“論破王”として知られる“ひろゆき”こと西村博之氏(47)を、対談やX(旧ツイッター)で何度もきりきり舞いにしてきたのが、医師と弁護士資格をもつ立憲民主党の米山隆一衆議院議員(56)だ。昨年12月にYouTubeのネット番組で行われた対談では、言葉の端々の矛盾や知識不足を指摘し、ひろゆき氏の“まばたきを止まらなくした”ことでも話題になった。一方、本職の国会議員の仕事の方はというと……。■「さすがに総理がこんなこと言ったら困るでしょ」2月6日の衆議院予算委員会で、岸田文雄首相(66)と直接対決した米山議員。議題は、自由民主党から二階俊博元幹事長(84)が約50億円もの資金を貰っていたことについて。自民党の政治資金収支報告書によると、幹事長時代の2016~2020年までの5年間だけで、なんと約47億4千万円もの資金が自民党から二階氏のもとに渡っていたという。米山氏は、“政治資金規正法の総量規制があるため、二階氏は年間3000万円までしか、他の政治団体や政治家に寄付できない。自民党から寄付された資金のほとんどを自分で使ったことになる”と指摘すると、岸田首相はこう反論した。「“(自民党から二階氏への)寄付”であれば、総量規制等さまざまな制限がかかる。しかし、これは“支出”していると申し上げています。『党のために使ってください』といって渡すのが支出であります。『あなたのためにお渡しします』というのが寄付であります。そして寄付については総量規制がかかっているということであります」つまり、自民党から二階氏への資金の流れは“寄付”ではなく、使い道を決めた“支出”だから、一時的に二階氏の手元にお金があっただけで、例え二階氏が他の政治団体や個人にお金を寄付したところで、“総量規制”の対象にはならないという論理らしい。しかし、米山氏はすかさずこれを“論破”。「いいですよ、(寄付ではなくて)支出で。支出だとしても、それは相手にお金が移転するものを支出っていうんです。それは政治資金規正法に書いてあります」法に照らせば、資金は二階氏に移転したことになると指摘。「逆に“二階さんに移転していない、もう政党として使途を決めているんだ”というなら、その使途を(自民党の政治資金収支報告書に)書かなきゃだめですよ。支出の相手方が二階さんですから、本当は電通にわたすのに、二階さんが振り込んだだけなのに二階さんと(報告書に)書いたら、それ虚偽記載ですから」米山氏は、むしろ岸田首相の説明だと、自民党の収支報告書が虚偽記載になると指摘したうえでこんな嫌味を。「これ(質問)通告してるんですから。レクしておいてくださいよ。さすがに総理大臣がこんなこと言ったら困るでしょう」■「『ちゃんと使ってくれると思います?』ってどうなんですか?」資金が自民党から二階氏に移転したと確認されたところで、話題は“年間10億円もの資金を本当に使っていたのか“に移る。手持ちの資金のうち3000万円までしか他所へ寄付できないので、ほとんどすべてを二階氏が使ったということになる(残金を出せない理由は後述)。米山氏が、そのことを二階氏に確認したかと岸田首相に問うと、こんな答弁が。「政治資金が法令に基づき適正に取り扱われるべきことは当然のことであり、二階幹事長においても政策活動費、党のために、党勢拡張のために使用しているものと当然“認識しております”」米山氏は「つまり確認しなかったわけですよね。認識している、確認してない」とすかさず突っ込み。そして、自民総裁は《党を代表し、党務を総理する》と自民党の党則にあると読んでこう続けるのだ。「党務を総理するわけですよ。10億円も支出しておいて、『その使途について何も確認もしておりません。きっとちゃんと使ってくれると思います』って、それどうなんですか?」“岸田総裁”の職務怠慢ぶりを強烈に皮肉った。■資金が残っていたら、即脱税1年間10億円という金額は、1日に換算すると261万円、1時間だと10万9千円になるという。そのうえで、米山氏はこう指摘する。「ちょっと二階幹事長ね、5年間、365日、24時間、雨の日も晴れの日も、寝てるときも起きてるときも、1時間ごとに10万円。ひたすら政治のためにお金を支出し続けた?あり得ますか?あり得ないですよ。通常、これは誰がどう常識的に考えても、相当額が残余として残っています」仮に、政党から支出されていた政治資金が手元に残っていた場合は、それは“雑所得”となり、課税対象となると説明。国税庁の担当者にも事実確認をしたうえで、こう質問した。