映画『ゴジラ-1.0』(公開中)が11日、第96回アカデミー賞で 「視覚効果賞」を受賞した。同作はアメリカ・ロサンゼルスで開催され、世界最高峰の映画賞である「第96回アカデミー賞」にアジア圏の映画で初めて「視覚効果賞」にノミネートされていたが、現地時間3月10日16時(日本時間3月11日8時)より始まった授賞式において見事受賞した。「視覚効果賞」(Academy Award for Visual Effects)はその年に公開された映画の中で最も優れた視覚効果(VFX)を用いた作品に与えられる栄誉で、アカデミー賞で最も注目される部門のひとつ。過去には『スターウォーズ』、『タイタニック』、『アバター』などの映画史を代表する傑作が受賞してきました。ノミネート作品代表者としてアカデミー賞授賞式に参加したのは、監督・脚本・VFXを担当した山崎貴監督、VFXディレクターの渋谷紀世子氏、3DCGディレクターの高橋正紀氏、エフェクトアーティスト/コンポジターの野島達司氏の4名。現地時間13時頃、4名は全員“ゴジラシューズ”を履いて登場し、取材に来た現地のメディアを沸かせた。授賞式の中盤、いよいよ「視覚効果賞」の発表に。プレゼンターであるアーノルド・シュワルツェネッガー、ダニー・デヴィートは受賞作の書かれた封筒を開け、少し沈黙した後に「GODZILLA!」と読み上げた。会場中に大きな歓声が響き渡り、その中で歓喜の表情を浮かべながら壇上に上がる受賞者4名。代表して、英語でスピーチをした山崎監督は 「40年以上前に『スターウォーズ』と『未知との遭遇』を見たショックからキャリアをスタートさせた私にとって、この場所は望む事すら想像しなかった場所でした。ノミネートの瞬間、私たちはまさにロッキー・バルボアでした。強大なライバルたちの前でリングに立たせてもらえた事はすでに奇跡でした。しかし私たちは今ここに居ます。この場所から遠く離れた所でVFXを志しているみんな! ハリウッドが君たちにも挑戦権がある事を証明してくれたよ! 最後にスタッフキャストを代表して、去年失った我々のプロデューサー、阿部秀司さんに言いたいです。『俺たちはやったよ!』ありがとうございました!」(日本語訳)と、溢れる喜びの気持ちを伝えた。長い歴史を持つ「アカデミー賞」の中で、監督として「視覚効果賞」を受賞したのは『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリックのみであり、山崎監督は55年ぶり、史上2人目の受賞監督となる。また、日本映画だけでなく、アジア圏の映画で同賞を受賞した実績はなく、史上初の快挙となった。3月3日までの公開122日間で観客動員392万人、興行収入60億円を突破。2023年に日本で公開された実写映画ランキングで第1位!(※興行通信社調べ)となっている。北米では現地時間の2月1日までの63日間で上映が終了し、最終興行収入は5,641万ドル。北米で公開された邦画実写映画の興行収入記録を大きく塗り替え、歴代1位。北米公開の外国語の実写映画の歴代興収の中でも3位という記録を残した。世界各地でもヒットし、日本興収も含めた全世界累計の興行収入で160億円(※)を突破している。(※現時点のレートで換算)○■山崎貴監督 受賞時のスピーチMy career began 40 years ago, after the shock of seeing Star Wars and Close Encounters of the 3rd Kind.To someone so far from Hollywood, even the possibility of standing on this stage seemed out of reach.The moment we were nominated, we felt like Rocky Balboa — welcomed into the ring as equals by our biggest rivals, which was already a miracle.But here we stand.To all the VFX artists outside Hollywood, Hollywood was listening, and this award is proof that everyone has a chance.Finally, on behalf of the cast and crew of Godzilla Minus One, I want to tell our producer, Shuji Abe, who we’ve lost too soon…We did it! Thank you so much!!・日本語訳四十年以上前に『スターウォーズ』と『未知との遭遇』を見たショックからキャリアをスタートさせた私にとって、この場所は望む事すら想像しなかった場所でした。ノミネートの瞬間、私たちはまさにロッキー・バルボアでした。強大なライバルたちの前でリングに立たせてもらえた事はすでに奇跡でした。しかし私たちは今ここに居ます。この場所から遠く離れた所でVFXを志しているみんな! ハリウッドが君たちにも挑戦権がある事を証明してくれたよ!最後にスタッフキャストを代表して、去年失った我々のプロデュ―サー、阿部秀司さんに言いたいです。「俺たちはやったよ!」ありがとうございました!
2024年03月11日障害者手帳には3種類ある「障害者手帳」とは、身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の3種類の手帳の総称です。身体障害者手帳は、身体障害者福祉法に基づき、身体の機能に一定以上の障害があると認定された方に交付される手帳です。障害の種類や程度によって1級から7級の等級が定められています。療育手帳は、知的障害(知的発達症)があると判定された方に交付される手帳です。自治体によって名称が異なる場合があり、例えば東京都や横浜市では愛の手帳、青森県や名古屋市では愛護手帳という名称で療育手帳が発行されています。知的障害の程度によって手帳の等級が判定されますが、判定基準および等級に応じた支援サービスの内容などは、各自治体によって運用が異なっています。精神障害者保健福祉手帳は、一定程度の精神障害の状態にあることが認定された方に交付される手帳です。手帳の交付は精神疾患(機能障害)の状態と能力障害(活動制限)の状態から総合的に判断され、その程度によって1級から3級に等級が定められています。参考:障害者手帳|厚生労働省上記のいずれの障害者手帳も、取得することでさまざまな支援や福祉サービスをうけることができますが、手帳の等級(障害の重さの程度)などによって、その内容は変わります。このコラムでは、・障害者手帳取得のメリット、デメリット・障害者手帳がない場合に、将来受けられる支援や合理的配慮についてなど、障害者手帳についてのギモンから、将来に役立つかもしれない情報まで専門家の先生のアドバイスを交えてご紹介します。【専門家が回答】障害者手帳取得にはメリットがある?分かりやすく解説!ここからは障害者支援制度に詳しい行政書士の渡部伸先生に、障害者手帳取得についての質問にお答えいただきます。(質問)子どもに知的障害(知的発達症)があり、「療育手帳」を取得できる可能性があると言われました。取得のメリットやデメリットを知りたいです。また、取得できないのはどういう場合でしょうか。取得できないと療育が受けられないのではないかと不安です。(回答)療育手帳を取得することには、さまざまなメリットがあります。たとえば、働く場面での選択肢が広がります。企業などで働くことを希望する際に、一般の人と同じ方法での採用が難しい場合、障害者雇用の枠で働くという可能性が生まれます。障害者雇用で働くためには、手帳があることが条件となります。またそれ以外の場面でも、医療費の助成や公共交通機関の割引、NHKや携帯電話料金などの割引、映画館などレジャー・スポーツ施設の割引、所得税など税金の控除など、多くの経済的なメリットもあります。これらは、手帳の等級や自治体などで異なる場合があります。デメリットは基本的にはありません。周囲に手帳を持っていることを知られたくない、といった心理的な負担を感じる人はいるかもしれませんが、サービスを利用するとき以外、他人に持っていることを知られることはありませんし、普段はしまっておけば大丈夫です。療育手帳が取得できるかどうかは、18歳未満の場合、児童相談所でIQや日常生活の動作などから総合的に判定されます。なお療育についてですが、療育を行っている公的機関や民間の障害児通所支援などを利用する際には、「受給者証」が必要になります。こちらは手帳とは別の制度なので、療育手帳がないと受けられないものではありません。Upload By 発達障害のキホン(質問)子どもが療育手帳(愛の手帳)を取得していましたが、更新できず返納しました。発達障害がある場合、精神障害者保健福祉手帳は取得できますか?取得の目安の年齢があれば知りたいです。また、取得するとどんなメリットがあるでしょうか?(回答)発達障害がある場合は、精神障害者保健福祉手帳の対象となる可能性があります。目安の年齢は特にありません。最初に精神科を受診してから6ヶ月経過していれば申請可能です。医師の診断書など必要な書類をそろえて、役所の障害福祉窓口で申請します。精神障害者保健福祉手帳は、ほかの障害者手帳と異なり、取得後も2年ごとに更新する必要があります。メリットですが、療育手帳や身体障害者手帳と比較すると、受けられる支援は限られる場合があります。例えば、各自治体で行っている重度心身障害者への医療費助成は、重度の身体障害者手帳や療育手帳の所持者はほとんどの自治体で対象となりますが、精神障害者保健福祉手帳の所持者は1級のみ、あるいは対象外としている自治体もあります。そのほか各種の割引や減免など、手帳の等級や自治体などによって受けられるサービスもあります。障害者雇用については、2018年から精神障害者も対象となっていますので、将来の進路の選択肢が広がるという意味で、大きなメリットがあると思います。Upload By 発達障害のキホン(質問)障害者手帳がなくても、将来的に、高校や大学などの受験や、就職する際など、支援や合理的配慮を求めることはできるのでしょうか?(回答)合理的配慮とは、障害のある人が教育や就業、その他社会生活において障害のない人と平等に参加できるよう、それぞれの障害特性や困りごとに合わせて行われる配慮のことで、行政や学校・企業などの事業者には、この合理的配慮を可能な限り提供することが求められています。この合理的配慮の対象となる障害者は、障害者手帳を持っている人に限定されません。手帳がなくても、障害により日常生活に困難のある方も含まれます。受験に際して合理的配慮を求めるためには、医師の診断書や個別の教育支援計画、学校内で行ってきた支援の実績など「配慮の必要性」を示したうえで、事前に申請をする必要があります。具体的な配慮の内容としては、集中しやすいように別室受験やイヤーマフの持参、拡大文字の問題冊子の配布など、本人の困りごとに応じた支援を依頼することができます。ただし、学校などによって対応できることは異なるようです。就業の場においては、募集や採用の時点で、本人や支援者などから必要な配慮についての意思表明を行います。そのうえで本人と企業の間でどのような配慮ができるかを相談、検討し、合意したうえで配慮を行います。就業の場合は受験と異なり継続的な支援になりますので、定期的な見直し、改善が行われることになります。Upload By 発達障害のキホン障害者手帳についての関連コラムはこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。
2024年02月04日映画『ゴジラ-1.0』(公開中)が、第96回 アカデミー賞 視覚効果賞にノミネートされたことが23日、明らかになった。21日までに国内で観客動員348万人・興行収入54.5億円を突破、北米では興行収入5189万ドル(=約76.7億円※現時点のレートで換算)を超え、26日からはモノクロ映像版『ゴジラ-1.0/C』も1週間限定で公開、全世界興収では1億ドルを突破している同作。この度、第96回 アカデミー賞 視覚効果賞にノミネートされた。同賞のノミネートは日本映画で初めてとなる。映画芸術科学アカデミーが主催し、世界で最も有名な映画賞である「アカデミー賞」。その中で、「視覚効果賞」(Academy Award for Visual Effects)はその年に公開された映画の中で最も優れた視覚効果(VFX)を用いた作品に与えられる栄誉で、アカデミー賞で最も注目される部門のひとつとなっている。過去には『スターウォーズ』、『タイタニック』、『アバター』などの映画史を代表する傑作が受賞してきた。昨年12月21日(現地時間)に、多くの作品の中から「視覚効果賞」ノミネート候補の10作品、通称「ショートリスト」が発表されると、『ゴジラ-1.0』も選出され、同賞としては日本映画で初めてショートリストに残った。そして1月13日には、アカデミー賞「視覚効果賞」のショートリストに残った10作品によるVFXについてのプレゼンテーション「Bake Off」が開催され、各作品のVFXスーパーバイザーたちが登壇する中、『ゴジラ-1.0』からは白組の山崎貴監督、渋谷紀世子氏、高橋正紀氏、野島達司氏が登壇。邦画として「視覚効果賞」の「Bake Off」に参加することは初めてのことだったが、白組ならではのハイレベルなVFX技術と古典的な手法を合わせた撮影技法の発表に、その日一番の歓声が巻き起こり、会場を大いに沸かせた。そして日本時間1月23日の22:30頃(現地時間1月23日5:30頃)、アメリカの映画芸術科学アカデミーは「第96回 アカデミー賞」の各賞のノミネート作品を発表。その中の「視覚効果賞」のノミネート5作品の1つとして、『ゴジラ-1.0』が選出された。「第96回アカデミー賞 授賞式」は現地時間3月10日にアメリカ・ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催。山崎監督と白組スタッフが授賞式に参加する予定。長い歴史を持つ「アカデミー賞」の中で、監督として「視覚効果賞」を受賞したのは『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリックのみ。山崎監督が受賞すれば55年ぶり、史上2人目の受賞監督となる。また、同賞を日本映画・アジア映画が受賞した実績はなく、映画の歴史を変える史上初の快挙にも期待がかかっている。○■山崎貴監督 コメントまさかオスカーに絡むことができるとは想像してなかったです。ゴジラを作った時も全然想像してなかったので、凄く嬉しいです。新しい扉が開いた感じです。白組のみんなが頑張ってくれたことなので、感謝しながら、本戦に向けてアメリカに渡りたいと思います。40年ぐらいVFXをやっていて、こんな未来が待ってるとは…。若い頃のじぶんに聞かせてあげたいです。ここから先は、オスカーの雰囲気を楽しみたいと思います。(C)2023 TOHO CO., LTD.
2024年01月24日1月23日(現地時間)、映画賞の最高峰であるアカデミー賞のノミネート作品発表が行われ、視覚効果賞部門に山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』(英題:Godzilla Minus One)が選出されたことが明らかになった。同部門でのノミネートは日本映画で初となる。「アカデミー賞」の視覚効果賞(Academy Award for Visual Effects)とは、その年に公開された映画の中で最も優れた視覚効果(VFX)を用いた作品に与えられる栄誉。過去には『スター・ウォーズ』『タイタニック』『アバター』などの映画史を代表する傑作が受賞してきた。『ゴジラ-1.0』は日本で製作された実写版ゴジラの30作品目となる最新作。ゴジラの大ファンだという山崎貴が監督・脚本・VFXを担当。主人公・敷島浩一役に神木隆之介、ヒロイン・大石典子に浜辺美波、そのほか山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介らが集結している。ノミネート発表を受けて山崎監督は「まさかオスカーに絡むことができるとは想像してなかったです。ゴジラを作った時も全然想像してなかったので、凄く嬉しいです。新しい扉が開いた感じです。」と喜びを語った。視覚効果賞部門にはこのほかに『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3』『ザ・クリエイター 創造者』『ナポレオン』がノミネートされている。第96回アカデミー賞の結果発表&授賞式は2024年3月10日(現地時間)に行われ、「視覚効果賞」を受賞すれば邦画のみならず、アジア映画で初の快挙となる。(シネマカフェ編集部)■関連作品:ゴジラ-1.0 2023年11月3日より全国東宝系にて公開©2023 TOHO CO.,LTD.ゴジラ-1.0/C 2024年1月12日より公開©2023 TOHO CO., LTD.
