タレントのモト冬樹が22日に自身のアメブロを更新。驚いた突然の訃報に心境を吐露した。この日、モトは「女優の山本陽子さんが熱海市の病院で亡くなったことが報じられた」と20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんの訃報に言及。「突然の訃報に驚くばかりだ」と心境を明かし「山本陽子さんとは2012年と2013年に舞台『あるジーサンに線香を』で長い間ご一緒していただいた」と振り返った。続けて「コメディで山本陽子さんは俺の亡くなった女房で突然あらわれて俺のことを諭していくという役だった」といい「気風がよく男前でサバサバした方だったな」と回想。「それ以来お会いしていなかったんだけど」と述べ「先日放送された徹子の部屋でお元気そうにしてらしたので安心していたのに、、」と残念そうにつづった。また「こうやって俺の周りの方々がどんどん亡くなっていってしまう」といい「これが年をとるということなのか」とコメント。「山本陽子さん大変お世話になりましたそしてお疲れ様でした」とつづり「謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼した。この投稿に読者からは「驚きました」「信じられないです」「辛いですよね」「素晴らしい女優さんでした」などのコメントが寄せられている。
2024年02月23日俳優の高橋英樹が22日に自身のアメブロを更新。あまりにも突然で驚いた訃報に心境を吐露した。この日、高橋は「山本陽子ちゃん!!!」というタイトルでブログを更新し「突然のニュースに大変!驚きました」と20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんの訃報に言及。「つい先日徹子の部屋でご一緒したばかりでした」と述べ、山本さんとの2ショットを公開した。続けて「日活映画時代の話で盛り上がり」と明かし「熱海にお住まいなので私もよく熱海に行きますので今度一緒に食事をしましょう!とラインも交換しました」と説明。「あまりにも突然なことで息もつまりました」と心境を吐露し「ご冥福をお祈りいたします」と追悼した。この投稿に読者からは「驚きました」「ショックです」「言葉が見当たらないです」などのコメントが寄せられている。
2024年02月22日歌手で俳優の黒沢年雄が22日に自身のアメブロを更新。過去に共演した人物の訃報を受け追悼した。この日、黒沢は「陽子ちゃんが亡くなった!」というタイトルでブログを更新し、20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんの訃報に言及。「山本陽子ちゃんとは,何度か共演した…」と振り返り「見ためはお淑やかな女性だが…全然?…さっぱりした,ハッキリした男性的な性格だった」と山本さんの人柄について明かした。続けて「女優さんの方々は皆さん素敵だが性格が男っぽい…男優は繊細で気遣いの方が多かった…(僕も…笑)」と述べつつ「運命とは言え…次から次と高齢の素敵な俳優さんが亡くなって行く」とコメント。「人間の宿命だが…。いつか自分も訪れる…目いっぱい充実して生きているので感謝こそあれ…後悔はない!」と自身の考えをつづり「陽子ちゃんに…合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年02月22日2024年2月19日、100円ショップ『ダイソー』を運営する株式会社大創産業の創業者である、矢野博丈さんが亡くなっていたことが分かりました。80歳でした。同社のウェブサイトによると、矢野さんは同月12日に心不全のため、広島県東広島市で息を引き取ったとのことです。弊社創業者である矢野博丈は、2024年2月12日(月)、広島県東広島市にて、心不全のために永眠いたしました。生前のご厚誼に深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。通夜および葬儀はご家族のみで執り行われましたので、訃報のご連絡も法要後とさせていただきました。何卒ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。ダイソーーより引用矢野さんは、1972年に家庭用品を販売する『矢野商店』を立ち上げ、後に100円均一販売を導入。1977年に『矢野商店』を株式会社大創産業として法人化し、1987年から『ダイソー』の展開に着手したといいます。1991年、最初の直営店を香川県高松市に出店してから、チェーン展開を本格化。『ダイソー』は全国に広まりました。矢野さんは、2018年の2月末まで同社の社長を務めていましたが、同年3月に会長に。翌年、会長からも退任したとのことです。2024年現在、多くの人の生活を支えている存在である『ダイソー』。創業者である矢野さんの訃報には「『ダイソー』にはいつもお世話になってます。本当にありがとう」「一時代を築いた方ですね」などの声が上がりました。