2018年に大腸がんが判明したしあすささんの、大腸がんだと診断されるまでのマンガを紹介します。大腸がんだと診断される3〜4年前から数々の体調不良に悩まされていたしあすささん。「まだ大丈夫!」と思いながら生活するも、動くことすらつらい状態になりようやく病院へ行くことに。胃の不調や血便の症状があったので、胃腸クリニックを受診してみると……?★前の話しあすささんは2018年12月に大腸がんが判明しました。同年の夏前には座るとおしりが痛くて横になることが増えていました。夏ごろにはだるさがひどく、動くのもやっとという状態に……。ついに病院へ行く決心をしたしあすささんは、近所の胃腸クリニックを受診しました。そこで言われたのは「イボ痔が3つある」ということ。薬を処方してもらうことになりました。胃腸クリニックには人がたくさん来ていて、そこそこ混んでいる状況でした。触診や内視鏡検査をされるのかとドキドキしながら順番を待ちました。触診は痛かったし、何よりも恥ずかしかったことを覚えています。医師によると、イボ痔が3つもあるとのこと。悪いものではないようでしたが3つもイボ痔があるのかと思うと……ちょっと嫌だなぁという気持ちになってしまいました。下痢や血便が出ることもあったのでそれについて聞いてみると、イボ痔のせいだと言われました。他にも聞いてみたいことは山ほどあったのですが、病院が混んでいたこともあり聞けずじまいに……。結局、「イボ痔だけ? 本当にそうならいいけど……」と不安な気持ちのまま病院を後にしました。座薬を処方されたのですが、下痢の頻度が高かったので入れてもすぐに出てしまい、効果を感じることはありませんでした。3年前の特定健診はほぼA判定だったのに、年々体調は悪くなるばかりだったので再度特定健診を受けることにしました。実はそのころ、口の中がカラカラになる程乾いてしまうことがあり、苦しささえ感じることもありました。今思えば、下痢便ばかり出していて、水分不足になっていたのかもしれません。ー--------------意を決して受診した胃腸クリニックでイボ痔だと診断されたしあすささん。これまでの下痢やおしりからの出血もイボ痔によるものだと言われたそうです。しあすささんは診断結果に疑問を抱きながらも、質問できずに帰ったのだとか。処方された座薬も下痢のせいで効かず、体調が良くなることはありませんでした。医師に質問したくても、なかなか質問できず、モヤモヤしてしまうことってありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。著者/しあすさ2018年に大腸がんが判明し、2019年に手術を受けました。魂のツッコミをしてくれる「くもちゃん」とともに闘病するマンガを描いています。
2023年02月16日2018年に大腸がんが判明したしあすささんの、大腸がんだと診断されるまでのマンガを紹介します。大腸がんだと診断される2年ほど前からしあすささんは血便や軟便、下痢という症状に悩まされていたそう。薬を飲んでも改善ぜず症状が悪くなっていく中、しあすささんの気持ちは……。★前の話しあすささんは胃の不調や膀胱炎に悩み、2015年に特定健診を受けたものの異常は見つかりませんでした。その翌年には血便や軟便、下痢が頻発し、外出先でもトイレのことが気になって仕方がない状態になってしまいました。その後もしあすささんの調子は悪くなるばかり。座ることすらつらい状態になってしまっており、しあすささんの気持ちは大きく揺れ動いてしまうようになりました。大腸がんだと診断される前年、便器が真っ赤になるほどの出血がありました。痔かもしれないと思い、病院へは行かずにいました。そのうち排便のたびに便に血が混ざるようになり、細めの軟便や下痢が出るようになりました。ひどいときには1日に7〜8回も排便するようになり、おしりにヒリヒリとした痛みを感じるように……。外出先でもどこにトイレがあるか気になるようになってしまい、具合はかなり悪い状態でした。がんだと診断された年には、座ることすらつらい状態になってしまっていました。ただそれでも普通に生活はできていたので、私は自分ががんであるだなんて思ってもいませんでした。普通の生活はできるものの体調が悪いと感じることは多かったので、不安になり「もうダメかもしれない……」とマイナス方向に考えてしまうこともありました。その半面、「まだ大丈夫!」と元気になるときもあったりと、精神的にも不安定になっていました。がんが判明する数カ月前、私は動くことができない日が増えたのでようやく胃腸を診てもらうために病院へ行くことを決心しました。ー--------------体調が悪く、精神的にもつらい思いをしたしあすささん。普段通りに暮らすことはできていても体調が良くないことで不安になって落ち込んでしまったりすることもあったそうです。しかし、自分はまだ大丈夫と思う気持ちもあったようで、精神的に不安定な状態が続いたのだとか。病気は体だけではなく心にも影響してしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。著者/しあすさ2018年に大腸がんが判明し、2019年に手術を受けました。魂のツッコミをしてくれる「くもちゃん」とともに闘病するマンガを描いています。
2023年02月14日2018年に大腸がんが判明したしあすささんの、大腸がんだと診断されるまでのマンガを紹介します。大腸がんと診断される3年前に特定健診を受け、その結果はほぼA判定だったしあすささん。しかしその翌年、便器が真っ赤になるくらい鮮血が出てしまい……。★前の話しあすささんは2015年に特定健診を受け、特に悪いところは見つかりませんでした。しかし、胃の不調や膀胱炎が良くなることはなく、便器の中が真っ赤になるほどの出血を起こしたりしてしまうことがありました。出血の原因は痔かと思い、ストレッチなどを始めたしあすささん。ですが体調は良くなるどころか悪くなる一方でした。がんが見つかる3年前くらいのころ、私は胃の調子が悪く常に胃薬を飲む生活をしていました。あまりにも体調が良くならなかったので、生活習慣病の早期発見になるという特定健診を受けてみることにしました。血液検査や心電図検査をおこなった結果はA判定ばかりで、病気は見つかりませんでした。しかし、便に付く血の量は増え、胃の不調は治らず、膀胱炎も繰り返してばかり……。ある日、ドバッと鮮血が出てしまい私は自分が痔なのかもしれないと思うようになりました。ただ、病院嫌いの私はすぐに病院へ行くことをせず、ストレッチなどをして体を鍛えていました。というのも、座ってばかりの生活が痔の原因になっていたので、運動しなくてはいけないと思っていたのです。体調は日に日に悪くなり、ほぼ毎回血便が出るようになりました。さらに細めの軟便や下痢便が1日4〜5回出てしまうようになり……整腸効果があるというゲンノショウコという漢方を薬局で買って飲み始めました。漢方を飲んでいるにもかかわらず下痢便の回数は増え、1日に7〜8回排便していました。なので外出先でもトイレのことが気になって仕方がありませんでした。この時点でかなり悪い状態だったけれど病院へ行かなかったのは、「自分はまだ大丈夫」だと信じていたかったからなのかもしれません。ー--------------便に付着する血の量が増え、軟便や下痢便など腸の調子も悪くなっていたしあすささん。外出先でもトイレのことが気になってしまい、そわそわしてしまっていたのだとか。しかし、しあすささんは「自分はまだ大丈夫」だと思い、病院へは行かなかったそう。大きな病気だったらどうしようと不安になると病院から足が遠のいてしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。★関連記事:「たしかに…」歯列矯正に悩み、友人から突き付けられた事実とは #アラフォー双子の矯正日記 10★関連記事:「盗まれとるし!」健康診断でまさかの事態が! 一体何が…? #アラフィフ主婦ちゃんねる 58★関連記事:「あっ!」便に血が…早く治ればいいと思っていたのに #大腸がんと診断されるまで 1著者/しあすさ2018年に大腸がんが判明し、2019年に手術を受けました。魂のツッコミをしてくれる「くもちゃん」とともに闘病するマンガを描いています。
2023年02月12日2018年に大腸がんが判明したしあすささんの、大腸がんだと診断されるまでのマンガを紹介します。大腸がんだと診断される3〜4年前からたびたび便に血が付いていたしあすささん。それに加えて胃の調子が悪かったこともあり、特定健診を受けることにして……。★前の話血便や胃の不調、膀胱炎という症状が体に現れ、体調が良くない日々を過ごしていたしあすささん。あまりにも膀胱炎がつらいので泌尿器科を受診したところ、漢方を処方されました。大腸がんであると診断される3年前である2015年、しあすささんは特定健診を受けてみることにしました。特定健診を受けてみると、驚きの結果が出ました。がんが見つかったのは2018年の12月でした。その3年前、私は胃の不調を感じていました。元々お酒が好きで、そのころはしょっちゅう飲酒をしていました。そのせいで胃薬が手放せない生活を送っており……。外出先でも胃の気持ち悪さに悩まされることが多々ありました。それと同時に膀胱炎にもなってしまい、頻尿や排尿痛にも悩む日々……。膀胱炎についてはあまりにも耐え難い状態になってしまったので泌尿器科を受診し、漢方を処方してもらいました。胃の不調についてどうしようかと悩んでいると、ちょうど特定健診の案内を見つけたので私は特定健診を受けることにしました。特定健診とは、40〜74歳の保険加入者を対象としたメタボリックシンドロームに着目した健診なのだそう。他にも生活習慣病の早期発見にもなるとのことでした。健診をおこなってから1カ月後、郵送で健診の結果が届きました。結果はほとんどがA判定! 特に悪いところは見当たらず、私は健康なんだと安心しました。ただ、この特定健診ではがんについての検査はおこないませんでした。翌年、便に血が付いているのではなく混じっているようになり、私は少しずつ不安になっていきました。健診でA判定だった割には相変わらず胃の調子は悪く、膀胱炎も良くなることはありませんでした。そして、ある日突然ドバッと鮮血が出て、便器の中が真っ赤になったのです! そのとき、私の頭によぎったのは痔の一文字でした。ー--------------体調が悪いのに健診ではA判定だったというしあすささん。健康だという結果が出た半面、体調不良の原因はわからずじまいでした。さらに健診を受けた翌年、便器の中が真っ赤になるほどの出血があったのだそう。その上、病院へ行ったのにもかかわらず膀胱炎は良くならないままでした。健診の結果が良いのに体調が悪いのは少し変な感じがしますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。著者/しあすさ2018年に大腸がんが判明し、2019年に手術を受けました。魂のツッコミをしてくれる「くもちゃん」とともに闘病するマンガを描いています。
