妊娠・出産でたくさんの苦難を経験したあさのゆきこさんの記事「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」は、「妊娠・出産は奇跡だ」と大きな反響を呼びました。そんな命の尊さに感動したというコメントとともに読者アンケートで多かったのは、あさのさんがつづるリアルな気持ちに対しての「涙が止まらなかった」という声でした。読者はどんな場面に心を動かされたのでしょうか。■次々と起こる妊娠トラブル漫画家のあさのさんは、結婚後しばらくして妊娠。その後、妊娠8週目の検診で心拍が確認できず、繋留流産してしまいます。療養後やはり「子どもがほしい」と思ったあさのさんは妊活を再開し、数ヶ月後に妊娠。妊娠中は切迫早産の危険で入院することにもありましたが、9日後に退院。そして迎えた臨月…、それは起こってしまったのでした。その夜、あさのさんは腹痛に襲われます。いつもよりおなかの張りが強く、迷った末、夜中病院に電話し相談した上で病院へ。医師が来て急にあわただしくなる病室…。そして、緊急の帝王切開をすることに。わけもわからず手術台に上がったあさのさん。処置が始まり、その直後目にしたのは…。しかし、しばらくすると小さな泣き声が聞こえてきます。「生きてる!」ホッとしたのもつかの間、赤ちゃんはNICUのある総合病院に運ばれ、母子離れ離れになるのでした。産後、医師から「常位胎盤早期剥離を起こしていた」と聞いたあさのさん。仮死状態で産まれ、脳に後遺症が残る可能性もあると知ります。自身は約1.5リットルの出血と麻酔が切れたことで激痛に襲われ、頭はもうろうとしていました。赤ちゃんに付き添って総合病院に行っていた実母が「脳波もレントゲンでも異常ないって」と報告してくれますが、それを信じられません。産んだはずだけど、そばにいないから実感が湧かない。さらには産まれたとき赤ちゃんが真っ白だったことのインパクトが強すぎて、「大丈夫だよ」と言われても信じられない。不安な気持ちを抱え、良くないとわかっていながら赤ちゃんの診断名である「重症新生児仮死」「低酸素性虚血性脳症」の後遺症や予後を検索しまくり、落ち込むのでした。さらにあさのさんの病室はナースステーションの目の前で新生児室が近く、赤ちゃんたちの元気な泣き声が聞こえてきます。赤ちゃんの声を聞いたあさのさんは…、「みぞれ(赤ちゃんの名前)は喉に挿管されているので泣くことができません。このとき、みぞれはもう泣けないかもしれないと思っていて、元気な赤ちゃんの声を聞くのがとてもつらかった」「後遺症が残ったらどうしよう… なんでうちの子じゃなきゃいけなかったの…!」赤ちゃんの無事を目の前で確認できないことで、どんどん悲観的な気持ちになってしまうのでした。入院5日後、それは思いがけず決まりました。外出が認められ、赤ちゃんに会いに行けることになったのです。看護師さんも夫も「やっと会えるね!」と笑顔。しかし、あさのさんは怖くてたまらないのでした…。勇気を出して初めて対面した我が子、あさのさんはどんな感情を抱いたのでしょうか?■自分のことのように涙が止まらない! 読者の声あさのさんの心情を表現する言葉は、とても辛く苦しいものです。しかし、それらは読者に、妊娠・出産のときの思いを共有できる「仲間の声」として届き、大きな励ましとなったようです。思わず、あの日に戻った気がしました。涙が出て止まりませんでした。つい自分の体験と重なってしまいコメントしました。 流産を経験してから、他人の妊娠や出産の話題を聞くのが嫌になったり、自分自身が喜んであげられずモヤモヤしていたので、同じように悲しみと戦っている人がいると思えてうれしかったです。長女が2歳のころ第2子を妊娠。でも、妊娠18週で胎児死亡を経験しました。今いる子がいなくなるよりマシ。旦那さんになにかあるよりマシ。いろいろな「マシ」を探して産んであげられなかった子に背を向けました。1週間ほどして火葬。火葬の日はクリスマスでした。長女には本当に申し訳ないけど楽しく過ごすことができない1日になりました。でも、手紙とともにお空へ送ってあげて一区切り…。一段階だけ区切りがついたような気がしました。 私にはまだ長女がいたのが救いだったと思います。(常位胎盤早期剥離を)交通事故と思うようにしたというところが、私と同じで、泣けてきました。 苦しかっただろうと思います。心配させまいとして、赤ちゃんは大丈夫だと言ってる… 同じく新生児仮死、一部早剥を起こしてた私も、新生児科医に対してそう思っていました。低酸素性虚血性脳症の方の記事を見て、自分と重なってしまいます。共感し泣いてしまいました。初めて我が子と対面したときのこと、心境わかります。生きていてほしい、これから人生どうなるんだろう、この子にできることは何か? 私の場合は子どもは亡くなったのでそこで区切りがついていますが、生きている子どもだってたくさんいます。高度な医療が受けられるのは大変素晴らしいことですが、保護者や家族の心労は計り知れません。命ってなんだろう。助かる命、助けなきゃいけない命、人間らしい生き方って何? 