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年02月19日映画コメンテーターの有村昆が17日に自身のアメブロを更新。落ち込んでいる時に笑い飛ばしてくれた人物の訃報に心境をつづった。この日、有村は「叶井俊太郎さん安らかにお眠りください」と16日に亡くなった映画プロデューサーの叶井俊太郎さんを追悼。「僕が1番落ち込んでいるときに唯一笑い飛ばしてくれた人でした」と振り返り「2ヶ月前に、最後に連絡した時も常に笑い飛ばしてました。かっこいい兄貴の後ろ姿をずっと見れて、僕は光栄です」とつづった。続けて「アリコンは落ち込んでねーで、キラーカブトガニを見ろ」と言われたそうで「よくYouTubeでもコラボさせていただき感謝です」とコメント。「叶井俊太郎さんの映画を見つけてくる才能は世界一だと思っています」と述べ「写真はいつかの忘年会で、笠井アナと叶井俊太郎さんと有村昆」と叶井さんや元フジテレビアナウンサーの笠井信輔との3ショットを公開し、ブログを締めくくった。
2024年02月19日タレントのモト冬樹が17日に自身のアメブロを更新。映画やドラマでとても世話になった人物の訃報を受け心境をつづった。この日、モトは「映画プロデューサー叶井俊太郎さんが16日亡くなってしまった」と16日に亡くなった映画プロデューサーの叶井俊太郎さんの訃報に言及。「膵臓がんで余命半年の宣告を受けたが抗がん剤、手術を拒否し一年八ヶ月生き続けた後とうとう力尽きてしまった」と説明した。続けて、叶井さんについて「映画やドラマで大変お世話になった」と明かし「男気があって格好いい人だったなぁ」と回想。「叶井さん本当にありがとうございました」と感謝を述べ「謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年02月18日元フジテレビアナウンサーの笠井信輔が17日に自身のアメブロを更新。訃報を受け複雑な胸中を吐露した。笠井アナは、2019年12月に悪性リンパ腫と診断されたことを公表。入院生活を送りながら抗がん剤治療を受けてきたが、2020年4月30日に退院、5月には仕事復帰を報告していた。この日は「『あきらめるな』と言えなかった自分」というタイトルでブログを更新し「ベテランの映画宣伝担当者なら知らない人はいない伝説の映画宣伝マンと言える叶井俊太郎さんが、天に召されて逝きました」と16日に亡くなった映画プロデューサーの叶井俊太郎さんの訃報に言及。「56歳、若すぎます」とつづった。続けて、叶井さんについて「膵臓がんの末期がんでした」と述べ「1ヵ月ほど前にお会いして覚悟はしていた」と説明。「深い悲しみの一方で、ある種の安堵感とでも言うのでしょうか 叶井さん、やっと逝けたねと言う複雑な思いが交差しています」と複雑な胸中を吐露した。また「最近は連絡をとっていなかったのですが、二人ともがんのステージ4になった 気にならないわけがありません 久しぶりに会って話がしたい」と思っていたことを明かし、叶井さんが手がけた映画の試写会の会場に訪れた日に撮った叶井さんとの2ショットを公開。叶井さんから「もう治療はやってない」と言われたそうで「末期なので抗がん剤治療をすれば、最後まで入院は確実という状況から、自らどう生き抜くかを考えたのだと思いました」と推察した。さらに「もう、早く死にたいんだよね」とも言われたそうで「どう、答えていいかわかりませんでした」「叶井さんの『それ』は、あきらめからくる『それ』ではないとわかったから」と説明。「叶井さんは、自分の人生を十分生き抜いた」「自分の人生の着地をしっかりと見据えていると感じました」と振り返り「人生を自分自身の決断で全うすることを尊重して」「あげなければと、その時、私は強く感じた」といい「だから…『あきらめないで』と言えなかった」とつづった。最後に「叶井さん、山あり谷ありでしたが素晴らしい映画人生でした」とコメント。「天国からいつものように豪快に笑って、僕ら映画人のことを長く見守っていてください これからは、安らかに」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「最期までやりたいことをやり切る選択をしたのでしょう」「お辛い心情お察しします」「ご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年02月18日俳優の窪塚俊介が15日に自身のアメブロを更新。訃報が届くも後悔していることを明かした。この日、窪塚は「昨年の12月22日に神山清子さんが亡くなられました」と陶芸家の神山清子さんの訃報について言及し「滋賀県信楽の女性陶芸家で、若かりし当時、女性が歓迎されなかった作陶の世界でその大きな壁をはねのけ、後進に道を開いた草分け的存在の先生です」と説明。また「息子の賢一さんが29歳で慢性骨髄性白血病を発症し」と明かし「骨髄バンクの設立に尽力した方でもあります」とつづった。