筒美京平ポップスからニューウェーヴな鬼ヶ島ナンバーまで平山みきの世界~歌と演奏:平山みき with サリー久保田グループ~岩下食品株式会社(本社:栃木県栃木市、代表取締役社長:岩下 和了、以下 岩下食品)が運営する企業ミュージアム「岩下の新生姜ミュージアム」(栃木県栃木市)で、入場・観覧無料のフリーライブ『平山みきの世界~歌と演奏:平山みき with サリー久保田グループ~』を2023年9月3日に開催します。フリーライブですが、演奏たっぷりの特別なワンマンライブです。事前メール予約で優先入場いただけますので、ぜひご利用ください。『平山みきの世界~歌と演奏:平山みき with サリー久保田グループ~』開催概要[開催日]2023年9月3日(日)15:00開場、15:30開演[料金]入場無料、観覧無料[会場]岩下の新生姜ミュージアム(栃木県栃木市本町1-25)[アクセス]JR・東武 栃木駅北口から徒歩12分、東北自動車道・栃木ICから車で15分[URL] [お問い合わせ]岩下の新生姜ミュージアムTEL:0282-20-5533事前メール予約で優先入場入場・観覧は無料です。どなたでもご覧いただけます。ステージ前に(オールスタンディングの場合を除き)お席を用意しますが、こちらは、開演30分前からメール予約整理番号順でのご着席(または入場)となります。観覧ご希望の方は、ぜひメール予約をご利用ください。※予約人数に制限があります。[メール予約] 2023年8月9日(水)午前10:00~受付中メール予約は、以下の件名・本文で、 event@iwashita.co.jp までお送りください。受信後、数日内に予約整理番号を返信いたします。【件名】※必ずご記入ください。ライブ予約【本文】[1]観覧希望日(例:9月3日)[2]氏名(ヨミガナ)[3]電話番号[4]来場される人数[5]同行者の氏名・電話番号(お一人で参加の場合は不要)※お願い※ミュージアムからお送りしたメールが迷惑メールに振り分けられてしまう場合があります。迷惑メールフィルタをご利用の方は@iwashita.co.jpのドメインを受信できるように設定してください。また、念のため迷惑メールフォルダもご確認くださいますようお願いいたします。平山みき平山みき8月22日東京生まれ/しし座/歌手1970年「ビューティフル・ヨコハマ」でデビュー。「筒美京平の秘蔵っ子」的存在として2作目の「真夏の出来事」をリリースし、一躍注目される歌手となる。現在も独特の歌声は変わらずライブやショーに出演中。1989年から京都に移住。自称「滞在型観光客」として仕事も趣味の写真や社寺仏閣めぐり等大好きな京都をエンジョイし、2009年には京都の観光本「京の出来事」など出版している。コロナ禍の2020年11月10日にデビュー50周年を迎えた。2020年に他界された作曲家/筒美京平の遺作を作詞家/橋本淳と平山みきで3人の絆としてアルバム「トライアングル」、同時に新曲「Jazz伯母さん」を2022年にリリース。「MikiSantaTV」 インターネットTV毎週土曜日22時アップ[平山みき公式ホームページ] サリー久保田グループサリー久保田グループ2020年結成。サリー久保田=ベースを中心に、中山努=ハモンドオルガン、原“GEN”秀樹=ドラムスによるオルガントリオ。サウンドからデザインまで全てをトータル・プロデュースして、 様々なアーティストとコラボレーションしている。9月3日は、ネロ=ギター、井谷享志=パーカッション、清浦夏実(TWEEDEES)=コーラスも参加致します。▼サリー久保田仕事室 ▼X(旧Twitter)サリー久保田 @SallyKubota 「岩下の新生姜ミュージアム」施設概要「岩下の新生姜ミュージアム」外観公式キャラクター「イワシカ」[所在地]〒328-0034栃木県栃木市本町1-25[電話番号]0282-20-5533[休館日]火曜日(祝日除く)、年末年始、その他臨時休館あり[開館時間]施設 10:00-18:00/カフェ 11:00-18:00(ラストオーダー17:30)※ライブ・イベント開催日は時間が変更になる場合がございます。