどだったという。入籍日は5月15日、寂聴さん97歳の誕生日を選んだ。約1年前の寂聴さんとの対談では、結婚相手の条件を4つ挙げていた。【1】優しい人【2】仕事を楽しんでいる人【3】食べることが好きな人【4】子供と犬が好きな人ちょうど同じころ、条件を満たす男性と出会っていたようだ。エッセイストとして活躍している瀬尾さんは、6月7日に2冊目のエッセイ集『寂聴先生、ありがとう。』を発表したばかり。結婚への意思を固めるまでの経緯もつづられているが、翌日の披露宴の参加者へも引き出物として贈られたという。6月11日発売の『女性自身』には、寂聴さんと瀬尾さんの独占対談も掲載される。
2019年06月09日御年95歳の作家・瀬戸内寂聴先生と、その秘書を務める66歳年下の瀬尾まなほさん。「もう一度生まれ変わっても女がいい」と語る寂聴先生が、今を生きるanan世代の女性たちに伝えたいこととは?御年95歳でありながら、現役作家として活躍する瀬戸内寂聴先生。ここ数年、その傍らに優しく寄り添うある一人の女性がいるのをご存じだろうか?寂聴先生の秘書を7年前から務める瀬尾まなほさんは、アンアン読者世代と同じ、30歳。寂聴先生にその文才を認められ、初めて綴ったエッセイ本『おちゃめに100歳! 寂聴さん』(光文社)が話題に。66歳も年齢の離れた二人の人生に共通する、ある運命的な出来事とは?まるで漫才コンビのような二人の軽快なトークから、女の生き方のヒントを読み解きます。――二人の出会いは7年前、就職先を探していた瀬尾さんが、お友達の紹介で京都の寂庵に面接に来たことからはじまったと聞きますが。瀬尾まなほさん(以下、瀬尾):私が大学を卒業する直前だったので、22歳の時です。その時は、恥ずかしながら瀬戸内寂聴先生が小説家であるということも知りませんでした。瀬戸内寂聴さん(以下、寂聴):この子、本当に何も知らなかったの!本も読んでいなければ、文学少女でもなかったから、私は一目で「この子に決めよう」と思って。そのほうがかえって気が楽だと思ったのね。――働きはじめた当初から、瀬尾さんは自分でいつか本を出版したいと思っていたのですか?瀬尾:小説家志望で入ったわけではないので、まさかそんなこと、考えつきもしませんでした。寂聴:ただ時々、この子から手紙が届くんです。一緒に暮らしていたら、面と向かって言えないことも増えてくるじゃないですか。ある時、机の上に手紙が置いてあって、それを読んだら「この子は文才があるかもしれない」と思って。あまりに内容と文章が素直で良かったから、自分の小説にもそのまま引用したくらい。――そこから、瀬尾さんの人生が少しずつ動きだしたわけですね。ちなみに、寂聴先生が22~23歳だった頃はというと…?寂聴:結婚して子供を産んで、不倫して…いちばん濃い時だったかもしれません。21歳で結婚した夫は古代中国音楽史の学者だったので、「これで学者の妻になるんだ。これからは夫の才能を私が高めよう」とはり切っていたんですが。瀬尾:その先生が文学を志すようになったのは、23歳の時?寂聴:最初は「小説家になりたい」なんて口では言っていたけれど、タダでなれるとは思っていなかったの。当時は夫との家を出て、お金もなくて、困っていた時。でもある日、三島由紀夫先生にファンレターを書いてみたら、返事が来たんです。彼は誰にも返事を出さないことで知られているんだけど、「あなたの手紙はあまりにも面白いから」って。そこから文通がはじまった。――寂聴先生が瀬尾さんの才能を引き上げたのと同じで、当時の三島先生も、寂聴先生の文才を見抜いていたのですね。寂聴:ただ、いざ小説を書いて送ってみたら「あなたは手紙はあんなに上手いのに、小説は普通だ」と言われましたけど(笑)。でも、人は誰でもその人にしかない才能を持って生まれているんですよ。だけど、自分ではなかなか気づけないものだから、誰かに発見してもらうことがすごく大事になってくるの。それが、この人(瀬尾さん)のように早く発揮できればとても良かったと思うけれど、おばあちゃんになってから芥川賞をとるような人もいますから。だからいくつになっても諦めることはないと思う。――22歳の時に寂聴先生と出会ったことで、瀬尾さんの人生は大きく加速したわけですが、同時に先生ご自身にも変化の実感はありましたか。