2024年01月23日『目に見えるだけが障害じゃないと知ってほしい。』24万人もの方が、20歳以降に発達障害と診断されている現代社会。(大人の発達障害ナビより引用)そんな中、発達障害(ADHD)のパートナーをもつ人は、日々の生活をどのように暮らしているのでしょうか。そこで今回のMOREDOORでは、ADHDのパートナーと結婚して10年目になるBさん(仮名)にインタビューを実施。Bさんの日々の暮らしと、夫婦関係の専門家カップルセラピストからの意見をご紹介します。※当事者の声はさまざまです。あくまで一例として、考えるキッカケになれば幸いです。さまざまなところに違和感を覚え……ーーパートナーがADHDかも?と気づいたきっかけは?Bさん:生活面だと片付けられないところです。やったらやりっぱなしです。人間関係も広くは付き合わないし、飲み会も行きたがらない。金銭面もあったらあった分だけ使ってしまいます。コミュニケーションも一方的で人の話は聞かなくて……。そういったさまざまな面を見て「ADHDなのでは?」と気が付きました。ーー日常生活を送る上で、悩んでいることは?Bさん:やはり片付けられないことですね。ーー解決に向けてどんな工夫を?Bさん:その都度伝えて、パートナー自身に気づかせてました。ーーパートナーとは、どんな関係性を築いていきたいですか?Bさん:今のまま仲がいい夫婦のままがいいです。ーー今後、社会に対して「もっとこうなったら良いのにな」と思うことは?Bさん:まだADHDの認知度も低いので目に見えるだけが障害じゃないことを知って欲しいです。仲良し夫婦のままでいたい片付けが苦手なところや、コミュニケーションが苦手なところを見て、「パートナーがADHDなのでは」と気が付いたBさん。普段から相手をよく見ているからこそ、気が付けたのかもしれません。またADHDの症状は「怠慢、サボりだと勘違いされやすい」とも言われています。愛するパートナーの特性を上手に乗り越えてきたBさんだからこそ、世間の人にもっと知ってほしいと強く願っているようですね。カップルセラピストは2人の関係をどう見る?パートナー間の関係改善を目的としたカウンセリングを行う、“カップルセラピスト”はお二人の関係をどう見るのでしょうか?これまでの3,000件以上に及ぶ臨床経験を活かし、パートナー間の課題解決をサポートしてきたカップルセラピストの坂崎さんに話を聞きました。ーーBさんのお話をどう感じましたか?カップルセラピスト坂崎さん:結婚10年目で、「今のまま仲が良い夫婦のままがいい」と言えるのは素晴らしいと思います。その言葉が言えるまでになった背景には、「その都度伝えて、パートナー自身に気づかせる」という努力の賜物だと思いますし、辛かったことも葛藤もあったことでしょう。ADHDといっても、もちろん人それぞれで、共通点はあるものの、性格も違えば必要な対応も違っていきます。決定的に改善が難しいものもあれば、工夫次第で改善可能なことも多いです。片づけはその中でも、工夫してきたが諦めることやむなしと思っておられる部分なのかもしれませんが、その工夫をお互いの協力で見出していくことが重要ですね。向き合うことの大切さADHDのパートナーをもつと大変な面ばかりがクローズアップされがちです。しかし、実際のパートナーをもつ当事者Bさんからは、お互いに症状と向き合うことで、素敵な関係性を築けることが伝わってきました。ADHDといってもひとくくりにはできず、個人と個人として向き合う中で見えてくる解決策があるのではないでしょうか。みなさんは、この記事を読んでどのように感じましたか?コメント・監修者:坂﨑 崇正(さかざき たかまさ)臨床心理士・公認心理師、COBEYAセラピスト。2010年鳴門教育大学大学院修了。スクールカウンセラー、男性相談員、就労支援相談員、専門学校講師等を経て、2021年よりCOBEYAにカップルセラピストとして参画。これまでの3,000件以上に及ぶ臨床経験を活かし、パートナー間の課題解決をサポート。(MOREDOOR編集部)
2024年01月05日フェミニンケア商品の開発研究を進める株式会社ハナミスイ(本社:東京都新宿区、代表取締役:方 智煥/以下、ハナミスイ )は、一般社団法人日本視覚障がい者美容協会(所在地:埼玉県上尾市、代表理事:佐藤優子/以下、JBB)の開催する「フェムケア用品勉強会」に参加させていただきました。フェムケア用品勉強会参加の経緯JBBとハナミスイの出会いは、2022年に開催されたフェムテック東京でした。ブースを訪れてくださった代表理事の佐藤さまから、目の不自由な方にも是非弊社の商品、特にインクリアを紹介したいとのご提案をいただきました。2023年11月30日に、フェミニンケアに関しての情報を発信しているOliviAさんのご協力で、「今こそ見直したい! 女性のウェルネスの大切さとインクリアについて」と題したオンラインセミナーを実施いたしました。「今こそ見直したい!女性のウェルネスの大切さとインクリアについて」セミナーについてJBB会員のみなさまはお仕事をされており、セミナーの実施はオンラインで平日の夜9時からという遅い時間からの開始となりました。スタッフをはじめ27名にご参加いただき質疑応答を含め夜11時頃まで約2時間の開催となり、みなさまの勉強意欲の高さにたいへん感銘をうけました。セミナーは、まずOliviAさんから女性の身体の構造について保健体育のようなレクチャーがありました。普段はスライドをもとに説明をされているOliviAさんでしたが、表示されているものについて、参加者のみなさんの想像力を使っていただき、例えば手で触ってわかるようなものを具体例として挙げるなど、佐藤さんの補足が必要なところもありました。商品説明をするOliviAさん商品説明の補足をするJBB代表の佐藤さんインクリア説明書点字実際にインクリアを手にとっていただく使用方法の説明時も、佐藤さんにはレクチャー中、みなさんに分かりやすいように、終始フォローをしてもらいました。インクリアは、ピローケースと呼ばれる紙袋にアプリケーターが入っており、キャップを外して使用しますが、まずは手探りでキャップを探すことの説明から始まりました。普段は目からの情報ありきで商品紹介をしており、目の見えない方への説明が難しいことを改めて実感しました。初めてインクリアをさわる全盲のYさん盲導犬と一緒に参加してくださったIさんセミナーを終えてこの勉強会を通し、普段の生活はほぼ目からの情報に頼りきっている事を実感し、同時に目の見えない方への説明の難しさを痛感しました。目の見えない方の暮らしがどれだけ大変なのかを目の当たりにし、改めてメンバーのみなさまへの畏敬の念を抱きました。フェミニンケアに関しては、視覚障がいの方でなくても話すことがはばかられる内容だったのか、参加者からの反応は静かではありましたが、発言いただいた方からは、こんな商品があったとは知らなかったので、ドラッグストアで聞いてみますとのうれしいお声もいただきました。日常生活をよりよくするための便利アイテムは、インクリア以外にもたくさんあるにもかかわらず、視覚障がいの方にとっては、商品を知らなくては購入することもできない、ないものになってしまっている、ということを聞きました。セミナーでみなさんとコミュニケーションをとらなかったら、恥ずかしながら知ることできない情報でした。セミナーの実施はチャレンジでしたが、「フェミニンケアを世界中の人々へ」をビジョンに掲げるハナミスイとしては、より多くの女性の悩みを解決できるよう積極的に社会貢献をしていきたいと考えています。ご参加いただいた皆様からの貴重なご意見は、今後の商品開発に活かしていきます。ハナミスイはこれからも、すべての女性に寄り添いフェミニンケアのサポートができるよう努力してまいります。OliviAさんからの感想今までに視覚障がいがある方の性の悩み相談を受けたことはありましたが、セミナーという形でフェムケアを紹介するのは初の試みでした。打合せの段階から視覚障がいのある女性の抱える様々な月経や性の課題を教えていただきました。「フェムテック」の盛り上がりとともに、月経期間を快適に過ごせる月経用品やフェムケア用品が色々と登場しているにも関わらず、視覚障がいのある女性たちには、その情報が届いていないという現状も、このような機会がなければ具体的に想像できませんでした。フェムケア用品の情報以外にも性の健康の知識についても健常者と比較して情報が行き届いていないとお伺いしたので、セミナーの中に盛り込みました。視覚障がい者のために「性の健康」セミナーに取り組むのは国内でも初の試みではないかと思います。佐藤代表には、参加者の皆様の理解が深まるように懇切丁寧なサポートをしていただきました。このセミナーが自分の身体への理解を深め、「性の健康」を肯定的に捉えてもらうきっかけになれば嬉しいです。セミナー参加からの感想HKさま:木曜日は女性のウェルネスオンラインセミナーお疲れ様でした。セミナーでは、今までの概念が大きく変わるほどの衝撃を受けたのと同時に、無知な自分を恥ずかしくおもいました。インクリアも早速、購入しました!もっと早くインクリアの存在を知りたかったと思いました。YTさま:30日の講座、ありがとうございました。デリケートゾーンの名称は知っていましたが、機能や必要性などの知識は全くありませんでした。セルフケアの大切さなどもとてもわかりやすくご説明いただき、すごく学びの深い講座でした。また、講座当日までに間に合うように商品を届けていただいたおかげで、取扱方もすっと入ってきました。表にでていない部分にももっと目を向けて、健康や美を更に意識していきたいと改めて感じました。ありがとうございました。MSさま昨日も大変素晴らしいセミナーをありがとうございました。こちらで質問しなくてもいいほどの知識や詳しい内容をご提供いただいたオリビア様にはとても感謝しております。本当に最先端の講座だということをとてもひしひしと感じました。YTさま先日は素敵なセミナーを開催してくださいましてありがとうございました。悩み相談の例を聞いて私だけじゃないんだなと思えました。世代別の悩みや人には聞けない体のことも知れた貴重な時間でした。インクリアはもちろん初めて知りました。慣れてしまえば全盲の私でも使えそうです。膣洗浄は正直してなかったので今後はしてみて悩みが減れば嬉しいです。スイーツみたいに周りも店員さんも新商品を教えることに抵抗もある中、私たちは教えていただけたんだなと感動しております。これからもこのようなセミナーを受講したいです。これからも活動応援しております。今後ともよろしくお願いいたします。このセミナーは、参加者募集の段階で都合がつかない方も多くアーカイブ配信の希望がありましたため、 障害者週間の12/9(土)まで、会員限定で公開されております。一般社団法人日本視覚障がい者美容協会について「いつ見えなくなっても怖くない世界」をスローガンに、美容を通じて視覚障がい者の「こうしてほしい」と企業の「応えたい」という気持ちをつないで形にする団体。視覚障がい者への新たな取り組みとしてフェムケア用品の勉強会も実施中。フェムケア用品勉強会の詳細はこちら↓ 法人名:一般社団法人日本視覚障がい者美容協会所在地:〒362-0015 埼玉県上尾市緑丘5-6-6代表者:佐藤優子(代表理事)OliviAさんプロフィールラブライフアドバイザー。性生活の総合アドバイザーとして2007年から活動を開始し、今年で15年目。カウンセリング、著述、メディア出演、講演、スクール運営、企業研修、商品開発など、多方面で「女性のセクシュアルウェルネス」「コミュニケーションを重視した性生活」の提案を行う。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年12月07日どうして宿題ができないの? メイさんは、小2の息子トールくんが何時間かけても宿題ができないことに頭を悩ませていました。トールくんはASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠陥・多動症)の特性を持つ発達障がいですが、学習障がいや知的な遅れはなく、宿題の内容はトールくんにとって難しいものではありません。ではなぜ宿題ができないのか? いろいろな方法を試すメイさんですが、トールくんの自己肯定感が下がるばかりで…。息子の特性と向き合い、ペアレントトレーニング(主に発達障がい児を持つ親が子どもの問題行動への対策を学ぶもの)を取り入れながら試行錯誤した体験談。■前回のあらすじ小2の息子は、自閉スペクトラム症で注意欠陥多動症。学習障害や知的な遅れはないのだが、宿題が何時間かかっても終わらない。どうにかせねばと思った母はいろんな方法を試してみるが、改善されなくて…。■視覚化を宿題に取り入れると…■次は放っておく!今振り返ると「そんなんじゃダメだよー」とわかるのですが、そのときはわからなくて…。というか、やってみたことによってダメなやり方がわかっていって、だんだん正解に近づいていく感じですね。エジソンの名言でそんなのがありましたね。脅し系育児と同様、「宿題をやらないで行ったらいいじゃん」というのも、本意ではありませんでした。「それってどうなの?」と思う気持ちがあるので。だからこのとき一度試して、もうやめました…。次回に続く「小学生男子、宿題の時間かかりすぎる問題」(全5話)は12時更新!
2023年11月24日みなさんは『更年期障害』を知っていますか?聞いたことがあっても、どうして障害になってしまうのか知らない人が多いようです。そこで今回は、MOREDOORの大人気SNSより、オリジナル漫画『更年期障害と家族』をご紹介します。本作品には『更年期障害』を描写するシーンがございます。閲覧の際はご注意ください。症状には個人差があります。あくまで一例としてお読み頂けますと幸いです。もし、本編の主人公と同じような症状がみられる方は、一度医療機関を受診することを推奨します。漫画のあらすじ専業主婦の佳代(56歳)は大学生の里奈と会社員の良一の3人家族。ある日、体に違和感を覚えた佳代。まさかこの症状が「更年期障害」だったとは……。優しかった佳代がだんだんと良一や里奈に”イライラ”するようになります。病院へいくと『更年期障害』だと診断されました。家族で散歩へ読者の感想は……『自分がどうかしてしまったと感じていたら怖くなって当然だと思うので、病院に行くのを考えられないというのも分かる気がしますし、それでもきちんと自分と向き合えているのは立派だと思います。』『家族も献身的にサポートしてくれていますし、パートを始めてみようという前向きな考えも出てきたようなので、このままうまく更年期障害と付き合っていってほしいです。』『家族の理解は不可欠ですよね。私も更年期に確実に足を突っ込んでいて辛いです。』『更年期障害にこんなに理解ある家族がいるの素敵ですね。ご主人も娘さんも思いやりがあり、幸せですね。パートに行こうとする前向きな気持ちもすごいです。』『精神的な負担が少しでもなくなると、更年期障害の症状が楽になるんだなと思いました。周りに信頼できる人がいると回復のスピードも早そうですね。』など、実にさまざまな声が寄せられました。その後は……病院で更年期障害と診断された佳代。今までの原因について家族と話し、理解を示してくれたことで更年期障害と向き合うことができるように……。そして、家族で改善の糸口を探していくのでした。皆さんはこの漫画、どう感じましたか?※この漫画はフィクションです。■作画: ミノル■脚本:華丘侑果(MOREDOOR編集部)
2023年11月19日「東大卒はなるべく隠しておきたい」という当事者の言葉『ルポ高学歴発達障害』は、世の中で言われる「高学歴」の発達障害当事者10人のインタビューや、大学教員、精神科医、支援団体への取材を通じて「理解が得られにくい不条理」に迫った1冊です。このコラムでは、著者である姫野桂さんのインタビューをお届けします。Upload By 発達ナビ編集部――姫野さんはご自身の経験も合わせて、発達障害についてさまざまな発信をされてきました。今回、「高学歴発達障害」をテーマに選ばれたのはどのような思いからですか?姫野桂さん(以下、姫野):以前、高学歴なのに発達障害の特性で仕事がうまくいっていない方の記事を読みました。今まで取材してきたなかでも京都大学を卒業している方で、同僚はすぐに覚えられる電話対応などの仕事が覚えられずにうつ病になってしまったとお話ししてくださった方がいました。高学歴というとエリート道を進んでいると思われがちですが、実は悩みも抱えている人が多いことを伝えたくて本にしました。また、私自身は超高学歴ではありませんが、就職活動や会社員時代に苦労したのでそういった苦悩も書きたかったからです。――大人の発達障害当事者の方からは、「ケアレスミスが多い」「マルチタスクが苦手」「職場でのコミュニケーションがうまくいかない」といった声が聞かれますね。姫野さんご自身の苦労とは、どのようなものだったのでしょうか?姫野:就職活動で例を挙げると、当時は自覚がなかったのですが算数障害があり、SPI(適性検査)の数学がまったくできませんでした。大手企業はSPIを導入しているところが多かったため、大手企業は避けるようにして中小企業に絞りました。――そうすると面接に進めるように?姫野:そうですね。ただ、自分をより良く見せることが不得意なこと、本音を話してしまうことなどから、うまくいきませんでした。例えば、「なぜ弊社を選んだのですか?」と聞かれた際に「福利厚生が良かったからです」と答えたり、「何か質問はありませんか?」と聞かれた際に「残業はどのくらいありますか?」といった質問をしたりしていました。――今回、10人の発達障害当事者の方を取材されています。印象的だった言葉を教えてください。姫野:東京大学法学部卒の女性の「東大卒はなるべく隠しておきたい」という言葉です。東大卒ということで期待されるボーダーラインが上がってしまうという点は、理不尽だと思いました。※本書では当事者の方のプライバシー保護のため、氏名や年齢、事実関係などが一部変更されています最後に、石川さんに東大卒であることを“損”に思ったことはあるか聞いてみた。「それはあります。やはりハードルを上げられてしまうので、「東大卒だったら何でもできるだろう」というような感じで“合格ライン”が上がってしまう感じがあるんです。だから、なるべく隠しておくほうが得だなと思います。石川真里さん(東京大学法学部卒業)の言葉――早稲田大卒の男性も同じようなことをお話しされていますね。結果的にその会社は辞めたのですが、そのとき僕を怒鳴っていた上司は学歴コンプレックスがあったんです。「お前は俺が行きたかった大学を卒業しているのになんでそこまで仕事ができないんだ」と言われたことがあって。(中略)必要のない限りは、大学名を口にしなくなりました。三崎達也さん(早稲田大学経済学部卒)の言葉――そして、お二人とも「東大は自分にとても合っている場所だったので、それはすごく良かった」「自分のポジティブな部分を作ってくれたのは早稲田のおかげ」というように、誇りに思われているのも印象的でした。プライドとの折り合い――精神科医の熊代先生とは、高学歴の発達障害者が自身のアイデンティティと向き合っていくことの困難さについてお話しされていますね。ご自身の体験と重なるようなことはありましたか?