続けて「神山先生の訃報が昨年末に届き、晩年はなかなか連絡も取らずにいたことを後悔しています」と述べ「関西に行った際にふらっと顔を出すこともできたのに」と後悔した様子でコメント。「高橋伴明監督の『火々』という映画があります」「僕の映画デビューであり、自分にとってかけがえのない経験と今日までの指針を与えてくれた作品です」と明かし「田中裕子さん演じる神山清子の息子・賢一役に抜擢してもらいました」と振り返った。また「もう20年近く前の作品ですが、神山先生との思い出を書いておきたいと思いました」といい「撮影までの準備、台本の読み方、役作り、現場での立ち居振る舞い等々、ほぼ何も分からない素人の僕が最も心を寄せさせてもらった人が神山先生でした」と回想。「亡くなられた賢一さんを重ねて見てくれたのだと思います」と述べ「一ヶ月半ほどの撮影期間ずっと一緒に居させてもらえて、本当の母のように感じられる瞬間が何度もあり」とつづった。さらに「実際の母ではない人に対してこういう気持ちになることと『芝居をする』ということはとても関係があることなんじゃなかろうかと素人ながらに感じた」といい「役者として試行錯誤してきた中で、それは『核』なる部分でした」とコメント。「一生懸命に頑張ること、自分のできなさを認めること」「自分の知らない世界を学ぶこと、この映画を通じて、生涯大切にしなくちゃいけないことをたくさん教えてもらいました」とつづった。また「神山先生の作品は、火によって生命が与えられたのだと疑う余地もないほど力強いものでした」と回想し「本当に目を奪われたなぁ」とコメント。「のちの個展の際に頂いた信楽焼の湯飲みで毎日コーヒーを飲んでいます」と述べ「焼いてくれた僕の初めての作品は現在6歳になる息子のご飯茶碗になっています」と明かした。最後に「二児の父となり、不十分ながらも親としての務めを果たしていく中で、神山先生の、仕事に対する向き合い方や子供との関わり方を思うと、一層その凄みを感じます」といい「歯を食いしばって生きて、話せば冗談ばかり言って笑ってる。すごいなあ」とコメント。「こころから尊敬している先生。ありがとうございました」と感謝をつづり「どうぞ安らかに休んでください」と追悼した。
2024年02月16日歌手のクミコが10日に自身のアメブロを更新。“特別の存在”だと思っていた人物の訃報に心境を吐露した。この日、クミコは「世界に誇れる日本人というと、今はまあ大谷さんが出てきそうだが」と切り出し「やはり、小澤征爾さんは特別の存在だった」と6日に心不全のため亡くなった世界的指揮者の小澤征爾さんについて言及。小澤さんについて「私は二度、見たことがある」と述べ「お会いしたのではなく、街角で『見た』ことがある」と補足した。続けて「その一が都心の交差点」と明かし「なんだか得をした気持ちになった」と回想。「そのニが、地下鉄。当時いつも乗っていた、自宅近くの地下鉄ホームに立つと、機嫌の良い会話が聞こえ」「そちらを見ると、なんとそこに小澤征爾がいた」と振り返り「世界の小澤征爾がなんでここに。あまりのことに呆然。おそらく、周りの人もそうなんだろう」と当時の心境をつづった。また「小澤さんはなんてことなく、白いシャツの上下で、連れの女性と話している」「教え子かなにかだろう若い女性と、小澤さんは熱い喋り方のまま、やってきた電車に乗り込んだ」と当時の小澤さんの様子を明かし「小澤さんにとって世界はいつも『そこ』なんだなあと思った」とコメント。「世界は広いけど、どこでも世界」「小澤さんは、きっとこうしてなんの仕切りもないまま生きてこられたのだろう」と推測した。最後に「自由も愛も、仕切りなんかないよ、世界に仕切りなんかないよ。そんなのあったりまえだよ。ニンゲンのことだもの」と述べつつ「また一人、ニンゲンを愛した自由人の音楽家がいなくなってしまった」とコメント。「とびきりチャーミングな小澤征爾さんに、合掌」と追悼し「なんだかさみしいなあ」と心境を吐露した。
2024年02月12日歌手の秋元順子が10日に自身のアメブロを更新。世界中で活躍していた人物の訃報に心境を吐露した。この日、秋元は「小澤征爾さんご逝去の報。」というタイトルでブログを更新し「指揮者『世界のオザワ』と呼ばれて、世界中で御活躍されました」と6日に心不全のため亡くなった世界的指揮者の小澤征爾さんについて説明。「ひと言ではとてもご紹介の説明が出来ない程、凄い方です」と述べ「残念です」とつづった。続けて、小澤さんについて「才能と情熱が融合したお人柄」と明かし「大病に見舞われた後も、精力的にマエストロとして、また後輩の育成にも関わられ、ご自分流の音楽を貫かれました」と説明。「本当に残念です」と心境を吐露し「世界中から、哀しみ惜しむ声が届いているご様子、心からご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。この投稿に読者からは「速報ニュースで知りショックでした」「ゆっくりとお休み下さい」「長い間のご活躍、本当にお疲れ様でございました」などのコメントが寄せられている。