寂聴:二人が出会って、どちらかといえば変わったのは私なんですよ。瀬尾:いや先生、私のほうが変わりました!寂聴:まなほが来てくれて、着るものも、食べるものも、すべてが変わりました。今まで、仕事で付き合う人にもここまで若い人はいなかったから、この人といると、毎日が面白くてしかたがないの。瀬尾:先生、今朝もお味噌汁を噴き出して笑っていましたもんね(笑)。――逆に瀬尾さんは、先生と出会ってどんな変化の実感がありますか?瀬尾:先生に出会って、好きなように生きる大切さを私は学びました。95歳になっても、新しいことをどんどん取り入れている人を間近で見ていると、安定志向に入っていては駄目だと思いますし、今までの出会いを大切に、これからの自分の人生を走り続けたいと思うようになりました。だから、人生が大きく変わったのは私のほうだと思います。寂聴:まあ、私があなたの今の年齢の時は、ひととおりの女の人生をやっていましたよ。だから、まなほは何をやっているんだと思って。もっとたくさん恋愛して、楽しまないともったいないじゃない。瀬尾:いいんです、私は先生の元で働けて今は幸せなんですから!(笑)恋愛、結婚と仕事、人間関係、女友達など…多くの人が20代や30代にかけて直面する“女の悩み”。どうすれば今の自分を肯定し、人生をより豊かに楽しむことができるのか。迷える読者のお悩みを、年齢差66歳の二人にぶつけてみました。女の幸せ=結婚?出産?「今の会社に転職して5年、一人で任される仕事も多くなり、毎日に充実感があります。交際2年になる優しい彼もいて、最近、生まれて初めて、今が楽しいと心から思えます。ただ、彼から結婚の話をされると不安になり逃げたくなってしまうのです。正直、結婚して子供を産みたい、という気持ちがわきません。なぜ、私はそう思えないのか、どこか冷たい人間なのでしょうか。今の自分を、いつか後悔する日が来るのでしょうか?」(34歳・PR)寂聴:このくらいの年頃の女性であれば、結婚して好きな人の子供を産みたいと思うのが自然なこと。健康な若い女性で、その気持ちが全然わからないって、この人ちょっと変わっていると思う。瀬尾:でも、女性の未婚率は年々高くなっていますし、“結婚できない”のではなく、あえて“結婚しない”人生を選ぶ人も増えていますよね。寂聴:私が思うに、そういう人は無理に自分に言い聞かそうとしているだけ。例えば、本やなんかの影響でね。でも、一般的な女性なら、誰だって年頃になれば子供は産みたいと思うものなの。たとえ、相手が家庭を持っていたとしても。瀬尾:もちろん、私もいつか子供は欲しいと思います。とはいえ、今すぐ子供ができたとなったら、ちょっと恐ろしいなと感じる部分もあるんですよ。仕事ができなくなるとか、先生の元から離れないといけないとか、復帰できないかもしれない、とか…。この相談者の方も、彼がいてすごく幸せなんだけど、今すぐ結婚して子供を産むには、きっと心の準備ができていないはず。その気持ち自体は、わからなくもないですね。寂聴:ただ、好きな男性があなたに子供を産んでもらいたいと思ってくれるのは、すごく幸せなことなのよ。相手の気持ちをそんなふうに考えられたら、少しは前向きになれると思います。瀬尾:そうですね。それに、この方にもいつか「子供が欲しい」と思うタイミングが来るかもしれません。今は無理に決めなくても、流れに身を任せていいんじゃないでしょうか。仕事が大事な気持ちもわかりますし、子供ができたら自分でも驚くほど、子供が好きになったという人もいるくらい。どちらに転んでも、幸せになれないことなんてないと思います。せとうち・じゃくちょう1922年5月15日生まれ。徳島県出身。小説家であり、僧侶。’97年に文化功労者、’06年文化勲章を受章。これまでに発表した著書は400冊以上。せお・まなほ1988年2月22日生まれ。兵庫県出身。大学卒業後、瀬戸内寂聴先生の秘書となる。困難を抱えた若い女性や少女を支援する「若草プロジェクト」理事も務める。『いのち』瀬戸内寂聴講談社1400円ガンの摘出手術と長い入院生活を終えた作家の「私」。脳裏に甦るのは、これまでの人生で出会った男たち、そして筆を競った友の「死に様」だった。瀬戸内さんが95歳の命を燃やして書き上げた、“最後の長編小説”。『おちゃめに100歳! 寂聴さん』瀬尾まなほ光文社1300円秘書として7年間、瀬戸内寂聴先生の傍らにいる瀬尾さんが、先生の「おちゃめな素顔」と「愛あふれる本音」を赤裸々に綴った初めてのエッセイ本。貴重なプライベート写真と本人直筆食卓レシピイラストも初公開。※『anan』2018年3月7日号より。写真・内田紘倫(The VOICE)取材、文・瀬尾麻美(by anan編集部)
