一時期は日本相撲協会のトップを目指していた貴乃花親方(45)の凋落が止まらない。 日本相撲協会は理事長を頂点とするピラミッド構造になっているが、貴乃花親方は今年1月からわずか3カ月足らずで理事から5階級降格し、現在は最底辺の「年寄」を務めている。それと同時に、急激に影響力も人気も減少させているのだ。 4月19日には、貴乃花一門の名称が変更されることも明かしている。3年前の’15年には貴乃花一門の後援会が発足し、大阪のホテルで激励パーティも開催された。 「発起人は高野山別格本山清浄心院の“炎の行者”こと池口恵観法主、司会を務めたのは女将の景子さん(53)でした。池口法主は、それ以降も貴乃花一門の有力な支援者でした。元横綱・日馬富士による貴ノ岩への暴行事件を機に、貴乃花親方が相撲協会理事会と対峙していたときには、親方を激励しながらも、自重を求めるメールも送っています」(相撲評論家) だが今回の“貴乃花一門”の名称変更について、電話でコメントを求めたところ、池口法主からは意外な言葉が……。 「いまは以前のように(貴乃花親方の)後援活動は行っていません。それなので(貴乃花親方に関する)発言を差し控えさせていただきたいと思います」 激励メールから5カ月で、強力な支援者からも見放されてしまっていた貴乃花親方。角界で生き残りをかけての暗中模索は続く……。
2018年04月29日3月29日16時、貴乃花部屋に1台の車が止まった。姿を見せたのは、花田景子さん(53)。ふだんは部屋の正面口に駐車しているが、この日は部屋の裏側にひっそりと駐車する。そして表に集まっていた報道陣から隠れるように、足早に勝手口から部屋のなかへと入っていった。その表情にはサングラス越しでもわかるほど、疲れの色があらわれていた――。 この直前、日本相撲協会では理事会が開かれていた。下されたのは、貴乃花親方(45)の2階級降格処分。春場所での無断欠勤と、貴公俊(20)の暴行問題への監督責任を問われての処分だった。 すでに1月4日には元横綱・日馬富士(33)の傷害事件で協会への報告を怠ったことが問題視され、「理事」から「役員待遇委員」へ2階級降格。2月の理事候補選で落選したため、さらに「委員」へと1階級降格していた。そして今回の処分で「委員」から最低位の「年寄」に。理事経験者の年寄降格は、過去に例がないことだという。 処分前日の3月28日には、臨時年寄総会に出席。親方衆からは「解雇」に相当する契約解除を求める声が。さらには「念書を書かせるべき」との厳しい声も出ていたと報じられている。そんな針のむしろのなか、貴乃花親方はひたすら「申し訳ありません」と謝罪を続けていたという。 協会の処分決定後、冒頭のように部屋へと足早に入っていった景子さん。それは満身創痍の状態で帰ってきた夫のもとへ駆けつける、妻の姿だったのだ。この日、部屋での夫婦そろっての話し合いはなかなか終わらなかった。途中スタッフらしき女性が部屋から出てきて、水を買いに走る。いつもなら、女将さんはとっくに自宅へと戻っている時間だ。 その後も、話し合いは続いた。4時間後の20時すぎ、ようやく景子さんが出てきた。女性スタッフたちに囲まれながら、裏手にある車のほうへと向かう。あたりはもうすっかり暗くなっている。記者がひと言、こう声をかけた。 ――女将さん、お疲れさまです。今日は親方とどんなお話をされたのでしょうか? だが景子さんは記者の問いかけに終始、無言。そのまま車に乗り込むと、自宅へと帰っていった――。
2018年04月04日「まるで“見せしめ”。年寄総会でのやりとりは『あの大横綱でも逆らえばこうなるんだぞ』という内容だったと聞いています。念書のことも、親方から前もっては聞いていませんでした。きっと総会での様子を見て、従うしかないと決めたのだと思います」 こう語るのは龍神総宮社の辻本公俊祭主(65)。貴乃花親方(45)を支援し続けてきた“恩人”だ。3月29日に理事会が下したのは2階級降格処分だったが、親方は《相撲協会の皆様にご迷惑をおかけしたことを深く反省し(中略)ゼロからスタートして参ります》と全面降伏。そんな殊勝な姿勢は、貴公俊を思っての行動だったという。辻本氏が明かす。 「騒動後、親方は『たとえ貴乃花部屋が取りつぶしになってもいい。自分が解雇されてもいい。何とか貴公俊に相撲を続けさせてあげたいんです』と言っていました。貴公俊は相撲を続けられることになり、親方も解雇されませんでした。だからこれでよかったんです」 なりふり構わぬ謝罪もあって、貴公俊への処分は「一場所出場停止」のみにとどまった。親方の決断を、女将である景子さんはどう思っているのか。辻本氏はこう続ける。 「ホッとしていると思います。というのも暴行騒動後に親方の態度が軟化し始めたころ、彼女が『もう闘わなくて良いのでしょうか?』と聞いてきたことがあったんです。言うなれば終戦直後の母親たちと同じ気持ち。(日本が)無条件降伏をして、身も心もボロボロ。でも夫も子も命だけはなんとか助かった。それだけで御の字だったのです。女将さんは必死に夫を支えようとしていましたす。でもやはり、ギリギリの精神状態だったのでしょう」 今後は「審判部」に所属することになる貴乃花親方。最悪の事態は免れたとはいえ、前途多難な道のりが待ち受けているという。前出の辻本さんがこう打ち明ける。 「さっそく審判部の一員として、巡業に同行するよう言われたそうです。少し前まで、親方は巡業部長。巡業でいちばんえらい立場でした。しかしこれからはいちばん下の立場で同行することになるわけです。他の親方から責められることも多いはず。きっと、たいへんだと思います。それでも親方が言うように、ゼロからやっていくしかないんですよ」 今後も部屋が続く限り応援し続けると語る辻本さん。そして最後にこう語る。 「『負けるが勝ち』という言葉があります。ずっと後になってから、この言葉の意味がわかる日はきっとくる。私はそう信じています」
2018年04月04日(写真:アフロ) 「親方が私のところへやってきて『貴公俊がみんなのいる前で付き人を殴ったようなんです』と言ったんです。親方はまさか自分のところでと仰天して動揺しているようでした」 そう語るのは、龍神総宮社の辻本公俊祭主(65)。貴乃花親方を支援し続けてきた“恩人”だ。事件後、宿舎のある龍神総宮社へ戻ってきた貴公俊は泣き崩れるばかりだったという。辻本氏は、女将さんである花田景子さんにも電話で報告。東京にいた景子さんは、絶望的な声を上げていたという。辻本氏が続ける。 「言葉にならないほど、むせび泣いていました。女将さんにとって、貴公俊も付け人も我が子同然の存在ですからね。親方のこともすごく心配していて『親方のそばについていてあげてください。お願いします』と言っていました」 騒然としていた暴行騒動直後の貴乃花部屋。だが辻本氏は「日馬富士のケースとはまったく違う」と強調する。 「貴公俊が土俵の下にある控えに向かわなければならない時間を、付け人が伝え忘れていたんです。そのため貴公俊は審判員から怒られ冷静さを失って負け、それに怒って付け人を3発ほど殴ってしまった。でもケガの程度も口の上が少し青くなっていただけ。日常的にいじめていたわけでもなく、普段は仲の良いもの同士がやったケンカのようなもの。横綱である日馬富士が、物を使って貴ノ岩を何回も殴りつけた事件とはレベルが違うんです」 だが貴乃花親方は「日馬富士の傷害事件において、自らの理事解任を含め日本相撲協会の対応に問題があった」として内閣府に提出していた告発状を取り下げると表明。協会側との対立姿勢を撤回した。辻本氏は「それもすべて将来ある弟子を思っての行動」と言う。 「最近も親方が春場所で役員室にいなかったと問題視されていますが、あれも酷な話。親方が役員室に行って挨拶しても、みんな見て見ぬふりなんです。スマホを見たまま背を向けて、目も合わさないような状況。そんなところに長居しても無駄ですよね。でも他にもすぐ出ていく人もたくさんいるなか、親方だけが問題視されていました」 そして、辻本氏は「親方はずっと一人で闘ってきました」という。 「協会に対し、おかしいところをまっとうに訴えてきた。しかしこのままでは協会が今回の件を口実に、貴公俊に不当な処分を課すかもしれない。それを避けるため、親方は納得できなくても頭を下げ『弟子を救ってほしい』と願い出ているんです」
2018年03月28日3月18日に付け人への暴行事件を起こした貴公俊(20)。史上初の双子関取として、弟・貴源治(20)とともに注目を集めていた。29日に開かれる相撲協会理事会では、彼と師匠である貴乃花親方(45)への処分が下されるという。 日ごろから貴乃花親方と女将・花田景子さん(53)は、弟子たちを“我が子同然”として扱っているという。昨年12月に目黒区内で行った講演会でも景子さんはこう語っていた。 「大きな子供たち(※部屋の弟子たち)のことは、何があっても守るとう親方の強い信念があります。その親方の思いを知っているからこそ、弟子たちもついてきてくれると信じておりますし、何かあればすぐに私たちに相談してくれる関係性ができています」 事件について貴乃花親方と景子さんは、貴公俊の両親にはどう報告したのか?双子の母・Aさんはフィリピン出身だが、日本での生活は長く日本語も堪能だった。Aさんは双子の父と離婚しており、現在はBさんと暮らしている。Bさんは双子の継父にあたるが相撲を勧めたのは彼だった。入門の前、両親は貴乃花親方と景子さんに面会したという。 「女将さんが『スポーツ万能なんてすごいご兄弟ですね。ぜひ預からせてください』と、おっしゃってくれました」(Aさん) 「そんな2人を5年間も部屋で育ててもらったことには、とても感謝しています。弟に続いて兄も十両に上がって、私たちも喜んでいたところにこんな事件が起きて……」(Bさん) 息子たちとは電話やメールで連絡を取り合っているという両親だが、部屋に対する不信が募る理由が。