2023年02月10日2018年に大腸がんが判明したしあすささんの、大腸がんだと診断されるまでのマンガを紹介します。大腸がんを患ったしあすささんは病気が判明するまでのことを思い出しました。便に血が付いていることはあったものの、それよりも調子が悪いところがあり……。★前の話しあすささんが大腸がんだと診断される3〜4年前から便に血が付いていることがあったのだそう。しかし、持病のイボ痔が原因だと思い、すぐに病院へ行くことはしませんでした。大腸がんが判明する3年くらい前は腸よりも胃のほうが悪く、胃薬が手放せない生活になっていたそうです。その上、膀胱炎が悪化し、漢方を飲むようにもなりました。私は2018年12月に直腸S状部から上部直腸にがんが見つかりました。病気が判明する3〜4年前くらいから便に血が付いていることが時々ありました。しかし、病院嫌いで自分が大きな病気にかかっていると考えたくなかった私はすぐ病院を受診することはせず……。それに、3年くらい前は腸よりも胃のほうが調子が悪い状態でした。というのも、そのころの私はお酒をよく飲んでおり、胃薬が手放せない生活を送っていました。外出中に胃が気持ち悪くなったら、胃酸を抑えるために牛乳を買って無理矢理飲むということもしていました。胃が悪くなるとともに膀胱炎にもなってしまい……頻尿と排尿痛に悩まされました。初めは市販の猪苓湯(ちょれいとう)という排尿トラブルに悩む人向けの漢方を飲んでいました。しかし、改善されることはなく、しょっちゅう膀胱炎になっては頻尿と排尿痛でつらい思いをしました。そこで、私は女医のいる泌尿器科を探し、そこで診察してもらい改めて漢方を処方してもらいました。ただ、大腸がんになってストーマ(人工肛門)の手術を受けてからはあまり膀胱炎にならなくなりました。もしかしたらがんが影響していたのかもしれない、と今になって思います。ー--------------血便の他にも胃の不調や膀胱炎に悩んでいたしあすささん。胃薬が手放せず、外出中に胃が気持ち悪くなれば牛乳を飲んでやり過ごしていたのだとか。それ以外にも膀胱炎になり頻尿や排尿痛に悩まされるようになってしまいました。こんなふうにたくさんの症状が出ているとどう対応するのが正解かわからなくなってしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。著者/しあすさ2018年に大腸がんが判明し、2019年に手術を受けました。魂のツッコミをしてくれる「くもちゃん」とともに闘病するマンガを描いています。
2023年02月09日2018年に大腸がんが判明したしあすささんの、大腸がんだと診断されるまでのマンガを紹介します。2018年12月に直腸S状部から上部直腸にがんがあることが判明したしあすささん。診断を受けるまでのこと思い出して……。★関連記事:「もしかして新型コロナ?」体調不良とおなかの違和感がずっと続いて… #大腸がんらしい 1しあすささんが大腸がんであることが判明したのは2018年の12月でした。しかし、その3〜4年前からたびたび体調が悪いと感じることがあったのだとか。体調が悪くても病院へ行かなかったというしあすささんの中にあった思いとは一体。正直、私はがんだと告知されたとき「遠慮や配慮や思いやりなしにどんどん告知してくるんだ」と思いました。空が青くて自分ががんになったという事実を受け入れられず……でも思い返してみれば随分前から少しずつ具合が悪くなっていたことはたしかでした。ただ、私はイボ痔を患っていたということもあり、調子が悪いことの原因は痔にあるのだと思っていました。それに加え、「自分が何か大きな病気を患っている」ということを考えることを拒否していたのかもしれません。がんだと診断される3〜4年前、私は初めて自分の便に血が付いていることに気付きました。「血だ……」と思いながらも体調は普通、食欲もあり何も異変はなかったので特に気に留めることもしていませんでした。しかし、時々便に血が付いていて何でだろう? と少し不安に思うこともありました。それでもそのことはなるべく忘れるようにして、大したことないと思うようにしていました。ー--------------便に血が付いていても「なんともない」と思い、すぐに病院へ行かなかったというしあすささん。自分は平気だと思っていた以外にも、「自分が何か大きな病気を患っている」ということを考えたくない気持ちもあったのだとか。何か病気かも……と思っても診断されるのが怖くて病院へ行くことをためらってしまうことってありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。著者/しあすさ2018年に大腸がんが判明し、2019年に手術を受けました。魂のツッコミをしてくれる「くもちゃん」とともに闘病するマンガを描いています。
2023年02月07日国民病の1つとして、多くの人が苦しんでいる、がん。医療や薬の開発が進んだことで、完治をする人も少なくありません。一方で手術や抗がん剤治療を経ても、転移や再発することがある恐ろしい病気なのです。古村比呂、がんの『再々再発』が発覚2012年、俳優の古村比呂さんは、子宮頸がんを患っていることが分かりました。手術を経るも、2017年に再発、2018年に再々発が確認されていたのです。2023年1月21日、ブログを更新した古村さんは、腹部傍大動脈リンパ節にがんが見つかったことを明かしました。今回の発覚により、がんは再々再発したことになります。採血検査の結果を受けて、詳しく検査したところ、再々再発が発覚。古村さんは、再々再発が分かった時の心境を、このようにつづっています。今年はがん再々発の治療を終えて、5年目です五年経って又がんが出てくるのはかなり珍しいとのこと「エッ何でまた5年なの⁈」とショックや色々な出来事も重なり暫くは気持ちが整いませんでしたが主治医より「治療法がまだあります私は全く諦めていません」と言葉をかけて下さり時が過ぎ今は「私も諦めず治療をして行こう」と空を見上げています古村比呂オフィシャルブログーより引用前回の治療終了から5年が経過した段階での発覚は珍しいと、医師から告げられたという古村さん。しかし医師からの言葉をもらい、古村さんは「あきらめずに治療に取り組む」と強い意志でつづりました。古村さんの公表に、多くのファンから応援のメッセージが寄せられています。・私の86歳になる母親も、5年ごとに3回、がんが発覚。それでも乗り越え、今に至るまで暮らせています。古村さんもあきらめずに頑張ってください!・がんの恐ろしさを、改めて痛感しました…。完治を願っています。・どうか回復しますように!がんと診断されると、今後の人生に不安を抱いてしまうもの。ましてや4回も告げられ、古村さんが感じたショックは計り知れないものだったでしょう。古村さんがこれからの治療で、がんが治り、今度こそ完治することを願うばかりです。[文・構成/grape編集部]
2023年01月22日43歳になる誕生日当日。レバーのような血の塊と大量出血に見舞われ、思わず「ギャー!」と叫び声を上げた、はなうたねこさん。婦人科を受診したところ、子宮体がんだと宣告され…!? 職場の健康診断と髪の毛の話子宮体がんになってしまい、約6時間におよぶ大手術を受けた、はなうたねこさん。病理検査の結果、子宮体がんのステージⅢCだと判明し、抗がん剤治療を開始しました。 しかし、それからしばらく経ったある日、今度は『絞扼(こうやく)性腸閉塞』いわゆる腸捻転になって、救急車で運ばれてしまったのです! 緊急手術をしてすぐに体調は良くなったものの、主治医から「抗がん剤が腸閉塞の原因になった可能性も考えられますので、抗がん剤治療はストップしましょう」と言われてしまい……。 腸閉塞の手術を終えて少し経ったあと、職場の健康診断を受けた、はなうたねこさん。 すると……便潜血検査で要再検査となってしまったのです! ーーもしや、がん細胞が大腸に転移した!? 不安になったはなうたねこさんが、かかりつけの病院の産婦人科に電話で相談すると…… 「申し訳ないのですが、ご自身で外科に予約して内視鏡検査など受けてください」と告げられてしまいました。 ーーはぁ、がん拠点病院なのにアフターサービスもないのか……。それなら『がん科』を作ってくれよ! と、病院の対応に少し不満を抱いた、はなうたねこさんでした。 ちなみにその後、子宮体がんの手術を担当してくれた主治医に相談したところ、「腸閉塞の手術からまだ間もないので」とのことで、もう少し経ってから大腸の内視鏡検査をすることになったそうです。 抗がん剤治療を始めてから、副作用でどんどん体毛が抜け落ちていった、はなうたねこさん。このころ、髪の毛はちょろっと生えている十数本を残して、ほぼすべてが抜け落ちた状態でした。 ーーこんなにちょろっとだけ残しているのもなあ……。 と、ついに残りの髪の毛を切ることを決意! 坊主頭になると、なんとなくスッキリした気持ちになったそうです。 