2018年03月03日TBSの林みなほアナウンサー(27)が5日、同局内のブログと自身のインスタグラムを更新し、第1子となる男児を出産したことを報告した。林みなほアナ「肉(29)年いい肉(11/29)の日誕生」と題し、「平成29年11月29日AM8:153445g元気な男の子が産まれました」と報告。「お肉大好き夫婦の私たちは、予定日を聞いた頃から、ちょっと遅れたら"いい肉の日"になるねなんて話していたら本当にその日に生まれてきてくれました」と明かし、「長い間お腹の中で元気に育ってくれた息子。この世界に来てくれてありがとう。愛おしくてたまりません」と喜びをつづった。そして、「自然分娩は、想像をはるかに超えて壮絶でした。笑記憶が鮮明なうちにいつかどこかでお話したいですw 立会い出産をしてくれた夫にも心から感謝です」と出産を振り返り、「生後6日。世の中にある育児お助けグッズや、先輩ママを頼りにやっと余裕も出てきて、いま、母性が溢れて出てきています」と記した。続けて、「これから、息子にはたくさんの世界を見せてあげたいです。そして一緒に変化、成長していきたいです。また、妊娠出産育児を通して、私が思い考え感じ学んだこと、なるべく余すことなくキャッチして、アウトプットしたいです!」と意欲。「お仕事復帰までしばしお待ちを~!!!およそ20キロ増の産後ダイエットも頑張ります涙笑←(現在8キロ落ちました!!とは言え、道のり長し。とほほ)」と呼びかけた。最後は、「では、息子が目覚めたので、バランスボールの上でバウンバウンしながら息子をあやしてきまーす!(バランスボールはシルビアさんにおすすめされました。非常に役立ちます)」と締めくくった林アナ。インスタグラムでは、「#さっさぁ明世さんおめでたい #嬉しいニュース続き」と、結婚を発表した笹川友里アナと妊娠を発表した吉田明世アナにも触れた。林アナは、昨年7月にブログで10歳年上の同局ラジオプロデューサーとの結婚を発表し、今年6月に妊娠を発表していた。
2017年12月05日瀬戸内寂聴さん(95)の秘書をつとめる瀬尾まなほさん(29)が11月15日、初の著書『おちゃめに100歳!寂聴さん』(光文社)を上梓。発売を記念して、27日に大阪の阪急うめだホールで「阪急 生活学校×朝日新聞 中之島どくしょ会『瀬戸内寂聴・瀬戸まなほ特別講演会』を実施した。 11年3月から寂聴さんのもとで秘書として働き始めたまなほさん。当時は寂聴さんが小説家であることも知らず、小説自体も読んだことがなかったという。だが寂聴さんは「文学少女は使い物にならない。むしろ『あ、この子いいな』と思って」と採用を決意したのだ。 その関係性がみごとにはまった。2人の年齢差は66歳だが、息ぴったり。掛け合い漫才のような会話を繰り広げることから、出版関係者の間でも“寂庵名物”と呼ばれるほど。実際、この日の講演会でも司会者に「ケンカはするのでしょうか?」と聞かれたところ、400人を前に“マジ喧嘩”を始めることに……。 まなほ「もう今日もしましたよね?」 寂聴「そう、今日も数珠と扇子をもってくるのを忘れてね。まなほがあれこれと急き立てるものだから、私はそれで全部忘れちゃうの」 まなほ「いえいえ、そもそも先生は何も準備してなかったんです!朝だって『早起きした』と自慢していましたけど、しっかり二度寝している。それだと一緒ですよね(笑)」 寂聴「ちがうの。着物もきてね、持っていくものをちゃんとそろえて準備しているの。それを全部わすれるぐらい、まなほが朝からギャーギャーと。すごいんです」 まなほ「ちがうの!私に朝持っていくものをちェックさせないから……」 慌てて司会者が「すみません、おふたりはいつも寂庵でこんな感じなのでしょうか?」