姫野:私自身、発達障害が分かったのが30歳のときでした。就活を始めた頃、鬱病を疑って心療内科にかかったのですが、発達障害については何も言われず、抑鬱状態という診断を受けました。もっと早く発達障害があると分かっていたら、就職活動の仕方や仕事選びも変わってきていたのではないかと思います。当時はリーマンショックの影響で周りの友人もなかなか内定が出ない人が多かったので、発達障害が原因ではなくリーマンショックのためだと考えていました。それでも、「なぜ人事受けが良いはずの大学なのに受からないんだ」という葛藤がありました。そのあたりのプライドの折り合いをつけられたら良かったなと思います。子どもの頃から学業では優れていても、社会関係の部分ですごく弱みや苦手があるということを踏まえて、天狗にならないようにするというか、学歴を鼻にかけないようにするのが処世のあり方として結構重要になります。そのためには自身の発達適性の早い段階での把握は肝要です。(中略)ただし一方で、「自分には何かできるはず」「秀でたものがあるはず」といったアイデンティティを持つことには可能性もあるんですよね。ここも高学歴発達障害者の方のアイデンティティの形成戦略としてかなり難しいところです。熊代亨さん(精神科医)の言葉「大学が一番楽しかった」という声――筑波大学における学生支援についても取材されていますね。姫野:筑波大学のヒューマンエンパワーメント推進局の取り組みは素晴らしいと感じました。特に発達障害のある高校生へ向けた「大学生1日体験講座」で、10名限定ですが高校生一人ひとりに学生のメンターがつき、中には「障害学生支援技術」などを履修したピア・チューター(有償のボランティア)がいるのはとても魅力的だと思いました。ピア・チューターになるには自由科目の「障害学生支援技術」を履修したうえで、視覚障害、聴覚障害、発達障害といった形でコースに分かれた集中講義を受けてもらいます。佐々木銀河さん(筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局)の言葉ただ、多くの高学歴発達障害者を取材してきて、ほとんどの人が「大学が一番楽しかった」と答えています。社会に出てからどう自分の特性とつき合っていくかが課題だと思っています。――たしかに、「社会に出てから」「就職してから」直面した困難がインタビューからも強く感じられますね。最後に、本書をどのような方に読んでほしいとお考えでしょうか。姫野:高学歴発達障害当事者だけでなく、同僚や家族、友人など身の回りに高学歴発達障害の方がいる方にも読んでいただき、周りの期待やエリートのイメージと実情との乖離、活躍している大学時代の友人との比較、アイデンティティとの折り合い……といった「高学歴であるからこその葛藤」があることを知ってほしいです。そして、「あの人は高学歴だから」という前置きを外して個として見てもらえたらと思いますし、彼らが苦手そうなことにぶち当たって困っていたら「何か手伝おうか?」と声をかけるなど、そっとさりげなくフォローしていただきたいです。――ありがとうございました。姫野 桂さんフリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。著書に『私たちは生きづらさを抱えている発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)『生きづらさにまみれて」(晶文社)電子書籍『ダメ恋やめられる!?発達障害女子の愛と性」(集英社)。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年10月27日「障害」について深く考えたことがなかった私私は身近に障害のある人がいたことがなく、障害者と直接関わった経験もないまま大人になり、母親になりました。世の中にはさまざまな障害のある人がいるけれど、それは自分とは関係のない、どこか遠い世界の話のように思っていたのです。そんな私がまさか障害のある子どもを産み育てることになるなんて、想像もしていませんでした。妊娠すれば障害のある子どもが生まれる可能性を、誰しも一度は考えることがあるとは思いますが、私はそんなときでも「わが子に限って大丈夫だろう」と安易に考えていました。Upload By みん障害があるかもしれないわが子を心から可愛いとは思えない日々でも次男のPを出産後、わが子の成長に違和感を感じはじめ、発達障害の可能性を疑い、その不安がみるみる現実のものとなっていく日々は本当につらく苦しい時期でした。息子に発達障害があるかもしれないと分かった頃は、一体どの程度の障害なのか?どんな風に成長するのか?がまだまだ未知だったので、障害のあるお子さんをもつ人のブログやSNSを読み漁っては、不安に思っていました。見ず知らずの人の子どもとわが子を比べては、感情の浮き沈みが常にありましたし、「障害があってもわが子は可愛い」という障害のあるお子さんを育てている親御さんたちの言葉を耳にしても、私にもそんな風に思える日が来るの?と正直自信がありませんでした。なぜなら、毎日Pと関わることに必死で、初めての育児でもないのにこんなに育てづらいものなのか?と、1歳半を過ぎた頃からは可愛いと思う余裕もなく目まぐるしく日々が過ぎていくだけだったからです。Upload By みん将来を悲観していた私…障害の受容へと繋がったきっかけは?そんな悲観的だった私の心に変化が現れたのは、Pを療育園へ入園させた時期です。それまで、「こんなに大変な子どもはどこにもいない!周りのお母さんたちは育児がラクで羨ましい!」と卑屈になっていた私の気持ちが、入園とともに少しずつ溶けていきました。なぜなら、療育園にはPと同じように困りごとを抱えたお子さんと、私のように育児に悩み、疲れているお母さんたちがたくさんいて、そんな親子を助けてくれる療育の知識や経験をもった先生方がたくさんいたからです。同じ目線で私の話を聞いてもらえ、共感してもらえる療育園の環境はたった1人で戦っているわけじゃないと実感できましたし、何より孤独ではなくなりました。それに療育園では、困りごとを相談すれば関わり方のアドバイスをもらえ、先生たちの知識や経験の多さに救われながら、私自身にも知識や経験が増えていきました。同時に障害のある子どもへの福祉制度のことや、就学、就労についてなども見聞きする機会が増えていきました。Upload By みん「想像できない」ことで不安になるのなら、「知る」ことで少しでも不安を和らげよう!「Pの将来はどうなってしまうんだろう?」と悲観ばかりしていましたが、こんな制度やこんな場所があるんだ!と具体的に想像することができ、現実的に考えられるようになったことが、私にとっては障害の受容へと繋がるきっかけになったと思います。誰だって未来が想像できないと不安だし心配になると思います。私はこれまで障害者と関わりがなかったために、障害者の生活や人生に対する知識が全くなく、メディアなどで見聞きしていたマイナスなイメージばかりを持っていたので、わが子に障害があるとなると、どうしても悲観的になるし、戸惑うのも当たり前だったと思います。Upload By みんでも子どもの未来は障害のある無しに関わらず、親がいくら理想をもっていても、逆に絶望したとしても、結局は子どもと共に過ごす日々の中で一緒につくっていくものなんだと感じました。子どもの成長に対して、親が勝手に過信や期待をしすぎるのも、悲観的になったり諦めたりするのも、どちらも違うと思いますし、子どもの現在を見て今必要なことやできる限りのことをし、精一杯関わっていくことで、Pにとっても私たち家族にとっても、自然とより良い未来へと繋がっていくと信じています。執筆/みん(監修:森先生より)「子どもを可愛いと思えない」というお母さんは、子どもに愛情を持っていないわけではありません。むしろ反対で、子どもへの責任感が強すぎて、その重圧から育児を素直に楽しめなくなっているのです。真面目で思い詰めてしまうタイプに多いでしょう。最愛のわが子に障害があると伝えられたら、受け入れられない気持ちがわいてくるのは当然のことです。受け入れられないことすら受け入れられず、自分を責めるという悪循環に陥ってしまう方が少なくありません。同じ状況にいる人にしか分からない葛藤や悩みがあります。当事者やその家族同士が関わる機会があると、悩んでいるのは自分だけでないことに気がつきます。悩みを安心して話せて、理解し合える人がいると思うだけで、心理的な負担はグッと減ります。また、人は漠然とした未来に対して一番不安を募らせるものです。将来を具体的に想像できるような道筋を見聞きすることで、障害を受け入れて、地に足をつけて準備を進めることができますね。1人で不安を抱えていないで、まずは行政や療育センターに相談してみるといいですね。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2023年08月14日発達障害と知的障害の違い発達障害も知的障害も、社会生活を送る上で生きづらさを伴うことは、大きな共通点です。では、発達障害と知的障害は、何が違うのかと疑問に思う方もいるかもしれません。発達障害というのは、よく「発達凸凹」とも呼ばれます。得意なものと苦手なものの差が大きいイメージです。いろいろな能力の中に、著しく高いものもあれば、低いものもある状態です。一方、知的障害は全体的に発達がゆっくり進んでいると考えてみてください。どこかの能力が低いというのではなく、全体的にゆっくり成長しているのです。例えば、IQ70の10歳児であれば、精神年齢は7歳くらいというイメージです。そう解釈すると、目の前の子どもにとって何が必要かが見えてきます。小学校4年生の中に小学校1年生の子どもが混じっている、だからレベルに合った学習内容の取得が必要だといった具合です。そしてそのゆっくりとした成長が、成人になっても12歳くらいの水準で止まってしまうのが軽度知的障害です。ただし、必ずしもみんなの精神年齢が12歳レベルで止まるかというとそうではなく、生活上の経験値がそれぞれ異なりますので、あくまでも目安です。子どもたちの知的なしんどさもしも発達障害と知的障害の両方がある場合、個人的には、まず知的なしんどさに対応することが先決と考えます。日常生活や社会的な生活を送る上での困りごとは、知的なしんどさから生じる部分が多いからです。発達障害に知的障害も伴う場合は、知能の程度(軽度・中等度・重度)がどうかという点が重要になります。発達障害でもIQが高ければ、今の社会を生き抜いていく方法は少なからずあるでしょう。こだわりが強い自閉スペクトラム症のある人が、興味や専門性が活かされるような技術職や研究職に就いて、高いパフォーマンスを発揮できることも見聞きします。また、大手企業を起業した経営者のなかにも、診断を公表している方がいます。ADHDの特性である行動力やアイデア力が、起業に生きるというのは想像しやすいでしょう。「軽度・中等度・重度」の程度の違い知的機能の水準は一般的にはIQで表され、知的障害の基準のひとつに「IQ70未満」があります。障害は、その程度によって次のように4段階に分けられます(WHOの「ICD-10」より)。IQ50~69(おおよそ9~12歳)……軽度IQ35~49(おおよそ6~9歳)……中等度IQ20~34(おおよそ3~6歳)……重度IQ20未満(おおよそ3歳以下)……最重度※()の年齢は、発達期を過ぎた成人に対する精神年齢です。4段階のそれぞれの特徴は、次の通りです。各段階で、学力の習得が可能な年齢(学年)というのも付記していますが、あくまでも目安となる年齢です。支援次第で、目安の年齢以上に、成長を促せる可能性はあります。・IQ50~69…軽度多くの場合、身のまわりのことは自分でできるようになります。自分で考える力も身につき、小学6年生くらいまでの学力を習得できます。簡単な読み書きや計算ができます。ただし、言葉の発達や抽象的なことの理解に遅れが生じる傾向があります。高度なスキルが必要な場合を除き、仕事に就くこともできるでしょう。一般的に知的障害といっても、本人や周囲の人にも「知的障害」という自覚がなく、支援を得ることなく生活しているケースもあります。そのため、実際の人数よりも認定数が少ないものと考えられます。また統計上は、知的障害者の約85%がこの段階に分類されます。ですので、知的障害といえば、概して「軽度」のことを指すといっても過言ではないでしょう。・IQ35~49…中等度身のまわりのことはだいたい自分でできるようになりますが、一定のサポートは必要なことが多いでしょう。簡単な読み書きや計算が部分的に可能です。乳幼児期に言葉の遅れはありますが、コミュニケーション能力はあります。適切な支援を受ければ、小学2年生くらいまでの学力を習得できます。配慮があれば、単純作業の仕事などに就くこともできるでしょう。・IQ20~34…重度乳幼児期はほとんど会話をしませんが、学童期になると、基本的な生活習慣(会話、食事、排せつなど)を身につけることができます。学力の習得目安は5歳くらいまでで、読み書きや計算は難しいでしょう。簡単なお手伝いやおつかいといった作業は可能です。・IQ20未満…最重度快・不快の表出は可能な場合が多いですが、言葉でのコミュニケーションを身につけることは難しい場合が多いでしょう。適切な支援によって能力の成長は見られますが(3歳程度まで)、身のまわりのことを自分で処理することは難しく、常に周囲からの支援や保護が必要となります。誤解されやすい「障害程度」なお、知的障害の男女比はおよそ1.6:1(軽度)~1.2:1(重度)で、全体での男女比は1.5:1程度とされます。ここまで、知的障害の程度区分の4段階について解説してきましたが、ここで誤解されやすいことがあります。それは、「障害程度が低い」=支援の必要性も低いのか?ということです。確かに身のまわりの世話などが必要な場面は、中等度や重度よりも軽度のほうが減るかもしれませんが、それでも支援をしなくていいわけではありません。むしろ軽度知的障害の場合、定型発達と見分けがつきづらく、支援されない可能性すらあります。そうなると、生きづらさは増していきます。失敗を極度に恐れ、失敗するくらいだったら最初から挑戦しない。そんなプライドの高い子どもがいます。小学校低学年のAくんもそんなひとりです。Aくんは、先生から「この問題、間違ってもいいからやってごらん」と言われても、(少しやってみて)「やっぱり無理」「もうやめた」(考えもせずに)「わかりません!」「できません」などと答えるパターンが多いのです。Aくんは、あきらめるのが早いのです。しかし、これらの言葉はできないことへの防衛でした。知能検査を受けたところ、Aくんには軽度知的障害があることがわかりました。 By 宮口幸治気づかれない「軽度知的障害」軽度知的障害のある子どもは、普通に話したり遊んだりしている分には、定型発達児とほとんど見分けがつきません。また自分が興味のあること・好きなことの記憶力はよかったりします。しかし、言われたことはだいたいできますが、いつもとやり方が違ったり何か問題が発生した際の対処法が分からなかったり、自分で新たな工夫をするのが苦手なことが多いのが特徴です。なお、軽度知的障害がある場合でも、保護者が熱心に教えたり、個別塾に通わせたりすることで、小学生までの勉強にはなんとかついていけることもあります。小学生では成績がそれほど悪くなかったからといって知的障害がないとも限らないのです。もし知的障害が疑われるなら、「まだ小学生だから様子を見ましょう」と経過観察するよりも、少しでも今できることを考えてあげたほうがいいでしょう。例えば、自治体の教育センターや発達に詳しい医療機関を受診し、どこの部分につまずきが見られるのかをしっかりアセスメント(子どもの状態や特性を把握し評価すること)してもらって、具体的にできる今後の対応策を、学校、保護者が一緒に検討することが望ましいと考えます。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。
2023年08月04日20代で「うつ病」の診断私が発達障害を自覚したのは30歳。それまでずっと生きづらさはあり、いろいろな精神症状を経験しました。20代前半、第二新卒で働いていたとき、気分の落ち込みと気力の低下、希死念慮がひどく、ほとんど寝たきりのようになってしまいました。それまで精神科にかかったことはなく、インターネットで調べた、うつ病の診断もできるというクリニック(内科だったと思います)に行ったところ、うつ病との診断が。抗うつ剤を処方されて1錠飲んだところ、興奮状態になり、頭痛、下痢、幻聴という副作用が出て、パニックを起こして救急車を呼んでしまいました。※発達障害の診断が下りたあとになってわかったのですが、発達障害者への抗うつ薬の投与は慎重にすべきという意見もあるようです。このときの医師は精神科医でなかったので、私の症状には適さない処方だったのかもしれません。10年以上前のことなので、詳細はあまり覚えていないのですが、そこから大学病院の精神科にかかるようになり、31歳で実家を出て関東を離れるまで、そこの精神科の先生を主治医としてずっと面談を続けていました。32歳で発達障害と二次障害の診断31歳で実家を離れて今の夫のもとで暮らし始めた私。しばらくは夫に世話してもらいながら静かに暮らしていたのですが、翌年の夏、改めて気分の落ち込みや神経過敏に悩まされるように。やはり再び精神科に通いたいと、近所の精神科医院(標榜は心療内科でした)に行って発達障害の自覚についても話したところ、高機能自閉症(現在の分類ではASDに該当します)の診断が降りるとともに、それによる二次障害としてのうつ傾向が指摘されました。手帳取得への動き先に精神障害者保健福祉手帳と障害年金を取得していた友人に上記の診断の話をすると「福祉ともつながれるし、メリットも多いからぜひ精神の手帳を取得するといい」と勧められて、まずは手帳を取得するために動くことになりました。主治医とソーシャルワーカーさんの意見を総合すると、まだ発達障害単体で精神障害者保健福祉手帳の申請は通りづらいとの判断でした。※これは2012年当時の宮崎県での状況です。地方によっても違うとのことでしたし、現在では発達障害単体でも通ることもあると思います。地域のソーシャルワーカーさんに相談してみるとよいと思います。そこで、二次障害としてずっとうつ傾向が続いているし、手帳申請時の書類上の「初診」にあたる診療(上記の20代でかかった内科医の診療)で「うつ病」の診断が出ているのにも矛盾しないということで、「うつ病」の診断で申請してくれることになりました。診断書の内容への工夫診断書の病名自体は「うつ病」なのですが、主治医は、二次障害のうつ傾向がよくなっても矛盾が起こらないように、症状のところに「易刺激性の亢進(感覚過敏傾向の表現)」「感情コントロールの困難(コミュニケーション障害の表現)」などといった表現を入れるなど、できる限りの工夫をしてくれたようです。主治医やソーシャルワーカーさんのおかげもあり、無事、障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳)を取得することができました。