Aさんは「私たちは親方や女将さんとは連絡がとれないので、息子たち、特に兄のほうが今後どうなってしまうのかわからないんです」と呟く。また“貴乃花部屋から報告や相談はあったのか?”と本誌の質問に対するBさんの答えは驚くべきものだった。 「それがいまのところ(※3月22日)、親方からも女将さんからも何もお話しがないんです。それどころか、親方と女将さんとは子供たちが入門してからいっさいお話ししたことはありません」 実は昨年から、両親は心配していたという。 「貴乃花親方は、1人で相撲協会を敵に回して闘っているわけでしょう?息子たち弟子も(角界で)孤立してしまうのではないかと……。これまでのことは本当にありがたいと思っていますし、親方も息子たちを守ってくれるつもりなのだとは信じています。でも息子たちの将来のことを考えると不安で仕方がないんです」(Bさん) ――預け先を間違えたと考えているのでしょうか? 「こんな状況ですからね、そんなことを考えてしまうこともあります。せっかく息子たちは相撲の道に進んだのですから、燃えつきるまで頑張ってほしいと願っています」(Bさん) 千秋楽前々日の3月23日、東京都内にある自宅付近で、景子さんにコメントを求めた。大阪へ向かうためなのか、右手にはキャリーバッグを下げていた。 ――弟子の親御さんとは、連絡を取り合っていないと伺いましたが? 「いいえ、そんなことはありませんよ。すみませんけれど、ここで失礼しますね」 景子さんは、笑顔でそれだけ語ると、タクシーに乗り込んだ。その明るい口調からは、貴乃花親方や貴公俊の未来への不安は、みじんも感じられなかったのだが――。
2018年03月28日貴ノ岩(28)への暴行事件に続き、貴公俊(20)による暴行事件でも注目を集めることとなった貴乃花親方(45)。角界の改革を訴えてきた貴乃花親方だが、パワハラ問題に揺れる女子レスリング界の重要人物とも意外な接点を持っていた。 その人物とは栄和人監督(57)が所属する至学館大学の学長で、“パワー全開”の反論会見が話題を呼んだ谷岡郁子氏(63)。相撲関係者は語る。 「谷岡氏は、貴乃花を幼少期から知っていました。谷岡氏の父・谷岡太郎氏は貴乃花の父・貴ノ花(当時は藤島親方、のちに二子山親方)と懇意で、’82年の藤島部屋創設以来、大阪場所中に宿舎の世話をするなど全面的にバックアップしていたのです」 幼少期の貴乃花について谷岡氏は「小さいころから負けん気の強い子」「(兄の)勝君とけんかしても、しつこく食らい付いて最後は勝君の方が音を上げてました」とスポーツ紙に語ったこともあった。 貴乃花が関取になると、谷岡氏本人によるサポートも。’91年の名古屋場所直前、中京女子大(現・至学館大)学長の谷岡氏は講師5人を引き連れ、藤島部屋に出前授業も行なっている。 「谷岡氏は藤島部屋に、科学的トレーニングやスポーツ医学に基づくアドバイスをしていました。貴乃花が史上最年少で三役に昇進するなど快進撃を続けている最中でしたから、当時は『大出世の陰に37才美人学長あり』といった報道もありましたね」(前出・相撲関係者) その後も谷岡氏は中京女子大の文化祭で貴乃花の母・藤田紀子さん(70)とトークショーをしたり、谷岡氏の弟の一郎氏(61)が父の後を継いで二子山部屋の大阪後援会長を務めたりと、家族ぐるみで貴乃花を応援し続けてきたが……。 「現在は、貴乃花親方との交流はないようですね。’04年、二子山部屋が先代の貴ノ花から貴乃花親方に継承されるとき、一郎氏は『元々は先代を応援するために集まった後援会』と、大阪後援会を解散してしまったのです」(前出・相撲関係者) 混迷を極める、角界の対立とレスリング界のパワハラ問題。貴乃花親方と谷岡氏が、奇しくも同時期に渦中の人物となったのは、単なる偶然だろうか——。
2018年03月22日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナーー。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。そこには、確かに“読者世代のリアル”があった。 「勢いで生きてきたんです。行き当たりばったり人生といいますか(笑)」 チャーミングな容姿に、エレガントな魅力が加わって、ますます輝く永井美奈子さん(52)。母となってから、テレビの仕事はセーブし、子育てを軸に司会業やチャリティ活動、母校・成城大学で教壇に立つなど、多忙な毎日を送っている。 永井さんのパワーの源はやはり局アナ時代に培ったもの。日本テレビ入社は’88年。時はバブル景気の真っただ中。永井さんは、週に10本もの番組に出演、CDデビューも果たすなど、超売れっ子アナとして活躍した。 「残業も何百時間で、有給もお買い上げの時代。在職中は、忙しくて記憶が飛んでいる期間でもあるんです。でも、CDデビューは『藪本(雅子)さん、米森(麻美)さんという若手をもり立てるために私が入ったのかな?』って」 そう語るように、本人には人気者だった自覚はあまりないよう。それでも、局アナだからこそ経験できることがたくさんあり、充実していた。 「ミーティングにもみっちり参加して、みんなでいい番組を作り上げるプロセスを経験できたのは、社員ならでは。どんなに忙しくとも楽しくて仕方がなかった。辞めるときも『こんないい会社をなぜ去るの?』というくらい居心地のよい会社でした」 退社後もフリーとして活躍し、仕事には恵まれていたが、転機は’01年に訪れる。「大学院で学び直したい」と研究計画書を作成していたときに出会った現在の夫と結婚、出産。さらには、慶應義塾大学大学院入学。「すべて勢いなんです」と永井さんが語るように、その1年の間に、怒濤のように、人生は景色を変えていく。そして出産後は、テレビの仕事をセーブし、子育てを優先。 「長男を出産してすぐ、報道特別番組に出たのですが、息子のことが気になって。終わると猛スピードで車を運転して家に帰ったんです。これでは大好きなテレビの仕事に対して失礼だなと思って」 しかし昨年、十数年ぶりにBSの番組でイタリアロケに。 「その間、息子が家族の食事を作ったり、よくやってくれました。息子も娘もテレビに出ている私が好きで『もっと出て』と。私に子離れしてほしいのかもしれませんね」 子育てが一段落した永井さんの目の前には、再び自らが輝く未来が広がっている。
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナーー。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。そこには、確かに“読者世代のリアル”があった。 「18歳のとき母がくも膜下出血で倒れ、後遺症が残ったため車いすでの生活を余儀なくされました。親が共働きで5人家族が何とか生活していたなかで、母の医療費用がのしかかり、家計はいつも火の車。大好きな母のために私が選んだのが、女子アナでした」 女子アナブームの真っただ中だった’95年、日本テレビに入社した町亞聖さん(46)。華やかな世界に身を置きながら、母の介護という現実にも直面していた彼女のスタンスは少し変わっていた。 「入社して以来、やりたいことを聞かれると、『弱者の視点に立った取材』と答えていました。当時はバリアフリーという言葉すらない時代で、車いすの母と外出をするのも一苦労でした。こうした現実をアナウンサーなら広めることができるのではと思っていたんです」 しかし、現実はそう簡単にはいかなかった。新人のころは、バラエティ番組のアシスタントなど、“番組の華”的な仕事も多かったという。 「よく母に『歌って踊る女子アナがいるなら番組を作る女子アナがいてもいいのに』とぼやいていました。でも、外出もままならない母にしてみれば、私の仕事ぶりをテレビで見られることがうれしいようでした。私も、母が喜んでくれるならと、どんな仕事にも前向きに取り組めるようになりました」 アナウンサーと介護という、まったく異なる2つの世界を経験していた町さん。周りからは「20代なんて遊びたい盛りでしょうに」と言われることもしばしばだった。 「この時期、母と一緒に過ごすことは、私にはとても大切なことでした。もちろん、介護は大変なこともたくさんありますが、苦だと思ったことはありません。むしろ、2つの世界があったことで、私の中のスイッチのオンオフができていた部分もあります」 町さんが28歳のとき、母・広美さんは49年の生涯を終えた。ところが、この時期に訪れたショックはそれだけではなかった。翌年、報道部への異動の辞令が出たのだ。 「アナウンサー6年目に入る直前で仕事が充実していたときのこと。自ら希望を出したわけでもなく、『青天の霹靂』でした。母を失った直後の悲しみも癒えないなかで、異動直後の1年間はやる気が起きず、涙もろくなっていました。今思うと鬱っぽくなっていたのでしょう」 しかし、あるとき、報道部の先輩に言われた言葉が、町さんを初心に帰らせる。 「『町は医療のテーマをやりたいんだろ?だったら1年で100人の医師を取材してみろよ』と言われ、ハッとわれに返りました。『そうだ。ここなら新人のころから希望していた“弱者視点”での取材ができるじゃないか』と。それからは報道という仕事にも、誇りをもって取り組めるようになりました」 そして40歳のとき、「やっぱりアナウンサーがしたい。自分の声で情報を届けたい」という思いが強くなり、退社を決意した町さん。 「現在はフリーで介護や医療分野を中心に取材し、その内容を皆さんにお伝えできる場が持てています。今がいちばん充実して仕事ができているように感じています」