はなうたねこさんが坊主になったころ、季節は冬でしたが、それでも日中に陽が当たると頭頂部はとても暑くなりました。逆に、夜に寝るときは頭がスースーして寒いので就寝時には帽子が必須アイテムになり、出浴後のドライヤーは不要に。 毛がなくなり地肌が丸見えとなった頭頂部は、ぬらぬら(=ぬるぬる)としていました。冬の乾燥しやすい季節だったこともあって、地肌が乾燥して余計な油分が出ていたのかもしれませんね。 その後は、抗がん剤をやめたことから、少しずつ髪の毛が生えてきたのですが…… なんと、髪質が変わってしまい、くるくるとした癖毛が生えてきたのです! はなうたねこさんだけでなく、実際には多くのがんサバイバーが同じような体験をしているそうです。 子宮体がんの手術から1年が経過したころ、腸閉塞後の体調も落ち着いたので、久しぶりに実家に帰省したはなうたねこさん。少し伸びた癖毛に、家族は「えー!?」と不評でした。 このとき、はなうたねこさんは本当は病気のことを家族とたくさん話したかったそうなのですが、楽しそうに会話をしている家族を見ているうち、話せずに終わってしまったそうです。 それでも、久しぶりに家族で食卓を囲んで団らんする時間はとても楽しく、改めて家族の大切さを実感した、はなうたねこさん。 帰省を終えて自宅へと戻ったあとは、家族からあまりにも不評だった癖毛をなんとかすべく、美容室へ。 「髪質が変わってしまったのなら、切ったところでどうにもならないだろうな……」と、半ばあきらめていたのですが…… 切り終わったあとの頭部を見てみると、短いながらも髪の毛がストレートヘアになっていたのです! 満足というよりも、「なぜ?」と疑問が強く残ったはなうたねこさんでした。 監修/助産師 松田玲子 はなうたねこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター はなうたねこ40代で子宮がんが判明。子宮全摘出、抗がん剤治療、2度の腸閉塞を経て、現在がんサバイバー12年目。そのほかいろいろInstagramにて投稿しています。
2023年01月19日子供と一緒に参加できる、キッズパークを会場にした「ママのためのがん検診体験イベント」を企画・運営する「ママのがん検診応援プロジェクト」(事務局:一般社団法人シュフレ協会/所在地:神奈川県横浜市/代表理事:武次 直美)は、2021年6月にスタートした「乳がんエコー検診無料体験会」に続いて、2022年11月25日「子宮頸がんHPV検査無料体験会」をスタートしました。「子宮頸がんHPV検査無料体験会」は、子宮頸がんについての正しい知識の啓発を目的にしたイベントで、子宮頸がんに関する無料セミナーに加えて、自宅で好きな時に受けられる子宮頸がんHPV検査キットを配布。検査キットの使い方の説明や検査後のアフターフォローまで無料で行うことで、子宮頸がんHPV検査に対する不安や疑問を解消し、定期的な検査習慣をつけていただくことを目指しています。■子育て中のママの「子宮頸がん」に対する意識子育て中のママたちに「子宮頸がん検診」の受診状況についてアンケートを実施したところ、出産前は7割以上のママが検診を受診していたにも関わらず、出産後は76.7%のママが検診を受診できずにいるという結果となりました。また、子宮頸がんに関する基本的な知識を問うクイズを出題したところ、3問全てに正解したママはわずか13.7%でした。乳がんについての同様のクイズの正答率が44.2%であったことと比較しても、子宮頸がんについての関心の低さがわかります。これは子宮頸がんについての正しい知識を学ぶ機会が少ないこと、子育てや家事・仕事に追われて自分の健康について意識を向ける余裕が少ないこと、子どもの預け先の確保など受診に至るまでのハードルが高いことなどが原因として考えられます。第一回「子宮頸がんHPV検査無料体験会」に参加した子育て中のママたちからは、「子供のことも大切だが自分の時間もとるようにしなくては、ゆくゆくは家族に迷惑がかかると感じた」「子宮頸がんのリスクがこんなにも高いことを知らなかった。検査を定期的に受診することで早期発見ので今後も継続して受診したい」などの感想が届いています。グラフ■「ママのためのがん検診体験イベント」について子育て世代のママたちのがん検診の受診率を向上し、早期発見・早期治療につなげ、家族の笑顔と未来を守ることを目的としたプロジェクトです。屋内型キッズパークを会場にし、子どもと一緒に参加できる「がん検診体験イベント」を開催するなど、ママのがん検診が子どもにとっても楽しい思い出となるような企画を運営しています。2021年6月から2022年9月までに「乳がんエコー検診無料体験会」を横浜市内で計17回開催し、述べ445名のママが参加しています。参加者のうち3割の138名に何かしらの所見が出ていることからも、定期的な検診の重要性がわかります。また2022年11月の第一回「子宮頸がんHPV検査無料体験会」では定員となる30名のママが参加。ヒトパピローマウイルス(HPV)の検査キットを使った自己検査を行い、現在専門機関によって結果の分析が行われています。<イベントの様子>ママがイベントに参加しているあいだ、子どもたちはキッズパーク内で遊んで待ちます。見守りスタッフを配置しているので安心して遊べます。ママがイベント参加中の子どもたち子宮頸がんセミナー風景乳がん検診モデルキットによる自己触診指導■ママのがん検診応援プロジェクト OFFICIALサポーターの募集についてがん検診の重要性を啓発し、ママたちのがん検診受診率の向上を目指す「ママのがん検診応援プロジェクト」の趣旨に賛同し、応援してくださる企業および各種団体の皆様からのご協賛を募集しています。詳しくは、ホームページをご確認ください。 ■ママのがん検診応援プロジェクト 事務局・事務局 : 一般社団法人シュフレ協会(代表理事 武次 直美)・所在地 : 〒224-0066 神奈川県横浜市都筑区見花山1-30 見花山3階・電話 : 0120-72-1010・ホームページ: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年12月26日2012年に子宮頸がんが判明した、はたの有咲さんの闘病後の夫婦生活を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの原因は性行為にあるのだそう。しかし、はたの有咲さんは夫としか性行為をおこなったことがないそうで……。★前の話私はときどき不正出血が起こることがありました。ちょうどそのとき、子宮頸がん検査の無料クーポンを持っていたこともあり、ふらっと婦人科へ行ったことで子宮頸がんが判明しました。子宮頸がんは発がん性のヒトパピローマウイルスの感染によって発症するものなのだそう。このヒトパピローマウイルスというのは、一度でも性行為の経験がある女性であれば誰もが感染する可能性があります。「性行為で感染する」というせいで複数の男性と関係を持っているように誤解されることもあるみたいで、病気についてカミングアウトできない女性もいるのだとか。私は夫としか性行為をしたことがないのに子宮頸がんになりました!1人の男性としか性行為をしていなくても、ヒトパピローマウイルスに感染してしまうことはめずらしくありません。病気になってしまった女性が誤った知識のせいで苦しむことがなくなればいいな、と思います。ー--------------間違った知識で苦しむ女性が減ってほしいと願うはたの有咲さん。病気について何が正しくて、何が間違っているのかきちんとした知識を身に付けることは大切ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。■コミックス情報「子宮頸がんとセックスレス」著者:はたの有咲定価:150円(税抜)出版社:秋水社ORIGINAL★関連リンク:「子宮頸がんとセックスレス(1)」(WEB)秋水社公式ページ(外部サイト)©︎はたの有咲/秋水社著者/はたの 有咲(52歳)マンガ家で3姉妹の母。子宮頸が(IB1期)の治療から11年が経過。治療経験を描いたマンガを描いている。「mini SUGAR」にて4コママンガを連載中。
2022年12月16日2012年に子宮頸がんが判明した、はたの有咲さんの闘病後の夫婦生活を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんが判明して、子宮の全摘手術を受けたはたの有咲さん。その後、放射線治療をおこない、がんは治ったものの……。※2021年のお話です。★関連記事:「がんかも」えっ!? 下腹部の膨らみは子宮筋腫だろうと思っていたのに #子宮頸がんゆる闘病記 1私は2011年の10月に受けた子宮頸がんの検査に引っかかり、再検査をしたところ手術を勧められました。衝撃を受けつつも、子宮頸部円錐切除の手術をしてもらいました。手術の10日後には病理検査の結果が出て、子宮頸がんであることが判明! 悲しむ間もなく子宮の全摘手術を受けることになりました。その後、放射線治療を受けて一時期は心身ともにつらい状態に……。体調は年々少しずつ回復し、自分でも驚くほどに元気になりました。がんが再発することなく無事に5年がたち、今では3カ月に1度婦人科で女性ホルモンの薬を処方してもらうだけになりました。ただ、私は治療だけではなくもう1つ大きな問題を抱えていました。それは夫との夫婦生活について! 子宮頸がんの治療が終わってからの6年間、私は夫婦生活のせいでとても悩むことになりました……。ー--------------夫婦にとって夫婦生活はとても大きな問題ですよね。皆さんは夫婦生活で悩んでいることはありますか?■コミックス情報「子宮頸がんとセックスレス」著者:はたの有咲定価:150円(税抜)出版社:秋水社ORIGINAL★関連リンク:「子宮頸がんとセックスレス(1)」(WEB)秋水社公式ページ(外部サイト)©︎はたの有咲/秋水社著者/はたの 有咲(52歳)マンガ家で3姉妹の母。子宮頸が(IB1期)の治療から11年が経過。治療経験を描いたマンガを描いている。「mini SUGAR」にて4コママンガを連載中。