2024年02月11日女優で声優の戸田恵子が9日に自身のアメブロを更新。本当に残念でならない訃報についてつづった。この日、戸田は「いつかなんてないのだ。」というタイトルでブログを更新。「小澤征爾さんのご逝去」と6日に心不全のため亡くなった世界的指揮者の小澤征爾さんの訃報について言及し「心よりお悔やみ申し上げます」と追悼した。続けて「本当に残念でならないのは、一度もタクトを振る姿を拝見していないことだ」と明かし「何度かチャンスはあった。中でもNew York郊外で行われたコンサートに行き損ねた事は本当に悔いが残ってます」とコメント。「いつかなんて無いのだ。絶対、行かなければならなかった!」と述べ「残念。無念」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「ご冥福をお祈りいたします」「いつかなんてない…最近ひしひしと感じます」「私もそう思います」などのコメントが寄せられている。
2024年02月10日2024年2月9日、世界的な指揮者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが亡くなっていたことが分かりました。同月6日、都内の自宅で、心不全により逝去したとのこと。88歳でした。産経ニュースによると、葬儀は近親者で執り行っており、後日お別れの会を開くことを検討しているといいます。小澤さんは、1935年に満州国奉天(現・中国瀋陽市)で誕生。幼い頃からピアノを学び、音楽家の斎藤秀雄さんから指揮を学びました。20代前半で渡欧し、1959年には『ブザンソン指揮者コンクール』で1位を獲得。その後、ボストン交響楽団の第13代音楽監督や、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、新日本フィルハーモニー交響楽団の創立にも携わるなど、数々の活躍を通して名を広め、『世界のオザワ』と評されました。訃報を受けて、人々からは「こんなに愛された指揮者がいたか?」「魅力的な指揮が忘れられない」などの声が上がっています。小澤さんが音楽に注いだ情熱は、多くの人々に感動を与えたことでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年02月09日2024年2月9日、漫画家の丸川トモヒロさんが虚血性心疾患のため亡くなっていたことが分かりました。53歳でした。丸川さんは、同年1月25日に息を引き取ったとのこと。株式会社KADOKAWAが発行している、月刊漫画雑誌『月刊少年エース』と『ヤングエース』がX(Twitter)アカウントで伝えています。【丸川トモヒロ先生 ご逝去のお報せ】「成恵の世界」「魔砲少女四号ちゃん」の作者・丸川トモヒロ先生が、2024年1月25日に虚血性心疾患のため、ご逝去されました。心温まる物語を描き続けていただいた丸川トモヒロ先生に感謝を表しますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。2024年2月9日… pic.twitter.com/T0qioDdTHc — 少年エース (@shonen_Ace) February 9, 2024 丸川さんは『月刊少年エース』で漫画『成恵の世界』を、『ヤングエース』で『魔砲少女四号ちゃん』を連載した後、新作を構想中だったとか。編集部は「心温まる物語を描き続けていただいた丸川トモヒロ先生に感謝を捧げるとともに、その早すぎる逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とつづっています。丸川さんの逝去には、作品を愛読していたファンからも悲しみの声が上がりました。・『成恵の世界』が大好きでした。ご冥福をお祈りいたします。・天国に行くには早すぎます…。・『成恵の世界』『魔砲少女四号ちゃん』ともに読んでいました。ショックです。丸川さんの作品により、心を動かされた読者はたくさんいるはず。きっと、丸川さんが描いた物語は今後も人々の心の中で生き続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年02月09日歌手のアグネス・チャンが8日に自身のアメブロを更新。訃報が続き、落胆していることを告白した。この日、アグネスは「今日姉が心配して電話をしてくれた」と明かし「優しいね。いろいろ話したよ。お互いに頑張ろうね、と」と説明。「訃報続きが私はちょっと落ち込んでいます」と訃報が続き、落胆していることを告白しつつ「でも周りに私を大事にしてくれてる方々が居て、私が大事にしてる方々が居て、とっても感謝しているのです」とつづった。続けて「『だからやるべき事をやろうよ』と姉がいいます」と明かし「その通りです!!頑張ります」とコメント。「感謝しています」と姉への感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「お姉さん、優しいですね」「いつも応援しています」「お身体大切になさって下さい」などのコメントが寄せられている。