「課税対象なんです。申告、納税の義務があるはずなんですよ。だから、ちゃんと『残ってますか?』くらい聞くべきなんです。そう確認するのが、総理たるもの総裁たるものの責務でしょ?二階さんは全額使ったのか、使ってないのか、確認したかも含めてお答えください」しかし、岸田首相は「申告すべきものがあれば、これは適切に申告されているものであると“認識している”」「全額、政治活動のために支出をしているものと“認識をいたします”」と、またもや“認識している”答弁。これには米山氏はこう指摘した。「つまり、総理はいま自民党総裁としても、総理大臣としても二階さんに確認しておりませんとおっしゃられたわけです」その後、米山氏は一般人であれば、二階氏のように10億円を貰って使途が明らかでない場合、間違いなく税務署の税務調査の対象になると指摘。一般論として、“課税上問題があると認められる場合には税務調査が行われること”や、“適正公正な課税の実現に努める”という岸田首相と国税庁の答弁を引き出して、二階氏の問題についての質問は打ち切った。5年間で約50億円をほぼ一人で使い切っていなかった場合、二階氏は“脱税”となることを国会の場で確認し、政府に“公平な課税の実現”を約束させた米山氏。国会中継を観れば、“ひろゆきの天敵”とはまた別の顔が見てとれるかもしれない。
2024年02月07日ひろゆきこと西村博之氏(47)が1月13日、『ABEMA Prime』(ABEMA)で元新潟県知事の米山隆一衆議院議員(56)と対談。能登半島地震を受け、限界集落の“集団移住”について話した。1月8日、Xに《非常に言いづらい事ですが、今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。地震は、今後も起ります。現在の日本の人口動態で、その全てを旧に復する事は出来ません。現実を見据えた対応をと思います》と投稿していた米山氏。高齢化した集落はインフラを整備するより、住民を住みやすい地域に移住させるべきだとの考えを示した。この日の『ABEMA Prime』で米山氏は、平時にこの議論を持ち出したとしても“いま大丈夫だから(移住はしなくて)大丈夫じゃない?”と言われてしまうと指摘。新潟県知事を務めた経験から、人口が減少するなかでインフラ維持のために現在と同じように費用を割き続けることは難しいと指摘。「住みやすいところに住んでいただこうってごく普通のことだと、僕は当然の提案だと思うんです」と主張した。しかしひろゆき氏は「人が死んでて埋まってるときにやるべきじゃないよねっていう普通の話を僕してるんですよ」と反論。さらに、「結局平時の場合だと注目浴びないから、じゃあ炎上したほうがわりと注目浴びるよねっていう、なんか“炎上芸人”的な動きの結果がいま(この議論をすること)なのか」とも続けた。“炎上芸人”のようだと言われた米山氏は、「そういう悪意はやめようよ、本当に。意味ないから」と呆れたような笑みを見せた。ひろゆき氏はなおも「1ヵ月後じゃなぜ意味ないんすか。僕わかんないです。1ヵ月後だとなぜこの議論が意味がないんですか」と食い下がったが、米山氏は「ほとんど本質的じゃない」と、細部を指摘するひろゆきに不快感をあらわにした。さらにひろゆき氏は「人が(今後)住まないんだからインフラ投資しなくていいよねっていうふうに考えてしまうっていう実害があるんですよ」と語り、いまの時点で移住の議論を持ち出すことによって義援金が減る可能性を指摘した。しかし米山氏は「“義援金が減ったら”というのはあなたの一懸念でしかないわけですよ。べつに本当に義援金減るかどうかわかんないですよ。むしろ新しい取り組みとして“移住にこれから支援します”“町場に行っていただくことに公的に支援します”“だからお金足りないから義援金お願いします”って言ったらむしろもっと(義援金は)増えるかもしれない」「自分の勝手な懸念をまるで絶対かのように言って、しかも“議論すんな”みたいな話ってちょっと独善が過ぎると思うよ」と指摘。それでもひろゆき氏は、未だ被害の全容が明らかではないことから「移住させられる人たちがどういう状況かって把握もしてなくて、東京に住んでる人たちが“こうすべきだ”“移住すべきだ”とか今の時点で判断すべきだっていうのは違うでしょ」と主張。しかし米山氏はあくまで“集落ごと移住する選択肢を震災を機に考えるべき”というスタンスであり、ひろゆき氏に対して「そんな話誰もしてないから。