人も自然の中では生き物。自然の摂理って? ふと考えることも多くなりました。NICUで赤ちゃんと対面した時の「今日も生きていてくれた」という感情にすごく共感しました。 毎日楽しみに拝見していました。私も訳あって緊急帝王切開となり、こどもと対面する時間もなくそのままNICUに連れていかれて2週間一切会えませんでした。記事と同じように、私が先に退院しました。私も「赤ちゃんのお世話がない分、回復に努めることができてよかった」と当時から思うようにしていましたが、やはり赤ちゃんに会えないことの寂しさはありました。母子ともに何もなく健康だったため今は育児真っ最中です。 泣き止まないときなど嫌になることもありますが、あさのさんの漫画を読むと、赤ちゃんに会いたいと思って泣いていた日々が思い出され、涙が出るとともに(産後まだ涙腺はゆるいままのようです)、一緒に過ごせることのありがたさを実感させられました。妊娠は不安の連続だと思います。その時に旦那さんがどれだけ分かってくれるかどうかが大切だと思いました。あさのさんと同じように大変な体験をされた方から届いた、切実な気持ちや胸が苦しくなるような共感の言葉。命は尊く、出産は奇跡であることを改めて痛感します。予想外のトラブルが次々と起き、そのたびにたくさんの葛藤や決断を迫られてきたあさのさん。苦しい思いをしたその先に待っていたものは…。心を揺さぶられるあさのさんの出産の記録は、ウーマンエキサイトに掲載されています。▼漫画「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」
2022年03月03日妊娠・出産。多くの人が経験してきたことであり、つい当たり前のことに思えてしまうものですが、すべてが順調にすすむとは限りません。あさのゆきこさんの連載「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」は、ひとつの命を授かり無事出産することが、どんなにすごいことなのか気づかされるとともに、「命って尊いものなんだ」と改めて真摯(しんし)な気持ちにさせてくれる連載です。■次々と困難が降りかかる妊娠・出産主人公のあさのさんは30代の漫画家。以前は東京に暮らしていましたが、結婚を機に地元の京都に戻りました。結婚して半年後、あさのさん夫婦は妊活を始めます。そして、初めての妊娠が発覚! 自分のおなかに赤ちゃんがいるんだ! と不思議な気持ちになったり嬉しくなる反面、仕事が大事な局面を迎えていることもあって、不安で急に涙が流れてしまうことも。そんなある日、妊娠8週で検診に行った際に悲しい事実が発覚します。赤ちゃんの心拍が確認できなかったのです。医師から告げられたのは、繋留流産。あさのさんは、仕事のことを考えて妊娠を素直に喜べなかった自分を思い出し、罪悪感と喪失感でいっぱいになるのでした。流産をしたことで、あさのさんの「赤ちゃんがほしい」という気持ちがより強くなります。療養後、妊活を開始。しばらくして、なんと「赤ちゃんが来てくれた」のです! しかし、前回の流産があったことから、「何かあるかもしれない」と喜びすぎないようにするあさのさんでしたが…。エコーで赤ちゃんを見たことで、妊娠を実感したのでした。しかし、今度の妊娠には、つらい出来事がたくさんありました。妊娠7ヶ月の終わり頃、あさのさんに最初の異変が訪れます。おなかの張りが強く切迫早産の危険があり、急遽入院することに。その後9日間の入院でおなかの張りは落ち着き無事退院。「大変な思いをしたんだから、もうトラブルは起こらないよね?」退院時にそう思うあさのさん。しかし…。臨月に入ったばかりのある夜のことでした。腹痛が起こり、おなかはずっと張りっぱなし。「何かおかしい…」と迷った末、夫を起こして病院へ行くと…。常位胎盤早期剥離とは、正常に付着した胎盤が赤ちゃんの出る前に子宮からはがれてしまうこと。そうなると、赤ちゃんは胎盤から酸素をとれなくなってしまいます。お願い! 無事に産まれてきて!果たして、あさのさんの出産は? 赤ちゃんの容体は? 早く無事を知りたくて、祈りながら読み急いでしまうこと必至の展開です。■妊娠・出産は奇跡の連続! 読者のコメントあさのさんの出産記録を読んだ読者からは、「妊娠・出産は奇跡だ」という声が多く届き、また自分の出産のときに起きた出来事や、そのとき抱いた感情を思い出す人もいました。改めて、命の尊さを思い知らされました。そして、みんな当たり前のように妊娠・出産できるとは限らないと気付かされました。私はたまたま元気な子を出産できましたが、私の身に起こっても何ら不思議ではない出来事だなと思いました。我が子を大切に大切に育てたいと思いました。いつも思うのですが、皆さん「普通」に出産できて「普通」の子が産まれてくる事をイメージしすぎじゃないですか? ネガティブになれとは言いませんが、「普通」がいかに幸せなことか考えてほしい。20歳で出産した。保育の専門学校時代60人1クラスだったが、このクラスで障がいのある子の親になる人は、3、4人いると言われた。また、心室中隔欠損は100人中2、3人の確率と言われた。