2022年12月15日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、がんの手術前におこなったいろいろな検査について。その中でも一番つらかった検査というのが……。★前回:「さすがにつらかった…」両親にがんを伝えた日のこと #43歳で腎がんになった話 9骨などへの転移がないとわかったところで、無事手術日も決まり、あとは手術前のもろもろの検査をして手術を待ちます。まずはそしてこれって年配の人はできるの??ってくらい体力を使った。知らずにしていたけど、肺の検査も転移をみる検査だったのかな。多分そうですよね。そして看護師さんがしきりに「あれっ? あれっ?」と言っていたのでwそしてHIVや梅毒とか、いろいろな病気がないか調べるため、たくさん取られたと思います。そして、つらかった第1位が……痛い!長い!そして深い!振り返ってみると正直、今回した手術全体よりはるかに痛かったです(←個人の感想)。手術は、終わったあとも痛み止めを使ってくれるし……。インフル検査をしたときは鼻水が潤滑油となって?ここまで痛くなかったけど、今回は無症状で鼻の奥がカッサカサだから、余計に痛く感じたのかも。手術前検査をすべて終えて、手術まで心配ごとは何もない!(新型コロナだけは気を付けます)ホッとしたところで、例によって、病院のあとはおなかがすくのです。もう思い残すことがないくらいには、ひと通りのものを食べた気がする。----------------振り返ってみて、がんの手術よりPCR検査のほうがつらかったというマメ子さん。鼻の奥まで突っ込まれるのは地味に痛いですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouYuberとしての情報発信もおこなっている。★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★43歳で腎がんになった話の連載一覧★大腸がんの闘病マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2022年11月19日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、両親にがんであることを伝えたときのこと。娘からの告知に両親は……。★前回:「これががんの痛みか…」いつも夜になると強い痛みがやってくる #43歳で腎がんになった話 8がんだとわかったとき、3人の子どもたちにはすぐ伝えました。12〜18歳という、もう大人の話もできる年齢だったこともあるけど、子どもたちに状況を知ってもらい、もっと家のことをしてもらいたいという下心もあり。子どもが小さいうちから、私がじょうずに家事を教えていればよかったけど、自分がやるのも面倒なのに子どもと一緒に気長に教えながらやるなんて、耐えられず……。結果的に、家事のほとんどできない、3人のポンコツを育ててしまった!でもさすがに、母親ががんになったと聞いたら、普通は率先して家事やってくれるかな?と思うでしょ。案外、変わりませんでした。普段通りにしてくれて気楽ですけどね!旦那の名誉のために言いますと、旦那はやってくれますが、もうできる年なんだから子どもたちにもやらせたい。こんな感じの家族なら、がんの告知も病人アピールも気楽にできるんですが、これの何倍も気が重いミッションが私には残っていたのです!そう、自分の両親への報告!「血尿が出て病院に行ったら、何かおでき的なものができていた」(腫瘍とは言えていない)と、ふわっと伝えてはあったのですが、さすがにがんとわかった以上、言わない訳には……。実家は高速で1時間離れたところにあり、当時は両親には新型コロナを気にして孫の顔もしばらくリモートでしか見せてないです。久々に見れた孫の顔、楽しい時間。〜からの、がん告知(申し訳ない)。少し予想はしていたのかもしれないけど、両親、絶句……!特に母親は超心配性で、私の息子が幼児期、乳・小麦・卵のアレルギーとわかっただけで夜も眠れなくなるぐらい。この子は何を食べて生きていけばいいのかと悩んだそうだ。そんな母親だから、動揺するかと思っていたけど、意外と落ち着いて受け止めてくれた。何がいけなかったんだろう、とか、これからどうするの、とか、仮に思っていても言わなかったのは、当事者の私が一番つらいと思ってくれたからこそだと思う。やっぱり、いざというとき、母は強いのかも。さらに、いろいろ聞いたあとに、なんて言う。さすがに70歳を過ぎた両親に「こんなよぼよぼの腎臓でも使えるならあんたにあげるからね!」と言わせてしまうなんて、つらかったです。ー----------------自分ががんであることを親に伝えるというのは、なかなかつらいことですよね。そして、親は子どもがいくつになっても心配してくれる存在でいるのはありがたいですね。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouYuberとしての情報発信もおこなっている。★1話から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★43歳で腎がんになった話の連載一覧★大腸がんの闘病マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2022年11月17日国立がん研究センターの近年の統計では「2人に1人はがん」と診断されることもあるようです。しかし、私は「自分はがんになるはずはない」と思っていました。体にいつもと違う症状があっても、「重い病気だったらどうしよう……」「忙しい」という思いから、病院へ行くことをためらう気持ちがありました。私の夫もそのうちの1人。受診を後回しにした結果、しばらく苦労することになった体験談をお話しします。★関連記事:「もしかして新型コロナ?」体調不良とおなかの違和感がずっと続いて… #大腸がんらしい 1がんの告知はあっさりとしていて…便をするときに血が出るという夫夫と結婚して約3年たったある日。トイレから帰ってきた夫が「トイレに血が付くから見てほしい」 と私に言ってきました。見てみると、便をしたあとのトイレにたしかに血が1、2滴ほどありました。ただ、排便の際に肛門が切れたりした様子はないようでした。便をするときに血が出るなんて、きっと何か異常があるに違いない! と不安になった私は、即病院へ行くように促しました。が、夫は携帯でいろいろと調べ、「ただの痔だよ」と言うだけで病院へは行かず。私の母も一緒になって何度も何度も受診を促したのですが、それでも夫は仕事を理由に病院へは行きませんでした。そのうち私も「痔かもしれないしなぁ……」と、しつこく病院へ行くように言うのをやめてしまい、気付けば1カ月近くたっていました。血が出たと聞いてから2〜3週間後、夫からまだ出血する上に量が増えているとの報告が!しかも肛門の表面ではなく、中がジクジク痛むとまで言ってきたのです。いても立ってもいられなくなった私は、夫の仕事を無理矢理休ませて近所の肛門科がある病院へ連れて行きました。★関連記事:「また血便…」。痔と思い込んで放置は危険!大腸がんの可能性も【医師監修】紹介状を持って大きな病院を受診したら病院ではまず問診をして、そのあと触診。すると、先生は触った瞬間「大腸ポリープですね。これは手術になるなぁ」 とひと言。詳しく診てもらうために大きな病院への紹介状をもらい、その足で専門医がいる総合病院へ向かいました。そこでも同じく問診から触診の流れ。すると触診をした先生が「がんの可能性が高いと思います」と言ったのです……!先生の話によると、本来大腸ポリープは腸壁の表面にポコッとできるもので、触ると動くそうです。夫のポリープは触っても動かず腸壁の内部へと進行しているとのことでした。大腸ポリープは、進行すると悪性の腫瘍に変わってがん化することが多いそう。「さらに詳しく調べますが、いずれにせよ手術になるでしょう」 と言われてしまいました。思いもよらない診断結果で付き添っていた私も顔面蒼白。え、がん告知ってこんなにサラッとされるもの? よくドラマで見る、別室に連れて行かれて「話があります」 ではないんだ! と頭の中でプチパニック状態でした。夫はというと、私に飲み物を買ってきてくれるほど冷静だったので驚きました。そして内視鏡検査やがんの有無や転移を調べるPET検査の結果、ポリープはがんの可能性が高く、夫の場合は肛門に近いため“直腸がん”との診断結果が出ました。夫の直腸がんは、肛門から約3cmの箇所にあるそう。あと5mm肛門に近い箇所にあったら、一生ストーマ(人工肛門)生活になるところだったみたいです。担当の先生は、「なるべくがんの周りの細胞を傷つけないように取りますから」 と言ってくださり、安心したのを覚えています。一時はストーマ生活を余儀なくされその後、約9時間にも及ぶ大手術は無事成功! 手術を終えて出てきたときの夫は見たことがない顔をしており、今でも忘れられません。手術の際に患部を実際に見てみると、夫の大腸がんは肛門のすぐ下のリンパ近くまで進行していたそうです。そのため、深層部まで細胞を取り除くこととなり、肛門へのダメージも大きくなってしまいました。その結果、術後の半年間はストーマを付けて生活することに。その期間は、慣れないストーマの交換に悪戦苦闘!おなかに力を入れ過ぎると脱腸してしまうため、夫婦で協力しながら日常生活を送っていました。半年後には予定通りストーマを取るため部分麻酔による再手術がおこなわれ、ようやく元の生活に。夫が35歳という若さで直腸がんになってしまった原因を探ってみると、どうやら生活習慣と食生活に問題があったそう。当時子どもがおらず、飲み食いが大好きな私たちは、好きなときに好きなだけ飲んだり食べたりしていました。そのせいか、もともと細かった夫は直腸がんになった当時太り気味になっていました。