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナーー。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。 近藤サト(49、以下=近藤)「私はアナウンサーを完全に辞めていた時期はないんです。退社して、最初の結婚生活を送っていたころも、ゆるくではあるけれど続けていました。いまは、ナレーター業は死ぬまで続けたいと思っているの」 寺田理恵子(56、以下=寺田)「サトちゃんらしい。私は再婚後14年間、専業主婦だったの。その時期には『いまできること』を考えて、好きな手芸の腕を生かして、匿名で在宅ワークをしたり」 ともにフジテレビ出身で、先輩・後輩の間柄。当時、「内定競争倍率は数千倍」といわれた難関を突破し、花形職業の座を射止めたのは、寺田さんが’84年、近藤さんが’91年のこと。 ’80〜’90年代はバラエティ番組が全盛。当時、「楽しくなければテレビじゃない」を旗印に、お茶の間の圧倒的支持を得たフジテレビで、寺田さんは元祖アイドルアナとして一躍人気者に。 近藤さんはバラエティのほかに、『FNNスーパータイム』などのニュース番組に出演。報道アナウンサーとしてのイメージが定着していく。 その後、2人はともに寿退社。寺田さんは27歳で制作会社のディレクターと結婚。しかし長女を出産後、夫の不倫疑惑が報じられ、離婚。そして、’00年にNEC元会長の御曹司である大手広告代理店勤務の男性と再婚し、次女をもうけるが、夫は’12年に急逝してしまう。 一方、近藤さんは’98年に歌舞伎俳優の故・坂東八十助さん(のちの三津五郎・’15年逝去)と結婚後、1年あまりで離婚。’03年に会社経営者と再婚し、1男をもうけている。 結婚・離婚・再婚など、2人の私生活は、常に世間の注目の対象に。女子アナだからこその試練ともいえるが、それらの体験はその後の人生に生かされているのだろうか。 寺田「私はマスコミに追いかけられて嫌な記事が出ても、たいていは『あーあ』って忘れちゃうタイプなの。女子アナって追いかけやすいと思います。芸能人のように、所属事務所がガッチリと守るというわけでもないし」 近藤「私も週刊誌の直撃取材を何度か受けて、もう驚かなくなった。友達は『ひどいこと書くね』って言うけれど、いつしか『これも仕事なんだなぁ』と思えるようになりました」 寺田「私は表に出ている人間だからしょうがないけれど、それが家族に及んだときはつらくて。主人が亡くなったとき家族葬にしたんだけれど、『誰も来ないお葬式』とか書かれたり。娘に車内づり広告を見せたくなくて、『今日は電車通学させられない!』って思ったこともあったし」 近藤「家族のことまでっていうのは、すごく困りますね。だからもう、書かれないようにしよう!(笑)波瀾万丈という意味では、私もさまざまな経験をしました。でも、読者の方だって同じなんだと思います。いま母校の大学で教えているんですが、学生さんの母親と私は同じ世代。それで、『母親の一代記をインタビューして舞台化する』という課題を出したの。原稿を読んでいると、そこには病気や介護から嫁姑の確執まで、もう10人いれば10通りの深い人生があって。『この方は私より波瀾万丈だわ』とか、泣きながら添削しているの。そういう意味で、教えていても学びがたくさん」 寺田「田丸美寿々さんと、あるパーティでお会いしたとき、『60になったら収穫の年』とおっしゃったの。その言葉がすごく心に残っていて。いまのうちに種まきをしておきたい。そのために実家で、子育てサロンや紅茶教室など、大人の学びの場を開いたり。地域に貢献することが、これからの高齢化社会で大切になってくると思うんです」 近藤「すごーい。私は職人気質なので、1つのこと、ナレーションを極めたいと思っていて。最近やっと『ナレーターの近藤サト』と認知していただけるようになったの」 寺田「サトちゃんみたいにしゃべる仕事がずーっとあるってすごいことよ」 近藤「ありがたいです。でもいいことばかりでないのも事実。女子アナは、見た目や服装も含めた自分の個性に、8割の人から『いいね』をしてもらうことが大事。1割が『いいね』じゃいけないんです。でも、没個性の女子アナはフリーになったときに埋もれちゃうんです。だから『武器になるような個性がない』と模索している方も多いの」 寺田「確かにそう。女子アナは資格じゃないので、プラスアルファを打ち出さないと生き残れない」 近藤「寺田さんもそうですが、局を離れても常に新しいチャレンジをして、アナウンサーという経験をベースに何かを打ち出したいという人が多いですよね。それは素晴らしいことだと思う」 寺田「女子アナの共通点は“行動力”かしら?パッと思いついたら、行動するのは早いかもしれない」 近藤「バイタリティあふれる男っぽい方が多いですよね」 寺田「確かに。でも、その行動力が波瀾万丈な人生を招いてしまうのかな(笑)」
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナ――。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。そこには、確かに“読者世代のリアル”があった。 「私の人生、挫折の連続です。結局、私はプロのアナウンサーにはなれませんでしたから」 そう苦笑するのは、元日本テレビの藪本雅子さん(50)。「DORA」の一員として、女子アナブームを盛り上げた1人だ。だが、その華やかな姿とは裏腹に、彼女が直面してきた困難とは――? 「顔は売れても実力が伴わず、的はずれな発言を繰り返しては突っ込まれてばかり。皆さんにカバーしてもらってばかりで、とくに永井美奈子さんには頼ってばかりいましたね。永井さんは仕切りが本当に上手で、まさに神業。いっぽうの私はてんでダメで、自己嫌悪の連続。毎晩、浴びるようにお酒を飲んでいました」 10代のころに芸能界入りしたものの、挫折した経験がある藪本さん。いわばリベンジとしてアナウンサーになったものの、自分の才能のなさに自信を失っていたという。 「それでも『話術が未熟な分体を張るぞ!』と、水着姿で熱湯に入ったり、求められることは何でもしたんです。注目されたかったですし、アナウンサーはみんな、周囲の期待に応えたい人が多いと思うんです。でも、結局、番組内での『いじり』をかわせず、いちいち真に受けて落ち込み、ここでも周囲に迷惑をかけてしまいました。自己嫌悪の極みで外に出るのも怖くなり、お酒と精神安定剤に頼りながら、なんとか仕事をしているような状態でした」 それでも、社会から排除されるのが怖くて作り笑いを続けていたという藪本さん。自分を完全に見失っていた――。 転機は’95年。阪神・淡路大震災で現地取材を担当したことを機に、自ら企画、取材することにやりがいを見いだした。 「そんななか、ハンセン病問題に出合い、『本当の自分をわかってもらえない』という元患者さんたちの苦悩に心を打たれたのです。私はこの問題に取り組むべきだと思いました」 当時、最初の結婚もしていたが、夫にさえ本当の自分を見せられず、夫婦の関係は破綻。そこで藪本さんは「まずは自分が自立しなければ」と30歳で離婚に踏み切り、まさに「人生をやり直す覚悟」で報道局への異動を願い出た。 「アナウンサーとしての才能はありませんでしたが、記者は努力しただけ成長できる実感がありました!」 そして’01年、ハンセン病の国家賠償請求訴訟が原告勝訴で終了。達成感を胸に藪本さんは退社し、フリーに。取材を通じて知り合った防衛省職員の男性と再婚した。 「夫とは価値観の違いから、憲法や安保問題を巡っていつも衝突していますよ。それでも一緒にいようと、お互い不断の努力をしています(笑)」 人権問題を通じて、新たな人生が開けた藪本さん。現在は日本語教師としても活躍。 「在日外国人に対しては、言葉の壁による差別や就労困難が根強く存在しますので、これも、人権問題の延長ですね。やりがいもあり、英語力も不要なので、読者の皆さんにもぜひお勧めしたいです(笑)」
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナ――。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。そこには、確かに“読者世代のリアル”があった。 「局アナ時代は、朝の情報番組を担当していたので、出社は朝3時、帰宅は午後10時というのがだいたいのルーティンでした。そんな生活が勤務していた10年間、ほぼずっと続いていましたね」 ’95年、日本テレビに入社した魚住りえさん(46)。その愛らしい笑顔で一躍人気アナに。しかし実際は、超過密スケジュールの過酷な生活だったと当時を振り返る。 「先輩からも『テレビの世界は、見えているほど気楽な世界じゃないよ』と言われていましたが、『私はテレビには向いていないのでは』と落ち込み反省する、そんな毎日の日々でした」 そして同僚のアナウンサーと結婚をしたことを機に’04年、フリーに転身したが、1年後に破局。 「離婚は落ち込みました。『これからどうなっちゃうんだろう』と不安にもなりましたし。でも、『このまま狭い世界にだけいてはいけない』と思って、外に出るようにしたんです」 そんなとき、人生を一変させる出会いが訪れる。 「今では私の親友なんですが、ある会でたまたま出会った女性が、顔の広い方で、私にいろいろな人を紹介してくれました。実業家、会社員、OL、自営業の方と本当に職種もさまざま。みんな、私の『アナウンサー』という肩書に関係なく接してくれるのです。話している内容も、私が聞いたことのない話ばかり。みんな、自分の価値観をしっかり持っていて、生き生きとして見えました」 自分が悩みもがいていたことが、実はとても小さな世界のなかでのことだったと気づき、衝撃を受けたという。 「この新しい出会いは、まるで『ひよこが殻を破って外の世界に出た!』かのように、私の人生を変えました。彼らと交流を続けているうちに、『私も自分にしかできないことを、今までとは違う世界で挑戦してみたい』と考えるようになったんです。そしていろいろ考えた末、『私にはやっぱりアナウンサーの経験を生かしたノウハウしかない』と。そこで、これまでに声や話し方を研究し、実践してきた蓄積や、私がこれまでにしてきた失敗例などをまとめて、『魚住式スピーチメソッド』の原型を作ったんです」 現在のご主人に出会ったのはそんなとき。優しい性格に引かれ、40歳で再婚。 「結婚後、メソッドの本も出版できましたし、スクールの仕事も順調に拡大。主人はどんなときも精神的に支えてくれています」 最良の伴侶を得た魚住さんだが、すべてが順風満帆ではないという。それは結婚後しばらくしてから始めた不妊治療。思うようにいかず、昨年、体調を崩したことで、現在はいったん休止している。 「不妊治療は本当につらいです。でも、私が確立したメソッドを私たちの子どものように考え、社会で広がるように育てていくのが使命という考え方もあるのかなと、今は主人と話しているんです」