と聞くと、まなほさんはハッとした後で恥ずかしそうに「まあ、こんな感じです……」と回答。会場からは笑いが起きていた。 ときに“タメ口”になるほどのやりとりを交わすという2人だが、それも絆があればこそ。寂聴さんは「まなほが来てから、よく笑うようになった」と語っている。 寂聴「上手にお化粧をしてくれるんですよ、この人。でもお化粧の前にね、『先生、どうしてこの鼻は低くて、鼻筋がないんでしょうね』って言うの。わざわざ鼻筋がないなんて、本人にいうもんじゃないでしょう。でも、なぜか腹がたたない(笑)」 まなほ「こけたとしても、ほっぺたを打っても鼻はうたないねって(笑)」 寂聴「たしかに、鼻は打ったことはないわ(笑)。本当に化粧が上手なんですよ。だからね、うちをクビになったら美容師になったらいい(笑)」 まなほ「えっ!?先生、私クビになるんですか?」 会場からはまたしても笑いが。司会者からの「寂庵をやめようと思ったことはないのですか?」との質問に、まなほさん「一度もない」と言う。 まなほ「いやなことを周りの人からいわれたりしたこともあったんですが、それでも先生がすきだし、先生といると楽しいし、すごくやさしいんで、いつも“自分はここにいてていいんだ”と思わせてくれる場所なんですね」 寂聴「そんなこといったってね。私もうすぐ死ぬかもしれないじゃないですか」 まなほ「先生、また“死ぬ死ぬ詐欺”ですか?死ぬと言いながら、ずっと生きていますからね(笑)」 寂聴「でも私が死ぬときには、まなほにそばにいてほしいわね。やさしいからね」 そんなまなほさんは今回の著書で、最後に「先生へ」と題し手紙を寄せている。 まなほ「手紙を一生懸命書いたんです。でも書くときに思いがあふれすぎて、すごく長文になってしまって。それを先生に見せたら『つまらない』と言われてしまいました。先生にそんなことを言われたことが初めて。そうしたら『これはいつものあなたの手紙じゃない。自分に酔っている』と言われて。たしかに読み返してみると、そうでした。それで書き直したところ、先生から『よくなったね』って言われて。ほっとしました」 寂聴「私はね、優しさがその人の値打ちだと思っているんですね。いつも変なことばっかり言っているけど、根は優しいんです。それが彼女の最高の魅力だと思いますね」
2017年11月29日映画『僕らのごはんは明日で待ってる』が、2017年1月7日(土)にTOHOシネマズ新宿ほか全国の劇場で公開される。原作は、瀬尾まいこによる同名のロングセラー小説。無口でネガティブな亮太と、太陽のように明るく天真爛漫な小春を主人公に、高校生、大学生、社会人と7年越しの恋愛模様を描くラブストーリーだ。主人公の亮太役を演じるのは、Hey! Say! JUMPの中島裕翔。そしてヒロインの小春役には、”8代目ゼクシィガール”として注目を集め、ドラマ『家売るオンナ』や映画『聖の青春』などの話題作に次々と出演している若手女優・新木優子が抜擢された。監督・脚本は、『箱入り息子の恋』で第54回日本映画監督協会新人賞を受賞した日本映画界の新鋭・市井昌秀。亮太がカーネル・サンダース像を抱えて走るシーンなど、原作にはないオリジナル展開やコミカルな演出で、市井監督らしいスパイスを加えている。【作品情報】映画『僕らのごはんは明日で待ってる』公開日:2017年1月7日(土)出演:中島裕翔、新木優子、美山加恋、岡山天音、片桐はいり、松原智恵子/監督・脚本:市井昌秀原作:瀬尾まいこ「僕らのごはんは明日で待ってる」(幻冬舎文庫)配給:アスミック・エース主題歌:『僕らのために...』(作詞:ケツメイシ、作曲:ケツメイシ & 小松一也 歌:ケツメイシ(avex trax))© 2017『僕らのごはんは明日で待ってる』製作委員会【あらすじ】無口でネガティブな亮太。太陽のように明るく超ポジティブな小春。性格は正反対だけど、運命の恋だった。二人が大学生になったある日―突然、小春は亮太に別れを切り出す。実は、小春は亮太に言えない秘密を抱えていた。別れの理由がわからないまま、亮太は何度も真っ直ぐな想いを伝えるが、小春はまったく取り合わず―。社会人になったある日小春の隠す真実を知った亮太は彼女のもとに再び走り出す。出会いから7年、運命の恋が再び動き始める――。