若いからって障がいや病気の子を産まない保証はない。宝くじに当たる確率より高い。自分が健康で生きてこれたのが当たり前ではない事に感謝した。緊急帝王切開のときの泣き声が聞こえない不安…スゴくわかりました。ここまで書いていただきありがとうございます。 怖かった…ひたすら怖かった。でも…覚えててよかったと思っています。妊娠もお産も、自分が思い描いた出産と違うんだなと経験して知りました。計画的に立ち会い出産などできるのは幸せだと思います。妊娠から出産までの時間も大切ですが、出産後こそ一番ママの体をねぎらってほしいです。お産にどんな事が起きても、頑張って生まれてきてくれた我が子は愛しいですし、本当に奇跡だと思います。出産は人それぞれ違って、大変。 とりあえず、無事生まれてよかった。 異常時は産声が本当に嬉しい。 よく、異常に気付けたなと思う。 それだけ、通常と違ったのかな…と。 当時まだネットなどの情報はあまりなく若かった事もあり悪い事がおきるなどと考えもしていませんでした。この記事にある早期剥離の時の本人と赤ちゃんの死亡率を見てあらためて思い出す怖さと無事に出産できたことに感謝しました。出産ってほんとに母子が生きてることがどれだけ幸せなことか改めて気づきました。当たり前に思ってても次もし妊娠したら自分がその立場になるかもしれないという「命懸け」な事なんだって感じました。読者のコメントを読んでいると、誰の妊娠出産にもそれぞれドラマがあるのだと気づかされます。大切な我が子をおなかで育て、命がけで産む。ずっと昔から人類が経験してきたことですが、どんなにテクノロジーが進化しても、妊娠出産に関してはすべてをコントロールすることはできないはずです。だからこそ、胸に響くドラマが生まれるのでしょうね。赤ちゃんとあさのさんのその後は、ウーマンエキサイトに掲載されています!▼漫画「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」
2022年03月01日■前回のあらすじ1年半の月日で娘はすくすくと成長し、ついにフォローアップ卒業判定の日を迎えました。果たして結果は…。■診断の結果は…先生によると、出産による後遺症が今後現れる確率は少ない。何か現れたとしても、後遺症の可能性は低いでしょうとのことでした。そして、現段階では自閉傾向、多動も見られないそうでホッとしました。学習障害(LD)だけはまだ分からないらしく、何かあったら来てくださいとのことでした。でも、ついに卒業です!■娘は今も元気にすくすく育っている!「低酸素性虚血性脳症」「重症新生児仮死」当時はこの2つの病名がついて予後よく過ごしているブログや経験談を見つけるのがとても困難でした。回復する例もあるよ、と。そして、これからもずっと元気でいてほしいと、祈りを込めて描いていました。最後までご覧いただき、ありがとうございました!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年08月17日■前回のあらすじ妊娠中から保育園について考えていましたが、フォローアップ外来の卒業を機にまた改めて考えよう、と決めました。■3ヶ月に1度のフォローアップ外来小児科フォローアップの待合では双子ちゃんによく遭遇しました。NICU時代にも1組いたし、ある程度大きい双子ちゃんもよく見かけました。(極低体重児の場合は7歳くらいまでフォローアップがあるそうです。)低体重児になる確率が普通よりも高いんでしょうね。■運命の1歳半健診…1年半の月日が流れて、私の中で「赤ちゃん」から「みぞれ」に変わりました。入院していたことなど忘れたと書きましたが、それだけ元気に育ってくれたということなんでしょうね。ありがとう、みぞれ。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月16日■前回のあらすじ1ヶ月ほど、里帰りをしました。家族のおかげで娘のお世話に集中することができました。■3人での生活が始まったもともと0歳から保育園に預けることにためらいがありました。その理由は、周りからの影響だったり、妊娠中から保活をしないといけないことだったり、産まれてみたら意外に可愛くて傍にいたかったり…。さらにフルタイム正社員でもないのに、貴重な枠をフリーランスの私なんかが…という負い目もありました。でも、仕事を辞めることは考えられなかったし、子どもが産まれてもバリバリ働きたかった。矛盾してますね…。そんな感じで気持ちがフラフラしていたところに、出生のことがあって、変な言い方ですが背中を押されました。しかしもちろん、自宅で見る真の大変さはこの時点では分かりません。案の定、後でヒーヒー言うことになります…!■フォローアップ外来で発達相談をする足しげく通いましたね~。先生もお子さんがいて、お医者さんで子育てもして…ってものすごく大変そうなのに、いつも笑顔で感じのいい先生だったので、尊敬していました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月15日■前回のあらすじ脳のダメージがまだ気になるものの、無事に退院の日を迎えることができました。