手帳を取得して変わったこと何よりも経済的に助かるというのが、障害者手帳の最大のメリットです。自立支援医療制度を使って医療費が1割負担になるとか、交通機関によって運賃が割引になったりするのはとてもありがたいです。美術館などの施設も割引がある場合があります。同じく「うつ病」で同時に申請して取得した障害年金には本当に助かっています。人に自分の障害を説明するときに「私は実は障害者で、障害者手帳を持っているんです」と言えるので、説明がしやすくなりました。デメリットとしては、一つぐらいしか経験がありません。一度、タクシーで手帳での割引を使おうとしたときに差別的なことを言われて不快な思いをしたのです。私の住む自治体ではタクシーの割引金額はごくわずかだったので、その後は割引を利用しないことに決めました。障害者手帳は、自分にとって開示するメリットが大きいときに開示すればいいだけで、開示することにデメリットがあったりして隠しておきたいときには隠しておけるので、そこがありがたいなと思っています。発達障害があると症状のコントロールのために人より医療費がかかったり、特性のためになかなか思うような収入が得られなかったりと、経済的に苦労する人も多くいます。手帳はそこの負担を軽減してくれます。また、手帳を持っていると障害者雇用枠で就職・就労することもでき、働く場の選択肢も広がると思います。取得していない人は一度検討してみるのをお勧めしたいです。文/宇樹義子(監修・渡部先生より)精神保健福祉手帳の取得に際しては、心理面での抵抗もあったのではと想像しますが、決断されて本当に良かったと思います。今回のエピソードで紹介されている自立支援医療制度は、精神通院医療や薬にかかる費用の自己負担が、通常の3割から1割に軽減されるという大きなメリットがあります。その他の経済的なメリットとして、所得税や住民税、相続税の控除が受けられる、携帯電話料金の基本料金の割引きなどがあります。一方、タクシーで不快な経験をされたという、残念なお話もありました。福祉に携わる者として、障害理解、共生社会という考え方をもっと広めていかなくてはいけないのだなと、改めて考えさせられました。手帳の具体的なメリットをお話しいただき、取得を迷われている方にとっては、背中を押してくれるようなエピソードだったと思います。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年04月12日障害児向けの絵本作家として活動しているしょうじあいかは、2023年3月に「全国の障害児施設へ自作絵本を配るクラウドファンディング」を実施し、初期の目標金額389%を達成。この度、クラウドファンディング成功を足がかりに、4月1日に障害児支援を目的とした絵本屋サイト『絵本屋だっこ』をオープンしました。URL: 絵本屋だっこに掲載中の絵本■絵本作家しょうじあいかとは・北海道在住の3児の母で、長男が重症心身障害児・保育士、幼稚園教諭、教員免許、カウンセラー資格等を保有・言語理解が難しい息子でも楽しめる絵本をつくりたいと、2022年から障害児向けの絵本づくりをスタート「自作絵本を障害児施設に配りたい」という夢のため2023年2月~3月に挑戦したクラウドファンディングは、400%に迫る達成率で成功をおさめました。4月より全国の施設へ絵本約2,000冊を配布していきます。実施した絵本クラファンまた「絵本づくりを少しでも障害児支援につなげたい」という思いから、クラウドファンディングと同時進行でサイト『絵本屋だっこ』の立ち上げ準備をしてきました。しょうじあいかの絵本の売り上げは、全額、障害児支援のための寄付にします。■絵本屋だっこの取り組み・絵本の売り上げを障害児のための寄付に・障害者アーティストのイラストを絵本にし、売り上げはアーティストに全額還元・一部絵本の売り上げをもとに障害児施設等へ絵本を配布絵本づくりをとおして、インクルーシブな社会の実現へ寄与できればと考えています。■絵本屋だっこの絵本ジャンル・重い障害があっても楽しめる絵本・障害があってもなくても楽しめるインクルーシブ絵本・障害者アーティストの作品を使用した絵本・障害への理解を広める絵本・英語版絵本■絵本の購入はAmazonから絵本屋だっこ制作の絵本はすべてAmazonからご購入いただけます。(AmazonのKDPにより出版)※HPの購入ボタンを押していただくと、それぞれの絵本のAmazon販売ページに遷移します。■読み聞かせ動画も無料公開絵本の内容を知っていただくため、絵本屋だっこでは全作品の読み聞かせ動画を公開中です。▼しょうじあいか【障害児向け絵本作家】絵本屋だっこ ■今後は法人化も検討現在は個人事業として運営していますが、書店への絵本流通や図書館や海外への絵本寄付など、より幅広い活動のため、今後は法人化(出版社化)も検討しています。・公式サイト ・絵本屋だっこInstagram ・公式LINE ・しょうじあいかInstagram 絵本屋だっこチラシ 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年04月07日幼い子供たちから大人気のアニメ『アンパンマン』。全国5か所に『アンパンマンこどもミュージアム』と呼ばれる施設もあり、さまざまな体験や食事などを楽しめます。館内の点字ブロック上には、『隠れアンパンマン』という金属製のアンパンマンの顔がある施設も。数十個の丸い点で構成されている点字ブロックの中に『隠れアンパンマン』があり、どんなものかが気になって探す子供が一定数いるのです。2023年3月現在、『隠れアンパンマン』をめぐり、SNS上では視覚障がい者などから「点字ブロックの上に子供がいると、歩行時の妨げになる」と指摘が出ており、物議を醸しています。『アンパンマンこどもミュージアム』内の点字ブロックが物議点字ブロックは、視覚障がい者が足裏の触感覚で表面上の突起を認識し、安全に歩行できるようにするためのもの。駅構内や街中などで、白杖を持ちながら、点字ブロックの上を歩く人を見たことがあるでしょう。点字ブロックの上に自転車などが放置され、歩行の妨げになる…といった問題が起きることも、少なくありません。『隠れアンパンマン』の点字ブロックがある施設は、宮城県仙台市にある『仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール』と兵庫県神戸市にある『神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール』。仙台市にある施設の場合、階段や入り口付近などに数十個あるそうです。SNSでは視覚障がい者だけでなく、ほかの利用客からも「階段を降りた先の点字ブロック上にある『隠れアンパンマン』を探していた子供とぶつかりそうになって、ヒヤッとしたことがある」といった反応も上がっています。今回の反応を受けて、『仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール』に、詳しく話を聞いてみました。仙台市の施設では『隠れアンパンマン』撤去予定仙台市にある同施設がオープンしたのは、2011年のこと。開業当時から、『隠れアンパンマン』は施設内に施されていたといいます。点字ブロックの上に『隠れアンパンマン』を入れた理由について、筆者が尋ねると、同施設の担当者はこのように説明しました。お子様が探して楽しんでもらうだけでなく、点字ブロック本来の用途を、保護者の方々が説明してもらうことを想定し作られました。同施設の場合、壁にも『隠れアンパンマン』があります。点字ブロックの上で探す子供よりも、壁のほうを探す子供のほうが多いそうです。また担当者は、「点字ブロック上でぶつかる問題が起きたことはなく、スタッフが安全面に配慮して注意している」とも話しました。一方で、2023年2月には、同施設に視覚障がい者から「子供がいると歩行の妨げになる」という意見も、一部寄せられたとのこと。担当者は、「対策を見直し、取り外すことを検討しているとお伝えしました」と答えています。『隠れアンパンマン』を通じて、子供たちが点字ブロックの存在意義を知るのは、成長する上で大切な機会でしょう。しかし探すことに夢中になるあまり、点字ブロックを使う必要がある人たちに迷惑をかけてしまうのは、本末転倒といえます。『隠れアンパンマン』を探す子供が、視覚障がい者などの歩行の妨げになるという、今回の意見。点字ブロックの意義や視覚障がい者などに配慮する大切さを、多くの人が考えるきっかけとなることを願うばかりです。[文・構成/grape編集部]
2023年03月14日子どもの寝つきが悪い…これって睡眠障害?睡眠にまつわるギモン自閉スペクトラム症やADHDなどの発達障害がある場合、睡眠障害を併存していることがあります。睡眠の問題の背景には、何かしらの障害が関係していることがありますが、睡眠の相談を医療機関ですることを知らず、長年悩みを抱えてしまう方もいるという現状があります。発達ナビQ&Aコーナーでも、子どもの睡眠に関する心配や、睡眠障害へのギモンが数多く寄せられています。「赤ちゃんのときから寝つきが悪く、朝起きられません。来年には中学生になりますが、どのようにサポートしたらいいでしょうか」「5歳すぎてもまとまって寝ないのは、発達障害が関係しているのでしょうか」「みなさんは眠れていますか?眠れないときはどうしたらいいのでしょうか」「日中に寝てばかりの息子がいます。服薬をしていますが効果がありません」これらは、発達ナビのQ&Aコーナーに実際に書き込まれた、睡眠にまつわる悩みです。このコラムでは、睡眠のなぜ?から、発達障害と睡眠障害の関わり、服薬についてなど、体験談や、専門家の先生のアドバイスを交えてご紹介します。睡眠障害とは、眠りに何らかの問題がある状態のことをいいます。子どもの睡眠障害にはいくつか種類があります。・不眠症…寝つきが悪い、眠りが浅く途中で何度も目が覚めてしまう、朝早く起きてしまう、眠りの質が悪いなど、睡眠が十分でない状態・過眠症…夜ちゃんと寝ているはずなのに、日中あらがえないほど眠い状態・概日リズム睡眠障害…昼夜のリズムと体内時計がうまく合わず、調節できなくなって睡眠リズムがくずれてしまい、社会生活に支障をきたす状態・いびき・睡眠時無呼吸症候群(SAS)…子どもの場合、いびき、無呼吸の主な原因は、鼻づまりやアデノイド・口蓋扁桃(こうがいへんとう)といったのどや鼻の奥のリンパ組織の肥大で、物理的に気道が狭まること。また、肥満で気道が狭くなることも・むずむず脚症候群(レストレスレッグス症候群)…脚などの下肢がむずむずするなど動かしたい強い衝動がある状態・睡眠関連律動性運動異常症…乳幼児期から4歳くらいまでの時期で発症する睡眠障害。頭を左右に振ったり、前後に強く動かすなどする。9ヶ月の子どもでは59%に見られるほど、乳児期には非常に多い症状だが、5歳前後には5%以下に・睡眠時随伴症…睡眠中に生じるねぼけ、夜尿、歯ぎしり、悪夢などの身体的現象の総称子どもは、新生児期には昼夜を問わず短い睡眠・覚醒を繰り返しますが、乳児期から夜間睡眠が中心になり、3歳から6歳になるころには昼寝をとらなくなるなど睡眠リズムが徐々に確立していきます。赤ちゃんの眠りはまだ眠りが浅く、夜泣きをすることも多くあります。幼児期(3歳から6 歳ごろ)までに浅い眠りと深い眠りのサイクルが大人と同様のリズムに移行していきます。そのため、幼児期になっても睡眠に何らかの問題がある場合、改善の必要があるといえます。発達障害と睡眠障害の関連は?睡眠障害は、発達障害の併存症として認められることが多いといわれています。睡眠障害が発達障害を引き起こすという意味ではありませんが、発達障害の特性により、睡眠になんらかの問題が出てしまうことが主な原因です。乳幼児期の睡眠は脳の発育にも関わるため、睡眠障害が長引くこと自体が睡眠不足や生活リズムが乱れて悪循環を生み、子どもの心身の発育に影響している可能性も否定できません。自閉スペクトラム症がある子どもは音や光などに対する感覚が過敏なため、覚醒しやすいといわれています。また、睡眠に関係するメラトニン生成や、セロトニンからメラトニンにいたる代謝経路の障害が関係しているのではないかと考えられています。そのため、自閉スペクトラム症のある子どもの睡眠の問題には、なかなか寝つけない、入眠することができない、 夜中に起きて騒いでしまう、ちょっとしたことで起きてしまうなどが多くあります。ADHDの特徴には不注意・多動性・衝動性があります。ある調査ではADHDのある子どもの入床への抵抗、入眠の困難、中途覚醒、起床の困難、日中の過剰な眠気がある子どもが多い傾向があるという結果があります。また、ADHDのある人の脳には脳内の神経伝達物質であるセロトニンに偏りが生じているともいわれています。そのため、セロトニンを原料としてつくられるメラトニンという体内時計をコントロールするホルモンにも偏りがでてしまうため、不眠や概日リズム睡眠障害に陥りやすいのではないかと考えられています。参考:子どもの睡眠亀井雄一、岩垂喜貴 |保健医療科学2012 Vol.61 No.1 p.11-17Q:来月から6年生になる男の子の母です。ADHDの子は寝ない子・寝付きが悪い子が多いと言われていますが例にもれずうちも小さい頃から寝付きが非常に悪く、そして寝ると朝本当に起きられません少し前までおやすみをした後隠れてタブレットで動画見てたりしていたので没収しました・・・携帯は夜間ロックをかけています。普段は自分の携帯のアラームをかけさせていますが、全く起きず叩いても起きず、ベッドから引きずり降ろしてようやく起きます体も大きくなってきたので正直この起こし方が最近本当に大変です・・・。(中略)同じようなお子さんお持ちの親御さん、どのような対策とられてますか?病院にかかってみた方がいいのかな?と思ったこともありますこちらの質問には以下のような回答が寄せられました。A:息子もADHDとASDです。赤ちゃん時代は、眠りが浅い子でした。幼少期も夜驚や寝言が多かったです。それほど深刻には考えていなかったのですが、高学年になっても寝相がかなり悪く、主治医に相談し、メラトベルと言う睡眠ホルモンの薬を試してみました。(中略)朝起きられない問題は、コロナ禍で生活リズムが不規則になった頃からです。やはり、就寝前の電子機器の使用で就寝時間は徐々に遅くなり、22時半頃になることもあります。朝は休日でも8時起床にしていますが、息子もなかなか起きられません。自分の力で起床することが、自立の一歩だと思っているので、スマホのアラームやAlexaなど工夫して平日は一人で起きるようにしています。寝坊した場合は、就寝時間を早めるように促しています。熟睡できている事が前提だと思うので、1度主治医に相談してみては?違う切り口からの回答なんですが、職場で専門機関監修の睡眠改善セミナーを受けた中で使えそうなテクニックをいくつか。・睡眠環境を整える→寝室に光源を極力置かない。ダウンライトなどを活用。就寝中は家電のランプも塞ぐ(専用シールとかあります)→窓の隙間も塞ぐ。暗幕の活用→温度湿度の管理、寝具、パジャマの見直し(大人もついでにやってみては)・寝る前のスマホテレビ、照明→理想は1時間前にやめる。→リビングが調光できるならば、夕食前あたりから外に合わせて光量も落とす。・朝起きた時の楽しみを作る→朝飲む飲み物を少しリッチにする、朝ごはんへの投資、早起きして好きな映画を見るなど。(弟はゲーム時間確保のために早起きしてました)環境改善は一緒に寝てるのであれば親御さんの睡眠にも作用するのでおすすめです。年齢的にもう別々でしょうか?個人的には「朝起きる目的」があるパターンが学童期は一番効いたなと思います。私自身も見たいアニメがある、夏のラジオ体操でコンプリートして記念品もらいたい、という俗物的な目標があった方が起きてました。参考になれば幸いです。このように発達ナビQ&Aコーナーでは、疑問を投稿すると、ほかのユーザーの方が実体験をもとに回答してくれます。聞いてみたい質問があれば、ぜひ投稿してみてください!【小児科医に聞く】睡眠の大切さ、子どもの睡眠問題、何科を受診すればいい?、発達障害と睡眠障害の関わり、服薬のギモン、睡眠障害がある子どもへの対応などここまで発達ナビのQ&Aコーナーに寄せられたギモンを中心にご紹介しました。ここからは、小児科医の藤井明子先生に子どもの睡眠の重要性、受診のタイミング、睡眠障害がある子どもへの対応、服薬のギモンについてお答えいただきます。A:睡眠には「脳を休める」ノンレム睡眠と、「体を休める」レム睡眠があります。ノンレム睡眠時には、大脳を休めるだけでなく、成長ホルモンが分泌され、脳内の神経ネットワーク形成や細胞の修復、骨・筋肉形成が行われます。また、免疫機能・代謝機能が増強され、疲労の回復に役立っています。レム睡眠時には、脳は活発に活動し夢を見ることが多いですが、全身の筋肉は緩んで、体は休んでいます。睡眠の時間が短い、質が悪いなどで、睡眠の役割が十分に果たされないと、子どもの心身の成長や発達に影響が及ぶとされています。Upload By 発達障害のキホンA:かかりつけの小児科でまずは相談してみましょう。小児科医は、病気のことだけでなく、お子さんの生活全般、生活習慣についてのお困りごとにも対応することが可能です。すでに寝る前の工夫をとられていることもあるかと思いますが、お子さんが寝ないと、保護者も眠れず、親子共に疲弊していることもあります。少しでも工夫できることがないか、一緒に小児科医と考えていけると良いと思います。Upload By 発達障害のキホンA:いろいろ対策をしても寝つきが悪いようなら、受診して相談してみても良いでしょう。1〜2歳のお子さんの寝つきの悪さなら時間と共に改善する可能性もありますが、5歳であると睡眠覚醒リズムが確立される年齢なので、睡眠障害があるのかもしれません。ASDの特性もあるような気がするとのことなので、併せて相談されると良いでしょう。Upload By 発達障害のキホンA:受診すると、必ず薬が処方されるというわけではありません。まずは、睡眠リズムを作るための生活習慣の見直しをおこなっていきます。例えば、布団に入る1時間前のテレビ・インターネットなどは控える。休日・平日関わらず一定の時間に起きる、入眠までにすることの手順を同じ手順で同じ時刻に行うなどです。生活習慣の見直しをおこなっても改善しない場合に、薬の内服も検討します。発達障害に伴う入眠困難なお子さんへは、メラトニン受容体作動性入眠改善薬(一般名:メラトベル)を使用することがあります。メラトニンは、体内時計に働きかけ、睡眠と覚醒を切り替えて、眠りを促す作用があります。Upload By 発達障害のキホンA:易刺激性の薬とは、ASDに対するかんしゃくや、それに伴う暴言・暴力に対する薬のことだと思います。睡眠障害があるお子さんで、易刺激性に対する薬を使用することはあります。薬を使うことで、気持ちが安定し、入眠しやすくなることがあります。副作用として、眠気・だるさ、食欲増進を認めることがあります。主治医の先生と相談しながら、適切な効果のある量を調整していく必要があります。薬は、副作用と効果のバランスを見て、効果がある場合には続けていくと良いでしょう。長期に飲み続けて、依存性のでる薬ではないので、効果がある場合には続けて、適切な睡眠習慣をつくることができると良いと思います。