2016年11月29日TBSの林みなほアナウンサー(26)が2日、同局の情報番組『白熱ライブ ビビット』(毎週月~金8:00~9:54)に生出演。1日に約3カ月ぶりにブログを更新した休養中のフリーアナウンサー・小林麻耶(37)とのLINEのやりとりを明かした。乳がん闘病中の妹・小林麻央(34)が1日、新たなブログを開設したのに合わせ、麻耶も同日、休養後初めてブログを更新。「今はまだ仕事ができる状態ではないのですが、また笑顔で働ける日が来るように、その第一歩としてブログを再開させていただきたいと思います」とつづった。1日に麻耶とLINEで1時間くらいやりとりしたという林アナは、「病気と闘っているのは家族も一緒なんだなというのをすごく感じた」と振り返り、「特に麻耶さんは、妹の麻央さんのことが本当に大好きで、何よりも大切に思ってらっしゃるんです」と語った。続けて、「だから麻耶さんは、休養前に元気な姿…気丈に振る舞ってテレビの前では笑顔を見せ続けてくれたんです」と話し、「ただ、長い間自分の感情を殺したことによって、体だけじゃなくて心も壊してしまったという状況になってしまった。そして、『とにかく麻央ちゃんのそばにいたい』ということから休む選択をされました」と休養に至った経緯を説明した。さらに、麻耶が「ここ2年くらいは麻央ちゃんのために生きていたから、私のために生きようと思う。麻央ちゃんもブログを更新したし、そろそろ私も自分を大切にしようと思う」と決意を明かしてくれたと報告。「そのあとに、このように麻耶さんもブログを更新されたんです」と加えた。
2016年09月02日TBSの林みなほアナウンサー(26)が12日、TBS系情報番組『白熱ライブ ビビット』(毎週月~金8:00~9:54)で、10歳年上の同局ラジオプロデューサーとの結婚を生報告した。林アナは「私、林みなほが結婚いたしました。昨日、結婚させていただきました」と笑顔で報告。MCの国分太一や真矢ミキらが「おめでとう!」と祝福した。現在、お相手のプロデューサーと仕事で関わっているという井上貴博アナは、「器の大きい方」と説明。先週金曜日にラジオのスタッフと飲んだときにプロデューサーもいたそうで、ちょっと酔っぱらって「林みなほにわがまま言われても、わがままって感じないんだよね」と話していたエピソードも明かすと、林アナは大照れしていた。また、吉田明世アナも2人のことをよく知っているようで、「いつも自転車でデートしているので、街で見かけたらよろしくお願いします。食べること2人とも大好きなんです」と自分のことのように紹介していた。林アナは11日にブログで結婚を報告。「彼は、日常の些細なことから楽しいことや面白いことを見つけるのがとても上手な人です。隣にいると何気ない生活が心踊る日々に変わり、ずっと一緒に居たいと思うようになりました」と幸せいっぱいにつづっていた。
2016年07月12日TBSの林みなほアナウンサー(26)が11日、10歳年上の同局ラジオプロデューサーと結婚したことを公式ブログで発表した。林アナは「私、林みなほは、7月11日に結婚しました。お相手は、10歳上のTBSラジオの先輩です」と報告。「『ザ・トップ5』などのラジオ番組でご一緒し、仕事に向かう情熱や仲間を大切にする姿に惹かれ、2年前の夏にお付き合いがスタートしました」ときっかけを明かした。そして、「彼は、日常の些細なことから楽しいことや面白いことを見つけるのがとても上手な人です。隣にいると何気ない生活が心踊る日々に変わり、ずっと一緒に居たいと思うようになりました」と幸せいっぱいにコメント。「彼と私はお互いにダメなところもたくさんあります。その分背伸びせずに居られる関係ですが、それぞれの得意分野でカバーし合って人生の凸凹を乗り越えていきたいです」と誓った。また、「最後に、大好きなお仕事は、変わらず続けます。これからもより一層仕事に邁進して参りますのでどうぞよろしくお願い致します」と仕事を続けていくことを伝えた。