[入館料] 無料※参加無料の「イワシカちゃんグリーティング」を土日祝日に開催。(7月21日~8月31日までは平日も開催)※ライブ・イベントは別途チケット料金がかかる場合がございます。[URL] 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年08月23日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、あこがれていたアーティストの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「’88年に歌手デビューするとき、杏里さんがレコード会社の先輩だったことから“杏里の妹分”として売り出してもらうことに。デビュー前には、勉強のためにコンサートにうかがったりしました。楽屋にお邪魔すると、杏里さんが『律っちゃん、律っちゃん』ってかわいがってくださって。ソバージュで、すらりと背が高くて、あこがれのお姉さんでした」こう語るのは、田中律子さん(50)。小学生のころはシブがき隊、とくにモックン(本木雅弘)にのめり込んでいたと振り返る。「ヤックン(薬丸裕英)ファンとフックン(布川敏和)ファンの、私とは“推し”のかぶらない友達と3人でいつも、渋谷公会堂でのコンサートに行ったり、曲の合間に入れるコールの練習をしたりしていました」コンサート会場で“出待ち”をしても、あこがれのモックンは大勢のファンに囲まれていて、遠くのほうに、米粒のような大きさでしか見えなかった。「芸能界って、それほど遠いところ。まさか自分が飛び込むなんて考えてもいませんでした」そんな田中さんがスカウトされた当時は12歳。父方のおばが原宿と町田で経営していた洋服店を手伝っていたときだったという。「町田のお店のほうで、ハッピを着て春のセールの手伝いをした帰り、おばと歩いていると、何度か前を通り過ぎる不自然な2人組の女性がいて……。それがモデル事務所のスカウトだったんです」当初、モデルとして活動することに難色を示していた両親だが、元スタイリストだったおばが「女の子なんだから、いいチャンス。アルバイトで社会経験させると思って、やらせてあげなさいよ」と説得してくれた。こうしてオーディションを受け始めると、テレビCMや、ティーンエイジャー向け雑誌のモデルの仕事が、徐々に決まっていく。「中2のときには、片岡鶴太郎さんが司会を務める『鶴ちゃんのいちごチャンネル』(’85~’86年・テレビ朝日系)に、アシスタントとして出演することに。生放送で、目の前でアイドルが歌う場面もたくさんあり、なかには大好きなシブがき隊も!まだ怖いもの知らずの中学生だったから、モックンに直接、サインをお願いしちゃったりしました。その後も、テレビに出るたびに『モックン、大好き』って言っていたら、めでたく“ご本人公認”のファンになったんです(笑)」■歌番組が減る中、歌手としては鳴かず飛ばず……芸能界での仕事が増えていくなか、中学を卒業。高校はアイドルが多く通う堀越学園に進学した。「ちょうどそれくらいのタイミングで、突然、事務所の方から『歌、やるよ』と。それまで歌のレッスンはしていなかったので“え!?”って、びっくりして。しかも杏里さんの“妹分”としてのデビュー。『CAT’S EYE』や『悲しみがとまらない』などのヒット曲はもちろん、『砂浜』というバラード曲が、歌詞もメロディラインもとにかく大好きで、いまでもカラオケで歌ったりします。作詞・作曲を担当したかおる(伊藤薫)さんには、私の曲もお願いしたんですよ」レコード制作には、杏里の制作陣も名を連ねたという。なかでも感激したのは、筒美京平さんが直々にレッスンしてくれたこと。「当時すでに大御所の先生だったので、最初は緊張したんですが、すごく優しい先生でした。『君は声に特徴がある。もっとキョンキョンみたいな歌い方を心がけて練習するといいよ。“この声って、この人だよね”という“顔の見える”歌い方をしなきゃ』とアドバイスしてくださったのを、よく覚えています」歌手デビュー後は、3カ月に1枚のペースで新譜を発表し、そのたびに衣装を詰めたトランクを担いで、全国へ営業に出かけた。