Upload By 発達障害のキホンA:生活リズムの乱れは、抑うつやイライラといった気分の悪さと関連していることが指摘されています。睡眠リズムを取り戻すためには、朝に起きて光を浴びることから始めましょう。ベットを日当たり良い場所に移動し、毎日同じ朝の同じ時間にカーテンを開けて日光が入るようにして、刺激を多くしましょう。朝ごはんを食べることも、リズムをつくる上で大切です。食事が食べられなくても、少量のお湯などを経口摂取することから始めても良いです。午前中の生活を正してから、入眠前の工夫をしていきましょう。テレビや携帯電話、パソコンの使用は、入眠前1〜2時間は控えていきましょう。Upload By 発達障害のキホンA:ナルコレプシーは過眠症の一つで、オレキシン神経系の機能障害が原因です。日中の居眠りだけでナルコレプシーと診断できず、睡眠日誌をつけ、終夜睡眠ポリグラフィ、反復入眠潜時検査を受ける必要があると思います。ナルコレプシーを積極的に疑う場合には、睡眠外来を受診することをお勧めします。しかし、睡眠外来に受診すべきがどうか迷われる場合には、かかりつけの小児科に相談してみましょう。Upload By 発達障害のキホンA:起立性調節障害は、自律神経機能不全により、立ちくらみ、朝起き不良、だるさ、動悸、頭痛を認める病気です。朝起き不良だけでなく、だるさのために午前中の活動がしにくい状態になることもあり、そのため入眠困難になり、睡眠リズムの乱れにつながることもあります。起立性調節障害の治療と加えて、入眠をサポートする薬を使うこともあります。Upload By 発達障害のキホン発達障害のある子どもの睡眠にまつわるエピソード発達ナビライターの方々の睡眠にまつわるエピソードをご紹介します。子どもの成長に欠かせない「睡眠」。睡眠に関する悩みが解消しないときは抱え込まず、医療機関へ子どもの心身の成長や発達に大切だといわれる「睡眠」。しかし、いろいろと工夫してもなかなか子どもが思うように寝てくれず悩みを抱えている方も多いかもしれません。発達障害がある場合、睡眠障害を併存していることも多く、睡眠の問題は、単純に生活習慣の乱れではなく、何かしらの原因が背景にある可能性もあります。また、わが子が寝ないと、保護者も眠れず、親子共に疲弊してしまうこともあります。小児科医では、病気のことだけでなく、子どもの生活全般、生活習慣について相談することも可能ですので、心配なことがあれば、かかりつけ医に相談してみましょう。発達ナビ「Q&Aコーナー」にあなたのギモンをぜひ投稿してください今回は発達ナビQ&Aコーナーに寄せられた睡眠にまつわるギモンと小児科医の藤井先生からのアドバイスをご紹介しました。発達ナビのQ&Aコーナーに気になることを質問するとユーザーの方が経験をもとに答えてくれます。話題の質問に専門家からアドバイスともらえることも!ぜひチェックしてみてください。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年02月21日本人への障害告知以前コラムでも書きましたが、娘は中学2年生のときに主治医から障害の本人告知を受けています。告知は・娘自身が「自分の障害について知りたい」と思った・本人に“居場所”があり、精神的に落ち着いている・告知後、支援者(学校関係者)のフォロー体制ができていることを医師が確認したうえで行われました。そのおかげで娘は障害告知をポジティブに受けとめることができました。障害告知から6年後に、再告知その後、娘は高等特別支援学校を卒業し、特例子会社(※)に就職しました。そして20才になったある日、娘は再び私に「自分の診断名を知りたい」と言いました。私は娘に、中2のときに告知を受けているのになぜまた聞きたいのか尋ねました。娘は「診断名は知ってるけど、自分の障害の詳しい種類と程度を知りたい」と言いました。SNS上でも発達障害に関する情報や当事者として発信する人も多くなってきていましたし、娘もそういったものを見て何かしら思うところがあったのかもしれないと、このとき私は思いました。(※)特例子会社は、「障害のある方の雇用の促進、そして安定を図るために設立された会社」のことです。【参考】厚生労働省特例子会社制度の概要Upload By 荒木まち子娘は社会人になってからは一人で通院をしていました。何か親が医師に伝えたいことがあるときは、手紙を書き娘から医師に渡してもらっていました。私は医師に『娘が自分の障害名や障害の程度を知りたがっている』旨の手紙を書きました。医師は中学生のときから娘を診ているので娘のことはよく分かっています。二度目の告知は通常診療とは別枠で予約を取り、親同伴で行われることになりました。一度目の告知のときは前回の告知のときは、娘と親がそれぞれ感じている“本人の長所と短所”を事前に書き出しました。・真面目で一生懸命。我慢強い・常識を学び、言われたことは直したいと考え努力している・ルーチンに強く、さぼらない・興味や関心が深く狭い。技術や知識は多い・自分から気持ちを伝えることは、落ち着いてるとできる・会話は苦手で、相手の言葉に不安になることがある・新しいことや状況の変化・変更に対して臨機応変に対応することが苦手これらのことを一緒に振り返りながら医師が娘の『特性』を文字に起こして障害の説明をしました。本人の理解力に合った言葉選びと文字を書きながらの説明は、視覚優位の娘にはとても有効な方法です。医師からは『これからどのようにして周りの人たちに助けを求めていくのが良いか』のアドバイスもありました。2度目の障害告知では二度目の障害の説明でも、事前に本人と親で『娘の長所と短所と思われることの書き出し』をしました。その内容は6年前とほとんど違いはありませんでしたが、新たに“自分のことばで相談を持ち掛けるのは、ハードルが高い。相談してくれる人が向いてくれたら話せる。自分から働きかけることが苦手”が加わりました。娘は自らに主治医に「自閉症」「発達障害」「アスペルガー症候群」「ADHD」の違いや「自分は何に当てはまるのか」「障害の重さはどの程度なのか」などを質問しました。娘の質問に対し、主治医は図を書きながら娘に分かるように説明をしました。そして診断名は大事な個人情報だということも娘に伝えました。娘をとりまく環境の変化私は当初、再度自分の障害についての説明を望んだ娘の心境がよく分かりませんでした。でも娘と医師のやり取りを見ているうちに、娘が“学生”から“社会人”になったことが大きく影響しているのだと感じました。『学生』でなくなると、選択の自由度が増し、煩わしいもの、嫌なことを避けることもできます。学生時代は限られていた交友関係や活動範囲を広げることが可能です。一方で、自ら行動を起こさなければ人間関係は希薄になりがちです。周りの人は本人の意思を尊重します。そして自身の行動には責任が伴なってきます。そんな中で娘が自分の障害を再確認したいと思うのは自然なことだったのかもしれません。これからも親は子どもが何歳になっても親ということには変わりありません。そして子どもに障害があると、子どもを守りたいという気持ちはことさら大きくなります。でも自分の障害を理解しようとしている娘の姿を見て、私は彼女を一人の大人としてもっと尊重し、対等なスタンスで接していくべきなのだろうと感じました。これからも人生の節目やターニングポイントを迎えるたびに、娘は自身の障害についていろいろと考えることでしょう。そしてそのとき、私もまた新たな気付きを得るのだと思います。いつになるか分かりませんが、そのときまで体も心も頭も(笑)元気でいたいものです。執筆/荒木まち子(監修:鈴木先生より)そもそも自閉スペクトラム症を「障害」ととらえずに「特性」ととらえればいいのです。特性を知ることで今後の人生や生き方に役立てればいいと思います。重要なのは会社や周りの人たちがその特性を理解してくれるかどうかです。理解してくれることによって優しく丁寧に具体的に肯定文で話してくれれば、娘さんにとって生きやすい社会になります。最近はSNSなどでさまざまな情報が飛び交っております。重要なのは信頼のできる主治医と向き合って自分独自の特性を正確に知り、どういう対策を取ったらいいか知っておくことです。そしてそれを理解してくれる仲間を増やすことです。
2023年01月17日臨月に行ったノンストレステストでひっかかった娘には重度の知的障害や身体障害があります。言葉はほとんど話すことはできません。発達の遅れは感じていたものの、2歳直前で障害があると診断されるまでは、そんなに重い障害があるとは思ってもいませんでした。妊娠中は、後期になるまではとても順調でした。ですが、臨月になり、ノンストレステストを行ったところ、いつまでたっても胎児が起きないのです。通常は、おなかの中の赤ちゃんは20分おきくらいで起きたり寝たりしているそうなのですが、ずっと寝ている状態とのこと。ほかの妊婦さんが30分ほどでテストを終えていくのに、私だけ3時間たっても終わりませんでした。産院の先生はなんども超音波で胎児の様子を見ては「脳もあるし、身体に異常は見当たらない。なんでだろう」と頭をひねらせていました。大学病院に紹介状を書くか迷っていた様子でしたが、予定より2週間ほど早く陣痛が来て、紹介する間もなくかかりつけの産院で出産することになりました。出生後すぐチアノーゼに出産時も、上の子の時とは違いました。生まれてすぐ一声泣いたものの、そのあとはぐったり…胸に抱かせてもらった娘の顔色がだんだん悪くなるのを見て、私は「先生、この子おかしいです!」と叫びました。スタッフが慌てて血中酸素濃度をチェックすると、とても低い数値。あわてて酸素ボックスの中に入れられました。ですが翌日になると落ち着いたので、予定通り3日ほどで退院となりました。Upload By ユーザー体験談泣かない、手がかからない、乳児時代その後は特に問題はないように見えた娘ですが、上の子と比較して違ったのは「泣かない」ということでした。上の子がとにかく泣いてずっと抱っこをしていて大変だったのに、娘は寝かせておいたらずっと寝ているし、泣いてアピールすることもほとんどありませんでした。出産祝いに来てくれたママ友に、「こんなに手がかからないなんて、なんか変じゃない?」と言って「楽なのに心配するなんて、心配しすぎだよ」と言われたのを覚えています。今思えば、自己主張するほど脳も発達してなければ、泣くために必要な身体の力も未熟だったのだろうと思います。Upload By ユーザー体験談4ヶ月を過ぎたころから発達の遅れが目立ち始めた首すわりまでは順調だったのですが、そこから先はつまづきました。寝返りしない、ハイハイしない、座れない、伝い歩きしない…7ヶ月健診で要観察、9ヶ月健診のときにもお座りが安定しない娘をみて、産院の先生に子ども病院を紹介されました。上の子のときを思い返せば、9ヶ月ではしっかり座り、座ったまま体をひねったり、両手でおもちゃで遊んだりしていたし、ずりばいやつかまり立ちもしていました。人見知りも始まっていました。娘は人見知りをすることもありませんでした。原因不明の発達遅延といわれて子ども病院にはかかったものの、原因不明の発達遅延と言われただけ。発達センターを紹介され、1歳になるころから、PT(理学療法)を受けることになりました。センターの先生は、おそらく一目見て娘の障害に気づいていたのでしょう。その後、同じ自治体に娘と同じ障害がある子が複数いると分かりましたし、そうした子どもたちはみんな、就学前はこのセンターに通っていたからです。ですが、立場もあるからでしょう、障害名について口にすることはなく、「ウォーカーをつくって歩行練習をしたほうがいいと思います。障害者手帳をつくれば、公費でつくれるので手帳をつくりませんか?」と提案されました。おそらく、歩行に困難がある障害だから、はやめにウォーカーをつくってリハビリを始めたほうがいいと考えてくださったのだろうと思います。1歳半健診で感じた周りの子どもとの違い1歳半健診にもいったものの、ハイハイもせず、模倣もせず、もちろん積み木もつめず。「おかあさんが髪をとかしていたら、それをまねしますか?」といわれ、1歳半の子どもってそんなことできるんだっけ、と思ったのを覚えています。そうした模倣をするようになったのは、娘の場合は小学校に入ってからでした。健診で、すでに発達センターに通っていることを伝えると、それならと特に要観察の指示もありませんでした。てんかん発作が診断のきっかけに結局、障害が分かったのは、1歳半を過ぎたころにてんかん発作を起こしたことがきっかけでした。地域の中堅病院にしばらく入院し、その後主治医になったのが、ある大学病院から月に何回か来ている脳神経の専門の先生で、その先生は脳波をみて娘の障害に気づき、大学病院への転院手続きをしてくださったのです。大学病院での遺伝子検査の結果、先天性の希少疾患があることが分かりました。Upload By ユーザー体験談3歳児健診はパス、大学病院での配慮がうれしくて3歳児健診には、娘を連れては行きませんでした。障害も分かっていたし、すでに毎月大学病院で見ていただいていたからです。役所に電話したら、「大学病院で毎月見ていただいているなら大丈夫ですよ」と言われました。定期通院のときに、看護師さんに「3歳児健診は行くのやめたんです」と伝えると、いつも計測している身長体重に加えて、詳しく計測をしてくれ、母子手帳に記載してくれたのがとてもうれしかったです。Upload By ユーザー体験談障害告知はつらかったけれど生後1ヶ月くらいから感じていた「何か気になる」というカンは、結局当たっていました。わが家の場合、てんかん発作で入院した病院に、娘の障害に詳しい先生がきていたことから、早めに障害を見つけてもらうことができました。障害が分かったときはその重度さに落ち込みもしましたが、今は早く見つけてくださった先生に感謝しています。あれから10年以上経ちましたが、私たち家族は娘を中心に幸せに暮らしています。イラスト/にれエピソード参考/あき(監修:鈴木先生より)1歳までは運動面での発達が主なので、遅れのあるお子さんはとりあえず「運動発達遅滞」という病名で定期的にフォローしながら病因検索をしていきます。この時点で一般の小児科医から神経専門の小児科医のいる病院へ紹介されるのが普通です。娘さんは運動発達を遅らせることで親にイエローカードを出していたのです。それをいち早く察知するために乳幼児健診(基本コラム「0歳児健診」参照)があります。早めに診断するメリットとしてさまざまな合併症に対する検査・診断・治療が早くできることが挙げられます。1%程度の病気の面は主治医が診るので家族のみなさんは残り99%の健康的な娘さんのできるところを見て伸ばしてあげてください。
2023年01月07日国内最大規模の彫刻の公募団体である公益社団法人 日本彫刻会(所在地:東京都新宿区、理事長:山田 朝彦)は、視覚に障害のある子どもたちの作品を美術館へ展示する取り組みへの支援募集を、クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」にて11月15日(火)より開始。2023年2月2日(木)まで実施しております。鑑賞教室の様子(1)■クラウドファンディング概要プロジェクト名: 触れるアートで未来をひらく!視覚に障害のある子どもたちの作品を美術館へ期間 : 2022年11月15日(火)~2023年2月2日(木)URL : ■企画背景*長年にわたる鑑賞支援への思い日本彫刻会では、社団法人化前の1967年から視覚障害の方の彫刻鑑賞支援を継続して行ってきました。これは国際的にみても萌芽期における触れる鑑賞の大きな支援活動で、日本において最も実践を蓄積してきた美術団体とも言えます。中でも、盲学校の生徒たちが参加する「鑑賞教室」は、毎年「日本彫刻会展覧会(日彫展)」(※)期間中に、学校単位で作品に触れて鑑賞を楽しんでいただいており(過去56回の開催実績あり)、子どもたちからは、「とても楽しい時間を過ごせた」、「初めて芸術を肌で感じられた」、等の感想をいただいています。*十分な予算が当てられない現状これまでの活動は全て所属会員・会友(約250名)からの年会費をもって行われていますが、会員数は減少傾向にあり、十分な予算が充てられないのが現状です。実際、ここ数年は、交通費も辞退する会員の自発的協力によって支えられてきました。このような現状を踏まえ、この度クラウドファンディングという形で支援募集を開始いたしました。■企画内容「触れるアート」の可能性を広げるべく、「鑑賞教室」に加えて、2023年からは「盲学校・視覚特別支援学校の子どもたちの展示ブース」をつくり、作品を展示したいと考えています。作品の展示会場は、日本彫刻会が2023年4月19日より開催する「第52回 日本彫刻会展覧会」(会場:東京都美術館)を予定しています。■今後に向けて将来的には、全国の盲学校・視覚特別支援学校の子どもたちが挑戦できるような彫刻展の開催を目指したいと考えています。その第一歩として、視覚に障害のある子どもたちと共に作品づくりを楽しむワークショップにも取り組み始めています。※「日彫展」について日本彫刻会展覧会(日彫展)は、彫刻作家たちが自ら企画し、作品を並べて会場をつくり、運営している展覧会です。鑑賞プログラムも独自のものです。毎年4月に、上野の東京都美術館で日本彫刻会展覧会(略称:日彫展)を開催し、2023年で52回目を迎えます(※社団法人化後)。彫刻に特化した全国規模の公募展として毎年全国各地より会員、一般含め約250点の展示があり、会場は彫刻家の研鑽の場となっています。展覧会名:第52回 日本彫刻会展覧会(日彫展)後援 :文化庁、東京都会場 :東京都美術館ギャラリーA・B・C (台東区上野公園8-36)会期 :2023年4月19日(水)~5月2日(火)開場時間:9:30~17:30 *初日12時から、最終日は15時まで■クラウドファンディング リターンについて下記の設定をさせていただいております。【3,000円/5,000円/10,000円/30,000円/50,000円/100,000円】本プロジェクトは寄付型となり、所得控除に活用できる領収証を2023年12月にお送りいたします。また、ご希望の方は本会webページや展覧会図録にお名前を掲載させていただきます。■法人概要公益社団法人 日本彫刻会は昭和22年「日本彫刻家連盟」として朝倉 文夫・北村 西望らを中心として発足した彫刻団体であり、彫刻芸術の一層の発展向上を目指し活発な研究、創作活動を長年にわたり展開しています。商号 : 公益社団法人 日本彫刻会代表者 : 理事長 山田 朝彦所在地 : 〒169-0075東京都新宿区高田馬場1丁目29-18 レジョン・ド・諏訪202設立 : 1970年5月事業内容: 彫刻芸術の研究及び創作活動に関する事業(展覧会開催、研究誌発行)資本金 : 500万円URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年12月07日学習障害がなくても、視覚過敏が原因で学習に困難を感じている子どもは多くいる?ノートが上手く取れない、計算や漢字の書き取りが不得手、授業に集中できない…など、子どもの学習に関連する困りごとは、「限局性学習症(学習障害・LD)」が原因なのではないかと考える方も多いのではないでしょうか。