2024年02月09日歌舞伎俳優の坂東彌十郎が2月1日に自身のアメブロを更新。訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、坂東は「明日は初日通り舞台稽古」があることを明かし「演目の順番も本順通り 早起きが始まります」とコメント「先ずはプハーッで気合いを入れて」とビールを堪能する自身の動画を公開した。続けて「ショックです。」というタイトルでブログを更新。「幾つかの役をお稽古していただきました。豊竹咲太夫さんが亡くなられました」と1月31日に肺炎のため亡くなった人形浄瑠璃文楽の太夫で人間国宝の豊竹咲太夫さんの訃報について言及し「ショックです」と悲痛な胸中を吐露し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「残念ですね」「ご冥福をお祈りします」「稽古頑張っていますね。応援します」などのコメントが寄せられている。
2024年02月03日歌舞伎俳優の片岡孝太郎が2月1日に自身のアメブロを更新。大切な師匠の訃報に心境を吐露した。この日、片岡は「私の義太夫の師匠が昨日旅立たれました」と1月31日に肺炎のため亡くなった人形浄瑠璃文楽の太夫で人間国宝の豊竹咲太夫さんの訃報について言及し「師匠が仰っていました。『世界の演劇、オペラ等の音楽の中で義太夫が一番音域の広い演劇』だと」と振り返った。続けて「義太夫は歌うのでなく“語る”もので太夫が人形の代わりに語る、喋ったりナレーションをするものです」と明かし「太夫が登場人物 赤ん坊から老人まで老若男女全て発声でき演じなければならないのです」と説明した。最後に「日本の大切な文化文楽の大切な人、大切な師匠」と述べ「ただ御冥福をお祈りするばかりです、ありがとうございました」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「本当に残念です」「寂しくなりますね」「心よりお悔やみ申し上げます」などのコメントが寄せられている。
2024年02月02日女優で声優の戸田恵子が1月31日に自身のアメブロを更新。尊敬していた人物の訃報を受け追悼した。この日、戸田は「ブロードウェイのミュージカルスター、チタ・リベラさんが亡くなったと稽古場で知りました」と1月30日に亡くなった米女優で歌手のチタ・リベラさんの訃報について言及し「草笛光子さんのお友達でもあります」とリベラさんについて説明。自身についても「ブロードウェイでも観てますし、来日して博品館でショーをおやりになったのも観ています」とリベラさんの舞台を観劇したことを振り返った。続けて、リベラさんについて「名だたるダンサーとして活躍されてた」と述べつつ「いつだったかブロードウェイで、全くチタが踊らない舞台に出てらっしゃいました」と説明し「驚きと共に、ダンスを封印しての舞台!いつまでもチャレンジャーなのだなと敬服したのを覚えてます」と回想。最後に「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「悲しいですね」「カッコイイ御方だったのですね」「お悔やみ申し上げます」などのコメントが寄せられている。
2024年02月02日2024年1月31日、元ボクシング連盟会長の山根明さんが亡くなりました。84歳でした。サンケイスポーツによると、山根さんはがんで闘病しており、大阪府大阪市内の病院で息を引き取ったといいます。山根明氏(やまね・あきら=アマチュアを統括する前日本ボクシング連盟会長)31日、大阪市の病院で死去、84歳。大阪府出身。関係者によるとがんで闘病していた。葬儀・告別式は近親者のみで行う予定。サンケイスポーツーより引用なお、葬儀・告別式は近親者のみで執り行われるとのことです。山根さんは、2000年に開催されたシドニー五輪で日本代表監督、常務理事などを務め、2011年にアマチュアボクシングの競技統括団体である日本ボクシング連盟の会長に就任。選手を国際大会へ積極的に派遣し、ロンドン五輪では複数メダルの獲得をバックアップしました。しかし、2018年に助成金の流用や審判不正などの疑惑が発覚し会長を辞任。翌2019年には連盟から除名されましたが、その後もテレビ番組などで活躍しました。山根さんの突然の訃報は、多くの人に衝撃を与えたようです。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月31日2024年1月29日、漫画家の芦原妃名子(あしはら・ひなこ)さんが亡くなったことが分かりました。漫画『セクシー田中さん』などの人気作で知られる、芦原さん。2023年10月~同年12月には、同作が日本テレビ放送網株式会社でテレビドラマ化され、話題になっていました。産経ニュースによると、芦原さんは2024年1月28日から行方不明になり、翌29日、栃木県内で亡くなっているのが見つかったとのこと。亡くなった状況などから自殺とみられ、警察当局が死因や経緯を調べているそうです。あまりにも突然の訃報に、ネット上では「芦原さんの新しい作品が読めなくなるなんて悲しい」「どうして…」「悲しすぎる」など、芦原さんを惜しむ声が上がっています。芦原さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。また、ニュースを読んでつらい気持ちになった人は、厚生労働省が行っている電話相談を頼ってください。厚生労働省[文・構成/grape編集部]