「各地のラジオ局や、レコード店を回ってプロモーションをするのですが、お店の前やデパートの屋上で歌うことで、けっこう本番力も養われました。2番の歌詞を忘れてしまい、とっさに1番を歌い続けたり、ラララ、ルラルラで乗り切ったことも。いまだに当時の困ってしまう夢を見て、びっくりして起きてしまうことがあるんです」田中さんが歌手デビューした’88年ごろは、すでに歌番組が減り、バラエティ番組に活路を見いだすアイドル=バラドルという新しいジャンルが生まれた時代。「クイズ番組で正解しないと歌えなかったり、水泳大会ではキャーって水を怖がっているアイドルを尻目に“よっしゃー!”と誰よりも早く泳ぎきって、賞品のスクーターやダイヤのネックレスをもらったりしました」必死に努力はしたが「歌手としては鳴かず飛ばずでした」という田中さん。だが、それでもテレビの世界で頑張り続けたからこそ、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったフジテレビの、月9ドラマ『愛しあってるかい!』(’89年)への出演も果たせた。「陣内(孝則)さん、柳葉(敏郎)さん、そしてキョンキョン(小泉今日子)と、豪華な方々と共演できたことは、私にとって大転機。視聴率もすごくよくて、1,000円が入った大入り袋が、スタッフの方を含めた全員に、配られました。カラオケに行くと、エンディング曲だったキョンキョンの『学園天国』(’89年)を、友達に勝手に入れられたりしましたね(笑)」昼間は堀越高校の、夕方からは学園ドラマの生徒として――。「一日中、制服を着ていましたね。撮影の合間に、ADさんに期末テストの勉強を教えてもらったり、プロデューサーさんに『修学旅行、行きたいだろ』って京都に修学旅行に行く回を作ってもらったり、楽しい思い出ばかりです。陣内さんはホームパーティに招いてくれたうえ、『律子は俺の生徒だ』って紹介してくれました」歌の現場でも、ドラマの現場でも、勢いを感じた’80年代。「私たち高校生も大人のように扱ってくれて、すごい熱量で一つの作品を作り上げました。この経験は間違いなく、その後の人生の糧となっています」
2021年10月18日近藤真彦(56)が4月30日をもって、ジャニーズ事務所を退所したと発表された。事務所公式サイトでは、《近藤より、これからの人生、自分の責任において芸能とレースの道を歩んでいきたいとの申し出がございましたので、弊社としましては、その意向を尊重し、自身で決めた道へと送り出すことといたしました》と報告された。昨年11月、『週刊文春』によって25歳下の女性との不倫交際が報じられた近藤。報道から約1週間後、事務所公式サイトで無期限活動自粛が発表された。近藤は相手女性との関係を認め、「一連の出来事に対する責任を取り、芸能活動を自粛したい」と申し出たという。事務所は「家庭を持つ一社会人による振舞いとして大変軽率であり、自覚と責任に欠ける行動」とし、「最年長である近藤の処分として当然の結論」とコメント。近藤の“弟分”でもある東山紀之(54)も、昨年11月22日放送の『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)でこう残念がっていた。「事務所の中でも世の中的にも、年を経て責任というのは変わってくると思う。その責任を果たしていない近藤真彦さんには、大変大きな失望感があります」’80年12月に、筒美京平さん(享年80)作曲の『スニーカーぶる〜す』で歌手デビューした近藤。昨年はデビュー40周年を華々しく飾るはずだった。しかし一連の報道によって、昨年12月に予定していたツアーファイナル公演は中止に。CMやレギュラーラジオ番組『近藤真彦くるくるマッチ箱!』(文化放送)も打ち切りとなった。「’18年に山口達也さん(49)が未成年への強制わいせつで書類送検されたことを機に、ジャニーズでは“全員参加必修”のコンプライアンス講習を実施しました。社会人としての自覚を身につけるため、Jr.はもちろん、ベテラン勢まで受講したといいます。近年、ジャニーズ事務所は不祥事のあった所属タレントを厳しく処分してきました。“長男”である近藤さんといえど、特別扱いはしなかったということでしょう。その後もファンは近藤さんの復帰を待ち望んでいましたが、このような結果に……。信頼回復がなされないまま、退所という形になってしまいました」(スポーツ紙記者)多くのファンや後輩たちを残し、近藤はどう歩んでいくのだろうかーー。