しかし、限局性学習症とは異なる特性が理由で学習に困難を感じている子どももいると考えられています。特定の領域の学習ができない限局性学習症とは異なり、環境に左右される原因によって学習困難が起こることがあります。今回は「視覚過敏」が原因で起こる学習困難についての原因や解決方法などをイラストと共に分かりやすく解説します。Upload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホン目の感覚、視覚が過敏な場合は光を過度にまぶしく感じることがあります。視覚の過敏さがある子どもの場合、ノートをまぶしく感じる場合があります。一般的にノートの紙は明るい白のためノートが照明の光を反射して、まぶしくて板書がしにくかったり、書いた字が読みにくかったりすることがあります。また、タブレットを学習に活用している場合、明るさの調節をしないと、画面がまぶしすぎることがあります。解決策:ノートの紙にほんのりと色がついているものを選ぶだけでもまぶしさは軽減します。色つきのクリアファイルや下敷きを重ねることで見やすくなることもあります(※)。また、机の配置が照明の真下にならないようにしましょう。タブレットについては、画面照度を子どもが見やすく感じる明るさに調整しましょう。機種によってはアクセシビリティの機能によって色つきの画面に設定できることもありますので、こうした機能を活用することもおすすめです。(※)子どもによって見やすい色合いや彩度は異なります窓が近い日当たりのいい席は、黒板や先生の姿だけでなく、教科書が日光を反射して見づらくなる場合があります。また、照明の種類や光が当たる角度によっては、同じような状況になります。また、本を読んでいる最中に文字が追えなくなる、ズレたりにじんだりして見える、文字がチカチカと光るように見える、文字が流れてしまうなど、光の感受性が高いために起こる視知覚の困難は一見、ディスレクシア(読み書き障害)と症状が似ているように見えますが、異なるメカニズムで起きる可能性が指摘されています。解決策:窓辺を避けた席や、照明の真下を避けるなどの机配置をしてあげましょう。もし、あまりにもまぶしい場合には、色つきメガネやサングラスの使用を検討してください。また、カラーレンズやフィルムを通してみることで、目に入る光の量を調節することができ、文字が見やすくなる場合もあります。蛍光灯の光のチラつきが気になる場合があります。蛍光灯は、実は常に光っているわけではなく、通常は人の目で感知できない速さの周期で点滅を繰り返して光っています。蛍光管が古くなると、この速度が落ちてくるためにチカチカ光って見えるようになりますが、視覚過敏がある場合には新品の蛍光灯の光でもチカチカしているのを感じてしまうことがあります。解決策:家庭ではできるだけ蛍光灯をやめて、白熱電球に替えたり、蛍光灯カバーをつけたりといった対応が効果的です。視覚情報が多いと気が散って集中できない場合があります。例えば、黒板のまわりなどに掲示物がたくさん並んでいると、掲示物が気になって肝心の授業の内容に集中できなくなることがあります。また、ADHDがある場合も、不注意の特性から揺れるカーテンや校庭の様子など、注意が逸れやすいことが理由で集中できないこともあります。単に集中できないだけでなく、情報過多になって気持ち悪くなるなど体調に影響してしまうケースもあります。解決策:黒板の周りに授業と関係のない掲示物がたくさんある状態は、学習困難がなくても気が散る原因となるので、片づけたり視界に入らない後ろの方に置くようにしたりしましょう。家庭では、学習するときには関係ないものはできるだけ片づけるのもよいでしょう。使わないものには布をかけて隠しておいたり、パーテーションを利用したりするのも有効です。イラスト/taeko
2022年09月28日視覚支援との出合い私が初めて視覚支援を学んだのは、発達障害の勉強会でした。目で見て分かるよう、イラストなどを利用して視覚情報を使い子どもに伝えたいことを伝える。今考えてみれば成長途中の子どもは文字の理解や言語のレパートリーが少ないため、視覚情報の方が理解しやすいのは当たり前です。大人だって「百聞は一見に如かず」ということわざがあるくらいなので、情報は視覚で補助すると理解しやすいというのは当然なのですが、当時の私はそういう視点が全くなかったので、なるほど!と感動したことを覚えています。おうちでの視覚支援小さいころ、むっくんはマークが大好きでした。車のエンブレムやお店のロゴ、交通標識などにも興味を示し、記号の本が好きで色んなマークをよく覚えていました。視覚支援を知った私は、むっくんのこの特技を利用すればいいのだと思いいたり、3歳のころから外出の際はお店のロゴを使って行先を伝える工夫をするようになりました。これは診断のない弟にも有効で、子どもたちのどこへ行くのか分からない不安を和らげる効果がありました。また、むっくんはおもちゃなどについている注意書きマークにも興味を示したことから、ルールを伝えるのに使える!と導入したのが「さわっちゃダメマーク」です。家の中の危ない場所にはこの「さわっちゃダメマーク」を貼って理由を伝えておくと。ルールを守りたいタイプのむっくんは触らないように頑張ってくれていました。当時は子どもの行動に困ったな~と感じると、視覚化することで何か伝えられないかな?と考えていたように思います。Upload By ウチノコ成長と共に、家庭内の視覚支援はどんどん増えていき「朝の準備」「カレンダーでの予定表」「おもちゃ箱に写真」なかなか進まないトイトレでは「トイレにトイレマーク」も貼りました(笑)さらに、一日の出来事を思い出すことが苦手だったむっくんに、保育園での「活動メニュー表」を作って会話のきっかけにしたり。お風呂あがりの「体の拭き方」や運動会での「ダンスのふりつけ」など動作を伝えるイラストを描いて貼ったこともあります。また、私の伝えたいことはイラストを描きながら説明すると集中して話をきいてくれることもありました。わが家では診断の有無にかかわらず兄弟ともにこういったツールをたくさん使って暮らしています。Upload By ウチノコUpload By ウチノコ視覚支援に囲まれた子どもたちの今現在8歳のむっくんは文字や聴覚情報でも十分ものごとが伝わるようになりました。それでも複雑なことや、忘れやすいことは視覚情報で消えないように伝えることが鉄則です。最近では将来を見据えて、デジタル端末を使う視覚支援も増やしています。例えばスマートスピーカーの残量が表示されるタイマーは時間管理に便利ですし、忘れやすい予定はタブレットのリマインダーで通知、家族共有カレンダーを使い、自分や家族の予定を確認できるようにもしてあります。また、むっくん自身もタブレットのデジタルふせんやメモ帳を使い、忘れたくないことを自分でメモすることも増えてきました。さらに弟まで忘れないように目印を付けるなど自分から視覚支援を使おうとすることもあり、この子たちは困ったときは工夫で補えることを知っているのだなぁと感心させられています。二人とも小さいころよりも言葉で伝わりやすくなったため、つい視覚的な提示を忘れがちなのですが。何度か声かけが必要なケースは視覚支援を考えた方がいいことを忘れないように私も気を付けています。Upload By ウチノコ方法ではなく本質を伝える最近のむっくんは、自分の伝えたいことを図やイラストを描きながら説明してくれることがあります。これはまさに私がむっくんに対してやってきたことなので「この子は視覚情報と聴覚情報合わせて使う方が自分も伝えやすく、相手にも正しく伝わりやすいということを知っているのだな」と驚かされます。発達障害と診断されたことをきっかけに学んだ視覚支援。私は暮らしやすさをもとめて取り組んだに過ぎないのですが、それらが子どもたちの中に芽を出し育っているのだなぁと感じています。視覚支援の根っこにある「自分にも相手にも伝わりやすい方法を模索する」という考え方は、私の手を離れた後もきっと彼らを支え続けることになるでしょう。工夫しようとする子どもたちを見ていると、試行錯誤してきた過去の自分のことを私はちょっとだけ誇りに思えるのです。執筆/ウチノコ(監修:初川先生より)むっくんとの視覚支援の歴史のシェアをありがとうございます。視覚的な刺激を得意とするお子さんは多いですし、言葉が苦手なお子さんでもイラストや写真などを用いたものや目印やマークを用いて判断しやすくするものなど、とても有効ですね。聴覚的な支援は、その瞬間の注意を引くには良いのですが、その記憶の保持が難しいですね(別のことに気が向いたらすぐに忘れてしまうため、声をかけ続けなければならないことも…)。消えてしまわずに残っているという意味でもとても便利です。不注意なお子さん(大人もですが)にもとても有用です。今日園(や学校)で何があったかを話してもらうきっかけとしての絵や写真もとてもいいですね。話したくないわけではないけれど、呼び水がないと思い出しにくいこともあります。時系列で思い出すのも得意な子と苦手な子といるのではないでしょうか。ちょっとの間、覚えておくべきことを、忘れないように忘れないようにと思いながら過ごすことは、本来がんばりたいことへ注意集中が削がれている面もあります。学習場面における、机上の整理であったり、毎日の支度における物の管理であったり、そこにいちいちエネルギーをかけるのはややもったいないです。思い出す・判断するという行為は、なかなかに負担なので、そのあたりをメモやマークなどを用いて負担をショートカットすることはとても理に適っています。視覚支援のありがたみに気づいてきたお子さんは自らメモを取ったり、写真で残したりと工夫をすることも多いです。保護者の方がされてきたことは、お子さんにも受け継がれてゆく面があります。
2022年07月05日「グレーを白にしたかった」診断はADHD、LDも大生さんは小さなころから多動や言葉の遅れがみられたが、和枝さんは大生さんの発達の遅れに気付くまでに時間を要した。離婚後、家計を支えようと、看護師の資格を取得するべくパートの仕事の傍ら看護学校にも通っていたため、育児が二の次になってしまったからだ。大生さんは頻繁に忘れ物をし、夏休みの宿題はろくに手がつけられず、外食に行けばじっとしていられず、ときに癇癪を起こしていた。小学校中学年のある日、和枝さんが連絡帳を開くと、中は真っ白だった。授業のノートも見ると、板書のメモは一行だけで終わっており、作文の文字はマス目に収まっていなかった。「どうしてできないのかが分からない」「僕なんてダメなんだ」と、家の柱に頭を打ち付けたり、自分に包丁を向けるなど、自傷行為もするようになっていった。「私もイライラしていたんです。今からでもフツウになれるんじゃないかと思って、とにかくやりなさいって、型にはめようとしていました。グレーを白にしたかったんです。でも、母親として切ないというか、大丈夫かな、ウチの子は楽しいのかなとか。毎日毎日泣いて帰ってくる大生を見て、そんなに嫌な思いして学校に行くならほかの子と一緒じゃなくてもいいかなって思ったんです」(和枝さん)Upload By 桑山 知之ほかの保護者からの指摘を受けて調べたところ、発達障害の特性が当てはまった。発達検査では全検査IQは“普通の中”。スクールカウンセラーのすすめで受診した病院で、ADHDと診断を受けた。学習障害もあった。さらに、医師から「お母さんも“抑肝散”を飲んでみてはどうか」とも提案されたという。抑肝散(ヨクカンサン)とは、精神疾患や神経疾患の補助薬として処方される漢方薬だ。「え、私?って。看護師なのでそれがどういう薬なのかわかるから、驚きました。それと同時に、子どものしんどさの導火線は私が握っているんだなっていうか。この子だけをどうにかしようと思うんじゃなくて、私もこの子のつらさに拍車をかけちゃいけないんだなと思いました」(和枝さん)Upload By 桑山 知之「死んでやる!」どん底で見つけた一筋の光大生さんは地元の公立中学で通常学級に進学したが、遅刻や早退がほとんど。教師の理解は乏しく、よく説教を受けた。クラスでは仲間外れにされ、「遅刻してきたのによく堂々と入ってこれるな」「勉強面で遅れてて終わってんな」などと言われることもあった。登校時間になると嗚咽が止まらなかったりと、休みがちになっていった。大生さんの自傷行為を防ぐため、和枝さんは家中の刃物を隠した。「死んでやる!と言って大生が自分の首を絞めていたこともありました。私も家に帰るのがつらいっていうか…。一緒に死んでもいいのかなって思ったりもしました」(和枝さん)Upload By 桑山 知之中学2年に進学したある日の夜、和枝さんは『坂上どうぶつ王国』(フジテレビ系)でキャリアチェンジ犬のことを知る。キャリアチェンジ犬とは、身体面や性格面など何かしらの理由により介助犬に向かないと判断された犬のこと。かつて犬を飼っている知人の家に行った際、大生さんが柔らかい表情をしていたのを思い出した。「手は尽くした。これしかない」と、日本介助犬協会に問い合わせた。※介助犬…肢体不自由者の日常生活のお手伝いをする犬のこと。盲導犬、聴導犬とともに身体障害者補助犬の1つとして定められている。人懐っこい“魔法使い”がやってきたUpload By 桑山 知之10ヶ月が経ったある日、1頭のキャリアチェンジ犬とマッチングした。名前はオズ。介助犬を目指して訓練していたものの、好奇心が旺盛でほかの犬が好きな性格のため、介助犬には不向きと判断された犬だった。お試し期間として2週間、自宅で一緒に過ごすことになった。和枝さんが「オズにわかりやすいように笑顔で、感情を込めて『よしよし』ってなでるといいよ」と伝えると、大生さんは少しずつ一言添えてなでるようになった。人懐っこくいつも顔をペロペロなめるオズに、思わず大生さんにも笑顔が戻ったのだった。「大生は最初は興味なさそうだったんですけど、だんだん感情を込めてオズに接するようになったんです。大生も笑うんだ…って思ったぐらいでした」(和枝さん)Upload By 桑山 知之さらに、3個下の弟と適切な距離感がつかめずケンカが絶えなかった大生さんだが、オズを介してコミュニケーションが取れるようになった。かつて喫茶店に行くのが趣味だった和枝さんに「俺たち大丈夫だから、喫茶店に行ってきていいよ」と大生さんが言ってくれたり、最近では料理もするという。「(オズを)迎え入れてよかったです。人と違う接し方ができて楽だし、オズと散歩に行ったときに近所の人から空気感が変わったね、って声をかけてもらったり、話したりするようになりました。オズは家族です」(大生さん)Upload By 桑山 知之「最初、見学会でご家族を見たときは空気が張り詰めている感じがありました。でも、犬にはすごいパワーがあって、もたらす効果も大きいんです。その中でもオズはフレンドリーで、マイペースで、明るくて動じない性格だから尾崎さん家族に合うのかなって。オズが来たことがきっかけで変わって、本当に良かったです」(日本介助犬協会・柴原永佳さん)オズが来て半年。これまで集中力が続かず、不登校だった大生さんは自ら勉強に励み、「高校に行きたい」と言うようになった。大生さんは現在、専修学校2年生。専門課程までの5ヶ年一貫教育を経て、就職できるよう力をつけていく。「自分で働いて、自分が暮らせる分ぐらいは稼げるようになってほしい」と和枝さんは願っている。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)家族関係の中に動物が介在することで、共通の話題やプラスのコミュニケーションが生まれてきます。また、家族同士の関係性や価値観も変わってくるのだと思います。今回のケースでは、オズ自身の性格もさることながら、キャリアチェンジをして頑張っているオズという存在自体が、「チェンジしたい」と願う家族それぞれが自分と重ね合わせることで大きな力になったのではないかと感じました。
2022年06月28日幼いころのゆいの様子を思い返してUpload By 吉田いらこ幼いころのゆいは素直で大人しく、いわゆる育てやすい子でした。就学前までは子育てで特に大きな苦労を感じたことはありません。ただ、ゆいは勉強の苦手な子ではありました。年中のころから幼児向けのコースもある学習塾に通わせていたのですが、小学校1年生のころに本人がどうしても辞めたいというので退会させたことがあります。続けていけなくなったのは、ちょうどそのころから塾の勉強の内容が幼児向けの簡単なものからお勉強系に切り替わったからだと思います。この塾のシステムは、できない問題があればずっと同じところを繰り返し、理解し、解けるまで次に進むことはできません。ゆいは算数のある一ヶ所でつまずき、ずっとその問題を繰り返し解くことがつらかったようです。このときは辞めさせることをとても悩みました。勉強を嫌がるのは甘えではないのか、それを許していいのか…と。結局、ゆいがとてもつらそうにしているのがかわいそうになって辞めさせてしまいました。それに、まだ低学年だし勉強は無理にさせなくてもいいやとも思っていたのです。今思えば、このころに軽度知的障害の予兆に気づいていればできたこともあっただろうなと感じます。小学校三年生、テストの点数はいつも低く…Upload By 吉田いらこ小学3年生あたりから「この子は勉強が本当に苦手だなあ」と感じることが増えました。小学校で実施される小テストやカラープリントの点数がとても低かったのです。ゆいはいつも点数の低いテストを申し訳なさそうに私に見せてくるので、私は「次頑張ったらいいよ」「ほら、ここは○が多いじゃない」と数少ない、できていたところに目を向けてほめるようにしていました。内心では「この内容だったら、ほかの子は高得点を取っているのでは…?」と思いましたが、成績が悪いことをわが子に注意するのはかなり抵抗がありました。さらに勉強を嫌いになってしまうかもしれないと思い怖かったのです。きっといつか、勉強の大切さがわかったときには自主的に始めるだろう…と楽観視していました。かといって、ゆいに勉強に興味を持たせられるような効果のある声かけもしていなかったので申し訳なく思っています。小学校4年生のある日のことUpload By 吉田いらこそして何も解決しないまま小学四年生になったある日、担任の先生から呼び出しがありました。教室に入ると担任の先生と支援担当の先生がいて、ゆいの学校での状況を教えてくれました。ゆいは勉強についていくのがとても難しそうだということ。必死で板書を書き写そうとしているが間に合わず、授業を理解する以前の状態だということ。そして最後に、一度専門機関で発達の検査をしてみてはと言われました。そのときは「ああ、とうとうか…」と感じました。なんとなくそのままにしてきたことをはっきり指摘されたような気がしました。現在のゆいは…その後小学校5年生で新版K式発達検査を受けた結果、療育手帳(B2)が申請できると伝えられました。つまり、軽度知的障害があるということです。ゆいの場合は、学年が上がって勉強につまずき始めたことがきっかけで障害があることが発覚しました。ただ、こうやって第三者に指摘されない限り、家族だけではなんとなくそのままにしていただろうと考えています。学校の先生方に指摘された当時はショックを受けましたが、そのおかげでいろいろな対応を進めることができたので今では感謝しています。執筆/吉田いらこ(監修:三木先生より)「子どもに知的障害があるかもしれない」という発想は、普通に子育てをしていてはなかなか浮かんでこないものです。ただ一方で、気づかずに一般的な勉強方法を繰り返していては、本人にとってつらいだけのこともあります。特性に気づいて最適な方法に出会えると、少しずつ前に進めて良いですね。