再発させないためにも何とかしなければ……と夫婦ともどもこれまでの不摂生を反省し、ネットや本から多くの情報を集め、生活習慣と食生活を改めました。毎日のように飲んでいたお酒は週末のみ。夜型生活だったのを朝型生活に変え、食べ物や調味料はできるだけオーガニックのものを選ぶようになりました。 また、腹八分目を意識して、おなかいっぱい食べないように気を付けることで過食を抑制。質の良いものを腹八分目まで食べるようにしていたので、夫婦共々少量で満足するようになりました。お陰で太り気味だった夫は10kg以上体重が減り、健康的な体へと変わったのです。そして、生活が一変してから5年たったつい先日、何の異常も見られず無事がんは完治! ただし、出血や、肛門の痛みからは解放されたものの、直腸を3分の2も切除したため、今でもたびたび排便を我慢できない苦しさを味わっています。今後も定期的な検査はしていきますが「いつか再発するのでは……」という不安からは少し解放されたように感じます。今回の一件で夫婦共々、改めて生活習慣や食生活の見直しと、早めの病院受診の大切さを実感している日々です。まとめ今回の出来事は、今となっては私たち夫婦が生活習慣を見直す良いきっかけだと思えています。おかげでがんが完治した今は健康的な食生活を楽しめるように。とはいえ、完治しても再発への不安はずっと消えません。その不安を払拭するためにも、健康を意識することを忘れてはいけないな、と思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。★生活のお悩み記事を読むならこちら!著者/よしだ れい(43歳)産まれたばかりの娘の育児を楽しみながら頑張っているアラフォーママ。年齢に負けないよう体力づくりに奮闘している毎日です。ジャンルを問わず、さまざまな体験談を執筆しています。
2022年11月16日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。医師から腎がんと宣告されて、手術に向けての検査をおこなったときのこと。転移の可能性を調べる検査だと知って、頭の中はその検査のことでいっぱいに……。★前回:「ああ、やっぱりがんなのか…」造影CT検査のあとついに医師から宣告 #43歳で腎がんになった話 6やっと、腎臓の腫瘍が悪性との診断がつき、手術に向けての検査が始まりました。先生に骨シンチという検査の詳細を聞きます。そういえば、なんで腎臓のがんで骨の検査をするんだっけ?たしか、手術ができるかどうかは結果次第とか聞いたような……。そういうこと!?私はまだがんについて知識が浅く、転移というのは長い闘病の中で徐々に起きていくみたいなイメージがあった……。初期であっても、転移の可能性があるということも初めて知ったのでした。測ってもらったら腫瘍が5cm以下だったから初期だろうと勝手に思っていたけど、そういうことでもないらしいから、初期かどうかも実際わからない。がんだろうという覚悟はしていたけど、その先は考えてなかった私。骨シンチ……。シンチってそもそもなんだ!?響きがちょっと怖い……!検査まで落ち着かない数日を過ごす。そして、いよいよ骨シンチ検査の当日。ほんと、それです。骨シンチの検査は、まず注射をしてから2〜3時間待って、薬が骨全体に行き渡るのを待つ必要がある。お昼ごはんを食べて来ていいですよと言われ、回転寿司へ。緊張してる割に寿司……。戻って来て、時間をかけて画像を撮ってもらう。ドキドキしながら診察室へ入ると……、例の、好感度抜群の主治医先生。先生、笑顔ー!!後光が見える……!!先生ー!!ついて行きます!!体調が悪化してから1カ月ずっと、悪いことしか判明しなかったけど、初めての良い知らせに、2人して待合室で泣いてしまった。ー----------------骨には異常がないことがわかってホッとしたマメ子さん。先生に後光が見えるという気持ちがわかりますよね。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouYuberとしての情報発信もおこなっている。★1話から読む:「えっ? 血尿かも?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒もして… #43歳で腎がんになった話 1★人気マンガ作品が無料で読める!40代、50代向けのマンガ作品を毎日大量配信中♪ 無料でザクザク読めちゃいます!著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2022年11月13日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。泌尿器科を受診して「腎臓に腫瘍のようなものがあります」と言われたマメ子さん。次の診察までの間、ついつい「がん」について調べてしまい、知れば知るほど怖くなってきて……。★前回:「腫瘍のようなものがあります」素人でもわかるレベル!嫌な予感… #43歳で腎がんになった話 3泌尿器科を受診し、「腫瘍がある」と言われてお昼に帰宅。病院内を歩いただけだけど、痛みがぶり返して来た感じ……。極力何もしたくないので夕飯用に冷凍食品を買って帰って横になり、派遣会社の担当さんに診察の結果と欠勤のメールをしました。その日は、夜には少し良くなって、「明日は行けると思います」と派遣の担当さんにメール。ところが朝になっても、やっぱりまだまだ痛みが。そろりそろりとしか歩けないし、食べていないせいもあって足元もふらつくので、8時間立ち仕事でするにはほど遠い……。もう1日休んじゃお。腫瘍があるんだし、いいよね!ところがちょっとだけ疑われてます?だって、鎮痛剤は効かないし……。まさかの3連休でごめんなさい。土日を入れたら5連休!さすがにこの日はヨーグルトくらいのものから食べれるようになって、食べたらちょっと元気が出てきました。ただ、4日も食べてない割に体重がそんな減ってない……。一時は、もしかして私このまま退社?と思うほどに起きられなかったけど、次の日にはすっかり元気になり、出勤。職場で心配されつつ、週の残り2日をどうにか乗り切り、次の診察日を待つ間に、どうしてもいろいろ考えてしまう。やっぱり、がんかなぁ……。がんなんだろうなぁ…違ったらラッキーだけど……。でも、がんなんて珍しくないし、手術して元気になっている人もたくさんいる。でも43歳ってちょっと早いな……。若いと進行が早いって言うし、というか、症状が出ている時点で結構進行しているんじゃ?初期って多分、健康診断で初めてわかるやつだよね?まあ、腎臓がんは市のがん検診でも診ないから、どっちみちわからなかったか……。何をしていても、意識の隅っこには「がん」という言葉が……。あまり考えないようにしてるけど、スマホを手に取ればなんでもわかってしまうこのご時世。ついつい、見ちゃうよね!知れば知るほど、怖い。かといって、知らないままでも怖いので、調べるのはほどほどにしておこう……。そして、1週間後、がん宣告を受ける覚悟を胸に診察に臨む。----------------自分は「がんなのではないか」と気になり、スマホで調べてどんどん怖くなってきたマメ子さん。皆さんも自分の症状や体調が気になって、検索がやめられなかったことはありませんか?監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouYuberとしての情報発信もおこなっている。著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2022年11月07日ananフェムケア連載「Femcare File」。今回のテーマは「子宮頸がんって、どんな病気?」。anan世代にとって、実は身近な病気である子宮頸がん。女性の命や体を守る検診やワクチンについて、改めて学んでみましょう。“性感染症である子宮頸がんは防げる病気だと知ってほしい。”国内で年間約1万人が発症し、3000人弱が命を落としている子宮頸がん。30~40代での発症が多いとされているが、最近は20代の間でも増えてきているのだとか。「理由のひとつに、性交渉の開始年齢の若年化があります。子宮の入り口にできる子宮頸がんは、95%が性交渉で感染するヒトパピローマウイルスが原因。生活習慣や遺伝とはほぼ関係がない性感染症なので、若くてもかかる可能性があるのです。ウイルス自体は約8割の人が一生のうちに感染するといわれていますが、自分の免疫力で大体のものは排除が可能。ただし、ウイルスの中でもハイリスク型といわれるものに感染して長年排除できずにいると、がんを発症するといわれています」(産婦人科専門医・竹元葉さん)がんを発症した際の兆候として、もっとも多いのが不正出血。「出血や痛みなどの自覚症状が出るのはわりと進行した状態。初期は無症状の場合も多いですが、検診をきちんと受けていれば比較的見つけやすいがんだと思います」若い世代は検診を敬遠しがちだが、性交の経験があるならば年齢を問わず受診した方がいいそう。「国の推奨は2年に一回ですが、発症リスクが高い20~40代は毎年受けるのがオススメ。実は私自身も毎年受けていた検診で、がんの前段階だと診断された経験があるんです。発見が早く治療後に妊娠・出産も経験しましたが、進行によっては子宮摘出の可能性も。自覚症状はまったくなかったので、検診の重要性を再確認しました」検診では、ハイリスク型のウイルスに感染しているかをチェックするオプションなどもあるという。「性交経験があってもその段階で感染していなければ、子宮頸がんワクチンを打つことでその後の感染を予防できます。ワクチンは17歳未満で打つと感染によるがんを90%近く防げるといわれており、接種率が約8割のオーストラリアでは実際に発症数が減っています。30~40代でも感染予防効果はありますし、ヒトパピローマウイルスは肛門がんや咽頭がんなどの原因でもあるので、男性が打っても有効。