2021年04月30日11月11日、「文春オンライン」によって30代の女性社長との不倫交際が報じられた“マッチ”こと近藤真彦(56)。記事によると、近藤と女性は10月下旬に沖縄県のリゾート地でゴルフを楽しみ、同じホテルの部屋で過ごしたという。5年前に会食を通じて出会ったという2人だが、近藤が女性を“略奪した”とも報じられた。17日未明、ジャニーズ事務所は公式サイトで近藤の無期限芸能活動自粛を発表。近藤は女性との交際を「事実である」と認めたという。94年に一般女性と結婚し、07年に生まれた一児の父でもある近藤。報道から1週間経っての発表となったのは、「家族と本人が話し合う為の時間を要していた」と説明。その結果、近藤自ら「一連の出来事に対する責任を取り、芸能活動を自粛したい」と“ケジメ”を申し出たという。77年に入所して以来、ジャニーズでは“長男”でもある近藤。田原俊彦(59)、野村義男(56)との「たのきんトリオ」を経て、80年12月に『スニーカーぶる~す』でソロデビュー。同曲は10月に逝去した筒美京平さん(享年80)作曲で、ジャニーズ史上初のミリオンセラーを樹立した。近藤にとって、今年はデビュー40周年という大きな節目。感染症拡大によって7月から11月まで中止となっていたツアーは、12月に2日間にわたり最終公演が開催される予定だった。また、『2020 FNS歌謡祭』(フジテレビ系)への出演も決定していた。ようやくファンの前に立てるチャンスだったが、今回の不祥事で白紙となってしまったようだ。ファンからは悲しみの声が広がっている。《中学生の時から好きだったのに…ショック》《マッチやっちゃいました。筒美京平先生が亡くなられた直後で、非常に残念》《マッチそうなったか…今年40thのコンサート、コロナで殆ど中止になってデビュー記念日の12月だけは出来るはずだったのに》
2020年11月17日2020年10月12日、作曲家の筒美京平さんが亡くなりました。80歳でした。サンケイスポーツによると、誤嚥(ごえん)性肺炎のためとのことです。「また逢う日まで」「17才」「サザエさん」など、世代を超えて親しまれる名曲の数々を生み、昭和の歌謡曲黄金期を支えた作曲家の筒美京平(つつみ・きょうへい、本名渡辺栄吉=わたなべ・えいきち)さんが7日午後3時ごろ、誤嚥性肺炎のため東京都内の自宅で死去したことが12日分かった。80歳。サンケイスポーツーより引用筒美さんは、昭和の歌謡曲を数々作曲。近藤真彦さんの『スニーカーぶる~す』や、ジュディオングさんの『魅せられて』、太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』などの名曲を生み出してきました。いしだあゆみさんの『ブルー・ライト・ヨコハマ』では、日本レコード大賞作曲賞を受賞。また、アニメ『サザエさん』のオープニング曲の作曲者でもありました。人気曲を多数手がけた作曲者の訃報に、悲しみの声が上がっています。・筒美さんが作曲した曲はどれも好きでした。・歌謡曲のレジェンドが…。悲しいです。・筒美京平さんの曲で育ったものです。数々の記録を残している方。突然の訃報は、多くの音楽関係者にも衝撃を与えたようです。筒美さんの残した名曲は、いつまでも私たちの心に残ることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年10月12日「これまで多くのアーティストと仕事をしてきましたが、TOKIOの長瀬智也とKinKi Kidsの堂本光一の実力には、驚かされました」そう語るのは編曲家の船山基紀さん(68)だ。