常にそうやって話変えるけど、まずね、大きな方針として移住も考えなきゃいけませんよねって議論をしてるだけじゃないですか。個別の話なんてできっこないし、しようともしてないわけですよ。それを“いや個別のことはできないだろ”“今するな”みたいな話に極論に変えるのはやめてください」と言い返した。また、ひろゆき氏は集団移住は「移住する本人が決めるべき」と主張し、「能登の人たちが議論に参加しないところで、大方針として“移住にするんだ”とかいうのを決めるのは東京の無意味なことをやってる感じがする」と苦言を呈したが、司会進行を務めた平石直之アナウンサー(49)が「強制移住させるっていう話はしてない」とたしなめる場面もあった。集団移住の概略について話したい米山氏だったが、細部を指摘し続けるひろゆき氏によって議論が深まらない結果に。コメント欄には、ひろゆき氏に対して批判的な声が相次いでいる。《ひろゆきはマウント取りに躍起になるんじゃなくて、本筋のところで議論を深めて欲しい。こんな大事なトピックだからこそ、小競り合いに終始するのではなく誠実な態度で対峙しなくてはいけないんじゃないかなぁ。》《ひろゆきさんの言ってることは感情論と屁理屈だけ。言葉尻をとらえて人を貶めることしか考えてないように感じてしまう。米山さん言ってることが圧倒的に正しいと思うのだが。》《ひろゆきってこんなんだっけ?行政が出来ることって視点では米山の言ってることは十分理解出来るものなのに、ディベートで勝つことしか考えてないから議論を深めることの邪魔にしかなってない。》
2024年01月15日ヨウジヤマモト社が展開するGround Y(グラウンド ワイ)は、“女性画”などをモチーフに、米山舞らイラストレーターとコラボレーションした新作アイテム「“CENTRAL”COLLECTION」を受注販売。Ground Y 直営店舗にて、2022年4月28日(木)から5月8日(日)まで受注を受け付ける。米山舞やダイスケリチャードなど気鋭イラストレーターとコラボ「“CENTRAL”COLLECTION」では、「キルラキル」「キズナイーバー」『プロメア』などに携わった米山舞や、ダイスケリチャード、ろるあ、BerryVerrine、寺田てら、tamimoonといった新進気鋭の人気イラストレーター6名とコラボレーション。ヨウジヤマモト社からイメージして描いた女性画や、各作家の代表的な作画を落とし込んだウェアを展開する。米山舞によるシンプルな線描をあしらったモノトーンのジャンボシャツや、全面にプリントを施したビッグカットソーをはじめ、半身で白黒の世界観を描き分けたるろあのシャツ、インパクトのあるプリントを全面に配した寺田てらのジャンボカットソーなど、各作家の個性的な世界観を反映したアイキャッチなウェアが揃う。表参道でイラスト&サンプルの展示会もコラボレーションアイテムの発売を記念して、表参道の複合的カルチャースペース「SPAGHETTI」では、4月28日(木)から5月8日(日)まで展示会を開催。イラストレーターの描き下ろしイラストや、各アイテムのサンプルを展示。会場でも、受注を受け付ける。尚、「“CENTRAL”COLLECTION」のビジュアルには俳優の荒牧慶彦と、女優の武田玲奈が起用されている。【詳細】Ground Y × Illustrators “CENTRAL”COLLECTION受注受付期間:2022年4月28日(木)~5月8日(日)受注受付店舗:Ground Y 直営店舗(ギンザ シックス / ラフォーレ原宿 / 渋谷パルコ / 心斎橋パルコ)、公式オンラインストア「ザ ショップ ヨウジヤマモト」※直営店舗では実際にサンプルを試着可能。※公式オンラインストアでは 4月28日(木)10:00~5月8日(日)23:59まで。・米山舞 ジャンボシャツ 68,200円、ビッグカットソー 29,700円・ダイスケリチャード ジャンボカットソー 33,000円、ビッグカットソー 29,700円・ろるあ ベーシックシャツ 49,500円、半袖カットソー 16,500円・BerryVerrine シャツドレス 69,300円、ビッグカットソー 29,700円・寺田てら ジャンボ半袖シャツ 66,000円、ジャンボカットソー 33,000円・tamimoon ビッグフーディー 39,600円、ビッグカットソー 16,500円■展示会「CENTRAL」開催期間:4月28日(木)~5月8日(日) 各日12:00~19:00開催場所:複合的カルチャースペース「SPAGHETTI」住所:東京都渋谷区神宮前 5-3-13 TWINPLANET North BLDG 1F※展示会会場でも受注受付。【問い合わせ先】ヨウジヤマモト プレスルームTEL:03-5463-1500