誰もが感染しうるありふれたウイルスだからこそ、検診やワクチン接種で自らを守る意識をすべての人に持ってほしいですね」そわんわんさんと考える。“もしも”のために何ができる?私たちが今、知っておきたいこと。若い世代でも増えている子宮頸がんとは、どう向き合うべき?現在23歳のYouTuber・そわんわんさんが、産婦人科専門医の竹元葉さんと共に考えます。体に目を向ける、それこそが自分を大切にするということ。そわんわん(以下、そわ):私の中では子宮頸がん=中高年の方がなる病気というイメージでした。20代でもなる可能性があるとか、性交渉での感染が原因っていうのは知らない人も多いと思います。竹元葉(以下、竹元):そうなんですね。今23歳であれば、子宮頸がんワクチンのクーポンが届いているのでは?そわ:届いた記憶はあるけれど、自分には関係ないかなって…。竹元:ワクチンを接種することで、性交経験がない人は約9割、すでに経験がある人でも、その時点で子宮頸がんハイリスク型のウイルスに感染していなければ新たな感染を防ぐことができます。そわ:そうなんや。そういう情報を知る機会が、今までなかった!最近ようやく生理の話題がオープンになってきたけれど、女性特有の病気やワクチンの話をすることってなかなかないですよね。どのくらいの割合で病気になるのかとか、学生時代に授業でもっと教えてくれたらいいのに。竹元:それこそ、そわさんのように親しみやすい存在の方が動画とかで発信してくれたら、若い世代にも、身近な問題だと感じてもらえる気がします。そわ:ウチが!?でも、みんなが考えるきっかけにはなるかもしれないですね。そのためには自分が知識をつけなきゃ。実は今まで一回も婦人科に行ったことがないんです。そもそも病院に行く習慣がないから、不安があってもどう説明したらいいのかわからなくて。それで放置するうちに不調に慣れてきちゃって、自分の異変に気づきにくくなっている気がします。竹元:人と比べられないから、確認しにくいですよね。不正出血などの症状がなくても、日常生活で支障を感じたら一度病院でチェックしてみた方がいいと思います。“こんな些細なことを病院で聞いたら怒られるかも?”と思わずに、気軽に受診してほしいですね。そわ:たしかに。“これって人と違うのかな?”と疑問を感じた時点で不安要素があるってことですよね。その不安を消すには、病院で診てもらうのが一番早いし確実。竹元:今はネットで調べれば情報が得られるけれど、なかには正確さに欠けるものも。自己判断するよりは、病院に来てもらう方が後悔は少ないと思います。子宮頸がん検診もそう。早い段階で見つかれば子宮を取らずに済む可能性が高くなるし、死亡率も低くなります。うちのクリニックでは、毎年お誕生日のタイミングで受診することをおすすめしているんです。そわ:自分へのプレゼント!本当に自分を大事にするって、そういうことだと思います。みんな外見は一生懸命ケアするのに、健康は後回しにしがち。何が一番大切なのかが伝わるといいですよね。竹元:そわさんの言う通り、自分の体に意識を向けることはすごく大切。まずは、生理や体の状態をアプリなどで把握しておくことから始めるのもいいかもしれません。竹元 葉さん(写真左)産婦人科専門医、sowaka women’s health clinic院長。思春期から老年期まで、ライフステージの変化に伴う様々な不安や不調に寄り添うかかりつけ医として女性をサポートしている。そわんわん(写真右)1999年2月19日生まれ、和歌山県出身。等身大の“お友達系YouTuber”として人気を博し、チャンネル登録者数は63万人超え。リアルサイズモデルとしても、注目を集めている。※『anan』2022年11月2日号より。写真・中島慶子ヘア&メイク・井原結衣(そわんわんさん)イラスト・別府麻衣取材、文・真島絵麻里(by anan編集部)
2022年10月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。抗がん剤治療中、自分の体に異変を感じて……。★関連記事:「めっちゃうるさくない?」消灯後も続く抗がん剤治療で思わぬ事態に… #子宮頸がんゆる闘病記 36抗がん剤治療の2日目と3日目は、輸液を点滴します。初日に投与した抗がん剤をどんどん水で流していく感じなのですが、ずっと点滴をしていると、夏なのに体が冷える。すると、看護師さんがジェルタイプの湯たんぽを用意してくれました。気にしてくれる方がいる。それだけで気分がほっこりして、ストレスが和らぐのですよね~。抗がん剤の副作用は3日目から出てきました。歩くとちょっとフラついたり、食べるとちょっと「うっ」となるのですが、このときはそこまでつらくありませんでした。ただ、何だかとにかく暑いんですよ!午前中はいいのですが、午後になると汗がダラダラ止まらなくなりました。暑さと汗の原因、それは更年期障害でした。死なないためには仕方ないんです。……と自分に言い聞かすのですが、まぁ軽くショックです。私の場合は、術後2カ月しないうちに、ホットフラッシュが出てきちゃいました!……出るにしたって、早くねぇ? 出ない人は全然出ないっていうのに……。「女である時期は終わっちゃったんだな~」とか、つまらないことをチラリと思ったりもしました。あ、でも、その後もビジュアル的に女らしさはなくなっていないし、ぶっちゃけ生理がないのは、めっちゃラクです!ただ若いころから更年期の症状が出ることは、いいことはないので、妹には電話で検診を受けるよう勧めたのです(笑)。マンガは、これで最終話となります。私の体験が少しでも皆さんの役に立てたらうれしいです!ー------------------------術後2カ月で更年期の症状が出てびっくりしたと、とりだまりさん。突然症状が出てくるものなのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月23日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。いよいよ抗がん剤治療をする日を迎えて……。★関連記事:「何これ…」初の放射線治療後、異様な眠気と吐き気が襲ってきて… #子宮頸がんゆる闘病記 34私が飲んでいたのは「イメンドカプセル」という吐き気防止のお薬。めっちゃ強い吐き気止めなんでしょうね~。6本中4本が「輸液」。抗がん剤が終わった後は、輸液をガンガン流すことで、強力な抗がん剤を排出するようです。点滴、ひんやりしますよね~。「ああ、今、抗がん剤が入ってるんだなー」と実感する瞬間です。私はなんか緊張して、気付けば全身に力入ってました。なんかそれだけで疲れるじゃないですか。というわけで、私はずっと「抗がん剤は美容液!」と思い込みながら、点滴を受けていました。うふふふふ。でも、そう考えるだけで、だいぶ楽しかったんです。それに、せっかく研究者さんたちががんを治療するために作ってくれた薬を、ただただ怖がるのは嫌だったし。頑張っている私の体に対しても、「今体に入ってる物は、嫌な物だ」と感じさせちゃったら、余計ストレスになりそうな気がしたんですね。それに、がん細胞を抗がん剤で「たたく」みたいなイメージも、私はちょっと怖いなって。だって、がん細胞だって、私の体の一部なんです。がん細胞からしてみたら、私の中で、ただ生きたいだけなのですよね。まぁ、あんまり元気に生きられると、宿主である本体が死んじゃうので困るのですが……。それを悪者みたいに捉えちゃうのは、ちょっとかわいそうだなと思っていました。だから、黒くてトゲトゲしたがん細胞が、抗がん剤や放射線に触れると、魔法みたいに瞬時にキラキラキラ……となんかビタミン的な栄養豊富なものに生まれ変わる。だから、私、治療のたびに美肌になっちゃうわ~!そんなふうに思いながら治療を受けていたんです。治療が長くなってくると、なかなかこうも言っていられないと思うんですけども。でも、自分で自分のメンタルを楽しく保てたのは、結構うれしかったです。ー------------------------最初はすごく緊張して、全身に力が入っていたけれど、考え方を変えることで気持ちがだいぶラクになったと、とりだまりさん。ポジティブに捉えられるのは、とてもすてきなことですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月15日今や2人に1人ががんにかかる時代と言われていますね。がんの標準治療と言われている治療方法はこちらの3つ。「手術」「放射線治療」「抗がん剤」。この標準治療が終わった後にできる、「遺伝子パネル検査」という検査があるのをご存じでしょうか。がんゲノム医療「遺伝子パネル検査」先日「遺伝子パネル検査の現状」についてのセミナーが行われ、がんゲノム医療の現状と課題が、名古屋大学医学部附属病院 化学療法部 教授 / ゲノム医療センター長の安藤 雄一先生により語られました。がんの標準治療は手術でがんを直接切除。放射線治療で、手術では切除しにくい場所のがんや広範囲のがんにアタック。抗がん剤治療はいずれかの治療と平行して行われることが多いものの、「薬物耐性」によって使用していくうちに効果が薄れるため、次々と使う抗がん剤を変えて様子を見ていきます。この3つが終了し、有効な抗がん剤が見あたらなくなった段階で、がんの標準治療が終了するのが一般的です。がん細胞の特徴から患者に合う薬を調べる現在、保険適用となっている抗がん剤を検討するために「コンパニオン診断」という検査が行われており、『この薬はこの患者に効果があるかどうか』を都度調べて診断していきます。一方の「遺伝子パネル検査」は、患者のがん細胞の特徴を読み取って『この患者に合う薬はあるのか?』を調べていく比較的新しい検査方法。より多くの薬剤から自分に合うものを探していけるため、期待が寄せられています。今後のさらなる研究が期待されるしかし、この検査で自分に合った薬が必ず見つかるわけではありません。現状、効果のある薬剤が見つかる可能性は10%程度で、しかも新薬や研究薬ではなく従来の抗がん剤に薬効の可能性がある、と再発見される結果が多数だそう。また現在、検査が実施できる施設が限定されていたり、検査から診断まで2か月程度を要すため、結果を待つ間に患者さんの容態が悪くなってしまう可能性もある等、必ずしも万能な検査だとは言えないようです。ただし、中には薬効のある薬が見つかるなど、がん治療に対し、新たな選択肢が増えている、ということには違いありません。がん患者の新たな希望にセミナーでは「実際に遺伝子パネル検査を行った3名(うち1名はご家族)の患者の気持ちの変化について」がグラフィックレコーディングで可視化された動画も流されました。3名(うち1名はご家族)とも幸運にも治療薬が見つかった方々でしたが、本来、標準治療ですべて終わってしまうところが、遺伝子パネル検査の存在を知っただけでも希望を持って過ごすことができた、とのことでした。今後、がんゲノム医療が発展していくにしたがい、治療薬が見つかる割合がより高くなることが期待されています。一度自分事として捉えて、がん医療の現状と向き合ってみるのもいいかもしれませんね。