中島みゆき(67)の『時代』や沢田研二(71)の『勝手にしやがれ』、五輪真弓(61)の『恋人よ』やC-C-Bの『Romanticが止まらない』、Winkの『淋しい熱帯魚』など、時代を彩ってきた多くの曲のアレンジを行い、堂本光一(40)主演の舞台『Endless SHOCK』などの舞台音楽も手掛けてきた船山さん。これまで編曲した曲は2,700曲以上を数え、編曲家部門のシングルの総売上げは小室哲哉(60)に次いで日本2位だ。10月10日にこれまでの編曲家人生を振り返って、『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』(リットーミュージック)を出版したばかり。そんな船山さんは、『Endless SHOCK』で製作総指揮を執る堂本光一と、一緒に楽曲を作り上げる過程で、その才能に触れてきた。一方、長瀬智也(40)にもTOKIOの楽曲の編曲を通じて、才能に驚かされてきたという。船山さんはTOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』や『宙船』などの編曲を手掛けている。’03年の『AMBITIOUS JAPAN!』はなかにし礼さん(81)作詞で、筒美京平さん(79)作曲。JR東海とのタイアップ曲で、ヒットが至上命題とされていた。レコーディングはなかにしさんと筒美さんが見守る中で行われた。「メンバーたちからは緊張感がありありと伝わってきました。でも、TOKIOはさすがですね。満足できるレコーディングになりました」結果、曲は大ヒット。今もJR東海を象徴する曲として、多くの人に愛されている。「製作者」としての長瀬の実力の高さに船山さんが驚いたのは、’06年の『宙船』のときだ。中島みゆきがTOKIOに提供したこの曲の「編曲」は船山さんの名前がクレジットされているが、長瀬も大きく関わっていたという。「TOKIOの曲を中島みゆきがやるというので驚いて。どうなるんだろうと思っていた。みゆきからは『あまり私のイメージじゃなくて、TOKIOのイメージでやってほしいんです』、というリクエストがありました」いったいどういう編曲にしようか、と考えていたら……。「長瀬くんが自分でデモテープを作って持って来た。自分でギターを弾いて、(コンピューターの)打ち込みでドラムを入れ、歌も歌って。ちゃんと、TOKIOの色になっていた。“おお、そっか!”と思って。衝撃的でしたね。こんなことまでできるんだと。それまでも、TOKIOの曲をアレンジしていたので、だいたいのことはわかっているとは思っていたんだけど、裏切られましたね。中島みゆきの曲をこんな風に表現するなんて、すごいなぁと思って」「このまま発表しても何の問題ないくらいの完成度だと思った」と船山さんは笑うが、レコード会社や事務所の意向もあって、より派手な曲になるようにアレンジを施した。「といっても、長瀬くんが作ってきたものを元にして、僕はそれをいろいろと膨らませる作業をしただけだよ」レコーディングは、ほとんど長瀬に任せきりの状況だった。「僕は寝ていたようなもん(笑)。この編曲なら、声を張って歌ったほうがいいとか、勘がすごい。単純な8ビートでも、重いとか軽いとか、ドラムで立たせたい音のポイントとか、強いこだわりを持っている。長瀬智也は生粋のバンド小僧なんです」その後も、中島みゆき提供の『本日、未熟者』や長渕剛(63)提供の『青春 SEISYuN』などのTOKIOの曲の編曲を船山さんは担当したが、いずれも長瀬が楽曲のイメージの指針となるデモテープを作った。「長瀬くんからは、自分の作品を作っていきたいという強い思いを感じていました。彼自身も、当時から曲を常に作り続けていたみたいです。もう好きでしょうがないわけ。本人も『ものすごい量の曲のストックがあるんです』とか言っていたなあ」その言葉を証明するかのように、長瀬は「製作者」としての才能を発揮していく。かつてTOKIOのシングル曲は、プロの作詞家、作曲家によるものや、アーティストの提供のものが多かった。しかし、近年のシングル曲はすべて、長瀬の作詞・作曲によるものだ。長瀬に引っ張られるように、ほかのメンバーも勉強し、研究する。「長瀬くんはいちばん年下じゃない?