2022年04月24日真っ暗なステージにスポットライトが当たると、ギターを抱えた歌手・野口五郎(64)の姿が浮かび上がった。野口が特別な思いを寄せる場所、Bunkamuraオーチャードホールで2月22日、『Goro Noguchi 50TH ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2020 I can sing here~今ここで歌える奇跡~』が開かれた。今年は、デビュー50年目に突入する大きな節目の年でもある。会場が揺れるほどの「ゴロー」コールを巻き起こしたかと思うと、しっとり聴かせる。その緩急織りまぜた演出に圧倒された――。そんな、ファンを魅了し続ける彼の、大ブレイクに至るまでの道を語ってもらった。野口五郎(本名・佐藤靖)は、56年、岐阜県美濃市で生まれた。「父方の祖父が人形浄瑠璃の語りをやっていて、親父も歌手を目指して頑張っていたんです」ところが、太平洋戦争で召集され、歌手の夢は断たれてしまう。「母も歌手志望で、ポリドールレコードからデビューする話もあったんです。でも、家族に大反対されて断念。戦後、ボランティアの青空楽団の専属歌手をしていて、父と知り合った。だから、家族全員、歌が好き。家族みんなでよく、しりとり歌合戦をしましたね。いちばん古い僕の記憶は3歳。町内ののど自慢大会に出たんです」小学生になると頻繁に全国のど自慢大会に参加するようになった両親は全力でバックアップ。息子に自らの夢を重ねていた。小6から、のど自慢の審査員をしていた米山正夫氏に師事。月1回、東京に通ってレッスンを受け、米山氏作詞作曲の『友情の花束』でデビューすることが決まった。中学2年の5月。いよいよ上京。「米山先生に上京のご挨拶に行き、声を出したら、なぜか声が出なかった。先生に『少し休みましょう』と言われて、デビューの話もなくなったと思っちゃったんです」一緒に上京した母とともに4畳半の部屋を借り、母は、印刷工場の作業を手伝うかたわら、夜は洋裁の内職にも励んで、支えてくれた。慣れない土地で、朝から晩まで働きづめの母に申し訳なくて、弱音も吐けない。月に1度、仕送りを持って上京する父には何度、「俺、ダメだから」と、言おうとしたかわからない。「頑張れよ」と言って、帰っていく父を追い、わざと見つかるように地下鉄の駅までついていった。「見つかったら、『親父、もう帰るよ』って言おうと決めていたのに、親父は振り向いてもくれなくて。あとで聞くと、実は気づいていたみたい。振り返って抱きしめたかったけど、心を鬼にして気づかないふりをしていた。そんなことも当時の僕にはわからなくて」頑張るほかに道はない。新聞でオーディションの告知を知り、スクールメイツにも入った。友人のバンドに入って、赤坂のライブハウスで歌ったりもした。歌への情熱だけはなくさなかった。上京から2年、15歳で演歌でのデビューが決まった。デビューしても、歌番組の仕事ではなく、九州など地方での営業ばかり。レコード店を回り、みかん箱に乗って拡声器で歌ってレコードを1枚1枚手売りする。夜は、年齢をごまかしてストリップ劇場やキャバレーで歌った。「お客さんは踊り子さんやホステスさんが目的だから、僕は邪魔。指で弾いた火がついたままのたばこがビーンッて飛んでくる。それを素早くよけるのが、ずいぶんうまくなりました(笑)」「坊主、レコード買ってやるよ」と呼ばれて行くと、いきなり酒を頭からかけられる、というような日々が続く。しかし、チャンスは突然やってきた。転機はデビューの3カ月後。演歌からポップスに転向した野口の2枚目のシングル『青いリンゴ』がスマッシュヒットを飛ばす。スターダムに上りつめるきっかけだった。「正直、思い出したくない過去もある。それでも50年、歌い続けている。これは奇跡。ファンや仲間の支えがあって、ずっと『この思いを届けたい』という信念があったから、できたんじゃないかな」少しホッとしたような表情で語った野口。50年目の今も、彼の声のキーは、デビュー当時から全く変わらない。今も、そしてこれからも、美しく伸びやかな高音を響かせ続ける――。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月09日