2018年03月15日米泌尿器科医開発の骨盤底筋エクササイズ3月24日、東京都港区六本木にあるSANKOビルの5階「ウェルネス・スタジオ ZESTAR六本木」で、健康講座「【産後ママのアフターケア】(ボディデザインストレッチ)」が開催される。この講座ではアメリカ泌尿器科医開発の骨盤底筋エクササイズを講習。講師はボディデザイナーの鈴木純子氏が務め、参加費は5,400円(税込)である。腰痛予防・骨粗鬆症予防にも講師の鈴木純子氏はタイ政府認定ルーシーダットンインストラクターの資格など、多数のトレーナー資格を取得し、その対象も一般からアスリートまでと幅広く受け持っている。また、メディアにおいても大相撲貴乃花親方考案のエクササイズDVD「シコアサイズ」の制作監修を担当、出演もしている。妊娠は女性の身体に大きな変化をもたらすが、産後においても、下半身の体型が元に戻らないなどの悩みを抱えがちになる。この講座では、骨盤底筋のトレーニングに加え、腹筋とヒップのストレッチで、より効果的なエクササイズを行う。さらにこのトレーニングで腰痛予防、骨粗鬆症予防にもなるという。日時: 3月24日(土) 15:30~17:00場所: ウェルネス・スタジオ ZESTAR六本木東京都港区六本木4-12-12 SANKOビル 5F六本木駅7番出口 徒歩1分費用: 5,400円申込: 受付中(ZESTARウェルネス・スタジオのサイトより引用)申し込み方法など、詳しい情報は以下URLのZESTARウェルネス・スタジオのサイトで確認を。(画像はZESTARウェルネス・スタジオのサイトより)【参考】※【産後ママのアフターケア】(ボディデザインストレッチ)
2018年03月14日東京・代官山の自家製パンと高級輸入食材を扱っている人気店で、にこやかに大量に食料を買い込んでいるマダム風の女性が――。彼女は貴乃花部屋の女将・花田景子さん(53)だった。 本誌が彼女を目撃したのは、“貴乃花部屋の運命をかけた一戦”を目前に控えた1月30日。だが、その表情には張りつめた様子は見えなかった。 2月2日の理事候補選の結果、貴乃花一門の相撲協会に対する影響力は激減してしまった。 「貴乃花親方は1月に理事を解任されたばかりでした、常識的に考えれば、今回の選挙は出馬を控え、“一回休み”にしたほうが良かったように思えます。もっとも貴乃花親方は落選を覚悟していたようです」(相撲ライター) そんな状況のなかで、いち早く女将さん業を“一回休み”状態にしていたのが景子さんだった。実は本誌が景子さんの代官山ショッピングを目撃した1月30日の夜には、自宅でパーティが開催されていたのだ。 「貴乃花親方の長女・A子さんは現在、有名私立高校に在学中ですが、彼女は1年ほど海外に留学することにしたそうです。1月30日の夜にはA子さんの友人たちが集まって、“お別れ会”が行われました」(貴乃花親方・景子さん夫妻の知人) 理事候補選の前日、本誌は景子さんを取材した。 ――お嬢さんが留学されると伺いましたが? 「ええ、そうなんです。しばらく海外に出ることを決めまして」 ――お母さまとしても、留学のご準備は大変ですね。 「そうですね。もう数日で家を出るもので。若いうちに海外生活を経験するのは、とてもいいことだと考えています」 だが花田一家の“変化”は、長女の海外留学ばかりではなかった。なんと靴職人兼タレントとして活躍している長男・優一が、俳優への転身を考えているというのだ。 「貴ノ岩暴行騒動が世間の注目を集めていた昨年12月22日に、東京都内のホテルで山川豊さんと夏樹陽子さんがディナーショーを開きました。その司会が“渦中の人”である花田景子さんだったので驚きました。さらにサプライズだったのが、山川豊さんへの花束贈呈役として息子の花田優一さんが登場したことです」(ディナーショーに出席した女性) 景子さんは興奮を隠しきれない様子だったという。 「私、今回初めて息子と“共演”させてもらいました。このような形で、いっしょになる日が来るなんて……」 さらに会場をどよめかせるきっかけになったのは山川豊の一言だった。 「優一くんは、俳優にはならないの?」「はい!今後はぜひやらせていただきたいです!」 愛息の“俳優転身”宣言を景子さんは笑顔でうなずきながら見守っていたという。 これまで貴乃花親方と2人で相撲界の改革を目指してきた景子さん。だが2年後の親方の理事再任までは、女将業はちょっと“休業状態”で、子供たちのサポートをしていくつもりのようだ。
2018年02月08日昨年末に発売された『大相撲観戦ガイド』。 今年活躍間違いなしの注目力士や若手有望株のホンネを聞いたインタビューのほか、観戦がさらに楽しくなる国技館トリビアや相撲文化についてもご紹介。 さらに、特別付録として、力士たちの誕生日や本場所スケジュールが一目でわかる相撲カレンダーまで付いています! こちらでは、本誌の中に載りきらなかった、貴源治(たかげんじ)関のインタビューをご紹介します。撮影・村上未知 取材、文・古屋美枝貴乃花部屋の双子の弟、貴源治関です!相撲関係者の間でも、「将来は大関、横綱」と有望視される貴源治関。3月場所での新十両が確定した、 貴公俊(たかよしとし)関と、そっくりの双子力士ということでも注目されています。――中学校を卒業してすぐに入門した、いわゆる「叩き上げ」。入門した経緯を教えてください。貴源治小学生のときから、中学を卒業したら親孝行しようって、兄貴(貴公俊)と決めてたんです。――中学生のときは、2人ともバスケットボールをしていたんですよね。茨城選抜の主力選手として全国3位にもなって、強豪校からのスカウトも複数来たとか。貴源治そうですね。でも、バスケを引退してすぐに貴乃花部屋に体験入門し、そのまま2週間くらい、部屋で寝泊まりしました。初めて稽古したとき、兄弟子に勝ったんです。それを親方にもほめられて、「楽しいな」と思ったんですけど、翌日くらいからしんどくなって……。――でも昨年、念願の関取に。良かったことはなんですか?貴源治ひとつは、初めて、財布に入りきらないくらいのお札を持てたことですね。夢だったんです。銀行口座も、持ったことがなかったんですが、初めてつくりました。――「そっくり過ぎる双子」と言われてますが、見分け方を教えてください!貴源治え、けっこう、違いますよ(笑)? まずわかりやすいのが、兄貴は口の右上にホクロがあることです。あと、兄貴のが目がパッチリしてます。生え際のかたちも違うので、わかりやすいと思うんですけど。――ホクロが見えない角度だと、素人には難しいです(笑)。では、好きな女性のタイプを教えてください。貴源治自分は中身重視なんです。芸能人だと……今はいないですね。――好きな食べ物は何ですか?貴源治魚とか肉とか好きです。肉のなかでも、赤身肉ですね。『いきなりステーキ』で1kgくらい食べることもあります。逆に、霜降りとか、脂質の多い肉は嫌い。ピータンも苦手ですね。――もらって嬉しいプレゼントは?貴源治お小遣いを3万円くらいとか(笑)。または、いつも飲んでいる、『ゴールドスタンダード』や『コンバット』というブランドのプロテインはうれしいですね。やんちゃな印象を持たれがちだけど、「相撲のこととなると、考え過ぎちゃう」という貴源治関。インタビューは巡業の合い間にさせてもらったのですが、どの質問にもひとつひとつ丁寧に答えようとしてくれて、真っ直ぐさと若さをひしひしと感じました。また、巡業中はたびたび、双子の兄の貴公俊さんと2人1組でトレーニングをしていて、その姿はファンにとって眼福でしかないのでした。続きのインタビューはぜひ『大相撲観戦ガイド』でお楽しみください!Information貴源治 賢 たかげんじ さとし栃木県小山市出身。貴乃花部屋。1997年5月13日生まれ。20歳。身長191cm。体重160kg。本名・上山 賢辛口で知られる解説者の元横綱・北の富士勝昭さんも「こんな子がいるならもう一度部屋を持ちたいね!」と言うほどの有望株。 初場所は十両11枚目で、千秋楽に勝ち越し。 三月場所では兄弟二人そろって十両に!『大相撲観戦ガイド』古屋美枝美容エディター。美容・牡蠣愛好家。牡蠣情報サイト「カキガール」編集長。子どもの頃からお相撲好きで、一年中、お相撲を観るため各地へでかける。そのほか、趣味はサーフィン。