2022年10月12日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。抗がん剤治療と放射線治療の前に、駆け込んだところは……。★関連記事:「尿をためて固定具を作る?」放射線治療が始まる前にやったこと #子宮頸がんゆる闘病記 32私が入院していたのは、がん専門の病院だったので、院内美容院がありました。髪の毛が残バラ状態で、外の美容室に行かなくていいというのは、何となく心強かったです。3日間も生理食塩水を点滴するのは、「シスプラチン」という抗がん剤を使うから。婦人科系のがんに用いる、他の抗がん剤の場合は、こんなに何日も生理食塩水を点滴しないようです。私の場合は、「シスプラチン」を次のような感じで投与しました。がんの種類・ステージ・患者さんの体重などによって、使う抗がん剤の種類・量・投薬期間が異なります。ですから、「抗がん剤治療」とひと口に言っても、患者さんによってすることがかなり違うんです。そういうことって、実際に治療してみなきゃわからないですよね。さらに私の場合、全28回の放射線治療があり、月曜日~金曜日に、連日何かしらの治療をするため、少なくとも放射線治療が終わる1カ月半程度、入院することになりました。通院治療ができる方がうらやましいなと思っていましたが、実際に入院してみたら、連日通うよりはだいぶラクでした。私が今回受ける、「同時化学放射線療法(CCRT)」では、あんまり髪が抜けない!そのことを知ったのは、抗がん剤治療をスタートする前日でした。これまで抗がん剤治療を受けた人たちに聞いたら、みんな口をそろえて「きれいに抜けるよ!」って言っていたのに!手術入院のときだって、周りで抗がん剤治療をしていた人は、たいてい抜けていたし、先生だって、「まぁ、髪は抜けますね」って言っていたのに……!30万円のカツラを買う前で、マジでよかったです。というわけで、抗がん剤治療をすることになったら、髪を切ったりウィッグを買ったりする前に、まず薬剤師さんに話を聞いてみることを心底おすすめします!ー------------------------薬剤師さんに「髪はあまり抜けない」と言われたときは、頭の中が真っ白になったと、とりだまりさん。抗がん剤治療の直前ではありますが、高額なカツラを購入する前に知ることができてよかったですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月08日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。病理検査の結果で、抗がん剤治療をするかどうかが決まるのですが……。★関連記事:「なかなか、かっこいい」おなかの手術痕をポジティブに考えられる理由 #子宮頸がんゆる闘病記 30病理検査の結果が出るまで、宙ぶらりんになっていた「今後の治療の有無」。ようやく結果が出て……抗がん剤治療をすることに。正直、涙が出そうになりました。激しいショックと、抗がん剤があまりにも怖くて、先生に「抗がん剤って本当に効果あるんですか?」と軽くキレてしまった私。だって抗がん剤、怖いもん。でも、先生の言葉で、なんだかとても安心したことを覚えています。抗がん剤治療をする覚悟も固まりました。「30万円のお高いカツラでも買う! 私の心の平安のために!」と以前は思っていましたが、いざ実物を買うとなると、「本当ににいいの……?30万円……」と揺れて揺れて。結局もう少し考えることにしたのでした。そんな私に、抗がん剤治療の先輩である、フルダテさんがくれたアドバイスとは……。昔、本当に似合わなかったので、このときも髪を短くするのが本当に嫌でした。それなのに、治療のために切らざるをえなくなって……。気付けば、「この人より、私のほうが不幸」と無意識のうちに比べて、不幸マウンティングを取ってしまって。そんな自分の不幸に酔っぱらっていた私ですが、美容師さんは心地よく酔いを覚ましてくれたのです。お母さんが弱っていくところを間近で見ていた経験は、とてもしんどいものでしょう。そのしんどさを、やさしさに変えることができた、とてもすてきな美容師さん。できれば私も、そんなふうになりたいなと、とても自然に思うことができました。彼のおかげで、似合わないと思っていたショートカットが似合うこともわかり、「嫌だな~」しかなかったこの時期が、ちょっと楽しいものになったのでした。ー------------------------抗がん剤治療を控えて、しんどい時期に、この美容師さんに出会えてよかった、とりだまりさん。つらいことがあると、無意識に人に当たってしまうこともありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月01日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。術後10日目、そろそろ退院する日も近そうですが……。★関連記事:「えっ、いつまで?」手術後の行動制限にショック! 思わず涙が出て… #子宮頸がんゆる闘病記 27術後10日目、まだ尿を出したという感覚が戻らず、看護師さんに導尿してもらいました。退院するには、導尿が50mlを切らないといけないらしく、自分で尿を出しきれないと、退院後も自己導尿をしないといけないため、「尿感覚よ、戻れ!」と思いながら、とにかく院内を歩きまくりました。こんな物が自分のおなかに入っていたなんて……。そして、がんと一緒に摘出した子宮筋腫がデカ過ぎてびっくり!術後は、下っ腹がめっちゃスッとしました。まぁ、子宮と卵巣の分も減っちゃっているわけですが……。子宮頸がんの場合、4cmというサイズが、1B1期→1B2期へのランクアップの基準になるそう。ああ、本当に嫌だ。というわけで、手術入院はなんとか無事に(?)終えることができました。このときはまだ「がんは4cm以上だったけれど、病理検査の結果次第では、もしかすると抗がん剤、やらなくてもいいのでは!?」と、むなしい期待を抱いておりました。4cm超えとはいえ、がんは子宮の扁平上皮内(へんぺいじょうひない)にとどまっていて、手術できれいに取れたんじゃないかなー、と。先生の「1B2期で、4cm以上」という診断で、抗がん剤フラグはしっかり立っているわけですが、「抗がん剤やるよ!」と言われるまでは、諦めきれないのが、がん患者心です。そんなこんなで、抗がん剤をやるかどうかは、次回の通院まで持ち越されたのでした。ー------------------------摘出した子宮筋腫が本当に大き過ぎて、がん(子宮と卵巣)の存在がかすんで見えたと、とりだまりさん。そんなに大きな筋腫がおなかにあったかと思うと、驚いてしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月24日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。卵巣がんの手術をした友だちができて……。★関連記事:「これも手術が原因? それとも…」手術後、頭痛と腰痛に悩まされて… #子宮頸がんゆる闘病記 25子宮・卵巣の手術では、尿管のそばの神経をいじるので、一時的に排尿の感覚がなくなります。尿意はあって、力んでみるのですが、何かが出てくるわけではなく……。出ているんだか、出てないんだか、自分でもよくわかりません。初めのうちは、ちっともおしっこが出てこなくて、焦りました。入院中、卵巣がんの手術をしたシマダさん(仮名)と仲良くなりました。私もシマダさんも、ともに進行具合はステージ1。ただし、抗がん剤をする必要があるかどうかは、手術で摘出した物を病理検査しなければわからない……という段階でした。ちなみに、私もシマダさんも、抗がん剤治療が必要と言われたら「やる」の一択。ちまたではいろいろなことも言われていますが、いざとなったら死の恐怖が先立ち、「やらないなんて、怖くてできねぇ」という感じ。とはいえ、怖いしやりたくはないのですが。病理検査の結果が出るまでの3週間は、本当に長くて心苦しかったです。そんなときに、同じ境遇でバカ話ができる友人に出会えたのは、とってもありがたいことでした。ー------------------------抗がん剤治療を受けるのかどうか、結果が出るまでの時間がとても長く感じたと、とりだまりさん。病理検査の結果が出るのには、ある程度の時間がかかるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月20日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなうことになったとりだまりさん。子宮頸がんであることを懇意にしていた編集者に報告したところ、あっさり仕事を切られてしまい……。★関連記事:「マジすか!?」仕事先にがんを報告したら秒で仕事を切られて… #子宮頸がんゆる闘病記 14しょっちゅう仕事をしていた方にあっさり仕事を切られてしまい、「このやりとりをあと何回続けるのか」と思いながら、仕事先の方たちに連絡をしました。