2022年06月03日目が見えない人や、見えにくい人が、安全に歩くためのサポートをしてくれる、盲導犬。視覚障がいをもつ人にとって、盲導犬は常に行動をともにするパートナーといえます。視覚障がいをもつ男性と初めて会った盲導犬が?アーティストのポール・キャッスルさんは16歳の時に、網膜色素変性症と診断されました。この病気によって、彼の視野は非常に狭く、ストローで覗いているように見えるといいます。2022年5月、ポールさんは自身のパートナーとなる盲導犬と初対面しました。これから一緒に生活していくわけですから、盲導犬との相性は大事です。やや緊張した様子で、待っているポールさん。そこに、盲導犬がやってきて…。@paulcastlestudio This was one of those moments that will live forever in my memory #guidedog #servicedog #dogstory #legalyblind #visuallyimpaired #labrador ♬ Epic Emotional - AShamaluevMusicポールさんを見るなり、彼に抱きついた盲導犬のメープル。「よろしくね!」というように、しっぽをブンブン振って、すでにポールさんのことが大好きな様子です。初対面とは思えないほど打ち解けた、ポールさんとメープルの出会いに、多くの人たちが笑顔になったようです。・メープルが彼のヒザの上に乗った瞬間に、涙があふれた!・彼らは一瞬で心が通じ合ったね。・メープルは間違いなく、きみのための犬だ。彼もそれが分かっているんだよ。ポールさんとメープルは2週間、ペアで行動するためのトレーニングを受けました。人懐こいだけでなく、優秀な盲導犬であるメープルは、すべてのテストに合格。こうして彼らは、ポールさんの自宅での生活を順調にスタートしています。@paulcastlestudio I follow him wherever he goes #guidedog #servicedog #dogstory #visuallyimpaired ♬ Follow You - Imagine Dragonsまるで長年一緒に暮らしている飼い主と愛犬のような、ポールさんとメープル。まだ出会って数週間なのに、彼らの間にはしっかりと信頼関係ができているのが伝わります。メープルはポールさんの夫のこともすぐに大好きになり、すっかり家族の一員として馴染んでいるそう。これから先、メープルはポールさんを支える盲導犬であるだけでなく、彼の親友としてたくさんの喜びをもたらしてくれることでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年05月27日障害のある職人たちが手がけるボーダーレスなウォレット「UNROOF×SHIPS made in Japan」シリーズ第2弾、発売中Upload By 発達ナビニュースジョッゴ株式会社が運営する革製品ブランド「UNROOF(アンルーフ)」では、発達障害や精神障害のある革職人たちが活躍しています。障害のある方たちの新たな働き方のスタイルや、妥協のないものづくりが注目され、人気ブランドと共同開発した製品も続々と誕生しています。現在、発売中の革小物シリーズ「UNROOF× SHIPS made in Japan」は、セレクトショップ「SHIPS」とのコラボレーション第2弾。「UNROOF」が大切にするのは、性別問わず使えるデザイン、そして左利きの人でも使えるようなデザイン。「SHIPS」 が大切にしているのは、シーンを問わず、また性別も問わないジェンダーレスに使えるデザインと素材。この2つがコラボレーションしたことによって、あらゆる面でボーダレスなウォレットが誕生しました。製作は全て東京都東村山市にある「UNROOF」の工場で、革職人が一つひとつ手づくりしています。素材、生産工程の全てが「Made in Japan」のコラボレーション商品です。「SHIPS」の一部店舗、オンラインショップにて販売中です。〈「UNROOF X SHIPS made in Japan」取り扱い店舗 〉SHIPS 銀座店SHIPS 新宿店SHIPS 有楽町店SHIPS 大宮店SHIPS グランフロント大阪店SHIPS 広島店*一部変更の可能性があります※クリックすると発達ナビのサイトからSHIPSオンラインショップに遷移します。障害福祉×デザイン×地域の協働。JR東⽇本⼭⼿線沿線で、オリジナル電⾞カードが配布中Upload By 発達ナビニュース「障害の壁を越え、持ち味を生かし『好きなことを仕事にする喜び』『他者と協働する楽しさ』を誰もが目指せる世の中をつくる」をミッションに、2020年に創業したデザインチーム「想造楽工(そうぞうがっこう)」。全国各地の福祉施設と企業や自治体とコラボレーションを手がけています。今回、東京都池袋にある障害者⽀援施設「社会福祉法⼈フロンティア いけぶくろ茜の⾥」、JR東⽇本とのコラボレーションが実現。オリジナル電⾞カードが4月より配布開始されています。非売品のオリジナル電車カードの表⾯にはユニークな電⾞や⾞掌などのイラストが、裏⾯にはJR東⽇本池袋 運輸区からのメッセージが掲載されています。 デザインは2種類。池袋運輸区の⼭⼿線運転⼠、⾞掌からお子さま限定で受け取ることができます。「想造楽工」のさまざまなコラボレーションはInstagram、ホームページでご覧ください。「想造楽工」nstagram※クリックすると発達ナビのサイトから想造楽工のホームページに遷移します。「ちがいをちからに変える街」渋谷からうまれたシブヤフォントUpload By 発達ナビニュース「シブヤフォント」を知っていますか?渋谷区内の障害者支援事業所に所属する方々が描いた文字や絵を、渋谷区にある専門学校桑沢デザイン研究所の学生が「フォント」や「パターン」としてデザインしたものです。これまで400種類以上のデータが作成されています。眺めるだけでわくわくするようなデザインの数々のフォントは「渋谷区公認のパブリックデータ」として公開されています。「シブヤフォント」は渋谷区役所の新庁舎や、LINE CUBE SHIBUYA(旧:渋谷公会堂)などの公共施設の案内、渋谷区職員の名刺にも使用されています。さまざまあるフォント・パターンは、これまで企業の広告や商品などに起用されており、もしかしたら既にどこかで目にしているかもしれません。企業とのライセンス契約による売上の一部は、渋谷区内の障害者支援事業所の工賃に還元。ワンコインからできる個人利用は、新しいソーシャルアクションとしても注目されています。ギャラリーでは、シブヤフォントをもっとよく知ることができます。ぜひ足を運んでみてください。〈「シブヤフォント」ギャラリー〉【所在地】:東京都渋谷区桜丘町23-21渋谷区文化総合センター大和田8F一般社団法人シブヤフォント【開所日】:平日10:00~17:00※クリックすると発達ナビのサイトからシブヤフォントのホームページに遷移します。車いすユーザーが「何本も電車を見送らずに、電車に乗れる駅間連絡の仕組みづくり」への署名、1万5千人を突破Upload By 発達ナビニュース余裕をもって駅のホームに到着したにもかかわらず、目の前の電車に乗れなかった経験はあるでしょうか。車いすユーザーは、発車の10分前、場合によっては20分前にホームにいても目の前の電車を見送らざるを得ないというケースが日常的にある、という現状があります。スムーズに乗車できる鉄道がある一方で、全国には「降車駅に連絡がつくまで、スロープを使う車いす利用者を電車に乗せられない」という原則ルールがある鉄道もあります。その場合、電車に乗っている時間が長い時間であったとしても、乗車する前に降車駅に連絡がつかない限り、目の前の電車に乗ることはできません。現在、この仕組みを変えてほしいという署名活動が行われています。全国での「駅間連絡の仕組みづくり」実現のための活動は、多くの賛同と署名を得ています。障害の有無にかかわらず、また全国のどこにいても全ての人が乗りたい電車に乗れる社会に近づくため、ご関心あれば、ぜひ以下より署名サイトをご覧ください。※クリックすると発達ナビのサイトからChange.orgに遷移します。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2022年05月17日切り替えで大癇癪勉強会で知ったのは…Upload By ゆきみ言葉が遅く、1歳半健診で指摘を受けた長男けんとは、市の発達支援の親子教室に通っていました。「毎日体を動かしましょう」とアドバイスをいただいていたのですが、散歩を嫌い、公園へ行っても座り込んで砂をサワサワ触るだけ。どうにか少しでも歩いてほしいと、大好きなエレベーターと駐車場があるショッピングセンターによく行きました。しかし3歳のころ、大好きなエレベーターに乗りまくったあと、お気に入りの場所である、地下1階にある駐車場の事前精算機の前で動かなくなってしまったのです。帰るために離れようとすると大癇癪!!床をゴロゴロ転がって抵抗し、隙をみてママから逃走してお気に入りの場所へ…。そのころはまだ弟が赤ちゃんだったので、暴れるけんとと2人を抱っこして車に連れていくのが本当に大変で、気がめいってしまいそうでした。そんなときに、親子教室や発達支援施設でおこなわれた勉強会に参加し「視覚支援」というのがあることを知ります。ネットや本でも調べてみて、軽い気持ちでやってみることにしました。視覚優位!?視覚支援がピッタリはまったUpload By ゆきみショッピングセンターに到着。「1 エレベーター」「2 ちゅうしゃけん」「3 くるま」「4 おかし」など、言葉と簡単なイラストも添えて紙を見せてみました。指をさしながら「次は駐車場だね」「次は車だね」と案内していくと、泣くこともせずに自らの足で次の場所まで歩きだしたのです!たった1枚の紙でこんなに違うの?と本当にビックリ!それからというものの「まだ帰りたくない」と癇癪をおこしてしまうような場所へいくときは紙を持っていき、順番を書いて見せることに。その後、4歳ごろに通っていた発達支援施設の臨床心理士の先生に「けんとくんは視覚優位なタイプだと思います」と言われました。文字が読めなかったり、説明するのが難しい場所へ行ったりする場合、予めインスタントカメラやスマートフォンなどで撮影をして、写真を見せるのも有効的かもしれないとアドバイスをいただきました。発達支援施設の先生の案で新たな発見Upload By ゆきみ「いつもと違う行動」というのが苦手なけんと。忘れ物に気がつき、家に引き返そうとしたときや、帰宅途中にコンビニへ寄ろうとしたときに大癇癪をおこしてしまうことがありました。「お店に寄ってから家に帰るよ」と口でいくら言っても泣き止まないのに、紙に「おみせ→いえ」と書いて見せるだけでピタリと泣き止むことも。年長で通っていた発達支援施設では「おわりの会」のときに数人が「今日の感想」を発表するというのがありました。けんとは、これが大好きで毎回発表をしたがったそうです。ですが当番制!毎回は無理です。どうしても発表したいけんとは大号泣。それが何回か続きました。そこで先生が提案してくださったのが、カレンダーを印刷し、けんとの当番の日に丸をつけてくださるというもの。施設に行く前にカレンダーを見ながら「今日は発表だね」と確認してから行くと、泣くことはなくなりました。年齢と共に少し変化!?6歳の現在は…Upload By ゆきみ6歳になった現在は「忘れ物を取りに帰る」「寄り道して帰る」というのがどういう状態なのかというのを理解したようで、文字にせず、口での説明だけでも大丈夫なことが増えてきました。それでも視覚を使わないと理解が難しいことも多く、試行錯誤の毎日です。これは最近分かったのですが、うちの子の場合「なるべく前もって見通しを伝えておく」「予定変更になりそうな予定も含めて伝えておく」というのも大事なポイントのようでした。今から思いかえしてみると、ショッピングセンターで見せた紙の最後をいつも「おかし」にしていたのがお菓子大好きけんとくんは「食べたい!」となり上手くいったのかなーなんて思ったりもします。イラストを書いたり、文字で書いたりと、ひと手間を加えるのは少し面倒なときもありますが、これからも「こんな小さなことで変わる?探し」を楽しむ気持ちでいけたらいいなと思っています。執筆/ゆきみ(監修:初川先生より)視覚支援をめぐる驚いたエピソードの共有をありがとうございます。ASDのあるお子さんは「視覚支援」「見通しを提示する」がピタッとはまることが多いです。視覚的な刺激に引っ張られやすいため、お母さんの声掛けが入りづらかったり、言葉は分かっていても、実際の物事や展開と一致させることが苦手であったりするため、絵や文字で提示するのは有効なことが多いです。また、予期せぬことにパニックになりやすいASDのあるお子さんも多くいらっしゃると思いますが、だからこそ、あらかじめ見通しを提示しておくことは安心感につながります。年齢が上がるにつれ、急な変更が入りやすい場合は、そのことも見通しの中に入れておくことができますし、そういったことにも慣れてくると、急な変更にも少しずつ慣れていくこともあります。「こんな小さなことで変わる!?探し」、素敵ですね。小さな工夫でも本人に合っていればうまく機能することは結構あるかもしれません。ぜひ楽しく探してみてください。
2022年04月27日やってきた、娘の思春期・反抗期。広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)のある娘は、4月から小学6年生。小さなころはコミュニケーション部分が苦手で、自己主張も少ないということもあって、私に言われたことを淡々とこなしていく子でした。Upload By SAKURAしかし、それも成長と共に変化し、小学4年生ごろから私に対して反抗することが増えていきました。返事をしなかったり私を睨んだり、娘の発達障害が分かってから大切にしてきた話し合いの時間も拒否し、受け入れてくれなくなりました。Upload By SAKURA当初、私はそんな娘の反抗を嬉しく思っていました。「このくらいの歳の子にはよくあること」「自分だって覚えがある」「正しく成長している証」ここを通って娘は成長していく…そう思っていました。しかし、発達障害のある娘の思春期・反抗期は、とても特殊に感じられたのです。療育グッズ、絵カードを嫌がるように。娘は耳からの情報収集が苦手という特性があります。そのため、私は視覚に訴える療育グッズをこれまでたくさんつくってきました。準備や片づけをサポートするカード、先の見通しを立てるための時間を細かく書いたスケジュール、良いこと、悪いことを絵にし、壁に貼ったりもしていました。Upload By SAKURAそうすれば娘の苦手な部分をフォローすることができましたし、娘に「自分でできる」という自信をつけることができると思ったからでした。しかし、娘は少しずつ、その絵カードなどのサポートグッズを嫌がるようになりました。Upload By SAKURA声かけも嫌がるように。私は、それも娘の大切な主張だと思ったので、絵カードはつくらずに、声かけのサポートだけ続けましたが…Upload By SAKURA絵カードでフォローできない分、声かけをすると、次第にイライラしていく娘。声かけなしでできればいいのですが…娘は声かけをやめてしまうといろんなことが抜けてしまい、パニックを起こすのです。Upload By SAKURA私は、なるべくパニックを起こさないように、スムーズにできるようにという気持ちで声かけをしていたのですが、それを娘は嫌がる…。私は、娘に声かけするたびに、イライラが溜まっていきました。発言と行動の矛盾。そのうちに娘は、いろんなことを「できるようになりたい」と言うようになり、自立の気持ちが目立つようになりました。私は、意欲が出たときがチャンスと思い、いろんな家事を一緒にやろうと誘いましたが…Upload By SAKURA娘はいつも「今はいい、今度ね」と断り、行動に移すことはありませんでした。さらに、自分のことをよく見られたいという気持ちも芽生え、家族以外の人に、自分のことを話すようになったのですが…Upload By SAKURA娘の発言と行動は矛盾していて、家ではやらないことがほとんど。家でやらないことを、いつもやっているという感じで話すので、私には娘の考えていることがよく分かりませんでした。私を拒否しているのに、自分ではやらない。私ともめたときも…Upload By SAKURA私に対して「もういい!」と言うのに、自分で何とかしようという気持ちが一切なく、私を拒否しているのに、私にやらせようとする…。その考え方の矛盾が、私には全く理解できませんでした。Upload By SAKURA発達障害のある娘を、自分の小学生のときと比較してはダメだと分かってはいましたが、常に娘ともめていた私は、正常な思考が保てなくなっていきました。再びやってきた、在籍クラスの選択。私は娘とのやり取りで分からないことがあったとき、半年に一回受けている発達外来の定期健診で先生に相談していました。しかし、それも小学2年生まででした。当時の娘は、とても安定していて、病院からの提案で、定期健診はなくなり、カルテを残し、診断書がほしいときに受診するということになりました。Upload By SAKURA病院が受診できなくなってから私は、娘のことで分からないことがあったときは、本を読んだり、ネットで調べたりしていました。今回の場合も、娘とうまくいかなくなってから、自分で調べて試行錯誤しましたが、関係性は悪くなる一方。ピリピリした空気感は強くなっていき、娘の態度を見るだけでイライラするようになってしまいました。そんなとき、特別支援学級の先生から、中学校からの在籍クラスについて聞かれました。Upload By SAKURAついこの前、在籍に迷い、やっと小学2年生からの在籍クラスを決めたと思っていましたが、あれからもうすぐ5年が経つ…。中学生からの在籍は、6年生の夏までに決めなければなりません。2年生のときに比べたらいろんなことができるようにはなりましたが、まだまだな部分も多くあります。そこで、中学からの在籍クラスを決める参考にするため、病院で発達テストを受けることにしました。久しぶり(4年ぶり)の受診ということで、いきなり発達テストではなく、テストの前に診察を受けることに。私は、その診察のときに、先生に今の娘をどう扱っていいかを相談しようと決めました。これが私と娘の転機になったのです。執筆/SAKURAさん(監修:三木先生より)お子さんの言動に不一致があると、親としてはイライラしてしまいますよね。しかもなかなか「自分で言ったんだから」と突き放し切れなかったりするものです。さて、診察ではどのようなアドバイスがもらえるのでしょう…?