■しばらくは実家で過ごすことに退院後、当初の予定通り約1ヶ月の間、赤ちゃんとともに実家に里帰りさせてもらうことにしました。ありがたいの一言です。母は放っておくとどんどんベビーグッズを勧めてくるので、そんなに要らない!と言うのに大変でした。私は私で財布の紐が固いため、母に赤ちゃんのため! と言われ、多少揉めることも…。お金なら出すから! と言われましたが、使わないまま捨てていくベビーグッズほど虚しいものはないですよね…。■里帰り育児でもてんやわんやで…ガルガル期MAXの時期に赤ちゃんが傍にいなかったので、不用意に周りを攻撃せずに済みました。その分心配でしんどくもありましたが…。ピークは過ぎたといっても、産後半年くらいまではピリピリしていたので、結局周りに当たり散らしていたかもしれません、ごめんなさい。ちなみに、夫には今も当たり散らしています…。ごめんなさい!※一部表現上の省略がありますが、ベビーベッドの柵は上げて使用しています。■娘に異変がないか、常に敏感になってしまう医療スタッフの目がないところに行くのが何より怖かったです。異変に気付けないと! という変なプレッシャーがあって、しょっちゅう娘を見て固まっていました。※一部表現上の省略がありますが、ベビーベッドの柵は上げて使用しています。■里帰り育児も無事に終わり…上げ膳据え膳本当にありがとうございました! 最後、いい話風に描いていますが、母のこの話はもう100回くらい聞いています。私も早産だったそうです。計算したら34w5dで産まれていました。でも、今こんなに元気です!!※一部表現上の省略がありますが、ベビーベッドの柵は上げて使用しています。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月14日■前回のあらすじMRIの検査結果が出ました。脳にほんの少しダメージが残りましたが、普通に子育てしていけることがわかりました。■ほんの少しでも脳のダメージが気になる…明るく励ましてくれる夫には感謝だけれど…。夫よ、子どもが小さいうちに倒れるのはシャレにならないし、定年後でも速攻介護なんて困るので、健康管理気をつけてください…!■ついに退院の日を迎え…嬉しさと不安で複雑な思いでいっぱいでしたが…、無事に退院です!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月13日■前回のあらすじ出産方法についていろいろな意見がある中、自分のお産を振り返り「赤ちゃんが無事でよかった」というだけで幸せなことじゃないかと感じました。■MRIの診断結果は…■医師の所見は…?これまで、色々なことがあったけれど、脳のダメージはこれから先のフォローアップの過程で診てもらえるし、成長に応じて脳も変化していくことが分かりました。何より、普通に産まれた子と同じように子育てができることに、とても安心しました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月12日■前回のあらすじMRI検査の予約日まで不安でモヤモヤしていましたが、ある日突然もう検査が終わったと告げられました。■産院での検診で…ティッシュもなかった!!手で拭いた!!!■毎日NICUに通うけど…■振り返って今思うこと帝王切開になったこと、その他お産についての心残りや未練は全くありません。切ってもらえなかったら娘は死んでいたので。自然分娩できなかったから悔しい、陣痛知らないから楽でしょ? と言われた等々…、すべてお母さんが主語なんですよね。帝王切開は、自然に任せたら赤ちゃんが危険だから行うものであって、赤ちゃんを主語にしたらそんな言葉は出てこないと思います。赤ちゃんが無事で良かった!! ただそれだけだと思うのです。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月11日■前回のあらすじお世話にも慣れてきた頃、通うのが辛く休みたいと思うようになりました。■MRI検査を待っている期間のモヤモヤ…MRIを撮らなければいけないと言われてから、12日はかかりました。今思えば、なかなか機械の空きがない=優先度が低い=急を要する容態ではないということだったのでしょうが、当時は不安が大きすぎて分かりませんでした。■MRI検査の日程が決まったのだけれど…あまりにあっけなく終わってしまいました…。よく頑張ったね!みぞれ!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月10日■前回のあらすじ自分がまだ入院していた頃、母乳とミルクについて、かなりの葛藤がありました。■お世話にも慣れてきて…ものすごく心配していたのに、赤ちゃんがいなくて寂しかったのに、ちょっとホッとするとすぐ怠惰な性格が出てくるのでダメですね…。そうです。基本怠惰なのです。でも、怠惰になれるのはある程度娘の容態が安定してくれていたから…。