2024年01月29日落語家の林家たい平が26日に自身のアメブロを更新。まだ信じられない悲しすぎる訃報に心境を吐露した。この日、たい平は「先ほど落語協会から電話をもらいましたがまだ信じられません」と述べ「正楽師匠の訃報です」と21日に亡くなった寄席紙切り芸の第一人者として知られる林家正楽さんについて言及。「お正月初席は浅草演芸ホールの高座裏のお気に入りの椅子に座り毎日お話ししていたばかり」だといい「紙切りの芸は超一流 優しくてお茶目で楽しい師匠 大好きな師匠です」とつづった。続けて「19日の末広亭の高座が最後となり21日に急逝されたとのこと」と説明し「悲しすぎます沢山の楽しい思い出が蘇ってきます ゆっくり飲んで食べてお話しもしました」と写真とともにコメント。「猫八さんの襲名の時もお誘いしたら快く打ち上げに来て下さいました」と明かし「私が作ったコースターをおでこに貼って嬉しそうな正楽師匠」とたい平が作ったコースターを額に貼った正楽さんの写真も公開した。最後に「大好きな大好きな師匠もっと一緒にいたかったです」と心境を吐露し「たくさんの楽しい思い出ありがとうございました」と感謝のコメント。「合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「本当にお優しい方でしたね」「突然の訃報に言葉が見つかりません」「ご冥福をお祈りいたします」などのコメントが寄せられている。
2024年01月28日落語家の桂文枝が26日に自身のアメブロを更新。訃報を受け心境を吐露した。この日、桂は「遠くへ」というタイトルでブログを更新。「お会いしたのも遠い遠い昔だった」と述べ「かっこよくて歯切れが良くてリスナーに人気があって お知り合いになって番組に紹介いただきました小山乃里子さん」と20日に亡くなったフリーアナウンサーの小山乃里子さんについて言及した。続けて、小山さんについて「お会いした時ラジオ関西のアナウンサーさんでした」と説明し「訃報に接し深い悲しみに沈んでおります」と心境を吐露。最後に「合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年01月28日お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおが26日に自身のアメブロを更新。本当に凄いと思う人物の訃報に心境を吐露した。この日、伊達は「先日お亡くなりになられた、電撃ネットワークの南部虎弾さんに最後のご挨拶へ 東京ダイナマイト・ハチミツ二郎さんと一緒に行ってきました」と20日に脳卒中のため亡くなった過激パフォーマンスグループ・電撃ネットワークのリーダー・南部虎弾さんに挨拶に行ったことを報告。「我々があまりまだ世に出てない時からライブイベントに呼んで下さったり、パチンコ番組にゲストで何度か来て下さったり」と振り返った。続けて、南部さんについて「同じ東北・山形県出身」と明かし「ここ数年はお会いする機会はありませんでしたが、お会いする度に『サンドウィッチマン頑張ってますね!』って敬語でお話しして下さり」(原文ママ)と回想。「電撃ネットワークのパフォーマンスについて色んなお話をさせて頂きました」と述べ「世界で一番有名な日本のコメディアン・パフォーマーは『トーキョーショックボーイズ』(電撃ネットワーク)だと聞いた事があります」とつづった。また「世界中の皆さんを驚かせ笑わせた南部虎弾さん。本当に凄い方が、また1人この世を去りました」とコメントし「最近は、特に寂しいニュースばかりで何だか勝手に下を向いてしまいます」と心境を吐露。「棺の中で眠る南部さんは、トレードマークのサングラスと、あの髪型と衣装でした」と明かし「お部屋には、電撃ネットワークのあの曲が大音量で流れ、南部さんが着用していた衣装やサングラスが沢山展示されていました」と説明した。最後に「帰りに、パンを頂きました」と述べ「南部さん、ありがとうございました!!お疲れ様でございました!」とコメント。「心から、お悔やみ申し上げます。合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「急でびっくりしました」「ご冥福をお祈りいたします」「かなしいニュースが多いですね」などのコメントが寄せられている。