2018年01月31日昨年末に発売された『大相撲観戦ガイド』。 今年活躍間違いなしの注目力士や若手有望株のホンネを聞いたインタビューのほか、観戦がさらに楽しくなる国技館トリビアや相撲文化についてもご紹介。 さらに、特別付録として、力士たちの誕生日や本場所スケジュールが一目でわかる相撲カレンダーまで付いています! こちらでは、本誌の中に載りきらなかった、貴景勝(たかけいしょう)関のインタビューをご紹介します。撮影・村上未知 取材、文・古屋美枝焼き肉大好き、貴景勝関です!――貴景勝関は子どもの頃からお相撲をされていたんですよね。本名の佐藤貴信の「貴」の字は、相撲ファンのお父さまが貴乃花親方から一字取ったとか?貴景勝相撲は、小学校5年生のときからずっとやっていました。父は今の貴乃花親方も応援してたんですけど、そもそも初代 貴ノ花関と輪島関のファンだったんです。――関取の中で、仲がいいのはどなたですか?貴景勝大栄翔関ですね。巡業中とかはよくゴハン一緒に行きます。――何を食べに行くんですか?貴景勝焼き肉っす。ほぼ焼き肉(笑)。――焼き肉好きなんですね。嫌いな食べ物はありますか?貴景勝自分、ウリ系のものがダメなんですよ。スイカとかキュウリとか…。――メロンもウリ系ですよね。貴景勝あ、メロンだけ好きっす(笑)!巡業の合間、支度部屋でのインタビュー中、隣りで大栄翔関がウィーン!と音を立てながらひげをそり始めると、笑って「うるっせーな!」と言いながら、ポーンと大栄翔関にシェービングジェルを投げた貴景勝関。そして「(何もつけずにひげをそったら)お肌、傷めちゃうよ♡」と大栄翔関にやさしい言葉をかけると、周りは大爆笑! 取組後のインタビュールームなどで見せる表情とは違って、素顔はムードメーカーの貴景勝関でした。Information貴景勝光信 たかけいしょう みつのぶ兵庫県芦屋市出身。貴乃花部屋。1996年8月8日生まれ。21歳。身長175cm。体重170kg。『大相撲観戦ガイド』古屋美枝美容エディター。美容・牡蠣愛好家。牡蠣情報サイト「カキガール」編集長。子どもの頃からお相撲好きで、一年中、お相撲を観るため各地へでかける。そのほか、趣味はサーフィン。
2018年01月28日写真:アフロ(貴乃花親方) 1月4日に日本相撲協会が臨時評議員会を開き、貴乃花親方(45)の理事解任を決議した。貴乃花親方は役員待遇の委員に2階級降格。全会一致での承認に、貴乃花親方は「わかりました」と答えたという。 その直前の昨年12月29日、貴乃花部屋の女将・花田憲子さん(53)は神奈川県内の病院を訪れていた。この病院は、数年前に開設された総合病院で、病床数は400弱。景子さんの自宅からは車でも1時間ほどかかる。 長女を伴って病院に入る景子さんは、アイボリーのマフラーを首に巻かず両サイドに垂らしていた。まさに、夫・貴乃花親方も愛用しているスタイルだ。 「12月には連日、貴乃花親方の姿がテレビで報じられましたが、注目の1つが親方の“マフィア風”とも呼ばれている独特のファッションスタイルでした。実母・藤田紀子さんも“私が女房だったらあの服装を止めさせる”と珍しく苦言を呈しています」(相撲ライター) 実は本誌はこの数日前には長男でタレントの花田優一(22)の姿も東京都内で目撃しているが、やはり彼もマフラーを両サイドに垂らしていた。“マフラーを首に巻かない”というのは、花田家の掟なのだろうか。景子さんは、病院関係者に出迎えられると、応接室に入っていった。 忙しい年の瀬に、景子さんが自ら車を運転して、この病院を訪れた理由は何だったのだろうか?貴乃花部屋の後援会関係者は言う。 「貴ノ岩(27)の実兄が『弟は東京都内の病院に入院している』と言っていましたが、その所在地はトップシークレットでした。(景子さんが29日に訪れた)病院が貴ノ岩の入院先だったか、もしくはその病院の関係者に、入院先を紹介してもらったのだと思います」
2018年01月05日1月4日に日本相撲協会が臨時評議員会を開き、貴乃花親方(45)の理事解任を決議した。理事解任決議を全会一致で承認し、貴乃花親方は役員待遇の委員に2階級降格。協会の理事が解任されるのは、初めてのことだという。 その直前、冷たい風が吹くなか路上で待ち続ける報道陣に微笑んで見せたのは貴乃花部屋の女将・花田景子さん(53)。1月1日、東京都江東区にある貴乃花部屋では、貴乃花親方(45)や帰省せず部屋に残っていた弟子数人たちによる新年会が行われていた。昼過ぎには、景子さんが長女(17)と次女(15)を連れて部屋に現れた。さらにその後、長男でタレントの花田優一(22)も到着し、花田一家が勢揃いしたのだ。 「家族仲の良さには昔から定評があります。昨年夏には優一さんがテレビ番組で『今でも(妹たちと)口にチューします』と明かし、話題になりました。また12月18日に開催された貴乃花部屋一門の忘年会でも、優一さんが会場で率先していろいろ働いていて感心しました。親方が苦境にありますからね。景子さんがお子さんたちに“いまこそ家族一丸になってお父さんを助けましょう”と言っているのでしょう」(貴乃花部屋の後援会関係者) だが、その“絆の輪”に入れず取り残された者もいるという。昨年秋に結婚を発表したばかりの優一の妻・A子さん(23)だ。実は1日の貴乃花部屋での新年会にも、彼女が姿を現すことはなかった。 「ご実家がご実家ですからね。今の状況で、部屋に行くのは勇気がいるでしょうね」(前出・後援会関係者) A子さんの父は、元幕内力士の陣幕親方(57)。貴乃花部屋とは“敵対関係”にあるといわれている八角部屋に所属している。もともと角界の“ロミオとジュリエット”だった優一とA子さん。貴乃花親方と八角親方が率いる理事会との関係悪化は、夫婦関係にも影を落としているのだろうか。本誌は陣幕親方に今回の騒動について、取材を試みていた。 ――貴乃花親方とは最近、お話しになりましたか? 「相撲協会ではしょっちゅう顔を合わせているよ。今回の件での助言?……助言はしていないよ。親戚になったから、逆にこういう件ではあんまり連絡を取り合ったりしないよね」 ――優一さんとA子さんも、お心を痛めているのではないでしょうか? 「それは、そうですよね。本当は相撲と子供たちのことは関係ないんだけど……。娘とも連絡とりあってないけど、(夫婦で)仲良くしていると思うよ。たぶん……」 現在、花田家でA子さんの置かれている立場や苦悩を不憫に思ったのか、陣幕親方の声がだんだん小さくなっていったのが印象的だった。2月の理事選に向け、台風の目として注目されている貴乃花部屋。その渦中で、“孤立する嫁”A子さんは何を思うのか。
2018年01月05日大相撲の元横綱・日馬富士(33)による傷害事件で、日本相撲協会は12月28日、東京・両国国技館で臨時理事会を開いた。協会理事の貴乃花親方(45)が報告を怠り、危機管理委員会の調査を拒み続けたとして、協会は貴乃花親方の理事解任を最高議決機関の評議員会に提案することを決めた。 報道の過熱に拍車がかかったが、前東京都知事の舛添要一氏(69)は同日、自身のTwitterを更新。貴乃花親方に対する処分についてのニュースが終日報道されている状況に苦言を呈した。 舛添氏は28日17時38分に《今日は一日中、テレビは各局とも貴乃花処分など相撲の話題ばかり。この国は平和なのか、「パンとサーカス」にしか興味がないのか。外も寒いが、心の中に冷気が走る》とツイート。100を超える「いいね!」がついている一方、「見なければいい」「今日に限らず連日報道されてきたぞ」などのリプライが殺到している。 舛添氏のTwitterは15万5千人を超えるフォロワーを抱えている。都知事時代を振り返るツイートや、「豊洲しか念頭にないらしい」と小池都知事を批判するツイートも見受けられ、その都度賛否のリプライが寄せられている。
2017年12月28日(写真:アフロ) 「カメラマンの方も大勢いらしていて、心もざわざわとしていますが、私の髪の毛、乱れていませんか?お顔は出来あがっておりますか?」 貴乃花部屋の女将・花田景子さん(53)のジョークに、会場が笑いに包まれた。12月14日、東京・目黒区で開催されたイベント『人権週間区民のつどい 2017』で、景子さんが講演を行った。テーマは『人と人とのつながり』。家族構成から、相撲部屋での女将さんの仕事、さらに親方と弟子の関係などについて約90分間、実に冗舌に話を展開していった。 「大きな子供たち(※部屋の弟子たち)のことは、何があっても守るという親方の強い信念があります。その親方の思いを知っているからこそ、弟子たちもついてきてくれると信じておりますし、何かあればすぐに私たちに相談してくれる関係性ができています」 暴行を受けた貴ノ岩のことも思わせるが、特定の名前を出すこともなく、事件の詳細についてはいっさい語ろうとしなかった。 実は会場には多数のマスコミ関係者も潜入していたが、景子さんとしてはそれもお見通しだったのだろう。彼女が’16年から開講している『河野景子のことばのアカデミー』のPRもちゃっかり行っていた。 「(河野景子は)アナウンサー時代にお仕事をさせていただいていたときのお名前ですので、皆さまにもわかっていただきやすいかと……」 『ことばのアカデミー』では話し方や会話術などを、校長を務めている彼女自身や講師が教えるという。アカデミーのHPには、こう記載されている。 《「ことば=魔法」なのです。「ことば」を発する時の呼吸法、発声法、滑舌等は思いを伝える大切な術です。それらを日々意識することで、何より自分自身が変わってきます》 「元アナウンサーとしての才能を生かした講演や、スピーチ学校による収入で、少しでも貴乃花部屋を支えていきたいと、景子さんは考えているのでしょう」(相撲関係者) 景子さんのレッスンも確かに魅力的だが、“魔法のような言葉”をまずは何も語れずに苦しんでいる夫・貴乃花親方にも教えてあげたらどうだろうか。