先生に、看護師さんに、娘に、家族に感謝せねばなりません。■NICUに通うお母さんたちそれぞれの事情ちょっとホッとしました。赤ちゃんに対して無条件に「大好きー! 愛してるー! 」となれる時期は限られていました。かわいいのはかわいいんですが…。体がしんどくて休みたかったけど、そんなこと言ったら母親失格と思われそうで、言えませんでした。でも、やはり私が心身ともにゆっくり休めるのは、周りのおかげであり、すごく贅沢だと思います。余談ですが、退院から一年半以上経ったある日のこと、全く関係のない用事でこの病院のNICUの前を通った時、ボロボロと泣いてしまいました。自分でも驚きました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月09日■前回のあらすじ哺乳力が十分でないのと、母乳の出も悪いので授乳時間が憂鬱に…。ミルクでもたくさん飲んでくれるほうが安心します。■母乳かミルクか…? 葛藤の日々時系列は前後しますが、母乳が出なくて悩んだ時のお話です。最終的にミルクにしよう! となる前に色々と葛藤がありました。母乳がだんだんと出なくなってくると、母乳前提の世の中に生きにくさを感じてしまいます。ありがたいことに、母乳で育てなきゃおばさんには遭遇したことはありませんでしたが…。■母乳に関する情報に惑わされる帝王切開数日後~自分の退院までの頃は、日々この連続でかなり葛藤していました。■母乳かミルクかよりも大事なのは…母乳かミルクかについては、賛否両論あると思います。でも、母乳を諦めざるを得なかった人、母乳を選択しなかった人に、母親失格とか、母性がないとか、そんなふうに思ってほしくないです。堂々とミルクを選択したと宣言しても許される世界になってほしいですね。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月08日■前回のあらすじ退院に向けて授乳指導が始まりました。初めての授乳はとても難しくて…。■憂鬱に感じてしまう授乳時間面会時間以外は全部哺乳瓶でミルクを飲んでいるのだから、当然ですよね…。その不利な条件でもゆくゆく直接母乳に切り替えられるように地道にやるべきなのですが、2週間以上搾乳のみだったということもあり、どうにも出が悪く…。基本、胸のマッサージは少なかったです。次女の時は出産からこの病院だったので、その時は思い切りやってもらえました。おそらく、長女の時は私は患者の保護者であり、患者ではないからでしょう。というわけで、長女の時は自己流でした。■母乳にこだわらないという考え最初からミルクくれと言ったらくれたのでしょうか。でも特別な理由もないのに最初からミルクくださいと言って何か思われたくなかったので言えませんでした…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月07日■前回のあらすじ自分の退院後、母乳を届けるため毎日娘のもとへ。娘は管がすべて取れて無事GCUへ移動しました。■退院へ向け、いよいよお世話が始まる授乳があんなに難しいなんて、この時の私は知る由もなかった…。退院までにこれができてもらわないと困るという目標がありまして、GCUに移ってからというもの、そのメニューをこなしていました。私は、自分が退院するまで赤ちゃんのオムツを替えたことがなかった(管だらけだった)ので、オムツを替えてくれと言われたとき、「え? 私が? 」ってなりました。お前の子だろ…!血中酸素濃度を測る機械はまだついており、赤ちゃんが泣くとそれが鳴るため、最初はいちいちビビっていました…。幸い、呼吸は管が取れてからは安定していたので、心配は杞憂に終わりました。■授乳指導を受ける最初の10秒くらいは吸うのですが、すぐに諦めてしまう娘…。1週間ほど鼻チューブから栄養摂取の生活だったのでしょうがないのですが。看護師さんもなんとか咥えさせようとしてくれましたがしかし…。あの…行き場のない感じ…。焦りが募ります。■初めての授乳に苦戦…ヘトヘトにとにかく遅れを取り戻すために、色々やりました。ここでは直母(直接母乳を飲ますこと)が大事なようで、面会に行ったらまず直母! 直母! でした。家でもマッサージや搾乳を欠かさずにと言われました。毎回母乳を吸わせる前と後で体重を量って母乳量を把握していましたが、なぜか授乳のあとに体重が減っていたりすることもあり、徒労感が酷かったです…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。※病院によって対応が異なる場合があり、すべてのケースには当てはまりません。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月06日■前回のあらすじ元気な赤ちゃんたちの泣き声を聞くたびに寂しさが込み上げてきましたが、看護師さんに救われました。そして私は無事退院しました。■NICUへ通う日々絵では省略しましたが、全員マスクをしています。