2024年01月27日女優の秋野暢子が26日に自身のアメブロを更新。世話になった人物の訃報に心境をつづった。この日、秋野は「NHK朝の連続テレビ小説『おはようさん』でお母さん役でお世話になった正司歌江さんの訃報…」と19日に老衰のため亡くなった姉妹漫才トリオ・かしまし娘の長女・正司歌江さんの訃報について言及し「新人で何もわからない私にとっても優しくしてくださいました」と回想した。続けて「色々教えていただきましたが、今、私が現場の若手にお弁当を持っていくのは歌江母さんに教わった習慣です」と説明。「一つ釜の飯!『大事なんやで』といつもいつも美味しいお弁当を持ってきてくださいました」と振り返り「大切な懐かしい想い出です」としみじみつづった。また「享年94歳。素晴らしい人生でいらしたと思います」と述べ「ありがとうございました」と感謝のコメント。最後に「安らかにおやすみください。合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年01月26日演歌歌手の北山みつきが22日に自身のアメブロを更新。イベントで共演していた人物の訃報に胸中を吐露した。この日、北山は「電撃ネットワーク南部虎弾さんの訃報」というタイトルでブログを更新し、20日に脳卒中のため亡くなった過激パフォーマンスグループ・電撃ネットワークのリーダー・南部虎弾さんの訃報について言及。「八丈島で同じイベントに出演させて頂いた時の楽屋写真です」とつづり、南部さんらとの集合ショットを公開した。続けて「舞台を拝見して、奇抜過ぎてハラハラドキドキが止まらなかったのを覚えています」と述べ「この先どうなるのか!?奇想天外で童心にかえりました。思わず声を上げたり、爆笑したり楽しませて頂きました」と回想。「エスパー伊東さんがお亡くなりになり」と16日に亡くなったお笑い芸人のエスパー伊東さんの訃報についても言及し「悲しみと共にとても憤慨していらしたので、ちょっと気になっていました」とつづった。また「エスパー伊東さんに怒っていた訳ではありませんがそんなに怒ったら、体に悪いですよ。血圧が上がってしまいますね」と述べつつ「向こうで会えましたか??」とコメント。最後に「もっと一緒にサバゲーやりたかったです」と胸中を吐露し「お二人のご冥福をお祈りいたします」と追悼した。
2024年01月24日2024年1月24日、漫才トリオ『かしまし娘』の正司歌江さんが亡くなっていたことが分かりました。所属事務所のワハハ本舗株式会社によると、正司さんは同月19日に、94歳で逝去したとのことです。弊社所属の女優 正司歌江が、令和6年1月19日(金)、94歳で逝去いたしました。皆様におかれましては、これまで正司歌江を温かく見守ってくださいましたこと、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございます。★ワハハ本舗なんでも速報ブログーより引用なお、正司さんの葬儀と告別式は、親族のみで執り行ったといいます。正司さんは、次女の照枝さん、三女の花江さんとともに『かしまし娘』を結成。1956年に活動を本格化し、流行歌や浪曲を取り入れた音曲漫才で、お茶の間を賑わせました。ギターや三味線を弾きながら『うちら陽気なかしまし娘』というキャッチーなフレーズのテーマソングは、老若男女問わず多くの人に親しまれました。正司さんの訃報を知った人たちからは、「悲しい」「子供の頃、よくテレビで見ていました」「楽しい笑いをありがとう」という声が上がっています。正司さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月24日タレントのデヴィ夫人が23日に自身のアメブロを更新。急で驚いた公私共に親しかった人物の訃報に心境をつづった。この日、デヴィ夫人は「パリにいる私の元に南部虎弾さん急逝のニュースが入ってきました」と20日に脳卒中のため亡くなった過激パフォーマンスグループ・電撃ネットワークのリーダー・南部虎弾さんの訃報について言及し「大変急なことで驚きとショックです」と心境をつづった。続けて「南部さんとは公私共に親しく、お花見をご一緒したり、我が家に遊びに来てくださったり」と交流があったことを説明。「私の主催するパーティーにもいらしていただいたりと仲の良い友人でした」と述べ「プライベートでは過激な芸風とは違って温厚でインテリジェンスな優しい方でした」と南部さんの人柄を明かした。また「先日田母神俊雄氏の“政治活動復帰”のパーティーでお会いした時にはとてもお元気そうでした」と振り返り「びっくりです。寂しくなります」と悲痛な胸中を吐露。最後に「心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼し、南部さんとの2ショットとともにブログを締めくくった。