ある程度覚悟していたのですが……。「とりあえず半年くらいは待てますから」「無事に治療が終わるのを待っています」「治療が長引くならそのとき相談しましょう!」など、やさしい言葉をかけてくださる方が多く、とてもうれしかったです。ある方からは、治療中も仕事を続けさせてくれるという、うれし過ぎる申し出もありました。でも、一体なぜ……? と思い尋ねてみたところ、その方も長期入院したことがあり、病気が治っても仕事がないかと思うとすごく不安だったという経験があったからとのこと。そのおかげで、実際に私は入院中も働くことができたのです。がんになったことは、本当に死ぬほど怖くて、震えるほど嫌なことです。それでも、実はがんになってよかったと思えることもたくさんあります。その1つが、「待つ」と言ってくれた人たちがいたこと。そのことに気付けたことです。元気だったら、なんということのないひと言ですが、社会に戻れるかどうかわからない自分にとって、思った以上に勇気づけられる言葉でした。特に、戻る場所のことまで考えてくれた彼女には、ただただ感謝しかありません。ほかにも、それぞれのやり方でサポートしてくれた友人がいて、その気づかいにもとても助けられました。ー------------------------「待つ」と言ってくれた人たちがいたことに気付けたことで、視界が大きく変わったと、とりだまりさん。治療を始めてからでないと、自分でもどうなるかわからない中、そういった言葉はとても励みになりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年08月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなうことになったとりだまりさん。子宮頸がんであることを両親に告げ、次は仕事関係の人たちに報告をすることになったのですが……。★関連記事:「お通夜みたいだったよ」娘にがんだと告げられた両親の反応は… #子宮頸がんゆる闘病記 13いつまで続くかのかわからないのが、がん治療。だからこそ困るのが、収入減(仕事)のことなのですが……。がんを治せずに死ぬのも怖い。生き残って、また仕事を始めるのもちょっとしんどい。このときはそんなふうに思っていました。だから、仕事関係の方に連絡するのがとても怖かったです。意を決して、当時懇意にしていた書籍編集者さんに報告したのですが……秒で切られました(笑)。仕事を切られるのはともかく、非常にあっさりなのがなんとも。まぁ、向こうにもいろいろ都合があるのでしょうが……。「治療が終わるまで、何年だって待ってますよ!」……という都合の良い答えを期待していたわけではありませんが(いや、ちょっとしてた)、残念ながら私は、編集さんが「数年待ってでも書いてもらいたいんです!」と思うような、実力派でも売れっ子ライターでもないので、恨むなら自分を恨むしかないのが、なんとも情けなく。ただ、うまい具合に治療を終えられたとしても、そのとき復帰する場所がないというのは、やはりなかなかしんどいものです。ー------------------------仕事をあっさりと切られたとき、とりだまりさんは「正直、終わったな……と思った」とのこと。がん治療とは直接関係ないことであっても、治療前から気に病むことことがあるのは、つらいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年08月26日がん経験者などに無料のオンラインミーティング9月4日(日)、一般社団法人日本キャンサーアピアランスケア協会が主催する座談会形式のオンラインミーティング「がん経験者とナースで語ろうアピアランスケア」が開催される。参加費は無料となっている。このイベントはzoomによりオンラインで開催され、厚生労働省と公益財団法人日本対がん協会、公益社団法人日本看護協会が後援として参画。がん経験者や看護師、看護師以外の医療関係者などが対象である。当日は女性特有のがんを患った人たちの「よつばの会」代表で、自身も子宮頸がんなどを経験しているタレントの原千晶さんをはじめ、婦人科がん、乳がんの経験者3氏が「患者側」として出演。「看護師側」には、がん看護専門看護師、乳がん看護認定看護師、がん化学療法看護認定看護師の3氏が出演する。「アピアランスケア」とは外見に対するケアがん治療では外見の変化を伴うことがある。「アピアランス」は外見のことを意味し、「アピアランスケア」とは外見に対するケアのこと。がん治療による外見の変化に悩んでいても、看護師などに相談しづらく、悩みを抱え込んだままになりがちである。一方、看護師側も患者が求めているケアとはどういうものかなどの不安や疑問を抱えている。このオンラインイベントでは、がん経験者3氏と、がん専門・認定看護師3氏がアピアランスケアをテーマにそれぞれ経験をしてきたことを語り合うことになる。多種多様なニーズを可視化させ、アピアランスケアの現場に生かすためのイベントであり、参加者には医療現場で嬉しかったことや不満などについて、参加登録の際や当日のチャット機能で伝えてほしいとしている。日時: 9月4日(日) 14:00~15:30参加費: 無料(日本キャンサーアピアランスケア協会のサイトより引用)(画像は日本キャンサーアピアランスケア協会のサイトより)【参考】※「がん経験者とナースで語ろうアピアランスケア」申込開始 - 一般社団法人日本キャンサーアピアランスケア協会
2022年08月24日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。1カ月後に子宮頸がんの手術をおこなうことになったとりだまりさん。子宮頸がんであることを両親に告げるのは、気が重くて……。★関連記事:「足りなければ俺が貸すし」フリーランスが、がんになるということは… #子宮頸がんゆる闘病記 12子宮頸がんであることを電話で両親に伝え、その後実家に会いに行くことにしました。私もアラフォー。高齢なので、あんま期待してなかったとも思いますが、さすがに両親に「孫を残せなくて……」と直で伝えたときはヘビーでした……。そんなこと娘に言われた両親のほうが、さらに重かったとは思いますが。娘に面と向かってがんだと告げられた、父と母の反応はそれぞれでしたが、泣かれなくてよかったな、と思いました。でもその後、妹から聞いた話では、私の前ではそんなそぶりを見せなかった両親は、うなだれてお通夜のようだったとのこと……。いやー、やっぱそうですよね~。会っている間は淡々と、普通の挙動だった両親ですが、やっぱり無理してたんだなぁと。これはもう、「心配かけて申し訳ない」としか言えません。本来であれば、親がこっちに心配かけていい年代なのに。介護とか。あと妹。不甲斐ない姉でホントすみません……。病気になることで、自分の甲斐性のなさが、アリアリと浮き彫りになった1日でした。ー------------------------両親に自分ががんだと伝えるのは本当に気が重かったとりだまりさん。伝えるほうも、伝えられるほうもとてもつらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年08月23日普段はパートナー2人暮らしをしながら、漫画を描いている津島つしまさん。そんな津島さんは、33歳のときに近所のクリニックで子宮頸がん検診を受けた際に、「がんの一歩手前ですね」と言われてしまい……。 きっかけは子宮頸がん検診だった ※個人の見解を図にしたものです。 近所のクリニックで子宮頸がん検診を受けた、津島つしまさん。 医師に「結果が悪くて……がんの一歩手前です」と言われてしまったのですが……。 なぜか、本人は 「まじすか、やばっ」 と、まるで人ごとのような返事。かなり冷静ですね。 帰宅後、配偶者に「がんの一歩手前だって! 今度精密検査するから!」と、明るいトーンで報告する津島さん。 「ヘラヘラして…大変だって分かってる…?」 むしろ、パートナーのほうが不安そうですね。 こうして、宣告を受けて妙にハイテンションになりながらも、津島さんの闘病生活が始まったのでした。 監修/助産師REIKO 津島つしまさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 津島つしま漫画家。2月生まれのインドア派。著書『夫は実は女性でした/講談社』。女性になったパートナーとふたりで暮らしています。
2022年08月21日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。1カ月後に子宮頸がんの手術をおこなうことになったとりだまりさん。入院準備で物をそろえる以外にも調整が必要なことがあり……。★関連記事:「入院中の楽しみができた!」がん友ができて不思議と心が軽くなって #子宮頸がんゆる闘病記 11自分が倒れれば、そこまで。働けなければ、即無収入。それがフリーランス。しかもわが家は夫婦ともにフリーランス。なので、夫婦といえども、簡単には相手に頼れません。なぜなら共倒れになるから。そのつもりで生きてきました。ただ、「治療費が足りなければ貸す」と夫に言われたときは、「よっしゃ、死んだら借り逃げできるな!」とも思いました(笑)。いざとなったら、借り逃げができる。それが夫婦(?)。そう思っているのは私だけかもしれませんが、夫に確かめるつもりはもちろんありません。「違う」って言われても困るから。この先も、そこはあいまいにしたまま生き抜こう。そう思う今日このごろです。ー------------------------フリーランスのため、働けない期間のお金のことが気がかりだったというとりだまりさん。手術だけでなく、手術後の生活やお金についても夫婦で話し合う必要があるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年08月21日