看護師さんとの連絡ノートは、持って帰っても良いとの記述を見逃して、ずっと病院に置いていたので、前半全て看護師さんのターンでした…。■GCUへ移動した娘管が取れてGCUへ移動し、ついにワンステップクリア!これから退院に向けて、様々な試練が課せられます…!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月05日■前回のあらすじ娘の呼吸器が取れました。まだ管はたくさんついているけれど、初めて娘を抱っこすることが出来ました!■娘のそばにいられない寂しさが襲うおそらく、この病院で私が一番重症だったので、ナースステーションの前の部屋にされたのですが、ナースステーションの隣が新生児預かり室だったので、赤ちゃんの泣き声を聞くのは相変わらず複雑な思いでした。■看護師さんの言葉に救われるおそらくこの時が一番どん底でした。余談ですが、この病院には赤ちゃんとお母さん両方を診る2週間検診というものがあり、みんな赤ちゃんを連れてきているのに、自分だけひとりだったので、その時もとても辛かったです。■そして退院の日…とても良い産院でした。看護も手厚く、たくさん寄り添ってもらいました。体重のお米は、特定を避けるためのフェイクです。似たようなお祝いの品をいただきました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月04日■前回のあらすじひとりで病室にいると、ネガティブなことばかり頭に浮かび、がんばる気力もなくなってしまいました。■改めて思い知らされる現実…仕事仕事と言っている割に、子どもを保育園に預けていない理由がこの辺にあります。普通に健康に産まれていたら、0歳児入園なども視野に入れていたのですが、この状態では私が無理でした。■娘にある変化が…!抱っこできて本当に嬉しかったです。呼吸器が取れてかなり安心したのを覚えています。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月03日■前回のあらすじ娘の主治医から容態について詳しく話を聞くことに。先生の誠実さに少し安堵できたのでした。■一人になると、また落ち込む日々…常位胎盤早期剥離で検索して、改めて赤ちゃんと自分が危ない状況だったのだと知りました。助かる確率は50~70%。でも、後遺症が残る確率については明確に見つけられませんでした。あくまでも確率の話であり、それが私たちのケースに当てはまるかは別問題なのに…。それでも藁をもつかむ思いで希望にすがりたかったのです。誰かに「あなたもあなたの赤ちゃんも助かったのだ」と言ってほしくてたまらなかったのです。■搾乳も頑張る気力がなくなってくる赤ちゃんの人工呼吸器がなかなか外れないこともあり、ネガティブになる毎日…。産後のホルモンバランスもあって、毎日泣いていました…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月02日■前回のあらすじ複雑な気持ちのまま赤ちゃんに会いに行ったけれど、いざ目の当りにしたら嬉しくて涙が止まりませんでした。■赤ちゃんへの接し方に戸惑いを感じていたけれど…ほとんどのお母さんが経験される気持ちかと思うのですが、「こいつ、本当に私のお腹の中にいたのか…」という不思議な気持ちと、どうやって接したらいいか分からない…という何とも座りの悪い気持ちが混ぜこぜでした。副耳がついていたの可愛かったなぁ。ひとつは自然に取れて、もうひとつは骨が通っていなかったので、根元で縛って取ってもらいました。■主治医の先生から話を聞く先生とお話ししました。右も左も分からず、夫や母から伝え聞くのみだったので、お話できて本当に良かった。実際はもっと質問しています。■初面会終了、誠実な先生に感謝とても安心感のある先生でした。NICU内は機内モードであれば、スマホの持ち込みは可能でした。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月01日■前回のあらすじ僅かな母乳を毎回娘に届けてくれる母に、大変な思いをさせてしまって申し訳なく思ってしまいます。■赤ちゃんに会いに行けることになったけれど…急に会いに行けることになって、戸惑いが大きかったです。しかし、助産師さんたちの反応を見るところ、私はそんなに病んでいたのかなぁと思いました。実際、病んでいたわけですが…。■複雑な気持ちのままNICUへNICUのバリケードは厚かったです。扉があって手洗い、消毒、そして絵では描いていませんが、両親もマスク装着が義務でした。備え付けの使い捨てマスクが置いてあり、この日から面会に来る日はその都度つけていました。現在、コロナウイルスの影響によりNICUは両親の面会すら制限があるそうで、胸が苦しいです。コロナウイルス感染対策は病院によって対応が異なります。すべてのケースには当てはまりません。■本当はずっと会いたかったんだ…!夫はNICUにだいぶ慣れていました。会社帰りに毎日寄ってくれていたからです。