2024年01月23日お笑いコンビ・テツandトモのトモが21日に自身のアメブロを更新。先輩の訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、トモは「電撃ネットワークの南部虎弾さんが亡くなられました」と20日に脳卒中のため亡くなった過激パフォーマンスグループ・電撃ネットワークのリーダー・南部虎弾さんの訃報について言及。自身について「南部さんと同じ山形県出身で」と明かし「『山形の会』という飲み会でも楽しい時間を過ごさせていただきました」と回想した。続けて、南部さんについて「イベントなどでお会いすると、いつも優しく話しかけてくださるんです」と振り返り「話していると、心が穏やかになりました。本当に残念です」と心境をコメント。「先日は、エスパー伊東さんも亡くなられました」と16日に亡くなったお笑い芸人のエスパー伊東さんの訃報についても言及した。また「昨年末から、共演させていただいた先輩方の訃報が続きとても寂しいです」と悲痛な胸中を吐露し「謹んでお悔やみ申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年01月22日2024年1月21日、お笑いタレントである南部虎弾(なんぶ・とらた)さんが亡くなったことが分かりました。72歳でした。南部さんは『南部寅太』の名前で、お笑いトリオ『ダチョウ倶楽部』の初代リーダーとして活躍。同グループ脱退後の1990年には、身体を張った芸風で知られるお笑いグループ『電撃ネットワーク』を結成し、過激なパフォーマンスが話題を呼びました。自身がケガをすることすらいとわない『電撃ネットワーク』のパフォーマンスは、海外で『TOKYO SHOCK BOYS』として有名に。日本のみならず、世界各国で公演を行ってきました。同グループのX(Twitter)アカウントによると、南部さんは2024年1月20日に脳卒中で亡くなったとのことです。訃報 pic.twitter.com/vZYqTbTabj — 電撃ネットワーク (@tokyo_shockboys) January 21, 2024 同月16日には、お笑いタレントであるエスパー伊東さんの訃報を受け、自身のアカウントで「安らかにお休みください」とコメントを送っていた南部さん。あまりにも突然の旅立ちに、ネットからは「まだ早すぎるし、急すぎて信じられない」「南部さんの身体を張ったギャグが大好きでした」といった声が上がっています。南部さんの『お笑い』にかけた熱意は、多くの人に伝わったことでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月21日歌手で俳優の野口五郎が19日に自身のアメブロを更新。前日まで連絡を取っていた先輩のあまりに突然過ぎた訃報を受け心境をつづった。この日、野口は「僕の大好きな人生の大先輩が一週間前に亡くなりました」と明かし「前日電話でお話して,微熱がある!と仰った」と説明。それに対し「最近僕が忙しくで会えないから体調が悪いんですよ!」と冗談まじりに言ったことを明かしつつ「奥様にはコロナとか心配なのでお医者さんに行った方が良いと思います」と伝えたことを報告した。続けて「翌日,『インフルAでした!』と連絡があり」と告白し「その晩奥様からの突然の電話」があったことを説明。亡くなった先輩について「僕の憧れで目標で!いつも僕の事を力強くバックアップしてくれてました」と回想し「昨年のコンサートもずーっと来てくださいました!いつも『今日が1番良かった,良く声出るネ~!』って」とエピソードをつづった。また「あまりに突然過ぎて涙が枯れました」と述べ「今日プレゼント渡す予定だったのに」とコメント。「今は心より安らかにお眠り下さい」「そして,心より感謝申し上げます」と追悼し「言われた事を大切に頑張らなければ」とつづった。この投稿に読者からは「心よりご冥福をお祈りいたします」「お辛いですね…」「心痛を思うと、とても心配になります」などのコメントが寄せられている。
2024年01月20日歌手の小柳ルミ子が18日に自身のアメブロを更新。大切な人の突然の訃報に涙した日を回想した。この日、小柳は「コメントで書いて下さった方がいらっしゃいますが」と切り出し「今夜【歌謡プレミアムアンコール】が再放送されます」と音楽番組『歌謡プレミアムアンコール』(BS日テレ)が放送されることを説明。「3年前2021 4/12の再放送です」と自身が出演した回の音楽番組『歌謡プレミアム』(BS日テレ)の再放送であることを明かし「4曲歌唱しています」と報告した。続けて「この日の収録は私の初代マネージャーが2日前に突然亡くなり」と振り返り「『わたしの城下町』が泣いて泣いて歌えず何度も何度も撮り直した」と説明。「番組スタッフの皆さんに大変ご迷惑をお掛けしました」と述べ「申し訳ございませんでした」と謝罪した。また「優しく対応して下さって本当に有難うございました」と感謝のコメント。「Wマネージャーの強い愛がなければ今の私はいません」と述べ「それ程大切な人の死の直後本当に辛かったです」とつづった。最後に、当時について「この年はデビュー50周年でした」と明かし「デビュー当時の話 宝塚時代の話 美の話などなど…たっぷりとお話もさせて頂けました」と振り返り「見逃した方ご覧下さいませ!!」と呼びかけた。
2024年01月19日