2016年07月12日●4年目でやっと芽生えた自信4月より土曜朝のTBS系報道番組『あさチャン!サタデー』(毎週土曜5:30~7:00)でメインキャスターに就任した同局の林みなほアナウンサー(26)のインタビュー第3弾。入社5年目に突入した林アナは、3年目まではテレビの仕事がほとんどなく苦しい時期が長かったという。また、世間のイメージとのギャップに苦悩することも。4年目からようやく「アナウンサーです」と堂々と名乗れるようになったという林アナに、悩み続けた新人時代の話や、アナウンサーとしての目標などを聞いた。――5年目にして報道番組のメインキャスターという新たな挑戦をされていますが、ご自身としては順調にステップアップしているなという感覚なのでしょうか?うーん、順調とまでは言えませんね…そもそも、私は、TBSのアナウンサーの中で一番アナウンサーらしくないアナウンサーだと自負しているんです!(笑)こう見えてネガティブ思考で自分に自信がなくて。特に新人時代は"らしくない"ことを引け目に感じて引っ込み思案になっていました。でも、人と違うことは個性なんだと受け入れ始めてから、少し楽になりました。仕事のジャンルも、滝行や大食いみたいな体を張る役が多くて、最初は戸惑いつつ仕事をしていた時期もありました。でも、今思うとそれは、私の中のポテンシャルを引き出してくれていたんだと。人と違うことを恐れすぎていたんですよね。勝手に思い描いてたアナウンサー像にとらわれ過ぎていたなと。他の人と違うことこそが個性なんだと思えてからは、「感謝して全力投球しよう!!」と考えるようになりました。――体当たり取材の印象は確かにありますが、喜んでやられているのかなと思っていました。もちろん、仕事の一つ一つを全力で頑張ってますが、前に出たがりとか目立ちたがりということよりは、視聴者に楽しんでもらいたい、スタッフさんに喜んでもらいたい、というサービス精神の方が自分の中では強いですかね(笑)――なるほど、そうだったんですね。"ネガティブ思考"というのも意外でした。もともとはすごいネガティブでコンプレックスばっかりです。「私なんか」というのが口癖ですから。周りと比べては自分が劣っていると感じて苦しんでいました。でも、この1、2年くらいかな。徐々に徐々に変わってきました。やっと本当の意味でアナウンサーとしての自覚や自信をもてたというか。――3年間くらい自信がなかなか持てなかったんですね。そうですね。とにかく新人の頃は経験不足が不安で。「どんな番組につきたいの?」と聞かれても、「私なんかが『あの番組がやりたい』とか図々しく言っちゃいけない」と思って「私は大丈夫です」と言ってました。でも、これは、アナウンサーとして入ってきたのに何なんだと(笑)。やる気のない子だと思われてしまいましたね。当時の私を知っている『はやドキ!』のスタッフさんから「別人かと思ったよ」って言われて知りました。秘めたる情熱はあっただけに悔しいですね、出遅れた感は否めないです(笑)――そういった最近の変化というのは、何か具体的なきっかけがあったんですか?仕事場でいろんな方からアドバイスをしてもらったことが大きかったと思います。特に印象に残っているのは、2年ほど前にTBSラジオ『ジェーン・スー相談は踊る』に出たときに、スーさんから「自分を過小評価して得なことは一つもない。自分からできないと言ってしまうと、周りからもできない人だと思われる」と言われて。あー、私はこうやって自らネガティブキャンペーンを張ってたのかと気づけたんです。それまでは「過小評価」は「謙虚さ」で、悪いことではないと思ってたんですよね。――なるほど。アドバイスが大きかったんですね。はい。「人と違うことは個性」というのも信頼できるスタッフさんからもらった言葉でした。あとはやっぱり、経験値がついてきたことが大きかったです。1年目からラジオをたくさんやらせてもらっていたんですが、テレビのほうは4年目の春までレギュラー出演が少なくて。なので生放送はカメラの前に立った途端怖くなって、極度の緊張で汗びっしょりでした。毎回ピアノの発表会みたいな気持ちでしたね。最近になってようやくテレビの仕事も増えて、やっと自信を持ってアナウンサーと名乗れるようになりました(笑)●60歳までTBS一筋で――最近は『はやドキ!』『白熱ライブ ビビット』『あさチャン!サタデー』と朝のイメージが強いですね。