2017年12月21日「角界での景子さんの評判は、正直言って“最悪”です。というのも、他の部屋の女将さんたちが陰口を叩いているんですよ」(相撲ライター) 10月の鳥取巡業中に起きた平幕力士・貴ノ岩(27)への暴行事件。加害者の横綱・日馬富士(33)は11月29日に引退を発表。だが騒動は収束するどころか、日本相撲協会と貴乃花親方(45)のバトルへと発展している。そんななか、女将である花田景子さん(53)にも冒頭のような批判の声が上がってきているという。 「貴乃花部屋では女将が自宅から通う形をとっています。でも他の女将たちは基本的に住み込みなので『景子さんはどんなに忙しくても、帰ったらリラックスできる。“タレント女将”は違うわ』と揶揄されているんです。さらに『部屋にいないと何かあっても対処できない。力士からも信頼が得られていないみたい』との陰口も。騒動以降は『理事長夫人になりたいのかしら』など、いっそう辛辣な声が上がっています」(前出・相撲ライター) 88年にフジテレビに入社し、女子アナブームの火付け役となった景子さん。94年に退社して翌年に貴乃花と結婚し、世間をあっと言わせた。貴乃花が親方になると、女将として部屋を支えるように。ただ夫が目指すのは、改革路線だった。伝統的なタニマチと縁を切り、一般に開かれたサポーター制度を導入。一部の有力者との癒着を望まず、寄付は少額でも部屋を支えてくれる一般の人たちとつながっていきたいという信念からくるものだった。 「しかし部屋を維持するには年間億単位のお金がかかると言われており、大口のスポンサーであるタニマチなしでの運営は決して楽ではありません。そのうえ改革路線を進めた結果、貴乃花親方は角界で孤立していきました。それでも景子さんは『金銭的に苦しくても信念を貫く親方を支えたい』と、自らも奔走するように。これまでの“物言わぬ女将”ではなく、自ら前面に出て資金集めをする女将になっていったのです」(スポーツ紙記者) 貴乃花親方は、昨年12月に忘年会を開催している。その際に話題となったのが親方の女装姿だった。この企画を考えたのも、景子さんだったといわれている。他の部屋から批判が噴出してものの、会費3万円の忘年会には400人が集まったという。 また景子さんは、貴乃花部屋のホームページも製作。貴乃花親方が四股をヒントに考案したエクササイズ「シコアサイズ」も、もともとは彼女の発案。東京では教室を開いており、インストラクターが全国で普及に努めている。さらに景子さんは自身の経験を活かし、全国で講演活動を実施。連日満員となるほどの人気ぶりだ。 「講演のテーマも『相撲に見る、日本人の心』『母として、妻として、女将として』『心をつかむコミュニケーション術』など、かなりバラエティに富んでいます。景子さんは元アナウンサーですから、説得力が違います。彼女に憧れてサポーターになる人も少なくないそうで、彼女が貴乃花部屋の屋台骨を支えています。講演の際は『体の大きい人がいたらご一報を』と呼びかけるなど、“新弟子募集”も忘れないそうですよ」(相撲関係者) 夫を支えるため、景子さんの奮闘は続く――。
2017年12月12日(写真:アフロ) 10月に起きた平幕力士・貴ノ岩(27)への暴行事件。加害者の横綱・日馬富士(33)は11月29日に引退を発表したが、騒動は収束するどころか日本相撲協会と貴乃花親方(45)のバトルへと発展してきた。貴乃花親方は貴ノ岩が暴行されたことを受け、警察に被害届を提出。いっぽう相撲協会には連絡せず、危機管理委員会の調査協力を拒否してきた。 そんななか女将である花田景子さん(53)は全国で講演を行ってきた。11月11日には茨城県を、11月14日には北海道を訪問。夫が沈黙を守るなか粛々と講演を続けてきた。だが、それも限界だった。11月23日に愛媛県で、彼女は「連日の報道は本筋とズレているような気がします」と告白したのだ。また彼女は、ひそかに本音を漏らしていた。騒動後に行われた後援者の集まりでのこと。景子さんは支援者を前に、こんな本音を口にしたのだ。 「一部マスコミが『貴乃花親方はおかしい』と報じていることに、景子さんはひどく腹を立てていました。彼女は『親方は角界のために身を捨てる覚悟で臨んでいます。自分の立場や保身などを考えての行動では絶対にありません』と言っていました。穏やかな口調ながら、強い意思を感じました」(後援会関係者) 彼女はこれまで報じられていない“封印された真実”も明かし始めたという。 「景子さんは『貴乃花親方は警察の捜査にゆだね、いっさい語っていません。それには理由があるんです。日馬富士関の個人的な暴行事件として幕引きが図られようとしていますが、本当はそれだけではない』と明かしたのです。実は白鵬関を中心とするモンゴル力士と貴ノ岩関の間で、もっと根深いやり取りがあったそうです。景子さんは『そもそも日馬富士関は来年での引退を検討していたそうです』と言っていました。だから彼が責任を一身に負うことで、周囲への影響を食い止めようとしたとも……」(前出・後援会関係者) 景子さんから飛び出した衝撃発言。それは事件がまだ終わっていないことを意味していた。 「親方は角界の浄化に繋がればと思って行動している。でも協会に言ったとしても、すべては隠ぺいされてしまうから――それが、“沈黙の真意”だそうです。景子さんの発言は真実が言えない“親方の無念”を代弁しているかのようでした」(前出・後援会関係者) 連日、講演会で全国を飛び回る景子さん。それだけ地元を留守にすることも増えるため、批判にもさらされることになる。だが、近所の住人はこう語っている。 「土俵開きのとき、景子さんがちゃんこ鍋を振る舞ってくれたんです。『300食用意したけど、全然足りなかった。まさかこれだけ来てくれるとは思いませんでした』と笑っていました。普段は地方を回ったりしているので、見ることは多くないかもしれません。でも時間があれば部屋にも来ていますよ。気取った感じもないし、とても気さくな方なんですよ」
2017年12月12日「相撲があっての私なので、相撲界に恩返ししたいという気持ちはありました」 11月29日に引退会見を開いた横綱・日馬富士(33)はそう語った。貴ノ岩(27)への暴行問題の責任を取っての引退。モンゴルから日本に渡って17年、横綱の相撲人生はあまりにも不本意な形で幕を閉じることとなった。 「残念ですね。いや、残念というよりも悔しいです」と語るのは、広島県にある蓮華院金剛寺の座主・木原秀成さん(72)。日馬富士を10年間にわたって支えてきた“恩人”で、横綱も「心の師」と慕ってきた人物だ。 「実は29日の0時半ごろ、日馬富士から『引退します。今日会見します』と電話があったんです。あまりに突然の出来事に、私は腰が抜けるほど驚きました。日本相撲協会による貴ノ岩の事情聴取はまだですし、警察の捜査も途中段階。横綱審議委員会も正式な判断を下していない状況です。私は『まだ早いんじゃないか。もう少し待っていろいろなことがはっきりしてから結論を出してもいいはずだ』と慰留しようとしました。しかし彼の心はもう決まっているようで、何か悟りきったような話し方をしていました」 木原さんが電話を切ってから数時間後、ネットニュースで引退が報じられる。そしてこの日の14時、冒頭の引退会見が開かれたのだ。 翌日の30日には、日本相撲協会の危機管理委員会が中間報告を発表した。そこでは「ビール瓶で殴った」など、当初言われた事実はなかったと明らかに。貴ノ岩が横綱・白鵬(32)の説教を聞かず、スマホで彼女からのメールをチェック。それを日馬富士が注意したところ睨んできたため、手やリモコンで殴打したという。 「たしかに暴力はいけないことです。でも日馬富士は理由もなく殴るような人物ではないし、実際に誤った情報によって必要以上に悪者にされ、騒動が過度に大きくなっていきました。貴ノ岩の師匠・貴乃花親方は警察に被害届を出しましたが、いっぽうで相撲協会に連絡もせず危機管理委員会の調査への強力を拒否し続けてきました。なのに30日の理事会に出席した後、『日馬富士は引退する必要はなかった』と語っていたそうです。もし彼がすぐ協会に詳細を報告し、早くから真実が報じられていれば日馬富士は引退しなくてもすんだかもしれません。そう思うと、やるせない気持ちになるのです」
2017年12月05日引退した元横綱日馬富士(33)の暴行問題を受け、日本相撲協会の理事会では貴乃花巡業部長(45)が同問題に対応することを理由に担当から外れることとなった。また、暴行を受けた貴乃花親方の弟子である平幕貴ノ岩(27)も冬巡業を休場、一部では現役復帰困難とも言われている。 モンゴル力士会、相撲協会、貴乃花部屋という“三つ巴”の戦いの様相を呈している今回の騒動だが、過去に貴乃花親方がブログに綴っていた“弟子への思い”が「これぞ親方のあるべき姿」と絶賛され、話題を呼んでいる。’13年5月12日、貴乃花部屋のホームページ上で「わが弟子たちへ」というタイトルがついた投稿にはこうある。(一部抜粋) 「神様を敵に回しても親方はなにも怖くないさ。ただ、君たちが怪我をするのだけがすごく怖い。神様は居るようでいないものだよ。居るとしたら、君たちの守護神は親方さ。君たちのためなら、例え世界中の神様を敵に回したとしても、なにも臆することはない。もしも神様が君たちの命を奪いにくるのであれば、親方が奪い返す。親方は相撲しか知らない。相撲は詳しい、負け方も勝ち方も心得ている。しかし君たちには勝たせることしか教えない。命懸けで勝たせる。」 師匠として弟子を常に思い続けるこの投稿は、スクリーンショットとともにSNS上で多くのアカウントにシェアされ、「誰よりも相撲と真摯に向き合っている」「熱い親方だ」と絶賛の声を集めている。