このときばかりはとても頼もしく見えました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月31日■前回のあらすじ母乳指導が始まりました。初乳はとても微量でしたが、助産師さんたちはとても褒めてくれて…。■喜んで世話を続ける母母は孫が生まれてくるのを本当に本当に楽しみにしていました。独身の頃も早く結婚して子どもを産め産め言うタイプだったので、若干鬱陶しくもあったのですが、いざ産んだらそれはそれは手厚く世話をしてくれました。こんなことになって母が落ち込んだりしないか心配だったのですが、むしろ私が動けないことをいいことに、嬉々として必要なものの買い出しに行ってくれました。■母乳に関してネガティブな気持ちはない母乳に対してこだわりはありません。娘の現状を考えるとそれどころではなかったので、母乳のことまで考える余裕はありませんでした。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月30日■前回のあらすじ健康な赤ちゃんの泣き声を聞くと辛くなるので部屋に引きこもり、子育て関係のSNSをすべてシャットアウトしました。■初めての母乳マッサージ入院2日目から母乳指導が始まりました。赤ちゃんを産んだら母乳が噴き出た! とか、そういう話を耳にしていたのですが、私は全くそんなことありませんでした。胸の張りは生理中くらい。失血のせいなのかよく分かりませんが、それでも微量ながら母乳が出た時は驚きました。人体の神秘…。胎動を感じ始めた時も神秘を感じましたが、つくづく出産ってすごいです。■初乳の量は…普通はどれくらい出るものなのでしょうか…?※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月29日■前回のあらすじ入院中、子宮の戻りを確認するための処置や歩行訓練をし、母体の回復に努めます。■元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえると…ここの病院は基本的に無事に産まれたら母子同室で、お風呂の時や夜間のみ新生児室に預けるという形式でした。出歩く余裕ができて周りが見えるようになると、その新生児室が自分の部屋の前にあることに気づき…。みぞれは喉に挿管されているので泣けません。私はこの時、みぞれはもう泣けないかもしれないと思っていて、元気な赤ちゃんの声を聞くのがとても辛かったです。■黒い感情が沸き上がる夫婦で幸せそうに新生児を抱いたり、カンガルーケアをしたり、普通のコットですやすや眠っていたり…。そういったものを目にすると胸がズキッと傷んで泣きそうになるので、精神衛生上良くないと思い、見るのを一切やめました。■自分を責めないように…私のせいで…という感情より、後遺症が残ったらどうしよう! とばかり思っていました。産んですぐに離されたからいまいち母性というか、どこかピンと来ていなかったのかもしれません。今も私のせいだとは思いません。仕方ない! 事故だし!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月28日■前回のあらすじとにかく娘のことが心配な私は検索魔と化します。そのせいで不安と恐怖でいっぱいになった私を先生たちが励ましてくれました。■母体の回復具合は…傷も相まってとても痛かったです…。しかも、1日に何回もこの確認兼マッサージがあり、かなり苦痛でしたが、日に日に痛みは減っていきました。そして…描いていませんが、血栓予防のポンプも外れています。1日目は「もうこれ死ぬかも」「回復することはあるのか」と絶望的な気分でしたが、3日も経つと痛みも気分もだいぶ良くなってきました。人間の体ってすごいなぁ…。少し元気になったタイミングで看護師さんや助産師さんからは「できるだけ歩け」と促されましたが、「できる限り歩け! できなくても歩け!」と言わんばかりの勢いでした。(被害妄想かもしれませんが…)それほど、血栓や癒着は怖いんでしょうね…。そして、昼食後に再トライしてようやく…。■血圧が下がらない…今まで血圧は妊娠中でも100/60くらいをずっとマークしていたのに、手術の夜、一気に160/120程度まで上がったようでした。こういうケースは妊婦高血圧と言うのでしょうか?急に血圧が上がったことにより、胎盤早期剥離が起こったのかもしれないと言われました。退院する頃には普通の血圧に戻っていたのですが…。余談ですが、血圧が高いのにすごい貧血でした。二つは同時に成立しないイメージだったので、看護師さんに聞いて驚きました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月27日■前回のあらすじ先にNICUで赤ちゃんの様子を見てきた夫に話を聞きました。低酸素性虚血性脳症で脳にダメージを負ったかもしれないようで…。■大丈夫と言われても信用できない私は…「検索魔になる」一番ダメなパターンです…。これでだいぶ精神を削られました…。それでも、娘の置かれている状況がどうしても知りたかったのです。■不安に押し潰されそうな私を救ってくれたのは…救われる瞬間はまだまだありました。