そうなんですよね。周りからは、見た目のイメージなのか夜っぽい雰囲気と言われていましたが、今は朝の番組がメインなので「朝の人」になれてきたかなと。――4月から『あさチャン!サタデー』が加わり、生活は変わりましたか?土曜は深夜2時半入りなので、早朝出社が1日増えたなという感じです。出社時間は月・火が5時半、水・木・金が1時半、という感じだったので。基本的に午前中は生放送で、午後はそれぞれの番組のロケが入ってくる、という生活です。――一般的な生活の人とは時間が合いにくい生活スケジュールですね。そうなんです。4月になってから友達ともなかなか会えなくなりました。それまでは寝る時間を惜しんで会うようしていたんですが、その時間もないくらいになってきて…。でも、今日の午後は友達と会うんです!――そうなんですね! 久しぶりのプライベートの時間を楽しんできてください!ありがとうございます! 私はプライベートも充実させたいタイプなので、アナウンサーとしての夢も"ママさんアナウンサー"なんです。TBSには多いんですよ。『Nスタ』の山内あゆアナウンサーは3人のお子さんを育てながらメインキャスターもやっていて、私も将来そういう人になりたいなと。母としての視点を持っていることはすごく大切だと思うんです。――ずっとTBSに、と決めているんですね?厳しい世界なので、フリーアナウンサーやタレントさんでやっていける自信はないんですが、TBS一筋で定年を迎えられた吉川美代子さんみたいになりたいですね。■プロフィール林みなほ1990年1月10日、東京都出身。日本女子大学家政学部被服学科卒業後、2012年TBS入社。現在『はやドキ!』や『白熱ライブ ビビット』などに出演。4月より『あさチャン!サタデー』のメインキャスターに就任した。特技はヘアメイク、ゴルフや球技全般。※『あさチャン!サタデー』はTBS系一部地域を除く24局で生放送。放送時間は地域によって異なる
2016年05月27日●就任1カ月で感じた大切なものTBSの林みなほアナウンサー(26)が土曜の朝に新風を巻き起こす。4月より土曜朝のTBS系報道番組『あさチャン!サタデー』(毎週土曜5:30~7:00)で、久保田智子アナの後任として自身初となる報道キャスターに就任した。辻丸良明プロデューサーは「土曜朝の報道番組。明るくて躍動感のある番組にしたいと思い、"明るさ"、"快活さ"、"押し出しの強さ"のある林アナを起用した。また、林アナと同じくらいの若い世代にも政治や経済に興味を持ってもらえる一助になれば」と起用理由を説明。「すごく努力していて、狙い通りに育ってくれている」と早くも手ごたえを感じているようだ。報道の世界は、林アナにとっては新たな領域。就任が決定した時はどんな気持ちだったのか、そして、約1カ月やってみての感想、今後の目標などを本人にインタビューした。――就任が決定した時はどんな気持ちでしたか?報道のメインキャスターは初挑戦でしたし、前任者が久保田さんということで、プレッシャーはありましたが、入社5年目の春にこのような責任のあるお仕事を任せていただいたことに単純にうれしく思いました。――約1カ月たちましたが、いかがですか?就任に加え、この1カ月の間に、『あさチャン!サタデー』の時間帯を含めて熊本地震に関する報道特番を2回担当させてもらったことで、あらためて深く報道の在り方を考えるようになりました。「被災者が必要としているものは何か」「ひとりよがり(番組よがり)の放送になっていないか」など。地震時のマニュアルがあり、対策はしているのですが、実際そういう状況になるとマニュアルの言葉では伝わらないだろうなと感じ、本当に伝えたい想いを届ける大切さや寄り添う力の大切さ…報道人である前に人としての部分を大切にできたらいいなと思いました。――最初の1カ月でものすごく大きな経験をされたんですね。ちなみに、地震時のマニュアルはどういうものですか?地震に関するスーパー(画面に登場する文字)が出た時の対応方法や、注意喚起の言葉などがあります。それらの基本ができた上で、さらに臨機応変に対応する必要があり、そこでは人間力も問われると思いました。