2017年12月04日11月12日に初日を迎えた大相撲・九州場所。だが場所中、連日ワイドショーや各スポーツ紙の“主役”となったのは土俵外の“場外乱闘”だった。 10月末に、横綱・日馬富士(33)が同郷モンゴルの後輩である貴ノ岩(27)を暴行した疑惑が浮上。貴ノ岩の師匠である貴乃花親方(45)が警察に被害届を提出したため、刑事事件に発展してしまったのだ。 「被害届が出されなければ、うやむやに内輪で処理されていた話です。この話題が出るまでは座間の9人連続殺人事件がニュースの“主役”でしたが、各メディアは一斉に暴行事件へと舵を切りました」(民放キー局のワイドショースタッフ) その後はモンゴル出身の元力士・旭鷲山(44)や元横綱の朝青龍(37)まで参戦。ついに旭鷲山は来日して、ワイドショーやニュース番組にたびたび出演していた。 「ワイドショーは軒並み視聴率が、各スポーツ紙は軒並み部数がアップ。『まさに“相撲バブル”の到来だ』との声があがっていました。特に、フジテレビお抱えの相撲リポーター・横野レイコさんは各番組に引っ張りダコでした」(スポーツ紙記者) しかし11月29日、日本相撲協会の処分もないうちに日馬富士が会見を行い、引退を表明。貴ノ岩サイドが会見などを行っていないが、騒動はすっかり収束ムードだ。 「騒動が終わってしまえば、バブルも収束してしまいます。新聞の売り上げは下がるでしょうし、『紙面を埋めるのにすら苦労しそうだ』とみな意気消沈しています。ワイドショーも、企画勝負にならざるを得ないでしょう」(前出・スポーツ紙記者) 今度は明るい話題で“相撲バブル”が巻き起こってほしいものだが……。
2017年11月30日(写真:アフロ) 「事情聴取前日の16日、彼から電話がかかってきて開口一番『お騒がせしてしまい申し訳ございません』と謝られました。私が質問しても『今の立場では何も言えないんです。(代わりに)白鵬関が言ってくれてます』と、心苦しそうでした……」 こう明かすのは蓮華院金剛寺座主の木原秀成さん(72)。暴行騒動で角界を大きく揺るがしている横綱・日馬富士(33)の10年来の“恩人”だ。 10月25日夜、鳥取市内の飲食店でモンゴル力士らと酒席を開いた日馬富士。そこで前頭・貴ノ岩(27)を殴打し、頭部にけがをさせたとされている。同月29日には、貴ノ岩の師匠である貴乃花親方(45)が鳥取県警に被害届を提出。だが暴行の状況についてはビール瓶で殴ったという証言があるいっぽう、同席していた横綱・白鵬(32)は「ビール瓶では殴っていない」と説明するなど食い違う点も多い。 17日に行われた任意の事情聴取で日馬富士は大筋の事実を認めているが、07年に彼と出会ってからずっと支えてきた木原さんは驚きを隠せない――。 「これまで60回以上一緒に飲みにいっていますが、彼が酔って暴れたことは一度もありません。事件発覚直前の11月9日にも、博多で一緒に食事をして、夜12時までカラオケで盛り上がりました。そして九州場所2日目の13日朝には『今日から気合入れてとります(=勝ちます)先生』と、前向きなメールが来ていたんですが……」 そこに突然、暴行報道が飛び込んできたのだ。いったい彼に何があったのか――。 「私のよく知る日馬富士は、人を平気で殴るような男ではありません。もちろん暴力は絶対に許されない。でも、そこに至るまでによほどの出来事があったと思えてならないんです。というのも、彼は以前からひと一倍正義感が強い。06年に亡くなった元警察官の父親が『人のためになれ、世のためになれ』と教えてきたそうです。彼はそれをずっと忠実に守っていました」 彼が大切にしてきたのは、正義感だけではない。 「彼はよく『相撲は国技で、神の前で行う神事。いい加減な気持ちでやってはいけない』と言っていました。また、モンゴルでは縦社会の文化が希薄なのですが、『日本の上下関係や後輩が先輩を敬う文化に感銘を受けた』とも。そのため、礼節に欠けたり、相撲への熱意が足りない後輩には厳しく指導してきた部分はあります。でもそれは、日本人以上に“日本の心”を重要視しているからこそでしょう」 今後、木原さんは日馬富士に何を望むのか。 「もし復帰できたら、失った信用を相撲で取り戻してほしいです。処分が謹慎か引退かわかりませんが、どうなっても私はこれまでと同じように支援したいと思っています」
2017年11月22日大相撲の横綱・日馬富士(33)が10月26日の鳥取巡業後に行われた宴会で同じモンゴル出身の幕内力士・貴ノ岩(27)をビール瓶で殴り、頭蓋骨骨折の重傷を負わせていたことが発覚。連日大々的に報じられている。 すでに貴ノ岩の師匠・貴乃花親方(45)が同月末、鳥取県警に被害届を提出。県警が捜査を始めているというのだ。 「九州場所中に発覚したとんでもない不祥事です。このところ相撲人気は急上昇中で、すでに同場所のチケットはほぼ完売していました。このままだと日馬富士の廃業もありそうで、事件がひと段落するまでは大相撲が“冬の時代”だったときのように角界の“悪習”ばかりがクローズアップされることになりそうです」(スポーツ紙記者) この記者が指摘する“冬の時代”とは、11年の春先のこと。同年2月ごろ発覚した八百長事件などを受けて、日本相撲協会は同年3月の大阪場所を戦後初めて中止。さらに相撲協会は「八百長事件の信頼回復がなされるまで、本場所の開催は見送る」とする方針を固め、東京・両国国技館での5月場所を「技量審査場所」として開催していたのだ。 その後は“浄化作用”の効果や日本人横綱・稀勢の里(31)の誕生もあり、大相撲ブームが再燃。情報番組「バイキング」(フジテレビ系)などもこぞって大相撲ブームを特集していたのだが……。 「これまで目立った好角家タレントは漫画家のやくみつるさん(58)、デーモン小暮閣下ぐらいでした。しかしブームを受けて『白鵬公認芸人』のキンボシ西田(30)、幕内力士を尻だけで判別できる女芸人・みよこ(33)、相撲アイドル・山根千佳(21)、相撲とエクササイズを融合する『すもササイズ』ネタでおなじみのあかつ(36)など、新顔が続々と登場していました。彼らは仕事が急増していましたが、しばらくは出番がなくなってしまうのではないかと悲鳴を上げているそうです。ちなみに“冬の時代”に角界へ苦言を呈する企画のオファーを受けたのは、草野仁アナウンサー(73)ぐらいでした」(テレビ局関係者) 横綱の不祥事は、好角家タレントたちから仕事を奪ってしまうのだろうか。
2017年11月16日「実は、結婚したんです。自分の恋愛なんて誰も注目しないだろうと思っていたら、さまざまなところで質問されるので……」 元横綱・貴乃花親方(45)の長男で靴職人の花田優一(22)が10月30日、自身の冠番組『花田優一 First Step』(TBSラジオ)で結婚を発表した。気になるお相手は、1歳年上の一般女性・A子さん(23)。 「彼女は大学時代、ミスコンに選出されたこともある美女。ご両親から厳しく育てられたようで、その礼儀正しさは周囲の友達が驚くほどでした。優一さんとは同じ学校の先輩後輩で、4年前に出会って交際を始めました。今春、A子さんの大学卒業を機に結婚の運びになったそうです」(A子さんの知人) 若い2人の幸せな結婚は、何一つ曇りのないものに見えるのだが――。本人も、「相手は一般人なので」と語るのみ。なぜここまで“箝口令”を敷いていたのか。 「その理由は、結婚相手であるA子さんの父親が元幕内力士の陣幕親方(57)だからではないかと言われています。しかも、陣幕親方は貴乃花親方のライバルである高砂一門の八角部屋に所属しています。昨年3月の理事長選では、貴乃花親方が八角親方(54)に敗れました」(前出・角界関係者) 貴乃花親方にとってA子さんは“宿敵の娘”。つまり2人は、現代の角界によみがえった『ロミオとジュリエット』だったのだ。この“ロミジュリ婚”に、貴乃花親方は猛反対かと思いきや――。 「それはないと思いますよ。そもそも優一くんは相撲界とはまったく違う世界で生きていますから関係ありません。立派な靴職人として独り立ちしている優一くんのことを、親方は一人前の大人として尊重しています。結婚についても、『素敵なお嬢さんと結婚してくれてよかった』と心底喜ばれていると聞いています」(前出・後援会関係者) さらに、貴乃花親方が2人の結婚を認めた背景には“あるトラウマ”も深く関係しているという。 「振り返ってみれば、親方自身が結婚で辛い経験をしていますから。92年、宮沢りえさん(44)との婚約を大々的に発表したものの、記者会見後わずか2カ月で破局。スピード破局の理由はいまだに明らかになっていませんが、双方の母親が原因だったと言われています。りえママは芸能界を引退させたくなくて結婚に反対し、親方の母親である藤田紀子さん(70)は、そんな母親と結婚後も同居したいと主張したりえさんに苦言を呈したという当時の報道もありました」(前出・後援会関係者) 結ばれない恋を経験した貴乃花親方には、我が子に自分の二の舞を踏んでほしくないという思いがあったのだろう。 いっぽうの“ジュリエット側”は――。A子さんの父親である陣幕親方に話を聞こうと、本誌は千葉県にある自宅に向かった。11月上旬の朝10過ぎ、閑静な住宅街に佇む一軒家から自転車にまたがった大柄な男性が出てきた。陣幕親方本人だ。記者が「お嬢さんのご結婚、おめでとうございます!」と声をかけると、自転車を停めて取材に応じてくれた。 ――親方から見て、優一さんはどんな方ですか? 「とっても素直で明るい、良い青年ですよ。彼は、だれにでも気遣いができますし」 嬉しそうに優一をベタ褒めする、陣幕親方。 ――では、違う一門だからといって、結婚に反対されたなんてことはない? 「あはは、全くありませんよ。むしろ、最初から応援していたくらいですから」 ――家族ぐるみのお付き合いもある? 「ええ、結婚式の時はもちろん、もう何度もお会いしていますよ」 実際に会ってみて、親方同士の“確執”がなかったのかどうかも改めて聞いた。 「私たちは、それとこれ(相撲とプライベート)とはまったく別個に考えてますんで。貴乃花親方とは、普通の話をしてますよ。たまに相撲の話になることもあるけどね(笑)」 “角界での遺恨”自体は否定しなかったものの、貴乃花親方とは良い関係が築けているようだ。最後に、男の子の孫ができたら力士を継がせたいか聞いてみると、「それだけは生まれてみなくちゃわかんないね(笑)」そう笑顔で答え、記者に会釈すると去って行った――。 対立していた両家は息子と娘の愛によって劇的に和解する。そして新しい時代が幕を開ける――それが角界版『ロミオとジュリエット』!?