2022年04月13日2019年9月に誕生したシベリアンハスキーのマッケンジーは、生後7か月の時に緑内障を患い、両目を摘出しました。視力を失い、活動的だった犬の性格が臆病になってしまうことは珍しくないといわれます。ところがマッケンジーは、両目を摘出した後、以前にも増して元気いっぱいで、エネルギーに満ちあふれていたのだとか。ウェブメディア『The Dodo』によると、緑内障は頭痛を引き起こすため、マッケンジーは手術によって痛みから解放されたのかもしれません。 View this post on Instagram A post shared by ᴍᴀᴄᴋᴇɴᴢɪᴇ ʟᴇᴜɴɢ (@mackenziethehusky) マッケンジーには仲よしの犬がいます。名前はゾロ。マッケンジーとゾロは同じ母犬から生まれた兄妹なのです。子犬の頃にそれぞれの里親に引き取られて以来、2匹が初めて再会した時にはマッケンジーはすでに目が見えませんでした。2匹が一緒に遊ぶようになって少し経った頃、ゾロも緑内障を患い、目を摘出することになります。ゾロの飼い主さんは、見えなくなることでゾロがこれまでのように遊べなくなるのではないかと心配していました。しかし、その心配は無用でした。マッケンジーがゾロのガイドとなり、見えなくても楽しく生きる方法を教えてあげたからです。@mackenziethehusky We’re so proud of both of them! @huskylifewithzoro #husky #blinddog #glaucoma #huskysiblings #dogsiblings #fyp #inspire ♬ YOU'VE GOT A FRIEND IN ME - CHRISTINA PERRI大はしゃぎで駆け回るマッケンジーとゾロ。いわれなければ、2匹の目が見えていないだなんて、信じられないくらいです。2匹のストーリーを紹介した『The Dodo』の動画には、たくさんのコメントが寄せられています。・元気に走り回る2匹を見て、心が温かくなった。・犬たちの適応能力とポジティブさは、本当に素晴らしいよね。・この2匹の姿は、同じように視力を失った犬たちの希望になると思う。 View this post on Instagram A post shared by ᴍᴀᴄᴋᴇɴᴢɪᴇ ʟᴇᴜɴɢ (@mackenziethehusky) View this post on Instagram A post shared by ᴍᴀᴄᴋᴇɴᴢɪᴇ ʟᴇᴜɴɢ (@mackenziethehusky) 目が見えなくても、ボールを追いかけ、友だちと走り回り、毎日を全力で楽しんでいるマッケンジーとゾロ。そんな2匹の姿からは、悲壮感はまったく感じられません。マッケンジーとゾロから、私たちは大事なことを教わった気がしますね。[文・構成/grape編集部]
2022年04月04日スポーツの試合では、応援しているチームへの声援に思わず力が入るものです。またその声援が、選手にとっては嬉しいはず。ところが、アメリカで行われたバスケットボールの試合で、観客が一斉に静かになる場面がありました。会場が静まり返った、次の瞬間?話題となっているのは、ミシガン州にあるジーランド・イースト高校で行われたバスケットボールの試合です。2年生のジュールス・ホーグランドさんが、シュートのチャンスを手に入れます。ゴールを前にボールを構えるジュールスさん。すると、ほかの選手も観客もみんなが一斉に静かになりました。実はジュールスさんは目が見えないのです。そんな彼女にゴールの位置を教えるため、女性がゴールを棒で叩いて音を鳴らします。会場の緊張感はマックス。そんな中で、ジュールスさんが投げたボールは…。And you thought March Madness was exciting. Zeeland Public Schools Unified Basketball took over the court this morning, and the crowd went WILD! #ZpsLearningForLife pic.twitter.com/jrnFeBy7bP — Zeeland Public Schools (@zeelandschools) March 22, 2022 見事にゴールネットを揺らしました!!先ほどまでの静けさがウソのように、会場には割れんばかりの拍手と声援が鳴り響きます。また、ジュールスさんのチームメイトだけでなく、相手チームの選手もみんな大喜びしているのが印象的です。この動画は、その場にいなかった人たちにも多くの感動を与えたようです。・素晴らしい経験と素晴らしいスポーツマンシップ。おめでとう!・静けさからの…大声援。美しい動画だ。涙が出た。・励ましとインスピレーション、そしてたくさんの愛。この世界が必要としていることだね。海外メディア『WZZM13』によると、3歳の時に視力を失ったジュールスさんはバスケットボールが大好きで、高校ではチームの一員として、一生懸命に練習に励んでいるそう。しかし、これまで一度も練習でシュートを成功させたことはなかったのだとか!この日の試合でも、ジュールスさん本人もまさかシュートが成功すると思っていなかったといいます。「それが困難であっても、あなたが好きなことなら決してあきらめないで」と人々へメッセージを送ったジュールさん。たゆまぬ努力によって、目が見えなくてもシュートを成功させた彼女の言葉は、とても説得力がありますね![文・構成/grape編集部]
2022年04月04日小3でついたアダ名は「忘れ物の女王」Upload By 桑山 知之筆者と広野さんとの出会いは2019年に遡る。ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材のため、連絡を取ったのがきっかけだった。底抜けに明るい性格について触れると、広野さんは「このくらいじゃないと生きていけない」と笑い飛ばした。その言葉の重みに、筆者の胸が苦しくなったのを今でも覚えている。Upload By 桑山 知之広野さんは幼少期から、目の前にあるもの以外はすぐに忘れてしまう子どもだった。小学校に入ってからは管理しなければいけないものが増え、何かをこなすことは「全く無理だった」。宿題を出され、その場ではやる気でいても、家に帰れば宿題を出されたことすら忘れている。翌日提出を求められて初めて思い出す。小学校2年生の通知表に「忘れ物が多い」とはっきり書かれ、3年になると周囲からは「忘れ物の女王」とアダ名をつけられた。「どうしてみんなができるのか分からないんですよ。頑張らなきゃいけないんだけど、どう頑張ったらいいのか分からない。困るんですよね、『ちゃんとやって』って言われると。ちゃんとやっているつもりなので。一人だけ違うことしてたりするんですけど、それを問題だとも思っていない。だから怒られますよね」(広野さん)Upload By 桑山 知之学校のあちこちには、広野さんの持ち物が散らばっていたという。5年生ぐらいのころには、遠足で河原に行った際、飯盒炊飯でカレーをみんなでつくって食べるとき、広野さんは肉を持ってくる係だったが、肉を忘れてしまい、広野さんの班だけベジタブルカレーになってしまったこともあった。成績や勉強よりも「生きていくこと自体が難しかった」といい、時間に遅れないようにするなど社会生活に食らいつくのに必死だった。片づけできず夫から罵倒…「私はいても意味ない」地元の中学を経て静岡県内の高校を卒業後、青山学院大学に進学。当初は国語の教員になろうと思っていたが、LD(学習障害)の傾向があるのか、時折、字が正確に書けないことがあった。ずっと続けて文字を書いていると、例えば「春」の横棒が四本になってしまうことがあるらしい。「これでは黒板の字が不正確になってしまう」と思い、教師の夢を諦めた。落ち込んでいたところ、ゼミの教授の紹介で、都内の大学病院の教授の秘書になった。しかし、当時は自身がADHDとは知らず、自分のスケジュールの管理も難しく、何より察して動くことが全くできず、とんちんかんなことばかりしてしまい、周囲から「使えない」と言われ、思い悩むことも多かったという。Upload By 桑山 知之「若いときは、できなくても頑張らなきゃいけないとか、頑張ったらできるかもしれないとか、そういう気持ちが強かったんです。でも半年でおかしくなっちゃって。電車に乗っていられなくなったり、起きたら午後だったり、色々できなくなっていきました。生きていてもしょうがないと、思いつめていました……」(広野さん)生きることもできず、死ぬこともできず、「しんどい」毎日を過ごしていたが、23歳で当時交際していた男性と“デキ婚”。実家の両親からサポートを受けながら家事や育児に勤しんでいたが、やはり片づけがどうにも苦手だった。家の中は物で溢れかえり、食卓には書類などが大量に積まれ、食事を摂ることもままならなかった。そして29歳のころ、鬱病と診断された。Upload By 桑山 知之「旦那からは『こんな家に帰ってくる俺の気持ちになってみろ』とか『お前、一日家にいて何してるんだ』とか言われて。そのときは診断も受けていなかったので、『私はいても意味ないな』ってどんどん落ち込んでいきましたね。頑張って専業主婦をしていたときが一番つらかったです」(広野さん)そんな中、2000年に刊行された『片づけられない女たち』(WAVE出版/サリ・ソルデン著)を読み、驚いた。自分によく似た人がこんなにいる。そして、対処方法がある。そこから、発達障害というものがあることを知り、同じ悩みを抱える人とともに当事者グループをつくって理解を深めた。「最初は自分がとにかく喋りたいからつくった」と笑うが、家庭の悩みなどを打ち明けられる居場所ができたのだった。「言い訳だ」夫から度重なる暴力、そして離婚30歳を過ぎてからADHDと診断を受けた広野さん。発達障害のことを夫に打ち明け、「家事を一緒にやってほしい」「手伝ってほしい」と伝えたが、「そんなのは言い訳だ」と理解してもらえなかった。むしろ、診断を打ち明けたことをきっかけに、夫との関係は余計に悪化。物を投げられ、時には暴力を受け、外に出られないぐらいひどいあざが顔面にできることもあった。「自分が(夫の)ストレスの捌け口になっていたんだと思います。私が反論するようになって、ストレス解消ができないから、手が出るようになったのかなって。でも自分の両親はサポートしてくれたし、ママ友たちも『子どもの迎え忘れているよ』とか教えてくれるようになって、すごく助かりましたね。私自身も、ADHDがあると分かってからは、子どもに怒らないようになりました」(広野さん)Upload By 桑山 知之夫と別居するために2年ほど準備期間を経て、娘2人とともに小学校の校区の端から端に引っ越した。すぐに弁護士を立て、34歳で離婚に踏み切った。別居するとすぐさま、ストレスから解放された気分になった。そして2008年、「発達障害をもつ大人の会(現・NPO法人DDAC)」を立ち上げた。「こんな感じでも今NPO法人の代表をしていたりとか、全部ができないわけじゃないんですよね。発達障害はできることできないことにものすごく差があるけれども、できないことばかりではないということを知ってもらいたいです。あと、周りの人は何でもできるようにさせようとするじゃないですか。それをやられると、みんなだめになっていくんです。二次障害を引き起こしたりとか。何でもできる人間にならなくていいんです」(広野さん)現在広野さんは、キャリアカウンセラーとして同じ悩みを抱える若者や仕事を探している人への就労支援を行っている。発達障害があるかもしれない人や、障害者手帳を取るかどうか悩んでる人、仕事を何回も辞めさせられたり、仕事が長続きしない人など、広野さんのもとにはあらゆる相談が舞い込んでくる。Upload By 桑山 知之「とにかく“フツウになろうとしない”ことをオススメします。自分なりの生き方、生活の仕方を編み出していくのが必要なので、落ち込みすぎずにうまく周りに助けてもらいながらできることをやっていく。私も20代のころは『どうやったらうまく死ねるのかな』とか思っていたんですけど、今はこの人生も割と悪くないと思っていて。発達障害があっても楽しく生きていけるような生き方をみんなにもしてほしいと思います」(広野さん)新型コロナウイルス対策で、在宅勤務やリモート授業などが推進され、家族が一緒にいる時間が増えた。発達障害のある人にとって、毎日決まった時間に通勤・通学することの煩雑さを感じなくていいのは非常に楽だと広野さんは言う。ただし、「家の環境が良くないと地獄」とも指摘している。できないことは恥ずかしいことじゃないUpload By 桑山 知之広野さんはなぜこれほどまでに明るく前向きなのか。どうやら心理学の勉強をした上で、「訓練をした」という。「世の中落ち込むことばかりでうまくいくことよりも失敗することの方が多いんです。でも、いちいちそれを真に受けて反省して頑張ろうと思っても、また失敗しちゃうんです。そんな人生を普通のメンタルでやっていけない。いちいち落ち込んでいたら生きていけないだろうってことで、それを転換して、できる方に目を向けるように、自分を変えていきました。とにかく、自分が快適に生きていける状態がどこか?が大事であって、みんなと同じようにできるかは関係ないんです」(広野さん)できないことを「否定しない」。それは2人の娘の子育てでも実践していた。娘には、自身の障害のこともオープンに話した上で、スーパーの惣菜を買うなど家事をなるべく減らし、対話の時間を増やした。時には、娘が母である広野さんのサポートにも回った。現在、長女(25)はIT企業でデザイナーの仕事に就き、次女(23)は海外の大学に進学し、心理学を学んでいる。Upload By 桑山 知之「個を重視する世の中になりましたよね。個の時代というか。発達障害のある人たちが受け入れられるような方向に行っている気がします。でも、例えば子どもに発達障害があると診断されて、周囲に分かってもらわなきゃとか、説明しなきゃとかやっちゃうと、子どもの自尊心が下がるんですよ。あ、人と違っちゃいけないんだ、って。でも開き直って、文句ある人は近寄ってこないで!ぐらいでいいんです。分かってくれる人とやっていけばいい。大人が変わらないと子どもが変わりませんから。発達障害のあるなしに関わらず、娘たちにはやりたいことを自由にさせてあげたいと思ってきましたし、すべての子どもたちにそういう環境があることを願っています。発達障害のある子どもが生まれるということは、楽しいんだって思ってほしいです」(広野さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生から)広野さんのお話のように、発達障害がある人に対する支援や制度、仕組みは少しずつ充実してきています。しかしながら、現在そうした支援や制度を利用しようとすると、その多くは発達障害があるという診断や障害者手帳などが必要です。これを第一段階とすれば、その次の段階は発達障害の診断がなくても、その支援を必要とする人が必要な時にいつでも受けられるような支援や制度が広がっていくことではないかと思います。このような「障害という診断を必要としない社会」から最終的に「障害のない社会」につながっていくのだと思うのです。
2022年03月28日家庭は「落ち着けない場所」アルコール依存の父とDV母Upload By 桑山 知之manaさんは、公務員の父親と保険などの営業を行う母親のもとで、2人姉妹の長女として育った。父親はアルコール依存症、母親は包丁を突きつけたり首を絞めてきたりと、たびたびmanaさんに暴力をふるっていたという。喘息などアレルギーにも悩まされた。家庭は「落ち着けない場所だった」と振り返る。「母親に崖に連れていかれたこともありました。家出もよくしていたんですよ、母親は。ただ、そういったことも最近まですっかり忘れていたんです。母親の影響もあって、私のメンタルがやられていたのかなって思い至るようになりました」(manaさん)Upload By 桑山 知之授業中も、椅子に座っていられない不快感や衝動があり、とても苦痛だった。中学1年から不登校気味になり、15歳で小児科の「思春期外来」を受診した。診断は「心身症」。25年以上前の当時は発達障害の認知が今ほど進んでいなかったこともあり、ストレスによるものだと医師から言われた。普通科高校に進んだが、中学3年のころに無理して登校していた影響などから、過食のため胃腸の調子が悪くなり、夏休みの宿題に着手できなかったことがきっかけとなって退学し、通信制高校を転々とした。「自分は人と違う」と自覚した。その後、福祉の専門学校に進み、発達障害について学ぶ機会があった。教科書を読み進めれば読み進めるほど、自分にあてはまることが多かった。家でその話をすると、「知らんほうがいいこともある」と父親に諭された。物をよく失くすなど、どうやら父親も発達障害の特性が見られたらしい。manaさんが26歳のころ、父親はアルコールの飲みすぎなどが原因で、食道ガンにより亡くなった。母親に相続の放棄をさせられたため、遺産を受け取ることはできなかったという。28歳で診断生きづらさと向き合ってUpload By 桑山 知之専門学校を卒業後、高齢者施設に半年ほど勤めたが、父親が倒れてからは仕事を辞め、看病をしていた。父親の死後、就いたのはコンビニ店員のアルバイト。マルチタスクを処理する能力が求められるため、ADHDがある人は苦労すると言われる職種だが、manaさんにはこれが合っていたという。のべ13年間働き、トレーナーも経験した。「バイトで来る人にもいろいろな方がいて。店の様子を把握しながら、その日の進行管理を考えつつ、レジ打ちしつつ、発注書を書いたり、レンジをチンする40秒の間にほかのことをやったり。なぜだかわからないんですけど、自分の傾向がたまたますごく合っていたんですよね」(manaさん)Upload By 桑山 知之専門学校の実習先で知り合った男性と、28歳のころに結婚。その後、ADHDかつ双極性障害だと診断を受けた。また、言語性IQと動作性IQに明らかな違いが見受けられた。不注意で忘れ物が多く、家が散らかってしまうこと、聴覚過敏のことも、特性だと思えば肩の力を抜いて生活できるようになった。現在、8歳の長男と4歳の次男、夫と4人で暮らしている。スマホは紛失補償のある保険に入り、夫や妹がGPSを見られるようにしているほか、予定を詰めないために小さな手帳を使っている。財布がわりの透明なケースは、著名な料理家がジップロックを使っているのをテレビで見て参考にした。Upload By 桑山 知之「家は極力モノを少なくしています。荷物もいっぱい持つとなんだか訳がわかんなくなって落としちゃうので、そもそも減らすっていうか、カバンを小さくしました。学生時代は登山用のリュックサックで登校していたんですよ(笑)」(manaさん)福祉×アートで世の中をより良く学生時代、家庭の方針でテレビはNHKしか見ていなかった。好きだったのはドキュメンタリー。「いろいろな人が世の中にはいっぱいいる」と興味が湧いた。マイノリティと言われる人々の生きざまに、自然と惹かれていた。そんな中、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』をテレビで見て、「生きることを認められている」気持ちになった。育児がひと段落し、昨年夏には障害者支援施設で働いた。しかし猛暑の中頑張りすぎてしまったためか、パニック発作が出た。“日本一暑い町”多治見市は、感覚過敏のmanaさんにとってなかなか酷である。来年度からは、多治見市が委託する「母子保健推進委員」として活動する予定。無理をしすぎないよう調整しながら、障害のイメージを「ポジティブに変えたい」と話す。Upload By 桑山 知之「自分にも見えない障害があって、周りにもそういう人がたくさんいるわけで。もっといろいろなことを知って、パッと見ではわからない困りごとがある人と、行政やサービスを結ぶ活動をしていきたいです」(manaさん)気軽に話せる相手がいなかった幼少期。誰かに助けてもらうという選択肢すらなく、今も当時の記憶は断片的なまま。子どもを社会全体で育てていく、そのチームの一人になりたい。それが当面の目標だ。中でもアートが大好きだというmanaさん。子どものころには、鼻血を出すまで集中して絵を描いていた。引きこもっていたころも、アートに支えられた。「アートには力がある」。福祉とアートをつなげる仕事ができたらと、一歩を踏み出していく。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)専門学校で福祉を学んだり、実際にその分野で働いたり、子育てを経験する中で、ご自身の特性や診断に向き合ってきたということは、同じような特性や診断のある人や支援に対して非常に役立つだろうと思います。障害者支援の仕事は、一方では利用者の方々の得意なことにスポットをあてていく仕事だと思います。そういった視点はmanaさんにあっているのではないかと思います。ただ、福祉や支援サービスの現場は過酷な面もあり、合理的配慮が得られにくい場合もあります。ご自身の特性を踏まえて、働く時間や内容をアレンジするなどして、ご自身が無理しすぎない環境を整えることも大切です。職場の中で理解や配慮が得られるようにしつつ、当事者であり支援者であるということを活かし、またご自身の得意な分野でmanaさんらしい仕事を続けていっていただけるよう応援しております。
2022年02月02日