今回、さまざまな震災特番を見て、このキャスターは普段から人に寄り添える優しい方なんだろうな、とか、視野を広く持って放送に臨み、いま番組をつけた人にも親切な放送、例えば概要をおさらいしながら進める方などがいて、学ぶべきことがたくさんありました。自分が今すぐ実際できるかというとまだまだそうはいかないですが、最終的にそういう風になれたらという思いは強くあります。――具体的に目標としている方はいますか?"この人"というのはなく、いろんな方のいろんな要素も取り入れながらオリジナルを作りたいと思っています。ただ、ジャンルで分けるならば、クールでかっこいいキャスターより、熱くて情に厚いキャスターに憧れます。人の痛みに寄り添えて、器が大きくて視野が広い、人間として余裕のある人…そういった人間力の高い人が素敵だなと。尊敬している方の1人に(TBSの)堀井美香アナウンサーがいます。堀井アナウンサーは、アナウンサーの鑑(かがみ)です。出過ぎず引き過ぎず…押し引きがとにかく素晴らしい方です。場の空気の操り方が絶妙ですし、七色の声を持っていらして、プロフェッショナルです。そういった尊敬する部分をいろんな人から学んでいきたいです。――ベテランの佐古忠彦さんとのタッグはいかがですか?絶対的に信頼できる報道マンがいるというのは心強いです。今はまだ、メインキャスターとして隣に並んでいるというより、佐古さんのサポート役という立場かなと思っています。震災特番の時もそうでしたが、出演する側の人間として見える視野を生かして、この原稿は今はいらないと思ったら見せないとか、フリップ1枚出すにしても、佐古さんがやりやすいようにと意識しています。――佐古さんとの関係性は少しずつ変わっていきそうですね。佐古さんも経験されていくので追いつくことはありませんが(笑)、横にいるだけで学べることがたくさんあります。いろんな状況への対応やコメンテーターの方との会話から、政治についてこういう視点があるんだなと知ることができ、自分の蓄えになっていると思いますし、単純におもしろいですね。5年目まであまり触れてこなかったジャンルですが、知らないことを知る楽しさや刺激があります。●自分らしさと今後の目標――報道キャスター就任後は積極的に世の中のニュースを調べるようになりましたか?そうですね。最初は知らないから拒絶してしまうっていうジャンルではあったのですが、知っていくと面白い部分があったので、1回1回の放送を重ねるごとに知っていけることがあって楽しいですね。――知識の蓄えという点で、毎日の生活で努力するようになったなという変化はありますか?もともと録画した番組を見るのが趣味なんですが、今までよりも各局の報道番組を意識的に見るようになりました。私だったらどう伝えるだろうなど、一つ視点をのせながら見ています。――"自分らしさ"はどう分析していますか?全力投球、正直者、責任感が強い、振り切り力、体当たり、不器用。そんなところかなと考えています(笑)――確かにそういうイメージが強いです(笑)。『あさチャン!サタデー』でも、その林さんらしさを生かされるわけですね?まだ自分らしさを出せるほどの余裕はないですが、いずれ余裕ができたら20代女性としての目線は大切にしていけたらいいなと思っています。若い世代はニュースに関心がないと言われますが、少しでも興味を持ってもらえるようなきっかけ作りができたらうれしいです。そして、土曜日の朝なので、肩に力がギュッと入る話ばかりではなく、私自身も表情を緩めながら番組の雰囲気作りに貢献していきたいです。――今の話にもいろいろな抱負が出てきましたが、あらためて『あさチャン!サタデー』での目標を教えてください。ニュースがよくわかんない、という人の視点を大事にしたいので、「一緒に学びましょう」「こんな情報あるんですよ」というスタンスでお伝えしていければと思います。■プロフィール林みなほ1990年1月10日、東京都出身。日本女子大学家政学部被服学科卒業後、2012年TBS入社。現在『はやドキ!』や『白熱ライブ ビビット』などに出演。4月より『あさチャン!サタデー』のメインキャスターに就任した。特技はヘアメイク、ゴルフや球技全般。※『あさチャン!サタデー』はTBS系一部地域を除く24局で生放送。放送時間は地域によって異なる
2016年05月13日