2017年11月08日スキンケア・メイクアップ製品を扱う『エイボン』主催の乳がん検査適齢期である40代女性の受診促進を目的としたイベント「Kiss Goodbye to Breast Cancer #YouAreMy・・・」が、東京ミッドタウン・ガレリアアトリウムにて10月3日(火)に開催されました。イベントには、元横綱・貴乃花の長男で、靴職人として活躍をなさる花田優一さんが、ピンクリボンスペシャルアンバサダーとして登場。乳がん検診について、男性目線の素敵なお話を聞かせてくださったのでレポートします。スペシャルアンバサダーは家族思いの靴職人「花田優一」さんイベントテーマ「大切な人に検診を促していく」乳がん検査を促すイベント「Kiss Goodbye to Breast Cancer #YouAreMy・・・」のスペシャルアンバサダーは、靴職人として活躍をしている花田優一さん。元横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー河野景子さんの長男であり、普段から家族思いの一面を覗かせている花田さんは、「大切な人に検診を促していく」という、本イベントの目的にぴったりのゲストです。「靴も毎日の健康を知るツール。乳がんも、当たり前のように気をつけるものにしたい」と語ります。ちなみに本日の靴は、10代の頃に作ったものなのだとか。「ピンクリボン活動」について知ってる?『エイボン』は15年前から活動を開始花田さんは、「ピンクリボン活動のことは名前だけ知っていて、今回改めて認識するきっかけになった」と話します。「ピンクリボン活動」とは、乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診を推進すること、などを目的として行われる世界規模の啓発キャンペーンのこと。1980年代に、アメリカで始まった活動です。現在では、化粧品・下着メーカーなど女性を応援する企業が多数参加をしていますが、『エイボン』は、日本にこの活動が広まる前の2002年より、「口紅1本でできるボランティア」を開始し、それから15年に渡り、乳がんの早期発見・早期治療の大切さを呼びかけています。日本は乳がんへの意識が低い国?!乳がんで死亡する女性の数は、1980年に約4000人だったのに対し、2016年で約14,000人と年々増加傾向にあります。日本人女性のうち、なんと11人に1人が乳がんを発症する可能性があるのだそう。だけどその一方で、検診を受けている40歳~69歳の女性は、36.9%(2016年)と半数以下。これは、アメリカ・フランス・韓国・イギリス・ドイツ等の国と比較しても、非常に低い数字です。乳がんは正しい知識と早期発見・早期治療で長く生きられる病気15歳のときに、ピンクリボン活動発祥の地であるアメリカに留学経験のある花田さんは、「寮があったアメリカの田舎町でもピンクをまとったイベントをしていた」と当時の様子を教えてくださいました。アメリカ留学後、靴職人として学んだイタリアについては、「アメリカほどイベント色はないが、家族の絆が強いため、家族同士で自然と気をつけている」とのこと。現在は、治療薬や手術の技術もアップしているため、乳がんは、正しい知識を持って早期発見・早期治療をすることで、永く生きられる病気です。そのためにも、検診を促す会話を、家族間で自然にできるところは、我々日本人も見習わないといけませんよね。乳がんリスクが高まる年齢=女性が最も忙しいとき花田「男性側から『検査行っておいで』と声をかけるべき」乳がんの危険性は、30代から増加しはじめ、40代後半~50代前半ピークを迎えます。発祥リスクの高い40代の方は、特に積極的に検査を受けて欲しい世代です。だけど、それくらいの年齢って、ちょうど子育てや仕事が忙しいときですよね。検診は時間もかかるし、病気の治療ではない検診段階では、仕事を休みにくいもの。お母さんも、家事や子育てをお休みして、検診に行くというのは、家族にもなかなか言いだせないのではないでしょうか。本イベントに参加するにあたり花田さんは、お母さんである景子さん(52歳)に検査について尋ねたのだとか。すると、「40代のときに1回受けたきり」との返答があったそう。実際、景子さん以外にも、そのような女性って多いように感じます。忙しいと、つい自分をおろそかにしてしまいがちですが、絶対に検査は受けるべき。そのためには、周りの人の協力も欠かせません。花田さんは、「乳がんの検診に行くというのは、男性である旦那さんや息子に言うのが恥ずかしいと感じる女性もいるはず。だから、男性側から『検査にいっておいで』と声をかけてあげるべき。家族や親しい人に対し、『有難う』と言うのと同じ感覚で、『体調は大丈夫?』、『検査に行っておいで』と声をかけることが必要」と、力強くおっしゃいます。女性は自ら検診を受けることが、そして、男性はそれを促すことが、1人1人を救うと言えるでしょう。“Kiss Photo Space”人から人へ伝えていくイベント会場には、『エイボン』のピンクリボン活動の原点である「口紅1本でできるボランティア(寄付金付きの口紅を発売)」をイメージし、リップをモチーフにした“Kiss Photo Space”を設置。来場者は、キスマークのステッカーを貼り撮影可能。SNSに「#YouAreMy」をつけて投することで、自身の大切な人に検診を促すことを目的としています。ステッカーを貼った人には、メッセージカードをプレゼント。これには、“大切な人にメッセージを送り、乳がん検診を考えるきっかけになれば”、との思いが込められています。花田さんがメッセージカードに込めた思いとは一般来場者に先駆け、花田さんが50代の母・景子さんに向けて書いたメッセージは、「Dear お母さんたくさんの大切な家族のために・・・」です。3人のお子さんとたくさんのお弟子さんを抱える景子さん。「若い人たちの指標になるよう、健康でいて欲しい。50代の母が検査を当たり前にすると、みんなのためになる」との思いで、お母さんへメッセージを書いたそう。キスマーク1号のシールをオン!最後は、“Kiss Photo Space”に、最初のキスマークを花田さんが貼って終了です。「家族や友人など身近な人がいなくなるのはとても大きなこと。このイベントをきっかけに、少しでも周りの人にお声がけをすることで、助かる命がある。ぜひ乳がん検診を受けて下さい」と非常に心に響くコメントを下さいました。「ピンクリボン」は1人1人の意識1人でも多くの女性がん乳がん検診受けること。そして、性別を問わず全ての人が、家族や友人、職場の人など周りの人たちが検診を受しやすい環境を作ることで、変わることがたくさんあります。「ピンクリボン」を通し、自らの行動と意識変化を起こしませんか。
2017年10月05日3月場所を終始盛り上げた横綱・稀勢の里と、その横綱が故障のため不在のなか、巡業先で人気を集めた弟弟子の高安。相撲界は彼ら2人が牽引する「キセタカ時代」に入っている。キセタカの活躍が目立つなか、次世代を担う若手たちもまた着々と力をつけている。そんな新鋭の活躍こそが、相撲界をさらに盛り上げるために不可欠な要素だ。そこで、キセタカ時代を盛り上げる若手たちを、相撲レポーターの横野レイコさんが解説! 【豊山】恵まれた体格、オーラ……スピード出世は止まらない! 豊山は、昨年夏の入門から、7場所で幕内入りと順調に出世。 「入門当時から『すごいのが入ってきた』と噂になり、出稽古に来た白鵬が直々に胸を出したほど。今回、時津風部屋伝統のしこ名である『豊山』を継承しましたが、その名前に負けない素質、身体能力、頭の回転の速さ、と強くなる力士の条件を備えています。どこか色気を感じさせる関取でもありますね」(横野さん・以下同) 【阿武咲】厳しい稽古を離れた素顔は、カラオケ好きなイマドキ青年 阿武咲は稀勢の里に憧れ、高校を中退して角界入り。 「現役当時『白いウルフ』と呼ばれ人気のあった阿武松親方が手塩にかけて育てた秘蔵っ子。突き押しの相撲が幕内でどこまで通用するか楽しみですね。素顔は現代っ子で、カラオケが大好き。親方と一緒のときは演歌を、若手と一緒のときはEXILEを熱唱、と使い分けができる器用な現代っ子です」 【貴公俊・貴源治】双子で切磋琢磨しながら追求する“貴乃花イズム” 貴公俊・貴源治の2人は、15歳のとき、相撲未経験ながら貴乃花部屋に入門した双子力士。 「弟の源治が今場所から十両に。兄の公俊は幕下にいますが、双子で仲がよく、『親孝行をしたい』との一念で切磋琢磨しています。取材では自分の取り口を明快に分析し、明るくよく話してくれます」
2017年05月11日東京都東部に位置する小岩の街中を、大男が運転する自転車が疾走していた。乗っているのは、田子ノ浦部屋に“通勤”する新横綱・稀勢の里(30)だ。電動自転車で裏道を上手に走り抜ける軽快な運転ぶり。すれ違う人も、あまりのスピードに稀勢の里だとまったく気づかない様子だった。 「横綱が部屋に来てから3年、もうずっと自転車通勤ですよ。車より自転車のほうが運動になるし、渋滞を避けた裏道を通れて、早いからでしょう。なにより横綱は、倹約家ですから(笑)。車を持っていたらお金がかかりますからね」(相撲関係者) 19年ぶりに日本出身の横綱になった稀勢の里。1月27日に明治神宮で行われた奉納土俵入りには、貴乃花(現親方)に次ぐ1万8千人と史上2番目の人出を記録した。3月12日からの大阪春場所の前売り券は、発売日の今月5日に15分で即完売と、稀勢の里フィーバーが続いている。 そんな大人気もどこ吹く風で、本人は昇進前と変わらず堅実な日常をキープ。本誌は横綱らしからぬ、その質素な生活ぶりをキャッチした。自転車通勤を目撃したこの日、横綱は稽古を終えた夕方、付き人と一緒に賃貸マンションに帰宅した。買い物もせず手ぶらだったので、夕食はありあわせの食材で付き人の手料理を食べたようだ。この日は自炊だったが、外食のときも庶民派らしい。部屋の近所にある寿司店には、たまに来店するという。 「来ても、かっぱ巻きをパクパク食べてあとは茶碗蒸しを頼むぐらい。上寿司をガンガン食うという感じではないですね」(店の関係者) こうした質素な生活の背景には、亡き師匠の“教え”があった――。相撲評論家の大見信昭さんはこう語る。 「先代師匠の故鳴門親方は、“おしん横綱”と言われた隆の里。糖尿病を乗り越え、苦労して横綱になった人でした。健康を損ねて、自分のような苦労を弟子にさせまいと徹底していました。稀勢の里も、十両に上がった際に『これからは自由にお金を使えるけど、好きなものばかり食べてはいけない。パセリとか千切りキャベツとか、人が残すようなものをしっかり食べなさい。』と言われたとか。バランスのとれた食事をしろという親心でしょう」 恩師の教えを胸に、庶民派の稀勢の里は大阪場所で史上8人目の新横綱優勝に挑む。
2017年02月19日