先生と助産師さん、看護師さんには本当に良くしてもらって、感謝しかありません。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月26日■前回のあらすじ赤ちゃんに付き添っていた母から赤ちゃんの容態を聞きましたが、失血で意識が朦朧としていたので頭に入ってきませんでした。■赤ちゃんの容態を見てきた夫写真の赤ちゃんは挿管されていました…。なぜ…?■赤ちゃんに下された診断とは…こんなことになるまで、全く知らなかったことばかりでした。なぜ挿管されてしまったのか理由が分からず、脳に後遺症があるから息ができないのでは…?とずっと考えていました。体重は、2500gよりあと数グラム程度足りませんでした。惜しい!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月25日■前回のあらすじ仮死状態から脱した赤ちゃんとついにご対面。しかし、すぐにNICUのある病院へ運ばれていきました。■常位胎盤早期剥離が起こる確率常位胎盤早期剥離の原因は分からないものが多いそうで、交通事故に遭ったようなものだと言われました。私もその時は「起こってしまったことなのだから、明らかに落ち度があったならまだしも、原因を無理に求めないようにしよう」と、自分に言い聞かせていました。原因をいくら追い求めても、自分を責めるだけですから…。■麻酔が切れ、子宮に激痛が…!本当に痛かったです…。卵巣がちぎれるまではいかずとも、卵管が捻転しているかもしれないと本気で思っていました。緊急帝王切開だったので、腰椎麻酔のみ。なので、麻酔が切れたときに激痛が襲ってきたらしいです。予定帝王切開の場合、もうひとつ、硬膜外麻酔も行うので、そうすると麻酔が切れてもそんなに痛くないそうです。傍に家族が居てくれて本当にありがたかったです。■母に赤ちゃんの容態を聞くと…母の言っていることを理解したいと思うのに、理解できなくて、何度も何度も同じことを聞きました。それなのに、見た映像だけはやけに頭に残っていました。病院に来てからみんな優しくて、それは私が可哀想な産婦だからだと朦朧とした頭で思っていました…。さすがに仕事のことは考えられなかったです。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月24日■前回のあらすじ帝王切開で出産。しかし取り上げられた赤ちゃんは声も上げず、真っ白で…。事態の深刻さを悟りました。■しばらくして聞こえてきた産声微かな産声が聞こえてきて泣きそうになりました。そしてついに感動の初対面…!赤ちゃんの体の色は、すっかり戻っていました。■赤ちゃんはNICUのある病院へ先生が何度も「ソウハク」と言っていたので、両親学級やインターネットで見た常位胎盤早期剥離というのが起こっていたのだと分かりました。赤ちゃんに酸素がいかなくなり、仮死状態だったのです。でも、赤ちゃんは産声を上げて仮死から脱出したはずなのに、自分でうまく呼吸が出来ないらしく、なんで? なんで? と、そればかり思っていました。 でもそのうち、私の頭に酸素がいかなくなり、体は寒くて考えることも出来なくなりました。ここからの3週間~1ヶ月が1番辛かったです…。参考: 常位早期胎盤剥離/MSDマニュアル 家庭版 ※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月23日今回の内容には、辛い描写があります。不安を感じる方は閲覧をお控えください。■前回のあらすじ病院へ行くと、常位胎盤早期剥離で緊急帝王切開をすることになりました。■そして手術台へ…「こんな時でも手術台に自分で上がれるんだ…」なんて頭の片隅で思っていました。あと、先生に「ライトに血が映らないようにしてください」と伝えたような気がします。そんな悠長なこと言ってる場合か…と思われたことでしょう。■赤ちゃんが取り上げられたが…先生に「ライトに血が映らないようにしてください」なんて悠長なことを言っていましたが、ここで初めて、事態の深刻さを悟りました。正直、この時のことは未だに思い出すのが辛く、怖いです。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月22日■前回のあらすじ異常なお腹の張りを感じましたが、外は台風だし、大事な仕事を控えた夫を夜中に起こすかどうか迷いました。■先生の指示を仰ぎ、すぐに病院へ!慌ただしくしている先生や助産師さんたち…。胸騒ぎがしました…。■今、何が起こっている?今思えば、先生も助産師さんも冷静で、私を極力不安にさせまいとしてくれていました。何度も「深呼吸して」と言われたような気がしますが、はっきり覚えていません…。あまりに突然のことで、私もワケが分からず、ずっと頭の上にはてなマークがついている状態でした。参考: 常位早期胎盤剥離/MSDマニュアル 家庭版 ※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月21日