だけど、すごくTOKIOの方向性にすごく影響力が強いんだと思う。長瀬がやるから、他のメンバーたちもものすごく勉強する。TOKIOのこだわりは、ライブハウスを経てデビューしたバンドと変わらない」しかし、現在、TOKIOは音楽活動を休止中。’17年、長瀬作詞作曲のシングル『クモ』を最期に楽曲の発表はされていない。「あれほどの才能を発揮できないのは、本当に悲しいことだよ」日本を代表する編曲家が惜しむ長瀬の才能。いつの日かまた、TOKIOの新曲を聴くことができる日がくることを、ファンのみならず、多くの人が待ち望んでいる。(取材:岡野誠)
2019年10月17日本格的に音楽活動を再開させると発表した中山美穂(49)。各メディアによると中山は今冬に新曲をリリース予定。自身の誕生日である来年3月1日には、初コンサートを行った思い出の地・中野サンプラザホールでのライブも開催。「音楽から遠ざかって随分と経ちますが、私の気持ちはいつだって音楽で溢れています」「また歌えることの喜びを皆さまにお伝え出来る日が来るなんて信じられません」とコメントしているという。中山といえば88年2月リリースの「You’re My Only Shinin’ Star」で第30回日本レコード大賞・金賞を受賞。さらに92年10月期のドラマ「誰かが彼女を愛している」の主題歌に起用されたWANDSとの楽曲「世界中の誰よりきっと」は183万枚の売り上げを記録している。女優でありながらも中山の歌手活動には松本隆(69)や筒美京平(79)、大貫妙子(65)に角松敏生(58)といった名うての作家陣が助力。ロサンゼルスでのレコーディングも行われていた。ベストアルバム「YOUR SELECTION 1~4」が発売された01年3月、キングレコードのスタッフは本誌に彼女の歌手生活の秘話を明かしていた。当時のディレクター・福住朗氏はデビュー当時をこう回想している。「日に焼けて色が黒くて野性的な魅力があってね。杏里が好きで『オリビアを聴きながら』が好きだと言ってましたね。ボイストレーナーに通い始めて、3~4年はレッスンに通っていましたよ」作詞を手掛けることもある中山。福住氏は「詞を書き始めたのは14歳から」と明かし、さらに作詞方法についてこんなエピソードも語っている。「最初は断片的なものでしたが、紙の切れ端にその時感じた言葉を書いて、溜まると、僕に手紙をくれたんです。時にはホテルの便箋だったり、スケッチブックに書いてくれたり。チューリップの絵がよく描いてあったなぁ。あれは美穂の“心の歌”でしたね」多感な時期から中山を見守り続けていたスタッフたち。次第に彼女が大人の女性歌手へと成長していく姿をこう回想している。「19~20歳になると、洋服の雰囲気が変わってきました。そういえば突然、髪を切ったこともあったな。『HERO』(94年)のジャケットはその時の写真ですね」(当時の宣伝部長・大澄雅人氏)「いちばん驚いたのはアルバム『MidBlue』(95年)の時。深夜から朝早くまで録音して、一度、録り終えたのに、彼女、戻ってきて『もう一度歌いたい。納得できない』って。あの年は忙しくてレコーディングのリミットも決まっているなか、作詞もし、毎晩、遅くまでレコーディングしてたのに、ホントに根性のある人だと思いましたよ」(当時のディレクター・浅沼正人氏)レコーディングのさなか、中山はスタッフたちに手料理を振る舞うこともあったという。その気さくな姿はスタッフ間でも評判だったようだ。「人の話を聞く時も、相手の目を真っ直ぐ見て目をそらさないんです。気持ちが見透かされているんじゃないかと思うぐらい。その一方で、スタッフに『ありがとう』とか、カードをくれるこまやかさがあるんです」(大澄氏)ジャンルを問わずパワフルに活躍し、いっぽうでスタッフへの感謝も忘れない中山。その姿からスタッフは皆、「美穂ちゃんと仕事をすると自分自身が向上できる。彼女から育った人は多いんですよ。人を開花させる何かをもったとても不思議な人なんです」と口を揃えたという。歌手活動を通じて周囲を明るくする中山。今冬も大旋風を巻き起こしそうだ。
2019年06月23日